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2015年6月11日 (木)

沢田研二 「旅立つ朝」

『JULIE SINGLE COLLECTION BOX~Polydor Yeas』収録
original released on 1975
シングル「時の過ぎゆくままに」B面


Tokisugi

disc-14
1. 時の過ぎゆくままに
2. 旅立つ朝

----------------------

え~、突然ですが。
去る6月9日火曜日の未明(午前3時くらい)でしたが、久々にジュリーが夢に出てきてくれました。

これが意味不明の変テコな夢でね~。
まず、夢の中の登場人物としての僕はそれをジュリーだとは認識していないんだけど、夢を見ている自分自身はその人をジュリーだと分かってる、というややこしい状況。人間の脳ってどうなってるのでしょうか。

舞台は、僕が20年以上前に住んでいた練馬区上石神井と杉並区上井草の境のアパート『石風荘』近辺。夢の中で、僕は何故かまだそこに住んでいたようです。
夜中、最寄りのコンビニ(徒歩5分くらいのセブンイレブン)に買い物に出た途中で雨が降ってきて、走って店に駆け込むと、レジにいた店員さんがジュリーで(夢の中の僕はジュリーだとは気づいていない)。
白髭、アロハシャツに赤いエプロンでレジの向こうに立っていて(よって、下半身は見えていない)、店に入ってきた僕を見て低めの声で「いらっしゃいませ~」と。

降りだした雨のことがあって僕はまずビニール傘を探したんですけど、残り最後の1本をタッチの差で先に来ていたお客さんのお姉さんに持っていかれました。
次にビールを物色すると、見たこともない怪しい幾何学模様のデザインのビールだけが冷えていて、あとの有名メーカーのやつは補充が追いついていないのか、ヌルヌルのまま並んでいました。
近くにいた30才くらいの男性客がレジに向かって
「モルツ冷えてないの?」
と言うと、ジュリーが机に両腕を拡げて置いた格好で
「そうなんですよ~。すいやせん」
と応えます(「すみません」ではなくて「すいやせん」でした。朝吉親分のイメージだったのかな)。
それが、過剰にへりくだるでもなく、かといって失礼な感じもない自然な受け応えだったんだよなぁ・・・。

その男性客は結局、冷えている怪しげなメーカーのビールを買っていきましたが、僕は「まぁ家で冷やせばいいや」と考えて、スーパードライを2缶と、輸入物っぽい巨大なポテチを手にとってレジ待ちの列に並びました(真夜中だというのに混んでて結構な行列でした)。
レジの順番がきて、ジュリーは僕の差し出したぬるいスーパードライを手にとって「ピッ」とやりながら

「(冷えてなくて)すいやせん

と。
僕は、「なんだか迫力のあるお爺さんだな・・・こういう人は怒らせたらイカン」とか思っていました。
で、コンビニ袋を抱えて雨の中を家まで走って帰るところで目が覚めたんですけど・・・ジュリーが低く言った
「すいやせん」
という声が妙にリアルに耳に残ってるような気がしましてね~。しばらく起きて余韻に浸っていました(笑)。

これ、夢判断的にはたぶん「傘が買えなかった」「ビールが冷えていない」「レジ待ちの列に並ぶ」「雨の中を走る」といったシーンが重要になってくるかと思うんですが、なにせジュリーファンの僕が見た夢ですからね。店員さんがジュリーだった、というところから分析を始めないといけないでしょう。
としても、全然意味分からない・・・。
やっぱりアレですかね、音楽劇全公演が大成功に終わって、1ケ月後の全国ツアーが始まるまで、ジュリーファンにとっては一番ソワソワする時期だけに
「LIVEが待ち遠しい!」
という気持ちが見させたおめでたい夢、な~んてシンプルな解釈で良いのでしょうか。


といったところで、本題です。
ジュリーが40数年(もすぐ50周年!)のキャリアの中で歌ってきた曲はとにかくその数が凄まじく多く、すべての曲を完璧に聴き込み理解する(したつもりになる)ことは至難の業。数回聴いただけで「なるほど」と適当にそのままにしておいて、ふとした時に突然その大きな魅力に気がつき驚かされ、「とてつもなく好きな曲」へと変わることがあります。
そのパターンとして「生のLIVEで聴いて・・・」というのが一番多いのは当然として、他にも様々なきっかけで突然過去の素晴らしい楽曲に魅入られることも。

今日は、このヒヨッコがほんの1年ちょっと前にいきなり大好きになった曲を採り上げます。
もちろんそれまで何度か聴いたことはあったのですが、本当にある日突然惚れこみ、「何故こんな名曲を見逃していたのか」と今では不思議に思うほどの曲。

きっかけは、大滝詠一さんの訃報でした。
僕の中では、高校生の時に出逢った大滝さんのアルバム『A LONG VACATION』は今でも邦楽ポップスのバイブルであり、2013年暮れに大滝さんが亡くなったと知り大きなショックを受けた後、しばらくの間僕は『A LONG VACATION』を何度も聴き返していました。
今でもCMで流れている「君は天然色」、先日「燃えつきた二人」の記事中で少し触れた「スピーチ・バルーン」など本当に素晴らしい名曲ばかりが詰まった名盤ですが、収録曲中最も有名なのは何といっても「さらばシベリア鉄道」でしょうね。大滝さんにさほど詳しくなくともこの曲をご存知のかたは多いでしょう。
もちろん僕も大好きな曲で、高校時代にコピーしたこともあり、歌詞、コード進行、さらにはアレンジ細部まで頭に叩き込まれています。

音楽というのは不思議なもので、何度も聴いている曲でもその時の気持ちやそれまでの体験、或いは他に新たに聴くようになった音楽の知識の積み重ねによって、曲の聴こえ方、感じ方が違ってきます。
大滝さんの旅立ちを思いながら「さらばシベリア鉄道」をしんみりと聴いていた時、ふと僕は「あれ?ジュリーの曲にこれと似た感じの曲があったような気がする。何だっけ?」と思い立ちました。
短調の美しくも勇ましいメロディー、マーチングのようなリズム・アレンジ、孤独な「旅立ち」を歌う歌詞。
絶対ある、よく似た感じのジュリー・ナンバー・・・何だ?と焦りました。
すぐに思い出せないってことは、どうやらこれまでの聴き込みが足りていない曲だぞ、と躍起になって考え、しばらくして思い当たったその曲。
改めて聴いてみると、大変な名曲でした。

前回記事の「明日では遅すぎる」から、75年のシングルB面曲のお題が続きます。今日のお題も、これまた東海林先生のアレンジが素晴らし過ぎる名曲。
超特大ヒット・シングル『時の過ぎゆくままに』のB面です。「旅立つ朝」、伝授!


「さらばシベリア鉄道」から「旅立つ朝」への連想は、ジュリーファンとなる数十年前から大滝さんのファンであった僕にとって、遅まきまがらの目からウロコでした。

「さらばシベリア鉄道」のリリースは、太田裕美さん(ジュリーとはナベプロで一緒でしたね。『ヤング』バックナンバーでも太田さんの記事は多いです)への楽曲提供が、大滝さんの『A LONG VACATION』でのセルフカバー(1981年)よりも早くて1980年のこと。
対して「旅立つ朝」は1975年。

ん?75年?
大滝さんが、ジュリーと深く関わっている年だ!

と、勝手に興奮してしまいましたが。
大滝さんほどのポップスの巨匠が、当時のジュリーの楽曲の優れたポップ性に気づいていなかったはずはありません。また、マニアックな「引き出し」をに自作曲に華麗に反映させていく大滝さんに、ジュリー・ナンバーという引き出しが蓄えられていた、とするのはさほど強引な考え方ではないと思うのです。
僕はここに、”ジュリーの「旅立つ朝」が大滝さんの「さらばシベリア鉄道」作曲のモチーヴメントになっていたかもしれない説”を唱えたいと思います(こういう大胆な邪推が楽しみでブログ書いているようなものですから・・・毎回突拍子もない仮説ですみません)。

「さらばシベリア鉄道」と「旅立つ朝」。
確かに最終的な音源作品としては、テンポ含め曲のイメージは大きく異なります。
しかし、曲想にせよ歌詞にせよアレンジにせよ、この2曲には共通点が驚くほど多いのです。

例えば。
「旅立つ朝」イントロのコード進行は「Em→G→D」。
このイントロに合わせてそのまま「さらばシベリア鉄道」のAメロが歌えます。また、両曲ともディレイの効いた太い音色のスロー・ハンドなリード・ギターが前面に押し出されているアレンジも共通します。

「さらばシベリア鉄道」のあの疾走感は、「じゃんじゃかじゃかじゃか・・・♪」とかき鳴らすアコースティック・ギターが演出するところが大きいです。
これ、「旅立つ朝」で言うとAメロ左サイドのピアノや、時折「じゃかじゃっ!」と切り込むホーン・セクション、或いはマーチング風のドラムがよく似た効果を狙ってアレンジされていたんじゃないか、それが大滝さんの引き出しにあったんじゃないか・・・僕にはそんなふうに思えてならないのです。

まぁ、大滝さんの「さらばシベリア鉄道」の作曲に「旅立つ朝」へのオマージュがあった、とする考えはさすがに行き過ぎにせよ、 大滝さんの名曲を連想したおかげで、僕自身これまで気にとめていなかった(恥)「旅立つ朝」の豪華なアレンジ、緊張感溢れる演奏の素晴らしさにようやく気づくことができました。
おかげでこの曲が突然大好きになり、聴き返すたびに新鮮な感動に浸れているというわけです。

さて、そんな素晴らしい演奏トラックをすべて書き出しますと、以下の通りです。

・ドラムス(センター)
・ベース(センター)
・ピアノ(左サイド→センター)
・リード・ギター(右サイドややセンター寄り)
・サイド・ギター(右サイド)
・ホーン・セクション(センターから右サイドの間でパートごとに分離)
・ストリングス(左右に分離)
・ティンパニ(センター)

この豪華な楽器陣が要所要所で噛み合い、出番を入れ替える・・・前回記事「明日では遅すぎる」にも負けない、東海林先生の隅々にまで行き届いたストイックなアレンジは、圧巻のひと言。
例えば

背中にあなたの 目が残る
    Am7         D7          Gmaj7

旅立つ朝の 心かくし
       Em  C          D

今 風 の 中 ♪
     Em  B7   Em

1番のこのヴァースでは、エレキギターがヴォーカルを追いかけるように「ファ#・ミ・レ~♪」「ミ・レ・ド~♪」と下降するメロディーを奏でますが、曲後半の同じヴァースでは、それがホーン・セクションの低音担当パートに切り替えられています。
このように、曲全体を通して各楽器が役割を変えるのがこの曲のアレンジの肝。
単純に1番、2番・・・と同じ演奏を繰り返しているのではないんですよね。

そうした東海林先生のアレンジ・・・ストリングス、ブラスがここぞ!というタイミングで噛んでくる正確無比かつ躍動的なアンサンブルも、加瀬さんのメロディーの「純度」があればこそ生まれたものでしょう。
加瀬さんの曲は本当にアレンジ解釈の自由度が高くて、僕はこのところ様々なタイプのアレンジが施された加瀬さんの作品を代わる代わる聴きこんでいますから、改めてその素晴らしさを思い知らされているところでもあります。

「旅立つ朝」はジュリー・ナンバーの中でも「似たアレンジ」を探すのが難しい曲のように思えます。
むしろ、アレンジや演奏のアプローチは全然違うのに、シングルA面曲の「時の過ぎゆくままに」ととても似ているような不思議な感覚があったり・・・。
共通点を挙げるとすると、このシングルは両面ともキーがホ短調で揃っているんですよね。
これはそれぞれの作曲段階での偶然の一致かもしれませんが、B面の「旅立つ朝」ははからずも、ドラマ・タイアップで大ヒットを狙うA面曲、同じホ短調の「時の過ぎゆくままに」への念押しの刷り込み、というと変ですけど・・・そんな役割を担っていたかもしれません。
聴き手が各面2曲に同じ空気、統一感を感じる。だからこそA面の価値、印象が上がる、という・・・。
タイムリーでシングル・レコードを聴いていらした先輩方、そのあたりいかがでしたか?

アレンジ、演奏も凄いですが、さらにこの曲はミックスも素晴らしいですよ~。

忘れないさ 愛の暮らし ♪
C                Bm

2番のこの部分から、ドラムスとベースの音量がスパ~ン!と上がるんです(1番の同じ箇所でも上がりますが、2番の方が跳ね上がり方が凄いです)。
テンポが変わっているだけに、ドキッとしますよね。
また、ピアノのトラックはずっと左サイドに振られているんですけど、たった1箇所・・・エンディングのグリッサンドの瞬間、いきなりセンターに移動。
これが左サイドのままだと、最後の最後の「じゃかじゃん!」が唐突過ぎる印象になってしまうと思います。ピアノの「さぁ終わるよ!」という主張を生かした、楽曲愛のあるミックスと言えるのではないでしょうか。

さて、この曲もジュリーのヴォーカルが素晴らしいのは当然。加えて、75年というのはジュリーの「歌」が劇的に変化した年ではなかったか、と僕は感じています。

こうしてブログで加瀬さんの曲を集中して採り上げていく中で、たまたま僕は「風吹く頃」「明日では遅すぎる」「旅立つ朝」と75年のシングルB面曲をリリース順にじっくり聴く機会を得ました。
この3曲の流れが、如実にそんなジュリーの歌の変化を表していると思うんですよね・・・。

「風吹く頃」では、タイガース時代からあった良い意味での「甘さ」がジュリーの歌に残されています。
次の「明日では遅すぎる」になると、詞曲では加瀬さん、安井さんが引き続きジュリーに「甘さ」の魅力を求め提示しているのに対して、ジュリーは歌手として成長した「上手さ」を発揮しています。
そして、「旅立つ朝」ではその上手さが「歌の深化」というところにまで達しているようです。
伴奏やアレンジの「技術の高さ」「正確さ」に歌い手として負けなくなった・・・いや、悠々と勝ってしまうようになった、と言えば良いのでしょうか。
まず声が変わっています。グッと「男」っぽく、それ以前のジュリーのヴォーカルではほとんど感じられなかった「線の太さ」が押し出され、高音部で微妙にかすれるいわゆる「ジョン声」を自在に操っているな、という印象については「旅立つ朝」がジュリー最初の1曲となったのではないでしょうか。

声質のことだけではなく、「ロック・バンドで歌えることの歓び」とはまた別の、「歌手の本懐」のような感覚をジュリーはこの短い期間に会得したようです。
それは、ジュリーの「歌」に対する意識が、LIVEとレコーディングの2本立てで確立した、ということ。「ロック・バンドで歌える歓び」については、前74年から開始された『ロックン・ツアー』をはじめとする井上バンドとのLIVEステージで、一方もうひとつの柱としてレコーディング作品での「歌」。
どんなにハイレベルの、どんなに難解な演奏がバックだったとしても、或いは逆にどんなにシンプルな、どんな実験的環境で歌うことになってもそれをクリアし自分の表現に引き込む・・・歌手としての覚醒。
シングル『時の過ぎゆくままに/旅立つ朝』から、年末リリースのアルバム『いくつかの場面』には、そんなジュリーの成長、「独り立ち」を見る思いがします。

「独り立ち」って・・・ジュリーはとっくに歌手として独り立ちしていたよ?
と、みなさま思われるかもしれませんね。
そこで最後に、安井さんの詞についての個人的な考察を少しだけ書いておきましょう。

今このような「旅立ち」の歌詞に接すると、どうしても加瀬さんの訃報を重ねるようにして聴いてしまいます。これは先に記事を書いた「燃えつきた二人」の松本隆さんの詞についても同じ感覚がありました。
ただ、そういう「今」の思いをなんとか振り払って、純粋に「旅立つ朝」の歌詞を読み解くと・・・悲しいストーリーでありながらとても力強い詞だ、と僕は思います。

男の明日に 風が吹く
Am7      D7        Gmaj7

やさしい過去を ひとつ残し
         Em     C             D

今 旅 に出る ♪
     Em  B7   Em

確かに主人公は愛に溢れていた暮らし(=やさしい過去)に別れを告げて旅立とうとしているわけなんですけど、作詞者である安井さん、つまり女性の視点からこのシチュエーションを考えた時に、男が大きな世界に勇躍踏み込み旅立とう、とする姿にエールを送っているような、不思議な暖かさ、充実感をも感じるのです。

この時期、ジュリーが歌手として、男として大きな力を確立していったことは、すぐ近くにいた安井さんや加瀬さん達には手にとるように分かったでしょう。
「旅立つ朝」では、ジュリーをある時期から間近にしてきた安井さんが、この先ジュリーが歩もうとしている道をこの詞のストーリーに投影して見守ってくれているような・・・。さすがに深読みし過ぎでしょうか。

それにしても、これほどの名曲の魅力に数年間(2009年春にポリドールのシングルコレクションBOXを買った時から、2013年冬まで)気づけずにいたとは(恥)。
詞曲、アレンジ、演奏そしてヴォーカル・・・とてもシングルB面のテンションではありません。
「シングル・レコード」に大きな価値があった良き時代だからこそ生まれた、誇り高い名曲ですね。


それでは、オマケです!
今日は、75年の『プレイファイブ』掲載の特集『限界なき男ジュリー』から、10枚のショットをどうぞ~。


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それでは次回更新ですが、ちょっと時代を飛んで、CO-CoLO時代の曲を採り上げたいと思います。
「全国ツアーが始まるまでは加瀬さんの曲を書き続ける」と宣言しているわけですから、お題曲はバレバレですね~(汗)。引き続き頑張ります!

故郷・九州の大雨による被害が心配です。
みなさま、どうぞ無事でありますように・・・。

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瀬戸口雅資のジュリー一撃伝授!」カテゴリの記事

コメント

DY様
 こんばんは。2度目のお邪魔です。
 「時の過ぎゆくままに」のシングル盤はほぼリアルタイムで手に入れたせいか、「旅立つ朝」はよく覚えていますし今も私の超お気に入り曲です。子ども心に2回目のBメロに入る時のシンバル(♪暖かいシチューと~の前)のタイミングが何とも言えないなと思ったのを思い出しました。
 私はDYさんのブログ、つい最近見つけたのでほんの少ししかまだ拝読いたしておりませんゆえ、以前に触れられていたのか存じませんが…。
 実は長年ジュリーのレコードのクレジットで疑問に思うことがありまして、それは「演奏・ケニー・ウッド・オーケストラ」の表記です。このシングル盤も歌詞カード、盤面共にA面は井上尭之バンド、B面はケニー・ウッド・オーケストラの演奏と印刷されています。井上バンドはもちろん実在のグループですが、ケニー・ウッド・オーケストラっていうオーケストラの実態は?というのが私にとっての謎です。このオーケストラ、東海林修さん以外にも船山基紀さん、青木望さん、川口真さん等いろんなアレンジャーの楽曲に登場します。実はその時々のスタジオ・ミュージシャンの集合体の仮の名前?などと想像したりするのですが。私の知る限り、ジュリー作品で一番最後に登場するケニー・ウッド・オーケストラのクレジットは「LOVE(抱きしめたい)」のシングルAB面です。
 話は変わりますが、「旅立つ朝」のこのタンゴティックなリズム大好きです。私、自分でも少々バンド活動や曲作りするのですが、自作曲のデモテープのリズムパターンにこの曲を参考にさせてもらったことがあります。4分音符3つ、8分音符2つ、「タン、タン、タン、タタ、タン、タン、タン、タタ♪」って感じですかね。
 夜中にすっかり長話になってしまいました。Co-coloナンバーも楽しみにしています。

投稿: ねこ仮面 | 2015年6月12日 (金) 00時22分

ねこ仮面様

ありがとうございます!

おぉ、そうそう「タンゴチック」と言えば良いのですね~。
思いつかなくて「マーチング風」と書いてしまいましたが、同じ「たん・たん・たたたん」でも、「サティスファクション」とは全然違いますものね。

ケニーウッドオーケストラは確かに謎の多いクレジットです。ナベプロさん専属の、スタジオ・レコーディング楽団(バンド含む)の呼称なのでしょうか。
今回「旅立つ朝」を聴いてふと思ったのは、「このベーシストさん、「追憶」を弾いた人と同じじゃないかなぁ」と。16分音符3つを使ったフィルがそっくりだったものですから。「追憶」にもケニーウッド・オーケストラのクレジットがありますよね。

僕のブログ記事は大変な長文で(以前はそれほどでもなかったのですが)、さすがに長すぎて読む気が失せてしまうのか、このところアクセス数は減少傾向にありますが、新たに読んでくださるようになったかたがいらっしゃる、と分かっただけでも元気になります。ありがとうございます!

投稿: DYNAMITE | 2015年6月12日 (金) 09時04分

DY様 こんにちは。

本当だ。
「さらば、シベリア鉄道」の歌詞を乗っけても違和感ないって今気付きました。
当時は「時の過ぎゆくままに」「悪魔のようなあいつ」のインパクトが強すぎてスルーしてしまったかも。
「ケニーウッドオーケストラ」
は私も謎で
した。でも検索すると
「Betsy&Chris」
という二人組の白人女性(多分)が出てきて「井上堯之とケニーウッドオーケストラ」で「雨のアムステルダム」というレコードを出してるみたいです。
推測ですが、井上バンドでは不足しているストリングスやホーンセッションが欲しい時参加してたのではないでしょうか?

投稿: nekomodoki | 2015年6月12日 (金) 12時12分

DY様 こんにちは

「甘いたわむれ」「風吹く頃」「明日では遅すぎる」「旅立つ朝」の4部作を続けて聴くと、まるで組曲のようです。今まで気にしていませんでしたが、アレンジに注目すると味わい深い曲群だなあと思います。B面曲って自由度があるから、安井&加瀬&東海林トリオの作戦があったのかも知れませんね?

ダイナマイトさんの指摘があった、♪忘れないさ〜の所のベースの動きと音位は、私も一番好きです。そこを聴くと、「ジョセフィーヌのために」と「影絵」のベースも一緒に頭の中で鳴ります。似ています。

ケニー・ウッド・オーケストラは、「君といつまでも」や「瀬戸の花嫁」など数多くのアレンジで有名な偉大なるアレンジャー森岡賢一郎さんが率いたオーケストラです。ケニー(賢一郎)・ウッド(森岡のもじり)・オーケストラとなります。詳しくは分かりませんが、ポリドールレコードの専属のように活動されたのかも知れません。

ジュリーのレコーディングの時には、オーケストラ+東海林先生率いるスタジオ・ミュージシャン(田中、松木、武部、栗林等)が参加していたということだと思います。

投稿: BAT | 2015年6月12日 (金) 12時54分

DY様
 この曲と「追憶」ベーシスト同一人物説、そうかも知れませんね、ケニー・ウッド・オーケストラが固定メンバーでなかったとしても。
 ロング・ヴァージョンの「追憶」ではしばらくベース、ドラムス、ピアノだけになる箇所がありますから、ベースの素晴しさがよく聴き取れます。ベーシスト自身のグルーヴなのか東海林さんの指定フレーズなのかはわかりませんが。
 お題ではない「追憶」の話ばかりで申し訳ありませんが、クライマックスの「♪ニーナ!」に入るドラムスのフィル(最後はロールっぽい?)、あのドラマーは誰なのでしょう?「追憶」のドラマー、ハイハットのオープンのセンスといい大好きです。チャーリー・ワッツとは似ても似つきませんが。
 みなさま、ケニー・ウッド・オーケストラについての情報やご意見、ありがとうございます。

投稿: ねこ仮面 | 2015年6月12日 (金) 22時56分

お久しぶりです。 上石神井、上井草という駅名を見て親近感を感じ、思わず出て来ました(*^o^*)
まだ夢の解説の所までしか読んでないのですが…上井草近くの高校に通ってたものですから(^_^)v
当時はなかったですが、いわさきちひろ美術館が上井草に出来てからも何回も行きました。
コンビニのレジで 『すいやせん』というジュリー!あまりにもユニークな夢の設定に笑ってしまいました。
私もジュリーの夢、何度か見た事ありますが、あり得ない 突拍子もない状況なんですよね~
何と女子トイレでジュリーと遭遇して(◎o◎)握手してもらったんです。
目覚めた時、ジュリーの手の温もりと感触が ありありと残ってたんです~(*^o^*) 幸せだった!
本題に関係ない事ばかり書いてすみません。
これからしっかり読ませていただきます。

投稿: ムラサキシキブ | 2015年6月14日 (日) 08時37分

nekomodoki様

ありがとうございます!

ベッツィ&クリスは外人さんですが、「白い色は恋人の色」という日本語の大ヒット曲を歌ってた2人組ですよ~。と言っても僕はタイムリーで曲を覚えているわけではないのですが…「懐かしのフォーク~」とか「昭和想い出の~」とかいった感じのオムニバスのスコアには絶対入ってくる曲なので、仕事で覚えたのです。

ケニーウッド・オーケストラについては、BAT様から頂いたコメントで分かってきましたね~。感謝、感謝です。

BAT様

ありがとうございます!

僕も今回、75年のシングルB面をじっくりと順に聴く機会を得て、組曲のようだと感じました。安井さん、加瀬さん、東海林さん…昭和の巨星が遊び心も持ちつつ素晴らしい仕事をしていますね。

ケニー・ウッド・オーケストラの解説、ありがとうございます!
いやぁ今さらながらの目からウロコでございました。おそらくポリドール専属のレコーディング楽団、ということだったのでしょう。

「影絵」のベースは十中八九佐々木隆典さんだと思いますが、確かにベースのフレーズ、「旅立つ朝」のブレイク部に似ていますね~。

すみません、お返事一度切ります。

投稿: DYNAMITE | 2015年6月14日 (日) 10時19分

DY様 こんにちは。

すみません。早とちりだったみたいです。実は「ケニーウッドオーケストラ」で検索したら真っ先にベッティ&クリスの画像が出てきまして。
「白い色は恋人の色」の二人とは別物なのかな?と思ってしまったんです。(曲と名前は知ってたけどビジュアルを思い出せまなかったもんで)
おかげで謎が解けました。ありがとうございました。

投稿: nekomodoki | 2015年6月14日 (日) 13時21分

ねこ仮面様

ありがとうございます!

「追憶」の演奏は素晴らしいです。仰る通り、アルバム・ヴァージョンにはまるで「ベースソロ」とも言うべきインスト箇所が用意されていて、その細かなフレージングがハッキリ聴き取れます。名演ですね。

ドラムスについては、BAT様のコメントなど総合して考えると田中さんかなぁと思いますが、こちらも名演。猛々しさがあると思います。

遅くなりましたが、お名前無しコメントの修正をさせて頂きました。お知らせくださりありがとうございました。

細かくなり申し訳ありません。また一度お返事切ります。

投稿: DYNAMITE | 2015年6月14日 (日) 18時46分

ムラサキシキブ様

ありがとうございます!

おぉ、そうなんですか~。僕は数年間あのあたりに住んでおりまして、87~89年くらいには上井草駅前の喫茶店『聖琲亜』でアルバイトでウエイターをしたりサンドイッチ作ったりしていました。いわさきちひろ美術館に訪れるお客さんがよく立ち寄るお店でしたよ~。

ジュリーの夢はこれまで何度か見たことがありますが、「歌手」以外で登場してくれたのは初めてで新鮮でした。
「すいやせん」が本当に自然で、しかも迫力ありましてね…リアルだったんですが設定自体はワケ分かりませんね…。
ただ、見事コンビニのレジの風景に溶け込んでいました(汗)。ビールを持って「ピッ」とやる仕草も自然でした~。

nekomodoki様

いえいえ、さすがにnekomodoki様があの曲をご存知ない、ということはないですか。
姿形が一致しなかったのですね。僕も写真だけだとまったく分かりません…。

投稿: DYNAMITE | 2015年6月14日 (日) 19時31分

お久しぶりです。

私も上井草に住んだことあります。
その喫茶店、一回行ったかも・・?

で、以前書いたレコードの事ですが・・
LPは残り9枚になりました。
今、シングルを書いています。
次回から洋楽になります。
もし欲しいものがありましたらぜひお知らせください。hiko(字が違う?)さまも・・。

失礼しました。

投稿: tom | 2015年6月15日 (月) 09時45分

tom様

ありがとうございます!

おぉ、上井草にお住まいでしたか~。
数年前フラリと訪れた時には、アルバイトしていた喫茶店はドラッグストアに、住んでいたアパートはきれいなハイツに変わっていました。
懐かしい風景が変わってゆくのは寂しいものですね…。このネタでいつか「時の街角」の記事を書きたいと思っています。

ブログ、拝見していますよ~。今のところ欲しいなぁと思っているのはタイガースの明治製菓のミニレコードだけで、なんだか申し訳ないです。
以前にも申し上げました通り、僕の希望は一番最後でお願いいたしますね。他にご希望のかたがいらっしゃったら、そちら様を優先してくださいませ。

投稿: DYNAMITE | 2015年6月15日 (月) 18時12分

そうですか、上井草も変わっているんですね。駅前の味噌ラーメンがピリ辛で凄く美味しくいつも食べに行っていました。姪が近くに住んでいるので行ってみようかな。

以前言っていた♪ルート66~昨日偶然見つけました。作者:夢の国さんで・・
www.youtube.com/wath?v=AQ384XmsInm
で行けると良いけど・・。

失礼しました。

投稿: tom | 2015年6月17日 (水) 13時14分

tom様

ありがとうございます!

そのラーメン屋さん、ひょっとしたら千川通り手前の『どさん娘』さんではないでしょうか?
僕もよく行きました。
あとは、その斜め向かいのサンドイッチ屋さんとか…よくお世話になりました。
サンドイッチ屋さんの方は、ついこの間テレビで紹介されていたのを偶然見て、懐かしく思い出しましたが、ラーメン屋さんの方はまだあるのかなぁ…?

tube、帰宅したら確認してみますね。
ありがとうございました。

投稿: DYNAMITE | 2015年6月17日 (水) 17時02分

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