沢田研二 「指」
from『架空のオペラ』、1985
1. 指
2. はるかに遠い夢
3. 灰とダイヤモンド
4. 君が泣くのを見た
5. 吟遊詩人
6. 砂漠のバレリーナ
7. 影 -ルーマニアン・ナイト
8. 私生活のない女
9. 絹の部屋
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いやぁ先週末からとにかく暑いですな~。
まだ5月だというのに職場では冷房がかかりまくっています。僕はあまりクーラーが得意ではないので重ね着したりして体調に気をつけていますが、みなさまはこの暑さの中いかがお過ごしでしょうか。
こちらでは今日の夕方から暑さは少しマシになったっぽいので、『大悪名』海老名公演にお出かけのみなさまにとっては幸いでしたね。
さて、自分の中での予定よりも少しだけ更新が遅れました。案の定と言うか、今日のお題曲の採譜に手こずりましてね~。でも、斬新な進行を地道に確認してゆく作業は本当に楽しいのです。
最近また大長文傾向にある拙ブログですから(と言うか『愛をもとめて』のチャプターに気合が入りまくっている笑)、今回も枕は短めに・・・”『愛をもとめて』のジュリーの話から関連してお題を選ぶ”シリーズ、今日はジュリーが『唐版・滝の白糸』について話してくれた回を書きますので、考察お題は当然蜷川さん繋がりの圧倒的大作バラード、「指」を採り上げたいと思います。
アルバム『架空のオペラ』から、伝授!
①猟奇?妖美? 「指」はどのようにエロいのか
僕は小学校高学年で既に江戸川乱歩の「大人向け」な数々の名作を読破していたという、自慢できるようなヤバイような少年時代を過ごしておりました。
とは言っても別にませていたわけではなくて、小学校低学年で読んでいたポプラ社の少年探偵モノから、ごく自然にシフトしていったというわけです。
ただねぇ、そんな年齢ではいくら「孤島の鬼」やら「パノラマ島奇譚」やら「陰獣」やらを「面白い面白い」と夢中になって読んだとしても、その真髄は理解できようはずがないんですよ。やっぱり、ある程度の年齢になって読み返してじわじわとね。
それでも子供心に「面白い」と思っていたことは確かです。ただし、中には10代そこそこでは「理解できない」ばかりか「面白いとも思えずひたすら気持ち悪い思いをしただけだった」作品もいくつかありました。
そのひとつが「盲獣」。
もちろん今は大変な名作と思ってはいますが、なにせ「謎解き」とかまるで関係ないし、物語が解決することもない・・・いや、一応解決はしているんですけど初読の年齢ではそれが分からない、どこが面白いのかサっパリ理解不能だったのでした。
エグ過ぎるストーリーなので詳しい説明はやめておくとして、ただ1点、「異常なまでに触感が研ぎ澄まされた」男が登場する物語、とだけ記しておきます。
なまめかしくもゾゾゾ~っとする男の指の描写は、DYNAMITE少年の数年間に及ぶトラウマとなりました。
そんな僕が初めてアルバム『架空のオペラ』で「指」を聴いた時、良い意味で幼少期の「盲獣」のトラウマが甦ってきたのも、この曲の特殊「性」あらばこそ。
「ジュリー・ナンバーにエロ多し」と言えども「指」はやはり異質。では、何がどう異質なのでしょうか。
「身体を差し出すようなエゴイズム」?
「自傷と紙一重のナルシズム」?
いやいや、僕のそんな陳腐な表現では全然ダメ。もっと深くて・・・そして、敢えてこう表現しますがもっともっと「不健全」なものだ、と感じます。
もちろんこれは僕自身に美的センスが皆無、ということも影響しているとは思いますが(涙)、例えばこの曲で有名なのは何と言っても蜷川さん演出の、雨に打たれて歌い、泥水にまみれるジュリーですよね。
個人的にはあの映像を単に「斬新」「美しい」では済まされない。不愉快と快感ギリギリのところでジュリーが苦しみ、あがいているように思われるのです。
ある意味あんなに猟奇的、自虐的、耽美的なことをして見事に歌、詞、演奏とガッチリ嵌っているにも関わらず、歌っているジュリーの「ノーマル」な本質がそれを抗っていると言うか・・・いや、ジュリーだけじゃないなぁ。松本一起さんの詞も、僕はこれ実はすごくノーマルなんじゃないか、と思っています。
人さし指 5本の指 10本の指
G Gmaj7 Dm7
君の肩を 胸を腰を 暗闇に描く
C G
君を抱きしめた この生きもので
Dm7 Cmaj7 C#dim
思い出より 君を憶えている この指で ♪
Dm7 Fm G7 C
このサビなんかも、表現としては凄まじくエロいし「ズバリ!」ではあるんですけど、これ特に異常な情景や心情ではないわけですからね。誰しもが共感し体験することでもあるでしょう。
敬愛する先輩が以前仰っていたけど、蜷川さんのこの演出が無くてもジュリーが普通に「指」という歌を歌えば、聴き手それぞれが何か尋常ならざるものをかきたてられる、ということは起こるはず。でもあの演出で「指」は確信犯的に聴き手を異質の場所へと誘導し引きずりこんでしまいます。
それは「水」と「泥」の触感。
水の冷たさや泥の手触り、肌触りなんて気持ちの良いものではないのだけれど、その触感を与えておいた上で、そこから歌全体のイメージが改めて刷り込まれるという・・・ですから僕にとって「指」のエロとは、蜷川さん演出の映像を観る前と後とではとんでもなく感じ方が変わりました。
今はね、「怖いもの見たさ」に近い感覚。少年時代にはまるで理解できなかった乱歩の「盲獣」を、大人になってから読み返した時の戦慄によく似ています。
僕の中にある「ノーマル」な感性がチクチク刺され剥がされていく感じですかね~。
たぶんこの曲には、聴き手の「闇」を抉る力があって、それが他のジュリー・ナンバーとは比較し得ない「エロ」として迫ってくるのではないでしょうか。
まぁ僕の持つ「闇」なんてそんな大層なものではないですが(←卑屈になってるのか言い訳してるのかどっちだ?笑)、それでも「指」は本当にヤバイ曲ですよ。
だからこそ凄まじい名曲なのでしょう。
②楽曲全体の考察
歌っているジュリー、作詞の松本さんが「ノーマル」であると書きましたが、対峙する「アブノーマル」として「指」には蜷川さんの演出以外にもうひとつ、「危険な淫靡」をもたらす要因があると僕は考えます。それが大野さんの作曲です。
大野さんの作曲作品って、王道の進行に流麗なメロディーを載せてくるパターンが多くて、調号の変化が登場するナンバーは数えるほどしかありません。
ただ、大野さんがひとたび転調を採用するととてつもない大作、とんでもない斬新な作品が生まれます。ロック調なら「残された時間」、そしてバラードなら・・・僕はこれまで「ママ・・・・・・」だと考えていましたが、やっぱり「指」も負けないくらいに凄かった!
まずホ長調(Aメロ、Bメロまで)で始まる歌メロがサビでト長調、そしてサビの途中から(!)いつの間にやらハ長調へと転じています。
しかも、同じホ長調であるにも関わらず、AメロとBメロは全然印象が違いますよね。
おそらく「指」で大野さんは、「まったく異なる楽曲のアイデアを合体させて1曲の大作とする」作曲手法をとったのではないでしょうか。
この手法はクイーンの作曲クレジットが有名で、例えばフレディ・マーキュリーとブライアン・メイが持ち寄った別々の曲を合体させちゃうわけです。同一の作曲家であれば、ジョン・レノンの「ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」が、「ヴァースごとにまったく違う!」この手法の大成功例ですかね。
「指」の進行、Aメロに限っては王道です。
同じ夜 同じ星 だけど違う場所
E C#7 F#m7 B
今 寂しくはないのか?
A G#m7
君はどこにいる ♪
C#m D B7
これがBメロになると、一瞬だけ「んん?」と唸るフェイクが顔を出します。
最初の炎 ただ揺れて燃えつきて
E E(onD)
過去を見つめ うつろにワインを飲み終える ♪
C#7 C
最後の「C」が、突然の半音堕ち。なんか・・・ここエロいですよね(笑)。危険な香りがします。
サビに突入すると、もう「今何がどうなった?」とクラクラするほど。3度登場するコードの中で「Dm7」の役割がそれぞれまるっきり違うんですよ。
(コードはチャプター①を参照)
1度目の「Dm7」は、ト長調のドミナントをマイナーに変換するという、「福幸よ」「犀か象」で昨年解説しまくった手法。これだけでも充分斬新ですけど、2度目の「Dm7」は、「みんな気づかないと思うけど、ここからハ長調になってるよ!」という「仕込み」です。これが無ければ次の「この生きもので~~~~♪」の圧巻のメロディー(ハ長調のトニックに着地)、ジュリー・ヴォーカルのあの突き抜け感には繋がりません。
3度目の「Dm7」は、ここはもうシレッとハ長調のサブ・ドミナント。「G7」(ドミナント)と共に、「この指で♪」の着地を助ける役割を担います。この「Dm7」と「G7」の間に突如「Fm」が挟まっているから、パズルみたいな進行になるのですな~。
「指」そしてアルバム『架空のオペラ』が素晴らしいのは、この斬新な進行のバラード大作をアルバムの冒頭1曲目に配していること。
演奏時間長めの重厚かつ複雑な構成のバラードで幕を開け、聴き手のド肝を抜く・・・ジュリーのアルバムでこのパターンは珍しいですよね。敢えて言えば、『思いきり気障な人生』もそうかな?
いずれにしてもそのインパクトは強烈。特に『架空のオペラ』はアルバム全体を通しての「こんなジュリー、今まで無かった!」感を冒頭の「指」がそのまま支配し続けているわけで、リアルタイムで聴いた先輩方はさぞ驚かれたのではないでしょうか。
アレンジも豪華です。個人的に好みの手管が2つあって、まずは歌メロ最後の最後、後奏へと向かって切り込むティンパニが痺れる!
「ここぞ!」のタイミングで噛み込むティンパニって、僕は昔からの大好物。『真田丸』のメインテーマでも一番好きなのは、イントロ「ちゃっ、ちゃっちゃっちゃっ、ちゃららっ、ちゃっちゃっ、ちゃっ♪」直後の「でけでんでん、でけでんでん!」のトコですからね。
もうひとつは、これも後奏で目立つのですが、ストリングス3連符の刻み。
壮大なバラードならではのアレンジで、この刻みのリズムは僕が現時点で最も好きなactナンバーである「エディットへ」にも登場します。
85年というのは、大野さんのアレンジャー・キャリアで言えばちょうど「サンプリング」を採り入れた大変革の時期と言えます。これは『太陽にほえろ!』の挿入曲の歴史を辿ってみても明らか。
『架空のオペラ』収録曲ですと、「はるかに遠い夢」などは「マイコン刑事」のために大野さんが作曲・編曲した2つのテーマソングと密接に繋がります。
もちろん「打ち込み打ち込みしたサウンド」もそれはそれで素晴らしいのですが、この「指」についてはサンプリング(タンバリンが一番目立ちますね)すら独特の緊張感があって、生の感触が強いように思います。ストリングスとかイントロの木管とか、これシンセなんですかね?僕には生音のように聴こえてしまっていますが・・・。
いずれにしても、「灰とダイヤモンド」以外すべて大野さんの作曲、そして全ナンバーのアレンジを大野さんが担当することによって『架空のオペラ』に魔法がかかり、「指」=1曲目の斬新な配置も大野さんの曲並びからすんなり決まったのでしょうね。
僕は決してアルバムの中で「指」が抜きん出て好きというわけではありませんが、「別格の名曲」とは考えていて、やっぱりこの曲なくして『架空のオペラ』は成立しない・・・たぶん一度でもジュリーの生歌を聴けたら「超別格曲」と認識を改めるであろうことは確実(同時に、こうして文章で語り倒すことの無意味さ、愚かさをも痛感することになるでしょう)とは言え、果たしてこの先機会がありますかどうか。
とりあえず『架空のオペラ』からは、今年のツアーで「灰とダイヤモンド」セットリスト入りを期待します!
③『愛をもとめて』より 『唐版・滝の白糸』の話
今日の『沢田研二の愛をもとめて』のコーナーは蜷川さん繋がりということで、ジュリーが『唐版・滝の白糸』について話してくれている回を採り上げます。
この回は、「追憶」「白い部屋」2曲ぶんのBGMの間、「公演が終わってひと安心しているところ」という心境のままにたっぷりと話してくれるジュリーです。
まずはこのお芝居をやることになったきっかけを
こういうのも巡り合わせでね、別に「どうしてこうして」っていうんじゃなくて、偶然が偶然を呼んでトントントントンと。
と、ジュリーはまったく本心で話しているでしょうが、「偶然」は確かにあれども、周りがジュリーの魅力、適性を放ってはおかなかった面もたぶんにあるんじゃないかなぁ、と思いながら僕は聞いていました。
まぁ僕も(話が具体化する)途中で本を読んでみたり色々したら、もう台詞はいっぱいあるしね~。長いしね~。
初めてでしょう、僕が舞台で生のお芝居をやる、なんていうのはね。テレビとか映画だったら、「カット割り」とか、そこだけとにかくやって次のところはまた練習して、ってできるけどお芝居は始まっちゃったらず~っとねぇ。
まして僕なんか、ほとんど最初っから出ずっぱり。途中ちょっと5分か10分くらい引っこんでるだけでね、(お芝居全体の中の)1時間半くらいは丸々ね。大主役なわけですよ。
そうかぁ、ジュリーはこれが初のお芝居だったか~と、後追いファンの僕は改めて再確認。その後40年余が過ぎて、今まさにジュリーは「最後の音楽劇」となる『大悪名』公演真っ最中という・・・。
だから最初話が決まりかけた時にね、僕はイヤでイヤでしょうがなかった。いや、今だから言えるんだけれども(笑)。怖くてね、こんなの僕にできるのかな、なんて思ってね。
稽古に入ってから最初の2、3日は台本見ながらやったそうです。ジュリーはどうしても台本を見てしまう、頼ってしまうという状況だったそうですが
「そろそろ台本離してやりましょう」と蜷川さんがおっしゃいましてね。「怖い、怖い」なんて思ってね。
稽古は12日くらいやってたのかな。(稽古期間の)真ん中くらいにきて、台詞を覚え出した頃から、だんだんこう、面白くなってきてね。やってるうちに、自分で酔えるっていうかね。
大映の東京撮影所で作ったセットで、本番通りに照明もして、やってたらね、自分でやってて涙が出てくる、胸をかきむしられるような、っていう。こういう時って、歌を歌っててもそうだけど、別に「悲しい」とかそんなんじゃなくて、涙がじ~っと出てくるっていう・・・そういう時って一番嬉しい時だから。
なるほど・・・これが「表現者」がよく言うところの「無心の涙」なのかな。
僕もジュリーのLIVEに行くようになって、何度か「歌っている最中に涙が上がってきている」ジュリーを観ています。もちろんそれは歌の内容、歌詞によるところが大いにあるんだけど、それ以上に歌に入り込んで、邪気を無くした時に起こると。
だから、カッコをつけたり、「こういうことを歌っている」と思考し主張しながら歌ったり演じたりしていると逆にそれは起きないことなんだろうなぁ。
ジュリーは『唐版・滝の白糸』で、初めてのお芝居にして高い境地に達していたのですね。
評判も良かったしね。今思ったらやっぱり「よくやったなぁ」と思うんだけれども、この仕事をしてね、いつもいつも軽い仕事ばっかりしてるとね、人間ダメになってしまうなぁと思ったりもしてるし、うまくいったらいったで・・・まぁ現金なものだけど、今終わって振り返ってみて、やっぱり唐十郎さんとか、共演してくださった麗仙さんって人も、本当にあの人とやってる時ってのはね、あの人は(お芝居全体の)真ん中あたりから出てくるんだけれども、あの人が出てから僕の気持ちもビシ~ッ!と締まってきてね、どんどんどんどんリードされるわけですよね。
「アングラの華」って言われてあんまりテレビとかそういうとこ出ないで、ご存知ないかたの方が多いのかもしれないけど、隠れたところで頑張って一生懸命やってる人もたくさんいるんだなぁと。
最後はしみじみと、演出の蜷川さんはじめスタッフがお金の計算とか考えずに、「とにかくいいものを!」と打ち込む、そういう仕事ってのは大切なんだなぁと語っていたジュリー。初めてのお芝居を大成功させて
今度の中野サンプラザのステージは頑張ってやろう・・・と、やる気になったんです。ものすごく。
改めて羨ましいなぁと思うのは、首都圏にお住まいの(或いは75年当時お住まいだった)先輩方の中には、『唐版・滝の白糸』を観劇され、続く中野サンプラザのLIVEにも参加、ジュリーの進化を目の当たりにした方々が実際いらっしゃるのだ、というね。
いつもお世話になっているピーファンの先輩から以前お借りしたスクラップ・ブックの中にも、チケット半券が大切に保管されていました。
また、別の先輩には『唐版・滝の白糸』の批評が掲載されている新聞記事の切り抜きを見せて頂いたことがあります。僕のような後追いファンとしては、その切り抜きの存在自体がもう夢かうつつか、という感じで現実感が持てなくて。
今回『愛をもとめて』でのジュリーの話を聞き、勉強して、今までリアルに飲み込めていなかった感覚を少しだけ克服できたような気がしているところです。
僕がジュリーのスケジュールをリアルタイムで把握するようになったのは『ジュリー祭り』が明けた2009年以降ですが、「お芝居をやってから全国ツアー」というスタイルでずっと来ていますよね。
体力的にも大変でしょうしシンドイのでしょうが、ジュリーの中では仕事をしてゆく上でそれが自然にして必然の「いい流れ」だったのでしょう。
音楽劇は今年2017年でラスト・・・70歳となる来年からはまた違ったスケジュールに切り替えてコツコツと、ということになるのでしょうが、最後の音楽劇を僕もしっかり見届けなければ、と思いを強くしました。
そうそう、今回の『大悪名』豪華キャストの中で僕が特に注目しているのは、茂山宗彦さん(つい先日出演されていることに気がつきました)。あの懐かしい『ちりとてちん』の小草若じゃあないですか~。
「底抜けに痺れましたがな!」の茂山さんがどんなお芝居を魅せてくださるのか・・・楽しみです!
それでは、オマケです!
こちらも福岡の先輩のお世話になり手元にございます『ヤング』のバックナンバー、85年1月号から。
この頃はジュリーの「今後の情報」というのがまったく無くて、ファンからは次のコンサートの問い合わせなどが相次いでいたそうですね。
その「次のコンサート」で皆のド肝を抜いたのが、お題の「指」であったりした・・・のかな?
そして、この『新春かくし芸大会』から30余年。今ジュリーは貫録の「親分」を演じているのですね~。
では次回更新ですが、実は、先日「マ・ゲイシャ・ドゥ・フランス」の記事で書いたジュリーのフランス話・第1弾が秘かに大変な好評でございまして。
普段優しくも厳しく拙ブログの内容を叱咤してくださる指南格の先輩方が揃って、珍しくただただハートマーク状態となり(笑)「続きを~」と切望していらっしゃいますので、フランスの話・第2弾を書こうと思います。
「モナ・ムール・ジュ・ヴィアン・ドゥ・ブ・ドゥ・モンド」大ヒットを受けてジュリーが再度渡仏した際の話や、有名な「フランス・ポリドールのゴールデン・ディスク受賞」の話も出てきて、これまた素敵な回ですよ~。
考察お題曲は「フランス関連」ということで、ジュリー自身の作詞・作曲による2000年代のアコースティック・パワーポップなあの名曲を採り上げます(←バレバレ)。
どうぞお楽しみに!
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コメント
DY様 こんばんは
「大野さんが一人でアレンジまでやってくれたのよ、打ち込みで。」そんな話をジュリーがしていました。素人にはオーケストラの生音との区別は難しく、余り気にしませんでした。それよりも、飛鳥さんのエレクトリック・バイオリンの存在感に目も耳もくぎ付けでした。一台しかなかったらしいです。
ジュリーのドラマチックな歌はやはり心に残りますね。「悪い予感」「絆」「本当の人生を」など洋楽曲カバーで何曲も体験済みなので、久々にそんな曲を歌ってくれて嬉しかったです。特にエンディングに向かうボレロ・リズムが圧巻。その映像が残っている「夜のヒットスタジオ」での演奏では、ライブ以上の雨が降った演出でした。終盤ジュリーの歌声が、ラジオから流れてくるような掠れた声に変わる辺りは、正しく生放送時代のライブ感がありました。
1985年と言えば、「恋におちて」が流行りました。そんな時代でしたから、「指」の艶かしさがさほど気にならなかったように思います。私が一番気に入っている歌詞は、歌い出し「同じ夜 同じ星 だけど違う場所」の部分。同じ〜の表現が好きなんですよ。今はもう一人一台以上のケータイ電話の時代。電話もメールもラインも、どこでもいつでも出来ます。まだケータイ電話が普及する前の時代だからこそ、響いた歌だったと思います。「恋におちて」では、ダイヤル回して手を止めた〜が誰もが印象に残っているのと同じように。そんなことをふと思いました。
投稿: BAT | 2017年5月26日 (金) 00時10分
DY様 おはようございます。
イントロを聴いただけでこのアルバムの世界観に一瞬で引き込まれる感じでした。
聖なるエロティシズム、みたいな。
今の時代、すぐに連絡が取れてしまうので「待って想像する」時間が無さすぎです。
「勝手にしやがれ」だって「レコード」だから詞になるのであって、CDやSDじゃお手軽すぎて、歌にならないですよね。
エロティシズムの真髄は「相手と心でしか繋がれない空白の時間」にあるんじゃないかと。
しかも半分は自分の一方的な思い込みに過ぎないかも知れない、という葛藤と戦いながらの。
「江戸川乱歩」
中学生の時いくつか読んだ記憶があります。
なぜか一番印象に残ったのが「白髪鬼」です。
妻の裏切りで殺され、墓の下で蘇った男の復讐記。
なぜか一番エロティックに感じたのが、最後に妻が夥しい財宝とともに墓に閉じ込められた時の場面でした。
気が触れた妻が、財宝を手に浮気の証拠隠滅のために殺した赤子に向かってこうつぶやくんです。
「おかあちゃまはお金持ちになったのよ。きれいでしょ、きれいでしょ。」
「白髪鬼」は上からそれを眺めながらその妻を(美しく愛おしく、そして哀しい)と感じているみたいでした。
「夜ヒット」の演出は私も息をのみました。
ライブでの雨は
「え、この水、このあとどうすんの?」
(いや、私が考えることじゃないし。)
とか余計なことが頭に浮かんで・・・。
あー、もっと素直に演出に浸っておけば良かったです。
投稿: nekomodoki | 2017年5月27日 (土) 11時05分
BAT様
ありがとうございます!
やはりすべて大野さんのシンセですか~。
イントロの木管の音とかスリリングですけどね。音、アレンジは同じ手法でも「指」は他収録曲とはずいぶん違う感触です。
なるほど、ジュリーのドラマティックな洋楽カバーをリアルタイムで体感されてきた先輩の貴重なご感想だとしみじみ思います。言われてみますと確かに「指」って明確に日本語曲なのに、すごく洋風ですよね。ボレロのリズムもそう思わせる要因なのかなぁ。
歌詞の冒頭、仰る通りです。
ネット、スマホ・・・世の中はとても便利になりましたが、アナログな感性をどこかに残していたいと僕も常々思っています。
☆
すみません、お返事一度切ります。
投稿: DYNAMITE | 2017年5月28日 (日) 10時46分
nekomodoki様
ありがとうございます!
この曲のイントロ、「指」という曲のみならずアルバム『架空のオペラ』全体の序奏、という感じですよね~。
『白髪鬼』もかなりヤバイ話ですね。
僕が中1の時に講談社から『江戸川乱歩大全集』というハードカバーの豪華本が出まして、僕はその第7巻…『吸血鬼』とのカップリングで『白髪鬼』を読みました。
いずれも中学生が普通に読んでしまってよいものか怪しい名作ですが、当時から「面白い」と思って読んでいましたね~。
確かに今の時代、お手軽になりすぎました。
「勝手にしやがれ」の「レコード」が「CD」だったら・・・主人公のやぶれかぶれ感は出ませんねぇ・・・。
投稿: DYNAMITE | 2017年5月28日 (日) 13時38分
DY様
こんばんは。更新スピード上がり始めましたね。このラップ刻まれると追走は容易ではありません。せめて内に潜り込んで距離ロスだけは避けねば……。安田記念は(馬連)万馬券くれた馬が2頭出走予定です。ラストインパクトとデニムアンドルビー……悩ましいですが私が肩入れしている時点で多分どちらも凡走しそうです(涙)。
お題曲、あまり好きでない『架空のオペラ』の中では文句なく私の№。1、打ち込みでもこの曲と「砂漠のバレリーナ」だけはそれはそれでありだなと思います。
コード進行伝授していただいてあらためてこの曲の「難解さ」がわかりました、ありがとうございます。ティンパニも印象的ですがイントロの木管っぽい?音も好きです。7分近い演奏時間をまるで感じさせないですね。
ケチつけること多い私ですが(汗)、この曲は本当に大好きで、この翌年くらいに出た4枚組のライブ盤に収録されていなかったのが残念だったのを思い出しました。
投稿: ねこ仮面 | 2017年6月 1日 (木) 18時42分
すみません、安田記念ではなく、土曜日の鳴尾記念の間違いでした。安田記念は◎ステファノス。
投稿: ねこ仮面 | 2017年6月 1日 (木) 19時41分
ねこ仮面様
ありがとうございます!
そうなんです、「指」「砂漠のバレリーナ」は、「大野さんがひとりで録音した」と聞かされて改めて「あぁ、シンセなんだなぁ」と思う音色がアレンジの肝となっていますし、アルバムの中では「打ち込み」を意識させない2曲ですよね。
対して「はるかに遠い夢」や「私生活のない女」は、当時大野さんが『太陽にほえろ!』サントラを大きく変化させた打ち込み色が強いです。
僕はいずれのアレンジも好きですが、その混在が不思議に統一感をもって沁みこんでくるのが『架空のオペラ』の個性ではないでしょうか。
「指」のコード進行は本当に凄まじいです。
この頃の大野さんの作曲は、曲先なのかなぁ・・・?
投稿: DYNAMITE | 2017年6月 2日 (金) 09時13分
ねこ仮面様
そうそう追伸です。
安田記念、鳴尾記念の勝利をお祈りしています。
馬券購入現役だった頃、僕は安田記念とは相性最悪でした。
トーワダーリンの複勝くらいしか的中の記憶がありません・・・。
投稿: DYNAMITE | 2017年6月 2日 (金) 09時17分