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2016年2月

2016年2月22日 (月)

沢田研二 「お気楽が極楽」

from『いい風よ吹け』、1999

Iikazeyofuke

1. インチキ小町
2. 真夏・白昼夢
3. 鼓動
4. 無邪気な酔っぱらい
5. いい風よ吹け
6. 奇跡
7. 蜜月
8. ティキティキ物語
9. いとしの惑星
10. お気楽が極楽
11. 涙と微笑み

---------------------

多くのみなさまもご覧になったでしょうが、僕も『レッツ・ゴー・ヤング』の「OH!ギャル」(&ロッド・スチュワートのカバー)映像の再放送を観ましたよ~。
カミさんの話だと「You Tubeにも上がっている結構有名な映像」らしいですけど、僕は初めて観たかなぁ。
「ハンドクラップはキーボードで出しているのかな」とか、「女声コーラスは生なのか?」とか、ヒヨッコにはまだまだ多くの謎が残されています。

それにしても凄い名曲だなぁ、と。
で、やっぱり「この曲を生のLIVEで体感できる日は来るのだろうか」と考えてしまいます。
『ジュリー祭り』のセットリストから外れたいくつかの有名シングル曲については、「そのうちすぐに聴けるだろう」という当初の予想に反し、僕個人の初体感までにはなかなか時間がかかっている現状。
昨年の『こっちの水苦いぞ』ツアーで「恋のバッド・チューニング」はじめ加瀬さんのシングルがいくつか聴けて、今年の『Barbe argentée』では待ちに待った「麗人」をようやく聴けました。
それでもまだまだ残っている・・・「魅せられた夜」「酒場でDABADA」「渚のラブレター」「OH!ギャル」。
聴きたいなぁ、いつか聴けるかなぁ、「OH!ギャル」だけは無理かなぁ・・・とつらつら考えた時間でした。


さて本題。
”『Barbe argentée』セットリストを振り返る”シリーズも第3弾です。今日は、依知川さんのバンドメンバー復帰を祝してのお題、ということも含めて「お気楽が極楽」を採り上げ考察していきたいと思います。

ついこの間まで「個人的にちょっと苦手な曲」ということで、「DYNAMITE三大壁曲」などと事あるごとに喧伝していたこと・・・「涙のhappy new year」に引き続き、今大いに恥じているところです。
今回もまた、生のLIVEを体感することで、ジュリーに見事壁をブチ破られました。
なにより、僕もいよいよ50代を間近にし、「お気楽が極楽」をリリースした時のジュリーの年齢というものも実感するようになりました。これからの人生、この曲に勇気づけられることがきっとある、と思っています。
アルバム『いい風よ吹け』から、伝授!


まずは懺悔コーナーから(汗)。
『Barbe argentée』以前の僕のこの曲についての印象はどんなものだったか・・・これが何と「ほとんど印象が無い」という、ジュリーファンとして大変由々しき状況でございました(滝汗)。
苦手苦手と言うけれど、「涙のhappy new year」と違ったのは、「どんな詞でどんなメロディーなのか」という基本的なことを反芻するほど聴いてもいなかったんです。

初めて曲を聴いた時最初に引っかかったのは、イントロから入っているサンプリング音。「びょ~ん、びよ~ん♪」って鳴ってて「なんじゃこれは?」と。
音は曲の最後まで消えることはなく、「あぁ、この曲は打ち込みに合わせての演奏かぁ」と先入観を抱いて聴いてしまったこと・・・これが大きい。
いや、僕は別に打ち込みそのものに否定的ではないんですが、何となく構えてしまったんですね。

あとは、サビの最後の最後のコーラスです。あくまで当時のヒヨッコの感想、ということで書きますが

お気楽(ガッツ!) 極楽(ガッツ!)
      G                        D

お気楽(ガ、ガ、ガッツ!) 極楽(ガッツ!) ♪
      C                                  G

これは・・・果たしてロックなのであろうか、と(笑)。

それを言うなら、『忘却の天才』収録「感じすぎビンビン」の「ばばば、びびび・・・♪」は平気だったのか、って話なんですけど、あちらは大丈夫だったんだよなぁ。
アルバム大人買い期の経過も含め、本当にちょっとした感覚の違いだったのでしょうね。
で、それらをして「うわ~、なんか苦手~」と思ってしまうと、ジュリーの詞も(その時は)いささか脳天気が過ぎるんじゃないかなぁ、なんて感じてしまって・・・。
恥ずかしい次第です。

そもそも、『ジュリー祭り』後に大人買いした未聴のアルバムの中、『いい風よ吹け』は、『サーモスタットな夏』『忘却の天才』『CROQUEMADAME & HOTCAKES』などとは違い、初めて聴いた時に「ん?これはちょっと好みに合わないか?」と感じてしまった作品でした。
うまく説明できないんですけど、例えばこのアルバムでの白井さんのアレンジはレッド・ホット・チリ・ペッパーズの影響が色濃いのかな、と思っています。僕はレッチリって、とても肌が合う部分もあればまったく合わない部分もある、というバンドで、「お気楽が極楽」には「合わない部分」を見とってしまったのかなぁ(あくまでアレンジの話ですが)。

でも、その頃僕はもう完全にジュリーの90年代以降の名盤達の虜になっていて、「このアルバムも、聴き込めばきっと何か感じるものがあるはずだ」と考え、鬼のように繰り返し聴いたんです。
その確信は正しく、年が明ける頃(2009年『奇跡元年』の前くらいのことですな)には大好きなアルバムになっていました。ただひとつ問題は・・・僕は通勤時間の電車内などで音楽をじっくり聴くことが多いんですけど、このアルバムから「お気楽が極楽」1曲を抜けば通勤時間にちょうど良い長さになる、と気づいて、わざわざ10曲入りに編集し直したCDを持ち歩いていたという・・・。
つまり、僕がアルバム『いい風よ吹け』を大好きになる過程で、「お気楽が極楽」1曲だけが、その存在を無くしていたのでした。

その後、この曲についてはCD音源で聴く機会も少なく、たまにツアーDVDなどで歌われているのを観て「おおっ壁曲!」などと面白がるにとどまり(『Barbe argentée』直前も、『祝・2000年大運動会』で観ていました)、再評価に至らぬまま今回のツアーを迎えました。
「マッサラ」に続いて、あの独特のイントロのギター・リフが始まった瞬間、思わず隣のカミさんに「うわ~出た~!この曲苦手なんだよ~」と(汗)。
ところが、すぐにノっていけたので我ながらビックリ。

前のお2人連れのお客さんが嬉しそうに身体を動かしていらしたことも良かったのでしょう。
しかも、なんと新鮮なことか・・・次にどういうメロディーになるのか、どんな演奏が繰り出されるのか、どんな歌詞フレーズがカッ飛んでくるのか、ジュリーの歌を全っ然予測できない!というね。
ジュリーのLIVEでこんな盛り上がり方をしたのは、『奇跡元年』の時に「まだ知らない曲」だった「希望
」以来のことでしたよ。

ただ、その場ではひたすらジュリーの歌とバンドの音に「酔った」感じで、自分なりにこの曲の魅力を改めて再評価しそれまでの己の不明を恥じ入ったのは、後日CD音源を繰り返し聴いてからのことでした。
これは、50代に入ったジュリーの反骨心・・・痛快な「負けじ魂」の歌だったんですね。

僕に気づきたくなかったんだ
G          F               Em

醜いんだぞ 恐ろしいんだぞ (optimistic)
E♭        G  D           C        D

誰も助けてくれないんだよ 空回りだぞ
G          F          Em         E♭        G

震えるんだよね グズと言われて ♪
D          C         D                 G

ジュリーは凄いです。
みなさま観たばかりであろう「OH!ギャル」の映像のような・・・本当に自他共に認めるあれほどの美貌の人がですよ、50歳を超えて、ふと自分の顔、身体を俯瞰した時の衝撃を、真っ正直に歌っています。
僕の場合は男性だし、ジュリーがどんな体型であるにせよ、昔どれほど綺麗だったにせよ、そんなことには関係無く今のジュリーに惚れ込んでいるんだけど、「醜いんだぞ」と自分のことを歌いきってしまうその感性こそ「男」だと思うし、そういう人だからこそ若い頃から圧倒的な地位に昇りつめたのだと思います。

何も容姿だけのことではありません。50歳を過ぎれば、身体も何処かくたびれてくるのは当たり前。
かく言う僕もこの「お気楽が極楽」の魅力に気づかないでいる間、知らず知らずのうちにその歌詞を真に共感できる年齢になっていたんだなぁ、と今思います。
ジュリー51歳。色々とこの歌詞に描かれているような体験が実際にあったんだろうなぁ。名も知らぬ若造に「グズ」と言われたりしたのかなぁ、と。
「震えるんだよね」の「震える」とは、若い頃のようには動かなくなった身体への驚き、ショックと、失礼な物言いをしてくる若造への怒り・・・その両方なのかな。

反射神経が鈍くなり、雑踏の中で動作がぎこちなくなる瞬間・・・僕も最近は多くなってきました。腰を痛めてソロソロと駅の階段を降りていたら、後ろから若い兄ちゃんにプレッシャーかけられたり、とかね。
情け容赦なく歳月は過ぎていきます。

でもジュリーはこの曲で歌ってくれる・・・「それがどうした、まだまだくたばらない、日々の風が吹くまま、お気楽に行こう、それが極楽」。

いや~、沁みる!
だから、この曲が大好きになった今僕は、年長のジュリーファンのみなさまを一層リスペクトすると同時に、辛い時やシンドイ時にこれほど頼もしい曲も無いだろう、と「この先」を思うこともできます。

そして、今回『Barbe argentée』でジュリーがこの曲を歌った意味についても改めて考えます。
バンドメンバーに復帰した依知川さんのために、依知川さん作曲作品の中から1曲選んだ、ということは間違いないとして、何故それが「お気楽が極楽」だったのか。

弾ける 明日 きっと 来るさ
      G       D         C        G

死んで たまるか パーッと 行くぜ
       Bm          C           Am7    D

世界で たった ひとつ だけの
      G         D         C         G

服を まとって 今日も 走る ニューソング ♪
   Bm         C         Am7   D           A

(この曲はト長調ですが、「ニューソング♪」歌詞直後のギター・ソロ間奏部は「A→E→D→A」の進行で、1音上がりのイ長調に転調しています。最後の「A」のコード表記はその構成に基づきます)

リリースから時は経ち、2016年。
残念ながら、年若い国会議員が「日本は核武装すべき」なんてことを、与党内で平気で政策議論できるようになってしまった世の中です。

老いたるは無力を気骨に変えて、「負けてなるかよ」「死んでたまるか」の精神。
ジュリーの言う「お気楽」って、矜持だと思うんですよ。
どこを向いても危うい火種がウヨウヨしている世の中だけれど、年をとって鈍くなってきた心身に「お気楽」を注入し、明日も明後日も自分は歌を歌うんだ、と。
そして当然、今年も「ニューソング」のリリースがあるわけです。正に2016年・ジュリーの予告編のような、「お気楽が極楽」のセットリスト入りだったのかなぁ。

おっと、詞の話ばかりになっていますね。
最高に明るい、極楽な「音楽」のことも書かないと。

少し前までは苦手だ苦手だと思っていた「ガッツ♪」コーラスや、「びよ~ん♪」というサンプリング音も今ではすっかり大好きに。
独特の追っかけコーラス・パートは2拍目の裏で2回、1拍目の裏で2回と、面白いタイミングで噛んできますね。このアルバムの頃には、「(CDの)ジュリー・ナンバーのコーラスと言えば伊豆田洋之さん」というイメージが確立していますが、依知川さん作曲作品では、依知川さん自身がコーラスを担当しています。
ツアーDVDを観ても、依知川さんのコーラスは本当に素晴らしいですし、これから先再びジュリーのステージで欠かせない役割を担ってくれるでしょう。

サンプリングのあの音はね、僕はずっと以前に先輩から頂いたコメントで初めて気がついたんですけど、アルバム『いい風よ吹け』には、「himitsu-kun」なるなんとも不思議なクレジットがあるんですね。
「無邪気な酔っ払い」「蜜月」「ティキティキ物語」「お気楽が極楽」の4曲にこのクレジットがあり、どうやらサンプリングを採用している曲でそのように記されているようですが、「音」としてそれが一番目立つのは「お気楽が極楽」でしょう。
『Barbe argentée』ではそんな「himitsu-kun」もしっかり再現され、いやぁ楽しかった!

こうして僕は、壁を完全に乗り越えました。

てか、何故「ちょっと真剣に聴いてみようか」と今まで思い立たなかったのか・・・。
だって、歌詞やアレンジにヒヨッコ故の初っ端の引っ掛かりはあったにしても、メロディーについては間違いなく僕好みなんですよ、この曲。

現時点では依知川さんのジュリーへの楽曲提供はさほど多くはありませんが、名曲揃いです。
共通して言えるのは、メロディーや調号が本当に素直な直球であること。
真っ向勝負の作曲手法と言えます。それをアレンジの白井さんがイジリ倒して変化球に見せかけている、というパターンが意外と多くて、例えば「麗しき裏切り」(『第六感』)でイントロだけキーを半音上げてみたり、「お気楽が極楽」での間奏のみ1音上がりの転調なども白井さんのアイデアでしょう。

依知川さんは幼少時クラシック・ピアノを学んでいたそうですが、ビートルズと出逢ったことで一転ロックを志すようになったのだとか。
とすれば依知川さんの楽曲にビートルズへのオマージュがあっても不思議ではなく、「インチキ小町」はおそらく「ヘルター・スケルター」(『ホワイト・アルバム』)だと思います。今回「お気楽が極楽」でジュリーの決意が聴けたし、夏からのツアーでは「インチキ小町」でハジケまくるジュリーが見たいぞ~。
また、以前ジュリーLIVEでセットリスト前半、後半の間にバンドのインストが配されていた頃、「サン・キング」(『アビィ・ロード』)が演奏されたことがありましたが、これは依知川さんの選曲だったのかもしれません。
ビートルズ好きのベース弾きにとって、本当に演奏が心地よい曲ですからね。

依知川さんのことはこれまで過去のジュリー・ツアーDVDで観るばかりで、最近の活躍までは追いかけていませんでした。
この機にネットで最近の依知川さんのエッセイも拝見しましたが、まずは「謙虚」の精神ありきの上で
「何かを始めるのに遅過ぎるということはない」
「10年あればたいていのことは成し遂げられる」
との文章には感銘を受けました。

依知川さん自身の活動も音楽にとどまらず、この10年で新たに「書」「空手」にも精力的に打ち込んでいらしゃるようですね。いずれの道も、依知川さんの堂々たるあの体躯にふさわしいイメージです。
僕も個人的に好きなジャンル(これでも一応書道六段、空手の方は体格的に不向きと悟り半年でリタイアして合気道に乗り換えましたが・・・)ですので興味深々。
特に依知川さんの「書」は、展示などの場があれば是非見てみたいものです。

でも、何より楽しみなのは今後の依知川さんのジュリーの楽曲、ステージを通しての活躍。
期待しています。
何はともあれ・・・おかえりなさい、依知川さん!


それでは、オマケです!
お題曲リリースの1999年に発行された、『婦人公論』掲載のインタビューをどうぞ~。


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20代の頃に胸に秘めていた反骨心について穏やかに語るジュリー。
その反骨心は50歳を超えてなお衰えず、年齢にふさわしい形に深まり進化して「お気楽が極楽」のような痛快なメッセージ・ソングを生み出しました。
これほどの特別な歌人生を送っているというのに、ジュリーは
本当に自然な年のとり方をしていますね。

僕も来年には、この当時のジュリーに年齢が追いつきます。遠く及ばぬまでも見倣いたい、あやかりたいという気持ちでいます。


それでは次回更新は、”『Barbe argentée』セットリストを振り返る”シリーズ第4弾・・・「彼は眠れない」をお題に採り上げる予定です。
少し前までは、いくらEMI期の曲を記事に書き熱烈にお勧めしても、新しいファンのみなさまはなかなかCDが入手困難、という状況が続いていました。
しかし、ずっと待ち望んでいた再発リリースが成った今はもうそんなことはありません。
ジュリーファンのみならず一般のロック・リスナーにも是非聴いて欲しい大名盤からのお題、張り切って書きたいと思っています。

今月は勤務先の決算月で、月末のこれからは怒涛に忙しい一週間となりますので、更新の間隔は開いてしまうかと思いますが・・・なんとか新譜発売までに”振り返る”シリーズをあと2曲書かないと!
そのためには、まず体調を崩さぬこと。
どうぞみなさまも、インフルエンザなどにはくれぐれも気をつけてお過ごしください。

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2016年2月18日 (木)

沢田研二 「マッサラ」

from『耒タルベキ素敵』、2000

Kitarubeki

disc-1
1. A・C・B
2. ねじれた祈り
3. 世紀の片恋
4. アルシオネ
5. ベンチャー・サーフ
6. ブルーバード ブルーバード
7. 月からの秋波
8. 遠い夜明け
9. 猛毒の蜜
10. 確信
11. マッサラ
12. 無事でありますよう
disc-2
1. 君のキレイのために
2. everyday Joe
3. キューバな女
4. 凡庸がいいな
5. あなたでよかった
6. ゼロになれ
7. 孤高のピアニスト
8. 生きてる実感
9. この空を見てたら
10. 海に還るべき・だろう
11. 耒タルベキ素敵

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今週は、先週の土日の暖かさは去り寒くなってきたとは言え、東京は凍えるほどの酷い寒さ、というほどではありませんでした。明日はまた暖かいらしいですし。
ただ、インフルエンザが流行し勤務先でも小さい子供さんのいる人からやられていってる感じです。
気をつけなければ・・・みなさまは大丈夫ですか?

ジュリーファンとしては、ただでさえ毎年2月というのはね・・・「ジュリー枯れ」真っ只中の時期になることが多いですよね。真冬が身に染みると言いますか・・・。
新譜の詳細情報が待ち遠しい今日この頃です。


それでは本題。
ジュリーのセットリストって、結構同じアルバム収録曲を固め打ちするパターンが多いですよね。
今回『Barbe argentée』では、アルバム『耒タルベキ素敵』から「アルシオネ」「マッサラ」「遠い夜明け」「耒タルベキ素敵」と4曲が歌われました。
その中から今日は”『Barbe argentée』セットリストを振り返るシリーズ”第2弾として、まだ記事に書いていなかった「マッサラ」を採り上げたいと思います。
一見ハードな印象が強い曲ですが、メロディーは怪しくも美しく、アレンジの工夫も細やかで「聴けば聴くほど」の名曲です。伝授!


はじめに・・・白井さんによれば『耒タルベキ素敵』収録曲の多くはアレンジに様々なオマージュ元があるそうですが、僕にはこの「マッサラ」にそうしたネタがあるのかどうかまでは分かりません。
あったとしても、僕の知らない曲かなぁ。
ちょっとXTCの「YOU'RE MY DRUG」を連想するアレンジだとは思っています。
でも、他収録曲のオマージュ元がかなりの有名曲揃いであることを考えると、そんな渋いところからはアイデアを持ってこないような気もしますし・・・。

さて、前回「愛は痛い」の記事で、おもに90年代後半から2000年代にかけてのジュリーの作詞アプローチ・・・僕の考えるところの「3本柱」について書きました。


① 「LOVE & PEACE」を軸とする社会性の高いメッセージ・ソング
② 独特の語感をメロディーに組み合わせた遊び心満載のロック・ポップス
③ 大切な日常を、ピュアな感性のままに綴った等身大な小品

「愛は痛い」を③のパターンとしたわけですが、今日のお題「マッサラ」は明快に②のパターン。
そのジュリーのトリッキーな語感、フレージングもいざLIVE体感すると、「あぁ、ジュリーはこんなことを言いたかったのかなぁ」と色々なことを感じさせてくれる・・・そんな素晴らしさ、深さを僕は最初にこの曲を聴いた時には分からなかったんです。

僕が『耒タルベキ素敵』を初めて聴いたのは、”第1次ジュリー堕ち期”の最終段階である2006年(『ジュリー祭り』以降が”第2次”です。”第3次”は来ません。”第2次”がこの先永遠に続きますから)。

ポリドール期のアルバムを全部聴いた直後でいきなり『耒タルベキ素敵』というのは、僕のセンスの無さを差し引いてもちょっと無理があったのか(ジュリーは本当に、キチンと時代の流れを把握していないと真にその素晴らしさが理解できない名盤が多いです)、YOKO君に「ファンの評価は高いみたいだけど、全演奏トラックの音が一様にデカくて好きになれんなぁ」なんて偉そうに言っていたのですから我ながら許せん(YOKO君は「そんな筈は無い!」とは言いつつも、その時は自ら進んで聴こうとはしなかったわけだからまぁ同罪だわな)。
その時僕は確かに「自分はヘヴィーな音作りが苦手」と思い込んでいて、「音」のことをYOKO君にブツブツ言ってたんですが、実はもう1点・・・「ジュリーの自作詞」への抵抗も感じていました。
ホント、今だから白状できることなんですが・・・下手に「普段から歌詞を重視して色々なロックを聴いている」というのが逆に目を雲らせることがあるんだなぁ、と。

だって、それまで僕の中で「ロック的な歌詞」の範疇には無かったようなフレーズが、『耒タルベキ素敵』収録のジュリーの自作詞曲にはガンガン登場するんです。

「とてつもなくカッコ良いメロディーに、なんだか変テコな詞が載っている」という感覚のジュリー自作詞ナンバーは今でこそ病みつき度が高くて大好物となっていますが、当時僕は本当にヒヨッコでした。
今日は懺悔も込めて、そのあたりを掘り下げていくことから楽曲考察を始めましょう。

僕がアルバム『耒タルベキ素敵』を再評価するまでには、『ジュリー祭り』から2ヶ月ほど遅れをとります。
「持っていないアルバム」をガンガン大人買いしてどんどんジュリーの「深み」に嵌っていくことはすぐにできたんですけど、『耒タルベキ素敵』は既に購入済みで「持っているアルバム」。なのに・・・二重の意味でお恥ずかしい話で、当時僕の部屋はあまりに散らかっていて(遊びに来たYOKO君はよく玄関で「ここ、靴は脱がなくていいんだよね?」と真顔で言ってました笑)CD『耒タルベキ素敵』が行方不明になっていました。
どれだけだらしない生活をしていたか、そしてどれだけ『耒タルベキ素敵』を軽視し放置していたのか、というあまりに酷い低レベルな話。

ですから、よく書いている”『ジュリー祭り』後に部屋の大掃除を決意した”というのは、『耒タルベキ素敵』を発掘する、という目的もあったわけです。
しかし、目につくところからコツコツと掃除を始めてもなかなか見つからず、「もしや捨ててしまったのでは?」と不安になったりしましたが(当時YOKO君には、「プラケースならわざわざ捨てはしないだろうけど、『耒タルベキ素敵』は紙ジャケってのがポイント。おそらく『週刊プロレス』の間に挟まったまま、それと気づかず捨てられたんだろう」と言われていました)、結局大量の本だの何だのの山の隙間から無事発掘は成りました。

すぐに通して聴きましたよ。
驚きました。以前とは全然聴こえ方が違う・・・「マッサラ」の歌詞について言うと、僕がそれまで「なんじゃこの詞は?」とたじろいでいた箇所は

耐えに耐えてる不況風 立ち直れりゃ御祝儀サ
E5

占いは吉さ
C          E5

君努力 僕努力 きっといつか結実
   A5                                          B5

愛を疎通する ♪
C              B7+9

といったあたりの言い回し。
それが『ジュリー祭り』を体感して、『奇跡元年』にも参加して、未聴のアルバム大人買いを経てから改めてCDで聴き直すと、なんとも言えず良い!
きみ、ど~りょく!ぼく、ど~りょく!
この語感・・・これぞジュリーだ!と思っちゃうわけですから本当に不思議です。
そこには、僕自身がジュリー堕ちしたことで何か変わってきているぞ、という実感もあったりして。

2011年の『BALLAD AND ROCK'N ROLL』で初めてこの曲を生体感した時にはそこまで考えられなかったんですけど、今回の『Barbe argentée』・・・ジュリーが今の気持ちで歌った「マッサラ」で最も響き際立っていたフレーズはやはり「平和」だと思います。
僕はこれまで「マッサラ」の歌詞を”「平和」と「君」とでは「君」の方が重い”というふうに無意識に解釈していたんじゃないかな・・・いや、ジュリー自身もあくまでレトリックとしてはそういう使い方をしていたんだろう、とは思います。でも本質的にはむしろ逆で、”「平和」な日々あった上での「君」と戯れるあれやこれや”(平和な日を貪る快楽)がコンセプトだったのではないでしょうか。

AH! 鳩が飛ぶ 歓喜に鳩が飛び立つ ♪
E5          C         E5                 C

他でもないジュリーが「鳩」のフレーズを自作詞に組み込むならば、たとえ自身のヴォーカル曲でなくとも、かつてザ・タイガースが『ヒューマン・ルネッサンス』大トリの「廃虚の鳩」でオービタル・ピリオドを託した「鳩」・・・平和への希望をそのフレーズに受け継いでいるはずだ、と考えるのは、僕の深読みが過ぎるのかなぁ。

そう考えていくと、当初感じていた「詞と曲の合ってなさ感」が距離を詰めると言うか、ジュリーらしい絶妙なバランス感覚に惹かれるようになります。
当たり前のことですが、別の人が作ったメロディーに詞を載せる場合のジュリーは、提供された楽曲のまず最初の理解者でもあるのですね。

それまでのジュリーの歌人生、人脈を踏まえ、今またさらなる新たな金字塔的作品を、ということで、アルバム『耒タルベキ素敵』では過去ジュリーの歴史を彩ってきた多くのキーパーソンが再び楽曲を提供し、そのいくつかでジュリーが自作詞を載せています。
「マッサラ」もそのひとつで、作曲者はエキゾティクス期「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」以来の西平彰さん。

西平さんと言えば・・・最近新たにJ友さんとなった同学年の男性ジュリーファンの方がいるんですけど、彼はオールウェイズ、エキゾティクスの大ファンでもあり、当時西平さんから貰ったファンレターのお返事を、今でも宝物として大切に保管されているそうです。
やっぱり僕と同世代でタイムリーにジュリーファンになると、必然オールウェイズやエキゾティクスの大ファンにもなるものなのですね(僕もその頃にジュリー堕ちしていれば、同じ道を辿ったはずです)。
電話でお話した際に驚いたのは、彼はギターのみならず様々な楽器に詳しくて、エキゾティクス当時に西平さんが使用していたシンセサイザーの機種を次々にソラで言えるんです。僕などは、自分が自宅で愛用しているシンセですら「コルグの・・・ええっと何だったけかな?」という低レベルなものですから、なんだか魔法の呪文を聞いているようでした。

で、僕は西平さんに何となく「音の求道者」のようなイメージを持っていたんですけど、それを証明するような彼のお話・・・曰く
「西平さんは(エキゾティクスとのジュリーのLIVEでは)、ほとんどプリセットの音は使っていなかった」
と。
YMO顔負けの、細かく作り込んだ音を出していたんですって(そうそう、YMOと言えばあの坂本龍一さんが、「日本でドラマーと言えばまず上原ユカリ」と言っていた、という話も今回彼に聞いて初めて知りました)。

そんな「求道者」タイプの西平さん、「マッサラ」の作曲でもそのストイックで凝り性なキャラクターは随所に反映されています。

まず、この曲は長調なのか短調なのか、というね。
いや、譜面表記するなら間違いなく#4つのホ長調になるんですよ。ただ、そうするとコードとしてはAメロ冒頭が「E7」ということになり、ギター1本だけで弾き語ってみた時、「あれっ、こんなに明るくないぞこの曲は」と戸惑う人は多いと思います。ギター1本のコード弾きで歌うなら、全然「Em」の方が雰囲気出るんですよ。
なので僕は今回、上記引用の歌詞部のように「E5」のパワー・コード表記を使いました。

このメロディーのカラクリには色々と要因があるんですが、一番は、ホ長調の曲で敢えて「レ」や「ソ」の音をシャープさせない西平さんのアイデアでしょうね。
この点は、「ジミヘン・コード」を採り入れ長調と短調の境界をとっぱらうような感覚を持つかまやつひろしさん作曲の「everyday Joe」以上に徹底しています。
西平さんが久々のジュリーへの楽曲提供に奮い立ち、あのエキゾティクスの頃の尖りまくった「ロックなジュリー」を思い描いて張り切って作曲した様子が想像できるようではありませんか。

白井さんも「心得た!」とばかりに半倍のテンポに落としたヴァースを用意し、ワウ・ギターを採り入れたアレンジでさらに長調。短調の境界線を曖昧に。
ジュリーはちゃんとそうしたことを分かっていて、バリバリの「新曲」だった「マッサラ」を「オリーヴ・オイル」と繋げて歌う『祝・2000年正月大運動会』のあのスリリングなセットリストが生まれているわけですね。

西平さんの作曲の工夫で僕が具体的に惹かれる箇所は、Aメロの1回し目と2回し目でメロディーが違っている、という点。
普通ならば「知らず知らず♪」のところは出だしのメロディーに揃えそうなものですが、西平さんはここでいきなり高音域に跳躍させていて、ジュリーのヴォーカルが生々しく、ガツンと来るのです。

また、演奏で個人的に好きなのもやはりAメロのアンサンブルなんです。
ずっと鳴っているのはドラムス、ベースのみで、そこに加えて右サイドのアコギの怪しげな単音、左サイドのエレキのブッた斬るようなカッティング。
他のヴァースと比べて全体の音量を「退いて」いるのが肝で、特に2回し目で高音に移行したジュリーのヴォーカルが映えますね。
しかも白井さん、1回し目と2回し目の間のアコギで
「ミレ#レド#ド・・・ ♪」
と延々と半音下降させ、西平さんの歌メロの「長調なんだか短調なんだか」感を煽っちゃってます。

僕はいつか「マッサラ」を、このアコギ入りで生体感してみたいんですよ。ハードなエレキ・サウンドに見えて実はアコギが重要な役割を果たしている、という白井さんのアレンジが大好物なもので。

CD音源だと、「周囲のトラックの混沌に乗じてイッちゃってる」ベースの大暴れ箇所(演奏はマルコシアス・バンプの佐藤研二さん。さすが!)は、依知川さんの復帰により『Barbe argentée』で久々のステージ再現(と言うか完全に「ベース・ソロ」としてフィーチャーされます)となりました。あとは是非、アコギですよ!

あと、コーラスについてなんですけど、最後の最後のサビ部で右サイドから聴こえる、歌メロのオクターブ下の無表情な低い声がとても好きです。
クレジットを見るとこの曲のコーラスは伊豆田洋之さん。でも、確かにAメロの「トゥルットゥ、トゥルットゥ・・・♪」なんかはいかにも伊豆田さん、としか思えないけど、この低音パートだけは、僕にはジュリーの重ね録りのようにも聴こえるんです。
このアルバムでは「ブルーバード ブルーバード」「この空を見てたら」でサリーとタローがゲストでコーラス参加しています。自分のオリジナル・アルバムの曲のレコーディングで改めてサリーの低音に触れたジュリー、「やっぱりええなぁ!」と感激して自分でもやってみた・・・そんなことを勝手に妄想しますが。
まぁでも、やっぱり伊豆田さんなのかなぁ?

最後に。
今回の『Barbe argentée』では初日1度きりのツアー参加となった僕は、その後、依知川さんが在籍していた頃のツアーDVDを観まくって過ごしていました。その中で、久々に観た『爛漫甲申演唱会』の「マッサラ」が凄く良かったんです。
どこか変態チックな感じ(←褒め言葉です)でね。
まぁそれはエキセントリックな衣装のインパクトもあるのでしょうけど、他セットリストも素晴らしく、かなりおススメの1枚です。お持ちでないかたは是非!


それでは、オマケです!
今日ご紹介する資料は、記事お題の「マッサラ」とは全っ然関係ないんですけど・・・。

先日の『報道ステーション』に出演された吉田拓郎さんのお話がジュリーファンの間で大きな話題となっておりまして、いつもお邪魔しているブログ様でも様々なご感想を拝見することができました。
その中で、「拓郎さんはシンシア(南沙織さん)のファンだったけど、シンシアはジュリーが好きだったのよね~」というお話がチラホラと。
(南さんがジュリーに)出したファンレターの枚数の話までみなさまよく覚えていらして、感動しました。
子供の頃にすごく興味があって見聞きしたことって、自然に頭の中に入っていって、そのままずっと残っているものなんですね。僕は、ジュリーに関してはその感覚を持っていません。残念ながらずいぶん遅れてきたファンですので・・・ジュリーの様々なことも「覚えよう」としなければなかなか蓄えられないんですよ。

僕の手元には今、Mママ様からお預かりしております膨大な資料の中、先輩方がかつてタイムリーに触れていらしたであろう、ジュリーと南さんの対談記事の切り抜きがございます。今もこの記事を大切に保管されている先輩ももちろんいらっしゃるでしょうが、無くしてしまわれたかたも多いかと思います。
拓郎さんのおかげで頂いたタイミング・・・せっかくですので、資料をここに残しておきますね。


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Img4143

Img4144

(4枚目の画像左端は、個人情報記載部をトリミングしています)

ちなみに僕は、「シンシア」で初めてかまやつひろしさんの名前をキチンと覚えたんだったなぁ・・・。


それでは次回、”『Barbe』セットリストを振り返る”シリーズ第3弾は、「DYNAMITE3大壁曲」の一角だった、あのナンバーを採り上げます。
こちらは今日以上に懺悔、懺悔の内容になりそう。

バンドメンバーに復帰しこれからの活躍が楽しみな依知川さんの作曲作品ということもありますし、気合入れて書きたいと思います!

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2016年2月13日 (土)

沢田研二 「愛は痛い」

from『サーモスタットな夏』、1997

Samosutatto

1. サーモスタットな夏
2. オリーヴ・オイル
3. 言葉にできない僕の気持ち
4. 僕がせめぎあう
5. PEARL HARBOR LOVE STORY
6. 愛は痛い
7. ミネラル・ランチ
8. ダメ
9. 恋なんて呼ばない
10. マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!

---------------------

春のような暖かい1日でした。
予報によると、これが明日は「暖かい」では済まないようです。気温だけなら「夏」・・・天気も悪く大荒れのようで、ちょっと怖いですね。
週明けには再び真冬の寒さが戻ると言うし、体調を崩さないよう気をつけなければ・・・。

さて、2016年も素晴らしいセットリストで明けたジュリーのお正月LIVE『Barbe argentée』。
今回から、そのセットリストの中でまだ記事未執筆だった5曲をじっくり書いていこうと思います。

まずは・・・昨年末「アルバム『サーモスタットな夏』からのセトリ予想曲を」ということで記事お題を考えていた時、最後まで「オリーヴ・オイル」とどちらを書こうか迷った挙句、執筆を見送っていた「愛は痛い」。
しかしさすがはジュリー、僕の予想の見事逆を行ってくれまして、「愛は痛い」の方がセトリ入りしました。
”『Barbe argentée』セットリストを振り返る”シリーズ第1弾は、このハートウォームな名曲「愛は痛い」を採り上げたいと思います。
僭越ながら、伝授!


初日の東京フォーラム公演。会場の誰もまだセットリストを知らないあの独特の初日の雰囲気の中、僕は8曲目「女神」が終わると「さぁ!」と心の準備を。
ジュリーLIVEのツアー初日に参加した時、僕は毎回「9曲目」の前に必ずそんなふうに気を構えます。「我が窮状」が来るかな?と思っているからです。

歌われたのは「愛は痛い」。
こうしてみると納得です。「麗人」「女神」と続いた後に、社会性の高い「我が窮状は」そぐわない・・・ジュリーの日常に近しい「愛は痛い」のような曲で、柔らかくフックするのがセットリストとしてふさわしかったのですね。
「我が窮状」をMCを挟んでの後半1曲目に配したジュリーの気持ちも伝わってくるものがありましたし。

激情の「女神」を歌い終えた直後の「愛は痛い」には、どこか懐かしさのようなものも感じました。
長いジュリーファンの先輩方が、60年代末から70年代にかけてジュリーと共に知った音楽・・・あの素晴らしい時代の雰囲気、GSやフォーク・ソングの空気を、この曲は持っているのではないですか?

今ジュリーファンの間では、先日『報道ステーション』に出演された吉田拓郎さんの話題で持ちきりです。
僕も改めて思うのは、拓郎さんが「ジュリー側」に憧れていたように、ジュリーも「拓郎さん側」(自作曲をメインに歌うスタイル)に憧れていた・・・本当に惹かれ合う間柄だったんだなぁ、ということです。
アルバム『JULIEⅣ 今僕は倖せです』を通して聴くたびに僕はそうしたことを感じていましたし、拓郎さんの代表曲「春だったね」や「襟裳岬」などは、フォークのカテゴリーの中でも後期タイガースの名曲群に近いバンド・サウンドが根づいています(ですから僕は「フォーク」と言っても拓郎さんの作品には、ディランで例えるなら『ジョン・ウェズリー・ハーディング』の頃の音のイメージを持っています)。
歌手として、お互いが「10代~20代の頃に憧れた音楽」は一生モノでしょうからね。お2人の交流が今も続いている、というのは本当に得がたい幸せなのでしょうし、ファンとしても嬉しいお話でした。

で、「愛は痛い」は、拓郎さんのファンの方々が聴いたら好きになってくださるんじゃないかなぁ、と夢想できるような曲なんですね。

ジュリーの幾多のアルバムには、時々こうした70年代フォーク・ロックのエッセンスをも併せ持つ名曲が、そっと収録されることがあります。
『サーモスタットな夏』で言えばそれは「愛は痛い」や「恋なんて呼ばない」。
さらには、キーボードを排した武骨なギター・サウンドで固められた2000年代前半のアルバム群についても例外ではなく、個人的には『ジュリー祭り』直後に出逢った「不死鳥の調べ」(『忘却の天才』)はその意味で大きな衝撃、感動がありました。

ブレのない「スタンダード」の手法で勝負できてこそ、そんなエッセンスを持つ名曲は生まれます。
そうしたことも踏まえながら、まずは「愛は痛い」の樋口了一さんの作曲について考えてみましょう。

樋口さんのジュリーへの楽曲提供は、この『サーモスタットな夏』収録の「愛は痛い」から、翌1998年の「君にだけの感情」、さらにその翌年の「いい風よ吹け」と見事にひとつの線で繋がります。
美しく暖かいメロディーはもとより、その3曲すべてにジュリーの「日常」から導かれたハートウォームな自作詞が載っている・・・この共通点だけをとっても樋口さんの作曲の素晴らしさ、ジュリーからの信頼や手応えが分かりますし、何より3曲ともジュリーが度々その後のステージで採り上げ、「エンドレス」で歌う決意の元でこの先も歌われてゆく曲だろう、ということはジュリーファンの一致した見解でしょう。
(ただ僕は、下山さん不在の「いい風よ吹け」が今はどうしても想像できないのですが・・・)

「愛は痛い」はその中で「バラード」と言うよりは「ポップス」系であり、美しさに加えて「胸キュン」度が高く、60~80年代ポップチューンのバンド・サウンドが好きな僕は、惹かれる要素もすごく多いです。
樋口さんはこの曲に、様々な”スタンダード「胸キュン」パターン”を贅沢に投入しています。
まず、Aメロからいきなり。

逢いたくて 触れたくて 胸でいつも痛かった ♪
F               A7             Dm            G7

この冒頭「F→A7」のコード進行については、「絶対的胸キュン進行」として同様の理屈が採用されているジュリー・ナンバーを何度も記事で書いたことがあります。
最近では、加瀬さんの「明日では遅すぎる」。

今黙って そばにいる ♪
   F          A7

ね?
あと、しつこいようですがこの進行を擁するジュリーの、いや全世界の代表曲と言えば

時の過ぎゆくままに ♪
   G             B7

これもキーが違うだけで理屈はまったく同じ。
万人が思わずキュンとする進行なんですけど、「愛は痛い」で樋口さんはそれを「さぁ、この胸キュン進行を聴けい!」というサビではなく、歌い出しのAメロにさりげなく配したのですね。正に「掴みはOK」です。

樋口さんが投じたスタンダードな胸キュンパターンは、他にもまだまだあります。
サビの途中で登場するクリシェは

ああ 愛したいよ それで癒される ♪
   Dm       Dmmaj7         Dm7   G7(onB)

長調の曲における並行調のマイナーコードを起点としたクリシェの採用は、アップテンポだろうとバラードだろうと強烈な胸キュン効果があります。
他のジュリー・ナンバーの例ですと、記憶に新しいのは『こっちの水苦いぞ』ツアーで大変な盛り上がりを見せた「バイバイジェラシー」。

女 なら    君だけさ ♪
Dm   Dmmaj7  Dm7  Dm6

メロディーが突然「泣き」になるんですよね。
「愛は痛い」とは4つ目のコードだけ違いますが、キーとクリシェ進行はまったく同じ理屈です。

他にも樋口さんは、サビ冒頭のコードを

人一倍自分が 好きな僕だけど
   Fmaj7           Dm       Am7

このようにトニックのメジャー7thにしたり・・・「愛は痛い」には樋口さんの細かでスタンダードな工夫があちらこちらに散りばめられていて、それでいて良い意味での「引っ込み思案」な奥ゆかしい(?)感じもあって、本当に素敵な曲です。
この頃はもうCDの時代ですけど、これがLPレコードだとしたら「愛は痛い」は「B面の1曲目」ですよね。僕はこの曲の佇まいが、ビートルズ『アビィ・ロード』のB面1曲目「ヒア・カムズ・ザ・サン」とダブるんですよ。重いテーマのA面ラストが終わり、レコードひっくり返したらポカポカと暖かい光が射す・・・あの感じですね。

ただ僕が「愛は痛い」に惹かれるのは、ジュリーのピュアな自作詞あればこそです。

2008年12月、『ジュリー祭り』の興奮余韻醒めやらぬ状態で、それまでほとんど持っていなかった85年以降のジュリー・アルバム・怒涛の大人買い期に突入した僕でしたが、『サーモスタットな夏』はまず矢継ぎ早に5枚(だったかな?)購入した中の1枚でした。
「こんな名盤があったのか!」という衝撃・・・特にこのアルバムでは、それまで軽んじてしまっていた(恥)「作詞家・ジュリー」の才能に惚れこんだ、というのが僕の中ではとても大きかったのです。

それはやっぱり「PEARL HARBOR LOVE STORY」のインパクト(歌詞全文を書き起こしてYOKO君にメールを送りつけるほど感動、興奮してた)が一番でしたが、のちに僕が「3本柱」と認識したジュリーの3つの作詞アプローチのパターンが、このアルバムにはそれぞれ1曲ずつ収録されていました。
ヒヨッコの新規ファンが作詞家・ジュリーの魅力を味わうには「導入編」とも言えるアルバムが、『サーモスタットな夏』だったのだと思います。
3つの柱とは

① 「LOVE & PEACE」を軸とする社会性の高いメッセージ・ソング(「PEARL HARBOR LOVE STORY」)
② 独特の語感をメロディーに組み合わせた遊び心満載のロック・ポップス(「サーモスタットな夏」)
③ 大切な日常を、ピュアな感性のままに綴った等身大な小品(「愛は痛い」)

いや、ジュリーのような特別な人に「等身大」なんていう表現は本当はおかしいんですけど、僕の貧困な発想ではそうとしか言いようがなくて。

ジュリーはまず作曲者が提示した曲調、メロディーをしっかり咀嚼した上で、3つのパターンを『サーモスタットな夏』収録曲の中で振り分けています(このジュリーのセンスは、『PRAY FOR EAST JAPAN』をテーマとした2012年以降の「まず曲ありき」の自作詞への取り組みに明快に受け継がれていますね)。
「愛は痛い」の樋口了一さんのメロディーにジュリーは朴訥な魅力を見たのでしょう。自身の「ハートウォームな日常」から得たラヴ・ソングがピタリと嵌りました。

「愛は痛い」をはじめ「日常」を歌うジュリーの歌詞については、リスナーその時それぞれの日常の有りようによって、違った感じ方が出てくるかと思います。
僕の場合は・・・初めて「愛は痛い」を聴くことになる2008年の冬、その少し前まで、独り者で仕事と趣味だけに邁進していたのはまぁ良いとしても、「大切な日常」などという概念とはかけ離れた生活。それらは自分には無用のものと決めつけていた時期でした。
それが一転、『ジュリー祭り』でのジュリーの「明日からはまた日常を粛々と・・・」とのMCに感銘、と言うか良い意味でのギャップ(2008年12月3日までは、僕にとってジュリーは「日常生活」なんてものとは無縁のスーパースター、というイメージしかありませんでした)に衝撃を受け、「日常ってどんなことを言うんだろう?」と考え始めました。無知であり無頼であった僕はそれ故に、「愛は痛い」のジュリーの暖かさや、ピュアな感性がえらく眩しく、羨ましく思えたものでした。
「愛は痛い」に描かれているような物語って、どんな人にも現実にあるものなのか、僕が知らないでいただけなのか、という思いです。この曲への「感じ方」としてはなかなか珍しいパターンでしょ?
アラフォーの独身男性ジュリーファンには、「愛は痛い」はそんなふうに聴こえていたのですよ。

だからと言って、今は家庭を持った僕がジュリーの「愛は痛い」の歌詞を真に実感できているかというと、そんな安直な話にはなりません。
本当に、ジュリーや多くの人生の先輩方から見れば僕はまだまだ「ヒヨッコ」なのです。ジュリーの歌う「愛は痛い」は、未だ僕にとって日常の理想であり、あやかりたい幸せであり、憧れであり続けています。

「愛は痛い」・・・ジュリーはこの「いたい」を「痛い」の表記で統一させていますが、そこに3つの違う意味を持たせていますよね。
「痛い」と「会いたい」と「居たい」。
お互いに忙しく慌しい仕事を持つパートナー同士。仕事で離れている時間は気持ちもどこか荒みがち。「痛い痛い」と駄々っ子のように連呼するあたりでは、ジュリーがまるで「会いたい会いたい」と歌っているように感じますし、1番の

君がいなくちゃ痛い痛い ♪
B♭    F               C

と歌う箇所は、文字通りの「痛い」・・・ちょっとしたケンカをを後悔したジュリーが「君を傷つけてしまった」と互いの「痛み」を歌っているように僕には聴こえます。
対して2番の同じ箇所

君と一緒に痛い痛い
B♭  F            C

ここは、「いたい(居たい)」。つまり、サビの最後に歌われる通り、「自分はずっと君の愛でありたい」と歌っているんじゃないかなぁ?

しかしながらこうした歌詞解釈は、ずいぶん遅れてようやくジュリーの人間的魅力に気づいた僕が、ジュリーのメッセージを僕自身の日常に強引に照らし合わせた思い込みに過ぎません。
実際にこの曲をステージで歌うジュリー・・・今年はどんな気持ちだったのでしょうか。

いつもお世話になっているジュリーと同い年の先輩のお話によりますと、ジュリーが歌う「愛は痛い」はずいぶん変わってきた、と。
僕はこの曲がリリースされた1997年のツアーを生で体感できていませんから(DVD作品としてはYOKO君共に特に好きな1枚で、何度も観ていますけどね)、以前の感覚は分かりません。
が、その先輩は今回の「愛は痛い」で
「僕は君(達)が好き、君(達)も僕が好きでしょ?」
と、ジュリーが客席に甘い波長を送っているように感じた、と仰っています。
これは、加瀬さんを送った昨年の『こっちの水苦いぞ』ツアーで、ファンから見てジュリーが一気に心開いたように見えた、という感覚と繋がっているようにも思えて、僕も「そうか、なるほどなぁ」と、初日のフォーラム公演での「愛は痛い」でイントロから手拍子をリードしてくれたジュリーの姿を思い出します。
そして、あの手拍子の暖かな光景を思うと、ジュリーの歌も、当時から樋口さんのハートウォームなメロディーとリンクしていたんだ、とも思えるんですよね。


「ハートウォーム」ということで言えば、「愛は痛い」は白井さんによるアレンジも聴きどころ満載ですが、やはりこの曲は間奏とアウトロに登場するスライド・ギターの優しく美しいハーモニー(ギター2回の別録りのトラックで、ミックスは左右に振り分けられています)が強く印象に残ります。
これ、白井さんはおそらくジョージ・ハリスンの「マイ・スウィート・ロード」、特に0’26”などに登場するフレージングにインスパイアされたんじゃないかなぁ。
「愛は痛い」で言うと2’12”や5’02”の演奏ね。裏拍起点の下降するフレット移動が特徴的です。
(同アルバムの「PEARL HARBOR LOVE STORY」や、後の「勇気凛々」などのリードギターにも白井さんのジョージへの深いリスペクトが感じられます)

下山さんの不在により、今回のツアーではそのツイン・スライドは再現されず柴山さんが単独でソロを弾いてくれましたが、スタンドのアコギを離れてSGをスタンバイする柴山さんの動きは本当になめらかで、あれほど大変な動作なのに、柴山さんの周りを時間がゆっくり流れていくように見えました。
突出した「心技体」の持ち主はその動作がゆっくりに見える、という話を以前聞いたことがありまして、騎手の武豊さんや将棋棋士の羽生善治名人などがその時挙げられていましたが、僕にはお正月の「愛は痛い」での柴山さんもそんなふうに見えたなぁ。

また、僕は当然今回初めてベース入りの「愛は痛い」を体感しました。依知川さんのフレットをすべる指が忙しく移動しているのを見て、「えっ、こんなに激しいベースライン?」と、その場では「依知川さんなりのアレンジかな」と思ってしまいましたが、後日CDを聴き直すと、忠実な再現だったのですね。
「愛は痛い」は、意外やベースが縦横無尽に立ち回る曲だったのです。こういうところもあなどれない・・耳馴染みの良い穏やかな曲が実は演奏、アレンジが凄まじくて、ハードにガンガンぶつかってくる曲が実はシンプルな基本技、という面もアルバム『サーモスタットな夏』独特の魅力のひとつだと思います。

ジュリーはこの先も、「愛は痛い」を何度も歌ってくれるでしょう。
どんなに「社会派」になっても、ジュリーの中でこの曲はエンドレスで大切な存在であり続けるのでしょう。今回のセットリストでは、次曲が「君をのせて」というのがまた意味深げで素晴らしかったですよね。

でも、僕はそろそろ「オリーヴ・オイル」も初体感したいよジュリー・・・。


それでは、オマケです!
大分の先輩がコピーしてくださった、1997年のジュリーのインタビュー。元々はカラーだったのかな?
5月のインタビューということですから、この時のジュリーは今の僕よりも1つ年下。そんなジュリーが「速く年を取りたい」と語っているだけに、個人的に色々思うところも多い記事ですね・・・。


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ということで。
元旦の記事に今年の目標として掲げた「ジュリーのオリジナル・アルバムからどれか1枚、収録全曲のお題記事執筆の達成」に向け、『Barbe argentee』”セットリストを振り返る”シリーズでまず好スタートを切ったのは、「あと2曲」の2番手集団につけていたアルバム『サーモスタットな夏』。
これで残すは「言葉にできない僕の気持ち」1曲となり、『G. S. I LOVE YOU』に並びました。
このままの勢いで『サーモスタットな夏』が差し切るのか、はたまた他のアルバムがこれから鬼の末脚を見せるのか・・・まぁ最終的には僕自身で決めることなんですが、1年間焦らし続けてこのレース(?)を自分でも楽しみたいと思います。

では次回更新は、『Barbe argentee』”セットリストを振り返る”シリーズの第2弾。
初めて聴いた時は「な、なんじゃこの歌詞は?」と怯んでしまった曲・・・人間・ジュリーに堕ちた後はその詞も大好きになり、今回のツアーを体感して改めてその中に「日常」と「平和」のコンビネーションを今強く感じている名曲です。お楽しみに~。

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2016年2月 6日 (土)

瞳みのる 「三日月」

from『三日月/時よ行かないで』、2015

Crescentmoon

1. 三日月
2. 時よ行かないで
3. 三日月(カラオケ)
4. 時よ行かないで(カラオケ)

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ジュリーのお正月LIVE『Barbeargentee』も大成功、大盛況のうちに無事終わりました。
恒例”セットリストを振り返る”シリーズにとりかかる前に、今日はピー先生が2015年にリリースした新曲2曲の中から、「三日月」を採り上げておきたいと思います。

当初の予定では、ジュリーの初日公演のレポートを2週間くらいで書き終えた後、セットリストのネタバレ禁止期間を利用して「三日月」「時よ行かないで」2曲を続けて書くつもりでいましたが、今回は色々なことが重なってジュリーのレポ完成までにひと月近くもかかって・・・時間がなくなってしまいました。
「時よ行かないで」についてはまた時期を改めて・・・今年も予定されている二十二世紀バンドとのツアーが始まるまでには、必ず書きますので。

2015年、ピー先生の作詞・作曲によるオリジナル・ソングとしての新譜リリースは、『一枚の写真/楽しい時は歌おうよ』以来3年ぶりでした。
発売予告の情報がオフィシャル・サイトに上がった時のキャッチコピーはズバリ

「ロマンチックでチャーミングなニューシングル」

ファンは皆、このキャッチを見て胸躍らせると同時に「ロマンチックでチャーミング?一体どんな曲なんだろう?」とソワソワしたものでしたね。

2曲入り(それぞれのカラオケ・ヴァージョンを合わせると4曲)の新譜ですが、前2作同様、1曲目「三日月」がCDのタイトルチューンである、と捉えて良いでしょう。ですからこのキャッチコピーは「三日月」という楽曲を表したものと考えられます。
CDが発売され、実際に「三日月」を聴いたみなさまは、「ロマンチックでチャーミング」をどのように解釈されたでしょうか。今日はまずそのあたりについて、僕が個人的に考えたことから書いていきたいと思います。
「三日月」、僭越ながら伝授!


過去2枚のオリジナル・シングルでは、楽曲収録順やライナーの装丁などからピー先生のとても几帳面な性格が窺えました。今回もそれは折り目正しく踏襲されている、と感じます。
例えば収録曲順をおさらいした時、僕が過去の2枚に共通していると思っていたのは、CDタイトルチューンである1曲目「」「一枚の写真」がピー先生の個人的な心情を描いたパーソナルな作品であるのに対し、カップリングの位置にある2曲目「老虎再来」「楽しい時は歌おうよ」は、大衆性を重視し普遍性の高いテーマを狙った作品である、と。
つまり、1曲目、2曲目という収録配置に、ピー先生が与えたそれぞれの「役割」があるということですね。
「老虎再来」はザ・タイガース絡みなので「パーソナル」なのでは?という考え方もできますが、ピー先生自身の解説にもあった通りこれは元々中井國二さんから「タイガースの新たなキャッチっぽいものを」と提案され作った作品ということですから、タイガースファンをはじめとする「マス」へのメッセージ、さらにはザ・タイガースとして再度舞台に立つ全メンバーの意気込みと高揚を志向した普遍性が狙いと見るのが正しいでしょう。

では、3枚目の新譜はどうでしょうか。
僕は、作者のピー先生が考える役割が、前2作と同じ曲順配置に反映されていると考えます。パーソナルな「三日月」と、大衆性を押し出した「時よ行かないで」、という捉え方です。

そこで、今回もピー先生がライナーに付記してくれている「楽曲解説」に着目してみましょう。
ジュリーと違って(笑)ピー先生は毎回リリースの度に収録曲について「この曲は、こんなことを思ってこんなふうに作った」と書いてくれるので、僕はそれをいつも楽しみにしているのです。
「三日月」についての解説も、ピー先生らしい哲学者のような雰囲気は変わらず、「青い月の光に照らされている地球」を俯瞰し、そのウットリするような情景の中に、「様々な人間がこの星で見苦しくも美しくも存在していますが」と結び、ドキリとさせます。

こうしてみると一見、「三日月」は普遍的な狙いのメッセージ・ソングなのかな、とも思えます。
でも、僕は「2010年6月3日から4日にかけて、北京の街を夜散歩していて作った」という詞曲を、ピー先生が2015年のこのタイミングでCD1曲目のタイトルチューンに配したくなった心境について考えてみたい・・・それには、歌詞を読み解くことです。

三日月を君は見つめ
C#m        E

僕は君を見つめている
C#m         E

月が青く誘うから
C#m      E      C#7

遠回  りして帰ろう ♪
F#m7  B7    E

個人的な解釈ですが、僕には2015年のピー先生にとって「三日月」がパーソナルな「ラヴ・ソング」の役割を担い、リリースに至ったのではないかと思えます。
もちろんそれをして女性ファンはこの曲を、ピー先生からの愛のメッセージとして聴くことも可能です。
歌われる物語はロマンティック、歌うピー先生はチャーミング・・・そんな捉え方はいかがでしょうか?

ピー先生は、自作詞について結構時間をかけて校正を重ねて仕上げていくタイプだと思います(ピー先生オリジナル楽曲の原案としての詞曲創作活動は、2010年に集中しているようですね)。
例えば俳句や短歌などは、(ズバ抜けた才能を持つ人は例外として)最初に思いついた言葉や情景を、その後推敲して最終的には原型をとどめないほど変化してから完成、ということがよくあります。
ただ、まったく言葉が変わっても、最初に胸にあった「言いたいこと」というのは変わらないものなんですね。その上で、新たな心境が加味されるわけです。
漢詩に精通し、「詩人」と言うより「歌人」といった表現が似合う(と僕は思っています)ピー先生も、そんなふうに作詞をするんじゃないかなぁ、と。
「三日月」は最初の作詞・作曲から5年を経てのリリース。期間が長いぶん、心境や環境の変化に応じた推敲も丁寧に重ねられていったのではないでしょうか。

この新曲をリリースした2015年にめでたく結婚されたピー先生。でもそれをここで楽曲考察に重ねてしまうと、女性のピーファンの先輩方の「ムキ~!」というお声が聞こえてくるやもしれませんので(笑)、このあたりで「音」についてのお話に移るとしましょう。

ミディアム・テンポのポップチューン。
キーをホ長調に設定したのはJEFFさんでしょう。メロディーは最低音が低い「シ」、最高音が高い「ミ」となり、ピー先生の声域にピタリと合っていますね。
リズムは、ピー先生のオリジナル曲では初めての試みとなるシャッフル(分解していくと8分音符3連の構成で4拍子になる)です。
テンポやリズム、ドラムスのフィルについて似通った曲は、ジュリー・ナンバーで言うと「悪夢の銀行強盗」「不安にさせよう」といったところ(テンポを速めると「タイガースのテーマ」や「ス・ト・リ・ッ・パ・-」なども同じリズム・パターンとして挙げられます)。

ピー先生は作曲については、インスピレーション重視の「即決」タイプのようですね。レコーダーを持ち歩き、ふと思いついたメロディーを録音しておいて、後で聴きながら細部を整える、という感じなのかな。
ドラマーですから、リズムはレコーダー録音の段階から明確でしょう。「よし、これは3連だな!」と思いながら「三日月」のファースト・デモを仕上げたはずです。

それを受け取るアレンジャーは、まず和音を当てはめていくことから作業を開始するでしょう。
前2作ではザ・タイガースの盟友・タローにアレンジを依頼したピー先生でしたが、今回は(おそらく何の迷いもなく)新たな絆と志を共に結成され2014年の全国ツアー『瞳みのる&二十二世紀バンド エンタテイメント2014 歌うぞ!叩くぞ!奏でるぞ!』でデビュー、大成功を収めた二十二世紀バンドのリーダー、JEFFさんにアレンジを託しました。
シャッフル・ナンバーって、アレンジャーの腕が鳴るパターンなんですよ。解釈の幅が広くて、ランニング・ベースのジャズにもなり得るし、泥臭いブルースにもなり得る・・・しかしそこでさすがはJEFFさん、やってくれました!「三日月」を、ネオ・モッズのエッセンスに溢れた「パワー・ポップ」として仕上げてくれたのです。

2014年のツアーに参加しJEFFさんに惹かれその活動に興味を持った僕はすぐにJEFFさん率いるオレンジズの最新アルバム『
SCORE→』を購入。その中に「恋のダイアリー」という素敵なパワー・ポップ・シャッフル・ナンバーが収録されていました。JEFFさんによる「三日月」の解釈はこの曲に近い、と僕は考えています。
ただ、それはLIVEを体感しての印象。CD音源をじっくり聴けば、 JEFFさんが「引き出し全開」でアレンジに多彩な仕掛けを投入していることが分かってきます。


各パートの噛み方だけでなく、エンディングのコーラス部直前の斬新な音階と譜割など、JEFFさんならでは「仕掛け」は豪華のひと言。
そんなJEFFさんのアレンジで僕が最も惹かれるのは、イントロなどに配された「テーマ」とも言うべき歌メロとは別のキメのメロディー。これはピー先生の作ったメロディーには登場しない、JEFFさんオリジナル。
「ファ~ファ#~ソ#~シ~ララ~、レ#~ミ~ファ#~ラ~ソ#ソ#~♪」という美しい反復進行。コードは「C#7→F#m→B7→E→Fdim」でしょうか。
ちょっと「枯葉進行」に似ている雰囲気もあるので、「白夜の騎士」のハミング部を連想されたタイガースファンのかたもいらっしゃるかもしれませんね。
JEFFさんはこの最高にポップな「テーマ」で、ピー先生の「三日月」に華やかさを加えています。

また、Aメロなんですが

この素敵なあきの夜 君と見る三日月
E              B                            E

天(ソラ)に明るく煌いて
A                     E

二人の夜を照らす ♪
D        B7  E

一応このコードで合わせられることは合わせられるんですけど、各楽器が様々な音でこのコードにとどまらないニュアンスを出しているんですよね。
しかも今回カラオケ・ヴァージョンで確認したら、1回し目冒頭とと2回し目(「何だか恥ずかしげだが♪」のところ)で、メロディーと進行は同じなのに鳴っている音は違っていたんです。特にJEFFさんのベース!
ピー先生ふうに言いますと
コードだけに高度過ぎて、僕の実力では完璧な採譜など及びもつきません」
いやぁJEFFさん、参りました。

また、コーラス編成についてもJEFFさんが中心となって練られたのではないでしょうか。
「60年代ロック&ポップスへのリスペクト」を根底に持つモッズ・パーソンであるJEFFさんにとって、バック・コーラスは楽器と同じくらい重要なパートのはずです。
その点、二十二世紀バンドは女性2人の存在が大きい!高低のヴァリエーションが広いですからね。
Aメロ前の「Ah~♪」はJEFFさん→NELOさん→はなさん→ALICEさんで合ってるのかな?
この4段階のコーラス・パート直後にピー先生による1小節のドラム・ソロ、とくればタイガースファンなら「ドゥ・ユー・ラヴ・ミー」を連想、楽しさ倍増というわけです。
きっとJEFFさんは、そのあたりもきっちり狙って「仕込んで」いると思いますよ。

続いて、演奏面を見ていきましょう。
記憶も新しい2015年の全国ツアー『Let's Go カキツバタ』で目の当たりにした二十二世紀バンドの進化・・・僕が強く感じたのは「いよいよツイン・ドラムス体制を掘り下げてきたなぁ」と。
それを象徴していたのが、オープニングのドラム・ソロ、お馴染みの「ハートブレイカー」(ピー先生の鬼のキック連打炸裂!)、そして新曲「三日月」でした。
ピー先生の「叩き語り」を軸に、Ichirohさんがタムの3連フィルを一手に受け持っていましたね。

CDを聴いた時から、左サイドにミックスされた要所要所で切り込むタムのフィルに耳を奪われて、「あぁ、これはIchirohさんのトラックだな」とは思っていました。
でも、いざ生で「三日月」の演奏を体感してから改めて音源を聴き直してみると、Ichirohさんの貢献はそれだけではないようです。

LIVEでピー先生のこの曲のハイハットは、小節表拍の4分音符打ちだったんですよ。ところがCDの歌メロ部では、右サイドにストイックな3連ハイハット(1小節12連打)が鳴っています。おそらくこれもIchrohさんの演奏ではないでしょうか。
さらにもうひとつ。JEFFさんオリジナルの「テーマ」部で、強烈なアクセントを放つティンパニのような音(シンコペーションによる2打は、ビートルズの「エヴリ・リトル・シング」仕込み!)、これもまたIchirohさんの演奏トラックである可能性大でしょう。

Ichirohさんの完璧なサポートに包まれ、中央で炸裂するピー先生のドラムスは素晴らしいのひと言。
進化し続けるピー先生のドラムスについては、ツアーでの名演が実証した通りです。
いずれにしてもCD音源、LIVEともに「ピー先生がリード・ヴォーカルをとるかどうか」によってツイン・ドラムの構成も工夫、徹底して練られているようです。
今年のツアーも、まずは演目それぞれのドラムスのアンサンブルに注目したいですね。

二十二世紀バンドの他パートもそれぞれ熱演です。
しかも熱い演奏でありながら職人的なサポートに徹しているのはピー先生へのリスペクトあればこそ。
JEFFさんのベース・・・このフレージングとグルーヴはネオ・モッズ・フリークとしては思わずニヤリとしてしまうところ。ジェットセットやスクワイアといったバンドが得意としていた「ペニー・レイン(ビートルズ)昇華パターン」とでも言いましょうか・・・キラキラした音の中で、武骨なベースが1本筋を通しているのです。

縦横無尽に裏メロを弾きまくるNELOさんのギター、4分音符の刻みにしっかり「跳ねる」感覚を持つはなさんのキーボード。本当にピー先生は素敵なバンドを結成したと思いますし、それぞれ世代の違うメンバーの中にあって何の違和感も無いピー先生ならではの、音楽活動だけに留まらない人生のキャリアから滲み出る魅力が、バンドの音にも表れています。

そして、ピー先生のヴォーカルについて。
心中ではちょっと照れて、でも表情は真剣な「全力」を漂わせつつ、張り切って歌入れするピー先生の姿が目に浮かぶようなヴォーカル・テイクです。
その「鳴っている音を楽しんで歌っている」感覚は、これまでの2枚とは比較にならないほど格段に高まっていると感じます。それはやっぱり、「自らのバンド」を得た歓びだと思うんですよね。

ピー先生の二十二世紀バンドとの活動は、何よりも「音楽の楽しさ」を素直に感じさせてくれます。
2014年、2015年と、僕が二十二世紀バンドとの全国ツアーに参加したのはいずれも初日でしたから、2014年の段階ではまだそのあたりも手探り状態だったかもしれません。でも昨年のツアーは、初日から文句なしに「ステージ上のメンバー全員が心から楽しんでいる」空気がバシバシ伝わってきました。
ピー先生も「これだ!この雰囲気だ!」と確信しているかのよう・・・ピー先生は根っからの「バンドマン」なのではないでしょうか。

「三日月」のヴォーカルを聴いて改めて思うのは、「ロマンチックでチャーミング」のキャッチ通りの明るいテーマを、信頼するバンドを得たピー先生が真正面から歌っているんだ、ということ。
思い返せば、前2作のタイトルチューン「道」「一枚の写真」はどちらも名曲だけれど、まず「切ない」歌だったじゃないですか。二十二世紀バンドと一体となった・・・そんな確信を以って臨んだ2015年のツアー・セットリストから、何故「道」「一枚の写真」というピー先生オリジナルの名曲が外れたのか・・・僕はこの記事を書きながら、ようやくその答が分かったような気がします(もちろん、この先も時には歌って欲しい曲ですけどね)。
その点、「三日月」はどうでしょう?
昨年に引き続いて、今年の全国ツアーでもセットリスト入りは有力と見ます。だってこれは、「音楽の楽しさ」「人生の豊かさ」を押し出した曲なのですから。

ピー先生が今回初めて、ウキウキするシャッフルのリズムを作曲に採り入れたこと、そしてその曲を、初めて二十二世紀バンドと共に仕上げたこと・・・意義深い名曲が誕生しましたね。

そうそう、みなさまの中に「このCDの1曲目と2曲目しか繰り返し聴かない」という方々はいませんか?
実は僕が今までそうだったんです。でも今回「演奏の細かいところを」と、じっくり聴いて思いました。3曲目、4曲目に収録された「三日月」「時よ行かないで」のカラオケ・ヴァージョン、すごく良いですよ~。
と言うのは、思わず「演奏のチェック」を忘れてしまい聴き入ってしまうほどの、二十二世紀バンドのコーラスの魅力が堪能できるからです。
この点については「時よ行かないで」の記事中で詳しく触れたいと思います。ピー先生のヴォーカルを包むハーモニー・・・「あぁ、この箇所ではALICEさんがこんなふうにピー先生をバックアップしていたのか」など、ヴォーカル入りのヴァージョンだけでは気づけなかったこともたくさんありましたからね。

最後に、今後のピー先生のレコーディング活動についての僕の個人的な予想を。
この記事で僕は、これまで3枚のピー先生のオリジナル曲CD作品に統一された構成を感じ、そこからピー先生の几帳面な性格を見る、ということを書きました。
でも、その「几帳面さ」を押し進めて、「3つでひと区切り」という考え方もできると思うんですよ。
ですから今年CDリリースがあるとすれば、まったく新しい展開があるんじゃないか、と。

公式サイトでのピー先生からのメッセージ・・・諸事情あって今年のツアーは年の終わりの10月~12月となりそうであること、二十二世紀バンドとの新しい活動のお話など、これらを繋げて考えた時僕は、今年は「瞳みのる&二十二世紀バンド」ではなく「二十二世紀バンド」名義のCDリリースの可能性を思うのです。
もちろんピー先生もメンバーの一人、ドラマーとして参加する・・・「忙しくなりそう」というピー先生の言葉を僕はそんなふうに妄想してしまいました。
全然見当違いかもしれませんが、どうでしょう?素敵なことだと思いませんか?

ピー先生はもう、二十二世紀バンドを単なるバックバンドとは考えていないでしょう。
メンバーのキャリア、ステータスを押し上げたい、という気持ちもあるでしょう。
二十二世紀バンドにはJEFFさん、はなさんという才能豊かなソングライターの存在に加え、歌についてもJEFFさん、NELOさんの男性陣、ALICEさん、はなさんの女性陣それぞれタイプの違う個性的なヴォーカリストが揃っています。実現すれば名盤誕生間違いなし!
(本当に勝手な個人的予想です。それに、僕はジュリーのツアー・セットリスト予想なども全然当たらない人なので、みなさまはあまり期待しないでくださいね)

それと、ピー先生のメッセージにあったお話で、長いピーファンのみなさまも初めて知ったお話みたいでみなさんとても驚いているんですが、当然僕もビックリ。
ピー先生の2人の息子さんの誕生日が1月24日と2月5日って・・・あまりに凄すぎませんか?
そんな奇跡の偶然みたいなことが、特別な人には起こるものなんですね・・・。


それでは、次回更新からはいよいよジュリーのお正月LIVE『Barbe argentée』の”セットリストを振り返る”シリーズに突入します。5曲の執筆を予定しています。
引き続きよろしくお願い申し上げます!

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2016年2月 1日 (月)

1979新春歌い初め 『HIGHER & HIGHER』

2016年お正月LIVE『Barbe argentée』も1.27NHKホール公演を以て無事終了、暦は2月に入ったというのに・・・なんたること、僕はま~だ別館side-Bでのツアー初日レポートを書き終えておりません。
あと少し、なんですけどね・・・。

ということで、もうしばらくこちら本館が放置状態となりますので、新たにお宝資料の留守番記事更新を。
以前J先輩にお借りした、1979年お正月LIVEのパンフレットから10ページぶんをどうぞ~!

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ちなみに、このコンサート・ツアーが終わってすぐに、ニュー・シングル「カサブランカ・ダンディ」がリリースされるんですね・・・。
時は経ち・・・39年後のお正月に歌われた「カサブランカ・ダンディ」、最高でした。
この大名曲も、”『Barbe argentée』セットリストを振り返る”シリーズの記事お題に採り上げる予定です!

こちら本館の暑苦しい考察記事更新再開まで、もう少しだけお待ちくださいませ~。

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