沢田研二 「僕は泣く」
from『彼は眠れない』、1989
1. ポラロイドGIRL
2. 彼は眠れない
3. 噂のモニター
4. KI・MA・GU・RE
5. 僕は泣く
6. 堕天使の羽音
7. 静かなまぼろし
8. むくわれない水曜日
9. 君がいる窓
10. Tell Me...blue
11. DOWN
12. DAYS
13. ルナ
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手術からちょうどひと月が経ちました。
僕の場合はどうやら痔核切除手術の患者としては典型的な術後を過ごしたようで、痛みで動けずひたすら寝ていたのが2週間、なんとか動けるようになり痛みを堪えて社会復帰、往生しながらもどうにかやり過ごしたのがその後の1週間といった感じ。
術後のこの3週間は本当に辛かったですけど、同じ手術を受けた人の中には数ヶ月に渡って苦しみ続ける例もあるようですから、ここはジュリーに倣って「この程度で済んだ。護られている」と考えたいものです。
今年も大盛況となった『楽器フェア』も無事終わり、療養で休んでいた間に溜まっていた仕事にも追いついて、僕は再び「日常」を手にすることができました。
改めて、平穏な日々ほど有難いものはないんだなぁと実感しています。
さて、僕の平凡な日常は戻りましたが、世間は今週の大統領選挙で騒がしくしていますね。
選挙の結果・・・そりゃあ色々と思うところはあります。
ただ僕が一番怖いのは、トランプ氏の大統領就任で日本が今後どうしてゆくのか、ということにまったく興味の無い人が職場など身の廻りに多い現状です。
そもそもアメリカの話をする前に、自分達の国こそがちょっと前から「ヤバい」線でせめぎ合っているのに、国民の多くが全く気に留めていない、そんな現状。
ジュリーもよく言うように、考え方は色々あっていい・・・違う考えだから話ができる、とも思います。でも、無関心な人とは話すことも難しいんですよ。
無関心な事なかれ主義は感性のアンテナを鈍らせ、今回のような狂騒じみた「トランプ一色」報道にもたやすく飲み込まれてしまうのではないでしょうか。
色々あるけれど・・・例えば。
大統領選開票の喧騒の中、ひっそりと「安全基準に合格」した玄海原発。国と九州電力はさも当然の規定路線のように、今後の再稼働へと突き進むようです。
ジュリーの「限 界 臨 界」を聴いている僕は、「げんかい」という発音だけで禍禍しい予感がします。
「世間が大きなニュースに騒いでいる中でひっそりと報道される」ことが、最近多過ぎませんか?
ひとまず気をとり直して。
闘病回記がメインの更新が続きます(汗)。
今日はアルバム『彼は眠れない』から「僕は泣く」をお題にあやかりまして、「痔核切除手術の術後はどのくらい痛いのか」について書きますよ~。
患部の箇所が箇所なだけに汚い話題も出てきますが、どうか御了承くださいませ。
嬉しくて泣く。哀しくて泣く。
ジュリーのLIVEで感動して泣く。
そんな経験はみなさま必ずおありでしょう。でも、「痛くて泣く」・・・これはどうでしょう。子供の頃ならまだしも、大人になってから「痛すぎて涙を流した」経験をされた方はどれほどいらっしゃるでしょうか。
僕が今回体験したのはそんな痛みでした。
術後だいたい10日くらいまでは、毎日のように泣いていましたね・・・(恥)。
同じ痔の切除手術でも、術後の痛みには個人差があると言います。この個人差が何かと言うと、切除した患部の大きさと数なのだそうです。
まず「数」については、僕には3つの痔核がありましたが(受診前は1つだとばかり思い込んでいました)、幸い切除処置となったのは1つだけで、残る2つは注射で退治することができました。
注射の手術だけなら術後の痛みはほとんど無く数日で社会復帰できるのだそうで、「もっと早く診て貰っていれば全部注射で済んだのでは」と後悔しましたが、逆に言えば残る2つの痔核も「注射ができる」くらいのサイズにまでは育っていたということでもあり・・・。
もしこのままさらに数年放置していたら3つとも切除しなければならなかった可能性も。その場合は今回味わった痛みが単純計算で3倍増しになっていた・・・?
想像するだに恐ろしい!
手術直後に先生が「予定通り切除は1つで済みました」と仰っていましたから、残る2つの患部も処置的には本当にギリギリの線だったのかもしれません。
で、僕のケースで問題だったのは、切除した1つの傷口の「大きさ」と「深さ」です。
切除となった痔核のサイズについては初診時の段階から「結構なボリューム」と言われていました。
自分で触っていた感じではビー玉みたいな患部を想像していましたが、術後に切除したモノを見せて貰ってビックリ。ひと言でその形状を表現するなら、「大ぶりの落花生」でしょうか。想像以上に縦長で歪な物体・・・表面には一部白いポリープ状のものがへばり着いていて、放置していて良いモノではないことは一目でした(エグい話で本当にすみません)。
そんなこんなで僕の手術痕(周りの筋肉ごと抉りとられたわけですな)は大きく深く、「術後の強い痛み」の個人差で言うと上位ランクの傷口となりました。
まずは手術当日夜に麻酔が切れた段階で、「まさかこれほどとは」という痛みに直面し夜通し悶え苦しみ泣き続けることになります。
「痛い」を通り越して「熱い」と感じるほどの激痛・・・それでもその夜は「日が経つに連れて次第に和らいでいくんだろう」と自分に言い聞かせて耐えていました。
ところが、真の苦闘はその先に待っていたのです。
先生からはあらかじめ「この手術で一番の頑張りどころは、術後の排便コントロール」だと聞かされていました(でも、術前はそんな話もピンと来なくて・・・)。
手術翌日から早々と食事制限は無くなり、「きちんと食べて、きちんと出す」ことを念押しされました。
痛いながらも「どんなものかな」といざ便座に座ってみますと、いきなりオナラと共に泡状の血が噴き出してくるや、信じ難いほどの重く激しい痛みに失神寸前・・・とてもその後続けて「出す」には至りません。
結局僕は丸2日、激痛と恐怖のため「出す」ことができませんでした。
下剤を処方されているにも関わらず、ですよ。
これなんだ、これがこの手術の術後最も大変な試練なのだ、と身をもって理解しました。
同じ手術の経験者の中には、あまりにも痛いので拒食症のようになって長期間排便を試みなくなる患者さんもいるらしいのですが、実はその状況に陥るのが一番ヤバくて、傷口の治りと共に肛門が矮小化するなど、後々に大きなリスクを残してしまうのだそうです。
先生は「痛いでしょうが頑張って出してください」と。
2日が経ってもなかなか出せないでいる僕を見かねてカミさんが「何か良い方法はないものか」とネットで経験者の声を調べてくれたのですがこれが逆効果。
女性の経験者の
「術後のトイレは分娩より痛い」
との記述がありましてね・・・。
男性の僕には分娩がどれほど痛いのかは分かりませんけど、その表現で「半端な痛みではない」ことは伝わります。根性無しのDYNAMITEは見事に戦意喪失。
下剤が効いてずっとお腹も痛いのに、トイレに入るとお尻が縮こまって全然出せないのです。
そして3日目の夜。
下剤の効果が遂に限界を越え、「泣き叫び」ながら出しました。その叫び声を自分としては「ジュリーがLIVEの「愛まで待てない」で繰り出すシャウト」と表現しておきたいところなのですが、カミさんが言うには「劇画調の断末魔の声」だったのだそうな(恥)。
以後、毎日そのパターンを繰り返すことになりました。
「一体いつになったら痛みがマシになるのか」・・・ただただそんな日々が続くわけです。なにせトイレでのMAXの激痛が訪れたのは、術後6日目でしたから。
当然痛み止めも飲んでいるのですが、効いているのか効いていないのか。そもそも1日で服用できる量にも限度がありますしね。
振り返りますと、「少し楽になったかなぁ」と思えるまでにはだいたい2週間くらいかかりました。先生の「安静要2週間」との言葉がピタリと当たったのです。
「だいぶ楽になりました」とSNSに書いたタイミングで、医師免許をお持ちのJ先輩が、外科医の間で「痔のオペ後は悲惨、と言われている」と明かしてくださいました(術前や、正に「痛い痛い」と僕が言っている間は気遣って黙っていてくださったのですな~)。
シンプルな施術ですが患者の方は術後が大変、というかなり特殊な手術のようですね。
結局10月末まで痛いことは痛かったんですけど、さすがに「日にち薬」を実感できるようにはなり、今はもう痛みも出血もほとんどありません(でも未だにオムツを着用してますけどね汗。ガーゼが固定し易いので)。
僕は元々大げさに痛がり騒ぎたてる性質ではありますが、今回の体験については自信をもって「本当に痛かった」と言いきれます。
特にトイレは・・・ネットではこの痛みを「ぶ厚いガラスの破片を出しているような感じ」と書いている人がいました。その表現が一番的を得ているかもしれません。
しかも出した後しばらくは、痛いのはお尻だけのはずなのに、頭のてっぺんから足先まで貫かれるような痛みを感じ続けていたものでした。
いや、もっともっと大変な闘病経験をされている方々が世に多くいらっしゃることを思うと、今回の僕なんて「なんだ、そのくらい」という程度の闘病でしたよ。
でも、これまでの人生で一番痛い思いをしたことは間違いない・・・そして、僕と同じ病気、同じ手術を経験する人の気持ちが分かるようになった、ということはやはり大きいと思いますし、これからの僕はそれを財産としなければいけないでしょうね。
先述の先輩のお話では、日本人には痔の患者が潜在的にも多いのだそうです。
もしみなさまの中に痔をお持ちのかたがいらっしゃいましたら、「恥ずかしい」などと考えずに今すぐ専門医に診て貰うことを強くお勧めします。
僕のように相当長期の放置をしていなければ、今は(痔核については)注射の手術で治せるそうです。
長く放置してどうしようもなくなってから「切るしかない」と診断されたら、僕と同じ辛い思いをしなければなりません。そして、もしそのように診断されたとしても・・・やっぱり僕は手術をお勧めします。これは、実際に切除された患部を見た者にしか分からない感覚。絶対に、放っておいて良い病気ではないです。
大丈夫ですよ・・・どれほど痛いとは言っても、この弱虫DYNAMITEがどうにか乗り越えられたのですから。
みなさまが痔の切除手術を決断した時には、是非こちらでご相談ください。
術後療養中、どんな動作の時に特に痛いか、それを最小限に食い止めるにはどうすれば良いか、またトイレでの所作逐一について「こうすればいくらかは楽」という方法を苦闘の中で僕なりに発見してきましたから、様々なアドバイスができるはずです。
ちなみに、手術それ自体はまったく痛くありません。半身麻酔で意識はあるのでかなり怖いですけど。
僕は手術中ずっと「GO-READY-GO」のサビを頭の中で繰り返し歌っていました。「怖れ~の中に~飛び込む勇気だけ~が~・・・♪」ってね。
100回くらいは歌ったのかな(笑)。
いやはや、長々とエグい話ですみませんでした。
最後になりましたが、今回の闘病回記でお題としてあやかったジュリーの名曲「僕は泣く」について書いておきましょう(少しだけで恐縮ですが・・・)。
まぶしい陽射しに揺れてた 君の微笑み広がる
G C Cm
僕は泣く(somewhere) 僕は泣く(nowhere)
G Am7 G Am7
戻らない 夏の日の一言に ♪
Em Am7 C G
まず楽曲タイトルはビートルズ初期のロックンロール・ナンバー「I'll Cry Instead」の邦題「僕が泣く」をオマージュ元としているものと思われます。
これは鶴久政治さんの作ったメロディーに「合わせて」の狙い・・・つまり「古き良き60年代オールディーズ」のコンセプトを以って尾上文さんが作詞、タイトルがつけられたのではないでしょうか(詞が先であった場合にも同じことは言えると思います)。
それにつけても鮮烈なのは、この大名盤での鶴久さんの作曲クレジットです。
アルバム『彼は眠れない』がリリースされた89年は、鶴久さんが在籍していたバンド、ご存知チェッカーズがその演奏センスの著しい進化、メンバーそれぞれの作曲作品のシングル・セールス成功によって「単なるアイドル・バンドではない」ことを万人に知らしめていた時期と言って良いでしょう。
鶴久さんは既にチェッカーズのシングル「ワンダラー」「Jim & Janeの伝説」「Room」などのヒットにより作曲家としてのキャリアを不動のものとしていて、この翌年にはあの有名なバラード「夜明けのブレス」を作曲することになるわけですから・・・忌野清志郎さん、奥居香さん、徳永英明さんなど錚々たる顔触れが揃ったアルバム『彼は眠れない』作家陣の中に並ぶにふさわしいロック・パーソンの起用だったと言えます。
チェッカーズのメンバーの作曲はそれぞれ個性が違い、楽曲の全体像を纏め完成度を高めるセンスに秀でた武内さん、コード感やリフからのソリッドな組み立てが得意な尚之さんに対し、鶴久さんは「まずは良いメロディーありき」という作曲手法ではないかと僕は推測しています。そしてそのメロディーに「洋楽オールディーズに通ずる普遍性」を託しているのが鶴久さんのスタイルではないでしょうか。
すなわち鶴久さんの作曲作品には、ご本人が意識せずとも「GS」のエッセンスが加味されることとなり、アルバム『彼は眠れない』をリアルタイムで体感されたジュリーファンの先輩方の多くが「おっ、この曲はちょっとタイガースっぽいじゃない!」とどこか懐かしさを感じながら聴いていらしたことは想像に難くありません。
その上で僕が興味惹かれるのは、鶴久さんのコード進行と西平彰さん(15日夜9時まで、「吉田建さん」と誤記していました。M様ご指摘ありがとうございました!)のアレンジが、「ナイアガラ(=大滝詠一さん)っぽく」仕上げられていることです。
元々大滝さんがオールディーズ専門家のような人であることを考えればそれも自然な印象であり偶然なのかもしれませんが、例えば
不思議な気がしてるんだ ふたり
C Cm G
別れた理由を今の僕はもう 何ひとつ
C Cm G Em
見つけられない ♪
C D D7
このあたりは歌詞もメロディーも、そしてここで満を持して噛みこんでくるストリングスとピアノのフレーズなんて、完全に「ロンバケ」の世界なんですよ。
初めて曲を聴いた時すでに、「何ひとつ♪」の「つ」は大滝さんだったらファルセットで歌うかなぁ、なんて考えていたくらいです。
でも、「切ない詞を歌っているのに何処か涼しげで明るさすら感じさせる」のは大滝さんの個性でもあるけれど、僕はここではジュリーのヴォーカルにそれを強く意識させられます。「君が泣くのを見た」や「やわらかな後悔」のようなバラードの感覚を、この曲のジュリーのヴォーカルには感じるのです。僕だけかな?
ハートブレイクにして、ハートウォーム。
意外とジュリー・ナンバーとしては貴重なタイプの曲を、鶴久さんは提供してくれていたんだなぁ。
「僕は泣く」・・・改めて、名曲だと思います。「愛すべきアルバム収録曲」ですね。
それでは、オマケです!
「僕は泣く」がリリースされた89年繋がりということで、act『KURT WEILL』パンフレットから数枚どうぞ~。
それでは次回更新は・・・さすがに「闘病回記」ネタはそこまでで最終回にします。
そして、今年のお正月に掲げた
「ジュリーのオリジナル・アルバムからどれか1枚、収録全曲のお題記事執筆を書き終える」
という目標を達成しようと思っています。
「残りあと1曲!」にまで迫っているアルバムは
『G. S. I LOVE YOU』
『サーモスタットな夏』
『ROCK'N ROLL MARCH』
の3枚。
この中からお題を選びます・・・って、もうどの曲を書くかは決めているんですけど。
今週は寒い日が続きましたね。
思えば、僕は今回の手術を一番良い時期にできたんだなぁ。「痛い」に「寒い」或いは「暑い」が加わっていたら、さらに大変だったでしょうから・・・。
明日からは逆に暖かくなるようですが、みなさまも体調管理に充分お気をつけください。
☆ ☆ ☆
今日のりりィさんの訃報、ただただ残念としか言えません。
僕が初めて購入したジュリーのオリジナル・アルバムは『TOKIO』。クレジットにりりィさんのお名前を見た時は衝撃で、その提供曲「アムネジア」をとても新鮮に聴いたものでした。
たった今改めて聴きましたが、本当に個性的な名曲です。
まだまだお若いのに・・・ご冥福をお祈り申し上げます。
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コメント
DY様 こんにちは。
「別れた理由を今の僕には何一つ見つけられない」
そーなんですよね。後から考えるとなんであの時はこんなことにこだわったのか?みたいな痛い記憶はあれこれと。
「出産の痛み」って覚えていないんですよね。
どんなに痛くても子供の顔を見ると忘れる。
だから女は性懲りもなく(?)次の子供を産めるのだとか。
「アムネジア」
「記憶喪失(健忘症)」みたいな意味だとなぜかこの曲に出会う前から知ってました。でもどこで知ったのかは「アムネジア」状態です。
投稿: nekomodoki | 2016年11月12日 (土) 13時17分
DYさま
よく頑張られましたね
生きるためなら ダイブ!!!
投稿: ぷー | 2016年11月12日 (土) 21時10分
DY様 こんばんは
お互いにつらい思いをしましたね。丁度私の方が3ヶ月前で、ツアー初日になんとか間に合ったものの、突然の出血が繰り返されていて臭いにも悩まされていました。痛みはあの後からで2日間ほど動けませんでした。ただ2年前、既に経験済みでしたので我慢出来ました。テレビを観て、便秘対策にココナッツオイルを飲むようになって半年、とても調子良くなり、術後の苦しみはありませんでした。痒いような傷口の痛みが、2ヶ月残りました。ですのでもう少しの辛抱です。
さてお題曲ですが、当時はあまり好みではなく、「噂のモニター」と「むくわれない水曜日」のビート物を良く聴いていました。アルバム全体がハード寄り感が強かったことと、鶴久さんが作曲をしていたことを知らなかったので、単純に「ああ、チェッカーズか」と舐めてしまいました。
だいぶ大人になった今は違います。ジュリーが歌う「ぼく」が堪らなく好きなんです。ジュリー自身は話す時「僕」を使います。しかし私の場合は、丁度このアルバムが出た頃になりますが、二十代後半から「僕」を一切使わないようになりました。下請け業者への出張が増えたことがきっかけだったかもしれませんが、今でも使いません。そう決めたところもあります。そのためでしょうか、最近は歌の中で歌われる「僕」に解放感を味わっています。口を少し尖らせて「僕」と歌うジュリーの姿を思い出しながら。
投稿: BAT | 2016年11月13日 (日) 00時45分
nekomodoki様
ありがとうございます!
> どんなに痛くても子供の顔を見ると忘れる
男性には一生分からない感覚ですが、素晴らしいことです。同時に、世のお母さん達には本当に頭が下がります。
久しぶりにアルバム『TOKIO』そして「アムネジア」をじっくり聴きました。ジュリーの音楽性のこの大きなターニング・ポイントとなった名盤にりりィさんのクレジット、改めて新鮮な思いで聴きました。
僕は久しくこのアルバムからのお題記事を書いていません。近い機会に「アムネジア」が書けたらいいなぁ。そして、来年のツアーでは是非とも「ロンリー・ウルフ」が聴きたいです。
☆
ぷー様
ありがとうございます!
先生からも「よく頑張りました」と言われましたが、まだまだ油断は禁物らしくて、一昨日の経過診察によれば、切除した傷口はほぼ完治しているようなのですが、注射でやっつけた方がまだ膨らみを残しているとのこと。
注射の手術痕については完治を2~3ケ月ほどの経過診察をメドにしているようで、「最後の最後ですから気を抜かないように」と。
とりあえずもう薬の服用は無くなり、あとはとにかく便秘と下痢だけ注意していれば大丈夫らしいです。精進します!
☆
BAT様
ありがとうございます!
いやぁ、仰る通りこの手術は術後日が経ってからMAXの痛みがやってくる、というのがキツイですねぇ。
それでもBAT様は手術直後は動けていたのですから凄いですよ。僕は2週間寝たきりでしたから・・・。
ただ、僕の方は術後ひと月しか経っていませんが、もう痛みはありません。出血もおさまり、先生から「切除の傷口の治りについては相当早い方」だと感心されたほどです。
「油を飲むのが良い」というのは今回僕もJ友さんに教えて頂きました。なるほど、便秘にも良いのですね。
僕はちょうどチェッカーズの登場はリアルタイムが高校生でしたし、楽曲も好みのタイプが多かったので、鶴久さんや尚之さんのジュリーへの楽曲提供を後に知った時は「おおっ!」と思ったものです。
いずれも名曲ですよね。
投稿: DYNAMITE | 2016年11月14日 (月) 09時13分
DY様
こんばんは。ずいぶん良くなられたようで何よりです。金曜日の夜、直腸ガンの手術した友人を見舞いましたが病気は何でも大変ですね。彼は術後ずいぶん経っていたのでやつれた感は全くありませんでしたが。
さてお題曲、『彼は眠れない』の5曲目、アップテンポが続いて6、7曲目のスローが続く流れへのつなぎ、中間的なポジションの曲なのでしょうか。私はライブで聴いたことありませんし地味な1曲ととらえてますが、かといってつまらない訳でもなく……清志郎とのデュエットという、あのインパクトのあと……どうしても地味に聴こえてしまうのは私がRCサクセションのファンだからかも知れません。
当時、『TRUE BLUE』から『彼は眠れない』、あまりの落差(どちらが上とか下ではなく)にずいぶん驚きましたし、『彼は眠れない』からアナログ盤は発売されなくなったんですよね。RCは『カバーズ』騒動のあと、清志郎に「よく似た人」ゼリーのバンド「タイマーズ」活躍していた時期でした。翌年のストーンズ初来日なんかと併せてよく覚えていますし、自分にとってもとてもなつかしい青春時代?です。
投稿: ねこ仮面 | 2016年11月20日 (日) 01時43分
ねこ仮面様
ありがとうございます!
ご友人が闘病中なのですね。
大腸の本当に病気は怖いです。僕は今回、術前検査として受けた内視鏡検査で大腸ポリープ2個が見つかりその場で摘出して貰い事なきを得ましたが、放置していたらそれらはどんどん育っていたわけで・・・10mm以上にまで大きくなっていると内視鏡でその場でとることができないケースもあるそうで、危ないところでした。そう考えると、痔に感謝しないといけないのかもしれません。
さて「僕は泣く」は仰る通り「KI・MA・GU・RE」に続く位置に収録されているのでインパクトという点では損をしているのかも・・・。
でも、じゃあ「KI・MA・GU・RE」のすぐ後に配置するにふさわしい曲は他に無いんですよね。
珠玉のバラードへと世界を繋ぐ重要な役割を持つ、愛すべきアルバム収録曲ですね。
投稿: DYNAMITE | 2016年11月21日 (月) 12時35分