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2018年8月15日 (水)

沢田研二 「脱走兵」

from『act#2 BORIS VIAN』、1990

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1. 俺はスノッブ
2. 気狂いワルツ
3. 原子爆弾のジャヴァ
4. 王様の牢屋
5. MONA-LISA
6. きめてやる今夜
7. カルメン・ストォリー
8. 夜のタンゴ
9. 墓に唾をかけろ
10. 鉄の花
11. 脱走兵
12. 進歩エレジー
13. バラ色の人生

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73年目の『終戦の日』です。
先の大戦を知らずに生まれた僕が戦争のことをどのようにして知っていったか、と言うとこれが「学校で教わった」ということはまったく無くて。今はどうか分かりませんし、そもそも地域性もあるのでしょうが、僕の中学高校時の社会の歴史の授業って、大正デモクラシーあたりで1年がほぼ終わってしまっていました。
第二次大戦なんて、駆け足でしたねぇ。

ですから、親や祖父から話を聞く以外で少年時代に戦争を学ぶとなると、ほとんどが「本」でした。
そしてロックを聴くようになってからは、そこに「歌」も加わりました。戦争に限らず、多くの社会問題を僕はロック・ナンバーから学びました。

最初はジョン・レノンの影響だったと思いますが、僕はロックの中でも社会性の高い歌が好きになっていって、それが今やその面においても「世界一」と思える歌手・ジュリーとの巡り逢いは奇跡のような必然。
ただし「ロック」に特化することで自己完結してしまっていた僕は、世界各国各地、リアルタイムに戦争に立ち向かった「反戦歌」なるものを、ロック以外のジャンルで長らく知り得ませんでした。
今日はジュリーがact『BORIS VIAN』で採り上げたそんな反戦歌の代表格、「脱走兵」をお題に、1冊の本をこの夏みなさまにお勧めしようという記事です。
短いですが、おつきあいください。

Boris2

僕が「脱走兵」という曲を知ったのは20歳くらいの時で、普段は塾の先生をしているアマチュアのシンガーの方のストリートライヴ、と言うか教室ライヴの録音テープを聴いたのが最初でした。
ただ、当時はそれがオリジナルなのかどうかすら分からず、これほど有名な曲だとは思いもしませんでした。そのヴァージョンは

大統領殿
この手紙、お暇があれば読んで欲しい

と歌い出し、サビでは

僕は逃げる 何の武器も持たずに
憲兵達よ撃つがいい

と歌うものでした。
これがボリス・ヴィアンの原詩にかなり近い翻訳であることは、ずっと後になって知りました。

ジュリーの「脱走兵」は加藤直さんの日本語詞で、上記ヴァージョンとコンセプトやフレージングに差異は無く、こちらもヴィアンの原詩ほぼ直訳です。
そのヴィアンの原詩について僕は長らくかじった程度の知識しか持ちませんでしたが、つい先月購入した本でようやくその全容を掴み、詞および作曲、歌と世界の背景について学ぶことができました。
今日みなさまにお勧めしようというのがその本で

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竹村淳・著『反戦歌 戦争に立ち向かった歌たち』

作中で紹介される「反戦歌」は全23曲。
日本人なら誰もが知る「さとうきび畑」や「もずが枯木で」についてもその背景、時代考証は目からウロコでしたし、イランの歌やイスラエルの歌には驚かされました。歌の成りたちのみならず、同時進行の世界情勢を分かり易く解説してくれているのです。
例えば「脱走兵」の項ではインドシナ戦争、アルジェリア戦争への深い言及があり、ヴィアンをとりまく「対国家」(フランス)の毅然たる構図も浮かびあがります。

この世界には、戦争は必要悪だと言う人がいます。神聖な儀式である、とすら言う人もいます。
僕はそれを正気の沙汰じゃないと思うけれど、事実そういう考えの人は今現在この国の舵とりをしている為政者の中にもハッキリといます。
ならば僕は、「戦争とは、正気でない為政者が民衆の正気を奪い操り狂気に駆り立てるところからひっそりと始まる人類の愚行」と言っておきましょう。

『反戦歌 戦争に立ち向かった歌たち』で紹介される23曲のうち、不勉強な僕でも「よく知っている」と言える曲が2つありました。
まずボブ・ディランの「戦争の親玉」。
「世界の何処かで戦争を起こす」ことで潤う武器商売の胴元。つまりは「国家」であり「体制」。それをディランは「Masters of War」と表現しました。
もう1曲はビリー・ジョエルの「グッドナイト・サイゴン」。構想から完成まで時間のかかった曲として有名でしたが、著者の武村さんはそれをビリーのデビュー時の世相にまで着眼し紐解いてくれます。
ごく普通の善良な隣人、友人がある日突然「撃つ側」に身を置かざるを得ない不条理。ビリーの「この歌で多くの人達を傷つけてしまうのではないか」との苦悩は、近年のジュリーのそれとよく似ています。

「防衛装置移転」すなわち武器輸出解禁。安保法制の強行採決。過去のことではありません。この先の僕らの身に迫ってくる、切実な問題です。
残念ながら「戦争の親玉」も「グッドナイト・サイゴン」も、僕ら日本人の身近な歌になってしまったのです。

最後に。

『反戦歌 戦争に立ち向かった歌たち』の「脱走兵」の項で竹村さんは、ほんのひと言ではありますが、ジュリーのact『BORIS VIAN』劇中歌ヴァージョンの「脱走兵」を紹介してくださっています。ジュリーファンとしては本当に嬉しいことです。
みなさまもご一読されてはいかがでしょうか。

竹村さんは世に幾多ある「脱走兵」の歌手別のヴァージョンの中で、ジュリーのそれを「異色」と位置づけました。原詩に忠実なのに異色とはこれいかに、と一瞬疑問を抱きましたが、これはおそらく「あのド派手ギンギンのスーパースター・沢田研二が「脱走兵」のような反戦歌を歌う」ことがイメージとして異色、とお考えだったのだろうなぁと納得。
ただ、ファン以外にはあまり知られてはいませんが、「反戦歌」と言うならば今のジュリーこそはこの極東の島国において時代を牽引する詩人であり歌手。
竹村さんに是非「un democratic love」や「我が窮状」を知って頂きたい。そしてそれらの名曲を紹介する第2弾、第3弾の続編刊行を期待したいです。



さて、僕の夏休みは今日まで。
明日からはまた仕事です。今月は決算月なのでかなり忙しくなります。次の更新もなるべく早くするつもりではいますが、少し時間はかかるかもしれません。
とにかくこの暑さです。月末の和光市公演を楽しみに、なんとかこの8月を乗りきりたいです。
みなさまもどうぞご自愛ください。

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コメント

DY様 こんばんは。
「聖なる俗物」
生まれつき死神に魅入られていればこそ、状況に流された自己満足の正義で、何の恨みもない者同士が戦う理不尽が我慢ならなかったのだしょうか。みんな楽しく生きることが大好きなのに。
みんなが楽しくなければ本当に楽しいはずはないのに。
人々を楽しませることに真摯である、という点でもジュリーと通ずるところがある気がします。

投稿: nekomodoki | 2018年8月24日 (金) 21時43分

nekomodoki様

ありがとうございます!

なるほど、人々を楽しませることに真摯である・・・ですか。
確かにジュリーはそういう歌手なのかなぁと僕にもだんだん分かってきた気がします。

世間では(歌の世界でも)最近「俗」の中にも聖なるものと卑なるもの、ハッキリ分かれてきているように思います。そして、卑なるものの方がむしろ旗色が良いようにも感じます。
そういう騒がしいところと無縁の場所、道を歩んでいるからこそ、ジュリーにはできることがあるのでしょうね。

投稿: DYNAMITE | 2018年8月26日 (日) 09時21分

DY様
 こんばんは、久しぶりにコメントさせていただきます。ご無沙汰している間に台風21号や北海道地震、地球が悲鳴を上げているかのようです。
 反戦歌についてはあまり意見持たないんですが、「グッドナイト・サイゴン」は私も大好きです、ビリー・ジョエルはさほど好きではありませんが。『ナイロン・カーテン』のA面最後だったと記憶していますが、歌詞の対訳読んで鳥肌が立ちました。待ち伏せられていたのは「私たち」の方だったんですね。
 で、お題曲、いい曲だと思います、わかりやすいですし。
 難をつければ(つける必要ありませんが)、歌詞が辻褄合いすぎというか、手紙、口語として完全過ぎて曲や演奏が居心地悪そうに聴こえるのは私がひねくれ者だからです(笑)

投稿: ねこ仮面 | 2018年9月 7日 (金) 21時51分

ねこ仮面様

ありがとうございます!
大変大変お返事遅れて申し訳ありません。ようやく体調が戻り、昨日からやっと和光市公演レポの下書きを始めた、という体たらくで失礼いたしました。

僕は『ナイロン・カーテン』が初めてリアルタイムでレコード購入したビリー・ジョエルのアルバムでした(それまでは後追い)。
やはり対訳を読んで戦慄しましたよ。このアルバムでは他収録曲にも社会性の高いメッセージ・ソングが多く、個人的には抜きん出て好きな1枚です。

「脱走兵」での日本語詞は、ほぼ直訳ということ以上に、ねこ仮面様の仰る「分かりやすさ」を求めた点が特筆されます。ヴィアンを表現する上で不可欠な手法であり、「この1篇」であったのでしょうね。

投稿: DYNAMITE | 2018年9月12日 (水) 09時02分

DY様、こんにちは。連投します。

きれいな声で素直に歌われる「脱走兵」は、反戦歌と言えばそうなのだけど、重大な選択を当然のようにする男の気持ちをリキミも感傷も高揚もなくそのまま歌っているジュリーの歌い方にいいな~と思った歌です。詞の解釈と表現がジュリーらしい。映像を見るとなおさらよ。
死んでしまった母親は「爆弾も平気、ウジ虫も平気」というところが、ボリスヴィアン的で好きです。爆弾とウジ虫を並べているところがおもしろい感覚で、そこを歌うジュリーも好きです。ヘンな顔をして歌っていてチャーミング♪
歌い方が詞の起伏をナイーブに表現していくフレーズが続いて、「反戦歌」というより「歌」として魅力的に仕上がってしまっているところが竹村氏をして「異色」という表現になったのではとファン的曲解をして、うふふ♪となりました。

ジュリーはみんなをドキドキウキウキさせるステージを続けていて、その中にはとてもリアルな時代感を持った歌がある、と言うスタンスで見ていたいと思っています。
今回のツアーもいろいろな意味でスリルがありますよね。
「イソノミア」は今まで聴いてきた中で、一番スケールが大きく「歌」が立ち上がっていると感じています。

投稿: momo | 2018年9月20日 (木) 14時50分

momo様

ありがとうございます!

なんと、映像では「ヘンな顔をして歌っていてチャーミング」なジュリーなのですか、この曲!
当たり前のことながら、音だけで聴いているだけでは分からないこと、たくさんあるのでしょうね。竹村さんが書かれていた「異色」の解釈、僕にはまったく思いつきもしませんでした。「これは反戦歌だぞ!」というような歌い方をジュリーはしていない、ということなんですね。

momo様の仰る「ISONOMIA」の「歌が立ち上がっている」感覚は、なんとなくですが分かる気がします。
別館にup予定の下書き執筆中の和光市レポは、昨夜でようやくセトリ本割まで到達しました。うまく行けば今夜にも仕上げられるかと思います~。

投稿: DYNAMITE | 2018年9月21日 (金) 09時03分

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