沢田研二 「何を失くしてもかまわない」
from『チャコール・グレイの肖像』、1976
1. ジョセフィーヌのために
2. 夜の河を渡る前に
3. 何を失くしてもかまわない
4. コバルトの季節の中で
5. 桃いろの旅行者
6. 片腕の賭博師
7. ヘヴィーだね
8. ロ・メロメロ
9. 影絵
10. あのままだよ
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怒涛のペースで更新しているので、読んでくださるみなさまに大変な労力をおかけしているのではないかと思いますが(汗)、今日も張り切ってまいります。
みなさまのご自由にナナメ読みして頂ければ・・・。
更新頻度が高いぶん、なるべくコンパクトに書くことは心がけますので!
ということで枕は短めに・・・今日は、アルバム『チャコール・グレイの肖像』から「何を失くしてもかまわない」を採り上げたいと思います。
僕らは今、「全編ジュリー作詞」の新譜を毎年聴けるというとても幸せな状況にありますが、「全編ジュリーの作曲」ということになると、この76年リリースのアルバムまで遡らなければならないんですよね。
ジュリーの作曲のみならず、豪華な作詞陣による抒情性も、そして演奏、アレンジについても驚くほどにクオリティーの高い大名盤です。
僕がこのアルバムで最も好きな曲は、70年代和製グラム・ロックの最高傑作とも言える「夜の河を渡る前に」。僅差で続くのが「桃いろの旅行者」です。
では3番手は?
これが難しい。どの曲も大好きだし何かしら傑出したところがあって・・・決められません。
ただ、ジュリーの持つ「清潔さ」「生真面目さ」がそのまま自作のメロディーや藤公之介さんの詞、バックの演奏にまで反映されていること、ジュリーの当時の稀有な美声だけではない、楽曲全体の「美しさ」という点で、「何を失くしてもかまわない」は特に素晴らしい1曲ではないでしょうか。
今日は「ジュリー50周年」を僕なりにしみじみと考えつつ、妄想も織り交ぜつつ(汗)・・・伝授です!
「何を失くしてもかまわない」を「とても悲しい歌」だと思っているかたは多いのではないでしょうか。
それは確かにそうなんです。切なくなるメロディー、歌詞ですよね。
そもそも、50年の歴史の中でジュリー自身による作曲作品は数あれど、比率とすればジュリーは圧倒的に長調で作曲することの方が多いです。
ところが、『チャコール・グレイの肖像』では、「何を失くしてもかまわない」「桃いろの旅行者」「ヘヴィーだね」「影絵」「あのままだよ」と、収録曲の半分が短調。それだけでも異例のアルバムと言えます。
これは、当時のジュリーの環境、状況が色濃く反映されたと考えるより他ありません。
76年のジュリーにどんなことがあったのかを僕が知ったのは『ジュリー祭り』以降のことでした。
”第一次ジュリー堕ち期”のポリドールのアルバム大人買いの頃は何も知らず・・・僕は本当にそんなことすら分からないまま『チャコール・グレイの肖像』を聴いていたんですよねぇ。
一方リアルタイムでこのアルバムを聴いた先輩方は、短調のバラードである「何を失くしてもかまわない」で、その美しさに感動しつつも、胸をしめつけられるような感覚があったのではないでしょうか。
でも、ちょっと待って下さい。
「何を失くしてもかまわない」って、本当にそんなに悲しい歌でしょうか。悲しい物語なのでしょうか。
例えば(可能性はほぼゼロに近いでしょうけど)今のジュリーがこの曲を歌っているシーンを想像してみましょう。どんなふうに聴こえるでしょうか。(引用)
がむしゃらに 走り続けていると
Em Bm
まわりの景色が わからない
G Am B7 Em
まして後を 振り返ることなど
G D Am G B7
思いもよらないことだった ♪
Em G B7 Em
唐突ですが、僕は男としては歩くのが遅い方です。
先述した先輩とは「歩く速度」の相性がすごく良くて、もうひとりの先輩とカミさんと4人でお会いした時に街をブラブラと散歩していると、いつの間にか完全に2対2に分かれてしまっていることがよくあります。2人して相当ゆっくり歩いているのでしょうな~。
逆に、こちらもいつも仲良くしてくださる先輩で「女性でここまで」と思うほど速いスピードで颯爽と歩くかたもいらっしゃいます。僕は先輩に合わせて頑張って速く歩きますが、それは苦ではありません。いつもより早く歩いているので、景色がいつもと違って見えます。それもまた楽しいものです。
あと、完全に余談ながら、YOKO君は僕以上に歩くのが遅いです。彼はどうやら同時に2つのことをするのが苦手なタイプのようで、おしゃべりしながらだと信じられないほどゆっくり歩きます(笑)。
まぁ僕やYOKO君の例は置いとくとして、一般的には女性より男性の方が歩幅も広いし歩くのが速いですよね。彼氏の歩くスピードについていくのが大変、という女性の話は、現実でもよく聞くことがあります。
「何を失くしてもかまわない」では、男女が共に生きてきた道のりを「歩く速度の違い」に例えて男性視点で語っています。
主人公の男性は凄まじい猛スピードで人生を駆けてきたようで、ふと「彼女は後ろから必死でついてきているんだけど、自分があまりに速いのでいつの間にか2人の間に途方もない距離ができていた」ことに気がつくわけですね。
ジュリーの50年、その1年目、2年目からずっと応援してきた先輩方は実感していらっしゃると思います。
ジュリーはとてつもないスピードでどんどん先に進んで、それこそがむしゃらに走り続けていて・・・背中を見失わないように追いかけることは、楽しいながらもとても大変だったのではないですか?
対して、『ジュリー祭り』からジュリーを追いかけ始めた僕の距離感覚はどうかと言うと・・・。
もちろん、ジュリーは僕より遥か先を行っています。その時その時の「時代」を見つめながら、先のことを考えて歌い続けていますね。
でも、遠くに辛うじて見えるジュリーの背中は、それ以上遠ざかっていく感じはしません。離れて歩いていても、その歩幅自体はファンと同じである気がします。
ジュリーがいつからそんな感じになっていったのか僕には分からないのですが、先輩方ならなんとなく時期を思い浮かべることができるのかもしれませんね。やっぱり、セルフ・プロデュースでアルバムを作り始めた頃なのかな。或いは2001年あたりから?
それとも、もっと最近になってからでしょうか。
そして今年、50周年のメモリアル・イヤー。
夏からの全国ツアーについて「デビューから50年間のシングルの中から50曲を選んで歌う」と宣言してくれたジュリー。これはもう、新しいファンも新規ファンもみんなが「ジュリーの1年目」に立ち返り
「僕(ジュリー)と一緒に50年をおさらいしてみよう」
というステージになること、間違いありません。
ここで待っていよう 追いつくのを
Bm Am Em
それからにしよう 先のことは
Bm Am D7
何を失くしてもかまわない
Em G F#7 B7
あなたの心をとり戻せるなら ♪
Am Em D Em
お正月コンサートが終わった直後は毎年そうですが、今ジュリーファンは深刻な「じゅり枯れ」の時期。
でも、夏の全国ツアーがはじまるまでの間を「遠くからずっとジュリーを追いかけていたみんなを、ジュリーが自分の横に追いつくまで待ってくれている時間」だと考えてみてはどうでしょう。
これはボ~ッとしてはいられませんよ!
そして
「それからにしよう、先のことは♪」
僕は直接聞いていませんが、お正月のMCでジュリーは「70を超えたらみんなを楽しませることを考えている」と言ってくれたそうですね。
50周年を区切りとして、その先はジュリーもファンも同じ歩幅で、並んでゆっくりと歩いてゆく・・・ジュリーはそんな歌人生を考えているのかもしれません。
そんな妄想に耽りながら「何を失くしてもかまわない」を聴いていると、この歌は短調のバラードでありながら全然切なくはなくて、心躍るジュリーとファンとの相思相愛の歌のようにも聴こえてきます。
「何を失くしても・・・」とは確かに悲愴な印象を受けるタイトル・フレーズなんだけど、リリースから41年経った今それを、「大切な人、大切なもの以外はもういらない」という素敵な断捨離ソングとして解釈するのもアリではないでしょうか。
これが、今回僕が「何を失くしてもかまわない」を採り上げて書きたかったことです。
いかがでしょうか?
さて、これだけで記事を終えてもナンなので、この曲の素晴らしい演奏について少し書いておきましょう。
左右にミックスを分けた2本のエレキギターによるツイン・リード・アレンジの感触から、これは井上バンドの演奏ではないかと僕は考えています。
『チャコール・グレイの肖像』は各曲ごとの演奏クレジット明記はないのですが、昨年書いた「桃いろの旅行者」の記事に、「堯之さんか大野さんがアレンジを担当している曲が井上バンドで、船山さんアレンジの曲が羽田健太郎さん、後藤次利さん達の演奏と考えるのが自然」という、ねこ仮面様からの目からウロコなコメントを頂きました。
「何を失くしてもかまわない」は堯之さんのアレンジですから、そのお言葉とも合致します。
初聴の印象に反して、意外にトラック数の多い曲です。
例えば鍵盤は、左サイドにミックスされたピアノの他、センターではシンセ・ストリングス、2番から登場するバンドネオンのような音色のキーボードの計3トラック。
ギターは左右のエレキギターに加え、センターにアコギ、スティールの計4トラックです。
左サイドのエレキは要所要所で右サイドのメイン・リードとハモるセカンド・リードとなっています。こういう仕上げ方はいかにも井上バンド、だと思うんですよ。
全トラックの中で僕が最も惹かれるのは、間奏の最後の最後、2番のジュリーの歌が始まる直前に美しくヒラヒラと3連符で舞うピアノのフレーズです。
以前「櫻舗道」の記事で触れた「桜アレンジ」とよく似ていますが、アルバムが『チャコール・グレイの肖像』ですから、ここは「枯葉アレンジ」と呼びたいところ。
まるで「わくらば」(←恥ずかしながらピーの「一枚の写真」を聴くまで知らなかった言葉。もう覚えました!)が風に舞い飛んでいるかのようなピアノは、この曲、このアルバムにピッタリの名演だと思います。
それでは、オマケです!
今日は、Mママ様からお預かりしている切り抜き資料から、『沢田研二/イメージの世界』という特集記事を。
お題曲とは少し年が違うのですが、ジュリーがラジオ番組『沢田研二の愛を求めて』の中で藤公之介さんの詩を朗読したことがあって、それを題材にジュリーのフォトと共に構成した内容となっています。
僕は『沢田研二の愛を求めて』なるラジオ番組についてまったく知りませんし、そもそもこの記事が何の雑誌に掲載されていたのかも分かっていません。
サイズ、紙質から考えると『女学生の友』でしょうか。
先輩方からの伝授、お待ちしています。特にラジオ番組については知りたいなぁ。
特番だったのか、それともある程度継続してオンエアされた番組があったのか・・・。
では次回更新は、90年代の名曲を予定しています。
いくらジュリーが夏からのツアーまでの間「ここで待っていよう、追いつくのを♪」と言ってくれている(妄想ですけどね)としても、新規ファンの僕は先輩方と違って、相当ダッシュで駆けなければジュリーの背中には追いつきません。そりゃあ、とんでもない距離ですよ。
リアルタイムでは知らなかったジュリーの名曲達をどんどん採り上げて、ひとまずがむしゃらにジュリーの背中を追いかけてみようと思っています。
引き続き、更新頑張ります!
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コメント
DY様、こんばんは。
お久しぶりです。
2015年夏の大宮ソニックシティでのニアミス以来ですが、
覚えていらっしゃるでしょうか?
(ちなみに、去年の夏もソニックシティでお見かけしましたよ)
今日は、あまりにも懐かしい番組名に心が躍り
のこのこお邪魔しちゃいました。
ちなみに「愛をもとめて」の【もとめて】は平仮名です(笑)。
この詩集は4巻持っています。
ジュリーの声で読まれる詩は、ラジオ特有のプライベート感があって、
ぐっと親密感も増すんですよね。
私に囁くジュリー(大勘違い…笑)ですからね。
ご存知の方は多いと思いますが、
この番組はニッポン放送の帯番組(10分間:月〜金)でして、
夜の遅い時間帯に放送してました。
時期は、75年くらいから?3年間くらい?
私が高校生の頃だったと記憶していますが、
かなり怪しい記憶なので、今度調べてみます。
間違ってたらスミマセン。
カセットテープもたぶんあります。
(まだ聞けるんでしょうかねぇ)
藤公之介さんが詩を書いてらしたので、
やっぱり、今回のお題曲の頃なのかな。
色々な愛の形の詩で、
読んだあとに、ジュリーがその愛についての感想や考えを伝えてくれる、
そんな番組だったと思います。
それを聞きながら、
ジュリーの気持ちや心に触れたような気がして
ときめいたものでした。
ちなみに、当時、作詞家の藤さんには個人的にお悩み相談のお手紙なんぞを送ったりして、
原稿用紙(藤さんの名前入り)で返信が来て、ビックリしたことがあります。
その後、何度が手紙のやりとりをさせていただきました。
番組宛に送ったら、ちゃんと渡してもらえたんですね。
メールなんて無い時代でしたが、
今思うとほのぼのとしたいい時代だったな、
とDYさんの思いがけないお題から、
なんだかしみじみしている今宵です。
長々、失礼しました。
投稿: ビビアン | 2017年2月11日 (土) 00時09分
ビビアン様
ありがとうございます!
2015年の大宮は、YOKO君と2人で最初に座席を間違えていた時ですからよく覚えております~。
ラジオの情報ありがとうございます!
初めて伺うお話です。帯番組でしたか~。
深夜にジュリーの詞の朗読をこっそり聴いていた女学生達が当時全国にいらっしゃったということですね。
そして・・・藤さんとお手紙のやりとりをされていたとは驚きました。ラジオ番組が繋ぐ人と人の縁・・・本当に良い時代です。
今はメール、ネットなどとても便利な世の中になりましたが、それだけに、自分で字を書いて相手に大事なことを伝える、というのが人々それぞれの生活、日常の中で本当に大切な時代になってきたのではないでしょうか。
貴重なお話をありがとうございました!
投稿: DYNAMITE | 2017年2月11日 (土) 10時44分
DY様、お久しぶりです。「愛をもとめて」は、ビビアンさんのコメント通り、75年から3年間放送でした。詩集は5冊、エッセイが1冊出版されました。詩集の第5集の「はじめに」で番組のフォーマットが紹介されています。テーマミュージックは、ジュリー作曲、ギター演奏は堯之さんとあります。ジュリーの写真も期待しましたが、第1集は全く無し、第2集から5集は裏表紙に同じようなのが小さく載っているだけ(2集と4集は全く同じ)で少しガッカリでした。でも、詩を読んでいるとジュリーの甘い声(囁き)が今でも聴こえてくるようで、ウットリします。
投稿: しぶ姐 | 2017年2月13日 (月) 10時23分
しぶ姐様
ありがとうございます!
75年から3年間とは驚きました。その間のジュリーの進化、激動、レコード大賞受賞などの歴史を考えると奇跡的に長期番組だと思います。
僕も各地の先輩方のおかげでジュリー関連の出版物はほぼ知ったつもりになっていましたが、5冊もの詩集、そしてエッセイが出版されていることは初めて知りました。
おそらく手持ちの資料のどこかに関連する記述もあるはずですが今まで完全に見落としていたようです。
お持ちの先輩方が羨ましい・・・。
『まんだらけ』などでも見かけた記憶がないなぁ。見逃したのかなぁ。
いずれにしても間違いなく「お宝」ですよ!
ジュリー作曲、堯之さんギターのテーマミュージックも気になります。
まだまだ僕はジュリーについて知らないことが多いのだな、としみじみ思います。
貴重なお話ありがとうございました!
投稿: DYNAMITE | 2017年2月13日 (月) 12時29分
DY様 こんばんは。
はい、半分イライラ(当時ニッポン放送、変な無線と混線してる感じて雑音がひどかった。)半分寝ぼけながら聴いてました。
懐かしいですね。
詩集も一冊、多分実家のどこかで眠っている、ハズ・・・。
人の歩くペースの違い、がすれ違いを生むのはどうしようもないんでしょうね。
でも、もたもたしていると大事なものを逃しそうで、でも先を急いでいたら、もっと大事なものを置き去りにして来たことに気が付く、そんなことがあった気がします。
投稿: nekomodoki | 2017年2月13日 (月) 15時22分
nekomodoki様
ありがとうございます!
分かりますよ~、ラジオの民放の雑音。
僕も中学くらいからオールナイトニッポン聴いてましたから。
最初に聴いたのは拓郎さん。BLの爆笑コーナーをよく意味も分からず聴きながら寝落ちしていたものでした。朝起きたら髪がヘッドホンの形に跳ねていたりして(笑)。
歩く速度って本当に人それぞれですよね。
それでも大人になったら難なく人に合わせられるようになりましたが、若い頃はそれができないんですよね。僕の場合は、遅いので仲間と出かけると「はよ、はよ」(←鹿児島弁のイントネーションで)と急かされるタイプでした・・・。
投稿: DYNAMITE | 2017年2月13日 (月) 15時47分
DY 様、追伸です。
ラジオ「愛をもとめて」のテーマミュージックは、DY様が14.4.9にご伝授されていますアルバム「今僕は倖せです」の中の「ラブ·ソング」のハミングバージョンでした🎶
投稿: しぶ姐 | 2017年2月13日 (月) 15時52分
しぶ姐様
ありがとうございます!
いやいや、まったく知りませんでした。
「ラヴ ソング」のハミング・・・そうでしたか~。この曲はバラードではありますが、ジュリーらしい風変わりな進行、小節割りですから、ラジオ番組のテーマとしてハミングでオンエアされるとさぞ独特の雰囲気があったことでしょう。
勉強になりました!
「ラヴ ソング」の考察記事、帰宅したら追記という形でちょっと手を入れておきたいと思います~。
投稿: DYNAMITE | 2017年2月13日 (月) 16時47分
DY様 こんばんは
私もラジオ放送を聞いていました。一回だけ録音して、それを何度も聞いてはハミング曲が何なのか興味が尽きませんでした。「チャコールグレイの肖像」をリアルタイムで買ってから、徐々に古いレコードを揃えました。そして、ハミング曲が「ラブソング」だと知りました。
詩集は一冊だけ買いました。「何を失くしてもかまわない」と「めぐり逢う日のために」の詩が載っていたからです。藤公之介さんは放送作家でしたので、「何を失くしてもかまわない」のタイトルを見ていると、阿久さんの「さよならをいう気もない」と重なり、不思議な縁を感じます。同時期ですし。
個人的には、「しゃにむ」いう言葉を生まれて初めて聞いたのが、お題曲でした。まず意味を調べましたが、大人びた言葉だなと高校生にはとても興味深かったです。
投稿: BAT | 2017年2月13日 (月) 19時43分
すみません。(に)が脱落 してしまいました。
「しゃにむに」でした。漢字だと(遮二無二)ですね。
投稿: BAT | 2017年2月13日 (月) 19時54分
BAT様
ありがとうございます!
『チャコール・グレイの肖像』から遡っていった、というのが時代の偶然とは言えBAT様、素敵です。
「ラヴ ソング」のハミング・ヴァージョンもそれほど印象深かったということなのでしょうね。
しかし、ジュリーの詩の朗読を、女性ファンだけでなくやっぱりリアルタイムの男性ジュリーファンも聴いていたのですね。なんだか不思議な感じがします。時代の良さでもありましょうし、ジュリーの実力とも言えます。
「何を失くしてもかまわない」と「さよならをいう気もない」、確かに共通のイメージを抱かせるタイトルです。
平仮名の使い方、配し方も似ていますね!
投稿: DYNAMITE | 2017年2月13日 (月) 20時45分
DY様
こんにちは。凄まじい更新ペースなのでお身体は多分大丈夫なのでしょう。読む方が追いつきません(笑)。ストーンズのデッカ期のアルバムは私の場合、ロンドンではなくその前のキングレコードで揃えていました。でも2,3枚はロンドン/ポリドールで持っていました。静電気…そういえばそんな気も。
アルバム中、堯之さん編曲の3曲はみんな暗い重たい曲ばかりですが、お題曲は演奏時間も3分台で一番ライトなへヴィー曲(相反する矛盾表現?)と受け止めています。出てくるコードが「時の過ぎゆくままに」「ある青春」のミックスのような、名曲の要素満載、なかなか好きな1曲でもあります。
でも『チャコール・グレイの肖像』なら「夜の河を渡る前に」「片腕の賭博師」「ロ・メロメロ」かな、私は。
投稿: ねこ仮面 | 2017年2月15日 (水) 13時08分
ねこ仮面様
ありがとうございます!
おかげさまで長く続いていた咳の症状がようやく治まり、明け方に起こされる日々から解放されました。でも、日によって気温の差が激しくなるこれからの季節、気をつけて過ごさなければなりませんね。
そう言えば、僕もストーンズのデッカ時代、数枚はキングです。
ロンドンで持っているもののうち、『ビッグ・ヒッツVol.1』『レット・イット・ブリード』の2枚については、毒々しいくらいの真っ青なカラー・レコードに大量の埃が静電気でへばりつく、という究極の事態でした(笑)。
僕も「夜の河を渡る前に」はもちろん、他アルバム収録曲すべて好きですよ。
ねこ仮面様の場合は「片腕の賭博師」「ロ・メロメロ」を挙げていらっしゃいますから、「何を失くしてもかまわない」のような短調のバラードとは曲調が対極ですね。
いずれその2曲の記事も書きますので、気長にお待ちくださいませ~。
投稿: DYNAMITE | 2017年2月16日 (木) 15時39分