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2017年2月

2017年2月25日 (土)

沢田研二 「想い出をつくるために愛するのではない」

from『LOVE~愛とは不幸をおそれないこと』、1978

Love

1. TWO
2. 24時間のバラード
3. アメリカン・バラエティ
4. サンセット広場
5. 想い出をつくるために愛するのではない
6. 赤と黒
7. 雨だれの挽歌
8. 居酒屋
9. 薔薇の門
10. LOVE(抱きしめたい)

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今日は阿久悠さんのことをたくさん書きたいと思っていますが、タイミング良くTV番組の情報が。
BSプレミアムで放映の『ザ・プロファイラー』が、3月2日に阿久さんの特集を組んでくれるようですね(
こちら)。「時の過ぎゆくままに」「勝手にしやがれ」の話題は(あわよくば映像も)期待できるのではないでしょうか。
是非観てみたいと思います。

阿久=大野=ジュリーのトライアングル黄金期の名曲群・・・みなさまが敢えてその中から「個人的ナンバーワン」を挙げるとすればどの曲ですか?
僕はね、ハッキリしています。
アルバム『LOVE~愛とは不幸をおそれないこと』の中で一番好きな曲であり、すべての阿久さんの作詞作品の中で一番好きな曲をとうとう書く時が来ました。
「想い出をつくるために愛するのではない」、伝授!


真冬に聴くこのアルバムは格別の素晴らしさですが、その最大の魅力は何と言っても「ここまでやるか!」という阿久さんの詞です。
「TWO」も「24時間のバラード」も「アメリカン・バラエティ」も「サンセット広場」も「赤と黒」も「雨だれの挽歌」も「居酒屋」も「薔薇の門」も凄まじいと思う・・・でもやっぱり一番凄いのは「想い出をつくるために愛するのではない」ではないかと僕は思います。
てか、大トリ収録のシングル曲「LOVE(抱きしめたい)」・・・ジュリー・シングルの中でも最強に主人公のダメージ度が高い曲が普通のラヴソングに聴こえてしまうアルバムってどれほどなの?という話。

型破りなまでに斬新かつ挑発的でありながら、完全に大衆に受け入れられ音楽界で圧倒的な支持を得た、というのが阿久さんの詞の凄さです。
「タブー知らず」なその言葉選びが分かりやすく説明できる、ジュリー・ナンバー以外の阿久さんの楽曲をまずここでご紹介しましょう。
1974年に放映された「特撮ヒーロー」子供番組の主題歌ですので、当時小学生男子だった僕と同じ世代の男性ならほとんど知っているはずですが、多くの女性ジュリーファンはご存知ないでしょうか・・・ズバリ『スーパーロボット マッハバロン』の主題歌です(こちら)。

阿久さんの歌詞云々の前に、みなさまはこの歪みまくったエレキギターや、ドラムス鬼のキック連打、ハードなヴォーカル・スタイル、ロックンロールな曲調、グラム・ロックなアレンジにまず驚かれたかと思います。作曲は誰あろう、井上忠夫(大輔)さんです!
で、阿久さんの歌詞、と言うか言葉の選び方がね・・・強烈過ぎませんか?

(悪の天才が)世界征服を夢見たときに
ですよ!
蹂躙されて黙っているか?
ですよ!

こんなフレーズを当時の子供たちは普通に覚えて、歌っていたわけです。「蹂躙」なる言葉の意味を分かっていたかはともかくとして。

さらに話が逸れますが・・・僕は「パチソン」フェチです。
「パチソン」・・・これも昭和の素晴らしい文化のひとつで、当時、子供向けの特撮やアニメなどのテレビ番組幾多の主題歌を、名もないバンドが耳コピで演奏、歌唱しレコーディングしたものを、怪しげなイラストが描かれたレコード、或いはカセットテープに編集されて全国各地のスーパーやデパートで安価で叩き売られている、ということがあったのです。
もちろん「本物」とは違うヴァージョンですから、何も知らずにお母さんが買ってきたレコードを聴いて子供たちは「なんか違う~」と思いながらも楽しんでいたのですね。原曲と比べるとヴォーカルのメロディーがおかしな抑揚になっていたり、ここぞとばかりにバンドが好き放題なアレンジ解釈の主張をしていたりと、バンドの数だけ怪作、迷作が多く生み出されています。
ちなみに僕も母に買って貰った『あつまれ!テレビまんが』というパチソンLPを持っていました(今も実家にあるかどうかは未確認)。すべて「ファットロマンサーズ」なるバンドの演奏。「マジンガーZ」「アイアンキング」「デビルマンのうた」が特に凄いですが、その醍醐味を理解したのは高校生になってからでした。

そんな中、パチソン・マニアの間で「永久保存版」と言われているのが『マッハバロン』のそれです。
僕がこのパチソン・ヴァージョンの存在を知ったのはほんの数年前のことで、たまたまYou Tubeで見つけて聴いた時にはひっくり返りました。
酔っ払って風呂場にカラオケ・セットを持ち込んで歌ったかのようなリード・ヴォーカル、最初のカウント出したメンバーの遅すぎたテンポを信じられないほど忠実にキープする演奏、あまりに陽気なアレンジ解釈のキーボードも凄いんだけど、まぁとにかくここは、歌詞に注意して聴いてみてくださいよ(こちら)。

耳コピが招いた大惨事。
そりゃあ、世界征服を夢見る悪の天才が突然チューニングを始めたら僕も黙っちゃいないけどさ・・・。
でもね、これは逆に阿久さんの凄さを物語っているとも言えるんです。「あの阿久悠さんが書いた詞だよ。子供番組の主題歌だからと言ってナメていたら大変なことになるよ」という実例なのですから。

同じことは、『LOVE~愛とは不幸をおそれないこと』というアルバム、「想い出をつくるために愛するのではない」という名曲についても言えます。プロフェッショナルが心血注いだ歌謡曲をナメてはいかん、と。
僕は次回更新で本格的な「懺悔」モードの記事を1本書くつもりでいます。と言うのも、数年前までの僕はやたらと「ロック」を振りかざしてずいぶん不遜、傲慢な文章をこのブログで書いていました。さらにそれ以前となると、ハッキリ「歌謡曲」なるジャンルを「ロック」から2、3段下に見ていたと思います。
それを翻したのがジュリーの『今度は、華麗な宴にどうぞ』との出逢いであり、トドメが『LOVE~愛とは不幸をおそれないこと』でした。
阿久さんの詞だけとっても、これはロック以上にロックではないか、と。でも、世のジャンル・カテゴライズは「歌謡曲」。それで良い、それが良いのです・・・最強の歌謡曲、ここにあり!です。

阿久さんはこの曲で「2年3ヵ月つきあってきた彼女と別れた」と、要約するならば1行で済むシチュエーションをどこまで拡げられるか、というテーマに挑戦しているように思われます。
まぁ阿久さんが書いたのですからこの物語の中の主人公と彼女の関係はかなり特殊で禁断的なものではあるのでしょうがそれはさておき、「情景」を映し出す言葉も、「気持ち」を表す言葉も神出鬼没、縦横無尽に散りばめられ、濃縮され繋げられて、まるで映画を1本観ているかのような名篇。

夏の日の帽子 くるくると風に舞った
   Am                   G

まぶしさを失い 落ちて行く夕陽は
      F                     Em

生きることを恥じている
Dm       E7       Am       Am9

妥協なく畳みかけられる阿久さんの言葉。
真冬の情景に「夏の日の帽子」を登場させる手法は、同アルバム収録の「雨だれの挽歌」でも「あなたの肌の熱さ」から真冬の凍える寒さを描いた阿久さんならではの神技です。
「想い出をつくるために愛するのではない」と「雨だれの挽歌」は主人公の置かれた状況がよく似ていて、「ホテル」が共通のフレーズなのですが、当然ながら別の物語でホテルの場所も違いますね。「雨だれの挽歌」は外に出ればすぐメトロの駅まで歩いていけますから「都会」でしょう。一方「想い出をつくるために愛するのではない」は窓から冬の海が一望できる「地方」・・・おそらく、夏には旅客で賑わう観光地なんだけど冬は閑散としている「○○岬」といったところでしょうか。

で、主人公は1人ホテルの部屋で夕刻から夜にかけてを過ごしていますが、「昨日」の時点・・・いや、当日のお昼までは彼女と一緒だった、と想像できます。
別れの直後にイーグルスを聴きながら5杯目のウイスキーを飲む主人公。とは言っても聴いているイーグルス・ナンバーは「ホテル・カリフォルニア」ではなさそうです。「呪われた夜」「駆け足の人生」あたりかな。
そして

想い出をつくるために
   Am                Dm

愛するのではないのです ♪
   Am           Em         Am
   
阿久さん、容赦無し!
久世さんにしても阿久さんにしても、ジュリーを愛する天才って、美しいジュリーをトコトン痛めつけ傷つけることで心身が燃え上がったりするのでしょうか。

そして、主人公のダメージを「これでもか!」と追い込んでいるのは、アレンジと演奏も同様です。
『LOVE~愛とは不幸をおそれないこと』には、羽田健太郎さんをはじめとする天才肌ミュージシャンの演奏だからこその素晴らしさがあって、スコアに忠実でありながらそれ以上と言うのか、「どういう曲である」ということを踏まえて音が出ているように思えます。
特にチェロが凄い!情念、恩讐すら感じます。
そして船山基紀さんのアレンジ。一番最後のダメ押しリフレインで、各楽器が音量と手数を下げ、サ~ッと後方に退いていきますよね。とり残され、徹底的な孤独を強いられるジュリーのヴォーカルが、主人公のダメージをダイレクトに伝えてきます。

でも。
この恩讐じみたダメージ・ソングにあって、ジュリーのヴォーカルと大野さんのメロディーだけは「ノーマル」。それはまるで悪戯を企み盛り上がっている仲間連中を無言で手助けしているような・・・それでいてジュリーと大野さん無くしてその企みは成就しないという確信を持った「余裕」とも言えます。
「受け入れている」のではない、「突き抜けたノーマルの余裕」だと僕には思えるのです。
ジュリーのヴォーカルも大野さんのメロディーもひたすらに美しく気高く、俯瞰力に満ちています。このアンバランスこそが「想い出をつくるために愛するのではない」、ひいてはアルバム『LOVE~愛とは不幸をおそれないこと~』の個性であり魅力ではないでしょうか。
こんな歌、「70年代歌謡曲の王者」ジュリー以外で成立するでしょうか?少なくとも並の歌手では阿久さんに飲み込まれてしまうでしょう。

正に、「狂乱の70年代」と格闘してきた阿久さんが、ジュリーという奇跡のようにノーマルな天才の歌で「時代」を映し出した名曲なのだと思います。

アルバム『LOVE~愛とは不幸をおそれないこと』は、僕の周囲のJ先輩やJ友さん達の間でハッキリ好みが分かれる作品のようです。
「好みでない」と仰る方々から多く聞かれるのが「くどい」というご感想。う~ん、確かに「くどい」です。また、「ド歌謡曲」と評する方々もいらっしゃいます。うん、確かにそれはその通り。
でも僕は個人的に、突出したもの、やり過ぎたもの、突き抜けたものが大好きです。
ジュリーの幾多の名盤の中で、『LOVE~愛とは不幸をおそれないこと』の「突き抜け度」は最高級だと思います。昭和の偉大な「歌謡曲」が産み落とした形見のような1枚ではないか、とも思っています。大好物です。

ただ・・・ジュリー本人がこのアルバムをどう思っているかはまた別の話で。
たぶん、好きではないでしょうね(笑)。
このアルバムから、「LOVE(抱きしめたい)」以外の曲をこの先のジュリーLIVE・セットリストで体感するというのは、夢のまた夢でしょうか・・・。


それでは、オマケです!
今日は、記事お題収録アルバム『LOVE~愛とは不幸をおそれないこと』リリースと時期こそ異なりますが、同じ78年の資料ということで・・・いつもお世話になっている先輩に以前お借りしてスキャンさせて頂いた、『JULIE ON STAGE '78』パンフレットからどうぞ~。


78jan01

78jan02

78jan03

78jan14

78jan07

78jan08

77年末に日本レコード大賞を見事受賞し、明けてのお正月LIVEですよね。有名な「もろた節」を披露してくれたのは、このツアーだったのでしょうか。


さて次回更新は・・・。
今月はここまで「3日に1曲」を自分に課して頑張ってきましたが、2月は勤務先の決算月ということで月末から翌3月頭までは帰宅も遅く、下書きに集中する時間がとれません。ですので1週間ほど更新間隔を空けることになるかと思います。

来月3月11日には待望の新譜『ISONOMIA/揺るぎない優しさ』が発売となります。それまでの3月上旬、溜まりに溜まっているみなさまからのリクエストの中から3曲のお題を選び、この機に書かせて頂くつもりです。
まず次回は、今日の本文中で少し触れました通り、ちょっと「懺悔」モードの記事となります。

2010年に僕のブログの至らなさや欠点について親身にアドバイスしてくださったJ先輩が、その時宿題のようにリクエストしてくださった曲を遂に書こうと決意。
「今なら話せる」・・・あの頃の自分を振り返って。
と、思わず歌詞フレーズのヒントを書いてしまいましたが、次回、PYGのお題でお会いしましょう!

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2017年2月22日 (水)

沢田研二 「夢見る時間が過ぎたら」

from『明日は晴れる』、2003

Asitahahareru

1. 明日は晴れる
2. 違いのわかる男
3. 睡蓮
4. Rock 黄 Wind
5. 甘い印象
6. Silence Love
7. Hot! Spring
8. ひぃ・ふぅ・みぃ・よ
9. 100倍の愛しさ
10. 夢見る時間が過ぎたら

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先の日曜日は『熱中世代』のことを見事に忘れていて、前回記事を更新した後にじゅり風呂巡りをして「ああっ、そうだった!」と地団駄を踏んだDYNAMITEです。
番組はとても素敵な内容だったようですね。次は忘れないようにしないと・・・。


さて、矢継ぎ早の更新が続きます。
本当に偶然なんですが、このところ藤公之介さん、及川恒平さん、尾上文さんと男性作詞作品のお題が続いていて、今日書こうとしている曲もそうなのです。
昨年は「女性作詞ジュリー・ナンバーの旅」シリーズを書いていたことがあります。はからずも今は「男性作詞ジュリー・ナンバーの旅」をしている感覚。

ただ、今日のお題は特殊な1曲です。なにせ「2000年代の男性作詞作品」なのですから・・・ジュリーファンならば、それがどれほど稀なことかは分かりますよね。

2003年リリースのアルバム『明日は晴れる』の中で僕が最も好きな名曲です(CD購入直後は「違いのわかる男」に、”ほぼ虎”武道館公演直後は「Silence Love」にその座を譲る時期もありましたが)。
「夢見る時間(とき)が過ぎたら」、伝授!


1995年のアルバム『sur←』以降現在まで、セルフプロデュースによる新譜製作を続けているジュリー。
みなさまご存知のようにこの95年を機にジュリーは、「自作詞曲以外は基本的に女性に詞を書いて貰う」というスタンスを貫いています(act、音楽劇は除く)。

例外は、まずTEA FOR THREE、及び「Long Good-bye」のサリー、さらにはジュリーwithザ・ワイルドワンズの吉田Qさん(「涙がこぼれちゃう」「いつかの”熱視線ギャル”」の2篇)、そしてアルバム『明日は晴れる』で伊集院静さんが提供した「甘い印象」そして「夢見る時間が過ぎたら」の2篇ということになります。
僕としてはそこにもう1曲、ジュリーwithザ・ワイルドワンズの「プロフィール」を加えておきたい・・・この曲の作詞クレジット「Sunset-Oil」が一体誰の(或いは数人合作の)ペンネームなのかは未だ謎のままですが、僕にはこれ、男性が書いたとしか思えないんですよ。お互いに年齢を重ねてきた男性の長い友人同士が、人生のエールを送り送られ「まだまだ、これから!」という。
さらにそのアプローチは、伊集院さんの「夢見る時間が過ぎたら」ととてもよく似ているのです。
もし「伊集院さん=Sunset-Oil」だと言われても僕は驚きません。まぁさすがにそれはナイでしょうけど・・・。

前々回更新「絹の部屋」の記事で僕は「男性である、という時点で”官能のジュリー・バラードを聴く際にハンデがある」と書きました。
その一方で、「プロフィール」や「夢見る時間が過ぎたら」あたりは、「男性ファンだから勝手に詞の内容を妄想できる」面もあるかと思います。ただし、僕のようにジュリーと年齢が離れていては残念ながら不充分。
どういうことかと言うと・・・。

ジュリーという人は間違いなく「男が惚れる男」です。
想像するに、そうした親愛の情はジュリーと年齢が近い男性ファン、業界のプロフェッショナルをして
この男とダチになりたい
との願望を抱かせるのではないでしょうか。
ジュリーより18コも年少の僕には、ここにも大きなハンデがあると言えます。

伊集院さんは1950年生まれですからジュリーと同世代ですよね。もちろんリアルタイムでデビュー以来のジュリーの活躍を知っていらっしゃる。
加えてアルバム『明日は晴れる』には、パッケージに謳われている通り「沢田研二・芸能生活35年突破記念」というコンセプトがあったわけです。
このタイミングで同姓、同世代の伊集院さんがジュリーに作詞提供するとなれば、2人互いに50歳を越えた今、「親愛なる友人に向けて、この先の人生のエールを送る」類の作品が生まれることは自然、必然だったのではないでしょうか。

では、「夢見る時間(とき)が過ぎたら」とは具体的にどのような「時」を指すのでしょう。
おもに男性についてよく言われるのが
「青年は未来を夢見る。老人は過去を夢見る」
という言葉。
僕も昨年の12月20日をもっていよいよ50代に突入、その感覚が分かってくる年齢になりました。特に僕の場合は、錆びれた田舎町からわざわざ東京まで出てきて30年以上が経ちますからね。

故郷・鹿児島の小さな高校のクラスメイトからは、僕も含めて3人の男子が未来を夢見て上京しました。
1人は僕と同じ大学を出て今は大手出版社の編集長となり、業界では有名な「企画仕掛け人」として活躍中。もう1人は防衛大学を出て自衛官となり艦長にまで出世、世界を駆け回っています。
故郷を離れ文字通り「ひと旗揚げた」誇れる友人達。
対してこの僕はと言えば・・・上京以来好きなことばかりに熱中し続け、小さな会社勤めでごくごく平凡な日々を今も都会で送り続けています。
まぁ僕の場合はそれが身の丈に合っていますし何の不満があるわけでもないのですが、将来高々と掲げるために用意して故郷から持ってきていた「旗」をそろそろ畳んで片付けようか、という頃合です。
ってことは、僕の「夢見る時間」は過ぎた・・・のかなぁ。

ジュリーはどうでしょう。
思い出すのは『ジュリー祭り』でのMCです。僕は2008年12月3日の時点ではその言葉がよく飲み込めなかったのですが・・・「自分は、”夢を見る”ようなタイプの人間じゃない」とした上で「でも、夢を見させて貰った」と。これまでの歌人生で関わったすべての人達、お客さんへの感謝を口にしたのだ、とその後ジュリーの歴史を勉強して僕にもそのMCの深さが分かってきました。

確かにジュリーは「旗を掲げる」ということで言えばとてつもない実績を残してきた歌手ですが、「大志」はあっても「野心を抱く」タイプではありません。ただ、そんなジュリーが「もうひと旗」掲げたい、と考えた時期があったとするなら・・・後追いファンの僕の考えなので間違っているかもしれませんが、たぶんそれは2001年。
新年のコンサートで過去のヒット曲をたくさん歌ったこと、積極的にテレビ出演に乗り出していったこと・・・ファンとしては「ジュリーが再び表舞台に立とうとしている」とハッキリ感じていた時期だったのでは?

でも、当時の「表舞台」の現場とジュリー自身の「やりたいこと」には想定以上の乖離があったのかな。

いい加減うんざりだろう 時代の青臭   さ
F#m     E         D   A     D     A    F#dim  C#7

今すぐ部屋を 飛び出せ もう止まらない ♪
F#m   E(onG#)   A         G               E

「夢見る時間」は過ぎた、と思いはしなかったでしょうが、ジュリーはまるで大きな反動のように、その後は「自分のやりたいこと」に明確に向かっていきます。
伊集院さんの「夢見る時間が過ぎたら」は、はからずも2002年のジュリー・レーベル設立前後のジュリーを物語っているように僕には思われます。

好きにするさ    誰も止めな  い
C#m         Dmaj7   C#m7    Em7  A7

伊集院さんが「ジュリーとは長年の友人同士」という状況を作品で実現させて
「お前がイイ男だってことは俺がよく知ってる。世間や年齢に縛られる年はもう過ぎたな。これからは自由に、自分の好きに生きろよ」
とメッセージを贈る・・・こういうのは男性ファン独特の歌詞解釈(妄想)じゃないですか?

 

実際のジュリーはさらにその後、2008年の『ジュリー祭り』2大ドーム公演を大成功させ、「夢を見させて貰った」以降の人気再燃はめざましいものがあります。
僕もその過程で虜にさせられた1人。ジュリー自身が「夢を見ない」人としても、僕らファンはジュリーが歌い続けてくれる限り「過去も未来も同時に夢見る」ことができるわけで、こんな幸せなことはありません。

あと、もう1点伊集院さんの歌詞から思いついたことがあります。
僕はお正月LIVEのレポートを書き終えると、近々の執筆意欲を持つ20曲を選んで1枚のCDに纏め通勤や仕事中の移動時間に聴き込んでいますが、先日「恋がしたいな」の記事を書き終えた直後、「夢見る時間が過ぎたら」を聴いていてふと気づきました。
「恋がしたいな」の主人公って、伊集院さんの言う「夢見る時間(とき)」を過ぎたばかりの、ごく普通の男性なのかな、と。
僕は記事中で大胆な「クローン・アンドロイド説」をブチ上げましたけど、「はて、旗を畳んで、これからどう生きようか」と立ち止まって考えこんでいる平凡な人間のさりげない衝動を描いた物語なのではないか、と考えたのです。いかがでしょうか。
まぁ、クローン説もとり下げませんけどね(笑)。

長々と歌詞解釈を書きましたが、僕がこの曲を好きなのは当然「曲が素晴らしい」からです。白井さんの作曲、アレンジについても書いておきましょう(「夢見る時間が過ぎたら」のような名曲を改めて聴くと、今年からジュリーの新譜レコーディングに再登板となった白井さんへの期待は高まるばかりです)。

アルバム『明日は晴れる』は、90年代後半から徐々に押し進められてきたジュリーの「エレキ・サウンドのロック」嗜好を存分に反映させた、ハードでゴッツい名盤であることは確かです。でも、前後の『忘却の天才』『CROQUEMADAME & HOTCAKES』『greenboy』と比較するとかなり特殊な1枚でもあります。
これは以前「Silence Love」の記事で少し触れたのですが、このアルバムの収録曲は、「アコギでロックするパワー・ポップ」率が高いんですよ。
例えば「Silence Love」には、エレキギターは一切使われていません。それでも「ハード」ですし爆音感も凄い・・・それがアルバム最大の個性でもあります。

90年代のオルタナから派生していった、「ブ厚いサウンドなのにビートルズライク」というファストボール、オーズリー、メリーメーカーズといった各国の頼もしい連中が志向した「パワー・ポップ」の手法。その中でも僕が好むのが、ポップなメロディーを敢えてアコギで重厚に表現して魅せる音作りです。
「夢見る時間が過ぎたら」はその王道のようなアレンジで、アコギのストロークにエレキが明快なリフとバッキングを両刀で味付け。その上でベースの低音は効きまくり、という完璧な仕上がりです。
もちろんメロディーの素晴らしさは大前提。僕は最初にこの胸キュンなAメロを聴いた時、ニック・ロウが在籍していたバンド、ブリンズレー・シュウォーツの名曲「銀の拳銃」(リンク貼りたかったけどYou Tubeで見つけられず・・・本当にAメロはよく似た雰囲気なんです)を思い出し、一発で気に入ったものでした。

錆びれたホテルの窓辺 ♪
F#m       E          D  A

長調の曲の歌メロがマイナー・コードから入るというのがね、「来た来た!」って感じで。
エンディングにドラムスが残るアイデアは何か洋楽のオマージュ元がありそうですが、今は思い出せません(涙)。いずれにしても、アルバム『明日は晴れる』はこの曲のこのアレンジで終わるのが良いんですよね~。


加えて、白井さんのこのアレンジには「邦楽ならでは」の素晴らしさもあります。
それは、エレキギターの音色設定。
長いジュリーファンの先輩方はリアルタイムでこの曲のイントロのエレキを聴いて、どこか懐かしい感じを受けませんでしたか?過去のジュリー・ナンバーで言うと「午前三時のエレベーター」のそれによく似ていますね。
そう、つまりこれは「GS回帰」の名曲でもあるのです。
ジュリーのヴォーカルにも、若い日々を穏やかに思い出しているような印象を受けます。かと言って実際に若かったらこういう曲を歌えたかどうか。
この暖かさは50代ジュリーのものですよね。まるで僕らがジュリーからのエールを貰っているようで。
こうなると僕が妄想した「男同士の友情」などという括りは越えてきます。僕の場合この名曲の真の意味はきっと、これから年を重ねて染み入ってくるのかな・・・。

ということで、「夢見る時間が過ぎたら」は2000年代ジュリーの名曲群の中でも特に先輩方の人気が高い曲、と僕は想像しているのですがいかがでしょうか。

アルバム『明日は晴れる』から僕がこれまで生のLIVEで体感できているのは、「明日は晴れる」「睡蓮」「Rock 黄 Wind」の3曲。
「夢見る時間が過ぎたら」はじめ、そろそろ他の曲も・・・と切望しています。
とりあえず今年のツアーを考えると、このアルバムからのシングル・カットはタイトル・チューンの「明日は晴れる」・・・これはジュリーが選ぶ「50曲」の中に入ってくるんじゃないかな。
『ジュリー祭り』の80曲からは漏れたけど、その後2度のツアーで歌われていますし、ジュリーのお気に入りであることは間違いありません。
2000年代シングルの中、「耒タルベキ素敵」「明日は晴れる」「greenboy」「ROCK'N ROLL MARCH」の4曲はセットリスト入り鉄板、と僕は予想します。
いずれもジュリー自身が50周年を「シングル」で振り返った時、重要な1曲なのではないでしょうか。


それでは、オマケです!
今日は大分の先輩よりお預かりしている切り抜き資料から、2003年発行『東京人』の記事をどうぞ~。


2003tokyo1

2003tokyo2

2003tokyo3

2003tokyo4

2003tokyo5

2003tokyo6


それでは次回更新は・・・せっかくですので「男性作詞ジュリー・ナンバーの旅」をもう1曲だけ続けます。

ジュリーと深い関わりを持つ男性作詞家と言えば、やはり一番に挙げられるのは阿久悠さん。
ちょうど、冬が終わる前に書いておきたかった名篇にして名曲があります。
ジュリー・ナンバーの中でも特に重たい曲なのですが、個人的には「すべての阿久=大野作品の中で最も好きな曲」ですので、暗い記事にはならないでしょう。
どうぞお楽しみに!

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2017年2月19日 (日)

沢田研二 「PLANET」

from『単純な永遠』、1990

Sinpurunaeienn

1. a・b・c...i love you
2. 世界はUp & Fall
3. PLANET
4. プライド
5. 光線
6. New Song
7. この僕が消える時
8. 不安にさせよう
9. 気にしてない
10. ジェラシーが濡れてゆく
11. 月のギター
12. 単純な永遠

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今日は「”恥ずかしながら今さら知った”シリーズ」といったところでしょうか。

ここまで50年のジュリーの歴史、後追いで勉強してゆくのは大変ながらも本当に楽しい作業です。
そんな中、たまに「もう完全に血肉とした」つもりでいた名曲にまつわるエピソードを新たに知って「えっ、そうだったの?」と驚くことがあります。その度にジュリーの歴史の偉大さのみならず、ジュリーの名曲に関わった多くの人達の素晴らしさを知ることになるのですが、今日の記事は正にそんなお話となります。

採り上げるお題は、アルバム『単純な永遠』から「PLANET」です。早速伝授!


僕は、アルバム『単純な永遠』を大好きになるまでに結構時間がかかっています。
購入したのは2006年でしたか、”第一次ジュリー堕ち期”でポリドール時代のアルバムのリマスター再発盤をすべて買い終えた後のこと。
ポリドール以降のアルバムも一応聴いてみるか、と思い『REALLY LOVE YA !!』に続いて購入したが『単純な永遠』だったのですが、まず初聴で感じたのが「さすがに過剰プロデュースなのでは」と。
何故その時もっとよく聴きこまなかったのか自分自身でもサッパリ分からなくなっているんですけど、とにかく当時は数回聴いて放り投げてしまいました。
本当に恥ずかしいことです。だって僕は今、その「過剰さ」こそがこのアルバム最大の魅力だと思っているくらいなのですから。

2008年に『ジュリー祭り』を体感し、”第二次ジュリー堕ち期”に突入(”第三次”はやってきません。第二次がこの先永遠に続くからです)。直後はとにかく膨大な枚数の未聴のアルバムを買い漁り血肉とすることに終始したので、「既に購入済み」であった『単純な永遠』の再評価は遅れまくりました。
2009年、このブログが「じゅり風呂」として軌道に乗ってきたそんなある日、どういう経緯だったかは覚えていませんが、確か「月のギター」の記事を書こうとしたこともありCDを部屋で流していたところ・・・
突然「こ、これは大変な名盤じゃないか!」と何だか説明しようもない感覚が「降りて」きました。
あっという間に『単純な永遠』は「EMI期の中で1番好きなアルバム」に昇格、現在に至っています。

ただ、正当な評価こそ遅れましたが初聴時から「おっ、この曲は素晴らしいな」と贔屓に思っていた収録曲が2曲ありました。
「PLANET」と「プライド」です(もちろん今でも特に大好きな2曲です。ただしアルバム収録曲の「好き」1番手は、2009年から「気にしてない」で不動)。

僕は感性が鋭い方ではないので、まったく初めてのロック作品を聴く時、これまで自分の中に溜めこんできた「好みの引き出し」に見合う曲をまず最初に好きになります。「プライド」ではデヴィッド・ボウイのグラム・ロック、そして「PLANET」には「ネオ・モッズ」を想起させられたことが決め手でした。
「ネオ・モッズ」なるジャンルについてはこれまでアルバム『G. S. I LOVE YOU』収録曲の記事中で散々書いてきましたからここでは割愛しますが、「PLANET」はもろにモッズ、というわけではなくて、和製モッズの雄である加藤ひさしさんが提供した曲をいじり倒して最終的にこうなったんだろうなぁ、と思っていました。元々はマートン・パーカス(僕が特に好きなネオ・モッズ・バンドのひとつ)みたいな曲だったんじゃないかな、と。

その考え自体に今も変わりはありません。
ただ1点、僕はずっとこの曲を加藤さんがジュリーの『単純な永遠』のために「書き下ろし」た曲だと思い込んでいたこと・・・いやぁ、大好きな曲だからといって早めに考察記事を書いておかないで良かったですよ。
昨年のある日、本当にたまたま長崎の先輩から教えて頂いた「原曲」の存在。
「PLANET」は、かつて加藤さんが結成、活動していたバンド、THE BIKEの「僕はひどいパラノイア」という曲に新たな歌詞を載せ換えた「カバー」だったのですね。

ザ・ジェットセット、シークレット・アフェアー、ダイレクト・ヒッツ、スクワイア、クリーナーズ・フロム・ヴィーナス、そしてマートン・パーカス・・・僕はこれら洋楽ネオ・モッズ・バンドをパブ・ロック・バンドに負けないくらい愛していますが、長い間邦楽モッズについてはまったく見向きもしていませんでした。
己の無知を自覚させられたのは、瞳みのる&二十二世紀バンドのLIVEを観てJEFFさんに興味を持ち、JEFFさんとNELOさんが在籍するバンド、オレンジズのアルバムを購入した時。
日本にもこんなに素敵なモッズ達がいたのか!と。
でもそれを言うなら僕は和製モッズの第一人者である加藤さん(現・コレクターズ)についてあまりにも知らない・・・(キンクス関連の文章はよく拝見していたのですが)。THE BIKEというバンドもこのPVを教えて頂いて初めて知ったのです。

ジュリーファンの先輩方はとうにご存知かもしれませんが、まずはここで先述の先輩に教えて頂いた「僕はひどいパラノイア」のPVをご視聴ください(こちら)。
これはTHE BIKEのオリジナル・ヴァージョンではなく、2000年代に再録音されたものらしく、PVのストーリーは、この曲を最初に録音してから再録するまでの時間の長さを表現しているのかな。
とにかく1から10までモッズそのもの!な名曲。

ジュリーの「PLANET」に施されているあれやこれやのアレンジ手管をトコトンまで削ぎ落としたらこうなるわけです(いや、順序としてはそれ逆なんですけど)。
ちなみにPVにも登場していますが、モッズが乗るバイクは「ベスパ」というスクーターと決まっています。

Mod5

Mod6


↑ 手持ちのモッズ・コンピレーションのCD裏ジャケより

ウィキによれば、やっぱり加藤さんも乗ってるって。

さて、さらに話が少し逸れますが・・・。
「僕はひどいパラノイア」を知って俄然THE BIKEに興味そそられた僕は、色々とネット検索してみました。そこで拝見したのが、THE BIKEのカバー曲をズラリと紹介してくださっているブログ様。

残念ながらジュリーの「PLANET」についての記述はなかったものの、初めて得る知識に大いに楽しませて頂きまして、その素晴らしい記事中で紹介されていた1曲が、小泉今日子さんの「Heart of the hills」(加藤さん作曲のTHE BIKEのナンバー「TOO SHY BOY」を、小泉さん自身が新たに詞を書き換えてカバー)。
早速聴いてみますと・・・(
こちら)。

これ何と、ギターが下山さんなんですよ!
この曲が収録されている88年リリースの小泉さんのアルバム『BEAT-POP』は名だたるロック・パーソンが演奏を固めているらしく、加藤さんがもうひとつ提供した曲では、ギターが布袋寅泰さんとのこと。
「ルースターズの下山」「ボウイの布袋」として並び立つ両雄が、小泉さんの1枚のアルバム内でギター競演とは凄い。しかもどちらも加藤さんの曲で・・・。
機会あれば通して聴いてみたい1枚です。

「Heart of the hills」(「TOO SHY BOY」)での加藤さんの作曲が、クリーナーズ・フロム・ヴィーナスへのオマージュであることは間違いないと思いますが、下山さんのギターの音色、タッチがクリーナーズそっくりで驚きました。しかも本家より上手いし!
下山さん、やっぱり天才です。

それでは話を戻して(汗)。
ここからは「PLANET」と「僕はひどいパラノイア」の比較考察をしていきたいと思います。

まずは歌詞。尾上文さんが新たにジュリーに書いてくれた詞は最高にカッコイイ(アルバム『単純な永遠』のコンセプトにもピッタリ)ですけど、原曲のオリジナル歌詞部を踏襲している箇所もところどころにあって。
目立つのはサビ部。THE BIKEでは「僕は海、僕は空♪」と歌われるところで、「僕は・・・」の後に世界の都市名を次々に繋げる手法です。
また、この曲最大の肝であるAメロ

夜明けのダイナで
A              F#m

見知らぬ恋におちる baby baby ♪
G                 A        E7

この「baby baby♪」はそのまま残されました。
これが無くてはモッズではない!というほど強烈なキメの「baby♪」をいじらずに採用するとは、さすがのセンスですね。

一方、原曲を一変させている歌詞部で僕が素晴らしいと思うのは、Aメロ2回し目。
オリジナルでは1回し目の「baby baby♪」と同じメロディーで歌われる箇所で、尾上さんは「dancing in the space♪」と載せてきました。これがメチャクチャ良い!
ここは音符割りもメロディーも原曲とは微妙に変わっているんです。作詞家さんがメロディーの解釈まで変えてしまうというパターン。ジュリーの歌の切れ味も併せ、「曲先」ならではの名フレーズではないでしょうか。

あと、最後のヴァースで世界中を駆け回るダメ押しの都市名連呼・・・定かではないんですが、サエキけんぞうさんが「街の名前をひねり出していくのが面白かった」みたいなことを話している映像を以前に観た記憶があるのです。とすれば最後の段階でサエキさんが都市名を付け足し歌詞を仕上げた可能性も。
勘違いかな?
そう言えば、初聴時に気持ちよく曲を聴いていたら「ブエノスアイレス」が「メルセデス」に聴こえて、「はい?」と思って歌詞カードを確認したことがあったなぁ。

で、これらの「都市名連呼」はすべて

かけぬける 僕はPlanet ♪
   A        G              A

という最後の一節に全部纏めてかかってくる・・・こういうレトリックは何か呼び方があるのかなぁ?

続いて、アレンジ、演奏の比較考察を。
これは挙げだすと本当にきりがなくて大長文になってしまいますから、僕が特に惹かれるポイント数点に絞って書いておきましょう。

まずイントロ。「僕はひどいパラノイア」はモッズらしくバシッ!とエレキのコード・リフからスタート。このリフは曲中何度も繰り返され、間奏ではキンクス直系の「リフごと転調」も登場します。
一方ジュリーの「PLANET」は、リフはリフでもアコギの単音とチープに(←褒め言葉です)裏拍を刻むキーボードのかけ合いに変貌。
しかもこのイントロ、最初の8小節だけ転調してます。「PLANET」の歌メロはイ長調ですがここだけは嬰ハ長調(「C#7→A7」2小節ずつで4小節×2)。「イントロだけ転調させる」手法は白井良明さんが「麗しき裏切り」で採用しますが、実は建さんもやってたんですねぇ。

「PLANET」は間奏のギター・ソロも面白くて、「大陸風」な音階での独特のフレージングは、明らかに尾上さんの新たな歌詞を受けて編み出されたソロでしょう。
軌道を外れた遊星が世界各地を駆け巡っている雰囲気、ズバリ!ですよね。

あと、どうしても書いておかなければならないのが2曲のキー設定です。
今回僕は先に「PLANET」の方から採譜しました。先述の通りキーはイ長調で、メロディーの最高音は

行きつくとこなど誰も知らない ♪
F#m                               E

この「知らない♪」の「な」が高いファ#の音。
ジュリーとすれば楽々届く絶好の設定ですから、なめらかにかけ登っていくヴォーカルは当然「素晴らしい」のひと言です。

さて加藤さんはどうだろう、ジュリーより高いのか低いのか、と思いながら「僕はひどいパラノイア」を採譜してみて仰天しました。何とニ長調!
この原曲はジュリーより2音半も高いキーで歌われているのです。最高音は高い「シ」にまで至ります(ちなみに最高音部が登場する箇所は、キーだけでなくコード進行の理屈も2曲で異なります)。
元々モッズって、出せるか出せないか、くらいのギリギリの高音を縦ノリのリズムに載って搾り出すスタイルのヴォーカルが多いとは言え、これは凄まじい・・・声質も合わせ、どうやら加藤さんはデイヴ・デイヴィスばりのハイトーンの持ち主のようですね(キンクスでは、兄貴レイのメイン・ヴォーカルを信じられないほど高いところでハモる弟デイヴのコーラス・ワークが魅力のひとつ)。

ただ、「PLANET」でのジュリーの2音半下げのキー設定は大正解で、先に書いた最高音部のなめらかさもさることながら、中ほどの音域の艶がまた絶品。
「夜明け~のダイ~ナで♪」で「け~♪」「イ~♪」と音階移動しながら音を伸ばす箇所などは、たまらない色気があります。
そしてエンディング・・・最後の最後に「ジュリーのヴォーカルだけ残る」アイデアが素晴らしい!
「僕はひどいパラノイア」の方は王道のリフで終わりますね。2曲ともに、「こういう曲ではフェイド・アウトはしない!」というのがモッズ魂ですかね~。

手持ちのツアーDVDの中、「PLANET」は『1999正月コンサート』でLIVE映像を楽しむことができます(バックは鉄人バンド+依知川さん!「PLANET」では、イントロのリフを、下山さんのエレキと依知川さんのベースのユニゾンで弾くというアレンジ・アイデアに驚嘆)。
この時のセットリストは本当に素晴らしく、「PLANET」以外では「遠い旅」「ハッピー・レディー」「ママとドキドキ」「夜の河を渡る前に」といったレアな70年代の名曲なども歌われます。もう一度こんな感じのセトリでツアーをやってくれないかなぁ、ジュリー。

アルバム『単純な永遠』ということだと、僕が現時点で生で体感できているのは、「a・b・c...i love you」「光線」「ジェラシーが濡れてゆく」「単純な永遠」の4曲。
そこで、今年の全国ツアーでは何としても「世界はUp & Fall」を歌って欲しい(昨年の手術直前、根性無しの僕に勇気をくれた名シングル曲!)ところですが、50曲の枠内に選ばれるかどうかは微妙ですかね・・・。


それでは、オマケです!
昨年J先輩より安価でお譲り頂きました、『単純な永遠』ツアー・パンフレットから数ショットどうぞ~。


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では次回更新は、2000年代の名曲を書きたいと思います。まだまだ「アルバムで一番好きな」記事未執筆の曲が残っているのですよ~。


今日は暖かな日曜日でした。こちらは明日も気温は高めの予報です(強風が凄いらしい)。
このまま春になって欲しいですがそうはいかないでしょう。これが三寒四温というやつですか。
2月は勤務先の決算月で、来週からメチャクチャ忙しいのですが、体調に気をつけつつブログ更新ともどもベストを尽くし頑張っていきたいと思います!

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2017年2月16日 (木)

沢田研二 「絹の部屋」

from『架空のオペラ』、1985

Kakuu

1. 
2. はるかに遠い夢
3. 灰とダイヤモンド
4. 君が泣くのを見た
5. 吟遊詩人
6. 砂漠のバレリーナ
7. 影 -ルーマニアン・ナイト
8. 私生活のない女
9. 絹の部屋

--------------------

矢継ぎ早の更新が続きます。
読む方も大変でしょうが、適当にナナメ読みするとか、午後のおやつの時間のお供にするとか、とにかく気楽におつき合いくださいませ。
なるべくコンパクトに、まいります!

先日のオリコン特番で若き日のジュリーを観ていたせいか・・・ジュリーの「デビュー50周年」を振り返る日々の中で、どうしても自分の「ジュリー愛」が長いファンの先輩方に比べて劣っている、ハンデがある、と感じることが時々あるな、と思い至りました。
新規ファンである、ということももちろんですが、まず僕は男性という時点で大きなハンデを負っている・・・つまり僕は「ジュリーに恋をした経験が無い」のですよ。

もちろん、それをして世のすべての男性ジュリーファンが女性ファンに劣っている、と思ってはいません。特にジュリーと世代の近い男性ファンには、同姓ならではの特別な親愛の情の持ち方があって、そのことはたぶん近々の考察記事お題で触れられると思います。それに、真剣にジュリーに「恋をした」経験を持つ男性ファンも少なからずいらっしゃるのでしょうし・・・。
ここで書いているのはあくまでジュリーよりかなり年下、かつノン気な僕個人に限ってのお話です。

そんなハンデを特に強く感じるのが、「官能のジュリー・バラード」を聴いている時。
ただ、例えば「AFTERMATH」「Pin PointでLove」あたりはもう記事を書き終えていますが、これらは男性視点から「行為軸」(ゲスな表現ですみません)と脳内でリンクさせながら聴ける特性があって、同姓だからこそ「分かる」面もあるかもしれません。
ところが、完全に「ジュリーから誘われている受け手」として聴くしかないほどの官能のバラードとなると、これは女性リスナーの感性に敵わないでしょう。
今日採り上げるのはそんな名曲です。

女性ファンの先輩方に比べて、その素晴らしさがどこまで理解できているか分からない、自分のジュリー愛が劣っていることを自覚せざるを得ない・・・。
それでも、大好きな曲。個人的にはアルバム『架空のオペラ』収録曲の中で一番好きな曲です。
「絹の部屋」、畏れながら伝授!


この曲、何といっても圧倒的なのはジュリーのあのヴォーカルですわな~。
ジュリーはデビューからずっと(「ほぼ虎」のあった2011年以外は)毎年新譜をリリースし続けています。
これは本当に世界に類を見ない凄まじい偉業なのですが、毎年リアルタイムで新譜を追いかけていた先輩方が「たったの1年で前作とはガラリと印象が変わった」と感じた作品がこれまでいくつかあったことでしょう。
中でも、84年の『NON POLICY』から85年の『架空のオペラ』の変化には特に驚いたのではないですか?
これはもう、ジュリーのヴォーカルが違う、それに尽きると思うんですよ。

もちろん84年までのヴォーカルだって素晴らしい。
どちらが優れている、という話ではありません。それに、声や歌い方それ自体は、例えば84年の「シルクの夜」と85年の「絹の部屋」を聴き比べれば自然に繋がっている、なだらかに進化している、と思えます。
『架空のオペラ』の衝撃とは、アレンジやミックスといった「楽曲の作りこみ、仕上げ方がジュリーの声をこうも違えるのか」という1点だと僕は考えています。
エキゾティクスのロックな演奏があって、そこで類稀なセンスでヴォーカリストとしての機能を果たしていたそれまでの手法から、ただただジュリーの歌がそこにある、まずジュリーの声があって伴奏がサポートに徹している、という手法への変化。
劇変ですよね。
ヴァイオリンと掛け合う「灰とダイヤモンド」、実験的なダブル・トラックを採り入れた「影-ルーマニアン・ナイト」と各曲ごとの切り口はそれぞれ違えども、「歌を押し出す」曲の作り込みはアルバム『架空のオペラ』全体のコンセプトであったようです。

「絹の部屋」での大野さんの作曲は、長調のバラード王道中の王道です。
特にAメロのコード進行については、キーやメロディーこそ異なりますがまったく同じ理屈で「愛の出帆」「約束の地」「護られているI LOVE YOU」などの純度の高いジュリー・バラードで採り入れてられています。
普通こういう曲って、仕上げに豪華な装飾をしたくなるものなんですよ。厚いオーケストラを入れたり、満を持して転調させたり、コーラスを重ねたり・・・でも『架空のオペラ』はそういうことを排するところで成立している名盤ではないでしょうか。

「絹の部屋」の場合は、「よくぞコーラスを思い留まったなぁ」と。特にBメロです。

お互いにさりげなく 小さな嘘達を
A♭            B♭        E♭        E♭7

ちりばめて見せるのが
A♭                F7

恋のドラマトウルギー ♪
      B♭            B♭7

耳に心地よく綺麗で覚え易いメロディー。音感に疎い僕ですらここは
「ラ♭ラ♭ラ♭ラ♭ラ♭~、ラ♭ラ♭ソソソ~・・・♪」
と字ハモのメロディーをすぐに脳内で音源に重ねることができます。
でもこの曲は最初から最後まで「あくまでジュリーのメイン・ヴォーカル1本!」なんですよね。

ただし、黒子に徹する演奏も、だからと言ってただ漫然としているわけでは当然なく、個人的にはジュリーのヴォーカルの間隙を縫うホイッスルのような感じのシンセの音色に特に惹かれます。
あと、独特の雰囲気があるベース・・・これは普通のフレットレスでしょうか。それともシンセ?
僕の耳では分かりません。『架空のオペラ』の演奏については未だハッキリしない謎が多いです。

この曲でのジュリーの発声の特徴は、「そっと置く」ように語尾を歌っている箇所が多いこと。
1番Aメロがとにかく凄くて

君の頬で妖しく     輝   く
   E♭        Gm7(onD)  Cm7  Cm7(onB♭)

美しい罠  だ ♪
Fm7  B♭  E♭     A♭  B♭

の「罠だ♪」の「だ」であったり

瞳を閉じ
  A♭

たまらずゆらりと揺れた ♪
                  Fm7      B♭

の「揺れた♪」の「た」であったり。
前年までの「放り投げる」ロックな語尾表現とはまた違う、「そっと置く」としか言いようのない独特の発声感覚。
特に1番では「さぁ、こっちへおいで」というシーンを歌っているわけですからねぇ。凄い凄いと思いながらも、ここが男性の僕には大きなハンデ。
どうですか、先輩方?「罠だ♪」のところで早くも「もう好きにして~」とメロメロになっちゃうものですか?

さて、ジュリーのヴォーカル、大野さんのメロディーと同じく素晴らしいのが及川恒平さんの詞です。
ジュリーが自作詞以外は女性の作詞作品を好むことは周知の事実ですが、当然男性が作詞したジュリー・ナンバーも名篇揃い。個人的には、ジュリー・ナンバーを通して初めてその才を知った及川恒平さんの作詞作品には格別な思い入れがあります。
”第一次ジュリー堕ち期”に購入したアルバム『いくつかの場面』で出逢った「外は吹雪」「人待ち顔」「U.F.O」の3篇には本当に驚いたものです。これほど素晴らしい詩人を今まで知らずにいたのか、と。

「絹の部屋」は『いくつかの場面』収録の3篇とはちょっと空気感が違いますけど、素晴らしさは不変。
煽動性の無い特殊な剥き出しのエロス・・・ズバリ書いてしまいますが、性交渉を「お互いの不自由を喜びあえる」と表現するセンスは只事ではありません。
「男性が聴くにはハンデがある」と書かざるを得ないジュリー官能のバラードを男性の及川さんが作詞している、ということからして既に凄い。

ゆこうよ君 ゆこうよ君
      E♭ Gdim   A♭  Bdim

真夜中の絹の   部屋へ ♪
       E♭     A♭  B♭7   E♭

このサビの詞、歌に自然に身を委ねることのできる女性ジュリーファンの先輩方が本当に羨ましく・・・今日はなかなかに悔しい(?)伝授でございました~。

それにしても。
この数年、年末にお2人のJ先輩との忘年会開催が恒例となっているんですけど、やっぱりその時期にお会いすると「お正月LIVEはどんな曲を歌ってくれるのか」という話題になります。そのたびに
「今回は”絹の部屋”を歌ってくれそうな気がするんですよ。でも僕がセットリスト予想記事で書いちゃうと外れるので敢えて書きません」
などと自信満々に言い続けて一体何年目になるのか(←去年も言った汗)。

ちなみに毎年、お1人の先輩が「”夜のみだらな鳥たち”を歌って欲しいのよ~」と言った後に僕が「いや、可能性が高いのは”絹の部屋”ですよ!」と応える、というのが完全にパターン化しています。ジュリー、どちらもなかなか歌ってくれません(笑)。
果たしてこの先、生のLIVEでその2曲を体感する機会は訪れるのでしょうか。

とにかく、『ジュリー祭り』デビューの僕は『架空のオペラ』収録曲の中ではまだ「砂漠のバレリーナ」1曲しか生で体感できていないのですよ~(その唯一の曲が「砂漠のバレリーナ」ってのがまた凄い話ですが)。
とりあえずは、夏からの全国ツアーで「未体験シングル曲」の一角にして代表格、「灰とダイヤモンド」に期待しています。歌ってくれるよね、ジュリー?


それでは、オマケです!
今日は、これも福岡の先輩からお預かりしている資料で、85年の『アサヒグラフ』をどうぞ~。


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ということで、怒涛の更新ペースについていけない方が続出しているかとは思いますが・・・まだまだ手を緩めず攻め続けますよ!
次回お題は、吉田建さんプロデュース期の名曲です。ネオ・モッズについても書くことになるかな~。

各地の雪の被害、その後が心配されます。みなさまお住まいの地は大丈夫でしょうか。
こちらは明日の気温が19℃の予報。暖かい日と寒い日、気温の差が激しい季節になってきたようです。

僕は風邪の症状がようやく治まりました。
今の風邪は一度かかってしまうと咳が長引いて大変ですよ。みなさま、充分お気をつけください。

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2017年2月13日 (月)

沢田研二 「恋がしたいな」

from『sur←』、1995

Sur

1. sur←
2. 緑色の部屋
3. ZA ZA ZA
4. 恋がしたいな
5. 時計/夏がいく
6. さよならを待たせて
7. あんじょうやりや
8. 君が嫁いだ景色
9. 泥棒
10. 銀の骨

--------------------

大好きなジュリー・ナンバーをお題にサクサク更新していくシリーズ、第3弾です。
今日は90年代に飛びまして、ジュリーのセルフ・プロデュース最初のアルバム『sur←』から「恋がしたいな」を採り上げたいと思います。

個人的には、アルバムの中では「時計/夏がいく」に次いで2番目に好きな曲(日によって他収録曲に並ばれることもありますけどね)。
CD購入時から変わらず大好きなんですけど、これは全ジュリー・ナンバーの中でも詞・曲とも非常に難解な1曲でもあります。特に覚和歌子さんの歌詞ですね。
不思議な名編で、「答がハッキリ見つからない」ところにまた魅力を感じます。

ずっと前に「I'LL BE ON MY WAY」の考察記事で、三浦徳子さんの歌詞について「唐突に”沈黙が金だぜ”なんて言葉が登場する必然性が分からない」と書いたところ、コメントで先輩方の解釈を伺うことができスッキリした、ということがありました。
でも、「恋がしたいな」については既に僕なりに歌詞全体のストーリー設定に「答」を見つけていて、それがおそらくみなさまにとっては相当に突拍子もないと言うか大胆な解釈なのです。
今日は恥覚悟で思いきってそれをご紹介しようと・・・。同時に、あわよくば先輩方に「正しい解釈」を教えて頂きたい、という主旨でございます(汗)。
枕もそこそこに・・・乞、逆伝授!


ここんとこ僕の辞書に 事件という文字がない
F               B♭     C  Dm          E♭       

スバ ラシイことだ ♪
B♭  C         F      B♭ C

スーツにゆでたまごの
F                B♭    C

人生はコピーだが ワイフは美しい ♪
Dm     E♭           B♭ C      F

冒頭のAメロ歌詞部からまず僕の頭に浮かんだ主人公像は、ごくごく普通の「勤め人」。
普通に家庭を持ち、平凡ながらそれなりに充実した毎日を送っている中年男性の日常・・・かと思いきや。
Bメロに入ると

シア ワセと退屈は うら おもてだなんて
B♭  C        F         B♭  C             Dm

夢  の見かた忘れた
B♭  C           F     Am7(onE)

幼  稚な    奴等の いいぐさだ ♪
Dm   Dm7(onC)  B♭        C

何か様子がおかしい・・・主人公はそんな平凡な日常に違和感を覚えているようです。
そしてサビでは

さやに銀のナイフ そっとおさめて僕も
Fm  E♭6  B♭     Fm     E♭6     B♭

タブロイドの陰に つぶやきを隠そう ♪
Fm E♭6    B♭   Fm   E♭6    B♭

硬質でぎこちない「衝動」が描かれます。
そして唐突に、「恋がしたいな」のタイトルフレーズを隠れるようにしてつぶやく主人公。
これは一体・・・?

僕はアルバム購入後しばらくの間この曲に強く惹かれつつも、サビの最後に登場する「恋がしたいな」というキメのフレーズがそれまでのAメロ、Bメロからの流れと結びけられず、歌詞解釈に悶々としていたものでした。
これはつまり、幸せなんだけど退屈な日常の裏で、「人生を変えたい」と密かな願望を持っている、という感じなのかな。でも何か釈然としないな、と・・・。

それが、「あっ、そうか!」とスッと腑におちたのが、このアルバムからタイトルチューンの「sur←」の考察記事を書いた直後のことでした。
とは言っても、例によって僕なりの「深読み」(邪推とも言う)です。みなさまにおかれましては、ここからは「こんな解釈があるのか」という感じで、もの珍しさで読んで頂ければと思います(汗)。

覚さんって、絶対SF小説を読む人だと思うんですね。
何故なら、アルバム1曲目「sur←」の中に「ニューロマンサー」というフレーズが登場するから。
これは80年代末から90年代にかけてSF界を席巻し、今も多くのフォロワーを輩出しているニュー・ジャンル『サイバーパンク』の元祖とも言われる、ウィリアム・ギブスンの名作『ニューロマンサー』をオマージュしているものと思われます。
とは言え、ロックよりも先にSF小説に嵌っていた僕はギブスンの『ニューロマンサー』を読んだことがありましたが、このフレーズに「?」となったジュリーファンはきっと多かったのかな。

一方「恋がしたいな」の歌詞全体に「?」を抱えていた僕とすれば、同じ覚さん作詞作品である「sur←」の「ニューロマンサー」に倣って「SF」のキーワードでこの詞を読み解けるかもしれない、と考えてみました。
「分からない」言葉はどれだ?と探してまず着目したのが、1番Aメロの「人生はコピーだが」なる表現です。
思い当たったのが、「これは、クローン・アンドロイドの物語ではないだろうか」という。

遠い未来の話なんでしょうけど、「複製人間」が普通の人と同じように暮らし、その生をまっとうしてゆく時代がいつか来るのかもしれません。「恋がしたいな」はそんな世界をさらにSF的におし進めた物語。
主人公は、ランダムに選ばれた「誰か」の人生をそのままなぞって生きているクローン・アンドロイドの一人。彼等の「人生」は試験的に政府機関の監視を受け、ゴシップ雑誌からも興味本位に情報開示されています(もうひとつのキーワード「タブロイド」からの連想)。
クローン本人は「感情」こそあれ生き方を自分で選べる立場にはなく、ただ誰かが以前辿った道をそのまま歩いているだけ。特にその人生に不満があるわけではないけれど、ふと、この決められたルートを逸脱する「個」の衝動に駆られる主人公。
どうすれば自分は変われるんだろう。

「恋がしたいな」

うん、これはロバート・シルヴァーバーグあたりが書きそうなストーリだぞ!
いかがでしょうか。やっぱり飛躍が過ぎるかな?

キーワードはさらにもうひとつ・・・2番に「回転ドア」というフレーズが出てきますよね。
日本SF作家のレジェンドの1人である半村良さんに『回転扉』という作品があります。ごくごく平凡な毎日を送っていたある兄弟が、亡くなった父親と瓜二つの男と出逢ってから突然、事業など何もかもトントン拍子にうまく事が運ぶようになり生活が劇変するのですが実は・・・という話で、ひとつにはその「劇変」を象徴する言葉の意味含めてタイトルが『回転扉』。
僕は覚さんが使った「回転ドア」に同じイメージを重ねます。例え解釈自体は強引としても、覚さんの「恋がしたいな」が「コピーの日々」からの変化、打破を求める物語であることは言えるでしょう。

ただ、最終的に主人公が恋をしたのか、「恋し方」が分からなくて苦悩したんじゃないか・・・などと、僕はそんなところまで考えてしまっているんですけどね・・・。
いやいや、得意の邪推を長々と失礼しました。

それではここで、覚さんが大いにインスピレーションをかき立てられたであろう吉田光さんのメロディーについても書いておきませんとね。
特徴的、個性的な曲です。こういう曲だからこそ、覚さんのあの歌詞が載ったのか、とも思います。

吉田さんと言えば、単に「ハード」にとどまらず、プログレであったり、オルタナであったり、アフターパンク寄りのゴシック・ロックであったり・・・阿久=大野時代とはまた違うヴィジュアル、構想力に秀でた「ギンギンのジュリー」を体現してくれるド派手なロック・ナンバーの数々をまず思い出しますよね。
僕が吉田さんのジュリー提供曲の中で最も好きな「Shangri-la」は正にそんなナンバーですが、2番目に好きなこの「恋がしたいな」は幾多ある吉田さん作曲のジュリー・ナンバーとしては「静かなる野心作、異色作」といった位置づけになりましょう。

吉田さんの曲はどれも、小節割りからコード進行から「ひと筋縄ではいかない」高度に練りこまれた作り込みが最大の個性。
その点、「恋がしたいな」はド派手な一連のロック・ナンバー以上に凄いんですよ。こんなにポップで行儀の良い曲なのに、紐解けば特級の変化球であり、ジュリーのヴォーカルが楽々とそれに応えている、という二重の驚きに目を見張ることになります。

最大の特徴はサビ部。
ヘ長調からヘ短調の転調です。これは「同主音による近親移調」で、これまで「追憶」「涙色の空」などの数曲のジュリー・ナンバー考察記事で触れたことがあります。ただし、それらはすべて短調でAメロが始まり、サビで明るい長調に転ずるというものでした。
「恋がしたいな」の場合は逆。長調で始まった曲がサビで哀愁を纏う短調へと一転するのです。

実は邦楽で採り入れられる「同主音による近親移調」はそのほとんどが「追憶」のような「短調から長調」のパターンです。もちろん例外も多くありますが、比率とすれば相当偏ってはいます。
これは長年個人的に「不思議だなぁ」と考えていたこと。ある意味、国民性なのでしょうかねぇ。

洋楽に目を向ければ、比率は半々くらいでしょうか。
例えばビートルズ。「同主音による近親移調」を用いた曲は数多く挙げられる中、「短調→長調」は「今日の誓い」「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」「アイ・ミー・マイン」(いずれもイ短調からイ長調)。一方「長調→短調」だと「ノルウェーの森」「フール・オン・ザ・ヒル」(いずれもニ長調からニ短調)、「ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア」(ト長調からト短調)と、みなさまご存知であろう有名な曲が次々に頭に出てきますし、ポール・マッカートニーのソロになると圧倒的に「長調→短調」の比率が上がって、「ワンス・アポン・ア・ロング・アゴー」「ラヴリエスト・シング」「ビューティフル・ナイト」など。
ビリー・ジョエルなんかも「プレッシャー」「レニングラード」といった「長調→短調」パターンの曲の方が先に思い当たるくらいです。
これをして、「恋がしたいな」に吉田光さんの「洋楽嗜好」を見てとることはできると思います。

また、Aメロが1回し目と2回し目で微妙に進行、メロディーを変えてくるという手法も吉田さんならでは。これは他の吉田さん作曲ジュリー・ナンバーにも見られる特色で、とにかく細部の煮詰め方が半端ないのですね。
「一筋縄ではいかない」・・・でも、最高にポップに聴こえます。何より、淡々としつつも優しげな雰囲気があるじゃないですか。素晴らしい名曲だと思います。

ジュリーの、何気ない中にふと色気を見せるクールな歌い方は、90年代独特のものかな。
かと言ってアルバム全編そうではなくて、むしろ「恋がしたいな」は唯一無二ですよね。
他収録曲には「時計/夏がいく」のような歌い方もあれば、「ZA ZA ZA」があり「あんじょうやりや」のような歌もあり・・・とんでもないヴォーカル・アルバムですよ。
ジュリー、セルフ・プロデュース時代の幕開けにふさわしい名盤です。

僕はこれまでこのアルバムからは「緑色の部屋」「時計/夏がいく」「さよならを待たせて」「あんじょうやりや」「君が嫁いだ景色」「銀の骨」と、半分以上の6曲を生のLIVEで体感できています。
『ジュリー祭り』デビューの僕からすると、『sur←』は2007年までのオリジナル・アルバムの中では特にセットリスト入り率の高い1枚、という印象なのです。
残された4曲の中、「ZA ZA ZA」そしてこの「恋がしたいな」の2曲については、いずれ聴く機会があるのでは?と期待していますが・・・さて実現するでしょうか。


それでは、オマケです!
今日は、福岡の先輩からお預かりしている資料の中から『BRUTUS』1996年2月1日号。
この時点でジュリーの最新アルバムは前年95年にリリースされていた『sur←』で、DVD『Zuzusongs』と共に記事中で紹介されていますよ~。


Brutus1

Brutus2

Brutus3

Brutus4

Brutus5

Brutus6

Brutus7

Brutus8

Brutus9


「Don't Look Back In Anger」なる踊り文句はなかなか意味深です。これが単に「Look Back In Anger」だとよく聞く言葉で、例えばデヴィッド・ボウイにもそのままのタイトルの曲があります(79年リリースのアルバム『ロジャー』収録、邦題は「怒りをこめてふり返れ)。
このジュリーの記事はそこに「Don't」がついているわけですね。どういう意味になるのかなぁ。


・・・ということで。
新譜リリースまではだいたいこのくらいのペースでビッシビシ更新していきます。
今は、その期間に「書きたい」と意欲を持っている曲達を1枚のCDに纏めて通勤や勤務内移動の時間に聴いています。本当に、どれもこれも名曲ばかりです。

みなさまのご贔屓の曲がその中に1曲でも入っていると良いのですが・・・。
次回は80年代、絶品のバラードを採り上げる予定です。どうぞお楽しみに!

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2017年2月10日 (金)

沢田研二 「何を失くしてもかまわない」

from『チャコール・グレイの肖像』、1976

Tyakoruglay

1. ジョセフィーヌのために
2. 夜の河を渡る前に
3. 何を失くしてもかまわない
4. コバルトの季節の中で
5. 桃いろの旅行者
6. 片腕の賭博師
7. ヘヴィーだね
8. ロ・メロメロ
9. 影絵
10. あのままだよ

---------------------

怒涛のペースで更新しているので、読んでくださるみなさまに大変な労力をおかけしているのではないかと思いますが(汗)、今日も張り切ってまいります。
みなさまのご自由にナナメ読みして頂ければ・・・。
更新頻度が高いぶん、なるべくコンパクトに書くことは心がけますので!

ということで枕は短めに・・・今日は、アルバム『チャコール・グレイの肖像』から「何を失くしてもかまわない」を採り上げたいと思います。

僕らは今、「全編ジュリー作詞」の新譜を毎年聴けるというとても幸せな状況にありますが、「全編ジュリーの作曲」ということになると、この76年リリースのアルバムまで遡らなければならないんですよね。
ジュリーの作曲のみならず、豪華な作詞陣による抒情性も、そして演奏、アレンジについても驚くほどにクオリティーの高い大名盤です。

僕がこのアルバムで最も好きな曲は、70年代和製グラム・ロックの最高傑作とも言える「夜の河を渡る前に」。僅差で続くのが「桃いろの旅行者」です。
では3番手は?
これが難しい。どの曲も大好きだし何かしら傑出したところがあって・・・決められません。
ただ、ジュリーの持つ「清潔さ」「生真面目さ」がそのまま自作のメロディーや藤公之介さんの詞、バックの演奏にまで反映されていること、ジュリーの当時の稀有な美声だけではない、楽曲全体の「美しさ」という点で、「何を失くしてもかまわない」は特に素晴らしい1曲ではないでしょうか。
今日は「ジュリー50周年」を僕なりにしみじみと考えつつ、妄想も織り交ぜつつ(汗)・・・伝授です!


「何を失くしてもかまわない」を「とても悲しい歌」だと思っているかたは多いのではないでしょうか。
それは確かにそうなんです。切なくなるメロディー、歌詞ですよね。

そもそも、50年の歴史の中でジュリー自身による作曲作品は数あれど、比率とすればジュリーは圧倒的に長調で作曲することの方が多いです。
ところが、『チャコール・グレイの肖像』では、「何を失くしてもかまわない」「桃いろの旅行者」「ヘヴィーだね」「影絵」「あのままだよ」と、収録曲の半分が短調。それだけでも異例のアルバムと言えます。
これは、当時のジュリーの環境、状況が色濃く反映されたと考えるより他ありません。
76年のジュリーにどんなことがあったのかを僕が知ったのは『ジュリー祭り』以降のことでした。
”第一次ジュリー堕ち期”のポリドールのアルバム大人買いの頃は何も知らず・・・僕は本当にそんなことすら分からないまま『チャコール・グレイの肖像』を聴いていたんですよねぇ。

一方リアルタイムでこのアルバムを聴いた先輩方は、短調のバラードである「何を失くしてもかまわない」で、その美しさに感動しつつも、胸をしめつけられるような感覚があったのではないでしょうか。

でも、ちょっと待って下さい。
「何を失くしてもかまわない」って、本当にそんなに悲しい歌でしょうか。悲しい物語なのでしょうか。
例えば(可能性はほぼゼロに近いでしょうけど)今のジュリーがこの曲を歌っているシーンを想像してみましょう。どんなふうに聴こえるでしょうか。(引用)

がむしゃらに 走り続けていると
   Em                  Bm

まわりの景色が  わからない
G                Am    B7        Em

まして後を 振り返ることなど
G          D  Am                G   B7

思いもよらないことだった ♪
   Em       G    B7        Em

唐突ですが、僕は男としては歩くのが遅い方です。
先述した先輩とは「歩く速度」の相性がすごく良くて、もうひとりの先輩とカミさんと4人でお会いした時に街をブラブラと散歩していると、いつの間にか完全に2対2に分かれてしまっていることがよくあります。2人して相当ゆっくり歩いているのでしょうな~。
逆に、こちらもいつも仲良くしてくださる先輩で「女性でここまで」と思うほど速いスピードで颯爽と歩くかたもいらっしゃいます。僕は先輩に合わせて頑張って速く歩きますが、それは苦ではありません。いつもより早く歩いているので、景色がいつもと違って見えます。それもまた楽しいものです。
あと、完全に余談ながら、YOKO君は僕以上に歩くのが遅いです。彼はどうやら同時に2つのことをするのが苦手なタイプのようで、おしゃべりしながらだと信じられないほどゆっくり歩きます(笑)。

まぁ僕やYOKO君の例は置いとくとして、一般的には女性より男性の方が歩幅も広いし歩くのが速いですよね。彼氏の歩くスピードについていくのが大変、という女性の話は、現実でもよく聞くことがあります。

「何を失くしてもかまわない」では、男女が共に生きてきた道のりを「歩く速度の違い」に例えて男性視点で語っています。
主人公の男性は凄まじい猛スピードで人生を駆けてきたようで、ふと「彼女は後ろから必死でついてきているんだけど、自分があまりに速いのでいつの間にか2人の間に途方もない距離ができていた」ことに気がつくわけですね。
ジュリーの50年、その1年目、2年目からずっと応援してきた先輩方は実感していらっしゃると思います。
ジュリーはとてつもないスピードでどんどん先に進んで、それこそがむしゃらに走り続けていて・・・背中を見失わないように追いかけることは、楽しいながらもとても大変だったのではないですか?

対して、『ジュリー祭り』からジュリーを追いかけ始めた僕の距離感覚はどうかと言うと・・・。
もちろん、ジュリーは僕より遥か先を行っています。その時その時の「時代」を見つめながら、先のことを考えて歌い続けていますね。
でも、遠くに辛うじて見えるジュリーの背中は、それ以上遠ざかっていく感じはしません。離れて歩いていても、その歩幅自体はファンと同じである気がします。
ジュリーがいつからそんな感じになっていったのか僕には分からないのですが、先輩方ならなんとなく時期を思い浮かべることができるのかもしれませんね。やっぱり、セルフ・プロデュースでアルバムを作り始めた頃なのかな。或いは2001年あたりから?
それとも、もっと最近になってからでしょうか。

そして今年、50周年のメモリアル・イヤー。
夏からの全国ツアーについて「デビューから50年間のシングルの中から50曲を選んで歌う」と宣言してくれたジュリー。これはもう、新しいファンも新規ファンもみんなが「ジュリーの1年目」に立ち返り
「僕(ジュリー)と一緒に50年をおさらいしてみよう」
というステージになること、間違いありません。

ここで待っていよう 追いつくのを
Bm                          Am       Em

それからにしよう 先のことは
       Bm               Am       D7

何を失くしてもかまわない
   Em       G   F#7       B7

あなたの心をとり戻せるなら ♪
      Am   Em      D          Em

お正月コンサートが終わった直後は毎年そうですが、今ジュリーファンは深刻な「じゅり枯れ」の時期。
でも、夏の全国ツアーがはじまるまでの間を「遠くからずっとジュリーを追いかけていたみんなを、ジュリーが自分の横に追いつくまで待ってくれている時間」だと考えてみてはどうでしょう。
これはボ~ッとしてはいられませんよ!
そして

「それからにしよう、先のことは♪」

僕は直接聞いていませんが、お正月のMCでジュリーは「70を超えたらみんなを楽しませることを考えている」と言ってくれたそうですね。
50周年を区切りとして、その先はジュリーもファンも同じ歩幅で、並んでゆっくりと歩いてゆく・・・ジュリーはそんな歌人生を考えているのかもしれません。

そんな妄想に耽りながら「何を失くしてもかまわない」を聴いていると、この歌は短調のバラードでありながら全然切なくはなくて、心躍るジュリーとファンとの相思相愛の歌のようにも聴こえてきます。
「何を失くしても・・・」とは確かに悲愴な印象を受けるタイトル・フレーズなんだけど、リリースから41年経った今それを、「大切な人、大切なもの以外はもういらない」という素敵な断捨離ソングとして解釈するのもアリではないでしょうか。
これが、今回僕が「何を失くしてもかまわない」を採り上げて書きたかったことです。
いかがでしょうか?


さて、これだけで記事を終えてもナンなので、この曲の素晴らしい演奏について少し書いておきましょう。
左右にミックスを分けた2本のエレキギターによるツイン・リード・アレンジの感触から、これは井上バンドの演奏ではないかと僕は考えています。
『チャコール・グレイの肖像』は各曲ごとの演奏クレジット明記はないのですが、昨年書いた「桃いろの旅行者」の記事に、「堯之さんか大野さんがアレンジを担当している曲が井上バンドで、船山さんアレンジの曲が羽田健太郎さん、後藤次利さん達の演奏と考えるのが自然」という、ねこ仮面様からの目からウロコなコメントを頂きました。
「何を失くしてもかまわない」は堯之さんのアレンジですから、そのお言葉とも合致します。

初聴の印象に反して、意外にトラック数の多い曲です。
例えば鍵盤は、左サイドにミックスされたピアノの他、センターではシンセ・ストリングス、2番から登場するバンドネオンのような音色のキーボードの計3トラック。
ギターは左右のエレキギターに加え、センターにアコギ、スティールの計4トラックです。
左サイドのエレキは要所要所で右サイドのメイン・リードとハモるセカンド・リードとなっています。こういう仕上げ方はいかにも井上バンド、だと思うんですよ。

全トラックの中で僕が最も惹かれるのは、間奏の最後の最後、2番のジュリーの歌が始まる直前に美しくヒラヒラと3連符で舞うピアノのフレーズです。
以前「櫻舗道」の記事で触れた「桜アレンジ」とよく似ていますが、アルバムが『チャコール・グレイの肖像』ですから、ここは「枯葉アレンジ」と呼びたいところ。
まるで「わくらば」(←恥ずかしながらピーの「一枚の写真」を聴くまで知らなかった言葉。もう覚えました!)が風に舞い飛んでいるかのようなピアノは、この曲、このアルバムにピッタリの名演だと思います。


それでは、オマケです!
今日は、Mママ様からお預かりしている切り抜き資料から、『沢田研二/イメージの世界』という特集記事を。

お題曲とは少し年が違うのですが、ジュリーがラジオ番組『沢田研二の愛を求めて』の中で藤公之介さんの詩を朗読したことがあって、それを題材にジュリーのフォトと共に構成した内容となっています。


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僕は『沢田研二の愛を求めて』なるラジオ番組についてまったく知りませんし、そもそもこの記事が何の雑誌に掲載されていたのかも分かっていません。
サイズ、紙質から考えると『女学生の友』でしょうか。
先輩方からの伝授、お待ちしています。特にラジオ番組については知りたいなぁ。
特番だったのか、それともある程度継続してオンエアされた番組があったのか・・・。


では次回更新は、90年代の名曲を予定しています。
いくらジュリーが夏からのツアーまでの間「ここで待っていよう、追いつくのを♪」と言ってくれている(妄想ですけどね)としても、新規ファンの僕は先輩方と違って、相当ダッシュで駆けなければジュリーの背中には追いつきません。そりゃあ、とんでもない距離ですよ。

リアルタイムでは知らなかったジュリーの名曲達をどんどん採り上げて、ひとまずがむしゃらにジュリーの背中を追いかけてみようと思っています。
引き続き、更新頑張ります!

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2017年2月 7日 (火)

沢田研二 「そばにいたい」

from『S/T/R/I/P/P/E/R』、1981

Stripper

1. オーバチュア
2. ス・ト・リ・ッ・パ・-
3. BYE BYE HANDY LOVE
4. そばにいたい
5. DIRTY WORK
6. バイバイジェラシー
7. 想い出のアニー・ローリー
8. FOXY FOX
9. テーブル4の女
10. 渚のラブレター
11. テレフォン
12. シャワー
13. バタフライ・ムーン

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2日遅れではありますが。
ジュリー、そしてザ・タイガース・・・デビュー50周年おめでとうございます!

当時、生まれて1ケ月ちょっとだった僕はデビュー・シングル『僕のマリー』リリースの記憶をもちろんリアルタイムでは持ちませんが、その歴史的第一歩はしっかりと後追いで勉強し胸に刻んでいます。
ちょうどこの日付をとりまくようにして、映画『ヤマトより愛をこめて2202』のニュース(2つ目のPVに感涙)や、マイク越谷さんのLIVE評など、ジュリーファンにとって嬉しい情報が次々に届けられていますね。
遂にジュリーの「50周年」イヤーが始まった・・・そんな感じです。澤會さんHPトップのロゴを見ると、心躍り高まってくるものがありますな~。

ジュリーは1967年からここまで50年間、まったく休むことなく歌い続けてきました。
変わりなく、いつものように続けること。積み重なって半世紀、50年・・・本当に凄いことです。

夏からの全国ツアーのセットリストにジュリーが選ぶ「50曲」、気になるなぁ。
先日も先輩と食事をしながら
「タイガースが4曲って、かなり限定的ですよねぇ」
と話しながら色々と予想しましたが、先日、星のかけら様の御記事を拝見して「あっ!」と思いました。
そうか!50年間をそれぞれ1年1曲ずつ、ということにしたら、タイガースは4曲になるんだ・・・確かにそういうアプローチは考えられますね。
でもそれでいくと、78年なんて一体どうするんだろう?1曲に絞れる?逆にリリースの無かった2011年は?
・・・と、そんなふうにあれこれ考えるだけで楽しいのです。今からツアーが待ち遠しいですね。

そんな中、拙ブログでは3月11日の新譜リリースまでの間、怒涛の更新期間に突入いたします!

色々考えたんですけど、やはりここは「自分が特に大好きなジュリー・ナンバー」をお題とした考察記事をどんどん書いてゆくことにしました。
「大好き」の気持ちがあれば、お題が激しいロックだろうが哀しいバラードだろうが、どんなテーマの曲だろうがそこに邪気の入り込む隙間が無くなります。
お正月の「頑張れ」エールに、ジュリーからファンへの「好き」の気持ちを受け取った先輩方も多いと思います。エールって究極にはその気持ちに尽きると思いますし、僕も及ばずながらジュリーを見倣って「今、頑張っている人」のために頑張っていきます。

第1回の今日は、アルバム『S/T/R/I/P/P/E/R』から「そばにいたい」を選びました。
いつも仲良くしてくださる、大好きな先輩がいます。
その先輩とは別のもうひとりの先輩とカミさんと4人で食事をする機会が多いのですが、その際もっぱら喋り倒しているのは僕ともうひとりの先輩で(汗)、その先輩はとても聞き上手なものですから、特にどの曲が好き、と仰っているのを伺った記憶がほとんどありません。でも確か一度だけ、この「そばにいたい」について「好きな歌」と仰っていたように思います。

もちろん僕も大好きな曲で、特に「3連のバラード」とくればジュリー・ヴォーカルの素晴らしさも明快。いずれ書こう書こうと思いつつここまできてしまいました。
「50周年」をひと言で語ることなどできませんが、ひとつには「3連ロッカ・バラードを歌うジュリー」に魅せられ続けたファンの歴史がそこにあるでしょう。

文量はいくらか短めに、とにかくどんどん更新する月間です。頑張って書いていきます。伝授!



Stripper04

Sobaniitai1

↑ 本日の参考スコアは当然の『ス・ト・リ・ッ・パ・-/沢田研二楽譜集』でございます。


昨年、BSで放映されていたエルヴィス・プレスリーの特集番組をカミさんが録画してくれて、じっくりと鑑賞したことがありました。
僕はこれまで何故かプレスリーをまともに聴いたことがなくて、有名な曲をいくつか知っている、という程度でした。ジュリーのact『ELVIS PRESLEY』で初めて知った曲もあったくらいで。

ですから、「どれどれ」という軽い感じで観始めたんですけど、これが思いもかけずグイグイと引き込まれていきましてね。
初期のTVショー出演映像と、70年代のLIVEを交互に流す、という番組構成で、僕が次第に身を乗り出していったのは初期のプレスリーの映像。
歌、立ち振る舞い、圧倒的なオーラ。「なんだこれは!」と衝撃を受けました。
ショーの進行司会者、コーラスメンバー、バンドメンバー・・・画面にはたくさんの人が同時に映るのですが、エルヴィス1人だけ別次元の人なんですよ。これは大スターにならない方がおかしいです。
ジュリーのデビュー当時もそんな感じだったのではないですか、先輩方?

そんなわけで遅まきながらプレスリーの音源を勉強中の僕ですが、YOKO君にその話をしたら
「エルヴィスに似ていないものはロックではない」
というブライアン・セッツァー(ストレイ・キャッツ)の名言があることを教えてくれました。
極論と言えばそうなんですが、あの番組を観た後で聞くと納得の名言。ジョン・レノンの名言「ロックンロールだけがリアルで、他のものはアンリアル」と、発想は似ていると思いました。
どんなロックもどこかしらプレスリーに繋がっている・・・だからこそロックにはいつまでも「不良少年のイノセンス」が息づいているのでしょう。

では、膨大な数のジュリー・ナンバーの中で特に強くプレスリーを想起させる曲と言えばどれでしょうか。
ロックンロール、ロカビリー系だと「MAYBE TONIGHT」、次いで「想い出のアニー・ローリー」。
しゃくりあげるようなファルセットを駆使した挑発的なヴォーカルは、誰にでもできる歌い方ではありません。ジュリーには「エルヴィスに似ている」ロックの適性、資質があったということですね。
そして3連ロッカ・バラード系だと・・・1番に挙げられるのが今日のお題「そばにいたい」ではないでしょうか(続くのが「無限のタブロー」ですが、これはそもそもcobaさんがactでプレスリーをテーマに書き下ろした曲なのですから当然と言えば当然)。
この点では「おまえがパラダイス」「渚のラブレター」よりも、「そばにいたい」というのがポイント。それがアルバム『S/T/R/I/P/P/E/R』の個性でもあるでしょう。

ジュリーのヴォーカルの素晴らしさは、この曲中4度登場する「Please, Please♪」に尽きます。
1度目と2度目はほぼ同じながら、3度目、4度目は歌のニュアンス、タイミングが全然違いますよね。特に最後の「さっきまでより1小節ぶん長く粘ってます」という4度目についてはバンドとの呼吸含めて絶品という他なく、リリース当時はここでジュリーにヤラレてしまう先輩方が続出したのではないでしょうか。
粘りに粘った余韻か、直後の「そばにいたい♪」の最初の「い」に思わず気合が入るジュリー。
バンドの音の入りと気持ちがシンクロして、小節の頭を強く発声したのでしょう。
「1発録り」ならではのヴォーカル、素晴らしい!

先に、「不良少年のイノセンス」という話をしました。
アルバム『S/T/R/I/P/P/E/R』では三浦徳子さんがズバリそんなコンセプトをつぎ込んでいるようです。
「そばにいたい」の主人公であるヤンチャな不良少年(とは言っても20代後半くらいのイメージかな)は、ちょっと恋人に冷たい仕打ちをしちゃったんでしょうね。本命の彼女を放って、仲間達とガールハント(死語)に興じていたのでしょうか。
散々遊び倒してから帰宅して1人部屋にいると、おや、なんだか心に穴が開いたような?
「ひと言フォローしてから寝るか~」と彼女に電話をかけても出てくれません。ヤバイ、怒らせたっぽいぞ、と焦った瞬間から、普段はワルでならし怖いものナシ!な主人公がみるみる「弱気・懇願モード」に。挙句、彼女は誰かと一緒にこの夜を過ごしているんじゃないか、などと妄想してしまいます。

結局自分にやましいところがあるからそんなふうに考えるわけで、男なんて現実世界においてもおおむねその程度の生き物ではありますが、この曲のように「普段は自分の弱さなど微塵も見せない」イイ男がたった1人の彼女に対してだけはグダグダになってしまう、というパターンが古き良きロック・ミュージックの定番。ひいては「エルヴィスに似ている」ことにも繋がります。
ジュリーは難なくそれを演じられるだけの声と容姿を持っている上、「普段は完璧に強い男」というのはジュリーの「地」ではないでしょうか。本人はそう思っていなくても・・・傍から見れば強靭な「男」ですよね。
世の女性はそんな男が見せる「弱気」に惚れちゃうみたい・・・それが「そばにいたい」という曲です。

Please, Please そばにいたい 夜はせつなくて
                                F                           B♭

枕を濡らし オマエの  名前を叫ぶよ
Bdim             F    Dm  Gm   C7      Am  A♭m

名前を叫ぶよ ♪
Gm  C7      F  Dm

『ス・ト・リ・ッ・パ・-/沢田研二楽譜集』では、サビのメロディーの肝と言えるディミニッシュの採譜を割愛しているのが惜しいですが、歌、詞、メロディーいずれにしても強烈なのはこの最後のサビ部です。
みなさま、当時は「私のために枕を涙で濡らす」ジュリーを想像したりしていましたか?
ジュリワンの「涙がこぼれちゃう」の時は、そんな先輩がいらっしゃいましたけど?(笑)。

さて、昨年の全国ツアーで「渚のラブレター」が歌われたことにより、銀次さんから思わぬ「製作秘話」が少しだけ明らかにされました。
そのお言葉から推測できることがいくつかあります。アルバム『S/T/R/P/P/E/R』当時のレコーディングは基本的に「1発録り」ですが、「ミドルエイト」(おもに60年代のロックで言う「間奏8小節」の意。銀次さんはこうした基本的なロックの手法に深い愛着と敬意を持っていらっしゃるようで、プロデュースしたジュリーの多くの作品でキッチリと「8小節のソロ」を採り入れることを心がけていらっしゃったようです。ご自身作曲の「I'LL BE ON MY WAY」はそのお手本のような曲でした)のソロは後入れであった、というのもそのひとつです。

ただしそれは「追加トラック」が存在する曲に限っての話。「そばにいたい」のミドルエイトは西平さんのピアノをフィーチャーしていますが、これは最初から継続して鳴っているピアノのパートと同一のトラックですから、「1発録り」の臨場感溢れるソロとなっています。
フレージングは「歌メロ崩し」の典型パターンながら、押し引きが絶妙でグイグイ引き込まれますね。
また西平さんはジュリーのヴォーカル部についても、Aメロは繊細な3連符のコード弾き、Bメロはヴォーカルを追いかけるゴージャスな裏メロ、といった感じでガラリと表情を変えてきます。これは名演です!

アルバム『S/T/R/I/P/P/E/R』からは、「渚のラブレター」「ス・ト・リ・ッ・パ・-」のジュリー作曲の2つのナンバーがシングルとなりましたが、製作段階では「佐野元春さんか小田裕一郎さんの曲をシングルに」との案があったと聞いたことがあります。
佐野さんなら「BYE BYE HANDY LOVE」だけど、小田さんはどっちだろう?
やっぱり「DIRTY WORK」の方なのかな。でも、「おまえがパラダイス」→「渚のラブレター」→「そばにいたい」という怒涛の「3連ロッカ・バラード、シングル3連発」も面白かったかもしれませんね。

「そばにいたい」は、この先のLIVEでは体感することのない「隠れた名曲」なのかなぁとは思います。
でも・・・「70を超えたらみなさんを楽しませることを色々と考えている」とジュリーはお正月に語ってくれたそうですから、ファンとしてはいつの日か「シングル以外のアルバム収録曲のみで構成されたセットリスト」なんてのも期待してしまいます。
その時は是非この曲を採り上げて欲しいですね。


それでは、オマケです!
福岡の先輩からお預かりしている、『ヤング』81年9月号から数枚どうぞ~。

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さらに、オマケのオマケを1枚。こちらは同い年の男性のJ友さんからお預かりしている切り抜きです。

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では、次回以降も僕自身が大好きなジュリー・ナンバーを採り上げ、勢いに乗ってできる限りのハイペースで更新を頑張っていきます。

それぞれのお題曲はリリース時期をランダムに駆け回ることになりますが、ジュリーの偉大な「50周年」を、ひとまずは各時代の「シングル以外の世間的には知られていない名曲」の考察から振り返りたいと思います。
(もちろん全国ツアーが近くなったら、”恒例・全然当たらないセットリスト予想”シリーズにてシングルの名曲もいくつか書きますよ!)
よろしくお願い申し上げます!

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2017年2月 4日 (土)

沢田研二 「坂道」

from『Beautiful World』、1992

Beautifulworld

1. alone
2. SOMEBODY'S CRYIN'
3. 太陽のひとりごと
4. 坂道
5. a long good-bye
6. Beautiful World
7. 懲りないスクリプト
8. SAYONARA
9. 月明かりなら眩しすぎない
10. 約束の地
11. Courage

---------------------

本館では大変ご無沙汰してしまいました。
こちらでは久々の更新なのですが・・・すみません、今日は年末年始の旅日記です。
撮った写真のぶんだけ駆け足でサッと済ませますので、ちょっとだけおつき合いくださいませ。

お題にあやかったのジュリー・ナンバーは、アルバム『Beautiful world』収録の「坂道」。
いえね、年末年始はカミさんの実家がある関西で過ごしていて、大阪で”『真田丸』関連の地巡り”をしてきまして。恥ずかしながら僕はこの歳になって初めて、大阪が「でっかい坂道の上にある街」だと知ったわけです。なるほどそれで昔は「大坂」って言ったのかぁ、と・・・ホント、今さらですけど。


出かけたのは12月31日。新幹線は大変な混雑でしたが、指定席をとっていたので楽々の移動。午前11時ちょっと過ぎに京都駅に到着、下車しました。


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↑ すっかり迎春仕様の京都駅前ロータリー舗道。

いざ向ったのは駅から歩いて5分ほどの場所にある有名ラーメン店、『第一旭』。この日は僕のワガママでここで昼食、と決めていました。

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11時20分頃にお店の前に着いたんですけど、既にもの凄い行列が。結局1時間ちょっと並んで・・・僕が満を持して注文したのは「特製ラーメン」。

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美味しかった!素晴らしい!
純粋な「醤油系」の中では生涯ベストのラーメンだったと思います。麺はストレートの中細、「ライス」を注文すると上写真の通り漬物がついてきます。

夕方にカミさんの実家に到着。カミさんの弟家族も来ていて、姪っ子達とも久々の再会。
明けて2017年・・・今回の帰省で楽しみにしていたのが、初めて食べるカミさんの実家のお雑煮です。
僕はお雑煮が大好物。各地各家庭でそれぞれ味も具も違う、というのがまた良いんですよね~。お母さんには前もって「特別なことはしないで、いつも食べているそのままのお雑煮を」とリクエストしていました。
早速、新年の朝ご飯に頂きます。


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おぉ、味噌仕立て・・・具は根菜と葱ですか~。
美味しかったです!
元旦はその後お父さんが車を出してくれて、御上神社、竜王アウトレットパークに行きましたが、とにかく凄い人と車の混雑で、少し疲れました。

翌2日はいよいよ「大坂」で『真田丸巡り』。まずは当然の大坂城から。


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城それ自体はやっぱり「作り物」感が否めませんでしたが、敷地の広さや立地感は圧倒的でしたし、何より石垣組みが素晴らしかったです。

大坂城からは徒歩でひたすら坂道を下り、「天王寺口」付近へと向かいました。


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細川忠興屋敷跡。
カミさんが「誰だっけ?」と聞くので、「三成が家康と張り合って宴を主催した時、一応顔を見せて帰ってから散々文句言ってた人」と言ったら分かったようでした。「あぁ、ガラシャの旦那か!」と。始めからそう説明すれば良かったのですな・・・。

「真田石」の三光神社を経て、いよいよ「佐助の年齢発覚の地」・・・もとい、幸村最期の地と伝わる安居神社に到着。これがまた、坂を下った地にいきなり高台があって、その頂上にこじんまりとね・・・。


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『真田丸』のあの幸村の介錯のシーンは、実際にここでロケしたのかな?

安居神社で、近くにお住いのいっけん姐さんと待ち合わせ、そこから先は近場の名所案内をしてくださいました。
『真田丸』とは関係ありませんが、そりゃあここまで来たら四天王寺も歩きませんとね。


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そして、「山」と言うより小さな「丘」って感じでしたが、茶臼山にも登ってきました。

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いっけん姐さんにとって茶臼山は、子供の頃から普通に駆け回っていた遊び場、というイメージだったそうですが、昨年いきなり『真田丸』の旗が立てられ「原風景」は一変してしまったのだとか。

「一変」と言えば、天王寺近辺の大阪っ子にとって大きかったのが、コレでしょうね~。


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あべのハルカス!
これがね、実際に近くで見上げると分かるのですが、「高くは見えない」んですよ。立地の問題かなぁ。
五重塔や大坂城が高く見えるのは、そう「魅せる」ことも計算の上、建立されているわけです。あべのハルカスはその点がちょっと残念ですかね・・・。

そんなこんなで満喫した関西の旅。疲れが出たのか帰京してから見事に風邪をひき、一度治ってまたぶり返して現在に至る・・・そんな年末年始でございました。


最後に、お題にあやかったジュリーの「坂道」についても少しだけ(汗)。

僕がムーンライダースを聴くようになったのは、大学進学で上京してからのこと。
レコードを買うのは洋楽ばかり、邦楽の方はFM雑誌を買って自分の知らないバンド、アーティストをチェックする、という日々の中でラジオで出逢った「夏の日のオーガズム」に衝撃を受けたのが最初でした。
こういう「男らしさ」ってアリなのか、と。
遡ってレコード、CDを購入し始めたのは社会人になってお金に余裕ができてからだったけど、「夏の日のオーガズム」の影響で、大学時代からラジオでエアチェックした「Kのトランク」などのムーンライダースの曲を編集してよく聴いていたものでした。

そのムーンライダースのメインライター、鈴木慶一さんがジュリーに楽曲提供。当時は話題になったでしょう。EMI繋がりだったのでしょうか。

「坂道」はいかにも鈴木さんらしい素敵な曲です。
特にジュリーのヴォーカルが最初に入ってくるAメロには何とも言えない雰囲気があって。クールなんだけど、静かに心揺さぶられるようなメロディー。

あの時君とさよならを 言わなくてよかった
      A

今にも降り出しそうな
   A

空の下 で  やっとこらえて ♪
   C#m7 Dmaj7     C#m7   Dmaj7

こういう曲がサラリと収録されているのがアルバム『Beautiful World』の強みかなぁ。

あと、「坂道」は何と言っても覚和歌子さんの詞が良いんですよね。
僕は今回の『真田丸』巡りをしながら、よし、「坂道」のお題で旅日記を書こう、と思い立ちました。
それは、『祈り歌LOVESONG特集』初日を一週間後に控えて「この覚さんの詞は今のジュリーが歌うにふさわしい!」と考えたから。歩きながら歌詞をソラで反芻していて、歌詞中に「祈り」「LOVE」という2つのフレーズが登場することに気がつき、「これは絶対歌ってくれる!」と(得意の思い込み汗)。
残念ながら時間がなくセットリスト予想シリーズには間に合いませんでしたが、「絶対歌うに決まってるんだから、”セットリストを振り返る”シリーズで書こう、と勝手に心に決めていたという(恥)。

いざ『祈り歌LOVESONG特集』が開幕し、実際のセットリストはご存知の通り。
LIVEが終わってカミさんにそんな話をしたら、「浅はかやな~」と呆れられました。
ですから今日の記事は恥をさらしているに等しいんですけど、やっぱり書いてしまいました。だってほら、フォーラムでジュリーが言ってたそうじゃないですか。


人生には3つの坂がある。上り坂、下り坂、まさか。
やぶさか、いやさかというのもある。

僕程度の人生経験では、まだまだ出てこない言葉なんですよね。
「坂道」を初めて歌った当時のジュリーはどうだったでしょうか。今の僕よりは全然若いけど、色々なことを体験して、頑張ってきたからこの透き通るような声が出て、「坂道」を表現できたのかな?

2007年お正月『ワイルドボアの平和』では、58歳(LIVE当時)のジュリーが歌う「坂道」をDVDで観ることができますが、やっぱりその時その年齢の「坂道」という歌になっている、と感じます。
この先、70代、80代のジュリーが歌う「坂道」・・・いつか生で体感できる1曲だと思っています!



ということで今日は旅日記でしたが、次回更新から”「今、頑張っている人」のために頑張るシリーズ”として、様々な時代のジュリーの名曲の考察記事を矢継ぎ早に書いていきたいと思います。

お正月のジュリーのエールの話を聞いて、僕は「頑張れ」側に立とうと決めました。今日、普段から「師」と仰ぐJ先輩にお会いして、背中も押されてきました。
3月11日リリースの新譜2曲についてはさすがにじっくり時間をかけての執筆になるかと思いますが、とりあえず次回から1ケ月ちょっとの期間は、ビッシビシ更新していきますからね。ついてきてくださいよ~。

まず第1回はエキゾティクス時代のナンバーを予定しています。お楽しみに!

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