沢田研二 「ロイヤル・ピーチ」
from『OLD GUYS ROCK』、2018
1. グショグショ ワッショイ
2. ロイヤル・ピーチ
3. 核なき世界
4. 屋久島 MAY
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考え過ぎだ、とほとんどの方は思われるでしょうが・・・ジュリーのLIVEに参加し続けてきてここ最近、気になっていることがあります。
ステージ最初のMC時に半ば恒例となっているジュリーの「上機嫌でつとめます」。ご存知の通り、最初にそういう挨拶が始まってのち、それを言わない時期も少しの間だけありましたよね。
では、どういう時に言って、どういう時に言わないのか・・・それが僕には、この愛する国の社会の動きと連動している気がしてならないのです。
もちろんジュリーの「上機嫌」という言葉に他意を感じているわけではありません。「上機嫌」はそのまま「上機嫌」「ごきげん」です。
ただし、その前に無言の「こんな世の中ですが」とか、「我慢ならないことも多々ありますが」といった枕が隠れているんじゃないかなぁ、と。
前回「グショグショ ワッショイ」の記事を書き終えてから、先輩から頂いたコメントやメールを拝見したり、改めて「演奏スタイル」「コード進行」などからいったん離れてじっくり新譜を聴き込んでいるうち、古稀ツアーに向けてのジュリーの「冒険がしたい」の意を僕は安易に捉え過ぎていたかもしれない、と考え始めました。
昨年末のフェスでバンドの解散に触れた際、「まだまだ冒険がしたいんです」ばかりでなく「ごめんなさい」とまでジュリーは言ったと聞きました。
それは「僕のわがままでこういうことになった」ということなのでしょうか。ならば、僕はバンドのことでショックを受けるあまり、ジュリーの「冒険」について考える起点を完全に誤っていました。
演奏スタイルを変えることが「冒険」なのではない、「冒険」のために演奏スタイルが変わる。そういう順序で考えなければいけなかった・・・とすれば。
いよいよやる気か、ジュリー。
覚悟を固めたのか。
大きな会場で、一生懸命歌う姿を晒し、礎石の志を一層広く世間に示そうと。
本当に届けなければいけない所・・・身をもって考えて貰わねばならない連中にも聞こえる場所まで。その本丸にまで花束をもって「祈り歌」を届けようと。
ジュリーの「派手にやりたい」の本意・・・しょせん僕の考えることですから見当外れなのだろう、とは思いつつも。大きな期待と、そして大きな心配が半々です。
ジュリーのようなビッグネームがそれをすれば、一部の心無い非難や中傷、反発、ことによると妨害すらまぬがれません。今までの比じゃあない。
だから・・・なのでしょうか。
この先将来のある、まだまだ若いバンドメンバーを巻き込まないようにしたのでしょうか。
一心同体の柴山さんと2人で『OLD GUYS ROCK』の道をゆくと決めた・・・のでしょうか。
「それでこそ僕が惚れたジュリーだ!」と誇る気持ちもあれば、誰かに「ヒヨッコの分際で考え過ぎですよ」と笑い飛ばして欲しい気持ちもあります。
いずれにしても、ツアー開幕を待つしかありません。
7月までは本当に長いですね。
改めてジャケットのシャクナゲの花を考えます。
今年の新譜が、福島に捧げられた1枚であることを。
そうなると一層分からないのが4曲目「屋久島 MAY」の収録理由で、僕の頼りない感性で思いつけるのは、「癒しの小品で落とす」という世のロック名盤を踏襲したとか、「やくしま」と「ふくしま」を掛けたのではないかとか、説得力皆無なものばかり。まぁ「屋久島 MAY」の考察記事までもう少し考えてみたいと思います。
今日採り上げるのは2曲目「ロイヤル・ピーチ」。
今年の新譜考察シリーズは、1曲目「グショグショワッショイ」を底の浅い考えのまま更新してしまい、悔いの残るスタートとなりました。
ここから巻き返します。前記事の反省も踏まえ、気合を入れ直して踏み込みます!
①福島の桃の話
僕は果物全般好きですが、特に子供時代からずっと好きな果物がイチゴと桃。
しかし独身時代が長く、イチゴはしょっちゅう買って食べていましたが桃はめったに口にできませんでした。自力で皮を剥けないのです(恥)。
その後結婚して家に皮を剥いてくれる人ができたので、毎年たくさん食べられるようになりました。
ここ数年は福島の桃をよく食べています。当たり前のことです。おいしくて、しかも安いのですから。
何故これほどおいしい桃が、他県産のそれと比べて(未だに)こうも価格が安いのか。そこに思い及ばない人は想像力の欠片も無い、と言わざるを得ません。
2014年でしたか、ジュリーとも縁深い糸井重里さんがインスタか何かで福島産の桃をどっさり購入している写真を投稿したところ、酷い誹謗中傷が相次いだというニュースを読んだことがあります。
「何ベクレル?」という低レベルなひやかしはそれでもまだマシな方で、いかにも物知り風に「桃はいたむのが早いので、出荷前の1回しか検査をしていない」などと事実無根のデマまでもが横行する始末。
糸井さんは「何度も丁寧に検査を重ね出荷している生産者の努力をバカにするのか」と激怒されました。
今年の新譜『OLD GUYS ROCK』リリース情報解禁より少し前、JASRACさんの新規登録でジュリーの新曲らしき楽曲タイトルを見た時、僕はいったん「ロイヤル・ピーチ」の「PEACH」を「BEACH」と読んでしまい、「沖縄の歌かな?ジュリーは50周年ツアーで沖縄行ってるしな~」などと見当違いなことを考えました。
「柴山さんが作曲してるみたいですよ!」ということで、取り急ぎ普段から仲良くしてくださるカズラーの先輩お2人に速攻お知らせして、そのやりとりの中で「ロイヤル・ピーチ」の話になり、ぴょんた姉さんに「Pだよ?」と勘違いを修正頂いたわけですが、そもそも僕は「ロイヤル・ピーチ」なる言葉を知らなかったんです。
調べると、福島の桃が出てきました。伊達産の桃が皇室に献上されている、ということも初めて知りました。
伊達市は、プロのタブラ奏者であり昨年の松戸公演を共に参加した僕の長年の友人、S君の故郷です。
彼はあの震災後すぐに故郷のお父さんを亡くしました。原発事故や津波とは直接の関係はありませんが、震災の心労が色濃かったと言います。S君は、当時「ホット・スポット」なる言葉で取り沙汰されることが多かった伊達にひとり残されたお母さんを案じて東京での同居案を申し出たそうですが、お母さんはお父さんが眠る故郷の地に留まる道を選択されました。
あれほどの過酷な事故が起こった以上、僕は「反原発」なんて理屈抜きに当然のことだと思っています。それは思想でもなんでもない。
ただし現実は、世の人々がそこに社会的な思想を見、標榜する、喧伝する、対立するという構図が生まれてしまっています。ですからあの震災後に福島のことを語る時、僕は自分が「反原発」以前に「反差別」である、とハッキリ言っておかねばなりません。
ジュリーが選挙応援演説までした某議員に当初マイナスのイメージを抱いたのは、その点で「自分やジュリーとはずいぶん違う考えなんじゃないか」という引っかかりを感じていたからです。
だからと言って、何故言い争わなければならないのか。僕にはできない、と悶々とした・・・それが2012年『3月8日の雲』リリースから晩夏に至るまでの半年間。
「ジュリーも差別側なのだ」と誤解してしまった福島の先輩とずっとやりとりをしながら、僕は自らの反論をすべて押し殺し、ただただお話を聞くことしかできませんでした。まったくの無力でした。
その経験が僕の中で絶対に譲れない「反差別」の強い気持ちに繋がっています。
その先輩は鉄人バンドの中で下山さんのことが特に好きだったのですが、今回「ロイヤル・ピーチ」のタイトルを知った時、僕はまず下山さんが以前ブログに書いていらした桃の話を思い出しました。
下山さんのお友達に桃を作っている人がいて、事故後「もう桃作りをやめてしまおうか」と悩んでいました。下山さんが「俺が食いたいんだ。来年もお前の作った桃を俺に食わせろ」とぶつかっていくと、お友達は「ほんとけ?」と言ったのだそうです。
このお友達の言葉にこそ、根深い核心があります。「福島で作った桃を、お前は食べたいのか?食べてくれるのか?」ということなのでしょうから。
7年が経った今でも「食べる奴がいるから出荷されるんだ、食べるのをやめろ」などという声があるのは酷い話です。いや、僕なぞは「酷い話だ」と言うだけで済むけれど、生産者の方々はどんな気持ちでいるのか。
こんな状況でも「原発事故による精神的苦痛」に対する賠償を7年目で打ち切ると言うのか。東電、そして「よろしく賠償、(東電に)丸投げイイネ」な政府は。
誰が何を言おうと、僕は今年もまた福島の桃をおいしくいただきます。
②近い「あの世」と遠い「この世」
前回も書きましたが、僕はジュリーの「この世からあの世はどうしようもなく遠い、でもあの世からこの世はすぐ近くなんだ」という考え方がとても好きです。
「あの世」の人は、思い立てばひょいとこの世にやってきて何かを残してくれる。この世の人は普段はそのことに気づけずにいるけど、ふとした瞬間に「あっ?」と感じることがある・・・僕は「ロイヤル・ピーチ」もそんな歌のひとつだと思っています。
僕は今回の新譜4曲の中で圧倒的にこの「ロイヤル・ピーチ」が好きになりました。
周囲にもそう仰るジュリーファンは多いのですが、みなさんこの歌の「優しさ」をとても前向きに聴いていらっしゃるようです。僕はその点がちょっと違って、どうしようもなく辛い歌だ、と感じます。
辛い歌だけど「大好き」だと言える・・・『三年想いよ』で「櫻舗道」を聴いた時を思い出します。「好き」のベクトルがよく似ているのです。
あくまでも少数派、個人的な解釈となりますが、このチャプターでは「ロイヤル・ピーチ」のジュリーの詞について書いていきたいと思います。
もう しあわせも もう かなしみも
C E♭ C E♭
もう あきらめも 笑 う
C B♭ Am7 Dsus4 D
サビの最後に登場する「笑う」が、僕の歌詞解釈とみなさまのそれとの分かれ道になるでしょう。
「明るく笑い飛ばしてしまおう」というのがおそらく多数派ではないでしょうか。しかし僕はこの「笑う」を、歌の主人公の「無力感」の象徴と見ます。
先に、福島の桃のことを書きました。僕が毎年食べている桃は生産者の方々の懸命の努力、丁寧な検査を経て出荷されたものだと考えた時、想像は「僕らの目には触れない、出荷できなかった桃も中にはあるのだろう」という点に至ります。
それでも、あのような事故が起こってしまったのに、無事出荷できる桃が今年も実る。奇跡のような不思議な力によって育っている。その力とは何なのか。
この歌に登場する「君」と主人公は、共に桃作りをしていた夫婦だったのだろうと僕は考えます。
しかし奥様の方があの震災後(或いは震災で)亡くなられた・・・主人公は心折れそうになりながらも桃作りをやめなかった。酷い風評被害に苦しみ、その中で懸命に頑張り、今年も胸を張って出荷できる桃が育つ。
でも、自分では同じように育てているのに、中には出荷できないものもあるかもしれない。
どうしたら、すべてを無事出荷できるような桃に育てられるのだろう?
不思議なことだろ 近いあの世から
Em D G C Bm Am7
何かを 使って 育てて くれてる
D E♭dim Em D6 C Bm Am7 D
「あの世」の君が不思議な力で手を貸してくれているから、この立派な桃ができるのだ、と。
それしかあり得ない、と。
自分もそんな不思議な力を持っていれば当然その力を使ってすべての桃を作る・・・でも。
術はありはしない 頑張る しかない
D E♭dim Em C Bm Am7 D
曲中、寂寥のディミニッシュ・コードが採り入れられているBメロのこ箇所に、ジュリーの「何かを使って」と共に「術はありはしない」の切ない詞は載りました。
「この世」に住む自分はその不思議な力を持たない。「君」が時々助けてくれるけど、自分自身は無力。
だから、ただひたすら頑張るより他に術はない。
先述した糸井さんの怒りは、そんな「頑張る」被災者をバカにするような一部の心無い、想像力を持たない人達に向けられたものです。ジュリーが2015年にリリースした「限 界 臨 界」で歌った怒りと同じです。
そう考えるとやはり「ロイヤル・ピーチ」は辛い、切ない歌だと僕には思えてなりません。
この解釈が正しいかどうかの自信はありません。
でも僕は未だこの詞に「明るさ」は見出せない。だからこそ愛おしい。ジュリーの心を感じるから歌もこんなに美しい、大好きだ、と思っています。
これから咲こうという花、実ろうという果実に「あの世」からの便りを感じ、「この世」の無力を想い、笑う・・・それが僕の聴きとっている「ロイヤル・ピーチ」。
みなさまのお考えはどうでしょうか。
③王道にして斬新、珠玉の柴山バラード!
美しいバラードを、ディストーションの効いたエレキで歌うOLD GUYS ROCK。
前回「グショグショ ワッショイ」の記事では、柴山さんの尖ったロックな変則進行について多くを書きました。では「ロイヤル・ピーチ」はどうでしょうか。
斬新な転調、目眩めく展開。いかにもギタリストらしい緻密な作曲という点では同じです。
ただしこの曲の場合は、Aメロ、Bメロ、サビのヴァースを独立させて紐解くと、それぞれキャッチーでおいしい「王道」進行が盛り込まれていることが分かります。
その繋ぎ目、つまり曲想の展開のさせ方が柴山さんの工夫であり、斬新なアイデアなのですね。
王道の進行となれば当然、世に同じ理屈の進行を擁する曲は幾多あるわけです。
まずはAメロ。キーはト長調。
君の育て た桃 花もうすぐ咲き
G Gaug G6 G7 Am F D
ここは「胸キュン進行」の代表格と言えるクリシェです。クリシェというのは、ある同じ和音を続けてゆく中で、一定の間隔で半音ずつ変化する音を足してゆくという進行。下降型と上昇型があり、ジュリー関連で下降型を用いた曲は「僕のマリー」「愛はもう偽り」「緑色の部屋」「Uncle Donald」など。上昇型では「I'M IN BLUE」「涙のhappy new year」「渚でシャララ」そして柴山さん作曲の「Fridays Voice」などが挙げられます。
「ロイヤル・ピーチ」のAメロはト長調のトニック「ソ・シ・レ」の和音から「レ」の音を起点として、「レ#」(Gaug)「ミ」(G6)「ファ」(G7)の音が足されていきます。
上昇型のクリシェですね。
Bメロがまた美しい王道進行。
冒頭の「不思議なことだろ 近いあの世から」のメロディーに、「さよならを待たせて」を連想したジュリーファンは多いのではないでしょうか。
Aメロとの繋がりは調号の変化こそ登場しませんが、最初のコードがメジャー(G)ではなくマイナー(Em)です。その点が「さよならを待たせて」と異なり、AメロとBメロを大きくひとつとして捉えた際の「移旋」のニュアンスを持つ繋がりであると言えます。
サビは明快に転調し、キーは変ロ長調。
もう 花びら が 花びらが 舞うよ
B♭ F(onA) Gm F E♭B♭ A♭ F
「舞うよ」の「よ」の和音でタイガースの「スマイル・フォー・ミー」を連想された方はいらっしゃるかなぁ。
そこまで行かなくても、有名なスタンダートの名曲「翼をください」から「とんでゆきたいよ」の箇所を思い出した、という方は?
すなわちこれもまた王道なのです。このように、「王道」の美しさが随所に散りばめられた進行なのに、それぞれの繋がりがひと筋縄ではいかない、というのが柴山さんの本領発揮、入魂度の高さと見るべきでしょう。
また間奏のソロ(「グショグショ ワッショイ」同様この曲も、2本のエレキギターの重ね録りであるにも関わらず単音ソロ部にリズム・バッキングはありません。あくまで「ギター1本での再現」を見据えたアレンジです)は、歌メロ部とは別の進行が考案されています。
Em→Bmの響きは、ウィングスの「ピカソの遺言」みたいで個人的にはとても好きな進行です。
採譜していて「あれっ?」と思ったのはキー設定。メロディーの最高音が高い「ミ」の音、最低音は低い「ソ」の音で、これはジュリーの現在の声域と照らし合わせるとかなり低めです。
最低音の「ソ」は1番で言うと「近いあの世から」の「か」の部分。「グショグショ ワッショイ」での「ラ」や「FRIDAYS VOICE」での「ソ#」よりもさらに低く、僕が把握している限りジュリー史上最も低い音なのです。
それでもジュリーが何ら苦にせず歌えているのは本当に凄いことですが(僕自身は低音は「ラ」までしか出せません)、「歌い易さ」だけを考えると最高を「ファ#」、最低を「ラ」、つまりイ長調で設定した方が適正だったはず。それに、柴山さんの作曲も最初はイ長調だった可能性が高い。クリシェ部、転調部含めてその方がフォームの移動が自然ですから。
では何故この低いキー設定に?
これは、ジュリーがこの曲を「力を入れて高いメロディーを朗々と歌い上げるような発声はしたくない」と考えたからではないでしょうか。
実際ジュリーのヴォーカルは、囁くように淡々と、そして優しい歌い方です。とすれば最高音が登場するAメロ「ロイヤル・ピーチ」の「ル」の発声、ここがしっくりくるかどうか、がジュリーの基準となったでしょう。
この歌い方は、ジュリー・ヴォーカルの語尾テクニックとしてはレアな「抜く」感じの発声で特に美しく迫ってきます。具体的には「花もうすぐ咲き」の「き」や、「語りかける桃」の最後の「も」です。
2音に分かれる1文字のメロディー、その2音目をフッと抜いているんですよね。それが切なく優しい声、詞とメロディーだからこそ、激しく胸を打たれます。
演奏面で僕が惹きつけられるのは、2本のギター・トラックで右サイドがアルペジオ、左サイドがコード・バッキングと分かれる箇所です。
この曲が古稀ツアーでギター1本の伴奏で再現されるなら、柴山さんがどちらのパートを採用するのかも大きな注目ポイントでしょう。楽しみです!
先の日曜日、桜が開花するかもしれないとの話もあり雑司が谷近辺の散策に出かけましたが、桜はまだまだという感じでした。
こちらは気温も今週半ば冬に逆戻りするらしく、体調に気をつけながら、再び暖かくなるという週末の開花を楽しみに待つことになりそうです。
みなさまお住まいの地はいかがでしょうか。
それでは次回お題は「核なき世界」です。
直球と言えばそうですが、ジュリーらしい暗喩、痛烈な皮肉も数多く散りばめられていて、こういう詞にこそジュリーの「怒髪天」を見る思いがします。
今年も僕のジュリー道の師匠の先輩から新譜の感想メールを頂きまして、「核なき世界」は収録曲中唯一、先輩と僕の歌詞解釈がピタリと合っていた曲。
先輩の感想は「ロイヤル・ピーチ」については僕のそれとはかなり違っていて、「僕はやっぱり考え過ぎなのかなぁ」と思いましたし、「グショグショ ワッショイ」にいたっては、先輩は僕の考察記事を読んでくださった後でハッキリ、「全然違う~」と呆れ笑っていらっしゃいました(今はあの記事を恥ずかしく思っています)。
でも、「核なき世界」はそんな先輩とも「護る」「恥」などキーワードの解釈がまったく同じでした。今日以上に「踏み込んだ」考察が必要な曲だけに、大変心強く思っているところです。
引き続き頑張ります!
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コメント
DY様 こんにちは
先週、ホームセンターの園芸コーナーへ行った時です。目の前で鉢植えコーナーの入れ替えをし始めまして、見ていたら「シャクナゲ」がたくさん登場しました。そこで初めて「屋久島シャクナゲ」を知りました。もちろん花はまだですが、歯肉がいかにも南国産だなと思いました。「屋久島シャクナゲ」も福島県の花「ネモトシャクナゲ」も固有の花という共通点があり、自然保護や環境保全の大事さは言うまでもありません。
さてお題曲ですが、解釈が難しいですね。なぜそうなるのか。歌を聴いているときれいなバラードだなと思いますが、歌詞を声に出して読むとなぜかしっくりしません。「花もうすぐ咲き」の語順や「もう〜笑う」の部分の表現が。
「今泣いた烏が もう笑う」とは言いますが、「もう あきらめも 笑う」だけでは言葉足らずに聴こえ、「笑うしかない」と言いたいのかなと思えます。敢えて言葉を削って、本音を隠しているのでしょうか。
また「もう〜笑う」のメロディーが、「Fridays Voice」を思い出させるから厄介です。タイミング良くというか国会が揺れ、首相官邸前でのデモが起きました。お題曲からデモを連想するのは飛躍的かも知れませんが、『un democratic love』以降、「君」の表現に疑いを持つようになってしまいました。
投稿: BAT | 2018年3月21日 (水) 12時43分
DY 様、こんにちは。
私が「ロイヤル・ピーチ」で検索したら「献上桃の郷・福島県桑折町」とありました。
震災後はどうなったのか気になって、役場に問合せました。
震災後も途絶える事なく続いて、今年で25年目になるそうです。
曲からジュリーの被災地に寄せる想いが伝わって、胸が熱くなります。
投稿: しぶ姐 | 2018年3月21日 (水) 14時56分
BAT様
ありがとうございます!
僕は鹿児島出身ですが、屋久島を訪れたことがなく「屋久島シャクナゲ」についてもよく知りませんでした。
今回の新譜がきっかけで改めて福島とシャクナゲと写真を比べて見てみましたが、なるほど福島は北国、屋久島は南国という感じは漠然とですがありますね。
確かにジュリーの祈り歌において、一人称、二人称の捉え方は油断なりません。
ただ「ロイヤル・ピーチ」の場合はそのまま「追想の中の愛しい人」という解釈で良いように僕は思います。
「笑うしかない」というのは僕もBAT様と同じように感じますね。
☆
しぶ姐様
ありがとうございます!
震災後の「ロイヤル・ピーチ」、気になっていました。
途絶えることなく25年目・・・心熱くなる嬉しいお知らせです。ありがとうございます。
そちらはまだまだ寒さも厳しいのでしょうね。
今回ツアーのスケジュールをパッと見た時、これは仙台に行くチャンスだ!と一瞬思ったのですがよく考えると今年は『楽器フェア』というイベントのある年で、11月第一週は土日出勤せねばなりません。
今年1月に熊本に行って思ったのですが、やはり現地を訪れてみないと分からない被災地の現状・・・いつか必ずジュリーの仙台、また福島の公演にも参加したいです。
投稿: DYNAMITE | 2018年3月22日 (木) 09時16分
はじめまして。
勝手に感じたままで、お許しください。
東北の春、木の花が咲きだし、
一年の時の流れが実感されるとき。
もう春、今年もこの季節。
気がついたら何年目。
一日一日、ひたすら働き、季節がめぐりそしてまた春。
忙しく動くあの人の姿があり、
その声や働く音が響くはずの場所。
ひっそりした果樹園。
鳥の声。遠く走り去る車。
静寂のなか、黙々と、作業する人。
時に、疲れはて、孤独のなか、
声なくひとり、叫び、吠え、泣きながら。
一年分の収穫の時、
一年間の労働が実をむすぶ一つの果実。
貴く輝くあたたかな色、まろやかな香り、やわらかな陽のぬくもり、
やさしくデリケートな肌、甘くとろける果実がその手に包まれる。
作業する手を止めて、そのフォルムを見つめてしまう。
たわわに実った枝を見上げて、
その向こうに青空の高さを見つける。
大切な愛らしいもの。
感覚のすべてを刺激するもの。
ここで育ち生き続け命が連なる。
誇らしい一品は奇跡のよう。
どこから来たのか。
笑い声が聞こえるよう。
自分も今笑う。
ジュリーの「もう」の繰返し、
一ヶ所音を切った柴山さんのギターが、
わたしにはそんな情景を見せてくれます。
作業着と軍手と長靴。
ジュリーの対極でしょうか。
「男と女」を歌うジュリーが、今、
地に足をつけ生きるひとを歌っても
それもまた不自然ではないような。
演歌とは違う、
「好きだ!」の連呼とも違う、
耳障りのよいメロディや洗練された歌詞とも何か違ったしかたで、
愛情深く、激しい想いを歌ってくれていると感じるのです。
わたしのまわりには、高齢でも、土の仕事を愛し、家族を慈しむ方が多いせいでしょうか。
全然、的外れで、
みなさまのご意見とは違うかもしれませんが。
投稿: piano | 2018年3月22日 (木) 09時22分
piano様
はじめまして。コメントどうもありがとうございます!
胸を打たれるご感想です。
僕は音や言葉に拘るあまり、想像が欠けていたなぁと感じます。ふと作業の手をとめた時に見上げた空の青さや、どこからともなく聞こえてくる笑い声に気づけていませんでした。
本当に、僕の記事はこうしてみなさまにコメントを頂くことで初めて完成するんだ、と感謝しかありません。毎年のジュリーの新譜の記事については特にそう思ってはいたのですが。
ありがとうございます。
いったん柴山さんのギターの音が止み、直後にジュリーがギターと同時に歌いだす瞬間がとても好きです。
仰るように、愛情深い、激しい想いをを感じます。
至らないことも多々あるブログですが、これからもどうそよろしくお願い申し上げます。
投稿: DYNAMITE | 2018年3月22日 (木) 16時24分
DY様
こんばんは。明日は元長官の証人喚問もあるようですが、国会ってそもそも何なんでしょうね。疑惑は徹底的に追求、解明するべきではありますが、国民の「関心事」ばかりじゃなく国民の「暮らしを少しでも豊かにする事」考えるために時間を割いて欲しいです。
さてお題曲、新譜2、3回聴いた段階では4曲中一番地味な印象でしたが聴き込むとなかなか味わい深いです。「3.11」の題材、桃の果実とは……なかなかこれも鋭い切り口でした。色々な事考えさせられます。
あくまで個人的見解ですが……福島県産のもの、積極的に購入する、別に意識はせず他府県のものと分け隔てなく購入する、購入しない……どうするかは個人の判断。ただ、あまり気がすすまない人に押し付けがましく勧めたり、逆に妨害になるような言動ももちろんいけません。私個人は「分け隔てなく購入」派です。DYさんが危惧しておられる?こと、よくわかるつもりです。ジュリーがツアーでどんな編成で何を歌うのかは演じ手の自由。パフォーマンス的にどうだったかは聴き手の判断。良かったと思えば来年以降もライブに参加したいと思うでしょうし、離れて行く人がいるかも知れません。でも蓋を開ける前の今の段階で、来年の武道館1日だけ遠征を考えています。
投稿: ねこ仮面 | 2018年3月26日 (月) 22時56分
ねこ仮面様
ありがとうございます!
コメントを頂き、数年前のドナルド・キーンさんの言葉を思い出しました(震災の2、3年後だったと思います)。
「東北の食べ物を食べるかどうかはその人の自由。別に食べなくても良いんです。ただしそれを言ってはいけません」
ですから、逆に僕なども「自分は福島の桃を食べる」とわざわざ言わず、黙ってたくさん買ってたくさん食べていればそれでよいのですが、今回「ロイヤル・ピーチ」を聴いて、書かずにはいられなくなったんですよね・・・。
来年の武道館には僕も参加するつもりです。
音楽仲間を大勢誘う予定でいますので、千秋楽ではなく土日の1日目、2日目のいずれかに・・・皆の予定を聞いてから決めようと思っています。
投稿: DYNAMITE | 2018年3月27日 (火) 10時26分
DY様 こんばんは。
私もこのタイトルで下山さんのブログを思い出しました。
津波で木が枯れてしまったことだと思ってましたが、風評被害も想定していたんですね。
私は桃が大好きでよく食べます。
木で完熟してものが最高です。
先だって友達と東北へ行き、福島のSAで飲んだ桃ジュースは絶品でした。
下山さんのお友達、桃栽培、再開されたでしょうか・・・。
投稿: nekomodoki | 2018年3月27日 (火) 23時29分
nekomodoki様
ありがとうございます!
故郷の実家から1時間ほどかけて登れる名も無い山に桃の木がたくさんあって、子供時代はよくその近辺でクワガタを捕りに出かけたものです。
ですから僕にとって桃の木は「小さな命」を連想されるものでもあり、そう考えてもこの曲はとても切なく、そしてやはり美しいです。
桃作りのお話・・・「1からの再出発」は本当に大変だと思います。
例えばこのブログが何かのアクシデントですべての記事が消えてしまったとして、じゃあ1から再開できるかと言うと、僕は心折れてしまうんじゃないかなぁと思いますが、被災地のみなさんはその何百倍も大変なのですよね。その決意の重さは想像を絶します・・・。
下山さんのお友達は、どうされたでしょうか。
投稿: DYNAMITE | 2018年3月28日 (水) 09時15分
3日前、新幹線の車窓からロイヤル・ピーチと思われる花を見ました。
北上する新幹線の、福島駅を過ぎた辺りから桜かな?色が濃い目だなぁ…あっ!桃の花だわと自問自答。おそらく今は伊達市か桑折町を通過中なのねと思い至った瞬間から、私の脳ミソはロイヤル・ピーチと断定してしまったらしく(笑)
ジュリーの艶やかな歌声が脳内再生♪
不思議な力で咲いてるロイヤル・ピーチを、偶然にも今まさに見ている幸運を感じました。
今頃は散り始めたでしょうか
今後通過する折には、育ち具合を確認しようとガン見する自分を想像してしまいます(^-^)
投稿: 冬眠yagi | 2018年4月14日 (土) 13時55分
冬眠yagi様
ありがとうございます!
僕は今まで「桃の花」を特に意識して見たことはありませんでした。何となく見ていても、桜だと勘違いしていたんだろうなぁと思います。
今年ジュリーの「ロイヤル・ピーチ」を聴いて初めて、桃の花の写真をたくさん見て、桜との微妙な違いも分かってきました。
今なら僕も新幹線などの車窓から見える桃の花を判別できると思います。いつかこの季節に伊達地方を訪れてみたいものです。
投稿: DYNAMITE | 2018年4月15日 (日) 14時30分