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2015年5月12日 (火)

沢田研二 「恋は邪魔もの」

from『A面コレクション』
orginal released on 1974、single


Acollection

disc-1
1. 君をのせて
2. 許されない愛
3. あなただけでいい
4. 死んでもいい
5. あなたへの愛
6. 危険なふたり
7. 胸いっぱいの悲しみ
8. 魅せられた夜
9. 恋は邪魔もの
10. 追憶
11. 愛の逃亡者
12. 白い部屋
13. 巴里にひとり
14. 時の過ぎゆくままに
15. 立ちどまるな ふりむくな
16. ウィンクでさよなら
disc-2
1. コバルトの季節の中で
2. さよならをいう気もない
3. 勝手にしやがれ
4. MEMORIES(メモリーズ)
5. 憎みきれないろくでなし
6. サムライ
7. ダーリング
8. ヤマトより愛をこめて
9. LOVE(抱きしめたい)
10. カサブランカ・ダンディ
11. OH!ギャル
12. ロンリー・ウルフ
13. TOKIO
14. 恋のバッド・チューニング
disc-3
1. 酒場でDABADA
2. おまえがパラダイス
3. 渚のラブレター
4. ス・ト・リ・ッ・パ・-
5. 麗人
6. ”おまえにチェック・イン”
7. 6番目のユ・ウ・ウ・ツ
8. 背中まで45分
9. 晴れのちBLUE BOY
10. きめてやる今夜
11. どん底
12. 渡り鳥 はぐれ鳥
13. AMAPOLA
14. 灰とダイヤモンド

---------------------

前回は、ゆるい旅日記更新にて失礼いたしました。
こちらはゴールデンウィーク呆けがようやく抜けてきたところです。覚悟していたこととは言え、大型連休明けの仕事はさすがに質量ともにキツいですな~。

そんな中、先日僕は今年も開催されることになったピー先生の全国ツアーの申し込みを済ませました。
参加会場は最後まで迷った末、やはり僕としては「ツアー初日に拘りたい」との思いが強く、ジュリーの渋谷公演直前という慌しいスケジュールとはなりますが、9月29日の国立市民芸術ホールに決めました(ジュリーと両方のレポが大変そうだ・・・汗)。
若干のメンバー変動があるようですが、昨年体感している二十二世紀バンドの演奏について、僕はもう絶対の信頼を持っています。あとは、どんなセットリストになるのか・・・ある意味ピー先生は、ジュリー以上に裏をかいてきますからね。
昨年採り上げられた「都会」級のサプライズを期待しています。楽しみです!

さて本題。
今日は、タイムリーなジュリーファンの先輩方には圧倒的な人気もあり、『ジュリー祭り』セットリスト80曲にも堂々連ねられたジュリーの代表的ヒット・シングル・・・でありながら、ファン以外の認知度はさほど高くなく、一般的には「隠れた名曲」というスタンスにとどまってしまっている(と個人的には思っている)ロック・ナンバーを採り上げたいと思います。
ジュリーと井上バンドがいよいよ「ロック」へと本格的に転換し、それをセールスにも結びつけていこうか、という重要な立ち位置のシングル・・・後追いファンなりにそんなふうに捉えている曲です。

「恋は邪魔もの」、僭越ながら伝授!


Ys740601

↑ 今回の参考スコアは『YOUNG SONG』74年6月号。

僕の手元には、シングル『恋は邪魔もの』のレコーディング状況、そして73年末から74年冒頭にかけてのジュリーのスケジュール、ジュリーをとりまく人達との関わり合いなどを勉強してゆく上で非常に重宝している、貴重な資料があります。
いつもお世話になっている先輩からお預かりしている、74年の『ヤングレディ』。ご紹介しましょう。


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7405

大衆向けの女性誌ですし、ジュリーの発言などについて若干「盛って」いる部分もあるのでしょうが、加瀬さんや井上バンドとのやりとり、ステージの様子などは貴重なレビュー、レポートとして音楽雑誌に負けないほどの密度を誇ります。

最も興味惹かれるのは、「恋は邪魔もの」のレコーディング風景についての記述です。この資料を初めて読んだ時まず驚いたのは、「ジュリー・シングル通常のレコーディング段取りの紹介」(添付画像3枚目)。この記述から、当時加瀬さんと安井かずみさんによる曲作りの作業は基本「曲先」であったことが分かりました。
僕はつい最近まで、なんとなく加瀬さんの作曲は詞先だとばかり思い込んでいたんですよね・・・。
いや、もちろん「詞先」のパターンも存在することはハッキリしています(ジュリーwithザ・ワイルドワンズの「FRIENDSHIP」など、具体的に詞先の制作過程が本人達の言葉で語られている曲もあります)。しかし少なくとも70年代のこの頃のシングルは「曲先」だったようです。
「危険なふたり」もおそらくそうなのでしょうし、以前「詞先」作業を前提として加瀬さんの曲作りを推測した「白い部屋」の記事での僕の考察は、どうやら根本から成り立っていなかったようです・・・(涙)。
また、A面の「恋は邪魔もの」がそうならB面の「遠い旅」も、堯之さんの曲が先だった、と考えるのが自然。これ、僕にとってはかなり衝撃なんですよねぇ・・・。
でもそうして改めて考えてみますと、安井さんのあの独特の倒置法の詞作は、「まずメロディーありき」であったからこそ生まれたのかなぁ、とも思えたり。

さらにこの資料でも明記があるのは、それまで外部作業であった「編曲」(アレンジ)を、「恋は邪魔もの」で初めて井上バンドが担った、という事実。
あくまで「シングルA面」(当然レコード会社の勝負曲)に限った話とはいえ、これは画期的なことです。
(クレジットとしては、A面「恋は邪魔もの」が大野さん、B面「遠い旅」が堯之さんの編曲となっています)
「セールス」の数字が重要なシングル曲の制作についても「ジュリーの作品と一心同体」として井上バンドがいよいよ制作側に全幅の信頼を受けた最初の1枚。
そういう時期的なこともあって、ジュリーが「(バンドメンバーの)名前をキチンと覚えて欲しい」と会社の上層部にハッキリ物申す男気にも繋がっているのかなぁ、と思えます。

記事からは実際の井上バンドによる妥協無きアレンジ作業も目に浮かぶようで、例えば大野さんのピアノ・・・完成された音源を聴くと、決して「メイン」のパートではないのにすごく効いているんですよね。
「もっと良くなるはずだ」とジュリー達が額をつき合わせて曲を練り上げていったことが分かります。

「恋は邪魔もの」での加瀬さんの曲想は、井上バンドのアレンジにより「リフ・ロック」へと進化。
これは前年大ヒットし歌謡大賞を受賞した「危険なふたり」の路線を継承したアイデアと言ってよいと思います(「危険なふたり」のレコーディング音源の演奏は井上バンドのものではありませんが)。
印象的なリフのアレンジだけに留まらずにその辺りを細かく分析するならば

昨日まで 愛していた ♪
B♭    D7    Gm     E♭dim

この演奏の突き放しを採り入れている構成。
これなどは「危険なふたり」での「別れるつもり~♪」の箇所を踏襲したとも考えられます。

「危険なふたり」と「恋は邪魔もの」は長調と短調の違いこそあれ、明快で覚えやすいリフを擁しポップスとしてのヒット性を意識した作りです。これは加瀬さんの作曲段階から狙っていたことでしょう。
いずれも今では「ロック」と断ずることのできる曲ですが、当時はそんなふうには捉えられていなかったのかな。しかし「恋は邪魔もの」の場合は、レコーディング、アレンジが井上バンドに一任されていることから考えても、制作サイドに「ロック」つまり「世界に通用するものを」というコンセプトが強くあったのではないでしょうか。73年末の「魅せられた夜」からのジュリーには、「世界戦略」のプロモートが強く打ち出されていますしね。
「恋は邪魔もの」はそんな中で国内でのヒットを求められ、作曲を担う加瀬さんも大いに張り切ったと思いますが、「賞レース」ということで言えば、加瀬さんはまずここでスマッシュ・ヒット、そして次のシングルで大勝負、と考えていたかもしれません。
逆に言えば、そのぶん「恋は邪魔もの」は井上バンドの理想を持ち込めるシングルだったのでしょう。

冒頭に記したように、「恋は邪魔もの」はファンの間でこそ「ジュリー・シングルの名篇」ではありますが、一般世間では「誰もが知るヒット曲」とまでは捉えられていないようだ、というのが個人的な印象です。
実際、僕もYOKO君に『A面コレクション』を借りて初めて知ったくらいですからね。
『ROYAL STRAIGHT FLUSH』にも入ってませんし(余談ですが僕は未だに『ROYAL~Ⅰ』の収録曲をしっかり把握できていなくて、「君をのせて」を聴きたくなった時にCDをセットしてから「あ、入ってないんだった」と再確認した、という経験があります。逆のパターンで、「あなたに今夜はワインをふりかけ」を聴こうとして『Aコレ』をセットして「ありゃ?」となったことも汗)。
ただ、例え一般的にはそうであっても、タイムリーなジュリーファンの先輩方の中には幾多あるジュリーの名シングルの中で、この「恋は邪魔もの」が特に好き、と思い入れを持つ方々がとても多いようです。

後追いファンの僕は、ジュリーの歴史のほとんどを「振り返りながら知る」という形で学んでいます。
ですから安易に「あらゆるジャンルを網羅した最強の歌手」なんて言葉がポンと出てしまうわけなんですけど、ずっとタイムリーだった先輩方にとってすれば、ジュリーの歴史、ジャンルを軽々しく俯瞰することはできにくいのだ、とも想像します。
俯瞰どころか濃厚かつ局地的な記憶へと引き戻され、おそらくそのほとんどは「実際に歌っている姿」に集約され、じゃあそこで歌われている曲は・・・?と思考が進んだ時、多くの先輩方の頭に甦る曲が「恋は邪魔もの」であることが多いのではないでしょうか。

僕が思うに、それは「井上バンドへの思い入れ」と密に繋がっているんじゃないかなぁ、と。

よくよく考えると、70年代のジュリーのヒット・シングルで、完全に井上バンドの音だけで制作 されたA面曲って実はそう多くはないじゃないですか。
特にこの74年という時期・・・速水さんが加入し、サリーもいる。『ロックン・ツアー』として井上バンド充実の音がしっかりとファンの間に浸透した頃ですよね。翌年の「時の過ぎゆくままに」あたりになると、音作りやクレジット的には「ジュリーとそのバックバンド」というイメージが強くなってくるのですが(それが悪いわけではありませんよ!)、「恋は邪魔もの」でのジュリー本人のスタンスは、「井上バンドのヴォーカリスト」だったんじゃないかな(それがアルバム『JEWEL JULIE -追憶-』にも引き継がれているように感じます)。

74年の第1弾シングル「恋は邪魔もの」は、ジュリーの「ロックバンドで歌う喜び」に満ちていて(このことは、先日「悲しい戦い」の記事でも書きましたが)、その意味では ジュリー唯一無二のシングルA面曲。
それが先輩方の熱烈な支持に繋がっているのではないか、と僕は考えるのですがいかがでしょうか。

井上バンドの演奏で素晴らしい箇所を挙げるなら、まずはやはりイントロから登場する4小節のリフ。「恋は邪魔もの」と言えばこれ!という音ですが、これは最初の2小節が堯之さんと速水さんのツイン・リード、次の2小節は右サイドのギター(たぶんこちらが速水さんだと思うけど・・・自信なし)とサリーのベースのユニゾンです。
伴奏の進行としては

何も知らないお前に
Gm    F           Gm   F

優しくされて見つめる ♪
Gm   F          Gm     F

このAメロ部とリフ部がまったく同じ。
つまり、ギターとベースのユニゾン2小節のリフは、ジュリーのヴォーカル部と同じく、ツイン・リード2小節をも「追いかける」アレンジ。4小節のリフの中に、役割の違うフレーズが2種類あるわけです。
ちなみに右サイド(更新から丸1日、「左サイド」と誤記されたままでした汗)のギターは2トラックに分けてレコーディングされた可能性があります(フレーズの繋ぎ目からの判断)。他にもマラカスなど明らかな追加トラックがありますし、「アレンジ」の重責からも一層綿密なレコーディング作業だったのでしょうね。

先に添付した資料にある、「そこでピアノ弾いてみて」の箇所はおそらくサビ部。

恋は邪魔さ 僕は僕で
F                B♭

顔を背け 今暫くは ♪
Cm          D7

加瀬さんの作ったサビのメロディーは王道の「反復進行」であるだけに、ヴォーカリスト・ジュリーはワンフレーズごとの「合いの手」を求めたのではないでしょうか。
左サイドにミックスされた大野さんのピアノが、目立たないながらも華麗な指さばきでそれに応えています。

サビでの
大野さんのピアノが素晴らしいのは単純に演奏だけの話ではありません。大野さんはやみくもにジュリーのヴォーカル・フレーズすべてを追いかけているわけではなく、きちんとベーシック・トラックの見せ場を分別しつつ「味つけ」に徹しているのです。
例えば2番のサビ、2’34”の箇所ではピアノはサッと退き、サリーのベースを引きたてています。ここは注意して聴けばサリーのベースのうねりにみなさますぐ気づけるはずですが、もし大野さんが1番と同じピアノのフレーズを弾いていたら、そうは言い切れません。

サリーのベースの一瞬の冒険を聴き逃さない、優れたプレイヤーならではのアレンジ能力・・・のちに作曲家、アレンジャーとして日本音楽界のトップに立つ大野さんの才能、きめ細かさが、74年のジュリーのこんな激しい曲にも既に表れていたんですね・・・。
名曲の陰に、名アレンジあり!です。


それでは、オマケです!
まずは『ヤング』のバックナンバー、74年3月号から。


740301

740302

続いて4月号!

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740402

さらに5月号!

740503

740501

このレコード広告・・・LP『パーフェクト24』というのがどんな内容なのかサッパリ分かりません。お持ちだった先輩方、いらっしゃいますよね?ご伝授を~!

後註:
長崎の先輩が早速お手持ちのLP『パーフェクト24』の写メを送ってくださいました。ありがとうございます!

Perfect241

Perfect242

なるほど、「これまでのジュリーの歴史を振り返る」コンセプトの編集盤ですね。シングルB面曲の収録が渋い!曲並びも素敵じゃないですか~。大トリが「涙」・・・いいですね!


最後に・・・こちらは雑誌か何かの切り抜きページのみを先輩からお預かりしています。
時期は「恋は邪魔もの」の頃で間違いないのですが、出典不明なんです~。乞逆伝授!


Koihajamamono1

Koihajamamono2


台風は温帯低気圧に変わったようですが、みなさまお住まいの地域が無事でありますように。

こちらは今、雨が降り続いています。
この雨が過ぎて、明日、明後日は最高気温が30℃を越える、などと予報されています。
極端な気候の変化、本当に参りますよね・・・。
みなさまも、お身体に充分お気をつけください。

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瀬戸口雅資のジュリー一撃伝授!」カテゴリの記事

コメント

DY様 こんばんは。

ギターサウンドの心地よさとピアノとの絡みが大好きです。
ZUZU&KASEと言えば、加瀬さんへの作曲依頼からレコーディング終了まで14時間だったという伝説の「シーシーシー」の時から曲先だと思ってましたが。
ジュリーの歌はいつもあとから俯瞰すれば納得できるのですが、リアルタイムではいつも新曲のたびに良くも悪くもドキドキハラハラしてました。
ただでさえ「耳ざわりが良くて万人が普通に歌える歌」からは程遠い曲が多いし。
もっとも誰でも歌える歌をジュリが歌って
どーする、とは今の方がより強く感じる今日この頃です。

投稿: nekomodoki | 2015年5月13日 (水) 23時32分

DY様 こんばんは

お題曲、待ってました。私にとって大事な思い入れのあるレコードなんです。それは、母に買ってもらった唯一のレコードであり、初めて買ったジュリーのレコードだからです。

中学生になる直前、母の買い物に付いて行ってレコード屋の前に来た時、中に入ってみたくて立ち止まりました。小学生が一人で入るにはまだ敷居の高い時代でした。(私の小遣い月500円、そのほとんどは少年ジャンプと歌本付きの明星、平凡に使うマセた子供でした)そしたら母が、欲しい物があれば買ってあげるよと優しい言葉をかけてくれたのです。私は迷わず、「沢田研二」を探しました。「恋は邪魔もの」を選んだのは、恐らくテレビで聴いて知っていたのかも知れません。

その後、「コバルトの季節の中で」を買うまで、姉が持っていた「シーサイド・バウンド」「花の首飾り」「シーシーシー」と順番に繰返し繰返し聴いていました。

でも正直、歌詞内容が理解出来ずこれが大人なんだなあとぼんやり思う日々でしたが、レコードを聴いているのがとにかく幸せでした。

ライヴでこの曲のイントロが始まると、そのノリの良さにファンは興奮してジュリーはアクションが激しくなり、ボルテージが加速します。だから今も幸せな気分になれます。

投稿: BAT | 2015年5月14日 (木) 01時27分

nekomodoki様

ありがとうございます!

そういえば「シー・シー・シー」にはそんな逸話がありましたね。
あの時代に曲先での作業だったと考えると、改めて加瀬さん、安井さんの日本ポップスへの貢献度の高さを思い知らされます。とにかく「自然」「明快」なんですよ。正にプロですね!

ジュリーの新曲が出るたびに「ハラハラ」という感覚はなんとなく想像することができます。
ただ、それ以上に「ワクワク」もあったことでしょうね~。

BAT様

ありがとうございます!

このシングル、大切な思い出の1枚でしたか。
当時、おそらくお店には近作の「魅せられた夜」、或いは「危険なふたり」などのシングルも並んでいたでしょうが、BAT様が選ばれたのは「恋は邪魔もの」。新しい曲、ということもあったでしょうが、ジャケに惹かれたのでは?と想像します。このシングルのジャケットは、男の子の琴線に触れるものがあったでしょうから…。

それにしても「ジュリー最初のレコード」は「恋は邪魔もの」のシングルというのは素敵なお話です。
少年だったBAT様が、B面「遠い旅」をどんなふうに感じていらしたのかも興味があります~。

投稿: DYNAMITE | 2015年5月14日 (木) 12時25分

DY様 こんばんは

ふたたび失礼します。色々思い出してみました。まず当時私は丁度変声期のさなかでして、歌いたくても歌えないほど音痴になっていました。一年間我慢して翌年ようやく歌えるようになり、「遠い旅」も歌っていました。どんな思いで聴いていたのかは定かではありませんが、「恋は邪魔もの」と同年の麻生よう子さんのヒット曲「逃避行」がとても好きだったので、意外とすんなり受け入れていた気がします。

それと、大人になってから「遠い旅」を聴く度に、映画館で観た「青春の磋跌」を思い出すようになりました。後々、理由が分かりました。どちらも井上堯之さんの作曲だったからです。テーマ曲がどことなく「遠い旅」と似ていると思います。同じ年の発表だから歌詞ありバージョン、歌詞なしバージョンにしたのかも知れませんね。

ジュリーの歌を聴いてショーケンを思い出すなんて、実に楽しいです。ジャケットのゴーグル姿と「傷だらけの天使」のオープニングでの水中眼鏡姿が被るのもまた密かな楽しみになっています。大人に憧れた少年期の思い出が確かに残っています。

投稿: BAT | 2015年5月14日 (木) 23時32分

DY様 こんにちは。

 御伝授拝読し、結構、皆様は『恋は邪魔もの』がお好きなんだと云うことを知りました。
 私は、大好物曲『魅せられた夜』と『追憶』に挟まった時期に発売されたからかな!?…こういう? ノリの楽曲は受け入れない壗でしたが。

 “お気に”を幾種類もカセットテープに収め、持ち歩いておりましたが・・・ 言わずもがな? 『ウィンクでさよなら』『おまえにチェックイン』系は?(笑) …私はいい年の大人になる迄、頑なにスルー。
 恋・邪魔…あまり真剣には? 聴いてはおりませんでした〜
 多分? PYGの『花・太陽・雨』や『自由に歩いて愛して』他…演奏を含め、神曲の数々を高校時代に知ったことが大きく影響…すりきれる程、レコードを聴き倒した? こととか・・・
 そっち系の? ロックだったらいいのになぁ…と、ずっと願っておりました。

 他、70年代のジュリーらしい曲・・・ 御本人の作詞作曲『二人なら翔べるのに』と云ったラインも含め…もう? “生”では聴けそうにない楽曲が愛おしくて堪りません。

 加瀬さんの曲(*ワンズのレコードは3枚持ってます)では『青空のある限り』が好きで…ジュリー、コンサートで歌ってくださらないかなあ・・・

投稿: えいこはん | 2015年5月16日 (土) 13時25分

BAT様

ありがとうございます!

「遠い旅」と「青春の蹉跌」、それはいずれ是非細部検証してみなければなりませんね。おそらくBAT様の推測は当たっているのではないでしょうか。

「恋は邪魔もの」のジャケットのジュリーのゴーグルと、『傷だらけの天使』のショーケンの水中眼鏡…なるほど、という感じですよ。僕はどちらも後追いで知った両者の姿ですが、タイムリーなファンのみなさまの中にはBAT様のコメントで「そう言えば」と当時の感覚を思い出されたかたもいらっしゃるのでは…。

えいこはん様

ありがとうございます!

なるほど…えいこはん様にとって、この曲あたりは少々テーマが軽く感じられた、ということでしょうか。

「二人なら翔べるのに」は素晴らしい曲ですね。このジュリーの作曲はのちの「十年ロマンス」や「麗人」、「灰とダイヤモンド」に繋がっていく大変意義深いものだと僕は考えています。
スコアも手元にありますので、いつか記事に採り上げたいと思っていますよ。

投稿: DYNAMITE | 2015年5月16日 (土) 21時10分

DYさま、こんにちは。

大好きな曲の素敵なご伝授ありがとうございます。
「歌っている姿」
浮かびますね~~(笑)

キレイで甘くてクネクネしていて、どこか危うい、まさに「ジュリーの素」が溢れている「恋は邪魔もの」♪
「危険なふたり」に続いて、ジュリーと加瀬さんと井上バンドがフルスピードで新しい血を日本の歌謡界、音楽業界、お茶の間に流し込んだ時代だったと今振り返って思います。
そして、このあとにB面ながら「気になるお前」が出るんです♪
ファンにとってドキドキウキウキが上昇気流に乗っていましたよ~

ジュリーの歌声と歌う姿の中にあった自然でぬけぬけとしたセクシーさと軽快なはしゃぎ感がなんとも言えません(笑)

投稿: momo | 2015年5月17日 (日) 11時45分

DYさま、こんにちは。

凄く人気がある曲なんですね。ちょっと意外です。マイナー調のロックということで僕はそれほど人気がある曲とは思っていませんでした。

僕が「恋は邪魔もの」を初めて聴いたのは、「A面コレクション」がCD化されてしばらく経った頃(シングルのリリースが74年ですから僕は当時8歳。もしかしたら聴いたことがあったのかもしれませんが記憶にはありませんでした)。貧乏学生だった僕は7,500円という金額に尻込みしましたが、アルバイト代が入った日に思い切って渋谷のCDショップで購入しました(当時。1986年の冬を迎えた頃だったと記憶しています。

購入以来、渋谷の4畳半のアパートで繰り返し聴きました。特にDISK-1は新鮮で、文字通り聴き込みました。「魅せられた夜」「恋は邪魔もの」「ウィンクでさよなら」はその中でも特に激リピ。大音量で聴きました。壁の薄い安いボロアパートですから近隣の人達には迷惑千万だったことでしょう。

標題曲を含むこの3曲は、僕にとってのダイブ曲(DY様の名フレーズを使わせて頂きました)です。

今から、7月30日の愛知県芸術劇場が待ち遠しくて仕方ありません。仮にこの3曲が歌われなくても、今年のLIVEはジュリーにとっても僕にとっても特別なものになりそうな、そんな気がしています。

そうやってジュリーはファンにとって「特別なもの」を40年も続けてくれているんですよね。ジュリーLIVEが去年の正月デビューの僕にとっては羨ましい限りです。

投稿: goma | 2015年5月17日 (日) 13時36分

DY様

久しぶりのコメントです。
バンドマンの僕としては、さすがDYさん、耳の付け所が、僕らを喜ばせてくれるのですよね。

この曲はジュリー中心時代の僕にとっては、とても印象が強かった曲です。
DYさんのおっしゃるとおり、バンドサウンドそのものだったからです。
レコードジャケットに、井上バンド全員の写真があることからも、それを窺わせますね。

僕の衝撃は、イントロのツインギターのハモリです。
今から思うと当時の歌謡界のアレンジャーに、こういう発想はなかったのではないかと。
後年、今の僕がホームグランドとしているXJAPANのように、ツインギターのハモリはバンドサウンドの定番になっていきます。

この時代、海外に目を向ければ、世界で最も美しいツインリードギターと言われた「ウイッシュボーン・アッシュ」が存在し、日本でもファンが多かったにもかかわらず、歌謡界のアレンジャーは、そこに着眼しなかったようです。

ソロになってからのバンドサウンドとしては、「死んでもいい」にレコード針を初めて落とした時に、「キタ━━━(゚∀゚)━━━!!」とガッツポーズをしたものです。
当時テレビに出演するジュリーは井上バンドの演奏でなかったので、このレコードは嬉しいものでした。

余談ですが、「さよならをいう気もない」を出した頃に、FM東京で井上バンドとやったスタジオライブのMCの時に、賞を取った時ほど井上バンドの演奏で歌いたいのに、それが叶わない事を嘆いていました。
(このスタジオライブ、カセットテープに残っているのですよ!当時FMエアチェックは趣味だったのです。)

「死んでもいい」は願っていたバンドサウンドのレコードだったわけですが、それが速水さんの加入によって、僕の求める音にさらに近づいたわけです。
「太陽にほえろ!」においても、速水さんの加入後にできた「テキサスのテーマ」では、早速ツインギターのハモリを使ってますしね。

ジュリーはやはりロックシンガーであり、バンドのボーカル的な立ち位置がよく似合うと思うのは、僕だけではないと思います。
そう言った意味ではジュリーにとっても「我が意を得たり」の曲だったのではないでしょうか?
事実、日比谷野音でもこの歌は唄っていますし、バンドのレパートリーとしていたのではないでしょうか?
野音と言えば、当時参加されていた方に聞いた話があります。
ジュリーの前には、ガリガリのロックバンドも出ていましたが、ジュリーファンは他のミュージシャンには全く興味がないわけです。
その姿にやたら攻撃的なステージをするボーカルがいて、「てめえら!聴けよ!沢田なんかのどこがいいんだ!」みたいな事を叫んでいたそうです。
ファンの人は、それがどこの誰かは、全然判らなかったそうですが、雰囲気とか聞いて僕が判断すると、「ファーラウト」のフミオだと思います(と言ってもわからないでしょうがww)。
それで、そんな感じ男が、ジュリーの出番がきたら、客席の方へ来て、ファンの人達に「今日は沢田さんのステージを楽しみにして来たんだ。ホントカッコいいよね。ワクワクしちゃうよ。」と目を輝かせて言ってきたそうです。
で始まったら、人一倍、滅茶苦茶に盛り上がっていたそうです。

ただジュリーの凄さは、そのようなロックシンガーでありながら、オーケストラをバックに歌う極上のバラードも天下一品であるということですね。
これは同年代のロックシンガー・矢沢永吉ですら、敵わない事ではないでしょうか?

「恋は邪魔もの」あたりからロックなジュリーが本格的に動き始めて、その後の僕が最も好きな時代のジュリーが大暴れするわけですね。
その意味で、結果的にターニングポイントとなった曲のように、僕には思えるのです。

投稿: YOU | 2015年5月17日 (日) 14時15分

momo様

ありがとうございます!

やはり、歌っている姿浮かびますか~。
momo様の仰る「どこか危うい」というのは後追いのファンからすると非常に興味そそられるものがあります。単に身体が細いとか美しすぎる、とかそれだけではなさそうですからね。

> ぬけぬけとしたセクシーさ
このお言葉も深いですね~。でも、これは今のLIVEにもありますよね?というか、今年のお正月コンサートは正にそうだったような…。

goma様

ありがとうございます!
コメントのライター明記、修正しておきました。ご連絡畏れ入ります。

今まで考えたこともありませんでしたが、『Aコレ』がCDリリースされたのはその時期でしたか。世にCDが普及してから、そう間もない頃ですね。

なるほど、goma様は「恋は邪魔もの」はまだLIVEで体感されていないということになるのですね。『ジュリー祭り』以来採り上げられていませんが、ジュリーとタイムリーなファンの先輩方にとって大切な曲であることは確かです。
今年はどうか分かりませんが、この先LIVEに参加し続けていればいつかはまた聴ける曲ではないでしょうか。

すみません、お返事一度切ります~。

投稿: DYNAMITE | 2015年5月17日 (日) 22時08分

YOU様

ありがとうございます!

YOU様はこの曲、お好きだろうなぁと思っておりました。
やはり当時、この曲が「バンドサウンド」であることのジュリーの喜びを感じていらしたファンは多かったようですね。

「テキサス刑事のテーマ」(「情熱」のテーマ)のお話は目からウロコです。あの時期の『太陽にほえろ!』の井上バンドの曲では、ギターはどちらかと言うとリズム・セクションで、ソロがあっても2番以降、というパターンの曲が多かった中、「テキサス刑事のテーマ」は忽然とギター・ソロのメロディーがフィーチャーされていますね。「大野さんがアレンジの目先を変えたかったのかな」と僕は漠然と考えてしまっていましたが、なるほど、速水さんの加入が関係しているのですね。それであのツイン・リードが…言われてみますと大納得のお話です。

今でこそツイン・リードはロックの花形、王道のアレンジですが、それを最初に歌謡界に持ち込んだのはジュリーと井上バンドだった、ということですね。それが加瀬さんの曲であったことも、痛快な歴史ですね!

投稿: DYNAMITE | 2015年5月17日 (日) 22時21分

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