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2018年3月14日 (水)

沢田研二 「グショグショ ワッショイ」

from『OLD GUYS ROCK』、2018

Oldguysrock

1. グショグショ ワッショイ
2. ロイヤル・ピーチ
3. 核なき世界
4. 屋久島 MAY

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さぁ、今年も気合入れてジュリーの新譜全曲の楽曲考察に取り組みます。
2018年、変わらぬ「祈り歌」の新譜はタイトルもズバリ!な『OLD GUYS ROCK』。カッコイイですねぇ。
通勤途中、帰宅後・・・聴きまくっています。
これがジュリーの、何者にも縛られない渾身の新譜。今、「祈り歌」こそがジュリーの自由なロック。
何故なら、ジュリーが「祈り歌」をやめる時があるとすれば、それは正にジュリーの自由が奪われた時だからです。そんなことがあってはなりませんが、もしその時が来たら、「自由を奪われる」という事態は僕ら一般人ひとりひとりにも等しく起こります。
「この国はそこに向かってしまうのではないか」との不安は、ジュリーが3月11日にリリースする毎年の新譜が蹴散らしてくれます。僕自身の自由もこの手の中にある、と思えます。これまでも、これからも、ジュリーが歌い続ける限りそうであって欲しい・・・。
新譜リリース情報が例年に比べ遅かった今年、「もしかしたらジュリーは祈り歌の創作に区切りをつけてしまったのでは」などとあり得ないことを一瞬でも考えてしまった自分をひたすら恥じています。

いやぁそれにしても、ガツンと来るメッセージは毎年のことながら、今年はまさかの演奏形態に衝撃を受けました。みなさまも同様でしょう。「そう来たか!」と。
本当にジュリーは僕らの安易な「常識」「想定」などひと跳びに越えてゆきますね。

収録4曲すべて、エレキギター2本の重ね録り。伴奏はたったそれだけ。
しかも、2トラックであるにも関わらず単音ソロ部のリズム・バッキングを敢えて挿し込まず、「ギター1本あれば、いつでも、どこでも完璧に再現できる」アレンジおよびミックスとなっています。
ですから多くのジュリーファンのみなさまが「今回の新譜の伴奏はギター1本」と捉えていらっしゃるのはごくごく自然なこと。どちらかと言えば、聴き始めてすぐに2本のギターの振分けを確認してしまう僕の耳の方がどうかしているのです(笑)。

「新譜に一気2曲の提供」は、ジュリーと共に歩んできた長い道のりの中でも今年が初めてのこととなる柴山さん。その柴山さん作曲による収録冒頭の2曲でジュリーは、それぞれアプローチこそ違いますが共通のテーマに基づく詞を載せてきました。

震災で亡くなられた人と、今生きている人。
彼岸と此岸を繋ぐもの。

「この世」から「あの世」まではどうしようもなく遠い。逆に「あの世」から「この世」は近いんだ、すぐそこなんだ、というジュリーの考え方が僕はとても好きです。
「この世」にいる僕らは、「あの世」からひょい、と自分のそばに来てくれている人に普通は気づけません。でもふとした時に「あれっ?」と思える瞬間がある・・・そうすると、その人を想う悲しみの中から勇気が沸いてきて、立ち上がれる。頑張れる。
今年の柴山さん提供の2曲には、詩人・ジュリーのそんな感性が反映されています。

今日はまず1曲目「グショグショ ワッショイ」の考察です。魂込めて書きます!

①どうなる?古稀ジュリーのツアー編成大冒険!

3月11日、早速『OLD GUYS ROCK』収録曲の採譜に一日中取り組み、ひと息ついて携帯をチェックすると、ジュリーファンお2人の方からメールが届いていて、それが2通ともほぼ同じ内容。7月からの古稀ツアーでのバンド編成(演奏形態)を、新譜を聴いた上で僕がどう予想するかをお尋ねくださったものでした。

やはりこの新譜を聴いたら、まずみなさんそこを考えますよね。正に僕もそうでした。

もちろん一番「普通」に考えられるのは、柴山さんを中心とした新たなバックバンドの結成です。
ただ、ジュリーは今年から何か新たなスタイルを始めようとしているのではないか・・・僕は直接会場で聞いてはいないけど、50周年ツアーでの大阪、東京各ラスト公演で現バンドとは今回が最後、と知らせてくれた際にジュリーが表明したという「冒険がしたい」との言葉。
その意味を改めて今回の新譜を併せて考えると、これまでとはまるで違った編成や演奏スタイルでのツアーも考えられます。

僕らファンとしてはとにかくツアー開幕を待つしかありませんが、今日は僕なりにジュリーの「新たなLIVE編成」を3パターンほど考えてみました。
お題曲考察の前に、このチャプターではそのあたりを書いていきましょう。

パターン①
柴山さんと2人だけで全公演を突っ走る!


収録曲とは別にタイトルがつけられた今年の新譜『OLD GUYS ROCK』。一聴すれば明々白々、その意はすなわち「俺とカズのロック」でした。
そしてそれがそのままツアー・タイトルへとシフトされている・・・「まさかなぁ」とか「さすがにそれはなかろう」というのはあくまで一般的な考え方に過ぎません。
僕も本格ジュリー堕ちから10年(いや、先輩方からすれば「たかが10年」ではあるんですけど)、ジュリーには自分の頼りない「常識」など通用しないのだ、と何度も思い知らされてきましたしね。

あの怒涛のスケジュールを、永遠の相方・柴山さんとたった2人だけで駆け抜ける・・・たとえ僕らにとっては仰天・想定外なアイデアでも、ジュリーにとっては自然な選択肢、手法なのかもしれないなぁ、と。
もちろん僕とて何の予備知識もなければそんなことは考えもしなかったでしょうが、新譜を聴いた今となっては、ツアー初日・武道館のステージにジュリーと柴山さんの2人しか立っていなくても驚きません。

「我が窮状」も「un democratic love」も、柴山さんならばギター1本でアレンジ、伴奏できます。負担はメチャクチャ重いですが、それを涼しい顔で、笑顔で、時には眉間に皺寄せてでもやってのけるのが柴山さんです。
その場合セトリ的にも従来とは違った選曲が予想され、「遠い旅」や「TRUE BLUE」「幻の恋」といった個人的に大好きなナンバーにも期待が膨らみます。

パターン②
特別出演・日替わりゲストありの変則公演


これは、これまでのジュリーのステージ・アプローチを観ていると可能性はかなり低いかなぁとは思いますが・・・基本はパターン①の柴山さんとの2人公演で、日によって、或いは会場によって一部ゲスト・コーナーを設けるというスタイル。過去にジュリーと縁の深い名うてのミュージシャンが、ジュリー古稀ツアーへのお祝いに華を添えるという手法です。
亡くなられたメンバーもいるので完全な形とは言えないけど、PYGやJAZZ MASTERの一時的な復活、なんていう夢も広がりますよね。

パターン③
『OLD GUYS』2人+サポート・バンド


個人的な理想形がこれ!
分かり易く有名どころの例で言うと、吉川さんと布袋さんとか、稲葉さんと松本さん。つまり「ヴォーカリスト+ギタリスト」がステージの主を張り、そこにサポートのバンドがつくというスタイルです。
サポート・メンバーは体力自慢、バリバリの若手の起用を夢想。柴山さんはそれらメンバーとは一線を画し、立ち位置もジュリーのすぐ横(若干後ろ)で・・・こうなれば正真正銘『OLD GUYS ROCK』ツアーです。
今回はジュリーの古稀記念ツアーではありますが、フロントはジュリーと柴山さんの2人という・・・いかがでしょうか。ちょっと飛躍し過ぎかな?

この3パターンの中で一番あり得そうなのは(同時に、一般的にはとてもあり得そうもないのは)①のパターンだと思いますが、いずれにしても僕の勝手な妄想。
ただ、古稀ツアーからまたジュリーの新たな一歩が始まることだけは間違いないので、しっかりとその最初のシーンを観ておきたい・・・なんとか初日の日本武道館だけは、2階スタンドの一番上でも良いので確実に参加したいと思っています!

②やつならどうすっどうすっか

このチャプターでは、ジュリーの詞について書きます。


(後註)いったん更新しておいて恥ずかしい次第なのですが、僕がここで書いた歌詞解釈は酷く浅いです。是非、先輩から頂いているコメントの方も併せてお読みください。

新譜リリース情報が解禁となった段階で、収録曲のタイトルから「どんな内容の詞なのか」とファンの間で特に話題をさらっていたのがこの1曲目「グショグショ ワッショイ」でした。
「グショグショ」は涙、「ワッショイ」はお祭り。
おそらく震災復興がテーマ。
と、僕もそこまではなんとか想像できていましたが、ちょっと引っかかっていたこと・・・ジュリーは2013年に「復興を宴にするな」と歌っているんですよね。ですから僕は「宴」(=「お祭り」)の歌詞フレーズにずっとマイナスのイメージを持っていたんです。
いざ聴いてみると「グショグショ ワッショイ」はやはりお祭りの歌でした。しかし、「Pray~神の与え賜いし」で言及される「宴」とは180度捉え方が違います。
国から押しつけられた宴と、気力を振り絞って立ち上がり自らの力で催す宴の違い。
もちろん重い心境や情景を含む詞には違いありませんが、前向きで、元気が出る歌でしたね。ジャケットのイメージが明るいのは、この詞ありきでしょう。

これはまた「友情の歌」でもあります。僕はジュリーが歌うこのテーマの歌に弱い・・・涙腺崩壊です。
たまたま先日「絆(きずな)」のお題で記事を書いていて、その時色々と考えたことがありました。
辛い時、打ちひしがれている時、励ましてくれる友人。それでも再び立ち直るには結局自分の力と志で成すしかない。被災地に今生きる人達にとって話はそんな簡単なレベルではないとしても、震災の爪痕がまざまざと残る町でそれでも立ち上がろうとする人に、どんな友人の存在、想いがその助けとなるのか。

変わり果てた町 やつならどうすっどうすっか
F#m             B   F#m                 B

ジュリーのこの詞に尽きると思います。
あの時もしも、自分の方がいなくなって、「やつ」(友人)が残されていたとして、じゃあ「やつ」なら今どうしているだろう?癒えない心を抱えつつも、この町を取り戻そうと頑張っていたんじゃないだろうか。
今自分が無力感と絶望で何もせずにただ下を向いているだけなら、「やつ」に会わす顔が無いぞ、と。
そうして奮い立ち、自分の意思で復興の宴とともに鎮魂の歌を歌っていると、「やつら」が自分のすぐそばに来てくれているのが分かる。「やつら」の声がハッキリ聞こえる・・・「グショグショ ワッショイ」って、そんな歌なのではないでしょうか。
ジュリーが投影した主人公が豪快に歌うサビ部、「ワッショイ」の追っかけコーラスに参加しているのは、「やつら」なのです。そんな処理になってるでしょ?

あの世の者もこの世の者も、老いも若きも一緒に、涙グショグショの笑顔でワッショイワッショイ。
「ジュリー、また素っ頓狂なタイトルつけてきたなぁ」と発売前に苦笑いした僕はまだまだ考えが浅い、と痛感させられました。「グショグショ ワッショイ」・・・これほどこのテーマにピッタリなフレーズはありません。

「すべての被災地」ということで言えば、僕は今年の1月、やはり震災の爪痕が大きく残る熊本の町を見てきました。この曲でその光景が思い出されました。
たまたまBリーグのオールスター・ゲームの開催が重なっていたこともあるのでしょうが、熊本の町を行く人達はとても元気で活気に溢れ、「復興、やってやる」「この町を取り戻す」という志の賑やかなお祭りを見ているような気がしました。
東日本にだって、きっとそれはできる。
いや、僕が目にしていないだけかもしれない。もしかしたらジュリーはそんな光景を東日本のどこかで見たのかもしれない、と考えてみたりします。

今年の新譜全曲についても言えますが、ジュリーは何か具体的な光景或いは情報を得て、「祈り歌」の作詞をしていると思います。
それが何かは僕らファンにはほとんど分かりません。でも想像することはできます。
ジュリーは頑ななまでの「3月11日リリース」で、正にその想像力、そして自ら考え体験することの貴さを毎年僕らに投げかけてくれています。
それでもセンスに乏しい僕は、1月の熊本公演に参加していなかったら「グショグショ ワッショイ」にここまでの解釈はできなかったかもしれません。

先月の20日に亡くなられた「平和の俳人」金子兜太さんが、かつてこんな言葉を残されています。

必ず時代には棄てられる人がいる。詩人はそれを見てなきゃダメだ。それが見ていられないような詩人は詩人じゃない。

今のジュリーは、この国を見つめる詩人です。しかも僕らが敬愛するこの詩人は・・・決して見棄てない!
歌い続ける限り、ジュリーの『PRAY FOR JAPAN』は終わりません。改めて今、そう確信しています。

③緻密にして豪快、柴山さんの目眩く転調ロック!

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過去の柴山さん作曲のジュリー・ナンバーの中、僕が特に楽曲構成について惹かれているのが「やわらかな後悔」と「F.A.P.P」。いずれも難解な転調が繰り返される高度な作曲作品で、まるでまったく異なる複数の曲を合体させたかのような進行を擁します。
今回の新譜2曲で柴山さんは久しぶりにその宝刀を抜いてきました。その上で2曲それぞれが16ビートのロック、4ビートのバラードとタイプを違えているというのも、柴山さんの「ジュリーの新たな祈り歌」に向けた気魄の証ではないでしょうか。

「グショグショ ワッショイ」の構成が大きくAメロ、Bメロ、サビに分けられることはみなさまお分かりでしょう。実はこの3つ、すべてキーが異なるのです。
Aメロは、ハードなリフ・ロックを象徴するホ長調。

鎮魂の歌は止まず
E     G    A  C   E   A G    E    A G

心は癒えやしないが
E    G     A C       E    A G    E    A G

これが「E→G→A→B」ならば王道で、ジュリー・ナンバーでは「悲しき船乗り」「希望」「3月8日の雲」がそのパターンですが、今回の柴山さんは「E→G→A→C」。
この「C」がメチャクチャ尖ってます。
これをして「レ→レ#→ド→シ」という半音下がりの斬新なメロディーが成立。ジュリーのヴォーカルも音が下降するごとにキレていますね。

Bメロは、一瞬ト長調に見せかけておいてニ長調!

あの世の者も この世の者も
G            D           F#      B    A

活きの良いやつ いますぐ来たれやい
G             D                C       D  E

これまたもし「B」の箇所が「Bm」ならば王道。キャッチーでポップなメロディーが載ったはずですが、「B」に置き換えることで前後の「F#」「A」との関連性がガラッと変わり、パワフルで武骨なメロディーが載ります。
昨年の「福幸よ」同様、「曲先」の製作におけるジュリーと柴山さんの「詞曲一致」にはツーカーの域を超えた運命的な相性も感じさせます。

「来たれやい」は3段階1音上がり和音進行で、「立ち上がる主人公の姿が見える」よう。
その最後の「E」が何とそのままドミナントとなって、サビのキーはイ長調です。

おどけてワッショイ とむらいワッショイ
A          G             A          C

グショグショ ワッショイショイ
A                G           E

しつこいようですが、これも「A→G→A→G」ならば王道。ここでも「C」が素晴らしい仕事をしていますが、Aメロの「C」とは使い方が全然違うんです。
Bメロ部も含め、この曲に登場する「C」のコードはすべて進行の理屈を異とし、かつロックならではの尖ったニュアンス。いやぁ柴山さん、「OLD GUYS ROCK」の新譜タイトルをあらかじめ知らされていたかのようなロック・ナンバーをブチ込んできました。
逆に言えば、この柴山さんの曲があったからこそジュリーは「OLD GUYS ROCK」のフレーズを思いついたのかもしれませんね。

自身の声域もあるのでしょう、柴山さんの作るジュリー・ナンバーには音域が広いものが多いです(最高峰は「FRIDAYS VOICE」)。「グショグショ ワッショイ」でその点魅力的なのは、メロディーの最低音(低い「ラ」の音)がサビ最後の最後で登場すること。
「さあ来いやい」の「やい」ですね。
「FRIDAYS VOICE」に登場する低い「ソ#」よりは半音高いんですけど、なにせ〆のロングトーンですからねぇ。柴山さんの作曲奥義=ジュリー・ヴォーカルの真骨頂。ドスの効いた低音ヴォーカルに痺れます。

ギター演奏の肝は「ブラッシング」だと思います。
「ブラッシングって何?」という方は、サビ直前の2拍に注目。音(音階)をピタッと止めて、「がっ、がっ、がっ、がっ♪」と言わせていますよね。これがそうです。
ギター・テクニックとしてはいろはの”い”ですが、それをカッティングとの合わせ技で魅せてくれるのがイントロから登場するリフ部。
「じゃ~ん、じゃ~んか、じゃ、じゃ~、じゃ♪」
ではなく
「じゃ~ん、じゃ~か、ちゅくじゃ~、じゃ♪」
なのですよ。

今回の新譜収録曲すべてに言えますが、こういうアレンジで来られたら素人ギタリストとしても完コピせずにはいられない!
「グショグショ ワッショイ」は当初CD無しで練習しているとイントロ4小節目で「こっちの水苦いぞ」そのまんまのドラムス・フィルが脳内で勝手に鳴って単音がおろそかになったり

7  年 さあ来いやい
A G E   D    C    A

の後の空白から曲が「忘却の天才」に変身しちゃったり、と往生しましたが(笑)、聴き込みに聴き込みを重ねて今はだいぶイイ感じになってきていますよ~。
当然古稀ツアーでも歌われるでしょうから、編成がどうあれ柴山さんのギターをじっくりと観て答え合わせをするのが今から楽しみです(そんな席が来ればね)。


さて、今日の考察はここまで。
古稀ツアーの前半公演、チケット申し込みの締切が迫っています。いつもはインフォが到着したらパパッと振込を済ませる僕ですが、今回は悩みまくり。
狙いの会場にどうしても都合のつかない平日の公演が多いのですよ~(泣)。
ようやく最終決断をしまして・・・無念ですが、前半は初日・武道館と地元・和光の2箇所に絞ります。

気の毒なのはYOKO君で、前半は参加会場無し。
2人で「この日だけは何としても俺達が行って盛り上げないと!」と相談した、今ツアー最大キャパの会場・10月のさいたまスーパーアリーナが彼の初日です。
3ヶ月以上にも及ぶネタバレ我慢を鋼鉄の意志でやり遂げ、広い広い大会場の最上段からダイブするYOKO君を目撃したい人は皆、さいたまスーパーアリーナに集まれワッショイワッショイ!
いや真面目な話、あの大きな会場を満員のお客さんで埋めてジュリーを迎えたい・・・その一心です。微力ながら、さらなる声がけをこれから頑張りますよ~。


それでは次回考察お題は当然『OLD GUYS ROCK』の2曲目、「ロイヤル・ピーチ」です。
現時点では新譜4曲中最も好きな曲。『三年想いよ』をリアルタイムで聴いた時、「櫻舗道」がどうしようもなく好きになってしばらくの間頭から離れなかったという体験をしていますが、今回「ロイヤル・ピーチ」はその時の感覚とよく似ています。
「グショグショ ワッショイ」とは、根底にジュリーの「彼岸と此岸」についての考え方がある点で共通。しかしこちらはとても切ない、悲しい歌です。
そして美しい・・・ジュリーの声も柴山さんのギターも、楽曲構成や転調進行に至るまで、息を飲むほど美しい孤高のバラードです。

容易に歌詞解釈できる曲ではありませんし、原発事故やその後の風評被害といった重いテーマにも触れざるを得ませんが、引き続き全力で取り組みます。
よろしくお願い申し上げます!

今週こちら東京近辺は暖かい日が続いています。週末には早くも桜の開花が予想されているとか。
北から南まで、1日も早い春の訪れを祈ります。

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『OLD GUYS ROCK』」カテゴリの記事

コメント

DY様 こんばんは

記事のアップを待ってました。「ISONOMIA」でギターのみの演奏を聴いて身震いしました。なので今回も続けて聴けて嬉しかったです。ツアーでは、カズさんと白井さんのギターバトルを聴いて観たいです。

さてお題曲ですが、ダイナマイトさんの考察に見落としがあります。私はこの七年間、ダイナマイトさんの考察で、ジュリーの詞の言葉には「ダブル・ミーニングがあるから一筋縄では紐解けない」ということを、教わりました。深読みになるまで一語一句、読み返して来ました。ですので、今回の記事でもそこのすり合わせができるかなと思っていましたが、「元気になる」と字面だけの感想だったので残念でした。

私の解釈は、「対ABE」が更に強固になった表明に聴こえました。

☆「熱を帯びる町」→『放射能を帯びる町』
★「よみがえりの町と化す」→『黄泉返りの町と化す(に溶かす)』

この部分をたたき台にして前後を考えると、「女の歌が流れ、男の声が混ざった」→死者の怨念とも読めます。「みんなの笑顔まぶしいジャン」のみんなは、亡くなった方々で、「やつらの笑顔見たいジャン」のやつらは、政治家たちのことではないかと思いました。

7年目のジュリーの決意は相当踏み込んだものになったんです。「礎石になる」と宣言してから後に続く世代が現れないジレンマも感じているのでしょうか、「あの世の者も、この世の者も、若者たちも、老いたる者も、活きの良いやつ、今すぐ来たれやい」と叫んでいます。そして最後に、「7年 さあ来いやい」と、(かかって来い)とも取れるし、(さあ気骨のあるやつは出て来いや)とも取れます。最低音の歌い方は生半可ではありません。、やってやろうじゃないかという対戦姿勢を如実に感じました。怖いです。怒りの声です。

是非、歌詞の一行目からダブル・ミーニングで考えてみませんか?今までそうして考察してくれましたから。私もまだすべて解釈した訳ではありませんので、もっと勉強したいと思います。

★3月8日の雲白く 3日後の天の仕業など
★一年後天は穏やかで
★忘れちゃいけない 3.11 「頑張ろう日本」は F.O. 終息
★三年想いよ
★町の四年が過ぎ去り
★五年経ったか犀か象
★六年無駄に生きてない
★7年 さあ来いやい
何年経ったかが分かるように、必ず年数を歌詞の中に入れているジュリー。(二年はありませんが)細やかですが、『リスト・バンド・シリーズ』に流れる、ジュリーの強い意志を汲み取りたいと毎年思っています。

カズさんの演奏アレンジから、「懐かしさと温かさ」を感じました。ジュリーの歌声は力強く澄んで、若返りましたね。

投稿: BAT | 2018年3月15日 (木) 03時19分

BAT様

ありがとうございます!

いやぁ畏れ入りました。参りました。
コメントを拝見し、一気に目が覚めました。低血圧の僕としては珍しく、朝から脳がフル回転していますよ(笑)。

僕の方こそ、ジュリーの祈り歌の歌詞解釈についてはこれまでBAT様に何度も教わり続けています。
「泣きべそなブラッド・ムーン」が激しい怒りの歌だ、とコメントを頂き目からウロコだった時を思い出します。あの時は僕は「花束」の解釈を間違えたことでジュリーの真意に気づけませんでした。
今回はどうかと言うと・・・実はいったんイイ線までは達したんです。ヴォーカルから「限 界 臨 界」を想起したことで、BAT様ご指摘の「気骨のあるヤツ出てこいや!」は考えました。当然、高田伸彦さん風の口調まで。
しかし、「よく分からない箇所」をスルーしたがためにこのような記事となってしまいました。

それは2番「女の歌」「男の歌」です。ここがまったく分かりませんで・・・しかも気にとめずにいたんです。
痛恨です。なるほど、これはイタコ的なお祭りの歌だったのですね。
ジュリーファンでそこに気づけていなかったのはもしかして僕だけですか?いやはやお恥ずかしい。
そうなると、1番「復活の歌が聞こえ やつがいたころの夢」もストンと腑に落ちますね。

古稀ツアーで歌われるこの曲、ジュリーのヴォーカルは2015年の「限 界 臨 界」のラスト・・・あの表現を超えてくるかもしれませんね。いや、きっとそうなるでしょう。

その一方で僕は、「元気になる明るい歌」「友情の歌」との解釈も持ち続けていたいです。
僕にももう一度逢いたい「やつら」がいるものですから、この歌にはやっぱり元気を貰えます。

投稿: DYNAMITE | 2018年3月15日 (木) 09時15分

DY様 こんにちは

いやいや、こちらこそ毎回刺激をいただいています。すっかりニュースオタクになってしまいましたので、ひとつひとつの言葉が染みてきます。ジュリーも若者言葉を上手くはめ込んでいますね。

歌詞カードには「活気取り戻すガッツで」となっていますが、歌は「ガチで」と歌っています。「犀か象」→「再稼働」の如く意味ありに。「心は癒えやしないが」も「本心は言えやしないが」とも取れますし、当て字探しに翻弄されます。

新譜発売のタイミングで今、国会が揺れています。首相官邸前ではデモが起こりました。正しく、お題曲はこの「デモ」を連想させます。(おどけて、とむらい、とがって、涙で)は、いずれも相反する者に向き合った時に出る態度です。ワッショイの掛け声はお祭り言葉ですが、グショグショは、汚い言葉です。我慢の限界が度を越えたのかも知れません。高田総帥の口調を真似て、「今すぐ来たれやい」と言いたくなりますよ。

昨日のニュースでは、明恵夫人がFacebookで軽はずみに「イイネ」を押したことが話題となり、野党が怒っています。「核なき世界」の歌詞に「イイネ」が使われているのは、あまりにも皮肉です。

投稿: BAT | 2018年3月15日 (木) 11時57分

BAT様

ありがとうございます!

BAT様のおかげで、ジュリーの「挑戦表明」をしかと頭に叩き直すことができました。改めてお礼を申し上げます。

「核なき世界」の「イイネ」は、ジュリーが散々こきおろしている内容だけに、本当に皮肉なタイミングとなりましたね。
ただ、夫人が軽はずみであったことは明白ですが、今回の報道ではいかにも夫人が「野党のくだらない質問」というくだりについて「イイネ」をしたと思わせるかのように、該当の文章を一部のみ抜き取ったヘッドラインでミスリードしているものが多く、これはイカンと思いました。
権力に対峙しようという側がこれではいけません。相手と同じ穴の狢となってしまいます。
気骨ある者、正々堂々といきたいものです。

お昼休みにツアー前半の振込を済ませてきました。
古稀ツアーに向けて、僕はジュリーの言う「冒険」をバンドのことと絡めて音楽的な面ばかりで考えてしまっていましたが、どうやらそういうことだけではなさそうですね。
大きな会場で、ファン以外のお客さんにも伝えたいこととは・・・いよいよ驚嘆のセトリが楽しみになってきました。

投稿: DYNAMITE | 2018年3月15日 (木) 12時54分

DY様 こんにちは

度々失礼します。
ツアースケジュールを見ていたら、武道館3daysの15時スタートが気になりました。まさか17時で終わるなんてないでしょう。ひょっとしたら東京ドームの再現ではないけど、6時間余りやるのでしょうか。そしたら古稀に因んで70曲歌えますし、19時までとしても4時間ありますから、「ジュリーマニア」の再現かと思ってしまいます。

派手にやるなら日替わりゲストに期待したい。現役最後の願いとしては、ショーケン、大野さん、堯之さん、サリーとPIG「自由に歩いて愛して」を再現して、日本中を驚かせて欲しい。その他、佐野さんと「彼女はデリケート」の掛け合い、大澤さん佐野さん銀次さんのギターとコーラスで「おまえにチェックイン」、鮎川さんのギターで「ジェラシーが濡れていく」、白井さんのギターなど旧友勢揃いの「OLD GUYS ROCK」を見せてくれないかと思ってしまいます。

日替わりゲストを期待して武道館3daysはすべてチケット購入予定にします。そうでないと後悔しそうです。ジュリーのサプライズを期待しましょう。それからダイナマイトさんのコメントにありました、「大きい会場でファン以外にも伝えたいことの挑戦」も俄然わくわくしてきました。

投稿: BAT | 2018年3月17日 (土) 11時59分

DY様 こんにちは。

ギターだけでこれだけの音を出せるんだ、と驚くと同時に一瞬、
「今度のツアー、どうする気?」
と心配になりましたが、よく考えれば、誰とどんな形でやるにしろ、このアルバムに関してはこうするしかなかったのかな、と。
ジュリーはセンシティヴな曲に関しては、発信し共感を求めることはあっても賛同は求めない、というスタンスだと思うからです。人の考え方は様々ですし。
鉄人バンドはジュリーの考え方を理解した上で楽曲を提供してくれていたのでしょう。
でも、今後一緒にやっていくメンバーには踏み絵を踏ませる真似はしたくなかったから、この4曲に関してはカズさんだけで歌えるようにしたんじゃないでしょうか。
あくまで私見ですが。

ともあれ、生死さえも糾う縄の如く歌いきってしまうのがOLD GUYの凄さですね。

投稿: nekomodoki | 2018年3月18日 (日) 16時14分

BAT様

ありがとうございます!

僕も武道館のラスト3daysには何か特別な試みを期待する気持ちもあります。
ただ、新譜を聴いた限りではそこまで考えられなくなっていることも事実です。
気骨あるOLD GUYSの助太刀を夢見る一方で、ジュリーがそれを受け入れるだろうか、とも考えます。とにかくステージをこの目で見る・・・それしかありませんよね。

とりあえず初日の武道館、申し込みました。
何が起こるか、何が始まるのかワクワクしています。

すみません、一度お返事切ります~。

投稿: DYNAMITE | 2018年3月19日 (月) 17時20分

nekomodoki様

ありがとうございます!

不思議なものですね・・・バンド・サウンドという点では前作までと同じスタイルだった昨年の『ISONOMIA』よりも、柴山さんのギターのみとなった今年の新譜の方がジュリーの「祈り歌」としてこれまでとの繋がりを感じやすいというのは。

古稀ツアーでは、nekomodoki様の仰るように新譜4曲については柴山さんと2人だけで、他セットリストは新しいバンドメンバーで、というのが今ジュリーファンの一番自然な予想でしょうか。
僕もそのスタイルが理想とは思っていますが、全然違うことも今考えてしまっているんですよね・・・。
そのあたりは次の記事でちょろっと書きます(笑)。

投稿: DYNAMITE | 2018年3月19日 (月) 17時26分

DY様
 こんばんは。新譜は今までで一番度胆抜かれるアレンジでしたね。「ISONOMIA」は先にライブで聴いていたので別に驚きませんでしたが、今回は全曲ギターのみ!全く予想してませんでした。
 古稀ツアーのメンバーがどうしても気になるところ、私の予想は①柴山さんと二人 ②柴山さんと二人+ピアノとかパーカッションとかあまりロックバンドっぽくない編成 ③柴山さん含む新バンド…ですが、どうなるか今から楽しみです。私は7月の大阪城ホールから参加です。
 さてお題曲、まだ聴き込んでませんが詞的にはまた新たなアプローチ、とらえ方は聴き手によって違ってくるような、これが正解!という解釈のないような曲に思えます。出てくるコードは伝授拝読する限りメジャーのみ、でも3コード、4コードとは違いコード数も多く並びもかなり難解ですね。柴山さん恐るべし!(笑)

投稿: ねこ仮面 | 2018年3月19日 (月) 18時33分

ねこ仮面様

ありがとうございます!

おお、7月の城コールからですか。
ねこ仮面様は昨年ずいぶん長いネタバレ期間を見事やり遂げられましたし、今回はその点余裕ですね!

「グショグショ ワッショイ」は「取り戻すやっぱ」の箇所にF#mこそ出てきますが、確かに仰る通りマイナー・コードを避けて作られている感じがするんですよ。「この世の者も」の「B」なんてその最たる例。あそこが「Bm」ならごく普通の進行ですからね。

柴山さんの転調作品はやはり難解で面白い。正に恐るべし!です。

投稿: DYNAMITE | 2018年3月19日 (月) 20時16分

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