沢田研二 「8月のリグレット」
from『NON POLICY』、1984
1. ナンセンス
2. 8月のリグレット
3. 真夏のconversation
4. SMILE
5. ミラーボール・ドリーマー
6. シルクの夜
7. すべてはこの夜に
8. 眠れ巴里
9. ノン ポリシー
10. 渡り鳥 はぐれ鳥
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暑いですな・・・。
酷暑、猛暑、炎暑など様々な言い方をしますが、先日更新されたピーさんのブログ記事で、ピーさんオリジナルの「蛮暑」との新語がありまして。
いや正に!
地上の人間や生物達が天の熱に蹂躪されほどの暑さ。「蛮暑」はズバリの表現、さすがはピーさん、漢文の専門家でいらっしゃいます。
毎年思うのですが、8月って(特にここ数年は)グッタリするほど暑いのに、毎日のように陽が短くなっていくのが実感できてなんだか寂しい月なんですよね。
たぶん子供の頃の「夏休みがどんどん過ぎていってしまう」感覚が染み付いてるんじゃないかな。
ですから「夏の歌」も「さぁ夏だ!」と盛り上がる7月っぽい歌と、「もう夏も終わり」な哀愁漂う8月っぽい歌とでは全然違う気がします。
僕がジュリー・ナンバーで7月っぽいと感じるのは「サーモスタットな夏」とか「RED SUMMER」とか。
では「8月っぽい」となれば、今日のお題がズバリ「8月のリグレット」。お盆が近づいてきて、夏休みも折り返しが見えて「もっとああすれば良かった、こうすれば良かった」と「夏の後悔」に囚われた少年時代の記憶とリンクしまくる名曲です。
たまには”季節に合わせたお題シリーズ”をやらなくちゃ、ということでアルバム『NON POLICY』から。
くれぐれも涼しいお部屋にて、今日もよろしくおつき合いください。
僕はポリドール期のジュリー・アルバムを、本格ジュリー堕ち(『ジュリー祭り』参加時)以前にすべて聴きました(2005年のリマスター一斉再発の時に大人買い)が、『NON POLICY』の評価は当初高くありませんでした。
「名盤」と思えるようになったのは2011年くらいでしたか(ジュリー道の師匠からの指南も大きかった)。それまでは「シルクの夜」や「眠れ巴里」、そして「渡り鳥 はぐれ鳥」の素晴らしさに気づけていなかったのですから、我ながら呆れます。
ただ初聴一発で大好きになった曲が3曲あって、それが「ナンセンス」「8月のリグレット」「すべてはこの夜に」。
この3曲の共通点はいずれも「ピアノ・ロック」であったこと。80年代邦楽ロックの一大ブームとも言えるサウンドでありアレンジです。
高校時代に佐野元春さんをよく聴いていた僕は『NON POLICY』でまず、佐野さん作曲の「すべてはこの夜に」は当然のこと、「ナンセンス」「8月のリグレット」のアレンジに、少年時代に愛聴した佐野さんの「ピアノ・ロック」なエッセンスを感じとりました(ちなみに『A WONDERFUL TIME.』収録の「PAPER DREAM」や、ブルーバードCM曲の「素敵な気分になってくれ」についてもまったく同じ感触が僕にはあります)。
70年代までならおおむねサイド・ギターが受け持つであろうアレンジ・パートを複音のピアノが担当する、という・・・例えば「8月のリグレット」の0’24”~0’25”あたりのピアノにご注目ください。佐野さんのファンでこのフレージングに惹かれない人はいないでしょう。
この手法は実際には70年代からあって、海の向こうではビリー・ジョエル、エルトン・ジョン、或いはストーンズにおけるニッキー・ホプキンス参加曲であったり、特に僕の好みだとアトラクションズ(エルヴィス・コステロのバンド)とか、「ピアノの連打でロックする」ことは当時勢いを増していたハード・ロックへのアンチテーゼでもあったのかなぁと思っています。
ジュリーもアルバム『愛の逃亡者』をはじめ、他にも井上バンドの演奏で大野さんのピアノにそれっぽい曲はいくつかありました。
それでも邦楽において「ピアノ・ロック」を一躍メジャーにした、世間の認知を広く得た最初のソロ・アーティストは誰かと言えば、これが「8月のリグレット」作曲者の原田真二さんだったと思うんですよ。
容姿的にもカッコイイ男性シンガーがピアノを弾きながらロックを歌う、というね。
原田さんのデビューは70年代も後半になりますから決してそのスタイルの「先駆者」とは言えませんが、テレビの歌番組で普通にそうした楽曲を一般ピープルに知らしめたのは、原田さんが最初じゃないかなぁ。
少なくとも僕にとってはそうでした。
原田さんの作る曲はいかにも日本人離れな感じで、カッチリしていて、曲中どこかに必ず「おっ!」と耳惹かれる極上にキャッチーな進行が織り込まれているというのが僕の印象です。
パターン自体は王道であっても、メロディーの単独性、ヴァースの配置が個性的だと思うんですよね。
「8月のリグレット」で言うと
カーブにちぎれた
F F#dim
蒼 いフラッシュライト ♪
Gm F E♭
のテンションの挿し込み方だったり
行く先はない 狂っ た砂時計 ♪
Gm Gmmaj7 Gm7 Em7-5 E♭(onF)
のクリシェ・ラインの美しさだったり。
これがジュリー・ヴォーカルとの相性抜群です。
原田さんのジュリーへの提供曲はこの『NON POLICY』収録2曲のみですよね?
以前アルバム収録曲お題記事のどれかで書いたはずですが、『NON POLICY』のジュリーは曲の随所で「おぅ・・・」と喘ぐようなプチ・シャウトを結構な頻度で入れてきます。これがまた原田さんの曲と合うのです。
もっともっとジュリーと組んでも良かった作家さんだと思うのですが・・・。
ちなみにアルバム1曲目の「ナンセンス」にも「8月のリグレット」上記箇所と似たクリシェが登場します。
おれの 気紛れだから
Gm Gmmaj7 Gm7
ハートを痛めるなんて ナンセンスだよ ♪
Em7-5 Cm F7 B♭ D7
これが僕の中の原田さんのイメージにとても近く、僕はアルバム購入から数年間「ナンセンス」を原田さん作曲作品と勘違いしていました(歌詞カード該当ページのクレジットを、横ではなく縦に認識してました汗)。
いずれにしても、「ナンセンス」がト短調、「8月のリグレット」が変ロ長調とこの2曲は並行調の関係にありますし、アルバム冒頭2曲流れは最高に心地よいです。
「8月のリグレット」は井上鑑さんのアレンジも素晴らしく、シングルでも行けたんじゃないか、と思うほどの完成度。
ただ1点個人的に引っかかるのはYMOばりのサンプリング音で、もちろん曲によってそれは効果絶大、実際僕はYMO「アブソリュート・エゴ・ダンス」(音色やタッチは「8月のリグレットとほぼ同じ)とか大好きなのですが、これ「8月のリグレット」に限っては不釣合いだったんじゃないか、と思うんだよなぁ。
まぁそれも含めてアルバム『NON POLICY』特有の雰囲気なんですけど。
僕は『NON POLICY』からは現時点で「すべてはこの夜に」唯1曲しかLIVE生体感できていません。
先日「言葉にできない僕の気持ち」の記事を書いた際に『サーモスタットな夏』ツアーDVDを観返し、「渡り鳥 はぐれ鳥」でのジュリー圧巻のパフォーマンス、泰輝さん狂乱のダンスを久々に堪能、「いいなぁ、いいなぁ」と思いましたよ。
僕が『NON POLICY』から次にLIVEで出逢うとしたらこの曲でしょうね。
あとは『ジュリーマニア』で採り上げられていたタイトルチューン「ノンポリシー」も可能性あり。
ジュリー自身の作曲作品ということで「眠れ巴里」のサプライズ降臨も考えられます。
残りの曲は「8月のリグレット」含めてなかなか難しいのかな~。どのジュリー・アルバムについて語っても「一度でよいので是非生で聴いてみたい!」というのは、キリのない話ではありますけどね。
最後に。
リアルタイムのジュリーファンの先輩方は『NON POLICY』をLPレコードで聴かれたのですよね?
僕がポール・マッカートニーの新譜購入体験で思い起こすに、86年の『プレス・トゥ・プレイ』はCDでしたがその前作、84年の『ヤァ!ブロード・ストリート』はレコードでした。ですから84年の『NON POLICY』もみなさまレコードでお持ちだったんじゃないか、と想像する次第。
そこで、このブログを特にジュリーファンでない音楽愛好家の方々がどのくらい見つけてくださっているのか分からないのですが・・・。
今、日本のみならずアジア各地で空前の和製「シティーポップ」ブームが到来しています。
例えば中古CD・レコード店の雄であるディスクユニオンさんは、今年に入ってまず渋谷に全国最大規模の新規店をオープン、続いて先月には新宿にワンエリア一気4店をオープンさせました。いずれにも僕は一度開店早々お邪魔する機会を得ましたが、お客さんの様子を見ていますと目玉は明らかにシティー・ポップやそれに順ずるJ-POP系をこれでもか、と揃えたレコード商品なのですね。
もちろん今日のお題「8月のリグレット」作曲者の原田真二さんや、大滝詠一さん、佐野元春さん、伊藤銀次さん、大沢誉志幸さん、NOBODYさん等ジュリーと縁の深いアーティストのレコードも人気のようです。
そこで、もし「シティポップのレコード収集」に打ち込んでいる最中の一般の方がこの記事を読んでいらっしゃいましたら、我らがジュリーの80年代前半のアルバムを是非聴いて頂きたいなぁ、と思うのです。
シティーポップ王道を求めておられる方には、特に『A WONDERFUL TIME.』『NON POLICY』の2枚を自信をもってお勧めいたします!
騙されたと思って、手始めに「8月のリグレット」1曲だけでもYou Tubeで聴いてみてください。
『NON POLICY』のレコードが欲しくなるはずですよ~。
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コメント
DY様 こんばんは。
「8月のリグレット」
リグレット・・・後悔?
あー、8月31日に新学期の準備していて、スケッチブックの間からまるっと忘れてた一教科分の宿題のテキストを見つけてしまった時の頭真っ白状態のことか。
冗談(ホントのことですが)はさておき、夏休みって(あれもしよう、これもしようとウキウキわくわくで」突入するけど、終わってしまうとやりそびれたことが多すぎる気がしてしまうのはなぜでしょうか。
この当時のジュリーはアルバムを出すたびに気になるアーチストと予断抜きで新しい感性を求めていたように思います。
シティポップとか特に意識してはいませんでしたが。
若いアーチストにとってはどんな曲をぶつけてもしなやかに返してくれるジュリーは頼もしっかったんじゃないでしょうか。
投稿: nekomodoki | 2021年8月14日 (土) 23時12分
こんにちは コロナ感染の拡大が猛威を奮っているので、市外には出ず過ごしています。ジュリーのライブも映画も我慢。
さてお題曲ですが、当時、原田真二さんの曲風のイメージがなく聴いておりました。クライシスを率いてテレビで歌っているのを聴いていましたが、だいぶ様変わりした印象を受けていました。当時はアレンジが好みでなくアルバムを楽しむことが出来ませんでした。その後、武道館ライブでの「ノンポリシー」を聴いてからは、原田真二さんの提供曲が心地よくなりました。テレビで披露された「ゼロになれ」も含めて今は大好物ですよ。ピアノロックと言えば、最初の体験は、やはり佐野元春さんです。初期のステージではグランドピアノが二台あって、「ガラスのジェネレーション」になるとピアノを立ちながら演奏する姿がしびれたものです。でも何と言っても、ロイ▪ビタン(Eストリートバンド)を抜きには語られません。シティポップの枠からは外れますが、一押しです。
余談ですが、1984年、「ノンポリシー」と同時期に音楽雑誌キープルの付録ソノシートに、井上鑑さん作曲の「酢豚行進曲」が付いていました。サンプリングの見本として作られたものですが、SEの妙もあり、シティポップ調曲ではまってしまいました。
投稿: BAT | 2021年8月15日 (日) 13時49分
nekomodoki様
ありがとうございます!
8月31日・・・幼少の記憶ではこれほど悲痛な1日はありませんでしたね(笑)。
その一方で、「夏休みがあるから将来は先生になれば楽なのでは」などと安易に思ったこともありましたっけ。
ジュリー自身はシティ・ポップ・ブームはまったく意識していなかったでしょうが、82年あたりから数年は、加瀬さんや銀次さん、エキゾティクスの中にその志があった時期だと思います。
ただ、結果としてジュリーの存在感というか個性がその枠を越えていくわけですよね。
それは時代に限らず・・・例えば80年代末には米米クラブのブレイクによるファンク・ブームが起こり、「muda」なんかは明快にそのあたりを狙っていますが、ジュリーが歌ったとたん「ジュリー」というジャンルになってしまうのですから、凄いことです。
nekomodoki様の仰る「楽曲提供者が感じる頼もしさ」には、そういうところもあるのでしょうね。
☆
BAT様
ありがとうございます!
そうか、原田さんのジュリーへの楽曲提供は『NON POLICY』の2曲以外にもう1曲、「ゼロになれ」がありましたね。うっかりしていました(汗)。
僕は原田さんのアレンジは最初から好みでしたが、ハッキリと「ピアノロック」を認識して楽しむようになったのはやはり僕もBAT様と同じく佐野さんでした。
アレンジで言うと佐野さんの場合はピアノに加えてサックスですね。僕の佐野さんとの出会いは中3でしたが、「ギター以外の楽器がロックしている!」というインパクトが大きかったように思います。
まだエルヴィス・コステロを知る前の時期でした。
ちなみに僕の佐野さんナンバーのフェイバリットは「NIGHT LIFE」。これはずっと変わりません。もしジュリーが歌ったら・・・と想像してしまいます。
投稿: DYNAMITE | 2021年8月19日 (木) 09時23分