沢田研二 「ウォーキング・イン・ザ・シティ」
from『愛の逃亡者/THE FUGITIVE』、1974
1. 愛の逃亡者/THE FUGITIVE
2. ゴー・スージー・ゴー/GO SUSY GO
3. ウォーキング・イン・ザ・シティ/WALKING IN THE CITY
4. サタデー・ナイト/SATURDAY NIGHT
5. 悪夢の銀行強盗/RUN WITH THE DEVIL
6. マンデー・モーニング/MONDAY MORNING
7. 恋のジューク・ボックス/JUKE BOX JIVE
8. 十代のロックンロール/WAY BACK IN THE FIFTIES
9. 傷心の日々/NOTHING BUT A HEARTACHE
10. アイ・ウォズ・ボーン・トゥ・ラヴ・ユー/I WAS BORN TO LOVE YOU
11. L.A. ウーマン/L. A. WOMAN
12. キャンディー/CANDY
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「心は被災地に」・・・ジュリーの『悪名』名古屋公演も大盛況のステージが続き無事終了したようです。
僕はこんな時だからこそ、何をすれば良いかと迷いながらもせめてガンガン更新していこうと頑張っているところですが、いつもお世話になっている先輩から
「このペースであの長文を次々に読め、というのは私達にとっても酷よ~」
と言われてしまいました(汗)。
もちろんそのお言葉は、僕の身体を気遣ってくださる優しい先輩ならではの冗談なんですけど、実は真実を鋭く突いていたりして・・・仰る通りかもしれません。
今日こそは、もう少しタイトに!
先日、六本木のビルボード東京で「スクイーズ」というバンドの来日公演を観てきました。僕にとっては、20代の頃からの憧れのバンドのひとつです。
スクイーズはジュリーとも少し関係があって、かつてこのバンドに在籍していたキーボーディスト、ポール・キャラックが、ちょうどその在籍時にロックパイルのギタリスト、ビリー・ブレムナーと共にジュリーのアルバム『S/T/R/I/P/P/E/R』にゲスト参加、「DIRTY WORK」や「FOXY FOX」などの名曲でブリティッシュ・ポップ感溢れるゴキゲンなコーラスを聴かせてくれているのです(その辺りについては以前「DIRTY WORK」の記事で詳しく書きましたのでご参照ください)。
残念ながら現在はメンバーが代わり、今回はポール・キャラックの来日は無く、またスクイーズのツートップの1人であるクリス・ディフォードも欠席だったのですが、フロントマンのグレン・ティルブルックの艶のある高音ヴォーカルとギター・ワークは健在。
「イザット・ラブ」のフェイク・エンディングでフライングの拍手をするお客さんは誰一人いない、というマニアックな濃密空間で彼等のステージを堪能できました。
最後はメンバーが演奏しながら客席を練り歩くというサプライズもあり、初めて生で体感したスクイーズ、一生の想い出となったのでした。
こうして、個人的に「一度は生で見てみたい」と来日を待ち続けてきたバンドやアーティストの生体感実現が少しずつ叶えられていく中で、今僕が「ほぼ絶望的だけど、可能なら一度は来日公演を観てみたい」と切望しているバンドが、ザ・キンクスです。
一度「行こうかどうしようか」と迷った来日公演があったんですけど、その頃はまださほどキンクスには嵌っていなくて、しかもチケットの一般発売時期がストーンズと重なってね・・・当時の僕は迷わずストーンズでした。
その後キンクスのアルバムをRCA期、アリスタ期含めてすべて聴いて自分にとって特別なバンドとなるも、いつの間にやら来日公演など夢のまた夢、という状況になってしまっていて・・・。
おっと、いきなり枕が長くなっていますね(汗)。
今日は、ジュリー・ナンバーの中で僕が一番「キンクスを感じる」名曲を採り上げます。
アルバム『愛の逃亡者/THE FUGITIVE』から「ウォーキング・イン・ザ・シティ」、伝授です~!
スクイーズは「英国ポップの良心」と言われるバンドですが、その言葉を60年代のブリティッシュ・バンドのレジェンド達に当てはめるとするなら、キンクスが最もふさわしいと思います。
70年代に入り、多くの優れたソングライターがキンクスに学び数々の名曲を生み出してきました。スクイーズのグレン・ティルブルックも然り。そして、ジュリーの名盤『愛の逃亡者/THE FUGITIVE』を作り上げたウェイン・ビッカートンもその一人だと僕は考えます。
拙ブログのここいくつかの記事では、最近亡くなってしまったロック・パーソンに触れる機会が多くなっています。ビッカートンも昨年、天国へと旅立ちました。
(ビッカートンの輝かしい功績について、今回はこちら様の追悼記事をご紹介させて頂きます。ジュリーのことも少し書いてくださっていますよ!)
今日はまず、ビッカートン作の「ウォーキング・イン・ザ・シティ」のどのあたりに僕がキンクスを想起するのか、という点から書いていきましょう。
ト長調のメロディーは朴訥にして華麗。
このメロディーが嫌いな人なんてこの世に存在しないんじゃないか、というくらい完璧で、序盤・中盤・終盤、本当に隙がありません。
ただ、ポップで覚えやすいメロディーにあてたそのコード進行は一筋縄ではいきません。
walkin' in the city where the neon lights are bright
G F#m Em D
having dinner by candle light ♪
B7 C E7
例えば、このサビに登場する「F#m」はいわゆる「イエスタデイ進行」の応用ですけど、どことなく「ひねくれて」いるんですね。スクイーズやXTC、スタックリッジなどの「ねじれポップ」の元祖はキンクスだと僕は思っていて、「ウォーキング・イン・ザ・シティ」のサビの進行、メロディーにも同じ匂いを感じます。
そして歌詞。
ネオンライトの下を生きる「actors」は本物の「俳優」ではなく、ごくごく一般の人達です。
with neon lights all shining
G A7
like footlights on the board
C B7
and real live、actors take to the floor
B7 Em D
for their drama awards ♪
C D
「ありふれた普通の人々の紡ぎ出すドラマこそが真実」というコンセプトは、キンクスのメイン・ソングライターであるレイ・デイヴィスが長年取り組み、確立させてきた手法と同じ。キンクスだと、「サニー・アフタヌーン」「ウォータールー・サンセット」あたりが代表格かな。
傑出した視野を持つレイ・デイヴィスの作詞は、「普通の人々」の「平凡な日常」を歌った時こそ真価を発揮します。ここで今日「ウォーキング・イン・ザ・シティ」と比較したいのが、『愛の逃亡者/THE FUGITIVE』翌年リリースのキンクスのアルバム『ソープ・オペラ』です。
音楽の好みがてんでバラバラなムーンライダースのメンバーが何故かこのアルバムだけは全員持っている、という逸話で有名な1枚。
画像、CDの帯に記されている邦題をご覧ください。「君もスタアだ」「平凡な人々」「ネオンのまぶしさ」・・・1年前にジュリー・ナンバーとしてリリースされた「ウォーキング・イン・ザ・シティ」の物語を思わせるようなタイトルがズラリと並んでいます。
the city really comes alive at night
C Cm
everybody is a star tonight ♪
G E7
「everybody is a star」は、正にキンクスの「君もスタアだ」そのもの。こうしている平凡な僕らひとりひとりも、日々の何気ない出逢いや気持ちの浮き沈みの中で、人生というドラマを演じているスターなんだ、と。
2000年代に入り、「平和」と併せて不可欠な「日常の尊さ」を歌うようになったジュリーが、「普通の人々」のドラマを描いた「ウォーキング・イン・ザ・シティ」のような曲を74年に歌っていたというのもまた、奇跡のような歴史です。ジュリーの場合は、今現在とそれが繋がるから凄いのですね。「1年も休まず歌い続ける」・・・世界の名だたる歌手で、それがずっとできている人がいったい何人いるでしょうか。
さて、僕がこの曲を大好きなのは、当然ここまで書いてきたような完璧な詞曲、アレンジに惹かれていることもありますが、毎度のことながら一番はジュリーのヴォーカルに尽きるんですね。
アルバム『愛の逃亡者/THE FUGITIVE』のヴォーカルは、ダブル・トラック(ジュリーが同じ主旋律を2度歌ったトラックを同時にミックスダウンしている)が多いのですが、「悪夢の銀行強盗」「L.A. ウーマン」「キャンディー」そしてこの「ウォーキング・イン・ザ・シティ」の4曲については、シングル・トラックを押し出しています。
lovers in the city with no place to go
G G(onF#) G(onF#) C
the sunlight beating down upon
Cm G
the crowded sidewalks of the town ♪
A7 C D7
Aメロ冒頭、ピアノとアコギ・アルペジオをバックに歌い始めた時点で、聴き手が身悶えてしまうほどのジュリーの声・・・やっぱり「加工していない」ジュリー・バラードのヴォーカルは素晴らしいです(もちろん、ダブル・トラックにも独特の魅力があります。このアルバムですと「ウォーキング・イン・ザ・シティ」がシングルの、「マンデー・モーニング」がダブルの極みでしょうか)。
変な表現ですが、僕は特に70年代ジュリーの「歌わされている」感の強いヴォーカルが大好物です。「ウォーキング・イン・ザ・シティ」などはもう明らかに「とにかく発音に気をつけて声をメロディーに載せている」ジュリーの必死の姿を想像できます。
この味わい深い歌詞への思い入れは二の次、いや下手をすると皆無。そんなヴォーカルがかえって「歌に身を投げ打つ」捨て身のジュリーを引き出し、邪気の無い優れたポップス表現へと昇華しています。
何という、天性の声の清潔さ。
以前にも書いたことがありますが、この曲もしくは「アイ・ウォズ・ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」あたりをシングルにしていれば、イギリスでのセールスも違った結果になったのかもしれないと僕などは思ってしまいます。
「愛の逃亡者」は確かに細部に洗練された名曲ですが、リズムやアレンジなどは「郷(英国)に合わせた」「狙い過ぎた」面も感じられます。
「東洋の美しい青年が、たどたどしい(?)英語で健気に歌っている・・うん、素敵な声だ、良い曲じゃないか」と彼の地のリスナーを虜にできるのは、「ウォーキング・イン・ザ・シティ」のような曲だったんじゃないかなぁ・・・。
でもそれはフランスでの「巴里にひとり」で実践されセールスも成功を勝ち取ったわけですから、イギリスとフランスとでは敢えて別のアプローチで戦略を変えていた、ということだったのかもしれません。
アルバム『愛は逃亡者/THE FUGITIVE』のコンセプトの最たるものに「BACT TO THE OLDIES」があると思います。収録曲の多くは50~60年代のヒット曲よろしく、楽曲で一番オイシイ箇所のメロディーを繰り返し歌いながらフェイド・アウトしていきます。
「ウォーキング・イン・ザ・シティ」の場合それがサビなんですが、フェイド・アウトで曲が終わる寸前のところで、サビの最初の2行だけが「ラララ・・・♪」という別のメロディーでのハミングにとって代わる、というアイデアが素晴らしい!
僕がこの曲のジュリーのヴォーカルで一番好きなのは、このハミング部です。みなさまはいかがでしょうか?
それでは、オマケです!
前回に引き続いて、『ヤング』のバックナンバーから、こちらもジュリー表紙の74年12月号をどうぞ~。
さて次回更新ですが、「日替わり・一番好きなジュリー・ナンバー」の常連曲であるにも関わらず、採譜作業に自信が無く今まで執筆をためらっていた数曲の中から1曲、この機に挑戦してみようと思います。
拙ブログで採り上げたジュリーの曲は(タイガースや洋楽カバーを含め)、記事ももう400曲を超えているというのに、まだまだ未執筆の「大好きな曲」がたくさん残っている・・・幸せなことです。それだけジュリーの歴史が長く濃密なものである、という証明ですね。
次回、またすぐにお会いしましょう!
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