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2020年11月

2020年11月27日 (金)

ザ・タイガース 「海の広さを知った時」

from『自由と憧れと友情』、1970

Jiyuutoakogaretoyuujou

1. 出発のほかに何がある
2. 友情
3. 処女航海
4. もっと人生を
5. つみ木の城
6. 青春
7. 世界はまわる
8. 誰れかがいるはず
9. 脱走列車
10. 人は・・・
11. 海の広さを知った時
12. 誓いの明日

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三連休後の今週は寒い日もありましたが、みなさまお変わりないでしょうか。
新型コロナウィルス感染の第3波がやってきているとのことで、よほどのことが無い限り気軽な旅行、遠出も躊躇われる日々。
一体いつまでこんな状況が続くのでしょう。

そんな中でも僕らにとって何より待ち遠しいのはジュリーのLIVE活動再開ですが、いましばらく辛抱の時間が続きそうですね・・・。

さて今日は、楽曲考察ではなく徒然私的な短い記事での更新です。
ザ・タイガースのアルバム『自由と憧れと友情』から、「海の広さを知った時」をお題に借りました。
メロディーやヴォーカルなどは穏やかなようでいて、妙に不安をかきたてられる(←そこが良い!と思っています) 構成とアレンジ、そして歌詞が印象的な、大好きな1曲です。よろしくおつき合いください。


唐突ですが、僕はいわゆる「鉄オタ」です。
と言っても一般的な愛好家の中では少数派のタイプで車両自体にはまったく興味は無く、「駅」と「路線図」に萌え対象が特化した、たぶん「妄想鉄」の類です。
ネットで駅舎の写真や路線図を見ながら、実際に訪ねたような妄想に浸るというね。

もちろん「乗り鉄」な資質もあるにはあって、電車の旅ならできるだけ鈍行に乗って停車駅を味わいたいですし、若い頃はそうやってローカル線のフラリひとり旅などしていたものです。
電車が普通に走っている間は本を読み、停車前後だけ駅や周辺の集落の風景を楽しむというのが基本スタイル(ですから停車駅が多ければ多いほどよい、ということになるわけです)。

今年はコロナ禍もありカミさんの実家に帰省もできず、電車の旅がまったくできていません。
本当に、早く収束して欲しい・・・。

そんな僕が「あてなき鈍行列車の旅」の雰囲気を妄想し味わえるロック・アルバムこそ、我らがザ・タイガースの『自由と憧れと友情』。
リアル体験世代の先輩方にとってこのアルバムは、解散報道直後のリリースということでそんなのんびりした気持ちでは聴けなかったのではないかと想像していますが、後追いの僕にはそんな壁も無く・・・1曲目「出発のほかに何がある」からラスト「誓いの明日」まで、「妄想鉄」の気分で1枚通して楽しめます。
その意味では『ヒューマン・ルネッサンス』に比するコンセプト・アルバムとして聴いている、とも言えましょう。

アルバム終盤に収録された「海の広さを知った時」には、旅(歌)の主人公にとっての「見知らぬ土地」の雰囲気が満ちていて、「駅」の風景も浮かんだりします。
ここでの「海」とは歌詞のストーリー的には広い広い太平洋、下手するともっとグローバルに大西洋とかインド洋だったりするのかもしれませんが、僕のような「妄想鉄」目線からしますと「オホーツク海か日本海であって欲しい」なぁ、と。
このアルバムには全体的になんとなく「冬」のイメージがあるんですよ。リリースも12月ですしね。

ここで、僕がよくお邪魔する『海の見える駅』というページをご紹介させて頂きます(こちら)。
紹介されている駅のほとんどが、故郷・鹿児島県を除き訪れたことのない土地で、「いつか行ってみたい」と思いながらも叶わないだろうと憧れを抱く中、僕が「海の広さを知った時」の舞台として指名したい駅が2つあります。

まずはオホーツク海で、北海道の「北浜駅」(釧網本線)。
なんと「流氷が見える駅」で、写真からは小林信彦さんの名作『合言葉はオヨヨ』( 僕がこれまで読んできた小説のベスト3に入ります)のラストシーンを連想させられます。
『網走番外地』等の映画ロケ地としても知られている駅のようで、ホームに降り立った瞬間、視界に飛び込んでくる海に圧倒されるのでしょうねぇ。

もうひとつは日本海、新潟県の「越後寒川駅」(羽越本線)。
新潟県と言っても位置的には北東、山形県との県境付近で、「寒川」(「かんがわ」と読みます)ってくらいですから寒さの厳しい土地なのでしょう。
こちらは島田荘司さんの社会派ミステリー野心作『火刑都市』に駅舎や集落の描写がありました。

いずれにしても「海の広さを知った時」に登場する「海」のフレーズが似合うのは、寒さの厳しい土地の駅から望むそれだと個人的には思っています。

海の広さを知ると いつか
Fm7  B♭7      E♭maj7

生きていく ことの
Fm7      B♭7  E♭

静かな 孤独をわかる ♪
   G7         Cm    A♭m

未知なる土地を訪れる旅はもちろんワクワクもしますが、その中で一抹の寂しさ、不安を感じるところもあり、それが逆に趣き深く心地良かったり。
だからこそ賑やかな観光施設など無い土地の駅の方が僕は好きなんですよね。

「海の広さを知った時」は、サブ・ドミナントだった筈のコードがいつの間にかトニックに転ずるなどの複雑な展開に美しいメロディーが載っていて、不思議な浮遊感があります。
豪華な大作にしようと思えばいくらでもできる強力な曲なのに、途中で投げ出したかのようなフェイドアウト・エンディングであっという間に終わる・・・これは「敢えて」ではないでしょうか。

この潔さに「見知らぬ土地に降り立つ時の漠然とした不安」を僕は見出し、とても惹かれるのです。

今はこんな時ですけど、何の気兼ねも心配もなく鈍行列車の旅を楽しめる日常が1日も早く戻ってくることをとにかく願うばかりです。


では次回更新は、毎年恒例『ジュリー祭り』記念日、12月3日の予定です。
『ジュリー祭り』セットリストはすべてお題記事を書き終えていますので、『過去記事懺悔・やり直し伝授!』のカテゴリーにて、「2度目」の考察記事を書くことになります。
お題はもう決めていますよ~。

それではまた来週!

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2020年11月18日 (水)

沢田研二 「夢を語れる相手がいれば」

from『TOKIO』、1979

Tokio

1. TOKIO
2. MITSUKO
3. ロンリー・ウルフ
4. KNOCK TURN
5. ミュータント
6. DEAR
7. コインに任せて
8. 捨てぜりふ
9. アムネジア
10. 夢を語れる相手がいれば
11. TOKIO(REPRISE)

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一週間続いたマンションの排水管更新立ち入り工事も今日が最終日。
在宅担当の僕は予定通り1日かけてブログの更新に充てることとなりました。

前回記事で、個人的妄想舞台『act#11 阿久悠』オープニング曲に「思いきり気障な人生」こそふさわしい、なんてことを書きましたが、今日はエンディング。
指名曲は「夢を語れる相手がいれば」です。
どうでしょう・・・ジュリーが阿久さんの作詞家人生をactで歌い演じるとしたら、これこそエンディングにぴったりだと思いませんか?

またしても妄想考察系の記事となりますが、今回もよろしくおつき合いください。


まず最初に、僕の考える『act#11 阿久悠』全演目20曲の阿久作品をご紹介しておきましょう。
(カッコ内は「作曲者/歌手」です)

1. 思いきり気障な人生
 (大野克夫/沢田研二)
2. 時の過ぎゆくままに
 (大野克夫/沢田研二)
3. 探偵~哀しきチェイサー
 (大野克夫/沢田研二)
4. アメリカン・バラエティー
 (大野克夫/沢田研二) 
5. ウォンテッド
 (都倉俊一/ピンク・レディー)
6. グッバイ・マリア
 (大野克夫/沢田研二)
7. 五番街のマリーへ
 (都倉俊一/ペドロ&カプリシャス)
8. ブルージンの子守歌
 (加藤和彦/萩原健一)
9. ナイフをとれよ
 (大野克夫/沢田研二)
10. マッハバロン
 (井上忠夫/すぎうらよしひろ)
11. 真赤なスカーフ
 (宮川泰/ささきいさお)
12. 愛よその日まで
 (布施明/布施明)
13. ヤマトより愛をこめて
 (大野克夫/沢田研二)
14. お前に惚れた
 (井上堯之/萩原健一)
15. 麗人
 (沢田研二/沢田研二)
16. 女神
 (佐藤隆/沢田研二)
17. 薔薇の門
 (大野克夫/沢田研二)
18. 吟遊詩人
 (大野克夫/沢田研二)
19. 十年ロマンス
 (沢田研二/ザ・タイガース)
20. 夢を語れる相手がいれば
 (大野克夫/沢田研二)

いかがでしょうか?
とにかく20曲に絞るだけでも大変な作業でした。泣く泣く外した曲がどれだけあったか・・・。
ご覧の通り、ジュリー・ナンバーについては超有名曲ももちろん外せないものは入れましたが、世間的にはあまり知られていないであろう「隠れた名曲」を多めにピックアップしてみました。

一方で他歌手が歌った阿久作品の「カバー曲」はメジャーどころを選びましたから、みなさまも一部を除きほぼご存知というセットリストになっていようかと思います。
例外は、昭和の特撮&アニメ番組から抜擢した「マッハバロン」「真赤なスカーフ」の2曲でしょうか。
酔狂で選んだわけではありません。阿久さんは、僕らの世代にとって原風景とも言えるこのジャンルにおいても「一線を超えた」素晴らしい詞を多く残されているのです(本当は「今日もどこかでデビルマン」(アニメ『デビルマン』エンディングテーマ)なども入れたかったのですが、さすがにキリが無いので2曲に抑えました)。
そんな阿久さんの名篇をジュリーが歌う、という妄想は本当に心躍ります。

「マッハバロン」は井上忠夫さんの作曲がT-レックスばりのグラム・ロックでマニアの間でも評価が高いのですが、突出しているのは何といっても阿久さんの歌詞。

悪の天才が 時に野心を抱き
世界征服を夢見た時に
君はどうする 君はどうするか 君は
蹂躪されて 黙っているか

超絶なる悪から見ると「世界征服」とは「夢見る」ものなのだという発想も戦慄ながら、小学生の子供達が観るヒーローもののテレビ番組主題歌に「蹂躪」なんて言葉を採用するセンスには驚くほか他ありません。

当時はたとえ大人であっても馴染みの薄いフレーズ。
その証拠に、「パチソン」(昭和文化のひとつで、テレビ番組の主題歌を各地の名も無いバンドが耳コピで演奏し録音したフェイク・レコードがスーパー等で格安で売られていた時代の記憶はみなさまお持ちなのではないでしょうか。
その独創的過ぎる「コピー」っぷり(笑)は「パチソン」なるジャンルで現代も様々な意味で高い評価を得ています)版の「マッハバロン」はアレンジばかりか歌詞も耳コピだったらしく、「蹂躪」の聞き取りができていません(マニアにはそこがウケているのですが)。

オリジナル版「マッハバロン」
パチソン版「マッハバロン」

阿久さんの奔放斬新なフレーズ使いが生んだ「歌詞違いパチソン」伝説の1曲にまつわる逸話です。

「真赤なスカーフ」の方は、女子でもアニメ『宇宙戦艦ヤマト』を観ていた人は多そうですから、このエンディングの名バラードもご存知のかたはいらっしゃるでしょうね。
上記セトリで「真赤なスカーフ」、布施さんの「愛よその日まで」、そしてジュリーの「ヤマトより愛をこめて」の3曲は、「ヤマト」繋がりのメドレー形式をイメージ。
(余談ながら、「探偵~哀しきチェイサー」から「ナイフをとれよ」までが、「阿久探偵」物語だったりします)

さて、「夢を語れる相手がいれば」。
僕はこの歌を、アルバム『思いきり気障な人生』収録の「ナイフをとれよ」の一人称・二人称を入れ替えた「返し歌」のように聴いているのです。
つまり「ナイフをとれよ」で、「女の愛に傷つけられ」て主人公の部屋に転がり込んできた親友の男「おまえ」が一晩中したたかに酔い、あくる朝に煙草の煙を残して去っていき、そのまま行方知れずとなった・・・そんな親友同士の久々の偶然の再会を人物視点を変えて描いた歌が「夢を語れる相手がいれば」というわけです。

三年前から 深酒はやめにした
E♭                Cm           Gm7

その朝 悲しい女の顔を見たから
      A♭    B♭  E♭  Cm    G7   B♭

だけど今夜は 君と出会えて
      A♭            E♭       C7

久々に飲もうかと 思っているよ ♪
   Fm7        B♭7    F7   B♭ E♭

「ナイフをとれよ」では主人公を歌い手のジュリー、酔い潰れた友人を阿久さん自身の分身として詞に託していたのが、「夢を語れる相手がいれば」では逆に主人公が阿久さんで、「君」(ジュリー)と行き会って久々に酒を酌み交わしている、それを歌手・ジュリーが歌い演じているという二重構図。

また、この曲を語る上で欠かせないと思うのが、当時現実の時代背景です。

70年代から80年代への移り変わりって、特に音楽においては独特なんだよなぁといつも思います。
ジュリーで言うとシングル「TOKIO」が80年代幕開けの曲として広く語られていますし、それは正しくその通り。でもアルバム『TOKIO』は79年にレコーディング、リリースされていて、『思いきり気障な人生』『今度は、華麗な宴にどうぞ。』『LOVE~愛とは不幸を怖れないこと』と続いた阿久=大野時代から大胆にコンセプト・チェンジ、音作りもテクノやニューウェーヴの影響を受けガラリと変わったという面はあるにせよ、どちらかと言えば「70年代締めくくりの1枚」として製作が始まったんじゃないかと思うんですよ。
お題の「夢を語れる相手がいれば」が阿久=大野作品の集大成的な詞曲ですし、何よりアルバムに大野さんだけでなく堯之さんや速水さん作曲のナンバーが収録されている点に注目したい・・・当初は、『JEWEL JULIE』のような「井上バンドとのアルバム」としてスタートしたんじゃないかなぁ、と。

ジュリーがアルバムから選んだファースト・シングルが大野さんの「ロンリー・ウルフ」だったというのもそんな経緯からかなぁと想像したりね。

しかし加瀬さんの「TOKIO」が糸井重里さんを作詞に迎え完成した時点で、このアルバムは時代を先取りした前衛的なコンセプトを宿命づけられました。そのくらいインパクトの強い楽曲が誕生したのです。
「TOKIO」をアルバム・オープニングとエンディングのリプライズに配する構成は、製作途中で切り替えられたアイデアだったんじゃないかなぁ。
まぁこれも僕の妄想ですけどね。

でも「TOKIO」の2ヴァージョンに挟まれたアルバム収録各曲の本質はあくまで「70年代」のジュリーであり、「夢を語れる相手がいれば」はそれを明快に表すバラードだと僕は考えます。

阿久さんについては、もちろん80年代に入っても幾多の名篇を手がけていますし、ジュリーとの絡みもすぐにザ・タイガース同窓会時に実現しています。
ただ当時のシングル・レコード情報歌本(『YOUNG SONG』『HEIBON SONG』)を見返すと、70年代までは阿久さんの作詞クレジットがこれでもか!と居並び歌謡界のド真ん中に君臨していたのが、作品数だけで言えば80年代に入ってまず松本隆さんにその座を譲っているという現実があります。
それをして「阿久悠=70年代歌謡曲の象徴」との見方はできるのかもしれません。

ジュリーはその直中で阿久さんと一緒に時代を作っていたわけで、阿久さんにとってジュリーが(作品を通して)「夢を語れる(矜持を託せる)相手」だったことは間違いないでしょう。
70年代の最後の最後に阿久さんがジュリーに提供した「夢を語れる相手がいれば」を、そんなふうに聴いてみるのもアリではないでしょうか。


それでは次回更新は、未執筆だったザ・タイガースのオリジナル・ナンバーを考えています。

今週は結構暖かい日が続いていますが、これからあっという間に冬らしくなるのでしょう。
みなさま、お身体どうぞご自愛ください。

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2020年11月13日 (金)

沢田研二 「思いきり気障な人生」

from『思いきり気障な人生』、1977

Omoikirikiza

1. 思いきり気障な人生
2. あなたに今夜はワインをふりかけ
3. 再会
4. さよならをいう気もない
5. ラム酒入りのオレンジ
6. 勝手にしやがれ
7. サムライ
8. ナイフをとれよ
9. 憎みきれないろくでなし
10. ママ......

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忙しい日々が続いていましたが、今日は1日たっぷり時間ができましたので更新します。

と言うのも実は住んでいるマンションの排水管更新工事がありまして、これがなかなか大がかりな工事で一週間かかるのです。
僕の部屋は5階で、そこから1階まで共用で縦に通っている管を各階で切断し取り替えるという。
洗面所の壁を豪快にブッ壊して大穴を開け粉塵を飛ばし爆音を響かせながら・・・いやはや作業の方々も大変です。で、工事の性質上作業者が部屋に1日立ち入ることになるわけで、必ず住人の誰かが在宅していなければならないんですね。
カミさんと分担でスケジュールを組み、僕は今日と来週水曜に有給をとって在宅担当。こうしてブログを書く時間ができたというわけ。
ついでに早々の予告しておきますと、次回更新はその来週水曜、18日の予定です(笑)。

さて今日は、前回に引き続いて「妄想考察」系の記事となります。
お題は77年リリースのアルバム・タイトルチューン「思いきり気障な人生」。
個人的には好きになるまで結構時間がかかった曲で、どのような「気づき」を経て好きになっていったか、後追いファンの僕が妄想含めてこの歌をどんなふうに聴いているのか、といった感じの記事になります。
今回もよろしくおつき合いください。


これまで何度も書いているように、僕には『ジュリー祭り』参加の数年前、勤務先で『ROYAL STRAIGHT FLUSH』3枚の再発試聴盤を聴いたことがきっかけとなった”第一次ジュリー堕ち期”というのがありまして、友人のYOKO君と競うようにして(20年の付き合いだったのに、彼がジュリーを好んで聴くことをそれまで知らなかったという)ポリドール時代の全オリジナル・アルバムを次々に購入していきました。

ただ、アルバム『思いきり気障な人生』を購入したのは本当に最後の方で、聴いてからもしばらくの間はアルバムとして高い評価はしていませんでした。
理由は単純、「既に知っている曲が多かった」から。

「あなたに今夜はワインをふりかけ」「さよならをいう気もない」「勝手にしやがれ」「サムライ」「憎みきれないろくでなし」・・・収録半数に及ぶこれら5曲は(ヴァージョン違いが2曲あるとはいえ)、『ROYAL STRAIGHT FLUSH』との重複があります。
未知の名曲を体感するスリリングな感覚が薄かったというわけですね。
「ナイフをとれよ」「ママ…」の2曲を熱烈に好きになったものの、アルバム1枚通して聴く回数は少なく、他曲への評価が遅れてしまいました。

今では詞曲アレンジとも大好きになっている今日のお題「思いきり気障な人生」の場合は、当初阿久さんの歌詞に抵抗がありました。
「抽象的過ぎて、何が言いたいのかよく分からないなぁ・・・」と(恥)。
YOKO君の方は
「出たなッ、阿久さんの「虫」シリーズ!」
とか言って最初から大喜び(「雨だれの挽歌」「バタフライ革命」と合わせ、僕らの間では「虫・三部作」と呼ばれています笑)だったんですけどね。僕はどうも馴染めなかったんです。

あなたは 気障を悪いというけれど
      Dm              C           F

心に気障をなくしちゃつら過ぎる ♪
  Gm         E7               A7

僕の鈍い感性では、ジュリー・ヴォーカルをもってしてもこの詞が胸に伝わってこない・・・。

それが一転「そうか!」と腑に落ち劇的にこの詞が好きになったのは、割と最近のこと。
きっかけは、年長のタイガースファンの友人・YOUさんがジュリーのコピー・バンドを組んでLIVEを開催、セットリストの採譜をお手伝いした際、洋楽カバー曲「絆」と真剣に向き合ったことでした。

「絆」はその時のYOUさんのLIVEのメイン・コンセプトになっていて、ステージ全体にストーリー性を持たせるにふさわしい楽曲でした。
豪快なアレンジ、何よりジュリーのあの凄まじいヴォーカルです(それをコピーし自ら歌おうというYOUさんのチャレンジ魂にも大いにビビリましたが)。
で、採譜をしながら
「ジュリーのこの歌い方は・・・何か似た感じの曲がオリジナルのレコーディング音源にあったはず」
と思い、行き着いたのが「思いきり気障な人生」でした。

では、「好きになって以後」の個人的な解釈・・・まず大野さんの作曲から見ていきましょう。

みなさん、「思いきり気障な人生」のサビって何処だと思います?
この頃の阿久=大野作品は「詞先」の作業だったそうで、『今度は、華麗な宴にどうぞ。』『LOVE~愛とは不幸を怖れないこと』含め、アルバムの中に必ず1、2曲は「こりゃあ強引だ~」と思えるほど阿久さんの詞に寄せきった音符割り、譜割りの曲(←それがまた良いのです)があります。
頭を一度マッサラにして「思いきり気障な人生」の歌詞カードだけ読むと、メロディーをつける際にどの箇所をサビに配置し作曲すればよいのか僕レベルでは本当に分からないところ、プロフェッショナル・大野さんがどう料理したのかと言うと

阿久さんが詞を書いていない部分に他ヴァースから言葉を借りてきてサビにしてしまう!

という驚嘆の手法をブッ込んでいるんですね。
具体的には1番が2’38”あたり、2番が5’32”あたりから展開する、本来であれば楽器伴奏部とコーラスのみのヴァース(歌詞カードには「アアア・・・アアア・・・」と記されているトコね)。
そこに

いやだよ そんな面白くもない ♪

の歌詞部を借り、リフレインとして配しています(「Dm→C7→Dm」に載せているので、阿久さんの同フレーズ歌詞部とはコード進行は異なります)。
1番、2番とも同じようにメロディーが載っている点から、これがレコーディング時のジュリーのアドリブでないことは確実。
大野さんが「ここで、こう歌って!」と作曲段階で用意していた「サビ」というわけで、そのジュリーの歌い方が「絆」っぽいと僕には聴こえ、もしかすると大野さんから「『絆』みたいな感じで歌って欲しい」とサジェスチョンがあったのでは、とすら考えます。

ジュリーのアルバム丸ごと1枚、阿久さんとのコンビですべての収録曲の作曲を担うは大野さんのキャリアで初の挑戦でした。
大野さんは気合を入れてアルバム・トータル・コンセプトまで練って取り組んだに違いなく、「絆」たった1曲で壮大なドラマを表現し得るジュリー(バックで演奏していても「おおっ!」と戦慄したでしょう)の資質とキャリアを買って、「ドラマ性」をアルバム・コンセプトとし、そのプロローグとしてふさわしいメロディーを1曲目「思いきり気障な人生」を以ってジュリー・ヴォーカルに託したのではないでしょうか。

「歌で演じる」ジュリーの天賦の才。
改めてその特性を考えると、あまりに阿久さんの主張が強過ぎるように感じていた「思いきり気障な人生」の歌詞も、聴こえ方はまったく違ってきます。
「気障をなくしちゃつら過ぎる♪」は実質阿久さんの矜持で、それをジュリーが演じている、と。

これは、10代だった僕が無知故に「きめてやる今夜」の歌詞に引っかかりを感じ好きになれずにいたのが、本格ジュリー堕ち後に「あれは元々ジュリーが裕也さんのために作った詞だったのだ」と知ってガラリと印象が変わり大好きになった、そんな経緯と似ています。

そして、「思いきり気障な人生」のドラマ性から転じた僕の妄想はさらに暴走するのです。
あり得ない話だけど、長い年月を経て今もし『act』シリーズの11作目が復活実現し、それがズバリ『阿久悠』だったとしたら、オープニング曲は「思いきり気障な人生」で決まり!ではないかと。

僕はもう次の更新記事を練っています。
そこでは、妄想版『act-11 阿久悠』演目全20曲も紹介させて頂くつもりです(笑)。

あまりにも有名な曲が多い阿久作品ですが、どのみち妄想ですからジュリー・ナンバーについては完全に個人趣味に走って、世間的にはマイナーな曲が中心。
さらに「actらしさ」も考えジュリー以外の歌手が歌った阿久作品のカバーもいくつか入れてます。

オープニングは「思いきり気障な人生」。
ではエンディングは?
それが次回のお題です。

ひとまず今年の『秋の妄想考察シリーズ』(←シリーズだったんかい!)の締めくくりとなる次回更新。
さぁ、僕の考える『act-11 阿久悠』のエンディングはどの曲でしょうか?
全ジュリーファン投票で多数決をとったら「ヤマトより愛をこめて」あたりが支持を集めると思いますが、僕は敢えてマイナー曲で攻めますよ~。

よろしければコメントにて、みなさまの考えるエンディング曲も教えてくださいね。

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2020年11月 3日 (火)

沢田研二 「New York Chic Connection」

『JULIE SINGLE COLLECTION BOX~Polydor Years』収録

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disc-42

Wataridori

1. 渡り鳥 はぐれ鳥
2. New York Chic Connection

(『JULIE SINGLE COLLECTION BOX~Polydor Years』全収録曲リストは、「恋から愛へ」の前回記事をご参照ください)

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”『JULIE SINGLE COLLECTION BOX~Polydor Years』再発売・熱烈推奨”のテーマでもう1曲、この機に書いておきたいと思います。

お題はシングル『渡り鳥 はぐれ鳥』のB面「New York Chic Connection」。「ロック」に特化したジュリーが好きなファンから支持の高い1曲のようですね。
今日は妄想考察系の記事となりますが、よろしくおつき合いください。


長いジュリーファンの先輩方なら、特にセールス全盛のポリドール期のシングルについて
「もしB面曲の方がA面だったら?」
と想像してみたことがあるのではないですか?

「あなたに今夜はワインをふりかけ」のような特殊な例を除き、「ファン以外にはまったく知られていないB面曲」がシングルA面として多くの人々の記憶に残っている」という架空の歴史を妄想。
実際のA面曲の実績を凌ぐヒットになっていたかもしれない、曲が違うわけですから当然衣装のコンセプトも違ってくる、この曲ならこういう衣装で、ベストテンは最高何位で・・・と、楽しい想像をかきたてられます。

その点で考える僕の個人的イチ推しは「お前のハートは札つきだ」ですかね~。
『Rock'n Tour '79』のLIVE音源なんか聴いてるとジュリーのハジケっぷりが伝わりますし、詞曲アレンジ演奏、何もかもあの時代ジャストのシングル・ヒットにふさわしい名曲たりえたんじゃないかな?

逆に、「これはB面だからイイんだよな」と思える曲もありますね。
大ヒットしたA面の裏側に隠れた大名曲。一般的には知られていなくても、ジュリーファンである自分はこの名曲を知っている、大切な宝物のように思っている・・・そんな状況自体が愛おしいという。
例えば「青い恋人たち」なんてどうでしょう?
A面が「危険なふたり」であることは揺るぎない、それでももしかしたらA面よりB面の方が好きかも、と1人胸をキュンキュンさせている。そんなスタンスの名曲。

で、今日のお題「New York Chic Connection」。
僕にとってはそのいずれのパターンにも当て嵌まるシングルB面曲なのです。
以下、色々と問題提起じみたことも書きますが、前提として僕はA面「渡り鳥 はぐれ鳥」、B面「New York Chic Connection」いずれも大好きな曲で、今回記事はその上での個人的妄想ということで誤解なきよう、よろしくお願い申し上げます。

「New York Chic Connection」は、楽曲の仕上がりを俯瞰するとまだまだ発展途上要素もあって、その意味では「いかにもB面曲」との印象です。
アレンジや演奏には、それまでのジュリー・ナンバーで徹底されていた時代先取り要素は無く、初期ニュー・ロマンティックの後追い感は否めません。もちろんエキゾティクスの腕前あればこそ出来ることなんですけど。

またこの曲は大沢誉志幸さんが作詞・作曲を一手に担っています。
大沢さんはソロ・キャリアでも自身の作詞作品は少なく、どちらかと言うと作曲特化型のソングライターで、「New York Chic Connection」の作詞については語感追及。
例えば「~tion」の英単語で語尾を揃える手法にしても、さえきけんぞうさんや佐野元春さんのような全体のストーリー性から意味を持たせ演繹法で編み出された単語並びではなく、思いついたまま列挙している感じです。

New York Chic Imagination
F            D♭            C

New York Chic Temptation
F            D♭            C

New York Chic Connection ♪
D♭ E♭             F

いや、カッコイイんですよ。
でも
「これほどスリリングなメロディーに、この手法は勿体ないなぁ」
・・・と、これはジュリーファン堕ち間もないヒヨッコ時代だった僕の、正直かつ浅はかな感想。

84年のこの時期にあの大沢さんの作曲作品をリリースするからには、「New York Chic Connection」が企画段階ではバリバリの「A面候補」だったと考えるのは自然ですし、当初大沢さんのこの曲には作詞家さん(時期的には三浦徳子さんとか大津あきらさんとか)のまったく違う詞が載る予定だったのではないでしょうか。
大沢さんの詞はあくまでプリプロ用だった、というのが僕の推測(妄想)です。

ゴキゲンな曲を手にしたジュリーとスタッフが、さぁどういう風に仕上げてやろうか・・・とそんな時、もうひとつのA面候補曲「渡り鳥 はぐれ鳥」に、「せっかくスペクトラムの新田一郎さんの歌なんだから、エキゾに加えてホーン・セクションを従えたステージングはどうだ?」との案が持ち上がる・・・「うん、これは行けるぞ。ド派手なジュリー復活にふさわしい!」

かくして「New York Chic Connection」はB面扱いへ。
「時間も無いし、大沢さんのプリプロの詞がなかなか雰囲気良いし、そのまま使っちゃえ。演奏はとりあえず今流行りのパターン踏襲で」
(いや、繰り返しますが全部妄想話ですよ汗)

しかし、ここで僕は言いたい(どん!と机を叩く)。
「ホーン・セクションを従えたド派手はステージング」シングル・ヒット展開案を「New York Chic Connection」でも試してみよう、と切り出す人は誰かいなかったのか!と。

絶対嵌る、と思うんです。
キーも金管と相性の良いF(ヘ長調)ですしね。

もともと曲自体がメチャクチャにカッコ良いし、後の「muda」のような圧倒的なブラス・パワー・ポップに化けていた可能性充分です。

詞の方は専門の作詞家さんが大沢さんのフレーズを生かす形で手を入れ、ニューヨークの雑踏をしたたかに生きるバイセクシャルな男のストーリー性を持たせます。
新田さんに土下座してA面B面をひっくり返し、「New York Chic Connection」は当時のセールス苦戦を取り戻して余りある爆発的な大ヒットに。
さらに、ジュリーの独立話も吹き飛ぶ!

あり得た・・・かもしれないジュリー史の妄想ですがいかがでしょうか。

そうなっていたら当然アルバム『NON POLICY』にはこちらが収録されていたでしょう。
曲順も変わって、ふさわしいのはB面1曲目(CD6曲目)。「シルクの夜」をアルバム大トリにシフト、というのはどうでしょう?
ひいては、ネームバリュー抜群の新田さんが作曲した「渡り鳥 はぐれ鳥」が何とシングルでしか聴けないB面曲という凄まじく贅沢なリリースとなっていたわけで、これはもう歴史的1枚です。

とは言え、現実にはひっそりとB面曲に留まる仕上がりとなった「New York Chic Connection」もそれはそれで素晴らしい。
一般には知られていなくとも、ファンだからこそ大切に聴きたい1曲。
やっぱり「歴史通り」が一番しっくりくる楽しみ方なのかな、とも思います。

新しいジュリーファンの方がもしこの記事を読んでくださり、未知の名曲「New York Chic Connection」に興味が沸いてきましたら・・・是非『JULIE SINGLE COLLECTION BOX~Polydor Years』ご購入を。
前回記事に引き続き、熱烈推奨いたします!

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