沢田研二 「愛の逃亡者」
from『愛の逃亡者』、1974
1. 愛の逃亡者/THE FUGITIVE
2. ゴー・スージー・ゴー/GO SUSY GO
3. ウォーキング・イン・ザ・シティ/WALKING IN THE CITY
4. サタデー・ナイト/SATURDAY NIGHT
5. 悪夢の銀行強盗/RUN WITH THE DEVIL
6. マンデー・モーニング/MONDAY MORNING
7. 恋のジューク・ボックス/JUKE BOX JIVE
8. 十代のロックンロール/WAY BACK IN THE FIFTIES
9. 傷心の日々/NOTHING BUT A HEARTACHE
10. アイ・ウォズ・ボーン・ト・ラヴ・ユー/I WAS BORN TO LOVE YOU
11. L.A. ウーマン/L. A. WOMAN
12. キャンディー/CANDY
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50周年ツアーも一昨日の東京国際フォーラム公演を終え(タイガースや沢田組メンバーを客席に迎えての素晴らしいステージだったと聞いています。参加されたみなさまが羨ましい!)、今日が奈良。長いツアーのほぼ折り返し地点というところでしょうか。
例年であれば「もう全国ツアーの公演会場も残すところ僅か、という季節なのですが今回はまだまだ続きます。ジュリー達に疲れが無い筈はありませんが、元気いっぱいのパフォーマンスが各地で続いているようで、本当に頼もしいですね。
さて今日からはその50周年記念LIVEの”セットリストを振り返る”シリーズとして、僕の次回参加の松戸公演(チケットまだかいな~。発送が待ち遠しいです)までに5曲を採り上げ考察記事を書いてまいります。
本当は前回更新から間髪入れず開始する予定だったんですけど、いつもコメントをくださるねこ仮面様が、奈良公演までセットリストのネタバレ我慢を続けていらっしゃるようで(素晴らしき鋼鉄の意志。ツアー初日から3ケ月のネタバレ我慢など僕には到底無理です)、記事本文は読まずとも、うっかり僕のブログを開いてレアな楽曲タイトルが目に飛び込んできたりするとあまりに申し訳ない・・・ということで、今回のこのシリーズ第1弾更新は奈良公演の当日に、と待ち構えていた次第。
本日、シリーズ第1弾のお題は「愛の逃亡者」です。
神席で観たばかりの(自慢汗)今年のジュリーのステージを思い浮かべながら・・・張り切って伝授!
①「完璧な音」ゆえの現地セールス苦戦?
以前ピーファンの先輩にお借りした75年お正月LIVE『新春歌いぞめ』パンフレットより。
「愛の逃亡者」が最新シングル、というステージですね。
「パリは良かった、ロンドンはダメだった」
74年末から勇躍開始された海外戦略、フランス、イギリス双方の現地ファースト・シングル「モナ・ムール・ジュ・ヴィアン・ドゥ・ブ・ドゥ・モンド」「愛の逃亡者」のセールスについてジュリーは近年も(今年の大宮公演でも)よくそんな話をしてくれます。
2曲とも素晴らしい名曲ですが、どういうわけでセールスにそれほどの差がついたのでしょうか。
最後のチャプターで詳しく書きますが、僕は今年になって『愛をもとめて』のラジオ音源を勉強し、イギリスとフランスでのレコーディング手法の違い、ジュリー自身の手応えの有無を、2曲それぞれについて今さらのように実感しているところです。
フルアルバム12曲ぶんを一気に録ったロンドンと、とりあえず第1弾シングルに絞ったパリとではそりゃあ単純比較はできません。でもジュリーのラジオでの話を聞くと、双方の現地プロデュースに両極とも言える大きな違いがあったことが分かります。
まず、「歌入れ終わったらもう大丈夫。あとは完璧に仕上げておくから任せて!」というイギリスはビッカートン&ワディントンのポップ職人幼馴染コンビ。
ジュリーの発音についても「普段喋ってる言葉じゃないんだから」とフォロー発言すらあった・・・というのは以前先輩から教えて頂いた逸話でした。
これまで何度か書いてきた通り、ビッカートン&ワディントンは驚異のポップ性を持つ名コンビで、ジュリーのアルバムについても「序盤・中盤・終盤隙が無い」音作りで完璧、極上の名盤を作り上げてくれました。
もちろんジュリーの歌だって最高に素晴らしい。ただ、僕レベルでは分からないのですが、完璧な音ゆえに「現地で通用する発音」として見るとジュリーの「歌」の方には若干ハンデがあったかもしれません。
アルバム収録曲で言うと、例えば「傷心の日々」での「everyday」「teardrop」などの単語は(あくまで発音については)僕でも「んん?」という違和感はあって、そのあたりが「愛の逃亡者」についても現地のリスナーにハッキリと持たれたりしたのかなぁ、と。
対して「一番の土台(歌)がキチンとしていないとダメ。話はそれからだ」というパリはフランス・ポリドールのピエールさん。
実は、このロンドン、パリのプロデュース手法でどちらが個人的に肌が合うかと言うと、僕はビッカートン&ワディントンの方なんですね。
これはおそらく加瀬さんもそうだったと思います。加瀬さんには「ジュリーという天賦の素材をプロデューサーの色に染める。そこでジュリーがどう映えるかを楽しむ」という感覚はあった筈です。その点、「愛の逃亡者」の仕上がりには満足していたんじゃないかな。
言わば、「音楽人気質」のプロデュースと「ビジネス気質」のプロデュースの違い。
ジュリーは歌手なんだから前者の方が良いだろう、とは単純にいかないところがまた音楽の面白さ。タイガース時代「時計の針のよう」と言われたと聞く「きっちり、しっかり」派のジュリーにとって、パリでのビジネス気質のプロデュース・・・徹底的にしごかれる、それに対してなにくそと徹底的に努力する、というレコーディングの方が性に合っていて、結果それがイギリスとパリとのセールスに素直に反映されたのかもしれません。
とは言え、僕ら日本人が「ジュリーの英語曲」として聴く限りは「愛の逃亡者」は大変な名曲。何よりジュリーが今も歌い続けてくれている、というのが大きい。
時間を超えて、当時のセールス状況に惑わされずに聴くジュリー・シングル。今年は「CHANCE」もそうでしたが、「愛の逃亡者」も僕などは初めて生体感してようやく「いや、これは素晴らしい曲だ」と大興奮でした。新規ファンにはそういう人は多いと思います。
次のチャプターでは、僕が今年改めて頭に叩き込んだこの曲の魅力について紐解いていきましょう。
②これほどの名曲!再確認させられたセトリ入り
今日の参考スコア、『YOUNG SONG』75年1月号より
今ツアーでは、「時の過ぎゆくままに」→「勝手にしやがれ」という超特大ヒット曲連発の直後に配されたこの曲。後に続くのがCO-CoLOコーナーというのがまた渋くて、セトリ順を完全に覚えこんだ状態で臨む今後参加会場では、「待ち構える」感覚で楽しみにしている僕にとっての「LIVEレア曲」です。
考えてみると『ジュリー祭り』から9年、僕はアルバム『愛の逃亡者』収録曲を今年初めて生体感したことになります(「キャンディー」を歌った2009年の『きめてやる今夜』は無念の不参加でした)。
洋楽に詳しいつもりでいながら、ビッカートン&ワディントンの魅力を初めて知ったのも2005年のポリドール再発シリーズで購入したこのアルバムで、ジュリーの名盤の中でも格別に好きな1枚です。
ただし、実はタイトルチューンにしてシングルの「愛の逃亡者」は今まで軽視していました。イギリスのセールス戦略、これじゃなくてアルバムの他収録曲にシングル・カットの有力候補があったのでは、みたいなことも生意気に以前の記事で書いたこともあります。
それが今年の初生歌、初生演奏で見事ヤラれたという。素晴らしい存在感を持つ曲ですよ!
その上で改めて74年のレコーディング音源を聴くと、ジュリーの歌はもちろん、鳴っているすべての音が心地よいんですよね。
まずはギター。左右に分けてミックスされたトラックはいずれもバッキングに徹し、ワウを効かせて楽曲全体の輪郭を作り上げます(今年のツアーで柴山さんもワウを使用しています)。
あとはベース、ドラムスの基本隊に加えてブラス、ストリングス、そして何より素晴らしいのが鍵盤パート。この曲はキーボードが2トラックですが、2つの異なる音色が入れ替わり立ち替わり、かと思いきやユニゾンしたり・・・さすがはビッカートン&ワディントン御大のプロデュース、本当に緻密かつ耳に優しいです。
そして「あぁ、泰輝さんも確かにこのアレンジ、この通りの音色で演奏していたなぁ」と、今ツアーで聴いたばかりのこの曲に思いを馳せるのです。泰輝さんのキーボード、最高にカッコ良かったですからね~。
松戸では再度チェックしてきます!
ジュリーのヴォーカルはガ~ッと一気に録った感じなのでしょうか。僕はこのアルバムのヴォーカルはとても好きですが(良い意味で「歌わされている」時のジュリーになにやら「歌の神」が降臨するパターンのヴォーカル・・・個人的には「ウォーキング・イン・ザ・シティー」に最もそれが表れているように思います)、ジュリー本人には「もっと良くなったかもしれない」といった心残りは多少あったのではないでしょうか。
これは『愛をもとめて』でのロンドン報告とパリ報告でのジュリーのテンションの違いから感じること。
いや、ロンドン報告は「いつものジュリー」なんですよ。ただ、パリ報告の方が尋常でなくテンションが高いんですね。まだいずれもセールスの結果が出る前の放送ですから、それはジュリーの率直な手応えを反映していると考えて良いでしょう。パリは「やりきった」、ロンドンは「もう少し頑張れたんじゃないか」と。
今も変わらず、当時からジュリーは「話す」ことについては本当に正直で、気持ちがそのまま声に表れる人なんだなぁと思ったり。
でも、先述したように・・・だからこそ作品化された後もその時の曲達をステージで歌い続けているジュリーに特別さ、格別さ、突出性を感じます。
アルバム『愛の逃亡者』なら、長い歌人生の中でLIVEセットリスト入り率の高い「キャンディー」そしてシングル曲「愛の逃亡者」は正にその代表格でしょう。
あと、アルバムではさほど目立たない(←個人的な感想です)「ゴー・スージー・ゴー」のLIVEヴァージョンを聴いた時の衝撃たるや。確か2009年、先輩に聴かせて貰った比叡山のテイクだったかな・・・レコーディング音源の時からあっという間に進化を遂げています。きっと発音も、もちろんエモーションもね。
僕はジュリーの「努力家」の面がとても好きです。あれほどの才能、輝きを持っていながら努力家ってのが本当にイイですね~。元々が素晴らしいので、努力の成果の表れ方も凄いですし。
イギリス現地では思うような結果は出なかったかもしれませんが、今年のツアーで「愛の逃亡者」を聴いて、ジュリーのそんな資質を観た気がします。
ジュリー・ナンバーに「裏打ち」のレゲエ・スタイルはさほど多くはありませんから、その意味でも「愛の逃亡者」は貴重な1曲。
似通ったコンセプトやリズムの曲を連続で繰り出すセトリ順を好むジュリー・・・レゲエ・ビートに必要不可欠なベースについても、今は依知川さんもバンド復帰してくれましたし、いつか「愛の逃亡者」→「EDEN」→「海に還るべき・だろう」なんていう夢のようなセットリストを体感してみたいものです。
③『愛をもとめて』より”イギリスの報告”編
最後に、ジュリー・ラジオ音源のコーナーです。
このコーナーは僕自身の勉強の意味もあって、参考資料として最近の考察記事ではよく採り上げているんですが、多くの先輩方にとっては「昔からよく知っている話題のおさらい」という感じになるのかなぁ?
今日はもちろん、75年(たぶん2月初めの放送)の『愛をもとめて』からお届けいたします。
現地でリリースされた曲のプロモーション遠征から帰ってきたばかりのジュリーのお話です(この次の放送回が、以前「マ・ゲイシャ・ドゥ・フランス」の記事で書いた「パリの報告」という順序になります)。
イギリスでは、ご存知「愛の逃亡者」・・・もちろん英語版でございますが、向こうでは正式に「THE FUGITIVE KIND」というタイトルになっておりましてですね。B面が日本では「I WAS BORN TO LOVE YOU」でしたけれども向こうでは「NOTHING BUT A HEARTACHE」というのが入っております。
「愛の逃亡者」は日本盤では併記の英語タイトルが単に「THE FUGITIVE」ですね。そこがまず違う、と。
また、日本盤とイギリス盤のB面収録曲の違いは以前先輩にコメントでご指摘頂いたことがあり(僕はその時まで同じカップリングだと思い込んでいました)そこはもう知識として持っていたんですが、「愛の逃亡者」と「傷心の日々」の組み合わせって、相当攻めていますね。イギリスではまず「ロック」に拘る、という戦略を加瀬さん達スタッフも持っていたのではないでしょうか。
それはさておき、続いて僕がこのラジオ音源を聞くまで知らなかった話が飛び出します。
で、「FUGITIVE KIND」のミキシングね、日本で出たやつは「あっ!」「うっ!」っていう掛け声が入ってるでしょ?あれが(イギリス盤シングルでは)無くなってましてね。
これ、何故なんでしょうねぇ。あの掛け声は間違いなく「愛の逃亡者」の肝だと思うし、現地でもあった方が良かったんじゃないかと思うのですが・・・。
これはビッカートンさんの好みの問題なのかな。声を余計に入れるよりも、後からオーヴァーダブした豪華なブラスやストリングスにリスナーの耳が行くよう仕上げたい、という狙いだったとするならそれはそれで分かるような気もします。
そのレコードのプロモートのために行ったわけですが、1月26日の日曜日ですかな・・・その日はロンドンに泊まりまして、月曜日にはロンドン以外のおもな都市を歩いたんです。歩いたって言うか、要するにラジオ局を回ったんですね。
ジュリーの話によれば、イギリスでは国営放送(BBC)の支所がローカル局として各都市にある、加えて民放もある、それを順繰りに訪ねていったようです。
各地を歩き回った中でジュリーが特に挙げて話をしてくれた町は、サウスポート。
リバプール近くの小さな町なんですけど、(ジュリーが訪れる)一週間くらい前から、ケンジ・サワダという日本で有名な歌手が来ます、というチラシがあってね。結構女の子達もいっぱい集まってて、その中にね、去年の夏頃までかな、原宿に住んでたっていう女の子がいてね。
裏口から入って控室みたいなところにちょっと待機してたら、「いらっしゃいませ」なんてこう日本語で言われてね。「あっ?」てね。話を聞いてみたら、「私、一番好きなのジュリーさんね。その次マチャアキ、その次ににしきのあきらさん」ってね、そういう女の子もいたんですが。
いやぁ、日本じゃ「控室でジュリーとお話する」なんてことは夢物語ですからね。当時ラジオを聞いていらした先輩方は、「ムキ~!」となったんじゃないですか?
イギリスでよく尋ねられたのは、左手の薬指に指輪をしていたので「結婚してるのか?」とか、「日本でそんなに有名なのに、何故またこっちでやるのか?」というようなことだったとか。
あと、「君はイギリスの歌手で言うと誰なんだ?デヴィッド・○○か?」(○○の部分が聴き取れません涙。「ボウイ」とは言ってないように思いますが)と言われて、「いや、ミック・ジャガーだ」と答えたらしいですよ~。
なるほど、「日本のミック・ジャガー」がイギリスでシングル・リリースとなったら、B面は「アイ・ウォズ・ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」よりも「傷心の日々」の方がふさわしいですか。納得です。
そしてジュリーの話は現地のセールス状況に。
なかなかこれ難しいんですね。ってのは、レコード屋さん自体が買取でね、返品できない、そういう日本なんかとは違う販売システムで、BBCっていう国営放送のポピュラー音楽ベスト50位以内に入らないと店頭には置かないっていう・・・損したくないっていうね。
この話は聞いたことあるなぁ。いつか何処かのジュリーのMCで聞いたんだっけなぁ?思い出せません。
ただこのシステムはラジオからじわじわと火が点いてヒットに繋がるパターンも多いらしくて、日本のように(シングルで出した曲が)1ケ月経ってダメだったらその後もずっとダメ、ということは言えないみたい。
だからプロデューサーの人も言ってましたけど、10週間はかかるだろうと。2ケ月経ってやっとこう、どうなのかな、っていう状態が掴めると。まぁ、(まだ)分かんないですね、とにかく。あとは成りゆきに任せるしかないし。
このあたりのジュリーの発言が、次放送回のパリ編とずいぶん違うんです。
「モナ・ムール・ジュ・ヴィアン・ドゥ・ブ・ドゥ・モンド」については「楽しみ楽しみ!」みたいなことを、セールスの結果が出る前からジュリーは盛り上がって話しているわけですから、やっぱりこれはジュリー本人のレコーディングの手応えが違ったのでしょう。
それでもイギリス戦略についてジュリーは最後に
自分自身への戒めと言うか、教訓を授かるっていうことが多いしね。勉強になるだけでもいい、と思っている次第であります。
今年のツアーで自らの歌手生活50年を振り返り、「良いことだけでなく悪いことも糧としてきた」といった内容のMCを時々聞かせてくれているジュリー。
イギリスの「愛の逃亡者」も、フランスの「モナ・ムール・ジュ・ヴィアン・ドゥ・ブ・ドゥ・モンド」も同じように血肉としてきた、ということでしょうか。
まぁ大宮のMCではロンドンの話は数秒、パリの話は30分近く(あくまで僕の体感ですが)、と双方にかなりの差が出てましたけどね(笑)。
それでは、オマケです!
今日は、冒頭にも1枚添付しました75年『新春歌いぞめ』パンフレットから数ページぶんをどうぞ~。
このLIVEに参加されていた先輩方は、衣装やセトリを覚えていらっしゃるのかな?
ステージの様子は、こちらは福岡の先輩からお預かりしている資料『ヤング』75年2月号で(1ページだけの記事ですが)窺うことができます。
さて、次回更新では僭越ながら、「一般ピープルもよくご存知」な超有名曲「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」の考察に挑戦させて頂きます。
もうとっくに書き終えていても不思議のない曲ですけど、ここまで記事お題に採り上げるタイミングを逃していたのが逆に幸い・・・これまた今年になって勉強したラジオ音源で初めて知ったあれやこれやの逸話がとても多いシングル曲なのです。
ちょっと前までは『NISSANミッドナイト・ステーション』で開催されていた『ジュリーA面ベストテン』という企画放送回をご紹介するつもりでいましたが予定を変更。
ズバリ「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」リリース直後に放送された『歌謡ベストテン』でのジュリーのインタビュー音源を採り上げつつ、この名曲の妖しげな魅力を僕なりに紐解いていきたいと考えています。
去年の今頃は痔核切除の術後の激痛にのたうち回っていたので、「秋をしみじみ実感する」余裕など無かったですが、今年はなんとか元気に過ごせています。
こちら関東は昨日の雨で急激に気温が下がり、まぁ涼しくなってよく眠れるのは嬉しいんですけど、体調管理には特に気を遣わなければいけない季節(僕は季節の変わり目によく風邪をひくので)となりました。
みなさまもどうぞお気をつけて!
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コメント
DYさま
デビット キャシディ って 言ってないでしょうか〜
アイドルですからね〜
デビット キャシディ!
DYさまが 知らないのも 無理ないですよね
まだ読み終わってませんが 取り急ぎそれだけお伝えしたかったです
投稿: ぷー | 2017年10月16日 (月) 22時47分
ぷー様
ありがとうございます!
毎度の大長文で申し訳ないです。
音源をまだ聞き返せていないのですが、最初に僕は「デヴィッド・ギャスビー」と聞き取っていたのでおそらくぷー様の仰る通りでしょう。
「知らない人だなぁ」と思って調べたら、ジャック・キャシディの息子さんですか!
刑事コロンボの『構想の死角』は大好きな作品です。
投稿: DYNAMITE | 2017年10月17日 (火) 09時05分
DY様
こんばんは。な、何と「私のために!」更新を延ばして頂いていたなんて、申し訳ないです。読んで赤面はしませんでしたが少し蒼ざめましたね(笑)。
無事奈良公演観て来ました。お陰さまでか、はたまた心掛けが意外と良いのか(まずあり得ませんが)、かなりの席でした。スローな曲でも座りづらかったですが。
お題曲、ケチのつけようのないお気に入り曲です。ライブ体験は『A SAINT IN THE NIGHT』のオーケストラの時、10数年前のキーボードレス編成の時、今回で3回目です。
英仏のレコーディング事情、なかなか興味深いです。当時は超多忙だったからレコーディングに割ける時間は限られていたでしょうから、その状況下『愛の逃亡者』の出来映えは上々どころか快挙!です。お題曲と「CANDY」以外ライブで聴いたことないのが残念です。「JUKEBOX JIVE」聴きたいな~。
これからガンガン伝授ペースアップして下さいね、「愛まで待てない」か「彼女はデリケート」のビートくらいに。
投稿: ねこ仮面 | 2017年10月17日 (火) 21時09分
ねこ仮面様
ありがとうございます!
無事、奈良公演に参加されたのですね。3ケ月にも及ぶネタバレ我慢完遂、本当に頭が下がります。
ねこ仮面様には前回の「Aurora」の記事中で「時過ぎ」のレタバレをしてしまったので申し訳なく思っておりました。
まぁ「時過ぎ」ならば「絶対やるよね」という曲なのでダメージも少ないでしょうが、「愛の逃亡者」のネタバレは絶対に避けねば!と考えた次第です(笑)。
確かに、限られた時間内にフルアルバムぶんの英語曲を録ったロンドンについては、そんな条件下であの出来栄えは奇跡的ですよね。
名盤、名シングルだと思います。
とにもかくにも、これで安心して豪快にネタバレできます。
今月後半、”セットリストを振り返る”シリーズをどんどん更新していきますよ!
投稿: DYNAMITE | 2017年10月18日 (水) 09時05分
DY様 こんばんは。
モタモタしてたら次行っちゃってるし(;^_^A
「うっ」「はっ」は日本の武道の掛け声を取り入れたのかと思ってました。
このアルバムはライブで少し固めて聴きたいです。
松戸、私たちも行く予定なのですが、チケットまだ来ない・・・。
投稿: nekomodoki | 2017年10月18日 (水) 22時46分
nekomodoki様
ありがとうございます!
あの掛け声は日本武道ですか~。面白い推察です。
ならばなおのこと、イギリス盤にもあった方が良かったのでは・・・と思ってしまいますが。
松戸のチケット、来ませんねぇ・・・。
おそらく11月分が来週に発送されるという感じでしょうか。待ち遠しいですね。
投稿: DYNAMITE | 2017年10月19日 (木) 12時22分
こんにちは。
この「愛の逃亡者」~「CHANCE」までの4曲は、今回のセトリ前半のハイライトという感じで、ライブのたびに興奮しています。
ジュリーの歌唱パフォーマンス、演奏のクォリティーもさることながら、私が初日からとても興味深く思っているのは、「愛の逃亡者」に続いてCO-CoLO期3曲という曲の並びです。
むろん後追い知識ですが、ジュリーは87年のツアーでもオープニング1曲目に「愛の逃亡者」を歌っているんですね。また同時期のTV歌番組(これは以前動画サイトで見た)でも、オープニングに「愛の逃亡者」、続いてアルバム『告白』より数曲、最後に「CHANCE」という順で歌っていました。
CO-CoLO時代にもイギリスでレコーディングを行ったことと関係あるのかわかりませんが、ジュリーの中ではナゼか、「愛の逃亡者」とCO-CoLO時代が、どこか結び付いているのでしょうか。
投稿: ちこ | 2017年10月21日 (土) 17時55分
イギリス版シングル「The Fugitive Kind」から「ウッ!ハッ!」が無くなった理由ですが、
74年当時、イギリスや香港で大ヒットし、チャート1位になった「カンフー・ファイティング」という曲に「ウッ!ハッ!」という合いの手が入っていたので、これはアカン!ということになり、急遽イギリス版では抜いたそうです。
イギリスでの勝負曲だっただけに、模倣、二匹目のドジョウ狙いと思われたくなかったのでしょうね。
この話は、記事にご紹介のものとは別番組と思いますが、やはり当時、ジュリーと加瀬さんがそろって出演したラジオ番組の中で、御本人たちが語っています。
「カンフー・ファイティング」(邦題は「吼えろ!ドラゴン」)は、Wikiによれば、フランスや西ドイツなどでも1位になった世界的大ヒット曲だったようですね。曲調は「愛の逃亡者」とは全く違いますが…
https://www.youtube.com/watch?v=ePCq4QJBZCY
投稿: ちこ | 2017年10月21日 (土) 17時59分
DYさま、たまにおじゃまさせていただくとつい
余計なこといいまして恥ずかしいのですが…
デヴィッド・キャシディにはムズムズしてしまいました。私初めて買ったLPはパートリッジファミリーでして小学生ではジュリーよりデヴィッド・キャシディがアイドルでした、きゃは。
中学からはジュリーに移行しました。「愛をもとめて」でデヴィッド・キャシディの名が出たの覚えてます。ジュリーは年下に似てると言われてムッとしたんだと思いました。確かにイギリス人には当時のジュリーの顔立ち、髪型ならデヴィッド・キャシディに似て見えても仕方ないと思います。本当はミック・ジャガーなんだけど…とジュリーぶつぶつ言ってたような気がします。記憶だけで言ってますが久々デヴィッド・キャシディを思い出して楽しかったです。ありがとう。
投稿: moromoro | 2017年10月22日 (日) 20時10分
ちこ様
ありがとうございます!
CO-CoLOと「愛の逃亡者」の関係のお話、大変興味深いです。
特大ヒットの2曲に続いて「愛の逃亡者」、そしてCO-CoLOという今回の並びについて深く考えていませんでしたが、過去にそんなセトリ順があったのですね・・・。
やはりジュリーの中で何か連想ポイントがあってのことでしょう。
「カンフー・ファイティング」のお話も初めて知りました。
曲を聴いてみましたが、なるほど・・・「これはアカン!」と判断されても仕方ないです。せめて2、3年リリース時期が開いていればそのままだったと思いますが、まったく同時期ではさすがに、ということだったのでしょうね。
☆
moromoro様
ありがとうございます!
デヴィッド・キャシディ、僕は全然知りませんでした。
初めてLPを買った人でしたか~。それは格別な思い入れもおありでしょう。
「ムズムズしてしまう」というのは20代のジュリーと共通する魅力なのでは?と想像いたします。
でも、ジュリーはイギリスでそう言われてちょっと心外だったかもしれませんね。
74年はジュリーの中で「お前は魔法使い」など自作曲の作曲手法、ヴォーカルについてもミック・ジャガー度が特に高い年ですから・・・。
投稿: DYNAMITE | 2017年10月23日 (月) 15時46分