« ザ・ワイルドワンズ 「バラの恋人」 | トップページ | 沢田研二 「旅立つ朝」 »

2015年6月 6日 (土)

沢田研二 「明日では遅すぎる」

『JULIE SINGLE COLLECTION BOX~Polydor Yeas』収録
original released on 1975 シングル「巴里にひとり」B面


Parinihitori

disc-13
1. 巴里にひとり
2. 明日では遅すぎる

----------------------

まず、少しだけプロ野球の話から。
先日「テレフォン」の記事冒頭にタイガース(阪神の方)の愚痴を書いたところ、案の定(汗)直後にささやかな連勝もあったりしまして、その後も一進一退する中、どうやらタイガースはクライマックス・シリーズ進出圏内で上向きに奮闘してくれています。
まぁ現在でも、順位が下位のチームとはゲーム差がほとんど無いので安心はできませんが・・・。

それにしても最近の阪神は、勝つにしても負けるにしても派手な試合が多くてね(笑)。
満塁ホームランを食らって大逆転負けしたかと思えば、ビックリしたのが先の6月3日の試合。帰宅後に途中経過をチェックして「8対0」とあったので「今日は楽勝」とゴキゲンでゆったりと夕食をとった後、再度経過を覗いたら「8対8」ですよ(驚)。
7回表にいきなり8失点していたという・・・。
最後は延長戦の末サヨナラ勝ちしたから良かったようなものの、もし負けていたらファンから(ジュリーからも)激しくダメ出しされていたでしょうね・・・。

今日(6月6日)はメッセンジャーが日ハムの大谷君に投げ勝ち、渋~く「1対0」で勝ちました。
日本各地食べ歩きをするほどのラーメン好きで知られるメッセンジャー投手、開幕当初はラーメンの食べ過ぎによるウエイトオーバーを心配されていましたが、どうやら本来の姿に戻ったようです。メッセが最終的に12~15勝くらいの成績なら、とりあえずチームのクライマックス・シリーズ進出もついてくるでしょう。


さて本題。
いわゆるラブ・ソングの本命テーマ・・・「君しか見えない」的な楽曲は世に星の数ほどあって、それぞれの歌手のファンにとっては、そのテーマだけでもう既にたまらなく魅力的な曲となっているはず。
もちろんジュリーにもそうしたテーマの名曲が幾多あります。いよいよツアーのクライマックス、渋谷公演真っ只中である音楽劇のタイトル・ナンバー、「お嬢さんお手上げだ」などもそのひとつでしょう。

「お嬢さんお手上げだ」の場合は、恋の手管を知り尽くしている男が初心な少女に心奪われるという、いかにも阿久さんらしいシチュエーションですが、そのほんの数年前までジュリーは、おもに安井さんの詞で真逆のシチュエーションも数多く歌っていましたよね。
つまり、恋の経験の浅い少年(さすがに「青年」なのかな?)が年上の女性に夢中になって駄々をこねるように甘えまくっている・・・「危険なふたり」はその代表格。

でも、他にも同様のシチュエーションを思わせる隠れた名曲、たくさんありますよね。
今日のお題はそんな1曲。
「セットリストのことはなるべく考えずに、ひたすら加瀬さんの曲を書く」シリーズ(でも、先達のみなさまのご予想は楽しみにしております)ということで頑張っておりますので、当然今日も加瀬さん作曲作品。

まさに「名曲の宝庫」と言うにふさわしいジュリーのシングルB面曲の中から、「明日では遅すぎる」を採り上げたいと思います。
シングル『巴里にひとり』のB面としてリリースされた、これぞ70年代ジュリー・ポップスです。伝授!


個人的にこの曲は、全ジュリー・ナンバーの中で東海林修先生のアレンジについては最高峰の名曲だと思っています。
ジュリーの歌手としての驚異的な成長がそれを生んだ、とも言えますが・・・もちろん素晴らしいのはジュリーのヴォーカルと東海林先生のアレンジばかりではないわけで、まずは楽曲の根本的なところである「詞とメロディー」から考察していきましょう。

映画みてても 胸のどこかに
F                   Am7

ただ君の事が 気になって早   く
Cm        B♭   B♭m        Am7   Dm

ふたりっきりになりたくて ♪
Gm7             C7

前回記事のワイルドワンズ「バラの恋人」のコード進行について、ト長調に「Cm」を挿し込むことで「少年性」を注入している、と書きましたが、「明日では遅すぎる」Aメロに登場する「B♭m」は、「バラの恋人」からキーを1音下げた場合の同じ理屈の進行として登場します。
ただし、このAメロに登場している「Cm」はドミナント・コードをマイナーに使っているものでそうそう「キュート」とばかり言ってもいられない精密な進行。最近のジュリー関連のナンバーだと、「一握り人の罪」や「涙がこぼれちゃう」で採り入れられているもので、一筋縄ではいかない「美しいけど繊細・・・に見えて骨太」なポップス進行は、やはりジュリーが歌ってこそ僕のような者にも「胸キュン」をもたらすのです。


「バラの恋人」の考察で僕は、「手の届かない王子様」的なジュリーに対して「同級生の男の子」的な渡辺茂樹さん、と比較しました。それはあくまで一般大衆の聴き手から見たイメージを考えたものです。
ファンにとっては「王子様」であるジュリーにも、実際には身の周りに目上の親しい先輩達がたくさんいて、ジュリーを現実の弟のように親しんでいたのでしょう。「明日では遅すぎる」でも作詞・作曲のコンビを組んでいる安井さんと加瀬さんは、おそらくその筆頭。

「明日では遅すぎる」でジュリーは
「君しか見えない、君じゃなきゃダメ、君とずっと一緒にいたい、君もそうなんでしょ?」
と、甘えモード全開で歌っている(と聴き手は感じる)わけですが、ひっくり返して考えればこれは曲作りに関わった安井さん、加瀬さん側からの「歌うのはジュリーでなきゃダメ!」という可愛い弟に寄せる愛情がジュリーをそう歌わせていた、とも言えそうです。
この曲については、最終的にジュリーの歌と東海林先生のアレンジがその愛情を「作品」として纏め、普遍的なものに押し上げているのかなぁ、と僕には思えます。同年の「風吹く頃」あたりと比べると、「明日では遅すぎる」にはジュリーの「完璧」を感じるんですよ。

そして、加瀬さんのメロディーが素晴らしく「いじりやすい」純度の高さを誇っていたこともまた、ジュリーの歌、東海林先生のアレンジに影響したことでしょう。

曲想は明快なヘ長調のポップス。
その上でウキウキとはずむような16ビートのリズムと爽やかなコード展開。朴訥でありながら趣味性が高い・・・これほどの曲が、シングルB面なのですからね~。恐るべしジュリー、恐るべし加瀬さん。

この曲の加瀬さんのアプローチで特筆すべきは、何と言ってもサビの最初のコード進行です。

今黙って そばにいる ♪
   F         A7

この「F→A7」という展開は邦洋問わずポップス作曲において「伝家の宝刀」とも呼ぶべき、「万人の胸キュン」に適う王道の手法。しかしあまりにインパクトが強過ぎて、名うての作曲家と言えどもおいそれとは乱発できない(多用するとクドくなる)、「ここ一番」で採り入れるコード進行なのです。

ジュリーには本当に多くの著名な作曲家が楽曲提供していますが、一度この手法で楽曲提供してしまうと、その後別の曲で「もう一丁!」とはなかなかいかない。結局「このパターン、僕からはこの1曲」という形になるのでしょうね。
そのぶん、違う作曲家がジュリーに「僕の1曲」をそれぞれ提供している中で、その聴き比べが非常に楽しいコード進行である、とも言えます(その点については、以前ザ・タイガースの「銀河旅行」の記事で触れたことがあります)。
面白いのは、加瀬さんが『巴里にひとり』のB面曲として渋~く「F→A7」の刀を抜き提示した直後、次シングル曲「時の過ぎゆくままに」で大野さんが見事ド派手に同じパターンを採り入れて空前の大ヒットを放っていること。

時の過ぎゆくままに ♪
   F             A7


註:「時の過ぎゆくままに」のキーはホ短調ですが、「明日では遅すぎる」と比較しやすいように、ここではニ短調(ヘ長調と同調号のキー)に移調してコード表記しています。

阿久さんの詞が先にあった「時の過ぎゆくままに」の競作に参加していた加瀬さん(「燃えつきた二人」の記事を参照してくださいませ)としては
「うわ、大野さんここでコレ来たか!ヤラレたな~」
と、逆に大喜びだったのではないでしょうか。

この曲は演奏も素晴らしいです。クレジットが無いのでこれが井上バンドの演奏なのかどうか僕には分かりませんが、楽器によってはバンドとは別の人が弾いているんじゃないかなぁ。

特に惹かれるのは、ドラムスとベースのリズム隊。
アルバム『いくつかの場面』の各収録曲の演奏クレジットから聴き込み比較すると、ドラムスは鈴木二郎さんのように思いますがどうなのでしょうか。2’30”或いは3”28”でのオープン・ハイハットの裏打ちフィルに特徴があるように思います。ハイハットと言えば、ジュリーのヴォーカル部で黙々と16ビートを刻み続けるクローズの音などは、手数が多いのに押しつけがましい感じはまったく無くて、演奏者の崇高な志を感じますね。

ベースはとにかくカッコイイ!
2’24”や2’40”あたりのフレーズは指弾き独特の音作りですから、これはサリーではなさそう・・・佐々木隆典さんかなぁ?同じ16ビートの「スコッチ刑事のテーマ」(井上バンドによる『太陽にほえろ!』の挿入曲で、佐々木さん加入直後の新曲)のフレージングと似ているところもありますから。
(後註:この時期の東海林先生のアレンジ作品なら、演奏はケニー・ウッド・オーケストラによるものと考えた方が自然かもしれません)

そんなドラムス、ベースを土台として華やかに楽曲を彩る他各楽器パートの何と緻密で何と美しいバランス・・・ヴォーカルの裏メロを奏でる左サイドのリード・ギター、軽やかに16ビートを刻む右サイドのギター・カッティングに加え、左右に振られたホーン・セクション、右サイドにはホイッスル風のキーボードとマラカス。そしてセンターにストリングス。
各楽器トラックの登場演奏箇所はストイックに分担され、ミックス配置も完璧。

さすがは東海林先生、これだけにぎやかに多くの楽器が入れ替わり立ち替わりに鳴っているのに、何ひとつ歌詞やメロディーの邪魔をしていない、何ひとつ欠けても成り立たない・・・そんなアレンジです。

そしてジュリーの歌。凄いですよね。
まずはもう、上手いんです。圧倒的に上手い!
その昔ジュリーの歌を下手だ下手だと言っていた大人達は、75年のこの曲をどんなふうに聴いたのでしょうかねぇ。しかも上手い上にキュートなんだから最強です。

明日ではもう遅すぎる お互い の愛が
  F            A7               B♭  C     F

この時  を待ってい た 信  じていた ♪
      Gm7 C7     Am7  Dm B♭ C7     F

ヴォーカル部最後の「信じていた♪」のあまりになめらかなロングトーン。結構長く声を伸ばしていますが、文字通り伴奏に「溶け込んで」います。自然ですよね。


ところで、僕は2009年くらいまで、シングル『巴里にひとり』を1976年のリリースだとばかり勘違いしていました。これは、アルバム『KENJI SAWADA』のリリース年と同時期だろう、という安易な思い込みによるもの。つまり、ジュリーは1974年にイギリス、翌々年の76年にフランスと時期を空けて海外セールスに打って出ていたんだ、とばかり・・・。
今でこそ73年末からのジュリーの海外戦略のプロモートの流れは正しく認識していますが、これ、いかにも新規ファンが陥りやすい勘違いだったなぁ、と。
ほら、76年には映画『パリの哀愁』の公開があったりもするじゃないですか。ジュリーが歌も映画も含めてフランスに関わっていたのはすべて同じ時期だろう、と後追いファンが一気に大量の知識を詰め込んだ際に、そう思い込んでしまうわけですよ。

たぶん僕にはまだまだ正しく整理できていないジュリーの歴史がたくさん残っていると思う・・・少しずつ、ブログを通じて学ばせて頂いていますけどね。先輩方のコメント、いつも頼りにしております。

・・・と、強引に映画のタイトルを出したところで。
今日のオマケはMママ様所有のお宝資料、『パリの哀愁』のパンフレット(?)から!


Pari001

Pari002

Pari003

Pari004

Pari005

Pari006

Pari007

Pari009

Pari010

Pari011


さて、僕が把握できていないのは、「じゃあジュリーは合計何回フランスに行ってるのか」、という・・・。
結構頻繁に行き来していますよね?

確か2010年お正月LIVE『歌門来福』のMCだったと思いますが、「今年はジュリーwithザ・ワイルドワンズを結成して新曲を出す」という話の流れで、「加瀬さんとのただならぬ関係」についてジュリーが色々と語ってくれたことがありました。
その中で、「海外の旅先で熱を出してしまいホテルで寝込んでいた」時の思い出話があって、あれはフランスだと言っていたんじゃなかったかなぁ(違ったかな?)。
せっかく外国に来ているのに自分が寝込んでしまい、心配する加瀬さんがホテルでずっと付き添ってくれているのを申し訳なく思ったジュリーが、「外出してきていいですよ」と言っても、加瀬さんは
「いいんだ!」
と、本を読みながら寝込んでいるジュリーの傍に1日中いてくれた、とのことでした。

正に「兄のように弟のように親しむ」二人だったんですね(ジュリーはそんな感動的なMCに「でも、肌を合わせたことはありませんよ!」とオチをつけ、会場は爆笑に包まれていましたが)。

73年からの海外戦略プロモート時期のジュリー自身の思い出は、加瀬さんの思い出と強く重なっているのかもしれません。想像すると切ないですね・・・。

|

« ザ・ワイルドワンズ 「バラの恋人」 | トップページ | 沢田研二 「旅立つ朝」 »

瀬戸口雅資のジュリー一撃伝授!」カテゴリの記事

コメント

DY様 こんばんは。

今20年ぶりくらいに聴きました。(笑)
こーんな甘い声で甘ーく歌った翌年に
「時のすぎゆくままに」ですから。
何があったんだ?少年!?ですよね。
そうか、これもZUZU・加瀬コンビだったんだっけ。
いや、実はこのレコード、表紙兼歌詞カードを紛失してまして(マヌケ)クレジットがわからなくなってまして。
アブナイ妄想でJULIEを見ていたのは当然ファンも一緒です。

「パリの哀愁」もちろん観ましたが
相手約のクローディヌ・オージェさんが大きすぎて(というかジュリーがあまりにも細すぎて)おいおい・・・でした。

投稿: nekomodoki | 2015年6月 6日 (土) 21時53分

nekomodoki様

ありがとうございます!
お返事遅れてすみません

記事を読んで久々にお題曲を聴いてみた、と仰って頂けるのは本当に嬉しいことです。
この曲はジュリーファンならきっと大好きなはずですが、意外とエアポケットに入りやすいと言いますか、「普段は隠れた」名曲になっているのかなぁとは僕も考えていました。じっくり聴くといかにも加瀬さんらしくて爽やかなメロディーなんですよね…。

『パリの哀愁』については僕も「やけにジュリーが華奢に見えるな~」と思っていましたが、なるほど相手役の彼女が大きいんですね…。

投稿: DYNAMITE | 2015年6月 8日 (月) 10時13分

♪DYさん

この歌、75年のスプリングツアーで良く歌っていて「巴里にひとり(5/21発売)」のB面と知ったのはプロモート用に試聴盤が出回った4月中旬頃でしたでしょうか。

当時の私は可能な限り関東内をプチ遠征してまして日劇のお正月公演の後、手元に残っているチケットをヒモ解くだけでも3月/埼玉・熊谷4月/群馬・前橋、5月/中野サンプラザ・埼玉会館、7月/比叡山、8月/渋谷公会堂

あの頃は昼&夜の1日2回公演でしたので群馬や埼玉の場合は昼の部のみ(5月の埼玉会館は昼・夜共)サンプラザ&渋公は2日間共、昼&夜・・・とまぁ春~夏にかけて行きまくりでした。

既に以前のようにジャズ喫茶でのステージは無く民音、労音、音協を始めとする興行主によるホールでのコンサートでしたから昼の部なら何とか行けると思ったんですね。

この歌は春のステージで必ず歌われていて名曲の多いB面の中でも私のお気に入りリストの上位に入ります。

優しく語りかける様に、ゆっくり歩きながら、そばに誰かが居るように歌ってたので余計でした。何とな~く情景が目に浮かぶんですね。
ホッコリと気持ちが温かくなって微笑ましい・・・そんな雰囲気の歌でした。同時にZUZUの複雑な心情も…?(*^_^*)

フランスには、この前後2年ほどでしたでしょうか。しょっちゅう行き来してましたね。FC誌ヤングを処分してしまってるので詳細は殆んど不明ですけど「悪魔のようなあいつ」の撮影もあってハッキリ覚えてるのは6月入籍直後にパリへ飛んでるんですね。公私共に多忙だったのではないでしょうか(^^♪

投稿: hiko | 2015年6月 8日 (月) 10時19分

DY様 追伸

よくレコード見たら、真ん中のシールにちゃんと小さく「作詞 安井かずみ 作曲 加瀬邦彦」って書いてありました。(かさねがさねマヌケですみません。)
ほかのドーナツ盤も書いてあるし。片面一曲だからか丁寧だったんですね。

投稿: nekomodoki | 2015年6月 8日 (月) 11時39分

DY様
 初めてコメントさせていただきます。
 私は「時の過ぎゆくままに」くらいからジュリー聴き始めました(小学5年生)。一つ前のシングルですがこの曲はずいぶん後に聴きその時は正直あまり印象に残っていませんでしたが、DYさんの解説読んでそう言われれば隠れた名曲だったのかもと納得しています。
 ジュリーは今も聴いていますしライヴにも足を運んでいますが、一方でストーンズやフーのファンでもある私にはちょっと甘すぎる気がしたのかもしれません。東海林修さんのアレンジ曲では「追憶」「旅立つ朝」「愛に死す」なんかが好きです。
 F→A7のコード進行、あとでギターで確かめてみます。
 作曲者の加瀬さんのご冥福をお祈りします。

投稿: ねこ仮面 | 2015年6月 8日 (月) 18時38分

hiko様

ありがとうございます!
そして、退院おめでとうございます。大変でしたね…。

そういえば、つい最近SNSでこの曲のことをお話されていたのでしたね。貴重なシングルB面曲をタイムリーで生のLIVEで体感されていることが、後追いファンとしてはうらやましい限りです。

『ヤング』のバックナンバーは福岡の先輩からお預かりしていて、全号は揃っていないんですけど、75年のものをざっと調べてみましたら、ジュリーの遠征スケジュールの記載があるのは5月(新曲プロモート。行き先は「ヨーロッパ」となっていました)と10月(『パリの哀愁』フランスロケ)でした。忙しく行き来していたようですね。
本当に物凄いスケジュールです。超人ですね…。

nekomodoki様

ありがとうございます!

僕はレコードに記載してある詞曲や演奏クレジットをマメに見る方ですが、それをするようになったのは高校生になった頃だったように思います。
75年当時のジュリーファンはまだ10代のかたがほとんどだったでしょうし、クレジットは二の次、とにかくジュリーの新しい歌、ということがまず重要だったのでしょう。それもよく分かるような気がしますよ~。

ねこ仮面様

はじめまして~。
コメントどうもありがとうございます!

ストーンズやフーがお好きで、ギターもなさるジュリーファンのかたに読んで頂けて嬉しいです。

東海林先生のアレンジでお好きな曲を挙げてくださいましたが、「ズバリ」ですよ。
ストリングスの優しさとブラスの激しさの同居、双方の楽器の特性を生かしたジュリー・ナンバー。オーケストラをやる東海林先生にとっては基本かもしれませんが、ジュリーは「基本」「王道」が似合う天性の歌い手なんですよね。
実は今、次のお題予定で記事を下書きしているのが「旅立つ朝」です。僕がこの曲のアレンジの素晴らしさに気がついたのは割と最近のことで、気持ち的な新鮮さもありますので、アレンジについて暑苦しく語りまくることになるでしょう…。

これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。

投稿: DYNAMITE | 2015年6月 9日 (火) 16時50分

DYさま、こんばんは。

ご伝授を読んで、凄く聴きたい!と思ってるのに聴けません。
シングル盤はあるのに、プレーヤーが無いのですww
コンサートでは、結構歌っていたようで、タイトルは覚えているけど、思い出せません、残念。

パリでの加瀬さんとのエピソードで思い出したことがあります。
熱を出して寝ていた時に滞在していたホテルに、ストーンズのキース一家がいて、その悪ガキが廊下を走り回って、ジュリー達の部屋にも入って来たのを、加瀬さんが「シッ、シッ」って追い出したんですって(笑)
当時のラジオだったかな、聞いていて、吹き出してしまいました。
想像すると笑えるけど、キース一家と同じホテルっていうのも凄い話ですね。

投稿: momo | 2015年6月10日 (水) 23時57分

momo様

tubeで聴けますヨ。
キースのガキども(!)の話、よーく覚えてます。(笑)さんざんだったみたいですね、
いろいろと。

投稿: nekomodoki | 2015年6月11日 (木) 01時10分

DY様 こんばんは

お題曲は、CDアルバム「B面コレクション」で聴いています。何故にジュリーの声が可愛いのか?少し恥ずかしくなるくらいで、B面曲で良かったと私の感想です。

曲としては、ダイナマイトさん絶賛のアレンジに耳を澄まして聴いてみました。映画音楽を聴いているかのような美しいストリングスと低音で裏方的に鳴っているブラスや細かなリズムで奏でるギターとドラムスなど、アレンジに魅了されます。

東海林修先生について調べて色々分かりました。吹奏楽経験者としては、まずなんと言っても不動の人気ナンバーワン曲、「ディスコ・キッド」の作曲者だということは知っています。丁度一年前、「題名のない音楽会」の記念番組で先生の指揮で演奏されました。

次に大事なことは、ジャズピアニストとして活躍していた頃、渡辺晋さんにスカウトされて渡辺プロダクション所属となってアレンジを始めたことです。ジュリー以前で有名なのは中尾ミエ「可愛いベイビー」で私にも分かります。その後、NHK「ステージ101」の音楽監督に就任したこと。ジュリーが「許されない愛」で初めて紅白に出場出来た理由は、同番組の開始前からの秘密の作戦があった模様です。
また、「ステージ101」の専属バンドメンバーが、ドラムス田中清司、ギター松木恒秀、ベース武部秀明、ピアノ栗林稔だったことから、ジュリーのレコーディングに東海林先生の下、深く関わっていたと思います。(田中さんと松木さんは、GSグループを作って渡辺プロ所属だった。)松木さんのギターと言えば「危険なふたり」のイントロが有名です。

なので、「明日では遅すぎる」で聴けるドラムスは田中清司さんでベースは武部秀明さんではないかと想像しています。

最後に東海林先生は、ムーグ・シンセイサイザー奏者の先駆者で、本格的にアルバムアレンジに取り入れたのがジュリーの『いくつかの場面』だったそうです。

長文で失礼しました。

投稿: BAT | 2015年6月11日 (木) 03時08分

nekomodoki様

わぁ~、そうなのですか?
聴きたいです~

DYさまが加瀬さん追悼をこめて、伝授して下さっているB面曲は、ほとんど聴けないのです(涙)
でも、あの頃のことが不意に蘇ってきます。
若さと熱中度のせいですわ(笑)
'70年代前半のジュリーに対する熱中後は我ながら・・(遠い目・笑)

探して聴いてみますね!
記憶どおりかな。
ありがとうございました!

投稿: momo | 2015年6月11日 (木) 10時16分

momo様

ありがとうございます!

やはりあの加瀬さんとの思い出MCはフランスでの出来事だったんですね。

それにしてもキース一家と同じホテルだったとは。
ジュリーは70年代は特に「ストーンズ大好き」な感じがアルバムの曲やヴォーカル、ステージングなどにもハッキリ表れていますし、寝込んでいなければ喜んで悪ガキの相手もしたのでしょうが…。
貴重なお話、思い出してくださりありがとうございました!

nekomodoki様

ありがとうございます!

ジュリーにとってもファンにとっても、色々と忘れ難い話だったのでしょうね。
そうか…加瀬さんはキース家の悪ガキから病のジュリーを護るために、ずっとホテルで付き添ってくれていたんですね…。

慌しくてすみません、お返事一度切ります~。

投稿: DYNAMITE | 2015年6月11日 (木) 12時24分

BAT様

ありがとうございます!

いやぁ、東海林先生のアレンジとバンドメンバー、『ステージ101』との関連にはまったく思い至りませんでした。可能性大ですね。勉強になります!
言われてみますと「明日では遅すぎる」のギターにはどこかジャズっぽいタッチがあって、松木さんかなぁと思えてきます。

『いくつかの場面』、「燃えつきた二人」「めぐり逢う日のために」のムーグ・シンセサイザーは鮮烈な印象ですよね。
僕もそうですが、ブラバンをやっていると自然に東海林先生の知識は植え付けられますね。詳しくは知らなくとも「凄い人なんだ」ということは部員全員が把握していたのではないでしょうか。

momo様

そうですか…momo様はジュリーのシングルB面名曲群を、ほとんどシングルレコードでしかお持ちでないのですね。
早く言ってくださればよかったのに(笑)。

きっと、久々に聴くと感動で悶絶する曲がたくさんあると思いますよ~。

投稿: DYNAMITE | 2015年6月11日 (木) 17時50分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 沢田研二 「明日では遅すぎる」:

« ザ・ワイルドワンズ 「バラの恋人」 | トップページ | 沢田研二 「旅立つ朝」 »