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2017年5月28日 (日)

沢田研二 「我が心のラ・セーヌ」

from『忘却の天才』、2002

Boukyaku

1. 忘却の天才
2. 1989
3. 砂丘でダイヤ
4. Espresso Capuccino
5. 糸車のレチタティーボ
6. 感じすぎビンビン
7. 不死鳥の調べ
8. 一枚の写真
9. 我が心のラ・セーヌ
10. 終わりの始まり
11. つづくシアワセ

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『大悪名』、どんどん進んでいきますね~。
僕は一応ストーリーを知らない状態で池袋公演に参加しようと思っていますが、ジュリーの様子も気になるし・・・各所チラ見チラ見で過ごしております。

毎日暑いですな~。関東だけ?
さぁ、拙ブログでは引き続き”『愛をもとめて』のジュリーの話から関連したお題を探す”シリーズ・・・今日はジュリーのフランスの話・第2弾です。
あやかったお題は作詞・作曲ともにジュリーのペンによるナンバーで、アルバム『忘却の天才』から「我が心のラ・セーヌ」。
枕もそこそこに、伝授です!


①エレキ大好きなジュリーがアコギ好きにシフト?

ジュリーはやっぱりこの曲に自分なりの「シャンソン」魂を吹き込んで作ったと思います。
素直なメロディー、素直な進行。
耳馴染みの良い穏やかな曲調に、「以前どこかで聴いたような気がする」と、リアルタイムでアルバムを購入した先輩方も思ったのではないでしょうか。
みなさまが真っ先に思い浮かべたのは、あまりに有名なこの曲だったかな?

ところが、白井さんのアレンジの仕上がりはあっと驚く(ジュリー自身も?)トラディショナルな雰囲気のパワー・ポップとなりました。
ギンギンのハード・ギター・アルバムである『忘却の天才』に完全なアコースティック・アレンジのこの曲が入っているというのは重要なポイントでしょう。何故なら翌2003年、突如ジュリーLIVEに「アコースティック・コーナー」が登場するからです。
お正月の『LOVE & PEACE』ツアーは、過去の様々なナンバーが「えっ、この曲でエレキ使わないの?」という斬新なアレンジに変身・・・リアルタイムで観た先輩方はビックリされたでしょうね。
これ、「我が心のラ・セーヌ」のアレンジ・アプローチを気に入ったジュリーが、キーボードレス(当時はそうでしたね)のステージに柔らかな「変化」を求めたアイデアだったと考えてみるのはどうでしょう。
キーボードが無い以上、ギター・サウンドの枠内でアレンジに明確な変化をつけようとするならアコギ重視の選択肢は当然と言えば当然。とは言えオリジナルのアレンジをあそこまで大胆に変えてくるとはさすがの先輩方でも予想できなかったのでは?

ただし、「アコギ・サウンド=ロック色の薄さ」とは(ジュリーに限らずそうですが)言えません。
後追いファンの僕はその点を踏まえて「我が心のラ・セーヌ」を聴き、「うん、ギターがアコギしか使っていなくたって、この穏やかなメロディーの曲がこんなにもロックするじゃないか!」と改めて考えるのです。
次のチャプターでは、ジュリーとしてはシンプルなコード進行の曲を白井さんがいかに装飾したか、ということも含めて曲の細部を分析していくことにしましょう。

②楽曲全体の考察

僕はジュリーがこの曲の原型を作曲したというテレビ番組『フランス・僕のなかにもセーヌが流れる』を観たことがありません。今回その点で楽曲考察が片手落ちとなりますが、いずれ勉強の機会はあるでしょう。
ジュリーが番組の中で披露してくれたと聞く「我が心のラ・セーヌ」は、当然ながら元々即興性の高い曲だったということになりますね。
「自然に口ずさむ」スタイルで作曲したであろうジュリー、おそらくアルバムに向けて後に全体を完成させた際にも、使用したコードは「E」「A」「B7」(ホ長調のスリー・コード)と、サビ最後に登場する「C7」、この4つのみであったと考えられます。

僕はこれまでいくつかのジュリー作曲作品について、かつて堯之さんが語った「沢田は普通では考えられないコード進行の曲を作る」との言葉を引用し、記事中でその斬新さ、自由さ、独創性に触れてきました。
しかし面白いことにジュリーは2001年から2003年の時期に集中して、多くの曲でシンプルで素直な進行を採り入れます。「AZAYAKANI」「糸車のレチタティーボ」「明日は晴れる」・・・そして「我が心のラ・セーヌ」。
いずれもジュリーが作詞も併せて担っていることを考えると、この時期に「内なるメッセージの開放」を明確に創作コンセプトとしたジュリーの新たな姿勢と、そのメロディー作りとは無関係ではないでしょう。
ジュリーが提示したのは、牧歌的、いやそれ以上に「平和的」なメロディーなのだと思います。

誰が知るだろう あのせせらぎたち
E                                           A

三つの源流  Ma Belle C'est
ça La Saine ♪
A            E     B7                         E

ちなみに「Ma Belle」は僕が12才の時に初めて覚えたフランス語だったりします。(ビートルズの「ミッシェル」で)。日本語に訳すとニュアンスが崩れちゃうんですが、ジュリーはこの部分を、「川」を擬人化する感じで歌っていると思います。
いずれにしても、25年の歳月を経てフランスを旅したジュリーに、かつて「モナ・ムール・ジュ・ヴィアン・ドゥ・ブ・ドゥ・モンド」を苦労して録音し大ヒットさせた当時の様々な記憶が甦ったであろうことは想像に難くなく、加瀬さんと道中を共にしたことなども思い出していたのではないでしょうか。
「我が心のラ・セーヌ」のメロディー、コード進行は長年の歌人生の中でジュリーの血肉となっていた要素がそのまま素直に反映されたかのような朴訥さが魅力ですが、曲中唯一の「フェイク」部とも言えるサビ部「C7」の採用に、加瀬さんに関連する不思議な符号を見出すことができます。

(ジュリー)
25 年 ♪
C7   B7

(加瀬さん)
いつまでも ♪
C7         B7

そう、「我が心のラ・セーヌ」でジュリーは、かつて加瀬さんが(まだこの進行に日本で馴染みが無かった時代に)「想い出の渚」のサビで採用した「C7→B7」の半音移動をまったく同じように踏襲しているのです。
2曲ともに朴訥なポップ・チューン。全体的にはジュリーの方が硬派(加瀬さんの「想い出の渚」とは違い、歌メロにマイナー・コードが登場しません)ですけど。

さて白井さんのアレンジですが、ジュリーが作曲した「歌メロ」の部分についてはコードまで変えることはしていないと思います。
対して伴奏部、或いはヴォーカルの隙間隙間は「これでもか!」というくらいいじり倒していますね~。
例えばこの曲、Aメロの1回し目と2回し目の間にパッと雰囲気を一変するお洒落な伴奏部が挿し込まれています。コードは「Am7→Gmaj7→C#m7-5→B7」。
進行自体は、ジュリーとはまた違った白井さん流の「シャンソン」的解釈と見ましたが、それを曲のキーであるホ長調そのままではなく突然転調させてト長調のスケールでやる、というのがね・・・なんとも白井さんらしいと言うか、ロックなんですよ。

白井さんのロック色についてはイントロはじめ頻繁に登場するアコギのカッティング・リフにも同じことが言えて、進行は「E→F#→G→C→B」。
もしかするとみなさまの中にはリズムの切り方、音の響きなどから2012年の「3月8日の雲」との共通点をお考えの先輩方がいらっしゃるかもしれません。でもこれ実は全然違う進行で。
「3月8日の雲」の方は他ジュリー・ナンバーで言うと「悲しき船乗り」とか「希望
」でも採り入れられているポップ・ロックの王道パターン(ホ長調で表記すると「E」の次に素直に「G」が来る)。「我が心のラ・セーヌ」での「E→F#→G→C→B」なんて進行、僕はこの曲以外知りません。ジュリー作曲作品とは言えこれは正に白井さんオリジナル。ヤンチャでロックなアレンジなのです。
かつて白井さんが「凡庸がいいな」のエレキ・サウンドで試したアレンジ手管をアコギに転換させたらこうなったのでは、と僕は密かに睨んでいるのですが・・・。

ジュリーの詞は、やはりかつてのフランス進出を含めたそれまでのジュリーの歌人生を振り返って、という気持ちで聴くとグッときます。ですから、ずっとジュリーから離れずに歩いてこられた先輩方がリアルタイムで聴いた時のインパクト、感動は大きかったんじゃないかなぁと想像します。
おそらくみなさまが特に惹かれているのは、1番、2番ともサビのこの部分ではないですか?

(1番)
忘れられる想い出がいいな
             A                   E

悲しいこと うれしいこと ♪
            B7               E    E7

(2番)
変わってゆく 視線の高さが
               A                  E

嫌なことも 好きなことも ♪
            B7               E    E7

今僕が勉強している『愛をもとめて』でも強く感じられる、本当に飾らない言葉。藤公之介さんのお言葉を借りれば(ビビアン様、教えてくださりありがとうございます!)「ある時は告白的に、ある時はグチっぽく、自分の心を隠さずに語ってくれる」ジュリーがそのまま表れたような歌詞です。
独白の色合いが強いぶん、ファンなら絶対に共感できるという特別な名篇。音的には徹底してハードなコンセプト・アルバム『忘却の天才』で、収録曲中ただひとつの純粋なアコギ・サウンド。その1曲にジュリーのこの名篇、歌詞が載っているというのがね・・・白井さんのアレンジは大成功だったのではないでしょうか。

後追いファン、しかも『ジュリー祭り』後に未聴のアルバムを一気に購入したせいもあったでしょう・・・僕はそんな「大人買い」の作品の中で最初期に聴いたアルバム『忘却の天才』を一発で気に入ったけど、「我が心のラ・セーヌ」という楽曲自体にはさほど心を動かされなかったんです。
今思えばそれも止む無し。ジュリーのことを深く知らずして理解できる曲ではありませんからね。
僕がこの曲を好きになったのは、ツアーDVDを観た時でした。「おっ、今まで気がついていなかったけど、なんかイイ!」と。その「なんかイイ」の「なんか」が何だったのか・・・僕はこの10年で少しずつ会得してきたわけです。
それにしたってまだまだこれから!ですけどね。

『愛をもとめて』でジュリーのフランス話を聞いて、今さらに「我が心のラ・セーヌ」の詞が沁みてきます。

変わらぬのは 見えぬ未来
                A                 E

流れてゆく  Ma Belle C'est
ça La Saine ♪
             B7  C7                          B7

セーヌの川の流れに、時の流れを重ねて見るジュリー。今よりずっとずっと昔から、ジュリーは時代時代を旅する吟遊詩人だったんですね・・・。

③『愛をもとめて』より フランスの話(第2弾)

さて今日はですね、もし可能であればみなさまにはちょっとここで読むのを中断して頂きまして、お手持ちであろう『夜のヒットスタジオ』DVDのdisc-1の2曲目「巴里にひとり」の映像をご鑑賞くださいませ。

・・・よろしゅうございますか?

実は今日の『愛をもとめて』コーナーはズバリ、『夜ヒット』でジュリーがあの”発音に厳しい”ピエールさんから手渡しでフランス・ポリドールのゴールデン・ディスク賞のトロフィーを受け取った、正にその日に放送(収録?)されたお話なのです。
これは只今猛勉強中の『愛をもとめて』幾多の放送回の中で、ヒヨッコ後追いファンの僕が日付特定できる数少ない回なのですよ~(75年5月5日)。

ということで、4月14日~18日の渡仏の報告、ならびに「今日頂いたばかり」というゴールデン・ディスク受賞の喜び(←本当に嬉しそう)を語るジュリーです。


1月に「モナ・ムール・ジュ・ヴィアン・ドゥ・ブ・ドゥ・モンド」という曲のプロモートのために1度行ってるんですが、(その後に曲が)どういうわけか大ヒットしまして・・・。

う~ん、この時点でのジュリー渡仏の回数が僕には微妙に分からないなぁ。レコーディングとは別にあと1回行ってたってこと?
そのあたり、まだ把握しきれていません・・・。
喋っているジュリーがね、特に「どういうわけか」と話す時の声の抑揚が、今でも時々LIVEのMCでちょっと照れ隠しのようにおどけながら自画自賛みたいな話をしてくれる、あの感じのトーンなんですよね。そういう時のジュリーの声、変わってないです!


花のフランスで大ヒットしまして、予定にはなかったんですが(向こうから)「是非来てくれ」と。3日間でもいいから来てくれと言われまして、「じゃあ行ってやろうじゃないの!」(←ここもおどけた感じの声のトーン)とそんな感じになりましてですね~。
やっぱり1月に行った時とはだいぶ、扱いと言うか待遇と言うか、それも大変よいものでございまして・・・。
なにしろ今ヒット中の曲を歌っている、そしてまたはるばるジャポンから来たケンジ・サワダということでですね、大変テレビの出番も良かったし、ラジオなんかも出て、それもインタビューの時間が、前なんか「ヘラヘラヘラヘラ~」っとやられたんですけどね、今度はじっくりとやって貰えたりとか、色々ありました。


そうかぁ・・・今回はあの厳しい厳しいピエールさんも「OH~、ケンジ、やったな!よく来てくれた!」と再会のハグとかしてきたのかなぁ、なんて妄想します。
いえね、先日「マ・ゲイシャ・ドゥ・フランス」の記事を書きながら思っていたんですよ。やっぱりフランスの成功ってピエールさんのような現地スタッフの厳しさ、判断力、眼力があっての結果だったと思うんですよね。ジュリーもそれに対して「望むところ」と頑張った、その充実感も結果以前に確かにあったのでしょうし。

『愛をもとめて』では「ロンドンの報告」の回もありますが(いずれの機会に書きます)、ジュリーの話すテンションが「パリの報告」とは全然違うんです。まだロンドン、パリいずれも結果が分からない時期の放送なんだけど、ジュリーの「手ごたえ」からセールスの予想がついちゃうと言うか・・・。
一気にアルバムぶんの曲数を録ったロンドンと、曲を絞って集中して取り組んだパリとでは単純に比較できないかもしれないけど、現地スタッフの熱意、東洋の若い歌手の「作品」創りに向かう姿勢の違いがそのまま結果に表れた、という面もあると思うなぁ。

「モナ・ムール・ジュ・ヴィアン・ドゥ・ブ・モンド」はフランスのみならずベルギー、スイス、オーストリア、カナダと発売されて、ジュリーの夢でもあった「インターナショナルな立場で仕事がしたい」というのがひとつひとつ実現していってる、と。

1曲目がこんなにうまくいくとは思わなかったし、むこう(フランスの)の人達も口では「絶対ヒットする」とは言ってたけれども、ここまでうまくいくとは思ってなかったと思うんですよね。
だって僕らがそうなんだから。


2曲目、3曲目の話もすでに決まっていて、2曲目はもう(歌の)レコーディングも終わっている、と。
この時点でジュリーは曲のタイトルを口にしてはいませんが、「アテン・モワ」のことですよね。なんでも、多忙なジュリーに気を遣ってくれたフランス・ポリドールの計らいで、この2曲目からジュリーは歌だけ日本で録る、というスタイルになったのだそうです。


ちょうど18日に加瀬さんと渡辺美佐さんと、フランス・ポリドールのミッシェルさんと一緒に(日本に)帰ってきましてですね。

ミッシェルさんはジュリーの歌入れのために、フランスで録ったバックの演奏のテープを持って来日したというわけです。現地の若手プロデューサー、ミッシェルさんにとっても「モナ・ムール・ジュ・ヴィアン・ドゥ・ブ・モンド」の大ヒットは嬉しかったでしょうからね~。
2曲目をピエールさんに一任され、張り切ってジュリー達に同行し日本の地に降り立ったことでしょう。


なにしろフランスだけで25万から30万(枚)近く売れてるわけですよね。大ヒットしたわけですから、ゴールデン・ディスクをフランス・ポリドールから頂いたわけでございまして。

ここから先程みなさまに改めて観て頂いた『夜ヒット』の受賞シーンの話に。遂にピエールさんも来日!

あの人はミッシェルさんの上の人ですよ!「製作部長」って感じなのかな。わざわざね・・・直接(ゴールデン・ディスクの受賞トロフィーを)貰ったわけでございまして。

日本のポリドールでは曲が出た次の年になってからそういった受賞セレモニーがあるけど、フランス・ポリドールは結果が出たら速攻なのだそうですね。

やっぱり向こうのゴールデン・ディスクってイイんですね、うん・・・最近ほら、(日本では)何でもそうだけど、クイズ番組にしても何にしてもすぐトロフィーが出てきてさ、みんなチャチっこいトロフィーとかそんなんだから。一見重そうだけど持ってみたら全然軽かった、ってのが多い中で、(フランスのは)こじんまりしてるんだけれども、なんとなくイイんだ~っていうそういう感じでね。

2曲目、3曲目もコンスタントに評価されるように一生懸命頑張りたいと、このように思っている次第でございます。

いや~、いい話だなぁ。『愛をもとめて』でのフランス話はどれも本当に良い話です。
ちなみにフランスの話・第3弾は、新曲「アテン・モワ」についての話が中心なんですけど、「モナ・ムール・ジュ・ヴィアン・ドゥ・ブ・モンド」を現地で生で歌った際に、お客さんが「Hoo、ooo~♪」のコーラスをつけてくれた、というこれまたジ~ンとする逸話が。
またいずれの機会に採り上げて書きますので、気長にお待ちくださいね。


それでは、オマケです!
今日は、以前大分の先輩から授かりました2002年『桂春団治』についてのインタビュー記事です。


Harudanji1

Harudanji2


では次回更新は、今月中に間に合うかどうか微妙なところではあるんですが、もう1本だけ”『愛をもとめて』のジュリーの話に関連したお題を探す”シリーズを書いて、その次から”祝!ジュリー69歳の誕生月・act月間”へと移りたいと思っています。

で、次回採り上げる予定の『愛をもとめて』放送回は、朗読したポエムのテーマにちなんでジュリーがつらつらと語ってくれる、本当に「ちょっとした話」なのです。
でも先日「あなたでよかった」で書いた「写生大会の話」もそうなんですけど、日々の仕事のこととはさほど関係しないそんなジュリーのちょっとした話というのがまた、『愛をもとめて』という番組の醍醐味のように思えてとても良いんですよね~。
なるべく早めに更新したいと思います!

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瀬戸口雅資のジュリー一撃伝授!」カテゴリの記事

コメント

DY様 こんばんは

TV番組のタイトルが思い出せないでいましたので助かりました。ジュリーはレコーディングの他に、「DORA」のフランス公演もされているんですね。全く知りませんでした。番組ではその劇場へも訪ねていました。ただ当時は仕事だけで、フランスの街をゆっくり見て回ることもなく、番組で再訪して最初に感じたのが、セーヌ川の大きさのようでした。

番組を見て「おっ」と思ったのが、ミニアコギでした。私は詳しくないのでその形と大きさから調べてみると、「MARTIN(マーチン)のBACKPACER」に似ていました。持ち運びが楽そうで、形がおしゃれだなあと思いました。源流を訪ねて下流からボートでセーヌ川を上っていきます。川風にあたりながら、思いついた歌詞に合わせてギターをポロ〜ンとコード弾きします。ギタリストのような全く難しいことはしていませんでした。源流とされる女神像の場所に到着したら趣もなく、期待していたものとは違うなと感じていたところ、管理人のポールさん夫妻の家の敷地内を流れる小川を見つけ、実はこの先に本当の源流があると案内されました。公衆浴場の遺跡に三方からの湧き水がそこで合流していました。巡り会えたその感動から、歌の芯を掴んでポールさんの家の前?公園?だったか腰掛けて、またギターをポロ〜ンと弾きながら作っていました。ポールさんは、ジュリーが訪ねた二年後、百歳でお亡くなりになったそうです。「世界ふしぎ発見」で同じ場所が映ってやってました。

番組の最後に完成した歌が流れましたが、CDとは違って朗々とした落ち着いた印象だったと思います。とにかく、ジュリーがあんな小型のギターを持っていたことが意外で驚きでした。あのインパクトは私のジュリー史の中で、一番大きいかも知れません。

投稿: BAT | 2017年5月29日 (月) 21時27分

BAT様

ありがとうございます!

僕は番組の内容をほぼ知りませんでしたから、詳しく教えて頂き嬉しいです。
そうですか~。セーヌをずっとずっと遡る旅だったのですね。

言われてみますと、その当時・・・90年代末くらいから数年間でしたか、ミニギターがちょっと流行ったんですよ。勤務先でもミニギターに特化した教本や曲集を発売していました。
女性でも弾き易いというのと、あとはやはり持ち運びのメリットですよね。ただその後ウクレレがとって代わり、空前のブームが到来しましてそれは今でも続いています。

番組で流れた原型の曲、いつか聴いてみたいですね~。

投稿: DYNAMITE | 2017年5月30日 (火) 12時59分

DY様 こんばんは。

番組見ました。ビデオもどこかにあるはずなんですが・・・。

向こうで活動していた時お世話になった方たちとの再会を懐かしみながら、セーヌの源流を目指す、という番組だったと思います。
こんな小さな湧き水が合流してあんな雄大な流れになるんだな、と。

フランスでもっと腰を据えて活動、ということにはならなかったにせよ、決して短くはない時間の中でいろんな人々との出会いや別れがあったんだなぁ、と改めていろんな場面が浮かびます。
セーヌの流れを焼き付けながらできていった歌だったんですものね。

投稿: nekomodoki | 2017年5月31日 (水) 22時07分

nekomodoki様

ありがとうございます!

おぉ、番組ご覧になり、録画もされていましたか~。
比較的最近(とは言っても10年以上前ですが)のことですから、ずっとジュリーを観続けているファンの先輩方は、今も録画をお手持ちの方が多いでしょうね。nekomodoki様も是非この機に発掘してみて下さいませ(笑)。

セーヌ川、源流を辿る旅も日本のそれとはスケールが違うのかなぁ。
なかなか想像できませんが・・・ジュリーの歌のように、心の内から上がってくる感動があるのでしょうね。

投稿: DYNAMITE | 2017年6月 1日 (木) 09時02分

DY様
 こんばんは。一つ前のお題曲の時にコメントし忘れていましたが私も江戸川乱歩はほぼ全作読破しました。もちろん「大人向け」の方です。「盲獣」は正直好きになれませんでした。良く似た題名の「陰獣」はなかなかよく出来た話だな~と思いましたが。
 さてお題曲、21世紀のジュリーのアルバムでは現時点で私の中での最高傑作『忘却の天才』収録曲中、唯一のアコースティックな異色作ですね。伝授拝読して意外とシンプルなコード進行にちょっと唸り、歌詞の深さに改めて納得した次第です。
 ジュリーがフランスで活躍していた時期私は小学校高学年、ほとんど何も覚えていませんが、歌謡大賞候補にノミネートされたか何かの番組で「時の過ゆくままに」歌うためにパリからわざわざ戻ってきたのを観たくらいでしょうか。

投稿: ねこ仮面 | 2017年6月 5日 (月) 18時15分

ねこ仮面様

ありがとうございます!

おぉ、乱歩読まれてますか~。
「陰獣」は確かに大名作ですね。ただ僕の個人的な乱歩の好みは、「パノラマ島~」「影男」「幽鬼の塔」など、ちょっと途方も無い話なんですよね。肉欲全開系はちょっと評価低めかもしれません。

キーボードレス期のジュリーは本当に素直なコード進行の曲が多いですよ。その反動なのか、『俺たち最高』では「遠い夏」のように複雑怪奇な作曲作品も生まれます。
作曲家・ジュリーには様々な顔がありますね。
またいつかジュリー作曲の新曲を聴きたいものですが・・・。

投稿: DYNAMITE | 2017年6月 5日 (月) 19時15分

車でこの曲今日聴いていて思い出したことがありました。

番組中ジュリーが作りながら口ずさむメロディとCDになったメロディはちょっと違ってました。
後日、ジュリーが
日本に帰って来て改めて聴いてみたら
♪夜来香に似てたので少し変えたと話していました。
確かに番組中のメロディは♪夜来香に似ていました。
夜来香_山口淑子(李香蘭)で検索して聴いてみてください。

投稿: くれーぷ | 2017年6月 6日 (火) 19時26分

くれーぷ様

ありがとうございます!

実は僕はCDのヴァージョンで既に「夜来香」に似ている、とすぐに思いました。分かりにくかったかもしれませんが、この記事本文中でもリンクを貼っているんですよ~。
もっとも、よく考えてみれば僕の「あの曲に似ているな」という感覚って職業病みたいなもので、普通はそこまで考えないものなのかもしれません。

でも、番組内で披露したメロディーは、さらに似ていたということなのでしょうね。
いずれにしても、ジュリーの方が「バンド演奏寄り」のメロディーだということは言えるのではないでしょうか。
穏やかな中に意思の強さを思わせるメロディーですよね。

投稿: DYNAMITE | 2017年6月 7日 (水) 09時07分

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