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2020年5月 6日 (水)

沢田研二 「夕顔 はかないひと」

from『女たちよ』、1983

Onnatatiyo

1. 藤いろの恋
2. 夕顔 はかないひと
3. おぼろ月夜だった
4. さすらって
5. 愛の旅人
6. エピソード
7. 水をへだてて
8. 二つの夜
9. ただよう小舟
10. 物語の終わりの朝は

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みなさま、大型連休自宅引きこもりお疲れさまです。
また、やむを得ずお仕事などに出かけたかたもいらっしゃるかもしれません。心中お察しいたします。


やはりと言うか緊急事態宣言は延長となりました。本当なら今年の5月は楽しいLIVEの月となるはずでしたが、この状況では中止も致し方ありません。
引き続き『自宅でジュリーの歌を聴こう!月間』ということで、今日は「ジュリーの声それ自体に癒される」パターンの、元気の出るジュリー・ナンバー。採り上げるのはアルバム『女たちよ』から「夕顔 はかないひと」です。どうぞよろしくおつき合いください。


『女たちよ』は個人的には大好きな名盤で、前回採り上げた『架空のオペラ』にも勝る妖美、妖艶、屈指のヴォーカル・アルバムと思っています。
ところがこれはファンの間でも好みが分かれるらしく、「ちょっと苦手」と仰る先輩も多くいらっしゃいます。
おそらく音作りの評価だと思います。「やり過ぎ」とも言えるアレンジとプログラミングは、これまで「キャッチー」のド真ん中を駆けてきたジュリーとすれば確かに異色で、難解と言えます。
これまで何度か書いているように、僕は昔からどんなバンド、アーティストであっても「やり過ぎたコンセプト・アルバム」に惹かれる傾向があり、ジュリーのアルバムで言うと『LOVE ~愛とは不幸をおそれないこと』と、この『女たちよ』がその双璧でしょう。
ただ、大村雅朗さんのアレンジ、松武秀樹さんのプログラミングについて掘り下げるとなると、収録曲では「愛の旅人」か「二つの夜」が適材。今日は「夕顔 はかないひと」がお題ですのでその点はひとまず置き、作詞の高橋睦郎さん、作曲の筒美京平さんという究極のプロフェッショナルそれぞれが『女たちよ』制作に向けた「動機」を探り、僕がこのアルバムに惹かれる個人的な側面も加えて楽曲考察をしてゆきたいと思います。

まず僕の場合『女なちよ』は、「故郷」(鹿児島です)を懐かしむ気持ちと直結します。
このアルバムを聴くと、高校時代の恩師である末増省吾先生が当時大変な熱意を以って『源氏物語』を教えてくださったことを思い出すからです。

末増先生は僕の母校・国分高等学校をはじめ県内の学校で長きに渡り教鞭をとられましたから、もう僕のことなど覚えていらっしゃらないでしょう。直接のクラス担任でもなく、僕が一方的に慕っていた感じでしたし。
ただ、高校生時代の僕に僅かでも文才というものがあったとすれば(今はもうハッキリ駄目ですが)、それを最初に認めてくださったのは末増先生です(高校1年生の夏休み、「芥川龍之介『羅生門』の続きの話を書いてこい」という破天荒な課題に燃え、指定原稿枚数を大幅に超える大作を提出したら気に入ってくださった)。
先生は俳句・短歌についても並々ならぬ熱意をお持ちで、脇本星浪先生に師事され自らも多くの歌を詠まれました。先生から教わった「歌の極意」は凡庸たる身の僕にはなかなか難しく会得とはなりませんでしたが、僕が今でも毎年カミさんの誕生日には物ではなく歌を詠んでプレゼントとする、というイタイ趣向を続けているのは間違いなく先生の影響でしょう。

しかし末増先生と言えば何を置いても『源氏物語』でした。なにせ先生の3人の娘さんのお名前が、「あおい」さん、「むらさき」さん、「ゆうがお」さんと仰るのですから。
今でこそ「キラキラネーム」と言うんですか、かなりユニークな名前も流行っているようですが、これ昭和の話ですからね。『源氏物語』への相当な思い入れなくしてあり得ないことです。

その『源氏物語』に目を向けつつ、今日お題の「夕顔 はかないひと」を聴いていきましょう。
作中登場する女性の中でも「夕顔」は特にミステリアス、かつ悲劇の運命を辿ります。何より源氏との逢瀬は、最後まで互いの素性を明かさぬままです。

Don't きみの名は Don't 尋ねなかった
A♭          B♭      A♭         B♭         

Don't ぼくの名は Don't 教えなかった
A♭         B♭       A♭         B♭

名前など 要らなかった ♪ 
D♭          A♭         E♭

「夕暮れどきの顔」転じて「夕顔」と呼ぶ。
高橋睦郎さんが『女たちよ』に寄せた詞の中、「夕顔 はかないひと」は最も直接的、具体的に「帖」のあらすじをなぞっていると言え、「名を知らぬ人の名を連呼する」という手法で源氏の非可逆的な苦悩を描きます。
いかにも高橋さんの筆の乗りが伝わる名篇です。

福岡の先輩から授かった83年11月7日放送の『音楽夜話』のラジオ音源で、パーソナリティーの小室等さんがさかんに「あの高橋睦郎さんがこうした歌の詞を書くとは!」と、全篇の作詞が高橋さんというアルバム『女たちよ』のクレジットに驚いていました。
(その時点で小室さん自身は高橋さんから「三途川ロック」という詞を送られていたことがあったそうですが、それは「色っぽいというのとは違った」と、ジュリーの『女たちよ』が羨ましげでもありました)

小室さんの驚きに少し照れたような感じでジュリーが話したところによると、高橋さんは
「沢田研二がこれ(『源氏物語』を歌うこと)をやらないといけない!と言って、ドンドコドンドコ詞もストーリーも書いていってくれた」
のだそうです。
『源氏物語』自体へのリクペクトもさることながら、高橋さんを突き動かしたのはそれを「ジュリーの創作」とするコンセプトへの献身であり情熱だったようですね。

そう、高橋さんは生粋のジュリーファンなのです。
証明する資料がこちら。
ジュリー道の師匠格の先輩が長年大切に保管されていたものを以前お借りしてスキャンしたものです。

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何と高橋さん、1968年(6月号)の時点でこうして横尾さんとタッグを組み、ザ・タイガースのジュリーへの熱烈な想いを吐露されていたのです。
しかも掲載雑誌は『話の特集』。
この雑誌の特色をご存知の方ならば、68年にこんな記事があったというだけでもビックリでしょう。

そんな高橋さんの『女たちよ』への動機が『源氏物語』を歌い演じるジュリーへの熱い炎情だとしたら、逆に冷徹な氷のような職人技で貢献しているのが筒美京平さんの作曲。
歌謡界稀代のヒット・メイカーが「ヒット性の使命」すらとるに足らぬことと思われるほどのコンセプト。高橋さんが「ドンドコドンドコ書いた」言葉に命を吹き込みジュリーへの橋渡しを担うという、これは真のプロフェッショナルにしか為し得ない作業です。
先述の『音楽夜話』放送回でジュリーも
「(作詞・高橋睦郎さん+作曲・筒美京平さんのコンビは)凄い顔合わせでしょ?」
と語っていました。

豊穣のキャリアを誇る筒美さんと言えど、『女たちよ』10篇の作曲はかなり特殊な試みだったはず。
それだけに83年の同時期、筒美さんは他にどんなお仕事をされていたのか気になって調べてみました。
こういう時に頼りになるのが、所有の『筒美京平/HIT STORY』(CD8枚組!)。楽曲解説のライナーも充実しているのです。
すると、最も『女たちよ』製作と時期的に近い筒美さんのヒット曲は、森進一さんの名曲「モロッコ」でした。

Img726 
Img727 
(筒美さんだけでなく、上原裕さんも『女たちよ』と並行参加!)

なるほど!という感じです。
これもジュリーがラジオで語っているのですが、『女たちよ』は高橋さんの詞が当然「和」のテイストであるのに対し、筒美さんの曲はヨーロピアン・テイストなのだ、と。
加えて、まずハッキリした詞のテーマを受けての曲作り、という点も『女たちよ』と「モロッコ」の共通点。
やはり偉大な作曲家には、歴史的な「流れ」が宿命づけられるものなのでしょうか。

70年代からずっと、毎年のように必ず複数のヒット曲を世に送り続けていた筒美さんが、油の乗りきった83年という時期に『女たちよ』のようなアルバム全作曲を担っていたことは、一般的にはあまりに知られていません。
ジュリーファンでなくとも、筒美さんのファンの方々にも是非聴いて頂きたい名盤です。

一方で、このアルバムがあまり好みでないと仰るジュリーファンのみなさまには、逆に高橋さんや筒美さんの名前にこだわらず、いっそ『源氏物語』のことも頭から離し、ひたすらジュリーの声を追うようにして聴き直して頂きたいなぁと思います。
コンセプトを考えるのは、歌が好きになってからの方が良い・・・これはそういうアルバムです。
実は僕自身、そうだったんですけどね。
初聴一発で好きになる、というタイプの名盤ではないだけに、リリースからウン十年経っていきなり虜になるパターンもあり得ますよ!


さて。
今日はジュリーの名曲にあやかって、冒頭に故郷・鹿児島への想いを少しばかり書きました。
故郷は遠くにありて想うのがよい、と言いますが・・・その気になればひょいと帰省できる「平時」でそう思うのと、今のように大型連休の帰省自粛という「緊急時」で思うのとではずいぶん違うものです。

実は去る3月、故郷で独り暮らしをしている父親に重大な病が発覚しました。手術もして幸い経過は良いのですが、そんな状況でも関東に出てきている息子兄弟3人、誰もこの連休帰省できずに終わったのです。
「当たり前」な日常が本当は当たり前などでなく、代わりの効かない大切な時間であることを痛感させられた今年のゴールデン・ウィークでもありました・・・。


それでは、僕のゴールデン・ウィークは今日で終わります。明日からはひとまず木・金曜日と2日出社します。
週末までは連休継続、というかたも多いのかな。
いずれにしてもまだまだ厳しい状況が続きそうですが、お互いもうひと踏ん張りと行きましょう。

「元気の出るジュリー・ナンバー」、次回からはまたビート系に戻りたいと思います。
お題はまだ決めていません。明日明後日の通勤用に、朝どのアルバムを手に取るか、ですね。
週末くらいにお会いしましょう!(たぶん)

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瀬戸口雅資のジュリー一撃伝授!」カテゴリの記事

コメント

DY様 こんばんは。

この頃の身分の高い人、特に女性は、「誰々に何番目の娘」とか「誰それの妻」とかで名前がないのか、と昔は思っていたのですが、この時代本当の名前を知られるのは相手の支配を受け入れることを意味していてタブーだったという説があるようです。
名前は与えられてすぐに「隠し名」として秘匿されたとか。親以外で知っていいのは夫だけ。
「夕顔」はその時はまだ行きずりの段階で、
また会うときの確認のためのIDみたいなものかも(笑)
あ、「紫の上」も「朧月夜」も「花散里」も同じですね。他の人のいる場所では本名で呼ぶわけにいかないのでそれが通名になったんでしょうか。う~ん、寝物語のみで囁かれていたであろう皆さんの本名が知りたい。
すみません。話がずれました。
「話の特集」見た覚えがあります。買った覚えは無いんだけど。

投稿: nekomodoki | 2020年5月 8日 (金) 18時43分

nekomodoki様

ありがとうございます!

本当の名を知られることは相手の支配を受け入れること・・・なるほどそんな説もあるのですか。

「夕顔 はかないひと」の場合は、高橋さんが何度も何度も「夕顔」という仮の名を連呼させているところに特別さを感じます。
続く「おぼろ月夜だった」と比べると、原作での「夕顔」「朧月夜」のキャラクターの違いがそのまま見えるようで、面白い繋がりになっていますよね。

以前お勧め頂いた『あさきゆめみし』はまだ読めていません・・・いずれにしても僕には『源氏物語』完全再読の必要がありそうです~。

投稿: DYNAMITE | 2020年5月10日 (日) 09時23分

ダイナマイト様 こんにちは

キネマの神様への代役出演ニュースを聞き、驚きと納得と嬉しさが入れ混じっています。コンサート全公演中止の背景には、志村けんさんへの熱い思いがあり、奇跡のようなまさかのオファーに即答された気がします。そしてジュリーのコメントの「覚悟」に胸が熱くなりました。

さてお題曲ですが、源氏物語を全く知らないので詞の内容もわかりません。なかなか興味が持てないのが悩ましいところです。ただ曲に関しては、巨匠筒美京平ということで聞き入っていました。
実は、筒美作品で好きな曲が2曲あります。郷ひろみ「真夜中のヒーロー」1977年、kyon2(小泉今日子)「ヤマトナデシコ七変化」12インチ(1984年)です。抑揚を抑えた怪しげなメロディーの真夜中のヒーローと和風テイストのヤマトナデシコ七変化が筒美作品の路線で、ジュリーの「女たちよ」と繋がって聴こえます。そんな所から私は興味をもってアルバムを聞くことができます。

投稿: BAT | 2020年5月16日 (土) 09時18分

BAT様

ありがとうございます!

いやぁ驚きましたね。
ヤフーニュースのトップでジュリーの最新情報を知る、というのは新鮮でしたし、何より内容が素敵な情報でしたから。朝からテンションが上がりました。
僕は「志村さんの魂を抱きしめ」というコメントもとてもジュリーらしく感じて、グッときました。
志村さん、喜んでくださっているとよいですね・・・。

小泉さんの「ヤマトナデシコ七変化」は、筒美さん流ディスコ・サウンドで、確かに『女たちよ』路線と繋がっていそうです。
未聴ですが、「ヤマトナデシコ~」と同時期の小泉さんのアルバム『KYOKO V』は全曲筒美さんの作曲、船山さんの編曲というラインナップのようです。筒美作品、まだまだ底が知れません。

投稿: DYNAMITE | 2020年5月16日 (土) 17時32分

DY様
 こんにちは。コメントが大変遅れてなので今年もそろそろ折り返し、冴えなかった上半期の反撃に転じたいところです(宝塚記念、もちろん惨敗)。
 お題曲、というか『女たちよ』、打ち込み嫌いな私なのにとても琴線に触れるフェイヴァリットアルバムです。一つ一つの楽器パートが歌の伴奏に不可欠で、(私が勝手に名付けている)「平安ロック」の独特な世界を形成しています。収録曲では①~③、⑦~⑨が特に好きです。
 このアルバム聴くにはやはり夕暮れ時から聴き始めて間もなく日が沈むというのがぴったりな気がします。聴くと浮かぶのは発売時期と同じ秋の夕暮れの風景、大学通学時によく彷徨いた、大阪の天満橋~淀屋橋辺り大川の水面とビルの灯りなんですよね。
 アレンジャーの大村さん、「晴れのち~」は「?」と思いましたが、このアルバムで偉大さがわかりました。

投稿: ねこ仮面 | 2020年6月29日 (月) 15時29分

ねこ仮面様

ありがとうございます!

この記事では高橋睦郎さんと筒美京平さんについておもに書きましたが、『女たちよ』はやはり大村さん、松武さんの素晴らしい作業がガッチリ噛み合っている・・・本来はそこまで書かねばいけませんね。

少なくとも「愛の旅人」と「二つの夜」の2曲は、ジュリーが歌入れをした際には存在していたであろうトラックが(必然的に)最終ミックスでオミットされている、という凄まじい手法が推測できます。
いずれ機を見て掘り下げたいと思っています!

宝塚記念は残念でしたね・・・。
でも、G1で日本人騎手の活躍が最近目立ち始めたようには思います。

投稿: DYNAMITE | 2020年6月29日 (月) 16時19分

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