« 2018年4月 | トップページ

2018年5月

2018年5月17日 (木)

ザ・タイガース 「BA-BA-BANG」

from『THE TIGERS 1982』、1982

Tigers1982

1. 十年ロマンス
2. 新世界
3. 抱擁
4. 時が窓をあけて
5. めちゃめちゃ陽気なバンドのテーマ
6. 夢の街
7. 野バラの誓い
8. BA-BA-BANG
9. ライラ
10. 生きてることは素敵さ
11. LOOK UP IN THE SKY
12. 朝焼けのカンタータ

---------------------

またしても悲しい訃報です。
西城秀樹さん・・・63歳はあまりに早過ぎます。

僕が小学6年生の年に「YOUNG MAN」が大ヒットしました。この曲はジュリーの「勝手にしやがれ」と同じく、当時子供達が男の子女の子関係なく虜になった歴史的1曲でした。
もちろん僕の世代は「YOUNG MAN」以前の歌もリアルタイムで知っていて、「薔薇の~鎖が~♪」と歌いながらホウキをスタンドマイクに見立てて西城さんの真似をするのが学校で流行っていたのは、いつの頃だったのかなぁ・・・。
特に想い出深い曲はやはり「YOUNG MAN」と、個人的にはスティービー・ワンダーの日本語詞カバー「愛の園」での斬新な楽曲解釈、演奏構成に強い思い入れがあります。

僕らの世代でその名を知らない人はいない、という大スターでした。心より西城さんのご冥福をお祈り申し上げます。

--------------------

先日、古希ツアーの申し込みを済ませてきました。
さいたまスーパーアリーナは予定通り・・・なのですが、他会場がなかなか決められず往生しましたよ~。
今年は楽器フェア開催年なので秋から仕事が忙しく(と言うかさいたまスーパーアリーナ翌日からが鬼のように多忙)、そう何日も休みをとれないという(泣)。結局もう1公演だけ、来年の武道館3daysの中日となる20日に参加することにしました。
千秋楽には行きたかったけど、1月の月曜日15時開演はサラリーマンの身には厳し過ぎる・・・(泣泣)。開演時間が18時くらいだったら何とかなったとは思いますが、これは地方にお住まいのファンに向けてのジュリーの気遣いだと思いますから、僕としてはグッと我慢のお留守番。参加されるみなさまから後日お話を伺いたいと思っています。

今年もさいたま、武道館両日ともに音楽仲間を誘っています。昨年50周年ツアーの松戸公演に集った人数には届きませんでしたが、今回も隣席でビビッドな反応が楽しめそう。
参加してくれる仲間はYOKO君含めて全員個性派のギター弾きですので、僕の気づかない演奏の工夫を発見してくれるかもしれません。

ギリギリまで参加会場を迷っているみなさまも多いと思います。どうぞ締切日をお忘れなきよう・・・。


さて本題。
”作曲家・ジュリーの旅”シリーズ、今日は80年代ジュリーの作曲作品から、ザ・タイガース同窓会ナンバーの「BA-BA-BANG」を採り上げます。

拙ブログではタイガースの曲をお題とする際、『タイガース復活祈願草の根伝授!』という、2009年に作成したカテゴリーで書いています。
夢のようだった完全再結成が2013年に叶ったのだからもうカテゴリー名は変えた方がよいのではないか、と仰るなかれ。「あの夢よ今一度」ということで当カテゴリー、これからも継続して参りますよ~(本当は、過去記事のカテゴライズを一気に変更する方法が分からない、という理由があるんですが汗)。
よろしくおつき合いくださいませ。


①”タイガースっぽい”同窓会ナンバー

数年前・・・確か『夜ヒット』(ジュリー版)のDVDが発売された直後だったと思いますが、お2人の先輩に招かれ色々なジュリーの映像を鑑賞して1日過ごしたことがありました。その時同窓会のLIVE映像も観ていて、タイガース・デビュー以来のジュリーファンの先輩が「BA-BA-BANG」が流れた際に「この曲はタイガースっぽいな、と思った」と仰いました。

先輩は『THE TIGERS 1982』リリース当時のことを思い出して何気なく言ったのでしょうが、僕はその言葉にハッとさせられたのでした。タイガースをリアルタイムで知るファンにとってやはりあの同窓会は音源的にもパフォーマンス的にも真にザ・タイガース再結成ではなく、メンバー自身が称した通りあくまで「同窓会」であったんだなぁと。
そんな「同窓会ナンバー」の中で最も彼らのデビューから4年間の活動期を彷彿させ「ザ・タイガース」気分を高揚させてくれる曲が「BA-BA-BANG」だったのかもしれない、と後追いの僕は想像したわけです。

1971年の解散はもとより、同窓会からも本当に長い年月が流れ・・・2011年、ピーの音楽活動復帰を受けた老虎ツアー(ファンの間では「ほぼ虎」と呼ばれていますね)を経て、2013年の完全再結成。これは僕もリアルタイムで体感することができました。
老虎ツアーでは同窓会ナンバーが演奏されることなく終わり、「やっぱりジュリー達がピーに気を遣ったのかなぁ」と考えたものですが、翌年の中野サンプラザでのピーとタローのジョイント・コンサートではアンコールで「色つきの女でいてくれよ」が抜擢され、ピーが同窓会ナンバーのドラムを叩くというビッグ・サプライズが実現。そして再結成時にはもう1曲「十年ロマンス」もオリジナル・メンバー5人による演奏で披露されました。
この経緯があってようやく「同窓会ナンバー」を「タイガースの曲」だと心の整理がつけられた、という先輩方も多いのではないでしょうか。
今のところ後追いファンの僕が生で体感できている同窓会ナンバーは今挙げたシングル2曲だけです。複雑な思いを抱えながらとは言え、他ナンバーも体感できている先輩方が羨ましいですよ・・・。

ジュリー本格堕ち後、無知故に何の拘りもなく聴けたアルバム『THE TIGERS 1982』には大好きな曲も多いし、是非シングル以外のアルバム収録曲を生で聴いてみたいとの思いが僕には常にあります。
そこで・・・ザ・タイガースの再々結成の夢とは別に、同窓会ナンバーの生演奏の可能性を大きく秘めているのは「瞳みのる&二十二世紀バンド」ではないかと僕は考えているところなのです。
現在ピーに同窓会ナンバーへの偏屈な思いはまったく無いようですし、そればかりかMCで「あの時は風邪をひいていて・・・」と冗談を飛ばすほどに「同窓会」期も身近なタイガース史として受け入れているご様子。
さらに二十二世紀バンドのリーダーであるJEFFさんが「自分は同窓会でタイガースの洗礼を受けた」と、昨年のステージ上で公言しています(四谷公演)。
となれば、先述の先輩が「タイガースっぽい」と語った同窓会ナンバー「BA-BA-BANG」は、アレンジ的にも彼等のレパートリーとしてよりふさわしい1曲。
二十二世紀バンドのステージでのサプライズ選曲を妄想し、勝手に期待したいと思います~。

それでは、何故同窓会ナンバーの中でも「BA-BA-BANG」を「タイガースっぽい」と感じられるのか・・・次チャプターではそのあたりをジュリーの作曲手法と絡めて解析しくことにしましょう。


②「追っかけコーラスありき」の作曲?

そう言えば、「BA-BA-BANG」はシングル『色つきの女でいてくれよ』のB面でもありますから、先の50周年記念ツアーの会場BGMでも流れたんですよね?
僕は巡り合わせで聴けずじまいでしたが、この曲が流れるとやっぱりウキウキしたんじゃないですか?
そう、「タイガースっぽさ」はイコール、はちきれんばかりのエネルギー、躍動。それを具体的に作曲に投影しようとするなら、「BA-BA-BANG」のような「追っかけコーラス」は最適の手法です。

近田春夫さんの詞が先なのか後なのかは分かりませんけど、それとは別に「BA-BA-BANG」のジュリーの「作曲」自体がコード先かメロ先かということなら、僕は「メロ先」だと想像しています。実際、糸井重里さんのラジオ番組でジュリー自身が「最近(80年代に入って、ということでしょう)メロディーを先に考えてからそれに合うコードを探す作り方に変わった」という感じのことを語っていますし、この曲も最初から「追っかけコーラスのメロありき」で作られたと思うんですよ。
同義の比較的最近の好例が、ジュリーwithザ・ワイルドワンズの「熱愛台風」ですね。

先日加瀬さんの命日にupしたワイルドワンズ・ナンバーの記事で、80年代に入って作曲開眼したジュリーは、それを誰のために、どのバンドのために作るのかを突き詰めて作曲している、ということを書きました。
ワイルドワンズにしろジュリワンにしろ、そして同窓会タイガースの時もジュリーはその点真面目に心砕いていると考えられます。同窓会のお披露目シングル「十年ロマンス」は、トッポの高音が生きるように。さらに「アルバム収録」として取り組んだうちの1曲「BA-BA-BANG」ではタイガースのコーラス・ワークをメインに。

作曲家・ジュリーは基本的に「無」から生み出すオリジナリティーが肝ですが、この曲は明快に洋楽パターンをオマージュ元として踏襲。言うまでもなくそれはタイガースのレパートリーであった「ドゥ・ユー・ラヴ・ミー」であり「ツイスト・アンド・シャウト」ですよね。
ハ長調のメロディーに当てたのは、トニック、サブ・ドミナント、ドミナントのメジャー・スリーコードの循環。
具体的にはAメロで

くどき文句は BABY
C     F      G  F   G

靴音だけが MIDNIGHT
C   F      G   F   G

笑わないでよ OH PLEASE
C    F        G  F    G

愛してるのさ LOVE YOU ♪
C    F       G  F       G

王道中の王道。この「C」「F」「G」がいわゆるスリーコードというヤツで、サビ(この曲は冒頭からサビがガツンと来る構成です)ではそれらに加えて「Am」も登場します。それもまた王道ではあるのですが、ここでは「メロ先」作曲ならではの組み合わせとなっています。

BANG BA BA BANG BANG BANG
C                  F                 Am

逃がさない BA BA BANG BANG BANG ♪
      G    F                                    G

「コード先」なら「C→G→Am」或いは「C→Em→Am」とは行けても「C→F→Am」とはなかなか行き難い。80年代ジュリーの「メロ先」作曲を示す進行と言えるでしょう。

80年代に入って「作曲家・ジュリー」は大いにその作風の幅を拡げたと思いますが、ジュリー自身は「まだまだ途上」という気持ちもあったようで、ヴァリエーションをもっと増やしていかないと、と考えていたようです。
例えば曲調について「麗人」が「十年ロマンス」に似てしまったと話していたこともあったそうですね。
その意味では『THE TIGERS 1982』においても「BA-BA-BANG」と「めちゃめちゃ陽気なバンドのテーマ」は進行や構成がよく似ています。ただそこで「リード・ヴォーカリストが違うだけで全然違う曲に聴こえる」というのも・タイガースというバンドの強みでもあり・・・もしかするとジュリーは、自ら歌った「BA-BA-BANG」よりもサリーが歌った「めちゃめちゃ陽気なバンドのテーマ」の方が曲の仕上がりとしては満足しているかもしれません。

メロディー全編であれ1パートであれ、「自分以外の人が歌う」ことを念頭に作曲する極意をジュリーが会得したのはこの頃でしょう。こと同窓会タイガースについては、「自分で作って自分で歌う」となるとソロとの線引きが難しい、とかえって苦労したのでは?
だからこそ、「コーラスありき」の「BA-BA-BANG」はジュリー新境地の作曲手法だと思いますし、個人的には大好きな「ジュリー作曲ナンバー」なのです。

あと、この曲、このアルバムに限らず『ジュリー祭り』後数年まで僕は、タイガース・ナンバーで複数のメンバーが一緒に歌うパートに接しても「みんなで歌ってるな~」くらいの聴こえ方しかしていなかったのが、今では「おっトッポの声」「サリーの声」と耳が行くようになりました。
これを先輩方はもう何十年も当然のようにそうやって聴いているわけで、「BA-BA-BANG」のように「一勢に複数で歌う」パートの方が、それぞれのソロを押し出したパートよりも「タイガースっぽさ」を感じるものなのかな、と今さらのように思い始めています。


③ラジオでの同窓会タイガースの話

同窓会タイガースは5人でのラジオ出演も多かったようで、インタビュー形式のものから5人が和気藹々とフリートークに興じるものなど、たくさんの貴重な音源を福岡の先輩から授かり聞くことができています。
そんな中で今日ご紹介するのは、「明日からいよいよ同窓会ツアーが始まる」というタイミングで放送された、ジュリーが1人で他の4人(サリー、タロー、トッポ、シロー)についてあれこれ語っているという音源です(番組名まではまだ調べきれていませんが)。
後追いファンとしては新鮮な、とても面白い話でしたので、抜粋形式ではありますがこの機に書き起こしてみたいと思います。


そもそもこの世界に入る(きっかけとして)2番目に逢った人(達)っていうのかな・・・最初はサンダースというバンドがあって、そこの林さんという方に「お前、男前やからちょっと歌でも覚えて歌うてみい」てなことを言われてやね、おだてられてやったのが最初で。
そこで歌っている時に遊びに来たのが、ファニーズの4人組だったと。それがのちに僕もプラスしてタイガースになる、ということなんですけれども。
まぁそのタイガースのメンバーね、かつみ、サリー、タロー、そしてシローと、この4人ですけれども、練習でしょっちゅうここんとこず~っと会ってたわけなんですけれども、これからまた旅に行きますと。まぁ、寝食を共にするわけで(笑)。


サリーとタローっつうのは割とね、ズバリと核心を突いたことを、さりげなく冗談みたいにごまかしてシュシュッと言うのが得意な人達でね。なかなかこう、角が立たない人達ですけれども。
また、かつみなんかの場合は・・・スポットライト出た日にね、朝からず~っと無口だったんよ。何で無口なんかいなと思ったら、要するに生本番で(同窓会タイガースとしては)初めて歌うわけや。
その時の感じっつうのは分かりますわね~。ほとんど彼が歌ってるからね。


ははぁ、これは『ザ・ベストテン』に同窓会タイガースが初出演した時の話ですな。
そうか、僕は普通にランクインから始まったと思い込んでいましたが、最初はスポットライトでの出演だったんでしたっけ。トッポがほとんど歌っている、というからには曲は「色つきの女でいてくれよ」。そのスポットライト出演後に火がついて大ヒットとなりランキング出演を重ねていったということでしたか~。


僕なんか(「色つきの女でいてくれよ」で歌うのは)全員のコーラスのところと、「う~」「あ~」と、「色つきの~♪」ってとこだけでしょ?割と気が楽だったわけ。ところがかつみは何かこう、今から思えば目がちょっとつり上がったりなんかしてたね。
それが歌い終わって「間違えなかった!」つってね、黒柳さんと久米さんがしゃべってるのを後ろの方で(見ながら)座ってて、「いや~、間違えなくてよかったよ~」なんつってね。
「安心したやろ」ってな話をしてたら急にコロッとリラックスしてね、顔が全然違うねん。さっきまでつり上がってたのが本来のこう、タレ目のやつに変わってね。聖子ちゃんなんか出てきたりなんかしたら「かわいいねぇ~」ってなことを言ったりなんかしてね、「そういうこと言うと中年の証拠やぞ」ってなことを僕が言うてみたりなんかしてね。そういうこともありましたけれども。

それからシローもねぇ、心配してますよ。シローはまぁ、そんなにたくさんソロではね、歌わないんですけれども、だからなおさら「間違えんと歌わなイカン」つうのでね、「今からでもコーラス、「う~」とか「あ~」とかにしてくれたら、俺が間違うてもあんまり関係ないねんけどなぁ」てなことを言うてね。割と歌詞と一緒にハモる歌が多いんでね、そんな弱気なことを言っておりました。
しかしね、一番しっかりしてるのはシローですよ、うん。しっかりしてると言うか、ちゃっかりしてると言うのかね。で、ちゃんと核心突いたことも言うしね。

タローなんかこの間しっかりベストテンで、自分達が出るんだけど、(タローは)自分で独立して事務所を持っててね、新人タレントをやるっつうんで写真持って売り込みに来てたよついでに。しっかりしとんねん。
サリーはサリーで、今回サリーは別にリーダーというわけでもなく、とにかくベースとだけに専念、ベースとコーラスに専念してということで、気楽にやってるみたいね。前のタイガースの当時っつうのは、リーダーということで気苦労が多かったんだろうなぁと思うんですけどね。それが今(反動で)出てる。

まぁとにかく明日からのステージ、僕らも不安もありますが、楽しみにしております。


そのツアーが終わったら今回の同窓会も一応終わり、でもそこから先、今度は本当の意味での同窓会ということでメンバー間の親交を深めていきたい、との言葉でタイガースの話題を締めくくったジュリー。
この時から数えても30年経ってピーも復帰し遂に完全再結成が実現、お互いの古希のお祝いに集まるほど親交を温め合うことになろうとは・・・さすがのジュリーも予想はしていなかったでしょうかねぇ。

それにしても今、心配なのはサリーの体調です。ドラマ降板とのニュースを知ったばかりで驚き心配しています。大事なければ良いのですが・・・。
とにかくタイガースの場合はメンバー全員が健在である、ということ。それが何よりです。このまま皆元気で長生きしていたら、「もう一度やろうか」という気運はきっと巡ってくるんじゃないかなぁ。
個人的には「タイガースの新曲」が聴きたい・・・その夢を持ち続けていたいと思います。


それでは、オマケです!
今日はいつもお世話になっているピーファンの先輩に以前お借りした同窓会関連切り抜き資料から、『with』82年4月号の特集記事をどうぞ~。


Tigers1102

Tigers1101

Tigers1103

Tigers1104

Tigers1105

Tigers1106

Tigers1107

Tigers1108

Tigers1109

Tigers1110


今日書いたばかりのラジオ音源もそうなんですけど、同窓会タイガースについては本当に多くのラジオ音源が手元にある中、そのほとんどがピーのことには一切触れていないんですね。
もちろん、だからこそ再結成ではなく「同窓会」なのだとファンならば知ってはいます。ただ、タイガースの中で特にピーが好きだったという先輩方がどんな気持ちでこの同窓会のステージや情報を観ていらしたのか・・・と、やっぱり考えてしまうのです・・・。



では次回は、”作曲家・ジュリーの旅”シリーズ、90年代編です。アルバム『Beautiful World』から、ジュリー渾身の16ビート・ポップスを採り上げます。
引き続き頑張ります!

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018年5月12日 (土)

沢田研二 「ジョセフィーヌのために」

from『チャコールグレイの肖像』、1976

Tyakoruglay

1. ジョセフィーヌのために
2. 夜の河を渡る前に
3. 何を失くしてもかまわない
4. コバルトの季節の中で
5. 桃いろの旅行者
6. 片腕の賭博師
7. ヘヴィーだね
8. ロ・メロメロ
9. 影絵
10. あのままだよ

--------------------

堯之さんの突然の旅立ちを受けて記事を書いたばかりだというのに、今度は東海林修先生の訃報が・・・。
ジュリー堕ちする前からお名前だけは知っていたレジェンド。ジュリー堕ち後はそのアレンジの素晴らしさで虜にさせられました。
アルバムならまず『JULIEⅡ』、という僕にとっては本当に特別な存在のアレンジャーであり作曲家・・・東海林先生がタクトを振ったジュリーLIVEを生で観ていらっしゃる先輩方を、いつも羨ましく思っていました。
ご冥福をお祈り申し上げます。


相次ぐ訃報に心沈む日々ですが、今日は”作曲家・ジュリーの旅”シリーズ第2弾の更新です。
採り上げるのはアルバム『チャコール・グレイの肖像』1曲目収録、小谷夏さん(久世光彦さん)作詞の「ジョセフィーヌのために」。これは、いつもコメントをくださるnekomodoki様からリクエストを頂いていて(ずいぶん前ですからご本人は待たされ過ぎて忘れていらっしゃるかも汗)、もちろん僕自身も大好きな名曲です。

作曲家・ジュリーが「詞先」「コード先」ならではの斬新な展開と不思議な世界観を提示した、大いに語り甲斐のある1曲。頑張って書きたいと思います!


①孤高の名盤『チャコール・グレイの肖像』

今回”作曲家・ジュリーの旅”シリーズということで、ジュリー作曲作品で固められたこのアルバムから何か1曲、というのは必然の流れでしたが、通勤の行き帰りにCDを聴いていますと、いや凄まじい名盤だなぁと。
途中で他のアルバム収録曲を挟んで聴く隙が無くなるというのか、唯一無二の味わいがありますね。ポリドール時代ですと、『JULIEⅡ』『LOVE~愛とは不幸をおそれないこと』『女たちよ』にも似た感覚はありますけど、『チャコール・グレイの肖像』は特にズッポリと嵌ってしまう類の「この1枚!」と言えるでしょう。

最後のチャプターでご紹介するラジオ音源でジュリー自身が語っている通り、全体的に「暗い」アルバムなんですね。
作曲ということで考えても、ジュリーはビート系、アップテンポの短調の曲はよく作りますが、バラード系、スローテンポの曲で短調ってほとんど無いんです。その「ほとんど無い」筈のパターンがこのアルバムでは半数の5曲を占めているという・・・やっぱり作曲当時の環境でしょうか。とすればジュリーはメロディー作りにおいても驚くほど素直にその時の心境を反映させるタイプの作曲家なのかな。

去年の大宮の打ち上げでしたか、同席したJ先輩にちょうどこの時期のジュリーのお話を聞かせて頂いて。その先輩は当時、自分がこの先もずっとジュリーを好きでいるであろうということとは別に、謹慎もあったし結婚もしてるし、世間的にはジュリーはもう大ヒットするシングルが出ることもなくだんだんフェイドアウトしていくんだろう、となんとなく思っていたのだそうです。だから「勝手にしやがれ」からの国民的人気の再爆発には当初驚いていた、と。
なるほどそういうふうに見ていた方も少なからずいらっしゃったのかなぁと思いました。
ただ、76年というあの年に自身の「作曲」スキルを煮詰めたことが後々大きな糧となり、現在のジュリーの創作姿勢と繋がっていることは疑いないでしょう。
ジュリーにとって『チャコール・グレイの肖像』への取り組みは、自らの立ち位置を改めて俯瞰する日々であり、自分にはこれほどの「味方」(作詞陣や演奏陣、スタッフなど)がいるのだという感謝の再確認であり、ラジオでも言っている通り「これを作り終えたら、来年はメチャクチャ頑張らなイカン」と覚悟を決める期間だったのではないでしょうか。
その証に、ジュリーはこの後の阿久=大野時代の間しばらく、自身の作曲作品をリリースしないんですよね。ジュリーの「頑張る」が、「多くの”味方”が用意してくれたものに全力で取り組む」というベクトルに向かったこと、その期間を自らに課したこと・・・これもやはりジュリー独特の俯瞰力なのだと僕は考えます。

その直前に自作曲だけで1枚のアルバムを作り上げたというのが、企画提案した久世さんのジュリー愛というのもさすが、凄いなぁと。
将来の大成の前に、ジュリーには今「孤独」の創作が必要な時だ、と久世さんは分かっていたかようにも思えます。
では、その久世さんがシングル「コバルトの季節の中で」以外にもう1篇、ジュリーの作曲のために詞を捧げた「ジョセフィーヌのために」について、次チャプターで掘り下げていきましょう。


②ニ長調とホ短調を行ったり来たり!

少なくとも『チャコール・グレイの肖像』の時点でジュリーの作曲に「キー」の概念はまだありません。
作曲作業は、ギターを弾きながらコードを自由に繋げてメロディーを載せていく手法。これが80年代になるとメロディーが先で、そこにコードを当て込んでいくという手法にとって変わるわけですが(糸井重里さんのラジオ番組でジュリーがそんな話をしてくれています)、ともあれ70年代のジュリーにとって「キー」とは音域の高さを語る時に使う言葉であり、メロディーを五線譜にした際にどんな調号になるかまでは考えていなかったでしょう。

理論を知らないが故の斬新さ、素晴らしさ。もちろんそれは誰にでもできることではなく、ジュリーに作曲の才があったからこそ生まれた変態進行(←褒めていますよ!)が、「ジョセフィーヌのために」で炸裂します。
元々ジュリーが作曲を始めた頃から無意識のうちに得意技としてきた「借用和音」の採用が特殊な環境下で幅を広げて、驚異の名曲が誕生しました。

ジュリーはこの曲を「D」と「Em」のコードを軸に、(本人的には)変化を少なめに淡々とした暗い感じにしよう、と作曲しています。それはまず間違いない。

なぜこれだけ残していったのか
Em                 D

わかるような気もするのだけれど ♪
Em                   D

この箇所がメロディー作りの基本アイデア。大野さんはその点を見抜き、イントロなどでこの進行箇所を「伴奏部」として採り入れアレンジを仕上げています。
ただ、ジュリーとしても2つのコードの繰り返しだけではつまらないので、時々他のコードを繋げてみる・・・のは普通のやり方なんですが、ジュリーはそこで「D」(ニ長調のトニック)から連想するコード展開と、「Em」(ホ短調のトニック)から連想するコード展開を、理屈抜きでミックスしちゃってるわけです。
例えば

このお人形を 覚えていますか ♪
D            Em  A                 D

とか

あなたはジョセフィーヌと 名付けました ♪
Bm  G           D                     A      D

はニ長調の調号に

一年たって思います
Em           C        E

解けないパズルさ 人生なんて ♪
Em        C            D   Bm    E

はホ短調の調号となります。
ジュリーには「転調」の意識など無く、同じヴァースで2つのキーが混在するというとんでもない進行が誕生。そりゃあ堯之さんも「沢田は普通では考えられないようなコード進行の曲を作る」と驚くはずですよ。
しかも、ホ短調の調号で進んできた歌メロ最後の着地点が一瞬だけメジャー(「E」)に転換してしまう強烈なオマケ付き。ですからこの曲で最もスリリングな箇所は、「リフレインをもう一丁!」の4’03”からの1小節です。ホ短調、ホ長調、ニ長調3つのニュアンスを一気に駆け抜けるんですよね~。
アレンジの大野さんもここは「凄まじいなこりゃ」とジュリーの斬新なコード展開に感嘆しながらの「仕上げの箇所」だったはずです。『太陽にほえろ!』のサウンドトラック同様、大野さんは「小節割り」に細心の注意を払っていると思いますから。

アレンジが大野さんということで、この曲の演奏は井上バンドのトラックと考えられます。
象徴的なのは左サイド、速水さんと思われるリード・ギターのフレージングと、シンセ・ストリングス。このシンセの音は70年代後半のLIVEでよく使用されている音色ですから、演奏者は羽岡さんではないでしょうか。
ピアノのトラックは、ミックスダウンの際にPANをゆっくり左右に移動させているようですね。主人公の「揺れ動く心境」を表現したのでしょう。

さて、久世さんの詞なんですけど、表面的には男女の別れの物語なのかな。
恋人が「ジョセフィーヌ」と名付けて可愛がっていた人形だけを残して去ってしまった、と。
でも、それだけじゃないですよねぇ・・・。
「コバルトの季節の中で」同様、久世さんはジュリーを見つめてジュリーに捧げる、というスタンスでこのアルバムの作詞をされていると思います(「コバルト~」の「髪型が変わりましたね♪」は、アフロをやめた時のジュリーのことを歌っているような気が・・・)し、「ジョセフィーヌのために」でも「1年経って ♪」などのフレーズに意味深なものを感じます。
久世さんの作詞の時点から「1年前」と言うとやはり『悪魔のようなあいつ』なのかなぁ。

僕は今年6月25日に「時の過ぎゆ くままに」の記事を書いてジュリー70歳のお祝いをするべく、今から少しずつ『悪魔のようなあいつ』全話鑑賞に取り組まなければなりませんが、何か「ジョセフィーヌのために」の歌詞コンセプト、題材元が見つけられるのではないかと期待しているところです。



③ラジオでの『チャコール・グレイの肖像』の話

今日ご紹介するラジオ音源、僕は番組名まではまだ分かっていないんです。
たぶんジュリーがパーソナリティーの番組内で『沢田研二・1枚のアルバム』というコーナーがあったんだと思います。「ス・ト・リ・ッ・パ・-」の話題が出てきますから放送は少なくとも81年夏以降。
『NISSAN ミッドナイト・ステーション』の初期の頃なのかな、と想像していますが・・・。
とにかくこれが、ジュリーが「過去のアルバム」についてあれこれ語ってくれるという超お宝音源。結構長尺のコーナーなので、全編ではなくポイントポイントを抜粋しての書き起こしになりますがご容赦下さい。
それでは行ってみましょう!


そもそもこの『チャコール・グレイの肖像』というのは、「ドリアン・グレイの肖像」というね、ちょっと妖しげな小説があるんですが、そこから引用させて頂いて「ドリアン」ではなく「チャコール」としたわけなんですけれども。まぁ全体に、何と言うか「暗暗~(くらくら~)」「暗いくら~い」感じのね、LPにしたかったっていう感じなんですけど。

「ドリアン・グレイの肖像」・・・し、知らなかった。アルバム・タイトルにオマージュ元があったのか~(恥)。

思い起こせば1976年12月・・・ということは謹慎が明けた時でございまして。いよいよ来年はメチャクチャ頑張らなイカン、と思っていた時でございました。
これは久世光彦さんの発案でね、『今僕は倖せです』以来4年ぶりだったんですけど、自作のLPを作ろうと。
「でも僕は詞が書けない全然」っていうので「じゃあ書けるぶんだけでいいじゃないか」と。あとはまぁ、色々な人にヘルプして貰おうということで作ったんですがね。
このLPの中からとりあえず1曲お届けしましょうね。これは阿木燿子さんの作詞です。この間のロックン・ツアーなんかのアンコールの時にやった・・・時々やっとった曲でございますけれども。「夜の河を渡る前に」、これから行きましょう。


♪「夜の河を渡る前に」オンエア

76年という年は、紅白歌合戦もレコード大賞も全部出られへんかったわけね。せやから、ヒマだったんだね!(笑)
声が、エエ声しとるよ、うん。休養充分という。
それから、このLPの中の歌詞カードに色々書いてあるんです。コーラスが「JULIE & KENJI」とかね。全部自分でやっとるから。
それから「ウェスタン・パーカッション」っつうのがあるんやけど、これはウェスタン・ブーツを履いとって、板の上でこう足踏みするだけなんやね。
この曲(「夜の河を渡る前に」)に入ってましたでしょ?「コッ、コッ、コッ、コッ・・・」ってのがね。
ちなみにこのウェスタン・ブーツは、『悪魔のようなあいつ』というドラマに出てた時に履いてたウェスタン・ブーツです。それで分かるかな?(笑)ゴッツいやつです。先の角ばったやつ。76年型のブーツでございますよ、うん。最近のやつはトンガってますけどね。

この『チャコール・グレイの肖像』のLPの発案者である久世光彦さん・・・『悪魔のようなあいつ』とか『源氏物語』なんかで演出、プロデューサーをやってくれた人ですけれども、あの方も詞を書いてくださっておりまして。
「コバルトの季節の中で」ってのはこのLPの中から、先にシングルになってるわけなんですけれども、その曲も「小谷夏」さんというペンネームで出てるんですけれども、次に聴いて頂くのはA面の1曲目に入ってて。まぁステージでやったこともないし、アレなんですけど、だいたい僕はこういうパターンの曲が、好みで言うと本当は好きなんですよね。


♪「ジョセフィーヌのために」オンエア

「ジョセフィーヌのために」はステージで披露されたことが無いんですか・・・もしかして、『チャコールグレイの肖像』収録曲ってそんな曲が多いんですか?


(このアルバムは)割と長い曲が多いんですけどね。今2曲ばかり聴いておりまして思い出しましたけれども・・・謹慎をしておりましてですね、夏に全国縦断コンサートはやったんだけど、それが終わったらまた仕事らしき仕事っつうのがポツンポツンとしか・・・今思えばね、今と比べたらでございますが(仕事が)なくて、毎日もうとにかく曲ばかり作ってましたね、家で。ギター持って前かがみになりながらですね、それでのうても姿勢があんまり良くないのに、前かがみになって作っておりましたけれども。

それから、人間ドックに入ったんですよ。こんな機会でもないと精密検査もできないっつうんで。別にどこが悪いっていうんじゃなくてね。まぁ頭は悪かったですけど(笑)。
で、ある病院に3日間入院して、規則正しい生活をしてですよ、朝6時頃には体温計りに来られるわけですよ。夜はもう9時になると「朝検査がありますから9時以降は水も飲まないで下さい」と。
腹減ってね~。朝起きてから薬飲むまでにさ、あんまり腹減るから冷蔵庫のメロン食うた覚えがありますがね(笑)。
それから昼間はもう退屈でしゃあないわけ。テレビとかっつうても(昼間は)あんまりイイ番組やってない時間で。一生懸命ベッドの上でカセットテープをガチャン!として、曲ばっかり作っておりましたけれども。その時に纏めたんが、さっき聴いた「ジョセフィーヌのために」、それと桃井かおりさんが作詞してくれた「桃いろの旅行者」っつうのもここで纏めたんやったと思うね、ベッドの上で。
時々覗きに来たりなんかしてね、看護婦さんが。「静かにして下さい」(←可愛らしい女性の声マネで)って言いながらニコッとしたりなんかして。「あっ、沢田研二の歌聴いた!」っていうような顔されたりとかしてね。そんなこともありました。


この『チャコール・グレイの肖像は』全体に「暗い暗い」といった感じのLPですけれども、(これからかけるのは)その極めつけと言ってもいい曲でございますね。タイトルからしてそうでございますから。あんまりこれ聴いて気分が重くならないようにして頂きたいと思います(笑)。まぁそんな心配は無いんですけど・・・B面の2曲目に入っております、詞曲とも沢田研二です。「ヘヴィーだね」。

♪「ヘヴィーだね」オンエア

病室で新曲を仕上げているジュリーを想像すると、『チャコール・グレイの肖像』のあの美しいまでの独特の閉塞感がどうして生まれたのか納得できるようです。
例えば「ジョセフィーヌのために」は、小節の1拍目と3拍目を刻むベースがそのまま「ゆっくり、ゆっくり」といった感じで再起を期す当時のジュリーの歩幅のように思えてくるのです。「屋久島 MAY」よりさらにゆったりとした、それでいながら強く確かな前進の歩幅。
生きてゆくのはこのくらいのスピードで良いんだよ、と諭されているような気持ちになれる名曲ですね。


それでは、オマケです!
今日は、Mママ様からお預かりしている貴重な資料で、『沢田研二新聞 Vol.3』からスキャン画像を4枚ほど選んでお届けいたします~。
(スキャンが結構粗いですし、ショット全面を網羅できていなかったりします。申し訳ありません・・・)

76031501

76031502

76031503

76031509


では次回は、80年代のジュリー作曲のナンバーをお題にお届けします。
作曲については、洋楽などの既存のスタイル踏襲にあまり拘りを持たないジュリーですが、80年代には時折そうした曲も生み出しています(例えば、ストレイ・キャッツを意識しまくった「ジャンジャンロック」など)。

次回お題もそのひとつで、とりわけその「洋楽パターンの踏襲」狙いに明快な動機がある、という点で作曲家・ジュリーとして稀有な1曲ではないかと考えます。
さぁ、どの曲でしょうか。しばしお待ちを~!

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2018年5月 7日 (月)

沢田研二 「DEAR」

from『TOKIO』、1979

Tokio

1. TOKIO
2. MITSUKO
3. ロンリー・ウルフ
4. KNOCK TURN
5. ミュータント
6. DEAR
7. コインに任せて
8. 捨てぜりふ
9. アムネジア
10. 夢を語れる相手がいれば
11. TOKIO(REPRISE)

---------------------

ゴールデン・ウィーク後半を風邪で丸々引きこもりで過ごし、現在取り組んでいる”作曲家・ジュリーの旅”シリーズの次のお題曲がまだ下書き途中という状況の中、先日の井上堯之さんの訃報を受けて今日は急遽、この記事を書いています。

加瀬さんの時もそうでしたが、あまりに突然の知らせでした。
5月5日の朝、熱で重い頭を抱え起き出した時にカミさんから訃報を知らされ、「えっ!」と言ったきり言葉を失いました。
演奏活動を再開されてからの堯之さんは精力的にLIVE活動をされていたので、近いうちに都内のLIVEに出かけてみないとなぁ、と考えていた矢先のこと。まだまだお元気だと思っていたのに・・・僕はとうとう堯之さんのギターを生で聴く機会を逃してしまいました。
これまで何度か複数の先輩からLIVE参加のお誘いも頂いていたのに都合が合わず、今になって後悔するばかりです。

先の50周年記念ツアーで、ジュリーはデビュー以来の歴史をMCで語る際、PYGのことをよく話してくれていました。
そうしたこともあり、今年の70超えツアーで何かしらPYGのメンバー絡みのサプライズがあるかもしれない、と(特に長いファン歴の)先輩方の多くが期待を持たれているようでした。
今年の4月にお会いした先輩とも、「全国ツアーすべての帯同は無理としても、アリーナクラスの会場で堯之さんが「時の過ぎゆくままに」でゲスト参加することはあるかもしれない」とお話したばかり。それも叶わぬ夢となってしまいました。本当に残念です。

ジュリーが「PYGのLIVEではお客さんよりメンバーの方が人数が多い時もあった」と語っていたのは、冗談だったのかそれとも本当にそんな時もあったのか、リアルタイムで彼らの活動、情報に接していない僕には分からないのですが、PYGというバンドがその素晴らしさとかけ離れてあまりに不遇であり悲運であったことは確かなのでしょう。
あれほどロックに特化したバンドが当時、本来ロックたるものを正当に評価すべき人達の一部から「商業主義」などと揶揄されていたとは、後追いファンの僕には信じ難いことです。
また、今ではPYGを評価する音楽評論家の文章も多く見られるようになってきた中でも、その演奏についてジョン・ポール・ジョーンズ(レッド・ツェッペリン)の言葉を引き合いにサリーのベースにのみ言及したものが散見されるという状況は、未だにPYGが過小評価の憂き目を見る不遇のバンドであるように僕には感じられて、とても口惜しい思いを持ち続けています。
仕方のないこととは言え、大きな影響力を持つミュージシャンの発言に囚われPYGの本質に触れていない評論が多すぎるのではないか、と。それもこれから変わってはいくのでしょうけど。
昨年「自由に歩いて愛して」の記事で書いたことですが、今一度ここでも書いておきたい・・・サリーのベースはもちろん素晴らしいのですが、PYG期のサリーの演奏は与えられた役割を黙々とこなすという類の素晴らしさなのであって、PYGを偉大なロック・バンドたらしめているのはまず堯之さんのギターと大野さんの鍵盤。この両輪による考案力と構成力です。

作曲家としての堯之さんについては僕はそのほとんどをジュリーを通してしか知らないのですが、特に「美しい予感」「遠い旅」の2曲はジュリー・ナンバーの中で抜きん出て好きな名曲。さらに、堯之さん作曲のジュリー・ナンバーでその2曲に続いて好きなのが急遽今日の記事お題に借りた「DEAR」です。
挙げた3曲に共通するのが渾身の転調構成で、「DEAR」は理屈としては「同主音による近親移調」を応用していますが、こんなふうにヴァースを繋げられるものなのか、と惚れ惚れします。
妥協なき緻密なコード進行、美しいメロディーはいずれのジュリーへの提供曲にも言える堯之さんの魅力でしょう。

堯之さんのギター・レコーディングの個人的なベスト・テイクは「今、僕は倖せです」でのオーヴァーダブのエレキ・ギター。
「沢田がこう歌っているから、こうなるんだ」という徹底したフレージングは、正に堯之さんオリジナル!な考案力の成せるところで、それが後の「時の過ぎゆくままに」のあの有名なフレーズをも誕生させたのだと僕は考えています。

僕はずいぶん遅れてきたジュリーファンとは言え、幼少時からそれと知らず井上バンド演奏の『太陽にほえろ!』サウンドトラックを聴いていましたし、堯之さんのギターを語るだけの遺伝子は辛うじて持っているかもしれない、と思っています。『ジュリー祭り』以降は多くの先輩方に教えを授かり、堯之さんがジュリーにとって特別な人のひとりであることも学んできました。
これからも機会あらば堯之さんの素晴らしい功績、音源についてしっかりと、本質的な評価を以って書き綴っていこうと決意を新たにする次第です。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

« 2018年4月 | トップページ