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2020年11月18日 (水)

沢田研二 「夢を語れる相手がいれば」

from『TOKIO』、1979

Tokio

1. TOKIO
2. MITSUKO
3. ロンリー・ウルフ
4. KNOCK TURN
5. ミュータント
6. DEAR
7. コインに任せて
8. 捨てぜりふ
9. アムネジア
10. 夢を語れる相手がいれば
11. TOKIO(REPRISE)

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一週間続いたマンションの排水管更新立ち入り工事も今日が最終日。
在宅担当の僕は予定通り1日かけてブログの更新に充てることとなりました。

前回記事で、個人的妄想舞台『act#11 阿久悠』オープニング曲に「思いきり気障な人生」こそふさわしい、なんてことを書きましたが、今日はエンディング。
指名曲は「夢を語れる相手がいれば」です。
どうでしょう・・・ジュリーが阿久さんの作詞家人生をactで歌い演じるとしたら、これこそエンディングにぴったりだと思いませんか?

またしても妄想考察系の記事となりますが、今回もよろしくおつき合いください。


まず最初に、僕の考える『act#11 阿久悠』全演目20曲の阿久作品をご紹介しておきましょう。
(カッコ内は「作曲者/歌手」です)

1. 思いきり気障な人生
 (大野克夫/沢田研二)
2. 時の過ぎゆくままに
 (大野克夫/沢田研二)
3. 探偵~哀しきチェイサー
 (大野克夫/沢田研二)
4. アメリカン・バラエティー
 (大野克夫/沢田研二) 
5. ウォンテッド
 (都倉俊一/ピンク・レディー)
6. グッバイ・マリア
 (大野克夫/沢田研二)
7. 五番街のマリーへ
 (都倉俊一/ペドロ&カプリシャス)
8. ブルージンの子守歌
 (加藤和彦/萩原健一)
9. ナイフをとれよ
 (大野克夫/沢田研二)
10. マッハバロン
 (井上忠夫/すぎうらよしひろ)
11. 真赤なスカーフ
 (宮川泰/ささきいさお)
12. 愛よその日まで
 (布施明/布施明)
13. ヤマトより愛をこめて
 (大野克夫/沢田研二)
14. お前に惚れた
 (井上堯之/萩原健一)
15. 麗人
 (沢田研二/沢田研二)
16. 女神
 (佐藤隆/沢田研二)
17. 薔薇の門
 (大野克夫/沢田研二)
18. 吟遊詩人
 (大野克夫/沢田研二)
19. 十年ロマンス
 (沢田研二/ザ・タイガース)
20. 夢を語れる相手がいれば
 (大野克夫/沢田研二)

いかがでしょうか?
とにかく20曲に絞るだけでも大変な作業でした。泣く泣く外した曲がどれだけあったか・・・。
ご覧の通り、ジュリー・ナンバーについては超有名曲ももちろん外せないものは入れましたが、世間的にはあまり知られていないであろう「隠れた名曲」を多めにピックアップしてみました。

一方で他歌手が歌った阿久作品の「カバー曲」はメジャーどころを選びましたから、みなさまも一部を除きほぼご存知というセットリストになっていようかと思います。
例外は、昭和の特撮&アニメ番組から抜擢した「マッハバロン」「真赤なスカーフ」の2曲でしょうか。
酔狂で選んだわけではありません。阿久さんは、僕らの世代にとって原風景とも言えるこのジャンルにおいても「一線を超えた」素晴らしい詞を多く残されているのです(本当は「今日もどこかでデビルマン」(アニメ『デビルマン』エンディングテーマ)なども入れたかったのですが、さすがにキリが無いので2曲に抑えました)。
そんな阿久さんの名篇をジュリーが歌う、という妄想は本当に心躍ります。

「マッハバロン」は井上忠夫さんの作曲がT-レックスばりのグラム・ロックでマニアの間でも評価が高いのですが、突出しているのは何といっても阿久さんの歌詞。

悪の天才が 時に野心を抱き
世界征服を夢見た時に
君はどうする 君はどうするか 君は
蹂躪されて 黙っているか

超絶なる悪から見ると「世界征服」とは「夢見る」ものなのだという発想も戦慄ながら、小学生の子供達が観るヒーローもののテレビ番組主題歌に「蹂躪」なんて言葉を採用するセンスには驚くほか他ありません。

当時はたとえ大人であっても馴染みの薄いフレーズ。
その証拠に、「パチソン」(昭和文化のひとつで、テレビ番組の主題歌を各地の名も無いバンドが耳コピで演奏し録音したフェイク・レコードがスーパー等で格安で売られていた時代の記憶はみなさまお持ちなのではないでしょうか。
その独創的過ぎる「コピー」っぷり(笑)は「パチソン」なるジャンルで現代も様々な意味で高い評価を得ています)版の「マッハバロン」はアレンジばかりか歌詞も耳コピだったらしく、「蹂躪」の聞き取りができていません(マニアにはそこがウケているのですが)。

オリジナル版「マッハバロン」
パチソン版「マッハバロン」

阿久さんの奔放斬新なフレーズ使いが生んだ「歌詞違いパチソン」伝説の1曲にまつわる逸話です。

「真赤なスカーフ」の方は、女子でもアニメ『宇宙戦艦ヤマト』を観ていた人は多そうですから、このエンディングの名バラードもご存知のかたはいらっしゃるでしょうね。
上記セトリで「真赤なスカーフ」、布施さんの「愛よその日まで」、そしてジュリーの「ヤマトより愛をこめて」の3曲は、「ヤマト」繋がりのメドレー形式をイメージ。
(余談ながら、「探偵~哀しきチェイサー」から「ナイフをとれよ」までが、「阿久探偵」物語だったりします)

さて、「夢を語れる相手がいれば」。
僕はこの歌を、アルバム『思いきり気障な人生』収録の「ナイフをとれよ」の一人称・二人称を入れ替えた「返し歌」のように聴いているのです。
つまり「ナイフをとれよ」で、「女の愛に傷つけられ」て主人公の部屋に転がり込んできた親友の男「おまえ」が一晩中したたかに酔い、あくる朝に煙草の煙を残して去っていき、そのまま行方知れずとなった・・・そんな親友同士の久々の偶然の再会を人物視点を変えて描いた歌が「夢を語れる相手がいれば」というわけです。

三年前から 深酒はやめにした
E♭                Cm           Gm7

その朝 悲しい女の顔を見たから
      A♭    B♭  E♭  Cm    G7   B♭

だけど今夜は 君と出会えて
      A♭            E♭       C7

久々に飲もうかと 思っているよ ♪
   Fm7        B♭7    F7   B♭ E♭

「ナイフをとれよ」では主人公を歌い手のジュリー、酔い潰れた友人を阿久さん自身の分身として詞に託していたのが、「夢を語れる相手がいれば」では逆に主人公が阿久さんで、「君」(ジュリー)と行き会って久々に酒を酌み交わしている、それを歌手・ジュリーが歌い演じているという二重構図。

また、この曲を語る上で欠かせないと思うのが、当時現実の時代背景です。

70年代から80年代への移り変わりって、特に音楽においては独特なんだよなぁといつも思います。
ジュリーで言うとシングル「TOKIO」が80年代幕開けの曲として広く語られていますし、それは正しくその通り。でもアルバム『TOKIO』は79年にレコーディング、リリースされていて、『思いきり気障な人生』『今度は、華麗な宴にどうぞ。』『LOVE~愛とは不幸を怖れないこと』と続いた阿久=大野時代から大胆にコンセプト・チェンジ、音作りもテクノやニューウェーヴの影響を受けガラリと変わったという面はあるにせよ、どちらかと言えば「70年代締めくくりの1枚」として製作が始まったんじゃないかと思うんですよ。
お題の「夢を語れる相手がいれば」が阿久=大野作品の集大成的な詞曲ですし、何よりアルバムに大野さんだけでなく堯之さんや速水さん作曲のナンバーが収録されている点に注目したい・・・当初は、『JEWEL JULIE』のような「井上バンドとのアルバム」としてスタートしたんじゃないかなぁ、と。

ジュリーがアルバムから選んだファースト・シングルが大野さんの「ロンリー・ウルフ」だったというのもそんな経緯からかなぁと想像したりね。

しかし加瀬さんの「TOKIO」が糸井重里さんを作詞に迎え完成した時点で、このアルバムは時代を先取りした前衛的なコンセプトを宿命づけられました。そのくらいインパクトの強い楽曲が誕生したのです。
「TOKIO」をアルバム・オープニングとエンディングのリプライズに配する構成は、製作途中で切り替えられたアイデアだったんじゃないかなぁ。
まぁこれも僕の妄想ですけどね。

でも「TOKIO」の2ヴァージョンに挟まれたアルバム収録各曲の本質はあくまで「70年代」のジュリーであり、「夢を語れる相手がいれば」はそれを明快に表すバラードだと僕は考えます。

阿久さんについては、もちろん80年代に入っても幾多の名篇を手がけていますし、ジュリーとの絡みもすぐにザ・タイガース同窓会時に実現しています。
ただ当時のシングル・レコード情報歌本(『YOUNG SONG』『HEIBON SONG』)を見返すと、70年代までは阿久さんの作詞クレジットがこれでもか!と居並び歌謡界のド真ん中に君臨していたのが、作品数だけで言えば80年代に入ってまず松本隆さんにその座を譲っているという現実があります。
それをして「阿久悠=70年代歌謡曲の象徴」との見方はできるのかもしれません。

ジュリーはその直中で阿久さんと一緒に時代を作っていたわけで、阿久さんにとってジュリーが(作品を通して)「夢を語れる(矜持を託せる)相手」だったことは間違いないでしょう。
70年代の最後の最後に阿久さんがジュリーに提供した「夢を語れる相手がいれば」を、そんなふうに聴いてみるのもアリではないでしょうか。


それでは次回更新は、未執筆だったザ・タイガースのオリジナル・ナンバーを考えています。

今週は結構暖かい日が続いていますが、これからあっという間に冬らしくなるのでしょう。
みなさま、お身体どうぞご自愛ください。

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瀬戸口雅資のジュリー一撃伝授!」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。
もうすぐやってくる「THE BEST OF NHK DVD」を待ちつつ、「夜のヒットスタジオ」DVD をみていました。

お題曲は、「TOKIO」収録曲ですが、
「架空のオペラ」ライブCDとか、「夜のヒットスタジオ」で後追いで聞いたので、何となくCO-CóLO期のイメージでした。

ずっとファンでいらしたみなさんにとっては、
その頃のいろいろなことを思い出される曲でしょうか。

やはり当時のジュリーの映像や歌声はあまりにつややかで、
「そうさこうして君に向かって
あれこれ話すのも愛したからさ」
の歌詞を聞くと後追いのわたしでも少し胸がざわめきます。

でもとてもいい曲でわたしは好きなので、
これからいつか、ジュリーが気持ちよく歌ってくれたらなあ、生で聞いてみたいなあ、とも思います。

1972年大みそか~2012年1月までのDVDはとても楽しみです。
夜のヒットスタジオ1975~1990よりずっと長い流れで、ジュリーの渾身の一曲一曲が聞けると思うと。

コロナ禍のなかどうぞご無事で。お互いに。
ジュリーも。みなさまも。

投稿: piano | 2020年11月22日 (日) 12時26分

piano様

ありがとうございます!

そうか・・・これはCO-CoLOで歌われていたことがあったんでしたね。僕などはpiano様よりもさらにさらに後追いですから、そうした感覚を整理するだけで大変な作業です(楽しいですが)。
確かに、LIVEのセットリストで歌の時代背景イメージが変わってくることは僕にもあります。例えば「AZAYAKANI」が「2009年の歌」との印象が強かったりしますね。

NHKのDVDは本当に楽しみです。
70年代前半の映像には期待が大きいですし、『ジュリー祭り』以降の生で体感してきた映像をおさらいするのも楽しみです。

コロナ・・・このところ嫌なニュースが続いていますね。
piano様もみなさまも、そしてジュリーも、どうぞご無事でありますように。

投稿: DYNAMITE | 2020年11月25日 (水) 09時14分

DY様 こんにちは。

「エール」を最終回まで見ていて仕事の「相棒」を失った主人公が一線を退いてしまうシーンがありました。
音楽はまだ胸には湧いてくるのに、発信する気力が無い、と。
自分の中にあるものを外部へ発信するってものすごいエネルギーが必要なんじゃないかなと気が付きました。
発信しても無視されるかも知れないし、受けたら受けたで弾けたぞのあとの空虚さに胸が沈むし。
それを支えてくれるのが相棒であり戦友であると。
ライブのあとみんなでアフターに行きたいのも余韻をひとりで萎ませてしまいたくないから・・・なんだろうな。
こうしてコメに書き込ませて頂けていつも感謝しています!

投稿: nekomodoki | 2020年11月29日 (日) 14時20分

nekomodoki様

ありがとうございます!

『エール』観てました。コロナ禍で中断があった中で無事完結、面白い作品だったと思います。
nekomodoki様の仰るシーンは僕も印象に残っています。物事を成す時の相棒の存在、思いを交し合う相手がいる、ということが活動への大きなエネルギーとなること、しみじみ思い知ります。

僕の方こそ、本格ジュリー堕ち後にブログ記事をせっせと書き始めて、その最初の頃から毎回nekomodoki様にコメントを頂けていること、本当に力と励みを貰い続けています。
この場を借りまして、改めて感謝、感謝です!

投稿: DYNAMITE | 2020年12月 2日 (水) 09時32分

DY様
 こんばんは。
 『TOKIO』は近所のレコード屋さんで予約していましたが発売日が延びて、「やっと手に入った~!」って感じでした。正直、「阿久=大野コンビ作品」3枚続いていたので、とても新鮮に感じました(阿久さん、大野さん、すみません)。楽曲そのものも作者変わればずいぶん変わりますが、それ以上に後藤次利さんにアレンジャーが代わってずいぶんロックっぽくなりましたね。ただお題曲は『TOKIO』収録でも『思いきり~』の面影?をしっかり残しているのはさすが阿久さんです(笑)
 「act 阿久悠」、なかなか興味深いですね。選曲に全く異論ありませんが、強いて加えて欲しい曲挙げるとしたら、「あざみの如く棘あれば」ですかね。推理小説好きのDYさんならご存知かも知れません、古谷一行さん主演のTV「金田一耕助シリーズ」のエンディングテーマ曲でした。

投稿: ねこ仮面 | 2021年1月20日 (水) 21時07分

ねこ仮面様

引き続きありがとうございます!

『TOKIO』は製作過程でアルバム全体の様相が変わっていった作品だと個人的には推測しています。
大野さん以外にも堯之さんや速水さんの提供曲があり、当初は『JEWEL JULIE』のような作品にしようとしていたんじゃないか、と。
ただ、糸井さんと加瀬さんの「TOKIO」のインパクトが強烈だったこと、そしてねこ仮面様仰る通り後藤さんのアレンジャー起用が大きかったと思います。
結果、リリースこそ79年ですが、80年代幕開けを象徴するような名盤となったのでしょうね。

古谷さんの金田一シリーズは観ていましたが、エンディングは阿久作品でしたか。恥ずかしながら知りませんでした。
アマゾンプライムで観ることのできる作品があるようですので、復習してみます!

投稿: DYNAMITE | 2021年2月 2日 (火) 09時35分

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