沢田研二 「DEAR」
from『TOKIO』、1979
1. TOKIO
2. MITSUKO
3. ロンリー・ウルフ
4. KNOCK TURN
5. ミュータント
6. DEAR
7. コインに任せて
8. 捨てぜりふ
9. アムネジア
10. 夢を語れる相手がいれば
11. TOKIO(REPRISE)
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ゴールデン・ウィーク後半を風邪で丸々引きこもりで過ごし、現在取り組んでいる”作曲家・ジュリーの旅”シリーズの次のお題曲がまだ下書き途中という状況の中、先日の井上堯之さんの訃報を受けて今日は急遽、この記事を書いています。
加瀬さんの時もそうでしたが、あまりに突然の知らせでした。
5月5日の朝、熱で重い頭を抱え起き出した時にカミさんから訃報を知らされ、「えっ!」と言ったきり言葉を失いました。
演奏活動を再開されてからの堯之さんは精力的にLIVE活動をされていたので、近いうちに都内のLIVEに出かけてみないとなぁ、と考えていた矢先のこと。まだまだお元気だと思っていたのに・・・僕はとうとう堯之さんのギターを生で聴く機会を逃してしまいました。
これまで何度か複数の先輩からLIVE参加のお誘いも頂いていたのに都合が合わず、今になって後悔するばかりです。
先の50周年記念ツアーで、ジュリーはデビュー以来の歴史をMCで語る際、PYGのことをよく話してくれていました。
そうしたこともあり、今年の70超えツアーで何かしらPYGのメンバー絡みのサプライズがあるかもしれない、と(特に長いファン歴の)先輩方の多くが期待を持たれているようでした。
今年の4月にお会いした先輩とも、「全国ツアーすべての帯同は無理としても、アリーナクラスの会場で堯之さんが「時の過ぎゆくままに」でゲスト参加することはあるかもしれない」とお話したばかり。それも叶わぬ夢となってしまいました。本当に残念です。
ジュリーが「PYGのLIVEではお客さんよりメンバーの方が人数が多い時もあった」と語っていたのは、冗談だったのかそれとも本当にそんな時もあったのか、リアルタイムで彼らの活動、情報に接していない僕には分からないのですが、PYGというバンドがその素晴らしさとかけ離れてあまりに不遇であり悲運であったことは確かなのでしょう。
あれほどロックに特化したバンドが当時、本来ロックたるものを正当に評価すべき人達の一部から「商業主義」などと揶揄されていたとは、後追いファンの僕には信じ難いことです。
また、今ではPYGを評価する音楽評論家の文章も多く見られるようになってきた中でも、その演奏についてジョン・ポール・ジョーンズ(レッド・ツェッペリン)の言葉を引き合いにサリーのベースにのみ言及したものが散見されるという状況は、未だにPYGが過小評価の憂き目を見る不遇のバンドであるように僕には感じられて、とても口惜しい思いを持ち続けています。
仕方のないこととは言え、大きな影響力を持つミュージシャンの発言に囚われPYGの本質に触れていない評論が多すぎるのではないか、と。それもこれから変わってはいくのでしょうけど。
昨年「自由に歩いて愛して」の記事で書いたことですが、今一度ここでも書いておきたい・・・サリーのベースはもちろん素晴らしいのですが、PYG期のサリーの演奏は与えられた役割を黙々とこなすという類の素晴らしさなのであって、PYGを偉大なロック・バンドたらしめているのはまず堯之さんのギターと大野さんの鍵盤。この両輪による考案力と構成力です。
作曲家としての堯之さんについては僕はそのほとんどをジュリーを通してしか知らないのですが、特に「美しい予感」「遠い旅」の2曲はジュリー・ナンバーの中で抜きん出て好きな名曲。さらに、堯之さん作曲のジュリー・ナンバーでその2曲に続いて好きなのが急遽今日の記事お題に借りた「DEAR」です。
挙げた3曲に共通するのが渾身の転調構成で、「DEAR」は理屈としては「同主音による近親移調」を応用していますが、こんなふうにヴァースを繋げられるものなのか、と惚れ惚れします。
妥協なき緻密なコード進行、美しいメロディーはいずれのジュリーへの提供曲にも言える堯之さんの魅力でしょう。
堯之さんのギター・レコーディングの個人的なベスト・テイクは「今、僕は倖せです」でのオーヴァーダブのエレキ・ギター。
「沢田がこう歌っているから、こうなるんだ」という徹底したフレージングは、正に堯之さんオリジナル!な考案力の成せるところで、それが後の「時の過ぎゆくままに」のあの有名なフレーズをも誕生させたのだと僕は考えています。
僕はずいぶん遅れてきたジュリーファンとは言え、幼少時からそれと知らず井上バンド演奏の『太陽にほえろ!』サウンドトラックを聴いていましたし、堯之さんのギターを語るだけの遺伝子は辛うじて持っているかもしれない、と思っています。『ジュリー祭り』以降は多くの先輩方に教えを授かり、堯之さんがジュリーにとって特別な人のひとりであることも学んできました。
これからも機会あらば堯之さんの素晴らしい功績、音源についてしっかりと、本質的な評価を以って書き綴っていこうと決意を新たにする次第です。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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コメント
DY様 ご無沙汰しております!いつも楽しみにしてます。68年生まれの身は レコード屋さんで レコードをパラパラめくるような暇つぶしが日常にありました。小学生 中学生の頃 当時のレコード屋さんには5年前~10年前のレコードがいつでもありました。お年玉で…誕生日祝いで…いつか このレコードを買おう!などと思ったものです。「今、僕は~」「日生リサイタル」などは いつか いつか と思いながら パラパラめくりました…(後に買いましたが)なんとなく加瀬さんが亡くなった時にも 今回もそんなことを思い出しました…
投稿: クリングル | 2018年5月 7日 (月) 22時35分
クリングル様
ありがとうございます!
引き続きお読み頂けているようで嬉しいです。
僕は66年ですが、僕らは「最後のレコード世代」と言えるかもしれませんね。
僕の故郷も田舎ですがレコード店があり、確かにずっと以前にリリースされた作品がそのまま残って売られていましたねぇ・・・。
LPを買うと「ポスター1枚どれでも持ってっていいよ」とお店の人が言ってくれて、もし今なら迷わずジュリーですが、当時は榊原郁恵さんなどを持って帰っていたものです。
堯之さんにしろ加瀬さんにしろ、その音はレコードに刻まれたところからスタートしているわけですよね。
僕もそんな作品をリアルタイムでレコードで聴いてみたかったものです・・・。
投稿: DYNAMITE | 2018年5月 8日 (火) 12時29分
DY様
こんにちは。堯之さん、突然のことで驚いています。ここ数年、時代の大きな曲がり角に差し掛かっているんだなと改めて実感しました。
堯之さんの私の勝手なイメージ……職人気質だけどやさしくて、気遣いの人だけどあまり芸能チックなことに迎合しない孤高のギタリスト…。実際にご本人に接したことはもちろんありませんが、多くのミュージシャンに影響を与えたことは確かですね。心よりご冥福をお祈りします。
さて、お題曲ですが、同時期の「I am I」の方が個人的には好きかな、堯之さんの提供曲では。『TOKIO』のアルバムは名曲目白押し、ちょっと地味なイメージでしょうか。
PS.昨夜友人とのメールのやりとりで知りました。東海林修さんまで…。
投稿: ねこ仮面 | 2018年5月 8日 (火) 12時47分
ねこ仮面様
ありがとうございます!
本当に突然の知らせでしたね・・・。
さらに、昨夜この記事をupした直後に東海林さんの訃報も知り、仰る通り時代の大きな曲がり角を感じずにはいられません。寂しいですね。
堯之さんは、ジュリー絡みのレコーディング音源の演奏についてはとにかくストイックというのが僕の印象です。
ジュリーの歌がこうだから、ギターはこうなる、と考えに考え抜かれたフレージングの素晴らしさ・・・楽曲の体内に注がれる血流、という感じです。だから堯之さんのギターは「泣く」のですね。
「I am I」は僕も大好きです。
同時期の「DEAR」とは甲乙つけ難いですが、楽曲構成の綿密さでは「DEAR」、音域の豪胆さは「I am I」といったところでしょうか。
投稿: DYNAMITE | 2018年5月 8日 (火) 16時00分
DY様 こんにちは。
言葉での直接のやりとりは、売り言葉に買い言葉でいらんこと言って取り返しがつかなくなることがある。
だから本当に伝えたいことは手紙で。何度も読み返し、自分が本当に伝えたいことを文字に込めて相手に送る。そんな手紙を最後に書いたのはいつだったでしょう。
今では家族も友達もラインかメールですから。
サリーの降板、心配です。一時的な体調不良ならいいのですが。
そして、西城秀樹さんの急死、ショックです。
同い年だし。
しばらく会ってない友達がファンでした。
ルックス派の私とスタイル派の彼女でどっちが素敵か議論したのが懐かしい。ご冥福をお祈りします。
投稿: nekomodoki | 2018年5月17日 (木) 15時38分
nekomodoki様
ありがとうございます!
お知らせ頂いた誤字は修正しておきました。
僕は若い頃は手紙をやく書いていた方だとは思います。大学進学で上京する際、父親から「無理して頻繁に帰ってこなくてもいいからお母さんに手紙を書け」と言われたので、心がけていました。
でも今は「紙に字を書く」ことすら仕事以外ではほとんど無くなってしまいましたね・・・。
これではイカン、とは思っているのですが・・・。
サリーの体調不良、西城さんの訃報ともに先程知ったばかりで驚いています。
西城さんについては、あまりに早過ぎるとしか言えません。とても悲しい知らせでした。
やりきれない訃報が続いて心沈みますね・・・。
投稿: DYNAMITE | 2018年5月17日 (木) 16時18分