沢田研二 「追憶」
from『JEWEL JULIE -追憶-』、1974
1. お前は魔法使い
2. 書きかけのメロディー
3. 親父のように
4. ママとドキドキ
5. 四月の雪
6. ジュリアン
7. 衣裳
8. ヘイ・デイヴ
9. 悲しい戦い
10. バイ・バイ・バイ
11. 追憶
----------------------
from『ROYAL STRAIGHT FLUSH』
original released on 1974、single
1. カサブランカ・ダンディ
2. ダーリング
3. サムライ
4. 憎みきれないろくでなし
5. 勝手にしやがれ
6. ヤマトより愛をこめて
7. 時の過ぎゆくままに
8. 危険なふたり
9. 追憶
10. 許されない愛
11. あなたに今夜はワインをふりかけ
12. LOVE(抱きしめたい)
----------------------
7月となりました。
本来なら、ジュリーの全国ツアー開幕月。あと2週間後に迫った初日をワクワクと待つ・・・はずでしたが。
みなさま、澤會さんのサイトはご覧になりましたか?
『こっちの水苦いぞ』ツアー初日の東京国際フォーラム公演は8月17日に延期となり、その他ツアー前半予定だった各公演会場にも延期、中止が出ています。
たった今知った情報でビックリしていますが、メンバーの身体のことならば仕方ありません。
どうかゆっくり休んで・・・GRACE姉さん。僕らは行儀よく姉さんの回復をお待ちしていますから!
さて、気をとり直しまして・・・今日はまずジュリー関連のごくごく個人的日常のご報告から。
先週土曜日は、ジュリーづくしの1日となりました。
まず午前中。
『こっちの水苦いぞ』ツアー初日、東京国際フォーラム公演のチケットを再配達で無事受け取り座席を確認すると、予想通り・・・1階の最後方近辺でございました。
これは、2011年の老虎ツアー初日公演のチケットがファンの手元に届いた頃に、しょあ様が「あさきゆめみし席」と命名されたあたりのお席で、一部の人達の間では「フォーラムのジュリーLIVEと言えばこの辺」と、恒例の指定席となっている感があります。
僕もその一人で、今回は「ゆめ」のあたり(泣)。
それでも、参加できるだけで幸せですよ。いやいや、これは本心ですから。
みなさまのお席はいかがでしたか?チケットも手元に来て、「いよいよ始まるぞ」という感じですね。
午後にはランチも兼ねて中野に繰り出し、当然、『ジュリー生誕記念』お宝蔵出し期間開催中の『まんだらけ海馬店』さんを訪ねました。
ジュリーファンでごった返しているかな、と予想していましたがお店は意外やすいていて、ゆっくりとお宝を物色できました。みなさまは25日早々に行かれたのかな?
事前に「出品販売予定」の告知をチェックしていた78年の『プレイファイブ』は見つからず。きっとあっという間に売れちゃったんでしょうね~。
その他、レアなお宝についてはショーケース内の陳列で、それなりのお値段がつけられています。
『ライヴ・セレクション』に凄まじい値がついてたなぁ。『ロックン・ツアー’79』『CMソング・コレクション』といったカセットも、入手困難度に比例したお値段でした。
まず僕はショーケース軍団の中から数点、店員さんに鍵を開けてもらって物色。
さすがは店員さんもプロで、ひと目で「これは『架空のオペラ』のパンフレット」「これは『愛まで待てない』のジャケ写違いのレコード」と説明しながら丁寧に手に取って差し出してくれました。
僕はその中で、『架空のオペラ』のパンフレットが3000円というのはお得、と判断し即購入。店員さんによると「角が少し傷んでいるのでこの値段ですが、(相場としては)安いと思いますよ」とのこと。
続いて、通常の陳列コーナーの膨大な在庫から悩みに悩んで、『サーモスタットな夏』のツアー・パンフレット(2000円)を購入しましたが、今思うと、購入を見送った『あんじょうやりや』のツアー・パンフレットが2500円ってのは、かなりお得だったような気がする・・・ケチらず一緒に買っておくべきだったなぁ。
あ、あと同人誌系の珍しい本もいくつか並んでいて、『ブルー・エンジェル』を漫画化した可愛らしい小冊子をパッと見た瞬間に「絵柄買い」。
僕は『ブルー・エンジェル』って当然観たことないですし、以前先輩からパンフをお借りしたものの、あらすじについてはほとんど何も知らなかったものですから、大変勉強になりました。LIVE会場で作者様にお会いすることがあったら、よくお礼を申し上げなければ(笑)。
actのパンフも結構揃って販売されていましたね。『クルト・ワイル』『ボリス・ヴィアン』『サルヴァドール・ダリ』『エディット・ピアフ』『バスター・キートン』『エルヴィス・プレスリー』が販売されているのを確認しました。
こうしたパンフは、特別な期間でなくても普通に店頭で常時販売されていると思われますので、興味のあるかたはお店を訪ねてみてはいかがでしょうか?
そうそう、actと言えば・・・最近になって、『クルト・ワイル』以外の映像はすべて我が家に揃っていたことが発覚。先日いきなりカミさんが『ニーノ・ロータ』を観はじめていたのでビックリ・・・「持ってたの?」と。
でも僕は、今はチラ見程度で耐えています。真剣に鑑賞したら一連の映像に嵌りこむことは明らかですからね。まずCD大全集の方を完璧に血肉とすることを目指し、映像は数年後の楽しみにとっておきます。
夜には、いつもお世話になっているJ先輩お2人と合流して、有名なお蕎麦屋さんで食事会。蕎麦好きの僕は「なす汁せいろ」を早々に頂きましたが、夜メニューでしたから、天ぷらなど一品料理も楽しみました。
会の主旨はもちろん、ジュリーが無事67才の誕生日を迎えたお祝いということもありましたが、今回はやはり加瀬さんを偲ぶ会となってしまいましたね。
おもに70年代のエピソード・・・ジュリーに大きな愛情を注ぎ、いつもジュリーの傍にいた加瀬さんの姿をタイムリーで知っていらっしゃる先輩のお話は、しんみりとしつつもその思い出は楽しいものばかりのようで、加瀬さんへの感謝の泣き笑いが耐えない素敵な時間でした。
同時に、加瀬さんの残してくれた多くの名曲やプロデューサーとしての輝かしい実績・・・もっともっと大きくメディアに採り上げられ評価されて良いはずなのに、という思いも込み上げてきます。
『ロックジェット』さんには是非加瀬さんの特集号を出して欲しいよね、というお話も出ましたね・・・。
で、今日のお題はその食事会でもたびたび話題に上がった、74年の大ヒット・シングル「追憶」。
紛れもなく、ジュリーと加瀬さんの代表曲です。
今年の全国ツアーで、ジュリーが加瀬さんの曲をどのくらい歌うのかはまだ分かりません。
でも、もし「追憶」が採り上げられるとすれば、歌うジュリーにとっても聴いているファンにとっても、加瀬さんへの気持ちを強く歌に重ね、涙を堪えることができるかどうか・・・という1曲になるかもしれませんね。
実は僕はジュリーのポリドール期のCDを大人買いしていた頃(『ジュリー祭り』参加以前)からしばらく、「追憶」というシングル曲とアルバム『JEWEL JULIE~』が今ひとつピンと来なかったんですよ。その後完全ジュリー堕ちを果たし、ジュリーの歴史や時代背景を知るに連れて「特別なシングル」「特別なアルバム」である、と評価を改めていったという経緯があります。
今振り返ると、当然の評価が遅れてしまった原因のひとつに、「ジュリーと加瀬さんの特別な関係をほとんど知らなかった」ことはある、と思っています。
僕には、ジュリーがこれまで歌ってきた幾多の名曲の中で、「超有名曲だから」ということとは別に「自分のような者がこの曲を語るには畏れ多い(荷が重い)」と感じている曲が3曲あります。
これまで数年かけてジュリーを学んでいく中で、タイムリーなジュリーファンの先輩方とお話させて頂いたりコメントを拝見させて頂いたりして、その楽曲に対する「思い」が特別、と感じる曲・・・つまり後追いのファンには分かり得ないその時々の時代の空気やジュリーの有りようまでを含めた強い思いが、先輩方の胸に脈々と残されている(と、僕が感じている)3曲です。
ひとつは、2012年にどうにかこうにか記事に書くことができたタイガースのナンバーで、「散りゆく青春」。
2011~12年のあの奇跡的なツアーが無かったら、未だに書けてはいなかったと思います。
さらに、3曲の中で最もその感覚が強く、どういうふうに考察に臨めば良いのか未だ皆目見当もついていないのが、「時の過ぎゆくままに」です。
これは一応、ジュリー70歳の誕生日に書くことは決めていて(『ジュリー祭り』セットリストお題記事完全制覇の大トリとなる予定)、今から少しずつ準備していかなきゃいけないなぁ、と考えているところ。
そして残る1曲が、今日思いきって採り上げることにした「追憶」なんです。
正直「荷が重い」という感覚は今も大きく僕にのしかかっているのだけれど、最近の記事更新お題の流れで、この曲をスルーするのはあまりに不自然ですからね。意を決して書くことにしました。
でも、「伝授!」などとはとても言えないなぁ。
とにかく僕なりの考察で頑張ります!
『YOUNG IDOL NOW Vol.8』より
「散りゆく青春」「時の過ぎゆくままに」「追憶」の3曲には「短調」という明快な共通点があります。
僕がこれら3曲に、自分には永遠意到達できないほどの先輩方の「思い」を感じる時、そこには「愛情」と同等の「切なさ」をも想像します。その「切なさ」は、まず短調の曲想から感じとっているものでしょう。
6月2日にNHKのお昼の番組で、「風鈴」の文化や職人さんにスポットを当てた回があって、違う音で鳴る複数の風鈴を使い、風鈴をミュージックベルに見立てて「チューリップ」を演奏するシーンがありました。
何気なく観ていて驚いたのは、「ミ」音を受け持つ風鈴だけが、半音フラットしていたんですよ。つまり「ド、レ、ミ♭~、ド、レ、ミ♭~、ソ、ミ♭、レ、ド、レ、ミ♭、レ♪」と鳴っていたわけです。そのメロディーの美しく切ないこと!目からウロコ、新鮮でしたね・・・。
そして、「あぁ、日本の文化だなぁ」と。
「風鈴」が西洋の文化だったら、ミはナチュラルだったはずだと思います。短調のメロディーに特別な郷愁を感じる・・・これは日本人としてもとても自然なことであって、しかも「愛する」ことに「切なさ」はつきものじゃないですか。僕が先述の3曲に「畏れ」を感じるのは、その部分においての未知である、と考えるのです。
その3曲が特別、ということにはそれぞれの曲に絡む大切な要素があって、「散りゆく青春」には当時のザ・タイガースの醸し出していた独特の空気、「時の過ぎゆくままに」にはドラマ『悪魔のようなあいつ』の主人公である可門良のキャラクターとストーリー性などを後追いの僕は考えるわけですが、「追憶」の場合はそれが「加瀬さん」なんですよね。
いつかジュリーが語っていた「忙しい時に、僕にすべてを捧げてくれた」という加瀬さんへの感謝の言葉が決して大げさなものではなかったことを、恥ずかしながら僕は長い間知らずにいました。
実際、タイムリーなファンの先輩方にとって「危険なふたり」「TOKIO」以上にこの曲に「加瀬さん」を思う、ということは確かにあるようです。
昨年の全国ツアー『三年想いよ』初日公演直後、いつもお世話になっている長崎の先輩が、セットリストを知るやいなや「追憶」と「海に向けて」の2曲に強く反応され、当時闘病中だった「加瀬さんへのジュリーの思い」を選曲に見出していらっしゃいました。
僕はそのお話を聞くまでそんなことは思いもつかず・・・「なるほどそうか!」と考えさせられたものです。
そんな低レベルな次元にある僕が「追憶」を語るのは、明らかに10年以上早いでしょう。第一僕は、アントン・チェホーフの『かもめ』もまだ読んでいないんですよ。
ただ、ここ2ケ月加瀬さんの曲ばかりを集中して記事に書いてきて、僕もそれなりに「作曲家・加瀬邦彦」については語る言葉を持ち始めましたから、なんとかそのあたりをたぐって考察してゆくしかなさそうです。
ということで、それではここで、「追憶」での加瀬さんの作曲最大の個性であり挑戦だったと思われる、「同主音による近親移調」の話をさせてください。
ちょっと難しい話になってしまうかもしれませんが、「追憶」という曲の素晴らしさ、ジュリーの歴史の凄さを語る上ではとても重要なことですし、みなさまお聞きになったであろう、つのだ☆ひろさんのラジオ番組へのささやかながらの補足の気持ちも込めまして、ね。
参考スコアは、『沢田研二/イン・コンサート』より。
加えてこちらは『HEIBON SONG』75年1月号から。
つのださんが番組内で「追憶」をかけた時、この曲について「昔はサビでメジャーになるのが少し違和感あった」と語っていらっしゃったでしょ?
実は先述の食事会の場で先輩に「あれはどういうこと?」と尋ねられたりしたものですから、あぁ、言われてみればつのださんの言葉を「?」と思われたジュリーファンの方々もきっと多かったんだろうなぁ、と。
つのださんの言った「サビでメジャーになる」というのが、ズバリ同主音移調を指しています。
「追憶」の場合は、ホ短調で始まった曲がサビでいきなりホ長調に転調している、ということです。
で、つのださんが語っていたのは、つのださん自身がその転調に違和感を抱いた、ということよりもむしろ、「ジュリーのような歌手がこんなふうな転調がある曲をシングルとしてリリースして、しかも大ヒットしてしまった」という驚き、当時それがいかに斬新であったか、ということを「違和感」という言葉に置き換えていらしたのだと思われます。
当時のジュリーは圧倒的なトップ・アイドル。「シングルが売れる」ことを宿命づけられていたと言えます。
まだまだ成長途上であった70年代前半の歌謡界ではそういう時、並の歌手であれば、わざわざ作曲段階から冒険はしないんですよ。
プロの作曲家による、「分かりやすい」「(例えばつのださんの言葉を借りれば)ルーティーンの曲」をひたすら作り続ければ良いはずなんですね(もちろんそれはそれで素晴らしいことですが)。その方が安全で、ある程度のセールスは計算できるのですから。
ところが加瀬さんはさらなる次の境地を求めて、当時とすれば「難解過ぎる」と言われても不思議ではない大胆な転調を擁する「追憶」のような曲を「勝負曲」としてシングル・リリースし、見事成功したわけです。
「アイドルのプロデュース術」としては(それまでの)常識を完全に覆すほどの冒険。
加瀬さん作曲のジュリーのシングルに、二番煎じの発想は無いんですよ。「今度はこうしてみよう」「こう変えてみよう」という挑戦(遊び心?)の連続。
何故「危険なふたり」と同じリフ・ロックを指向した「恋は邪魔もの」が短調なのか。何故「追憶」の大成功を受けてなお、「白い部屋」では同主音移調を採り入れなかったのか。
加瀬さんは常に「変化」を志したのですね。「すべてがチェンジ」「チェンジがベスト」・・・ビートルズを敬愛する加瀬さんなら、彼等に倣ってそう考えていたでしょう。
前回記事に頂いた先輩のコメントでのお話によれば、「追憶」は7月のシングル・リリースだったのに、ラジオでは早々に5月からフルコーラスでガンガンかかっていたのだそうです。これは、リスナー(特にジュリーファンではない人達を含む)への刷り込み、耳慣らしの戦略もあったのではないでしょうか。3度4度と聴くうちに、サビの転調がクセになってくるというね・・・。
もしそうなら、フルコーラスかけられていたのは必然だったのですよ。曲を部分的に流したのでは、この転調のインパクトは伝わりませんからね。
小雨降れば ひとり待つ ニーナ
Em D
何も聞かず 読みかけの本を
Em D
捨てて抱きあった お前の肌
Am Em(onG)
ニーナ 素顔がきれいだ ♪
F#7 B7
それまで物悲しいホ短調のAメロで、囁くように「ニーナ」の名を呼んでいたジュリーが
オー!ニーナ! 忘れられない
E F#m
許して 尽くして 側にいて ♪
B7 E
サビのホ長調への移行とともに華麗にその感情を解放するゾクゾク感。これこそ加瀬さんが「追憶」に込めた冒険心であり素晴らしさなのです。
そしてジュリーが見事この曲を大ヒットさせたことにより、その後「同主音による近親移調」は、日本歌謡界の「売れセン」の手管のひとつとなってゆきます。
ザ・ベストテン世代の僕は、同じ手法による大ヒット曲・・・シャネルズの「街角トワイライト」やトシちゃんの「抱きしめてTonight」を、普通に「いかにも売れそうな転調パターン」として捉えていたわけですけど、後にジュリーファンとなってようやくその根本を「追憶」という名曲にまで辿れているというわけで。
いや、この転調自体は日本のスタンダード・ナンバーにも古くからある手管ではあるんですよ。
代表例は「雪の降る町を」。短調で始まった曲が、サビの「遠い~国か~ら♪」で同主音の長調に変化します。日本人なら誰でも知っている曲ですね。
また、ジュリーのアルバム収録曲ということで言えば、71年の『JULIEⅡ』に「二人の生活」「愛に死す」という2曲でジュリーはこの転調パターンをリリース済。
さらに73年末、海外戦略の流れから生まれたシングル「魅せられた夜」も、ロ短調のメロディーがサビでロ長調に転調します。この「魅せられた夜」は「追憶」の前章のような位置づけのシングルと言ってよく、加瀬さんは、「よし、この手法を日本のヒット曲の王道パターンにまで押し上げてやろう。ジュリーの歌ならそれができる!」という意気で「追憶」を完成させたのではないでしょうか。
「楽曲的にも充分練れている(頭のお固い連中に文句を言わせない)曲」でヒットを狙うなら、当然74年のレコード大賞受賞も加瀬さんの視野にあったはずです。
『ヤング』74年11月号より
この年の大賞レースは3曲に絞られていたようですね。僕はこの3曲についてタイムリーな記憶が全然無いんですよ・・・。
曲の斬新さ、話題性は申し分なかったと思われますが、ジュリーの「追憶」は残念ながらその年もうひとつのムーヴとなった、森さんによる「演歌の世界にフォーク・ソングの血を採り入れる」という斬新さに一歩及ばず。まぁその苦杯をバネにますますその後のジュリーが新たな境地を次々に開拓していったことを考えれば、それはそれで良かったんじゃないかなぁ。
賞レースを見守っていたジュリーファンの先輩方は、悔しい思いをされたでしょうけどね・・・。
今、後追いファンなりに「追憶」というシングルの特別な意義という点を考えて僕が思うのは、これはジュリーが初めて、「歌謡曲」とも「ロック」とも言えない「沢田研二」という音楽ジャンルを、世間の評価からは隠れたところで確立させた曲だったのではないか、と(もちろん、それを最初に無意識にでも見抜いていたのは、タイムリーなジュリーファンの先輩方だったはずです)。
74年レコード大賞の選考者のみなさんの引き出しには、無いジャンルだものね。
アレンジとしては、「許されない愛」での「ブラス・ロック」を踏襲し、曲想としては、「魅せられた夜」での「同主音による近親移調」を踏襲しているわけですが、ここへ来てその楽曲ジャンルが「沢田研二」の歌として唯一無二のものとなった・・・例えば、「ニーナ」と固有名詞を連呼するジュリーの囁き。「忘れなれない」「そばにいて」と歌い、どこまでも感情を貫き通すようなロングトーン。
歌の「上手さ」だけではないんですよね。「ジュリーが歌っているのだから」という付加価値が絶対の条件としてついてくる曲であり、歌であると。
安井さんと加瀬さんが作り出した稀有なジャンル・・・その後作詞者、作曲者が変わっても引き継がれてゆく正真正銘の「ジュリー・ナンバー」としての最初の1曲。
では、正真正銘のジュリーとは何でしょう。
「中性」
「放っておけなさ」
「(良い意味での)スキの多さ」
色々と考えられますが、ジュリーのそうした魅力をキャラクターでなく音楽的に変換するとどういう言葉になるのか。当時ジュリーのすぐ近くにいた加瀬さんのような音楽人にとって、そんなジュリーの「スキの多さ」という魅力はどんなふうに見えていたのか・・・。
少し誤解を招くかもしれない表現なんですけど、「中途半端」というジュリー自身の言葉を以って、そのあたりの核心に迫った、と思える当時の資料がありますのでご紹介しましょう。74年の『週間TVガイド』です。
「50年たってもステージで歌っているのはカッコいい。その年齢にふさわしい仕事をやれたらいい」
「僕の歌は歌謡曲でもないロックでもない」
「中途半端さをもっと大きくして確立できたら、それが”沢田研二”そのものになる」
1974年当時、ジュリーという歌手について様々な評が世にあった中、「沢田研二という唯一無二の個人ジャンル」までをもそこに見出すことは、「識者」達から嘲笑されることだったかもしれません。
でも、ジュリー自身や加瀬さんは、真面目にそこを目指していました。
今、2015年。
年齢にふさわしい仕事をし、ステージに立ち続け、歌謡曲でもないロックでもない「沢田研二」というジャンルを本当に確立させたジュリー。そんな現状もまた、1974年の「追憶」というシングルにまで辿ることのできる、ジュリーの歴史の素晴らしさではないでしょうか。
「追憶」は、加瀬さんがジュリーの傍にいた時代の、豊穣の遺産の中でも特別な1曲。
「やっぱり、特別なんだなぁ」と、後追いの僕はとにかくそれだけを分かったつもりになっています。
詞と演奏についても少しだけ。
安井さんの詞は何と言っても、ジュリーに女性の名前を狂おしく連呼させるアイデアが加瀬さんのメロディーとマッチし、凄まじいヒット性を感じさせますね。しかも、西洋の名前ですから日本のファンの女の子誰も得をしない、というのがまたニクイです。
西城さんの名曲「傷だらけのローラ」の詞は、ジュリーの「追憶」が無ければ生まれていなかったような気がするなぁ。ちなみに曲の方は、「許されない愛」が無かったら生まれなかったような気がしてます。
つまり、安井さんの詞も加瀬さんの作曲と同様に、その後の日本のヒット曲の王道パターンを先導していたんじゃないか、と思うわけです。
「追憶」のタイトルは、洋画からとったんじゃないかな。ズバリ『追憶』・・・時期的にも合致しますよね?
僕は映画自体は観たことはありませんが、ハムリッシュの主題歌「追憶」は、映画モノのオムニバス・スコアには必ず収載される曲で、よく知っています。
(註:その後、「傷だらけのローラ」は「追憶」より先だったことが判明。お恥ずかしい。で、「追憶」は最初「ニーナ」というタイトルだったのを「ローラの後にニーナはマズイだろう」ということで「追憶」とつけ直したのが大輪茂男さんだったことも、後のラジオ番組で分かりました)
この曲はどうやら「井上バンド」としてのレコーディングではないようです。
シングル盤のクレジットは「ケニー・ウッド・オーケストラ」。その上でアルバム『JEWEL JULIE~』大トリ収録の別ヴァージョンの方を聴いても、アレンジは大きく異なりますが各バンド・パートはシングルと同じ演奏者によるものと僕には聴きとれます。
少し前にBAT様にコメントでご伝授頂いた、東海林先生繋がりの『ステージ101』専属バンドが、ケニー・ウッド・オーケストラと共演しているのではないでしょうか。
ただ、それを置いても、この「追憶」の演奏で僕が今さらながら強く感じるのは、「これは自分の基本的な音楽嗜好ズバリの音である」ということです。
僕が音楽に目覚めるきっかけとなったのは、小学生時代に聴いていた『太陽にほえろ!』のサウンドトラック。その中で僕は幼心にドラムスの音に憧れ、ブラスバンド入部を志望しドラムを始めました。それは、洋楽を聴いたりギターを覚えたりするよりも数年前のことで、僕の音楽への関わりの原点です。
こうして考えると、僕の中に「井上バンドの音=ジュリーの曲の音」への適性が知らず知らずのうちに育まれ、長い間雄伏していたのだと言えます。
さらに、その時分に僕が特に憧れていたドラムスの音は、ハイハットの刻みと豪快なロール・フィルで、ズバリその「子供心に憧れていた音」を「追憶」のドラムス演奏に今見出すことができるのです。
「追憶」は井上バンドとしてのレコーディングではなかったかもしれませんが、ドラムスは田中清司さんの演奏である可能性が高いんですよね。
「追憶」の東海林先生のアレンジはAメロが1番、2番ともに2段攻撃になっていて、1回し目でクールにハイハットを刻む音、2回し目直前の豪快なロールによるフィル・イン・・・これは正に僕が幼少時代から憧れていたドラムスの音そのものと言えます。
最後に。
アルバム・ヴァージョンのエンディングで、まるでリード・ギターのように「ソロ」っぽいフレーズ展開をするベースライン、また伴奏部で何とも言えない声で「ニーナ!」と囁くジュリーの声・・・「追憶」を通して聴いてシビレる箇所はいくつもある中で、個人的に一番好きなのは、長調のサビで豪快に歌い上げていたジュリーが、再び短調へと舞い戻る瞬間のヴォーカルの、神がかりな表情の変化ですね。
この曲、サビが丸ごとキッチリ長調というわけではなくて、途中から短調に戻っているんですよ。
オー!ニーナ! もし今なら
E F#m
お前を二度とは悲しま せない
B7 Em Am B7susu4 B7
オー!ニーナ! ♪
Em
歌詞で言うと、この「悲しませない♪」からAメロと同じホ短調となります。
つまり、上記歌詞部の「オー!ニーナ!」には、長調の部と短調の部がある、ということ。
躍動的で明るい歌声から、物悲しく切ないヴォーカルの切り替えは正に神!
いくらメロディーが優れていても、「追憶」はジュリーが歌うから素晴らしいんですよね。
ジュリーをリスペクトし、有名なシングル曲をカバーする歌手は多いけど、「追憶」はそのセールス実績に反してあまりそうしたカバーを聴かないでしょ?
この曲をジュリーのように歌うことは、当たり前ですが本当に難しく畏れ多いということなのでしょう。
「日本のヒット曲」のパターンを塗り替え王道にまで押し上げる礎となった加瀬さん作曲の「追憶」。その斬新さ、レベルの高さは今でも変わりなくプロフェッショナルの心を揺さぶり続けているのです。
つのださんはラジオでそういうことに言及してくださったのだ、と思っています。
それでは、オマケです!
前回の予告通り、1974年お正月コンサート『沢田研二ショー』(日本劇場)のパンフレットからどうぞ~。
さぁ、これで『ジュリーのツアーが始まるまで、セットリストのことはなるべく考えないようにしながら(と言いつつ、今は考えまくっています汗)加瀬さんの曲を書き続ける』シリーズの更新予定お題は、当初の予定だと残すところあと2曲となっています。
ただ、初日公演の日程が延びたぶん、今後どうしようかなと。この機に”KASE SONGS”をすべて書くか、それとも「セトリのことは考えない!」と自分に言い聞かせる意味で、しばらくactの音源を採り上げるか・・・。
とりあえず次回は、今日のお題『追憶』のシングルB面曲「甘いたわむれ」をお届けしたいと思います。
これまた素晴らしい名曲で、加瀬さん作曲のジュリー・シングルB面としては、「青い恋人たち」と並び先輩方の人気もとても高い曲、と認識しています。
引き続き頑張って書きますよ~。
残念ながらツアーが始まるまでもうあとひと月待たなければならなくなりましたが、「久しぶりに歌う歌が多いから気合入れんと!」と、電車で移動しながら、散歩しながら、床に入って眠る前に目を閉じながら、歌詞のおさらいに日夜励んでいるジュリーの姿を勝手に妄想しつつ、8月17日までの日々を過ごそうと思います。
GRACE姉さん、どうぞお大事になさって、ゆっくり休養されてください・・・。
素敵な笑顔と豪快な演奏に再び逢えることが分かっているなら、僕らは安心して待っていますから!
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コメント
DY様 こんばんは。
GRACEさんのご病気、ツアーの延期、本当に驚きました。早く良くなっていただきたいです。
「イン・コンサート」引っ張りだして、
「こんなすごいスコア持ってたんじゃん、私。」明日から、ピアノ練習しようかな。
日劇のパンフレットのジュリの表情、私のジュリー垂涎ショットベスト3のひとつです。(笑)あと二つはブロマイド。
「追憶」
衝撃的に新鮮で、すぐ好きになりましたが、
(なしてニーナ?まさか○○用品のCMソングだってりして・・・)とドギマギ。
「天使のように大胆に悪魔のように細心に」
歌に対して純粋なら、隙があるかどうかなんて考えもしないのかもしれませんね。
この曲は私としては☆5つです。
投稿: nekomodoki | 2015年7月 2日 (木) 00時18分
大好きなジュリーの曲を伝授していただけるだけで本当に有り難いのに、ちょっとだけのコメントを投稿しても「ありがとうございます!」とともにお返事を頂けることが嬉しくて、ついついほとんど毎日のようにおじゃましています。
よく考えるとジュリーと似てますよね。
ジュリーの歌に励まされてジュリーの声に魅了されてコンサートに行っているのに、逆にジュリーから一曲歌うごとに「ありがとう!サンキュー!ありがとうね!」と言っていただけるのと・・・
ジュリーの曲はいろんな意味でやはりその当時は冒険だったんですね。
私なんかハッキリ言ってジュリーのあの美しい外見にのみ引かれたようなところがあるのですが、なんのなんの本当に素敵な希有の人であったわけですね。今ごろになってますます感じます。良かったわ!
やっぱりすることが外の人より十年いやそれよりももっと早いのでしょう。
当時は、このような曲を歌う人はあまりいなかったように思います。
その頃はいわゆる演歌のようなもの、それとフォークだったみたいです。
やはりジュリーのあの美しさがないと歌うことは困難でしょう。恐らく似合わない。当時あのような人は居ませんでしたからね。今もですけど。
さて、とっても楽しみにしていたツアーの福岡公演が延期になってしまって本当に残念です。でも、中止ではなく延期ですから我慢我慢。グレースの体調不良とのことですから少し心配です。何時もわざわざ九州までコンサートに来てくださることへの感謝の気持ちを花束とちょっとしたお土産で表していたのですが、なぜかしら今回はグレースにも花束を届けようと思っていた矢先でした。心配ではありますが、きっと回復してくださることを祈ってまたお姿を観ることができることを信じてじっと待つこととします。
では今から9月の長崎公演まで如何にして過ごすかということになるのですが、そこはDY様のご伝授をミッチリ勉強してそしてセットリストをキッチリ確認して予習バッチリで参加する事にします。
投稿: 澤會佐賀県支部支部長(自称) | 2015年7月 2日 (木) 01時01分
DY様
「追憶」、ジュリーの曲で1番好きかも知れません。やっぱりアルバム・バージョンの方がいいですね。実家にLPレコードがあるはずなんですが、盤のB面のラベルには「追憶」だけケニー・ウッド・オーケストラ・演奏と記されていたはずです。
「ワン・ステップ・フェスティバル」に井上バンドの5人だけの演奏(女声コーラス・パートも)のライブ・バージョンが収録されていますが、レコードの音の分厚さをギターX2、ベース、ドラムス、キーボードだけで再現するのはなかなかたいへんだったでしょうね。「ワン・ステップ~」とスタジオ録音を聴き比べるとドラマーは別人のような気もしますんで、スタジオは田中さんではないと私は思うんですが真実は?
今日から3日間上京、でもまんだらけに寄る時間は取れそうにありません、残念。
余談ながら、私もワンダーパヒュームの桜花賞的中しました。田原ファンだったので翌年のファイトガリバーの馬連万馬券も。宝塚市民なんで先週の宝塚記念も馬連ですが当たりましたよ。田原さんのバンドには篠原信彦さん(キーボード)もいらっっしゃいました。
投稿: ねこ仮面 | 2015年7月 2日 (木) 06時55分
nekomodoki様
ありがとうございます!
ビックリしましたね…深刻なご病気でないことを願うばかりです。
加瀬さんとは、ジュリワンの全国ツアーを共に走りぬいただけでなく、作詞・作曲でコンビを組み、「ねじれた祈り」「Oh!Sandy」というハード・ロカビリーの名曲を生み出しているGRACE姉さん。今年でなくてもジュリーはそう決断したと思いますが、代役は考えられません。
nekomodoki様★5つ予想の「追憶」…昨年のツアーでの素晴らしいドラムスを思い出します。
とにかく今はゆっくり休んで頂いて、元気なお姿を8月に拝見したいものです。大きな拍手で初日を迎えたいですね。
それにしても…言われてみますと確かにそういうCMタイアップとしても違和感の無い名曲ですね(笑)。
☆
澤會佐賀県支部支部長(自称)様
ありがとうございます!
いえいえ、はるばる九州からのコメント、いつも嬉しく思っております。感謝しかありませんよ~。
ビジュアルももちろんそうですが、ジュリーは楽曲的にも日本の音楽界を先導していました。加瀬さんはじめ、本当に素晴らしい多くの才能がジュリーを愛し、ジュリーもそれに応えていた、ということなのですね。僕はそういうこともずいぶん遅れて気づいたわけですが…。
福岡公演はずいぶん先の振替日となりましたが、九州のファンのみなさまにとってはツアーの最後の方まで楽しみが残っている、とも考えられますし、今はGRACE姉さんのご回復を祈りたいですね。
☆
毎度すみません、ここでお返事一度切ります。
投稿: DYNAMITE | 2015年7月 2日 (木) 11時18分
DYNAMITEさん、こんにちは。
GRACEさんのご病気のこと、今まで知りませんでした。
1日も早く元気になられることを願っています。
「追憶」は忘れられない思い出の曲です。
完全にジュリー堕ちしたあと、生ジュリーデビューしたのがロックンツアー'74福岡公演。
その時に新曲として歌われたのが「追憶」でした。
生で聴く、間奏で囁かれる「オー!ニーナ!」の色っぽさ、今でも耳に焼き付いています。
実は、ジュリーのプロデューサーとしての加瀬邦彦さんとお会いしたことがあるんですよ。
記憶もおぼろげなんですが、確か1982年頃、ジュリーの福岡公演当日(前日だったかな?)ファンクラブ福岡支部より連絡があり、公演直前に会員10名位が呼び出されました。
その場にいらっしゃったのは加瀬さん。
その頃の新曲「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」を聴かされて、感想を述べ合ったり、今後のジュリーについて意見を聞かれたり・・・
ワイルドワンズの加瀬さんが目の前にいらっしゃることが不思議な感じでした。
その時に話した内容などは綺麗さっぱり忘れてしまいましたが
あの時の加瀬さんの優しい笑顔が忘れられません。
あの日、その場にいらした方で詳細を覚えていらっしゃる方がいたらお話を伺いたいです。
投稿: hayami | 2015年7月 2日 (木) 15時42分
ねこ仮面様
ありがとうございます!
あぁ、やはりアルバムのロング・ヴァージョンの方もケニー・ウッド・オーケストラのクレジットなのですね。
「ワン・ステップ・フェスティバル」はたぶん音源を持っていると思うのですがすぐには音が思い出せません。確かめてみますね。
ねこ仮面様の仰る通りだとすれば、ケニー・ウッド・オーケストラ自体にギター、ベース、ドラムスのパートが存在していたのかもしれません。メンバーは謎のままですが…とりあえず「追憶」のベース奏者は「明日では遅すぎる」の奏者と同一だと僕は聴きとっています。
田原さんとワンダーパフューム…僕の場合「楽しませてもらった」程度のお世話になり方でした。金額的にお世話になったのは、ダントツでサニブーの年の大西騎手ですね(笑)。
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hayami様
ありがとうございます!
いやぁそんな経験がおありとは羨ましい!素敵な思い出ですね…。
「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」ですか…実際に作曲をしていなくとも、加瀬さんはジュリーのプロデュースをシングル・リリースのたびに研究していらしたのですね。ジュリーにとっても、加瀬さんの思い出は加瀬さん作曲作品にとどまらず、様々な曲にまつわる思い出があるのでしょう。
そう考えますと、お正月のセトリにあった「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」が全国ツアーでもスライドして歌われる可能性も高そうですね。
GRACE姉さんの存在はジュリーにとって、単にドラマーというだけではなくなってきていると思います。
今はとにかくゆっくり静養なさってください」と、こんな片隅からではありますが心からお伝えしたいです。叶うならお手紙を書きたいくらいの気持ちですよ…。
でも、ツアー初日にはきっと元気な姿を見せてくれるはずです!
投稿: DYNAMITE | 2015年7月 2日 (木) 16時57分
ワンステップフェステバル、想い出深いです。私が、初めて仙台以外に遠征したステージでした。内容は記憶が残っていません😫ただただ興奮していました。あのステージを境に、いろんな会場まで行くようになりました。私にとって大きなワンステップになりました。しかし、恥ずかしながら、その頃まだ我が家は、カラーテレビではなくて、紅白はテレビと同時にラジオもつけていました。ジュリーが登場すると、ラジオのアナウンサーが「今年の沢田さんは、紫の衣装です。」と紹介して、黒く見える衣装は実は紫だと想像していたものです。
それにしても、DY様。中古ショップに行くよりも、奥様のお宝を発掘した方が、早いかも知れないですね。格安で購入、又はレンタルできるかも!
投稿: しぶ姐 | 2015年7月 4日 (土) 11時09分
DY様 こんにちは!!
つのださんの仰った『追憶』“サビの意味”…同主音による近親移調→サビでメジャーの違和感…理解させて頂きました。
小学生の頃、『ともしび』や『カチューシャ』他、よく歌っていて・・・ 馴染みのあるロシア民謡的? 『雪の降る街を』(*中田喜直さん作曲) が“転調”の好例として? 御伝授の中にあって・・・ 当時、音楽番組を通し、いろんな歌を覚えさせて貰ったオーソドックスな重唱団のダークダックス(*ゾウさん、ゲタさん、パクさん、マンガさん…紅白出場15回?)のことが、突如(*何十年ぶりかな?)、甦って参りました。
シアワセ〜
そしたら? 次に、学生時代…『野ばら』や『ブラームスの子守唄』等もよく口ずさんでいて…ドイツ歌曲にも嵌まっていたことを…連想ゲームの様に思い出しました。
そして雪と言えば? アダモの『雪は降る』をよく歌っていたことも・・・ 名前の“ア”繋がりで? “美男子の代名詞”アラン・ドロンを思い出し…ドロンと言えば? 『太陽がいっぱい』…“太陽”と言えば? …二十代半ば、妹に同行して貰い、大人になって? 初めて、今は亡き大正生まれの母と一緒に観賞した映画…ジュリーの代表作『太陽を盗んだ男』にまで繋がって・・・
昨日は、思いっきり! “想い出三昧”をさせて頂きました。
『追憶』はガラスのジュリー時代の最高傑作だと思います。
(*風鈴の『チューリップ』…ミ♭の説明は萌えましたが)
加瀬さんは凄い人ですよね。
今回驚いたのは…『散りゆく青春』が、『時の過ぎゆくままに』や『追憶』と同様? DY様の“荷が重い? 3曲”だったと云うことでした。
共通点は短調!? …殆んどの日本の曲は? 短調→切ない?…“郷愁”
採譜のプロゆえ、私たちとは“見える音”が絶対的に違うのだけは分かりました。
グレースさんのこと・・・ 純粋に、ジュリーの各楽曲に対する“寄り添い度”の高さ、厚みは“ドラム以上の音”がやってくる感じで・・・ 嘗て、居たでしょうか? №1のドラマーです!!
担当医の万全なるアドバイスがあってこそ…ジュリーは英断をされたのだと思います。
静かに待ちたいです。
投稿: えいこはん | 2015年7月 5日 (日) 12時00分
DYさん、こんにちは。
追憶の転調について詳しい伝授ありがとうございます。
何となく転調していることはわかって、ジュリーの桁外れな歌力は理解していたつもりですが、改めて伝授をしていただいて、音楽的素養のない僕にもこの曲の凄さが具体的に理解できた次第です。それにしても詞・曲・アレンジ・演奏・歌、そしてグルーブ…、CD音源で聴いても本当に見事な曲ですが、昨年のツアーで聴いた追憶は更に凄味があり今でも忘れられません。鉄人バンドが奏でる追憶、ぜひ今年も聴きたい、そしてジュリーにぜひ加瀬さんに届けてほしい、心からそう思います。
グレース姉さんのこと心配ですが、ジュリーが判断した事です、間違いなく8月17日にはジュリー&鉄人バンドで素晴らしいステージを見せてくれることでしょう。僕の初日は9月下旬に延期になってしまいました。それまでどうやって待っていようかと気が遠くなるばかりです。僕の個人的な思いは、DYさんには、加瀬さんの楽曲の伝授を続けて頂きたいですが、どんな伝授であろうと、DYさんの伝授を読ませて頂きながらジュリーの歌に対する知見を深め自分のツアー初日を待ちたいと思います。
投稿: goma | 2015年7月 5日 (日) 18時08分
お返事大変遅くなりました。
またかとお思いでしょうが…風邪ひきました。情けない…。
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しぶ姐様
ありがとうございます!
ワンステップフェスの音源はまだ探し出せていないのですが、「素晴らしかった」とのお声はよく聞きますね~。
そして、紅白のお話、素晴らしい!
モノクロのテレビだけでは衣装の色が分からない…普通ならそれで我慢してしまうところですが、ジュリーファンとしてはそうもいかない…なるほど、ラジオを同時に流すという手がありましたか。
いやいや、昭和の良き時代を思わせる素敵なお話ですよ。
我が家では基本、ジュリー関連のブツは僕がまとめて整理しているんですけど、まだ知らぬところで色々とあるかもしれません。先日は2008年の全国ツアーの各地会場のチラシなども出てきましたしね…。
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えいこはん様
ありがとうございます!
ガラスの時代のジュリーの最高傑作…なるほど、分かるような気がします。
翌75年になると、ジュリーには「大人」「男」の雰囲気が出てきて(声にも)、74年までとは変化しているように思います。これは、このところ加瀬さんの曲を集中して聴いていて改めて気づいたことなんですけどね…。
「散りゆく青春」については、僕がタイガースの勉強を始めてすぐ、「この曲はちょっと先輩方の思い入れが他の曲とは違うぞ」と感じました。
先日もピーファンの先輩が「タイガースのライヴは1.24よりも断然コロシアム」と仰っていて、同じことはジュリーファンの先輩も何度か仰っていましたし、その上であのライヴの「散りゆく青春」を聴きますとね…やはり他の曲とは何かが違うんですよ。後追いのファンには完全に理解することはできない曲だと思っています。
今年のツアーのセットリストがどのようになるのかまだ分かりませんが、確実に歌われることが分かっている新譜の4曲…この4曲を鉄人バンドの4人以外の音が入った演奏で歌うことは、ジュリーには考えられないでしょう。
GRACE姉さんの1日も早い快復を祈りたいです。
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goma様
ありがとうございます!
昨年の「追憶」、本当に素晴らしかったですね。ジュリーの歌はもちろんですが、鉄人バンドの演奏、最高でした。
goma様の初日は9月下旬となりましたか…名古屋ですね。かなりのハード・スケジュールとなりましたが、GRACE姉さんも完全復活し、きっと素晴らしいステージになるでしょう。
色々と考えたのですが、延期となった初日フォーラムまでの期間を生かし、この機にジュリーが歌った加瀬さんの曲をすべて記事にしよう、と決意したところです。
せっかく完全制覇にあと5曲にまで迫っているのですからね…ここでやらない手はないんじゃないか、と。頑張りたいと思います。
goma様のお言葉、力になりました。ありがとうございます。
投稿: DYNAMITE | 2015年7月 7日 (火) 09時26分
お久しぶりです。
加瀬さん曲をフォーラム初日までに記事にして下さる?
とっても嬉しいです!!
ありがとうございます m(_ _)m
投稿: りんだ | 2015年7月 7日 (火) 11時48分
りんだ様
ありがとうございます!
ツアー初日まで充分な日数ができたことを、天啓だと勝手に思い込むことにしました。
「加瀬邦彦・作曲のジュリー・ナンバー」全曲記事制覇を、この機にやり遂げたいと思います。
残すは「愛はもう偽り」「二人の肖像」「甘いたわむれ」「この炎は燃えつきず」「海に向けて」の5曲です。
時間は充分ありますので、あと1曲か2曲、ジュリー・ナンバー以外の加瀬さんの曲を、とも考えています。
頑張りますよ~。
投稿: DYNAMITE | 2015年7月 7日 (火) 12時14分
Dy 様、ほぼ一月順延の東京フォーラム・2015 Julie Rock'n ture ですが、スタートしてからの出来事でなかったことは、やはりJulie & 鉄人バンド & 私達ファンは、「護られている!」と思います。
だって、Grace の「トラ」が大好きなポンタさんであっても、今年の新譜は勿論、加瀬さんの追悼を込めたture set listは、Grace 以外のドラマーは考えられませんから…、私には。
なので、Julie & スタッフの鬼神の如くのスケジュール調整の賜物を、私はありがたく楽しみにさせて戴きます。
今日の朝日新聞に、東京フォーラムの公演のお知らせが掲載されていますが、久し振りにJulie のture の「お知らせ」を見たように思います。
なにしろ、2008「ジュリー祭」以降首都圏のチケットは、本当にアッと云う間にsold out になってしまいますからね。
Dy さんとしては、概に発表順は確定済みでしょうが、私の図々しいお願いと致しましては、2008「ジュリー祭」の時に発表された「海にむけて」が加瀬さん曲の大とりであれば、本当に嬉しゅうございます。(’-’*)♪
発表時からの大好き曲でしたが、加瀬さんが帰天されてからは、リピート率高し落涙率高し!の曲なので、ご一考戴ければ幸いです。
P.S.
お風邪とか、季節不順ですので、お身お大切になさいませ。(/--)/
投稿: Lchia | 2015年7月 7日 (火) 22時05分
Lchia様
ありがとうございます!
本当に仰る通りですよね。もしツアーが始まってから…と思うと。
『ジュリー三昧』でジュリーが語っていたように、逆境に遭っても「これくらいで済んだ。護られている」という気持ちを持つことが大切なのですね。
さて、加瀬さんのジュリー・ナンバー…初日直前、つまり大トリの更新となるのは「海に向けて」です。これは初めから決めていました。
でも、レクイエムとしては書けないんですよ。まともな考察もおそらくできません。
加瀬さんへの感謝、敬意をひたすらに綴る記事になるかと思います。
風邪、ひいてしまったのです…。
今ちょうど「甘いたわむれ」の記事をupしたところで、今夜はもう寝ようと思います~。
投稿: DYNAMITE | 2015年7月 7日 (火) 22時23分