沢田研二 「un democratic love」
from『un democratic love』、2016
1. un democratic love
2. 福幸よ
3. 犀か象
4. Welcome to Hiroshima
~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より
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すっかり暖かくなりましたね。
(でも、明日からまたしばらく寒いらしい・・・)
久々の更新です。今回から、2016年のジュリーの新譜『un democratic love』収録全4曲をお題に、考察記事を更新していくことになります。
3月11日のリリースから、もう2週間近くが経ちました。
今年も変わらず「誇大でない現実を歌う」ジュリー。
毎日聴いています。次々に新しい発見があり、気づきがあり・・・今年も色々と考えさせられました。
音的なことで言えば、昨年までは「う~ん、このギターは柴山さんか下山さんか・・・」と悩みまくることも大きな楽しみのひとつでしたが今年はそれがなくて、最初は寂しい気持ちもありました。
でも、すべてのギター・トラックが柴山さんの演奏と踏まえた上で、柴山さんが新たに採り入れてきた音作りについてあれこれ想像するのがまた楽しくなってきて。
そのあたりは、おもに4曲目「Welcome to Hiroshima ~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より」の記事で散々語り倒したいと思っています。
さて、例年通り
「一応アマゾンさんに予約しておいて、発売日に届かなかったら街のお店に直接買いに行き、遅れて届けられたもう1枚はYOKO君に引き取ってもらう」
作戦だったこの新譜。今年も池袋のタワー・レコードさんに出かける気満々でいたのですが、意外や発売日前日の10日夜、アマゾンさんから「発送作業完了しました」のメールが届きました。
アマゾンさんの予約で発売日にCDが届いたのは、『3月8日の雲』以来5年目にして初めてのこと(2013年の『Pray』の時は自分のミスもあったんだけど)。
やっぱり気持ちが良いものです。来年以降もこの感じで頼みますよ、アマゾンさん!
『PRAY FOR EAST JAPAN』と『LOVE AND PEACE』。
根幹のテーマは変わらず重い・・・でも僕の受け止め方は、過去4作とはまるで違ったものでした。
おそらくかなりの少数派であることを自覚した上で僕の初聴時の気持ちを正直に書くと
「スカ~ッとした!」
「元気が出る!」
「勇気が沸く!」
というもの。
11日夜、仕事から帰宅するとCDが無事届いていて、夕食の前に歌詞カードを読みながらひとまず1度聴きました。これまでの4作を同じ状況で聴いたとすれば、テーマの重さ、直球の歌詞に感動と同時に大きなダメージを受け、聴いた直後に食事をとることなどまずできなかったでしょう。
ところが今回は・・・食欲が止まらない!
カミさんが呆れ果てるくらいの勢いでバリバリご飯を食べました。本当に不謹慎だとは思うけれど、自分自身で持てあますほどのエネルギーが沸き出ていました。
それが僕の『un democratic
love』第1の感想です。
ジュリーの歌詞について確実に伝わるのは
「もう堪忍ならん。言うたる!」
というコンセプト。
さらに、僕はジャケット・デザインからもそれを感じました。覚えておられるかたもいらっしゃるかな・・・昨年の『こっちの水苦いぞ』が赤色になった時、僕はそれを「給水停止予告」の紙に例えました。学生時代、貧乏なくせにバンド活動にうつつを抜かしていた僕は、料金を滞納の末に家の水道を止められた経験があります。
まず「○日までにお支払いください。さもないと給水停止しますよ」という内容が書かれた青い紙が届きます。払わずにいるとその後同じ内容の黄色の紙が来て、最終的には赤色の紙が「最後通告」として届きます。「もう待てません。止めますよ」と。
僕はその赤色の警告を、昨年の『こっちの水苦いぞ』のジャケットに重ねたわけです。
ただ肝心なのは、その赤色の紙にも「最終の支払い締切日」というのは記載されていて、その日までに支払いさえすれば水道が止まることはないんです。
ですから『こっちの水苦いぞ』の時点でジュリーには「まだ防げる」「まだ助かる」という感覚もあったように僕は感じました。
しかし、今年のシルバーは・・・。
みなさまはそうそう経験は無いかと思いますが、赤色の紙も無視して支払締切日を過ぎるといよいよ本当に水道が止まります。そうするとキッチンのステンレスが、正に『un democratic love』のジャケットのような鈍い銀色に変わり果てるんですよ。
これをして僕は今回のジャケットを「安保法制強行採決」後の断水の色として受け止めたのです。これは個人的な「思い込み」の感覚ではありましたけど。
そこで実際に歌を聴いたら、「いや、まだだ。まだ間に合う!」という気持ちに変わりました。
「祈るだけでなく考えなきゃダメだ、と言うけれど・・・考えてないとでも思ってるの?」
ジュリーが今年のお正月LIVE『Barbe argentée』でのMCで語った言葉です。
セットリスト大トリの「耒タルベキ素敵」のエンディング・リフレインでは、鬼気迫る声で「ピ~~ス!」と絶叫したジュリー・・・ではジュリーはどんなふうに「考えて」いるのか。それがこの新譜に集約されていました。
詞の内容は重いです。重いのだけれど、少数派を自覚した上で、不謹慎を承知の上で僕の気持ちを正直に言うと、『3月8日の雲』以降の新譜で初めての「爽快!」。「重さ」からくるダメージが一切無かったんです。
「ジュリーはこんなふうに考えていたんだ。僕もそう思う!」という喜びがありました。
以前「我が窮状」の記事で「ジュリーの作詞作品で、ジュリーの言いたいことがよく分かる、なんて曲はこの1曲だけ」と書きましたが、今回の新譜から、タイトルチューンの「un democratic love」が新たにそこに加わりました。
ただ、自分の気持ちがハッキリしている、伝えたいことがハッキリしていればいるほど、それを言葉や文章にするのは途方もなく難しいのだ、ということも今回実感させられました。
下書きを書いては消し書いては消し、を繰り返し、思っていた以上に時間がかかってしまいました。
「祈り」「嘆き」は変わらない中で、僕は今年の新譜に「前進」を感じます。いや、実はそれは前作『こっちの水苦いぞ』から既にありました。先の先を走り続けているジュリーに、僕が追いつけなかっただけ。
「前進」・・・単に「前に進む」以外に重要なのは、「この先」を見据えている、ということ(そのために、「誇大でない今の現実を知る」ことが大切なのですが)。
誤解を恐れずに言うなら、今回ジュリーの詞は以前にも増して「偏って」います。
もし某大臣がこのCDを聴いたとしたら、「政治的公平性に欠けるので販売中止命令を」なんて言い出しても不思議ではありません。
それは冗談として(今のところは、ですが)。
どんな考え方であるにせよ、音楽作品はもとよりメディアについてもそれぞれで「偏って」いるのが当然の姿だと僕は思っています。これが軒を並べて翼賛になることが怖いのであって、権力を支持し音頭をとろうとするメディアと、権力に疑問を抱き逐一チェックし反論するメディアが共存している状況自体は健全だ、と。
最悪なのは、権力に脅かされてメディアの上層部がビビることです。志ある人が現場で頑張っているなら、そこは上の者が毅然と「いやいや、何を言われてもこれまで通りやりますよ」と態度を表明すべきでしょう。
本当に「たくさんの違う考え」がハッキリ分かれて発信されるようになった時代。
僕らはそんな幾多のメディアの中から、漠然と情報を「受ける」のではなく、自分で考えて「選び身につける」ことをしなければいけない・・・もう待ったなしでそんな時代が来ていると感じます。
ジュリーが「みなさんそれぞれが、自分のこととして考える時が来ましたね」と話してくれたのは昨年のお正月のことでしたが、それはそういうことなんだろうなぁと。
その一方で、「自分と違う考え」を知ることもまた大切です。そこから見えてくるものは多いのです。
僕は、自分のことを「流されやすい」タイプだと自覚しているので、新聞については複数のものを可能な限り多く読むように心がけています。
あの震災から5年。
その間も各新聞の報道姿勢はそれぞれが加速度をつけてかけ離れてゆき(或いは沈黙を良しとし)、選択肢も多くて、何が真実であるのかすら分からない、という状況に陥るかたも多いのではないでしょうか。
例えば、昨年9月に参議院で強行採決され、遂に今月29日に施行される安保法制が、まず最初に衆議院で採決された翌日。各大手新聞の見出しは
読売「日本の平和確保に重要な前進」
朝日「戦後の歩み 覆す暴挙」
毎日「国民は納得していない」
産経「日本の守り向上へ前進だ」
ご覧の通りの真っ2つ。
「法案賛成、推進」の立場をとる読売、産経の2紙がいずれも「前進」という言葉を使っています。
さきほど僕は今回のジュリーの新譜に「前進」を感じる、「前進」とは「この先」を見据えた言葉である、と書きました。ところが、物事の考え方が違えば「前進」に込められた意味も180度違ってきます。
法案賛成の立場から「前進」を掲げて見据える「この先」・・・採決、のちの成立を機に先々押し進めていくべきことがある、という両紙の考えを暗に示しています。
それは9条改憲であり、ゆくゆくは核武装でしょう。
「え、核武装はさすがに飛躍では」と思われますか?
ほんの数年前までは、「核武装」なんて言葉にするだけで問題になっていたはずが、今では与党若手議員の政策理念として普通に語られるようになりました。
「戦争にいきたくない、などという考えは身勝手」と言い放った直後に、しょうもない詐欺話で(いったんは)離党した議員さんなどもその一人です。
そもそもほんの数年前までは、反対にしろ賛成にしろ今の安保法制のような考え方が普通に国会で議論され採決されるとは思いもしなかった国民がほとんど。
同様に、愛すべきこの国が「核武装による国際的孤立」に陥るという悪夢は、もう10数年先にも現実化の可能性をはらんでいると見るべきです。
今度の参議院選挙(或いは衆参W選)は、相反する「前進」と「前進」のぶつかり合いとなります。
僕には、自民党の政策すべてがダメだ、というふうにはとても考えられません。しかし、「安保法制強行採決」「原発再稼働」「武器輸出推進」の3点が、まったく受け入れ難いのです。この3点を受け入れられないがために、今の僕は相当頑なになっているんだろうなぁ、と思う・・・その自覚はあります。
「共産党に入れるくらいならむしろ自民党」というタイプだった僕をして、この数年は「とにかく自公以外」に転換してしまったほどです。
今、ジュリーの新譜の歌詞に深く共感します。
でもこれだけは先に書いておきたい・・・音楽って、ロックって、アーティストの物事の考え方への共感、心酔がすべて、なんてことは決してないです。
僕の場合は、音楽のみならずジュリーの社会的な考え方を熱烈支持、というスタンスでこれから記事を書くわけですが、多くのファンの中には、ジュリーを愛するが故に歌詞を読んで怒ったり、落ち込んだり、というかたもいらっしゃるでしょう。
僕とは正反対の考え方ですが、「安保関連法案に賛成、原発再稼働に賛成、それでもDYNAMITEなんぞより全然ジュリーのことが好きじゃ!」というかたはきっと多くいらっしゃる。自然なことだ、と思ってます。
この新譜を聴いて怒るファンは気骨のある人だろうし、落ち込むファンは優しい感性の持ち主だと思う・・・変にスカしてる世間より、それで全然いいじゃない!と。
そういう作品が、今年も届けられたということ。
中でもいきなりのド直球が1曲目、タイトルチューンでもある「un democratic love」。
今日はこの、個人的には今回の4曲の中で圧倒的に好きな曲がお題です。
違うご意見、ご批判あるかとは思いますが、今日はこの名曲を心から「好き」という気持ちに正直に、僕の感じたこと、考えたことを書かせて頂きます。
よろしくお願い申し上げます。
タイトルに「LOVE」とある通り、愛の歌だと思います。
「本当の愛」の歌。
今、相反する「前進」はすなわち相反する「愛国」。
歌い手である主人公は、「君」の偏狭な「愛」に言い寄られ苦しみの中にありながら
「自分も君と同じ愛を持っているのに、何故僕と君の愛の形はそんなに違うんだ」
と「君」の愛を拒絶し、自らの愛の在り処を隠しだてなく吐露しています。
ジュリーがその心を投影し歌い演じたこの曲の主人公である「語り手」は、「日本」という国そのもの。僕はそう考えます。強引で偏狭な愛を上から押しつけてくる「君」を拒絶する・・・この歌は「日本国の独白」です。
また、主人公に言い寄る「君」は現政権・・・特にそのトップである安倍さんを指す、と解釈します。これは、「Pray~神の与え賜いし」に登場する「かの人」と同じくらいに明快だと僕は思っています。
本当は双方同じであるはずの「国を愛し、誇りとする心」の、あまりに隔たりある現状。
祈りますとも 君の国のため
F7 B♭m A♭ D♭
君と同じ以上に 自由が好きだよ ♪
C7 Fm B♭7 E♭m7 A♭sus4
「君がどんなふうに僕をたぶらかそうと、僕は平和への祈りを止めないよ」・・・それが、ジュリーの「自由」。
そう、ジュリーが歌詞中に織り込んだキーワードは2つ・・・「自由」と「民主主義」です。
現政権は「自由民主党」って言うくらいだから、そりゃあ「自由」も「民主主義」も大好きなんでしょう。
でも。
「自由ってなんだ?」
「民主主義ってなんだ?」
「愛ってなんだ?」
「僕のそれとはずいぶん違うじゃないか?」
主人公である日本国は、「君」にそう問いかけます。
もしかしたら君は 本当の愛知らない
D♭ A♭(onC) B♭m B♭m(onA♭)
怒らないで君は 勝手だから ♪
G♭ D♭(onF) E♭7 A♭
「怒らないで」・・・これは、「ブチキレ答弁ばかりしないで、話を聞いてほしい」ということでしょう。
いつもなし崩しだ 会話にならない
D♭ A♭(onC) B♭ B♭m(onA♭)
聴く耳持たなきゃ 大人 だよね ♪
G♭ D♭ E♭m7 A♭ D♭
この「大人」というのも重要なキーワードのひとつ。
それを読み解くためには、「大人」の対義語を考えればよいでしょう。「子供達」「若者達」です。
子供達の「平和への誓い」の言葉も、「路上から国会へ」を実現させた若者の熱く切実な懇願も、現政権は聴く耳持たず。それがこの歌詞中の「大人」。
「子供達」については4曲目「Welcome to Hiroshima ~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より」の記事で語ることになりますので、ここでは「若者達」のことを書いておきましょう。
「un democratic love」の詞については、聴き手が『民主主義ってなんだ?』『民主主義ってこれだ!』という2冊の本を読んでいるかどうかだけでも、相当受け止め方が違ってくると思います。
ジュリーも読んだのかもしれないなぁ、とも。
この2冊は実は批判する人も多いです。良くも悪くも突かれる隙が多いんだろう、とは思います。世の評価はこれまた真っ2つと言って良いでしょう。
僕個人としては今、「自由と民主主義のための学生緊急行動」を掲げ登場した若者達にZOKKONの状態。何より「パワーレス・パワー」が頼もしい。
でも彼等が主役に躍り出た当初から、先述したような「隙の多さ」・・・そのいかにも若者らしい「危なっかしさ」も確かに目についていて、そうした面がマイナスになりはしないか、と心配したものでした。
昨年のジュリーの全国ツアー『こっちの水苦いぞ』で歌われた「限 界 臨 界」を聴き、「あぁ、”未熟”というのは褒め言葉なんだ。素晴らしいことなんだ」と思いあたり、その心配はキレイに一掃されることに。
ただそれは僕が勝手にそう解釈しただけであって、さてジュリーはあの若者達をどう思っているんだろう?というのは、昨年からずっと気になっていたことでした。
今年のお正月LIVE『Barbe argentée』初日のMCで、ジュリーは少しだけ彼等に触れてくれました。
「期待するところはあるけれども、こんなもんや」
と、右手の親指とひとさし指で小さな隙間を作って。
ジュリーは続けて
「(それよりも)考えても考えてもどうにもならなくて、とにかく毎日の仕事を精一杯やるしかない・・・そんな人達がこの国を支え形作っているんだと思う。自分もそんな人達の中の1人でありたい」
と言ったわけですけど、ジュリーから「期待している」という言葉を引き出しただけであの若者達は素晴らしいと僕は思いましたし、何よりジュリーはそのMCから引き続いてのセットリストで、まず9条への思いを託した「我が窮状」を歌い、原発事故をコンセプトとした「F.A.P.P」を歌い、そして「君達がボスを選べよ」と、あの若者達の登場を予言したような2010年にリリースの「若者よ」を歌いました。さらに続けて歌われたのが「限 界 臨 界」。しかも、ジュリーの声域的にはまったくキー移動の必要がない「若者よ」は、「限 界 臨 界」とキーを揃えたロ長調で歌われました。
これがジュリーのメッセージでなくて何でしょう。
いつの時代も、若者の才覚はいともたやすく大人の欺瞞を鋭く見抜きます。
しかし僕自身はそんな才覚を持ち得ていたであろう短い貴重な時期を、ただ漫然と過ごしてきてしまいました。おそらく僕と同世代の、多くの「今の大人」達もそうだったかもしれません。
その結果が今のこの国の状況だとすれば、若い人達に「あなたはどの面下げてこんな文章を書いてるんだ」と言われたとしても、返す言葉はありません。
そして、70年前「もう2度と戦争はすまい」と誓ったこの国に、いつまた「忌まわしい時代」に遡ろうとする暴君が現れる日が来るか分かりません。
そんな暴君は実はこれまでにも何人か現れていたのかもしれない・・・その暴君の思惑を、僕らの見えないところでずっと防ぎ続けてきたのが憲法第9条である、というのが僕の考えです。
安倍さんは、どうやら暴君の器(と言うのもおかしな表現ですが)ではないように見えます。もちろん彼のいわゆる「お友達」や「応援団」の人達は問題外。
真の暴君とは、指導力と魅力(と錯覚してしまうようなもの)を持ち、国民的人気を得る颯爽としたルックスの人でしょう。そんな人に「その場しのぎの改憲なんぞは、アメリカに”ちょっとオマエ行ってこい”と指図されるきっかけを自ら作っているようなものだ」と、改憲すら飛び越えて「自主憲法制定」を掲げられたら、僕レベルの思慮の持ち主では「なるほど」ととりこまれてしまうことがあるかもしれない・・・僕は本当はそれが一番怖い。
ジュリーはこの曲で安倍さんのことを(というのは僕の個人的解釈ですけど)「強権」「冷酷」「不遜」「脆弱」「狡猾」「ダダっ子」等々、散々にブッた斬っています。
でも、実は歌詞中で一番痛烈なのは
放射能みたいに 気味わ るい よ ♪
G♭ D♭ E♭m7 A♭7 D♭
この表現だと思います。
おそらく、真の暴君にはこの感覚が(最初は)無い・・・それだけに怖い、と思うのです。
安倍さんは今、鵠志のつもりで束の間の権力に酔い、将来現れるかもしれないそんな暴君のためにそれとは気づかずせっせと下ごしらえをさせられているだけのように見えて仕方がありません。
正に「君の愛は軽率」「君の愛は簡単」ですよ。
真の暴君の姿は、今はまだ隠れて見えません。
ひょっとしたら、「今はアイツを矢面に立たせておけば好都合」と考え腹の底では安倍さんを馬鹿にしている与党内の政治家達の中に、もう「彼」は目に見えて存在しているかもしれませんが、僕には分かりません。
だから、今なんとか安倍さんに考え直してもらうしかない。今がギリギリ間に合う時だ・・・少なくとも、何かすり合わせることができる部分はたくさんあるはず。
あくまで個人としての思いですが、「un democratic love」を聴いて、僕はそんなことも考えたのです。
しかしながら、じゃあ「undemocratic love」が、僕のように考える人でないと好きになれない狭量な楽曲かと言うと、絶対にそんなことはありません。
この美しいメロディー、緻密な進行。近年のジュリー・バラードの中でも傑出した名曲、名演です。
ジュリーはこのバラードに痛烈な政権批判を盛り込みましたが、『PRAY FOR
EAST JAPAN』のテーマで作曲に取り組んだ泰輝さんは最初の段階では「海」をイメージしていたのではないでしょうか。
理由は、イントロのピアノの進行が「マイアミ2017」を思わせるからです。泰輝さんがビリー・ジョエルのこの名曲を知らないはずがありませんからね。
イントロが広く美しい海のイメージなら、歌メロの間隙を縫って随所に挿し込まれるピアノのフレースには、荘厳な「人の魂」を感じます。泰輝さんの「祈り」でしょう。
そういう意味では、「un democratic love」でのジュリーと泰輝さんの「気」はピタリと合っています。
耳で聴いただけの段階では、メロディーはとても美しくて素直で澱みなくて、スラスラと採譜もできちゃうタイプの曲だろうなぁ、と思いました。しかし、いざ取り組んでみたら・・・とんでもなかった!
ジュリーの詞も凄いけれど、泰輝さんの作曲も本当に凄いんです。
凡庸な僕にとっては、変ニ長調というだけで採譜が大変。ギターがメインの曲なら1カポのCでやるんですけど、この曲はピアノがメインですからねぇ・・・弾いてみたら凄まじい黒鍵の嵐でした。
2番直後の間奏部以外に調の変化は無いんですが、随所に挿し込まれたフックは、「あれっ、どうなってるの?」と何度も頭を悩ませてくれました。
Aメロはまず王道進行。
2番目の和音は、例え同じメロディーであってもギタリストの作曲だと「Fm7(onC)」で、ピアニストだと「A♭(onC)」になるケースが多いみたい。これは、両刀のポール・マッカートニーのいくつかの楽曲比較で学んでいたことです。
僕が特に痺れたのはその次の展開。
祈りますとも 君と国のため
F7 B♭m A♭ D♭
君と同じくらいに 自由が好きでも ♪
C7 Fm B♭7 E♭m7 A♭sus4
この「C7」を見つけるのにどれほど時間がかかったか(能力の問題ですが)。最初は理屈から考えて「Gm7-5」を当てたりしながら「ありゃ、全然違う?」みたいな。
今となっては「どう聴いてもこうしかないよね」と思うんですけど、マッサラな状態でCDに合わせて和音を探している過程では、本当に「う~ん」「いやぁ~」「ぐぅ~」と声が出ちゃうくらい悩みましてね・・・その呻き声をカミさんが不審がっていたほどです。
2番の後の転調が登場するギター・ソロ部は
「G♭maj7→Fm7→G♭m7→Badd9→
Amaj7→A♭m7→D♭→A♭」
と起こしてみたけど微妙に自信無し。
今年も大宮でYOKO君の採譜と突き合わせてから結論を出すことになるかなぁ。
でも、このソロ部も進行自体は泰輝さんの作曲段階から決まっていたと推測します。いかにもピアニスト、な流れですからね。
新曲4曲の中でバンドの演奏が一番「凄い!」と僕が感じているのは2曲目「福幸よ」ですが、その他の曲・・・もちろん「un democratic
love」も素晴らしい名演です。
先述した泰輝さんのピアノはもちろん、やはり鮮烈なのはベースの存在。
ピアノ1本で導入するこの曲で、ドラムス、ギターに先んじて噛んでくるのが依知川さんのベース。運指で弦をすべる音の太さ、まるでストリングスが加わったかのような音圧でジュリーの声を包み、ヴォーカルの表情さえもその瞬間から変化させているようです。
リズム・アタックの基本はGRACE姉さんのキックとユニゾンで、間奏以降は重厚な8分音符の連打へと移行。終盤の畳みかけるようなジュリーのヴォーカルも、このベース・トラックあればこそでしょう。
柴山さんのソロは、得意のサスティンとディレイに加え「ガレージ感」を意識しています。そのパンキッシュな音作りに、ジュリーの詞を踏まえた上での柴山さんの楽曲解釈を感じます。
GRACE姉さんのドラムスには、最近のジュリー・ナンバーでは珍しくコンプレッサー系のエフェクトをセンドリターンさせているようです。
「押しつけられている愛」をどうにかしようと奮闘しているようにも聴こえ、これもまたジュリーの詞がこうでなければ生まれなかったアイデアではないでしょうか。
シンプルなエイト・ビートを淡々と叩き続けている中に、GRACE姉さんのこの曲のコンセプトへの「決意」も感じさせてくれます。
一方、今年の新譜では、下山さんがいなくなり依知川さんが入ったことで、単に楽器の違いだけでなくミックス処理も変わりました。ここ数年の鉄人バンドの作品に見られていた「ステージでの立ち位置通り」のトラック配置ではなくなったのです(柴山さんのサイド・ギター・パートのみ引き続き徹底されています)。
立ち位置通りとするなら依知川さんのベースを左に振らなければなりませんが、「ベースを片側のPANに振る」という手法は、基本的にもう40年以上前に姿を消しているんですよ(もちろん、『60年代回帰』をコンセプトとした作品で「敢えて」それをやる、という場合はあります。ジュリーで言うと『G. S. I LOVE YOU』がそうです)。
今回は、収録4曲で泰輝さんがピアノを弾くかオルガンを弾くか、或いはその両方を弾くかによって各演奏トラック配置が分かれます。
「un democratic love」の場合はピアノのみ。ピアノの一部のフレーズや、ドラムスのフィルなどが時折左寄りに振られていますが、基本左サイドは「空位」となっています。僕は下山さんのことを引きずっている感覚もまだあって、初めてこの曲を聴いた時には、1番が終わってドラムスとエレキギターが噛み込んできた瞬間、「あぁ、ここで左からアコギが聴こえてきたらどれほど・・・」と感傷的になったりもしましたが・・・。
最後に、正に「魂の」ヴォーカルについて。
初めて聴いた時は、「怒りにまかせた猛々しいヴォーカルのバラード」だと思いました。
ところが歌詞を咀嚼し何度も聴き返していくと、ピアノ1本で歌い始める出だしの箇所からもう、何かジワッと胸を温かくする感覚・・・「ジュリー、なんて優しい歌声なんだ!」と感じるようになっていきました。
これこそが、この国を本当に愛する人の「声」です。
僕はそう思います。
同時に、すごく「ロック」を感じるヴォーカルなんです。こんなふうにバラードを歌うジュリーの「囚われの無さ」に驚嘆します。
頑固な中に柔らかさがある・・・ジュリーが自ら作詞し歌うからこそ、「un
democratic love」の詞曲はガッチリ噛みあい優れた楽曲として成立しています。
「この国がこんな状況になっているのに、他の名のあるロッカー達は何をやってる?」なんてことを生意気に書いたこともこれまで何度かあったけれど、よく考えたらそれは無理ってものですね。
実力、実績、経験、志、環境、勇気・・・そのすべてを持っている歌手でないとできることじゃない。
このジュリーのヴォーカルは、今の日本で唯一のもの。僕らは、そんな奇蹟のような歌に今タイムリーで触れているのです。
泰輝さんの作ったメロディーは、近作の中では下山さん作曲の「カガヤケイノチ」や柴山さん作曲の「Fridays Voice」に比するほどの音域の広さを擁します。
1番の歌詞で言うと、最低音は「勝手だから」の「だ」で、低い「シ♭」の音。最高音は「君の愛は強権」の「権」で、高い「ファ」の音となっています。
この音域、高低ともに今のジュリーが最も歌いやすい音の範囲にピッタリと収まっているのが凄い。キーは変ニ長調ですが、おそらく泰輝さんは最初、ハ長調かニ長調で作曲したのでしょう。それをレコーディングの段階で半音上げるか下げるかして、ジュリーが最も「魂を込められる」音域に移調したのではないでしょうか。
ヴォーカル最大の聴きどころはやはり最高音部。
君の愛は束縛 君の愛は強権 ♪
D♭ E♭m7 F7 B♭m
高い「ファ」の音へ一瞬で駆け上がるジュリー。
気高いロック・ヴォーカルです。しかも、これほどの内容を歌っていながらにして、この自然体。
何故そんなことができるのか・・・それは偽りなく「自分の気持ち」だからでしょう。
「気持ちを込めて歌う、というのがどういうことなのかを思い知らされた」というのは、2010年リリースのジュリーwithザ・ワイルドワンズ「涙がこぼれちゃう」の歌入れに立ち会った時の吉田Qさんのお言葉ですが、どれほど才能があろうと、どれほど歌が上手かろうとなかなかできないことを、ジュリーは年を重ねるに連れさらに高みへ高みへと進化しながらやってのけます。
「強い国」?
「美しい国」?
この国で一番強くて美しいものを壊さないでくれ。
僕には、「un democratic love」のジュリーの声がそう言っているように思えます。
歌はもちろん、作詞も、制作スタンスも・・・元々ジュリーが持っていた稀有な資質が、『PRAY FOR EAST JAPAN』と『LOVE AND PEACE』のコンセプトと共に底知れない高みへと昇る、今なおその途上にあります。
「もうここまで」という感じがまったくしない・・・天賦の才能だけでは為し得ないことですね。「粘り強く続ける」ことがどれほど尊いかをジュリーは教えてくれます。
もうジャンル云々じゃない、すべてを凌駕している・・・。
そう思いつつもやっぱり僕は今年の新譜1曲目「un democratic love」を聴いた瞬間から、「最高にロックだな、ジュリー!」と興奮していたのでした。
君の愛は冷酷 君の愛は不遜
D♭ E♭m7 F7 B♭m B♭m(onA♭)
命の 重さに 気づかないんだ
G♭maj7 D♭(onF) E♭7 A♭
君の愛は脆弱 君の愛は違憲
D♭ E♭m7 F7 B♭m B♭m(onA♭)
un democratic love don't love me so ♪
G♭maj7 A♭ G♭maj7→
民主主義ならざる愛
僕をそんなふうに愛さないでくれ
「日本」がそう歌っているんだよね、ジュリー?
このバラードは、世界の誰の歌よりもロックです!
いやいや、この1曲を記事更新するだけで、凄まじく時間がかかってしまいました。
先月に野党5党が提出した廃止法案は審議すらされないまま放置され、安倍さんは在任中の改憲への意欲を語ります。
僕は、本来は政権や体制そのものを否定する者ではない・・・とにかく「戦争を否定する者」として、この「un democratic love」の記事を書いたつもりです。
僕のような者がこんな内容の記事を書けていること自体が「自由」であり「民主主義」なのだ、と言われればそれはその通りなんですけどね・・・。
ただ、毎年そうなんですけど、音楽として優れていなければ僕はこんなに熱くはなれないんです。
特に今回の新譜は、僕とは真逆の考え方のファンの心をも撃つ大変な名盤だと信じます。
だから、「話し合いましょう」と思う・・・「この先」僕らが何処に向かっているのかについて。
今年の新譜は、1曲目が「安保法制」、2曲目が「被災地の現状」、3曲目が「原発再稼働」、4曲目が「世界平和」と、それぞれのテーマがハッキリしています。
その意味では、次回の2曲目が収録曲中最も執筆に時間がかかるかもしれません。
今日の1曲目「un democratic love」も相当踏み込んだことを書いたけれど、「元気に暮らせている自分が、しっかりと声にしなきゃ」という気持ちを持ってひたすら頑張れば良かった・・・でも2曲目「福幸よ」ではまず、今なお悲しみや苦しみの中にいらっしゃる人達のことを最優先に考えなければいけません。
「元気な自分がうしろめたい」という気持ちと戦わねばなりませんし、かと言って過剰にへりくだった卑屈な心で考察できるほどジュリーの歌は甘くありません。
またしても更新までには日数を要するかと思います。どうかご了承くださいますよう・・・。
とにかく、全力を尽くすより他ないのです。「福幸よ」は柴山さんの作曲が熱く楽しいロックですから、それがきっと力になってくれる・・・そう思っています。
週末には『悪名』も始まりますね。観劇されたみなさまのご感想も楽しみにお待ちしております。
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コメント
この糞路線いいかげんにしてほしいけど
聞いて喜んでる反日のファンが死滅しないかぎり無理だな
投稿: | 2016年3月24日 (木) 07時22分
名無し様
ここまで踏み込んだことを書いた以上は、反対意見やご批判があることは当然です。ジュリーとは関係ないところで誹謗中傷を受けることもあり得るだろう、と覚悟しています。
でも、名無し様はジュリーファンでいらしゃるのでしょう?
確かに僕は後追いでジュリーについて勉強途中の身ではありますが、同じジュリーファン同士、もっとキチンとした言葉でお話したい、と思っています。
今回頂きましたコメントは、とても残念です。
投稿: DYNAMITE | 2016年3月24日 (木) 09時26分
DY様 こんにちは
考察お疲れ様です。
私も曲の美しさにはまっています。私は風をイメージしました。メロディーはどことなく、「マホガニーのテーマ」に似ているなと思いますが、リズミカルになる辺りは、オリビアの「そよ風の誘惑」を思い出させます。重い歌詞が並びますが、韻を踏んだ作りが自然なラブソングに聴こえて来て、英詞部分へのクッションになっている気がしています。
それと、歌詞カードのインナーデザインが爽やかで且つ、文字フォントが大きく太字になり、とても見やすくなりました。このジュリーの心配りは、これで二回目ですね。
ダイナマイトさんが譜面起こしをしている様子が垣間見れて、楽しくなりました。
ハヤブサ氏の急死に、私も驚きました。24時間テレビでの10カウントが、奇しくも現実になってしまいました。最高の空中業師でした。残念。
投稿: BAT | 2016年3月24日 (木) 12時49分
BAT様
ありがとうございます!
そうなんですよ。サビは痛烈で重いフレーズが並んでいるんですけど、それぞれの行の最高音部のフレーズが「ん」で韻を踏んでいるんですよね。
このことは、いつもお邪魔しているブログ様が最新の記事で書いていらして、遅ればせながら僕も気がつくことができたばかりです。
そしてBAT様仰る通り、そこで韻を踏んでいるのが次に続く英詞「un democratic love~」の箇所へ心地よいクッションになっているようですね。
「マホガニーのテーマ」は気がつきませんでした。言われてみますとそんな雰囲気あります!
ハヤブサ選手はやはり、対ライガー戦が強く印象に残っています。
リスペクトする選手、特に自分より年下の選手の訃報は本当にやりきれません。改めてご冥福をお祈りしたいと思います。
投稿: DYNAMITE | 2016年3月24日 (木) 16時07分
DYさま
こんばんは。新譜記事お待ちしていました。
私は毎年楽○で予約しておりますが、今年初めて入手が大幅に遅れました。。。
シーソーのようですね;
この曲の音域の幅広さ、低音も高音も今のジュリーの持ち味が活かされているところなど
ジュリー声を知り尽くしている泰輝さんならではだなぁと思います。
(我が窮状を聴いたときも大野さんに同じ感想を持ちました)
テーマが、世論としてもざっくりと二分されて、言い分も相反するものですが、いつも
ジュリーは自分の言いたいことをとことん表現してくれている。その姿勢をこれからも
ずっと応援しつづけたいです。
英語の部分、私は「民主主義でない愛だから僕のことは愛さない(僕には届かない)」
と読みました。どうでしょう。
では次の更新も楽しみにお待ちしております。
投稿: 湿原 | 2016年3月24日 (木) 22時29分
DY様 こんばんは。
穏やかなメロディに乗せたあまりにもストレートなメッセージ。今、こんなふうに自分の思いを何も恐れず社会に発信できるのはジュリーくらいしかいないのでしょうか。DY様がおっしゃる通り、スコーンと言い切ってしまった爽快ささえ感じます。
キヨシローさんがいたらとふと思います。
考え方はいろいろですし、私も全て同じ考えなわけではありません。
ただ、目に見えないタブーや歪んだ思い込みが真実から人の素朴な感性を遠ざけてしまうのが一番怖いのかもしれないと思います。
投稿: nekomodoki | 2016年3月25日 (金) 00時03分
DYさま
長文執筆ありがとうございました。
真の暴君には カリスマ性がある とのご指摘、『そうだよね』とうなずきました。
本当に危険なのは、これからですね。
流されないために 真を見抜く目を持てたなら と思います。
国を一人称にすることで Don't love me so の解釈が腑に落ちました。
美しいメロディーラインです。 ライブでどんなふうに完成するのか楽しみです。
投稿: ぷー | 2016年3月25日 (金) 00時21分
湿原様
ありがとうございます!
えっ、今年は楽○さんで発送遅延があったのですか。
毎年遅れる密林さんでの予約を避けたファンが多かったのでしょうか。こうなると本当にシーソー状態ですね…。
「僕には届かない」…ジュリーは正にそう歌っていますね。2曲目「福幸よ」にも登場する「命の重さ」というフレーズ…ジュリーはまずこのことについて考えて欲しい、と新譜4曲すべてで訴えているように思います。
泰輝さんの作った音域は本当に素晴らしいです。仰るように、ジュリーが歌いやすい範囲を知り尽くしているのでしょう。
☆
nekomodoki様
ありがとうございます!
たくさんの違う考え、あって当然なんですよね。
大切なのは「聴く耳を持つ」ということではないでしょうか。子供達が「平和への誓い」でそう言っているのに「話し合わない」大人達は…と思うとやりきれません。
それにしてもこの美しいメロディー。かなりきわどい詞のはずなのに、柔らかく、優しくジュリーの声がしみわたってきます。個人的には『3月8日の雲』以降の曲の中では一番好きな曲かもしれません。
ただ、自分で歌ってみると本当に難しい…。歌詞も含め、ジュリーにしか歌えない曲でしょうね。
☆
ぷー様
ありがとうございます!
今は、本当に危険な「その時」に向かって下準備が進められているように感じられてなりません。ジュリーもそれは感じているのではないでしょうか。
僕は自分の「目」には自信は無いんですけど、なんとかアンテナをキチンと張って、努力していくしかないかなぁ、と思っています。
CDで聴いていたイメージがLIVEで劇的に変わること、ジュリーはよくありますね。
今年、この大好きな曲は生で聴いたらどんなふうに伝わってくるのか…それは本当に楽しみです!
投稿: DYNAMITE | 2016年3月25日 (金) 17時08分
DYNAMITE様
大変ご無沙汰しております。
新しいアルバムのご伝授、心待ちにしておりました。
お題の曲、私がいつもいつも感じている某首相への苛立ち、気味悪さがその通り歌われており、本当に驚きました。「駄々っ子」「会話にならない」「大人だよね」など、たまに国会中継を見たときに受ける印象そのままでしたから。そんなこんなで、この歌の主語、あるいはDon't love me soのmeは、紛れもなく「私」でした。Dynamite様が記事中、「日本」とおっしゃっているのを拝見し、目から鱗の思いでした。こうした詞を美しいメロディに乗せてやさしく諭すように歌うのはJulieならではですね。
ところで、nekomodoki様もコメントに書いてらっしゃいましたが、現況への違和感、異議申立ては、Julieにしか歌えないのでしょうか。アルバムを聴きながら、私もずっと清志郎さんが頭を離れませんでした。昨年の渋谷公会堂で、Julieは、清志郎さんが生きていたら彼が渋公の最後を飾っただろうと言っていましたね。このアルバムの制作に当っても、Julieは同じようなことを考えたのでは、と想像したりしています。特に『犀か象』は。清志郎さんとその音楽をよく知っているわけではありません。情報として触れたにすぎない彼の活動と今回のアルバムの前に激リピしていた『彼は眠れない』中の≪KI・MA・GU・RE≫からの推測ですが・・・。
長くなってしまいましたが、最後に、まるでミサの曲のように荘厳に聞こえた『Welcome to Hiroshima』について。子供たちの言葉は、un democratic loveを押し付ける駄々っ子の対局にあるようです。何よりも、広島に暮らす私にとって、遠く離れた場所にいるJulieが、広島の子供たちの言葉に気付き誠実に向き合っていることに心打たれます。Julieは凄い!
2曲目以降のご伝授楽しみにしております。
とはいえ、どうぞお身体を大切に。
投稿: jviaje | 2016年3月27日 (日) 04時31分
すみません。誤字です。
(語)対局→(正)対極
投稿: jviaje | 2016年3月27日 (日) 04時43分
jviaje様
ありがとうございます!
まったく仰る通りで、これはジュリーが国会中継を観ていなければ書かれなかった詞でしょうし、考え方は様々あるにせよ、僕らも同じものを観ているから、「君=安倍さん」という捉え方ができます。
清志郎さんのお話は驚き嬉しく思いました。
正に僕は「犀か象」の記事で書こうと考えていたことがあったからです。あの曲は僕の周囲で賛否分かれていますが、「犀か象」(再稼働)という語呂合わせに「馬」「鹿」を合わせてくるあたりは、本当に清志郎さんが得意とした日本語ロックの手法です。
「犀か象」に違和感を抱くジュリーファンのみなさまは、「言葉遊び」に違和感を抱いているようでいて実は、「ジュリーがそれをやる」ことへの抵抗を感じとっていらっしゃるのではないか、と僕は考えます。それも分かるような気はするのです。
清志郎さんが生きていたら、今「un democratic love」がジュリーの役割であり、「犀か象」が清志郎さんの役割になっていたはずですから。
もう、両方ジュリーがやるしかなくなってしまいました。でも僕は、ジュリーファンはそれを誇りに思って良いと思います。
詳しくは3曲目の記事で書きますね!
投稿: DYNAMITE | 2016年3月27日 (日) 12時43分
DY様
超大作の執筆お疲れさまでした。
ジュリーも歌っているように、人それぞれ意見があり、何でも頭ごなし否定というのはよくない、聴く耳持とう、これはよくわかります。その上で私の感じたことを。
まず、音の面では依知川さんのベースが最大の変化ですよね、依知川さんはジュリーのスタジオ録音曲でのベース参加は多分初めてですよね。下山さんの不在は確かに残念ですが、編成的には私の好みはこちらです。
次に歌詞、メッセージについてですが、これは正直私にはビミョーです(笑)。ずっと偏ったテーマについての新曲ばかり出し続けていること、例えば鉄人バンドのメンバーはどう思っているのか興味がありますねぇ。私はストーンズやピストルズも好きなんでメッセージソング自体は抵抗感ありませんが、娯楽としての気楽さもジュリーには求めているわけで……。
以前申し上げましたが、私はけっこうコアなRCサクセションや清志郎さんのファンです。『カバーズ』発表や発売中止騒ぎ、その後事件に対するアンサーソング集のような『コブラの悩み』リリース、そして「作ってもレコード会社が発売してくれないなら」と、ライブ、ラジカセ録音自由化宣言、それに伴いセットリストの半数以上新曲という異様なツアー……。あの頃のRCはカッコ良かったけど素直には楽しめませんでした、少なくとも私には。RCのメンバー内にもいろんな意見があり、「そこまで歌っちゃいけない」と考えた人もいたと聞きます。まあ、清志郎はその後タイマーズのゼリーになって活躍したみたいです(あくまでも「清志郎に似た人」という設定らしいので)。
私は安倍さん好きではありませんし原発も基本的には反対、反戦反核は言うまでもありません。かと言って安倍さん全否定まではしませんし、他に首相適任者も思いつきません。一つ言えるのは私たち一人一人が今よりもう少し核や原発、放射能、被災地のこと、平和のことに関心を持つべきでしょう。
清志郎さんのラストアルバム『夢助』の中には「オーティスが教えてくれた」って曲があります。
🎵オーティスが教えてくれた
叫ぶこと
愛し合うこと
戦争をやめること
この精神ですよね?
投稿: ねこ仮面 | 2016年3月27日 (日) 14時06分
DYNAMITE様
渾身の新曲伝授はDY様の心情吐露と拝読。
私はこの曲の歌詞を一読した瞬間、元気湧き出ましてね(゚ー゚)
このところの我が国の向かう方向に不安を感じておりましたので、勇気をもらったと嬉しかったなァ。
静かな美しいメロディにのせた、痛快爽快なツアータイトル曲だとしか思えないのは、我が国のリーダーに対して毎日のようにため息と共に口から漏れてしまう単語が並ぶから。
主義主張はそれこそいろいろあるのは当たり前で自由です。ジュリーは自分が思っていることを歌うという真のロックンローラーだと今更ながら誇りに思います。
67歳のROCKERの心意気、かっこいいじゃないですか。彼こそ前向きなRolling Stoneだと。
今年のライブで早く聴きたいです。
投稿: りんだ | 2016年3月27日 (日) 23時08分
ねこ仮面様
ありがとうございます!
歌詞を掘り下げることにいっぱいいっぱいでなかなか詳しく触れられずにいますが、仰る通り今回の新譜は「ベースの入ったレコーディング・アルバム」というのが大きな変化です。
やっぱり落ち着くんですよね。これで下山さんのギターも健在ならば最高なんですけど…。
僕は本格的にジュリー堕ちしたのが2008年のドームで、そのためでしょうか、言わば「社会派」のジュリーにすんなりと気持ちが入っていけました。元々メッセージ・ロックが好きというのもありましたが、子供心から引き続いて持っていたジュリーのイメージがドームで一新されることで余計に惹かれた、という部分が大きかったのだと思います。
多くの人が、今の社会問題に関心を持つことを願う気持ちは、ジュリー堕ちで一層大きくなりました。色々な考え方があるのは当然ですが、僕は僕の思ったことを書くしかありません。
残す3曲も大長文になる可能性大ですが(汗)よろしくおつきあいくださいませ。
☆
りんだ様
ありがとうございます!
今回の新譜…特にこの「un democratic love」を聴いて「元気が出る!」「ご飯バリバリ食べられる!」なんて感想は少数派なんだろうなぁ、と思っていたところに、りんだ様はじめ何人かの方が「私も元気出た」と仰ってくださったので、一層勇気を頂きました。ありがとうございました。
何度も下書きを直して時間がかかっての更新となりましたが、最初はもっと過激な文章でございました(笑)。でも、りんだ様はその方が読み応えがあったのかもしれないなぁ…。
さすがに怖くもあったので、これでもずいぶん柔らかい内容になってから更新してるんですよ~。
僕が昔から憧れていたロック・スピリットが、今この国で生き続けていると実感します。
ジュリー、カッコイイですね。最高にカッコイイです!
投稿: DYNAMITE | 2016年3月28日 (月) 18時34分
DYNAMAITE様
いつも情熱的なレポ並びにご考察、楽しみにして拝読しています。
DYNAMITE様のファンとしては、新曲のご考察、今か今かと心待ちにしておりました。
私は、2012年からジュリーのライブに行くようになった本当の若輩者です。昔の甘美な恋の歌を歌われるジュリーは、もちろん唯一無二の素晴らしさがあると思いますが、私自身が、洋楽でもメッセージ性の強いロックが好きだったので、震災以来、あえて重いテーマを選んで歌われているのも、彼の万華鏡のような魅力と深い愛の表現だと思っています。
「愛の反対語は憎しみではなく無関心」という言葉があります。ややもすれば、悪い癖で喉元すぎれば熱さを忘れ、日々の事で忙殺され、意図せず無関心になってしまいそうになる私達に対し、「原発問題」「安保法制」「愛と平和」という、恐らくファンの間でも賛否が分かれるテーマを繰り返し取り上げて警鐘を鳴らしていらっしゃるのではないでしょうか。日本を愛し、ここに住む私達に対してのジュリーの昇華された強い愛があるからこそ、無関心でいられないという想いが根底にあり、今の彼の歌を聴く人々に伝えているような気がします。
DYNAMITE様が、ご考察の中で『「祈り」「嘆き」は変わらない中で、僕は今年の新譜に「前進」を感じます。いや、実はそれは前作『こっちの水苦いぞ』から既にありました。』と書かれていますが、私も、同じ事を考えていました。それは、今年のお正月ライブで、「サムライ」を歌われる姿からも、強い決断というか、意志が垣間見られたような気がします。
とりとめもないコメントになってしまいましたが、最後に、ジャケットの銀色について。
淀んだグレーにも見えるし、キラキラしているようにも見えますね。
ご存知かもしれませんが、英語の諺に「Every cloud has a silver lining.」があります。
どんな雲にもみな銀の裏地がついている 、つまり、雲の裏側には太陽で照らされたキラキラした部分があるので、「憂いの反面には喜びがある」とか「絶望の中の希望」という意味で使われています。今年の新曲の4曲目「Welcome to Hiroshima」の結びが「未来を信じて」「人間を信じて」というフレーズで終わっているのも、ジュリーが、新曲を聴く人に、ライブに集うファンに、そして日本に対し、希望を持っている事を形にしたのでは?と私個人は思いました。
これからも、ご考察楽しみにしております。
投稿: アレックス | 2016年3月29日 (火) 23時13分
アレックス様
ありがとうございます!
「憂いの裏側には喜びがある」「絶望の中の希望」。アレックス様のジャケットデザインの解釈、脱帽&感服です。
なるほど…「Every cloud has a silver liningですか。ジュリーならば知っていた言葉でしょう。僕は恥ずかしながら初めて知りました。勉強させて頂きました。
最初にCDを聴いた時に確かにあった、「これまでの4枚とは違う」という感覚は、ジュリーが提示してくれた「絶望の中の希望」を無意識に聞き取れていたからかもしれません。
そうですよね、今年の新譜はそういう意味でも「前向き」です。
「万華鏡のような魅力と深い愛の表現」とのお言葉にも感動しました。正にそれが今のジュリーですね。
僕はこの数年でようやく「関心があるのにそれを抑えて触れないようにする」自分を脱することができました。
今年の新譜では、さらに一層の勇気をジュリーから受け取ったような気がしています。残す3曲も全力で取り組みます!
投稿: DYNAMITE | 2016年3月30日 (水) 09時16分
DY 様、ご無沙汰しています。
新曲の伝授ありがとうございます。
今回の新曲も、歌詞の言葉を噛みしめながら、前向きのジュリーからのメッセージ、心に響いて来ます!
今年のCDを手にしたとき、そのメタリックなデザインから私が直感的に思い浮かべたのは、メルトダウンした原発の溶融デブリでした。もちろん見たことはありませんし、もしかしたらもっとどす黒い金属の塊のようなイメージありますが、それしか思いあたりませんでした。そして、文字のない黄色のリストバンド、、、これは、再稼働してしまったり、これからそうしようとしたり、の各地の原発への警告のように感じました。
ジャケットを開けて曲を聞くと、一曲目はパッケージのイメージよりは柔らかい曲調で始まった感がありました。歌詞の"me"について、自分ではモヤモヤしていましたが、ご伝授拝見し、参考になりスッキリしました。ありがとうございます。
それから、アルバムと直接関係ありませんが、黄色いリストバンドについての記憶をひとつ、、、
去年、私の地元で、ジュリーのお芝居の初めての公演がありました。これは、2011年に開催予定で震災のため中止になってしまったのが、4年越しで漸く来てくれたものでした。
舞台上では、役を演じる訳ですから、もちろんジュリーはリストバンドはしていませんでしたが、終演後に遠方よりジュリーのお姿をみるチャンスがあった時には、ジュリーの右腕にあのリストバンドがありました。ステージ以外でそれを見た時、ジュリーの気持ちが伝わってきて、凄く嬉しかった!思い出すと今でもジーンとします。
ちょっと話がそれてしまい申し訳ありませんでしたm(__)m
次の伝授も楽しみにしています。
投稿: yurachan | 2016年4月 1日 (金) 01時09分
yurachan様
ありがとうございます!
オフィス二十二世紀からのダイレクトメールも嬉しい今日この頃ですね~。
なるほど、yurachan様のジャケット解釈…ジュリーならあり得るかもしれませんね。
2011年のあの時「メルトダウンはしていない」と言い続けてきた東電が「メルトダウンだった」と認めるまでにかかった歳月が5年とは…といったことを「犀か象」の記事で書こうと考えていたところでしたので、「なるほど」という思いがしました。
yurachan様お住まいの地域は本当に大変でしたから、リストバンドをつけてお芝居に臨むジュリーは(2011年の予定が中止となったこともあって)いつにも増して気持ちが入っていたでしょう。
リストバンド姿のジュリーを見かけることができた、というのは素晴らしい体験でしたね!
投稿: DYNAMITE | 2016年4月 1日 (金) 20時10分
DYNAMITE様
こんばんは。
DYNAMITE様より息子に「福幸よ」をおすすめいただいたのをきっかけに、今まで手を出せずにいた震災以降のジュリーを怒涛の勢いで聴き込んでおります。聴いていて辛い歌詞のものもありますが、「こっちの水苦いぞ」「un democratic love」「ISONOMIA」の3曲がクセになってリピートしまくっています。
で、お題の「un democratic love」を聴いてて、ふと、最後のピアノ、なんか聴いたことがあるような?アヴェマリア?そう思うともう、アヴェマリアにしか聴こえません。シューベルトのです。アヴェと安倍?と思ってしまいました。
話は変わりますが、1月のフェスティバルホール2日目に参加しました。去年の奈良に続き人生2度目のジュリーです。とても素晴らしいライブでした!
去年からの新参者の私でさえ、バンドのメンバーチェンジは衝撃だったので、皆さんのショックはいかばかりかと思います。
でも、ジュリーの口から「まだまだ冒険がしたいんです」という言葉を聞いて、本当に新鮮な驚きがありました。古希を迎える人の口から「冒険」という言葉が出るなんて!
50周年のライブが終わってしまったら、もうこんなにたくさん回ってくれることもないんだろう、これから縮小傾向になってしまうんだろうと、勝手に思い込んでいたので、噂に聞く古希ツアーにも本当にびっくりです。
それにしてもジュリー、強靭ですね。選ばれし者に与えられた体なんでしょうか。本当に人間なのかなと思う時があります(笑)
投稿: かあさん | 2018年2月 3日 (土) 00時19分
かあさん様
ありがとうございます!
この曲での泰輝さんの作曲、ピアノには僕はビリー・ジョエルを想起しましたが、なるほど「アヴェ・マリア」ですか。確かに似ています。
歌詞中の「君」が安倍さんを指すことは確実ですから、単なる類似を通り越して色々と考えてしまいますね。
バンドメンバーのことは本当に淋しく、現在長々と下書きを続けている熊本のレポが終わったらその件についての記事も書きますが、古希ツアーのスケジュールにはとにかくド肝を抜かれました。
ジュリーはデビュー以来「後のフォロワーを生む」先駆者でしたが、今はもう誰も真似などできない道に突入しているのですね。
投稿: DYNAMITE | 2018年2月 5日 (月) 09時16分