« 2018年2月 | トップページ | 2018年4月 »

2018年3月

2018年3月27日 (火)

沢田研二 「核なき世界」

from『OLD GUYS ROCK』、2018

Oldguysrock

1. グショグショ ワッショイ
2. ロイヤル・ピーチ
3. 核なき世界
4. 屋久島 MAY

--------------------

今ジュリーファンの間で話題となっているのは、果たして古稀ツアーの編成がどうなるかという・・・そもそもバンドなのか?というのは僕も考え込むところで、そりゃあジュリーのLIVEはバンドで聴きたいのだけれど、そもそもそれが先入観なのかもしれませんし。

もし、ギター1本の伴奏のみであのスケジュールを駆けるとなればそれこそ「冒険」ですが、前回記事で書いた通り僕は今の時点では「演奏形態の変化が冒険なのではなく、ジュリーの冒険があって演奏形態が変わる」という考え方です。
だからそれはこの先いかようにも変わる。老人(と敢えて言いますが)2人だけの『OLD GUYS ROCK』で「この民衆の歌が聴こえるか?」と声を上げた「冒険」のスタート地点が今年の3.11新譜リリースだったとすれば、「俺も!俺も!」と自らの意思と志でそこに加わろうと手を挙げる有志のミュージシャンの登場を想像するのは飛躍が過ぎるのでしょうか。

年齢も性別も問わず、志ある者に冒険の道は開かれている。ジュリーは待っているのだ、と考えたい今日この頃なのです。
ジュリーと縁深い凄腕のミュージシャン、たくさんいるじゃないですか。別れたばかりの人も含めて。
大きなリスクも覚悟の上で、「民」のパワーを以って集ってくれたら嬉しい・・・まぁこれは本当に勝手な個人的妄想なんですけどね。
なにせツアー・メンバーの情報がまったく無いものですから、ジュリーファンみなさんそれぞれ、考えるところはあるでしょう。

さて今日は新譜『OLD GUYS ROCK』3曲目、「核なき世界」を採り上げます。収録曲中最も激しく、ハードな曲想のロック・ナンバーです。
志を以って「Yeah!」とジュリーの元に声を上げ集ってくるミュージシャンの今後の登場を妄想しつつ、柴山さんのギター伴奏のみで「冒険」のスタートを切ったジュリーがこの歌に託した思いを考えていきましょう。


①『東京に原発を!』読後30年

大都市の真ん中に APP Yeah!
Em

TOKYOの真ん中に APP Yeah!
Em

よろしく賠償 金と嘘ばらまけイイネ
          A7              C7   B7       E7  Em


(ここではAメロ冒頭2行を「Em」で通した表記としていますが、メロディーに沿ったクリシェ進行の解釈によるコードネームについては、後のチャプター③にて詳しく書きます)

今回「核なき世界」を一聴して僕はまず、ジュリーもきっと読んだであろう1冊の本を思い出しました。
広瀬隆さんの著書『東京に原発を!』。

改めて調べると1981年に初版発行されたようですが、僕がこの本を読んだのは1988年。
何故ハッキリ覚えているかというと、88年夏にRCサクセションの『カバーズ』(反原発、反核を歌った「サマータイム・ブルース」「ラブ・ミー・テンダー」などを収録。この名盤については2013年に書いた「FRIDAYS VOICE」の記事中で詳しく書きましたのでご参照下さい)がリリースされ、自分のバンドの曲作りの相方であるU君(昨年の松戸公演を共にしました)がそのアルバムの影響著しい「FUNK UP!」という詞を書いてきて、僕が曲をつけたことがありました。「FUNK UP」と書いて「反核(はんかっく)!」と発音するというその歌詞では1番、2番、3番に歌い手の「反核!」のフレーズにそれぞれ違った反応をする人物が1人ずつ登場していて、1番に原発建設現場作業員の親方、2番に忌野清志郎さん。そして3番に広瀬隆さんの名前が。その時恥ずかしいことに僕は広瀬さんのお名前を知らず「これは誰?」と。
そこでU君の指南で初めて『東京に原発を!』なる本の存在を知り、後日読んでみたというわけです。88年、冬休みに入って早々のことでした。

本はおそらく幾度かの引越の際紛失してしまったようで現在は手元になく、今では著述細部の記憶に曖昧な部分もありますが、読後の衝撃は今でもまざまざと思い起こすことができます。

当時、深夜のテレビ討論番組などで度々「原発」が議題となっていました。
世間の関心もかなり高かったと思います。
しかし「なんだか怖い。大丈夫なの?」という立地住民の訴えは「識者」のパネリストに「無根拠」と一蹴され、討論では原発自体の是非はほとんど触れられないまま「リスクをどう捉えるか」に終始するパターンが多かったように思い出されます。

広瀬さんの『東京に原発を!』はそのタイトルが示す通り、「そんなに安全だと言うのなら東京に原発を作ったらどうか」との提言を盛り込んだ内容。
当然それは討論番組で幾度も採り上げられましたが、一部の「識者」曰く「悲観論が過ぎる」「どんな発電にもそれぞれリスクはある。何故原発のリスクだけがことさら高いように言われるのか」「広大な敷地を必要とする原発を土地価格の高い都会に作れば、安価で電気を提供できない」といった「正論」の前に旗色は悪いようでした。
ただしその「正論」とは、いわゆる『安全神話』の元で語られる場合においてのみの正論であったことが、2011年のあの過酷な事故で浮き彫りになったのです。

当時、僕自身も含めて大多数の視聴者は、「識者」が振りかざす「正論」を「なるほど、言われてみればそんなものかな」と考え、広瀬さんが著作内で記した「もし事故が起こったら」とのシュミレーション部は「悲観論」であると思い込まされました。
その広瀬さんのシュミレーション中「最悪から2番目の事態」・・・具体的には「電源喪失による冷却システムの崩壊、それにより引き起こされるメルト・ダウン」が東日本大震災時に現実となって初めて、僕らは彼等の「正論」が実は『安全神話』を鵜呑みにした机上の空論に過ぎなかったことを思い知ります。
参考までに書いておきますと、広瀬さんが提示したそれ以上の「最悪の事態」とは「大爆発」です。30年前に読んだ時は「SFみたいな話だな」と感じたものでしたが、それは充分起こり得ることなのだ、と今となっては認識を改めるしかありません。

『東京で原発を!』は、あの震災直後再び話題の本となり店頭の品切が続出したのだそうです。
ジュリーはこの本をいつ読んだのでしょうか。
「核なき世界」冒頭のフレーズから読んでいることだけは間違いなさそうですが、それがずっと以前なのか、震災後なのかは分かりません。とにかく僕はこの歌で、ちょうど30年前に読んでいた『東京に原発を!』を思い出し、当時の自分に「何故恐れない?」と問いかけたい気持ちに駆られました。

ハッキリ言えるのは、30年前に幅をきかせていた邪な「正論」の一例・・・「東京に原発など作れば、万一にも事故が起こった際の周辺地の人々のパニックは地方の比ではない」という、一見「リスク論」ともとれるこの言葉が、「あの震災が東北で良かった」などという某政治家の発言と同レベルの無責任極まりない暴言であったのだということ。
僕らは今こそ机上の空論に惑わされず、福島で起こってしまったことに自らの意思でKURIOSを持たなければなりません。
ここまでが、ジュリーの「核なき世界」を紐解くにあたっての大前提だと僕は考えています。


②民衆の歌が聴こえるか?

前チャプターで原発のことを書きましたが、この曲のテーマはそれのみには止まりません。
ジュリーは誰に向かってどのような立場で、何を思い歌っているのか・・・ここではジュリーの詞について掘り下げていきたいと思います。

怒髪天、ジュリー。
しかし、「限 界 臨 界」「un democratic love」「犀か象」などについても言えるように、ジュリーの「怒り」の詞には、「歌である」故の独特の間合いがあり、僕はそこに、テーマや文字数(曲先ですから)を絞った時に発揮されるジュリーの詩人の資質、才を見ます。
だからこそ、その怒りが何に対してのものなのか、急所は何処か、を考えなければならないでしょう。

ここでの「核なき世界」のタイトルは、「まず”核なき世界”なる言葉を安売りするかのように弄している人」への糾弾ではないでしょうか。

核なき世界 嘘果せても 逃げ果せても
A7                                          B♭7  E7-5

ジュリーの怒りのとっかかりは、昨年7月に国連本部の条約交渉会議にて世界122か国の賛成を以って採択された『核兵器禁止条約』への、わが国の会議不参加に対して向けられたと僕は推測します。
一見、反原発に集約されたかのように仕上がった詞ですが、根っこはそこかなぁと。
でなければ、歌の最後に畳みかけられる

傘が命を護りはしない 傘が自由を縛り続け
E7         G                 A               C

ここが繋がってきませんからね。

もちろん、採択された前述の条約についても広く様々な考え方があります。ご存知の通り、既存の『核兵器不拡散条約』上国際的に核保有が認められている国はすべて同条約には不参加。また『核兵器不拡散条約』に参加していない事実上の核保有国も同様です。つまり、現在「核」を持たない国だけが今後それを保有しない、イコール核保有国については永遠にそれを認めてしまう、という空虚な宣言に終わる可能性を指摘、懸念する考え方があり、建前上日本はその点を重視しつつ同時に米国の顔色を窺ったことになります。
しかし、それがいかに「現実的」であろうとなかろうと、序文に「ヒバクシャの苦痛」が明記され、核兵器廃絶を願うこの条約に他でもない日本がまったくそっぽを向くというのは僕には納得がいきません。

ジュリー歌詞中の「傘」は当然アメリカの核の傘のこと。「反核」を堂々と声に出すことが「自由」であるならば、その自由を今縛り奪っているものは何なのか。
2012年、ジュリーは「F.A.P.P」で「何を護るのだ国は」と歌いましたが、遂に今年の新曲「核なき世界」では「国はみんなを護りはしない」まで達してしまいました。
何故そこまで断じられるのか・・・今、福島に刮目すれば分かるだろう、とジュリーは歌っています。
「よろしく賠償」「丸投げ」な国を見れば。
それが「FUKUSHIMAの真ん中にKURIOSを」に表れているのではないでしょうか。

この国の仕打ちを恥ずかしく思う、愛すべき国を恥じねばならないそんな気持ちを忍んで、「恥を承知」で僕ら自身=「みんな」で護れ、と。「みんな」は「民」であり、「護る」ものは「非核」「不戦」でしょう。
僕は前記事で、あれほどの事故が起こったのだから「反原発」は思想でもなんでもなく当然のことだ、と自分の考えを書きました。いわんや「核兵器」において日本人がそれを忘れ、ましてや逃げてどうするのだ、という憤りがあります。
今後万一、ひとたびでも世界の何処かで核兵器が使用されれば、誰が勝つとか負けるとか、国力が上だとか下だとか、そんな蛮勇の自己満足はなんら意味を持たず、残るのは永遠の苦しみと悲しみだけです。

「核なき世界」とは政治的な詭弁で使うような言葉ではなく、それが真にどういう世界なのかを聴き手が想像することをこの歌は望んでいるように感じます。
本末転倒な「自衛のため」の核保有による国際的孤立の悪夢を将来この国に見させてはいけない、との思い。その思いを成すのは今、国ではなく民である・・・これは僕個人の考え方ですが、ジュリーの「核なき世界」の詞にきっとリンクしていると思っています。
ですから僕はやはりこの曲を、ジュリーが「民」として歌う「democratic Japan」のコンセプト・ナンバーとして考えたいのです。
「民の歌が聴こえるか?」とジュリーに問われているのは僕らひとりひとり。
これはそのまま夏からのツアーでジュリーの「冒険」のテーマとなる、と予想しますがいかがでしょうか。

あと、「詞」の考察と絡めて書いておきたいのは、このような重いテーマで過激なフレーズを叩きつける、畳みかけるジュリーの滑舌の素晴らしさです。
決してメロディーに載せて歌い易い語感の詞ではないと思いますが、ジュリーにかかればこの通り。
発音がしっかり聴きとれるからこそ生きてくるフレーズ。例えば「よろしく賠償」なんて、「カッコイイ」と言ってしまうのは躊躇われるほど痛烈な表現ではありますが、それでもカッコイイものはカッコイイんですよねぇ。


③2人のギタリスト、作曲解釈の一致

2018年、ジュリーが新譜製作に向けて作曲を依頼したのは2人のギタリストでした。柴山さんは言うまでもありませんが、昨年の「ISONOMIA」「揺るぎない優しさ」に引き続いて白井さんが今年も1曲、この「核なき世界」を作曲しています。
ジュリーは今回も作曲者に「PRAY FOR JAPANをテーマに作って欲しい」とサジェスチョンしたはず。
依頼を受けた「OLD GUYS」なギター弾きである柴山さん、白井さんの2人は(ジュリーの詞が載る前の時点で)具体的にどのようなイメージでそのテーマに取り組んだのでしょうか。

柴山さんはそれぞれタイプの異なる2曲を提供していますから想像し易い。尖ったハード・ロックの「グショグショ ワッショイ」が「怒り」「衝動」、優しいメロディーのバラード「ロイヤル・ピーチ」は「平和」「自由」でしょうか。
では白井さんは・・・?僕は今回も新譜全曲を採譜してみて、不思議な偶然(いや、「必然」かな?)に気がつきハッと驚きました。


1803275

「怒り」や「激しい衝動」を自作曲に反映させようという時、ギタリストはどうやら王道から一瞬外れてでも、ハードに尖った進行を挿し込んでくるようです。
まずは柴山さんの「グショグショ ワッショイ」での「怒り」の進行をおさらいしてみましょう。

鎮魂の歌は 止まず
E     G    A   C    

前々記事で書いた通り、これが「E→G→A→B」なら王道、しかしここでは「C」が尖りまくっています。
そして白井さんの「核なき世界」。

国はみんなを護りはしない 何も政治は護れやしない
E7               G                  A              C

何とこの曲のサビ部は、「グショグシ ョワッショイ」Aメロ部とまったく同じ進行。
ポイントは「C」コードの変則的な採用です。
もちろん載せたメロディーは全然違いますし、「グショグショ ワッショイ」はホ長調、「核なき世界」はホ短調と同主音ながらキーも異なります。ただ、主音が通常チューニングの6弦ギターで表現可能な最重低音である6弦の「ミ」を強烈に押し出していること、そこから激しいストローク、カッティングでコード展開させていること・・・今回の「核なき世界」で白井さんは、『PRAY FOR JAPAN』のテーマから「怒り」を採り上げ、それが柴山さんの作曲手法とも一致したものと考えられます。
柴山さんもレコーディングに向けて白井さんのデモを聴いた時、「おっ!」と思ったんじゃないかな。

白井さんのジュリーへの提供曲はどれもそうですが、メロディーとギター・フレーズを馴染ませる発想、構築の過程までをも感じさせてくれる・・・「核なき世界」もそんな1曲です。
例えばAメロ。最終的に仕上がった音源では柴山さんが「Em」のヴァリエーションで通しています。ただ、メロディー・ラインまで加味してコード・ネームを当てるならば、チャプター①で記したものとは別に

大都市の真ん中に APP   Yeah!
Em7       Em6         C(onE)  Em

と解釈できるでしょう。この進行はイントロではハッキリとそのまま再現されていますから、白井さんのデモ段階ではギター・トラックがイントロ、Aメロ(の最初の2行)と同じ弾き方だったかもしれません。
柴山さんが「心得た!」とばかりにさらに激しいアレンジを押し進めたのではないでしょうか。

ちなみにこの進行、「ロイヤル・ピーチ」のそれとは真逆の下降型のクリシェ。トニック「ミ・ソ・シ」の和音に足された音が「レ」(Em7)→「ド#」(Em6)→「ド」(ConE)と半音ずつ変化してゆきます。
「ロイヤル・ピーチ」の記事で「クリシェは胸キュン進行の代表格」と書いたばかりなんですけど、「核なき世界」の場合は癒される進行と言うより「勇壮」「冒険」的なイメージ。当然「怒り」の要素もあるでしょう。
僕がこのパターンのクリシェを最初に覚えた曲は、他でもない井上バンド、大野さん作曲の『太陽にほえろ!』挿入曲、タイトルもズバリ!な「冒険のテーマ」(のちに「ボンボン刑事のテーマ」)でしたね(
こちら)。

柴山さんの激しくかき鳴らすストロークで、LIVE映えは約束されたも同然のこの曲・・・個人的に演奏のイチオシ箇所はエンディングのフィードバックです。
柴山さんは、白井さんがこういう曲を出して来なかったら「グショグショ ワッショイ」の方をフィードバックで終わらせたかったと思うんですよ。
それを白井さんの曲のために譲る、というのが柴山さんの奥ゆかしい、素晴らしい人柄を思わせるようで、この重いテーマにも関わらず僕は爽快な気持ちで「核なき世界」を聴き終えることができます。
今、新たな「冒険」に打って出たジュリーの傍に柴山さんがいることの安心感を感じずにはいられません。
僕はその上で「OLD GUYS ROCK」のこの先の道、ジュリーと意を重ねる有志の登場に期待したいです。


それでは次回更新で今年の新譜『OLD GUYS ROCK』考察シリーズもラストです。
ただ、4曲目収録の「屋久島 MAY」・・・果たして「考察」っぽい内容で書くことができますかどうか(汗)。
柴山さんのギターについては語るところが多いとは言え、ジュリーが今この曲を採り上げた動機を考える、となると僕はお手上げ状態です。
2003年リリースのシングル『明日は晴れる』にジュリーが自作の着信音として作曲、収録していたらしいのですが、何故今になってこの一連の「祈り歌」の中に改めて組み込まれることになったのか。ジュリーがLIVEで教えてくれない限り、僕の頭ではその理由はこの先永久に分からないままでしょう。

そんな中で言えることは、今回の新譜のラストがこの曲でホッとする、暖かい気持ちになるということ。きっとみなさまもそうでしょう。
ジュリーが作った2拍子の朴訥なメロディーは、不思議に癖になります。
あまり深く考え込まず、感じたままにのんびりとした記事にしたい・・・今年この曲に限ってはそれがふさわしいように思います。


みなさまお住まいの地では、桜は咲きましたか?
こちらは、日曜日に花見のつもりで張り切って川越まで出かけたんですけど、新河岸川沿いの桜はまだこれからというところでした(都内は既に満開だったらしいのですが)。
でも今朝通りかかった公園はこんな感じに。

1803271_2

しばらく暖かい日が続きそうで、「屋久島 MAY」を繰り返し聴くには良い気候です。
陽気モードで頑張ってみようか、と思っています!

| | コメント (12) | トラックバック (0)

2018年3月19日 (月)

沢田研二 「ロイヤル・ピーチ」

from『OLD GUYS ROCK』、2018

Oldguysrock

1. グショグショ ワッショイ
2. ロイヤル・ピーチ
3. 核なき世界
4. 屋久島 MAY

--------------------

考え過ぎだ、とほとんどの方は思われるでしょうが・・・ジュリーのLIVEに参加し続けてきてここ最近、気になっていることがあります。

ステージ最初のMC時に半ば恒例となっているジュリーの「上機嫌でつとめます」。ご存知の通り、最初にそういう挨拶が始まってのち、それを言わない時期も少しの間だけありましたよね。
では、どういう時に言って、どういう時に言わないのか・・・それが僕には、この愛する国の社会の動きと連動している気がしてならないのです。
もちろんジュリーの「上機嫌」という言葉に他意を感じているわけではありません。「上機嫌」はそのまま「上機嫌」「ごきげん」です。
ただし、その前に無言の「こんな世の中ですが」とか、「我慢ならないことも多々ありますが」といった枕が隠れているんじゃないかなぁ、と。

前回「グショグショ ワッショイ」の記事を書き終えてから、先輩から頂いたコメントやメールを拝見したり、改めて「演奏スタイル」「コード進行」などからいったん離れてじっくり新譜を聴き込んでいるうち、古稀ツアーに向けてのジュリーの「冒険がしたい」の意を僕は安易に捉え過ぎていたかもしれない、と考え始めました。
昨年末のフェスでバンドの解散に触れた際、「まだまだ冒険がしたいんです」ばかりでなく「ごめんなさい」とまでジュリーは言ったと聞きました。
それは「僕のわがままでこういうことになった」ということなのでしょうか。ならば、僕はバンドのことでショックを受けるあまり、ジュリーの「冒険」について考える起点を完全に誤っていました。
演奏スタイルを変えることが「冒険」なのではない、「冒険」のために演奏スタイルが変わる。そういう順序で考えなければいけなかった・・・とすれば。

いよいよやる気か、ジュリー。
覚悟を固めたのか。

大きな会場で、一生懸命歌う姿を晒し、礎石の志を一層広く世間に示そうと。
本当に届けなければいけない所・・・身をもって考えて貰わねばならない連中にも聞こえる場所まで。その本丸にまで花束をもって「祈り歌」を届けようと。

ジュリーの「派手にやりたい」の本意・・・しょせん僕の考えることですから見当外れなのだろう、とは思いつつも。大きな期待と、そして大きな心配が半々です。
ジュリーのようなビッグネームがそれをすれば、一部の心無い非難や中傷、反発、ことによると妨害すらまぬがれません。今までの比じゃあない。

だから・・・なのでしょうか。
この先将来のある、まだまだ若いバンドメンバーを巻き込まないようにしたのでしょうか。
一心同体の柴山さんと2人で『OLD GUYS ROCK』の道をゆくと決めた・・・のでしょうか。

「それでこそ僕が惚れたジュリーだ!」と誇る気持ちもあれば、誰かに「ヒヨッコの分際で考え過ぎですよ」と笑い飛ばして欲しい気持ちもあります。
いずれにしても、ツアー開幕を待つしかありません。
7月までは本当に長いですね。


改めてジャケットのシャクナゲの花を考えます。
今年の新譜が、福島に捧げられた1枚であることを。
そうなると一層分からないのが4曲目「屋久島 MAY」の収録理由で、僕の頼りない感性で思いつけるのは、「癒しの小品で落とす」という世のロック名盤を踏襲したとか、「やくしま」と「ふくしま」を掛けたのではないかとか、説得力皆無なものばかり。まぁ「屋久島 MAY」の考察記事までもう少し考えてみたいと思います。

今日採り上げるのは2曲目「ロイヤル・ピーチ」。
今年の新譜考察シリーズは、1曲目「グショグショワッショイ」を底の浅い考えのまま更新してしまい、悔いの残るスタートとなりました。
ここから巻き返します。前記事の反省も踏まえ、気合を入れ直して踏み込みます!


①福島の桃の話

僕は果物全般好きですが、特に子供時代からずっと好きな果物がイチゴと桃。
しかし独身時代が長く、イチゴはしょっちゅう買って食べていましたが桃はめったに口にできませんでした。自力で皮を剥けないのです(恥)。

その後結婚して家に皮を剥いてくれる人ができたので、毎年たくさん食べられるようになりました。
ここ数年は福島の桃をよく食べています。当たり前のことです。おいしくて、しかも安いのですから。
何故これほどおいしい桃が、他県産のそれと比べて(未だに)こうも価格が安いのか。そこに思い及ばない人は想像力の欠片も無い、と言わざるを得ません。

2014年でしたか、ジュリーとも縁深い糸井重里さんがインスタか何かで福島産の桃をどっさり購入している写真を投稿したところ、酷い誹謗中傷が相次いだというニュースを読んだことがあります。
「何ベクレル?」という低レベルなひやかしはそれでもまだマシな方で、いかにも物知り風に「桃はいたむのが早いので、出荷前の1回しか検査をしていない」などと事実無根のデマまでもが横行する始末。
糸井さんは「何度も丁寧に検査を重ね出荷している生産者の努力をバカにするのか」と激怒されました。

今年の新譜『OLD GUYS ROCK』リリース情報解禁より少し前、JASRACさんの新規登録でジュリーの新曲らしき楽曲タイトルを見た時、僕はいったん「ロイヤル・ピーチ」の「PEACH」を「BEACH」と読んでしまい、「沖縄の歌かな?ジュリーは50周年ツアーで沖縄行ってるしな~」などと見当違いなことを考えました。
「柴山さんが作曲してるみたいですよ!」ということで、取り急ぎ普段から仲良くしてくださるカズラーの先輩お2人に速攻お知らせして、そのやりとりの中で「ロイヤル・ピーチ」の話になり、ぴょんた姉さんに「Pだよ?」と勘違いを修正頂いたわけですが、そもそも僕は「ロイヤル・ピーチ」なる言葉を知らなかったんです。
調べると、福島の桃が出てきました。伊達産の桃が皇室に献上されている、ということも初めて知りました。

伊達市は、プロのタブラ奏者であり昨年の松戸公演を共に参加した僕の長年の友人、S君の故郷です。
彼はあの震災後すぐに故郷のお父さんを亡くしました。原発事故や津波とは直接の関係はありませんが、震災の心労が色濃かったと言います。S君は、当時「ホット・スポット」なる言葉で取り沙汰されることが多かった伊達にひとり残されたお母さんを案じて東京での同居案を申し出たそうですが、お母さんはお父さんが眠る故郷の地に留まる道を選択されました。

あれほどの過酷な事故が起こった以上、僕は「反原発」なんて理屈抜きに当然のことだと思っています。それは思想でもなんでもない。
ただし現実は、世の人々がそこに社会的な思想を見、標榜する、喧伝する、対立するという構図が生まれてしまっています。ですからあの震災後に福島のことを語る時、僕は自分が「反原発」以前に「反差別」である、とハッキリ言っておかねばなりません。
ジュリーが選挙応援演説までした某議員に当初マイナスのイメージを抱いたのは、その点で「自分やジュリーとはずいぶん違う考えなんじゃないか」という引っかかりを感じていたからです。
だからと言って、何故言い争わなければならないのか。僕にはできない、と悶々とした・・・それが2012年『3月8日の雲』リリースから晩夏に至るまでの半年間。
「ジュリーも差別側なのだ」と誤解してしまった福島の先輩とずっとやりとりをしながら、僕は自らの反論をすべて押し殺し、ただただお話を聞くことしかできませんでした。まったくの無力でした。
その経験が僕の中で絶対に譲れない「反差別」の強い気持ちに繋がっています。

その先輩は鉄人バンドの中で下山さんのことが特に好きだったのですが、今回「ロイヤル・ピーチ」のタイトルを知った時、僕はまず下山さんが以前ブログに書いていらした桃の話を思い出しました。
下山さんのお友達に桃を作っている人がいて、事故後「もう桃作りをやめてしまおうか」と悩んでいました。下山さんが「俺が食いたいんだ。来年もお前の作った桃を俺に食わせろ」とぶつかっていくと、お友達は「ほんとけ?」と言ったのだそうです。
このお友達の言葉にこそ、根深い核心があります。「福島で作った桃を、お前は食べたいのか?食べてくれるのか?」ということなのでしょうから。

7年が経った今でも「食べる奴がいるから出荷されるんだ、食べるのをやめろ」などという声があるのは酷い話です。いや、僕なぞは「酷い話だ」と言うだけで済むけれど、生産者の方々はどんな気持ちでいるのか。
こんな状況でも「原発事故による精神的苦痛」に対する賠償を7年目で打ち切ると言うのか。東電、そして「よろしく賠償、(東電に)丸投げイイネ」な政府は。
誰が何を言おうと、僕は今年もまた福島の桃をおいしくいただきます。


②近い「あの世」と遠い「この世」


前回も書きましたが、僕はジュリーの「この世からあの世はどうしようもなく遠い、でもあの世からこの世はすぐ近くなんだ」という考え方がとても好きです。
「あの世」の人は、思い立てばひょいとこの世にやってきて何かを残してくれる。この世の人は普段はそのことに気づけずにいるけど、ふとした瞬間に「あっ?」と感じることがある・・・僕は「ロイヤル・ピーチ」もそんな歌のひとつだと思っています。

僕は今回の新譜4曲の中で圧倒的にこの「ロイヤル・ピーチ」が好きになりました。
周囲にもそう仰るジュリーファンは多いのですが、みなさんこの歌の「優しさ」をとても前向きに聴いていらっしゃるようです。僕はその点がちょっと違って、どうしようもなく辛い歌だ、と感じます。
辛い歌だけど「大好き」だと言える・・・『三年想いよ』で「櫻舗道」を聴いた時を思い出します。「好き」のベクトルがよく似ているのです。
あくまでも少数派、個人的な解釈となりますが、このチャプターでは「ロイヤル・ピーチ」のジュリーの詞について書いていきたいと思います。

もう しあわせも もう かなしみも
  C               E♭  C               E♭

もう あきらめも  笑  う
  C               B♭ Am7  Dsus4   D

サビの最後に登場する「笑う」が、僕の歌詞解釈とみなさまのそれとの分かれ道になるでしょう。
「明るく笑い飛ばしてしまおう」というのがおそらく多数派ではないでしょうか。しかし僕はこの「笑う」を、歌の主人公の「無力感」の象徴と見ます。

先に、福島の桃のことを書きました。僕が毎年食べている桃は生産者の方々の懸命の努力、丁寧な検査を経て出荷されたものだと考えた時、想像は「僕らの目には触れない、出荷できなかった桃も中にはあるのだろう」という点に至ります。
それでも、あのような事故が起こってしまったのに、無事出荷できる桃が今年も実る。奇跡のような不思議な力によって育っている。その力とは何なのか。

この歌に登場する「君」と主人公は、共に桃作りをしていた夫婦だったのだろうと僕は考えます。
しかし奥様の方があの震災後(或いは震災で)亡くなられた・・・主人公は心折れそうになりながらも桃作りをやめなかった。酷い風評被害に苦しみ、その中で懸命に頑張り、今年も胸を張って出荷できる桃が育つ。
でも、自分では同じように育てているのに、中には出荷できないものもあるかもしれない。
どうしたら、すべてを無事出荷できるような桃に育てられるのだろう?

不思議なことだろ 近いあの世から
Em      D         G  C     Bm        Am7

何かを   使って   育てて くれてる
D    E♭dim   Em  D6  C    Bm Am7  D

「あの世」の君が不思議な力で手を貸してくれているから、この立派な桃ができるのだ、と。
それしかあり得ない、と。
自分もそんな不思議な力を持っていれば当然その力を使ってすべての桃を作る・・・でも。

術はありはしない 頑張る  しかない
D    E♭dim  Em    C    Bm   Am7   D

曲中、寂寥のディミニッシュ・コードが採り入れられているBメロのこ箇所に、ジュリーの「何かを使って」と共に「術はありはしない」の切ない詞は載りました。
「この世」に住む自分はその不思議な力を持たない。「君」が時々助けてくれるけど、自分自身は無力。
だから、ただひたすら頑張るより他に術はない。

先述した糸井さんの怒りは、そんな「頑張る」被災者をバカにするような一部の心無い、想像力を持たない人達に向けられたものです。ジュリーが2015年にリリースした「限 界 臨 界」で歌った怒りと同じです。
そう考えるとやはり「ロイヤル・ピーチ」は辛い、切ない歌だと僕には思えてなりません。

この解釈が正しいかどうかの自信はありません。
でも僕は未だこの詞に「明るさ」は見出せない。だからこそ愛おしい。ジュリーの心を感じるから歌もこんなに美しい、大好きだ、と思っています。
これから咲こうという花、実ろうという果実に「あの世」からの便りを感じ、「この世」の無力を想い、笑う・・・それが僕の聴きとっている「ロイヤル・ピーチ」。
みなさまのお考えはどうでしょうか。



③王道にして斬新、珠玉の柴山バラード!


1803151

美しいバラードを、ディストーションの効いたエレキで歌うOLD GUYS ROCK。
前回「グショグショ ワッショイ」の記事では、柴山さんの尖ったロックな変則進行について多くを書きました。では「ロイヤル・ピーチ」はどうでしょうか。

斬新な転調、目眩めく展開。いかにもギタリストらしい緻密な作曲という点では同じです。
ただしこの曲の場合は、Aメロ、Bメロ、サビのヴァースを独立させて紐解くと、それぞれキャッチーでおいしい「王道」進行が盛り込まれていることが分かります。
その繋ぎ目、つまり曲想の展開のさせ方が柴山さんの工夫であり、斬新なアイデアなのですね。

王道の進行となれば当然、世に同じ理屈の進行を擁する曲は幾多あるわけです。
まずはAメロ。キーはト長調。

君の育て  た桃  花もうすぐ咲き
G     Gaug   G6 G7  Am    F        D

ここは「胸キュン進行」の代表格と言えるクリシェです。クリシェというのは、ある同じ和音を続けてゆく中で、一定の間隔で半音ずつ変化する音を足してゆくという進行。下降型と上昇型があり、ジュリー関連で下降型を用いた曲は「僕のマリー」「愛はもう偽り」「緑色の部屋」「Uncle Donald」など。上昇型では「I'M IN BLUE」「涙のhappy new year」「渚でシャララ」そして柴山さん作曲の「Fridays Voice」などが挙げられます。
「ロイヤル・ピーチ」のAメロはト長調のトニック「ソ・シ・レ」の和音から「レ」の音を起点として、「レ#」(Gaug)「ミ」(G6)「ファ」(G7)の音が足されていきます。
上昇型のクリシェですね。

Bメロがまた美しい王道進行。
冒頭の「不思議なことだろ 近いあの世から」のメロディーに、「さよならを待たせて」を連想したジュリーファンは多いのではないでしょうか。
Aメロとの繋がりは調号の変化こそ登場しませんが、最初のコードがメジャー(G)ではなくマイナー(Em)です。その点が「さよならを待たせて」と異なり、AメロとBメロを大きくひとつとして捉えた際の「移旋」のニュアンスを持つ繋がりであると言えます。

サビは明快に転調し、キーは変ロ長調。

もう 花びら が  花びらが 舞うよ
B♭ F(onA)  Gm  F        E♭B♭ A♭  F

「舞うよ」の「よ」の和音でタイガースの「スマイル・フォー・ミー」を連想された方はいらっしゃるかなぁ。
そこまで行かなくても、有名なスタンダートの名曲「翼をください」から「とんでゆきたいよ」の箇所を思い出した、という方は?
すなわちこれもまた王道なのです。このように、「王道」の美しさが随所に散りばめられた進行なのに、それぞれの繋がりがひと筋縄ではいかない、というのが柴山さんの本領発揮、入魂度の高さと見るべきでしょう。

また間奏のソロ(「グショグショ ワッショイ」同様この曲も、2本のエレキギターの重ね録りであるにも関わらず単音ソロ部にリズム・バッキングはありません。あくまで「ギター1本での再現」を見据えたアレンジです)は、歌メロ部とは別の進行が考案されています。
Em→Bmの響きは、ウィングスの「ピカソの遺言」みたいで個人的にはとても好きな進行です。

採譜していて「あれっ?」と思ったのはキー設定。メロディーの最高音が高い「ミ」の音、最低音は低い「ソ」の音で、これはジュリーの現在の声域と照らし合わせるとかなり低めです。
最低音の「ソ」は1番で言うと「近いあの世から」の「か」の部分。「グショグショ ワッショイ」での「ラ」や「FRIDAYS VOICE」での「ソ#」よりもさらに低く、僕が把握している限りジュリー史上最も低い音なのです。
それでもジュリーが何ら苦にせず歌えているのは本当に凄いことですが(僕自身は低音は「ラ」までしか出せません)、「歌い易さ」だけを考えると最高を「ファ#」、最低を「ラ」、つまりイ長調で設定した方が適正だったはず。それに、柴山さんの作曲も最初はイ長調だった可能性が高い。クリシェ部、転調部含めてその方がフォームの移動が自然ですから。
では何故この低いキー設定に?

これは、ジュリーがこの曲を「力を入れて高いメロディーを朗々と歌い上げるような発声はしたくない」と考えたからではないでしょうか。
実際ジュリーのヴォーカルは、囁くように淡々と、そして優しい歌い方です。とすれば最高音が登場するAメロ「ロイヤル・ピーチ」の「ル」の発声、ここがしっくりくるかどうか、がジュリーの基準となったでしょう。
この歌い方は、ジュリー・ヴォーカルの語尾テクニックとしてはレアな「抜く」感じの発声で特に美しく迫ってきます。具体的には「花もうすぐ咲き」の「き」や、「語りかける桃」の最後の「も」です。
2音に分かれる1文字のメロディー、その2音目をフッと抜いているんですよね。それが切なく優しい声、詞とメロディーだからこそ、激しく胸を打たれます。

演奏面で僕が惹きつけられるのは、2本のギター・トラックで右サイドがアルペジオ、左サイドがコード・バッキングと分かれる箇所です。
この曲が古稀ツアーでギター1本の伴奏で再現されるなら、柴山さんがどちらのパートを採用するのかも大きな注目ポイントでしょう。楽しみです!


先の日曜日、桜が開花するかもしれないとの話もあり雑司が谷近辺の散策に出かけましたが、桜はまだまだという感じでした。
こちらは気温も今週半ば冬に逆戻りするらしく、体調に気をつけながら、再び暖かくなるという週末の開花を楽しみに待つことになりそうです。
みなさまお住まいの地はいかがでしょうか。

それでは次回お題は「核なき世界」です。
直球と言えばそうですが、ジュリーらしい暗喩、痛烈な皮肉も数多く散りばめられていて、こういう詞にこそジュリーの「怒髪天」を見る思いがします。

今年も僕のジュリー道の師匠の先輩から新譜の感想メールを頂きまして、「核なき世界」は収録曲中唯一、先輩と僕の歌詞解釈がピタリと合っていた曲。
先輩の感想は「ロイヤル・ピーチ」については僕のそれとはかなり違っていて、「僕はやっぱり考え過ぎなのかなぁ」と思いましたし、「グショグショ ワッショイ」にいたっては、先輩は僕の考察記事を読んでくださった後でハッキリ、「全然違う~」と呆れ笑っていらっしゃいました(今はあの記事を恥ずかしく思っています)。
でも、「核なき世界」はそんな先輩とも「護る」「恥」などキーワードの解釈がまったく同じでした。今日以上に「踏み込んだ」考察が必要な曲だけに、大変心強く思っているところです。
引き続き頑張ります!

| | コメント (11) | トラックバック (0)

2018年3月14日 (水)

沢田研二 「グショグショ ワッショイ」

from『OLD GUYS ROCK』、2018

Oldguysrock

1. グショグショ ワッショイ
2. ロイヤル・ピーチ
3. 核なき世界
4. 屋久島 MAY

--------------------

さぁ、今年も気合入れてジュリーの新譜全曲の楽曲考察に取り組みます。
2018年、変わらぬ「祈り歌」の新譜はタイトルもズバリ!な『OLD GUYS ROCK』。カッコイイですねぇ。
通勤途中、帰宅後・・・聴きまくっています。
これがジュリーの、何者にも縛られない渾身の新譜。今、「祈り歌」こそがジュリーの自由なロック。
何故なら、ジュリーが「祈り歌」をやめる時があるとすれば、それは正にジュリーの自由が奪われた時だからです。そんなことがあってはなりませんが、もしその時が来たら、「自由を奪われる」という事態は僕ら一般人ひとりひとりにも等しく起こります。
「この国はそこに向かってしまうのではないか」との不安は、ジュリーが3月11日にリリースする毎年の新譜が蹴散らしてくれます。僕自身の自由もこの手の中にある、と思えます。これまでも、これからも、ジュリーが歌い続ける限りそうであって欲しい・・・。
新譜リリース情報が例年に比べ遅かった今年、「もしかしたらジュリーは祈り歌の創作に区切りをつけてしまったのでは」などとあり得ないことを一瞬でも考えてしまった自分をひたすら恥じています。

いやぁそれにしても、ガツンと来るメッセージは毎年のことながら、今年はまさかの演奏形態に衝撃を受けました。みなさまも同様でしょう。「そう来たか!」と。
本当にジュリーは僕らの安易な「常識」「想定」などひと跳びに越えてゆきますね。

収録4曲すべて、エレキギター2本の重ね録り。伴奏はたったそれだけ。
しかも、2トラックであるにも関わらず単音ソロ部のリズム・バッキングを敢えて挿し込まず、「ギター1本あれば、いつでも、どこでも完璧に再現できる」アレンジおよびミックスとなっています。
ですから多くのジュリーファンのみなさまが「今回の新譜の伴奏はギター1本」と捉えていらっしゃるのはごくごく自然なこと。どちらかと言えば、聴き始めてすぐに2本のギターの振分けを確認してしまう僕の耳の方がどうかしているのです(笑)。

「新譜に一気2曲の提供」は、ジュリーと共に歩んできた長い道のりの中でも今年が初めてのこととなる柴山さん。その柴山さん作曲による収録冒頭の2曲でジュリーは、それぞれアプローチこそ違いますが共通のテーマに基づく詞を載せてきました。

震災で亡くなられた人と、今生きている人。
彼岸と此岸を繋ぐもの。

「この世」から「あの世」まではどうしようもなく遠い。逆に「あの世」から「この世」は近いんだ、すぐそこなんだ、というジュリーの考え方が僕はとても好きです。
「この世」にいる僕らは、「あの世」からひょい、と自分のそばに来てくれている人に普通は気づけません。でもふとした時に「あれっ?」と思える瞬間がある・・・そうすると、その人を想う悲しみの中から勇気が沸いてきて、立ち上がれる。頑張れる。
今年の柴山さん提供の2曲には、詩人・ジュリーのそんな感性が反映されています。

今日はまず1曲目「グショグショ ワッショイ」の考察です。魂込めて書きます!

①どうなる?古稀ジュリーのツアー編成大冒険!

3月11日、早速『OLD GUYS ROCK』収録曲の採譜に一日中取り組み、ひと息ついて携帯をチェックすると、ジュリーファンお2人の方からメールが届いていて、それが2通ともほぼ同じ内容。7月からの古稀ツアーでのバンド編成(演奏形態)を、新譜を聴いた上で僕がどう予想するかをお尋ねくださったものでした。

やはりこの新譜を聴いたら、まずみなさんそこを考えますよね。正に僕もそうでした。

もちろん一番「普通」に考えられるのは、柴山さんを中心とした新たなバックバンドの結成です。
ただ、ジュリーは今年から何か新たなスタイルを始めようとしているのではないか・・・僕は直接会場で聞いてはいないけど、50周年ツアーでの大阪、東京各ラスト公演で現バンドとは今回が最後、と知らせてくれた際にジュリーが表明したという「冒険がしたい」との言葉。
その意味を改めて今回の新譜を併せて考えると、これまでとはまるで違った編成や演奏スタイルでのツアーも考えられます。

僕らファンとしてはとにかくツアー開幕を待つしかありませんが、今日は僕なりにジュリーの「新たなLIVE編成」を3パターンほど考えてみました。
お題曲考察の前に、このチャプターではそのあたりを書いていきましょう。

パターン①
柴山さんと2人だけで全公演を突っ走る!


収録曲とは別にタイトルがつけられた今年の新譜『OLD GUYS ROCK』。一聴すれば明々白々、その意はすなわち「俺とカズのロック」でした。
そしてそれがそのままツアー・タイトルへとシフトされている・・・「まさかなぁ」とか「さすがにそれはなかろう」というのはあくまで一般的な考え方に過ぎません。
僕も本格ジュリー堕ちから10年(いや、先輩方からすれば「たかが10年」ではあるんですけど)、ジュリーには自分の頼りない「常識」など通用しないのだ、と何度も思い知らされてきましたしね。

あの怒涛のスケジュールを、永遠の相方・柴山さんとたった2人だけで駆け抜ける・・・たとえ僕らにとっては仰天・想定外なアイデアでも、ジュリーにとっては自然な選択肢、手法なのかもしれないなぁ、と。
もちろん僕とて何の予備知識もなければそんなことは考えもしなかったでしょうが、新譜を聴いた今となっては、ツアー初日・武道館のステージにジュリーと柴山さんの2人しか立っていなくても驚きません。

「我が窮状」も「un democratic love」も、柴山さんならばギター1本でアレンジ、伴奏できます。負担はメチャクチャ重いですが、それを涼しい顔で、笑顔で、時には眉間に皺寄せてでもやってのけるのが柴山さんです。
その場合セトリ的にも従来とは違った選曲が予想され、「遠い旅」や「TRUE BLUE」「幻の恋」といった個人的に大好きなナンバーにも期待が膨らみます。

パターン②
特別出演・日替わりゲストありの変則公演


これは、これまでのジュリーのステージ・アプローチを観ていると可能性はかなり低いかなぁとは思いますが・・・基本はパターン①の柴山さんとの2人公演で、日によって、或いは会場によって一部ゲスト・コーナーを設けるというスタイル。過去にジュリーと縁の深い名うてのミュージシャンが、ジュリー古稀ツアーへのお祝いに華を添えるという手法です。
亡くなられたメンバーもいるので完全な形とは言えないけど、PYGやJAZZ MASTERの一時的な復活、なんていう夢も広がりますよね。

パターン③
『OLD GUYS』2人+サポート・バンド


個人的な理想形がこれ!
分かり易く有名どころの例で言うと、吉川さんと布袋さんとか、稲葉さんと松本さん。つまり「ヴォーカリスト+ギタリスト」がステージの主を張り、そこにサポートのバンドがつくというスタイルです。
サポート・メンバーは体力自慢、バリバリの若手の起用を夢想。柴山さんはそれらメンバーとは一線を画し、立ち位置もジュリーのすぐ横(若干後ろ)で・・・こうなれば正真正銘『OLD GUYS ROCK』ツアーです。
今回はジュリーの古稀記念ツアーではありますが、フロントはジュリーと柴山さんの2人という・・・いかがでしょうか。ちょっと飛躍し過ぎかな?

この3パターンの中で一番あり得そうなのは(同時に、一般的にはとてもあり得そうもないのは)①のパターンだと思いますが、いずれにしても僕の勝手な妄想。
ただ、古稀ツアーからまたジュリーの新たな一歩が始まることだけは間違いないので、しっかりとその最初のシーンを観ておきたい・・・なんとか初日の日本武道館だけは、2階スタンドの一番上でも良いので確実に参加したいと思っています!

②やつならどうすっどうすっか

このチャプターでは、ジュリーの詞について書きます。


(後註)いったん更新しておいて恥ずかしい次第なのですが、僕がここで書いた歌詞解釈は酷く浅いです。是非、先輩から頂いているコメントの方も併せてお読みください。

新譜リリース情報が解禁となった段階で、収録曲のタイトルから「どんな内容の詞なのか」とファンの間で特に話題をさらっていたのがこの1曲目「グショグショ ワッショイ」でした。
「グショグショ」は涙、「ワッショイ」はお祭り。
おそらく震災復興がテーマ。
と、僕もそこまではなんとか想像できていましたが、ちょっと引っかかっていたこと・・・ジュリーは2013年に「復興を宴にするな」と歌っているんですよね。ですから僕は「宴」(=「お祭り」)の歌詞フレーズにずっとマイナスのイメージを持っていたんです。
いざ聴いてみると「グショグショ ワッショイ」はやはりお祭りの歌でした。しかし、「Pray~神の与え賜いし」で言及される「宴」とは180度捉え方が違います。
国から押しつけられた宴と、気力を振り絞って立ち上がり自らの力で催す宴の違い。
もちろん重い心境や情景を含む詞には違いありませんが、前向きで、元気が出る歌でしたね。ジャケットのイメージが明るいのは、この詞ありきでしょう。

これはまた「友情の歌」でもあります。僕はジュリーが歌うこのテーマの歌に弱い・・・涙腺崩壊です。
たまたま先日「絆(きずな)」のお題で記事を書いていて、その時色々と考えたことがありました。
辛い時、打ちひしがれている時、励ましてくれる友人。それでも再び立ち直るには結局自分の力と志で成すしかない。被災地に今生きる人達にとって話はそんな簡単なレベルではないとしても、震災の爪痕がまざまざと残る町でそれでも立ち上がろうとする人に、どんな友人の存在、想いがその助けとなるのか。

変わり果てた町 やつならどうすっどうすっか
F#m             B   F#m                 B

ジュリーのこの詞に尽きると思います。
あの時もしも、自分の方がいなくなって、「やつ」(友人)が残されていたとして、じゃあ「やつ」なら今どうしているだろう?癒えない心を抱えつつも、この町を取り戻そうと頑張っていたんじゃないだろうか。
今自分が無力感と絶望で何もせずにただ下を向いているだけなら、「やつ」に会わす顔が無いぞ、と。
そうして奮い立ち、自分の意思で復興の宴とともに鎮魂の歌を歌っていると、「やつら」が自分のすぐそばに来てくれているのが分かる。「やつら」の声がハッキリ聞こえる・・・「グショグショ ワッショイ」って、そんな歌なのではないでしょうか。
ジュリーが投影した主人公が豪快に歌うサビ部、「ワッショイ」の追っかけコーラスに参加しているのは、「やつら」なのです。そんな処理になってるでしょ?

あの世の者もこの世の者も、老いも若きも一緒に、涙グショグショの笑顔でワッショイワッショイ。
「ジュリー、また素っ頓狂なタイトルつけてきたなぁ」と発売前に苦笑いした僕はまだまだ考えが浅い、と痛感させられました。「グショグショ ワッショイ」・・・これほどこのテーマにピッタリなフレーズはありません。

「すべての被災地」ということで言えば、僕は今年の1月、やはり震災の爪痕が大きく残る熊本の町を見てきました。この曲でその光景が思い出されました。
たまたまBリーグのオールスター・ゲームの開催が重なっていたこともあるのでしょうが、熊本の町を行く人達はとても元気で活気に溢れ、「復興、やってやる」「この町を取り戻す」という志の賑やかなお祭りを見ているような気がしました。
東日本にだって、きっとそれはできる。
いや、僕が目にしていないだけかもしれない。もしかしたらジュリーはそんな光景を東日本のどこかで見たのかもしれない、と考えてみたりします。

今年の新譜全曲についても言えますが、ジュリーは何か具体的な光景或いは情報を得て、「祈り歌」の作詞をしていると思います。
それが何かは僕らファンにはほとんど分かりません。でも想像することはできます。
ジュリーは頑ななまでの「3月11日リリース」で、正にその想像力、そして自ら考え体験することの貴さを毎年僕らに投げかけてくれています。
それでもセンスに乏しい僕は、1月の熊本公演に参加していなかったら「グショグショ ワッショイ」にここまでの解釈はできなかったかもしれません。

先月の20日に亡くなられた「平和の俳人」金子兜太さんが、かつてこんな言葉を残されています。

必ず時代には棄てられる人がいる。詩人はそれを見てなきゃダメだ。それが見ていられないような詩人は詩人じゃない。

今のジュリーは、この国を見つめる詩人です。しかも僕らが敬愛するこの詩人は・・・決して見棄てない!
歌い続ける限り、ジュリーの『PRAY FOR JAPAN』は終わりません。改めて今、そう確信しています。

③緻密にして豪快、柴山さんの目眩く転調ロック!

180312_1_2

過去の柴山さん作曲のジュリー・ナンバーの中、僕が特に楽曲構成について惹かれているのが「やわらかな後悔」と「F.A.P.P」。いずれも難解な転調が繰り返される高度な作曲作品で、まるでまったく異なる複数の曲を合体させたかのような進行を擁します。
今回の新譜2曲で柴山さんは久しぶりにその宝刀を抜いてきました。その上で2曲それぞれが16ビートのロック、4ビートのバラードとタイプを違えているというのも、柴山さんの「ジュリーの新たな祈り歌」に向けた気魄の証ではないでしょうか。

「グショグショ ワッショイ」の構成が大きくAメロ、Bメロ、サビに分けられることはみなさまお分かりでしょう。実はこの3つ、すべてキーが異なるのです。
Aメロは、ハードなリフ・ロックを象徴するホ長調。

鎮魂の歌は止まず
E     G    A  C   E   A G    E    A G

心は癒えやしないが
E    G     A C       E    A G    E    A G

これが「E→G→A→B」ならば王道で、ジュリー・ナンバーでは「悲しき船乗り」「希望」「3月8日の雲」がそのパターンですが、今回の柴山さんは「E→G→A→C」。
この「C」がメチャクチャ尖ってます。
これをして「レ→レ#→ド→シ」という半音下がりの斬新なメロディーが成立。ジュリーのヴォーカルも音が下降するごとにキレていますね。

Bメロは、一瞬ト長調に見せかけておいてニ長調!

あの世の者も この世の者も
G            D           F#      B    A

活きの良いやつ いますぐ来たれやい
G             D                C       D  E

これまたもし「B」の箇所が「Bm」ならば王道。キャッチーでポップなメロディーが載ったはずですが、「B」に置き換えることで前後の「F#」「A」との関連性がガラッと変わり、パワフルで武骨なメロディーが載ります。
昨年の「福幸よ」同様、「曲先」の製作におけるジュリーと柴山さんの「詞曲一致」にはツーカーの域を超えた運命的な相性も感じさせます。

「来たれやい」は3段階1音上がり和音進行で、「立ち上がる主人公の姿が見える」よう。
その最後の「E」が何とそのままドミナントとなって、サビのキーはイ長調です。

おどけてワッショイ とむらいワッショイ
A          G             A          C

グショグショ ワッショイショイ
A                G           E

しつこいようですが、これも「A→G→A→G」ならば王道。ここでも「C」が素晴らしい仕事をしていますが、Aメロの「C」とは使い方が全然違うんです。
Bメロ部も含め、この曲に登場する「C」のコードはすべて進行の理屈を異とし、かつロックならではの尖ったニュアンス。いやぁ柴山さん、「OLD GUYS ROCK」の新譜タイトルをあらかじめ知らされていたかのようなロック・ナンバーをブチ込んできました。
逆に言えば、この柴山さんの曲があったからこそジュリーは「OLD GUYS ROCK」のフレーズを思いついたのかもしれませんね。

自身の声域もあるのでしょう、柴山さんの作るジュリー・ナンバーには音域が広いものが多いです(最高峰は「FRIDAYS VOICE」)。「グショグショ ワッショイ」でその点魅力的なのは、メロディーの最低音(低い「ラ」の音)がサビ最後の最後で登場すること。
「さあ来いやい」の「やい」ですね。
「FRIDAYS VOICE」に登場する低い「ソ#」よりは半音高いんですけど、なにせ〆のロングトーンですからねぇ。柴山さんの作曲奥義=ジュリー・ヴォーカルの真骨頂。ドスの効いた低音ヴォーカルに痺れます。

ギター演奏の肝は「ブラッシング」だと思います。
「ブラッシングって何?」という方は、サビ直前の2拍に注目。音(音階)をピタッと止めて、「がっ、がっ、がっ、がっ♪」と言わせていますよね。これがそうです。
ギター・テクニックとしてはいろはの”い”ですが、それをカッティングとの合わせ技で魅せてくれるのがイントロから登場するリフ部。
「じゃ~ん、じゃ~んか、じゃ、じゃ~、じゃ♪」
ではなく
「じゃ~ん、じゃ~か、ちゅくじゃ~、じゃ♪」
なのですよ。

今回の新譜収録曲すべてに言えますが、こういうアレンジで来られたら素人ギタリストとしても完コピせずにはいられない!
「グショグショ ワッショイ」は当初CD無しで練習しているとイントロ4小節目で「こっちの水苦いぞ」そのまんまのドラムス・フィルが脳内で勝手に鳴って単音がおろそかになったり

7  年 さあ来いやい
A G E   D    C    A

の後の空白から曲が「忘却の天才」に変身しちゃったり、と往生しましたが(笑)、聴き込みに聴き込みを重ねて今はだいぶイイ感じになってきていますよ~。
当然古稀ツアーでも歌われるでしょうから、編成がどうあれ柴山さんのギターをじっくりと観て答え合わせをするのが今から楽しみです(そんな席が来ればね)。


さて、今日の考察はここまで。
古稀ツアーの前半公演、チケット申し込みの締切が迫っています。いつもはインフォが到着したらパパッと振込を済ませる僕ですが、今回は悩みまくり。
狙いの会場にどうしても都合のつかない平日の公演が多いのですよ~(泣)。
ようやく最終決断をしまして・・・無念ですが、前半は初日・武道館と地元・和光の2箇所に絞ります。

気の毒なのはYOKO君で、前半は参加会場無し。
2人で「この日だけは何としても俺達が行って盛り上げないと!」と相談した、今ツアー最大キャパの会場・10月のさいたまスーパーアリーナが彼の初日です。
3ヶ月以上にも及ぶネタバレ我慢を鋼鉄の意志でやり遂げ、広い広い大会場の最上段からダイブするYOKO君を目撃したい人は皆、さいたまスーパーアリーナに集まれワッショイワッショイ!
いや真面目な話、あの大きな会場を満員のお客さんで埋めてジュリーを迎えたい・・・その一心です。微力ながら、さらなる声がけをこれから頑張りますよ~。


それでは次回考察お題は当然『OLD GUYS ROCK』の2曲目、「ロイヤル・ピーチ」です。
現時点では新譜4曲中最も好きな曲。『三年想いよ』をリアルタイムで聴いた時、「櫻舗道」がどうしようもなく好きになってしばらくの間頭から離れなかったという体験をしていますが、今回「ロイヤル・ピーチ」はその時の感覚とよく似ています。
「グショグショ ワッショイ」とは、根底にジュリーの「彼岸と此岸」についての考え方がある点で共通。しかしこちらはとても切ない、悲しい歌です。
そして美しい・・・ジュリーの声も柴山さんのギターも、楽曲構成や転調進行に至るまで、息を飲むほど美しい孤高のバラードです。

容易に歌詞解釈できる曲ではありませんし、原発事故やその後の風評被害といった重いテーマにも触れざるを得ませんが、引き続き全力で取り組みます。
よろしくお願い申し上げます!

今週こちら東京近辺は暖かい日が続いています。週末には早くも桜の開花が予想されているとか。
北から南まで、1日も早い春の訪れを祈ります。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2018年3月 6日 (火)

沢田研二 「絆(きずな)」

from『FOREVER ~沢田研二ベスト・セレクション』

Forever

side-A
1. 危険なふたり
2. 立ちどまるな ふりむくな
3. 巴里にひとり
4. あなただけでいい
5. 君をのせて
6. ある青春
side-B
1. 時の過ぎゆくままに
2. 許されない愛
3. あなたへの愛
4. 魅せられた夜
5. 今、僕は倖せです
6. 追憶
side-C
1. ウィンクでさよなら
2. 恋は邪魔もの
3. 燃えつきた二人
4. 胸いっぱいの悲しみ
5. 死んでもいい
6. 白い部屋
side-D
1. 悪い予感
2. WHEN THE LIGHTS WENT OUT
3. ELLE
4. 愛は限りなく
5. 絆(きずな)

----------------------

帰宅したらインフォが届いていました~!
まぁ何と言うか・・・改めて驚嘆、圧巻ですよね。これが今年古稀を迎える歌手のスケジュールだとは。やはりジュリーは別格です。
凄まじい人のファンになったものだとしみじみしつつ、自分の参加会場は1週間ほど使って(お誘いする人の都合も聞いて)、じっくり考えたいと思います。

とりあえずは、今日の更新に集中!

さて、楽曲お題の記事としては久々の更新ですが、今日は「考察記事」という感じではなくなりました。
僕は先の2月25日、タイガース・ファンとしてリスペクトする先輩であり、ひとまわり年長のロックな友人でもあるYOUさんの企画LIVE(大岡山PEAK-1、『ゆうちゃん三昧2018』)に行ってきました。

YOUさんは普段からX-JAPANのコピーバンド「ゆうちゃんバンド」でのギタリスト活動をメインに、毎回個性派の対バンを迎えPEAK-1さんで精力的に企画LIVEを継続しています。そんな中今回は、ゆうちゃんバンドに加えオープニング・アクトでジュリーのコピーバンドを臨時結成、ヴォーカリストとしても出演されました。
YOUさんがジュリーを歌うのは4年ぶりのことで、当時の経緯については拙ブログのこちらの過去
記事をご参照ください(メチャクチャ大長文ですが汗)。

今年で64歳となったYOUさん、全力勝負の2バンドのステージを終えた後はさすがに疲労困憊のご様子でしたが(お別れ際に「本当に疲れた」と仰っていました。「疲れた」と口にすることは滅多にない人なので少し心配です)、出演3バンドをじっくり堪能し(もうひとつの出演バンドはGSのコピーバンド。ジュリー絡みでは「白夜の騎士」「自由に歩いて愛して」を演奏してくれました)、YOUさんのLIVEでいつもお会いする先輩方はもちろん、僕よりもずっと若いJ友さんと『3月8日の雲~カガヤケイノチ』ツアー・びわ湖公演以来の再会が叶ったり、4年前のYOUさんのLIVEでビフォーを共にした車椅子のJ先輩ともその日以来お会いできたりと、楽しい1日を過ごしました。
訪れるのは今回で5度目のPEAK-1さんはこの日も盛況。音響、演奏者、お客さんへの心遣いが素晴らしいライヴハウスだと改めて感じました。

さて、僕は今回のYOUさんのジュリー・コピーバンドについても4年前に引き続き採譜(バンド・リハの叩き台)でお手伝いさせて頂き、そのためセットリスト全10曲を半年前に既に把握していました。
今日はその中から、YOUさんが本番のMCで曰く
「世の中にジュリーをコピーするバンドは多いけど、この曲はまずやらない。下手すると知らない」
という名曲、「今回の企画はこの曲ありき、で決まった」とセットリスト決定の時点で並々ならぬ気魄と覚悟を漲らせていた名曲・・・ミッシェル・サルドゥの日本語詞カバーで「絆」をお題に更新させて頂きます。

いつものように「伝授!」などとはとても言えない圧巻の名曲であり、新規ジュリーファンにとってはさらなる今後の勉強が必要な曲です。
本家ジュリー・ヴァージョンのお話は少ない記事内容なのですが、YOUさんとのご縁あってこの名曲と真剣に向き合う機会を得た今、頑張って記事に残しておこうと思います。よろしくおつき合いくださいませ。


①大名曲、再確認と勉強の日々

新規ファンの僕にとって、ジュリーがこれまで歌ってきたすべての楽曲を網羅し音源なり映像なりで血肉とするのは、気が遠くなるほど大変な作業です。
オリジナル・アルバムをすべて揃えて身体に叩き込んで・・・それでようやく半人前というのがジュリー道。お芝居で歌った曲、LIVEやテレビ番組、ラジオ番組で歌った曲・・・本当に一体どれほどの曲があるのか。
僕は多くの先輩方のご好意で、ファンのキャリアからするとそれら音源を手元に多く持っている方だとは思いますが、なにせ追いつかない。たった一度聴いたくらいの曲では血肉にはなりませんしね。

4年ぶりにジュリーのカバー・バンドでLIVEをやる、と決心を固めたYOUさんから「セットリストを決めました」と採譜依頼のメールが届いたのは昨年夏の終わりのことでした。もう演奏順まで決めていらっしゃって、思わず手を打ついかにもYOUさんの選曲っぽい70年代のジュリー・ナンバーがヒット曲レア曲問わず列記される中、最下行に見慣れないタイトルを見つけました。
「絆」。
本当にお恥ずかしい話、その時僕は「?」と。
「最後の1曲だけ僕が知らない曲のようです」とYOUさんにも返信しましたし、こういう時いつも頼りにしている長崎の先輩への「歌詞カードをお持ちでないでしょうか?」とのお願いメールにもいったんは「これは知らない曲で・・・」などと書いていました。

早速YOUさんから音源が送られてきて、聴いているうちに「いや、これは前に聴いたことあるぞ!」と。
そこで思い出したのが、あれは2010年だったでしょうか・・・別の長崎の先輩を介して、敬愛するじゅり風呂の先輩が編集作成してくださった『ジュリー洋楽カバー集』(何とCD15枚組!)を聴かせて頂いていたこと。
少しづつ勉強はしていたのですが、まだまだそのすべてを血肉とするには至っていません。
久しぶりに取りだして確認してみると、当然ながら「絆」は収録されていました。
改めてそちらを聴くと、YOUさんから送られてきた音源とはヴァージョンが違います。
YOUさんの音源は『ビッグショー』のものだとメールに記してありましたが、さてこちらは・・・?というところまでは未だに勉強できていません。『FOREVER ~沢田研二ベスト・セレクション』収録がどちらのヴァージョンなのかも僕には分かっていません(恥)。
いずれにしても素晴らしい名曲、名演。僕はどちらかと言うと先輩がカバー集に入れてくださっていたヴァージョン方が、より好みでしょうか。

それにしても・・・凄い。
これほどの名曲を中途半端にかじり聴きしたまま数年放置していた自分が信じられません。25日のLIVEでのYOUさんのこの曲を歌う前のMCで仰った「圧倒的なジュリー」との表現、正にピタリです。

YOUさんから頂いた全セットリスト中、採譜作業は「絆」が最後。『FOREVER ~沢田研二ベスト・セレクション』付録の貴重なスコアも長崎の先輩から見せて頂くことができましたが、やはり時代のせいか五線譜はともかくコード・ネームの採譜精度が低かったため参考資料とはせず、1からの自力採譜となりました。

採譜というのは、単にコード進行や楽曲構成を把握する以外に、楽曲全体の理解度ひいては愛情を高めてゆく作業でもあります。歌詞も一字一句書き起こしますし、演奏の細かい部分まで何度も繰り返し聴いて確認するわけですからそれも当然。
「絆」は予想に違わぬ難曲でしたがなんとか清書は成りました。これにて僕はようやくジュリーの「絆」を自らの血肉にしたとは言えます。
ただ、新規ファンの僕には曲にまつわる根本の知識が足りません。「ミッシェル・サルドゥの歌」だと教わっても、僕はミッシェル・サルドゥの名前すら今回初めて覚えたのですから。
この曲についてだけでもまだまだこれから勉強すること、たくさんあるんだろうなぁ・・・と、僕はひと段落つきながら暢気にそんなことを考えていました。

その後僕の採譜は無事バンドの叩き台となったようで、YOUさんから「リハは順調」とのご連絡も頂き、特に「絆」に期待しながら来たるLIVEを楽しみにしていた、そんな頃。昨年12月はじめのことでした。
本当に、こういう時って不思議な偶然が繋がるものなんですね。いつも楽しみに読ませて頂いているRスズキ様のブログで、ジョニー・アリディさんの訃報についての記事更新がありました。
「え~と、ジョニー・アリディって何かジュリーに関係のある人なんだっけ?」などと無知丸出し状態のまま御記事を読み進めてビックリ。有名なジュリーの『ハムレット』が元々アリディの作品であったというお話も驚きでしたが、オリジナルの「絆」はミッシェル・サルドゥが親友であるジョニー・アリディに捧げた歌だ、というではありませんか(原題は「Hallyday(Le phenix)」、邦題は何と「不死身のアリディ」!)。
「絆」が「友情の歌」であることは歌詞からも一目だったとは言え、ミッシェルとアリディのそんな背景がこの歌にはあったのだなぁ、とその時僕は知ったのです。
竜真知子さんの訳詞はその背景を尊重した上で、あの素晴らしい日本語ならではの叙情性、物語を作り上げているようですね。

このように、今回YOUさんのLIVEのお手伝いを機に僕はジュリーの「絆」という大名曲を本当の意味で知り、僅かながらもリアルタイムの空気や背景を勉強することができました。
そして、この「圧倒的なジュリー」にのめり込めばのめり込むほど、アマチュアのバンドが「絆」という名曲をカバーする、歌い演奏するというのは、「難易度が高い」を通り越してほとんど暴挙に等しいのではないか(笑)とLIVE当日が楽しみのような心配のような、複雑な気持ちになっていきました。
さぁ、YOUさんの挑戦はどのような結果となったでしょうか。次チャプターで書いていきましょう。

②YOUさんとJULIE LOVEの「絆」ふりかえり

今回YOUさんが4年前とは異なるメンバーで「ジュリーを歌う」ために結成したバンド名はズバリ「JULIE LOVE」。採譜、と言うかリハの叩き台を提示した身としてはやはり、この日一番のお目当て出演バンドです。

ジュリーファンは総じて、「ジュリーの曲を他の人が歌う」ことについてはそれがプロであれアマチュアであれ大変厳しい。これは僕自身もそうです。
それでもジュリー・ナンバーのカバー、コピーバンドを聴くとなれば、僕の場合はまず「世の誰もジュリーの歌をジュリーのようには歌えはしない」という思い、大前提がありますから(これはみなさまもおそらくそうでしょう)、「容姿が美しい」とか「歌声が本家に似ている」などという要素は一切評価の対象にはなりません。
僕が見るのは「何故ジュリーを歌うのか」「その曲へのリスペクトと、自ら歌おうとする覚悟が見えるか」・・・つまり歌や演奏の巧拙より、動機と志です。

YOUさんはこの点については絶対に大丈夫な人、というのは4年前のステージで既にハッキリしていますが、「絆」に限ってはどうだろう、さすがに演ずる側も観る側も辛いのではないか、とLIVE前は考えていました。
しかしそれは良い意味で見事裏切られたのでした。

この日出演の3バンド、全演目の中で僕はYOUさんが歌った「絆」が圧倒的に素晴らしかったと思います。
アマチュア・バンドのLIVEで、観ている側が「忘我の境地」を体感できることなどなかなかありませんよ~。YOUさんもJULIE LOVEのメンバーも、この曲では完全にゾーンに入っていた感じでした。

まずJULIE LOVEの全セトリをおさらいしますと

1. お前は魔法使い
2. ウィンクでさよなら
3. 遠い旅
4. 旅立つ朝(これはYOUさんの奥様が一番好きなジュリー・ナンバーなのだそうです)
5. ダーリング
6. カサブランカ・ダンディ
7. 白い部屋
8. 時の過ぎゆくままに
9. 勝手にしやがれ
10. 絆(きずな)

バンドの演奏、とても良かったです。
「絆」を別格として、僕がこのセトリで特にバンド・アレンジ再現の難易度が高いと考えていた曲は「旅立つ朝」でしたが、これがまた素晴らしかった!
中でもキーボードさんは3つの音色を駆使し、変幻自在の大活躍。ラストのピアノ・グリッサンドは音はもちろん両手の動きがバシッ!とキマって、本番に至るまでの猛烈な稽古量を感じさせてくれました。
採譜作業過程でのやりとりの中で僕はYOUさんに「旅立つ朝」のバンド再現はかなり難しいのではないかという話も何度かしていたんですけど、その度にYOUさんは「僕の歌はともかく、バンドについては期待して良いですよ!」と自信満々。それも今は大納得です。

「遠い旅」のギター・アルペジオには目を奪われました。
僕自身はこの曲を普段「2カポ」のCで弾きます。オリジナル・キーの「D」のフォームでは弾きにくい運指だと決めてかかっていました(ジュリーもラジオ番組『ミッドナイト・ステーション』の企画『ジュリーB面ベストテン』の放送回で、「遠い旅」の分数コード・アルペジオは自分は弾けない」と語っています)。
でもJULIE LOVEのギタリストさんの演奏を観て、なるほどそう弾けば良いのか!と。
YOUさんには「2カポ用の採譜が必要な場合は改めてお知らせください」と伝えていましたが、どうやらそれはまったく必要なかったようです。
そうそう、YOUさんは今回のセットリストを知らせてくださった際「DYNAMITEさんのリクエスト曲を聞かないまま全曲決めてしまってすみません」と仰っていましたが、僕が4年前に「次の機会にはまたリクエストしたいです」と胸に留めておいた曲は「遠い旅」でしたから、結果万事OKということになりました(笑)。

ギター演奏では他に、「お前は魔法使い」でのトリル奏法の完璧な再現にも感動しました。

ベーシストさんは、YOUさん曰く「(メンバーの中で)自分と最も年齢が近い。今回の選曲も彼が一番共感してくれたと思う」とのことで、「白い部屋」について「この曲YOUさんに合ってるよね」とお話されていたとか。
この日の演奏では、「カサブランカ・ダンディ」のハイフレット・フィルが特にカッコ良かったです。

さらに今回のJULIE LOVEでは女性コーラスさんもメンバーに加わっていて、このお姉さんは何と以前に野口五郎さんのバック・コーラスをされていたそうです。
また作詞家としてもオリコン・チャート11位のヒットをお持ちらしく、とにかく凄い方なのですね。
さすがのキャリアに裏打ちされたコーラスは素晴らしく声の通りが良く、「ウィンクでさよなら」で「hoo・・・♪」と歌うパートひとつとっても存在感抜群でした。

そして、JULIE LOVEのバンドマスターはドラマーさん。
採譜のやりとりメールの中に、YOUさんはこのドラマーさんへの信頼を何度も綴られていました。
バンド・リハ始動に先立ってドラマーさんは「何故この選曲になったのか1曲ずつ理由を聞かせて欲しい」とYOUさんに尋ねてこられたのだそうで、ドラムスというポジションでそこまで演目への動機を求める人ってプロでもなかなかいないと思うんです。
演奏は当然ながら頼もしいバンマスっぷりでした。

さて、「絆」です。
本当に素晴らしい演奏だったと思いますが、僕は今回この曲ではYOUさんから目を離せませんでした。苦労して採譜しましたからバンドの細かい箇所も注視したかったのに、それができないという・・・これはまるで「神席ジュリーLIVE」の時にジュリーだけに釘付けになってしまうのと同じ状況ではありませんか。
YOUさんはヴォーカルにしてもギターにしてもどちらかと言うとステージではサービス精神旺盛なタイプで、どうしたらお客さんが喜んでくれるか、楽しんでくれるかを突き詰めて表現してくれる感じなんですけど、「絆」だけはまったく違いました。
例えば曲中の「立て!」「そうだ・・・!」の箇所。もしほんの少しでもYOUさんに「照れくさい」「いいカッコしたい」といった邪念があれば、ああはなりません。
むき出しで、荒々しくて、ただひたすらに歌う・・・そんなYOUさんを僕は初めて観ました。

この曲の直前のMCで「絆」を選んだ理由を少し話してくれていましたが、それが無くともこの日のYOUさんの「絆」を聴けば、「伝えたいことがある」「伝えたい人がいる」から歌っているのだとハッキリ分かりましたし、僕の「いやぁこの曲はさすがに難易度高過ぎなのでは・・・」との事前の心配がまったくの的外れだったと思い知らされました。
人前で歌う理由がある、動機があるというのはこれほどパフォーマンスを高めるものなんですねぇ・・・。
バンドメンバーもYOUさんの気魄に引っ張られての熱演だったでしょう。

いつだっておれは おまえの友達  だ
Fm              Fm7  Fm6            D♭ C7

だからこそこの手が さし出せな  い
Fm           Fm7        Fm6      D♭  C7

おまえの本当の 力をためしたい
Fm     A♭  E♭  D♭          C7

信じてるこのおれを 悲しませないでくれ ♪
Fm     A♭         E♭D♭                C7

考えてみれば、YOUさんご自身が「絆」の主人公のようにとても友情に厚い人なのです。
僕のような若輩者がそんなYOUさんに「友人」として接して頂けていることをいつも嬉しく思っていますが、ただしYOUさんは「絆」の歌詞と同じく、友人が悩み或いは怯んでいる時に「俺が助けてやる」「俺が代わりにやってやる」という甘やかしのような激励をする人ではありません。
次元の低い話で恐縮ながら、僕も4年前に一度YOUさん流のエールを体験しています。「残された時間」の採譜について一度は「荷が重い」と怯んだ僕を本気にさせたのは、間違いなくYOUさんの仕業(笑)でした。「怖れず踏み込んでみろ」「お前の本当の力を俺に見せてくれ」という激励の仕方をする人なのですよ。
今回の「絆」は、YOUさんが最近そんなふうに接し対峙した友人の存在があり、その友人が見事自力で立ち上がった経緯を受けての選曲であり熱唱だったのではないか、と僕は推測しています。
LIVE後に「絆」のお題で記事を書くことは前々から決めていて、採譜の苦労話などをつらつら書くことになるかなぁと考えていましたが・・・さすがはYOUさん、そんな生ぬるいことはさせてくれませんでしたね。

僕が今回のYOUさんの企画、採譜依頼のお話を頂いた時にまず「えっ?」と驚いたのは、YOUさんがその時正に、この数年闘い続けているご病気の特に辛い治療期間真っ只中であることを知っていたからです。
その状況で毎日の奥様の介護だけでも大変な筈なのに・・・やっぱり凄い人だ、と改めて感服したことなども思い出しながら、この日のYOUさんのLIVEを観て、特に「絆」に僕は大いに感動させられたのです。
本当に良いものを魅せて頂きました。

③驚異!ジュリー・ヴォーカルの3連適性

今日は本家ジュリーの話が少なくて申し訳ありません。最後に少しだけですが書いておきます。
昨夏「絆」にのめり込んで以降、僕は先述した先輩作成のジュリー洋楽カバー集CDを聴く機会が増えました。そうすると、特にヴォーカルについて「これは!」と思う名カバー曲の「3連」率が高いことに気がつきます。
ソロ・デビュー後のオリジナル・シングルも「君をのせて」に始まり「あなただけでいい」「胸いっぱいの悲しみ」「おまえがパラダイス」「渚のラブレター」「きわどい季節」「太陽のひとりごと」・・・それが8分の12の過激なロッカ・バラードであれオールディーズ寄りの甘いバラードであれ、ジュリーの3連ヴォーカルには独特の「らしさ」があり、LIVEでもその曲1発で空気を変えてしまう不思議な適性がありますが、僕が今回着目したいのは「短調の3連」ナンバーです。
ジュリーはこの曲想に内から湧き上がる情念のようなものを無意識に載せることに抜群に長けているようで、その原点はタイガース時代の洋楽カバー「ハートブレイカー」に遡ります。
ジュリー自身に「自分は短調3連が得意」という自覚があったかどうかは分からないんですけど、”「ハートブレイカー」っぽい”ヴォーカル・スタイルを探求するが如く、PYG結成時はまず自作の「やすらぎを求めて」で同パターンを採り入れていますし、72年の段階では「ソロになってからのシングルで一番気に入っている」のは「あなただけでいい」との発言もあったみたいですね。

「絆」はヴォーカリスト・ジュリーにとってそんな「ハートブレイカー」の地脈を受け継ぐ洋楽カバーで、曲との出逢いに当時すごく燃えていたんじゃないか、張り切っていたんじゃないかと想像します。
その上でこの歌詞。
美貌、美声の歌手にナルシズムはつきものかもしれませんが、ジュリーは特異な例外。
ナルシストでは到底歌い得ない名曲「絆」のジュリー・ヴォーカルの向こう側に、後追いファンの僕はタイガース時代から変わらぬジュリーの無垢無心の天性を見てしまうのですが・・・みなさまはいかがでしょうか。

この10年、ジュリーは唯一「Pray~神の与え賜いし」(8分の6で解釈したい曲です)を除き3連ナンバーの新曲をリリースしていません(ジュリワンの「アオゾラ」はワイルドワンズの植田さんがヴォーカル)。
そろそろ今年あたり来るかな?と、今年も3月11日に発売される新譜『OLD GUYS ROCK』に、「泣く子も黙るジュリー3連ロッカ・バラード」久々の収録を期待していますが、さて実際はどうでしょうか。


それでは、オマケです!
今日は、1977年1月25~31日公演、日本劇場『沢田研二ショー』のパンフレットから数枚どうぞ~。


77newyear01

77newyear02

77newyear07

77newyear08

77newyear09

77newyear10

77newyear18

77newyear19

77newyear20

記載のセットリストに「絆(きずな)」は見当たりませんが、「悪夢」「愛の出帆」など後半怒涛の洋楽カバー攻勢は、新規ファンからしますと当時参加されていた先輩方がとにかく羨ましいばかり。
直近の発売中レコードとして、『チャコールグレイの肖像』とともに『FOREVER~沢田研二ベスト・セレクション』も紹介されていますね~。


では次回更新から、ジュリー古稀イヤーのメモリアルな新譜『OLD GUYS ROCK』収録4曲の考察記事に取り組んでまいります。

発売前の現時点で分かっているのは楽曲タイトルと作詞・作曲者のクレジットのみ・・・4曲それぞれどんな曲なのか僕には想像もできていませんが、今回も心に刺さるメッセージ・ソングが届けられるでしょう。
まずは気合入れてじっくり聴き込みたいと思います!

| | コメント (17) | トラックバック (0)

« 2018年2月 | トップページ | 2018年4月 »