がんばるばい熊本!
ジュリー50周年記念ツアーも、残すは大阪フェスティバルホールと東京NHKホールのみ。
僕は、去る14日の熊本公演への遠征で今ツアーの参加は最後となりましたが、ファイナルまで無事に、大盛況のステージとなることを祈っています。
さて、その熊本公演。
感動の余韻の中、レポはまだ下書きにもとりかかっていません。例のごとくゆっくり、じっくり書くことになりますので更新は今月末か、それとも来月までかかってしまうか・・・いずれにしてもお時間を頂きます。
その前に今日は旅日記と言うか、僕がこの目で見、肌で感じてきた現在の熊本・・・2016年の震災から一歩一歩復興へと進む、明るく強いパワーに満ちた土地・熊本の様子をこの記事に書き留めておこうと思います。
☆ ☆ ☆
今回30年ぶりに訪れた熊本(同行のカミさんは初めてでした)。
でも僕は鹿児島出身ですから、中学の修学旅行から数えて3度訪れたことがあり、その度に熊本城にも足を運んでいました。
熊本の城下町の雰囲気は、全国の有名な他のどの城のそれとも違う、独特のものです。例えば大坂や小田原も城下町ですが、いずれも室町当時からの「行き交う商人の賑わい」を感じさせるのに対し、熊本はもっと土着の「士」の空気があります。
ただし「士」と言っても彼等は普段は「農」であったり「工」であったり「商」であったりして、いざお城が「一大事」となった際に全員が一致団結して「士」となる・・・そんな雰囲気を持つ人々の「平時の暮らしの賑わい」。
僕にとって「熊本城下」は長年そんなイメージでした。
2016年、その熊本に一大事が起こりました。
僕はその時に駆けつけることはできず、この2018年1月、若い頃に3度訪れ「平時」の様が完全に目に焼きついている熊本城の、震災に傷ついた後の姿を目の当たりにしました。
城を一周する間(まだ立ち入ることのできない場所もあり天守閣は復旧工事の建材に覆われていますが、二の丸まではかなり近くで石垣や櫓を観ることができます)、次々に目に飛び込んでくるそれらの景色に、最初はとてもショックを受けました。
しかしだんだんと「いや」と思い返すようになりました。
石垣などは確かに傷ついている、崩れている・・・でもギリギリのところで耐えている。持ちこたえているのです。
最も心が震えたのは、次の光景。
↑ この「戌亥櫓」はあの震災時にテレビにさかんに映っていましたから、見覚えのあるかたも多いかな?
逆光で分かり辛いんですけど、写真の櫓の左下部にご注目ください。石垣が僅かに細い1列ぶんだけ崩れずに持ちこたえ、奇跡的に櫓を倒壊から護り抜いています。
熊本城はあの震災を見事耐え抜き、傷つきながらもその威容を護り通したのだ、と思いました。
そして城下の人々も・・・震災後の今は確かに「平時」とは言えないかもしれません。町のあちらこちらで目にする「がんばるばい熊本」「負けんばい熊本」の文字はそれを示しているでしょう。
ただ、2018年の今、「一大事」に志をひとつにする町の人達はとても元気に見えます。「復興、やってやるぞ!」というエネルギーに満ちているのが分かります。
↑ 空港で見かけたバスケットボール・チーム『熊本ヴォルターズ』のポスターにも、「がんばるばい熊本」の文字。
偶然ですがジュリーの公演当日、Bリーグのオールスター・ゲームも復興イベントとして開催されていて、14日は全国のバスケファンが熊本に集結していたようです。
強い土地だな、みなさん強い人達だな、と感じました。これは僕だけの感覚ではないと思います。
例えば14日、県立劇場のステージに立ったジュリー。3曲歌い終えての最初のMCで「お待たせしました~」の後にご当地名を言ってくれるのはいつものことながら、この日は特別に
「がんばるばい熊本!」
と。
続けて
「みなさん、元気ですか~!」(お客さんは拍手)
「みなさんに、笑顔はありますか~!」(大きな拍手)
「やっと(熊本に)来ることができて、とても嬉しいです!」
と言ってくれたんですよ。
ジュリーがいつ現地入りしたのか分かりませんが、実際に熊本の町を、道ゆく人達を見て、「おおっ、みんな元気だな!」と感じなければ、こういう最初の挨拶にはならなかったと思うのです。
そう、2016年全国ツアーの熊本公演が会場の被災で中止となり、ジュリーはずっと気にかけていて、今回会場こそ久々の県劇に変わったけれどようやく実現した現地のステージ。
ジュリーは熊本に来て、元気に復興へ邁進する今の熊本を肌で感じて本当に嬉しかったんじゃないかなぁ。だから「元気ですか!」と言葉になった・・・いかがでしょうか。考え過ぎかなぁ?
僕は今回、熊本の町や人々からたくさんの元気を貰いました。
普段から、熊本のみなさんにとって自らの「元気」の象徴はやはり熊本城なんだろう、とも思いました。
熊本城ほど、城の威容と城主のイメージがピタリと重なる城はありません。加藤清正公の腕白さ、無頼さ、きめ細かさ、強さ、進取、忠誠、矜持すべてが城と城下町の人々の暮らしにそのまま滲んで息づいているような気がします。
清正公の熊本城はあの震災を乗り切った。耐えきった。
だからこそもう一度、元の熊本城の姿に戻すんだ、前よりもっと強くなるんだ、という熊本のみなさんの思い。
もちろん、まずは被災された人々の暮らしの復興です。
空港から市街地へと向かうバスの窓からは、特に深刻な被害を受けた益城町近辺の仮設住宅も目にしました。
復興とは、こうした今なお大変な苦労をされている方々皆が「平時」へと戻ることこそが第一。
その上で「熊本城の完全復活なくして真の復興なし!」との地元の人達の意気を僕はヒシヒシと感じました。「熊本城復活」の志が、町ゆく人皆のエネルギーとなっているように思われてなりません。
崩れた石垣の修復、復元は気の遠くなるような作業です。石のひとつひとつに番号をつけ、どの石がどこに組み込まれていたのかを綿密に検証し、一歩ずつ進んでいくしかありません。
時間もお金もかかります。
そんな作業が今実際に始まっています。
清正公の一ファンとして、戦国時代&城好きの端くれとして僅かでも何かお手伝いがしたいと思った僕は、迷わず現地で「復興城主」プロジェクトに申し込みました。
↑ その場で頂いた仮の城主手形と写真集。4月には正式な城主手形を郵送してくださるのだそうです。写真集には、震災前と震災後の熊本城のショットが収載されています。
みなさまも、機会あれば是非熊本にお出かけください。
洗練されているのに良い意味で垢抜けず、颯爽とした地元の町や人々の様子に、必ず元気を貰えるはずです。
もちろん観光の見どころは熊本城だけではありません。
市内の「新町」「河原町」という場所には、昭和の懐かしい雰囲気が多く残されていて、レトロで隠れ家的なお店もあります。
↑ 市電の「新町」駅すぐ近くの『長崎次郎書店』さん。
1階が本屋さん、2階が喫茶店です。
↑ 2階の喫茶店内。「J」の文字は「次郎」を表しますが、ジュリーファンにとっては親近感の沸く文字ですね。
14日のランチはこちらでナポリタンとコーヒーを頂きました。
↑ 変わってこちらは「河原町」繊維問屋街の狭い路地にひっそりと構える昭和な雑貨店『モラトリアム』さん店内。僕は『女学生の友』の現物を今回こちらで初めて見ましたよ~。
他にもコミックや、細かな雑貨類が山のように並びます。
お店の素敵なお姉さんが色々なお話をしてくださいました。
↑ LPレコードもたくさんありました~。
また、熊本にはもちろん温泉もありますし、何より美味しい食べ物がたくさんあるのですね~。
↑ 14日、LIVE後に打ち上げのお店で頂いた馬刺!
↑ 同じく、からし蓮根!
↑ こちらは15日のお昼に頂いた、老舗ラーメン店『桂花』本店の太肉麺!(新宿の支店には数えきれないほど行っている僕ですが、熊本の本店へは今回が初の来訪でした。感激です)
そして・・・。
↑ 2016年ジュリー全国ツアー会場として予定されていながら被災してしまった熊本市民会館が遂に生まれ変わり(シアーズホーム夢ホール)、ジュリーの再訪を待っています!
改めて、素晴らしいところです、熊本。
驚くほど自然な「がんばるばい」魂、「負けんばい」魂に僕もあやかりたいですし、多くのみなさまにも味わって頂きたいです。
ありがとう熊本。
がんばるばい熊本!
☆ ☆ ☆
それでは、かなりお待たせしてしまうと思いますが、次回更新こそ熊本公演のレポートです。
気合入れて書きたいと思います。
フェス、NHKホールに参加されるみなさまのご感想もお待ちしていますよ~!
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