ザ・タイガース 「夢のファンタジア」
from『THE TIGERS CD-BOX』
disc-5『LEGEND OF THE TIGERS』
1. タイガースのテーマ
2. スキニー・ミニー
3. 白いブーツの女の子
4. 愛するアニタ
5. 南の国のカーニバル
6. 涙のシャポー
7. 涙のシャポー(別テイク)
8. 傷だらけの心
9. 730日目の朝
10. 坊や祈っておくれ
11. Lovin' Life
12. 誰もとめはしない
13. 夢のファンタジア
14. ハーフ&ハーフ
15. 遠い旅人
16. タイガースの子守唄
17. あなたの世界
18. ビートルズ・メドレー(ヘイ・ジュード~レット・イット・ビー)
19. 明治チョコレートのテーマ
20. あわて者のサンタ
21. 聖夜
22. デイ・トリッパー
23. アイム・ダウン
24. 雨のレクイエム
25. ギミー・シェルター
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年末、いきなり寒くなってきましたね。
一昨日は高校駅伝の中継で京都の天候を知り、驚きました。あんなに雪が降っていたとは。
みなさまお住まいの地はいかがでしょうか。路面凍結、交通の混乱等充分お気をつけください。
とにもかくにも、『初詣ライブ』各開催日が良いお天気であることを、今から祈りたいです。
さて、ここ数年はジュリー人脈のレジェンド達の訃報が相次ぎ、僕自身の年齢も含め時の流れを痛感せざるを得ませんが、今年9月のすぎやまこういち先生の旅立ちはメディアでも特に大きく報じられました。
すぎやま先生の偉大な功績は、いまさら語るまでもないこと。
例えば、『帰ってきたウルトラマン』の主題歌を初めて耳にした時の「なんだか今までの(テレビヒーローものの)歌と違う!胸がワクワクする!」という褪せない想い出は、僕の世代共通のものではないでしょうか。
今日は改めてすぎやま先生のご冥福をお祈りしつつ書いていきます。
拙ブログでは、ジュリー関連のすぎやま作品でお題記事未執筆の曲が僅かながら残っていました。
大好きなアルバム『JULIE Ⅱ』に収録された「嘆きの人生」も候補に挙げつつ考えた末、今回はやはりタイガースのナンバーで(「すぎやま先生と言えばザ・タイガース」という話を書きたいので)、作詞一般公募による明治製菓とのコラボレーションから生まれた名曲「夢のファンタジア」をお題とすることにしました。
今年ラスト更新、よろしくおつき合いください。
(ちなみにこのピクチャー・レコードって、ちょうどCDくらいのサイズなんですよね。時代が経ってから取り出して、間違ってCDプレイヤーにかけてしまった、という先輩方はいらっしゃいませんか?)
①84年に求められた「ザ・タイガース」オマージュ
すぎやま先生の旅立ちを報道したテレビ・新聞等では、「ドラクエ」の文字が大きく躍りました。
先生の代名詞として、それは今なら当然でしょう。例えば僕の勤務先にはすぎやま先生監修によるドラクエのスコアがいくつかあり長年の主力商品となっていましたが、先生の訃報を受けさらに大量の販促注文が殺到、特に『ドラゴンクエストI~V全曲集』というピアノスコアはあっという間に在庫が底をつき、報道から数日のうちに重版をかけなければならなくなるほどでした。
他のギタースコア、ウクレレスコア、ブラスバンドスコアも現在まで継続し多数の出荷が続いています。
「すぎやま先生と言えばドラクエ」・・・それが90年代から現在までに至る音楽業界ひいては一般認識であることは間違いありません。
ただし、「ドラクエ」が一世を風靡する以前、80年代まではどうだったのでしょうか。
これはもう「すぎやま先生と言えばザ・タイガース」であった筈なのです。
そこでこのチャプターでは、ジュリーファンのみなさまがおそらくご存知ないであろう、ザ・タイガースへのオマージュとして84年にリリースされた、すぎやま作品の名盤をご紹介させてください。
ズバリ、田原俊彦さんのアルバム。
タイトルは『メルヘン』といいます
たのきんリアル世代とはいえ田原さんの音源には詳しくなく有名シングルを数曲知っているのみ、という状態だった僕が10年ほど前にその存在を知った当アルバムは、全作詞・岩谷時子さん、全作曲・すぎやま先生の書き下ろしによる、「童話」をモチーフとしたコンセプト・アルバムです。
僕は古書店巡りが趣味で、『明星』や『平凡』付録の歌本も相当集めてきています。
もちろん『ジュリー祭り』以降はジュリー・ナンバー掲載号を狙って購入しているわけですが、なにせ筋金入りのスコアフェチですから、他歌手の懐かしいヒット曲を弾いてみたり、まったく知らない曲のメロ譜やコード譜を追いかけて「こういう曲だろう」と一度解釈してからオリジナル音源をYou Tubeで探し答え合わせをする、なんていう楽しみ方をしているわけです。
で、確か2011年の老虎武道館公演の前に神保町に寄って購入した『YOUNG SONG』84年8月号(掲載のジュリー・ナンバーは「渡り鳥 はぐれ鳥」。歌手クレジットがジュリーと新田さんの連名になっています)の「アルバム特集」ページで『メルヘン』全曲のスコアと出逢いました。
まずジュリーとも縁深い作詞・作曲のクレジットに興味惹かれ、スコアを追ってみると・・・。
なんだこの斬新な進行!
僕レベルでは音源無しの楽曲解釈は無理!
ということでYou Tubeで1曲1曲探し、そのクオリティの高さ、コンセプト・アルバムとしての完成度に感銘を受けた、という流れです(CDを買おうと思ったのですが当時既に廃盤で入手困難のようでした。それは今も変わりません)。
注目すべきはこの『メルヘン』特集に寄せて、ディレクターさんのお話が載っていたこと。
84年当時の業界のプロフェッショナルにとって「すぎやま先生と言えばザ・タイガース」であったことが、このお話からも明快ではありませんか。
変幻自在の進行を繰り出すすぎやま先生の作曲に加え、トータル・コンセプト重視、しかもタイガース・リスペクトが随所に感じられる岩谷さんの詞も素晴らしいですし、緻密なアレンジ(「夢のファンタジア」に近いです)や、田原さんの「語り」から導入する曲もあったり、タイガースファンの琴線をくすぐる仕掛けが満載の名盤。
もし中古ショップ等でCDを見かけることがありましたら、みなさま手にとってみてはいかがでしょうか。
②中後期唯一!ファンタジー系タイガース・ナンバー
それではお題「夢のファンタジア」について。
タイガースが活動した67~71年は、邦洋問わずロック・ポップス・ミュージックの大変革期でした。
世界中のバンド(日本ではGS)がサイケデリック→フラワー・ムーヴメントへと傾倒し、やがてハード・ロックやプログレッシブ・ロックが台頭。
そんな中でタイガースをトッポさんからシローさんへのメンバー交代とは別に、すぎやま先生メインライター時代を「初期」、村井邦彦さん→クニ河内さんメインライター時代を「中後期」とするならば、ちょうどその狭間にヒッピー文化と結びつくカウンター・カルチャーの波があり、タイガースは音のみならずコンセプト含めた楽曲スタイルをこの時大きく変化させたと言えそうです。
この場合の「初期」は、橋本さんの歌詞も併せて、彼等の人気を決定づけた「ファンタジー系」のすぎやま作品抜きに語ることはできないでしょう。
ただしそのファンタジー性(「メルヘン性」と置き換えてもよい)は空想的、寓話的なものではなく「日常のふとした情景や心情(恋愛)にファンタジーを見る」というコンセプトであり、楽曲としてはデビュー・シングル「僕のマリー」や3枚目の「モナリザの微笑」が分かりやすい例かと思います。
カウンター・カルチャーの影響を受け、タイガース(彼等自身と言うより製作サイドと作家)は、その後「ファンタジー」から離れていきました。
そんなタイガースの音楽性の変化とは別の時空間で独立して生まれたかのような歌達・・・それが69年「明治チョコ・タイガースの歌(第3回)」企画の5曲です。
作詞が一般公募というのがポイントで、当選を果たした作詞者がタイガース・ファンであったが故にその奇跡は起こりました。
そして、「初期」タイガース上記2曲のようなイメージで書かれ公募された(ように僕には感じられます)であろう松島由美子さんの名篇に、他でもない、すぎやま先生が久々に作曲を受け持つことで、後期唯一のファンタジー系タイガース・ナンバー「夢のファンタジア」が誕生したわけです。
初恋のときめきを「ファンタジア」と捉え、その悲しい結末を短調のバラードでタイガースが歌う・・・「雨」のフレーズもあって、まるで「モナリザの微笑」の返歌のような名曲ではないでしょうか。
それにしてもこの明治製菓企画5曲のリリース、なんとコード付メロ譜が添えられているというね。
素晴らしい時代だったんだなぁ。
「夢のファンタジア♪」と歌うところ、王道と言えば王道ながら「A♭maj7→G7→Cm」の流れはじみじみ良いんですよね。
ギターならばここは右手ルート親指のフォーフィンガーで、左手「A♭maj7」を1弦3フレットひとさし指、2弦4フレット中指、3弦5フレット薬指、ルートの6弦4フレットをネック上から親指(4、5弦はミュート)のフォームで弾くとメチャクチャ雰囲気が出ます。
続くドミナント・コードが「G」ではなく絶対に「G7」でなければならない、というすぎやま先生作曲の奥深さがよく分かるのです。
ギターをやる人は是非お試しください。
(と言いつつ、指の負傷のため僕は現在このフォームの「A♭maj7」がうまく押さえられないのですが)
③「タイガース・ナンバーの作詞」という特別な人生
僕は高校時代、故郷・鹿児島では有名な歌人でもある末増省吾先生(母校の国分高校で現代文・古文担当)に師事し俳句を学びました。
量産はするけれどセンスに欠ける僕の句を先生が添削し仕上げてくださるのですが、中には初稿の跡形もないほど全文に渡り添削される場合もあって、明らかに僕自身の創作能力を遥かに越えた名句となってしまったりするものですから
「これはもはや僕の句ではなく、先生の句なのでは?」
と思い尋ねたものでした。
しかし先生が仰るには「最初の着想がオマエなんだから、これはオマエの句なんだ」と。
僕は結局大成叶わず不肖の弟子となり先生はもう僕のことなど覚えていらっしゃらないでしょうが、世の俳人師弟の鍛錬ってすべからくそういうパターンみたいです。
明治製菓の作詞公募におけるなかにし礼さんの「補作詞」にも同じことは言えると思います。
ただ僕の場合と違うのは、当選作品いずれもオリジナルの段階で優れた名篇であること。
なかにしさんの補作詞はいわゆる「添削」ではなく、最終的にプロの作曲家が寄せたメロディーに載るように言葉を合わせ仕上げる、という作業だったのでしょう。
『TIGERS CD-BOX』の高柳和富さんの解説によれば、製作の順序はまず公募当選作を決め、その後で作品を割り振って名だたる作曲家にメロディーをつけて貰う、との流れだったったようです。
でも公募段階のオリジナル詞を見ると、メロディーとの言葉数とずいぶん乖離がありますから、正確には「当選作の世界観をイメージして作曲されたメロディーに、なかにしさんがオリジナルの着想を生かしうまくメロディーに載るようにフレーズを整える」経緯であったと僕は考えます。
「作詞」のクレジットは、あくまで当選された方々のものなのです。
それにしても、あの時代にタイガースの作詞者として選ばれる、というのはどんな感覚だったのでしょうか。
「うれしはずかし」なんて生易しい歓びではなかったでしょうね。
僕には想像もできません。きっと彼女達はそれだけで「特別な人生」を得たのだ、と思うばかりです。
ピーさんが芸能界復帰後まもなく「僕らの曲の作詞をした人のことを僕らが知らないのはおかしい」と思い立ち、「花の首飾り」の菅原房子さん、「白夜の騎士」の有川正子さんのその後を追ったことは有名ですよね。
僕などは残す明治製菓企画の5人の作詞者についても「どれほどの才媛だったのだろうか」とか、ピーさん復帰を機に実現したザ・タイガース再結成への道程で、彼女達はどんな思いを抱いたのだろうか、LIVEには参加されたのだろうか、というところまで考えたものです。
「あなたの世界」の伊藤栄知子さんについては、タイガースを通じて彼女のお友達の方からコメントを頂けたことがありました(拙ブログ過去記事「シー・シー・シー」および「あなたの世界」のコメント欄をご参照ください)。
若くして天国へと旅立たれた伊藤さんは、タイガースの作詞採用以後もずっと詩を書いていらしたそうです。
今日のお題「夢のファンタジア」の松島さんはじめ他の4人の方のことは何も分かっていないのですが、松島さんのこの詞は特にタイガース・デビュー間もない時期への愛情とリスペクトに満ち満ちていて、その後も長くタイガース愛を持ち続けていらっしゃるのでは?と想像しています。
また、膨大だったであろう公募作品の中には、当選作以外にも素晴らしい詞が多くあったはずです。
もしかしたら、このブログを読んでくださっている先輩方の作品も?
「タイガースの作詞」に青春のエネルギーを捧げたすべての人に今、幸あらんことを・・・と改めて願います。
それでは、オマケです!
今日は『グループ・サウンドのすべて』というスコア付のムック本(写真のページのみ以前添付したことがります)に寄稿された、すぎやま先生の文章をどうぞ~。
ということで、2021年のブログ更新はこれにてラスト。そして僕は明日から冬休み。
年が明ければすぐにジュリーのお正月LIVEがある、という状況に、久々の胸躍る年末です。
僕は初日フォーラムへの参加は確定していますが、渋谷はまだ(YOKO君達友人のぶんも含めて)ゲットできていません。
「ぴあ」のリセールも渋谷はとんと見かけない、と言うかアクセス集中で該当ページに辿り着くことすらひと苦労。ジュリーの変わらぬ人気、新生バンドへのファンの期待も実感できて、それは嬉しい悲鳴とも言えるのですが。
お正月LIVE、今から本当に楽しみですね。
それではみなさま、よいお年をお迎えください。
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