沢田研二 「思いきり気障な人生」
from『思いきり気障な人生』、1977
1. 思いきり気障な人生
2. あなたに今夜はワインをふりかけ
3. 再会
4. さよならをいう気もない
5. ラム酒入りのオレンジ
6. 勝手にしやがれ
7. サムライ
8. ナイフをとれよ
9. 憎みきれないろくでなし
10. ママ......
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忙しい日々が続いていましたが、今日は1日たっぷり時間ができましたので更新します。
と言うのも実は住んでいるマンションの排水管更新工事がありまして、これがなかなか大がかりな工事で一週間かかるのです。
僕の部屋は5階で、そこから1階まで共用で縦に通っている管を各階で切断し取り替えるという。
洗面所の壁を豪快にブッ壊して大穴を開け粉塵を飛ばし爆音を響かせながら・・・いやはや作業の方々も大変です。で、工事の性質上作業者が部屋に1日立ち入ることになるわけで、必ず住人の誰かが在宅していなければならないんですね。
カミさんと分担でスケジュールを組み、僕は今日と来週水曜に有給をとって在宅担当。こうしてブログを書く時間ができたというわけ。
ついでに早々の予告しておきますと、次回更新はその来週水曜、18日の予定です(笑)。
さて今日は、前回に引き続いて「妄想考察」系の記事となります。
お題は77年リリースのアルバム・タイトルチューン「思いきり気障な人生」。
個人的には好きになるまで結構時間がかかった曲で、どのような「気づき」を経て好きになっていったか、後追いファンの僕が妄想含めてこの歌をどんなふうに聴いているのか、といった感じの記事になります。
今回もよろしくおつき合いください。
これまで何度も書いているように、僕には『ジュリー祭り』参加の数年前、勤務先で『ROYAL STRAIGHT FLUSH』3枚の再発試聴盤を聴いたことがきっかけとなった”第一次ジュリー堕ち期”というのがありまして、友人のYOKO君と競うようにして(20年の付き合いだったのに、彼がジュリーを好んで聴くことをそれまで知らなかったという)ポリドール時代の全オリジナル・アルバムを次々に購入していきました。
ただ、アルバム『思いきり気障な人生』を購入したのは本当に最後の方で、聴いてからもしばらくの間はアルバムとして高い評価はしていませんでした。
理由は単純、「既に知っている曲が多かった」から。
「あなたに今夜はワインをふりかけ」「さよならをいう気もない」「勝手にしやがれ」「サムライ」「憎みきれないろくでなし」・・・収録半数に及ぶこれら5曲は(ヴァージョン違いが2曲あるとはいえ)、『ROYAL STRAIGHT FLUSH』との重複があります。
未知の名曲を体感するスリリングな感覚が薄かったというわけですね。
「ナイフをとれよ」「ママ…」の2曲を熱烈に好きになったものの、アルバム1枚通して聴く回数は少なく、他曲への評価が遅れてしまいました。
今では詞曲アレンジとも大好きになっている今日のお題「思いきり気障な人生」の場合は、当初阿久さんの歌詞に抵抗がありました。
「抽象的過ぎて、何が言いたいのかよく分からないなぁ・・・」と(恥)。
YOKO君の方は
「出たなッ、阿久さんの「虫」シリーズ!」
とか言って最初から大喜び(「雨だれの挽歌」「バタフライ革命」と合わせ、僕らの間では「虫・三部作」と呼ばれています笑)だったんですけどね。僕はどうも馴染めなかったんです。
あなたは 気障を悪いというけれど
Dm C F
心に気障をなくしちゃつら過ぎる ♪
Gm E7 A7
僕の鈍い感性では、ジュリー・ヴォーカルをもってしてもこの詞が胸に伝わってこない・・・。
それが一転「そうか!」と腑に落ち劇的にこの詞が好きになったのは、割と最近のこと。
きっかけは、年長のタイガースファンの友人・YOUさんがジュリーのコピー・バンドを組んでLIVEを開催、セットリストの採譜をお手伝いした際、洋楽カバー曲「絆」と真剣に向き合ったことでした。
「絆」はその時のYOUさんのLIVEのメイン・コンセプトになっていて、ステージ全体にストーリー性を持たせるにふさわしい楽曲でした。
豪快なアレンジ、何よりジュリーのあの凄まじいヴォーカルです(それをコピーし自ら歌おうというYOUさんのチャレンジ魂にも大いにビビリましたが)。
で、採譜をしながら
「ジュリーのこの歌い方は・・・何か似た感じの曲がオリジナルのレコーディング音源にあったはず」
と思い、行き着いたのが「思いきり気障な人生」でした。
では、「好きになって以後」の個人的な解釈・・・まず大野さんの作曲から見ていきましょう。
みなさん、「思いきり気障な人生」のサビって何処だと思います?
この頃の阿久=大野作品は「詞先」の作業だったそうで、『今度は、華麗な宴にどうぞ。』『LOVE~愛とは不幸を怖れないこと』含め、アルバムの中に必ず1、2曲は「こりゃあ強引だ~」と思えるほど阿久さんの詞に寄せきった音符割り、譜割りの曲(←それがまた良いのです)があります。
頭を一度マッサラにして「思いきり気障な人生」の歌詞カードだけ読むと、メロディーをつける際にどの箇所をサビに配置し作曲すればよいのか僕レベルでは本当に分からないところ、プロフェッショナル・大野さんがどう料理したのかと言うと
阿久さんが詞を書いていない部分に他ヴァースから言葉を借りてきてサビにしてしまう!
という驚嘆の手法をブッ込んでいるんですね。
具体的には1番が2’38”あたり、2番が5’32”あたりから展開する、本来であれば楽器伴奏部とコーラスのみのヴァース(歌詞カードには「アアア・・・アアア・・・」と記されているトコね)。
そこに
いやだよ そんな面白くもない ♪
の歌詞部を借り、リフレインとして配しています(「Dm→C7→Dm」に載せているので、阿久さんの同フレーズ歌詞部とはコード進行は異なります)。
1番、2番とも同じようにメロディーが載っている点から、これがレコーディング時のジュリーのアドリブでないことは確実。
大野さんが「ここで、こう歌って!」と作曲段階で用意していた「サビ」というわけで、そのジュリーの歌い方が「絆」っぽいと僕には聴こえ、もしかすると大野さんから「『絆』みたいな感じで歌って欲しい」とサジェスチョンがあったのでは、とすら考えます。
ジュリーのアルバム丸ごと1枚、阿久さんとのコンビですべての収録曲の作曲を担うは大野さんのキャリアで初の挑戦でした。
大野さんは気合を入れてアルバム・トータル・コンセプトまで練って取り組んだに違いなく、「絆」たった1曲で壮大なドラマを表現し得るジュリー(バックで演奏していても「おおっ!」と戦慄したでしょう)の資質とキャリアを買って、「ドラマ性」をアルバム・コンセプトとし、そのプロローグとしてふさわしいメロディーを1曲目「思いきり気障な人生」を以ってジュリー・ヴォーカルに託したのではないでしょうか。
「歌で演じる」ジュリーの天賦の才。
改めてその特性を考えると、あまりに阿久さんの主張が強過ぎるように感じていた「思いきり気障な人生」の歌詞も、聴こえ方はまったく違ってきます。
「気障をなくしちゃつら過ぎる♪」は実質阿久さんの矜持で、それをジュリーが演じている、と。
これは、10代だった僕が無知故に「きめてやる今夜」の歌詞に引っかかりを感じ好きになれずにいたのが、本格ジュリー堕ち後に「あれは元々ジュリーが裕也さんのために作った詞だったのだ」と知ってガラリと印象が変わり大好きになった、そんな経緯と似ています。
そして、「思いきり気障な人生」のドラマ性から転じた僕の妄想はさらに暴走するのです。
あり得ない話だけど、長い年月を経て今もし『act』シリーズの11作目が復活実現し、それがズバリ『阿久悠』だったとしたら、オープニング曲は「思いきり気障な人生」で決まり!ではないかと。
僕はもう次の更新記事を練っています。
そこでは、妄想版『act-11 阿久悠』演目全20曲も紹介させて頂くつもりです(笑)。
あまりにも有名な曲が多い阿久作品ですが、どのみち妄想ですからジュリー・ナンバーについては完全に個人趣味に走って、世間的にはマイナーな曲が中心。
さらに「actらしさ」も考えジュリー以外の歌手が歌った阿久作品のカバーもいくつか入れてます。
オープニングは「思いきり気障な人生」。
ではエンディングは?
それが次回のお題です。
ひとまず今年の『秋の妄想考察シリーズ』(←シリーズだったんかい!)の締めくくりとなる次回更新。
さぁ、僕の考える『act-11 阿久悠』のエンディングはどの曲でしょうか?
全ジュリーファン投票で多数決をとったら「ヤマトより愛をこめて」あたりが支持を集めると思いますが、僕は敢えてマイナー曲で攻めますよ~。
よろしければコメントにて、みなさまの考えるエンディング曲も教えてくださいね。
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コメント
DY様 こんばんは。
実は過去のLPがCD化されてからほとんどのアルバムは新に購入したのですが、予算の都合で一気買いとはいかず、買おうと思い立った時は店に無かったりで買いそびれたアルバムがいくつかあってころもその一つでした。
レコードがあるからいいや、と思ってたらプレイヤーのアンプは不調で。
実は銀座の山野と渋谷のタワレコを覗いたんですが、DVDはどちらもジュリーモノ全滅、山野はCDも全滅からっぽでした。
でもアマゾン検索したら中古品が出てたので2枚ポチリました。
それがようやく本日届いて久々に聴きました。
昔聴いたときは「気障」って言葉がなんというか「おそ松くん」の「イヤミ」のダンナが頭をよぎってしまって。それを振り払うのが大変でした。
しかし、「気障」の定義ってなんでしょう。
自慢じゃないけど
「愛があればお金なんて」
はお金の苦労を知らない人の戯言にしか聞こえない現実主義者なもので。
でも本当にお金も地位も才能もある人の理想論は傲慢に聞こえてしまう。
現実は今日の食費にも困っていても「おフランス帰りの文化人」のスタンスを断じて崩さないイヤミのダンナはある意味「気障」の極致なのかも。
ジュリーは「当たり障りのないこと」が大嫌いと言ってました。
うん、納得。
ジュリーも阿久さんも確かに「思いきり気障」です。
投稿: nekomodoki | 2020年11月22日 (日) 22時10分
nekomodoki様
ありがとうございます!
そう言えばこのアルバム、歌詞カードを切断する仕組みという話で以前記事を書いた際、nekomodoki様はレコードを引っ張りだしていらっしゃいましたね。
CDご購入、何よりです。
しかし、このアルバムも今は新品では簡単に入手できない状態になっていましたか・・・。
イヤミのダンナ、懐かしいですねぇ。
世間に量られず矜持を貫くない、という意味で言えばジュリーも阿久さんも「思いきり気障」でしょう。
いずれにしても僕ら凡人にはなかなか真には理解し得ないことですが・・・。
投稿: DYNAMITE | 2020年11月26日 (木) 10時30分
DY様
こんばんは。いつものことながら忘れた頃のコメントさせていただきます。
『思いきり~』は今から43年前のお正月、お年玉で買った最初のジュリーのLPです。でも「勝手にしやがれ」で始まるB面から聴いたのを覚えています。
お題曲はA面1曲目とは思えない重たさだなぁと当時感じましたが、嫌いではなかったです。ただまだシングルカットされていなかった「サムライ」「あなたに今夜は~」「ラム酒入りのオレンジ」「ナイフをとれよ」…名曲目白押しの中、「分が悪いタイトル曲?」みたいな印象でした。「題名のない音楽会」で歌っていましたが、それを機に私の中での名曲度が上がりました。
投稿: ねこ仮面 | 2021年1月20日 (水) 20時37分
ねこ仮面様
ありがとうございます!
お返事大変遅れまして申し訳ありません。
「分が悪いタイトル曲」。確かにそうかもしれません。
このアルバムは当時特にジュリーファンでない人も多く購入したかと思いますが、やはりそうした方々は「勝手にしやがれ」をはじめ有名シングル曲目当てだったでしょうからね・・・。冒頭のタイトルチューンをまず聴いて、「???」となったかもしれません。
僕自身も好きになるまで時間のかかった曲ですが、阿久さんの代表作、との意味も込めて名曲だと今では思っています。
投稿: DYNAMITE | 2021年2月 2日 (火) 09時23分