沢田研二 「許されない愛」
from『JULIEⅡ』、1971
1. 霧笛
2. 港の日々
3. 俺たちは船乗りだ
4. 男の友情
5. 美しい予感
6. 揺れるこころ
7. 純白の夜明け
8. 二人の生活
9. 愛に死す
10. 許されない愛
11. 嘆きの人生
12. 船出の朝
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加瀬さん。
大きな時間が巡る世界で新たな無限のエネルギーを手にされ、早速大活躍されていることと思います。
先日、僕はこれまでどのくらい加瀬さんの作曲作品を記事に書いてきたんだろう、と思って数えてみたら、書いたばかりの「SHE SAID・・・・・・」の記事まで、全部で31曲もありました。
それでも。
何人かのジュリーファンの先輩が、ジュリー関連の加瀬さんの曲を整理してくださっていて、それを拝見すると、まだまだ書いていない名曲がたくさんたくさん残っているんです。
その中のひとつ・・・加瀬さんが作ってくれた、僕がこの世で一番好きなアルバム『JULIEⅡ』からのシングル・カットに
して、ソロ歌手・ジュリー初の大ヒット曲「許されない愛」。
これまで何度か「書こう」と思い立ったことはあるんですけど、何となく先延ばしにしてきました。書いちゃうのが勿体無い気もしていましたし、僕などが「伝授!」な~んてやるのは、100年早い曲のような気もしましたしね。
まさか、こんな気持ちで書く時が来るなんて、夢にも思っていませんでしたよ・・・。
でも、いつもの僕のスタイルで、楽しいジュリー・ナンバー大名曲の考察記事として書こう、と思っているんです。
いつもお世話になっているジュリーファンの先輩が教えてくださいました。加瀬さんは、「僕は人が喜んで、愉しんで、感動してくれることが一番嬉しい」と仰っていた、と。
何と素敵な言葉でしょう。
及ばぬまでも、見倣わなければなりませんね。
今、加瀬さんのことを思い出すと、その笑顔にどれほど暖かな力が漲っていたのか、改めて分かるような気がします。
加瀬さんの旅立ちを聞いてからというもの毎日のように、2010年のジュリーwithザ・ワイルドワンズ・八王子公演での「FRIENDSHIP」が終わった後の加瀬さんの笑顔が脳裏に甦ってきます。
あの日あの曲でジュリーが歌詞を見失って、「あわや」というところを、ステージ上の全員が力を合わせて切り抜けました。
曲が終わって皆がいったん退場の直前に、ジュリーがお客さんに向かって最後の念押しの土下座をした時、加瀬さんがギターを抱えたままジュリーに歩み寄って、膝をついて「ポンポン!」とジュリーの肩を優しく叩いていましたね。あの時の加瀬さんの笑顔ばかりを僕は思い出しているのです。
加瀬さんの笑顔の記憶に力づけられて、僕はこれから「許されない愛」の記事を書かせて頂こうと思います。
☆ ☆ ☆
「ブラス・ロック」と人の言う。
トランペット、トロンボーン、サックス・・・豪快な金管楽器のアンサンブルが、ロック・バンドと競演する、説得力抜群のアレンジ・コンセプト。ビートルズなら「ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ」「レディ・マドンナ」「サボイ・トラッフル」。ストーンズなら、「ビッチ」「ロックス・オフ」「ドゥ・ドゥ・ドゥ・・・」。
こうして挙げていくと、とてつもなく好きな曲ばかり。
そうかぁ、僕は「ブラス・ロック」というだけでもう、その曲のことを愛せるのかもなぁ・・・。
ブラスバンドをやっていたせいか、さして音楽知識の無かった中学生の頃から、「あ、この音はトランペットだ」くらいには耳が効いていたので、自然に聴き込みが深くなっていたのかもしれません。
今日のお題は、日本の歌謡界に「ブラス・ロック」で殴りこんだ(?)ジュリーの大ヒット曲。
ザ・ワイルド・ワンズとザ・タイガース。それぞれのバンドで既に大成功を収めていた加瀬さんとジュリーだけど、額を突き合わせ肌を合わせて(いや、変な意味ではありませんよ!)以降の2人のサクセス・ストーリー・・・その原点とも言える曲ではないでしょうか。
「許されない愛」、僭越ながら伝授です!
「許されない愛」には個人的に色々語りたいところが本当にたくさんあるんですけど、あまりに長くなってもナンですので、この記事ではおもに「ブラス・ロック」のアレンジと、ジュリーのヴォーカルに焦点を絞って考察してみたいと思います。
でも最初に、演奏とミックスについて少しだけ。
『JULIEⅡ』収録曲の演奏は、どの曲のどの楽器も最高に素晴らしいトラックばかりですが、「許されない愛」のバンド・サウンドについて敢えて特筆するならば、やはりリード・ギターとオルガン。この組み合わせはどうしてもドアーズを想起しちゃいますね。
アルバムへの加瀬さんの提供曲は2曲共にドアーズを彷彿とさせるものがありますが、「純白の夜明け」がコード進行やメロディーに強くそれを感じるのに対し、「許されない愛」では演奏、アレンジなのです。
正に「咆哮」の音ですよ。
またミックスについては、1’49”からの伴奏部で、先日「涙まみれFIRE FIGHTER」のエンディングについて書かせて頂いた「レコーディングされた複数の演奏トラックへの後がけのエフェクト(フランジャー)」が導入され曲の臨場感を高めています。
40年以上もリリース時期を異にした2曲いずれもが「激情」「喪失感」を狙ってまったく同じミックス手法を採り入れている・・・とても興味深いことですね。
さて。
70年代初期、日本の歌謡曲にオーケストラの伴奏付きは当たり前、常識だったのだそうです。
あくまでオーケストラとしてのストリングスやブラス隊が曲を豪華に装飾し、歌手をもり立てる・・・そんな手法が全盛の時代にあって、突如「ロック・バンドとの競演」を前提としたホーン・セクションを擁した激しい曲がお茶の間のド肝を抜き一躍大ヒット。
歌うのはあのザ・タイガースのジュリー・・・とくれば、なんとも痛快な話ではありませんか。
しかし、ですよ。
もし単独のシングルとして「許されない愛」という曲が制作・リリースされていた場合、このアレンジ・アプローチは果たしてあり得たでしょうか。
僕は個人的に「許されない愛」のアレンジ、ひいてはジュリー・ヴォーカル最大の意義を、「アルバムからのシングル・カット」であることに見出しています。
アルバム『JULIEⅡ』の収録曲を見ていくと、各曲の特性やコンセプト・ストーリーに合わせ、「この曲はこのアレンジ」というふうに、オーケストラの役割、手管も様々。それぞれ的確に割り当てられています。
優しいストリングスをメインとするもの、おどけたような木管楽器が囃し立てるもの・・・本当にバラエティに富んでいる中、そうした手管のひとつとして「許されない愛」のブラス・アレンジも生まれています。これ、最初は「シングルで売る」ためのアレンジとしては考えられていなかったと思うんですよ。
禁断の愛を自ら断ち切ろうとする激情を歌った、良い意味で「負」の激しさを持つ「許されない愛」には、あくまでアルバム収録曲のバランス上、豪快なホーン・セクションと、濡れた音色のギター、オルガンとの濃密な競演が求められたのではないでしょうか。
その後になって、アルバムの中から、最も「ジュリー」を押しだせる曲としてシングルに選ばれたに違いない「許されない愛」。大ヒットはあくまでオマケ(いや、ソロ歌手・ジュリーの潜在能力が最初にセールスに結びついた必然の結果、とも言えますが)、嬉しい誤算?だったのかもしれません。
しかし、「ジュリーならシングルはこの曲だよ!」という手応えがスタッフの総意として自然に纏まっていったのだとすれば、作曲者である加瀬さんの功績ははかりしれないものがあります。
これまで何度か書いていますが、僕の少年時代のジュリーの鮮明な記憶は「勝手にしやがれ」から。それ以前では「危険なふたり」を「なんとなく覚えてる」という感じです。先輩方にとっては信じられないことでしょうが、「時の過ぎゆくままに」すら何の記憶も持っておりませんで・・・そんな僕は当然「許されない愛」という曲をまったく知りませんでした。
2005年(だったと思う)にジュリーのポリドール期の作品が一気にリマスター発売され、勤務先でたまたま手にした『ROYAL SYTAIGHT FLUSH』全3枚の試視盤との出逢いが、ジュリーファンとしての僕の第1歩目となったわけですが、当時「ロック」に強い拘りのあった僕は『ROYAL SYTAIGHT
FLUSH』の「Ⅱ」と「Ⅲ」ばかりを聴きまくり、「Ⅰ」は後回しにしてしまいました。「たぶん歌謡曲時代だから」という、たったそれだけの完全に誤った思い込みでね・・・。
そのまま「アルバム」の大人買い期へと突入。そんな中、数十年来の音楽仲間であるYOKO君が『A面コレクション』を所有しているライトなジュリーファンであった、という事実が発覚し(今はヘヴィーです笑)、彼に借りた『A面コレクション』で僕は初めて「許されない愛」を知ることになります。
その時は特に強烈な印象は残らなかったんですよ。
いや、言い訳になりますけど、『A面コレクション』のボリュームと言うか密度って、冷静に考えるとちょっと凄過ぎるじゃないですか。一気に聴くと、圧倒されて1曲1曲への聴き込みができないと言うか・・・。
あと、やっぱりその時点でこの曲を「単独のシングル曲」と思い込んでいたことがまず僕の失敗でした。
もちろん良い曲だとは認識できましたが、「時代」或いは「背景」というものを知らずに『A面コレクション』を聴くと、「あなただけでいい」「死んでもいい」といった続く収録楽曲とイメージが混同して(もちろんそれは、「許されない愛」のヒットを受けて「ジュリーのシングル」にそうしたコンセプトが継続して与えられていった、という史実を学ぶことでもあるんですけど)、埋もれてしまっていたのかな。
それがある夜、アルバム『JULIEⅡ』の素晴らしさに突然目覚めたその時から、「許されない愛」の聴こえ方は、まるで変わってしまったのです。
もちろんアルバム通して聴くのが最高なんですけど、「許されない愛」を単発で(『ROYAL~』や『Aコレ』で)聴いても、何かドキドキ、ワクワクするようになってきました。大好きな曲になった、ということですね。
そうなると、アレンジやヴォーカルについても、細かいところまで耳がどんどんのめり込んでいきます。
この曲のホーンセクションについては、とにかくトランペットがただただ凄いな、と。
僕は映画『スウィング・ガールズ』を観たことがきっかけで、30代後半でいきなり「金管楽器をやってみよう」と思い立ちトランペットを購入、入門書を読みながら独学で勉強したんですけど、メロディー音域の広い曲、音符の粒が詰まっている曲、「#」の多いキーの曲については結局自由に吹きこなせるまでには上達しませんでした。
中でも特に難しかったのが、音域の広い曲です。
「許されない愛」のトランペットにはとてつもなく高い音を出すパートがひとつあって・・・それだけでもう「うひゃあ!」と聴き惚れてしまいます。
金管楽器には(基本3本のピストンを使った)いくつかの固定フォームがあり、唇の形を変えることにより同じフォームで違う音を出します。例えば「ド」と「ソ」は同じフォーム。また、普通の「ド」の音と高い「ド」の音、さらにもう1オクターブ高い「ド」の音もすべて同じフォームです。僕の感覚で大まかに言うと、低い音は「ぼ~♪」、高い音は「ぴゅ~♪」という唇の形で音を出します。これが、極端に高い音や極端に低い音になると、そうそううまくは出せないんですよね・・・。
『スウィング・ガールズ』でも、トランペット担当の女子高生(演じているのは、後に『ちりとてちん』で大ブレイクされた貫地谷しほりさん)が、「シング・シング・シング」(『act ボリス・ヴィアン』収録の「墓に唾をかけろ」の間奏で登場する有名なビッグ・バンド・ジャズ・ナンバー)の最高音がなかなか出せず苦闘する、という重要なシーンがあります。彼女は結局その練習時に、トランペットの中に住みついていたネズミ(笑)の突然の出現にビックリ仰天したはずみで偶然、曲の最高音に適う唇の形をマスター。これは、ユーモラスというだけにはとどまらない本当に素晴らしい脚本で、実際、唇を「ぴゅ~」の形にしながら「・・・・!」といった感じで身体をビクッとのけぞらせるようにすると、凄く高い音が出る唇の形になるんですね。
問題は、それを自在に操って演奏できるようになるかどうか、ということで・・・「許されない愛」の高音トランペット・パートを聴くと、当たり前ですがプロは凄い。
また、「技」の点ですと
だけどもしも ここにあなたが
Gm B♭ Cm D7
いたなら駆け寄り すぐに抱く だ ろ
Gm E♭ F E♭ F D7
あなたを連れ去り 逃げて行き たい ♪
Gm E♭ F E♭ F Gm
このサビ部、ジュリー入魂のヴォーカルを追いかけるようにしてブラスが噛んできますよね。
パッ!と叩き斬るフレーズの連続にゾクゾクしますが、「いたなら♪」と「駆け寄り♪」の間のフレーズでの運指と音の複合技が特に素晴らしいです。途中「トゥルル♪」みたいな感じで鳴っている箇所があるでしょ?
これが素人にはキレイに出せないんだなぁ・・・。
こうして加瀬さんの名曲に施された「ブラス・ロック」アレンジは、後のジュリー・ナンバーはもとより多くの歌手によるフォロワー的な日本歌謡ヒット曲へと様々な形で継承されていきます。
ただ、「受け継がれる」ということで言えば、”「許されない愛」が元祖!”なのは、ジュリーのヴォーカルこそが正にそうだったのではないか、と思うのです。
もちろんジュリーはタイガース時代から、「美しき愛の掟」などでこうしたヴォーカル・スタイルを既に魅せてくれていましたが、若い男性ソロ歌手が、情熱的な「激情」「溺愛」を狂おしく歌う・・・僕は70年代前半の歌謡曲の流れというのはタイムリーで体験していないのでこれが正しい感覚なのか分かりませんけど、例えば74年リリースの西城秀樹さんの名曲「傷だらけのローラ」(73年の「危険なふたり」と共に、小学生低学年だった僕が「なんとなく覚えてる」ほどインパクトのあった当時の大ヒット曲のひとつです)なんて、ジュリーの「許されない愛」が無かったら、果たしてあんなヴォーカル・スタイルになり得たでしょうか。
他にも僕の知らない
「許されない愛」から派生した男性歌手のヒット曲・・・まだまだありそうな気がします。
いずれにせよ、ジュリーの「許されない愛」がその後の男性歌手に与えた影響は、決してルックス(髪型とかね)だけでなく、「歌」もそうであったことは間違いないでしょう。
先述のサビ部以外でも、(サビに比べれば)やや抑え気味に歌っているようなAメロの
忘れられないけど 忘れようあな たを
Gm F Gm F Gm F Cm
めぐり逢う時が 二人遅すぎた ♪
Gm Cm Gm E♭maj7 D
この「遅すぎた♪」の語尾の余韻なんてね・・・「生身の声」と表現するしかありません。
僕はこれまで何度も
「『JULIEⅡ』のヴォーカルは、ある意味”歌わされている”状況がかえってジュリーの無垢に伸びあがる声、その才を引き出し、”歌の神”の存在にはまだ誰ひとり気づいていない」
などと書いてきました。
そのこと自体は『JULIEⅡ』の特性をある部分言い当ててはいる、と自負していますが、実際の状況としては僕の考えは邪推で、アルバム制作時ジュリーに「オマエは、”歌で演ずる”ということをやった方がいい」と言っていたのが、池田道彦さんだったそうです(2008年のラジオ『ジュリー三昧』より)。この時点で池田さんは”歌の神”の存在に気がついていたわけで、そうなるとやっぱり加瀬さんもとっくに気づいていたんじゃないか、と思えますよね。
『JULIEⅡ』には、ジュリーが(池田さんの言葉を受けてのことでしょうか)ちょっと工夫をして、「演ずる」ことを盛り込んだヴォーカルが3曲あると僕は思います。
「官能」をハスキーなファルセット・ヴォーカルで表現した「純白の夜明け」。
自嘲の笑い声、泣き崩れた言葉すら自然に「歌」の一部となった「嘆きの人生」。
そしてこの「許されない愛」。
どんなヴォーカルかと問われれば、「歌詞の通り、メロディーの通り、演奏の通り、アレンジの通り」のヴォーカルである、と。歌われているすべての言葉、鳴っているすべての音を全部取り込んでいる、神がかり的なヴォーカルではないでしょうか。
”歌の神”に「気づいてない」のはひょっとしたら、ジュリー本人だけだったのかもしれないなぁ・・・。
それでは、オマケです!
まずは、71年末の『セブンティーン』の記事です。ソロ歌手としての偉大な一歩を踏み出した当時のジュリーを知る上で、貴重な資料ですね。
続いては、今や伝説、71年末の日生リサイタルのパンフレットから3つほど。
このパンフレットは本当に充実の内容で、まだまだページは続きますが・・・まぁそちらはまた別のお題の機会にとっておきましょう。
22日の朝刊スポーツ紙では、加瀬さんの訃報を1面で伝えるものもあり、改めて加瀬さんの偉大さが世間に知らしめられました。報道の中でワイルド・ワンズの「想い出の渚」を始めとする「加瀬邦彦の代表曲」が列記され、当然ジュリー・ナンバー「危険なふたり」「TOKIO」も連ねられていましたが、今日のお題曲「許されない愛」をそこに見つけることはできませんでした。
でも、僕より少し上の世代の方々は、たとえジュリーファンでなくてもこの曲を覚えていらっしゃるはず。
作曲者が加瀬さんであることは、どのくらい知られているのかなぁ・・・。
ジュリーの「許されない愛」・・・間違いなく、加瀬邦彦作曲作品で1、2を争う大名曲です!
☆ ☆ ☆
そうそう。
加瀬さん、僕は先週の23日に、ポール・マッカートニーの東京ドーム公演に行ってきましたよ。
直前に加瀬さんのことがあったから複雑な気持ちを抱えたまま参加したけど、とても素晴らしい時間でした。
4回目の参加となるポールの来日公演で、僕は今回初めてのアリーナ席だったんです。しかも望外に前方の席で・・・少しだけ高い位置の特等席でご覧になっていた加瀬さんからは、狂喜乱舞する僕の頭がチラチラと見えていたかもしれませんね・・・。
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