« 2021年11月 | トップページ | 2022年1月 »

2021年12月

2021年12月28日 (火)

ザ・タイガース 「夢のファンタジア」

from『THE TIGERS CD-BOX』
disc-5『LEGEND OF THE TIGERS』


Tigersbox_20211224182201
1. タイガースのテーマ
2. スキニー・ミニー
3. 白いブーツの女の子
4. 愛するアニタ
5. 南の国のカーニバル
6. 涙のシャポー
7. 涙のシャポー(別テイク)
8. 傷だらけの心
9. 730日目の朝
10. 坊や祈っておくれ
11. Lovin' Life
12. 誰もとめはしない
13. 夢のファンタジア
14. ハーフ&ハーフ
15. 遠い旅人
16. タイガースの子守唄
17. あなたの世界
18. ビートルズ・メドレー(ヘイ・ジュード~レット・イット・ビー
19. 明治チョコレートのテーマ
20. あわて者のサンタ
21. 聖夜
22. デイ・トリッパー
23. アイム・ダウン
24. 雨のレクイエム
25. ギミー・シェルター

---------------

年末、いきなり寒くなってきましたね。
一昨日は高校駅伝の中継で京都の天候を知り、驚きました。あんなに雪が降っていたとは。
みなさまお住まいの地はいかがでしょうか。路面凍結、交通の混乱等充分お気をつけください。

とにもかくにも、『初詣ライブ』各開催日が良いお天気であることを、今から祈りたいです。

さて、ここ数年はジュリー人脈のレジェンド達の訃報が相次ぎ、僕自身の年齢も含め時の流れを痛感せざるを得ませんが、今年9月のすぎやまこういち先生の旅立ちはメディアでも特に大きく報じられました。
すぎやま先生の偉大な功績は、いまさら語るまでもないこと。
例えば、『帰ってきたウルトラマン』の主題歌を初めて耳にした時の「なんだか今までの(テレビヒーローものの)歌と違う!胸がワクワクする!」という褪せない想い出は、僕の世代共通のものではないでしょうか。

今日は改めてすぎやま先生のご冥福をお祈りしつつ書いていきます。

拙ブログでは、ジュリー関連のすぎやま作品でお題記事未執筆の曲が僅かながら残っていました。
大好きなアルバム『JULIE Ⅱ』に収録された「嘆きの人生」も候補に挙げつつ考えた末、今回はやはりタイガースのナンバーで(「すぎやま先生と言えばザ・タイガース」という話を書きたいので)、作詞一般公募による明治製菓とのコラボレーションから生まれた名曲「夢のファンタジア」をお題とすることにしました。
今年ラスト更新、よろしくおつき合いください。

Fantasia1
Fantasia2

(ちなみにこのピクチャー・レコードって、ちょうどCDくらいのサイズなんですよね。時代が経ってから取り出して、間違ってCDプレイヤーにかけてしまった、という先輩方はいらっしゃいませんか?)


①84年に求められた「ザ・タイガース」オマージュ

すぎやま先生の旅立ちを報道したテレビ・新聞等では、「ドラクエ」の文字が大きく躍りました。
先生の代名詞として、それは今なら当然でしょう。例えば僕の勤務先にはすぎやま先生監修によるドラクエのスコアがいくつかあり長年の主力商品となっていましたが、先生の訃報を受けさらに大量の販促注文が殺到、特に『ドラゴンクエストI~V全曲集』というピアノスコアはあっという間に在庫が底をつき、報道から数日のうちに重版をかけなければならなくなるほどでした。
他のギタースコア、ウクレレスコア、ブラスバンドスコアも現在まで継続し多数の出荷が続いています。

「すぎやま先生と言えばドラクエ」・・・それが90年代から現在までに至る音楽業界ひいては一般認識であることは間違いありません。
ただし、「ドラクエ」が一世を風靡する以前、80年代まではどうだったのでしょうか。

これはもう「すぎやま先生と言えばザ・タイガース」であった筈なのです。

そこでこのチャプターでは、ジュリーファンのみなさまがおそらくご存知ないであろう、ザ・タイガースへのオマージュとして84年にリリースされた、すぎやま作品の名盤をご紹介させてください。

ズバリ、田原俊彦さんのアルバム。
タイトルは『メルヘン』といいます

Marchen1

たのきんリアル世代とはいえ田原さんの音源には詳しくなく有名シングルを数曲知っているのみ、という状態だった僕が10年ほど前にその存在を知った当アルバムは、全作詞・岩谷時子さん、全作曲・すぎやま先生の書き下ろしによる、「童話」をモチーフとしたコンセプト・アルバムです。

僕は古書店巡りが趣味で、『明星』や『平凡』付録の歌本も相当集めてきています。
もちろん『ジュリー祭り』以降はジュリー・ナンバー掲載号を狙って購入しているわけですが、なにせ筋金入りのスコアフェチですから、他歌手の懐かしいヒット曲を弾いてみたり、まったく知らない曲のメロ譜やコード譜を追いかけて「こういう曲だろう」と一度解釈してからオリジナル音源をYou Tubeで探し答え合わせをする、なんていう楽しみ方をしているわけです。

で、確か2011年の老虎武道館公演の前に神保町に寄って購入した『YOUNG SONG』84年8月号(掲載のジュリー・ナンバーは「渡り鳥 はぐれ鳥」。歌手クレジットがジュリーと新田さんの連名になっています)の「アルバム特集」ページで『メルヘン』全曲のスコアと出逢いました。

Marchen2

まずジュリーとも縁深い作詞・作曲のクレジットに興味惹かれ、スコアを追ってみると・・・。

なんだこの斬新な進行!
僕レベルでは音源無しの楽曲解釈は無理!

ということでYou Tubeで1曲1曲探し、そのクオリティの高さ、コンセプト・アルバムとしての完成度に感銘を受けた、という流れです(CDを買おうと思ったのですが当時既に廃盤で入手困難のようでした。それは今も変わりません)。
注目すべきはこの『メルヘン』特集に寄せて、ディレクターさんのお話が載っていたこと。

Marchen4
Marchen5

84年当時の業界のプロフェッショナルにとって「すぎやま先生と言えばザ・タイガース」であったことが、このお話からも明快ではありませんか。

Marchen3

変幻自在の進行を繰り出すすぎやま先生の作曲に加え、トータル・コンセプト重視、しかもタイガース・リスペクトが随所に感じられる岩谷さんの詞も素晴らしいですし、緻密なアレンジ(「夢のファンタジア」に近いです)や、田原さんの「語り」から導入する曲もあったり、タイガースファンの琴線をくすぐる仕掛けが満載の名盤。
もし中古ショップ等でCDを見かけることがありましたら、みなさま手にとってみてはいかがでしょうか。


②中後期唯一!ファンタジー系タイガース・ナンバー

それではお題「夢のファンタジア」について。

タイガースが活動した67~71年は、邦洋問わずロック・ポップス・ミュージックの大変革期でした。
世界中のバンド(日本ではGS)がサイケデリック→フラワー・ムーヴメントへと傾倒し、やがてハード・ロックやプログレッシブ・ロックが台頭。
そんな中でタイガースをトッポさんからシローさんへのメンバー交代とは別に、すぎやま先生メインライター時代を「初期」、村井邦彦さん→クニ河内さんメインライター時代を「中後期」とするならば、ちょうどその狭間にヒッピー文化と結びつくカウンター・カルチャーの波があり、タイガースは音のみならずコンセプト含めた楽曲スタイルをこの時大きく変化させたと言えそうです。
この場合の「初期」は、橋本さんの歌詞も併せて、彼等の人気を決定づけた「ファンタジー系」のすぎやま作品抜きに語ることはできないでしょう。

ただしそのファンタジー性(「メルヘン性」と置き換えてもよい)は空想的、寓話的なものではなく「日常のふとした情景や心情(恋愛)にファンタジーを見る」というコンセプトであり、楽曲としてはデビュー・シングル「僕のマリー」や3枚目の「モナリザの微笑」が分かりやすい例かと思います。

カウンター・カルチャーの影響を受け、タイガース(彼等自身と言うより製作サイドと作家)は、その後「ファンタジー」から離れていきました。

そんなタイガースの音楽性の変化とは別の時空間で独立して生まれたかのような歌達・・・それが69年「明治チョコ・タイガースの歌(第3回)」企画の5曲です。
作詞が一般公募というのがポイントで、当選を果たした作詞者がタイガース・ファンであったが故にその奇跡は起こりました。
そして、「初期」タイガース上記2曲のようなイメージで書かれ公募された(ように僕には感じられます)であろう松島由美子さんの名篇に、他でもない、すぎやま先生が久々に作曲を受け持つことで、後期唯一のファンタジー系タイガース・ナンバー「夢のファンタジア」が誕生したわけです。
初恋のときめきを「ファンタジア」と捉え、その悲しい結末を短調のバラードでタイガースが歌う・・・「雨」のフレーズもあって、まるで「モナリザの微笑」の返歌のような名曲ではないでしょうか。

それにしてもこの明治製菓企画5曲のリリース、なんとコード付メロ譜が添えられているというね。
素晴らしい時代だったんだなぁ。

Fantasia3

「夢のファンタジア♪」と歌うところ、王道と言えば王道ながら「A♭maj7→G7→Cm」の流れはじみじみ良いんですよね。
ギターならばここは右手ルート親指のフォーフィンガーで、左手「A♭maj7」を1弦3フレットひとさし指、2弦4フレット中指、3弦5フレット薬指、ルートの6弦4フレットをネック上から親指(4、5弦はミュート)のフォームで弾くとメチャクチャ雰囲気が出ます。
続くドミナント・コードが「G」ではなく絶対に「G7」でなければならない、というすぎやま先生作曲の奥深さがよく分かるのです。
ギターをやる人は是非お試しください。
(と言いつつ、指の負傷のため僕は現在このフォームの「A♭maj7」がうまく押さえられないのですが)


③「タイガース・ナンバーの作詞」という特別な人生

僕は高校時代、故郷・鹿児島では有名な歌人でもある末増省吾先生(母校の国分高校で現代文・古文担当)に師事し俳句を学びました。
量産はするけれどセンスに欠ける僕の句を先生が添削し仕上げてくださるのですが、中には初稿の跡形もないほど全文に渡り添削される場合もあって、明らかに僕自身の創作能力を遥かに越えた名句となってしまったりするものですから
「これはもはや僕の句ではなく、先生の句なのでは?」
と思い尋ねたものでした。
しかし先生が仰るには「最初の着想がオマエなんだから、これはオマエの句なんだ」と。

僕は結局大成叶わず不肖の弟子となり先生はもう僕のことなど覚えていらっしゃらないでしょうが、世の俳人師弟の鍛錬ってすべからくそういうパターンみたいです。

明治製菓の作詞公募におけるなかにし礼さんの「補作詞」にも同じことは言えると思います。
ただ僕の場合と違うのは、当選作品いずれもオリジナルの段階で優れた名篇であること。
なかにしさんの補作詞はいわゆる「添削」ではなく、最終的にプロの作曲家が寄せたメロディーに載るように言葉を合わせ仕上げる、という作業だったのでしょう。

『TIGERS CD-BOX』の高柳和富さんの解説によれば、製作の順序はまず公募当選作を決め、その後で作品を割り振って名だたる作曲家にメロディーをつけて貰う、との流れだったったようです。
でも公募段階のオリジナル詞を見ると、メロディーとの言葉数とずいぶん乖離がありますから、正確には「当選作の世界観をイメージして作曲されたメロディーに、なかにしさんがオリジナルの着想を生かしうまくメロディーに載るようにフレーズを整える」経緯であったと僕は考えます。
「作詞」のクレジットは、あくまで当選された方々のものなのです。

それにしても、あの時代にタイガースの作詞者として選ばれる、というのはどんな感覚だったのでしょうか。
「うれしはずかし」なんて生易しい歓びではなかったでしょうね。
僕には想像もできません。きっと彼女達はそれだけで「特別な人生」を得たのだ、と思うばかりです。

ピーさんが芸能界復帰後まもなく「僕らの曲の作詞をした人のことを僕らが知らないのはおかしい」と思い立ち、「花の首飾り」の菅原房子さん、「白夜の騎士」の有川正子さんのその後を追ったことは有名ですよね。
僕などは残す明治製菓企画の5人の作詞者についても「どれほどの才媛だったのだろうか」とか、ピーさん復帰を機に実現したザ・タイガース再結成への道程で、彼女達はどんな思いを抱いたのだろうか、LIVEには参加されたのだろうか、というところまで考えたものです。

「あなたの世界」の伊藤栄知子さんについては、タイガースを通じて彼女のお友達の方からコメントを頂けたことがありました(拙ブログ過去記事「シー・シー・シー」および「あなたの世界」のコメント欄をご参照ください)。
若くして天国へと旅立たれた伊藤さんは、タイガースの作詞採用以後もずっと詩を書いていらしたそうです。

今日のお題「夢のファンタジア」の松島さんはじめ他の4人の方のことは何も分かっていないのですが、松島さんのこの詞は特にタイガース・デビュー間もない時期への愛情とリスペクトに満ち満ちていて、その後も長くタイガース愛を持ち続けていらっしゃるのでは?と想像しています。

また、膨大だったであろう公募作品の中には、当選作以外にも素晴らしい詞が多くあったはずです。
もしかしたら、このブログを読んでくださっている先輩方の作品も?
「タイガースの作詞」に青春のエネルギーを捧げたすべての人に今、幸あらんことを・・・と改めて願います。


それでは、オマケです!
今日は『グループ・サウンドのすべて』というスコア付のムック本(写真のページのみ以前添付したことがります)に寄稿された、すぎやま先生の文章をどうぞ~。

Gs01
Gs02
Gs10
Gs11

ということで、2021年のブログ更新はこれにてラスト。そして僕は明日から冬休み。
年が明ければすぐにジュリーのお正月LIVEがある、という状況に、久々の胸躍る年末です。

僕は初日フォーラムへの参加は確定していますが、渋谷はまだ(YOKO君達友人のぶんも含めて)ゲットできていません。
「ぴあ」のリセールも渋谷はとんと見かけない、と言うかアクセス集中で該当ページに辿り着くことすらひと苦労。ジュリーの変わらぬ人気、新生バンドへのファンの期待も実感できて、それは嬉しい悲鳴とも言えるのですが。
お正月LIVE、今から本当に楽しみですね。

それではみなさま、よいお年をお迎えください。

| | コメント (4)

2021年12月20日 (月)

沢田研二 「ひぃ・ふぅ・みぃ・よ」

from『明日は晴れる』、2003

Asitahahareru_20211219095601

1. 明日は晴れる
2. 違いのわかる男
3. 睡蓮
4. Rock 黄 Wind
5. 甘い印象
6. Silence Love
7. Hot!Spring
8. ひぃ・ふぅ・みぃ・よ
9. 100倍の愛しさ
10. 夢見る時間が過ぎたら

--------------

ジュリーから遅れること数ヶ月(?)、この度遂にガラケーを卒業しスマホデビューいたしました。

どのみち来年3月にはガラケーのサービスは終了するので「やむなし」と言えばそうなのですが、僕の場合も変更に至った経緯はほぼジュリーと同じ。
2日ほどブラックアウト期間がありまして、その間にご連絡頂いた方にはお返事無しの状態になっているかと思います。申し訳ありません。
au→auの機種変でしたから旧アドレス、旧電話番号ともそのまま生きております。今後ともよろしくお願い申し上げます(と、いうことで引き続き、渋谷のチケット3枚探し中でございます汗)。

いやしかし、僕のようなアナログ人間に初めてのスマホは扱いが難しい。
「はじめてスマホ」というプランにしたのですがそれでも勝手が分かりません。
あくまで先方の尽力により、家族やYOKO君をはじめとする友人数人とはLINEも通じたものの、他のみなさまにこちらからどのようにコンタクトすればいのか皆目・・・という状況で困っています。
まぁ、そのうち慣れるでしょう。


さて本日12月20日は僕の誕生日。
55歳になってしまいました。
無事に生きれば還暦までもうあと5年というところまで来て、そりゃあ身体も色々出てくるわけだ・・・。
そんな時「自分と同い年のジュリーはこんなに元気だったんだ」と実感することはとても励みになります。
ですから毎年この日は「現在の僕の年齢の年にジュリーはどんな歌を歌っていたか」というテーマで楽曲お題を選び更新することにしています。

ジュリーが55歳の年にリリースしたアルバムは、『明日は晴れる』。
2002年から06年まで続いた変則パッケージ作品の中でも特にゴツくて(盾型)、収納場所が悩ましい1枚。
中身もパッケージに劣らずゴツいパワー・ポップ系ながら、優しい詞の歌が多くメッセージ性の強い名盤だと思います。
今日は収録曲の中から記事未執筆だった「ひぃ・ふぅ・みぃ・よ」を採り上げての更新・・・日々スマホと格闘していたため下書きの時間が無くほぼ一気書きです。あちこち脱線しながらいつもよりライトな内容となりますが、よろしくおつき合いくださいませ。


①タイガース(阪神の方)はいつ優勝するのか(泣

のっけから脱線話です。
例年は本当に近くなってから考えることなのですが、「今年の誕生日更新はアルバム『明日は晴れる』からのお題だな」という意識が僕には5月くらいからあって。楽しみで楽しみでね。

と言うのも今年のプロ野球、セ・リーグは開幕から阪神タイガースがまさかまさかの絶好調。
以前から僕は

「Rock 黄 Wind」は、阪神が優勝した年に書く!

と宣言しておりましたから、遂に来た!と。

どちらかと言うと弱気な阪神ファンを自覚する僕が、梅雨くらいまでは「今年は間違いない!ブッちぎりで優勝DA~!」と確信するほどの強さでした。
拙ブログ的には話として出来過ぎ、運命的なんですよ。だって、「Rock 黄 Wind」をアンコールに配したジュリー55歳のツアー『明日は晴れる』は、日程が進むたびにそのセットリストに呼応するかのごとく阪神がどんどん勝っていって、最後にはジュリー・ツアーも阪神もお祭り騒ぎ、圧倒的な優勝を飾りお祝いした年なのですから(まぁ、遅れてきたジュリーファンの僕はリアルタイムで当時のツアーを体感できていませんが、DVDはしょっちゅう観ます。レビュー記事はこちら!)

そうか、僕が55歳になって『明日は晴れる』からお題記事を書く年まで待っていてくれたのか、我が愛するタイガースよ・・・。

などと早々に「その気」になるのも無理ない展開。
だから本当は今日の更新は「Rock 黄 Wind」がお題になるはず・・・だったのです。

ところが、夏くらいからかなぁ。雲行きが怪しくなってきて、ジャイアンツと競りはじめたなと思っていたらスルスルとスワローズが上昇してきてね。
この3チームが終盤優勝を争うパターンになると阪神は優勝できない、そして最後に優勝を攫うのは何故かヤクルト、というトラウマが過去の体験上僕には染み付いているのですが、正に今年もその通りとなりました。
それにしたって今年は・・・ゲーム差ゼロですよ。勝ち数だけなら阪神の方が上なんですよ。
悔しいじゃあありませんか・・・。

果たして僕がこうして元気にブログを続けられているうちに、阪神は優勝するのでしょうか。「Rock 黄 Wind」の記事を書く日は来るのでしょうか。
優勝できる力はここ数年で整ってきている、とは思うのですが。

いずれにしても、イケイケな確信からあっという間に「弱気な阪神ファン」へと逆戻りした・・・僕にとってはそんな2021年後半でしたな~。


②「数字がつくジュリー・ナンバー」CDを作ってみた

ジュリーほどの長いキャリア、しかも基本的に毎年新譜をリリースし続けるというスタンスの歌手になると当然ながらその楽曲数は厖大です。シャッフルで全曲一気聴きするとなると何日かかることやら。
ですから基本アルバム単位で聴くことになりますが、それとは別に個人的に自分用の編集盤CDを何枚も作って聴く、という楽しみ方ができるのもジュリーのキャリア、持ち歌の多さならではです。
みなさまも「LIVEセトリCD」はよく作成されているのではないですか?

僕がよく作るのは、何らかのテーマを決めて通勤時間に合わせた15曲入りの編集盤(15曲にすると、通勤時間BGMとしてちょうど良い長さになります)。
例えば「歌詞に人名が出てくる歌」「同じく地名が出てくる歌」果ては「アルバムのラスト収録曲ばかりを集めた」CDなどを作ったことがあります。

で、今日の更新に備えて先週作ったのが「タイトルに数字の入っている歌」特集でした(いつもなら更新に向けてお題曲収録のアルバムを聴くのですが、今回は「Rock 黄 Wind」を聴くのが悔しかった笑)。

どんなテーマで作るにせよジュリー・ナンバーには相当な該当曲が見つかりますから、15曲におさめるとなれば泣く泣く外す曲もあって、その時の気分で「聴きたい!」と考えた厳選集CDとなります。各年代からバランス良く選曲、ただし僕の場合はシャッフル感覚が好きなので敢えて曲順は年代ランダムに作ります。
結果、このようになりました。

1.「ひぃ・ふぅ・みぃ・よ」
2.「十年ロマンス」(ザ・タイガース)
3.「15の時」
4.「三年想いよ」
5.「1989」
6.「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」
7.「SPLEEN~六月の風にゆれて」
8.「ゼロになれ」
9.「24時間のバラード」
10.「目抜き通りの6月」
11.「背中まで45分」(シングル・ヴァージョン)
12.「午前三時のエレベーター」
13.「君にだけの感情(第六感)」
14.「8月のリグレット」
15.「100倍の愛しさ」

なかなか盛り上がる編集盤でしたよ~。
アルバム『明日は晴れる』にはちょうど記事未執筆の該当曲が2曲あり、CDの最初と最後に配しました。
毎日の通勤中にこれをBGMとしながら「さて、どちらにしようか」と考えていたわけです。

「ひぃ・ふぅ・みぃ・よ」「100倍の愛しさ」いずれもこの時期のジュリー・ナンバーらしいメッセージ性、パワー・ポップの要素があり「名曲」を再確認した上で、今回はGRACE姉さんの詞とカースケさんのドラムスが印象的な「ひぃ・ふぅ・みぃ・よ」を選んだ次第です。


③「ひぃ、ふぅ、みぃ、よ」と数えるのはどんな時?


やっとお題曲の話です(汗)。

僕は(ジュリーと同じく)GRACE姉さんの詞が大好きですが、曲によっては時に「え~とこれは、ジュリーの詞だっけGRACE姉さんだっけ?」と分からなくなり再確認することもしばしば。
特に「平穏な日常」を描いた作品でそのパターンが多いみたいです。

対して「これはGRACE姉さん!」と迷うことなく明快に系統だてられる歌達もあって。僕の中で「星・宇宙系」と分類されているGRACE姉さん一連の名作群を2000年から時代順に並べていくと

「アルシオネ」
「心の宇宙(ソラ)」
「不死鳥の調べ」
「ひぃ・ふぅ・みぃ・よ」

と、見事に1本の線で繋がります。

「ひぃ・ふぅ・みぃ・よ」は夜空の星を数える歌。
ここで考えるのは、僕らが何かをカウントしようとする時「ひぃ・ふぅ・みぃ・よ、いつ、む・・・」と数えるのはどんな時だろう?という。
僕の場合は仕事なんかで本とかペラとかを数える際には、普通は「1、2、3、4・・・」か、或いは2つ跳びで「にぃ、し、ろ、ぱ・・・」とやります。いずれにしてもスピード重視ですな。
さっさと数え終わりたいな、と気持ちが焦って却って躓きやすいんですけど。

一方「ひぃ・ふぅ・みぃ・よ・・・」の数え方には、ゆったりした時間の感覚があります。
どう考えても最後まで数えきれないもの、数の答が出なさそうなものを漠然とカウントする、数えること自体が目的ではないと言うか、「結果が知れない」ものに対しての数え方なんじゃないかと。
ゆっくりと、ひとつずつ・・・そんな感じです。
対象が良いことあれ悪いことであれ、ハッキリとは分からないもの。例えば、このコロナ禍終息までの日数。いつかその日が来る、と信じて日々指を折る「ひぃ・ふぅ・みぃ・よ」であったり、世界の危機を憂う学者が「終末時計」の秒針がじりじりと進んでゆくのを見つめる「ひぃ・ふぅ・みぃ・よ」であったり。
僕にはそんなふうに思えます。

GRACE姉さんの「ひぃ・ふぅ・みぃ・よ」は決してハッピーな内容とは言えません。
星を数える時に都会の明かりが邪魔になったり、自然、地球、宇宙を脅かす何者かへの糾弾ともとれるメッセージ・ソング。それでも歌詞全体に豊かさや癒しがあるのは、あくせくした日常の「時間」からの脱却が感じられるからじゃないかなぁ。

「時間は最大のミステリーだ。それが分かれば宇宙の謎もすべて解ける」
と言ったのは誰でしたっけ?
でも科学者ならざる僕ら凡人ならば、時間を解明するでもなく「忘れる」ことで「謎」(解決できないこと)から解放されているのかもしれません。
それが「ひぃ・ふぅ・みぃ・よ」と星を数えてみる時。勝手な解釈ですけど、そんな歌なのかな。

白井さんの作曲はかなりの変化球です。
ホ長調のメロディーを「Cmaj7」に着地させるとは・・・五線譜だと臨時のナチュラルが満載となりそう。
進行の理屈としては短調寄りなのです。
でもこの曲での白井さんは理屈関係なく、ギター独特の「鳴り」を生かしたフォーメーションのクリシェ移行でコード展開させているようで、作曲手法は「ISONOMIA」に近いのではないでしょうか。

あと、僕はこのレコーディング音源でのカースケさんのドラムがとても気に入っています。
タムの噛ませ方が60年代ロック幾多のドラマーの名演を連想させるんですよ。リンゴ・スターっぽくもあり、キース・ムーンっぽくもあり。
他ジュリー・ナンバーでGRACE姉さんの「限 界 臨 界」や、オータコージさんの「揺るぎない優しさ」にも同じような感触を僕は持っています。

僕が現時点でアルバム『明日は晴れる』からLIVE体感できているのは、「明日は晴れる」「睡蓮」「Rock 黄 Wind」の3曲のみ。
開幕まで3週間ほどに迫った初詣ライブでは「睡蓮」のセトリ入りが堅いと考えていますが、まだ未体感でアルバムでも特に好きな「違いのわかる男」「夢見る時間が過ぎたら」にも期待しています。
「ひぃ・ふぅ・みぃ・よ」はちょっと難しいかなぁ。まぁ、僕のセトリ予想なんていざ蓋を開けたら毎回ピントが外れまくっているんですけどね。


それでは、オマケです!
今日は2003年『音楽専科』のインタビュー記事。
これは当時50代のジュリーにそれぞれ20代、30代、40代のインタビュアーが話を聞く3部構成の記事で、30代、40代のインタビュアー部は過去記事にて添付済(こちらこちら)。
残っていた20代のインタビュアー部をどうぞ~。

20032
20033
20034
20035
20036

記事中で『OLD GUYS ROCK』ツアーから始まった柴山さんとのギター1本体制を予感させるようなジュリーの言葉があったり、なかなか興味深い内容ですよね。


それでは次回、年内にあと1本更新の予定です。
昨年の最後の記事は、シローさんの追悼で「野生の馬」を書きましたが、今年も追悼の記事で1年の更新を締めくくることになります。

お題はザ・タイガースのナンバーで。
よろしくお願い申し上げます。

| | コメント (4)

2021年12月 3日 (金)

沢田研二 「ある青春」

from『JULIE VI ある青春』、1973

Julie6_20211123215901

1. 朝焼けへの道
2. 胸いっぱいの悲しみ
3. 二人の肖像
4. 居酒屋ブルース
5. 悲しき船乗り
6. 船はインドへ
7. 気になるお前
8. 夕映えの海
9. よみがえる愛
10. 夜の翼
11. ある青春
12. ララバイ・フォー・ユー

------------------

朝晩寒くなってきましたね。

前回ご報告させて頂いた左手親指つけ根の骨の負傷ですが、先日の診察では経過は良好とのことで、ひと安心しました。
まだ痛いことは痛いですけどね・・・。
次の診察は年明けの1月7日。それにかこつけて有給をとります。なにせその日は病院以外に、絶対に遅刻したくない大切な用事がありますからね~。
早めに出かけて有楽町交通会館で「うまかっちゃん」(九州限定のインスタントラーメン。鹿児島出身の僕にとっては原風景の味)とか「ロイズの板チョコ」(北海道の絶品チョコレート。水色のやつが1番好き!)を買ったり・・・ウロウロしていようかな、と思っています。


さて今日は『ジュリー祭り』(東京)記念日。
2008年の東京ドーム公演は、僕が友人YOKO君とともに初めて参加したジュリーLIVEです。

そこで本格的にジュリー堕ちを果たし、以来幾多のツアーに参加してきた僕にとって原点とも言うべき12月3日。毎年この日は必ず『ジュリー祭り』セットリストからお題を選んで記事更新しています。

鉄人バンドのインスト含めた全82曲について一応過去にすべてお題記事を書き終えていますが、2010年あたりまでの記事は本当にヒヨッコ丸出しの内容で(僕がジュリーファンとして多少ではありますが前進できたのは、2011年の東日本大震災を機に更新内容をとにかく全力で頑張り、加えて同年の老虎ツアーに向けてザ・タイガースのナンバーと真剣に向き合って以降だと思っています)、再読に耐えうるものではありません。

今日はそんなブログ初期に書いたお題から改めて「過去記事懺悔・やり直し伝授!」のカテゴリーにて、「ある青春」を採り上げます。
この曲は、本格ジュリー堕ち直後に色々とお世話になっていた先輩から「二大ドームのヴァージョンを」とのリクエストを頂き張り切って書いたのですが・・・今にしてみると、まぁ穴があったら入りたい内容で(泣)。

この機に、『ジュリー祭り』ヴァージョンのみならずオリジナル音源についても今思うところをしっかりと書いていきたいと思います。よろしくお願い申し上げます。


①常連曲なの?レア曲なの?

『ジュリー祭り』に参加した日のことは、LIVEだけでなくお昼に出かける時の胸の高鳴りから、終演後巣鴨似移動してサシ飲みしたYOKO君との会話まで鮮明に思い出すことができます。

開演前に立ち寄った水道橋の喫茶『リンデン』は僕がギャンブラー時代に毎週通っていたお店(ウインズで馬券を買って店内のテレビ競馬中継で観戦)。30代半ばでギャンブルから足を洗い、『ジュリー祭り』当日に久々の再会となったお店のママさんに「今日はジュリーを観にきました」と言ったら、さすがにご存知で「行くんだ!」と笑ってくれたなぁ。
『リンデン』はコロナ禍を乗り越え今も元気に営業しているだろうか、ママさんは元気だろうか、とそんなことも今考えます。

ドームに入場後は喫煙室で、長いジュリーファンなのであろうマダム達の会話に耳ダンボ。
その上品な冬の着こなしと落ち着いた様子に僕らは「さすがはジュリーを選んだ昭和の淑女だよね」とか「LIVEが始まったら、彼女達のコートの羽根がドーム内に舞い飛ぶんだろうね」とか好き勝手なことを話したり。

席に着いた時はまだドームの屋根から晴天(本当に素晴らしい天気でした)の光が透けていて、これから始まる「祭り」への期待は高まる一方でした。
一般販売でチケットを購入した僕とYOKO君の席は、いかにも「一般ピープル枠」な2階席。
ジュリーの言う「浮動票」の2人だったわけですが、本人達はいっぱしのジュリーファンのつもりでいて(あくまでも開演前はね)、遥かに下のアリーナ席を見つめながら「いいよなぁ、アリーナ」「俺等もあそこが良かったよねぇ」などと生意気を言いつつ、「どの曲が来たら(歌ってくれたら)ここからあそこ(アリーナ)にダイブする?」という物騒な会話に発展。
僕は「ロンリー・ウルフ」、YOKO君は「酒場でDABADA」を挙げました。
結局その2曲は歌われず、ばかりか現在まで僕らはLIVE未体感という状況が続いているんですよね。

で、その後も開演まで色々な話をして。
2人とも大好きなアルバム『JULIE Ⅵ』からどの曲をやると思う?なんて話になりました。
ヒヨッコの2人は過去のジュリーLIVEセトリなど知りませんから、常連曲とかレア曲とかおかまいなしに、予想と言うより自分が「歌って欲しい」と考えるナンバー2曲ずつを挙げたのでした。

僕は「朝焼けへの道」と「船はインドへ」。
YOKO君は「気になるお前」と「ある青春」。

いざ、勝負!の結果はご存知の通り、YOKO君の完勝に終わりました。
「シングルでもないアルバム収録曲をよくズバリ当てたよね」とアフターでのYOKO君はご満悦でしたが、後日「気になるお前」は超セトリ定番ナンバーであり、還暦記念の一大イベント『ジュリー祭り』で外れるはずがない1曲だったのだ、と知るわけです。

では、「ある青春」はどうなのでしょう?
ここが僕には未だによく分からない。
あの『ジュリー祭り』でこの曲が歌われた時、先輩方は「ちょっと前には時々は歌ってたなぁ」という感覚だったのか、それとも長いファン歴をもってしても「おおっ、この歌を生で聴いたことあったけ?あったとしても何10年ぶりだろう?」と驚かされるくらいのスーパー・サプライズだったのか・・・。
この機に是非、教えて頂きたいです。


②「小編成」の説得力

では、この不朽の名曲「ある青春」の『ジュリー祭り』ヴァージョンの方から考察していきましょう。

あの日ジュリーは前半セットリストにて怒涛の「有名曲」コーナーをお客さんの熱狂とともに駆け抜け、その後「Snow Blind」を挟んでからMCでこう言いました。

「今日はゲスト無し!(鉄人バンドのメンバーに手をかざして)私たち、だけ!」

大きな拍手が沸き起こりましたが、実はここでヒヨッコの僕とYOKO君は「えっ?」と。
2人ともポリドール時代の全アルバム、そしてDVDもいくつか観たことがある中で、還暦記念を銘打った『ジュリー祭り』なるLIVEタイトルから連想していたのは、DVD『ジュリーマニア(武道館)』のそれをさらに豪華に、さらに大きくスケールアップしたステージだったのです。
当然のように堯之さんや大野さんのゲスト参加、下手するとショーケンも出てくるぞ!くらいの期待感を抱いて「ゲスト登場」の瞬間を待ちわびていたという・・・今にして思えば(と言うか当日終演後には、この『ジュリー祭り』を5人でやり遂げた意義を何となくながら掴めていたのだけれど)その考えがどれほど浅かったか。

ジュリーは続けて「こんなに小編成なのに、もっと小編成にしてみたいと思います」と話して、次曲「明星」を歌いました。
ここから「風は知らない」「ある青春」「いくつかの場面」までの4曲の流れは、セットリスト全体の中で独立した「静かなるジュリー」とも言うべきワン・コーナー。僕には当日からそんなイメージがあります。
このコーナー4曲のヴォーカルがまぁ凄まじくて、僕らはあの時たぶん口を半開きにして圧倒されていたんじゃないかな。
特に「ある青春」は、『ジュリー祭り』で歌われた全80曲中ジュリー・ヴォーカルの情感、説得力において5本の指に入る、と今でも思います。

バンドの演奏者はたった1人。
泰輝さんのピアノです。

Aruseisyun2
Aruseisyun3

しかも「ある青春」って本来、バンドに加えてフルオーケストラの曲なのですからね。
ジュリーの言う「小編成」を極めた特別なアレンジ、という点で『ジュリー祭り』の「ある青春」はとても貴重なパフォーマンスであり、ジュリー・ヴォーカルの真髄(キーはオリジナル通りのハ短調のまま。なんという高音の艶やかさよ!)だったというわけです。

そしてそれは、泰輝さんのアレンジ解釈、演奏なくして語れません。

オリジナル音源の「ある青春」では「豪華な演奏陣の中の1つのトラック」であるピアノ演奏、その肝はイントロをはじめ数回登場するクリシェ部でしょう。
クリシェというのは、和音の構成音をひとつだけ変えて進行させる手法です。「ある青春」の場合は2小節をひと塊として
「ソ・ド・ファ」→「ソ・ド・ミ♭」→「ソ・ド・レ」
と進行。
もしお部屋に鍵盤楽器がある方はこの通り鳴らしてみてください。簡単な3和音だけで「ある青春」の雰囲気に浸れますよ~。

で、泰輝さんはこの「肝」の部分は原曲通りに弾くのですが、ジュリーが歌に入るやいなや、オリジナルのピアノ・パートには無い経過音、テンション音を駆使し、見事に『ジュリー祭り』限定の特別な「ある青春」の世界を作り上げます。
ジュリーの歌、泰輝さんの伴奏双方が互いに影響し合い、グ~ッと気持ちが入っていくのが今DVD映像を観るだけでも分かる、というね。

みなさまもこの『ジュリー祭り』記念日にお手元のDVDを取り出し、ピアノ1本で歌われる「ある青春」に浸ってみてはいかがでしょうか。


③大名盤の看板・タイトルチューン!

続きましてここでは『JULIE Ⅵ ある青春』収録のオリジナル・ヴァージョンについて書いていきます。

「ジュリーのアルバムの中で1番好きな1枚」と言うと僕は『JULIE Ⅱ』で確定していますが、2番手は全然決まっていなくて、聴くごとに「これが2番目に好きだな」と思ってしまう名盤が10枚以上はありますね~。
『JULIE Ⅵ』も当然その中に入ってきます。
「ある青春」はそんな名盤のタイトルチューン。以前何度か書いたことがあるように、僕は勝手に『JULIE Ⅵ』をストーリー仕立てのコンセプト・アルバム(『Ⅱ』主人公の続きの物語」)として捉えていて。
港町を出奔し各国を巡り立派な船乗り(女性経験も含めて笑)へと成長した『Ⅱ』の主人公が濃密に駆け抜けた生涯を描いた1枚である、とね。

強引ながら、アルバムのラス前収録の「ある青春」は主人公の人生が終わろうとする瞬間を描き(最後の間際に煙草を吸う設定は、井上バンドゆかりの『太陽にほえろ!』でのジーパン刑事の名シーンを1年先取り)、続くラストの「ララバイ・フォー・ユー」はアンコール的な大団円として、「夢の中」(永遠の生命を得る彼岸の世界)で大切な人と再会を果たす、という物語を想像しながら僕はこの名盤を聴いているのです。

まぁこれは歌詞の内容だけで考えるならいかにも飛躍し過ぎた解釈なのでしょうけど、僕がそのように考える決め手は、「ある青春」のアレンジにあります。
エンディング、本当に曲の最後の最後の音に注目してください。
ハ短調の曲ならば②で記した和音のうちトニック・コードである「ソ・ド・ミ♭」で着地させるのが普通です。しかしこの曲は「ソ・ド・レ」でプツリと終わります。
この場合の「レ」は「add9」と言って、「後に続く和音」を求める役割の音であるにも関わらず・・・これはよくドラマ等で使われる「BGMが唐突に途切れて、登場人物の最後の瞬間を示唆する」手法と同じだと思うのですよ。

楽曲全体のアレンジは豪華絢爛。『ジュリー祭り』ヴァージョンとは対極と言える音の数です。

弦、木管、金管、打楽器総登場のフル・オーケストラ。そしてバンド・サウンド。
ドラムスのフィルのカッコ良さは、同アルバムでは「船はインドへ」と双璧です。
加えて、分数コードの役目を一手に担うベースライン。あとは相当気合入れて聴かないと耳に入ってきませんが、エレキギターもしっかり弾かれています(サビ部、左サイドで裏拍のカッティング)。

YOKO君はこの曲が大好きで(もちろん僕もそうですが彼と違ってアルバムの中で1番、とは言えません)、『ジュリー祭り』以前から「この曲はジュリーになりきって煙草を吸いながら聴く」と言っていました。
そんなふうに歌に浸れるのは、ジュリーのヴォーカルや詞の叙情性もさることながら、計算され尽くしたアレンジにあるのだ、と僕は考えます。
「譜面通りに弾く」プロフェッショナルな演奏の素晴らしさって、絶対にあるんですよ。

当然、独自の構成力やアドリブを以て演奏者の個性を押し出す素晴らしさというのもまたあるんですけど。
3年間に渡るジュリーLIVEのギター1本体制、採り上げられたあらゆる曲の演奏で柴山さんはその両方を魅せてくれていたことを、最後に一筆加えておきます。


それでは、オマケです!
今日のお題「ある青春」リリース年にあやかり、1973年『新春 沢田研二ショー』パンフレットをどうぞ~。

7301nitigeki1
7301nitigeki2
7301nitigeki3
7301nitigeki4
7301nitigeki5
7301nitigeki6
7301nitigeki7
7301nitigeki8
7301nitigeki9

これはお正月LIVEですから、「ある青春」リリースよりちょっと前のジュリー。最新シングル「あなたへの愛」を推し出したステージ構成なのですね。

先輩方からこの頃のパンフレットを見せて頂く度に思うのですが、みなさまパンフ購入は開演前ですよね?
ステージが始まる前に、パンフ記載のプログラムを先に見ちゃってました?それともLIVEが終わってから帰り道のお供にじっくりと?
そんなことが気になる後追いファンです。

思えば・・・。
ジュリーの歴史と共にある長いファンの先輩方ほど多くの経験は持たない僕ですら、ついこの間まで「ジュリーのお正月コンサート」とは毎年恒例の行事、開催されて当然、という日常の一端のような気持ちでいました。
それが本当はいかに特別な僥倖であったか、コロナ禍で思い知らされましたね。

『初詣ライブ』で始まる特別な2022年に期待を寄せつつ、この師走を乗り切っていきたいと思います、
まずは明日。
渋谷の一般販売、頑張ります!

| | コメント (8)

« 2021年11月 | トップページ | 2022年1月 »