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2021年12月 3日 (金)

沢田研二 「ある青春」

from『JULIE VI ある青春』、1973

Julie6_20211123215901

1. 朝焼けへの道
2. 胸いっぱいの悲しみ
3. 二人の肖像
4. 居酒屋ブルース
5. 悲しき船乗り
6. 船はインドへ
7. 気になるお前
8. 夕映えの海
9. よみがえる愛
10. 夜の翼
11. ある青春
12. ララバイ・フォー・ユー

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朝晩寒くなってきましたね。

前回ご報告させて頂いた左手親指つけ根の骨の負傷ですが、先日の診察では経過は良好とのことで、ひと安心しました。
まだ痛いことは痛いですけどね・・・。
次の診察は年明けの1月7日。それにかこつけて有給をとります。なにせその日は病院以外に、絶対に遅刻したくない大切な用事がありますからね~。
早めに出かけて有楽町交通会館で「うまかっちゃん」(九州限定のインスタントラーメン。鹿児島出身の僕にとっては原風景の味)とか「ロイズの板チョコ」(北海道の絶品チョコレート。水色のやつが1番好き!)を買ったり・・・ウロウロしていようかな、と思っています。


さて今日は『ジュリー祭り』(東京)記念日。
2008年の東京ドーム公演は、僕が友人YOKO君とともに初めて参加したジュリーLIVEです。

そこで本格的にジュリー堕ちを果たし、以来幾多のツアーに参加してきた僕にとって原点とも言うべき12月3日。毎年この日は必ず『ジュリー祭り』セットリストからお題を選んで記事更新しています。

鉄人バンドのインスト含めた全82曲について一応過去にすべてお題記事を書き終えていますが、2010年あたりまでの記事は本当にヒヨッコ丸出しの内容で(僕がジュリーファンとして多少ではありますが前進できたのは、2011年の東日本大震災を機に更新内容をとにかく全力で頑張り、加えて同年の老虎ツアーに向けてザ・タイガースのナンバーと真剣に向き合って以降だと思っています)、再読に耐えうるものではありません。

今日はそんなブログ初期に書いたお題から改めて「過去記事懺悔・やり直し伝授!」のカテゴリーにて、「ある青春」を採り上げます。
この曲は、本格ジュリー堕ち直後に色々とお世話になっていた先輩から「二大ドームのヴァージョンを」とのリクエストを頂き張り切って書いたのですが・・・今にしてみると、まぁ穴があったら入りたい内容で(泣)。

この機に、『ジュリー祭り』ヴァージョンのみならずオリジナル音源についても今思うところをしっかりと書いていきたいと思います。よろしくお願い申し上げます。


①常連曲なの?レア曲なの?

『ジュリー祭り』に参加した日のことは、LIVEだけでなくお昼に出かける時の胸の高鳴りから、終演後巣鴨似移動してサシ飲みしたYOKO君との会話まで鮮明に思い出すことができます。

開演前に立ち寄った水道橋の喫茶『リンデン』は僕がギャンブラー時代に毎週通っていたお店(ウインズで馬券を買って店内のテレビ競馬中継で観戦)。30代半ばでギャンブルから足を洗い、『ジュリー祭り』当日に久々の再会となったお店のママさんに「今日はジュリーを観にきました」と言ったら、さすがにご存知で「行くんだ!」と笑ってくれたなぁ。
『リンデン』はコロナ禍を乗り越え今も元気に営業しているだろうか、ママさんは元気だろうか、とそんなことも今考えます。

ドームに入場後は喫煙室で、長いジュリーファンなのであろうマダム達の会話に耳ダンボ。
その上品な冬の着こなしと落ち着いた様子に僕らは「さすがはジュリーを選んだ昭和の淑女だよね」とか「LIVEが始まったら、彼女達のコートの羽根がドーム内に舞い飛ぶんだろうね」とか好き勝手なことを話したり。

席に着いた時はまだドームの屋根から晴天(本当に素晴らしい天気でした)の光が透けていて、これから始まる「祭り」への期待は高まる一方でした。
一般販売でチケットを購入した僕とYOKO君の席は、いかにも「一般ピープル枠」な2階席。
ジュリーの言う「浮動票」の2人だったわけですが、本人達はいっぱしのジュリーファンのつもりでいて(あくまでも開演前はね)、遥かに下のアリーナ席を見つめながら「いいよなぁ、アリーナ」「俺等もあそこが良かったよねぇ」などと生意気を言いつつ、「どの曲が来たら(歌ってくれたら)ここからあそこ(アリーナ)にダイブする?」という物騒な会話に発展。
僕は「ロンリー・ウルフ」、YOKO君は「酒場でDABADA」を挙げました。
結局その2曲は歌われず、ばかりか現在まで僕らはLIVE未体感という状況が続いているんですよね。

で、その後も開演まで色々な話をして。
2人とも大好きなアルバム『JULIE Ⅵ』からどの曲をやると思う?なんて話になりました。
ヒヨッコの2人は過去のジュリーLIVEセトリなど知りませんから、常連曲とかレア曲とかおかまいなしに、予想と言うより自分が「歌って欲しい」と考えるナンバー2曲ずつを挙げたのでした。

僕は「朝焼けへの道」と「船はインドへ」。
YOKO君は「気になるお前」と「ある青春」。

いざ、勝負!の結果はご存知の通り、YOKO君の完勝に終わりました。
「シングルでもないアルバム収録曲をよくズバリ当てたよね」とアフターでのYOKO君はご満悦でしたが、後日「気になるお前」は超セトリ定番ナンバーであり、還暦記念の一大イベント『ジュリー祭り』で外れるはずがない1曲だったのだ、と知るわけです。

では、「ある青春」はどうなのでしょう?
ここが僕には未だによく分からない。
あの『ジュリー祭り』でこの曲が歌われた時、先輩方は「ちょっと前には時々は歌ってたなぁ」という感覚だったのか、それとも長いファン歴をもってしても「おおっ、この歌を生で聴いたことあったけ?あったとしても何10年ぶりだろう?」と驚かされるくらいのスーパー・サプライズだったのか・・・。
この機に是非、教えて頂きたいです。


②「小編成」の説得力

では、この不朽の名曲「ある青春」の『ジュリー祭り』ヴァージョンの方から考察していきましょう。

あの日ジュリーは前半セットリストにて怒涛の「有名曲」コーナーをお客さんの熱狂とともに駆け抜け、その後「Snow Blind」を挟んでからMCでこう言いました。

「今日はゲスト無し!(鉄人バンドのメンバーに手をかざして)私たち、だけ!」

大きな拍手が沸き起こりましたが、実はここでヒヨッコの僕とYOKO君は「えっ?」と。
2人ともポリドール時代の全アルバム、そしてDVDもいくつか観たことがある中で、還暦記念を銘打った『ジュリー祭り』なるLIVEタイトルから連想していたのは、DVD『ジュリーマニア(武道館)』のそれをさらに豪華に、さらに大きくスケールアップしたステージだったのです。
当然のように堯之さんや大野さんのゲスト参加、下手するとショーケンも出てくるぞ!くらいの期待感を抱いて「ゲスト登場」の瞬間を待ちわびていたという・・・今にして思えば(と言うか当日終演後には、この『ジュリー祭り』を5人でやり遂げた意義を何となくながら掴めていたのだけれど)その考えがどれほど浅かったか。

ジュリーは続けて「こんなに小編成なのに、もっと小編成にしてみたいと思います」と話して、次曲「明星」を歌いました。
ここから「風は知らない」「ある青春」「いくつかの場面」までの4曲の流れは、セットリスト全体の中で独立した「静かなるジュリー」とも言うべきワン・コーナー。僕には当日からそんなイメージがあります。
このコーナー4曲のヴォーカルがまぁ凄まじくて、僕らはあの時たぶん口を半開きにして圧倒されていたんじゃないかな。
特に「ある青春」は、『ジュリー祭り』で歌われた全80曲中ジュリー・ヴォーカルの情感、説得力において5本の指に入る、と今でも思います。

バンドの演奏者はたった1人。
泰輝さんのピアノです。

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しかも「ある青春」って本来、バンドに加えてフルオーケストラの曲なのですからね。
ジュリーの言う「小編成」を極めた特別なアレンジ、という点で『ジュリー祭り』の「ある青春」はとても貴重なパフォーマンスであり、ジュリー・ヴォーカルの真髄(キーはオリジナル通りのハ短調のまま。なんという高音の艶やかさよ!)だったというわけです。

そしてそれは、泰輝さんのアレンジ解釈、演奏なくして語れません。

オリジナル音源の「ある青春」では「豪華な演奏陣の中の1つのトラック」であるピアノ演奏、その肝はイントロをはじめ数回登場するクリシェ部でしょう。
クリシェというのは、和音の構成音をひとつだけ変えて進行させる手法です。「ある青春」の場合は2小節をひと塊として
「ソ・ド・ファ」→「ソ・ド・ミ♭」→「ソ・ド・レ」
と進行。
もしお部屋に鍵盤楽器がある方はこの通り鳴らしてみてください。簡単な3和音だけで「ある青春」の雰囲気に浸れますよ~。

で、泰輝さんはこの「肝」の部分は原曲通りに弾くのですが、ジュリーが歌に入るやいなや、オリジナルのピアノ・パートには無い経過音、テンション音を駆使し、見事に『ジュリー祭り』限定の特別な「ある青春」の世界を作り上げます。
ジュリーの歌、泰輝さんの伴奏双方が互いに影響し合い、グ~ッと気持ちが入っていくのが今DVD映像を観るだけでも分かる、というね。

みなさまもこの『ジュリー祭り』記念日にお手元のDVDを取り出し、ピアノ1本で歌われる「ある青春」に浸ってみてはいかがでしょうか。


③大名盤の看板・タイトルチューン!

続きましてここでは『JULIE Ⅵ ある青春』収録のオリジナル・ヴァージョンについて書いていきます。

「ジュリーのアルバムの中で1番好きな1枚」と言うと僕は『JULIE Ⅱ』で確定していますが、2番手は全然決まっていなくて、聴くごとに「これが2番目に好きだな」と思ってしまう名盤が10枚以上はありますね~。
『JULIE Ⅵ』も当然その中に入ってきます。
「ある青春」はそんな名盤のタイトルチューン。以前何度か書いたことがあるように、僕は勝手に『JULIE Ⅵ』をストーリー仕立てのコンセプト・アルバム(『Ⅱ』主人公の続きの物語」)として捉えていて。
港町を出奔し各国を巡り立派な船乗り(女性経験も含めて笑)へと成長した『Ⅱ』の主人公が濃密に駆け抜けた生涯を描いた1枚である、とね。

強引ながら、アルバムのラス前収録の「ある青春」は主人公の人生が終わろうとする瞬間を描き(最後の間際に煙草を吸う設定は、井上バンドゆかりの『太陽にほえろ!』でのジーパン刑事の名シーンを1年先取り)、続くラストの「ララバイ・フォー・ユー」はアンコール的な大団円として、「夢の中」(永遠の生命を得る彼岸の世界)で大切な人と再会を果たす、という物語を想像しながら僕はこの名盤を聴いているのです。

まぁこれは歌詞の内容だけで考えるならいかにも飛躍し過ぎた解釈なのでしょうけど、僕がそのように考える決め手は、「ある青春」のアレンジにあります。
エンディング、本当に曲の最後の最後の音に注目してください。
ハ短調の曲ならば②で記した和音のうちトニック・コードである「ソ・ド・ミ♭」で着地させるのが普通です。しかしこの曲は「ソ・ド・レ」でプツリと終わります。
この場合の「レ」は「add9」と言って、「後に続く和音」を求める役割の音であるにも関わらず・・・これはよくドラマ等で使われる「BGMが唐突に途切れて、登場人物の最後の瞬間を示唆する」手法と同じだと思うのですよ。

楽曲全体のアレンジは豪華絢爛。『ジュリー祭り』ヴァージョンとは対極と言える音の数です。

弦、木管、金管、打楽器総登場のフル・オーケストラ。そしてバンド・サウンド。
ドラムスのフィルのカッコ良さは、同アルバムでは「船はインドへ」と双璧です。
加えて、分数コードの役目を一手に担うベースライン。あとは相当気合入れて聴かないと耳に入ってきませんが、エレキギターもしっかり弾かれています(サビ部、左サイドで裏拍のカッティング)。

YOKO君はこの曲が大好きで(もちろん僕もそうですが彼と違ってアルバムの中で1番、とは言えません)、『ジュリー祭り』以前から「この曲はジュリーになりきって煙草を吸いながら聴く」と言っていました。
そんなふうに歌に浸れるのは、ジュリーのヴォーカルや詞の叙情性もさることながら、計算され尽くしたアレンジにあるのだ、と僕は考えます。
「譜面通りに弾く」プロフェッショナルな演奏の素晴らしさって、絶対にあるんですよ。

当然、独自の構成力やアドリブを以て演奏者の個性を押し出す素晴らしさというのもまたあるんですけど。
3年間に渡るジュリーLIVEのギター1本体制、採り上げられたあらゆる曲の演奏で柴山さんはその両方を魅せてくれていたことを、最後に一筆加えておきます。


それでは、オマケです!
今日のお題「ある青春」リリース年にあやかり、1973年『新春 沢田研二ショー』パンフレットをどうぞ~。

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これはお正月LIVEですから、「ある青春」リリースよりちょっと前のジュリー。最新シングル「あなたへの愛」を推し出したステージ構成なのですね。

先輩方からこの頃のパンフレットを見せて頂く度に思うのですが、みなさまパンフ購入は開演前ですよね?
ステージが始まる前に、パンフ記載のプログラムを先に見ちゃってました?それともLIVEが終わってから帰り道のお供にじっくりと?
そんなことが気になる後追いファンです。

思えば・・・。
ジュリーの歴史と共にある長いファンの先輩方ほど多くの経験は持たない僕ですら、ついこの間まで「ジュリーのお正月コンサート」とは毎年恒例の行事、開催されて当然、という日常の一端のような気持ちでいました。
それが本当はいかに特別な僥倖であったか、コロナ禍で思い知らされましたね。

『初詣ライブ』で始まる特別な2022年に期待を寄せつつ、この師走を乗り切っていきたいと思います、
まずは明日。
渋谷の一般販売、頑張ります!

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コメント

DY様 こんばんは。

手の負傷,良くなってきたようで良かったです。

「青春の終焉」とは?
がテーマと思ってました。
「大人の分別」を不純と感じる未熟さを恥じるのか、「大人の分別」を言い訳に抵抗して来たものの軍門に下るのを恥じるのか。
曲の構造的には人生そのものの終焉とも感じられるのですね。

結構よく歌われていた曲だったと思います。
チケット、無事ゲットできたでしょうか?

投稿: nekomodoki | 2021年12月 4日 (土) 22時55分

こんにちは。
ジュリーファン、BARAKAファンのみなさんが苦労されてチケットを手にされるなか、
初詣ライブもお留守番です。

ふてくされ、ひがんだ気持ちを引きずってなにげなく中古レコードコーナーをぶらぶらしているとき、どちらも白いJULIE ⅡとⅥのジャケットが!

思い切って手放されたであろう前の所有者の方を思いました。一瞬迷いましたが、この2枚は後追いで買ったCDだけでなく、アナログでも聞いてみたい! 買うしかありませんでした。

高価なオーディオ機器も、よい耳も持っていませんが、レコードの若いジュリーの声は新しい経験のようでした。

お題曲は、女性コーラスも入るのですね。
これだけのバック、アレンジで、ジュリーの歌の響きは青春のようにナイーブに揺らぎつつも、しっかりこの曲の中心にあり、歌詞の1音1音も低音もすばらしくて、胸が痛いほど。
海外でとってきましたよ、の意味が箔付けなどではなく、こうして製作年とともに残されたのでしょうね。

ライブを楽しんできてください。
来年のことで鬼が笑いますね!

投稿: piano | 2021年12月 5日 (日) 08時42分

nekomodoki様

ありがとうございます!

なるほど、先輩方にとっては「よく歌われていた」感覚をお持ちの1曲なのですね。
となると僕もこの先、もう1度くらいは生体感できる名曲と言えるかもしれません。

普通に考えれば「青春の終焉」ですよねぇ。僕の考察は毎度の深読みですから(汗)。

チケット、ダメでした・・・。
「繋がった!」と思ったら予定枚数終了ですよ~。ものの1分で撃沈でしたね(泣)。
僕個人はフォーラムに行けるので良いのですが、ようやくスケジュールの都合をつけたYOKO君達音楽仲間のぶんもトライしていたので申し訳なく・・・彼等にはなんとか参加して欲しい、とまだあきらめきれません。
友人のぶん優先で、これから地道に探すことにします。

piano様

ありがとうございます!

僕は、2009年に先輩が譲ってくださった『JULIEⅡ』のLPが手元にあります。
ダブルジャケットの写真、歌詞ページ等、CDとは比べ物にならないほどの大きなインパクトがあり重宝しています。
やはり「LPで製作されたものはLPで」楽しむのが本当なのでしょうね。A面、B面の役割というものもありますし。

確かにオリジナル音源では、豪華なアレンジの中ジュリーの歌がしっかりと「中心」の存在感を出していますね。それはミックスにも表れています。
『JULIEⅡ』の時はまだ演奏優先、みたいなミックスなんですよね(それはそれで素晴らしいと僕は思うのですが)。
『Ⅱ』『Ⅵ』の2枚は詞や演奏のコンセプトが似通っているだけに、たった1年余でのジュリーの成長が感じられる兄弟盤のように聴くことができるのではないでしょうか。
その2枚をLPで揃えられたこと、素晴らしいです!

投稿: DYNAMITE | 2021年12月 7日 (火) 09時21分

ダイナマイト様、お忙しいところをすみません。

表題は小生が好きなジュリーソング・ベストテンに十分入ります。

昭和48年、小生は中学一年生。ジュリーのオリジナルアルバムを買うなんて夢のまた夢。

秋に父が4チャンネルステレオを買ってくれました。最初は浅田美代子「赤い風船」を買いたかったけど、お供した級友に唆されて、森田健作「青春に悔はないか」になりました。モリケン&石橋正次共演のテレビドラマ「おこれ!男だ」の主題歌でした。京平デビューならず、でした。残念。

その頃のジュリーはタイガースの記憶がない小生にとっては、新御三家よりはワンランク上にいる貴公子というイメージでしたよ。

投稿: 秀和 | 2021年12月19日 (日) 14時53分

筒美京平も森田公一も一緒に紅白歌合戦に初出場した石橋正次もジュリー関連なので許してね。「君を許す」って言ってね。
最近、昔は大嫌いだった「君を許す」に実は填まっているのです。

投稿: 秀和 | 2021年12月19日 (日) 15時03分

秀和様

ありがとうございます!

僕も幼少時にジュリーをテレビで観ていて、新御三家より上の人、というイメージを子供心に持っていました。
考えてみれば73年は僕が7歳にして初めて歌手・ジュリーを認識した年です。「危険なふたり」が大ヒットしていましたから、観る機会が多かったのでしょう。

また、石橋さんは「アイアンキング」「夜明けの刑事」で観て好感を持っていましたが、いわゆる「青春もののシンボル」としてのキャリアを把握したのはずっと後になってからです。

「君を許す」を再評価されていますか~。
個人的にはあの曲はタイガースよりもジュリーのファースト・ソロの1曲目で聴いた方がしっくりくるように僕には思えます。
決して派手ではありませんが、名曲ですよね。

投稿: DYNAMITE | 2021年12月20日 (月) 09時18分

DY様
お久しぶりです。その訳の一つは、初詣LIVEチケット争奪戦に完敗、年末の気忙しさに紛れながらも、心の平安が保てない時を過ごしていたからです。昨年秋の追加公演の状況を考えると予想をしていましたが、50年ファンの妹が涙を呑んだとなれば、何も言えません。私は「正月」に縁がなく、初めて正月ライブを連席で愉しめる機会を逸しました、残念です。2020,姉と妹は29年ぶりの「正月」を福岡で経験しております。我々姉たちはともかく、妹は50年〜望むものは、毎年行けていました。澤會が解散したので当然でしょう。
「 胸いっぱいの悲しみ」よりも「ある青春」の方に強い実感をともなう記憶があるのは、なぜなのか。
「散りゆく青春」も「ある青春」も 長らく、自ら積極的に聴くことはありませんでした。
2021 ソロ活動 50 周年。ジュリーが頑張ってきた50年。
しかし、私にとっては、ザ・タイガースが解散して50年。1971.1.24.〜 11.1.「 君をのせて」
高校卒業後、背水の陣の予備校生だった私は、テレビも遠慮して見ていませんでした。事実が残酷に通り過ぎて行きました。若きジュリーの声で聴く、これら「 青春 」 の歌は胸が締めつけられてしまうのです。仮想ではなく実感です。燃えた短い熱い時代、それが終わる切なさ。
「花・太陽・雨」も1971.4. 当時の自分の置かれた状況も相まって、[青春の墓標]と思えましたが、その後、
時を経て[青春の金字塔]となりました。
あれから50 年、半世紀 …その年が訪れるのを意識し始めた頃にCD再発売盤を購入しました。その時、DY様の お勧めの御言葉を読ませていただいたのでした。
ザ・タイガース の ジュリーファンだった私は、PYGが消滅したことにも落胆しました。一年余りの間にジュリーも私も全く環境が変わっていました。20代後半からのジュリーの実経験は21世紀までありません。バンドの変遷は、ギターも弾かない私には後追いとやらも目が回ります。
この先どんな縁になるのか皆目見当もつきません。
ささやかな老後の愉しみも私にはあるのかわかりません。
昨晩はミスキャストをエンドレスで聴きながら眠りにつきました。
まことにテンションの下がるお話で、新年早々に申し訳ありません、すみませんでした。

投稿: ジュリーのすゝめ | 2022年1月 8日 (土) 19時32分

ジュリーのすゝめ様

ありがとうございます!
お返事遅れてすみませんでした。

そうでしたか・・・僕は今回なんとか初日フォーラムは参加できましたが、渋谷はまだチケットが見つからず。
ただジュリーのすゝめ様のお話を伺いますと、1度だけでも参加できたのであればそれ以上望むのは贅沢というものでしょう。

それにしても、ここへきてこれほどチケットがとり辛い状況になるとは。
澤會さん解散以来、僕はまだ自力でチケット販売画面に辿り着けたことすらありません。

「ある青春」はさほどでもなかったのですが、タイガースの「散りゆく青春」へのファンの複雑な思い、記憶というものは多くの先輩方から伺ったことがあります。
後追いファンの僕にとってはそうした思いもまた「羨ましい」とすら考えてしまいますが、実際はそんなに単純なものではないのでしょうね・・・。

投稿: DYNAMITE | 2022年1月11日 (火) 15時19分

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