沢田研二 「エディットへ」
from『act#6 EDITH PIAF』、1994
1. 変わらぬ愛 ~恋人たち~
2. バラ色の人生
3. 私の兵隊さん
4. PADAM PADAM
5. 大騒ぎだね エディット
6. 王様の牢屋
7. 群衆
8. 詩人の魂
9. 青くさい春
10. MON DIEU ~私の神様~
11. 想い出の恋人たち
12. 私は後悔しない ~水に流して~
13. パリは踊る 歌う
14. エディットへ
15. 愛の讃歌
16. 世界は廻る
17. すべてが愛のために
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今年もやってきました。6月25日。
今日は全国各地でジュリーファンからのお祝いの言葉が飛び交っていることでしょう。
もちろん、ここでも叫ばせて頂きます。
ジュリー、72歳のお誕生日おめでとうございます!
↑ 毎年恒例、「ありがとう」と言ってそうな若ジュリーのショット
今年のジュリー誕生月を『ACT月間』とした時から、今日のお題はこの曲!と決めていました。
すべてのACTナンバーの中、現時点で僕が最も好きな歌。『EDITH PIAF』から「エディットへ」です。
ジュリー自作(作詞・作曲)のこの名曲の更新で、ジュリー72歳の誕生日をお祝いしたいと思います!
「曲」と言うより「歌」と言いたくなるバラードです。
ACTの映像を未だ観ていない僕は、「エディットへ」がどのようなシーンで歌われていたのか分かりません。あくまで『CD大全集』の音源のみで感じとった詞の内容は、(ステージ上の)リアルな現実時間からピアフの時代へと遡るようにメッセージを届ける、というもの。
レクイエムのようにも感じるし、ラブレターのようでもあります。実際の舞台はそういうシーンではないのかもしれませんが、ジュリー自身がピアフに捧げた強い思い、リスペクトがひしひしと伝わってくる詞で、ジュリーがこれほどピアフへの敬愛の念を持っていたことを、僕はこの歌で初めて知りました。
まして僕は恥ずかしながらそれまでエディット・ピアフのいう有名な歌手の生い立ちや人生、どのような人であったかなどをほとんど知らずにいて、まずジュリーの「エディットへ」を聴くことで彼女の偉大さを知った、と言っても過言ではありません。
その後勤務先のシャンソン関連スコアに添えられた解説を読んだり、You Tube等でピアフが歌う映像を見たりした時、「ジュリーの歌の通りの歌手だったんだなぁ」と思ったものでした。
全然違うようでもあり、とても似ているようでもあるジュリーとピアフ。
ただ、「エディットへ」の歌詞中の「愛」はそのまま「歌」と置き換えることができ、それは近年のジュリーの創作姿勢と重なるところが多々ある、とは思っています。
最近の2年、ジュリーは新譜マキシシングルを柴山さんの作曲作品と自作曲の2曲入りという形(作詞はすべてジュリー)でリリースしていて、自身で作曲を担った昨年の「SHOUT!」、今年の「頑張んべえよ」はいずれも自らの歌人生をテーマとした詞が載っています。
凝った進行ではなく、ロックのスリー・コードを基本軸としヴォーカル・インパクトを重視した作曲。
血肉を伝えるようなメロディーが特徴的で、これは「エディットへ」と非常に近い作曲手法です。叙情的なメロディーなのにマイナー・コードへ移行しない、或いはリズムを分解すると8分の12のロッカ・バラードであることが分かるなど、「エディットへ」でジュリーは真っ直ぐに「ロック」なベクトルに立っているのです。
ピアフのことを歌うからといって無理にシャンソンに寄せたりしなかったことが、逆に説得力をもってピアフへのリスペクトを表現し得たのではないでしょうか。
cobaさんのアレンジももちろん、ジュリーの作曲の素晴らしさに応えています。
『EDITH PIAF』でのcobaさんのアレンジはACTシリーズの中では抜きん出て複雑な変化球ですが(「王様の牢屋」を『BORIS VIAN』ヴァージョンと比較するとよく分かります)、「エディットへ」は最もドラマティックかつ俯瞰的でもあると思います。
例えば、オーソドックスにサブ・ドミナントやドミナントへコードが展開しても、ルートだけはトニック音をじっと持続させる手法。
僕は最初、Aメロ2つ目のコードを「Fsus4」でとってストロークでコピーしていましたが、響きが微妙に違う・・・。
そこで指弾きのアルペジオに切り替え、「B♭onF」に辿り着きました。
ジュリー作曲時点では普通に「B♭」だったに違いなく、近年の自作曲2作と共通する、武骨でシンプルな曲作りであることを逆算的に理解できたのです。
他にも、間奏部から緊張感のあるスネアが噛んできたり、最後のサビのリフレインで徐々にアコーディオンの刻みが増え最終的にはスネアとユニゾンするなど細かい部分での素晴らしさもありつつ、僕が曲中で最も大きなインパクトを感じたのはイントロ、間奏、後奏に登場する歌メロには無い進行部でした。
「女声コーラスのパート」と言った方が分かり易いでしょうか。歌メロとは別の独立したヴァース、つまりここでのコーラスはピアフの歌声を模していて、ジュリーのヴォーカル部とは「過去」と「現在」で時間が分かれている・・・そこまで計算されたアレンジなのかな、と。
そして、別時間故にイントロと間奏では重なることのなかった女声コーラスとジュリーの歌が最後の最後、サビの着地点でクロスするという、ここは本当に鳥肌ものです。ジュリーの時代とピアフの時代が歌の力で奇跡のように「共にある」瞬間ですね。
そんなアレンジに象徴されるように、「エディットへ」でのジュリーの詞にはピアフへのリスペクトのみならず、ジュリー自身が一流の歌手だからこそ持てるであろう「共感」を、僕ら聴き手は探らずにはいられません。
特に強烈なのは以下の歌詞部。
エディット 今の時代に
F B♭(onF)
生まれて いたら
C(onF) F
窮屈で 厄介で 息もできない
B♭(onF) F G7 C7sus4 C7
愛は 見世物にされ
F B♭(onF)
自由に ならぬ
C(onF) F
あなたなら それでも やめない 愛を ♪
B♭(onF) F G7 C7
「あなた(ピアフ)の時代」と「自分(ジュリー)の時代」。ジュリーが作詞をした「今の時代」とはひとまず『EDITH PIAF』公演のあった1994年と考えるとして、どうやら僕らはその後さらに窮屈で厄介な世の中へと流され続けているように思います。
現在2020年、ジュリーのこの詞が一層身につまされる。
先述の通り僕は「エディットへ」歌詞中の「愛」はすべて「歌」に置き換えることができると考えています。
すなわち窮屈で厄介な時代において今なお「歌は見世物にされ」ていると。そんな世に生まれていたとしてもあなたなら歌をやめないだろう、と94年のジュリーはピアフに向けて歌いました。これは正に、今現在のジュリーの覚悟そのものではないですか!
歌が「自由にならぬ」時代に徹底気的に「自由」を志す姿勢然り。だから僕は今回「エディットへ」のお題を、ジュリーが自らの歌人生をテーマとし作詞・作曲した「SHOUT!」「頑張んべぇよ」と並べて考えてみたくなったのです。
与え、裏切られ、それでも許し・・・40代にしてそんなふうにピアフの歌人生を表現できたジュリー。
自らゆく道もピアフに劣らず凄いです。
エディット・ピアフは言うまでもなく有名な歌手で、全世界に彼女のファンが数えきれないほどいらっしゃるでしょう。その中でどれくらいの人達が、ジュリーのACT『EDITH PIAF』を知っているでしょうか。ジュリーがピアフに捧げ作詞・作曲した「エディットへ」という真に愛の歌を知っているでしょうか。
少しでも多くのピアフのファンにこの歌を知って欲しい、と思っています。
ということで、4曲分と少ない曲数でしたが今年のジュリー誕生月の『ACT月間』はこれにて終了。
そして今後の予定ですが、7月4日にタイガース・ナンバーのお題で1本書いた後、すみませんが(ブログ更新の)夏休みを頂きます。
仕事では8月が本決算(コロナ禍に見舞われた今季は、当然ながら大変厳しい数字と向き合うことになりましょう)。加えてプライヴェートにおいて今年は猛烈に忙しい夏になりそうです。
秋からまた再始動いたします。とりあえずは来週、タイガースの記事でお会いしましょう。
今年はこれから厳しい暑さがやって来るようです。
みなさま体調にはくれぐれもお気をつけください。
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