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2016年6月

2016年6月25日 (土)

沢田研二 「I am the champion 孤独な」

from『act#5 SHAKESPEARE』、1993

Shakes1

1. 人生は一場の夢 Ⅰ
2. 人生は一場の夢 Ⅱ
3. 丘の上の馬鹿
4. 人生は一場の夢 Ⅲ
5. Sailing
6. 人生は一場の夢 Ⅳ
7. Lucy in the sky with Diamonds
8. 愛しの妻と子供たち
9. タヴァン
10. 悲しみのアダージョ
11. アンジー
12. レディー・ジェーン
13. 私は言葉だ
14. I am the champion 孤独な

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無事、めでたき日に更新となりました。
ジュリー、68歳のお誕生日おめでとうございます!

Tgpic08

↑ 昨年に引き続き、「ありがとう、と言ってそうな若ジュリー」のショットを勝手に選び添付しました

今年も中野ブロードウェイの『まんだらけ海馬店』さんが「沢田研二 生誕祭り」を開催してくれるとのことで、今日は夫婦で中野まで出かけてきました。
今年の品揃えは、個人的には「珍しいものは高値で手が出せず、手ごろなものは既に持っている、見たことある」という状況ではありましたが、ジュリー等身大パネルと一緒に写真を撮ったりして楽しみました。
購入したのは『ペーパームーン』(2000年の方)のパンフレット、400円。これだけ何故か異様に安かったな~。ジュリーのショット、たくさん載ってるのに。


ジュリーも70越えまで、もうあと2年ですか・・・。
2009年の『PLEASURE PLEASURE』ツアーでジュリーが「ワタシの70越えを見届けてください!」と語っていたことを思い出しています。
その頃僕は本格的にジュリー堕ちして間もなかった時期でしたので、「これから10年近くもジュリーのLIVEが観られるのか。それをジュリーは約束してくれた!」と感動したものでしたが、いやぁ70越えどころか、まだまだこの先もお楽しみは続いていきそうですね。
ジュリー健在!は何よりの励み。この先のジュリーの変わらぬ健康と無事をお祈り申し上げます。
68歳の1年も、おいしいものがたくさん見つかりますように。ジュリーが望む世の中でありますように。


ジュリーはいつまでも若々しく元気でいてくれるけれど、その一方で今年は、個人的に思い入れを持つミュージシャンの訃報が相次いでいます。
先日、元ウイングスのギタリストだったヘンリー・マカロックが亡くなりました。
ウイングスのギタリストと言えば20代で亡くなってしまったジミー・マカロックの方がよく知られているかもしれませんが、ウイングス・ナンバーの中で「ギター・ソロ」に限って僕が最も感銘を受けた曲は、ヘンリーが考案し演奏した「マイ・ラヴ」のソロです。
パッと聴くだけだと風のように爽やかで耳馴染みの良いソロなんですけど、1音1音を拾っていくと、「これがバラードの音階なのか」と驚嘆することになります。スケールの使い方が特殊なのです。

ヘンリーの場合は僕は世代的に無理なこととは言え、こうして憧れのミュージシャンの訃報に接すると、「どうして1度だけでも生のLIVEで観ておかなかったのか」と後悔することばかり。ジョージ・ハリスンの時も、今年のデヴィッド・ボウイの時も。
そしてもうひとり・・・クイーンのフレディ・マーキュリー。
チャンスが無かったわけじゃないのに、僕はフレディの歌と演奏を生で体感できずじまいでした。

フレディ生誕70年にして没後25年の今年、クイーン+アダム・ランバートが来日します。
フレディ亡き今、「クイーンを観に行く」という感覚にはなれないのは事実だけれど、僕は彼等の武道館公演を観に行くことにしました。ブライアン・メイのギターとロジャー・テイラーのドラムスを胸に刻むために。
フレディへのリスペクト溢れるアダムのヴォーカルも、きっと素晴らしいでしょう。


さぁ、しめっぽい話はこのくらいで・・・今日は6月25日、おめでたい日なのですからね!
「じゅり枯れ」の厳しいこの6月、僕は「act月間」として更新を頑張ってきました。今日はいよいよその締めくくりのお題となります。

月はじめに「私は言葉だ」の記事で採り上げたact第5作『SHAKESPEARE』より、再び「原曲について語りまくることができる」名曲を選びました。
こんな難しい曲を堂々と自分の世界に引き込んで歌うジュリー、加藤さんとcobaさんの見事なact的解釈に僕は痺れっ放しです。

誰もが知るクイーン不朽の名曲のカバーで「I am the
champion 孤独な」。僭越ながら伝授!



Shakes2


クイーンの原題は「We Are the Champion」。日本では「伝説のチャンピオン」の邦題で知られる、クイーンの特大ヒット・ナンバーです。
リリースから40年が過ぎてもまったく古さを感じさせない、正真正銘、空前絶後の名曲と断言できます。

Wearethechampions


↑ 『クイーン/スーパー・ベスト』より

シンコペーションのメロディーで「いきなりヴォーカルから」始まるパターンはフレディの得意技。
歌も演奏も非常に難易度の高い曲です。この曲をカラオケで流暢に3連に載せて歌える人を僕は見たことがありません。僕自身はと言うと、チャレンジする勇気すらありません(涙)。

8分の6の3連メロディーの抑揚がいかにもクイーン、聴き手がノッケから歌メロに引き込まれる原曲の魅力は、ジュリーの「I am the champion 孤独な」も同様です。出だしのヴォーカル一発のインパクトですね。
そこで重要なのが冒頭の「語感」だと僕は思います。
冒頭のメロディーに「伝説」というフレーズを当てた素晴らしいセンス。まずはそんな加藤さんの日本語詞について書いていきましょう。

伝説が    神話が
     Gm  Dm7       Gm  Dm7

まとわりつく  俺についてまわる
         Gm   Dm7                   Gm  Dm7      

やりきれない    たまらない
         B♭   B♭sus4      B♭  B♭sus4

ロマンチックな目で見ないで
        B♭         F7     Gm

お願いだから ♪
   C7         F       E♭(onF)  G


注:クイーンのオリジナル、ハ短調に対してジュリーは2音半下げのト短調でこの曲を歌っています。フレディの声域が常人離れして高過ぎるということですね。

部分的にはフレディの原詞を踏襲しつつも、これはやはりactならではの解釈による「作詞」に近い加藤さん渾身の名篇。その点は「私は言葉」と同じ。しかし「私は言葉だ」とは逆の意味で面白いのは、メロディーに載せる言葉の「数」です。
「私は言葉だ」では思いっきりメロディーの音節を逸脱してそのぶん音階も増えたり減ったりという箇所が多いのですが、「I am the champion 孤独な」では意外や原曲のメロディーに忠実だったりするのです。
フレディが早口で歌う箇所はジュリーも早口、トーキングっぽい箇所も同様です。加藤さんが、フレディの語感にまで徹底して詞を載せているわけですね。
しかも、とびきり刺激的な言葉で。

それを歌いきるジュリーがまた凄い。
ズバリ「I am the champion」なんてフレーズを歌って違和感が無い日本人歌手なんて他に誰もいませんよ。

この曲の加藤さんの詞をジュリーの歌で追っていくと、遅れてきたファンの僕は不思議に今現在のジュリーの音楽活動とのリンクを感じます。
僕は、決してファンに迎合しようとはしないジュリーの姿勢が大好きです。
それは心を閉じているとか、意地悪とかいうのとは違うと思います。稀に見る俯瞰力の持ち主なのではないでしょうか(まぁ、「天邪鬼」という面はあるにせよ)。

「褒められたら、そこに落とし穴がある、と思う性質ですよ」と語ったことがあるジュリー。
10代の頃から、ファンからの賞賛も周囲からの嫉妬も、他に比類ないほど浴び続けてきたジュリーのような人をしてこのような俯瞰力を持つ・・・驚くべきことです。その根幹の強さが「I am the champion 孤独な」の加藤さんの詞によって表現されているように、今僕はこの曲を聴いてしまうのです。

I am the champion 孤独な
C          Em              Am     F  G

闘争(たたかい)はやめない それでも
  C                            Em          F    C#dim

I am the champion I am the champion
Dm                       Fdim

淋しくはない     I am the champion
C      C7(onD)   E♭       F            Gm7

いつまでも ♪
      Cm

ジュリーにとって「ステージに立って歌う」のはもちろん楽しいことでしょうが、同時に「孤独な戦い」を続けてゆく宿命というものも感じ、立ち向かっているんじゃないかなぁ。特に2012年以降のツアーは・・・。

「孤独」はスーパースターの証。でもジュリーというスーパースターは「信じるな、夢を託すな」と、近寄り難いオーラを発し続けているように感じます。偉ぶってそうしているんじゃない・・・「真剣」なのでしょう。
生きることと歌うことが重ってくる。そんな歌手はそうはいません。真に王者・・・「champion」なんだなぁ。

さて、「I am the champion 孤独な」の演奏についてはどうでしょうか。
特筆すべきはポンタさんのドラムス。
ポンタさんが叩く3連符は独特のノリがあります(初めてポンタさんのドラムスで演奏された「君をのせて」をDVDで鑑賞した時は驚きました。これはYOKO君も同じこと言ってました)。ジョン・ボーナムともまた違う「後ノリ」のニュアンスがあり、とにかく重厚なのです。
ポンタさんは演奏途中に気合が乗ってくるとアドリブでロールを繰り出すことが多いんですけど、この曲の「2’23”」あたりで炸裂するロールは特に凄いです。普通に考えたら、オカズ入れるような箇所じゃないですし。

ドラムス以外だと、1番と2番の繋ぎ目(ここはクイーンのオリジナルをさらに過激に解釈したような斬新なアレンジになっています)のチェロがお気に入り。『SHAKESPEARE』の楽器編成は低音のチェロが黒子に徹しているのが素晴らしいと思いますが、ここは「ソロ」として魅せてくれます。
と言うかあまりに高度過ぎて、ジュリーがよく2番の歌メロにスッと入っていけるなぁ、という感動も大きいかな。このチェロのソロを配したアレンジは、クイーンのオリジナルとは印象が大きく異なりますね。


今、「伝説」とか「神話」とか褒められるとジュリーは「何言ってやがる」と思うのでしょう。でも、ファンとしては言いたくもなりますよね、こんな人を見ていたら。
クイーンの「We are the champion」の「champion」をさらにジュリーという歌手、演者に特化させての「I am the champion 孤独な」。「伝説のチャンピオン」という曲をアレンジも歌詞解釈も変えてカバーするなど、生半可な志のキャストでは無謀。
加藤さん、cobaさん、そしてジュリー。actって、とんでもなく奇跡的なキャスティングだったんですね・・・。



ということで。
ジュリー誕生月特別企画として頑張ってきた「act月間」の記事更新は、ひとまずこれにて終了。
まだまだ知らないこと、理解できていないことが多いactの楽曲考察に取り組むのは正直大変ではありましたが、先輩方に色々と教わる機会に恵まれ、「じゅり枯れ」の厳しいこのひと月があっという間に過ぎていきました。本当に新鮮で楽しい6月となりました。
ありがとうございます!
もし来年が今年と同じような感じのスケジュールだったら、またジュリー誕生月の6月にはact特集を組んで、「じゅり枯れ」の時期を濃密に過ごしたいものです。


さぁ、それでは!
次回更新までには1週間ほどお時間を頂きまして、7月からはいよいよ気持ちを『un democratic love』全国ツアー・モードに切り替えます。当然”恒例・全然当たらないセットリスト予想”シリーズの開幕です。
もちろん更新ペースは今月並みに・・・6曲ほど書きたいと思っています。
7月頭にはさすがにジュリーはもうセットリストを決めているのでしょうね。例によって僕の予想は全然当たらないかと思いますが、僕なりの予想根拠も示しつつ、張り切って書いていきたいです。

お題曲はほぼ決めています。
今年のツアーはインフォに「新曲+ジュリーの好きな曲」と明記があったことから、ヒット曲は数を抑え目にした(来年のデビュー50周年イヤーが、大ヒット曲満載となるのでしょう)鮮烈なセットリストを期待しています。
セトリ予想シリーズ、まず最初の2曲は『ジュリー三昧』でのジュリーの発言を根拠に、「ジュリーの好きな曲」(でも最近のツアーではご無沙汰なナンバー)を採り上げていきますよ~。
今回もよろしくおつき合いくださいませ~。

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2016年6月22日 (水)

沢田研二 「SARA」

from『act#3 NINO ROTA』、1991

Nino1

1. 8 1/2
2. 時は過ぎてゆく
3. カザノヴァ
4. 天使の噂
5. 忘れ難き魅惑
6. ヴォラーレ
7. 道化師の涙
8. バイ・バイ・ララバイ
9. カビリア~夜よ
10. ジェルソミーナ
11. SARA
12. 夢の始まり
13. 8 1/2

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夏至も過ぎ、今日からは少しずつ陽が短くなっていくのですね。猛暑はこれからですが・・・。
それにしても、関東では水不足、九州では熊本を中心に大雨による大変な被害。最近の世の中はどうしてこうも極端なことばかり起こるのでしょうか。
異常な気象、自然の暴走。胸がざわつきます。


気をとり直しまして。
先日、『東京新聞』に掲載された記事については、ジュリーファンの間で話題になっているようですからネットで目にされた方も多いでしょうが、実際の紙面はこんな感じでした(サイズの関係で分割のスキャンとせざるを得ず、読みにくい部分もありますが・・・)

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掲載されている写真を見て、「まず、自分の姿が写っていないか探した」と仰る先輩も。
タイガース、GSからの長いファンの先輩方にとっては、この記事に書かれていることがすなわち、共に彼等と歩んできた現実の道のりなのですね・・・。

それでは本題です。
これも先日『東京新聞』に記事が載っていて初めて知ったんですが、何ですか、今レッド・ツェッペリンの「天国への階段」が盗作の疑いで訴訟中なんですって?
ナンセンスの極み!
ジミー・ペイジが証言したという「よくある進行」との言葉、これがすべてです。
だいたい、「Am」からルートがクリシェしてゆくヴァリエーションで、アルペジオ進行の楽曲が、世にどれほど存在することでしょう。ジミーは「オマエ、名声が欲しいのか金が欲しいのかどっちだ?」と言いたくなるのをグッと堪えているに違いありません。
本当に「オマージュですらない。よくある進行を採用し作曲した」としか言えないんですよ。
でも裁判側にポップ・ミュージックへの敬意無く、コード進行の何たるかを理解していなければ、とんでもない判決となってしまう可能性もあります。ジョージ・ハリスンの「マイ・スウィート・ロード」の時のように。
悪意の茶番につき合わされる羽目となってしまったジミーが本当に気の毒です。

単なる「焼き直しのパクリ」は論外として、そもそもポップ・ミュージックにおいて「よくある進行」「よくあるメロディー」は当たり前。その中でどのように作曲者の個性が反映されているか、どのような詞か、どのような演奏か、どのように歌われているか、で楽曲を差別化し各々の優れた点を探り評価することが肝要です。
優れた点が突出していればその曲はヒットし、或いはヒットしなくともリスナーに高く評価されます。そういう名曲にこそ「よくある進行、よくあるメロディー」を採用したものが多いのです。

「act月間」更新も残すところ2曲。
今日はズバリ、actが誇る真のプロフェッショナル・コンビ、加藤直さん作詞、cobaさん作曲による「よくある進行、よくあるメロディー」の名曲がお題。

act3作目『NINO ROTA』から、「SARA」です。
僭越ながら伝授!



Nino2


短調ポップスの王道進行。
『SALVADOR DALI』収録の「愛の神話・祝祭という名のお前」もそうですが、こういう王道のメロディーを得た時のジュリー・ヴォーカルは圧巻です。

「よくある進行」なわけですから、似た曲は世に多くあります。僕の世代ですと、「SARA」を聴いて「メモリーグラス」や「バージンブルー」、「愛の神話・祝祭という名のお前」を聴いて「君たちキウイ・パパイヤ・マンゴだね」といった邦楽のヒット曲を連想する人は必ずいらっしゃる、と思います。
actの2曲も含め、それらのメロディーは皆が惹かれる名曲の肝でありましょう。でもそれぞれが「同じ」ではあり得ない・・・そこが重要です。

僕はザ・タイガース以外のGSには詳しくありませんが、この手の短調王道進行のビート・ポップスはおそらく数え切れないほどあったはずで、ジュリーファンの先輩方が「SARA」をタイムリーで聴いた時、「何か懐かしい感じがする」と大いに好感を持たれたであろうことは想像に難くありません。
そんなタイプの曲が、actの中にふと混在している、というのがとても素敵だと後追いファンの僕は思うんですよね。もちろんジュリーファンにとっての「懐かしい感じ」・・・その対象はGSに限りません。70年代後半、阿久=大野時代によく見られる短調のポップスの不朽の名曲「お嬢さんお手上げだ」あたりを連想した先輩もいらっしゃったんじゃないかな?

とにかく冒頭の歌い出しから既に「おおっ、ジュリーだ!」としか言いようのないこの声。

風になぶられ 波に誘われ
Cm                          Fm

輝く天使の翼に身をまかせて ♪
   B♭7                     E♭     G7

問答無用の説得力です。
僕が時にゾクゾクするのは次の展開部、2回し目。

もとめて もとめて もとめて
        Fm

いつまでも 激しい 激しい 激しい時
            Cm                                D7

終わりのない 燃え続ける火 ♪
                    G7

この「D7」の箇所のジュリーの声の艶・・・ホント、別途スタジオレコーディングしてシングルにすればヒット間違い無しと思えるのですが、actってそういうものじゃないのかなぁ、とも思ったり。

この曲は当然ながら演奏も素晴らしいです。僕が特に惹かれているのはドラムス。
歌メロ部では基本ルンバのリズムによるベースとのユニゾンで、スネアが4拍目にきっちりアクセントを入れますが、2度ある間奏のうち最初の間奏部では一転

どこでスネアがカッ飛んでくるか分からない

という予測不能の大暴れ。
しかも「行儀の良い暴れっぷり」というのがactならでは、ではありませんか。
また『NINO ROTA』の演奏はベースがフレットレスですから、「SARA」のような曲ではスライドさせるフィル・フレーズがひときわ光ります。

そしてcobaさんのアコーディオン。
一番の見せ場はやはり2度目の間奏直前、転調する繋ぎ目の箇所でしょう。「ソ、ミ♭~ミ♭レド♪」「ソ#、ミ~ミレ#ド#♪」「ラ、ファ~ファミレ♪」と半音ずつせり上がるフレーズがカッコ良過ぎます。

ということで、ハ短調で導入した「SARA」は2度目の間奏から引き続いて最後のヴォーカル部のみ1音上がりのニ短調へと転調しています。
これがね・・・高っかい!

さまようために 歌をうたおう
A7          Dm                Gm

永遠のまい子 やさしさのための今に ♪
          A7                             Dm

ジュリーの高音、炸裂です。よくYOKO君が「一瞬の1音だけなら、自分も高い「ファ」「ソ」は出る。でもジュリーの高音ヴォーカルの曲って、そのあたりの音域を延々とうろつかれるんでとても太刀打ちできない」と言っていますが、本当にその通りなんですよね。

そんなジュリーのヴォーカルを引き出す加藤さんの詞、cobaさんの作曲、そしてアレンジ・・・「SARA」の魅力はその「軽さ」だと僕は思っています。
僕は軽薄な曲は好みませんが、軽い歌謡曲、ポップスは大好きです。
「軽さ」=ヒット性の高さとは一概には言えないまでも、重要な要素ではあります。誤解を恐れずに言えば、加瀬さん作曲のジュリー・ナンバーはそのほとんどが「軽い」ですよ。それが素晴らしいのです。

「SARA」はact作品の中で最軽量の名曲。軽さそのままに歌うジュリーのヴォーカルはとても魅力的ですし、加藤さんもcobaさんも当然心得てのことでしょうね。
『act-CD大全集』で『NINO ROTA』を初めて聴いた時、actにこういうタイプの曲があったのだ、と嬉しくなったものです。みなさまはいかがでしたか?

ところで・・・偉そうに楽曲考察記事など書いておきながらこんなことを言うと「何だそれ?」と笑われてしまうでしょうが、実は僕はこの曲のタイトル「サラ」の人物特定がまるでできておりません(恥)。
『SALVADOR DALI』の「ガラ」はどうにか付け焼刃で分かっても『NINO
ROTA』の「サラ」はお手上げ・・・。
一応ニーノ・ロータの生涯については手元にかいつまんだ資料もあるのですが、そこにも「サラ」の記述は見当たりません。


Ninoscore1

↑ 『映画音楽の巨匠/ニーノ・ロータの世界』より


ちなみに「ニーノ・ロータ サラ」でネット検索すると『ロミオとジュリエット』の記事が多数ヒットするんですけど、調べる方向はそれで合っているのかなぁ。
(後註:親切な先輩のおかげで「SARA」の由来が分かりました。みなさまも「coba blog sara」で検索してみてください。とても暖かく、面白く、そしてcobaさんの情熱と人柄と才をしてこの曲が生まれたことが手にとるように分かります)
この「act月間」開催中、先輩方からは「少しずつでもDVDを観始めた方が・・・」とのお声もチラホラ頂いていますが、まぁその通りですよねぇ、こういう場合も。

音源だけでもactの魅力は充分味わえますし、僕の場合はまず音楽から、というのが性に合っているとは思いますが、例えば「それぞれの作品からCD収録曲を3曲書いた時点で映像鑑賞する」とか、何かノルマを決めた方が良いかもしれません。
今日のお題「SARA」にしても、最後の「チャッ、チャッ、チャ!」の伴奏に合わせてジュリーは華麗なポーズを決めてくれているのかな、とか考えると、そりゃあ早く観てみたい気持ちはありますよ!


そうしたことも含め、自分のactへの理解度はまだまだほんの入り口程度、と痛感させられた6月。
「act月間」更新もいよいよ次回でひとまず締めくくりとなります。もちろん、6月25日の更新を目指して。

〆のお題は、先日執筆した「私は言葉だ」に続き『SHAKESPEARE』収録のカバー曲を考えています。
2009年、メイ様がactについて集中的に記事を書いてくださっていた時期があって、その時に「まさか、ジュリーがこの曲を歌っていたとは!」と仰天したことを今でも覚えています。
当時僕は今に輪をかけてヒヨッコでしたから、御記事の内容をすべて咀嚼、学習し血肉としたなどとは到底言えませんが、その曲のお話だけはずっと心に残っていたんです。だって、僕が少年時代から大好きな曲・・・しかもそれは、普通の歌手が気楽にカバーできるような簡単な曲ではないのですから。

昨年、先輩とのご縁を頂き購入が叶った『act-CD大全集』でじっくりとジュリーのそのカバー・ヴァージョンを聴いて、やっぱりジュリー、とんでもないな、とてつもない歌手だな、と再確認しました。
さらに言うと、加藤直さんの日本語詞が今現在のジュリーの音楽活動にそのままリンクするような不思議も感じています。
「act月間」ラスト1曲、頑張って書きたいと思います!

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2016年6月18日 (土)

沢田研二 「眠りよ」

from『act#4 SALVADOR DALI』、1992

Salvador1

1. スペイン・愛の記憶
2. 愛の神話・祝祭という名のお前
3. ガラの私
4. VERDE ~みどり~
5. 眠りよ
6. 愛はもう
7. 黒い天使
8. 恋のアランフェス
9. 白のタンゴ
10. 誕生にあたっての別れの歌

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まずは・・・既にご存知のかたも多いとは思いますが、関東圏のみなさまに朗報です。

中野ブロードウェイの『まんだらけ海馬店』さん、今年も『沢田研二 生誕祭り』開催!
てか、いつの間にか「梅雨の恒例行事」になったらしい・・・嬉しいですね~。
昨年の開催時に僕は『架空のオペラ』と『サーモスタットな夏』のパンフレットを購入しました。
今年の品揃えはどうかな?
上記リンクページでは、これからバンバン目玉商品情報の更新もありそうですね。

そうそう、遠方にお住まいのみなさまは、通販での購入も商品によっては可能(関西在住の先輩が、『愛まで待てない』のパンフレットを無事通販で購入、到着!と知らせてくださったことがありました)ですので、随時要チェックですよ~!

・・・と、海馬店さんのact関連商品蔵出しにも期待が高まる中、こちらはジュリー誕生月特集の
act月間、今日採り上げるのは4作目『SALVEDOR DALI』です。
いやぁ、この作品も『act-CD大全集』の音源だけでズッシリと嵌りまくりました。

一番好きになった曲は、加藤直さん作詞、cobaさん作曲の黄金コンビによる「愛の神話・祝祭という名のお前」。楽曲タイトルを見ただけで「好み」の予感バリバリでしたが、耳に飛び込んできたジュリーの歌は・・・「そのキスが欲しい」にも匹敵する情熱系!
やっぱり短調でハードに攻める曲を歌うジュリーは、歌謡曲(もちろんこの言葉は良い意味で使っていますよ)のトップを張った70年代後半のあのカッコ良さに、熟々の90年代の色気相俟って正に無敵。
「これ、普通にレコーディング・ヴァージョンのシングルをリリースしても良かったのでは?」と思ってしまったほどでした。
「愛の神話・祝祭という名のお前」は早々に採譜も済ませていましたし、一時は『SALVEDOR DALI』から今回この曲を書こうかとも考えたんですけど、実は他act作品にもう1曲、”黄金歌謡曲時代のトップスター・ジュリー”を彷彿させる軽快かつ情熱的な短調の大名曲がありまして、そちらを次回更新で採り上げようと思うので、今日のお題は曲調の重複を避けました。

そこで選んだのは、こちらもまた素晴らしい名曲・・・加藤さん作詞、ジュリー作曲による「眠りよ」。
僭越ながら伝授です!


Salvador6


曲の考察の前に、少し書いておきたいことがあります。
『act-CD大全集』の中でどのdiscが一番好きか、と問われるとみなさまも相当悩ましいところではあるでしょうが、現時点で僕はこの『SALVADOR DALI』が最有力。
まずこの作品については以前先輩からパンフレットをお借りしたことがあって、衣装、表情含めてジュリーの視覚的な魅力が想像できている、というのが大きいかもしれません(まぁこの点については、将来各作品の映像鑑賞をすることでそれぞれ後追いで補完されてゆくのでしょうけど)。
美しいばかりでなく、とにかく気高いジュリーです。
このパンフはお持ちの先輩も多いでしょうが、2枚だけここでご紹介しておきますと


Dali15

Dali20

男性の僕が見ても、吸い込まれそうな表情・・・。

実はこのパンフをお借りした時には僕はまだactに興味を持っていなくて、actの中ではこの1冊をお借りしたのみ。いずれ他の作品も見せて頂こうと虎視眈々ですが、ともあれこれで僕の中に「ダリのジュリーはカッコイイ」というイメージができあがっていました。
で、時が経ちいよいよact『SALVADOR DALI』の音源に対峙することとなった際「そういや、ダリってどういう人なんだっけ?」と事前に色々調べたんですよ。
他のact作品は音源を聴いてから(歌詞の意味などが分からずに)題材の人物について調べるパターンが多かった中、ダリは聴く前にそれをしたのです。

いやぁ、先入観って恐ろしいですね。
え、何が?って・・・ダリのルックスです。

僕のそれまでの浅過ぎる知識の中で、ダリは「常識を超えた変わり者」。ルックスについてもあの独特の髭のイメージだけがあって、外見的にも「見るからに奇矯な人」なんだろうなぁ、と。
ところが、ネットで見ることができた若き日のダリの写真・・・ちょうどガラと結婚した頃の夫婦のツーショットを見て先入観は今さらのように一新されました。
ダリって、メチャクチャ二枚目なんですね!

しかもガラと並ぶと「可愛い男の子が熟女に心身奪われている」ように見えました。
それは実際そういう面も確かにあったようです。
出逢いの年齢は、ダリ25歳、ガラ35歳(しかも人妻)。
俗に言うところの「恋愛体質」な女性だったらしいガラが、チェリーボーイのダリを「逆手篭め」(?)にしてしまった感じなのでしょうが、その後めでたくダリと結婚した後も、ガラの男性遍歴は色々あったようですね。
ダリはカンダウリズムだったという説も出てきちゃうくらいで・・・まぁ事実であったとしてもそれは、ガラが「開発」したものなんじゃないかな?

僕はガラのことはそれまでまったく知らなかったんですけど、調べていくうちダリはもう1人、還暦を越えてから40歳年下の恋人を持った(ガラも公認)と知り、その相手の名前を見てビックリ仰天。
アマンダ・リア。
彼女(と敢えて言います)はデヴィッド・ボウイの元恋人で、ボウイ以外にもブライアン・フェリー(ロキシー・ミュージック)を虜にするなど、ロック界ではちょっとした有名人ですよ。ボウイのバックアップを得て歌手デビューまで果たしているのです。
ヒット曲にも恵まれました。これです。


クイーン・オブ・チャイナタウン

おや?
みなさま、何やら難しいお顔で「???」と首を捻っておられますね。無理もありません。
そう、アマンダ・リアは「性転換した男性」説が有力なんですよ(実際のところはハッキリしていません)。

そんな彼女が、ボウイの前にダリとつき合っていたのか・・・。しかも彼女とダリを最初に引き合わせたのは、ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズだったそうじゃないですか!
僕がことさら無知なのかもしれませんが、いやぁ世の中、身近なようでいて全然知らないでいることなんて、本当にたくさんあるんだなぁ。

そんな男性遍歴の凄まじい女性2人(?)と深い関係であった、とのダリの知識を前もって詰め込んでから聴いたせいなのでしょうか・・・僕にはこの『SALVADOR DALI』という作品、actの中でジュリーのヴォーカルが一番エロく聴こえるんです。
と言っても「オーガニック・オーガズム」などのジュリー・ロック・ナンバーのような全開の「狙った」エロではなく、「秘匿の官能」を感じます。ジュリーはごく自然な情感で歌っているのだけれど、その声が隠されたエロまでをも表現してしまっていると言いますか・・・。
みなさまはいかがでしょうか。

さて、お題の「眠りよ」。
ジュリー作曲、加藤直さん作詞のactオリジナルですが、決して目立つ曲ではないと思うんです。でもこれは、『NINO ROTA』収録の「道化師の涙」、或いは『JULIEⅡ』収録の「二人の生活」などの佳曲と同様に、豪華な物語の流れの中で絶妙な「繋ぎ」の配置として無くてはならない、トータル・コンセプト的にはとても重要な、愛すべき1曲です。
とにかく、ジュリーの作曲が素晴らしい!
初めて聴いた時に僕が連想したジュリー・ナンバーはいずれもジュリー自身の作曲作品で、「ジョセフィーヌのために」「遠い夏」の2曲でした。

まず「ジョセフィーヌのために」との共通点について。
堯之さんに「普通では考えられないようなコード進行の曲を作る」と言われたジュリーの作曲。その堯之さんの言葉を体現する名曲のひとつが『チャコールグレイの肖像』収録の「ジョセフィーヌのために」です。

ジュリーはおそらく転調の意識はさほど無く、自分が心地よいと思える和音をメロディーに当て嵌めていくタイプの作曲家だと思います。
「ニ長調からホ短調」なんていう斬新な進行の作曲手法が、「ジョセフィーヌのために」から16年後のactナンバー「眠りよ」でも再び使われているのですから。

緑の国に星が降る
D           Am7

夜よ 愛よ 眠りを下さい
G6             Bm

私の心をひとりにしないで ♪
C                              B7

厳密には「眠りを下さい♪」の「Bm」で一瞬ロ短調への並行移調を経て、すぐさま次の「C→B7」でホ短調のドミナントに転調しているという驚くべき進行。
「眠りよ」も「ジョセフィーヌのために」も、「C」のコードに行ったところでジュリーの中に何やら化学反応が起こったようです。そのあたりはいずれ「ジョセフィーヌのために」の考察記事で触れたいと思います。

次に「遠い夏」との比較。
これはね~、cobaさんの素晴らしいアレンジ含めての話になるんですが・・先程僕はact全作品の中で今のところ『SALVADOR DALI』が一番好きかも、と書きました。それは先述したジュリーの声のこと以外に、この作品の「音」に強く惹かれているからです。
『SALVADOR DALI』の演奏陣は、くんずほぐれつの素晴らしいコンビネーションを繰り出す2本のギターに、自由度の高いアコーディオンと打楽器が絡むスタイル。これは、2006年からのベースレス・スタイルによる新譜制作のアプローチに非常に近しく、ひいては鉄人バンドとのツアー・ステージをも彷彿させるものです。

2009年早々かな・・・アルバム『俺たち最高』を初めて聴いた時、ベースレスの音源に戸惑いつつもまず惹かれた収録曲のひとつが「遠い夏」でした。
僕はその頃「ロックはベースがあって当然」と思っていましたからこのアルバムは好きになるまでに己の精進含めて時間がかかったものですが、「遠い夏」については、「うん、こういうアレンジ、こういう音色ならベースが無くても成立するじゃないか」と思いました。

そう、特にイントロなどが分かりやすいでしょう・・・「眠りよ」は「遠い夏」に似ているんです。コード進行とかメロディー以前に、全体の雰囲気がね。
ちょっととぼけたような朴訥な味わいに、ジュリーの決して「ノーマル」ではない感性(←褒めていますよ)がキラリと光る、何気ない「一収録曲」の素晴らしさ。

actのようなステージならいざ知らず、通常のロック音源やLIVEステージでベースを外す、なんていうのは通常思いつきもしないことでしょうが、ジュリーは当時ベースレスでの音源制作、ツアー敢行にごく自然にシフトしていったそうですね。
ジュリーのその常識に囚われない柔軟な決断について、かつての「actというキャリア」に言及していたのが柴山さん。こうして今act作品と向き合っていると、柴山さんの推測が腑に落ちるような気がします。
今では僕は、もしかするとジュリーの「声」を際立たせ最大限に生かすのは『SALVADOR DALI』のような演奏スタイルなのかもしれない、とも感じるほど。

ジュリーの作曲に話を戻しまして・・・「ジョセフィーヌのために」「遠い夏」のような斬新なコード使いとは別に着目したいのは、「完全にactを意識して作った」のではないかと考えられるメロディー部。
先に引用した箇所で言うと

私の心をひとりにしないで ♪
C                              B7

「でぇえぇえ~♪」という「B7」に載せたうねりまくるメロディーは、明らかに「ダリ仕様」として狙って考案されていると思います。
ジュリーの作曲作品としては珍しい音階移動ですけど、ジュリーの遊び心+作曲段階からの真剣な取り組みが垣間見られるようで興味深いですね。

加藤さんの詞は、たぶん映像を観ると色々と「あぁ、そうか!」と思う部分が見つかりそうだけど、音源作品として楽しむだけでも素晴らしい一篇です。

眠りが会いに来てくれたら
Cmaj7                Bm

私はすぐさま眠るだろう
B7                       Em

眠りが会いに来てくれなかったら
Cmaj7                Bm

私はいつまでも眠らないだろう ♪
B7                              A       B7

シンプルな言葉の連なりでありながら、この何とも不思議な味わい・・・少し前に書いた『SHAKESPEARE』の「私は言葉だ」にも通じる加藤さんならでは、actならではの名篇ではないでしょうか。
ちなみに「眠らないだろう♪」のジュリーのメロディー、「A」のコードへの緊急着地もとても斬新です。

『SALVADOR DALI』はactの中でも先輩方の人気が高い作品、と認識しています。
演目の柱は「黒い天使」であり、「誕生にあたっての別れの歌」であるかと思いますが、ダリの物語の中にさりげなく注がれた一篇、actオリジナル・ナンバーの「眠りよ」は無性に僕の琴線に触れてきます。
CD収録配置から考えると、ダリが買い与えたお城でツバメ青年を何人も囲っていたガラに、ダリがなかなか簡単には会えなかった頃のシーンの曲なのかな。


それでは次回更新は、加藤直さん作詞、cobaさん作曲の名曲を予定しています。
やはりこのお2人の黄金コンビによる楽曲はactの目玉。熱烈に好きになったナンバーも多い中、個人的な「加藤=Coba作品ベスト5」を挙げますと、順不同で

・「墓に唾をかけろ」(『BORIS VIAN』)
・「愛の神話・祝祭という名のお前」(『SALVADOR DALI』)
・「another 1」(『BUSTER KEATON』)
・「無限のタブロー」(『ELVIS PRESLEY』)

そして残るもう1曲が次回のお題です。
情熱的でキャッチーな曲調は「愛の神話・祝祭という名のお前」と共通していますが、こちらは甘く朴訥で、本当に誰しもがキュンとなる何処か懐かしい感じのするメロディー。素晴らしい意味で「軽さ」を纏ったヒット性の高い名曲と言えるでしょう。
現実的にはあり得なかったことなのでしょうが、act全楽曲の中で最も「シングル向き」だったんじゃないかなぁと考えている、大好きなナンバーです。

6月の「act月間」の記事もいよいよラスト2曲。
引き続きこのペースで頑張ります!

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2016年6月15日 (水)

沢田研二 「きめてやる今夜」

from『act#2 BORIS VIAN』、1990

Boris1

1. 俺はスノッブ
2. 気狂いワルツ
3. 原子爆弾のジャヴァ
4. 王様の牢屋
5. MONA-LISA
6. きめてやる今夜
7. カルメン・ストォリー
8. 夜のタンゴ
9. 墓に唾をかけろ
10. 鉄の花
11. 脱走兵
12. 進歩エレジー
13. バラ色の人生

---------------------

(註:この記事は、act『BORIS VIAN』で歌われた「きめてやる今夜」について書いたものです。1983年リリースのジュリーのシングルについての記事はこちらで!)

みなさま、体調にお変わりありませんか?
こちら関東では先週から、土日はひたすら暑く、月曜はいきなりの大雨で肌寒くなったと思ったら火曜にはまた暑さがぶり返しました。
我が家では夫婦揃ってバテバテ。僕は先週から体温調節が上手くいっていないような感じで、どうにも身体がスッキリしません。

しかし!
ひと昔前ならこんなふうにバテてくるとすぐに体重が減り、体重計に「45kg」なんて出たりして青ざめていた僕でしたが・・・今は逆の意味で青ざめています。どんなにバテようが何しようが、体重計に乗るたびに自己最高記録を更新してゆく状況。参ったなぁ・・・。
まぁそんなことはいいとして、少しは梅雨らしい天気になって欲しいものです。
雨はイヤなんだけどそれ以上に、かなり深刻な水不足になったりしたら・・・と心配しています。


それでは本題。
「伝授!」などと言いながら実は僕自身が記事更新後に先輩方から色々と教わりまくっているという状況の「act月間」ですが、まだまだ続きます汗(今日を含めてあと4曲の予定です。ジュリーの誕生日が〆ですな)。
コメントくださる方ばかりでなく、メールやメッセージをくださる方・・・そして前回のお題「群衆」については、いつも拝見している大先輩のブロガー様が原曲のイロハを改めて記事に書いてくださって。
偶然題材が同じ時期に重なっただけかもしれませんが、僕の記事を読んで「群衆」のことを書いてくださったのであれば嬉しいなぁ、なんて思っています。
本当に勉強になります。

ちなみに、ジュリーが「群衆」をテレビで歌った時の映像は、You tubeでは現在検索ヒットしないのだそうです。残念です・・・。

前回記事では「ワルツを歌うジュリー」の格別な魅力、そしてそれがactの魅力に繋がっている、といったことを書きましたが、今日採り上げるのはactシリーズの中でも「ワルツ率」の高さで傑出する『BORIS VIAN』。
2作目にして「actのジュリーって素敵!」と気づかれたというJ先輩もいらっしゃいますが、それはジュリー・ワルツの魅力が思う存分堪能できる曲が多いことも一因だったのではないでしょうか。

『act-CD大全集』の『BORIS VIAN』収録曲で言うと、ワルツ・ナンバーは全部で5曲。
「気狂いワルツ」「原子爆弾のジャヴァ」「王様の牢屋」「鉄の花」、そしてもう1曲・・・何とも不思議な、複雑な、素敵なワルツ・ナンバーのアレンジに仕上げられた、「ジュリーファンのみなさまご存知の」名曲。
これにはタイムリーで観劇された先輩方もド肝を抜かれたことと想像します。
そう、今日のお題は、act版「きめてやる今夜」です。
毎度毎度僭越ながら、伝授!



Boris6


昨年、念願叶って『act-CD大全集』を購入し、まず最初にとり出してじっくり聴いた作品が『BORIS VIAN』でした。理由は、有名な「脱走兵」そしてこの「きめてやる今夜」が収録されていたからです。
グイグイとactの世界に惹き込まれながら聴いた「きめてやる今夜」・・・ ひっくり返りましたよ。
「あの曲が、こんなふうになるのか!」というセンス・オブ・ワンダーがactの醍醐味のひとつではありましょうが、これほどまでに変化するとは・・・。

お読みくださっている先輩方にとっては「常識!」なのですが一応書いておきますと・・・「きめてやる今夜」という楽曲は、2つありますよね。
まずジュリーが裕也さんのために作詞・作曲したオリジナル。さらに、井上大輔さんが別のメロディーをつけ83年にジュリーのシングルとしてリリースされたもの。
『BORIS VIAN』の「きめてやる今夜」は、最初のジュリー作曲のオリジナル・ヴァージョンをact的に解釈した「カバー曲」ということになります。

ジュリー作詞・作曲の方は、おそらく「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」或いは「ラヴ・イン・ベイン」(ザ・タイガース、PYGをタイムリーで知っていらっしゃる先輩方はご存知の曲ですよね)を参考に作られたのではないか、と僕は考えます。ゆったりとした8分の12の4拍子に載せ、トーキングっぽくメロディーを展開してゆくというね。
「口説く」がコンセプトだったのでしょう。

8分の12というリズムは3連符構成ですから、小刻みな「ワルツ」のニュアンスも含まれます。actでのcobaさんの斬新なアレンジは、この点に着目したものです。
それにしても、「きめてやる今夜」がここまで「劇」的なワルツ・ナンバーへ変貌するとは、ファン誰一人として想像できなかったのではないでしょうか。

実は僕は最初、Aメロ部だけ5拍子に聴こえたんです。
そもそも、5拍子の曲ってワルツのいとこみたいなものです。「3+2」のリズムになりますからね。
5拍子で大ヒットした曲と言えばまずジャズの「テイク・ファイヴ」。有名な曲ですから普段ジャズに馴染みのないみなさまもご存知でしょう。銘柄は忘れたけど、栄養ドリンクのCMで毎日のようにテレビで流れていた時期がありました。
ちょっとマニアックな話をしますと、かつてUWFという団体で新しいスタイルのプロレスを確立させようとしていた頃の前田日明選手がこの「テイク・ファイヴ」を例に出し、「5拍子という変則のリズムでありながら広く世間に受け入れられ大ヒットした。UWFがやろうとしているのはそれと同じこと」と『週刊プロレス』のインタビューで語っていたことがあります。

確かに「5拍子」というと何か難しくてヒット性とは無縁のようですが、「テイク・ファイヴ」も明快な「3+2」のリズムとして楽しめる曲なんですよ。心地よいワルツのニュアンスを内包しているのです。
cobaさんアレンジの「きめてやる今夜」はワルツですが、Aメロには「テイク・ファイヴ」に似た「3+2」の雰囲気を感じます。「あれえっ3拍子?どの楽器がどうなってるの?」と戸惑いながらもウキウキする不思議な感覚、新鮮さに僕はまず惹かれました。

ということで、このact版「きめてやる今夜」は『BORIS VIAN』で歌われた曲の中でもとりわけ演奏難易度が高い、という点は間違いありません。
それを(当然のことながら)cobaさん達は涼しくも楽しげにスイスイと弾き、各パートは目まぐるしく絡み合い・・・感動的な名演です。
これが「俺達のテクは凄いだろ!」みたいに演奏されたらこんなふうには聴こえないわけで、ジュリーファンがよく知るこの曲を採り上げたという意味でも、actならではのジュリーの「キュート」を存分に引き出した象徴的な1曲、と言えるのではないでしょうか。

それに、元々素敵な曲なんですよね。

いいから聞きなよ 今夜は俺の話を
E                C#m      D            B7

イカれたロックンロール 俺には すべて ♪
E                     C#m        D     B7    E


(註:act版のコードで明記しています)


僕は井上さん作曲のシングルの方しか知らなかった時期が長く、当初はこのジュリーの作詞に「痛さ」を感じてしまっていましたが、女性を口説きに呼びつけておいて「まぁ俺の話を聞け。ロックンロール!」なんていう普通ならトンチンカン状況も

主人公を裕也さんだと考えると必然である

と分かり、この詞が大好きになったという経緯があります(お恥ずかしい話で、ごくごく最近のことです)。
かつてジョン・レノンが「ロックンロールだけがリアルで、他のものはリアルではない」と言ったことがありますが、裕也さんにとって「ロックンロール」とは「OK」。つまり「君は俺の相手としてリアル。合格、OK」だと口説いているわけですね。
そう言えば裕也さんはつい先日、某都知事について「ロックンロールじゃない」とコメントしていました。これすなわち完全否定です。続けて「フォーク」に言及した件は僕としては賛同しかねますが、裕也さんらしい勇み足だなぁとは思いました。

そんな裕也さんのロックンロールを体現したジュリー作詞・作曲の「きめてやる今夜」が、『BORIS VIAN』というactの世界にあって果たして違和感が無いものかどうか、と言うと・・・これが見事溶け込んでいます!

僕にとってその「違和感の無さ」のヒントは、CD1曲目収録の「俺はスノッブ」にあります。
僕は日頃、敬愛するJ先輩にactについて色々とお話を伺っているのですが、昨年お会いして『BORIS VIAN』の話題になった際「どの曲が好き?」と尋ねられたので、その時点での正直な気持ちのままに「王様の牢屋」「墓に唾をかけろ」「鉄の花」の3曲を挙げました。
すると先輩は「私は(舞台の)最初の方の曲が好き」とのことでまず「俺はスノッブ」を挙げられました。「ジュリーの声、素敵じゃない?」と。
こういう場合って、その先輩が僕の好みの向かう先を示してくださっているパターンが多いんです。ですから僕は「これはしたり」と思い、後日じっくり聴いてみますと・・・いやぁ本当に素晴らしくて。今は僕も『BORIS VIAN』の中で(あくまで『CD大全集』だけでの話ですが)「俺はスノッブ」が一番好きな曲になっています。
「馬糞の匂いが好きなのさ」と肉体派っぽくうそぶきながら(?)、セレブを「お相手」する「スノッブ」の物語は、正に「ロックンロール」のひと言で女性を口説き落とす「きめてやる今夜」の世界とまったく乖離するところなど無いではありませんか。

そして、やはり肝はcobaさんのアレンジです。
「きめてやる今夜」をボリス・ヴィアンの世界に転換する素晴らしい解釈。それがきっと「ワルツ」のリズムなのですね。この楽しく華やかなリズムに乗せられているからでしょうか、act版「きめてやる今夜」のジュリーのヴォーカルって、いつもは飄々としたスノッブが「今回はマジです!」とラヴ・ソングを歌って真実の愛を懇願しているように聴こえる・・・。

歌っているジュリーは本当に楽しそうで、難解なリズムで普通なら歌い辛いはずのAメロでも、cobaさんが「ブン、チャッ、チャッ♪」の導入フレーズでジュリーのヴォーカルをリードしているので発声の瞬間瞬間がとても自然で心地よいです。
難しい内容を楽しく、気持ちよく魅せるというのは一流の証明。ジュリーもcobaさんも超一流のプロフェッショナルなんですねぇ・・・。

ちなみに僕がこの曲で一番好きな箇所は、間奏の最後にオフマイク(たぶん)での「アオッ!」というジュリーのシャウト一発。
実はact版「きめてやる今夜」は間奏で突然ハ長調に転調しています(歌メロ部はホ長調)。それがcobaさんの魔法のように磊落な下降フレーズで元のキーに舞い戻ってくるのですが、ジュリーの雄叫びはその直後。
つまり、cobaさんの熱演に向けての「ブラボー!」的な意味合いも込められているんじゃないかなぁ。



最後に、基本的にactの曲の記事ではやっていないのですが、今日はせっかくのお題ですので・・・オマケ画像のコーナーです!

まずは、今回の「act月間」記事中でたびたびご登場頂いている、act大好きな敬愛するJ先輩にお借りした『ニュー・ミュージック・マガジン』1973年7月号から、ジュリーと裕也さんの対談記事をどうぞ~。


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Nmm730704

タイガースを率いてステージに立ちながら、客席にお気に入りの女性を見つけるとず~~~っとその人のことばかり見ていた、という裕也さん。ジュリーはそんな想い出を元に、「きめてやる今夜」を作ったとか。
ジュリーはこの対談の時にも、「そう言えば裕也さん、ステージではいつも・・・」なんて裕也さんのそんな様子を思い出しつつ喋っていたのかもしれませんね。

続いて・・・これまたいつも仲良くしてくださる先輩から以前お借りしてスキャンさせて頂いた切り抜き資料の中から、タイガース時代のジュリーと裕也さんのツーショットを含むフォト記事です。

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Kyoto002

Kyoto003

Kyoto004


それでは次回更新は・・・。
今日採り上げた「きめてやる今夜」はジュリー作詞・作曲ですが、”actオリジナル”ではなく、あくまで既存の曲をact的解釈で選曲・アレンジした”セルフカバー”であると言えます。
ここらで次回から2曲ほど、加藤直さん、cobaさん、ジュリーを中心に「書き下ろし」された”actオリジナル”の名曲群を採り上げてみようと考えています。

まずはジュリーの作曲作品。
「ジョセフィーヌのために」と「遠い夏」をかけ合わせたような、ジュリーらしい自由で斬新なコード進行を擁しつつ、actを強く意識して作ったと思われるメロディー部が特に印象的な名曲。
決して目立たないけれど「聴けば聴くほど」のスルメ感覚がたまらない、とても好きな1曲です。
どうぞお楽しみに!

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2016年6月11日 (土)

沢田研二 「群衆」

from『act#6 EDITH PIAF』、1994

Edith1

1. 変わらぬ愛 ~恋人たち~
2. バラ色の人生
3. 私の兵隊さん
4. PADAM PADAM
5. 大騒ぎだね エディット
6. 王様の牢屋
7. 群衆
8. 詩人の魂
9. 青くさい春
10. MON DIEU ~私の神様~
11. 想い出の恋人たち
12. 私は後悔しない ~水に流して~
13. パリは踊る 歌う
14. エディットへ
15. 愛の讃歌
16. 世界は廻る
17. すべてが愛のために

---------------------

あ、暑い・・・。
梅雨の時期って毎年こんなに暑いものでしたっけ?下手に歩き回ると身体が参ってしまいそう。
ということで、旅行は結局延期となりまして、今週も引き続き「act月間」にて土曜日更新です。上田城にはまた、もうちょっと涼しい時期に訪れることにしました。
10月くらいかな~。


最近改めて、「映像を観ずにCDで聴いた楽曲だけでactの考察記事を書く」ことがいかに無謀であったかを痛感させられていますが、「未知なるジュリー」を先輩方に色々と教えて頂く機会ともなり、ヒヨッコ的には非常に楽しい学習期間となっております。

今日採り上げるのは『EDITH PIAF』です。
『ジュリー三昧』でのジュリーの解説によれば、actも第6作を数え「そろそろ”歌を歌った人”をやるのもいいんじゃないの?」という話になり、そこでジュリーが「女の人がいい!」と言ったことで、「その生涯は(actの題材的にも)とても面白い」というエディット・ピアフに決まったのだそうですね。

僕は彼女がどのような生涯を送ったのかも知らず、と言うかそもそも彼女が歌った数々のシャンソン名曲すら数年前までほとんど知らなかったという・・・(恥)。
手持ちの資料で基本的なことをおさらいしてみました。

Edith1_2


↑ 『実用 音楽用語事典』より

なるほど・・・。


タブーとされた題材を多く取り上げ、率直に歌い上げたため多くの曲が放送禁止となった

そうなんだ・・・全然知りませんでした。
こうして少しでもエディット・ピアフという人を調べていくと、ジュリーの歌が彼女の生涯に本当にリンクしているように聴こえてくるのです。

ジュリーの入魂度は相当なもの・・・僕が「actすべての楽曲の中で一番好き!」と言っても良い14曲目収録の「エディッ
トへ」を聴けばそれは明らか。「一流、一流を知る」とでも言うのか、おそらく僕らの分からない部分で、「歌手」の本質でリスペクトし共感している・・・ジュリーのそんな志を感じてしまいます。
エディット・ピアフについてほぼ何も知らないに等しい僕にも、この1曲を聴くだけで「こんな人だったんだろうなぁ」と感覚で伝わってくるようなジュリーの歌です。

この「エディットへ」はジュリーが1人で作詞・作曲したactオリジナル・ナンバーで、詞もメロディーもとにかくてらいやあざとさというものがなく、無理にキャッチーにもならず、正に「ジュリーの中から生まれてきた」ことを強く感じさせる名曲。
本当はこのact月間の更新で、僕は『EDITH PIAF』からこの曲をお題に採り上げたかったんですけど、cobaさんのアレンジ解釈が凄過ぎて未だ採譜作業が進められていないのですよ・・・。
いずれ気合を入れて書きたいと思っていますが、「ジュリーの作曲段階ではきっとこうだったんだろう」というレベルの採譜しかできないかもしれないなぁ。
ただ、少し前に「君をいま抱かせてくれ」で触れた「ジュリーの得意なコード進行」が作曲に採用されているのは間違いないです。

さて、そうなれば今回『EDITH PIAF』から採り上げるべき曲は、『ジュリー三昧』でジュリーがこの作品から
選んでかけてくれた曲・・・「群衆」で決まりでしょう。
ジュリー、ラジオで曰く

歌っていると興奮してくるんですよ!

とのことですから、そんなジュリーのヴォーカルを生で体感した先輩方の感動はいかばかり?
actの楽曲の中でも特に先輩方から大きな支持を得ている曲、と認識しております。
本当に僭越ながら、伝授!



Edith6


「群衆」のヴォーカルの素晴らしさ、さらには「歌っていると興奮してくる」とのジュリーの言葉・・・その秘密に「ワルツ」のリズムが挙げられると僕は考えます。

actのいくつかの作品では、歌われた楽曲群のワルツ率が非常に高いです『BORIS VIAN』など)。
『EDITH  PIAF』でも、「MON DIEU~私の神様」などはcobaさんが4拍子のブルース・ナンバーとして編曲としていますが、「群衆」は原曲のリズムとメロディーを重視、跳ねるワルツに仕上げられていますね。
ただし、和音の進行はよりポップに解釈されています。

手元には原曲のスコアがあります。

Lafoule


↑ 『シャンソン名曲全集』より

元々はペルーの歌だったそうです。と知るや脳内の「群衆」の人混みのイメージが、変わってアルパカの群れに・・・。
(後註:実際はアルゼンチンの歌だそうです。Rスズキ様のブログで勉強しました。ありがとうございます!)

スコアはロ短調の表記ですが、You tubeで検索し視聴すると、エディット・ピアフはこの曲をホ短調で歌っていたようです。一方、act版「群衆」のキーはイ短調で、ジュリーは本当に気持ち良さそうに歌います。
ジュリーが歌う「ワルツ」って、本能的と言うか邪気が無いと言うのか、おそらくジュリーにとって「原風景」のリズムなんだろうなぁ、と思います。
元々、20代の頃から好きな楽曲として「美しき天然」をよく挙げているジュリーですから(その「美しき天然」が収録されているact第10作『むちゃくちゃでごじゃりまするがな』については僕はまだ充分に聴き込むことができていないのですが)。

どんなリズムであれジュリーのヴォーカルは素敵だけれど、ワルツはちょっとひと味違うように思えるんですよね。そしてそれはactでのジュリーの歌の素晴らしさにも繋がっていると思います。
actをやっていた頃のジュリーは、オリジナル・アルバムとactとでは同年の作品でも「歌」の印象が凄まじく違います。例えば『EDITH PIAF』と同年リリースのアルバムは『HELLO』。全然イメージ違いますよね。

後追いの僕はact、アルバムいずれのジュリーの歌にもただただ感嘆するしかなくそれぞれ大好きですが、タイムリーな先輩方のお話では、「もちろんどちらも大好き」と仰る方、「actの歌の方が好き」という方、「アルバムの方が好き」という方それぞれお好みがあるようで。例えば、僕が日頃からactについて色々と教わっているJ先輩は「act派」でいらっしゃいます。
僕がactとアルバムとで最も印象がかけ離れている、と考えているのは1991年(actは『SALVADOR DALI』、アルバムは『PANORAMA』)。で、そのact派の先輩が『PANORAMA』について「あまり個人的には好みのアルバムではないけれど、”夜明け前のセレナーデ”が好き」と仰っていたことがあるんです。
僕はその時「あぁ、それはきっと”ワルツ”だからですよ」とお話したものでした。

建さんプロデュース期の5枚の中、最も洋楽ロック・テイストとの融合を試みたアレンジで仕掛けも多彩なアルバム『PANORAMA』は、同時代のactとの比較はもちろん、ジュリー・アルバムの中でもここまでアレンジ主導でロックを押し出した作品は見当たりません。
ジュリーの歌は乱舞する装飾を泳ぎ渡り孤高のイノセンスを魅せてくれていて、僕は大変な名盤だと思っていますが、actでのジュリーの「歌」を聴いていると「これはジュリーの本質とは違うな」とも思えます。
そんな中、ふと「actのジュリー」が顔を覗かせている曲が、跳ねるワルツのリズムを擁した「夜明け前のセレナーデ」ではないでしょうか。「群衆」のような狂おしいヴォーカルではありませんが、ワルツのリズムに載るジュリーはとても心地良さげなのです。
(後註:勘違いしていました汗。『PANORAMA』と同年のact作品は『NINO ROTA』です~)

ただ、ワルツを歌うジュリーの中でもactの「群衆」は、多くの先輩方の熱烈な評価を考えれば特別、格別のようです。それは何故なのでしょうか。


「僭越ながら、私が詞を載せました」と言って『ジュリー三昧』でこの曲をかけてくれたジュリー。
となるとまず気になるのは、元々エディット・ピアフがどんな歌詞で歌っていたのか、ということです。
今はネットがありますから色々と検索してみました。
有名な曲ですから多くのサイトがヒットする中、一番勉強になった素晴らしいブログ様がこちらです。

このブログ様のおかげで、act版「群衆」のジュリーの日本語詞は、原曲に忠実な「訳詞」のスタイルであることが分かりました。
その上でどういう言葉を使っているか、どのような言い回しで「群衆」のストーリーを日本語で再現しているか・・・と改めて詞のフレーズに着目してみますと、いやぁジュリー、この訳詞は素晴らしい名篇です!

太陽の下 喜びに息も詰まりそうな町
   Am           Dm     G7                 Cmaj7

叫声と音楽が高まり 跳ね返り熱にうね る
   E7                Am         Dm     Bm7-5  E7

祭りの勢いに弾かれ 
   Am               Dm

麻痺し立ち尽くしていた
      G7                   Cmaj7

振り返るとあなたが後退り
      E7                      Am

誰かに押されてこの胸に ♪
       Bm7-5   E7      Am

美的に、とか知的にとかそういうことは一切考えていませんよね。ただ素直に日本語のフレーズが的確に連なり、忠実であるからこその卓越したセンス。自らが「歌う」ことを第一に考えた訳詞だと思います。
あとは、「情景」と「感情」の溶け具合が絶妙です。そのどちらかに偏っても台無しになる、というギリギリのところで日本語を生かし歌を生かすジュリー。

群衆に押され引きずられ 奴らを呪った
          G                        C

与えておき 奪ったのだ
G                           C

ファランドール踊る群衆は うつつと幻
                    E7                    Am

あなたに二度と逢えなかった ♪
         F           E7     (Am)

僕は楽曲考察の事を書く際、できる限り全編の採譜をして楽器を弾きながらジュリーと一緒に歌ってみる、ということを毎回心がけていますが、この曲は「弾く」ことはできても歌いきることはできませんでした。
特に最後のサビ・・・僕レベルではとても歌のテンションについていけません。
『ジュリー三昧』でこの曲をかけた後にジュリーが「こんなの、よう歌ってたな~」と言っていましたが、ジュリー自身にとっても『EDITH PIAF』での「群衆」は(自身の訳詞やcobaさん達の演奏も含めて)、史上最高級の名演だったと思っているのでしょう。
CDで聴いているだけで伝わってくる、ステージ上のジュリーの躍動と興奮。
実際生で観劇された先輩方がただただ羨ましく、圧倒されっ放しのヒヨッコなのでした。


ジュリーのヴォーカルのことばかり書いていますが、もちろんこの曲は演奏も素晴らしく、歌との一体感はact作品の中でも出色です。
単に、上手い歌手が歌い上手い演奏者が伴奏した、というものではありません。歌うジュリーとcobaさんを始めとする演奏者が双方を引っ張り或いは引き込まれ、瞬間瞬間を表現し構築してゆく・・・やはり生歌、生演奏というのはこうでなければ!
それができる人こそがプロフェッショナル。これは楽曲がシャンソンであろうがロックであろうが同じこと。「群衆」は正に真のプロフェッショナルによる名演を感じられる1曲です。ジュリーのヴォーカルが良い、というのはそういうことなんだと思います。

act作品の考察に取り組むことは、僕の偏った音楽知識を幅広くしてくれます。
『EDITH PIAF』は、先に触れた通りジュリー作詞・作曲のオリジナル書き下ろしナンバー「エディットへ」を熱烈に好きになったこともあり、個人的にはCDリピート率が非常に高い作品なのですが、cobaさんのアレンジが凄まじく凝っているので各曲の採譜が本当に大変。

しかし幸いなことに、エディット・ピアフの歌ったシャンソン名曲は広く大衆に膾炙しているので、ジュリーが『EDITH PIAF』で歌っているシャンソン・ナンバーの大半は、スコアが見つかっています。
今日のお題「群衆」も然りで、cobaさんはコード進行もかなり変えてきているとは言え、原曲のスコアの存在はとりあえず頼もしい限り。これからじっくりと他のシャンソンの名曲の構成、進行を研究し、機会あれば「群衆」以外の『EDITH PIAF』収録のシャンソンもどんどん書いていきたいと思っています。


それでは次回更新は・・・。
今日はactの楽曲(或いはアレンジ)の「ワルツ率の高さ」について触れましたが、作品全体の演目でのワルツ率で言うと、『CD大全集』収録曲で判断する限りでは『BORIS VIAN』が頭抜けています。
そこで、名ワルツ揃いの『BORIS VIAN』の中で、初めて聴いた時に「ええっ、この曲がワルツに?!」とひっくり返った曲を次のお題に、と考えています。
僕は『act-CD大全集』をこの手にした時、その曲が入っていたから、という理由で『BORIS VIAN』をまずイの一番に聴きました。それだけに、actならではのアレンジ解釈は衝撃的で、感銘を受けたものでした。

そう、ジュリー作詞・作曲のアレです。
お楽しみに!

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2016年6月 8日 (水)

沢田研二 「グレート・スピーカー」

from『act#7 BUSTER KEATON』、1995

Buster1

1. another 1
2. ボクはスモークマン
3. あくび・デインジャラス
4. ストーン・フェイス
5. サマータイム
6. グレート・スピーカー
7. 青いカナリア
8. 淋しいのは君だけじゃない
9. チャップリンなんか知らないよ
10. 無題
11. another 2

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いよいよ梅雨ですね。
じめじめとした季節だけど、ジュリーの誕生月ということもあって憎めない6月。中野の『まんだらけ海馬店』さんが今年もジュリー生誕記念お蔵出しをやってくれないかなぁ、などと思いながら過ごしています。

拙ブログではこの6月を『act』月間として頑張っていて、本日その第3弾となる更新で採り上げるのは、act7作目の『BUSTER KEATON』です。
ここまで『KURL WEILL』『SHAKESPEARE』と書いてきましたが、自分の無知をさらけ出すような記事が続いている中、コメントくださる先輩方に色々と教えて頂くことで本当に助けられています。
今回もどうぞよろしくお願い申し上げます。

今回も、喜劇俳優バスター・キートンについて名前しか知りませんでしたので(恥)、少し調べました。
actに抜擢されるだけあって、その生涯に様々な逸話があるようです。初舞台でお父さんに逆さまに抱え上げられブンブン振り回される「人間モップ」を平然と受け入れていたという話が有名とか。
「彼は、大変危険な技をやっていたんですよ~」とは、『ジュリー三昧』でのジュリーの言葉。

ジュリーは
「この頃に”演ずることで笑いをとる”ことが凄く楽しくなってきた」そうで、そんな境地に到達するのに(actをやり始めてから)7年かかった、と。
この『BUSTER KEATON』は本当に楽しかった、とラジオでしみじみ回想していましたね。
先日『悪名』千秋楽公演を観劇したばかりの僕は「そりゃあ、ギターが柴山さんだしね!」と思ったり。

このように、演奏の編成やジュリーの取り組み方も変化し、タイムリーでactを観続けていらした先輩方にとっても新鮮な作品だったのではないでしょうか。
今日のお題は、柴山さんの豪快なギター1本の伴奏から導入する”act版ロッカ・バラード”「グレート・スピーカー」を選びました。僭越ながら伝授です!


Buster6


前々回のお題「ベルリンの月」(「アラバマ・ソング」)同様に原曲についてはほとんど知識を持たないにも関わらず、「よく知っている」曲ではありました。
原曲タイトルは「グレート・プリテンダー」。タイトルが違いますから、『BUSTER KEATON』のCDで初めて「グレート・スピーカー」を聴いた時には「あぁ、あれか!」と、やっぱり新鮮な驚きはありましたよ。

僕が「よく知っている」ところの「グレート・プリテンダー」とは、フレディ・マーキュリー(クイーン)のカバー・ヴァージョンです。
で、この曲のオリジナルがプタラーズの特大ヒット曲だということも、僕はフレディーの音源から遡って知ったのでした。先輩方はどちらかと言うとプラターズの方で既にこの曲を知っていたことでしょうね。僕はちょっとだけ世代が違うんですよ。
「あぁ、”オンリー・ユー”とか”煙が目にしみる”の人達ね」とフレディの時も思ったけど、同じことを数年前、ザ・タイガースの勉強の時も思ったんだったっけなぁ・・・プラターズの曲は相当有名なものばかりらしいのに、どうも僕は横の知識が甘いです。
(今回プラターズのベスト盤を調べたら、「マック・ザ・ナイフ」も収録されていてビックリしました)

フレディの「グレート・プリテンダー」は素晴らしい熱唱で(PVはワケ分かりませんが)、とても好きな1曲でしたから「おぉ、ジュリーもこの曲を歌っていたのか!」と、『BUSTER KEATON』の「グレート・スピーカー」も初聴時から盛り上がりました。
フレディのヴァージョンはキーもプラターズと同じト長調でアレンジ解釈もオリジナルに近いですけど、ジュリーの「グレート・スピーカー」はホ長調で、当然actならではの独特な解釈が楽しめます。

原曲のタイトル「グレート・プリテンダー」とは、「大いなる見栄っ張り」でしょうか。
歌詞を一部抜粋しますと


僕は今、自分の殻の中で彷徨っている
おどけてみせるのは、恥ずかしいからなんだ

こんな内容の詞をactでバスター・キートンに重ねて新たな解釈「グレート・スピーカー」とした日本語詞はcobaさんです。actではcobaさんが詞を担当した曲がいくつかありますが、いずれも名篇です。本当に多才なかたなのですね~。

陽気なサギ師たち  偉大な嘘つき
E     B7     E       E7    A        E     E7

君の心  の中で 今も出番 を
   A   B7   E    A    E   F#m7  G#7

うかがっているのさ ♪
      E       B7     E

「偉大な嘘つき」とはカッコ良い表現ですが、全体的にはcobaさんはお客さんを念頭に「大いなる喧伝者」と見立ててコンセプトとしているのではないでしょうか。

ああ なぜ君は語るのか くだらないことを
        E        B7   E       E7    A             E  E7

そのたびに 君の心
      A     B7     E   A

うすっぺらになってゆくのに ♪
        E          B7     E       E7

こうしてみると、ジュリーが歌う必然性のある詞なんですよね。cobaさんはやはりジュリーの理解者であり、ここでは詞によってそれを体現しています。

ちなみにこのAメロ2回し目の最後、ジュリーの「なってゆくのに♪」の「くのに♪」3音だけが、違うニュアンスの声のように聴こえるのですがこれは・・・?
そういえば『BORIS VIAN』収録「脱走兵」の一番最後の「撃ってください」も似た感じに聴こえます。あれは、ジュリーが立ち位置を移動してそうなっているのが音源だけで伝わってきますが、「グレート・スピーカー」のこの箇所もそのパターンなのかなぁ。

さて、『BUSTER KEATON』の音作りで最大の聴きどころは柴山さんのギターでしょう。
やっぱり素晴らしいですし、ジュリーLIVE歴僅か8年目の僕ですら柴山さんの音には圧倒的な「親しみ」を感じます。長いファンの先輩方はなおさらでしょうね。

もう何度も生で体感している柴山さんのギターですが、今年の『悪名』公演で初めて体感した「音楽劇での柴山さんの演奏」はLIVEとはまた違った趣向、工夫がありとても新鮮に感じました。
残念だったのは、席の関係で柴山さんの姿がほぼ役者さんの死角になってしまっていたこと。加えて、演出上完全に真っ暗なステージからその音だけが聴こえてくる、というシーンも多かったですよね。
ですから、音を聴いているだけでは「何をどうやっているのか分からない」柴山さんの名演ポイントもたくさんありました。例えば、お芝居の本当に最後の方の曲だったかと思いますが、ステージが暗転した中での重々しくも美しいスライドギターの演奏がありました。
「時間の経過を表現しているのかな」と思いながら聴いていると、そのスライドの音が徐々に激しくなり遂には轟く爆音になって・・・途中で何かを「切り替えた」感じではなくて、なだらかに、なめらかに激しい音へと移行していったんです。どうやったらあんなことができるのか、僕にはサッパリ分かりません。
昔、ディレイの「長さ」と「深さ」を両極の設定にしてガリガリとかき鳴らすと「爆発音」のような効果が得られることを学びましたが、最後の方の柴山さんの音はそれに近い感じでした。
それにしては、エフェクトを途中で切り替えた雰囲気が無かったんだよなぁ・・・。
すべての音が繋がっていました。僕にとっては今回の『悪名』における一番の謎です。

おっと、そろそろ話を『BUSTER KEATON』での柴山さんの演奏に戻しましょう。

『悪名』同様、『BUSTER KEATON』でも柴山さんは多種多様の音を聴かせてくれています。
1曲目の「another 1」(ナルシストっぽいジュリーのヴォーカルが神ががり。個人的には『BUSTER KEATON』の中で現時点で最も好きな曲です)と、ラスト収録の「another 2」のアルペジオは、普段のLIVEツアーでは聴けないような音色です。
指弾きなのかな。
対して、鳴り一発で「おおっ、柴山さんだ~!」という耳慣れた豪快なタッチを楽しむことができるのが、お題の「グレート・スピーカー」で、この曲は収録全曲の中で最も「今」の柴山さんを連想させるギター演奏ではないでしょうか。
あまりにそうした印象が強いのでSGに聴こえてしまうけど、この時期ならレスポールなのかな?
いやいやこのガレージ感はエピフォン・カジノの可能性も・・・まぁ要は分からないんです。映像で柴山さんのギター・モデルは確認できるシーンがあるのかなぁ。

1番については丸々そんな柴山さんのエレキ1本の伴奏で歌うジュリー。
有無を言わせぬこの2人の安定感!柴山さんのギターでこのリズム・パターンを歌えば、ジュリーのヴォーカルは必然のように「ロッカ・バラード」へと昇華します。
ジュリーが3連符のメロディーを歌う時の独特の滑舌は、僕の大好物。「おまえがパラダイス」「そばにいたい」「WE BEGAN TO START」・・・80年代の幾多のロッカ・バラード名曲群に匹敵する「グレート・スピーカー」でのジュリー・ヴォーカルは、柴山さんのギターによって引き出されているでしょう。

あと、『BUSTER KEATON』ではcobaさんは音楽監督に専念、それまで「actと言えば」の象徴的存在であったアコーディオン・サウンドではなく、伴奏がギター、ベースにホーン・セクションを交えて、力強さ、豪快さを押し出していることも大きな特徴です。
しかもホーンの編成がちょっと変わっていて、普通3人体制のホーン・セクションであればサックス2本にトランペット、或いはサックス、トランペット、トロンボーン各1本の組み合わせとなるところ、『BUSTER KEATON』はサックス2本とトロンボーンという編成。
このトロンボーンの活躍がcobaさん不在の演奏陣の中で、act作品の「色」を決定づけているように感じます。例えば「ボクはスモークマン」なんて、トロンボーンという楽器が無ければ成立しないアレンジです。

トロンボーンは音色だけならトランペットと近いですが、中低音の太っとい鳴りと、スライド管楽器であることが最大の個性と言えましょう。
『BUSTER KEATON』収録の多くの曲は基本の伴奏をギターとベースが担い、ホーンが賑やかしく噛んでくるアレンジです。その「賑やかし」が、まるで色々な動物達の鳴き声のような楽しげな効果を生んでいます。低く太いトロンボーンの音はまるで「象」のよう。
スライド音独特の、良い意味でルーズな太めの音が『BUSTER KEATON』の世界をよりおどけて魅せてくれているのではないでしょうか。

お題曲「グレート・スピーカー」ではトロンボーンが目立つ箇所はさほど無いながらも

すてきな世界 が ♪
      E    F#m7  G#7

ここの「合いの手」なんかは、カッコ良い「ルーズ」が爆発ですよね(3’13”くらい)。これはトロンボーンのスライドだから出せる味です。
ジュリーが歌う「ロッカ・バラード」とトロンボーンの意外な相性の良さを再発見・・・こういう楽しみもactの音源ならではです。

サックスのヤンチャぶりも楽しい・・・映画『スウィング・ガールズ』劇中で小澤先生が憧れていたのがこんな感じの演奏でした。
僕はやっぱりホーンがゴリゴリ鳴ってるアレンジが好きみたい。同じ好みの方は、『BUSTER KEATON』がお好きなんじゃないかなぁ。


それでは次回更新ですが・・・。
実は今週末、旅に出る予定があります(本決まりではありませんが)。毎週『真田丸』を見ていて戦国武将フェチの血が騒ぎ、今年に入り『真田丸』効果で賑わっていると聞く上田城を見に行きたくなりました。
ジュリワンの長野公演で遠征した際に松代城は訪れることができたのですが、上田城はまだ見たことがないので・・・。ついでに美味いお蕎麦を食べたり温泉に浸かったりできれば良いな、と。

ですので、もし旅に出た場合はこのところノルマとしている土曜日更新はお休みさせて頂き、少し間隔を開けて次回は1週間後くらいの更新になるかと思います。
旅を見送った場合は早めに更新できると思いますが、いずれにしましても「act月間」としてのお題ということに変わりはありません。どの作品のどの曲にするかはまだ未定。旅先の印象から関連してお題を選ぶことになるのか、どうなるのか。

関東では、今日の午後あたりからいきなり暑くなり・・・。外回りが厳しい季節がやってきました。
みなさまも、体調にはくれぐれもお気をつけください。僕も気をつけます(『悪名』公演でお会いした先輩に、健康全般のために鼻呼吸を心がけるようアドバイスを頂きましたので、日々実践中です)!

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2016年6月 4日 (土)

沢田研二 「私は言葉だ」

from『act#5 SHAKESPERE』、1993

Shakes1

1. 人生は一場の夢 Ⅰ
2. 人生は一場の夢 Ⅱ
3. 丘の上の馬鹿
4. 人生は一場の夢 Ⅲ
5. Sailing
6. 人生は一場の夢 Ⅳ
7. Lucy in the sky with Diamonds
8. 愛しの妻と子供たち
9. タヴァン
10. 悲しみのアダージョ
11. アンジー
12. レディー・ジェーン
13. 私は言葉だ
14. I am the champion 孤独な

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日本全国、こちらは暑くてあちらは寒い・・・おかしな気候が続きます。今年の夏は史上最強に暑いなどと言われていまして、今から思いやられますね・・・。

でも、夏がくれば待ちに待ったジュリーの全国ツアーが始まる、とそう思って日々過ごしていきたいです。
25日のジュリーの誕生日が過ぎ、7月に入って暑い季節になればグッと気持ちも盛り上がってくるでしょう。まずはこの6月いっぱいの深刻な「ジュリー枯れ」期をどう凌ぐか・・・ということで、今月の拙ブログでは『act』の楽曲に向き合い集中することで雑念を払い、矢継ぎ早の更新を頑張っていきます。

今日採り上げるのは『act』5作目の『SHAKESPEARE』。
僕が普段から好んで聴いているロック・バンドのカバー曲が、actならではの解釈とジュリーのヴォーカルで、思いもしない新たな高みへと突き抜ける・・・CD音源としても非常にクオリティーの高い名作です。
お題はドアーズの大ヒット曲「ハートに火をつけて」のカバーで、「私は言葉だ」。
僭越ながら伝授!



Shakes6

初めてこの曲を聴いた時は、とにかく驚きました。
僕は『act-CD大全集』それぞれのCDをまず最初に通勤電車内で聴き始めるというパターンが多くて、この『SHAKESPEARE』もそうでした。
満員電車の中のことですから歌詞カードは見ずに、収録曲のタイトルを邦題部分だけチラ見しながらの『SHAKESPEARE』初体験。そうすると、例えば「丘の上の馬鹿」「レディー・ジェーン」などはタイトルのチラ見だけで「これはビートルズだな」「ストーンズだな」などと心の準備をしてイントロを待ち構えるわけですね。

ところがお題曲のタイトルは「私は言葉だ」ですよ。
これで誰が「ハートに火をつけて」のカバーだと予想できます?何の心の準備もしていない状態で耳に飛び込んできたのがあのイントロ・・・「うわっ、ドアーズかよ!」と飛び上がりました。
『SHAKESPEARE』は「イギリスのロック&ポップス」がコンセプトという認識でいたので、アメリカのバンドであるドアーズの曲は想定外でしたね。

『ジュリー三昧』でのお話によれば、『SHAKESPEARE』のカバー曲はすべて小林さんが選曲されたそうです。王道は決して外さず、でもその王道の中でもちょっと毛色の変わった戯曲性の高い曲を、という狙いで演目を練り上げたのではないでしょうか。

で、「私は言葉だ」。
いや、単に「ハートに火をつけて」のカバーというだけなら僕もそこまで驚愕はしません。
続けて耳を襲ったジュリーの歌、その独特の艶と確信めいた発声で歌われる、加藤直さんの日本語詞。これはもうact『SHAKESPEARE』のための「作詞」です。
あまりに端麗で、深く謎めく言葉の連なり。「そこそこの才能」では書くことのできない、詩人にして「言葉使い師」である加藤さんならではの恐るべき才能を僕はこの一篇に見ます。
しかもそれは、ドアーズ・ナンバーの個性・・・「危ういバランスの中で言葉を断ずる」魅力と驚くほどマッチしています。そもそも、ドアーズの詞もひとつひとつの単語がシンプルであったとしても、その繋がり、語感は過激かつ思索的で、加藤さんのこの日本語詞には正にそれと同様の魅力があるのです。
いつもお世話になっているJ先輩が、昨年「遂にヒヨッコのDYNAMITEがactを聴き始めたらしい」とのことで「さてどんなものかな」と僕の感想に当時興味深々だったらしいのですが、後にお会いした際に、僕はこの曲のことばかり喋り倒してしまったほどでした。

ドアーズの「ハートに火をつけて」は世界的な大ヒット曲であり彼等の楽曲の中で一番有名なナンバー。
ヒットの要因は、当時世間をアッと言わせたヴォーカリスト、ジム・モリソンのキャラクターでもあり、ベースレス・スタイルという意表をついたメンバー構成でもあり、それまでのロックには無い哲学と猥雑さが同居する詞の手法であり・・・色々とあるのですが、この曲をはじめドアーズの楽曲については、それまで考えられもしなかったような驚愕のコード進行を擁していること、にも関わらず広くリスナーを開拓し虜とした驚異のヒット性をまず語るべきだと僕は考えます。


Lightmyfire

↑ 『60年代ロック・リバイバル』より
 (音源はこちらで)

「ハートに火をつけて」は、「世界で最も成功した変な曲」(←絶賛の表現ですよ!)だと思います。
かつて伊藤銀次さんがブログで連載してくださった『G. S. I LOVE YOU』制作秘話の中で、ジュリー作曲の「HEY!MR.MONKEY」がいかに斬新なコード進行であるかという解説の際に、ドアーズの「ハートに火をつけて」のお話もしてくださいました。要は、「斬新なコード進行」を語る上で外せない楽曲なのです。

以下、僕が加藤さんの言葉の繋がりで一番シビレる2番の歌詞部を引用し、「私は言葉だ」(「ハートに火をつけて」)のコード進行をご紹介しましょう。

(2曲はキーが異なりますので、ここではジュリーの「私は言葉だ」のキーであるト短調で表記することにします)

私は君じゃない  あなたはボクじゃない
Gm             Em      Gm                   Em

私は人間   あなたも人間
Gm       Em    Gm           Em

とすれば同 じ  人間であり 
F           G   C    F   G      C   A

私は君 である ♪
F     C   D

イントロの
「F→C→E♭→A♭→D♭→G♭→G」
もいい加減凄いですが、やはり銀次さんもご指摘の歌メロ「Gm→Em」の衝撃は凄過ぎます。
これが「G→Em」なら王道。或いは「Gm→E♭m」でも王道。でも「Gm→Em」なんて聞いたことないし!とリリース当時大勢の音楽家がひっくり返ったのでしょう。
あろうことか、「とすれば同じ♪」からこの曲、厳密にはハ長調に転調しているのですからさらにワケが分からないという寸法。それでもメロディーは美しく、すぐに覚えて口ずさむことができます。
才ある人がやれば、こんな変テコな進行にキャッチーなメロディーが載るものなんですね・・・。

いやしかし、コード進行と同じくらいに加藤さんの日本語詞も凄まじいです。しかもこの「だ・である」口調を、ジュリーのヴォーカルが見事生かしています。
40代のジュリーのあの端正かつ熟々の美声で
「である~♪」
なんて高音に跳ね上げられると、意味も分からず納得させられると言うかひれ伏してしまうと言うか、強烈なインパクトがありますよね。ナルシストっぽい「断言」の歌声は、ドSジュリーそのもの?

加えて演奏の大胆さ、緻密さ、テンションの高さ。これまた僕は初聴時からシビレっ放しです。
間奏直後の3番歌メロ部で、うねうねとしたエロティックな表現に切り替える高橋ゲタ夫さんのベース。
また、ヴォーカルの最後部

つまりは本は ない ♪
E♭       B♭   C

このジュリーの「ない~ぃぃぃ♪」という渾身のロングトーンが切れるその瞬間に噛み込む(正に神技級のタイミング!)ポンタさんのフィル。
歌い終えた刹那のフィルにジュリーはきっと心の中で「ワオッ!」と思ったはずで、ジュリーはそうしたバックの音には瞬時にシンクロできる歌手ですから、もしこの後に再度歌のパートが繰り返される構成だったら爆裂的に凄まじいヴォーカルが聴けたと確信しますが、まぁそれは無いものねだりってものですね。

この曲をYOKO君に初めて聴かせた時、「ベースがゲタ夫さんでドラムがポンタさん」と説明したら、「うっわ~、濃いコンビだな~。もしそんな組み合わせで連れだった2人に飲み屋で出くわしても、おっかなくて到底近づけねぇよね!」と言ってました。
もちろんYOKO君、最大級に褒めているんですよ!

しかしこの曲で僕が最も凄いと感じる楽器パートは、cobaさんのアコーディオン。
レイ・マンザレク(ドアーズのキーボーディスト)にもひけをとらない独特の解釈で、「ハートに火をつけて」をactナンバー「私は言葉だ」へと昇華させた演奏、アレンジは素晴らしいのひと言です。
間奏のソロもブッ飛んでいますが、僕が惹かれるのはジュリーのヴォーカルの隙間隙間で聴こえてくる絶妙な「刻み」のフレーズ。
一体幾通りのカッコ良い「刻み」を数え上げればよいのかわからないほど次々に異なるフレーズが繰り出され、ジュリーの声と重なって乱舞しています。
もちろん「ハートに火をつけて」と言えばこれ!というテーマ・フレーズについてはきっちりとマンザレクへのリスペクトをもってオリジナルを踏襲。actのcabaさんの演奏の中でも名演中の名演ではないでしょうか。

そんな中、初めてこの曲を聴いた時に僕を惑わせたのが、間奏途中に忽然と登場するマラカスでした。
あまりに凄まじいヴォーカル、日本語詞、そして演奏に酔っていた僕もこのマラカスには正気に戻されて
「これは一体・・・???」
と。
何故いきなりこんな素っ頓狂なリズムが適当に噛んでくるのかまったく意味不明だったので、このシーンだけ後に映像を確認してしまいましたよ(笑)。
すると・・・あぁなるほど、これはジュリーが間奏で立ち位置を移動する途中で足元に落ちていたマラカスを拾い上げ、いたずらっぽく振っていたんですねぇ。こういうのは、CD音源だけだと把握できないことです。
これは分かりやすく言うと、2011~2012年の老虎ツアーの「ジャスティン」でジュリーが一瞬だけドラムを叩いていた、あの感覚と同じです。act的には、「劇中」のアドリブということになるのでしょうか。

きっとあのマラカスは、この曲の前のシーンで何かひと役絡んでいたのでしょう。
ジュリーファンとしての老後の楽しみにとってあるact映像鑑賞・・・今から「落ちていたマラカス」の謎が解ける日を楽しみにしています。


それでは次回更新は、前々回の「ベルリンの月」同様、「原曲よりも普段からよく聴くロック・アーティストのカバーとして知っていた」曲をお題に採り上げます。
とても有名な曲なんですけど、僕は30代くらいまではまったく知らずにいたんだよなぁ・・・。

actの楽曲考察記事は色々と僕の不勉強、知見の低さを晒すことにもなりますが・・・引き続き頑張ります!

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2016年6月 1日 (水)

沢田研二 「ベルリンの月」

from『act#1 KURT WEILL』、1989

Kurt1

1. モリタート
2. 男はいつも悲しい兵隊
3. ヒモ稼業
4. 海賊の花嫁ジェニーの唄
5. まほろばソング
6. 約束の地
7. 大いなる眠り・都市よ -K・Sへ
8. マック・ザ・ナイフ ~人間の努力の空しさよ~
9. ベルリンの月
10. ロゥリング・シティ
11. 天国への囁き
12. 亡命者 ~私達のいるだろうベッド~
13. モリタート

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『悪名』2016年公演も5月29日の千秋楽をもって無事、大盛況の閉幕となりましたね。
僕も、新たなJ先輩とのご縁があって千秋楽の会場に駆けつけることができました。

僕は3年前に『哀しきチェイサー~雨だれの挽歌』を観劇した時、ジュリー・ナンバーの中でも熱烈に好きな曲がメインだったにも拘らず今ひとつピンと来なくて、「音楽劇は僕にはちょっと合わないのかなぁ」と決めつけてしまいました。
そのため、翌年の『悪名』公演は参加せずにテレビ放映での鑑賞で済ませていたので、今回が初の生『悪名』となったのですが・・・いやぁ、本当に楽しかった!
本来なら別途レポート記事を上げるべきなのですが、挿入曲タイトル、役者さんのお名前と役名など僕にはまだ分からないことが多くて、本格的なレポが書けません。今日のこの場を借りまして、簡単な千秋楽公演の感想を記しておこうと思います。

ストーリーの面白さ、役者さんの素晴らしさはもちろんですが、やっぱり僕は「バックの演奏に敏感で、演奏のテンションに自然に気持ちをリンクさせていくジュリー」を観るのが好きなんでしょうね。今回の『悪名』はその点大満足でした。
柴山さんのギターについては観劇前から完全に信頼していましたが、初めての体感となる熊谷太輔さんの演奏が本当に素晴らしかったのです。

何より素晴らしいのは、熊谷さんのジュリーをはじめとする役者さん達、そして柴山さんへの深いリスペクトが演奏や表情から客席まで伝わってくること。
その志は、ステージにいるすべてのプロフェッショナルとのシンクロ度の高さとなります。
柴山さんのアルペジオ・ソロから導入する楽曲では、まるでジュリーの気持ちがググ~ッと入ってくるタイミングを察するかのように噛み込むドラムス。もちろんそのアレンジは事前に練られ用意されているわけですが、途中から鳴り始める音が凄く心地よくて。

また、熊谷さんが各シーンに応じて使用する楽器、音色も和太鼓からグロッケンまで多彩。
僕が特に印象に残ったのは、第2幕の冒頭の曲だったかな・・・ロックっぽい曲。ジュリーのヴォーカルではないのですが、曲中で熊谷さんがカウベルを鳴らす数小節があって、これが最高にカッコ良かった!
正に「一曲一打入魂」 のカウベル・・・その数小節で完全にシビレた僕は、すっかり観劇中に熊谷さんのファンとなってしまっていたようです。

柴山さんのギターは当然の素晴らしさ。
1番がお照さん、2番が清次さんのヴォーカル・リレーの曲がありますよね?あの曲で、ギターの単音僅か1小節のフレーズだけで女声のキーから男声のキーへと移調するアレンジ・アイデア・・・脱帽でした。
ただ、僕のこの日の席からだと柴山さんはちょうどステージに立つ役者さんの影になっていて、ほとんどの曲でギターモデルの確認まではできない状態でした。音だけだと、僕の耳ではアコギなのかエレガットなのか判断できなかった曲も・・・。
熊谷さんの雄姿はよく見えたんですけどね。

お芝居については、初の観劇となった僕もお客さんの反応やステージの雰囲気から「ここはきっとアドリブなんだな」と察せられたシーンも多々。
伺ったお話では、この千秋楽はアドリブのシーンも格別に長かったのだとか。
朝吉親分と清次さんとのサンドイッチマンのシーンもきっとそうだったのでしょうね。朝吉親分が「別れても好きな人」のメロディーで、サンドイッチマンのテーマを清次に押しつけ伝授する、という・・・。
清次は呆れて舞台から立ち去ろうとしたり、「いやぁ楽しいですね」と素の感想を言ったり、果ては「親分という人が分からなくなってきました」と首を捻ったりしてお客さんを大いに笑わせてくれました。

いやぁ、清次良かったなぁ~。クライマックスの殴り込みのシーンでは、清次が朝吉親分と同じくらいカッコ良く見えました。熊谷さんの効果音とも息ピッタリ。
いしのようこさん演じるお絹さんも綺麗でしたし・・・登場人物それぞれに魅力的で、本当に楽しみました。
休憩時間には、隣席のお姉さんから一昨年の前回公演、そして今年の公演期間でこの日の千秋楽までに進化してきた点についてお話を伺うこともできましたし(鈴子さん?のキャラクターの変化ですとか、タクシーのシーンでのアドリブの推移、などなど)
そう言えば、会場のBGMでレッド・ツェッペリンがガンガンかかっていたけど、何か『悪名』に関連する狙いがあるのかなぁ。開演直前が「グッド・タイムス・アンド・バッド・タイムス」、終演直後が「ミスティ・マウンテン・ホップ」でしたが・・・。

あと、『悪名』のジュリーにはとても重要な個人的「気づき」があり、6月のブログ更新に向けて大いにはずみがついたんですけど、それはこの今日の記事の最後に書くことにいたします。

そうそう、会場では話題のツアーTシャツも無事にSサイズを購入することができました。東京公演が開幕して最初の頃に、Sサイズは連日当日在庫切れと聞いていましたし、例によってこの日も僕は見事に道に迷って(汗)、余裕をもって出かけたにも関わらず、ダービーで賑わうウィンズ新宿の雑踏を駆け抜けなんとか開演15分前に到着という状況でしたから「もう残ってないだろうなぁ」と思っていたので嬉しかったです。
帰宅してカミさんに現物を見せると、やはり「普通ならMサイズの大きさやな~」とのこと。思惑通り僕にはSサイズで丁度良かったようですね。
また、カミさんはこの「えび茶色」について「(そのための配色かどうかは別として)黄緑色のリストバンドと合う色だね」と。僕はそういうことはまるで分からないんですけど「なるほど」と思った次第です。

千秋楽はやっぱり「特別」なもの・・・最後のカーテンコールでジュリーから「来年は私の芸能生活50周年です」という言葉があって、お客さんと一緒にステージのみなさんも拍手をして。続けて「50周年記念の『悪名』特別公演を行います」との発表がありました。
2017年はさらに進化した『悪名』が楽しめそうです。
ひと口に「50周年」と言っても、それは本当に凄まじいことですよね・・・。今回の参加で、『悪名』が素敵な舞台、素晴らしい演奏の音楽劇だということが分かりましたし、ジュリー御自身の口から「50周年」の言葉を聞いた以上、これはもう僕も末席ながらお祝いに駆けつけなければならぬ!と意を強くしたのでした。
来年が本当に楽しみです。


ということで、6月です。
今日はいきなり枕が長くなりましたが、予告していましたように6月の拙ブログは、『act』の曲をお題にして更新を頑張っていきます。

ちょうど音楽劇も終わり、夏からの全国ツアーを待つまでの期間・・・ここ毎年「ジュリー枯れ」が特に厳しい梅雨の季節がやってきます。
まだセットリストの予想には早いし、かと言ってランダムにジュリー・ナンバーを採り上げていっても、「この曲は今年のツアーで歌ってくれるかなぁ」とどうしても考えてしまう・・・じっと辛抱の時を過ごすべく、ここは潔く『act』にテーマを絞り、6月いっぱいは『act-CD大全集』収録の名曲群に向き合っていくことで、なんとか「ジュリー枯れ」を凌ぎたいです。

7月に入りましたら”恒例・全然当たらないセットリスト予想”シリーズを開催の予定。
それまでの間、ご一緒にactの名曲を楽しみましょう!
どうぞよろしくお願い申し上げます。

昨年、遂に購入叶った『act-CD大全集』から今日採り上げるのは第1作『KURT WEILL』。
お題曲は、今年天国へと旅立ったデヴィッド・ボウイも歌ったことのあるクルト・ワイルのナンバー「ALABAMA SONG」のカバーで、「ベルリンの月」です。
僭越ながら伝授!



Kurt6

『act-CD大全集』のdisc-1『KURT WEILL』で初めてこの曲を聴いた時、「うわっ、アラバマ・ソングだ!ジュリー、こんな曲も歌ってたのか!」と思いました。
僕の「よく知っている曲」でした。

しかし実は、本来の意味では「よく知っている」とはとても言えないのです。僕はクルト・ワイルのオリジナルについては、未だ何も知らずにいるのですから。
『act』における「カバー曲」の楽曲考察は、本当に様々なジャンルの世間によく知られた名曲を、貧弱な知識しか持たない僕が「勉強する」良い機会となります。『SHAKESPEARE』以外の作品に収録されたカバー曲はすべてそうなるでしょう。
今年の6月は僕にとって、「伝授!」などとは口ばかりの、勉強のひと月となりそうですね~(汗)。いや、6月って「勉強の月」なんですよ。その昔、「習い事、稽古事は数え6つの6月6日に始めると上達が早い」と言われていたのだそうです。ですので楽譜業界では6月に各メーカーが協力してフェアを組んだりするのですよ。
いや、僕自身はもう数え50ですが(汗)。先輩方のコメントにも頼りつつ、学びの月としたいものです。

まずは、僕が語れる範囲での「アラバマ・ソング」の「よく知っている」面・・・ロック界でのこの曲の2つのカバー・ヴァージョンの存在から書いていきましょう。


Alabamasongdoors

↑ 『THE DOORS/GUITAR CHORD SONGBOOK』より
 (音源はこちらで)

Alabamasongbowie

↑ 『DAVID BOWIE/THE COLLECTION』より
 (音源はこちらで)

ちなみにジュリーの「ベルリンの月」は、ドアーズよりも高音階であるボウイのヴァージョンと同じキーで歌われます(クルト・ワイルのオリジナル・キーについてはまだ調べきれていません)。


デヴィッド・ボウイが70年代に「アラバマ・ソング」をカバーしていたことを僕が知ったのは30代になってからのことで、それまでレコードしか持っていなかったアルバム『スケアリー・モンスターズ』をCDで購入し直した際、そこにボーナス収録されていたトラックを聴いたのが初めてでした。
その時のヒヨッコ・DYNAMITEの最初の感想は「大勘違い」も甚だしいもので
「へぇ、ボウイがドアーズのカバーやってたのか」
と(恥汗)。
僕は、高校生の時に聴いていたドアーズのファースト・アルバム『ハートに火をつけて』に収録されている「アラバマ・ソング」・・・「水晶の舟」や「ハートに火をつけて」「ラブ・ストリート」といったいかにもドアーズ、な独特の同主音移調の使い方の共通イメージもあり、完全に「アラバマ・ソング」をドアーズ・オリジナルだとばかり思い込んでしまったのでした。
ボウイのCD『スケアリー・モンスターズ』のクレジットをよく見て「KURT WEILL」の文字に気がつき、「ありゃ、この曲ってドアーズのオリジナルじゃなかったのか」とようやく認識し直したのです。
同時に、僕が「クルト・ワイル」という作曲家の名前を初めて知ったのもその時のことでした。

時は経ち2015年。
『act-CD大全集』をランダムに1枚ずつじっくり聴いていって、disc-1の『KURT WEILL』を手にとったのは秋になってからのこと。「僕が既に存在を知っていた、ただひとつのクルト・ワ
イルの曲」である「アラバマ・ソング」のメロディーが唐突に襲いかかってきた時の衝撃・・・ジュリーが歌う「アラバマ・ソング」は加藤直さんの訳詞とcobaさんのアレンジ解釈を得て、収録曲中でも抜群の存在感を放っていました。

Oh moon of Berlin   行かなければ ♪
     G               Gmaj7    G6         Edim

(ボウイのヴァージョンでは「G6」の部分を敢えてポップに「Em」とし、Aメロと対比するサビに色づけをしています)

「ベルリンの月」・・・さすがにこのタイトルからあらかじめ「アラバマ・ソング」を連想することは僕には難しかったです。でも、サビの「ベ~ルリ~ン♪」というキメのフレーズは、「ア~ラバ~マ♪」というジム・モリソン、デヴィッド・ボウイいずれの声のメロディーとしても、自然に僕の中に根づいているものでした。

その上で確かに言えます。ジュリーのヴォーカル表現の素晴らしさは息を飲むばかりだ、と。
「演技と音楽を結びつけることに生涯を捧げた」と言われるクルト・ワイルを題材に10年間に及ぶactシリーズの幕が切って落とされたことは必然・・・そんなふうに思わせてくれるジュリーの歌。

『KURT WEILL』はパンフレットも手元にあり、CDでは割愛されているセットリストも把握しているのですが、現時点ではactシリーズの中で唯一我が家に映像が無い作品でもあります。
「サムライ」「君をのせて」「勝手にしやがれ」「時の過ぎゆくままに」「背中まで45分」といった有名なジュリー・ナンバーがここでどのように歌われ演奏されているのか気になります。かつて観劇された先輩方は、そのあたりどのような印象だったでしょうか。

とにかく、「ベルリンの月」然り、「モリタート」然り、これらの曲がアルバム『彼は眠れない』と同じ年の音源とは信じられない・・・「歌」がまるで違うんですよね。
しかも双方違った上でそれぞれ素晴らしいときているわけですから、ジュリーという歌手はやはり、底知れない多面性をも平気で使い分ける化け物ですよ。

ただ、actが素晴らしいのはジュリーの歌ばかりではありませんよね。
actの醍醐味のひとつに、カバー曲の歌詞とアレンジ解釈の独創性が挙げられます。
cobaさんのアレンジは、例えば原曲ではワルツであるものを4拍子のジャズにしたり、ブルースにしたり(この点については『EDIT PIAF』が頭抜けて素晴らしいと僕は思っています)と自由自在。「ベルリンの月」ではAメロ部でテンポをグンと上げた喜劇風の仕上がりとしています。その効果でサビが一層光りますね。

そして歌詞・・・actの「日本語詞」には本当に色々なパターンがあります。箇条書きにしますと

①ほぼ訳詞と言って良いもの
②訳詞なんだけど、フレーズや言い回しでトリッキーに解釈の幅を拡げているもの
③原曲とは完全にかけ離れた「作詞」に近いもの

「ベルリンの月」はこの中で①に当てはまるでしょう。
ただし、原曲のストーリーに倣いつつ、その表現は独特にして斬新。加藤直さんの「言葉使い師」ぶりがact第1作から早くも炸裂しています。
ここで参考資料として、デヴィッド・ボウイ『スケアリー・モンスターズ』CDボーナス収録「アラバマ・ソング」の日本語訳(対訳・北沢 杏里さん)をご紹介します。


Alabamasongwords


ご覧の通り、加藤さんは「ベルリンの月」で2番と3番の詞の内容の順序を入れ替えています。そのあたりの必然性については映像を観れば分かるのかなぁ?

2番で「女」の箇所を「いかすやつ」と表現しているのがカッコ良いですし、3番の「もうけ話」は「よくぞこの譜割に載せた!」という感じのフレーズですね。actの詞は当然演劇性が高いですから、言葉がギュッと詰まっているパターンが多く、それがまたジュリーの歌の表現、演じ方の魅力を引き立てているように思います。
ただ、ボ~ッと油断してこの曲を聴いていると「それでもうけ話 探してる ♪」と歌う3番のサビが一瞬「もう、ケバナシ探してる♪」と聴こえてしまい、「あれっ、”ケバナシ”って何だ?」と我に返る、ということがしばしば・・・。
えっ、僕だけですか?(汗)


とは言え、actと言えばやはり最大の魅力はジュリーのヴォーカルに尽きます。
よく聴き込みもせずジュリーの歌の巧拙をあれやこれや言う人には、この『act-CD大全集』からどれか1枚聴かせてあげるのが一番てっとり早いでしょう。
有無を言わせぬ「最高に歌が上手い歌手」ジュリーを広く知らしめる音源として『act-CD大全集』は最適。映像作品とは別のリリース意義があったわけです。

それは「歌い方」ひとつとってみても・・・例えば僕がこれまで2曲執筆済みのactナンバー「道化師の涙」「無限のタブロー」はいずれも、オリジナル・アルバムなどではなかなか聴くことのできないジュリーのヴォーカル表現を最大の魅力として考察しました。
自作詞のヴァースに合わせて大胆に「嗚咽」の表現を盛り込んだ「道化師の涙」。
大上段な、それでいてまったく嫌味の無い「酔っ払い唱法」(?)を炸裂させる「無限のタブロー」。

では「ベルリンの月」はどうでしょう?
敬愛するJ先輩のお話によりますと、act第1作となった『KURT WEILL』では、ステージ上のジュリーの歌にはまだ「手探り感」が感じられたとのこと。翌年の次作『BORIS VIAN』を観劇された時に「ジュリー、素敵じゃない!」と思えたのだそうです。
これは実際そういう感覚はあったのでしょう。ジュリー自身にも、そして観劇するファンの方にもね。「ジュリーが新しいことを始める時」の、なんとも形容し難い「戸惑い」のような感覚。もちろん素晴らしい作品に触れている・・・そう分かっていてもなかなか追いつかない。そんなソワソワする気持ちというのは、僕も2012年にリリースされた新譜『3月8日の雲』に向き合った時に少なからず味わったことでした。
それと似た雰囲気が、ひょっとしたら『KURT WEILL』の公演にはあったのかもしれないなぁ、と。

ただ、後になってこうして音源でじっくり聴いてみると、この第1作の時点でactならではの「歌で演じる」ジュリーの表現は確立されていたのだ、と分かります。
「ベルリンの月」のAメロでは、「急いで、急いで」「待ってられない!」といったお芝居の感情がヴォーカルに注入されていますよね。もちろんcobaさんのアレンジによって素直に引き出されているものです。
ジュリーの素直さにactの礎あり、ではないでしょうか。

最後に。
僕が今回『悪名』を大いに楽しめたこと・・・もしかしたらその理由のひとつなのかな、と気づいた(ハッキリと再確認した)のが、「歌で演ずる」際のキュートなジュリーの魅力です。「素直」の先に見えてくる、ジュリーの表現としての「キュート」ですね。
僕はまだ音楽劇を2作品しか生で観劇していませんし、大きな勘違いなのかもしれませんが、『悪名』って、ジュリーが自身の中にある「キュート」を全開で解放できる、そんな作品なのではないでしょうか。そして僕は、キュート全開なジュリーの演技が好きみたい。

『act』のジュリーには、CD音源で歌を聴いているだけで「キュート」を感じます。
今日のお題「ベルリンの月」のようなコミカルなアレンジの曲には明快にそれがありますし、『KURT WEILL』に限らず他のact作品、他のどんなハードなナンバー、哀しい歌にもそれはある、と僕には感じられるんですよ。
ジュリーのてらいのない「キュート」・・・それは「歌で演ずる」ことへの最大の適性だと思います。

「6月はactの曲を書こう」というのは前々から決めていましたが、その直前に『悪名』を観劇し、生でキュートなジュリーに触れられたこと・・・本当に良いタイミングだったなぁ、と今思っているところです。

あとは余談になりますけど、デヴィッド・ボウイのことも少しだけ書かせてください。
僕はボウイの「アラバマ・ソング」のステージ映像を最近まで観たことがありませんでしたが、今年1月(ショッキングな訃報の直後ですね)、テレビ放映でツアー映像を観ることができました。70年代後期、カルトスター時代のボウイ屈指のステージだと感じました。
僕は遂にボウイのLIVEを生で観ることは叶いませんでした。でも、ボウイはたくさんの名曲を僕らに残してくれました。

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今年勤務先から出版した新刊も含め、僕は8冊のボウイのスコアを持っています。
まだソラでは弾けない曲も、1曲ずつじっくりと勉強して血肉としていきたいものです。

ここに改めて、天国へと旅立つその時まで一貫して偉大なシンガーであり、卓越したソングライターであり、優れたセンスを持つ多才な演奏者であり、真にロック・スターであり続けたデヴィッド・ボウイの軌跡を思い、ご冥福をお祈りしたいと思います。合掌。


それでは次回の『act』は、第5作『SHAKESPEARE』から、今日のお題とはドアーズ繋がりのナンバーを予定しています(バレバレですな)。
この『SHAKESPEARE』に限っては、洋楽ロックのカバー曲について僕がジュリーファンとなる前から熱心に聴いていた曲がたくさん収録されていますから、原曲のこともそれなりに詳しく書けそうです。

ビートルズ、ストーンズ、クイーン・・・どのカバー曲にも魅力的な解釈があり、名演・名曲が並ぶ中で、初めて『SHAKESPEARE』を聴いた時にとにかく驚いたのが、ドアーズのカバーである次回お題予定曲でした。
加藤直さんのブッ飛んだ日本語詞(もう完全に「作詞」です)、演奏のクオリティーとテンション、そしてジュリー・ヴォーカルの驚くべき順応力、表現力、確信力。こんな凄いことをやっていたのか、ジュリー!という驚きは未だ薄れることはありません。
ドアーズ独特の世界についても同時に考察しつつ、張り切って書きたいと思います。

今日は『悪名』観劇のことなど織り交ぜて書きましたのでかなりの長文となりましたが、次回からはもう少しタイトに・・・そのぶんガンガン更新していきますよ!

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