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2017年3月

2017年3月30日 (木)

沢田研二 「揺るぎない優しさ」

from『ISONOMIA』、2017

Isonomia

1. ISONOMIA
2. 揺るぎない優しさ

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今日は暖かい1日でした。会社の倉庫近くの公園の桜は、今朝の時点ではこんな感じ。

1703300817

明日朝もこのルートを通るつもりで、どのくらいになっているのか楽しみです。
それとは別に、週末には何処かへ出かけて桜を観にいこうと思っています。土曜は天気が悪いらしいので、日曜かな~。まだ「満開」ではないのでしょうが。


さて、前回「ISONOMIA」の記事に書いた通り、僕は今年の新譜2曲について、政治性や社会性を掘り下げてジュリーの歌詞を紐解くことは最早ナンセンスなのではないか、と考えさせられています。
ジュリーのメッセージはごく自然な「人の望み」なのだ、との思いが強くなっているのです。
「ISONOMIA」の記事を書いた翌日、普段からリスペクトしているJ先輩の新譜についての文章をSNSで拝見することができました。
その先輩はいつも新譜リリースやLIVEツアーの度に簡潔かつ本質を突いた素晴らしい考察を書かれるかたで、もうそのまま商業誌に掲載しても良いんじゃないかというくらい僕はその文章に惚れ込んでいるのですが、今年の新譜についてもまた素晴らしいものを読ませて頂いた、と思いました。

先輩は今回ジュリーが「ISONOMIA」なる言葉に託したのは「政治なんてものよりももっと単純(シンプル)な、まっとうな感覚の「願い」であると書かれました。
まったくその通りだと僕も思います(でも僕は前回記事でそういう表現がうまくできませんでした)。
そして「目からウロコ」だったのは、その先輩はお正月に「ISONOMIA」を聴いた時点で「なんとなく国歌のようだ(どの国の、ということではなく)」と感じていたそうです。
なるほど、なるほど・・・言われてみますと本当にそう思えてきます。そうか・・・ジュリーの「ISONOMIA」は、ジョン・レノンの創作に重ねて例えるなら
「イソノミアン・インターナショナル・アンセム」
ということになるのでしょう。

ですから僕は今日の「揺るぎない優しさ」の記事でも、政治的なこととは距離を置いてジュリーの歌詞を考えてみたいと思いますが・・・ただ1点だけ、この枕で触れておきたいのが「震災避難者への住宅支援打ち切り」の問題です。
「揺るぎない優しさ」とは何なのかを考える時、とても重要な問題だと思うからです。

あの震災から今まだ6年。
国は何故そんなに区切りをつけようとするのか、つけたがるのか、理解できません。「この政策はまだ道半ば、これからも継続してゆく」というのは「被災者支援」についてこそ言うべき言葉ではないのでしょうか。
仮設住宅に暮らす被災者の方々の多くが、まだ留まって暮らしてゆきたい」と考えている現実があります。特に福島第一原発周辺地域から避難された方々が、「心身とも安心できる場所で暮らしたい」と望むのは人として当たり前のこと。それは指示区域からの避難、自主避難に関わらず、です。

支援の打ち切りに、「見捨てられてしまうのだろうか」との思いを抱える避難者の方々は当然多くいらっしゃるでしょう。そんな中、「国がやめる、というなら地方自治体が何かできないか」の観点から、住宅、医療などの支援政策を強く打ち出しているのは沖縄県。
全都道府県の中で、福島県はじめ被災地の東日本各県から最も距離が離れている沖縄県をして、何故それらを成し得る志があるのか・・・僕らは今その点をよくよく考える必要があるでしょう。

それでは本題です。
それでは今日のお題「揺るぎない優しさ」。ある意味タイトルチューン「ISONOMIA」をも凌ぐこの名曲について、「脳を熱くして」書いていきたいと思います。伝授!


僕はこの詞を大きく分けて、前半は「被災者の方々の代弁」、後半は「ジュリー自身の決意」というふうに捉えて聴いています(もちろん、ジュリーの意図はそうではないかもしれません)。
とにかく僕はこの歌詞中で、2番の

負けないぞ 脳よ熱くなれ ♪
      D                             E

この箇所が凄く好きなんですね。白井さんのメロディーもここが一番好きです。
「脳よ熱くなれ」・・・ジュリーらしい表現だけど、さぁどういう思いが込められているんだろう?
それが僕の「揺るぎない優しさ」歌詞解釈のとっかかりとなりました。

お正月LIVE初日のMCを思い出します。「震災関連の歌を歌うことについて」あれこれ言われることもある、という感じのことをジュリーは言ったんですね。
でも、全セットリスト22曲を2012年からの新曲で貫き通し、ツアー・タイトルを『祈り歌LOVESONG特集』としたジュリー。今思い返しても、凄いものを観せてくれたなぁと思います。
誰が何と言おうと、自分はこれをやる、と。
かつて、これからの新曲について「もうこのテーマ以外は歌にしない」と言ったジュリーです。雑音も入ってくるのでしょうし、ジュリーを案じアドバイスしてくれる身近な人達もいるのでしょう。それでもジュリーは、歌い続ける限り最後までこの姿勢を変えずやり通すでしょう。
そんな決意を僕は先述の歌詞部に見ます。

熱い純粋な思いこそがその原動力。ジュリー自身がその道にあって挫けそうな時、しんどくなった時
「いやいや、被災者の人達のことを考えたらなんだこれくらい!すべての被災地のために、俺よもっと滾れ!」
という鼓舞。それが「負けないぞ」「脳よ熱くなれ」ではないのでしょうか。
「絶対に忘れない」
「見捨てたりしない」
「区切りなんてつけない」
「ずっと寄り添ってゆく」
と、そんなふうに考えれば

六年無駄に生きてない 六年無理に笑ってない
A     E          F#m    E      A  D        A      E

もっと優しくできたら ずっと一緒に生きていたら
A      E      F#m   E        A    D          A        E

優し さだけが突き刺さる ♪
C#m  D             E       A

このサビの歌詞の何と躍動的で頼もしいことか。
もちろんここも「被災者の代弁」としての要素も考えられますが、僕はジュリーの「ずっと一緒に生きていたら」を、この先への決意と受けとめたいです。

前回記事で、今年のジュリーは「怒り」を封印してきたように感じる、そのためか、歌声やメッセージから「政治性」が退いているように思う、と書きました。
ずっと一緒に生きてゆく、届けるのは「優しさ」。
もっともっと、優しくなれないか。優しくできないか。
「突き刺さる」というのは一見怖い言葉のようですが、これはもう、「届けたい」一心、被災者の方々の癒えない悲しみを慮っての表現と僕は捉えてみました。

では、この楽曲自体についてはどうでしょうか。
「纏まりの良いポップ・ナンバーに聴こえながら実は細かな仕掛け満載!・・・白井さんさすがの1曲です。
まずはキーがどうなっているかと言うと・・・イントロのコードはC。「ドシラソファミファレ♪」という下降するキラキラしたテーマ・フレーズ(クレジットにキーボードの記載が無いので、これは白井さんがギターで弾いているのでしょうねぇ。どうやってあんな音出すんだろう?ただ、お正月LIVEでは泰輝さんが鍵盤で再現していたと思います)が載って、この時点ではハ長調のように聴こえます。

ところが続いて登場するコード・リフ。「じゃっ、じゃ、じゃ~ん♪」のリズムに合わせてひとさし指を立てて大きく前に腕を突き出すお正月でのジュリーのアクションも記憶新しいですが、ここは「D→G」。「いきなり1音上がりのニ長調に転調か!」と思わせます。
そのまま同じ進行でAメロに突入。この時点で僕は完全に「D」をトニック、「G」をサブ・ドミナントのニ長調と把握して曲を聴いていました。
しかし!

今日も翳んでる 地震もある記憶も
D           Em      C        D       G

ここで楽曲全体のキーが正体を現します。
この曲はイントロからずっとト長調だったのですよ。Gがトニック、Cがサブ・ドミナント、Dがドミナント。
白井さん、聴き手へのミスリードを狙っていると思います。まるで本格ミステリーのような進行ですから。
「C」「D」「G」「Em」・・・ト長調王道のシンプルな4つのコードだけを使ってこんな複雑怪奇な変態進行(←当然、褒めています)が組み立てられるものなんですね。

仕込みは万端、いよいよ曲はサビへと向かいます。
今度こそ1音上がりの転調。その繋ぎ目こそが「揺るぎない優しさ」のメロディー最大の聴かせどころ。

濁流の君よ生き還れ
   D                           E

ドミナントがDからEへ切り替わってのト長調からイ長調への転調です。
伊豆田さんの絶妙なコーラスで、「F.A.P.P」の転調移行部を連想した人もいらっしゃるのでは?

サビはイ長調の王道ポップス進行。転調後のサビで視界が開ける感覚は白井さんの得意技ですが、その中でも今年の「揺るぎない優しさ」のサビは特に美しく潔いメロディーだと思います。
こうしてみると、やはり白井さんも昨年までのバンドメンバー同様ジュリーから「PRAY FOR EAST JAPAN」のコンセプトをリクエストされ、今年の2曲を作曲したのではないでしょうか。
悩み、嘆き、怒り・・・それらすべて含んで到達する力強い決意、だと思います。そこにジュリーが載せた「優しさ」のフレーズに、曲が後押しされているようです。

サビが終わるとト長調に戻って「D→G」のコード・リフ部に戻ります。ただし、イントロでは「C」のコードに載せていたテーマ・フレーズをここに再度登場させた白井さん。リスナーはまたしてもそれと知らずに白井さんの術中に嵌っています。
同じ音色のフレーズ、イントロのリフレインと思いきや、奏でられる音階は「ドシラソファミファレ♪」から「レド#シラソファ#ソミ♪」に変わっているのです。
このパターンのフェイクはかつてジュリー作曲の「睡蓮」や、宮川彬良さん作曲の「神々たちよ護れ」でも採り入れられていました。「睡蓮」は確実、もしかすると「神々たちよ護れ」についても、それはアレンジ段階での白井さんのアイデアだったのかもしれない、と今回「揺るぎない優しさ」を聴いて考えた次第です。

さぁ、そんな白井さんの名曲がどのようなレコーディング音源に仕上がったか・・・今年は演奏メンバーもガラリと変わりました。おなじみのステージ・バンドの音がCDで聴けないのは寂しくもありますが、「揺るぎない優しさ」の演奏は本当に素晴らしいです。

ギターは当然白井さん、ベースが『JULIE with THE WILD ONES』以来となる上田健司さん。磐石の弦楽器布陣に加えて、ドラムスは初のジュリー・ナンバー参加となるオータコージさん。なんとなんと、3人のプロフェッショナルによる共演でこの曲の演奏を先導し楽曲を音の面から色づけしているのは、一番若いオータさんのように僕には聴こえました。これには驚きました。
白井さんのメロディー、アレンジのポップ性からすると、「揺るぎない優しさ」はもっとキュートな仕上がりになって不思議はないんですけど、どうですかこの破天荒なラウド感、美しいメロディーを包むロック魂。
オータさんのドラムスに引っ張られるようにして、白井さんのギターも上田さんのベースも最高にカッコ良いモッズ・サウンドになっているという・・・ヴォーカルのジュリーとバックの3人がお揃いの「青・赤・白」のスーツを着て演奏するPV映像すら妄想できるほどです。
そう、これはザ・フーのサウンドに近いです。その点については「ISONOMIA」よりさらに鮮烈。

元々ザ・フーはコード・リフ・ロックの王者でもあります。60年代で言うとストーンズやキンクスなどもコード・リフをオハコとしますが、あくまでギタリスト主導。
でも、フーの場合はドラマー(キース・ムーン)による「キメのリフに向かう」直前までのお膳立てのフィルで大暴れする曲が目立ちます。

そこで改めて「揺るぎない優しさ」をオータさんのドラムスに着目して聴いてみましょう。
普通ならばこの構成なら
「つつたつ、つつたつ、どん、じゃっ、じゃ、じゃ~♪」
と、リフそのものをオカズと捉えて直前まではエイト・ビートで叩くところです。
ところがオータさんは
「どんたかたかたかたかたかどこどこどん、じゃっ、じゃ、じゃ~♪」
と行くんです。
その効果で、キメのリフのリズムがギター、ベース、ドラムスで揃った時の破壊力が増すというわけ。
こんなドラム叩かれたら、そりゃあジュリーも「ワシもリフの箇所では身体の動きでバンドの音符割りに合わせにゃ!」と思ってしまうはずですよ~。

オータさんのドラムスの見せ場はまだまだあって、1番Aメロ1回し目のタム攻撃がこれまたキース・ムーンばりのモッズ魂が炸裂する名演。
さらには2番Aメロはうってかわって「じゃ、じゃ!」の全楽器刻みの裏で鬼のキック連打です。
しかもエイト・ビートへと移行するフィルの繋ぎ目でキックが止まってない!こんなに足クセのききわけがない(←ドラマーにとっては最高の褒め言葉のはずです)ドラムスは久しぶりに聴いたように思います。
ベテランの白井さんと上田さんも、今回オータさんのドラムスに「乗った!」といわんばかりの一体感。「揺るぎない優しさ」は数あるジュリー・ナンバーの中で演奏面においても特筆すべき1曲となりました。

僕はオータさんのドラムスを意識して聴くのはたぶん今回が初めて(それと知らずに何かの曲を聴いたことがある可能性は相当高いですが)。
色々と調べると、いとうせいこうさんと「NO NUKES」フェスに出演されるなど、ジュリーとは普段からの志も共鳴できる演者さんなのかなぁ、と。
今後継続してのジュリーの新曲への参加を楽しみにしたいと思います。


僕は今年もジュリーの新譜を大いに気に入って繰り返し聴いています。
もちろん2曲いずれも政治や社会問題と無関係な歌ではない・・・むしろ関係は大です。でも、考察記事でそうしたことを中心に書かなかったのは、僕の中に「無関心」や「諦念」が無くなったからだとも思います。
僕は、ジュリーのメッセージに含まれる様々な事柄について「歌を聴いた時」だけでなく、もう普段から考えられるようになりました。そうして暮らしていると、雲の上の上、遥かに遠い憧れの存在であるジュリーがとても近しい人のように思えてくる時があります。
その僕の感覚は、昨年の「un democratic love」が決定的だったかなぁ。
同じ気持ちは今年の新譜でも継続しています。まだまだ悩み迷いながら、ではありますけど。

気になるのは夏からの全国ツアー。「ISONOMIA」は間違いなく歌われるでしょうが、カップリングの位置づけとなる「揺るぎない優しさ」はどうでしょうか。
CD音源を聴く前と後では生で体感した時の印象もずいぶん違いますし(2009年の『Pleasure Pleasure』収録曲がそうでした)、この名曲をお正月ただ1度しか聴けないままでは寂し過ぎます。
ここはやっぱり「今年の新曲」は2曲とも歌ってくれる、と予想したいです。僕が参加できなかったお正月LIVEの何処かの会場では、「シングル(A面)曲50曲以外も少し足す」という感じのMCもあったと聞いていますし、それなら「プラス数曲」の中に「揺るぎない優しさ」は入ってくるのではないでしょうか。
期待したいと思います。


それでは次回から、また時代を行き来しながら数々のジュリー・ナンバーの名曲についてビッシビシ更新していきます。
まず4月前半は、「この曲のこの演奏に痺れる」シリーズとして数曲を採り上げたいと思っています。
ジュリー・ナンバーの演奏はどれも素晴らしいのですが、まだ記事にしていない名曲の中から、特に好きな演奏パートを楽器ごとに厳選し1曲ずつ書いていこうという趣向です。
もちろん「楽器ごとに」とは言ってもたった1曲に絞れるはずもなく、「数あるミュージシャンの、数ある名演の中からこの機会に」という採り上げ方になりますが。

次回の第1弾は「ドラムス編」。
ジュリーはこれまで本当に多くの凄いドラマーを迎えてレコーディングしステージを共にしています。
僕個人としてはやはり「現在のジュリー」を支え続けるGRACE姉さんと、デビュー50周年の1年目を飾ったザ・タイガースのドラマーであるピーの2人を熱烈推し。
ただ、今日オータコージさんのことを書いたように、まだまだ素晴らしいドラマーの名演によるジュリー・ナンバーの傑作は幾多の例があります。
その中で、「このアルバム1枚きり」参加のレア度、「この人の音は圧倒的に違う」という類稀な個性に着目し、湊雅史さんの演奏を採り上げてみたいと思います。

もちろん書くのは楽器演奏のことだけではありませんが、とりあえずしばらくの間は文量よりも更新頻度を第一とし、今度こそ(汗)短めのコンパクトな記事でどしどし書いていきます。よろしくお願い申し上げます。
ということで、次回お題はアルバム『HELLO』から!

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2017年3月24日 (金)

沢田研二 「ISONOMIA」

Isonomia

1. ISONOMIA
2. 揺るぎない優しさ

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ずいぶんご無沙汰してしまいました(汗)。
全国ツアー前半の申し込みも終わり、みなさまも今は「さぁ、後半どうしようか」とスケジュールと睨めっこしている最中でしょうか。

僕は前半の申し込みは2会場に抑えました。と言うのも、新年の目標に掲げた通り今年のツアーは1人でも多くの友人、知人に生のジュリーLIVEを体感して貰いたく・・・方方に声がけした結果、それらすべてが後半日程の会場に集中しましてね。
後半は凄い枚数の申し込みとなる予定です。払込票の会場振り分けがどうなるか分かりませんが、参加氏名記入欄が足りないかも・・・「○○夫妻」とか「誰それ2枚」とか、なんとか工夫するつもりですが(笑)。

前半に申し込んだのは、初日NHKホールと大宮。
ただ、これがいずれも抽選という・・・初日の第2希望を京都、大宮の第2希望を静岡としたので、落選したらいずれも遠征ですな~。
大宮は例によってYOKO君と2人分の申し込みですが、さすがに彼は落選振替の静岡までは来れないのでその時はカミさんと行き、せめてYOKO君のぶんだけでも八方手をつくして大宮のチケットを探し求めなければならなくなるでしょう。
そんな事情もあって、今回はどちらかと言うと落選するなら初日の方がまだ良いかな、と思っています。京都に参加となったらお会いしたい人もたくさんいますし、久々の「ネタバレ我慢」の試練も悪くはないかなぁ。
2会場ともすんなり当選、というのが理想ですけどね。


さて本題です。
今年も3月11日のリリースとなった5ジュリーの50周年メモリアルな新譜『ISONOMIA』。
みなさま聴かれましたよね。僕はもう100回以上はリピートしているはずです。
今年も気合入れて全曲(と言っても今回は2曲のみ・・・ちょっと寂しい気もします)考察記事を書くわけですが、想定外に執筆に時間がかかっています。

2曲ともに「前を向いた力強い新曲」と言って良いでしょう。僕は2015年の『こっちの水苦いぞ』までの4枚と昨年の『un democratic love』の間で劇的に歌の受け止め方が変わって、「前向き」の明るさについては昨年から感じていました。
聴いていて元気が出てくる感覚、血沸き肉踊る感覚。でも『un democratic love』への僕のその感想に先輩方の賛同は少なかったです。「苦しい」「切なくなる」とのご感想の方が圧倒的に多かった・・・ただ、今年の新譜はそうではないでしょう。
曲調も明るく、ジュリーの歌に悲壮の空気はありません。個人的には昨年から既にジュリーはそうだった、と思っていますがひとまずそれは置いておいて、「これならファン以外の一般の方々にも是非聴いて欲しい」と多くのジュリーファンが考えることのできる、そんな新曲が今年は届けられたのではないでしょうか。

「にもかかわらず」なのかむしろ「必然」なのか・・・僕が何をそんなに考え悩んだかと言うと。
昨年と違って、この新曲のジュリーの詞に「政治性」「社会性」を持ち込みたくない、それはもうナンセンスなのではないか、と思ってしまったのです。
この素晴らしいヴォーカルに「これは政治的な歌」だと念押しする必要がそもそもあるのか?と。
昨年の僕は、特に「un democratic love」の考察でここぞとばかりに歌の政治性、社会性を掘り下げたものです。そうすることに何も躊躇いはありませんでした。
でも今年は・・・。
同じように素晴らしい歌でも、僕は昨年のジュリーには「怒り」を思いました。諦念や慟哭をまったく感じないのは今年の2曲も同じですけど、今年のジュリーは「怒り」を封印してきたようです。

「怒り」を肝に据えてジュリーが届けるのは「優しさ」。
何のために歌うのか、誰のために歌うのか。周囲から色々と言われることがあっても、いやいや「被災地のために、もっと滾れ自分!」と自らを鼓舞し(これは「揺るぎない優しさ」最大の聴きどころである「負けないぞ、脳よ熱くなれ♪」の1音上がり転調部を聴いて僕が感じたことです)、伝えたい言葉が究極に「被災者第一」「常民第一」に向かった結果、逆にジュリーの歌声から「政治性」がサッと退いていったように思えてならないのです。

ただただ、ジュリーの今の歌がそこにある感覚。
力強いけど過剰な力みはない。淡々としているようで凄まじくエモーショナル。
素晴らしい音楽、歌声です。ロックってやっぱり、外見も中身も志も作品も「カッコイイ」人がやってこその音楽なわけで、その意味では、この国でジュリーにしか踏み込めない道がこの新譜に開けています。
まず今日はタイトルチューンの1曲目「ISONOMIA」。
正直、歌詞解釈には「こうだ!」というところまで今の僕は辿り着けていませんが、今年も大いにジュリーの歌に元気づけて貰えたので、魂込めて書きます。伝授!


みなさま、「ISONOMIA」なんて言葉をこれまでご存知でしたか?僕はまったく知りませんでしたよ・・・。

実は僕は昨年12月早々にJASRACさんの登録を見て、今年の新譜のタイトル、クレジットを把握しました。
すぐに「ISONOMIA」の意味を調べると、「古代イオニアの政体」なる難しい解説があり、その政体とは「自由と平等が対立せず、自由であることがそのまま平等であり、逆もまた真」・・・う~ん、なかなかひと呑みにはできません。
耳慣れぬ言葉なので僕はその時「イソノミア」の5文字がなかなか覚えられず、忘年会でお会いした先輩お2人に新曲のお話をした際にも「え~と、え~と」となかなかタイトルが出て来ず、携帯でカンニングして「白井さんの作曲で、イソノミアって言うらしいです」とお伝えしたら、先輩のうちのおひとりが「磯の宮」と聞き違えて大笑い。おかげで僕はその日以降「磯の宮→ISONOMIA」と連想でタイトルを覚え込むことができたわけですが、お正月LIVEアンコール前の新曲紹介MCではジュリー自身も、「”磯の宮”ではありません、みたいなことをMCで言ってくれたりしてね。
「無支配」という意味なのだ、と。

言葉の意味を調べた時には、これは相当に政治性の強い歌詞だろうと予想しました。おそらく「格差があった方が都合が良い人達」を批判する内容なのかなと。
でもお正月に聴いた時は歌詞の細かな部分は把握できず、今回改めてCDでじっくり聴いてみると、意外や政治性の強さは感じず・・・もちろん社会性の高いメッセージ・ソングではありますが、「武骨なロック」として構えることなくいい歌だなと感じたのが第一印象。
そのぶん、解釈も難しいのです。
昨年の「un democratic love」のように、「ジュリーの歌詞一字一句すべてが腑に落ちる」という感覚は無いので、ウンウンと唸りながらジュリーのメッセージを読み解こうとしました。

テーマは原発。これはハッキリしています。
僕は最近よく思うんですけど、「脱原発」を望む考え方って果たして「政治的」なんだろうか、と。
頭をフラットにしてこの問題を考えた時、原発に反対する人達の「反対」理由はよく分かります。政治的な考え方はさておいても、「あんな事故が起こったんだから、もうやめようじゃないか」ということですよね。
でも、今なお「原発推進」を唱えるの人達の「推進」理由はよく分からない・・・それが正直なところ。
経済系の新聞が揃って「推進」であるからにはそれなりに理由があるんでしょうけど、細かく論説を読んでみても「そりゃあそうかも」と思える文章には出逢ったことがありません。むしろ何かを伏せているような違和感を感じることの方が多いです。
それがジュリーの歌う「欲望」なのでしょうか。

そこで「ISONOMIA」。

原子力 no!no! 無支配OK! ♪
D    E   F     G     F     G   A

ジュリーは「ISONOMIA=無支配」の対義語を
「原子力=支配」
としました。思えばジュリーは2013年リリースの「Fridays Voice」で既に「原発=支配」を歌っていますよね。
では、「ISONOMIA」に相い対する支配者とは誰なのか。ジュリーは「HIERARCHY」だと歌います。
とすればやっぱりこれは「格差社会」へのアンチテーゼ、政治性の強い歌ということにもなるのかな。
どうもうまく頭が纏まりません・・・。

解っちゃいないから止められない
D                        E

恥知らぬ人間の性 ♪
   A                 D

この表現などはかなり痛烈ですよね。大衆に膾炙したフレーズ「分かっちゃいるけどやめられない」を転じて、「解っちゃいないからやめられない」。
ジュリーが「止められない」と詞で漢字を当てはめているのは、本来「とめられない」との発音で歌いたいからでしょう。お正月がどうだったかは最早確認の術もありませんが、夏からのツアーでは「とめられない」とハッキリ歌うことも考えられます。

この記事執筆時点で稼働中の日本の原発3基のうち2基は、九州電力・鹿児島川内原発にあります。
そして、今年のジュリーの全国ツアーには鹿児島公演が組まれています。なかなかイイ感じのスケジュール(木曜日の祝日)ではありますが、今年は4月に母親の17回忌で一度帰省する予定があるので、懐の事情で僕は無念ながら参加を断念・・・ジュリーには是非、宝山ホール公演で「恥知らぬ」現知事に「解っちゃいないからとめられない」をお見舞いして目を覚まさせて欲しい、と考えてしまいます。
でもね、本当は「ISONOMIA」ってそういう過激な歌、声高に政治性を掲げる歌ではない、と思うんですよ。
今、「原発やめよう」という声はきっと政治などは関係なく、この国の「豊かな海」「豊かな里」「豊かな山」を愛する気持ちから出ているものがほとんどで、ジュリーもそうなのだと感じます。

さらに言うと「豊かな人」「faithful」とは僕らからすれば正にジュリーその人のこと。
「faithful」って素敵な英フレーズです。辞書を引くと「誠実な」とあり、「信頼できる人」こそ豊かな人=ジュリーと言って良いのではないでしょうか。
「ISONOMIA」は、「信頼できる人が歌う、信頼できる歌」だと思います。色々と考えあぐねて記事執筆が遅れましたが、僕はひとまずそんなふうにジュリーのこの詞、この歌を聴いているところ。
腑に落ちる歌詞解釈については、2015年リリースの「泣きべそなブラッド・ムーン」の時のように、みなさまからのコメントを拝見して「そうか!」という目からウロコなパターンを期待しています(他力本願汗)。

では次に「音」について。
こちらは「完璧」とまでは言えませんが、合ってるのかどうなのかは分からないなりにも、もう最初から最後までギター弾けるようになってますから!
やっぱりギター1本の伴奏というのは、コピーも燃えるものがありますね~。

それにしても、デビュー50周年に放つシングルにエレキ1本で歌う曲を持ってくるとは・・・。
攻めてますよ、ジュリーも白井さんも。
まずCDで聴いて驚いたのは、「音源にハンドクラップは入ってないのか!」と。
僕はてっきり白井さんのアレンジが「ギター+ハンドクラップ」に仕上がっていて、お正月にバンドメンバーがそれを再現してくれたものとばかり考えていました。
記憶がハッキリしないのですが、バンドが先導してくれたハンドクラップは基本「2、4」の裏拍で、Aメロ1回し目の「ここ!」という箇所で「ん・た・たん!」と変えてきていたように覚えています。てっきり「音源はこうなっているよ」と伝えてくれているんだろうな、とその時には思い込みましたが違ったんですね。
あの手拍子は、1人で伴奏する柴山さん以外の3人のメンバーが事前にお客さんのために練り上げてくれたパフォーマンスだったわけです。

とすれば、あの「キメ」の手拍子には理由づけがあるはずで、これは
「シンプルに聴こえるかもしれないけど、ジュリーの歌は同じメロディーを繰り返してはいないよ」
と、曲の「肝」を教えてくれていたんですね~。「ここは力強く!」というメロディーの箇所で手拍子に変化をつけてくれたんじゃないかなぁ。

自然の  底力   は 何よ  り強い ♪
A     Aadd9  Asus4  A   Aadd9  A  B(onA)

Aメロの歌詞1行目と2行目(続く3行目と4行目も同様)はそれぞれ全く異なる旋律。
ギター・リフでグイグイと攻めながらも、長年ジュリーのアレンジに携わってきた白井さんは「歌の表現者」ジュリーの真髄を心得ていて、「開放するメロディー」と「溜めるメロディー」の2パターンを用意しました。
バンドメンバーはその「開放」のメロディー(1番で言えば1行目と3行目)に手拍子の変化を以って、白井さんの工夫を伝えてくれたのではないでしょうか。
これはCDを聴いて初めて分かったことです。

ギター・リフの進行がこれまたトリッキーで、トニックにadd9とsus4を絡めるコード・リフまでは王道なんだけど、最後に「じゃ~ん♪」と突き放す和音がね、ギターならではと言うか、白井さんらしいと言うか。
先述の通り、コード表記するなら「B(onA)」とするしかないと思いますが、単にBの構成音(「シ・レ#・ファ#」)にルートのA(「ラ」)を加えただけでは白井さんの弾いている音にはならなくて、ここでは不協スレスレの「ミ」の音が同時になっています。
これを鍵盤で弾くと、左手で「ラ」、右手で「シ・レ#・ミ・ファ#」となり、結構気持ち悪い響きになりますが、ギターでは「ミ」の音を1弦開放で「他の音をぼんやりと包みこむように鳴らす」ことが可能。なんとも不思議な魅力が漂う和音となります。
これはジュリーのヴォーカルの語尾が明快に伸びている(「シ・レ#ファ#」のBでラの音を歌う、という時点で難易度高し。それをごくごく普通にロングトーンで澱みなく聴かせるジュリーは凄い!)からこそ生きる伴奏の響き、とも言えましょう。

さらに、「同じメロディーを反復させない」白井さんのこだわりは、サビ部でも強烈に表れています。
いや、音階を違えているのは最後の1音だけなんですけど、本当に目立つところですからお気づきの方も多いでしょう・・・「ISONOMIA」のサビは1番、2番、3番すべて着地の音階が違うんですよね。
1番の

無支配ISONOMIA♪
F#m D      E      A

は、「ファ#~ソ#~ラ~シ~、ド#~レド#~シ~ミ~♪」というメロディー。この曲の最高音である高い「ミ」の音に跳ね上がっての着地です。
それが2番「支配者HIERARCHY♪」では「・・・ド#~シ~ド#~♪」と宙に放り投げるような感触の着地。
3番「無支配ISONOMIA♪」では「・・・ド#~シ~ラ~♪」と端正にトニックまで下降するメロディーでバシッ!と〆てくれます。
ジュリーは当然作詞の際に3つのメロディーの違いに気づいていたはずですから、詞と合わせて考えると、「高らかに声を上げる」1番、「支配に疑問を投げかける」2番、「地に根を張る志を歌う」3番、とそれぞれの音階を合わせた解釈もできそうです。

白井さんのジュリーへの楽曲提供は、2009年の「満タンシングル」(ジュリー談)『Pleasure Pleasure』のタイトルチューン「Pleasure Pleasure」以来ですから本当に久しぶり(その間、白井さんのソロ名義で「聴こえなかったシグナル」でタッグを組んでいますが)。
白井さんは大いに張り切り、過去の自身作曲のジュリー・ナンバーを超えてやろう、と考えたでしょう。
ジュリーへの提供曲で白井さん自身が「エポックだった」と語っているのが「ROCK'N ROLL MARCH」。今年の「ISONOMIA」にはこの曲との共通点が多く、なおかつその時にはやれなかったことをやってしまおう」という意欲が見られます。

お正月LIVE大トリで初めて「ISONOMIA」を体感した時、エレキ1本の伴奏にド肝を抜かれた僕は、「爆音のエレキ弾き語りでメッセージ・ソングをブチかます」ニール・ヤングのスタイルを連想しましたが、実際にCDを聴いてみると、ニールとはちょっと違いました。
荒々しいけど緻密、ラウドだけど知的・・・この曲のギターの組み立てにはザ・フーのサウンドを想起させられます(カップリングの「揺るぎないやさしさ」の方てはギターのみならずドラムスもそうです)。
ただ、メロディーについてはそれだけじゃなくて。
パワーポップのようでもあるし、オールディーズのようでもあり・・・とにかく、立ち上がりたくてムズムズするこの感覚は何だろう、と。
で、3番の最後のトニックに着地するサビメロを聴いて、「あっ、クイーンの”RADIO GA GA”と雰囲気がよく似ているんだ」と気がつきました。音階も譜割も、フレーズの置き方も。

クイーンのナンバーには、「お客さんがキメのハンドクラップで参加しステージと一体になる」LIVE定番曲が2つあります。「RADIO GA GA」と「ウィ・ウィル・ロック・ユー」です。
僕は昨年クイーン+アダム・ランバートの日本武道館公演を観ましたが、もちろんこの2曲は本割のトリとアンコール1発目という重要な位置で演奏されました。「RADIO GA GA」で総立ちのお客さんがハンドクラップと共にステージに熱を送り込んだあの感覚は、お正月の「ISONOMIA」と重なります。
そうか・・・白井さん、去年のあの武道館にいたに違いない!(←推測です汗)

「ROCK'N ROLL MARCH」が「ウィ・ウィル・ロック・ユー」なら「ISONOMIA」が「RADIO GA GA」でも不思議ではありません。
還暦のジュリーと、デビュー50周年のジュリー。白井さんが捧げたエポックは、いずれも「ステージの熱気」。LIVE歌手・ジュリーへのリスペクトではないでしょうか。

タイガースのデビュー曲「僕のマリー」から、最新シングル「ISONOMIA」まで・・・ジュリーが選ぶ50曲。インフォメーションにもある通り、今年の全国ツアーで「ISONOMIA」は間違いなく歌われるでしょう。
クイーン+アダム・ランバートの武道館じゃないけど、ジュリーは「ISONOMIA」をセットリスト本割トリで歌ってくれる、と僕は予想しておきます!


それでは次回お題は当然、「揺るぎない優しさ」です。
あの震災から6年。この曲の考察では、避難を余儀なくされた人達への住宅援助打ち切りの問題について少し触れたいとは考えています。
ですが今回冒頭に書いたように、僕は今年の2曲について社会性、政治性を絡めて歌詞を紐解くことに抵抗も感じています。その解釈は自分の肝に秘めていれば良い、発信するのは為政への批判ではなくて、「優しさ」のみで良いのではないか、と思い悩みます。

その上で色々と考えるのがなかなか難しい・・・うまく考察を纏めることができるかどうか怪しいですがとにかく気合だけは入れて、脳を熱くして書きます。
1週間ほどお時間くださいね!

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2017年3月10日 (金)

沢田研二 「EDEN」

from『TRUE BLUE』、1988

Trueblue

1. TRUE BLUE
2. 強くなって
3. 笑ってやるハッ! ハッ!!
4. 旅芸人
5. EDEN
6. WALL IN NIGHT
7. 風の中
8. 痛み

---------------------

まだインフォが来ません・・・。
我が家はだいたい澤會さんの封筒は首都圏のみなさまより1日遅れで届くパターンが多いのですが、2日以上遅れた、というのはちょっと記憶にありません。
今年の全国ツアー・・・ジュリー50周年のメモリアル・イヤーをたくさんの人に観て欲しくて、友人、知人にスケジュールを知らせ申込日を決めて貰わなければならないんだけど、大丈夫かなぁ。
まぁ、おとなしく待つしかありませんが・・・。


ということで、新譜リリース直前の「プチ・みなさまからのリクエスト伝授!週間」、ひとまず締めくくりの今日のお題は「EDEN」です。
最初にお断りしておかなければならないのは、これから僕が書くのはあくまで『TRUE BLUE』に収録されたアルバム・ヴァージョンの「EDEN」(ニュー・リミックス)についての考察記事だということです。

本来なら2つ存在するヴァージョンの比較考察などしたいところですが、僕は未だシングル(B面)のヴァージョンを聴いたことがないんですよ・・・。
前回に続いてkeinatumeg様のすばらしい御記事を参照させて頂くと(
こちら)、どうやら「EDEN」はシングルとアルバムとでは単なる「ミックス違い」とは言い切れないようで、keinatumeg様は「演奏も別物」との可能性に言及していらっしゃいます。今後機会あれば(と言うかユニバーサルさん、CO-CoLO期まで含んだ『B面コレクション』の企画を是非お願いしますよ~)じっくり聴き比べたいと思っていますが、とりあえず今日はアルバム・ヴァージョンに絞って書いてみたいと思います。

リクエストをくださったのは、今では僕にとって「ジュリー道の師匠」とも言える存在のJ先輩。
と言ってもリクエストのお話があったのはもうずいぶん以前のことで、「アルバム『TRUE BLUE』から石間さんの曲を」ということでした。
長らくお待たせしてしまった最大の理由は、僕自身の『TRUE BLUE』という作品への評価が遅れまくっていたことです。それが今では「CO-CoLO期のアルバムの中では一番好き!」なまでになっているのですから、ジュリー道は本当に奥深い。
『TRUE BLUE』は「新曲を聴く直前に気息を整える」には最も適したアルバムのようにも思えます。
頑張って書きたいと思います。僭越ながら伝授!


最初にアルバムについての話を少しだけ。
僕が『TRUE BLUE』を「大好きな名盤」と思うようになるまでには2つの段階がありました。
まず第1は、一昨年のEMI期全オリジナル・アルバムのリマスター復刻。それまで僕はCO-CoLO期のアルバムを正式な形で購入しておらず、音源のみを所有している状態で、特に『TRUE BLUE』については歌詞カードのコピーも手元に無く、そのため明らかに聴き込みが不足していました。
そうした経緯の反動なのでしょうか、改めて購入し揃えた『架空のオペラ』含むCO-CoLO期の4枚の中では『TRUE BLUE』のリピート率が圧倒的に高くなり、「こんなに素敵なアルバムだったか!」と遅まきながら再認識、「WALL IN NIGHT」の考察記事を書いたのです。

第2段階は、個人的なことですが昨年10月に人生初の外科手術で内痔核の切除を行い、聞きしに勝る術後の痛みの中で「不思議な鎮痛効果があり癒される」ジュリー・アルバムとして『MIS CAST』と共に繰り返し聴いていたのが『TRUE BLUE』。
その中でも特に心を穏やかに落ち着かせてくれた名曲が「EDEN」でした。

「EDEN」の鎮痛効果には、3つの成分があります。
ひとつは、困難の中にあっても己をしっかりと持ち、「陽気な無頼」でエールを送ってくれるような大津あきらさんの歌詞。
さらには、全ジュリー・ナンバーの中で最もネイチャーで本格的なレゲエのリズムを採り入れた石間さんのメロディーとCO-CoLOの演奏。
そして、ジュリーの素晴らしいヴォーカル。
この3つです。

まず、『TRUE BLUE』というアルバムは、どの曲も歌詞が良いんですよね。しかもこの時期限定的な独特の味わいがあるように思います。
90年代後半から2000年代にかけては、覚和歌子さんやGRACE姉さんの詞がジュリーの生き方とリンクし、まるでジュリー自身の作詞作品のように聴こえる、ナンバーが多く見られますが、この『TRUE BLUE』では先んじて男性の詞でそれが起こっていたようです。
「WALL IN NIGHT」の記事にも書いた通り、僕がリマスターCDを購入し改めてこのアルバムのクレジットを見て驚いたのは、ジュリーの作詞作品が「風の中」唯1曲であったこと。音源だけ所有していた時点では、なんとなく収録曲の半分以上はジュリーの作詞のように聴こえていましたから。

「EDEN」の主人公は今、苦境にじっと耐える時期に身を置いていて、それでも無頼に「笑い飛ばす」「歌い飛ばす」矜持を忘れてはいません。
こんなふうに「心めかして」困難に立ち向かえたら・・・と、そんな憧れ、理想の人間像が浮かびます。
で、これは今だから思えることなんですが

素敵なお尋ね者 いなくなったね
Em                    D

寂しんで 楽しんで 心めかして ♪
   Em          G            D

僕は以前からこの歌詞部が凄く好きで、特に「素敵なお尋ね者」という表現に惹かれていました。それは、「愚かで横暴な正義をふりかざす保安官に立ち向かうウォンテッド・ガンマン」のイメージがあったんですけど、今はこれ、「スマートな無頼漢」を表したフレーズのように思えています。
ジュリーの「無頼」はどちらかと言うと寡黙なものですが、昔からジュリーの周りには「素敵なお尋ね者」的な弁も立つ無頼漢がたくさんいたんじゃないか、と。裕也さんや加瀬さんがそうかもしれないし、特にイメージがピタリなのは、かまやつさんなんですよね。
「EDEN」の主人公はそんな無頼漢が生き辛くなり少なくなってゆく世を嘆いてもいるような・・・。
ただ、そこで単にじっと孤独に耐えるだけではなく

焦らず探せば エデンが見える ♪
D          Em    G              D          

この「探せば」が重要だと思うんですよね。
光を見出すのは自分の力だと。「探す」を「目標を持つ」に置き換えても良いかもしれません。
昨年の術後の僕は正にそんな感じで「EDEN」に癒されていました。今もこの大津さんの詞には、人が辛い時、苦しい時、痛い時の人生のエールを思います。

次に、ズバリ!なレゲエ・サウンドに仕上がった石間さんの曲とCO-CoLOの演奏について。
『TRUE BLUE』に寄せた石間さんの作曲作品2曲がいずれもレゲエ・ビートというのはなかなか興味深いです。ジュリーにはレゲエを採り入れた曲も意外と多いですけど(「メモリーズ」「バタフライ・ムーン」「ボンボワヤージュ」「SAYONARA」など)、アルバムに2曲というのは珍しい。そして、「EDEN」はそれらの中で最もネイティヴなレゲエに近づいた特殊な1曲です。

僕はボブ・マーリーなどの本家レゲエはさほど詳しくなくて、どちらかと言うと自分が好んで聴く洋楽バンドの曲達の中に時々見かけるレゲエ・スタイルのナンバーで勉強していったという感じ。
初めて「レゲエ」なるジャンルを意識させられたのは、ストーンズのアルバム『ブラック・アンド・ブルー』に収録されているエリック・ドナルドソンのカバー「チェリー・オー・ベイビー」で、その後キンクスの「ブラック・メサイア」が大好きになったり、ポリスのアルバム『白いレガッタ』を聴いて「なんじゃあこりゃあ!」と衝撃を受けたりしながら血肉としていきました。

「自由度が高いんだけど、譲れない大切な決まりごと(裏拍アクセント)がある」
「パッと聴きラフなようでいて、実際の演奏はメチャクチャ難しい!」
「リフレインに誘われる眠気がクセになり癒される」

それが僕の持つレゲエのイメージです。
「自由度」については後でジュリーのヴォーカルに絡めて書くとして、ここでは「実は難易度の高さハンパない」点を書きたいと思いますが・・・さてみなさま、どの箇所でも良いですからこの曲の途中から「1、2、3、4・・・」とスッと数え始めることができますか?
どこが「1」だか分かります?
「あれれ?」となりませんか?

普段僕らが聴いているロック、ポップスのバンド・サウンドは、「小節頭の1拍目をバスドラ(キック)とベースでビシッと合わせる」のが基本中の基本です。アマチュア・バンドの稽古もまずはそこから始まります。
ところがレゲエではその肝心要の1拍目をわざと「抜く」んですよ。その点をほんの数打以外最後まで徹底しているジュリー・ナンバーは「EDEN」だけ。先程この曲を「ネイティヴのレゲエに最も近づいた特殊な1曲」と書いたのはそのためです。

例えばイントロ。
キックの音が聴こえてきますね。2、4拍目の裏拍を刻んでいます。他楽器が噛みこんでくると「裏の裏」も登場します。でも、初っ端のシンコペーション2打目以降は素直に「1拍目」を刻むことはありません。
「EDEN」のリズムは徹頭徹尾「裏」ノリなのです。これはベースについても同様です。

さらにアレンジで言うと、曲のクライマックス・・・リフレインに載せたアドリヴ演奏で聴き手が「落ちる」頃合を見計らって、ギターやキーボードなどの「装飾担当」パートがサ~ッと退き、ベースだけが明快に残るという手法。「EDEN」ではジュリーが「It's gonna be good」とトーキングを始めるあたりのアレンジですね。これまたレゲエの本道です。
それまで特に演奏を意識せずにゆらゆらと曲に身を任せていた聴き手が、とり残されたかのようなベースのフレーズに気がつく瞬間、いやぁ最高なんですよ。これが癒されるんです。
このベースをはじめ、僕らがそうそう容易くカウントをとれないほどレゲエの演奏は難易度が高い・・・「EDEN」はCO-CoLO期の全ナンバーの中でも演奏の素晴らしさ、凄さは筆頭格ではないでしょうか。それでいて、能天気なキーボードの音色や賑やかなパーカッションなど、難しいことを考えるのが馬鹿らしくなるほどの暢気さ、陽気さがこの曲の「音」の魅力なのだと思います。


最後に、ジュリーのヴォーカルです。
「素敵なお尋ね者」「スマートな無頼」を感じさせるのはやっぱりこのジュリーの声ですな~。
独特の閉塞感はあるけど「怖れ」は無い。力みも無い。良い意味で『告白-CONFFESION』から僅か1年後のヴォーカルとは思えない歌い方・・・このジュリーの自由度を引き出したのはまず石間さんのレゲエ・アプローチな曲想だったと思いますが、当然それだけではありません。

世のレゲエ・ナンバーって、ヴォーカル録りする時の気分で自由にメロディーを組み立ててアドリブっぽく歌っているんだろうなぁ、という印象があります。元々の作曲のメロディーもそんなに煮詰めていないんじゃないかなぁ、と。
ジュリーの「EDEN」も、そういう意味では自由度は高いと思うんです。ラストの「エデンが見える♪」の発声とか、1番「運ぶだけっっさ!」みたいなニュアンスとか。
でも、レコーディング現場の思いつき、って感じは受けない・・・ここがジュリーの几帳面さ、真面目さなのではと僕は大いに惹かれます。
あらかじめメロディーの自由度をリハで吟味した上で、「ここはこういうふうに歌う」と決めてから本番に臨んでいる感じを受けるんですよ。でなければ

ボンヤリ ノンビリ でもイカシテル
D                 Em   G            D         

シッカリ バッチリ だけどアブナイ ♪
D                Em   G                D

この字ハモ後録りコーラスが神技すぎます!
「アブナイ」の後の「ない、ない♪」も、発声からメロディーから「こう!」と決めてなければこんなにピタリとハモれないのではないでしょうか。
ちなみに、あまり語られることは少ないのですが、ジュリーの「自分ハモリ」はどの曲も本当に素晴らしいです。天賦の才ももちろんとして、几帳面な性格をそのまま反映している部分もあるんじゃないかなぁ。
「真面目で几帳面なジュリー」「陽気で無頼なジュリー」、この2面を同じように感じられる「EDEN」のヴォーカル・・・貴重な名曲だと思います。

『TRUE BLUE』はキャリアの長いジュリーファンの間では「CO-CoLO期ならこれ!」と仰る先輩も多く人気が高いようです。しかし、少し前の僕がそうだったように新規ファンの評価は今ひとつのような。
多くの人の再評価を望みたい名盤。特に・・・苦境に挫けそうな時、「EDEN」は効きますよ!


さて、ジュリー自身も「EDEN」はアルバムの中で特にお気に入りの曲のようで、ラジオでは「い~でん」の話をしてくれたり、「ぼんやり、のんびり」な雰囲気もジュリーの性に合っているんだな、と感じます。
でも、あくまでシングルとしてもB面曲ですから夏からのツアーで歌われることはなさそう。いつか生で聴ける日は来るのでしょうか。

アルバムからの「シングル」となるとタイトルチューンの「TRUE BLUE」。こちらはどうでしょう?
う~ん、50曲のセットリストの中に噛み込むのは厳しいかな~。待ち望んでいるファンも多いと思うし、是非柴山さんのアコギで聴いてみたいものです。


それでは、オマケです!
時期としては1年前の資料ということになりますが、『不協和音』Vol.6から、CO-CoLO各メンバーの貴重なインタビューをどうぞ~。


Fukyou618

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Fukyou620

Fukyou621

Fukyou622


では次回更新はいよいよ今年の新曲です!
さすがに新曲についてはじっくり腰を据えて考える時間が必要で、ハイペースでの更新とはいきません。かなりお待たせしてしまうかと思います。

その間のお留守番画像として、今日のお題「EDEN」の歌詞にあやかった若き日のジュリーのショットを3枚、最後に置いておきますね。



Pic0013

ぼんやり♪


Paper263

のんびり♪


005

でもイカしてる♪


アマゾンさんに予約しておいた『ISONOMIA』が、今年は発売日に先んじて今日届けられました。
でも、ここはじっと我慢・・・封を切り歌を聴くのは明日「3月11日」になってからにしたいと思います。

それではみなさまもご一緒に、これからしばしの新曲どっぷり週間といたしましょう!

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2017年3月 7日 (火)

沢田研二 「枯葉のように囁いて」

『JULIE SINGLE COLLECTION BOX~Polydor Yeas』収録
original released on 1983 シングル『きめてやる今夜』B面


Kimeteyarukonya

disc-40
1. きめてやる今夜
2. 枯葉のように囁いて

---------------------

前回はかまやつさんのことがあって枕で触れることができず、相当遅れての話題となってしまいますが・・・先月26日、今度は忘れずに『熱中世代』を観ました。
いや~貴重な映像でしたね。ザ・タイガース5人揃っての演奏シーンももちろんですが、2012年の中野サンプラザ公演(タローとスーパースター、ピーのジョイント・コンサート)に向けての音合わせ(ブルース進行のセッション)、タローがキーボードを弾きピーが歌う「楽しい時は歌おうよ」のリハなどのシーンは新鮮でした。
あと、やっぱり僕は「新曲」や「ツアー」に今後も向かっていこうというピーの姿勢はとても好きですね。
もちろん、「小説」(!)も是非書いて欲しいですし楽しみにしていますけど。

それにしても、メンバーの古希のお祝いに皆が元気な姿で駆けつけて演奏までしてしまうなんて、ザ・タイガースというバンドは50年の時を超えてもやはり特別な存在であり続けていますね。
全員、いつまでも元気でいて欲しいものです。


それでは本題。
3月11日の新譜リリースまでプチ開催中の「みなさまからのリクエスト」週間・・・今日は「枯葉のように囁いて」をお題に採り上げます。

お正月のMCでユニバーサルさんにチクリとやったジュリーですが、そりゃあ「アリもんをそのまま」貸してください、出させてください、は虫が良過ぎってもので、せめてファンのニーズを調べた上で、ジュリーが「おっ?」と思う企画打診をして貰いたいですよね。
『Rockn' Tour』などのLIVE盤CD化の実現はファンの悲願ですが、もうひとつ「絶対喜ばれる」のは『B面コレクション』。そこで初めて「CO-CoLO時代まで網羅して・・・」ということになれば素敵な話です。
本当に、ジュリーのシングルB面は名曲の宝庫。加えて、B面ならではの冒険的なアイデアは、時代の流行をハッキリ映し出すこともしばしば。

いつも仲良くしてくださる先輩から頂いたリクエスト・・・気合と気持ちを入れて頑張ります。伝授!


「流行を映し出す」意味では、これはジュリー・ナンバーの中でも特にニュー・ウェイヴ色、ニュー・ロマンティック色の強い1曲と言えます。

70年代末から80年代にかけてロック界を席巻した「ニュー・ウェイヴ」。その定義はなかなか難しくて、海の向こうだと僕の好きなパブ・ロックやネオ・モッズも含まれることがありますし、アフター・パンク・ビートの勢いでデビューしたXTCやポリスあたりも。
ただ日本の場合はYMOの影響力がメチャクチャ強くて、「ニュー・ウェイヴ」と言えば初期はかなりの比重でテクノ・ロックに寄せられているようです。

ジュリーのニュー・ウェイヴ期はアルバム『TOKIO』に始まり、大きな括りではかなり長く継続します。
でも、「TOKIO」という楽曲=テクノかと言うと実はそうでもない・・・S.Eや糸井重里さんの歌詞世界は確かにYMOを彷彿させますが、少なくともバンド・アンサンブルは全然テクノではありません。むしろ、洋楽ニュー・ウェイヴを採り入れた結果日本のテクノ・ブームとも接近したので、「仕上げに狙った」のだと思います。

80年代に入り、邦洋それぞれのニュー・ウェイヴは多様化していきます。
テクノの土台から進化する日本、YMOの世界的な流行を採り入れつつ洗練されてゆく海外。
ジュリーはどちらかと言うと洋楽ニュー・ウェーヴの進化過程をなぞり、ネオ・モッズの『G.S. I LOVE YOU』、パブ・ロックの『S/T/R/I/P/P/E/R』と来て、ちょうどその後・・・82年以降次第に邦洋双方のニュー・ウェイヴが「ダンス・ビート」の方向で足並みが揃います。
いわゆる「ニュー・ロマンティック」の台頭です。
ルックス、ヴィジュアルも重視。ダンサブルかつファッショナブルで、10代の女の子が躊躇いなく「好き!」と言える空気感があって、なおかつ音楽性にも秀でている・・・「ニュー・ロマンティック」って、そんなイメージ。
洋楽の代表格をデュラン・デュランとするなら、邦楽の代表格は・・・僕も今なら分かります。

それは”JULIE & EXOTICS”だったのだ、と。

楽曲で言うと「PAPER DREAM」「デモンストレーション Air Line」「水をへだてて」そして「枯葉のように囁いて」などはズバリ!ですね。

「枯葉のように囁いて」の建さんのアレンジには、ニュー・ロマンティックの手管が満載。ダンサブルなリズムとして、ロカビリーとスカ・ビートを融合するという斬新なアイデアは驚嘆のひと言です。
ところがこの曲は、そんなニュー・ウェーヴ、ニュー・ロマンティック流の手管よりも、三浦徳子さんの詞と井上大輔さんのメロディー、そしてジュリーのヴォーカルの方が全然主張も色も強いという・・・これこそが、リクエストをくださった先輩はじめ「この曲が好き」と仰るジュリーファンの多さの秘密ではないでしょうか。

何と言っても強力なのが井上さんのメロディーです。
イ短調王道の進行で、最高音が高い「ファ」の音ですからジュリーの声域と相性はバッチリ。三浦さんの詞もなめらかに載っていますね。
詞、メロディー、ヴォーカル三位一体。最大の聴きどころは、歌メロ冒頭部はじめ曲中数回登場する

ああ 今、止めようと思っ たのに ♪
   Am          Dm       Am   E7   Am

このフレーズでしょう。
ジュリー必殺の「ああ♪」も箇所ごとにニュアンスが異なります(前の小節の裏を食って「ああ♪」と言うより「あああ♪」みたいに歌う箇所が個人的には大好物)。

で、この詞で描かれる男女、どういうシチュエーションだとみなさまは思われますか?
井上さんの曲が哀愁漂う短調のメロディーですから、なんとなく「人目を憚って逢瀬を重ねる」男女・・・例えば阿久さんの「24時間のバラード」のような物語を連想しますが、まぁそうであってもなくても、僕はこの歌の主人公と相手の女性、「メチャクチャうまくいっている、最高潮のおつきあい」真っ只中だと思うのです。

長いこと あなたに逢っていない
      Am                               Dm

そんな気がして 壁を見つめた
         E7                           Am

グレイのソファの くぼみが指さす
         Am                             Dm

ついさっきまで あなたが居たこと ♪
      G7               E7               Am

状況としては、2人でどっぷりと愛を奏でまくって(←上品に書いたつもりが文字にしてみるとなんだか下世話笑)、「じゃあまたね!」といったん別れた直後、早くも次の逢瀬が待ちきれず悶々としている主人公の様子が浮かびます。
70年代の阿久さん作品だとその状況に何らかの諍いや障壁が垣間見えるのですが、この曲でそうしたものは一切無し。ただひたすら「もっと逢っていたかった」感に暮れる主人公なのです。だって、「あなた」も「僕」も「まだ緑色」だと言ってますから。
逢っている間は常に緑色で、「果てることを知らない」2人(←度々下世話な表現ですみません汗)。

「緑色」と「枯葉色」の対比で心情を描いた楽曲と言えば、サイモン&ガーファンクルの「木の葉は緑」という名曲があります。これは曲調的には一見爽やかな「緑」の謳歌をイメージさせますが実は「枯葉」の嘆きが歌詞の主張。
でも「枯葉のように囁いて」の場合はそれとはまったく逆。曲調からは「枯葉」の切なさを思わせるのに、主人公も彼女も心はバリバリの緑色。
さらにジュリーにこの声で歌われると、パッと見では華奢なヤサ男が実は「あなたと逢っている間は、俺は枯れることはない!」と断言するほどの絶倫男(笑)である、という・・・歌詞の「心」を「身体」に置き換えてみると分かり易いのですが、このギャップに先輩方は萌えるのではないですか?

くちづけしたから あなたは 僕のもの
        Dm                      Am  G7    C

腕時計はずして僕は あなたの  もの ♪
       Dm              Am   Dm  Bm7-5  E7

このあたりは、情景としてずいぶ 具体的ですしねぇ。
う~ん、もしかするとこの曲もまた先日書いた「絹の部屋」同様に、「男性の僕が聴くにはハンデがある」官能の名曲なのかもしれません・・・。

ということで、ここまでは妄想。ここから先は拙ブログ得意の邪推コーナー(似たようなものか汗)です。
以前から「枯葉のように囁いて」の考察記事を書く時が来たら是非触れたいと考えていた、「アレンジの謎」に迫りたいと思います。

この曲の建さんのアレンジ、一番の目玉は3’13”あたり、狂おしく噛み込んでくるヴァイオリンでしょう。
シンセの音であれば考察内容も全然違ってくるのですが、これは明らかに生のヴァイオリンなんですね。こういう曲に生のヴァイオリンをカマす、という時点で「ビバ!ニューウェイヴ!」で、建さんのセンスが炸裂しています。しかもこのヴァイオリンが、あまりにブッ飛んだ熱演にして名演ですから。
で、手持ちの『SINGLE COLLECTION BOX』で見ても、この『きめてやる今夜/枯葉のように囁いて』には演奏者クレジットの掲載がありません。
シングル盤をリアルタイムで購入された先輩方の中にも「このヴァイオリンは誰が弾いてるの?」と疑問を抱いた方はいらしたでしょうね。

その点について、僕と同世代ながらジュリーファンとしては大先輩でいらっしゃるkeinatumeg様の素晴らしい御記事をここで参照させてください(
こちら)。

keinatumeg様はいくつかの材料からこのヴァイオリン奏者を、建さんと深い関わりを持つムーンライダースの武川雅寛さんではないか、と推測されています。記事を拝見し、僕もきっとそうに違いないと思いました。
ところが、ですよ。
同年リリースのアルバム『JULIE SONG CALENDER』収録、武川さんのヴァイオリンをフィーチャーした「裏切り者と朝食を」あたりと比べてみて「枯葉のように囁いて」が明らかに異質なのは、ヴァイオリンのジュリーの・ヴォーカルとの絡み方です。
ヴォーカルもヴァイオリンも、それぞれ互いのトラックを「ガン無視」状態・・・そもそも「ジュリーの歌メロに絡む」となればヴァイオリンのフレーズ自体こうはならないだろう、とアレンジフェチの僕は思うのです。両方表メロ、という感じになっていますからね。
「あれよあれよとあなたは♪」のあたりでは、一部分だけヴォーカルのメロディーとユニゾンしています。通常のバッキング・アレンジではあり得ないことです。

そこで、ヴァイオリンが噛んでくる直前のヴァースの繋ぎ目をよく聴いてみましょう。
ジュリーのヴォーカル「思ったのに♪」の語尾と、「愛が枯葉に♪」の出だしがクロスしています!
つまり、基本「一発録り」で歌うジュリーをして、この曲では何故か「愛が枯葉に♪」以降のヴォーカルを別トラックで後から重ね録りした、ということになります。
これはどうしたことでしょう?

ここで僕の得意の推測(邪推)となるわけですが・・・この曲、建さんの当初のアレンジ構想は、「間奏」としてのヴァイオリン・ソロありき、で組み立てられていたのではないでしょうか。
すなわち、ヴァイオリンが鳴っているBメロと同進行のヴァースが丸々「間奏」で、その後にジュリーの最後のダメ押し「ああ、今止めようと思ったのに♪」のリフレインで曲が終わる、という仕上がりです。

ところが、最終段階でゲスト(おそらく武川さん)のヴァイオリン・ソロを追加録音してみると・・・「ここはヴァイオリンにかぶせてジュリーの歌があった方が面白いのでは?」と建さんがアイデアを変更、「間奏」予定だった箇所から改めてジュリーが歌ったセカンド・トラックを以て曲が完成した・・・これが僕の推測。
その結果、「ジュリーのヴォーカルは主人公の男性」「狂おしいヴァイオリンは部屋を出ていった相手の女性」・・・と、2人それぞれの心情を文字通りくんずほぐれつで体現しきった素晴らしい異色のアレンジ・テイクが誕生した、というわけ。

深読みかもしれないけれど、ジュリーが敢えてリード・ヴォーカルを2度に分けて録った理由が、僕には他に見つけられないのです。
いかがでしょうか?


さて、数日中には夏からの全国ツアー・インフォメーションが届きますね。
日程を目にしたら一層期待は膨らみ、どんなセットリストになるのかワクワクしてくるのでしょう。

今日採り上げたのはB面曲ですが、このシングルのA面「きめてやる今夜」は果たして歌われるでしょうか。仮に「1年1曲」というセレクトだとすると、83年からは「晴れのちBLUE BOY」が最有力。でも僕は「きめてやる今夜」をまだ生で聴いたことがないので、セトリ入りへの期待もとても大きいのです。
ジュリー、歌ってくれないかなぁ?


それでは、オマケです!
今日は83年の2つの資料をお届けます。
まずは、福岡の先輩よりお預かりしている『ヤング』バックナンバーの中から、83年9月号です。


830901

830902

830903

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830906

シングル『きめてやる今夜/枯葉のように囁いて』は、アルバム『女たちよ』と同時期だったんですね。こういうことも、後追いファンの僕は資料などで確認し、頭に入れてゆくしかありません。
で、『女たちよ』と言えば・・・最近、同い年の男性ジュリーファンの方からお借りした資料があるんですよ。僅か2ページではありますが、貴重な内容です。
83年発行のキーボード専門誌『KEYPLE』から!


Keyple8301

Keyple8302

僕はこんな雑誌があったことすら先日初めて知ったのですが、いかにもキーボード誌らしい切り口の記事はとても面白いと思いました。


では次回更新は・・・新譜リリースの11日の前になんとかあと1曲、ギリギリになるとは思いますが書いておきたい曲があります。

今では「師」と仰ぐまでに親しくさせて頂いている先輩からリクエストを頂いたのは、もうずいぶん前のこと。
なかなか書けなかったのは、曲が収録されているアルバムの僕自身の評価が遅れまくっていたこと。そして「ヴァージョン違い」の音源が聴けていないこと。
無念ではありますが、結局ヴァージョン違いの「シングルB面」音源は未聴のまま記事を書くことにしました。ホント、CO-CoLO期まで含んだ『B面コレクション』発売祈願!の気持ちも込めて書きたいと思っています。

ということで次回、久々のCO-CoLOナンバーです!

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2017年3月 4日 (土)

PYG 「淋しさをわかりかけた時」

『PYG/GOLDEN★BEST』収録
original released on 1971
シングル『自由に歩いて愛して』B面


Pygbest

1. 花・太陽・雨(Single Version)
2. やすらぎを求めて(Single Version)
3. 自由に歩いて愛して
4. 淋しさをわかりかけた時
5. もどらない日々
6. 何もない部屋
7. 遠いふるさとへ
8. おもいでの恋
9. 初めての涙
10. お前と俺
11. 花、太陽、雨(Album Version)
12. やすらぎを求めて(Album Version)
13. ラブ・オブ・ピース・アンド・ホープ
14. 淋しさをわかりかけた時(Live Version)
15. 戻れない道(Live Version)
16. 何もない部屋(Live Version)
17. 自由に歩いて愛して(Live Version)
18. 祈る(Live Version)

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かまやつひろしさん(ムッシュかまやつさん)が、先の3月1日に亡くなられました。
昨年かまやつさんが入院され病気を公表された時、僕はちょうど人生初の外科手術直前でした。
大変な病気と真正面から向き合い、復活を目指すかまやつさんのお姿に僕は喝を入れられ励まされました。
かまやつさんから勇気を貰い、手術も無事終わって術後の日々が一段落してから、僕は「午前3時のエレベーター」の考察記事を更新、かまやつさんのことをたくさん書きました。
あれからまだ数ヵ月しか経っていない・・・かまやつさんは宣言通りにラジオの仕事もされ、年末には堺正章さんの古希のお祝いに駆けつけるなど、お元気になられたものとばかり思っていました。
突然の旅立ちの知らせは信じられません。

作曲家としてのかまやつさんと言えば、スパイダースをリアルタイムで知らない僕の世代が真っ先に思い浮かべるのは、『はじめ人間ギャートルズ』のオープニング、エンディングの2曲です。
オープニング「はじめ人間ギャートルズ」は、ユーモラスなメロディーにファンキーなリズム、でも土台には武骨なブルース進行がある斬新な名曲。エンディング「やつらの足音のバラード」は、切なくも美しいワルツのメロディーで人類創生が歌われます。いずれも当時から変わらず大好きな曲です。
その後、かまやつさんがジュリーやタイガースに提供した名曲群を知り、スパイダースでの活躍を知り・・・日本のポピュラー音楽の礎を築いたレジェンドだったのだ、と学びました。

訃報があった2日は、ずっと「港の日々」を聴いていました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

☆    ☆    ☆

3月になりました。
祈りの月・・・ジュリーの新譜『ISONOMIA/揺るぎない優しさ』が今年も3月11日にリリースされます。また、澤會さんのツアー・インフォメーションは来週半ばに発送されるとのことで、新曲を聴きながら日程とにらめっこすることになりますね。

今年の新曲は久々の白井良明さん作曲の2曲。
お正月LIVEに1度聴いているとは言え、歌詞やメロディー、アレンジについてはまだ未知数の部分が多く今からCD音源を楽しみにしていますが、新譜発売までのこの3月上旬、拙ブログではこれまでみなさまから頂いていたリクエストお題の中から何とか頑張って3曲を書かせて頂くつもりです。
まず第1弾として、いつも丁寧にブログを読んでくださっている先輩から授かりましたリクエスト曲、PYGの「淋しさをわかりかけた時」を採り上げます。
この曲のリクエストを頂いてからは、ずいぶん時間が経ってしまいました・・・。

そして、今日は「伝授」とは言えない「懺悔」モードがメインの記事となります。
「そんなのつまらない!」とのお声もあるでしょう。でも僕は特にこの数ヶ月、大好きな将棋界の未曾有うの混乱、迷走ぶりを目の当たりにして、「懺悔」「謝罪」がいかに大事なことかを痛感しています。
ほとんどの方はこの将棋界を揺るがす大問題について詳しいことをご存知ないでしょうが、長い将棋ファンの多くが今怒り嘆いているのは、一部の「当事者」である棋士が何故「酷いことを考え、口に出してしまった。ごめんなさい」のひと言を言えないのか、という1点に尽きるのです。しかもそれを言わないのが、悉く僕が普段から個人的に応援してきた棋士達であるという・・・なんともやりきれない思いです。
僕自身が同じではいけません。時間はかかってしまいましたが、今こそ「ごめんなさい」を言う時。
恐縮ながら・・・よろしくおつき合いくださいませ。


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まずは、ちょっと長くなるんですが・・・今日のお題リクエストを先輩から授かり、今回の執筆に至るまでの経緯について書かせてください。

僕のブログ(に向かう心構え)はこれまで幾度かの転機を重ねていますが、その中でも2011年には2度に渡って大きなきっかけがあり、その時に色々と自問自答し考えたことは今も継続して自分に言い聞かせています。
考えたことを具体的に言うと
「読んでくれる人の気持ちを考える」
「己の無知、至らなさを自覚する」
この2点です。シンプルなことではありますが、以前の僕はそれがまるでできていなかったのですよ・・・。
じゃあ今それがうまくいっているかと言うとどうか分かりませんが(自分で「なってなかったなぁ・・・」と思う時もままあります)、常に頭にあることです。

2008年12月の『ジュリー祭り』東京ドーム公演レポートを機に「じゅり風呂」となったこのブログ。有難いことにたくさんの方が訪問してくださるようになりました。
それだけに今振り返って、特に2010年までの記事の中には、大間違いの記述に恥ずかしくて削除してしまいたい、あまりにも失礼な物言いで穴があったら入りたい、と思える記事も多いです。
楽曲考察記事については「あまりにも」と感じる部分を後からこっそり修正することもあるんですけど、問題はLIVEレポート。生ものの記事ですから修正も躊躇われ、自戒も込めてすべてそのままにしてあります。
酷い記述、傲慢な表現・・・とても多いですよ。
記憶の大間違いというだけならまだマシ。例えば2009年『奇跡元年』のレポートで僕は、鉄人バンドのインストのコーナーを平気で「休憩」と書いています。
演奏の諸々を偉そうに薀蓄垂れておきながら、ありえないことですよね。

まぁ、2009年までは「目下勉強中」ということで良かった・・・翌2010年、地方にお住まいの先述の先輩がわざわざ時間を作ってくださり、このブログについてアドバイスをくださるまでの期間は、かなり問題ありでした。
まず僕は同年リリースの新譜『涙色の空』を聴いて「これは凄いことになった」と感じました。
ベースレスの鉄人バンドが、完全に新たな境地に達した、ジュリーは奇跡のバンドを遂に手にした、と。特にタイトルチューン「涙色の空」での「1人1トラック体制」はちょっとこれまで聴いたことがない、こんなふうに音をぶつけてくるバンドは世界中でも他にないとの気持ちが強く、それなのに世間にそれが知られることなく、多くのジュリーファンにも伝わっているのかどうかも分からず・・・「聴くからには真に理解して欲しい」などと偉そうなことを思うようになり、演じ手と聴き手の乖離についてツアー・レポートで書いてしまいました。
「乖離」は実は自分の足元にこそありました。

その先輩は僕の書いたことを「ショックだった」と仰いました。そこで初めて、僕は自身の酷い傲慢に気がつくことになります。
ひとりよがりで調子に乗っていた、自分が見えていなかった、と思い知らされました。

その後しばらく、試行錯誤の時期が続きます。
「失礼のないように」と考えながらブログに向かうようにはなったのですが、具体的に何をどう変えていけばよいのかまでは分からずにいました。
「こう変えよう」と心が決まったのは2011年・・・先述の通り2つの大きな出来事が契機となりました。
ひとつはあの震災です。
遅すぎましたが、ようやく「人の気持ちを考えて書く」ことに思い至りました。自分の考えたこと、思うことを書く前にまずその点を考える・・・それをしないとブログを続けられないほど、あの震災は深刻な出来事でした。
もうひとつの出来事は、”ほぼ虎”という形ではありましたが、初めてザ・タイガースを生体感したこと。
「ロック」のカテゴライズに縛られて音や演奏を追いかけていたのでは見えてこない大切な魅力がここにあるのだ、と半年間の全国ツアーでガツンと知らされたように思います。
僕の想定外のところで「ステージと客席が通じ合う」不思議な雰囲気が漂う公演に何度も遭遇しました。ツアー前に2ケ月使って20曲の考察記事を書いたことも含め、タイガースと真正面から向き合ってみると、自分の至らない点が次々に見えてくるようでした。
何も分かっていないのは僕の方じゃあないか、と。

それからですよ。タイガースでなくとも・・・ジュリーのソロ・コンサートに参加していて、本当に時々ですけど「今、ステージとお客さんの間で特別なことが起こっている。僕はその境地に追いつけていないなぁ」と思う瞬間を感じるようになったのは。
2012年『3月8日の雲~カガヤケイノチ』ツアー後半の「気になるお前」が最初かな。
それまでもきっとあったそんなシーンに、僕は気づけていなかったのですね。
今回は参加叶わず生で体感できませんでしたが、先のお正月の「頑張れ!」エールのシーンもそうだったんじゃないかなぁ、と想像しています。
ジュリー=ロックという考えには今でも変わりありませんし、それどころか「今、世界で一番ロックしている歌手」だと思ってはいますが、今ではそこに「ジュリーはロックというジャンルだけでは括れないけれど」との枕が常に脳内についてきます。この感覚は2011年以降ずっと僕の中にあるものです。

以来、「ロック」を振りかざしたり、自分の考察を絶対のように押しつけることだけはやめよう、と決めました。これは、2010年に先輩が色々とお話くださらなければできなかったことだったかもしれません。御礼が本当に遅れましたが、とても感謝しています。

さて、そこで今日のお題「淋しさをわかりかけた時」。
PYGナンバーの考察は、タイガース以上に僕には難しいのです。当然僕はPYGのステージを生で体感したことがないですし、実はジュリーのデビュー以来の長いファンでいらっしゃる先輩方の中にも、「タイガースのLIVEは観たことがあるけどPYGは機会を逃してしまった」と仰るかたも多いほど。
まして僕などは当時の空気感も想像すら困難。ただただレコーディング音源を聴き込んで色々と考えていくしかないのですが・・・これは何という名曲でしょうか。

1971年リリースという時期を考えても、演奏の完成度はもとより、タイガース解散の記憶も新しいこのタイミングでジュリーはこんな歌を歌っていたのか、との驚き。その声、詞、メロディー、演奏からは美しいほどの切なさが襲ってきます。
これは・・・何だろう?
先述の先輩からリクエストを頂いた際には、リクエスト曲とその時の先輩のお話とは別物と考えていましたが、いやいやそうではなかったのかなぁ、と。
安井かずみさんのこの詞は、「人の気持ちや痛みを考える」内容ともとれるのではないでしょうか。

雨には雨の歌があ  る さ
Gm        Am      Dm  C   F

忘れてたやさしさ ♪
Gm        B♭   F

こちらの気持ちが「晴れ」であっても、相手は「雨」の時もある。雨には雨の歌がある・・・。

愛には愛の明日があ  る よ
Gm        Am         Dm  C    B♭maj7

淋しさをわかり かけた時 ♪
   B♭   Em7-5  A7       Dm

「分かった」ではなく「わかりかけた時」。完全に理解はできていなくとも、「気づき」があれば自分から変わっていける・・・これは、2011年のあの震災と”ほぼ虎”ツアーで僕が悩みながら自分の意思で「変わらなきゃ」と考え過ごした日々と驚くほどリンクします。

この曲はじめ、PYGの演奏は圧倒的にロックです。「ロックバンド」以外の何物でもない・・・だからこそ、当時もしかすると少し前の僕のように、彼等が実際に奏でる音楽とLIVEに訪れるファンの応援のありかたの乖離を書きたてた評論家さんもいたかもしれません(具体的にそのような資料は見たことはないですけど)。
今はそれがまったくナンセンスと分かります。「淋しさをわかりかけた時」の安井さんの詞に、僕はそんなことも改めて教わる思いがします。

・・・と、ここまでは「考察」と言うより個人的に「書いておきたかったこと」です。長々とごめんなさい。
ここからはこの名曲の聴きどころを探ってみましょう。

Sabisisawowakari


今日の参考スコアは、『深夜放送ファン・別冊/沢田研二のすばらしい世界』から。採譜されたコードは相当怪しく誤りだらけですが、本当に貴重な資料です。

まずイントロ、無機質な鐘の音とハモンド・オルガンの低音で「不穏な」感じを受けますね。「花・太陽・雨」でのジョン・レノンの「マザー」のような4拍の重々しいギター連打の印象と重なります。
ところがこのイントロの進行は、曲の最後のハミング部で再度登場。ハモンドの音階が変わり、ハミングのヴォーカル・メロディーが加わるとこうも違うのか!と言うほどの爽快さに驚かされます。
そりゃあそのはず・・・これは、あの「風は知らない」のイントロとまったく同じ進行なのですから。

歌メロが始まると

今  なら話せる傷ついた過去
Dm   C     F       B♭          C   A7

今  なら許せる
Dm   C     F   B♭

あいつ 若い日の憎しみも
      Gm              Am7   Dm   C

今  なら歩ける あの夕陽の丘 ♪
B♭  Am7 F            B♭        C  A7


(ちなみに、『沢田研二の素晴らしい世界』ではAメロの出だしをすべて「Dm→Am→F」で統一していますがこれは二重の意味で誤りです。「今なら許せる」と「今なら歩ける」でコード進行を変えてきているのがPYGの素晴らしい工夫です)

重い歌詞です。
想像でしかありませんが、リアルタイムで聴いたジュリーファン、タイガースファンは、この歌に同年1月24日の記憶を呼び起こされたりしませんでしたか?
新規ファンの僕ですら、この詞を歌うジュリーに「涙」のニュアンスを感じるほど・・・実際、手持ちのCD『GOLDEN★BEST』に収録されているライヴ・ヴァージョンでは、「心では泣いてても」と歌うジュリーの声が涙で震えているように聴こえます。
でも、それがまたジュリー・ヴォーカルと大野さんのメロディーの魅力。背負うものも多い中で、「自分達はこういう音楽をやっていくのだ」との覚悟も感じます。

それにしても、リアルタイムでドーナツ盤のシングル『自由に歩いて愛して』で両面2曲を聴くインパクト、感じられるバンドの気迫は如何ほどだったでしょう。
A面、B面合わせてのコンセプト・シングルという点では、タイガースからのジュリー50年のキャリア中でも突出した1枚かと思います。
PYGの気迫、一体感はこの2曲それぞれのアレンジにも表れていて、間奏ひとつとっても、堯之さん作曲の「自由に歩いて愛して」で大野さんのオルガン・ソロ、大野さん作曲の「淋しさをわかりかけた時」で堯之さんのギター・ソロと、対をなしています。

「淋しさをわかりかけた時」の堯之さんのソロは素晴らしい名演で、「花・太陽・雨」のソロを短期間で進化させたかのようです。
左サイドにギターのコード・カッティングのトラックがありますから、このソロは満を持しての「後録り」でしょう。堯之さんは、チョーキングの際に上弦に触れるかすかな音すら「こう!」とストイックに作りこんでレコーディングに臨んだのではないでしょうか。

それと、これは以前「初めての涙」の記事でも書いたのですが、ジュリーのヴォーカルに身を委ねている時、瞬間瞬間で飛び込んでくるショーケンの声に耳を奪われハッとする、ということがこの「淋しさをわかりかけた時」でも起こります。
例えば1’27”の「明日が♪」のあたり。ショーケン独特の濁音表現の存在感、ハンパないですね。

PYGの曲には、たとえ明るい曲調、前向きな歌詞であってもどこか(良い意味で)影があるように思います。これは、70年代初期洋楽ロックのカウンター・カルチャー色を採り入れているとも言えますし、日本独自のニュー・ロック的な表現であるとも言えます。
苦境の中から立ち上がって行こう、という感覚でしょうか。ですから、ちょっと落ち込んだりしている時に心に染み入ってくる曲が多くなります。

僕はこの「淋しさをわかりかけた時」と「自由に歩いて愛して」の2曲を、2014年のツアー・ファイナル直後によく聴いていました。
ステージで色々とあって僕らジュリーファンの気持ちも沈みがちだったあの時期、この曲を歌う71年のジュリーの声になんとも言えず癒されたものです。
「ただ明るいだけ」の曲ではそうはいかなかったかもなぁ、と思います。

もうひとつ重要だと思えるのは、ジュリーがこの曲を2007年のお正月コンサート『ワイルドボアの平和』で採り上げ、冒頭1曲目で歌っていることです。
『ジュリー祭り』の後、僕は先輩方からタイガースについて色々と教えて頂く機会が多かったのですが、その時「数年前から、ジュリーがピーに会おうとしている」ということを何人もの先輩から伺ったものでした。

タイガースの再結成とかそういうことではなく、長い間疎遠になってしまった友達との再会を望んだジュリー。そんな最中の2007年、「淋しさをわかりかけた時」のような歌をジュリーが歌った、というのは何か深い意味があるようで・・・考え過ぎなのでしょうか。
僕は『ワイルドボアの平和』でジュリーが1曲目に歌った「淋しさをわかりかけた時」をリアルタイムで体感した長いジュリーファンの先輩方が、その時どのような感想を持たれたのかとても気になります。
「おおっ、すごくレアな曲が聴けた!」というそれだけではなかったのではないですか?
コンサートに参加されたみなさま、是非この機にお話を聞かせてください。

今夏からの50周年メモリアル全国ツアー、「シングルばかりを歌う」ということで、ファンは「PYGの曲は歌われるだろうか」と期待を寄せています。
多くの先輩方はその中でも「自由に歩いて愛して」を切望されていますが、どうなるでしょうか。
個人的にはやっぱり「花・太陽・雨」じゃないかなぁと予想しています。
僕が生でPYGナンバーを聴いたのは『ジュリー祭り』の「花・太陽。雨」唯1度。他の曲となるとすべて未体感です。タイガースについてはどうにかこうにか先輩方の後から必死に追いかけ、末席からでもついてはいけてるなぁと思いはじめた僕ですが、PYGは本当に未知のゾーン。気をつけていないと未だにバンド名を「ぴー・わい・じー」と呼んでしまいます(これはYOKO君も同様)。
夏からのツアーで、少しでもPYG追体験の感覚に浸れると嬉しいのですが・・・。


それでは、オマケです!
Mママ様からお預かりしている切り抜き資料の中から、『叫び pyg言行録』をどうぞ~。


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では、みなさまからのリクエスト週間、次回も「シングルB面」のお題が続きます。
今度はジュリーのソロ、エキゾティクス期の名曲。

僕としては珍しく(汗)、リクエストを頂いてから僅かひと月で書くことになります。
その曲に
は、以前から「書きたい!」と考えていた「アレンジの謎」があるのですよ~。この機に独自の推測でその謎を紐解いていきたいと思っています。
引き続き頑張ります!

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