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2016年4月

2016年4月30日 (土)

沢田研二 「ウォーキング・イン・ザ・シティ」

from『愛の逃亡者/THE FUGITIVE』、1974

Fugitive

1. 愛の逃亡者/THE FUGITIVE
2. ゴー・スージー・ゴー/GO SUSY GO
3. ウォーキング・イン・ザ・シティ/WALKING IN THE CITY
4. サタデー・ナイト/SATURDAY NIGHT
5. 悪夢の銀行強盗/RUN WITH THE DEVIL
6. マンデー・モーニング/MONDAY MORNING
7. 恋のジューク・ボックス/JUKE BOX JIVE
8. 十代のロックンロール/WAY BACK IN THE FIFTIES
9. 傷心の日々/NOTHING BUT A HEARTACHE
10. アイ・ウォズ・ボーン・トゥ・ラヴ・ユー/I WAS BORN TO LOVE YOU
11. L.A. ウーマン/L. A. WOMAN
12. キャンディー/CANDY

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「心は被災地に」・・・ジュリーの『悪名』名古屋公演も大盛況のステージが続き無事終了したようです。

僕はこんな時だからこそ、何をすれば良いかと迷いながらもせめてガンガン更新していこうと頑張っているところですが、いつもお世話になっている先輩から
「このペースであの長文を次々に読め、というのは私達にとっても酷よ~」
と言われてしまいました(汗)。
もちろんそのお言葉は、僕の身体を気遣ってくださる優しい先輩ならではの冗談なんですけど、実は真実を鋭く突いていたりして・・・仰る通りかもしれません。
今日こそは、もう少しタイトに!


先日、六本木のビルボード東京で「スクイーズ」というバンドの来日公演を観てきました。僕にとっては、20代の頃からの憧れのバンドのひとつです。
スクイーズはジュリーとも少し関係があって、かつてこのバンドに在籍していたキーボーディスト、ポール・キャラックが、ちょうどその在籍時にロックパイルのギタリスト、ビリー・ブレムナーと共にジュリーのアルバム『S/T/R/I/P/P/E/R』にゲスト参加、「DIRTY WORK」や「FOXY FOX」などの名曲でブリティッシュ・ポップ感溢れるゴキゲンなコーラスを聴かせてくれているのです(その辺りについては以前「DIRTY WORK」の記事で詳しく書きましたのでご参照ください)。

残念ながら現在はメンバーが代わり、今回はポール・キャラックの来日は無く、またスクイーズのツートップの1人であるクリス・ディフォードも欠席だったのですが、フロントマンのグレン・ティルブルックの艶のある高音ヴォーカルとギター・ワークは健在。
「イザット・ラブ」のフェイク・エンディングでフライングの拍手をするお客さんは誰一人いない、というマニアックな濃密空間で彼等のステージを堪能できました。
最後はメンバーが演奏しながら客席を練り歩くというサプライズもあり、初めて生で体感したスクイーズ、一生の想い出となったのでした。

こうして、個人的に「一度は生で見てみたい」と来日を待ち続けてきたバンドやアーティストの生体感実現が少しずつ叶えられていく中で、今僕が「ほぼ絶望的だけど、可能なら一度は来日公演を観てみたい」と切望しているバンドが、ザ・キンクスです。
一度「行こうかどうしようか」と迷った来日公演があったんですけど、その頃はまださほどキンクスには嵌っていなくて、しかもチケットの一般発売時期がストーンズと重なってね・・・当時の僕は迷わずストーンズでした。
その後キンクスのアルバムをRCA期、アリスタ期含めてすべて聴いて自分にとって特別なバンドとなるも、いつの間にやら来日公演など夢のまた夢、という状況になってしまっていて・・・。

おっと、いきなり枕が長くなっていますね(汗)。
今日は、ジュリー・ナンバーの中で僕が一番「キンクスを感じる」名曲を採り上げます。
アルバム『愛の逃亡者/THE FUGITIVE』から「ウォーキング・イン・ザ・シティ」、伝授です~!


スクイーズは「英国ポップの良心」と言われるバンドですが、その言葉を60年代のブリティッシュ・バンドのレジェンド達に当てはめるとするなら、キンクスが最もふさわしいと思います。
70年代に入り、多くの優れたソングライターがキンクスに学び数々の名曲を生み出してきました。スクイーズのグレン・ティルブルックも然り。そして、ジュリーの名盤『愛の逃亡者/THE FUGITIVE』を作り上げたウェイン・ビッカートンもその一人だと僕は考えます。

拙ブログのここいくつかの記事では、最近亡くなってしまったロック・パーソンに触れる機会が多くなっています。ビッカートンも昨年、天国へと旅立ちました。
(ビッカートンの輝かしい功績について、今回はこちら様の追悼
記事をご紹介させて頂きます。ジュリーのことも少し書いてくださっていますよ!)

今日はまず、ビッカートン作の「ウォーキング・イン・ザ・シティ」のどのあたりに僕がキンクスを想起するのか、という点から書いていきましょう。

ト長調のメロディーは朴訥にして華麗。
このメロディーが嫌いな人なんてこの世に存在しないんじゃないか、というくらい完璧で、序盤・中盤・終盤、本当に隙がありません。
ただ、ポップで覚えやすいメロディーにあてたそのコード進行は一筋縄ではいきません。

walkin' in the city where the neon lights are bright
G                                     F#m  Em         D

having dinner by candle light ♪
          B7                   C       E7

例えば、このサビに登場する「F#m」はいわゆる「イエスタデイ進行」の応用ですけど、どことなく「ひねくれて」いるんですね。スクイーズやXTC、スタックリッジなどの「ねじれポップ」の元祖はキンクスだと僕は思っていて、「ウォーキング・イン・ザ・シティ」のサビの進行、メロディーにも同じ匂いを感じます。

そして歌詞。
ネオンライトの下を生きる「actors」は本物の「俳優」ではなく、ごくごく一般の人達です。

with neon lights all shining
G                        A7

like footlights on the board
C                           B7

and real live、actors take to the floor
B7                        Em                     D

for their drama awards ♪
C                     D

「ありふれた普通の人々の紡ぎ出すドラマこそが真実」というコンセプトは、キンクスのメイン・ソングライターであるレイ・デイヴィスが長年取り組み、確立させてきた手法と同じ。キンクスだと、「サニー・アフタヌーン」「ウォータールー・サンセット」あたりが代表格かな。
傑出した視野を持つレイ・デイヴィスの作詞は、「普通の人々」の「平凡な日常」を歌った時こそ真価を発揮します。ここで今日「ウォーキング・イン・ザ・シティ」と比較したいのが、『愛の逃亡者/THE FUGITIVE』翌年リリースのキンクスのアルバム『ソープ・オペラ』です。

Soapopera

音楽の好みがてんでバラバラなムーンライダースのメンバーが何故かこのアルバムだけは全員持っている、という逸話で有名な1枚。
画像、CDの帯に記されている邦題をご覧ください。「君もスタアだ」「平凡な人々」「ネオンのまぶしさ」・・・1年前にジュリー・ナンバーとしてリリースされた「ウォーキング・イン・ザ・シティ」の物語を思わせるようなタイトルがズラリと並んでいます。

the city really comes alive at night
     C                        Cm

everybody is a star tonight ♪
G                   E7

「everybody is a star」は、正にキンクスの「君もスタアだ」そのもの。こうしている平凡な僕らひとりひとりも、日々の何気ない出逢いや気持ちの浮き沈みの中で、人生というドラマを演じているスターなんだ、と。
2000年代に入り、「平和」と併せて不可欠な「日常の尊さ」を歌うようになったジュリーが、「普通の人々」のドラマを描いた「ウォーキング・イン・ザ・シティ」のような曲を74年に歌っていたというのもまた、奇跡のような歴史です。ジュリーの場合は、今現在とそれが繋がるから凄いのですね。「1年も休まず歌い続ける」・・・世界の名だたる歌手で、それがずっとできている人がいったい何人いるでしょうか。

さて、僕がこの曲を大好きなのは、当然ここまで書いてきたような完璧な詞曲、アレンジに惹かれていることもありますが、毎度のことながら一番はジュリーのヴォーカルに尽きるんですね。
アルバム『愛の逃亡者/THE FUGITIVE』のヴォーカルは、ダブル・トラック(ジュリーが同じ主旋律を2度歌ったトラックを同時にミックスダウンしている)が多いのですが、「悪夢の銀行強盗」「L.A. ウーマン」「キャンディー」そしてこの「ウォーキング・イン・ザ・シティ」の4曲については、シングル・トラックを押し出しています。

lovers in the city with no place to go
G                G(onF#)    G(onF#)     C

the sunlight beating down upon
     Cm                  G

the crowded sidewalks of the town ♪
     A7                       C        D7

Aメロ冒頭、ピアノとアコギ・アルペジオをバックに歌い始めた時点で、聴き手が身悶えてしまうほどのジュリーの声・・・やっぱり「加工していない」ジュリー・バラードのヴォーカルは素晴らしいです(もちろん、ダブル・トラックにも独特の魅力があります。このアルバムですと「ウォーキング・イン・ザ・シティ」がシングルの、「マンデー・モーニング」がダブルの極みでしょうか)。

変な表現ですが、僕は特に70年代ジュリーの「歌わされている」感の強いヴォーカルが大好物です。「ウォーキング・イン・ザ・シティ」などはもう明らかに「とにかく発音に気をつけて声をメロディーに載せている」ジュリーの必死の姿を想像できます。
この味わい深い歌詞への思い入れは二の次、いや下手をすると皆無。そんなヴォーカルがかえって「歌に身を投げ打つ」捨て身のジュリーを引き出し、邪気の無い優れたポップス表現へと昇華しています。
何という、天性の声の清潔さ。

以前にも書いたことがありますが、この曲もしくは「アイ・ウォズ・ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」あたりをシングルにしていれば、イギリスでのセールスも違った結果になったのかもしれないと僕などは思ってしまいます。
「愛の逃亡者」は確かに細部に洗練された名曲ですが、リズムやアレンジなどは「郷(英国)に合わせた」「狙い過ぎた」面も感じられます。
「東洋の美しい青年が、たどたどしい(?)英語で健気に歌っている・・うん、素敵な声だ、良い曲じゃないか」と彼の地のリスナーを虜にできるのは、「ウォーキング・イン・ザ・シティ」のような曲だったんじゃないかなぁ・・・。
でもそれはフランスでの「巴里にひとり」で実践されセールスも成功を勝ち取ったわけですから、イギリスとフランスとでは敢えて別のアプローチで戦略を変えていた、ということだったのかもしれません。

アルバム『愛は逃亡者/THE FUGITIVE』のコンセプトの最たるものに「BACT TO THE OLDIES」があると思います。収録曲の多くは50~60年代のヒット曲よろしく、楽曲で一番オイシイ箇所のメロディーを繰り返し歌いながらフェイド・アウトしていきます。
「ウォーキング・イン・ザ・シティ」の場合それがサビなんですが、フェイド・アウトで曲が終わる寸前のところで、サビの最初の2行だけが「ラララ・・・♪」という別のメロディーでのハミングにとって代わる、というアイデアが素晴らしい!
僕がこの曲のジュリーのヴォーカルで一番好きなのは、このハミング部です。みなさまはいかがでしょうか?


それでは、オマケです!
前回に引き続いて、『ヤング』のバックナンバーから、こちらもジュリー表紙の74年12月号をどうぞ~。


741201

741205

741203

741207

741208

741209


さて次回更新ですが、「日替わり・一番好きなジュリー・ナンバー」の常連曲であるにも関わらず、採譜作業に自信が無く今まで執筆をためらっていた数曲の中から1曲、この機に挑戦してみようと思います。

拙ブログで採り上げたジュリーの曲は(タイガースや洋楽カバーを含め)、記事ももう400曲を超えているというのに、まだまだ未執筆の「大好きな曲」がたくさん残っている・・・幸せなことです。それだけジュリーの歴史が長く濃密なものである、という証明ですね。
次回、またすぐにお会いしましょう!

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2016年4月26日 (火)

沢田研二 「WHY OH WHY」

from『A WONDERFUL TIME.』、1982

Wonderfultime

1. ”おまえにチェック・イン”
2. PAPER DREAM
3. STOP WEDDING BELL
4. WHY OH WHY
5. A WONDERFUL TIME
6. WE BEGAN TO START
7. 氷づめのHONEY
8. ZOKKON
9. パフューム
10. 素肌に星を散りばめて

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『悪名』福岡公演は、連日素晴らしいステージで無事終了したようです。
今日からは名古屋ですね。参加されたみなさまのご感想、あちらこちらで拝見できるかな?

さて僕は先の日曜にYOKO君とおちあって、ジュリーの新譜『un democratic love』全4曲のそれぞれが起こした採譜をつき合わせての研究会でした。
今年の2人の採譜はおおむね一致していました。「un democratic love」の間奏で1箇所だけ違っていた部分もあったり(2小節目のコードが僕は「F#m7」で、YOKO君は「A♭」)しましたが・・・。

また、それぞれの曲について「これ、あの曲に似てるよねぇ」という感想が2人てんでバラバラで、なかなか面白かったです。
例えば・・・「un democratic love」を、僕はビリー・ジョエルの「マイアミ2017」だと言い、YOKO君はレッド・ツェッペリンの「サンキュー」だと言う。
「福幸よ」のイントロを、僕は「どん底」だと言い、YOKO君はブラック・サバスだと言う。
「犀か象」の「Em→A」の箇所を、僕はポール・マッカートニーの「アンクル・アルバート」だと言い、YOKO君はジョン・レノンの「夢の夢」だと言う。
こうした「意外に異なる引き出しの感覚」を話し合えるのが楽しいんですよね。

でも、楽しい話ばかりをしたわけではありません。
ジュリーの詞のテーマのこと(YOKO君は「復興」の現状から「暗黒」をイメージして、柴山さんの「福幸よ」のイントロにサバスを見たらしいです)だったり、先日突然天国へと旅立ってしまったプリンスのことだったり。
YOKO君は僕よりもプリンスを枚数多く聴いていて(「それでも30枚くらいだよ」と謙遜してましたが)、僕の未聴のアルバムでお勧めの作品を教えて貰ったりとか。まず彼が挙げたのは『ヒット・アンド・ラン・フェイズツー』。全然聴いたことないなぁ。「『ワン』の方はいまひとつだったんだけどね」という話にもついていけなくて・・・勉強せねば、と思った次第でした。

そして何より熊本、九州の震災の話です。
YOKO君もやっぱり、何かモヤモヤした感情や焦燥感を抱えながらニュースを見ているようです。

遠い地にいる僕らができることなんて、今は本当に分からなくて・・・ただただ、被災地のみなさまに1日も早く平穏な日々が戻りますように、とお祈りしながら、僕はブログの更新頻度を上げることを頑張っていきます。
今日は、82年のアルバム『A WONDERFUL TIME.』から、佐野元春さん提供の名曲「WHY OH WHY」を採り上げます。できるだけタイトな文量で、でも中身は濃厚にと心がけつつ・・・伝授です!


アルバム『A WONDERFUL TIME.』『NON POLICY』のエキゾティクス期の2枚は僕にとって「大好きになるまでに時間がかかった」名盤です。
(「苦手」と仰る先輩が多い同時期のアルバム『女たちよ』の方が堕ちるのは早かったくらい)。
『A WONDERFUL TIME.』の購入は”DYNAMITE第一次ジュリー堕ち期”で、ジュリーのポリドール期の作品の中でも比較的早く手にしたアルバムだったんですけど、ヒヨッコ新規ファンの勝手なイメージからか、前作アルバム『S/T/R/I/P/P/E/R』のようなバリバリの洋楽直系の音作りを期待していて。いざ聴いてみると「あれっ、これはいわゆる日本の”シティ・サウンド”ってやつじゃないか?」と戸惑ってしまったのでした。
しかし『NON POLICY』も合わせてこの2枚、実はそれだからこそ良い、それだからこそジュリー・ヴォーカルの突出した魅力が味わえる名盤なのですね。
今ではもうクセになる度が高いと言うのか、聴くたびに好きになっていきます。

そんな中、「”おまえにチェック・イン”」は別格として、「PAPER DREAM」「A WONDERFUL
TIME」「パフューム」と並んで「最初から好きになっていた」数曲のひとつが「WHY OH WHY」でした。
僕の場合は佐野元春さんの提供作品、ということがまず大きかったと思います。
「彼女はデリケート」「I'M IN
BLUE」「THE VANITY FACTORY」「BYE BYE HANDY LOVE」と違い、「佐野さんのヴァージョンで既に曲自体は知っている」パターンではなく、まったく初めて聴く佐野さんの曲、というのがまた新鮮でしたしね(『NON POLICY』収録の「すべてはこの夜に」についても同じことが言えます)。

ただ、この曲には僕が長い間知らずにいた逸話もあったんですねぇ。今日は最初にそのお話から。

僕はジュリーファンになるのは遅れたけれど、『ザ・ベストテン』全盛期ドンピシャの世代ですから、テレビで活躍するジュリーの記憶は鮮明に残っています。
70年代末から80年代前半にかけて活躍された他の歌手やバンドも同様で、その中のおひとりに、松田聖子さんがいます。
特にファンというわけではありませんでしたが、彼女のポップ・センス溢れるシングル曲には好きなものが多く、今でも何処かで曲が流れているのを耳にすると「おっ」と反応してしまいます。

強烈に印象に残っているのが「ハートのイヤリング」。
高校生時代にバンド仲間と競うようにして聴いていた佐野元春さんが、聖子さんのシングルを作曲していると知った時は驚き、「こんなふうに佐野さんのメロディーを力みなく歌えてしまうんだ」と、聖子さんの歌唱力にも驚嘆させられたものです。
突っ込んで調べたりはしていませんでしたから、佐野さん提供の聖子さんの曲はこの1曲限りなんだろう、と長い間思い込んでいました。
それが昨年秋keinatumeg様が書かれた、アルバム『A WONDERFUL TIME.』の御記事を拝見し、「今夜はソフィストケート」という佐野さんの提供曲の存在を知りました。何と、ジュリーの「WHY
OH WHY」と途中までメロディーが同じだというではないですか!

調べてみますと、「今夜はソフィストケート」はシングル「ハートのイヤリング」と同時期の作品で、同じアルバムに収録されている模様。一気に興味そそられた僕は、昨年の暮れだったか今年の初めだったか・・・聖子さんのアルバム『Windy Shadow』を購入していたのでした。

アルバムの感想は・・・予想以上に良かったです。
お目当ては「今夜はソフィストケート」でしたが、「ハートのイヤリング」含めた佐野さんの作品2曲以外にも、杉真理さんが提供した「Dancing Café」(アレンジは船山基紀さん!)をはじめとする他収録曲についてはもちろんのこと、ヴォーカルや演奏、アレンジ、ミックスに至るまで非常にクオリティーが高く作り込みも丁寧で、80年代ポップスの名盤と言って良いと思いました。
ヒット・シングルはもう1曲、細野晴臣さん作曲の「ピンクのモーツァルト」が収録されています。

アルバム3曲目に収録されているのが「今夜はソフィストケート」。まったく初めて聴きましたが・・・。
おおぉ、本当だ!
まぎれもなく「WHY OH WHY」ですねこれは。
ギタリストのクレジットにあったのが、前回記事で少し触れた松原正樹さん。やっぱり素敵な音です。

『Windy Shadow』のリリースは84年ですから、佐野さんの作曲アイデア、作業はジュリー82年のアルバム『A
WONDERFUL TIME.』の際に先に固められていた、と考えるのが自然です。
しかし聖子さんへの提供は決して「過去の作品の焼き直し」などではなく、性別もファン層も異なる2人の歌手に対して、「1つの作品」の手管を変え解釈を異として提示した、いかにも佐野さんらしいポップ・クリエイター独特の冒険心によるものだったと推測できます。
ではこの2曲、どのように違っているかについて探ってみましょう。

まずはキーです。
ジュリーの「WHY
OH WHY」はヘ長調で、聖子さんの「今夜はソフィストケート」は変イ長調。なるほど、これを参考にするなら、今後カラオケで女性歌手の曲を歌う時はリモコンの「♭」ボタンを3つ押せば、だいたい男声に合うことになるのかな。
いつも音楽仲間でカラオケに行った時は必ず〆がYOKO君の「喝采」(ちあきなおみさん)というのが恒例なのですが、その度にYOKO君、「瀬戸口さん、キー下げて下げて!」と言ってくるので、次回はこのパターンで事前に準備しておくことにしますか。

あとはサビです。ここはメロディーだけでなくコード進行もまったく違います。
「WHY OH WHY」はグッと抑え気味の渋い進行で、Aメロの雰囲気をそのまま踏襲している感じであるのに対し、「今夜はソフィストケート」の方はここでいきなりキュートなポップスの王道進行へと一変します。
いずれも素敵なメロディーですが、ジュリー・ナンバーとしてしっくり来るのは当然ながら「WHY OH WHY」の方でしょう。佐野さん、そのあたりはキッチリ区別してきていますね。

それではここからは、ジュリーの「WHY OH WHY」について詳しく掘り下げていくことにしましょう。

数年前に、ヤマハさんからかつて『A WONDERFUL TIME.』のアルバム・マッチング・エレクトーン・スコアが発売されていたことを知った僕は、先輩が見つけてくださったネット・オークションのページを日々チェックし続けていましたが、貴重な古書の特別価格設定はとても僕がホイホイと購入できるようなものではなく・・・指をくわえて眺めているしかありませんでした。
ところが、昨年末に執筆した「WE BEGAN TO START」の記事をたまたまヒットさせてくださった同い年の男性ジュリーファンのかたがコンタクトをくださり、遂にそのスコアを見せて頂くことが叶ったのです。
もちろん彼は業者さんなどではなく純粋にジュリーファンとして何冊もの貴重なスコアをお持ちで、同い年の男性というだけでも嬉しいのに、コピー頂いたスコアの書き込みなどを拝見しても「おぉ、同志よ!」という感じで、本当に得難いご縁だと思っています。

『A WONDERFUL
TIME.』収録曲の中、自力の採譜に自信が持てず、是非スコアを見てみたかった曲は「PAPER DREAM」とこの「WHY OH WHY」の2曲でした。


Whyohwhy

僕の勤務先含め、様々なジャンルのエレクトーン・スコアはいくつかの出版社から発行があるにはあるんですけど、これだけは絶対にヤマハさんには敵わないんです。何故って、「エレクトーン」という楽器自体がそもそもヤマハさんのものなのですから。
例えば上に画像添付した「WHY OH WHY」のスコアの1ページ目。冒頭に演奏解説があるじゃないですか。そこで「トロンボーンかホルン」というプリセットの音色推奨などは、ヤマハさんにしかできないことです。
ただその解説を手持ちのシンセサイザーに応用することは当然可能で、イントロのフレーズはトロンボーンの音色なら高めの、ホルンなら低めの鍵で演奏すれば良さそうですね。

おそらく佐野さんはこの曲をピアノで作曲しています。そうすると、佐野さん得意のジャジーなテンション・コードが要所に採り入れられて、僕にはその点が自力の採譜では厳しかったわけです。
ヤマハさんのスコアはその答を見つけるには充分過ぎるほどの、素晴らしい採譜でした。
勉強させて頂いたのは、次の2箇所。

夏の夜に 恋のストロボたいてみせた ♪
   Fmaj7    F#dim         Gm     Gmmaj7

の「F#dim」と

Why oh Why? Baby Why oh why? Baby ♪
Cdim    Gm       C7              Am       D7

の「Cdim」。
これ、僕はどちらも「D7」で仮起こし作業していました。甘かったなぁ・・・本当に勉強になりました。

エキゾティクスの演奏では、まず西平さんの多彩な音色のバランスに耳を惹かれます。
イントロの「ミファミドラ、ミファミドラ♪」という追っかけのメロディーなどは、前作『S/T/R/I/P/P/E/R』であればギター・パートの役割だったはず。アレンジの銀次さんとアイデアを出し合ったのでしょうね。

また間奏のギターも刺激的な、正に80年代という特徴的な音です。ロックにおけるサスティン重視の歪み系の音色は、この頃こんな感じの音で確立されました。
今ではMTRのプリセット・エフェクトでまったく同じ音を誰でも出すことができますが、そのくらいロックの基本となった音が、この時代に最先端だったのですね。
初めて聴いた時に僕は、ポール・マッカートニーとマイケル・ジャクソンのデュエット・ナンバー「ザ・マン」のギターを思い出したものですが、「WHY OH WHY」の方がリリースが先です(「ザ・マン」は83年)。
ちなみに、この音にさらに空間系のエフェクトを重ねるなどして太くすると、「三年想いよ」での柴山さんのソロの音になります。


忘れてはならないのが建さんのベース。
この曲、もしベースが普通にエイト弾いてるだけだと相当間延びしますよ。でも建さんは絶対にそんなふうには弾きません。「ちゃららっ♪」とヤンチャに跳ね飛んでいる箇所もあります。みなさん探してみて!

佐野さんの詞は難解です。初めは「恋人との別れ」を嘆く歌かと思いましたが、どうやらそんなに単純なシチェーションではなさそう。サビ部の

ひとり占めが オレのやり 方さ ♪
        Gm          C7   Am   D7-9

の唐突な感じとかね。
佐野さんの作品には「自分自身を問い詰める」タイプの詞も多いですから、タイトルの「WHY OH WHY」にはそんな意味もあるのかなぁ。

考えてみますと・・・佐野さんのオリジナル作品の詞は、84年の『VISITORS』から劇的に変化しますが、「WHY OH WHY」にはひと足早い変化の予兆も見えるように思えます。佐野さんがこうした疑問、突き詰めた思いを抱えつつニューヨークに渡り、その地で覚醒した作詞スタイルが『VISITORS』で開花したとすれば、「WHY OH WHY」は「SUNDAY MORNING BLUE」(『VISITORS』の中で個人的には一番好きなナンバー)のような作品の序章でもあったのかぁ、と。

佐野さんは84年頃「クールなものが好きだな」と雑誌のインタビューで語っていました。でも、それはあくまで自分にとっての「クール」である、と。
例えばスタイル・カウンシルのセカンド・アルバムのジャケットについて、「彼等にとってのクールなんだと思うけど、僕のクールとはちょっと違う」といったことも。
まぁこれは当時、佐野さんの「ヤング・ブラッズ」とスタイル・カウンシルの「シャウト・トゥ・ザ・トップ」が似ている、と巷で話題になったりしたのを受けての佐野さん一流のリップサービスだと思うけど、佐野さんの「クール」は確かにスタカンより全然熱いような気がしていました。
そしてそれはアルバム『A WONDERFUL TIME.』でのジュリー・ヴォーカルにもそのまま言えると思うのです。一見クールな”シティ・サウンド”なんだけどちょっと待った、歌は相当熱いぞ、というね。

「WHY OH WHY」は、シャウトの連発が身上の「STOP WEDDING BELL」と、情熱迸る「A WONDERFUL TIME」の両ナンバーに挟まれている収録配置で、ヴォーカルのアクセントが効いていますね。
「baby」が「babe」に近い発音になっているのは、ジュリーが佐野さんの仮ヴォーカルを参考にしているんじゃないかな。佐野さんは「babe」という発音の載せ方が好きなんですよ。ファースト・アルバムに「さよならベイブ」って曲があるくらいですから。

最後に。
佐野さんのジュリーへの提供曲で僕がまだ生のLIVEで体感できていないのは、「BYE BYE
HANDY LOVE」とこの「WHY OH WHY」の2曲です。
果たして今後どうでしょう。どちらかと言うと「BYE BYE HANDY LOVE」の方が可能性は高いかなぁ。
「WHY OH WHY」は『A WONDERFUL TIME.』ツアー移行に歌われたことはあったんでしたっけ?
僕は本当に、そういうことがまだ全然頭に入ってなくてね・・・だから毎回ツアーのセトリ予想がトンチンカンなことになるんだと思います。でもそのぶん、先輩方に教えて頂く楽しみもまだまだたくさん残っている!と思うとワクワクします。
「伝授!」などと言いつつ実は僕自身が教えを乞うている、という毎度のパターンは、これからも続いていきそうですね・・・。


それでは、オマケです!
福岡の先輩からお預かりしている『ヤング』バックナンバーから、ジュリー表紙の82年7月号です~。


820701

820702

820703

820704

820705

820707

820708

それでは次回更新は、74年のアルバム『愛の逃亡者/THE FUGITIVE』から、1番好きなナンバーを採り上げたいと思います。
今ではジュリーの全アルバムの中で10本の指に入ろうかというほど大好きになっている1枚なのに、収録曲中まだ2曲しか記事に書けていないという・・・これからスパートをかけていきたいです。

今日は結局、かなりの長文になってしまいました。
次回はもう少しタイトに・・・大好きな曲をお題にガンガン更新するシリーズ、引き続き頑張ります!

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2016年4月23日 (土)

沢田研二 「君をいま抱かせてくれ」

from『HELLO』、1994

Hello

1. HELLO
2. DON'T TOUCH
3. IN BED
4. YOKOHAMA BAY BLUES
5. 卑怯者
6. RAW
7. ダーツ
8. Shangri-la
9. 君をいま抱かせてくれ
10. 溢れる涙

--------------------

音楽劇『悪名』も福岡公演が始まり、座長から被災地へのメッセージも届けられたとか。
素晴らしいステージが続くことと、被災され今回の公演に参加できなかったジュリーファンのみなさまが一刻も早く平穏な生活を取り戻されますよう、お祈り申し上げます。


最近は音楽界で僕が特に好きだったビッグネームの訃報が相次ぎ、さすがに参ってしまいます。
今年に入ってからも、まだ4月だというのに・・・デヴィッド・ボウイ、ジョージ・マーティーン、キース・エマーソン、そして今度はプリンス。
10代、20代の頃に憧れた音楽人の訃報というのは、やっぱりショックですよ・・・。

プリンスについては、僕は『1999』から『サイン・オブ・ザ・タイムス』までが圧倒的に好きです。
一番好きなアルバムは『パレード』。アレンジフェチにはたまらない大名盤です。ついこの間も音楽仲間と飲んだ時、プリンスのどのアルバムが好きかで盛り上がり、『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』を推す奴、『パープル・レイン』を推す奴、と様々でした。
詞、曲、アレンジ、演奏すべてにおいて天才でした。57才での旅立ちはあまりに早過ぎます・・・。

また日本でも、今年2月に1人の偉大なギタリストが天国へと旅立たれたばかり・・・今日は、そんなお話を交えながらの更新です。

前回の予告通り、今日から”大好きなジュリー・ナンバーをお題に、文量短めでガンガン更新するシリーズ”を開始いたします。
僕の場合は「文量短め」というのが難関ですが(汗)、シリーズ長期継続のためできるだけタイトに、と心がけます。そのため、「思いあまって言葉足らず」な面も出てくるでしょう。そこは、みなさまから頂くコメントが頼りです。どうぞよろしくお願い申し上げます。
今の大変な状況の中で、僕にはこんなことくらいしかできることが思いつかないけど・・・なんとか「週に2本」くらいの更新ペースで頑張っていきます!

今日お題に採り上げるのは、アルバム『HELLO』から「君をいま抱かせてくれ」。
これは、今年の2月に「新譜の考察が終わったら書こう」と考えていた曲です。ジュリーLIVE・セットリストの常連曲と言って良いですよね?ジュリーお気に入りの名曲、今後も生で体感する機会は何度もあるでしょう。
では枕もそこそこに・・・伝授です!


個人的にはアルバム『HELLO』の中では「Shangri-la」が一番好きですが、「その次は?」と尋ねられたら真っ先にタイトルが挙がる数曲のうちのひとつです。
「君をいま抱かせてくれ」の場合は、『ジュリー祭り』で歌われた曲、というのが僕にとっては大きい。
あの6時間半に渡るステージも終わりに近づき
「もう残りのセットリストは大ヒット曲連発で最後まで押し通すに違いない!」
と勝手に思っていたヒヨッコDYNAMITE(&YOKO君)を再び置いてきぼりにしてしまった名曲。
新規ファンの間で「ポカン曲」なる造語を生んだ(?)、重要な『ジュリー祭り』セトリの1曲です。

「ポカン曲」には「今後の生LIVEでのリベンジを誓う」という意味もついてきます。「君をいま抱かせてくれ」はその後無事にリベンジの機会が訪れましたが、僕がこれまでLIVE体感したこの曲はいずれもセットリスト後半ヤマ場の配置でした。
ですから僕の中でこの曲は、汗ほとばしるジュリーのイメージが強いんです。
ステージ後半になればなるほど、声もよく出てきて身体もキレッキレになるのがジュリーのLIVE。「君をいま抱かせてくれ」は、その象徴のような感じですね。

アルバム『HELLO』の中では、「YOKOHAMA BAY BLUES」「溢れる涙」、そしてこの「君をいま抱かせてくれ」の3曲が特にジュリー自身のお気に入りのようです。
「君をいま抱かせてくれ」については、どのあたりがジュリーの好みなのでしょうか。

のちに白井良明さんがジュリーの音楽嗜好について「沢田さんはギターが好き」と語ってくれていますが、実は『HELLO』直前の吉田建さんプロデュース期って、もちろんギターもガンガン鳴っている一方で、シンセサイザーが目立つアレンジが多いんですよね。
各種ギターやパーカスも含めて、色んな音が緻密に組み合わされたアレンジは僕はとても好みだけれど、ジュリーはもっとシンプルな作りが好きなんじゃないかなぁ、と最近になって思えてきました。

『HELLO』の後藤さんのアレンジはその点直球と言うか、一歩間違えれば90年代アイドルのシングルのような音作りになってしまうそのスレスレのところで「ロックしている」緊張感が持ち味だと思います。
各曲ごとに押し出す音やリズムを決めて、ジュリーのヴォーカル以外にもうひとつ「主役」を作っている感じかな。ベーシストとして参加している後藤さん自身の演奏は縁の下の力持ちに徹している、というのがまた興味深い点ですが・・・。

さて、みなさまはこれまで、松原正樹さんというギタリストの名前を意識したことはあったでしょうか?

松原さんは、音楽に興味のある人ならば
「たとえその名前は知らなくとも、そのギターの音は誰しも一度は必ず聴いたことがある」
と断言しても良いほどの人。
膨大な数の楽曲でレコーディングに参加し、日本のロック&ポップス、歌謡界に長く太く貢献し続けてこられた偉大なギタリストです。
例えば、こちらの御記事で紹介されているタイトルは、みなさまもご存知の曲ばかりでしょう。山口百恵さんの「さよならの向こう側」、キャンディーズの「微笑みがえし」、さだまさしさんの「案山子」、荒井由美さんの「中央フリーウェイ」、松田聖子さんの「渚のバルコニー」、中森明菜さんの「北ウイング」・・・それでもこれらは、松原さんが演奏した楽曲の、ほんのほんの一部です。

『HELLO』というアルバムは、ジュリーの50年にも及ぶレコーディング作品のキャリアの中、ただ1枚限りの参加となる素晴らしいミュージシャンが2人も集結した名盤として、もっと語られてよいと思います。
そのミュージシャンこそ、ドラムスの湊雅史さん、そしてギターの松原さんなのです。
残念ながら今年2月に天国へと旅立たれた松原さん。訃報を受け僕は、近々に「君をいま抱かせてくれ」の記事を書こう、と決めていたのでした。

アルバムの中で「湊さんのドラムスならこの曲!」と言えるのが「Shangri-la」とすれば、「松原さんのギターならこの曲!」なのが「君をいま抱かせてくれ」です。
まず、ピッキング・ハーモニックス奏法がカッコ良過ぎます。これは、弦に爪を触れるか触れないか、のタイミングのコンマ1秒直後にピックを当てた「カキ~ン♪」みたいな音色を、繋がったフレーズの任意の箇所に一瞬だけ織り交ぜるという技で、ギター歴30余年の僕はまだこの奏法を完全マスターできません(3回に1回くらいの成功率・・・涙)。

松原さんの大胆にしてきめ細かい完璧なフレージングは、湊さんはじめ周囲の演奏陣のテンションを察知して導き出されたものでしょう。
正にレコーディング現場を知り尽くした職人、匠の技なのです。それが3つのギター・トラックそれぞれに絶妙なバランスで配されています。
例えば、0’54”あたりで左サイドのトラックで鳴っている細かいオブリガートなんて、意識しないとなかなか気づけない音ではあるんだけど、結果この音があってこその「君をいま抱かせてくれ」になっているわけで、当然鉄人バンドの演奏にも踏襲されていました。
また、間奏のギター・ソロ部には転調もあるんですけど、信じられないくらいにフレーズの繋がりに引っかかりが無く、あれだけ速弾きしているのにゆったりと舞っているように聴こえます。

そこへ、代名詞のガッチガチなセメント・チューニングで攻めまくる湊さんのドラムス、ブンブン唸る後藤さんのベース、間隙をポップに突いてくる田原音彦さんのピアノが噛んできて・・・いやこれはジュリー史上でも屈指のレコーディング・トラックではないでしょうか。

このように、ジュリーはおそらくこの曲の「レコーディング時点からの演奏のテンションの高さ」が大好きだったんじゃないかと想像するんですよ。「こりゃLIVE向きだ!」という制作段階からの確信ですね。
この曲をステージで歌うジュリーは、”おいっちに体操”と”両拳同時突き出し”を組み合わせたアクションで、本当に楽しそうに暴れ回ります。これはリリース当時からそんなステージングだったのではないですか?

さらに、ジュリーがこの曲を好きな理由には「自身の作曲への手応え」も挙げられるでしょう。
実はこの曲のAメロ冒頭のコード進行は、ずっと以前からジュリーが試み続けてきたパターンの集大成と言えます。トニックで始まった次のコードがいきなり1音上がりのメジャー、というね。
ビートルズの「ユー・ウォント・シー・ミー」やストーンズの「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」などに始まって、今では胸キュンポップの隠し味として使われるコード進行なんですが、ジュリーの場合は「自分がステージで身体を動かすことを想定したロック・ナンバー」としてこの進行を採り入れることに意義があるようです。

陽が沈むテラスで ♪
C             D

和音としては「ド・ミ・ソ」→「レ・ファ#・ラ」の移動。「ファ」に臨時の「#」が付くのがポイントで、これが「ド・ミ・ソ」→「レ・ファ・ラ」(C→Dm」)だと王道中の王道なんですが、ジュリーはいわゆる「王道」の進行を、自身ではほとんど使わない作曲家なんですよね。

「君をいま抱かせてくれ」以前のジュリー作曲作品でこのパターンの例を挙げますと

可愛いい そんなお前を ♪
C                      D

(「お前は魔法使い」)

寒いくらいにエアコンきかして ♪
C                                    D
(「ZOKKON」)

20年振り 手紙が届いたから ♪
C                               D
(「青春藪ん中」)


註:この3曲はいずれもホ長調ですが、分かり易く「君をいま抱かせてくれ」と同じハ長調に移調してコード表記しています。

どれもAメロ冒頭から、というのが共通していて、ジュリー作曲の十八番進行と言って良さそうです。
「君をいま抱かせてくれ」はその中でも「一番のデキや!」という自信があるんじゃないかなぁ。
まぁ「青春藪ん中」は厳しいかもしれないけど、「お前は魔法使い」「ZOKKON」の2曲もこの先のLIVEで一度は聴けるんじゃないかと期待しているのですが。

比較で挙げた3曲は「作詞・作曲・ジュリー」でしたが、「君をいま抱かせてくれ」では、ジュリーの作ったメロディーに松井五郎さんが詞を載せています。これがまたジュリー好みの詞なのではないか、と。
特に

数だけで女を語るような
A♭    B♭     E♭     Cm

さみしい男でいたくないから ♪
A♭      B♭    E♭         G7

「曲の数だけでジュリーを語っている」ようなスタイルの拙ブログとしては、強烈に突き刺さる歌詞(笑)。
ジュリーもきっとここが気に入ってるんじゃないかなぁ。
ちなみにジュリーの作曲は、この箇所でハ長調から変ホ長調に転調しています。

最後に、蛇足のお話になりますが・・・
アルバム『HELLO』の歌詞カードはおそらくジュリーの全CDの中でも特に老眼にはキツい装丁ですよね。『TOKIO』とこのアルバムが双璧でしょう。
今年の12月にいよいよ50代へと突入する僕は、同じ年齢の頃のジュリー同様に、目の急速な老化に直面しているところです。
仕事していてもね、この数字は「6」なんだか「8」なんだか、と手を止めてしまうことがしばしば(涙)。

で、『HELLO』歌詞カードのページの中でも一番読み辛いのが、この「君をいま抱かせてくれ」の演奏クレジット部なんですよ。まったく見えません(泣)。
薄いピンクに水色のフォント、しかも文字が小さい!

この曲のギターが松原さん、ドラムスが湊さん、キーボードが田原さん・・・というのは、隣ページ「溢れる涙」のクレジット(ココは辛うじてまだ読める)の「ひとつひとつのスペルの雰囲気」を見比べながら(笑)確認しなければなりませんでした。
「昨年再発されたCDの歌詞カードも、同じデザインなのかな?」と気になっております。
購入されたかた、ご伝授くださいませ~。


それでは、オマケです!
以前執筆した「溢れる涙」の記事でご紹介させて頂いたオマケ・・・『HELLO』ツアー・パンフレットのカレンダー・ショットを追加で3枚どうぞ~。

Hello02

Hello0304

Hello1011


『HELLO』はジュリーの全作品群の中で決して目立ってはいませんが、特色の多い名盤です。
僕は『ジュリー祭り』の余韻醒めやらぬ状態でLIVEレポートを書き、先輩方からのコメントがとても嬉しくそれがきっかけでここは「じゅり風呂」となったんですけど、その時は(今思えば無謀にも)「セットリスト各曲について何かひと言でも書く」と自分に課し、懸命に未知のナンバーについてネットで調べたものでした。
wiki以外に、曲名で検索してヒットしたサイト様にもお邪魔したりしまして、世の中にこんなにジュリーのことをネットで書いていらっしゃるファンがいらしたのか、と思いつつ訪ねた先で、もうどちら様だったのか覚えていないんですけど、アルバム『HELLO』を絶賛されているサイト様に出逢いました。その文章に惹かれてCDを購入しようと探したものの、どこも廃盤扱いで。

結局ひと月ほど経ってから僕は有難いことにMママ様の「保存用」の1枚を譲って頂く僥倖に恵まれたわけですが、新規ファンにとっておそらくEMI期のアルバムの中『HELLO』は『架空のオペラ』に次ぐ「入手困難」状態が続いていたと思います。
再発が叶った今はもう普通に購入できるようになりました。お題曲の収録アルバムを「是非」とお勧めできる状況というのは、本当に嬉しいものです。

それにしても、今回「君をいま抱かせてくれ」を採り上げて改めて思ったこと・・・『ジュリー祭り』のセットリストというだけで「特別な曲」と感じるのは、僕の本格ジュリー堕ちの経緯による特殊なものなのか、それとも長いファンのみなさまにも共通の感覚なのでしょうか。

「ジュリー70越えまでに『ジュリー祭り』セットリスト全曲を記事にする」というのが拙ブログ当面の最大目標ですが、もうあと2年ちょっとでその時が来ます。
年に5、6曲の執筆ノルマでクリアできるところまでこぎつけていて、今年は今のところ「カサブランカ・ダンディ」と今日の「君をいま抱かせてくれ」の2曲を書きました。
『un democratic love』全国ツアーに向けて7月からの執筆を予定している”恒例・全然当たらないセットリスト予想”シリーズで、2、3曲は採り上げなければ。

そのジュリーのツアーが始まるまでの間・・・ラストスパートのセトリ予想も含め
『PRAY FOR JAPAN』
『PRAY FOR KYUSYU』
そして
『PRAY FOR KUMAMOTO』
を胸に、このくらいのペースでの更新が続けられるよう頑張っていきたいと思っています。

それでは次回更新は・・・。
実はDYNAMITE、49才にして初めて、松田聖子さんのアルバムを購入しました。そのアルバムに、ちょっとジュリー絡みで興味を持った曲が収録されていたものですから。
聖子さんのアルバム収録曲との比較考察・・・というヒントで、次のお題のジュリー・ナンバーが分かった人はいらっしゃるかな?
エキゾティクス時代の名曲です。お楽しみに!

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2016年4月20日 (水)

ザ・ワイルドワンズ 「Yes, We Can Do It」

『All Of My Life~40th Anniversary Best』収録
original released on 調査中(汗)


Wildones

disc-1
1. 想い出の渚
2. 夕陽と共に
3. ユア・ベイビー
4. あの人
5. 貝殻の夏
6. 青空のある限り
7. 幸せの道
8. あの雲といっしょに
9. 可愛い恋人
10. ジャスト・ワン・モア・タイム
11. トライ・アゲイン
12. 風よつたえて
13. バラの恋人
14. 青い果実
15. 赤い靴のマリア
16. 花のヤング・タウン
17. 小さな倖せ
18. 想い出は心の友
19. 愛するアニタ
20. 美しすぎた夏
21. 夏のアイドル
22. セシリア
23. あの頃
disc-2
1. 白い水平線
2. 涙色のイヤリング
3. Welcome to my boat
4. ロング・ボード Jive
5. 夏が来るたび
6. ワン・モア・ラブ
7. 想い出の渚 ’91
8. 追憶のlove letter
9. 星の恋人たち
10. ハート燃えて 愛になれ
11. 幸せのドアー
12. 黄昏れが海を染めても
13. Yes, We Can Do It
14. あなたのいる空
15. 愛することから始めよう
16. 懐かしきラヴソング
17. 夢をつかもう

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大変な震災がまた起こってしまいました。
ちょうど、前回記事を更新したその直後のこと・・・熊本で大きな被害が出て、気象庁が「余震に警戒」、政府が「総理が現状を視察」と言っていた矢先に、誰も予想していなかった「本震」が発生し被害は拡大しました。
自然の脅威を予測するなど、誰にもできなかった・・・。

故郷・鹿児島の隣県である熊本は、何度も訪れたことのある土地で愛着があります。
熊本市内に住む叔母一家は幸い家の損傷だけで済んだようですが、日々伝えられる被害の大きさに絶句し、瓦が剥がれ石垣が崩れた熊本城の映像を見てただ呆然とするしかなく・・・これは他人事などでは絶対にない、僕自身も僕の家族も友人達も、明日のことなど決して分からないのだ、と痛感させられました。

その後も震度5クラスの余震が続いています。
震度5というのは僕もあの3・11にこちらで経験しました。すごく揺れて、電気も止まって、怖かった・・・そんな大きな余震が何度も襲ってくるなんて、今なお現地の方はどれほど怖い思いをされているのか。
被災されて亡くなられた方、行方の分からない方、怪我をされた方、そのご家族、友人、避難生活を余儀なくされている方々には、おかけする言葉すら分かりません。1日も早く平穏な日々が戻ってきますように、とひたすらお祈りするしかありません。

今日は、仕事の最後の移動に立ち寄った駅で、先生に連れられた小学生の男の子2人と女の子2人が並んで募金箱を持ち、義援金を呼びかけていました。
時刻は午後7時半。学校が終わってから、ずっとこうして頑張ってくれているんだね・・・。
知らぬ顔で素通りする人はほとんどいません。僕も募金するのに列に並んだくらいです。皆、「なにかしたい」と思って、でも何をすれば良いのかと悩み考えあぐねて歩いていた道の途中で、今この場にいる・・・そんな人たちなんだろうなぁ。僕も含めて。
今のところは、こういうことを続けるしかないんだ・・・。

もう少し時が経てば、僕らひとりひとりがすべきことはもっと具体的に見えてくるのかもしれませんが・・・今はただ祈るしかなくて、無力感がいっぱいで、僕は今回もやっぱり「こんな時にブログなんて書いていて良いのか」と考え込んでしまいました。
そこで、5年前のことを思い出しました。
あの時僕は長い間悩んで、気遅れして、知らず知らずのうちに卑屈になっていて、そんな中ジュリーファンの先輩方にたくさんのお言葉を頂いたことで
「よし、楽しい発信を続けよう。ただ続けるのではなく、いつもよりも頑張ってそれをやろう」
と奮い立つことができたのでした。

だから今回も、「自分は何の役にも立たない」と委縮して消極的になることはやめよう、と。
今もし被災地で、寝つかれぬ夜を何とかやり過ごしながら、僕のブログを読んで少しでも気が紛れる、と仰るジュリーファンの方がたとえお1人でもいらっしゃるとするなら・・・そういう方がいらっしゃることを願って、今後頑張って更新していきたいと思います。
今はまだネットが気軽にできるような状況でなくても、ふとした時にここを覗きに来てくださって、「こんなに新しい記事がある!」と思って頂けるように。
こういうのは、単なるひとりよがりな考えかもしれない・・・それは分かっているのだけれど。

今日は加瀬さんの命日ということでワイルドワンズの記事を書きますが、次回からは短い文量でも良いから更新頻度をグンと上げて、どんどんジュリーの曲を採り上げていきます。気合入れて頑張ります。


それでは、今日はワイルドワンズです。
ジュリーの新譜『un democratic love』全曲の考察記事をなんとか書き終えた僕は、近づく加瀬さんの命日に思いを馳せながら、ザ・ワイルドワンズの2枚組ベスト盤『All Of My Life~40th Anniversary Best』のdisc-2を今日まで繰り返し聴いていました。

毎年のジュリーの新曲考察は、正直疲労困憊となります(執筆自体が辛いということはありませんが、やはり歌詞を掘り下げていくとどうしても・・・ただ、言うまでもなくこの程度のことは被災地の方々に比べればとるに足らないものです)。そんな状態の心と身体に、心地よく染みわたってくるワイルドワンズの音楽。
本当に癒されます。

このベスト盤のdisc-2は、ワンズのいわゆる「再結成期」(「白い水平線」以降)からのセレクトで、実は2010年のジュリーwithザ・ワイルドワンズの予習段階ではじっくり聴き込む機会も無く(disc-1を重点的に勉強していました)、1枚を通して聴くのも今回が初めて。
そうしてみたら、思いついた時に1曲ずつ聴いてみる、という聴き方と比べて、やっぱり各トラックのインパクトや感動も違ってくるものなんですね。

キラキラと洗練された音は、もしかするとデビュー当時からのワンズファンの先輩方にとっては、最初はとっつきにくかったかもしれません。
でも、柔らかく寛大な(というのもおかしな表現ですけど、それが加瀬さんの曲の個性でもあるんじゃないかな)名曲ばかり。その中で、僕が今回改めて特に大好きになった曲が2曲あります。
「幸せのドアー」と「Yas, We Can Do It」。もちろんどちらも加瀬さんの作曲作品です。

「幸せのドアー」はドンピシャに僕好みの構成で、ワンズとしては珍しい「サイケ風」の進行に、あちらこちらに洋楽オマージュ元が散りばめられていて思わず「ニヤリ」としてしまいます。作詞があのサエキけんぞうさんですから間違い無し!のロック・ナンバー。
一方の「Yes, We Can Do It」はいかにもワイルドワンズ、いかにも加瀬さん、と感じるメロディーなんですが、何とこの曲は作詞も加瀬さんなのです。

「作詞・作曲・加瀬邦彦」と言えばまず思い出すのが「僕達ほとんどいいんじゃあない」。アン・ルイスさんの代表曲「女はそれを我慢できない」もそうです。
でも、数多くはありませんよね。「作曲してたら、歌詞も思いついちゃった」と加瀬さんが笑顔で張り切っている様子を想像してしまいます。
「僕達ほとんどいいんじゃあない」ではジュリーを思って(最早YOKO君の「男同士の歌」説は僕の中で揺るぎないものになっています笑)、「女はそれを我慢できない」ではアンさんをイメージして作詞したと考えますが、それではこの「Yes, We Can Do It」は?
僕は「平和」だと思うんですよ。

今日はこの曲がお題です。
ワイルドワンズの楽曲については知らないことが多すぎるのでとても「伝授!」などとは言えませんが、「大きな時間」を手にした加瀬さんの天国での大活躍を祈りながら、一生懸命書きます。
よろしくおつき合いくださいませ。


本題の前に・・・まだ正式に購入できていませんが、加瀬さんの遺作となった「蒼い月の唄」について少しだけ、この場を借りて触れておきたいと思います。

加瀬さんの書き残していたスコアが見つかり、その曲をワイルドワンズの新曲としてリリース、とのニュースをネットで知り(こちらです)、スコアの写真を見た僕は涙をこらえることができませんでした。
僕は一応スコアが読めますので、もうパッと見た瞬間にね・・・あぁ、加瀬さんだ、加瀬さんらしいコード進行、でも僕の知っているどの加瀬さんの曲とも違う、独特の「深さ」。加瀬さんの人生の深さをそこに見ました。

涙が出たのは、それが「スコア」だったからです。
加瀬さんはもちろん、譜面を書く能力のある人です。でも、「面倒くさがり屋」でもある加瀬さんは、普段の作曲ではギターを弾きながら適当な英語かハミングでメロディーを口ずさみ、それを録音したものをプリプロにかけていて、特に音符付きのスコア表記の作業はしていなかったと思うんです。世の「ギタリストの作曲家」はほとんどそうしていると聞きますし。
しかしこの曲を作った時の加瀬さんは、うまく発声ができない状況にあったと考えられます。
それで、頭に浮かんできたメロディーを1音1音楽器で確かめながら、じっくり丁寧に音符として表していった・・・そんな様子があのスコアからありありと想像できるようで、涙が出てきたんですよ。

発見されたスコアは、「机の引き出しに無造作にしまわれていた」のだそうです。ということは、まだまだ細部を練り直してからプリプロへ、と考えていたのでしょうね。作業途中だったということになります。
昨年の全国ツアー『こっちの水苦いぞ』の何処かの会場のMCで語られたという、「加瀬さんは、もっともっと生きて、ステージに立ちたかったと思います。私はそんなふうに考える人間です」とのジュリーの言葉が思い出されます。このスコアの発見は、ある面ではジュリーのその言葉を証明したのではないでしょうか。

シンプルな形のメロディー譜のスコアって不思議なもので・・・テンポやアレンジの解釈は、作曲者本人でないとハッキリ分からないんです。曲の「純度」「原石」がダイレクトに伝わってくる表記です。
だから今回リリースされた「蒼い月の唄」は、ワイルドワンズのメンバーや、制作に携った人達それぞれが「きっとこうなんだ」と加瀬さんを思って仕上げた曲です。
僕は、「蒼い月の唄」を実際に聴く前に先にスコアを見ましたから、僕の中での個人的な楽曲解釈というのもその時既ににあって・・・それは、ポップなハワイアンっぽいリズムで、12弦ギターのリフが絡んでいて。
加瀬さんがつけていた仮題「ブルームーン」は、普通に考えれば確かに満月ととれるけど、僕はお酒(カクテル)の方を思い浮かべて、「またみんなとグラスを傾けながら仲間達とワイワイやりたいな」・・・そんなメロディーだと感じました。
まぁ僕の解釈は、ジュリーが加瀬さんからの年賀状の返事に書いたという「また一杯やりましょう」という言葉に影響されているのかもしれませんが・・・。

おっと、「少しだけ」と言いながら長々と書いてしまっていますね(汗)。それではこの辺りで、お題曲「Yes, We Can Do It」の話に入りましょう。

間違いなく名曲ですが、ワイルドワンズについて勉強不足の僕には、本当に分からないことが多くて。
ディスコグラフィーを調べたところ、シングルA面曲ではないことが分かりました。でもこの曲自体の記述がまだネットで(You Tubeも)見つけられません。一体いつ頃リリースされた曲なのでしょうか。
『All of My Life~40th Anniversary Best』は、ほぼ年代順の楽曲収録となっているようです。この曲の2つ前に収録されている「幸せのドアー」が2002年のシングルのようですから、その近辺なのかな。

また、加瀬さんが作詞も併せて担当しているのはたまたまなのか、それとも何か特別な企画から生まれた曲なのか・・・それも分かりません。
さらに一番の大きな謎・・・この曲、鳥塚さんがリード・ヴォーカルなんですけど、Aメロ冒頭から女性の美しいハモリが入るんです。コーラスと言うよりはツイン・ヴォーカルのスタイルに近い感じ。この女性がどなたなのかも僕には分かっていません。
もしかすると、この女性ヴォーカリストのために加瀬さんが提供した曲を、ワイルドワンズとしてセルフカバーしたとか・・・?想像は膨らむばかりです。
先達のみなさまの逆伝授をお待ちいたします。

曲は、ト長調の王道進行です。

この地球 に生まれたの は
      Am7   D7     Gmaj7   Em7

素敵な未来を 子供達 に残すために
C    D        G       Am7  D7  G       Em

生かされてきたの
    A7              D7

We can do it 透き通る明日を
           G      Am7      D7

We can do it 夢のある未来を ♪
           G      Am7      D7

「生かされてきたの♪」の「D7」の後に「Daug」を足してみると、「夕なぎ」(「セシリア」)そっくりに変身。
またギター・リフ部(もちろん加瀬さんの12弦エレキ!)は歌メロ本編には登場しないコード進行で作られていて、これが「想い出の渚」と同進行なんです(キーは異なります)。必然、ギターの音階もどことなく「想い出の渚」を思わせます。
つまり、「Yes, We Can Do It」は正に「ワイルドワンズ王道!」の音であると言えます。
そんな中で特異な点とすべきは、やはり加瀬さんの作詞ということになってくるでしょう。

何のために生まれたのと
   Am7    D7     Gmaj7  Em7

心 の耳に 聞いてみたの
C   D     G         Am7    D7

その答は  全てを愛すこと
      G  Em7   A7             D7

We Can Do It 素晴らしい世界を
           G       Am7         D7

We Can Do It 愛のある地球を ♪
           G       Am7      D7

何故生まれてきたのか。何故生きているのか。
それはこの平和な地球の今を受け継ぎ、さらに未来へ引き継いでゆくことなんだ、と加瀬さんはシンプルに伝えてくれているように思います。
こうしてみると、何とワイルドワンズの音にピッタリの詞でしょうか。こんな作品があったんですね・・・。

もし加瀬さんがこの曲を作ったのが2002年近辺とすれば、ジュリーの『忘却の天才』と重なります。
2008年のラジオ特番『ジュリー三昧』でジュリーはアルバム『忘却の天才』について、「この頃から歌詞に”平和”という言葉が増えてくるようになった」と語っていました。豊穣な音楽を幾多生み出した60年代、70年代を先頭で駆け抜けてきた偉大なキャリアを持つアーティストや作詞家、作曲家にとって、2000年代とは「平和への切望」を伝えてゆく、後世に残してゆく、そんな時代となっていたのかもしれません。
「Yes, We Can Do It」は、加瀬さんの屈託の無い上品な音楽人としてのキャリアの中に、確かにそんな想いがあったのだということを証明しています。

いつもお世話になっている先輩が加瀬さんの曲のことを、「行儀の良い曲たち」と仰っていたけど、作詞もそうなんですね。
みなさまも機会がありましたら、加瀬さんが作詞・作曲した平和へのメッセージ・ソング、「Yes. We Can Do It」を是非聴いてみてください。

さて、「Yes, We Can Do It」のようなハートウォームなメロディーには、鳥塚さんの暖かく伸びるヴォーカルが本当によく似合います。
一方、先に「今回特に好きになった」と書いたもう1曲「幸せのドアー」のようなロック色の強い曲は、植田さん独特のハスキー・ヴォーカルが素晴らしい・・・ワイルドワンズは、まったくタイプの異なる2人のリード・
ヴォーカリストを擁しているのが強みです。
考えてみればタイガースはじめ、GSのビッグネームにはそうしたバンドが多いですよね。

僕が現在所有しているワイルドワンズのCDは、ベスト盤『All of My Life~』以外にもう1枚、J先輩にお勧め頂き購入したアルバム『ロマン・ホリディ』があります。
ご存知のかたも多いでしょう・・・このアルバムにはジュリーの作曲作品が2曲収録されています。
穏やかなメロディーのポップチューンである「バカンス事情」は鳥塚さん、情熱のヨーロピアン・ビート・ロックの「Love Island」(なんとなく「A WONDERFUL TIME」に似ています)は植田さん、とヴォーカルそれぞれの持ち味が違って、いずれも素晴らしい曲でした。
この2曲はジュリー作曲ですから「KASE SONGS」ではないけれど、これらも含めまだまだ多くのワイルドワンズ・ナンバーや加瀬さん作曲作品を、これからも毎年この日に採り上げていきたいと思っています。

・・・加瀬さん。
1年が経ちましたね。こちらの世界では、また大きな震災が日本で起こってしまったのです。
「どうしたらよいのか」という僕の悩みなんてたかが知れてるけど、ここ数日の間加瀬さんの作ったワイルドワンズの曲を聴いて癒される思いでした。
夏からのツアーでは、ジュリーは加瀬さんのどの曲を歌ってくれるかな・・・?


さぁ、それでは次回から”ジュリー・ナンバーのお題を短めの文量でガンガン更新するシリーズ”で、様々な時代のジュリーの名曲を採り上げていきます。
こんな時に無理に「明るく明るく」と意識してしまうと、却って被災していない自分の卑屈な心が文章に表れてしまうかもしれませんので、5年前と同じく、とにかく「大好きなジュリー・ナンバー」を選び、「大好き」というワクワク感に正直に書いていくつもりです。

楽曲考察というブログの性質上、さすがに毎日の更新というわけにはいきません。
その更新間隔の間は、みなさまからのコメントが頼りです。どうぞよろしくお願い申し上げます。
『PRAY FOR JAPAN』の気持ちは忘れず、平凡な日常の尊さも忘れず・・・しばらくの間、楽しい記事更新をできる限りのペースで頑張っていきます。

次のお題はもう決めています。
ジュリーのLIVEに参加し続けているファンの方なら、絶対に大好きな曲ですよ。
少しだけお待ちくださいね。

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2016年4月14日 (木)

沢田研二 「Welcome to Hiroshima ~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より

from『un democratic love』、2016

Undemocraticlove

1. un democratic love
2. 福幸よ
3. 犀か象
4. Welcome to Hiroshima
    ~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より


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先週の金曜日は、仕事で外回りの日。
1日暖かい陽気の中、あちらこちらで出逢う桜を楽しむことができました。


160408100401

160408100402

この2枚は会社すぐ近く、新目白通り沿いの神田川。


勤務中の移動の先々の街では、桜だけでなく、スーツ姿のお母さんと真新しい制服を着た子どもが連れ立って歩いている光景に何度も出逢いました。
「あぁ、今日は入学式なんだな~」と、見ているこちらも身が引き締まったのでした。

僕がファンになるずっと前から、ジュリーは「無難な日常」の大切さを歌い続けていたんだなぁ、と思い知らされて・・・僕のような者でも「小難」はしょっちゅうなんだけど、「大難」の無い僕の日常は平和です。
「平和な国に暮らしています」と胸を張って言えます。


さぁ、ジュリー2016年の新譜『un democratic love』全曲考察も、いよいよ締めくくりとなりました。
お題は4曲目収録の「Welcome to Hiroshima ~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より」。
GRACE姉さんの曲に、2014年の広島・平和祈念式での『子ども宣言』・・・広島の小学6年生2人の子ども代表による『平和への誓い』の言葉を載せ、ジュリーが補作詞するというこれまでにない試みによって、日本の未来、世界の平和へ祈りを捧げるべく作られた、永遠不朽のメッセージ・バラードです。

僕は今、今回の新譜の大トリがこの曲で良かった、としみじみ感じているところです。
ここまで3曲・・・「un democratic love」「福幸よ」「犀か象」、と四苦八苦しながらも真剣に向き合って書いてきて良かったなぁ、とも。
そんなすがすがしさを感じている理由は、この4曲目の記事執筆途中に、まるでご褒美のように嬉しい出来事が2つも重なったからです。

そのうちのひとつ。これはもう、みなさまも僕と同じように喜びを噛みしめていらっしゃることでしょう・・・ジュリーからのリストバンドのプレゼントです。
いつもの澤會さんの封筒の中、余計な文言は無くシンプルに『PRAY FOR JAPAN』のリストバンドが、グッズ・インフォメーションと共に封入されていました。

「輪」=「和」。
緑は「平和」の色。

そこに『PRAY FOR EAST JAPAN』の黄色が含まれて黄緑色になった今回のリストバンド。つまり、これひとつで以前の黄色の意も合わせ持つことになりますから、ジュリーは前のリストバンドを持っていないファンのことも気遣ってくれたのかもしれませんね。

今の思いを形にしてファンに届けてくれたジュリーの心遣いが嬉しく、誇らしく・・・同時に、今年の新譜のコンセプトもこれでハッキリしました。何故ジャケットのリストバンドから文字が消えていたのか・・・それは
「聴いて、みんなそれぞれの文字を考えてみて」
というメッセージだったのではないでしょうか。
ファンが新譜を充分聴き込んだ頃合いを計ったかのような、今回の贈り物でした。
ジュリー自身の文字は、『PRAY FOR JAPAN』。
「祈り」について書こうとしていた今日の考察記事。そのタイミングで『PRAY FOR JAPAN』のリストバンドがジュリーから贈られてきて、改めて勇気が沸いてきました。本当に元気が出ました。

もうひとつの「嬉しい出来事」は・・・小さな小さな、それでも僕にとっては奇跡の偶然。
先週金曜日、満開の桜と街ゆく新入生達の姿に刺激を貰って、その夜からとりかかった、この「Welcome to Hiroshima ~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より」考察記事の下書き。
広島の子ども代表の『平和への誓い』が題材とあって、幼い頃に1年ほど住んだ経験のある広島の地へと僕が思いを馳せたのは、ごく自然なことでした。

僕の父親が勤めていた大手製薬会社は転勤が多く、僕は名古屋で生まれると、その後は父の転勤に伴って静岡県清水市、静岡県静岡市、広島市、岡山市と転々と移り住みました。
小学3年生の時に父親の実家・鹿児島の祖母が亡くなり祖父1人が残されたため、父は会社に申し出て、出世と引き換えに鹿児島支店生涯勤務となりそれ以後僕は大学進学で上京するまで鹿児島に住むことになりましたが、それまでは本当に引っ越しばかりで。
そんな中で僕が小学校に入学したのは、ちょうど広島に住んでいた時だったのでした。
僅か数ヶ月で岡山に転校となったので、校舎や通学路の景色などの記憶はほとんどありません。覚えているのは、隣に住んでいた「こうちゃん」という同級生の影響で広島カープのファンになったことくらい。

広島で入学したその小学校の名前を、僕はなんとなく「牛根小学校」と記憶していましたが・・・はたと気づきました。「牛根」というのは鹿児島の大隈半島の土地の名称なんですよ。それをゴッチャにして誤って覚えているんじゃないか、と。
ネットで調べたところ、広島に「牛根小学校」という学校は存在しません。
「もしかすると」と、言いようのない突然の予感に奮えつつ、父親に尋ねてみました。すると、「それは牛根じゃなくて牛田小学校だ」との返事が・・・。
何と僕は1972年春に、あの『平和への誓い』の広島の子ども代表・女の子の田村さんが在籍していた、牛田小学校に入学していたのです!

同時に僕が、敬愛するジュリーファンの大先輩でいらっしゃるsaba様の小学校の後輩であったことも判明しました(ブログを拝見していたので)。
今はsaba様も僕も広島とは全然離れた土地に住んでいますし、普通ならこんな偶然はお互い一生知ることは無かったはず。それが、ジュリーの新曲がきっかけで、信じられないほどの素敵なご縁を知るに至ったという・・・凡庸なる身でこんな奇跡みたいな偶然を実感できる日が来ようとは、僕もそれなりに長く生きてる、ってことなのかなぁ。
早速saba様に「突然ですが実は・・・」とお知らせしましたら、本当にビックリしていらっしゃいました。
僕としては、ただただ「光栄」としか言えず嬉しいばかりのご縁で、今日の記事に取り組むにあたってとても明るい、暖かい気持ちになれたこと、本当に良かったと思っているところです。

思えばここまで3曲、何処か不安な心をも抱えながらの記事執筆となっていたかもしれません。それが、最後の1曲で陽が射したような気がしています。
桜の季節にこの曲に向き合うタイミングとなったささやかな運命に感謝しつつ、ジュリー2016年の新譜『un democratic love』から最後の1曲「Welcome to Hiroshima ~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より」、これから全力で考察してまいります。
よろしくお願い申し上げます。


先日のG7外相会議の『広島宣言』は、本当に意義深いものだったと思います。
アメリカ閣僚の歴史的な献花、他国閣僚も広島を訪れたことで何か感じるものがあったはず。
そして、「核なき世界」へ向けての広島からの発信、その実現をこれからも「世界で唯一にして最後の被曝国」として日本がリードしてゆくと信じたい、そんな世界的機運に期待したい・・・なのに何故今、「日本は核武装すべき」と考える若い政治家が増え、そう考える人達が何故、国のトップである安倍さんの「応援団」なる存在でいられるのか、僕には分かりません。

外交カードとしての核保有?
強い発言力を得るための核武装?

それが世界の常識ならば、日本がそれを変えていかなきゃ、と僕などはそう思う性質なのですよ・・・。

今回ジュリーが詞の題材とした2014年8月6日、子ども宣言『平和への誓い』については、多くのブログ様がYou Tubeの映像をご紹介してくださっているのでみなさまもうご存知かと思いますが、改めてここでもリンクを貼らせて頂きます(
こちら)。
小さな子ども達の言葉が、どんなに偉い(?)大人の政治家の口から発せられる「平和」よりも大きな力で胸に響いてきます。「平和を祈る」って本来こういうことなんだ、と僕らを立ち返らせてくれる・・・そんな力強くピュアな子ども達の言葉です。

ジュリーが歌にしてくれて初めて知った、幼いからこその無垢で純粋な誓い。
それを歌にしてみよう、と思いついたジュリーの感性がまず素晴らしいわけですが・・・驚くべきは、GRACE姉さんの新曲がまるで運命のようにそのジュリーのアイデアを引き寄せていることです。
決してキャッチーとは言えないロック独特の構成に、ここまで無垢、純粋な美しいメロディーを載せることができるGRACE姉さんの不思議な才能。ジュリーやバンドメンバーは唸ったと思いますよ。

今日も前回記事同様に、まずは作曲、メロディーについての考察から始めて、いかにジュリーがそこに言葉を注いでいったのかを考えてみることにしましょう。

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GRACE姉さんの作ったこのメロディーには、『PRAY FOR JAPAN』というジュリーの志が本当によく似合います。

メロディーの最低音は低い「シ」の音で、最高音は高い「ミ」の音。
「キャッチーとは言えない」とは書きましたが、それぞれのヴァースを取り出してみると、この曲は古くからある洋楽ヒット曲などでも使用頻度の高い王道の進行を部分的に擁していることが分かります。


そうした進行に美しいメロディーが載っていると、「どこかで聴いたことがあるような・・・」と感じる場合が多くて、それはこの曲も例外ではありません。
例えばいつもお世話になっている長崎の先輩は「なんとなく”良の悪夢”を思い出す」と仰っていました。
僕は『悪魔のようなあいつ』をまだしっかり鑑賞できていない状況で(2018年6月までには気合入れてDVD全巻制覇する予定)、その先輩に「どんな曲だか分からない~」と言いましたら・・・先輩がお持ちのサントラLPについていたというスコアを見せて頂けました。


Ryounoakumu

何とこれ、大野さんの直筆なんですってね。
サントラ・レコードに収載曲のスコアが普通についてくるなんて、なんと贅沢な時代でしょうか(そう言えば、僕の持っている『太陽にほえろ!』のサントラにもスコアのオマケがありました)。

「良の悪夢」・・・メロディーを追っていくと、なるほど「Welcome to Hiroshima ~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より」の雰囲気、確かに感じられます。

一方、僕が最初にこの曲を聴いた時に思い起こしたのは、ジュリーのファーストアルバム『JULIE』大トリに収録されている「愛の世界のために」。
トニックの1音下のコードを使ったメロディー、或いは「世界」という歌詞フレーズからの連想でしょうか。
あとはAメロ展開部の

語り  合い 話し 合いましょう ♪
F#m7   B      G#m7   C#m

ここは、「愛の世界のために」の「何にもかえがたいやさしさが♪」の箇所と何となく似ています。

また、Aメロ冒頭

平和について これからについて 共に ♪
       E       Emaj7      E7                 A

「ミ・ソ#・シ・ミ」→「ミ・ソ#・シ・レ#」→「ミ・ソ#・シ・レ」と、コードの構成音のひとつが半音ずつ下降していく長調の進行・・・これはみなさまご存知「マイ・ウェイ」、或いは「サムシング」のAメロと同じ理屈です。

さらにアレンジ的なことで言えば、トニック・コード1本でシンプルに、厳かに導入するイントロで、「届かない花々」を連想した人もいらっしゃるかもしれません。

「Welcome to Hiroshima ~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より」の場合は、そんな「何かの曲を思い出す」ような親しみやすいヴァースそれぞれの組み合わせ方・・・全体の構成が変化球なのですね。
僕が最も惹かれているのは、大胆な転調部です。
ホ長調の曲がサビでイ長調に転調し、再びホ長調へと舞い戻ってくる箇所の進行とメロディー。

Welcome to Hiroshima 世界へ ♪
D                               E

被爆地の悲願のPray ♪
D                     E

この時点では(「D」への移動は若干捻った進行ですが)まだホ長調のままです。転調するのは次の

Welcome to Hiroshima Wekcome to
G                              A

世界への真っ直ぐな Appeal ♪
G                            A  B7

ここはイ長調。「拡がり」「飛翔」を感じるスケールの大きな転調です。最後の「A→B7」に載せた「ド#→レ#」のメロディーがまた独特で、ジュリーの迷い無い突き抜けたヴォーカルを引き出しています。
しかも、どうやらこの「ド#→レ#」の部分でこの曲は既にホ長調に舞い戻っているようなのです(「A」がサブ・ドミナント、「B7」がドミナント)。

依知川さんの「犀か象」での転調が一瞬の「居合い」とすれば、GRACE姉さんのこの曲での転調は、拡がっていく「抱擁」の感覚。
サビのホ長調の2行、イ長調の2行それぞれの冒頭に「Welcome to Hiroshima」のフレーズを繰り返し当てたジュリーのセンスが素晴らしいです。
先にリンクさせて頂いた映像で確認できますが、子ども達の「Welcome to Hiroshima」は、いわゆる「日本語的な」発音です。「ウェルカム・トゥ・ヒロシマ」・・・それが良いですし、それで伝わるんですよね。
だからジュリーも無理に英語っぽい発音を避け、子ども達に倣うように発音して歌いたかったのだと思います。結果ジュリーが歌う「Welcome to Hiroshima♪」は、GRACE姉さんの作ったサビの「力を溜める」ようなメロディーにピッタリ嵌っています。

歌メロ最後の

人間を 信  じて ♪
A         C  D     E

「信じて♪」の箇所では「ド・ミ・ソ」→「レ・ファ#・ラ」→「ミ・ソ#・シ」と、和音が2拍間隔で1音ずつせりあがっていきます。曲全体に流れる「拡がってゆく」「抱きしめる」感覚が最も強く感じられる箇所で、歌メロの「結び」にふさわしいですね。

ジュリーは何よりGRACE姉さんの「無垢無心」「純粋」をメロディーに感じたのだと思います。
「2014年の広島の子ども達の言葉を歌にしよう」というアイデア自体はジュリーも新譜制作の前から持っていたとは思いますが、当然「どんな曲でもよい」わけはなく・・・GRACE姉さんの作ったメロディーに、ジュリーが「これがその曲だ!」と思ったのか、それとも最初にGRACE姉さんに『平和への誓い』の話をして、「詞先」に近い作曲作業となったのか、それは僕らファンには分かりません。
ただ、どんなに高度に練り込まれた曲であっても、まず「ピュア」なメロディーでなければあの子ども達の言葉は載せられないと思うんですよ。それを実現させたジュリーとGRACE姉さんは本当に凄いです。

子ども達の『平和への誓い』の言葉の中でジュリーが深く共感したのは、「これからについて」という表現だったんじゃないかなぁ、と僕は思っています。
今「平和」について考えるならば、正に「これから」についても考えなければいけません。あまりに攻撃的な物言いをする人は論外として、たとえ僕とはまったく真逆の考えを持つ人でも、その言葉は「これから」を考えて発せられていると僕は信じ、「たくさんの違う考え」をお互いにしっかりと持ち、話し合っていきたいものです。
実際、友人にそういう人達はたくさんいるんです。彼等の知見から僕が学ぶことも多いですし、彼等も僕の話を聞いてくれます。
恐ろしいのは、「話を聞こうとしない人」。これは、僕自身も気をつけていかなければなりません。

何故今、「安保法制」について世論が真っ二つに割れているのか。僕のような考えの立場から言うと「これ以上はもう歯止めはきかない」ということです。

ザ・タイガースの『ヒューマン・ルネッサンス』収録曲順で言うと今この国は、混迷に揺れる「ただよう小舟」の段階から、安保法制施行によっていつでも「朝に別れのほほえみを」に進んでしまうような態勢となりました。
そこで重大事が起これば、あっという間に「忘れかけた子守唄」に至ります。

安保法制とて、いきなりそのすべての内容が無から生まれたわけではありません。
遡れば、安倍政権は2012年の内閣発足後、2013年には『国家安全保障会議』を発足(武力行使をはじめとする諸例について、首相と閣僚だけで閣議決定することが可能となる。この時点では当然、武力行使とは専守防衛を指していましたが、安倍さんはその先を見ていたようですね)、年末には『特定秘密保護法』も成立。
2014年には『防衛装備移転三原則』(武器開発、輸出を実質上推進するもの)の閣議決定を断行、さらに集団的自衛権行使容認をこれまた閣議決定。これほどの重大案件を閣議決定為し得たのは、前年の『国家安全保障会議』発足あらばこそです。
2015年9月にはご存知の通り安保関連法案が可決成立し、10月には予定通りの『防衛装備庁』(民間企業の武器輸出などを政府が仲介)の発足。
そして2016年、つい先月の3月末に安保関連法が施行となり、法的効力を持つに至りました。

これらはすべて関連があり、繋がってきた法制成立、機関発足の流れです。同様に、今このまま安保法制を野放しにしておけば、さらにこの先そこから繋がった様々な法案が可決してゆくことが予想できます。
まずは「緊急事態法」でしょう。
内閣決議が法律と同等の権限を持つ、というもので、これはもう内容も具体化しています。
じゃあその後は?
反対意見の世論を押さえ込む「言論統制法」が考えられます。実現してしまったら、僕はもうこんな記事は書けなくなりますし、何よりジュリーのコンサートが開催できなくなってしまうかもしれません。
さらに、核兵器の保有を正当化する法制も・・・想像したくもありませんが、その法案名にはとってつけたように「原子力平和利用」なんていう文言が着いてくるのでしょう。これは当然、原発政策とセットになります。

十数年前まで僕は正直、自民党のことをここまで嫌いじゃなかった・・・大下英治さんの「政界三国志」っぽいノンフィクション小説を若い頃夢中になって読んでいましたが、やっぱり自民党を描いた作品が抜群に面白かったんです。
安倍さんのお父さんも魅力的に描かれていて、中曽根裁定による竹下さん、宮沢さんとの総裁指名闘争をめぐるストーリーは特に印象に残っています。
勝利した竹下さんを支えるべく奮闘した若手議員の中には、今は立場が変わった小沢さんもいて、世代が変わり立場も変わり・・・なるほど、かつての自民党内の若い「侍」達は、今はいなくなってしまったのかな。

本音で言えば、僕は部分的には「この点については自民党の方が正論じゃないか」と思う政治課題の議論もあって・・・そうしたことをこの際すべて差し置いてでも今僕が「対自公」の野党を支持するのは、「反戦」「反核」の気持ちだけは絶対に譲れないから。
日本が戦争をしたり、戦争に加担したりする未来は到底受け入れられません。

僕はさっき、この国の「これから」についての最悪のシナリオを想像して書いてしまったけれど、もちろん「平和な国日本」としての「これから」も想像できます。
その実現のためにどうすれば良いか、を考えなければなりません。
かつて、「想像できることは実現できる」と言ったのはジョン・レノンでした。
でも、「想像して、実現へ」の意味では現政権も同じようにしているわけで、僕のような考え方の者はずっと旗色が悪かったのは事実です。想像はしていても、実現をあきらめていたふしがありましたからね・・・。だから僕は、声を上げ始めた若者達に気持ちを立ち返らせてもらって、昨年来頼もしく感じているのでしょう。

「”俺達は戦争はしない”なんて、カッコイイ憲法じゃないか。ジョン・レノンの歌みたいだ」
と言ったのは忌野清志郎さん。
それを安倍さんは「恥ずかしい憲法」とまで言ってしまった・・・僕にはとても支持はできませんよ。

ジュリーの歌は、そんな僕の「感情」とはまた少し違います。むしろ、心を鎮めてくれるような・・・深いところで、心の根っこにピンポイントで届き響いてきます。
それを分からせてくれたのが、ジュリーが題材とした子ども達の『平和への誓い』の言葉でした。ジュリーのピュアな歌声は、「たくさんの違う考えが平和への力になる」という子ども達の言葉そのものです。
僕もどうにか、その境地にまで辿り着きたい・・・。


さて、もちろんこの曲は演奏も素晴らしいですが、ここで熱烈に書いておきたいのはアウトロの柴山さんのリードギター・ソロ。僕はこのソロを最初に聴いた時、どうしようもなく加瀬さんを思い出したんです。
ポイントは2つ。

まず、美しいメロディーをそのままギターの音階で再現していること。ワイルドワンズ・ナンバーでの加瀬さんのソロは、そういうスタイルが多いですしね。

あとは何と言っても音作りです。初めはてっきり12弦ギターだと思いました(みなさまも音源を注意して聴けば、柴山さんがギター・ソロで高い音と低い音を同時に鳴らしていることにお気づきになるでしょう)。
そう言えば僕は、柴山さんのアコギ12弦は知ってるけどエレキの12弦って見たことないぞ、と気がつきまして、しょあ様に「柴山さんのエレキ12弦のモデルって何でしたっけ?」とお尋ねしてみました(僕の『ギター・マガジン』柴山さん掲載号は、現在会社で行方不明になっているのです・・・涙)。
すると「載ってないよ~」とのお返事・・・これはどういうことでしょう。柴山さんが今回の新譜で新たなギターを使用しているのか、それとも完全にオクターバーだけであの音を出しているのか、はたまたユニゾン・パートを高低に分けての2トラックの別録りなのか(でもそれはちょっと考えにくいかな。下山さん不在ではステージ再現ができませんから)。

また、僕はこのソロに柴山さんの2つの魅力を同時に感じています。
ひとつは「凄腕の職人」としてのアレンジ構成力。
下山さんがいなくなって、「ギター・ソロ」にかかる比重はとてつもなく大きくなりました。オクターブ奏法の導入は、バッキング不在のソロ部でバラードの重みを失わないための「音圧」への気配りでしょう。

もうひとつは、バンドマスターとしてのメンバー作曲作品への「音での配慮」です。
近年の柴山さんは特にGRACE姉さんの作曲作品での名演が多く、例えば「PRAY~神の与え賜いし」「三年想いよ」でそれぞれまったく違ったアプローチでソロを弾いています。これはもちろんジュリーの詞に合わせた意もあるでしょうが、何より作曲者の「思い」を受けて弾き方やフレージングを考案しているように思います。
今回は「三年想いよ」と同じ「メロディーをそのまま再現」する手法でした。
ただ、「三年想いよ」がサスティンを効かせたロングトーンだったのに対して「Welcome to Hiroshima ~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より」がオクターブと、「残響音」の表現が全然違うんです。
前者が「悲しみ」、後者は「希望」と、GRACE姉さんが曲に込めた「思い」を柴山さんがそう受け取ったものと考えてみましたが、いかがでしょうか。

個人的にはこの曲の柴山さんのソロは、夏からのツアーで最大の見どころだと思っています。
見たこともない12弦ギターを弾く柴山さんが観られるのか、最先端のオクターバーの威力を味わうことになるのか・・・いずれにしても、これまで僕が見たことも聴いたこともないアプローチの柴山さんの演奏。
2016年、ジュリーだけでなく柴山さんのギターも、まだまだ底知れぬ進化の途上にあるようです。

後註:柴山さんのエレキ12弦、ぴょんた様が発見し映像をキャプチャーしてくださいました。

Friendshiponsongs

NHK『SONGS』放映時の「FRIENDSHIP」です。これは盲点でした。
よく考えてみますと『SONGS』演奏収録時、ジュリーwithザ・ワイルドワンズはまだ下山さんを加えての編成なんですよね。
下山さんが急病でツアーに帯同できなくなり、テレビスタジオ収録とツアーとでは編成が変わっているわけです(「プロフィール」なんかも、『SONGS』では柴山さんアコギ弾いてますからね)。
それにしても、加瀬さんがアコギ12弦、柴山さんがエレキ12弦という組み合わせは貴重過ぎます。何より曲が「FRIENDSHIP」というのが、今の僕の気持ち的には涙もの・・・。
ぴょんた様、ありがとうございました!

ということで・・・オクターバーの可能性もありますが、僕は夏からのツアーの「「Welcome to Hiroshima ~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より」のギター・ソロで、柴山さんは上添付画像のエレキ12弦を弾く、と予想しておきます~。


そして、このギター・ソロが「間奏」ではなく「後奏」に配されたアレンジはジュリーのアイデアだったのではないか、と僕は考えています。
ゆったりしたテンポでAメロを丸々ギターの単音で再現し奏でるということは、それだけアウトロの尺が長いということ。「三年想いよ」もそうでしたが、アウトロが長いバラードと言えば、昨年のツアーで体感した「白い部屋」が思い出されます。あとは、セットリストの常連曲「約束の地」「さよならを待たせて」などもそうです。
これらの曲で、ヴォーカル部を歌い終えたジュリーがステージでどんな様子でいるか・・・ジュリーファンならばすぐに脳内映像が出てきますよね。
伴奏をバックに「祈り」を捧げるジュリーです。

夏からのツアーで「Welcome to Hiroshima ~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より」を歌い終えたジュリーの、柴山さんのソロと共に深い祈りを捧げる姿が今から目に浮かんできます。

すべての被災地への祈り。
この国の未来への祈り。
世界平和への祈り。

客席の僕らも、ジュリーと一緒に祈るでしょう。
いや、難しく「何を祈るのか」と悩む必要はまったくないと思うのです。例えば僕はもしかしたら、柴山さんのギターを聴きながら天国の加瀬さんを思って祈ることになるかもしれません。
どんな祈りであっても、「祈る」ということはすべて根っこで繋がっているのではないでしょうか。昨年僕は加瀬さんのことを考えるたびに、「こういう思いは平和への祈りに似ている」と何度も感じたものです。
今年のツアーの「Welcome to Hiroshima ~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より」では、何を構えることなくジュリーの歌とバンドの音に身を委ね、ステージのジュリーと一緒に祈る・・・そんなシーンを体感したいと思っています。


ということで・・・今年2016年も無事にジュリーの新譜全曲の考察記事を書き終えることができました。

力強い縦ノリのビートを押し出した「福幸よ」「犀か象」の2曲を中央に挟んで、「祈り」のバラード2曲・・・「un democratic love」に始まり「Welcome to Hiroshima ~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より」で締めくくられる今年の新譜は、ジュリーの気持ちが前へ前へと向かっているのが伝わってくる名盤でした。

僕はその全4曲に「誇大でない現実」をしっかり見据えた上で「平和な未来」を望み努力する日常の尊さを学んだように思います。
ジャケットのリストバンドの文字空白の中に、ここへきてようやく『PRAY FOR JAPAN』という文字がが浮かび見えるようになりましたから。
懸命に考えることで見えてくるものってあるんだなぁ、それがジュリーのメッセージと、贈り物の意味なのかなぁと勝手に合点しているところです。
今はただ、夏からのツアーが待ち遠しい!


ツアー初日を心待ちにしながら、拙ブログではこれからしばらくの間、自由お題でまた様々な時代のジュリー・ナンバーについて書いていくことになります。
でもその前に・・・。

僕は、拙ブログの恒例事として新たに、毎年4月20日に必ず加瀬さんのことを書く、と決めました。
ジュリーが歌った加瀬さんの作曲作品はすべて記事にしたけれど、ジュリー以外の人、バンドへの加瀬さんの提供楽曲、それに何と言ってもワイルドワンズのナンバー。たくさんあります。

加瀬さんと言えば、「ブルー・ムーン(仮題)」と名づけられた自筆のスコアが発見され、それがワイルドワンズのナンバー「蒼い月の唄」としてリリースされたニュースはもうみなさまご存知ですよね。
僕も音源だけは聴きましたが、まだ正式な形では購入していません。収録されている『オール・タイム・ベスト』が手持ちの『All Of My Life~』と曲目が重複しまくっているので、購入を迷っているんです。
でもいずれ何らかの形で購入するつもりですので、
「蒼い月の唄」の考察記事はまたその時の機会にということで・・・今年は、加瀬さんが作った「平和」の歌を採り上げたいと思っています。
作曲の経緯はおろか、リリース年すら分からない曲ですが、とにかく僕は加瀬さんの素晴らしさについてまずは全力で書くのみです。

次回更新は4月20日。
ワイルドワンズ・ナンバーのお題でお会いしましょう!

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2016年4月 7日 (木)

沢田研二 「犀か象」

from『un democratic love』、2016

Undemocraticlove

1. un democratic love
2. 福幸よ
3. 犀か象
4. Welcome to Hiroshima
    ~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より


---------------------

4月となりました。
音楽劇『悪名』大阪公演も大盛況に終わったようです。素晴らしい舞台が続いているそうですね。

そんな中僕はと言うと・・・先週から体調を崩し、土日に花見に出かけることも叶いませんでした。
まぁ、満開の桜には通勤途中の公園で出逢うことができていますけど。

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僕の体調不良は日常茶飯事、みなさまは「またか~」とお思いでしょうが、今回は相当凹みました。
今はすっかり良くなっているからこんなことも書けるんですけど、人生で初めて体験する症状がいくつか表れましてね・・・。

例えば、某(元)大臣が辞任後かかったと言われている「睡眠障害」。これは辛かった!
肉体的には確実に疲れているし、気持ちは「寝なきゃいかん」と思っている・・・でもいざ眠りに落ちようとした瞬間に、酷い吐き気で意識を戻されるんですよ。
それがちょうど一週間前の木曜日の夜のことでした。
結局その日は一睡もできず・・・
調べたら「入眠障害」という症状分類になるらしいです。
「心と身体のバランスが崩れる」ってこういう状態を言うのかなぁ、と生まれて初めて考えてみたり・・・まずビックリした、というのが正直なところ。今回の僕の場合、睡眠障害っぽいその症状は僅か1日のことでしたから「たまたまの不調」だったのかもしれませんが、もしこれが数日続いていたらと思うとゾッとします。

その他いくつかの変調があり、「年齢なのかなぁ」とか「ストレスかなぁ」とか考えこんでしまって。
と言うのは、それぞれの細かな症状をネットで調べると、原因としてまず「ストレス」と出るわけですよ。
僕はこれまで精神的ストレスを実感したのって、20代に仕事で苦労した時(専門的な教育も受けていないのに高いスキルを求められ、勤務時間外に独学で必死に勉強するしかなかった)くらいしか心当たりがありません。
確かに今は、ジュリーの新譜に向き合って、色々なことを相当突き詰めて考えていますし、踏み込んだことも書いているので一部からの風当たりも強い・・・やっぱりそれなりの負荷は感じています。
でも、基本楽しんでやってるはず・・・なのです。

だから、ストレスとは言ってもそれは加齢によるもので、身体の何処かがくたびれてきて、それが知らず知らず心体に負荷をかけていたのかなぁ、と。
いつもお世話になっている先輩が仰るには
「人は”9”がつく年齢の年に身体の変調が起こりやすい」らしく、僕は正に今49歳の年を過ごしているわけで・・・ちょっと早い気もしますが、メノポーズの可能性も考えられます。こう見えても僕は女性ホルモンが多い体質なんですよ(残念ながらジュリーと違ってそれがルックスにまでは反映されていません笑)。

今日の記事は、個人的には「聴けば聴くほど」のスルメ感覚で急速に好きになっていった曲がお題ということで、「意外と短期間で更新できそうだな」と思いつつ先週から下書きをしていましたが、そんなこんなでそれも数日間の中断。ずいぶんお待たせしまくっての、この日の更新となってしまいました。
改めて、「何事もない日常」がいかに大切かを考えさせられた日々なのでした。


さて本題。
10日からG7外相会議が始まります。「核なき世界」を広島の地から世界へ発信し、今後日本がその舵取りをしてゆく。そんな未来を願うばかりですが・・・。

先日、アメリカ共和党の次期大統領候補であるトランプ氏が、「日本と韓国の核保有容認」に言及しました。これは氏特有の現実主義的な考え方と鮮度の高い表現力を根底にするもので、詳しく話せば本当に長くなるんですけど、当事者であるこの日本でも「世界で唯一の被爆国である日本だからこそ、堂々と核を持つ資格がある」と考える政治家が増えてきている現状。個人的にはまったく受け入れがたい考え方です。
先日の4月1日の閣議によれば
「憲法9条は、一切の核兵器保有、使用をおよそ禁止しているわけではない」
という現政権の解釈が公にされ答弁されました。
つまり「今は保有しない方針だが、保有すること自体は違憲ではない」ということ。
とうとうここまで来たか、と感じます。
加えて、大阪維新の会の松井代表が先立って「我が国の核兵器保有の是非を話し合うべき」と発言。どうやらこの党は「是」の立場であるようです。

よく「原発推進と国の核保有、核武装はまったく別の話」と語られることがあります。でも、「核を持ちたい」と考える政治家はほぼ原発推進です。
使用しないプルトニウム331キロをアメリカに移送中だったこともあり、先日ワシントンで開催された『核安全保障サミット』で安倍さんは、「我々は使用目的のないプルトニウムは持たない」とアピールしましたが、日本はそれでもまだ47トン(47000キロ!)ものプルトニウムを保有しています。これは、核兵器を持たない国の保有量としては歪なまでに大きな数字です。

その莫大な量を「原発で使うため」の目的にすり替えるとは・・・2012年の総選挙での「できる限り原発に依存しない社会の構築」という自民党公約は、もう世の中から忘れられているとでも言うのでしょうか。
「潜在的核保有国」から「実質の核保有国」へと向かうこの国の流れを嫌でも予感させられる中で、ジュリーの新譜『un democratic love』から今日の考察お題は、3曲目「犀か象」。
アルバム『greenboy』収録の「Aurora」以来、久々の依知川さん作曲作品がレコーディングされました。

新譜の記事を書き始めてから、先輩方から様々なご意見やアドバイスを頂き本当に有り難く思っている中で・・・やはり今回も、ジュリーの歌詞について感じたことを正直に書き、社会性の強い題材にも言及してゆく切り口は変えずに取り組みたいと思います。
ジュリーのメッセージはもちろん、純粋に楽曲としての考察ポイントも多い魅力的なビート・ロック・ナンバーです。よろしくつき合いのほどを・・・。


この曲では、ジュリーの歌詞の前に依知川さんの作曲についての考察から書いていきましょう。
「何故ジュリーの詞がこういうスタイルになったか」を、依知川さんが作ったメロディーやコード進行から読み解くことができる、と考えるからです。

”『Barbe argentée』セットリストを振り返る”シリーズで「お気楽が極楽」を採り上げた際、僕はこれまでの依知川さんのジュリーへの提供曲を「(白井良明さんの)アレンジでトリッキーに装飾されているけど、基本はどれも直球パターン」と書きました。
2016年、久々のジュリーへの楽曲提供。さて依知川さんはどんな直球を投げ込んでくるかな、と楽しみにしていましたが・・・何と「犀か象」は今回の収録4曲の中で抜きん出て変化球!
ジュリー・ナンバーに変態進行の名曲は数あれど(褒めてます!)、まさかここへきて、しかも依知川さんの提供で新たな名曲がそこに加わろうとは・・・。

めくるめくコードの流れ、いきなりの転調、変幻自在のサビ配置の威力。硬派な中にどこか可愛らしさが同居するメロディー。「面白い曲だな~」と柴山さん達に褒められ、スタジオで巨体を恐縮させて照れている依知川さんの姿が目に浮かぶようです。

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進行、構成こそ超・変化球ですが、ひとつひとつのコードは正直で明確な和音があてられていて、採譜の作業自体は早かったです。でも、採譜しながら何度も「ええ~っ、そんなトコ行っちゃう?」と驚嘆の連続。非常に入魂度の高い名曲です!


『PRAY FOR EAST JAPAN』をテーマに作曲し、ジュリーがそれに歌詞を載せる・・・依知川さんにとっては初めての大仕事です。「被災地への祈り」を真剣に考え取り組んだことでしょう。
依知川さんはまず、「元気の出るメロディー」を主軸に作曲にとりかかったと思います。
ただ「元気一辺倒」では何か違う・・・被災地の現状を思えば、そこにシリアスな悲しみの音も挿し込まなければいけないと考え、それがこの変則的な構成を生み出したのではないでしょうか。

興味深いのは、「サブ・ドミナントやドミナントのコードをマイナーに転換する」という、2曲目「福幸よ」で柴山さんが徹底して魅せてくれたアイデアと同じ手法を、依知川さんもこの「犀か象」で部分的に採り入れていることです。さらに言うと、その作曲手法は僕の中で「下山さんの得意技」というイメージがあるのです。
これは、今回の新譜にいくつか見られる不思議な符号のひとつです。
また、「福幸よ」との共通点としては他に「マーチング風」アレンジの導入が挙げられます(「福幸よ」はエンディングの大サビ、「犀か象」は間奏ギター・ソロ部)。

「犀か象」のキーはニ長調。
メロディーの高低幅は狭く、最高音も高い「ミ♭」。ジュリーが思いっきり「遊べる」くらいの音域だったことも、作詞に影響しているかもしれません。

ニ長調の曲は初っ端のコードが「D」であることが多いですが、この曲は「G」で始まるサビ部を冒頭に配置しています。畳みかけるビートとジュリーのヴォーカルがいきなり耳に飛び込んでくる感覚は、前曲「福幸よ」直後の収録順だからこそスリリング。
その効果で、2度目の登場となる同進行のサビ部は「おっ、きたきた!」と思わせる(直前のジュリーの「バイヤ♪」が効き過ぎ!)と同時に、「イントロの時点では難解に聴こえてしまうけれども実はポップなメロディー」を復習するような感じで聴くことができます。

また、エンディングに向かって「神をも畏れない再稼働」というフレーズが3回繰り返されますよね。
実はこれ、歌詞とメロディーは3回同じなのに、あてがっているコードはそれぞれ違うんですよ。

地震多発も犀か象 舌の根乾き犀か象
G              A         Bm            E

神をも畏れない犀か象
Em           A           Bm

神をも畏れない犀か象
G             A           Bm

神をも畏れない犀か象 ♪
G             A           D

ね?
(ちなみにジュリーの「舌の根乾き」という表現は、先述した2012年の総選挙の際の自民党公約を念頭に置いていること、まず間違い無し)
イントロは、まるで進行途中から曲が切り込んできたように聴こえ、対してエンディングの「D」はキレイなトニックへの着地。それがジュリーの歌メロに始まりジュリーの歌メロ声に終わる、という・・・歌詞のテーマとも合っていて素晴らしい構成だと思います。

転調は一瞬の早業、という感じ。依知川さんにとっては「居合い」の感覚でしょうか。
1番で言うと

知事は青海鼠で 国は鹿馬(しかうま)
Cm           G       Cm      D

こんな日本な筈ないよ
Em     A    Em  A

侍   いなくなってしまった ♪
F#m  Bm              Em    A

「知事は♪」からト長調に転調していることは歴然。
問題は、何処で(ニ長調に)戻っているのか、ということなんですが、僕は上記2行目まではト長調が続いていると解釈してみたいです(「侍♪」からニ長調)。
だって、2行目の「Em→A」と3行目の「Em→A」では全然受ける音のイメージが違うじゃないですか(2行目は、まるでポール・マッカートニーの「アンクル・アルバート」ばりの美しさ!)。
いずれにしても斬新な転調です。「居合い」の転調に「侍」のフレーズが歌詞として載ったのも奇跡的。名曲の条件はレコーディング前から揃っていますね。

初めて『PRAY FOR EAST JAPAN』をテーマにジュリー・ナンバーを作曲した依知川さんは、「どんな詞が載るのかなぁ」と楽しみにしていたと思います。
で、ジュリーがつけたタイトルが「犀か象」。
依知川さん、最初はさぞビックリしたでしょうね(笑)。
ところが詞の内容や言葉使いは、依知川さんが提示した細部の工夫、冒険的なコード進行、全体に漂うキュートな空気感にバッチリ合っているわけです。
依知川さんは、すごく嬉しかったと思いますよ。

ジュリーの作詞について僕は2曲目「福幸よ」の記事で「ジュリーは柴山さんの曲に力を得たのでは」と書きましたが、この「犀か象」は「依知川さんの曲にジュリーが乗った」のではないかと考えています。
それではここから、その点を念頭にジュリーの歌詞について詳しく書いていきましょう。

「ただ明るい、だけではいけない」との思いが依知川さんにあってのことでしょう、通常メジャー・コードであるべき箇所をマイナーに転換した箇所。まずドミナント・コードをマイナーにしたのが、1番の

犀が腹を切るの 象がゴミを食うの
D           Am       D            Am

2番の

メルトダウン煙  水素爆発廃墟
D              Am    D           Am

また、「サブ・ドミナント・コードをマイナーに転換」(「福幸よ」とまったく同じ理屈)したのは、1番で

知事は青海鼠で 国は鹿馬(しかうま)
Cm           G       Cm       D

2番で

大臣最後金目 政治馬鹿(うましか)
Cm         G      Cm       D

このように、依知川さんが変化球を投げた箇所で、ジュリーは悉く辛辣な歌詞を載せてきています。
全体的に明るい曲調の中で要所要所に「厳しさ」を加味している点は、正に詞曲の合致。

現在、12万箇所で住宅の庭先などに除染廃棄物が放置され、廃棄中間処理施設の敷地確保は、政府計画の僅か3%に留まっているという状況です。
それでも政府は再稼働推進。
「基準を満たしている」とは言っても「安全です」とは言わない規制委員長。有事に誰が責任をとるのか、核のごみをどう処理するのか。
「犀が腹を切る」「象がゴミを食う」・・・ジュリーの比喩は「できもしない」ということを表します。

「メルトダウン煙」「水素爆発廃墟」のフレーズ並びは、2011年の事故映像を呼び起こすもの。
「メルトダウン」とは「炉心溶融」のことですが、これを東電はずっと「炉心損傷」と過少評価し続けてきました。5年経った今年ようやくメルトダウンを認め国会で陳謝するに至りますが、じゃあ5年間何故認めなかったかと言うと「炉心溶融の判定基準を記したマニュアルの存在に気づかなかった」ためだという・・・。
もしそれが言葉通りなら「想定外」とはどの口が言っていたのかという話でしょうし、本当は気づいていたとすれば、5年間の隠蔽行為だったことになります。
今も現場で必死に頑張っている方々のことを思うと、この東電上層部の「集団的無責任」ぶりはあまりに酷い。これをして一事が万事とするなら、あの事故が真に「人災」であった可能性は非常に高まってきます。

そうした福島第一原発事故原因徹底検証、責任追及無しに再稼働はあり得ない、という道筋は当然と誰もが分かりそうなものなのに、「知事は青海鼠」「国は鹿馬」。ジュリーはこの「鹿」と「馬」を言いたいがために「犀」と「象」に登場願っているようですね。

原発事故の収束について「最後は金目」と言ったのは、「かの人」の息子さんでした。
最近また大臣としてテレビで見かける機会が増えていますが、ジュリーは特にこの人には怒っているのか、歌詞では続けて「政治馬鹿」と、遂に1番の「鹿馬」ではなくハッキリ「馬鹿」と斬って捨ててしまいました。辛うじて発音は、「うましか」ですけど。

先に少し触れた『核安全保障サミット』で安倍さんは「日本は二度とあのような事故を起こさないとの決意の下、原子力の平和的利用を再びリードすべく歩み始めた」と語りました。さて世界各国は、どのように受け取ったでしょうかね・・・。
そこで「再稼働推進」については安倍さんは「世界で最も厳しいレベルの新規制基準を作った」と主張したそうですが、原子力規制委員会の再稼働認可において「避難計画」が規制基準の対象外という時点で、あの過酷事故を経験し多くの避難者の存在を今も抱える国として「厳しいレベル」とはとても思えないのですが・・・。

再稼働していた関西電力高浜原発3、4号機はトラブルが相次いでいました。そしてその後3月9日、大津地裁の判決により運転は差し止められています。
以下、おっかないのを覚悟で書きますと・・・。

大津地裁による稼働差し止め決定という司法判断は、福井地裁の2015年の判決に続くもので、これをして原発推進派が福井地裁に対して行ってきた「特異な裁判官による特異な判決だ」という批判は、まったく筋が通らなくなりました。
原発推進の立場をとる『日本経済新聞』『産経新聞』の2紙は、司法判断そのものへの疑問を訴えています。つまり、原発稼働についての判断は特殊な知識を持つ専門家によって為されるべきで、一介の裁判官が判断して良いことではない、というものです。
しかしこれは「再稼働してもらわないと困る」という経済人の考えありきの理屈で、司法をド素人扱いする不遜にして強弁な批判と言わざるを得ません。
大津地裁は「原発反対」と言ったのではなく、「規制基準が不充分により現在の稼働は停止」としたわけで、それは中立な司法判断なのですから。

また、愛媛県の伊方原発3号機が先日、7月の再稼働を目指して使用前検査に入りました(「使用前検査」について僕は故郷・鹿児島の川内原発再稼働に向けての動きが具体化した際に勉強しましたが、鹿馬(国)が主導する規制審査、さらには青海鼠(県知事)の認可がある以上、それは「再稼働ありき」の形式的な段階に過ぎないことがその後の推移でよく分かりました)。
さすがに今は国も県も規制委員会も電力会社も「この原発は安全ですから動かします」とは言えず、その代わりに「安全確保に万全を尽くす」」とした上で、反対意見を軽んじ再稼働へと突き進むようです。

そんな有り様に対してジュリーが痛烈に皮肉った歌詞表現は、まず1番で
「安全じゃないっしょ」
この言い回しには、「何度も言ってるのに聞こえないの?」という意味が込められているでしょう。
さらには2番で
「安全じゃないっちゅ」
これは
「どうも貴方たちには僕の言うことが理解できないようですから、赤ちゃん言葉で言い変えてみました」
くらいの強烈な表現。
ジュリー、相当怒っていますよ。

と、ここまでは今回も額に皺寄せるようなことばかり書いてしまい、また自分に負荷をかけてしまったのかもしれませんが・・・これはジュリーが歌う「誇大でない現実」を僕なりに押さえておかないと曲に向き合った気がしない、という個人的な嗜好によるものです。
楽曲の素晴らしさはそんなことに左右はされません。その上で、このジュリーの作詞はピュアな感性にこそ訴える名編だと思っています。

「犀か象」のタイトル、次々に登場する「犀」「象」「鹿」「馬」の動物達・・・面白いアイデアですよね。
そして、面白おかしく言葉を料理したジュリーが歌詞で何を言おうとしているのかが「分かりやすい」ことこそがこの曲の最大の狙いです。少年少女達、子供達に訴えかける力が強い、ということだと思うんです。

「大人」である僕は一瞬「犀か象=再稼働」の語呂合わせとして歌詞を分かった気になってしまい、そこでいったん思考がストップしました。
でも、こういう曲を耳に得た若い、幼い感性はきっとそんなふうには済まさないでしょう。
「誰にでも分かりやすい」面白い比喩で聴く者を惹き付け、その中にある重要なメッセージを届ける・・・これはロック、フォーク含みポップ・ミュージック真髄の手法です。メッセージのベクトルは様々ですが、僕が少年時代に聴いた人で言うと、まず忌野清志郎さんがその代表格。桑田佳祐さんやサンプラザ中野さんの詞にもそれを感じたことがあります。

そして最近ではジュリーです。
でも『PRAY FOR EAST JAPAN』をテーマとした楽曲でこのスタイルを採り入れたのは、「犀か象」が初めてですね。それが今年の新譜の個性のひとつです。
依知川さんの曲に「乗った」ジュリーが踏み込んだ一歩は見事成立していますし、物を分かったような気でいた「大人」の僕をピュアなロック少年に引き戻してくれたような感覚があります。そう、「犀か象」はとてもピュアに痛快なロックなんですね。

もちろん、僕のような情けない「大人」ばかりの世の中であるはずがありません。
今年の新譜を聴いてすぐにこの曲を特に好きになれたジュリーファンは、ジュリーの真髄、作法に敏感な人で、
歌詞のテーマについても日常からアンテナを張ることができている人だと思います。
僕は時間がかかりました。最初に「えっ、こんな感じでこのテーマを歌うの?」と思ってしまいました。
何度も繰り返し聴いて詞曲とも大好きになった「犀か象」・・・購入直後のいかにも「大人だよね」な自分の感想を、今では恥じています。

あと、歌詞中で「ジュリーが一番言いたかったこと」じゃないかと僕が思うのは

侍   いなくなってしまった ♪
F#m  Bm              Em    A

ここですね。
お正月に「サムライ」を歌ったこともあって、今回改めて「ジュリーのイメージする”侍”ってどんな人達のことだろう」と考えてみました。

人それぞれ思う浮かべる人物は違うでしょうけど、僕はやはり歌詞のテーマから、80年代末に『朝まで生テレビ』で原発の賛否、展望について本音でやり合っていたパネリスト達を「侍」に重ねました。
皮肉なことに、彼等パネリストの中でも僕が特にイメージしてしまったのは、昨年亡くなられた野坂昭如さんだったんですよ。
「皮肉なことに」と僕が言うのは、長いジュリーファンの先輩方ならお分かりのはず。「嫌なこと思い出させて!」と呆れる先輩もいらっしゃるかもしれません。
そう、かつて野坂さんは大ヒット中の「サムライ」の衣装にクレームをつけたことがあるそうですね。
当時のジュリーファンは怒ったでしょう。僕ももし当時今と同じくらいにジュリーファンで、洋楽の知識もあったとしたら、「いや、野坂さん、あれはデヴィッド・ボウイがベルリンで表現していたステージへのリスペクトがまずあって・・・」と反論したくなったはずです。

『朝まで生テレビ』で観ていた頃の野坂さんについて僕は、「ちょっと左に寄り過ぎていて怖いなぁ」と感じていました。ただ、多くのレギュラー・パネリストの中で、体裁に囚われず本音で自分の考えをハッキリ言っていた、という点では野坂さんが頭抜けていたように思います。
スタジオに招かれた一般のかたの「(原発は)なんだか怖い」という発言に対して多くのパネリストが「それじゃ話にならん」と理屈でねじ伏せ委縮させてしまう中、「恐怖」を人間の自然な感情、立ち振る舞いとして擁護していたのも野坂さんでした。
思えばそれは今ジュリーが「神をも畏れない犀か象(再稼働)」と歌っていることと目線は近かったんじゃないかなぁ、と思うんです。

そういう人が今はもういなくなってしまった・・・たとえ言いたくても公の場では控えるようになってしまった・・・こんな日本なはずないじゃないか、と。


最後になりましたが、この曲は間奏もすごく面白いので僭越ながら解説を少し。
ジュリーの「パオ~~!」という豪快なシャウト(LIVEでの再現が楽しみ!)を合図に始まるこの間奏は、「犀か象だ犀か象だ」(「再稼働だ再稼働だ」)と賛否お構いなしに突き進もうとする今の状況をマーチングのリズムで風刺したものと考えられます。
ブルース構成ならいざ知らず、エイトビートのポップなナンバーで間奏が12小節というのがまず斬新。
コードは「G→F#7」「G→Bm」「G→A」で4小節ずつ。どれも「G」を起点にしているのに、それぞれのニュアンスがまったく違って聴こえるのが凄いです。
これはコード進行の面白さ(依知川さんの作曲段階からのアイデアでしょう)もさることながら、柴山さんの音階移動表現が最高に名演なのですね。
過激でパンキッシュに攻めたてる音色と運指が、曲想的には対極と言ってもよい1曲目のバラード・ナンバー、「un democratic love」と共通しているというのがまた素晴らしい。

今年、レコーディングのギターを1人で受け持つことになったことも関係しているのかもしれませんが、柴山さんの音もこれまでとは何処か変わったように僕は感じています。このことも、次回「Welcome to Hiroshima ~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より」の記事で大いに触れる予定でいますが・・・。


ということで、ジュリー2016年の新譜『un democratic love』全曲考察も残すところあと1曲となりました。

先日『東京新聞』で、原発事故のため広島県に避難、転居されたご家族の記事を読みました。
避難指示区域から各土地に移り住んだ同様の境遇の方々が多くいらっしゃる中、それぞれの避難先の学校でお子さんが原発事故に絡んだ心ない「いじめ」に逢っている、と伝え聞いていたそのご家族のお母さんは、子供の転校先となる学校の先生にそのことを前もってご相談したのだそうです。すると先生は
「お母さん、ここは広島ですよ」
と。
広島では、何十年の時が経とうと戦争の悲惨さ、「核」の恐ろしさは語り継がれ「平和教育」が徹底しているんだ、という先生の誇りであり確信でしょう。
それが、今回ジュリーが詞の題材とした2014年の子供達による『平和への誓い』に息づいています。

この子供達の言葉・・・ジュリーが今年の新譜で歌にしてくれて初めて知った、という人は多いかと思いますが(僕もそうです)、日本人として心に刻み、皆で世界へ伝えていかなければならないんですよね。
「戦争できる国であることが普通」なんてのが世界の常識だとしたら、日本はそんな世界を変えてゆくメッセージを発信し続けるべきです。
人間を信じて・・・次回更新も顔晴ります!

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