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2020年12月26日 (土)

瞳みのる 「明月荘ブルース」

from『明月荘ブルース』、2020

Meigetusoublues

1. 明月荘ブルース
2. 明月荘ブルース(カラオケ)

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2020年も残すところ5日となりました。

今年は憎きコロナ禍のためジュリーの全国ツアーが中止となり、寂しい1年となってしまいました。
それでも12月に入った頃には、無いだろうなとは思いつつも「もしかしたら突然お正月LIVEのインフォが届くかもしれない」と一縷の望み抱き心待ちにする日々でしたが、先日「澤會」さん解散のお知らせ・・・ジュリーファンとしてこれまで本当にお世話になった澤會さんへの感謝は当然ですが、僕のような新規ファンは正直、動揺の方が大きかったのが現状です。
常々「大きいホールにいっぱいのお客さんが入って、そのお客さんの身体を通って返ってくる音をモニターにしたい」と語っているジュリーですから、コロナ禍の完全な収束がなくしてLIVE再開無し!は当たり前のことなんですけど。

東京での1日の感染者数のニュースを毎日見るたびに、なんだか「少しずつ」増加してゆくのがまるで作られ計算されているかのように、僕らは「慣れて」しまってはいないでしょうか。
もし明日突然「今日の感染者数は2万人です」と報道されたら、誰もが「身近な危険」を感じるはず。
徐々に数が増えてゆく、ということの怖さ。「慣れ」は諦念へと繋がり、志を低くします。
もちろんあってはならないことですが、今この時点で「1日の感染者が数万人」となる状況を想像し、そのくらいの危機感を持って1人1人が気をつけてゆかねばなりません。志をしっかりと高め、僕らはジュリーの決断を尊重し辛抱が希望となるよう努めたいと思います。

一方で、ピーさんが小さい箱ならではの利点を生かし、今年もこの状況下で勇躍二十二世紀バンドとのLIVEをスタートさせたことは何よりの励みです。
僕が参加するのは年明け1月の四谷公演で、チケットを一緒に申し込んでくださったピーファンの先輩のお話では、座席の配置が市松模様のような間隔となっているとのこと。会場の感染防止対策、万全のようです。

ピーさんは「常に動いていないと落ち着かない」タイプだそうで、軽快なフットワークに制限をかけられた今年はそのぶん音源創作にパワーと時間を注がれたのでしょう・・・驚異的な新曲ラッシュの1年となりました。
「Lock Down」「明月荘ブルース」「ロード246」「失うものは何もない」とリリースは続き、さらにクリスマスに合わせChannel Peeにて最新曲「Silent night」の音源発信。
僕は昔から「新曲に向かう」姿勢のアーティストを熱烈に支持したいリスナーで、今年は特にピーさんの新曲に大いに力を貰いました。

今日はそんなピーさんの一連の新曲から「明月荘ブルース」をお題に更新したいと思います。
大変な年となった2020年。シローさんの旅立ちもあり悲しみの最中、タイガースファンの先輩方にとってこの歌がリリースされたことは本当に救われ、感慨深かったのではないかと想像します。

僕も後追いファンながらピーさんの音楽活動復帰から再結成への道程をリアルタイムで体感した身。大阪ミナミの「明月荘」が伝説の地であったことは勉強済みで、スタッフとしてお手伝いさせて頂いた左門町LIVE準備の関係でみなさまより少し先んじてこの歌を聴いた時には、感動で心が震えました。
詞曲を深く理解するより先にまず「思い」の強さがダイレクトに伝わってくる・・・世にある幾多の他曲にあまり例の無い、特殊な魅力を持った歌だと思います。

その上で、名曲とは「素晴らしい詞に素晴らしいメロディーが載っている」単純だけれどそれが真理なのだなぁ、と改めて実感させられます。
ピーさんの作詞、KAZUさんの作曲。
やはり最終的に「作品」として優れた詞曲が結実してこそ、歌い手やリスナーに思いや感動が乗り移るものなのかもしれません。

まずは何と言っても、詞に胸を打たれます。
このブログを読んでくださるみなさまは僕などより詳しくご存知のことかと思いますが一応書いておきますと、「明月荘」とはザ・タイガースがまだファニーズと名乗っていた頃、大阪で活動していたメンバーが共同生活を送った伝説のアパート。

裸電球 三畳間
     Cm        B♭

辿り着いたら 明月荘 ♪
   A♭            B♭  Cm

僕は幸運なことに、今年8月の『PEEが奏でる「四谷左門町LIVE」』を裏方でお手伝いした関係で、この新曲についてもピーさんから様々なお話を伺う機会を得ました。

「今は、三畳間の貸し部屋なんてあまり見ないよねぇ」

ニコニコとそう語ったピーさんの言葉が印象に残っています。
「明月荘ブルース」は、ファニーズ時代の思い出ばかりでなく、過ぎ去った文化、昭和30~40年代の若者たちの暮らし、世間のたたずまいまでを回顧する歌でもあるのだなぁ、とその時に思ったっけ・・・。

ピーさんは漢詩の専門家です。
僕ら日本人は普通に漢字を使って文章を書いたり脳内変換しながら言葉に発したりしますが、その漢字を1字ごとに単独の意味を深く追求することなど滅多にありません。
中国古来の漢詩において使用される漢字はひとつひとつそれぞれに意味があって、武骨に繋がっていきます(高校時代の僕は、「古文」は女性的で「漢文」は男性的だとなんとなく思っていました)。ピーさんの日本語詞にはそんな漢詩のエッセンスが含まれるため、独特の漢字使いが魅力です。

過ごした日々は 返らない
      Fm                      Cm

期待と不安 ない交ぜに ♪
    Fm                      G7

ここは日本語の漢字使いとしては「帰らない」が常套。例えば「あの日に帰りたい」とか書きますよね。
しかしピーさんは「帰ではなく「返」の字を当てました。「もうひっくり返せない」「引き返せない」という意味を持たせる狙いではないでしょうか。
短調バラードのメロディーと相俟って、切なくも強い思いが伝わってきます。
8月のLIVEに向けて採譜や演奏時用の歌詞カード作成のため、詞を何度も「書き写す」ことが多かった僕は、そんなピーさんの漢字使いに「良いなぁ、ここ良いなぁ」と感動させられたものでした。

左門町LIVEのレポートにも書いた通り、ピーさんは自作詞について徹底的に校正を重ねてゆくタイプです。
ピーさんのこれまでの人生を辿り綴った、歌メロ13番にも及ぶ大長編「My Way ~いつも心のあるがままに」(当LIVEが初演)などは、本番前日まで手を入れていたほどでした。
「明月荘ブルース」も、「My Way」に次ぐ頻度で度々の改稿がありました。例えば

加茂の川から 淀の川 ♪
      Fm                  Cm

京都で暮らしていた若き日のピーさんが志を抱き大阪へと移り住んだ・・・そんな経緯を歌った箇所。言うまでもなく「加茂の川」が京都、「淀の川」が大阪を表します。

ところが僕が8月のLIVEに向けて最初に受け取った歌詞ファイルでは、ここが大きく違っているのです(その頃は歌入れも終わっていたはずですので改稿自体はもう済んでいたのでしょうが、たまたま僕に送ってくださったのが初稿のファイルだったのだと思います)。
それによると同箇所は

古都を離れて 来た商都 ♪

となっていました。

京都が「古都」で大阪が「商都」。
こちらもピーさんらしい素敵な表現ですが、おそらく改稿に至ったのは、KAZUさんの素晴らしいメロディーが完成し実際に「歌って」みて「ここはもっと良くなる」との判断があったのではないでしょうか。
もしそうなら、この改稿はピーさんとKAZUさんの共同作業、相乗効果でもあり、名曲誕生の所以、重要な過程であったと言えると思います。

その他も細かな漢字仮名使いの校正が何度もあり、僕はその都度立ち合うことができました。
LIVEの1週間前に改稿となった箇所もあります。細部の仕上がりまで妥協せず練り込んでゆくピーさんの創作姿勢は、リスペクトせずにはいられません。

このように最後まで熱意の取り組みがあって生まれた歌ですから、もちろんCD音源で聴いても大きな感動がありますが、これは生歌、生演奏で聴くとより一層ピーさんの思いが伝わる、と僕は確信しています。
8月のLIVEではピーさんの熱唱、思いの深さがみるみるうちに「ゆうさんバンド」の演奏に乗り移ってゆき、圧巻のパフォーマンスとなりました。
是非みなさまには「明月荘ブルース」を生歌、生演奏で体感して頂きたいと考えます。

どんな人でも自分の人生を1冊の本にできる・・・そんな話を聞いたことがあります。
それが音楽家という選ばれた才人達にとってはさらに深く広く、自分の人生における様々なシーンを歌にできる、ということでもありましょう。
ピーさんは音楽界復帰後、「道」「一枚の写真」などの新曲を次々にリリースすることで、そんな創作スタイルを実践してきました。

そして・・・ザ・タイガースの根っこのシーンを、ピーさんしか描けない視点で歌った「明月荘ブルース」。
ピーさんとしても、自身の思い入れがより深い作品となったでしょう。当然僕ら聴く側にとっても。
LIVE後しばらくして改めて曲の感動をお伝えした時、ピーさんは「長く歌っていきたい」と力強く仰っていましたから、年明けの四谷公演でもきっとセットリスト入りするでしょう。本当に楽しみです!


それでは次回、もう1本「今年中に書いておきたい」と考えていたお題が残っています。

相変わらず忙しくさせて頂いていますが、29日から冬休みに入りますので年内ギリギリの更新はできそう。
頑張りたいと思います。

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