沢田研二 「すべてはこの夜に」
from『NON POLICY』、1984
1. ナンセンス
2. 8月のリグレット
3. 真夏のconversation
4. SMILE
5. ミラーボール・ドリーマー
6. シルクの夜
7. すべてはこの夜に
8. 眠れ巴里
9. ノンポリシー
10. 渡り鳥 はぐれ鳥
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それでは今日も、『ジュリー祭り』セットリストからのお題が続きます。
あの東京ドーム公演が初のジュリーLIVE参加となった僕は、それまでのジュリーの歴史に疎く、今日のお題曲が歌われた時は「おおっ、これは激レアな選曲に違いない!」と興奮したものでしたが、後に「かなりセットリスト入り率の高い曲」と知りました。
少年時代によく聴いていた佐野元春さんが作詞・作曲した曲・・・でも「彼女はデリケート」「I'M IN BLUE」「THE VANITY FACTORY」「BYE BYE HANDY LOVE」とは違い「ジュリーの歌で初めて知った」佐野さんナンバーということで『ジュリー祭り』以前から、ヒヨッコなりに思い入れを持っていた名曲です。
自分が特に好きな曲をLIVEで歌ってくれる喜び、という点で、『ジュリー祭り』6曲目に配されたこの曲は特に忘れ難い想い出となっています。
アルバム『NON POLICY』から、「すべてはこの夜に」。今日は大胆な推察も交えて・・・伝授です!
①オマージュ元はタイガースのあの超有名曲?
いきなりですが、まずは拙ブログお得意の大胆な推察(時によっては単なる「邪推」ですが今回はどうかな笑)から書いていきましょう。
佐野さんって、何かのヒントから天賦の感性でパッと閃いたヴァースやフレーズをとっかかりにして楽曲全体を煮詰めていく・・・そんな曲作りをするんじゃないかなぁと僕は常々思っていました。その観点から、ズバリ今回披露する僕の推測とは
佐野さんの「すべてはこの夜に」は、ザ・タイガースの「花の首飾り」からインスピレーションを得て作られた曲ではないだろうか
というもの。
驚きましたか?
「え~っ、全然違う!タイガースって言ってもジュリーのヴォーカルじゃないし、ムキ~!」との先輩方のお声がするような気がしますが、まぁ聞いてくださいませ。
確かに、まったく印象の異なる2曲ではあります。
キーが同じイ短調(Am)という以外は、メロディーもコード展開も違います。
ところが、楽曲構成を各ヴァースごとに吟味、その配置を見ていくと面白いことに気がつくのです。
「花の首飾り」のサビは「私の首に♪」からのヴァースですよね。もちろん「サビ」として申し分のない素晴らしいメロディー。でも、すぎやま先生はこの曲のエンディングを「サビのもうひと押し」では締めくくらず、「おお、愛のしるし♪」の1行をリフレインさせるという鮮烈な構成で仕上げました。
この1行が詞、メロディーともにディープ・インパクトとなって耳にこびりつく・・・「花の首飾り」がタイガース・ナンバー最大のヒットとなった一要因だと思います。
「おお、愛のしるし♪」の1行は、Aメロの最後にくっついているメロディーですが、すぎやま先生の手法から、独立した短いヴァースと捉えることができるでしょう。
そこで、「すべてはこの夜に」のヴァース構成と配置を見てみましょう。
「花の首飾り」における「私の首に♪」を、「すべてはこの夜に」の「HANG ON ME♪」のサビに、さらには「おお、愛のしるし♪」を「ALL MY LOVE♪」のAメロにくっついた1行(独立した短いヴァース)と、それぞれ配置の一致を見ることができるのです。
サビとは別のヴァース、「ALL MY LOVE・・・♪」のリフレインで締めくくられる「すべてはこの夜に」。ここのメロディーが好きなんだ、と仰る先輩方も多いはず。
おお、愛のしるし 花の首飾 り ♪
Fmaj7 E7 Am Em Am
「花の首飾り」エンディング・リフレインの強烈なインパクトから、佐野さんの才能は瞬時の閃きをもって
ALL MY LOVE すべてはこの夜に ♪
Fmaj7 G6 E E7 Am
の1行を紡いだ・・・僕は「すべてはこの夜に」という名曲を、正にこの1行の佐野さんの閃きから作曲作業が始まった、と見ますがいかがでしょうか?
そんなふうに考えると、歌詞もまるで「花の首飾り」のアンサーソングのようではありませんか。
「HANG ON ME ♪」って、普通に訳せば「僕から離れないでくれ」みたいな感じでしょうけど、「首」と関連する単語「HANG」を使った「HANG ON」という英語表現の由来まで突っ込んで紐解けば、「相手の首に手を回して」愛し合う、慈しみ合う人の姿が浮かびます。
「HANG ON ME」=「私の首にかけたあなたの両手を、どうか今夜はそのまま離さないでほしい」
どうです?
「花の首飾り」と密接に繋がってきませんか?
いえ、僕もずっと以前からこの推察に辿り着いていたわけではありません。こんなことを思いついていたら、もっと早く記事を書きますからね~。
実はこれ、最近になって「ああっ、そうだったのか!」と新たに得た知識がきっかけで思い当たった推察。次のチャプターは、そんな話から始めたいと思います。
ともあれ、こんなトコで書いても伝わるはずはないのですが・・・銀次兄さん、ブログでの『S/T/R/I/P/P/E/R』製作秘話、ジュリーファン一同首を長~くしてお待ちしています。
もし「すべてはこの夜に」がこの頃に一度レコーディングされていたとするなら、そんなお話も是非是非!
②楽曲全体の考察
いつも偉そうに薀蓄垂れている拙ブログですが、今そのほとんどが『ジュリー祭り』以降、先輩方のブログを拝見したり、こちらにくださるコメント、またお会いした際に色々と教えて頂いたり、資料をお借りしたりして徐々に学び身につけた知識が土台となり、そこから考えを拡げていけた考察ばかりです。
僕は2009年、幾多のジュリーファンの先輩方のブログの存在を知ってから、できる限りをリアルタイムで拝見しています。さらに折を見ては、『ジュリー祭り』以前に先輩方が書かれた記事も遡って勉強しています。
その中から今日はまたしても、同世代ながらジュリーファンとしては大先輩でいらっしゃるkeinatumeg様の記事を参照させてください(こちら)。
僕はまずkeinatumeg様の文章、語り口の大ファンなのですが、それに加えて新しく教わるジュリーの逸話も本当に楽しく学ばせて頂いていて。
keinatumeg様の「すべてはこの夜に」について書かれた御記事を拝見したのがつい昨年のことでした。
いやぁ驚きましたよ。僕はてっきりこの曲、84年のアルバム『NON POLICY』のために佐野さんが書き下ろした作品だとばかり思い込んでいましたから(ホント、大好きな曲だからといって早めにお題に採り上げないでいてよかった~。84年の佐野作品との比較とか、普通に書いちゃってただろうなぁ・・・)。
佐野さんの作曲自体は80年のアルバム『G. S. I LOVE YOU』の頃・・・ということは、「楽曲提供の打診を受け、タイガースからジュリーの歌を全部聴いた上で曲作りに臨んだ」との有名な逸話があるあの時期に、佐野さんは「すべてはこの夜に」を作っているのです。
なるほどそれならこの曲を「吉川晃司さんに歌わせたい」とナベプロさんから打診された時に佐野さんが「沢田さんのために作った曲だから、沢田さんが歌った後なら」と条件付で承諾した、という話も説得力を増します。
佐野さんとしては、ごく当然の気持ちだったのだ・・・じゃあどんあなふうに「すべてはこの夜に」を作ったのだろう、その時佐野さんはタイガースを聴いていたのだろうか・・・と考えた結果、先述の推察に至った次第です。
keinatumeg様の御記事でさらに驚いたのが、アルバム『S/T/R/I/P/P/E/R』の頃に一度レコーディングした「すべてはこの夜に」ヴァージョン存在の可能性。
もし現存するならば、僕らが今『NON POLICY』で聴けている「すべてはこの夜に」は明らかに84年の音作りですから、それはまったくの別モノ(本家ヴァージョン)と考えて間違いないでしょう。聴いてみたいなぁ・・・。
と、ここまで書いて突然思ったんですが、当初アルバム『S/T/R/I/P/P/E/R』の時期に「佐野さんか小田さんの曲をシングルに」とのアイデアがあった、という有名な話・・・その「佐野さんの曲」って、アルバム収録された「BYE BYE HANDY LOVE」ではなく、当時レコーディングされた「すべてはこの夜に」だったと考える方が自然じゃないですか?
改めて考えてみると、佐野さんがジュリーに提供した曲ってニュー・ウェイヴ色が強くて刺激的、個性的ではあるんだけど、リズム自体はとても由緒正しいオーソドックスなものばかり。それは、「80年代の早い時期までに」作られていたことと無関係ではないでしょう。
「すべてはこの夜に」のリズムはエイト・ビートですが、これがもし84年の書き下ろしならば、「ロックの新興勢力」であるダンス・ビート寄りの16ビート解釈となっていたはず。なにせ84年は、佐野さんがそのキャリア中最も異色なる名盤『VISITORS』を作っている年なのですからね。
例えば「BYE BYE HANDY LOVE」の直系ロカビリーや、「彼女はデリケート」の極限までテンポアップしたエイトビートというのは、やはり80年代初頭の佐野さん、或いは銀次さんの手法にして正攻法ですよ。
「すべてはこの夜に」も根っこは同じです。
では、歌詞はどうでしょう。
これはもう、アルバム『SOMEDAY』の頃の佐野さん全開!だと僕は思うのです。
佐野さんらしいレトリックで難解にはなっているんだけど、そこからひとつひとつのフレーズを丁寧に脱がせていくと、ストレートな純愛が残ります。
「愛に魂を捧げる」感覚が明快に押し出されているアルバムとして、『SOMEDAY』は佐野さんの最高峰でしょう。このアルバムの収録曲でジュリーファンのみなさまがよくご存知なのは「I'M IN BLUE」「THE VANITY FACTORY」のセルフカバー2曲かと思いますが、「すべてはこの夜に」の詞は「真夜中に清めて」というバラードのそれに近い、と僕は感じます。愛する人の純潔を求め、身体ごと夜に沈んでゆく歌です。
そんな詞を84年、男盛りのジュリーが歌うと・・・。
僕 が 月夜に 浮 かぶ小舟なら
Dm7 G7 Cmaj7 Dm7 E Am7
あなたは遠く眠る 夜明けの光
Dm7 Am7 E E7 Am Am7
言わずもがな、です。僕はジュリーの「すべてはこの夜に」は「エロック」だと思うのですよ。
自らの愛のすべてを「あなた」とのこの一夜に捧げる、と歌うジュリー。『S/T/R/I/P/P/E/R』の時期にレコーディングされたオリジナル・ヴァージョンと比べ、官能という点では84年のジュリーの方が勝っているかもしれません(是非聴き比べてみたいものです・・・)。
僕は長らく「シティ・サウンド」のイメージに引っ張られて『NON POLICY』のジュリーのヴォーカルの魅力に気づけずにいたんですけど、先輩方はリアルタイムではこのアルバムをレコードで聴いていらっしゃるでしょうから、LPをひっくり返してB面の「シルクの夜」「すべてはこの夜に」「眠れ巴里」と続く官能の歌声、インパクトは凄かったのではないですか?
しかも3曲それぞれ色っぽさのベクトルが違うという・・・。
作曲の佐野さん自身は今でも(歌い続けている限り)、15~25歳の若い世代に聴いて欲しい、と思い活動されているそうです。でも、ジュリーの「すべてはこの夜に」は「R30」な名曲、という気がしています。
また、この曲はレコーディング音源とLIVEでかなり印象が違うのも魅力です。柴山さんの間奏のギターがグイグイ前に出てきますし、『Pleasure Pleasure』ツアーでは、サビ部でのお客さんの頭打ち手拍子
HANG ON ME 街角から街角に
G C
心の痛み捨ててきた oh baby
F G C Csus4 C
HANG ON ME もうきどるのはやめさ
G C
抱きしめてほしい oh ♪
F E G7
会場の「熱」とジュリーの「oh baby♪」のシャウトに驚いたものです(『ジュリー祭り』の時にはそこまで気づけていませんでした)。
この「レコーディング音源とLIVEの違い」は、『NON POLICY』全収録曲について言えることなのかもしれません。僕は「すべてはこの夜に」以外のアルバム収録曲を生では未体感ですから、是非今年の50周年ツアーで「渡り鳥 はぐれ鳥」、来年の古希ツアーで「ノンポリシー」を聴いてみたいものです。
可能性はありますよね?
いずれにせよ、吉川さんの話も絡んで「じゃあ、ジュリーに先に歌って貰わなければ」と、改めてリメイクされたヴァージョンが84年のアルバム『NON POLICY』に収録されたわけなのですね。
それがジュリーお気に入りの1曲としてLIVE定番曲となり、『ジュリー祭り』でも歌われました。僕は『ジュリー祭り』と『Pleasure Pleasure』ツアーでこの曲を生体感していますが、いつかまた聴く機会はきっとあるでしょう。
③吉川晃司さんのこと
僕はジュリーのアルバム『NON POLICY』から遅れてリリースされた吉川さんの「すべてはこの夜に」をしっかり聴いたことがなく、今回比較考察にまで踏み込めなかったのは残念です。しかしそれを置いてもここで是非書いておかねばならないこと・・・この場を借りて、吉川さんに土下座しなくてはいけないことがあります。
僕は2013年の「Fridays Voice」の記事で、「ロック」のジャンルにおけるビッグネームが、2011年の大震災、原発事故を受けてなおこの国の社会問題について口を開こうとしない現実を批判しました。
そりゃあ、ジュリーはじめ佐野さんの創作姿勢などは知っていましたが、あまりに人数が少ない、と。賛否いずれであれ、これほどのことが起こって第一線のロッカーが何の意思表示もない、声を出さないというのは情けないと。でもそれは僕の無知でした。
数年前に吉川さんの一連の活動を知り、これはいつかブログで書かねばならないと思っていました。
『ザ・ベストテン』ドンピシャ世代の僕は、クラスメートの女子が完全に「吉川派」と「フミヤ派」に分かれている、という青春時代を過ごしていますから、どうしても吉川さんには「アイドル」のイメージが強く残っています。
故に2013年、数少ない「真っ当な日本のビッグネーム・ロッカー」を見渡した際に吉川さんが盲点となってしまったわけですが、それは言い訳になりません。かつて「アイドル」と呼ばれたことが「ロッカー」の活動にとって何の乖離にもならないことを、ジュリーファンの僕は思い知っていたはずなのですから。
震災以後の吉川さんの活動、創作姿勢について最もよく纏めているのはこちらの記事でしょう。
ナベプロさん期待の新星として、同プロの看板スターであるジュリーに迫るほどの人気を爆発させていた頃の吉川さんを、ジュリーファンの先輩方がどのように見て、捉えていらしたのか僕には想像できませんが、もしかしたらこの記事は先輩方の吉川さんに対するイメージを一新するのではないでしょうか。
念のために書きますと、僕は決して「原発に反対だから」吉川さんのことを「凄い!」と思っているのではありません。このような時代に自分の考えを堂々と創作姿勢に投影することこそが第一線のロッカーたるものであり、その意味で吉川さんはジュリー同様リスペクトできるロッカーであったのだ、ということです。
ちなみに僕は歌番組によく出演されていた当時以降の吉川さんの音楽は追いかけていませんでしたが、俳優としては長らくすごく好きでして。
昨年『真田丸』がまだ序盤の放映だった頃に、「是非”大阪の陣”で登場する後藤又兵衛役は吉川さんに演じて欲しい!」と勝手に考えていました。実際これは昨年春にお2人のJ先輩と食事をご一緒させて頂いた時に、切々とお話してしまっていたほど。
実際のキャスト、哀川さんの又兵衛もとても素敵でしたが、司馬遼太郎さんの『城塞』が大好きな僕にとって、又兵衛は白髪、細く鋭い目つきの大柄で寡黙な初老の男、幸村とはすごく身長差のある「見た目凸凹」コンビ、というイメージなのですよ。
吉川さんが『真田丸』で又兵衛を演じていたら、木村重成の危機に駆けつけた今福村の砦柵を巡る対佐竹隊との鉄砲戦のシーンは、実際の放映とはかなり違った脚本に(一般的な又兵衛の逸話、通説に近い感じに)なっていたのではないかと想像します。
ということで、僕の”『真田丸』ロス”は未だ継続中なのでありました・・・。
変な〆になりましたが(汗)、それではオマケです!
今日は1枚だけの資料なんですけど、以前ピーファンの先輩にお借りした切り抜き集の中にあった、84年のジュリーの記事(掲載誌は不明)をご紹介しましょう。
では次回更新はもう1曲、『ジュリー祭り』セットリストからのお題です。
シングルではありませんが、ジュリーの歌人生の中でとつてもなく重要な名曲・・・ようやく書く時が来ました。先輩方にとっても思い入れの深い1曲と心得ておりますので、なんとか頑張りたいと思います。
余談ですが、明日は仕事を早退してポール・マッカートニーの東京ドーム公演に行ってまいります(武道館は僕の経済力ではさすがに無理・・・泣)。
前回は望外のアリーナ神席でしたが、今回は1階スタンド、ごくごく普通の身の丈に合った席での参加となり、ジュリー50周年ツアーの席運は残しました(笑)。
楽しんできます!
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