沢田研二 「マ・ゲイシャ・ドゥ・フランス」
from 『KENJI SAWADA』、1976
1. モナ・ムール・ジュ・ヴィアン・ドゥ・ブ・ドゥ・モンド
2. ジュリアーナ
3. スール・アヴェク・マ・ミュージック
4. ゴー・スージー・ゴー
5. 追憶
6. 時の過ぎゆくままに
7. フ・ドゥ・トワ
8. マ・ゲイシャ・ドゥ・フランス
9. いづみ
10. ラン・ウィズ・ザ・デビル
11. アテン・モワ
12. 白い部屋
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みなさま、昨日の『パリの哀愁』オリジナル版の放送はご覧になりましたか?
この映画のオリジナル版がテレビ放映されるというのは相当に貴重な機会ということで、多くの先輩方もとても楽しみにしていらしたようですね。
それにしても、相手役の女性はゴッツイですね・・・そのおかげで、先輩方がよく仰る「ガラスのジュリー」がこの映画では際立っているように思います。
放映はあと2回あります(スケジュールはこちら)から、今回見逃した方々はチェックしてくださいね!
ジュリー界の話題と言えば、あとは『大悪名』が今日で大阪公演ラストですか。
大坂在住のカミさんの友人(特にジュリーファンではない一般の方)が観に行かれたそうで、「とても面白かった」と。ジュリーの頭には驚いたみたいですが。
北千住の初日含め、参加されたみなさまの雰囲気から素晴らしい舞台であると分かります。
なかなか斬新な脚本のようで、観劇の前に全体を把握するのは勿体ないような気がしてきましたので、自分が参加する池袋公演までこれ以上のストーリーのネタバレはやめておこうと思っていますが、ジュリーの髪型についてだけは、いつもお邪魔しているブログさんなどで逐一チェックするつもりです!(笑)
さて、今日から5月末までの自由お題更新期間は、只今猛勉強中の『沢田研二の愛をもとめて』ラジオ音源からのネタを交えるスタイルで書いていこうと決めました(と言うか楽曲考察よりもむしろそちらに力が入っていたりして汗)。
75年当時のジュリーがリアルタイムで語ったあんな話、こんな話・・・もちろん先輩方にとっては既にご存知な内容ばかりでしょうけど、後追いファンの僕は目からウロコ、「今にして知った」話題ばかり。
それに今回僕が勉強しているのは、いつもお世話になっている福岡の先輩が放送当時必死にチューニングを合わせてカセットテープに録音し、長年大切に保管されていた貴重な音源です。
長いファンの先輩方も、その当時ジュリーが様々なタイムリーな話題をどんなニュアンスで、どんな言葉遣いで語っていたかまでを鮮明に覚えていらっしゃる、という方は少ないでしょう。そんな雰囲気を最大限みなさまにお伝えできるように、これから5月いっぱいまでの更新を頑張ってまいります。
ということで今日はジュリーのおフランスなアルバム『KENJI SAWADA』から、「マ・ゲイシャ・ドゥ・フランス」の楽曲考察記事とともにお届けしますよ~。
よろしくおつき合いください。
①「ゲイシャ」は世界に通用する日本語?
まずは、歌詞の話をしたいと思います。
僕はアルバムを通して聴く際にジュリーであれ好きな洋楽であれ、歌詞カードを目で追いながらじっくり味わいたいタイプなんですけど、「フランス語」の敷居の高さなのでしょうか、楽曲それ自体はともかくアルバム『KENJI SAWADA』の歌詞カードについては未だ全曲の熟読には至っていません。
これまでフランス語ナンバーを4曲記事に書いていて、その都度「あぁ、こういう歌詞だったのか」と訳詞を読みながら改めて把握してきた、という状況です。
記事執筆5曲目となる「マ・ゲイシャ・ドゥ・フランス」も今回初めてフランス語詞と訳詞を歌詞カードで確認することとなりました。
さすがフランス語・・・耳で聴いて何となくイメージしていた僕の貧弱なそれとは世界が違うものです。
いきなり冒頭から
Elle a seize ans
Cadd9
Des yeux d'ange un visage d'enfant ♪
C
ここ、「えら、せぞ~ん・・・♪」というメロディーの語感で覚えていた僕は、「セゾン」を「季節」の「セゾン」だとばかり思い込んでいました(アン・ルイスさんの「ラ・セゾン」の「セゾンですね)。
でも正しくは「seize ans」=「16」。訳詞は「あの子は16才」となっています。
うっひゃあ~、16才の「ゲイシャ」に貢ぎまくる歌ですか?とビビリましたが、読み進めていくと
Ma geisha de France ♪
G7 C
この訳詞が「ぼくのフランスの恋人」。
日本語解釈で「ゲイシャ」を「恋する人」としているわけですな。てか、ちょっと待てよ・・・元々「ゲイシャ」は日本語なんだから、それがいつの間にやら「恋人」に化けたことになる。じゃあフランス人にとって「ゲイシャ」が「モナムール」的な解釈で知られている日本語なのかって言うと、そうでもないような気がします。
下手すると「コールガール」みたいな認識があるのかもしれない・・・「マ・ゲイシャ・ドゥ・フランス」って、現地では結構過激なアダルト・ラヴソングと捉えられたかもしれないなぁ、と思ってみたり。実際の感覚がどうかは分かりませんけどね。
ただ、何故「ゲイシャ」が楽曲タイトルに組み込まれたのかは明白で、そりゃあジュリーが「日本の歌手」だったからですよね。「女性」を表す日本語の代表格ということで抜擢されたフレーズでしょう。
ひと昔前、外人さんが「あなたが知ってる日本語は?」と尋ねられてよく答に出てくるのが「スシ」「ゲイシャ」・・・僕にはそんな印象があります。70年代ならなおさらその2つは突出していたのではないかと。
とは言っても
「今夜は貴方と2人きりでスシを食べたいんだ」
って歌では間抜けですから
「君は僕のゲイシャ・ガールだよ」
と。
「モナ・ムール・ジュ・ヴィアン・ドゥ・ブ・ドゥ・モンド」の大ヒットで一躍脚光を浴びた日本のハンサムな青年歌手、ケンジ・サワダに「日本人」の特性を生かしたテーマとして「ゲイシャ」を歌った楽曲が与えられた・・・現地フランスとしては正攻法の曲作りだったと言えましょう。
その辺りもビバ70年代!もし今の時代に当時のジュリーと同じくらいの若さでフランス進出を果たした日本人男性歌手が現れたとしたら
「僕はアキバ・シティからやってきたオタク・ガイだ」
みたいな曲を歌うことになるんですかねぇ。
その点ジュリーは生まれる時を間違っていない・・・デビューからこれまで、その時代時代で真っ当に、ふさわしい曲を歌ってきているんだなぁと思うばかりです。
②楽曲全体の考察
今度は「曲」のお話。
ジュリーのいくつかのフランス語ナンバーには作曲の大きな共通点があります。
それぞれキーこそ違えどBメロ(展開部)でまったく同じ理屈の転調が登場するのです。例えばアルバム『KENJI SAWADA』収録曲で言うと、「モナ・ムール・ジュ・ヴィアン・ドゥ・ブ・ドゥ・モンド」「ジュリアーナ」「スール・アヴェク・マ・ミュージック」「フ・ドゥ・トワ」「マ・ゲイシャ・ドゥ・フランス」の5曲。これらの曲をすべて調号なしのハ長調(今日のお題曲「マ・ゲイシャ・ドゥ・フランス」のキーです)で揃えて移調表記すると、Bメロでは必ず「ミ」「シ」「ラ」3つの音に♭がつく調号へと転調します。
数がさほど多くないジュリーのフランス語ナンバーの中でこれだけの曲例があるからには、偶然とは考えられません。かと言ってこの進行が特に「シャンソンの王道パターン」というわけでもない。つまり、ジュリーのフランスでの「適性を狙って」作曲されていると思うのですよ。
これはやっぱり、「モナ・ムール・ジュ・ヴィアン・ドゥ・ブ・ドゥ・モンド」の大ヒットが現地フランスのスタッフにとって想定以上と言うか強烈なインパクトがあり、「よ~し、徹底的にこの路線で!」と上層部(フランス・ポリドールの偉い人)から指示が飛んだのではないかなぁ、と。
また、フランスでのセカンド・シングル「アテン・モワ」にはこの転調こそ登場しませんが、曲調としては「モナ・ムール・ジュ・ヴィアン・ドゥ・ブ・ドゥ・モンド」を受けていますよね?
「許されない愛」でソロ・デビュー後初のヒットをカッ飛ばしたジュリーに、その後「よく似た」テーマであったり曲調を擁する「あなただけでいい」「死んでもいい」が提供されたのとよく似たムーヴメントが、海の向こうのフランスでも起こっていた・・・そう考えるとなんとも痛快ではありませんか。
さて、そんな曲達の中「マ・ゲイシャ・ドゥ・フランス」はなかなかの変り種。バラードとまでは言えませんし、「ジュリアーナ」のようなノリノリの曲調でもありません。
テンポ自体はスローですけど、この曲は何と言ってもドラムスの渋さね!
特に難しいテクニックを駆使しているわけではないんですけど、ハイハットがエイトではなく16を刻むのでテンポが倍速に聴こえます。その効果で曲がちょっと愉快でお洒落な、グッと気どった雰囲気に・・・もしかするとジュリーのフランス語ナンバーの中で、僕ら日本人が「シャンソン」に抱いているイメージに一番近いアレンジの曲は「マ・ゲイシャ・ドゥ・フランス」なんじゃないかな?
バンド・サウンドの伴奏にストリングスと女性コーラスで味つけするトラック割りについてはこの曲も他曲と変わらず。『沢田研二の愛をもとめて』を参考にすると、どうやらジュリーの歌入れ作業はバンドのリズム録り(ドラムス、ベース、ギター)の後。歌を録ってからストリングス、コーラスを重ねるという順序だったようです。
ちなみにセカンド・シングル「アテン・モワ」以降の曲は、その作業過程でジュリーの歌だけ日本でレコーディングしていたのだとか。
「マ・ゲイシャ・ドゥ・フランス」の場合は「歌い上げる」感じではなくどこか飄々と歌っているトラックを、現地でダブルトラック処理したっぽいですね。
ヴォーカルで僕が好きな一番箇所は、Aメロ最後の「フランセ~♪」ですね。
これまで何度か書いたように僕は大学で2年間だけフランス語をかじっているんですけど、とにかく「R」の発音が難しくてね・・・。とうとうマスターできませんでした。
「R」が出てくる単語「フランス」は、正しく発音すると「フハンス」みたいなニュアンスにもなります。「吐息を抜く」ことにかけては天性の才を持つジュリーの「フランセ~♪」(フハンセ~♪)では、そんな「R」の微妙なニュアンスにすごく気を遣っているのが分かると同時に、「語尾の「セ~♪」でパ~ッと解放されるような感覚があって素敵なんですよね~。
さて、ここで例によって拙ブログお得意の大胆な推測(時によっては単なる邪推)を。
この曲のヴォーカルは不思議なことに、最初から最後までダブル・トラックではないんですよ。いえ、途中でシングルになる、のではありません。何と曲中でほんの一瞬だけ「トリプル」になるんです。
1番の0’47”~0’49”あたり。
何故「いきなり」なタイミングで第3のヴォーカルが出現することになったのでしょうか。
そこで僕の大胆な推測とは
ここ、ジュリーとは別の人が歌い重ねてませんか?
という。
う~ん、さすがにみなさまの同意は得られませんか。やっぱり僕の耳がおかしいのかな?
万一僕の推測が当たっているとして考えられるのは、この箇所だけジュリーのフランス語の発音が甘く、厳しい厳しいフランス・ポリドールのピエールさん(この人は次のチャプターで登場します)の指示のもと、ネイティヴな発音のヴォーカルを現地スタッフの誰かに歌わせて一瞬だけ新たに挿し込んだのではないか、と。
70年代のレコーディング・スタイルであればあり得る手法だと思うのですが、果たして真相は・・・?
③『愛をもとめて』より フランスの話(第1弾)
今日は「マ・ゲイシャ・ドゥ・フランス」のお題にあやかりまして、ジュリーが語る「フランスのご報告」編を。
『沢田研二の愛をもとめて』では複数回にわたりフランスの話題が出てきますが、これはその第1弾。「曲をレコーディングして帰ってきたばかり」というタイミング(!)でジュリーが語る現地での奮闘話です。
ロンドンからパリへと渡り、フランス・ポリドールの若いプロデューサー、ミッシェルさんに発音指導からつき合って貰って、4曲を録り終え再びロンドンに戻ってきたジュリー。苦労しながらどうにかこうにか、という感じで録ったけど、「これでパリの仕事も終わった~」と思っていたら、フランスから電話がかかってきたんですって。
ミッシェルの上司の人がね、「これじゃダメだ」と言ってる、と。
(発音を聞き取って、歌っている言葉の)意味は分からなくもない。でもこれじゃあ作品として恥ずかしい。このままレコードを出すのは不可能である、ということでね。せっかく(ヨーロッパに)来たんだし、もう一度やってくれないかと。
ジュリーは、「こっちとしても乗りかかった船だし、トコトンやろう!」と再度フランスに。
そこでミッシェルの上司であるピエールさんと共に、みっちり発音の練習からやり直し。それと共に企画も再検討され話し合われたのが
いきなり4曲、なんてやり方がダメなんだ。2曲に絞ろう!
なるほど、その2曲がフランスのファースト・シングルになるんですね・・・。
って、ジュリーがそこで話すには
1曲は「モナ・ムール・ジュ・ヴィアン・ドゥ・ブ・ドゥモンド」、もう1曲は英語の曲で「ホニャララ」
とのことなんですが、僕にはその英語曲のタイトルが聞き取れないんですよ~(ちょうど受信感度が下がったりして・・・でも知ってる曲ならなんとなくはタイトルも分かるはずですから、フランスのファースト・シングルB面はもしかして僕のまったく知らない曲なのかなぁ?先輩方、ご伝授お願いします)。
ピエ-ルさん曰く「練習してみて、どうしてもダメだったらそのまま日本に帰りなさい」とのことだったそうで、「厳しいですよね~」とジュリー。
でもそこはね、スーパースターにして天賦の才と努力根性を併せ持つ日本男児・ジュリーなわけですよ。みっちりやっていたら、いつしかピエールさんも「やればできるじゃないか!」と。
そのままレコーディングにも最後までつき合ってくれたピエールさんは
素晴らしいものができた。
こっちで日本人がレコードを出すというのは初めてのこと。我々としても成功させたいし、成功するであろう。
とまで言ってくれたんですって。
お世辞も入ってるのかもしれないけど、現地でも会社をあげて色々とやってくれると言っていたし、とても喜んでいます
これはリアルタイムでラジオを聞いているファンにとっては嬉しい報告だったでしょうね~。
後追いファンの僕がしみじみ感じるのは、これまだフランスで曲がヒットする前の放送で、「どうなるか分からない。でももしかしたらもしかするかも」という期待感がジュリーの声から滲み出ているという・・・本当に貴重な40年以上前の雰囲気を今こうして実感しながら音源を聞けているなぁ、と。
たぶん「モナ・ムール・ジュ・ヴィアン・ドゥ・ブ・ドゥ・モンド」というスローな曲の方がA面になると思いますが、2曲とも僕が日本人である、ということを前提として作られた歌詞なんです。
どういう内容かと言うと
「私は遠い国からやってきました。私はパリのことを知りません。だからあなたと一緒にパリの道とか、夜景とか、ラ・セーヌとか、青い空とかを見て歩きたい」
とかなんとかかんとか言って、最後の方には
「私はパリが気に入った。あなたもいるし」というような内容でね。「私はもう自分の国へは帰らない。今、私の人生はここから始まる」ってなようなね!
ジュリーの話し方が、LIVEのMCでメチャクチャ楽しそうに、お客さんに語りかける感じであれやこれやと話している時の、あのジュリーのテンションなんですよ。
「パリにどっぷり、という感じ」とちょっと照れくささそうにしながらも
でも「本当にイイ!」って(ピエールに)言われたんだから!
と、現地での今後の反応、セールスに漠然とした期待を寄せてのことか、『愛をもとめて』の他の回と比べてもいつになくウキウキ感溢れるジュリーなのでした。
僕としては何から何まで初めて知るエピソードでしたし、この回の『愛をもとめて』は若き日のジュリーの本質が見えると言うか、本当に良い話だなぁと思いました。
周りにお膳立てされて、そこに乗っかっているだけのアイドルならこうは行かないでしょ?
最大限の自己努力を惜しまない、やるからにはトコトンやる、という「普通の人」以上に普通にして類稀なる「努力」の資質と、周囲に大きな期待を抱かせ「もっと、もっと」と高みを求められる原石の輝きを、ジュリーは兼ね備えていたわけです。
そんなジュリーの適性を信じプリプロまでこぎつけたミッシェルさん、「この歌手はまだまだ良くなるはずだ」と、妥協無きプロフェッショナルな姿勢と眼力を見せたピエールさんという2人のフランス人スタッフの人柄やジュリーとの関わり方も、ジュリーが真っ正直に見たまま思ったままを話してくれているから、なおさら素敵に思えます。
その結果が「大ヒット!」と相成るわけで・・・加瀬さんもそうだし、このフランス・プロモートに関わったすべての人達が皆素晴らしい!としか言えませんね。
で、番組の最後にジュリーが「現地から持ち帰りホヤホヤ」の「モナ・ムール・ジュ・ヴィアン・ドゥ・ブ・ドゥ・モンド」の音源をかけてくれたのですが・・・これが、ネイキッド・ヴァージョンなんですよ!
つまり、最後の仕上げをして正規リリースされるより前の、ジュリーが歌入れしてピエールさんのOKが出た段階での仮ミックスだと思われます。女声コーラスもストリングスもまだ入っていません。ただ、ストリングスの代わりにヴァイオリンが1本鳴っているというね(仕上げの試しトラックをミックスしたのかな?)。
正規のヴァージョンは穏やかで華麗な印象ですが、こちらはベースの音量が強くて、ビートが強く押し出されてくる感触。ジュリーのヴォーカルは当然正規のものと同じテイクながら、受ける感じは全然違いました。
全体としては確かに正規音源の方が「ヒット性」は高いですけど、このヴァージョンはジュリーファンなら誰しもがグッとくるはず。先輩方はこの時の音源を覚えていらっしゃるのかなぁ?
でも先輩方は楽曲自体をこのラジオで初めて聴いたわけですから、後々の正規ヴァージョンとの違いなんて気づきようがなかったですかね・・・。
『沢田研二の愛をもとめて』ではこの回以外に、「モナ・ムール・・・」のヒットを受けて再び渡仏したら今度は現地での待遇が全然違った、という話や、セカンド・シングル「アテン・モワ」にまつわる話が(僕が現時点で聞けている限りでは)あります。
いつになるかは分かりませんが、またいずれの機会に『愛をもとめて』から「フランスの話・第2弾、第3弾」も書いていきたいと思っています。乞ご期待!
それでは、オマケです!
今日は、ちょっと前に「片腕の賭博師」の記事で添付しました、Mママ様からお借りしている資料『沢田研二/映画・パリの哀愁』の続きでございます。
そうそう、「片腕の賭博師」と言えば、『愛をもとめて』では『悪魔のようなあいつ』の話も数回聞けているんですけど、その中でジュリーが荒木一郎さんの演技を絶賛している回がありました。「片腕の賭博師」の考察記事で作詞の荒木さんのことを書いたすぐ後に本格的に『愛をもとめて』の勉強に乗り出して、「うわ、これ聞いてから書けば良かった!」と思いましたよ~。
まぁそれを言うなら、ずいぶん前に記事を書き終えてしまっている「モナ・ムール・ジュ・ヴィアン・ドゥ・ブ・ドゥ・モンド」や「アテン・モワ」の2曲は特に今そんな思いが強いですけどね・・・。
おっと話が逸れました。それではどうぞ~。
では次回更新ですが・・・。
実は昨夜はカミさんと『あさいち』のLIVE(水道橋『la cucina VIVACE』さん)に行ってきまして。
『あさいち』・・・ご存知のジュリーファンの方も多いかと思いますが、「あさ」は浅野孝巳さん(ゴダイゴのギタリスト。『Rock'n Tour '75』に参加された先輩方にとっては懐かしいお名前なのでは?)で、「いち」は依知川さん。このお2人によるアコースティック・デュオです(曲によっては浅野さんがエレキに持ち替えます)。
LIVE前の食事含めとても楽しい時間を過ごすことができました。次回はその感想なども交えつつ、依知川さん作曲のジュリー・ナンバーをお題に考えています。
もちろん、『愛をもとめて』関連のネタも強引に(笑)。
どうぞお楽しみに~!
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コメント
「パリの哀愁」
むか~し、日本テレビかな?休日の昼間にやっておりましたよ、放映してました。私の大好きな浅野真弓さん(この女優さんも当時はジュリーと同じ渡辺プロの所属でした)が可哀想な役柄だった記憶が・・・(笑)。
DYNAMITE様、久しぶりに悪戯で書いてみました。元気にしてますよ。ずっと読んでます。
このアルバムはちょっと前に神田神保町の富士レコード(古書センタービルの9階にあります)で他のジュリーのアルバムと一緒に購入してます。
浅野真弓さんは昔、今は亡き広川太一郎さんと「ビデオジョッキー」なる番組をテレビ東京でやってて、「魅せられた夜」を歌うジュリーの映像の時に「ジュリー」って言ってはしゃいで?ましたよ。
「魅せられた夜」のシングルは私が関東に出た昭和54年頃はまだ新品でレコード店に並んでいて買いましたですよ~。
投稿: 秀和 | 2017年5月14日 (日) 20時48分
秀和様
ありがとうございます!
神保町の古書センタービルは僕もよく行きますよ!
そうですか~、ジュリーのアルバム売ってるんですね。
『パリの哀愁』は以前テレビで放映された時は「完全版」ではなかったとのことで(僕などはそれがどの程度不完全であったのか分からないのですが)、今回の放映はその意味でとても貴重みたいです。
浅野真弓さんについては詳しくありませんが、大好きな刑事ドラマ『特捜最前線』に時々出演されていてお名前を覚えたものです。ナベプロさんだったんですね・・・。
投稿: DYNAMITE | 2017年5月14日 (日) 21時54分
DY様 こんばんは
フランス語の発音を徹底的に直された話は、何度か聞きました。大変だったと思いますが、当時を忍んでフランスへ旅した番組も出来ましたし、いいアルバムを作ってくれたと思っています。フランスの香りがしてくるアレンジは好みです。
アルバム全体を通すと「白い部屋」が圧巻、ベースギターと一緒になって唸ってしまいます。エンディングでのドラムスが、ドカドカと大きくなる箇所があることに気づきました。面白い、日本人凄いぞ!と、ひとり悦に入ってます。
ボーカルがトリプルになる箇所ですが確かにそうですね。ジュリーではないです。少し太目の声が聞こえました。ハモりなら違和感なかったでしょうが、変わっています。
シングル第一弾のB面曲は「FUGITIVE KIND」ですよ。「巴里にひとり」が同じジャケット写真。
1980年代に新宿アルタビルにあったレコード屋に入ったことがあります。そこに渡辺プロ友の会コーナーがあったと記憶しています。見慣れないレコードやアイドルグッズを見かけ、「ロックンロール・チャイルド」外国版シングルを買いました。もっと熱心に通えばお宝があったかも知れませんが、田舎者にはまだ敷居が高過ぎました「勝手にしやがれ」英語版があればなあとあがいたものです。
投稿: BAT | 2017年5月15日 (月) 01時25分
DYNAMITEさん
お久しぶりです。
『パリの哀愁』CSでやってましたが、明るい土曜の朝、落ち着いて見られるはずもなく、録画したのを当時映画館に行ったことを想い出しながら、ゆっくり見るつもりです。
ところで、浅野真弓さんは、亡くなった柳ジョージさんの奥様で
本名の島田淳子でNHK少年ドラマシリーズ第1作『タイム•トラベラー(原作 筒井康隆 時をかける少女)』の芳山和子役で出演。
ドラマの写真入りの本も購入し、毎週楽しみに見ていたので、パリの哀愁では、PYGの大口広司くん共々、思い入れがありました。
愛を求めて の話はまた長くなりそうなので、私も資料を紐解いてみます。
投稿: くれーぷ | 2017年5月15日 (月) 02時39分
BAT様
ありがとうございます!
そう、B面は「FUGITIVE KIND」だったそうですね。
記事執筆後に先輩からメールを頂いたり、ジュリーのリリース・ディスコグラフィーのサイト様を教えて頂いたりして「そうだったのか~」と。
ただ僕はまだ音源として聴いたことがありませんので、日本盤と同じヴァージョンなのか、新たなヴァージョンなのかは把握していません。情報によると「ウッ!ハッ!」が入っているようですので、イギリス盤とは異なるのでしょうが・・・。
アルタビルにレコード店があったのですか~。
僕が上京した頃にはもう無かったように思いますが、羨ましいお話です。
そういえば僕は未だ「ロックンロール・チャイルド」をキチンと聴けていないのですよ・・・。ジュリー道、まだまだ先は長そうです。
☆
慌しくてすみません。一度お返事切ります。
投稿: DYNAMITE | 2017年5月16日 (火) 10時40分
くれーぷ様
ありがとうございます!
確かにあの映画を土曜の午前中に観るというのは(笑)。
くれーぷ様はリアルタイムで映画館でご覧になりましたか。
全国各地で花盛りのジュリーファンのお姉さん達が同じように観にいかれたのでしょうね~。
浅野さん、柳さんお奥様でしたか。まったく初めて知りました(恥)。
NHK少年ドラマシリーズ・・・分かりません(笑)。『時をかける少女』なんてやっていたのですね。
『愛をもとめて』当時のお話、次回お会いした際には是非!
ちなみに僕ら夫婦は無事NHKホール初日に当選したっぽいですが、今回はチーム長崎のみなさまは遠征なさるのでしょうか?
投稿: DYNAMITE | 2017年5月16日 (火) 12時45分
DY様 こんばんは。
まず、この作詞した人、「ゲイシャ」をどうイメージしているんだろう?と。
「芸は売っても身は売るな」がその世界の女性の矜持で、歌手や役者と同じように自分の才覚をもって客を現実の引力から解放する「おもてなし」のプロフェッショナル、とちゃんと認識してるなら、スゴイと思うけど・・・。
でもそれなら恋人、というのとは違うし。
フランス語わからんし。
個室に芸者さん呼ぶような高い店行ったことないし、で、もんもんしちゃってました。(笑)
で、舞妓さんも芸妓さんも身近にいる場所で育ったジュリーはどんなイメージで歌ったのかなぁ、なんて想像してみたり、でした。
昨日益子町の陶芸館に行ってきたんですが、何かどっかで見たようなポスターがあるなぁ?
とまじまじ見たら「大悪名」のポスターが。
(なんでこんなとこに?)
よく見たら5月20日栃木でもやるんでしたね。
投稿: nekomodoki | 2017年5月17日 (水) 23時56分
nekomodoki様
ありがとうございます!
まぁ作詞は「日本人が歌っている」がコンセプトとして提示されていたので、それで「ゲイシャ」を採り入れたのだと思いますが・・・さてどういうイメージだったのでしょうか。なんたって「16才」ですからね・・・。
そうそう、ジュリーは京都・・・舞妓さんの街で育っているんですよね。
『愛をもとめて』を聞いていると、少年時代を過ごした京都の話がたくさん出てきます。今のところ舞妓さんの話題は出てきていませんが・・・きっとジュリーには何かしらの「故郷の情景」として、舞妓さんを見かけた街角の思い出もあるのでしょう。
投稿: DYNAMITE | 2017年5月18日 (木) 09時08分
DY様
こんにちは。今週はダービーウイークですね。ルメールやデムーロにばかりいいとこ持っていかれてないで日本人騎手しっかりしてほしいです。私の◎は福永・カデナですがどうなりますやら。
「パリの哀愁」、学生の頃テレビでも見ましたが何年か前、大阪のシネ・ヌーヴォという映画館で「沢田研二映画特集」なるものがあり、その時にも見ることが出来ました。廊下には当時のポスターや雑誌の切り抜き?やら展示してありました。相手役のオージュ(でしたっけ?)を背負って砂丘を歩くシーン、彼女の身体が大きすぎて大変だったエピソードがおもしろかったです。
さて、お題曲、「トリプルヴォーカル」のところ、伝授拝読するまでまるで気が付きませんでした。あまり聴き込んでいない曲ということになるのでしょうか。アルバム自体、フランス語の新曲7曲がそもそもさほど私の好みではなかったというか、海外録音でも『愛の逃亡者』はなかなか良かったのに、ロック色ほぼゼロだな~と当時思ったものでした(またしてもえらそうにすみません)。
同じフランス語曲でも『ROCK'N ROLL CHILD』収録の曲は割と好きです。「JULIE LOVE」とかなかなかの名曲揃い、CD化はされないんでしょうか。
投稿: ねこ仮面 | 2017年5月22日 (月) 13時00分
ねこ仮面様
ありがとうございます!
おぉ、シネ・ヌーヴォさん行かれましたか。僕も2010年にグランキューブに遠征した際、タイガースを観ましたよ。
『パリの哀愁』の上映があったんでしたっけ?2011年の時かな・・・自宅にチラシがあるので後で調べます~。
ジュリーのフレンチポップス、とても良いと思いますけどね・・・確かに「ロック」とは違う気もしますが、ヴォーカル・テイクはジュリーのキャリアでも重要な作品群ではないかと。
『ROCK'N ROLL CHILD』、実はアルバムを通して聴けた(というか収録曲を把握した)のがつい一昨日のことです。もちろん正規の形で持ってはおりませんので、なんとか再発CD化はして欲しいですねぇ・・・。
ダービーのご健闘、お祈りしていますよ~(笑)。
投稿: DYNAMITE | 2017年5月23日 (火) 09時02分
DY様 こんにちは
アルバム『Rock'n'Roll Child』が聴けましたか、素晴らしい。貴重な音源ですよね。私は意外と早く、ほぼリアルタイムで手に入れたと思います。小さなお店で偶然見つけました。ラックの位置や見つけた瞬間を今もなお鮮明に覚えています。
当時、TV「ミュージック・フェア」でシャンソン歌手・岸洋子さんと「BELLE DAME,DOUCE DAME」をデュエットしたことがありました。二人の甘い歌声がとても印象に残りました。その曲が、まさかのまさか、オリジナルアルバムに収録されているではありませんか。
私のお気に入りフランス語曲です。
因みに、「恋する年頃」という邦題曲っておわかりになりますか?
五枚組LP『沢田研二大全集』にも、フランス語曲、英語曲が収録されています。こちらは歌詞カードつきですので、是非、手にして下さい。
投稿: BAT | 2017年5月23日 (火) 15時03分
BAT様
ありがとうございます!
『沢田研二大全集』、邦題含め収録リスト、歌詞カードを先輩に見せて頂いていますよ~。ワクワクする構成、ラインナップですね。
本でもレコードでも、心から探し求めていた作品をお店で見つけた瞬間の記憶って、その時の自分の目で見た景色とセットで残っているものですよね。僕にも覚えがあります。
僕は大学時代に高田馬場近辺をウロウロすることが多かったですが、今思えば当時あの街は中古レコード屋も多くあって、僕はその頃洋楽コーナーばかり漁っていましたが、ジュリーのレコードもふと見かけたりしていたんですよ。
もしかしたら『Rock'n'Roll Child』のようなお宝が眠っていたかも、と思うと、勿体なかったなぁと今さらのように悔いています。
投稿: DYNAMITE | 2017年5月23日 (火) 21時30分