沢田研二 「私は言葉だ」
from『act#5 SHAKESPERE』、1993
1. 人生は一場の夢 Ⅰ
2. 人生は一場の夢 Ⅱ
3. 丘の上の馬鹿
4. 人生は一場の夢 Ⅲ
5. Sailing
6. 人生は一場の夢 Ⅳ
7. Lucy in the sky with Diamonds
8. 愛しの妻と子供たち
9. タヴァン
10. 悲しみのアダージョ
11. アンジー
12. レディー・ジェーン
13. 私は言葉だ
14. I am the champion 孤独な
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日本全国、こちらは暑くてあちらは寒い・・・おかしな気候が続きます。今年の夏は史上最強に暑いなどと言われていまして、今から思いやられますね・・・。
でも、夏がくれば待ちに待ったジュリーの全国ツアーが始まる、とそう思って日々過ごしていきたいです。
25日のジュリーの誕生日が過ぎ、7月に入って暑い季節になればグッと気持ちも盛り上がってくるでしょう。まずはこの6月いっぱいの深刻な「ジュリー枯れ」期をどう凌ぐか・・・ということで、今月の拙ブログでは『act』の楽曲に向き合い集中することで雑念を払い、矢継ぎ早の更新を頑張っていきます。
今日採り上げるのは『act』5作目の『SHAKESPEARE』。
僕が普段から好んで聴いているロック・バンドのカバー曲が、actならではの解釈とジュリーのヴォーカルで、思いもしない新たな高みへと突き抜ける・・・CD音源としても非常にクオリティーの高い名作です。
お題はドアーズの大ヒット曲「ハートに火をつけて」のカバーで、「私は言葉だ」。
僭越ながら伝授!
初めてこの曲を聴いた時は、とにかく驚きました。
僕は『act-CD大全集』それぞれのCDをまず最初に通勤電車内で聴き始めるというパターンが多くて、この『SHAKESPEARE』もそうでした。
満員電車の中のことですから歌詞カードは見ずに、収録曲のタイトルを邦題部分だけチラ見しながらの『SHAKESPEARE』初体験。そうすると、例えば「丘の上の馬鹿」「レディー・ジェーン」などはタイトルのチラ見だけで「これはビートルズだな」「ストーンズだな」などと心の準備をしてイントロを待ち構えるわけですね。
ところがお題曲のタイトルは「私は言葉だ」ですよ。
これで誰が「ハートに火をつけて」のカバーだと予想できます?何の心の準備もしていない状態で耳に飛び込んできたのがあのイントロ・・・「うわっ、ドアーズかよ!」と飛び上がりました。
『SHAKESPEARE』は「イギリスのロック&ポップス」がコンセプトという認識でいたので、アメリカのバンドであるドアーズの曲は想定外でしたね。
『ジュリー三昧』でのお話によれば、『SHAKESPEARE』のカバー曲はすべて小林さんが選曲されたそうです。王道は決して外さず、でもその王道の中でもちょっと毛色の変わった戯曲性の高い曲を、という狙いで演目を練り上げたのではないでしょうか。
で、「私は言葉だ」。
いや、単に「ハートに火をつけて」のカバーというだけなら僕もそこまで驚愕はしません。
続けて耳を襲ったジュリーの歌、その独特の艶と確信めいた発声で歌われる、加藤直さんの日本語詞。これはもうact『SHAKESPEARE』のための「作詞」です。
あまりに端麗で、深く謎めく言葉の連なり。「そこそこの才能」では書くことのできない、詩人にして「言葉使い師」である加藤さんならではの恐るべき才能を僕はこの一篇に見ます。
しかもそれは、ドアーズ・ナンバーの個性・・・「危ういバランスの中で言葉を断ずる」魅力と驚くほどマッチしています。そもそも、ドアーズの詞もひとつひとつの単語がシンプルであったとしても、その繋がり、語感は過激かつ思索的で、加藤さんのこの日本語詞には正にそれと同様の魅力があるのです。
いつもお世話になっているJ先輩が、昨年「遂にヒヨッコのDYNAMITEがactを聴き始めたらしい」とのことで「さてどんなものかな」と僕の感想に当時興味深々だったらしいのですが、後にお会いした際に、僕はこの曲のことばかり喋り倒してしまったほどでした。
ドアーズの「ハートに火をつけて」は世界的な大ヒット曲であり彼等の楽曲の中で一番有名なナンバー。
ヒットの要因は、当時世間をアッと言わせたヴォーカリスト、ジム・モリソンのキャラクターでもあり、ベースレス・スタイルという意表をついたメンバー構成でもあり、それまでのロックには無い哲学と猥雑さが同居する詞の手法であり・・・色々とあるのですが、この曲をはじめドアーズの楽曲については、それまで考えられもしなかったような驚愕のコード進行を擁していること、にも関わらず広くリスナーを開拓し虜とした驚異のヒット性をまず語るべきだと僕は考えます。
↑ 『60年代ロック・リバイバル』より
(音源はこちらで)
「ハートに火をつけて」は、「世界で最も成功した変な曲」(←絶賛の表現ですよ!)だと思います。
かつて伊藤銀次さんがブログで連載してくださった『G. S. I LOVE YOU』制作秘話の中で、ジュリー作曲の「HEY!MR.MONKEY」がいかに斬新なコード進行であるかという解説の際に、ドアーズの「ハートに火をつけて」のお話もしてくださいました。要は、「斬新なコード進行」を語る上で外せない楽曲なのです。
以下、僕が加藤さんの言葉の繋がりで一番シビレる2番の歌詞部を引用し、「私は言葉だ」(「ハートに火をつけて」)のコード進行をご紹介しましょう。
(2曲はキーが異なりますので、ここではジュリーの「私は言葉だ」のキーであるト短調で表記することにします)
私は君じゃない あなたはボクじゃない
Gm Em Gm Em
私は人間 あなたも人間
Gm Em Gm Em
とすれば同 じ 人間であり
F G C F G C A
私は君 である ♪
F C D
イントロの
「F→C→E♭→A♭→D♭→G♭→G」
もいい加減凄いですが、やはり銀次さんもご指摘の歌メロ「Gm→Em」の衝撃は凄過ぎます。
これが「G→Em」なら王道。或いは「Gm→E♭m」でも王道。でも「Gm→Em」なんて聞いたことないし!とリリース当時大勢の音楽家がひっくり返ったのでしょう。
あろうことか、「とすれば同じ♪」からこの曲、厳密にはハ長調に転調しているのですからさらにワケが分からないという寸法。それでもメロディーは美しく、すぐに覚えて口ずさむことができます。
才ある人がやれば、こんな変テコな進行にキャッチーなメロディーが載るものなんですね・・・。
いやしかし、コード進行と同じくらいに加藤さんの日本語詞も凄まじいです。しかもこの「だ・である」口調を、ジュリーのヴォーカルが見事生かしています。
40代のジュリーのあの端正かつ熟々の美声で
「である~♪」
なんて高音に跳ね上げられると、意味も分からず納得させられると言うかひれ伏してしまうと言うか、強烈なインパクトがありますよね。ナルシストっぽい「断言」の歌声は、ドSジュリーそのもの?
加えて演奏の大胆さ、緻密さ、テンションの高さ。これまた僕は初聴時からシビレっ放しです。
間奏直後の3番歌メロ部で、うねうねとしたエロティックな表現に切り替える高橋ゲタ夫さんのベース。
また、ヴォーカルの最後部
つまりは本は ない ♪
E♭ B♭ C
このジュリーの「ない~ぃぃぃ♪」という渾身のロングトーンが切れるその瞬間に噛み込む(正に神技級のタイミング!)ポンタさんのフィル。
歌い終えた刹那のフィルにジュリーはきっと心の中で「ワオッ!」と思ったはずで、ジュリーはそうしたバックの音には瞬時にシンクロできる歌手ですから、もしこの後に再度歌のパートが繰り返される構成だったら爆裂的に凄まじいヴォーカルが聴けたと確信しますが、まぁそれは無いものねだりってものですね。
この曲をYOKO君に初めて聴かせた時、「ベースがゲタ夫さんでドラムがポンタさん」と説明したら、「うっわ~、濃いコンビだな~。もしそんな組み合わせで連れだった2人に飲み屋で出くわしても、おっかなくて到底近づけねぇよね!」と言ってました。
もちろんYOKO君、最大級に褒めているんですよ!
しかしこの曲で僕が最も凄いと感じる楽器パートは、cobaさんのアコーディオン。
レイ・マンザレク(ドアーズのキーボーディスト)にもひけをとらない独特の解釈で、「ハートに火をつけて」をactナンバー「私は言葉だ」へと昇華させた演奏、アレンジは素晴らしいのひと言です。
間奏のソロもブッ飛んでいますが、僕が惹かれるのはジュリーのヴォーカルの隙間隙間で聴こえてくる絶妙な「刻み」のフレーズ。
一体幾通りのカッコ良い「刻み」を数え上げればよいのかわからないほど次々に異なるフレーズが繰り出され、ジュリーの声と重なって乱舞しています。
もちろん「ハートに火をつけて」と言えばこれ!というテーマ・フレーズについてはきっちりとマンザレクへのリスペクトをもってオリジナルを踏襲。actのcabaさんの演奏の中でも名演中の名演ではないでしょうか。
そんな中、初めてこの曲を聴いた時に僕を惑わせたのが、間奏途中に忽然と登場するマラカスでした。
あまりに凄まじいヴォーカル、日本語詞、そして演奏に酔っていた僕もこのマラカスには正気に戻されて
「これは一体・・・???」
と。
何故いきなりこんな素っ頓狂なリズムが適当に噛んでくるのかまったく意味不明だったので、このシーンだけ後に映像を確認してしまいましたよ(笑)。
すると・・・あぁなるほど、これはジュリーが間奏で立ち位置を移動する途中で足元に落ちていたマラカスを拾い上げ、いたずらっぽく振っていたんですねぇ。こういうのは、CD音源だけだと把握できないことです。
これは分かりやすく言うと、2011~2012年の老虎ツアーの「ジャスティン」でジュリーが一瞬だけドラムを叩いていた、あの感覚と同じです。act的には、「劇中」のアドリブということになるのでしょうか。
きっとあのマラカスは、この曲の前のシーンで何かひと役絡んでいたのでしょう。
ジュリーファンとしての老後の楽しみにとってあるact映像鑑賞・・・今から「落ちていたマラカス」の謎が解ける日を楽しみにしています。
それでは次回更新は、前々回の「ベルリンの月」同様、「原曲よりも普段からよく聴くロック・アーティストのカバーとして知っていた」曲をお題に採り上げます。
とても有名な曲なんですけど、僕は30代くらいまではまったく知らずにいたんだよなぁ・・・。
actの楽曲考察記事は色々と僕の不勉強、知見の低さを晒すことにもなりますが・・・引き続き頑張ります!
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コメント
DY様、こんばんは。
「私は言葉だ」ありがとうございます。
これって、とても詞と曲があっていておかしくて楽しい。
あくなき論理のようでもあり、ペテン師の屁理屈のようでもある詞をジュリーが曲にのってスイスイと進めて行くところ、うまいな~好きだな~♪
言い切るところなんて、学者の熱弁のようでもあり、香具師の口上のようでもあるな、と感じます(笑)
こういう表現って、その解釈や表現の微妙さが伝わりにくいけど、ジュリーの歌の凄さってこういうところにもありますね。
いかにも凄いというんじゃなくて、何気なく歌っているけど中身は凄いの(笑)
歌声フェチのわたしには、映像無しゆえの発見があってCD音源の魅力です。
演奏やアレンジのことは、素晴らしい、ステキだ、と思うだけで、どこがどうなのかはさっぱりなので、DY様の解析、解説で勉強します。
ゲタ夫さんって有名な方なんですか?
リアルタイムでの様子が楽しそうだな、誰だろうと思って見てました。
後になって、ジュリワンの頃だったか、加瀬さんのお話にも出てきた事があって、よく知っている人だったのかな、などと・・無知なのです(恥)
投稿: momo | 2016年6月 6日 (月) 00時03分
momo様
ありがとうございます!
> 学者の熱弁のようでもあり、香具師の口上のようでもある
いやぁさすがのお言葉!ジュリーのこの歌って、本当にそんな感じですものね。
本人は別に意図するところはないはずなんですけど、何か確信的。加藤さんのトリッキーな詞が、ジュリーの「声」の説得力で大変なことになっています。こんな詞曲・ヴォーカルの見事な絡みはなかなか生まれませんよね。それをサラリと魅せつけるactって、やっぱり凄いです。
ゲタ夫さんは有名ですよ~。大御所です。確かYOKO君はゲタ夫さんのベース教則本を持っているはずです。
ジュリワンの「ハートにズキューン」は、演奏がゲタ夫さん+鉄人バンドという驚異の布陣ですよ!
投稿: DYNAMITE | 2016年6月 6日 (月) 09時25分
DY様 こんにちは。
禅問答のような歌詞だな、と思いました。
語るから人間ななのか、人間だから語るのか。語りすぎれば薄っぺらになり、語らないことがより雄弁に語ることもあるけど。
誇張や嘘は、ひと時相手や自分さえ騙せるかもしれないけど、ひとたび吐いた言葉はいつか言霊となって自分に還ってくる、それを後悔、というのかな、と時々考えます。
でも、一つも嘘を付かずに生きていける人間などいるとは思えません。
演劇や歌や香具師の口上はその場にいる人が一体となって誰も傷つけない虚構を楽しむためのもの。戦争の代わりにオリンピックが考案されたといわれてますが、人間の知恵ですよね。
洋楽に疎くて「ドアーズ」も名前ぐらいしか知らず、「ハートに火をつけて」ってこれ?(かろうじてこういう題名の曲があるのは知ってました)状態でした。
投稿: nekomodoki | 2016年6月 6日 (月) 12時09分
nekomodoki様
ありがとうございます!
まったく仰る通りで、改めて「言葉」のみならず、ブログの「文章」もそうだなぁと考えさせられます。
後悔ばかりの記事・・・過去にたくさんありますよ・・・(涙)。
とにかく今はジュリーファンとして先輩方に失礼のないようにということと、できる限りの調べものをして、その上で僕なりの考察をしていこうと心がけるばかりです。actの記事はその点特に大変ですが、未知なる部分が多いジュリーに対峙するというのは、書いていて楽しいです。
オリンピックのお話は知りませんでした。なるほど、と思いました。
ならば、日本でその舞台が決定していることに僕ら日本人はなおさら責任を感じて取り組まなければいけないのですね。
ドアーズは好みが分かれるバンドかもしれませんが、僕は詞も音も大好きです。
ただ、一般に圧倒的に人気が高いのはファースト、セカンドなんですけど、僕は3枚目、5枚目、6枚目が特に好きなんですよね・・・。
投稿: DYNAMITE | 2016年6月 6日 (月) 17時35分
DY様、こんばんは。
高橋ゲタ夫さん、高名な方だったのですね。
無知の上にお名前の字をまちがえております。
失礼いたしました。
訂正していただけるでしょうか。
よろしくお願いたします。
投稿: momo | 2016年6月 6日 (月) 20時16分
momo様
ありがとうございます!
修正しておきました~。
いやいや実は僕もまったく偉そうなことは言えなくて、ゲタ夫さんのことはジュリワンの時にYOKO君に色々と教えて貰ったりしたのですよ~。
それどころか、僕はこの6月中に「エディット・ピアフが女性だと初めて知った」などというとんでもないことも正直に書かなければなりません・・・(汗)。
でも、actの曲の考察はジュリーファンとしてだけでなく自分の幅を広げてくれるようで、楽しんで書けそうです!
投稿: DYNAMITE | 2016年6月 6日 (月) 20時55分
DY様 こんばんは
actシリーズDVD全9巻を見直しました。ほとんど忘れてしまっていましたので楽しめました。実際に観劇した「ボリス・ヴィアン」と「シェークスピア」は、断片的に思い出しました。その中でも、「ボリス・ヴィアン」での長いMC場面が、やはり一番印象に残っていました。なぜ東京グローブ座で一人芝居をしようとしたのかをはっきり語っていますし、自身の人生の浮き沈みを面白可笑しく真剣に話しているので、とても貴重な記録になっていると思います。
さてお題曲ですが、原曲は全く知りませんでした。でもシンプル構成と美しい旋律に驚きました。ただし、劇用にシェークスピアについて語る詞なので、アレンジもおどけた感じになっています。原曲を知らなくてよかったかも知れません。
ドアーズのこの曲を取り上げたのは、単に「扉繋がり」だと勝手に思っています。第二幕のテーマが「扉」となっていて、「扉はいい。…」などと語る場面もあり、そこからのアイディアだったのかなあと。
私が毎回楽しみにしていたのは、act用のオリジナル曲とジュリーの訳詞作品です。ジュリーの作曲作品となれば、嬉しさ倍増ですよね。actシェークスピアだと「タヴァン」。現在進行形のジュリーが毎年楽しめました。
actクルトワイルの映像化(ビデオ、DVD)は残念ながらされていませんので、CDと歌詞の書かれたパンフレットは貴重ですよ。
そして今も続くcobaさんとの二人三脚が、素晴らしいなあと思っています。actシリーズで見せた演奏は、何度観ても唸ってしまいます。「ダーリング」が一押しかな。
投稿: BAT | 2016年6月 7日 (火) 01時23分
BAT様
ありがとうございます!
ええっ、『KURT WEILL』って映像作品が存在しないのですか・・・?
道理で我が家に1作だけ無いわけですね。う~む残念です。「背中まで45分」とかどうなっちゃってたんだろう、とすごく興味がありましたから。観劇された方々の記憶だけに刻まれているのですね・・・でも、それが本来のあり方かなぁとも思います。
なるほど、「扉」転じてドアーズですか。おそらくそうだったのでしょう。このあたりも、映像を観ないと分からないことですね。
仰る通り、actのオリジナル曲は素晴らしい名曲揃いですね。加藤さんとcobaさんの黄金コンビの作品はキレッキレですし、ジュリーの詞、曲も当時のオリジナル・アルバムと並行してこんな創作をしていたのか!と後追いファンは驚くばかりです。
投稿: DYNAMITE | 2016年6月 7日 (火) 08時38分
DY様
こんばんは。またまた安田記念も外しました。競馬って的中したらお金もらえるんでしたよね?
『シェイクスピア』久しぶりに通して聴いてみました。カバー曲、何の曲かわからないようなアレンジでもなく、案外すんなり入ってきました。ただストーンズの2曲はストーンズファンとしてはビミョーです。「悲しみのアンジー」はほぼ作詞、「レディー・ジェーン」は割と原詞に忠実な日本語詞ですね。曲の尺は原曲のまま、ポンタさんのドラミングは独特で誰が叩いてるかすぐわかりそうなくらいです。
で、お題曲、ドアーズにさほど思い入れがないせいかカバー嫌いの私にも全然OK、オルガンのパートをCOBAさんが弾いてるのも、何かしっくりはまっていてよく耳に残ります。ベースの入ったドアーズ、いいじゃないですか。そういう点ではロッドやクイーンの曲もアーティスト自体のコアなファンじゃないので、表現する詞を伝える媒体がロッドやクイーンの曲、と受け止めています。ビートルズ2曲はちょっと個人的には複雑かも……。
またしてもずいぶんケチをつけましたが、じゃあ原曲通り英語で歌ったらいいのかというとそうではなく、やはり必然の日本語詞、あんまり原曲にこだわらず、actシェイクスピア全体を鑑賞するべきものなんですね。今になって一度くらい観ておけばと少し後悔しています。
投稿: ねこ仮面 | 2016年6月 8日 (水) 21時54分
ねこ仮面様
ありがとうございます!
安田記念では、皐月を勝ってその後泣かず飛ばずだった人気薄の馬が復活勝利だったとのこと。競馬好きの同僚に話を聞くと、通ほど買いにくい「頭」だそうで、残念でしたね・・・。
僕の場合『SHAKESPEARE』は「原曲をよく知っている楽しみ」を感じられる唯一のact作品で、「これがこうなるのか」という新鮮さをCDで堪能しました。
ここではビートルズの「ルーシー・イン・ザ・スカイ~」、ストーンズの「レディー・ジェーン」いずれもジュリーは忠実な「訳詞」のスタイルですけど、例えば「レディー・ジェーン」の「家柄が魅力、my love」なんて日本語表現はジュリーの自由さ、屈託の無さが出ていてすごく良いと思いましたよ。
ドアーズの「ハートに火をつけて」は、無気味な雰囲気の原曲を、愉快痛快なロックに変換しているのがactならではの解釈で脱帽しました。
僕も、タイムリーで観劇された先輩方が羨ましいばかりです。
投稿: DYNAMITE | 2016年6月 9日 (木) 08時51分