沢田研二 「量見」
from『act#9 ELVIS PRESLEY』、1997
1. 無限のタブロー
2. 量見
3. Don't Be Cruel
4. 夜の王国
5. 仮面の天使
6. マッド・エキジビション
7. 心からロマンス
8. 愛していると言っておくれ
9. Can't Help Falling in Love
10. アメリカに捧ぐ
11. 俺には時間がない
--------------------
昨日あたりから、またまた暑くなりました。
気温と天候の目まぐるしい変化についていけず、この季節恒例の風邪をひいてしまったDYNAMITEです。寝込むほどのことはありませんが、喉の軽い痛みなどの症状が出ています。
遂に『大悪名』池袋公演も始まりましたし、早く体調を戻さなければ・・・みなさまは大丈夫ですか?
風邪のせいかどうかは分かりませんが、先日仕事の外回り途中で大失態をやらかしましてね・・・。
移動中の電車で眠りこけてしまい、ちょうど目的駅で目が覚めて慌てて降りたんですね。
改札抜けたあたりで「あっ!」と。
持ち歩いていた封筒を座席に置き忘れてきたのです。請求書だのキャラクター商品の許諾シールだの、仕事関係の重要な書類一式を入れていた封筒でしたから、サ~ッと血の気が引いていきました。
すぐ駅員さんに届け出て、自分の記憶通りに
「進行方向前から2両目か3両目」
と座席位置を説明して捜索をかけて貰ったんですが、「見つからない」と。駅員さんは進行先の各駅にも届け出がないか電話をかけまくってくれまして、それでも今のところ該当する届け出も無いとのこと。
僕が悄然としておりますと駅員さんは、「その電車があと20分ほどしたら折り返してこの駅に戻ってきますから、念のため一緒に探してみましょう」と言ってくださり、電車の再到着を待ちました。やがて電車が来て一緒に探しましたがやはり見つかりません。
僕はもう「大変なことをやらかしてしまった。どう責任をとればよいのか・・・」と途方に暮れるばかり。ところが駅員さんは「一応、反対側の車両も見てみましょう」と言って全速力でダッシュして探しにいってくれて・・・見事そのまま座席に置いてあった封筒が見つかったんですよ、僕の記憶とは間逆の車両に。
もうね、電車の端から端までダッシュしてくれた親切な駅員さんには感謝しかなく「日本はいい国だなぁ」とか思うわけですが、それにしても酷いのは僕の記憶です。
いや、正確には記憶ではなくて「空間把握能力」。
同じハンデを持つ人なら分かってくださると思いますが、僕は酷い方向音痴で、道を間違う時は必ず間逆に間違います。これは自分の位置移動を正しく把握できないということなのです。
例えば、初めてビル屋内のお店に入ったら、僕は必ず自分が入ってきた方向とは正反対の方角に向かって店から出ようとします。ふざけているんじゃなくて、本当にそっちから入ってきたような気がするのです。
それにしても、電車を降りて階段登って改札グルッとしただけで、自分が電車の進行方向前に乗っていたか後ろに乗っていたかという記憶まで引っくり返るとは。
方向音痴のみなさま、もし今回の僕と同じようなケースに遭遇したら、「前から2、3両目もしくは後ろから2、3両目のいずれか」と申し出ましょう!
いやいや、くだらない枕を長々と失礼しました。
さて今年もジュリーの誕生月に張り切って書き始めた”actお題月間”・・・まず前回「美しき天然」を採り上げたわけですが、いやぁ昨年同様に記事を書き終えてから先輩方から教わることが、本来楽曲考察上とても大切なことだったりしましてね。
どうやら今年も濃密な勉強のひと月になりそう。またそれが僕にとってはすごく嬉しいことなのです。
普段から「伝授!と言いながら実はみなさまから逆伝授を受けている」スタイルがもう隠しようもなくなってきている拙ブログですが、そのぶん気合とジュリー愛だけはたっぷり込めて頑張ってまいりますよ~。
さて今日のactは『ELVIS PRESLEY』です。
採り上げるのは、有名なロックンロール・スタンダード「ハウンド・ドッグ」のカバーにして、ジュリー本領発揮の「らしい」訳詞とブッ飛んだヴォーカル・・・actならではの「ジュリー・ナンバー」として大好きな1曲です。
「量見」、伝授!
前回「美しき天然」の記事に続き、今回もまたまたヒヨッコDYNAMITEの「恥ずかしながらつい最近知った」話から始めなければなりません。
act『ELVIS PRESLEY』でゴキゲンな演奏を聴かせてくれる女の子バンド・・・彼女達が同年の全国ツアー『サーモスタットな夏』にコーラス隊として登場する”BOKE BOKE SISTERS”であったことを、僕は今年の2月に初めて把握しました(←遅過ぎますよね汗)。
『ELVIS PRESLEY』と『サーモスタットな夏』が同じ年であったことは頭に入っていたのに、まったく結びついていなかったという。いや、教わったことはあったのかもしれないけど、全然分かってなかったのかな。
僕は今でも、ジュリーファンなら当然の知識を改めて知りビックリする、ということが頻繁にありますがそれにしてもこれは酷い。
GRACE姉さんがバンドメンバーとなる前にBOKE BOKE SISTERSのオーディションを受けていた、という話は以前教えて頂けていましたが、僕はそれを
『サーモスタットな夏』の全国ツアー各公演にバンドと一緒に同行するBOKE BOKE SITERSなる女性コーラス隊の結成オーディション
だと思い込んでいたわけです。
ちょっと考えたらそんなワケ分からない話があるはずがない、と気づくはずですが・・・いやはや情けない。
2月に、いつもお世話になっている先輩に食事に誘って頂いた際たまたまそんな話が出て、僕が「ああっ、そういうことだったんですね!」と驚いていたら、その先輩だけでなく一緒にいたカミさんからも「えっ分かってなかったの?」と呆れられましたよ・・・(滝汗)。
それはさておき(いや、さておいてはイカンのですが)、cobaさんがアレンジ・プロデュースに専念し、『ELVIS PRESLEY』の伴奏陣を女の子ロック・バンドに託した、というのは素晴らしいアイデアです。演奏と共に「お姉ちゃんコーラス」にも重点を置いたわけですね(さらに、曲によってギタリストが鍵盤も担当できる、というのも重要な選考基準だったと思われます)。
50歳手前のジュリーが華やか、賑やかな女子バンド・メンバーを従えて歌う・・・それがactならではの「エルヴィスの一生を描く」意味を深めていると感じます。
『actCD大全集』に収録されているエルヴィスのカバーについては僕の知らなかった曲もいくつかありますが、「量見」のオリジナル・ナンバー「ハウンド・ドッグ」はさすがに知っていました。「エルヴィスに似ていないものはロックではない」というブライアン・セッツァーの名言をこの1曲に集約できるほどの、本当に有名なロックンロール・スタンダードですからね。
手元にはスコアもあります。
↑ 『50-60 ロックンロール・アゲイン』より
僕はプレスリーを生で聴くというのは世代的にも叶わぬことでしたが、「ハウンド・ドッグ」という楽曲自体は別のバンドの生LIVEで体感したことがありますよ。
ピンと来た人も多いでしょう。そう、この曲は瞳みのる&二十二世紀バンド2015年の全国ツアー『Let's Go カキツバタ』で、セットリスト前半を締めくくるナンバー(スタンディング・ヴォーカルのピーが演奏終了よりひと足早く踊りながらステージを後にする、という楽しい演出がありました)として採り上げられたのです。
act『ELVIS PRESLEY』では、添付したスコアの冒頭解説にあるブルース・トーンのコーラス・ワークを女声でバッチリ決めてくれています。
女子のバンドがロックンロール特有のルーズな(←それが良い!)コーラスを担う・・・これは本当にカッコイイです。先述した二十二世紀バンドもメンバーに女性2人がいるので、同じようにゴキゲンなコーラス・ワークが楽しめたことを今改めて思い出したり。
バンドに任せていた部分も大きいかとは思いますが、おおよその輪郭を提示していたであろうcobaさんのアレンジはズバリ王道。
エンディング、いったん終わると見せかけテンポを落とし3連ロッカ・バラードのコーダへと移行するのはエルヴィスも同じですが、締めくくりに採り入れた進行は
「C→C7(onE)→F→F#dim→G7+9」
「ド~ド、ミ~ミ、ファ~ファ、ファ#~ファ#、ソ♪」という音階移動はみなさまも何となく「あ、このパターンあるよね」と聴き慣れているはずです。
ちなみに、このロックンロール・エンディングお馴染みの進行を、サビメロのド真ん中に配したジュリー・ナンバーが1曲存在します。白井良明さん作曲の「GO-READY-GO」です。
恐れの中に 飛び込む勇気だけが
C F C F
難関突破 できる
C C7(onE) F F#dim
生きるためならダイ ブ ♪
G E♭ C
↑ この曲のオリジナル・キーはト長調ですが、「量見」と比較しやすいようにハ長調に移調して表記しています。
「難関突破できる♪」の箇所です。
こんな使い方・・・少なくとも僕はジュリーの「GO-READY-GO」しか知りません。世の音楽のほとんどの進行例って、ジュリー・ナンバーだけですべて勉強できてしまうんじゃないかと思ってしまいます。actの曲について書いている今、それは一層思うところですね。
しかしまぁ、「量見」の場合は何と言ってもジュリーのあの物凄いヴォーカルにつきますわな~。
俺は名もねえ猟犬 あんたのもん
C
手前勝手な量見 持っちゃいねえ
F7 C
上眼使いで あんたの指図を待ってる ♪
G7 F7 C
僕は現時点ですと『actCD大全集』の中で一番のお気に入りは『SALVEDOR DALI』、僅差で『NINO ROTA』『SHAKESPERE』あたりが続く感じですが、もちろん『ELVIS PRESLEY』も大好きで、初めて聴いた時(本当に、軽い気持ちで聴き始めてしまったのですが)のジュリー・ヴォーカルのインパクトは忘れられません。CD冒頭の3曲「無限のタブロー」「量見」「Don't Be Cruel」の流れには本当にヤラれました。
ジュリーのヴォーカル、3曲それぞれ歌い方が全然違いますでしょ?
「無限のタブロー」のようなヴォーカル・スタイルはジュリー・ナンバー唯一ですし、「Don't Be Cruel」の正にプレスリー直系のロカビリー・スタイルは他のジュリー・ナンバーに「MAYBE TONIGHT」くらいしか見あたりません。
そして「量見」。ドスの効いたシャウト、ねじ伏せるような発声で歌うロックンロール・・・これまた他のどのジュリー・ナンバーとも違う、と感じます。敢えて言えば「ゴー・スージー・ゴー」のライヴ・ヴァージョン(たまたまですが最近「凄ぇ!」と思いながら聴き直したばかり。『愛をもとめて』でかけてくれていたんです)が近いですけど、やはり20代半ばと40代ラストイヤーではジュリーの声質も発声のテクニックも大きく異なります。
ブルースや3連ロッカ・バラードでよく似た発声のナンバーはあるにせよ、ロックンロールでこの歌い方というのがね~。ジョンなら「ロックンロール・ミュージック」、ポールなら「のっぽのサリー」、ジュリーなら「量見」。これが僕の中でのロックンロール・スタンダードのカバー名演、ヴォーカリスト・ベスト3ですよ。
あとはジュリー自身による訳詞の面白さです。
actでのジュリーの作詞や訳詞は、同年リリースのオリジナル・アルバムと比較するとギャップが激しいこともまた魅力ですけど、「量見」についてはいかにも『サーモスタットな夏』の年のジュリー、って感じですね。
オリジナルの「ハウンド・ドッグ」は「猟犬」と「女たらし」のダブル・ミーニング。「猟犬」を軟派な女たらし野郎に見立てて、硬派な主人公(歌い手=プレスリー)が「猟犬」をコキ下ろすという内容です。
一方ジュリーは自らが演じるプレスリーを「猟犬」に見立てます。「猟犬」転じて「量見」の発音連想は今現在のジュリー作詞手法の根幹とも言うべきもの。
「量見」の場合はユーモラスながらも歌詞全体の言い回しには潔い気骨があり、「俺はただでは終わらんぞ」という展開がジュリーらしいプレスリー解釈です。
前に書いた「無限のタブロー」の考察記事でも触れたのですが、「いざ間奏!」のジュリーのシャウトが「がおっ!」と言うんですよね。これが最高にカッコ良い!
「ナメてたら噛みつくぞ!」みたいな感じ。
ロックンロール間奏間際のシャウトは普通なら「アオッ!」とか「カモン!」、はたまた「ゲリロン!(get it on)」とか言うところ、「量見」の「がおっ!」は「無限のタブロー」での「わっは~!」と共に物語(歌詞)的に必然性があり、actの舞台でなければ実現しなかったジュリーのシャウトを引き出しています。
さらに言えば「量見」はジュリー自身が訳詞だからこそ、そのシャウトが素晴らしいのですね。
ロックンロールそのものの捉え方でプレスリーを見ている・・・噛みつく相手である「あんた」は当然「体制」或いは「権力」ということになりましょう。
act映像未体験の僕はどうしても『actCD大全集』それぞれのディスクを「ジュリー渾身のヴォーカル・アルバム」のようにして聴いてしまいます。ですからactのコンセプトへの理解自体はまだまだ浅いとは言え、ジュリーの「声」の無限の拡がり、普段は(オリジナル・アルバムの時には)見られない、それぞれの楽曲に特化した発声を堪能することはできていると思います。
「ヴォーカル・アルバムとして捉えたactのディスク」の意味で『ELVIS PRESLEY』は大変な名盤です。
演奏も「軽さ」「隙間」の魅力が全開で、ハードな音圧を好む人は肌が合わないかもしれないけれど、個人的にはこういうロックは大好物。
みなさまはいかがでしょうか。
では次回更新は、これもまた「洋楽カバー」のお題を予定しています。
今日はプレスリーでしたが今度はビートルズです。実は僕はそのお題予定曲を、今年になって初めて生で体感したんですよ。もちろん4月のポール・マッカートニー来日公演で。
今までなかなか参加当日のセットリストで「当たらなかった」曲・・・ポールのLIVE5度目の参加にしてようやく聴くことができ、その時「よし、6月のact月間の時にこの曲を書こう!」と決めていました。
僕はビートルズの話になると勢いがつき過ぎていつも以上に大長文となる傾向がありますが、なんとか今日くらいの文量におさまるようにしたいと思います。
どうぞお楽しみに~。
| 固定リンク
「ACTを楽曲的に掘り下げる!」カテゴリの記事
- 沢田研二 「人生は一場の夢 Ⅳ」(2022.06.25)
- 沢田研二 「淋しいのは君だけじゃない」(2021.06.25)
- 沢田研二 「エディットへ」(2020.06.25)
- 沢田研二 「VERDE ~みどり~」(2020.06.21)
- 沢田研二 「愛していると言っておくれ」(2020.06.14)
コメント
DY様 こんにちは
小学5年生の頃、我が家に「ハウンド・ドッグ」と「監獄ロック」のドーナツ盤がありました。ジャケット写真も歌詞カードもなかったので、プレスリーについて全く分かりませんでした。知ったのは、亡くなった時のニュースでした。ビッグスターの死因には何故か謎が多いですね。一説には、過食症からの便秘だとも。
actでは、そんな過食症で動けなくなり、でも再起(1969年)のステージを画策するマネージャーのパーカー大佐が用意した、キレッキレッのプレスリー(影武者)が、「量見」を歌うのが第二幕となります。この時のパーカー大佐の台詞をそのままそっくり20年後の今のジュリーに返したくなるのは私だけでしょうか?久しぶりに映像を見たら、切なくなりました。
映像を見ないとこの感情は湧かないでしょう。
女性だけのバンド体験は一度だけ、「沢田研二ショー」でありました。「気になるお前」を何グループの大所帯で歌っていますね。
投稿: BAT | 2017年6月11日 (日) 16時42分
BAT様
ありがとうございます!
いやはや、またしても目からウロコ、勉強させて頂きました。
なるほど・・・ジュリーが「猟犬」として捉えていたのはプレスリーの影武者でしたか。
そうなると僕の歌詞解釈は根本から変わります。
また、この曲が「量見」が第二幕の初っ端、というのも意外です。
やっぱり映像を観ていないと分からないこと、たくさんあるんですねぇ。
僕がプレスリーの存在を知ったのは、彼がすでに故人となってからでした。その僅か数年後にジョン・レノンが亡くなり、これは僕がビートルズを聴き始めた直後のことでした。
でも僕のロックへの目覚めの時期を挟んでいるからか、プレスリーとジョンの亡くなった時期がそんなに近いという感覚がなくて、今でもそのあたりの時系列がうまく把握できません。
これからプレスリーの未聴曲などをしっかり勉強して、改めて頭の中を整理してゆくことになるのでしょう・・・。
投稿: DYNAMITE | 2017年6月12日 (月) 09時14分
DY様、こんにちは。
忘れ物が見つかって良かったですね。親切でカンのいい駅員さんで良かった。読んでいてハラハラしましたよ。
「量見」ってヘンな当て字。
威勢のいい詞です。歌い方もわざとらしい乱暴さがチャーミング♪
エルビスはとても好きで、ファンでした。
それでこの舞台はひっかかりました(笑)評価は複雑です。
太り過ぎて動くことも出来なくなったスーパースターに若い替え玉を用意するやり手のマネージャー。それぞれの思惑。ジュリーが三人を演じます。
ハイウェイを走るドライバーへのDJの声が挿みこまれます。いかにもアメリカの象徴のような背景と「彼」とそのヒット曲群。絶頂期の勢い。
彼がおとろえて身動きが取れなくなったことをアメリカのおとろえと重ねています。これが加藤さんの仕掛けた影のテーマでしょう。「無限のタブロー」「アメリカに捧ぐ」のオリジナル曲がそれですね。
でも、舞台の出来やジュリーの歌のステキさとは別に、ストーリィの筋立て、「彼」の扱い方に「興味はあっても愛はない」「安易だ」と思って見ました。大歌手の姿を矮小化する方向からスポットを当てて作っている。シニックに訳知り顔のセンスで遊ばれる「プレスリー」は切なかったし苦々しかった。
これをジュリーが受け入れ、演じたことに驚き、あきれましたww
無礼者!どんな気でやったの?と問い詰めたい気持ち(笑)
後年「ジュリー三昧」では反省していたけど、当然でしょ。
「量見」の詞はこの場合は替え玉ですが、広い意味ではジュリーを含む遊ばれる側からの応えのようです。
ビートルズ出現以降の音楽の流れはエルビスを不当な評価へと落とした感じがしていました。
ブライアン・セッツァーの「名言」はずっーと後にでてきたんじゃない?
PS:書き込む前に、DY様のコメントを見て、ああ、DY様は若いんだった(わたしと比べてね・笑)わたしがプンプンしてるのが??だろうなと思いました~
投稿: momo | 2017年6月12日 (月) 13時56分
momo様
ありがとうございます!
ええっ、そういうストーリーだったのですか!
まさか3者を演じているとは。
なるほど・・・『ELVIS PRESLEY』なかなか一筋縄ではいかない作品のようですね。
CDだけ聴いているぶんには、楽しく賑やかな舞台というイメージだったのですが、そういうことですと「無限のタブロー」のあのヴォーカルにも深い意味がありそうです。「量見」は影武者を演じて歌っているとのことですが、「無限のタブロー」はプレスリー本人を演じた歌ということになるのでしょうか。
これまた、映像を実際に観た時にはひっくり返るシーンが多そうです。
momo様の仰っていることは、感覚として分かる気がしますよ~。確かにビートルズ出現以降のプレスリーの評価は、当時どうだったんだろう?と想像してみますと・・・。
でもやはりこのCDのジュリーのヴォーカルは素敵です。「かなぐり捨てている」ようなニュアンスは、とてもロックです。
ジュリーがあのプレスリーをコンセプトに歌わなければできなかったヴォーカルのように思います。
> ハイウェイを走るドライバー
それで「夜の王国」の出だしがああなっているのか、と合点がいきました~。
投稿: DYNAMITE | 2017年6月12日 (月) 16時28分
DY様 こんにちは。
「量見」
何の当て字だ?と思ってましたが、ちゃんと意味がある字だったようです。「了見」と近いもので
「考え選ぶこと・分別」
「猟犬」と「量見」をダブたせてるあたり、「アンタ(雇い主・体制側?)に対して分をわきまえている所詮飼い犬だよ。」みたいな、自虐のにおいがします。
この歌を歌っていたのは「替え玉」の設定で「雇い主」が誰かはともかく、「替え玉」はもう、これからは自分がプレスリーやってやる、って気満々だったわけで。
プレスリーの全盛期はリアルではあまり知らないのですが、まだ徴兵制があった頃でプレスリーが入隊する時、ロックのくせに無批判に入隊か、みたいな陰口も叩かれていたように聞いてます。でも拒めば拒んだでもっと批判されたんでしょうね。
スーパースターに祭り上げられ、普通でないことが普通にできて当たり前。
でも期待されない方向で普通から外れることをすると傲慢だ、と叩かれる。
この舞台を通して体感したプレスリーの苦悩が
ジュリーにマスコミにもファンにも阿ねない生き方を促したひとつのきっかけかもしれない、という気もします。
投稿: nekomodoki | 2017年6月12日 (月) 16時45分
nekomodoki様
ありがとうございます!
プレスリーの入隊にまつわる話は初めて知りました。ロッカーの宿命という気もしますが、プレスリーが登場した時代はまだそんな時代だったんですね・・・。
確かに・・・「了見」ではなく「量見」なんでしょね。僕はこの凄まじいジュリーのシャウト・ヴォーカルを聴いて自虐の感覚は受けませんでしたが、言われてみますとなるほど、とも思います。
影武者の「俺がプレスリーやるぞ!」という気合は充分すぎるほど伝わってくるヴォーカルです。
97年はジュリーが「ジジィを意識しないと」と語った年でもありますね。
プレスリーを演じた年、というふうに考えますと一層興味深い言葉のように思えます。
投稿: DYNAMITE | 2017年6月12日 (月) 17時47分
DY様 こんばんは
エルヴィスの人なりを調べました。何も知らず上辺だけでコメントしたことが恥ずかしくなりました。
世界中の人に愛されているのは、その人格だということを知りました。彼の成功は、黒人のように上手く歌える白人だったということ。ですが、それは真似ではなくオリジナルティーがあったことがとても重要だと分かりました。「ハウンド・ドッグ」は元々、黒人女性シンガーがヒットさせた曲でした。つれない男に愛想尽かす内容だそうで、そういう意味では「ハウンドドッグ」の言葉にダブルミー二ングはあります。ではエルヴィスの詞ではどうでしょうか。あるブログ記事で私はエルヴィスの想いに触れた気がしました。そこには「ハウンドドッグ」とは、自尊心を持てず自分を傷つけ、他人を蔑んでいる悪い自分ではないか。と書かれていました。
当時の人種差別、経済差別などを考えると仕方のないことだったかも知れません。
素朴で真面目で礼儀正しく律儀で偏見のない青年に成長したプレスリーではありましたが、常に、心に住むハウンドドッグが、自分の良心と良識に噛みつかないよう闘っていた気がします。まずもってそれがパーカー大佐であったと思います。「量見」を歌う前の大佐の台詞「私のハウンドドッグよ、アメリカの猟犬よ、〜檻の中に閉じ籠る若きアメリカの兎たちを〜可能性の向こう側に追い出してやれ」とジュリーの訳詞「あんた好みのEXERCISE(任務) 任せときな」にその一端がうかがえます。
反抗のシンボルに祭り上げられたのは不本意でしょうが、その記事にありました「音楽と文化と歴史が、そして人間が熱く交錯した瞬間を考えてみてください」の言葉が救いとなるかも知れません。ロックンロールの誕生の瞬間に想いを寄せることができるからでしょう。
色んなブログ記事を読んでいたら、ステージでの律儀さは最期まで変わらなかった話があり、すっかり惚れてしまいました。
投稿: BAT | 2017年6月14日 (水) 01時16分
BAT様
ありがとうございます!
僕もプレスリーについては最近になって興味を持ち始めた状態で知識も乏しく、またまた勉強になりました。
そうですか・・・「ハウンド・ドッグ」は元々女性視点の歌でしたか。
プレスリーが歌うとまた意味合いが変わってきますし、もちろんジュリーの「量見」も同様ですが、なるほど強烈な歌詞なのですね。
昨年でしたか、たまたま観たプレスリーの特番で僕は彼の雰囲気、佇まいに惹かれました。特に60年代の映像は、テレビ番組で他出演者と一緒に映っていても、プレスリー1人が別の世界にいるような感じで、古いモノクロの映像であれほどの「オーラ」が伝わってくることに驚いたものでした。
幸い友人のYOKO君もこれからプレスリーも勉強していこうと考えているようですので、今後は音源、スコアなどで共に学んでいきたいです。
「あんた好みのエクセサイズ♪」の箇所、ジュリーの発音が好きです。続く「任せときな」への繋がり方もカッコイイですよね。
投稿: DYNAMITE | 2017年6月14日 (水) 08時53分
DY様
こんばんは。方向音痴でいらっしゃいましたか、それは大変ですね。他人事のように言っている私も方向音痴ではありませんが、忘れ物、なくし物は人並み以上、お互い気をつけましょう。
お題曲、プレスリーにさほど思い入れがないせいか自然に入って来ました。題名の当て字はともかく、演奏は女性バンド離れしたパワフルさ、なかなかかっこいいです。他の曲でもコーラスワークもキマッていますし。
エルヴィスと言えばギター弾きのスコティ・ムーアさんが亡くなったと言って、去年の年末の麗蘭のライブでチャボがムーアさんに捧げる曲という新曲歌ってました。脇を固める人達も強者揃いだったのかなと思いました。
投稿: ねこ仮面 | 2017年6月21日 (水) 21時52分
ねこ仮面様
ありがとうございます!
はい・・・僕はかなり酷い方向音痴なのです。
例えば、ジュリーのLIVEで初めて訪れる会場に向かう際、前もって地図を見てから行くと、180度逆の方向に足が向くのです。上から自分の位置を見下ろす感覚というものが先天的に欠如しているようです。
まぁ最近はジュリーLIVEについては、1人で初の会場に向かう時、黄色と黄緑のリストバンドをしているお姉さんを探してから、何食わぬ顔で後をついてゆくという方法で事なきを得ております(笑)。
僕もこのact作品は、プレスリーの生涯をあまりよく知らずに聴いたことでスッと入っていけた部分があったかもしれないと考えています。
プレスリーのバックは確かに強者揃いだったんだろうなぁと思います。
類稀なるスター歌手には、素晴らしい演奏者が自然にその周りに集うものなのではないでしょうか。それはジュリーも同じですよね。
投稿: DYNAMITE | 2017年6月22日 (木) 15時40分