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2018年4月29日 (日)

沢田研二 「一人ベッドで」

from『JULIEⅣ~今 僕は倖せです』、1972

Julie4

1. 今、僕は倖せです
2. 被害妄想
3. 不良時代
4. 湯屋さん
5. 悲しくなると
6. 古い巣
7. 
8. 怒りの捨て場
9. 一人ベッドで
10. 誕生日
11. ラヴ ソング
12. 気がかりな奴
13. お前なら

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更新間隔が空いてしまいました~。
世間はいよいよゴールデン・ウィーク。我が家は先週の金土日とカミさんの実家のお墓参りで関西方面を旅しましたので、カレンダー通りのゴールデン・ウィークは遠出はせず、近場にちょこちょこと出かけるだけになりそうですが、みなさまはいかがでしょうか。

先週の関西の旅は、京都→守山→西脇→加古川→神戸→芦屋→大阪と結構あちらこちらに移動がありまして、各地で美味しいものを頂いてきました。


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↑ 京都駅新幹線改札内のお蕎麦屋さん『松葉』さん。
カミさんがこのお店の「にしんそば」が好きで関西旅行の際は必ず立ち寄っていますが、僕はやはり蕎麦は「もり」派です。個人的には、蕎麦は今くらいの季節が一番美味しいと思います。


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↑ 守山にて、たまたまマグロの解体ショーをやっていまして、見た後にカミさんの両親に大量の中トロと赤身を買って貰いました。夜、ちょっと食べ過ぎた・・・。


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↑ 西脇にて、カミさんが通っていた小学校の真ん前にある播州ラーメンの有名店『大橋ラーメン』さん。今回初めて訪れましたが、甘みの強い醤油味は噂に違わぬ絶品でした。


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↑ 神戸三宮の老舗ステーキ店『モーリヤ』さん。渋み走ったカッコ良いシェフのおじさま(と言ってもたぶん僕より年下笑)が目の前でランプとフィレを焼いてくれました。溶けるような柔らかさでした。


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↑ 結婚前にカミさんが住んでいた芦屋にて、有名なパン屋さん『パンタイム』さん。朝9時半くらいに行ったのですが、その時点で品切れ(と言うか焼くのが追いつかない状態)続出の大賑わい。


・・・と、ちょっと膝の調子が悪かったのですがのんびりとした良い旅で、リフレッシュしてきましたよ~。


さて、お題に関係の無い枕はこのくらいで。
拙ブログでは今日から5月いっぱいの間、”作曲家・ジュリーの旅”シリーズということで、ジュリー自作の名曲群をお題に採り上げていきます。
70年代が2曲、80年代、90年代、2000年代がそれぞれ1曲、計5曲の考察記事を書く予定。まず今日は70年代、作詞・作曲ともにジュリーのペンによるナンバー、72年リリースのアルバム『JULIE Ⅳ~今僕は倖せです』から「一人ベッドで」を選びました。

実は、いつも仲良くしてくださる先輩(ジュリーだけでなくビートルズ・ファンとしても先輩です)が急病で入院されまして、「今弱っているので、元気が出る系ではなく何か癒され系の曲を」とリクエストを頂きました。
入院中のかたに向けて「一人ベッドで」って選曲として逆にどうなの?というお声も聞こえてきそうですが、僕はこの曲「癒し系」だと思うんですよね~。
確かに歌詞はちょっと辛い感じなのですが、いざメロディーに載ると不思議に鎮痛効果があり、演奏も穏やかです。それに、このジュリーの声ですよ!張り上げる箇所もなく訥々と語りかけるように歌っているのも癒され要素ではないでしょうか。

あ、その先輩からは「病人にも優しいコンパクトな文量で」とお願いされたのですが、それは無理(と言うかむしろいつもより長めになるかもしれません汗)。
毎度毎度の長文ですみません・・・。


①『JULIE Ⅳ~今僕は倖せです』製作の意義

僕などは後追いのファンですし、ジュリーの歴史を知れば知るほど「稀有な存在」とか「天や時代に選ばれし人」と言いたくなりますが、その歴史を線ではなく点としてそれぞれの時代に目を向けると、決してジュリーはただ選ばれていただけでなく、自らの判断を以って進むべき道を切り開いていたのだと分かります。

先日「美しい予感」の記事で、最先端のプロフェッショナルに囲まれリードされた『JULIEⅡ』の演奏が個人的には好みである、と書きました。
ただし、『JULIEⅡ』のようなレコーディング製作、プロデュース法だけがその後続いていたとしたらジュリーの歴史はどうなっていたでしょうか。次第に井上バンドがジュリーに関わる機会が減少し、ジュリー個人は歌謡界のごくごく一般的な「ソロ歌手」となっていく・・・そんな道程も可能性はあったかもしれません。
それを「自分はロック・バンドと共に歌いたい」というタイガース以来の思いを持ち、巡ってくるタイミングを逃さず自ら道を切り開いていったジュリーだからこそ、この50年の実際の歴史が作られているでしょう。
製作サイドの思惑からすると、もしかしたら「逆」と言えるようなことであっても、ジュリーはその都度バンドに拘り、もちろん一方では「用意された」外部プロフェッショナルとの共演も拒絶することなく歌手人生の糧としてきた・・・頑固な信念にまで至る自分自身の好みと、聞き分けの良いプロ根性。両輪フル稼働するジュリー70年代初期の製作活動は正しく「冒険と実力」並び立つ偉大なキャリアです。

『JULIEⅡ』から「周囲の反対を押し切って」シングル・カットした「許されない愛」が大ヒット。そのご褒美としてセルフ・プロデュースを任されたという有名な逸話が残るアルバム『JULIEⅣ~今 僕は倖せです』は、ジュリーの創作志向が明快に押し出され、周囲にもその志を認めさせたという点で、2018年の現在に至るロックなツアー、製作スタンスを最初に確立させた最重要の1枚。本来の意味でのファースト・アルバムと言って良いかもしれません。
もちろん『JULIEⅡ』とは真逆のベクトルながら、井上バンド(正式には当時は「井上堯之グループ」であり、かつジュリーの意識としてはPYG)の演奏的にも大いに評価されるべき名盤です。

僕はまだこのアルバムから「不良時代」「涙」のただ2曲しか、しかも10年前の『ジュリー祭り』東京ドーム公演の1度しか、さらには「涙」の演奏中にトイレに行ってしまったので厳密には「不良時代」1曲のみしか、生体感できていません。
裕也さんとのジョイント・コンサート『きめてやる今夜』に参加できなかったのが痛過ぎますが(そこで「湯屋さん」がセトリ入り)、今後このアルバム収録曲を体感する機会は巡ってくるのでしょうか。
タイトルチューンの「今、僕は倖せです」や、「不良時代」「湯屋さん」とともに、個人的にアルバム収録曲の中でも特に好きな1曲「一人ベッドで」・・・今日お題に採り上げるこの曲については今後の生体感は諦めていますが、若き作曲家・ジュリーのワン・アイデア構成、それを完璧にサポートし練り上げた井上バンドのアレンジ双方に語るポイントの多い「静かなる隠れた名曲」です。
では、僕がこの曲のどういう点に惹かれているのかを次チャプターで詳しく書いていきましょう。



②「一人ベッドで」とフォトポエム

アルバム『JULIE Ⅳ~今僕は倖せです』を初めて聴いたのはたぶん2006年。ポリドール期の再発リマスターCDを怒涛の勢いで買いまくっていた、いわゆる僕にとっての”第1次ジュリー堕ち期”の終盤でした。
既に『チャコール・グレイの肖像』を聴いた後で、「ジュリーの作曲は面白い!」という予備知識もありましたから、特にジュリー独特の曲作りに驚くこともなく初聴時からゆったりと楽しみながらアルバム全編を通して聴けた記憶があります。
この「一人ベッドで」は一発で気に入って、「うわ、こういう変テコな曲は好みだなぁ」と思いました。しかし何度か聴くうちに「ちょっと待てよ」と。
この曲の、何処が変テコなの?
そう自問し始めたのです。

まったく同じメロディーの短いヴァースが、1番→2番→3番と繰り返されるのみ。「Aメロ」とか「サビ」の概念が無い、これ以上ないほどのシンプルな構成です。
コード進行にも、何も変則的なところはありません。調号の変化は登場せず、ニ短調の王道過ぎるほどの王道進行。ジュリーのヴォーカルは淡々とメロディーをなぞり、大げさな箇所も力を入れる箇所もなく、最初から最後までいたって普通に歌われます。
なのに、すごく変テコな印象の曲に聴こえる・・・こりゃあ一体何だ?と。
しばらくして、このアルバム自体が「曲」と言うよりジュリーの「スケッチ集」と呼ぶべきプライヴェートな作品であり、「一人ベッドで」は特にそんな要素が濃くて、もし「ビジネス的」なプロデューサーが製作していたら真っ先にオミットされる、或いは大幅に書き換えられるような・・・そんな曲がむき出しの原型をとどめたまま収録されていることこそがこのアルバムの目玉なのだ、と気づくことになります。

72年というと、邦楽の「作曲」作業が技術的にも構成的にも大きく飛躍した時代。「一人ベッドで」は(あくまでも「当時」の)プロの目からするととても未熟な曲と捉えられたかもしれません。
しかし、もし近年のアルバムの中でこの曲がリリースされていたとしたらどうでしょう。それは、ベテランの作曲家が腕をしならせて提示する愛らしい小品、例えば映画の挿入歌であったり、舞台のワンシーンに演奏時間も雰囲気もピッタリ当て込むような「熟練」の作曲手法として散見される類のものに見えます。
「一人ベッドで」は、若きジュリーの「歌」であるが故に、妙に時代的に早過ぎる曲なんですよ。

しかもよくよく考えてみれば、同時期の音楽とリンクしている曲でもあるんですよねぇ。

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↑ 今回の参考スコアは、Mママ様からお借りしている『深夜放送ファン別冊・沢田研二の素晴らしい世界』から。
この本は時々古書店で凄まじい値段で販売されているのを見かけます。採譜の精度は低いですが(今回の「一人ベッドで」にも、「B♭」が抜け落ちる致命的な箇所があったりします)、本当に貴重な資料が今自分の手元にあることに感謝! 

詞はジョン・レノンが妻の小野洋子さんに日本の俳句を伝授され影響を受けた『ジョンの魂』収録の一連の「最小限にまで言葉を削った」短いヴァース・リフレインそのものですし、曲(メロディー)についてはそのまま井上バンドがインストものとして『太陽にほえろ!』挿入曲へとシフトさせても違和感なく成立してしまいそうな映像感があります(『太陽にほえろ!』風にインスト・タイトルをつけるなら、「”眠り”のテーマ」といったところでしょうか)。

驚くほどに親身で噛みくだきが良く大衆性もある、それでいてジュリーがファンに手紙を書いたかの如き私的な「シンプルさ」。僕にはどのようにしてジュリーがこういう詞曲を生み出したのかが当初まったく分からなかったのですが、その後『ジュリー祭り』に参加し多くの先輩方に出逢い、古い貴重な資料などを見せて頂いて・・・『女学生の友』のフォトポエムを知った時に「あぁ、これか!」と思いました。
ジュリーは決してその時々の「思いつき」の作詞家、作曲家ではなかった、日々充分「稽古」していたのだと納得させられたと言いますか。
流行雑誌に「アイドル歌手(と敢えて言いますね)のポエム連載」企画が立ち上がったとして、本来ジュリーほどの人気歌手なら自らはフォトの仕事だけ、あとは編集者がそれっぽい文章を併記し、ポエム本編はゴースト任せで何ら問題は無いし、むしろそれが普通のやり方です。実際、『女学生の友』のフォトポエムも連載開始当初はそのスタイルじゃないですか。
ところがジュリーは「この企画に沿う詞を自分で書く」ことをやってみよう、と。なにかしら面白いんじゃないか、と。そう考えるタイプの人だったんですね。
で、やり始めたらそりゃあ進歩しますし深化もしますよね。それが連載同年リリースの『JULIE Ⅳ~今僕は倖せです』に自然に反映されていると。
特に「一人ベッドで」はアルバムの中でも『女学生の友』一連のフォトポエムに最も手触りが近い1篇。
アルバム『JULIE Ⅳ~今僕は倖せです』の特異性、「一人ベッドで」のプライヴェート色に同時期のポエム連載が深く関わっていたことを、僕は初聴時から数年かけてようやく理解しました。

ところで、その後はどうか分かりませんけど、72年当時のジュリーは普段「ベッド」ではなくお布団敷いて寝ていますよね。同じ時期のどの資料だったか、ジュリーは寝る時は自分で布団を敷いて、雨戸をガッチリ閉めて部屋を真っ暗の状態にして眠る、と書いてあったはずです。
ならば「一人ベッドで」はジュリーにとって「自宅」以外の環境を描いた作品ということになります。

夜も 更けて
冷たいベッドで
Dm   F         Gm     B♭  A7

からだよこたえて 疲れた心  に ♪
Dm     F              Gm     B♭ A7

72年秋のリリース、ということを考えればやはりこれはショーケンと一緒にギリシャに行った際のある日、撮影を終えてホテルに帰ってきて「疲れた~!」とベッドに倒れ込む・・・そんなことを歌った歌なんじゃないかな、と想像できます。
「やりきれない」とか「いやなこと」とか結構ダメージ度の高いフレーズが多く使われていますが、僕はそれらのフレーズにさほどの重さは感じません。むしろ充実感や「明日もまた大変やな~。でも頑張るか!」といった「仕事に燃える若きジュリーの、1日のしめくくりの歌」と捉えたいです。純潔な男っぽさを感じますね。
疲れながらも、しっかり今日、明日と向き合っている・・・「一人」になれるつかの間の時間を楽しんでいるような感覚すらある、と思いますがいかがでしょうか。
「身近なところから色々な題材を拾ってみよう」と喜怒哀楽すべてを前向きに盛り込んだアルバムで、「哀」を担ったのがこの曲、と僕は受け取っています。

堯之さんのアレンジ、井上バンドの演奏で僕が特に惹かれるのは、歌メロの最後にくっついてくる堯之さんのアコギとサリーのベースのユニゾンですね~。
たった1小節のブルー・ノート・フレーズがあるだけで、曲全体の緊張感が大きく違ってきます。
このアレンジ・アイデアは、やはり『太陽にほえろ!』のサウンドトラックと同時進行のレコーディングだからこそ生まれたのではないでしょうか。「歌の場面を切る」演奏感覚は『JULIEⅣ~』独特のものです。
初聴時に「一人ベッドで」を(良い意味で)「変テコな曲」と感じたのは、この堯之さん渾身の一瞬のアレンジが耳に残ったからかもしれないなぁ。


③『愛をもとめて』より「脚色」の話

今日はジュリー界の時事ネタ(と言ってももう先々週の話題になってしまうのですが)から思い当たったラジオ音源のご紹介です。
ジュリーファンのみなさまならご存知の通り、先に発売された『週刊現代』にて『芸能界「ステゴロ」(素手の喧嘩)最強は誰だ!?』なる企画記事が掲載され、そこにジュリーの名前も挙げられていたそうですね。
僕は記事そのものは読んでいませんが、saba様のブログでだいたいの内容は掴めました。

ジュリーが喧嘩が強い、ということ自体のは間違いないのでしょう。ジュリーの周囲にいた人達の証言、多々ありますから。ただ、こういう「芸能人の武勇伝」的な記事ではなにかしらの脚色はされてしまう・・・それもまた言えると思います。
今日ご紹介する『沢田研二の愛をもとめて』の放送回では、20代のジュリーがそんな「芸能人のエピソード記事の脚色」について、自らの「あるある話」をしてくれています。詩の朗読メインの回だったのか話自体は短いのですが、この機に書き起こしてみましょう。


自分の過去とか経験というのは、他人に話す時どうしても・・・なんというか、脚色するというかね、まぁ特に僕らみたいなこういう、人に見られるっていうか、そういう仕事をしてますとね、やっぱり脚色されますわね、うん。「勉強はよくできた」か「ぜ~んぜんできひんかった」か、どっちか極端になりますわね(笑)。
「全然できひんかった奴がこうなった!」とかさ、「すごくおとなしかったのがこうなった」とかね。
まぁ僕はおとなしかったですけどね。

それと、まぁ中学時代野球をやってた・・・本当は僕はキャプテンで一塁を守ってた。ファーストをね。
でも最初の頃は(デビュー当時は?)「野球部のキャプテンで、ピッチャーで、4番で」とか(書かれて)。そうした方がカッコええもんね。
やれ高校時代にちょこっと空手部にいた、と。そしたら「空手をやってる」と。「段を持ってるんじゃないか」とか・・・何でもそうですね。

それからまぁ、逆に自分が「こうだったんだ」「ああだったんだ」と記憶していることと、(周りにいた)人がその当時のことを思い出して話したりすると、すごい僕が思ってるのと違ってた、ということがあるんですね。
例えば僕は中学時代、いわゆる番長グループの中にいまして、「一目置かれてる」と思ってたら、それが(人によれば)そうでもないのよね。なんか「おとなしくて、勉強してへんようでもできる人やった」・・・なんてまぁ、それは余計な話ですが(笑)。
ハハハ・・・まぁエエやないですか、うん。

話をしている時のBGMが「白い部屋」で、ジュリーが最後に「僕の新曲」と紹介していますから、75年3月くらいの放送ですね。
ジュリー26歳、なんともてらいの無い俯瞰力です。
一般的に20代の男って、ことさら自分を大きく見せようとするものです。ましてや、それこそ「人に見られる」仕事だったとしたらね。
でもジュリーの「脚色されとるなぁ」とか「そうしちゃう時、あるなぁ」という話し方はすごく自然で、ピュアなんですよねぇ。「謙遜」ともちょっと違う、やっぱり俯瞰力の高さなんだと思います。
加えて「何がポイントか」を世間の常識、憶測から成るある意味での「脚色」に囚われずに判断するという、そういう素質があって、今現在も僕らファンが予想もしていないこととか、あっと驚く想定外のやり方を自然に考え実行に移せるわけですよね。

「自分の曲で、自分のプロデュースでアルバムを作りたい」というのもその一例であり原点でもあり、『JULIEⅣ~今 僕は倖せです』の製作が実現したことも、ただ「人気があって周囲の脚色に乗っかる」だけではないジュリーの本質と言うか気骨と言うか、それがあって刻まれた歴史なんだなぁと改めてこの新規ファンは感心させられているところなのです。
ジュリーのそういう気質が、このアルバムの時点でもう作曲作品にもひそやかに反映されているのかな。


それでは、オマケです!
今日は当然『女学生の友』連載のフォトポエムから。Mママ様が長年保管されていた切抜き資料です。
ポエムのテーマはちょっと今の季節とは違うようですが(たぶん夏の終わり)、「何か特定のテーマがあった方がうまく作れる」とジュリー自身が語り、近年の「祈り歌」で完全に突き抜けた作詞感覚は、72年のこの頃から育まれていたのだと改めて思います。


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そう言えばジュリーは2012年のびわ湖公演で、「子供の頃に泳ぎにいったのは琵琶湖」と話してくれました。レスリング選手みたいなつなぎの水着を着て、通りかかりの人に「可愛いねぇ」とか「おとなしいねぇ」と言われたら一層おとなしくして見せていた、とか。
僕は参加できませんが、今年の古希ツアーでは久々のびわ湖公演があります。
参加されるみなさまは楽しみですね!


では次回の”作曲家・ジュリーの旅”シリーズでは、もう1曲70年代の名曲を。

今日の「一人ベッドで」は王道のコード進行でしたが、次はとんでもない変態作曲の名曲ですよ~。
アルバム『チャコール・グレイの肖像』から、これまた大好きなナンバーを予定しています。お楽しみに!

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みなさまからのリクエスト伝授!」カテゴリの記事

コメント

Dy様 おはようございます。
今日は「端午の節句」ですね。
東京は朝から快晴ですが、早朝ニュースを拝見してましたら、昨日の「イチロー報道」同様の衝撃のニュースが!!!

この2日に、井上 尭之尭之さんが、帰天されたとのことです。
ご遺族、近親者の皆様に心からの哀悼に意と、ささやかですがお祈りを捧げさせていただきます。

4日には近親者のみでの密葬も執り行われたとのことですので、ご家族や元スパイダースの面々やPYGメンバー、その長いギター人生の中で音楽を共に親しんだ方々に、心安らかに送られたことと、信じております。
私も、井上さんのサウンドをスパイダースの時代から見聞きして参りましたから、本日はそのサウンドの遍歴を静かに聴きながら、今日一日をすごさせて戴きます。

では、GWも最終コーナー?に差し掛かりましたが、Dyさん、奥様、良い日々でありますよう。

PS
GW明けには、後期のseikyushoも届きますね。
私も、Julieでは初の埼玉アリーナぜひ,頑張って参加したいと思っております。

投稿: Luchia | 2018年5月 5日 (土) 09時12分

Luchia様

ありがとうございます!
お返事が遅れ申し訳ありませんでした。

堯之さんの訃報にはとても驚き、ショックでした。LIVE活動も定期的にされていましたし、お元気でいらっしゃるとばかり思っていましたから・・・。
突然のことでしたが、Luchia様の仰るように心安らかに旅立たれたものと信じ、ただお祈りするしかありません。

先週までずっとアルバム『JULIEⅣ』を通して聴いて、堯之さんのギターに耳を傾けていたばかりですので、今は信じられない気持ちです。
今夜にも緊急の記事を書かせて頂くつもりです。

投稿: DYNAMITE | 2018年5月 7日 (月) 17時10分

DY様 こんばんは。

このアルバムは等身大のジュリーそのもの。
あの時代に普通の感性を見失なわない強さがこれまで歌うことを支えてきたバックボーンですなのでしょう。
「みずうみ」
「女友」でこの詩を読んだとき「静かな湖」が「不気味」という感性はどこから来るんだろう、とそこにミステリアスなものを感じました。

普通に考えるとジュリーにとって「湖」は琵琶湖、ですよね?
ラジオで話してたのを思い出してみると、夏になると琵琶湖に「海水浴」(?)に行ってたそうですが、バス代の節約で山道を歩き、うさぎ狩りをしてウサギ屋さん(ってあるのかな?)
に売ってお小遣いを稼いだことがあるとか。

「うさぎは前足が短く下り坂が苦手」な習性を利用して捕まえると言ってましたっけ。

ジュリーにとって琵琶湖のイメージは海に近く、この詩に詠われている「湖」は別のもっと奥の人気のない場所にひっそりと佇む小さな湖なんじゃないかという気がします。

堯之さんの訃報、驚きました。
今回のツアー、どこかでゲスト出演してくれないかな、と密かに期待してたんですが、本当に残念です。ご冥福をお祈りいたします。

投稿: nekomodoki | 2018年5月 8日 (火) 22時00分

DYさま、伝授ありがとうございました。

がっ! 後追いの哀しさ、この曲がさっぱり思い出せません(このアルバム、あんまり聴いてなかったらしい)。
退院したら癒されるものか、聴いてみますね!

投稿: ひいきゃん | 2018年5月 9日 (水) 08時44分

nekomodoki様

ありがとうございます!

確かに『女学生の友』掲載ポエムの「みずうみ」はジュリーが幼少より親しんだ琵琶湖のイメージではなく、旅先で見た景色なのでしょう。どこか山奥の湖かもしれませんね。

『OLD GUYS ROCK』で堯之さんのゲスト参加を期待するお声は多くの先輩方から伺ってきましたが、やはりnekomodoki様もそうでしたか・・・。
僕自身も「時の過ぎゆくままに」1曲なら突発的にあり得るかもしれない、と思っていました。叶わぬ夢となり本当に残念です。

慌しくてすみません、お返事一度切ります。

投稿: DYNAMITE | 2018年5月 9日 (水) 12時19分

ひいきゃん様

ありがとうございます!

これはしたり・・・よりによって、ひいきゃん様がよく覚えていない曲を選んでしまいましたか~。
それでなくても大変な時にこのような長文におつきあいさせてしまいすみませんでした。

とにかく少しでも痛み、辛さの緩和がありますように。
他にも味気ない病院食、退屈な毎日など色々と大変でしょうが、1日も早いご快復をお祈りしています。
ジュリーのツアーでお会いしましょう!

投稿: DYNAMITE | 2018年5月 9日 (水) 14時34分

DY様
 こんばんは。
 アルバム全体、歌詞に取り上げられている題材が日常やその当時のジュリーの心情中心、LPレコード買って聴いて最初の印象は「地味やな~」でした。あと、音がかなり「素やな~」と当時中学生の私には渋すぎてあまり好きにはなれませんでした。買ったのはリリースから7年後くらいでしょうか。
 CDで買い直してからは何故かよく聴くようになりました。お題曲はLPではあまり聴かなかった「B面」2曲目、改めて聴いてみると味わい深いですね、イントロなんか特に。
 このアルバムは歌詞カードもご本人手書き、「手作り感」満載、歌詞の所々赤いマジックで「負け」とか「誇り」とかなぞってあったのが何故か印象深いです。

投稿: ねこ仮面 | 2018年5月 9日 (水) 19時59分

ねこ仮面様

ありがとうございます!

確かに僕もポリドール期のアルバムをエキゾ、オールウェイズ期から遡るように購入していきましたから、『Ⅳ』『Ⅷ』について最初の印象は「こんな手作りのアルバムも出していたのか」と意外に感じたりしました。
ただ、音は一発で好みだと思いました。やはり『太陽にほえろ』で幼少時からそれと知らず井上バンドの音に親しんでいたのが大きかったのかなと思います。
その後、ジュリーはどちらかと言うとこれらのアルバム作りの方が本質なのだと分かりました。それは現在の祈り歌の製作スタンスとも共通するのではないでしょうか。

そうそう、歌詞カードの赤文字でなぞった部分はとても興味深いです。
「一人ベッドで」では、「逃げると負けになるから」の「負け」ですね。ジュリーらしい強調の仕方だなぁと感じます。

投稿: DYNAMITE | 2018年5月10日 (木) 09時05分

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