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2020年12月20日 (日)

沢田研二 「1989」

from『忘却の天才』、2002

Boukyaku

1. 忘却の天才
2. 1989
3. 砂丘でダイヤ
4. Espresso Capuccino
5. 糸車のレチタティーボ
6. 感じすぎビンビン
7. 不死鳥の調べ
8. 一枚の写真
9. 我が心のラ・セーヌ
10. 終わりの始まり
11. つづくシアワセ

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少しご無沙汰してしまいました。
気持ちが上がったり下がったりの週末になりました。

昨日はポール・マッカートニーの新譜『マッカートニーⅢ』が到着。
『I』『Ⅱ』に思い入れのある身としては期待通りの角度から作られた新譜で、大いに気に入りました。

かと思ったら、ジュリーのオフィシャル・サイトでの突然のお知らせがありました。
いや、「突然の」という言い方はきっと当て嵌まらないのでしょう。熟慮巡らせ至ったであろうジュリーの決断を僕らは尊重し、今は「辛抱」に努めるしかありません。

ブログは本当は先週に1本更新の予定でいたのですが、例年以上に多忙な師走となり断念。
ただ、今はこのようなご時世です。大変な苦労をされている業種の方々がいらっしゃる中で、自分が「忙しい」ことを感謝しなければなりません。
僕の勤務先も特に4月、5月の業績落ち込みは凄まじく、「このままでは立ち行かなくなるのではないか」と心配しました。ところが有り難いことに、夏に出版した新刊が「20年に1度」クラスの特大ヒット商品となり、救われたのです(こちら)。
半年ほどが経った今もフル回転で重版に継ぐ重版という状況で、忙しくさせて頂いています。
『BEST OF NHK』のチラ見もできてない・・・年末年始の連休にとっておくしかありませんね。

さて本日12月20日は僕の誕生日です。
54才になりました。杉真理さん風に言えば「6×9(ロック)=54」というメモリアルイヤー(?)。

毎年この日は「ジュリーが自分と同じ年齢の年にどんな歌を歌っていたか」をテーマにお題を選んでいます。
今年は、ジュリーが54才になる年にリリースしたアルバム『忘却の天才』から「1989」を採り上げました。
よろしくおつき合い下さい。


ラジオ『ジュリー三昧』によれば、ジュリーはこのアルバムあたりから、『平和』を意識して歌うようになったとのことで、『忘却の天才』はジュリー史上重要な1枚と言えますね。それはジュリー自作詞に限らず、GRACE姉さん作詞の「1989」にもコンセプトとして及んでいたようです。
ただし僕はその点悲しき「後追いファン」でして、『ジュリー祭り』以降短期間で未聴のアルバムを大量に摂取したせいか、僅かな例を除き、2000年代ジュリー・ナンバーの「歌詞解釈」は後回しになっていました。
当初はとにかく「歌が凄え!曲がカッコイイ!」という面を先立って聴いていたように思います。白状すると、僕はアルバム購入後しばらくの間「1989」のタイトルの意味すら考えていませんでした。

『ジュリー祭り』以降ジュリーのLIVEに通うようになって12年。「1989」は『忘却の天才』収録曲中「生で聴いた」回数が最も多い曲じゃないかな。
初めて生体感できた時はあまりのカッコ良さに興奮したことを今でも覚えていますが、その日の打ち上げ、確か長崎の先輩方とご一緒した席で僕はうっかり独り言のような感じで
「そういえば、1989って何の数字なんですかねぇ?」
と口に出してしまい、みなさまに「え~~~~っ?!」とドン退きされました(恥)。
「”壁”って言ってるじゃないの~」と言われた瞬間に「あっ、そうか!」と気がついた次第で・・・。
でも先輩方は優しく「リアタイで新曲として聴いていないと、そういうところまで考えないものかもね」とフォローしてくださいましたが。

対立の壁砕けて 審判の鐘が鳴った
B7

賛美のマーチと共に 再会の唄うたった
B7

Woh Woh Woh 始まりは あの日 ♪
F#                                     B

1989年、ベルリンの壁崩壊。
世界中がアッと驚き、歴史は大きく動きました。

みなさまは普段、「1989」の曲タイトルをどう発音されていますか?
僕は単純に「いち・きゅう・はち・きゅう」と読んでいます。おそらくそれが多数派でしょう。
でもGRACE姉さん的には「ナインティーン・エイティー・ナイン」なのかなぁ、と。

デヴィッド・ボウイに「1984(ナインティーン・エイティー・フォー)」という名曲があるんです。
これはSF作家のジョージ・オーウェルが1949年に発表した同タイトル小説にインスパイアされたナンバーで、僕はオーウェルの同作を早川書房のSF全集で高校時代に読んでいますが、ひとことで言うと世界的な核戦争後の管理体制を「アンチ・ユートピア」として描いています。近未来に来るかもしれない恐ろしい世界の有り様です。

GRACE姉さんの「1989」は「今」(楽曲リリース時の2002年)の人々の志を問いかけるような詞で、対立の壁が崩れ時代が大きく変わった現在から見て、未来の世界がユートピアとなるかディストピアとなるか、それは僕らの行動にかかっている・・・そんなメッセージ・ソングではないかと今は捉えています。

このように僕の初聴時時点で歌詞解釈は遅れてしまいましたが、一方で「1989」のジュリーの作曲についてはアルバムを聴いて一発で好きになっていました。
ジュリーはこの年あたりから「なるべくマイナー・コードを使用しない」曲作りを心がけるようになったんじゃないかなぁ。
今はもうそれは完全に徹底されていますけど、「1989」の場合はその上でとても凝った進行です。
特にブッ飛んでいるのは

剥がれ落ちてく プライド ♪
G       A           D      G#

ロ長調の曲に採用する進行としては異色のコード展開、そして着地。
メジャーコードを複雑に絡ませてジュリー独特の武骨なメロディーを繋いでゆく・・・そんな作曲手法は「夜の河を渡る前に」を彷彿させます。

全体的にハードなメロディーであるにも関わらずポップな手触りも感じるのは、伊豆田さんのコーラスの貢献が大でしょう。
白井さんのアレンジもキレッキレで、イントロなどに登場するアルペジオ・リフのオマージュ元は、白井さんならビートルズの「アイブ・ガッタ・フィーリング」かな、それともジョージ・ハリスンの「ワー・ワー」あたりかな、と僕の好みに寄せてあれこれ想像するのも楽しい1曲。

ジュリー自身もお気に入りの歌のようですし、「遂にLIVE活動再開!」となった時、セットリストの有力候補ではないでしょうか。
その日が本当に待ち遠しいですね・・・。


さぁ、色々あった2020年も残り僅かとなりました。
ジュリーからのお知らせに朝から動揺した誕生日でしたが、ジュリーが歌をやめると言ったわけではないし、来年の3.11にはまた新譜もリリースしてくれるはず。
普通に誰もが不安なく、いっぱいのお客さんで大ホールLIVEが開催できる日を一刻も早く届けて貰うために、僕等は「今自分ができること」を頑張りましょう。

年内に残された日数は少ないですが、「今年中に書きたい」と12月頭に考えていたお題が2つ残っています。2020年師走、せめてそれくらいは僕も頑張ろう・・・。
ということであと2本、年内更新です!

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瀬戸口雅資のジュリー一撃伝授!」カテゴリの記事

コメント

DY様
2020が暮れようとしています。この年は世界が記憶を共有することになるだろうと確かに思います。
片田舎で静かに過ごしていると、これは現実なのかという感覚が、どこかにあります。しかし、家を一歩出て病院に行くと物々しい看板「面会禁止」が、恐ろしい現実に引き戻します。
「1989 」1900と9と80…ノインツエーンフンデルト ノイン ウント アハツイヒ
かたかな読みで書きましたが、私はドイツ語で読みます。
前年に帰国しましたが、旧西ドイツに短期間生活しました。ベルリンには近づいたことすらなく意識的にも遠くにあり、首都はボンでした。
1989は衝撃の年、決して忘れることはありません。しかし旧東ドイツの人々にとって、その後は、決してすべてバラ色ではなかったことも知っています。例えばミュージシャンのなかには国家の支えはなくなり仕事を失い音楽とは関係なく生活しなければならなかった人たちもいます。
それでも自由を得たことは何にもかえられないと今でも私は信じています。
「1989 」 …実演は残念ながら経験がありません。録音源も持っていません。youtubeで2002のライブを探しました。
じっくり聴きます。
1989そして1990は湾岸戦争、彼は眠れるはずがなかった、そう思います。
「夜の河を渡る前に」好きな歌です。
いつの時代も厳しい現実があり、それを乗り超えて、今の時代を私たちは生きている、命がある限り生き続けるのだという強いメッセージを受け取って、新しい年を心して迎えようと思います。

投稿: ジュリーのすゝめ | 2020年12月23日 (水) 19時13分

ジュリーのすゝめ様

ありがとうございます!

なんと、かつて西ドイツにお住まいでしたか~。
「1989」のドイツ語読み、今回コメントを頂き、歌の内容からそれが最もふさわしいのだと気がつきました。

考えてみますと僕も子供の頃、「ベルリン」よりも「ボン」を先に覚えた世代です。なんとなく、西ドイツは近しい国、東ドイツは縁浅い国と認識していたような・・・それが一気に意味を無くした出来事だったのですから、今考えても大きな歴史の転換期だったなぁと思います。

僕は大学進学時に第2外国語の選択を、詩を学ぶためにフランス語にするか、ペリー・ローダンの未訳巻を読むためにドイツ語にするか最後まで迷いました。
結局フランス語を選択しましたが、ドイツ語にしていたら少し人生が変わっていたかもしれません。

「1989」は、『ジュリー祭り』以降セトリ入り率の高い曲です。
このコロナ禍を乗り越え、いよいよジュリーLIVE再開、となった時、きっとジュリーのすゝめ様にも生で聴く機会は訪れると思いますよ!

投稿: DYNAMITE | 2020年12月24日 (木) 09時29分

DY様 こんばんは。

コロナ収束の見通しが立たないことで澤会が解散・・・今の状況じゃどうしようもないんですが。リモートのバーチャルライブなんてジュリーがやるわけないし。
一日も早く何らかの形で収束して再開できる事を祈るのみです。(さっきから書き込みを猫が邪魔してくる)

「1989」
壁の崩壊を文字通りTVの画面からリアルタイムで見てました。
あの時は
(これからは情報統制された全体主義は無くなっていくのかも)と期待したのですが。
初めて聴いたとき作詞者と作曲者を逆に認識しました。
一番厄介な人間の性は自己満足でしかない歪んだプライドなのかも。

投稿: nekomodoki | 2020年12月24日 (木) 22時46分

nekomodoki様

ありがとうございます!

一昨日、いつもお世話になっている先輩と電話でお話する機会があったのですが、「ジュリーは政治家よりもずっとこのコロナ禍を真剣に考えている」と仰っていました。集客力を持つ身としての責任も考えているのではないか、と・・・。
しがらみ無く今回のようなことを決断できる立場に自らを置いていたことがまず凄いですね、とお話しまして、僕の動揺もかなり鎮まったところです。

それにしてもnekomodoki様、このような状況だからこそ、いつも傍に猫ちゃんがいらっしゃるというのは羨ましいことです!

仰るように、壁の崩壊はリアルタイムで映像がニュースになっていましたね。ただただ唖然と見ていた記憶があります。なんとも表現し難いインパクトでした。
「剥がれ落ちてくプライド」・・・確かにジュリーの自作詞だと混同することがありえる名篇ですよね。

投稿: DYNAMITE | 2020年12月25日 (金) 09時17分

DY様
こんばんは
昨夜は1989 ではなく、A Saint in The Night に耳を傾けてしまいました。例年クリスマスより早めに届くドイツからのカードがまだ届きません。今の状況による郵便の事情だけならいいのですが、気がかりです。
クリスマスは、日本の正月のように、大事なもの。迎える準備、集まり楽しむ。気忙しさはなく、ただ楽しい。
それが今年は…先日ニュースでメルケル首相のスピーチが放送されました。驚きました。彼女は科学者だったので、沈着冷静に話す印象しかなかったから。「胸に刺さる」とはこういうことなのかと。旧東ドイツ出身だから、首相として、行動の自由、移動の自由の制限を訴えるのは、どんなに苦しいか辛いか、しかもクリスマスを迎える時期に。家で静かに過ごす人々の姿を想像します。
ベルリンの壁の崩壊…旅行の自由、移動の自由を当局が抑えきれなくなったのが、大きな原因だったと思います。制限の緩和の方向が、当局のミスで一気に崩壊に至ったのは、時代の流れと言うのでしょうか。しかし変わらないものの象徴のようだった壁が崩れ落ちる様は、テレビ映像でも絶句しました。
ジュリーが退社して新しい船出をした頃、私はドイツにいましたが、家族の同僚に招かれて職場の人たちと一緒に行ったことがありました。彼女は旧東ドイツ出身で、質素で堅実な印象でしたが、ドアを開けると、小型のグランドピアノがありました。チーズフォンデュを楽しんだ後、彼女が弾き始め、みんなで歌いました。Yesterday…(高校時代、英語で憶えておいてよかった) 音楽は世界言語、実感しました。
みんな元気でいることを祈るばかり。わたしたちもみんな元気でいよう。
ジュリーは鋭敏な感覚と繊細な感受性の持ち主でありますが、強く優しい心に支えられています。だから状況を冷静に判断し決断されたと思います。リーダーの責任ですね。
(おまけの話) 沢田研二 Kenji Sawada ドイツ語の発音
かたかな表記で、 ケンユイ ザヴァダ
若い頃に欧州進出して、ドイツでは何かなあ、と感じたの、わかる気します。

投稿: ジュリーのすゝめ | 2020年12月26日 (土) 01時07分

ジュリーのすゝめ様

ありがとうございます!

ジュリーのヨーロッパ進出は20代でしたからね・・・得難い経験、確実に身体に叩き込まれ、今なお生かされていますね。

『A Saint in The Night』はこの時期にピッタリのアルバムです。
名盤だとは思うのですが、僕に原曲の知識が足りていないのと、なぜか1枚通して聴く機会が少なく、このブログでまだ収録曲のお題記事を1曲も書けていない唯一のアルバムとなってしまっています。そろそろ、とは思っているのですが・・・。

リーダーの責任。確かに今回のジュリーの決断から感じるところです。大きな集客力を以持っている歌い手として考え、判断したことでしょう。
僕らは「辛抱を希望に」とのジュリーの言葉をよくよく考え、万全の対策、準備を以ってジュリーの活動再開を待つ・・・腰を据えて頑張らねば、と思っています。

投稿: DYNAMITE | 2020年12月28日 (月) 12時36分

DY様
聖夜を静かに過ごして
1989 …2002のライブ映像から、この歌を探して体験するつもりが、絶句〜衝撃のあまり
茫然としてしまいました。
2002 のライブ 、正月と通年、セトリが重なっているという指摘のコメントを見つけたのです。1989の歌についてDY様とお話ししたばかりで、あれこれ思っていたので、その一連の歌に、明確な意図があることを感じました。(コメント専用名で私感を記しました。)
糸車、ああ、あの糸車だったのか
忘却の天才、忘れてしまっていいのか、世紀が新しくなったからといって
世界中で絶え間なく続く暴力について

大人のジュリーは、深くて... ため息が出ます。

年末寒波に気をつけて、無事に年越しをいたしましょう。

投稿: ジュリーのすゝめ | 2020年12月29日 (火) 22時25分

ジュリーのすゝめ様

ありがとうございます!

僕の短いファン歴でも、正月LIVEと全国ツアーのセットリスト重複が多い場合、あの年はジュリーに明確なメッセージがあったのだなぁと思い返すことができます。

2002年は僕はまだジュリー堕ち前ですが、『ジュリー三昧』でのジュリー本人の言葉から考えても、「平和」を意識し歌うようになったのがこの年であった、ということは間違いなさそうですね。

こちらは天気は良いですがなかなか寒い大晦日です。
これからシローさんの記事を書いて今年の締めくくりとします!

投稿: DYNAMITE | 2020年12月31日 (木) 12時37分

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