沢田研二 「こっちの水苦いぞ」
from『こっちの水苦いぞ』、2015
1. こっちの水苦いぞ
2. 限 界 臨 界
3. 泣きべそなブラッド・ムーン
4. 涙まみれFIRE FIGHTER
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2015年3月11日発売、ジュリーのニュー・マキシシングル、『こっちの水苦いぞ』。
みなさま、もうお聴きでしょうか?
何の計算もせずに、飾らずに、怖れずに、本音でぶつかってきましたね・・・ジュリー。
不言実行、覚悟のメッセージ。
反原発とLOVE & PEACE、そして鎮魂と・・・懺悔?
それが具体的に何かは分からないけれど、ジュリーは被災地への思いを激しい自責の感情すら加えて投げかけているように思われてなりません。
ここまで「商売」とかけ離れてリリースされた音楽作品を、僕は初めて聴きました。
近年はメディアでの宣伝も無く、プロモートが組まれることなども無く、それでも毎年新譜をリリースし続けてきたジュリー。そんな中でも今年は特に、「激しさ」と共に「純粋さ」「清潔さ」が伝わってきます。
これは「売る」ために歌われた歌じゃない。
今までそんなふうに感じられた音楽はジュリー以外にもいくつか聴いたことはあったけど、ここまで頭抜けて、強くそう感じた作品はありませんでした。
歌手とは、まず「歌いたい」から歌を歌うものなのでしょう。しかしそこに販売戦略のためのスタッフが絡み、プロモートが組まれ、スポンサーの利権が絡むとどうしてもそれだけでは済まなくなる・・・いや、それは決して非難されることではなくて、当たり前のことです。
ただ、そうやってリリースされた音楽作品は、制作から発売までの過程がテンポと効率重視の分担作業になり、歌手の基本的な「歌いたい」という情熱が最終的に薄まってしまうように感じられます。
ところが。
『こっちの水苦いぞ』を聴いて思うのは、今のジュリーには「歌いたい」「伝えたい」しか無いな、と。
「伝えたいから作った、歌いたいから歌った、そして大切な日に発売した」という純粋さ、清潔さですね。
そんな商売っ気度外視の動機が音楽作品として成立してしまうことがまず奇跡です。歌っている内容が内容だけに、誰にでもできることじゃない、本当に。
何故ジュリーがわざわざ原発、戦争など政治色の濃い社会派のテーマを歌わなければならないのか・・・という心配のような感情も、ファンの間で今少なからずあるらしいのだけれど。
何故、と考えれば・・・「ジュリーにしかできないから」と結論づけるしかないと思うんだよなぁ。
実際、今のジュリーの考え方に近い志を持つ歌手、ミュージシャンは僕らが知るより多く世にいるんじゃないか、と思います。そうでなければおかしい、とも。
ただ、輝かしい実績のある歌手は、そのキャリア故に「やりたくとも自由にできない」、若い歌手は「やっても届けられない」という状況にあるのかもしれません。
ところがジュリーは、それが自然にできてしまう。世間に届かせてしまう。
あれほどのキャリアを持ちつつも、今はプロモート戦略にとり込まれることもありません。そりゃあ普通に考えれば、プロモートやスポンサーがついてのCDリリースならば、こんな内容の作品制作、発売はおそらく無理です。関わった人達すべてに志があったとしても、それだけでは通らないことがあるでしょう。
ジュリーの場合、長い時間をかけて築いてきた特異なスタンスが、今それを可能にしています。
「今まで長くやってきたのは、これを歌うためだったんだ」・・・ジュリーはそう思っているかもしれない、というのは、僕の勝手な思慮浅い考えでしょうか?
いつもお世話になっているJ先輩が、大阪弁護士会の対談でのジュリーの
「自分はたいしたものだと思う。
だからこそ(そんな自分を)キチンと使っていかなきゃいけない」
といった内容の言葉に、深く感銘を受けていらっしゃいました。「自分はたいしたもの」と言った直後にそんな言葉、普通の人は出てこないよ、と。
確かにその通りです。
「だからまぁ残りの人生は自由にやりますよ」
とか
「今まで何とかこんな感じでやってこれたから、これからもこのままいきますよ」
と語るくらいが普通。
ところがジュリーは、「自分をしっかり使う」と言ってのける・・・。この俯瞰力にしてこの自然体。
何という歌手でしょうか。
しかも、今この状況のジュリーに鉄人バンドのようなメンバーがついているという、さらなる奇跡。「メッセージ性の強い音楽をやるために同志を集めて・・・」などとまどろっこしいお膳立ての必要もなく、ただ自分が歌いたいことを、純粋にロックバンドでそのまま歌える環境が今のジュリーに当然のようにある、というのはね・・・。
さらに言うとジュリーは今年から、「伝える」と同時に「立ち向かう」気構えをもって新たな歌人生へと一歩踏み込んだように思えます。
先輩方がこれまで何度かタイムリーで体感されてきた「ジュリー十数年に1度の大きな変化」を、僕も先の正月LIVE『昭和90年のVOICE』で予感はしていて、とうとう自分も「その時」にタイムリーに立ち合えるかもしれない、と武者震いしたものでした。
新譜を聴いて、それは確信となりました。
「PRAY FOR EAST JAPAN」のテーマは不変でも、『こっちの水苦いぞ』は最近3作とは違うと僕は感じています。大げさに言えばこれは、新たなジュリーの、新たなファースト・アルバム。
もちろんそれは、2011年3月11日からジュリーが継続している「思い」があって成し得ているわけで、『3月8日の雲』からすべて線で繋がってはいるのですが・・・。
新譜でのジュリーの歌詞は、発売前の僕の安易な予想など丸ごと吹き飛ばしてしまうようなものでした。
やっぱり凄い。
さすがはジュリー、こうでなければ!
今日は、この記事の中で政治的な私見も書きます。
せっかくジュリーがこんな新曲を、こんな歌詞を、「今だからこそ」ぶつけてきてくれたのだから、考える余裕のある人は考えるべきなんじゃないかと思うのです。
『昭和90年のVOICE∞』オーラスの東京国際フォーラムでジュリーが語った通り、「それぞれが、自分のこととして考える時」が、今来ています。考える内容は人によって様々でしょうが、僕は僕の考えたことを書くしかありませんからね。
僕のようなファンは「沢田研二に洗脳された」なんて世間に言われることすらあり得るけれど、それは違います。だって僕は元々、これから書こうとしているような物事の考え方をずっと以前、ジュリーファンとなる前から確かに持っていて、じゃあ以前は今と何が違っていたかと言うと、「声にできなかった」・・・つまり、怖がっていたということです。
「もうそんな(怖がって黙っている)場合じゃない」と気持ちを強くしたきっかけは、2014年のお正月LIVEでジュリーが「大変な年ですよ」と話してくれた時ですね。
洗脳なんてされてないけど、パワーは貰っています。だから昨年、長い間記事にするのを躊躇っていた「我が窮状」をお題に採り上げることができましたし、今回の新譜についても同じスタンスです。
ただ、そのぶんいつも以上の大長文になります。その点は、ごめんなさいね・・・。
あれから4年。
今年は、国が定めた「集中復興期間」の期限でもある2015年です。政府トップは今も「国が前面に立っての復興」を威勢よく掲げているけれど、来年度以降の復興予算は、財源も規模もまったくの未定。
それが、「4年目」の実態。「襲い来る風化」の現実。
「4年目とは、励ます側があきらめてはいけない時期だ」と仰ったタイガースファンの先輩がいます。その4年目のタイミングで、ジュリーは「祈り」と共に「怒り」「悔しさ」を前面に立てた新譜をリリースしました。
何に怒っているのか、何を悔しいと思っているのか・・・それを「考えない」ではもう済まないんだよ、と。
あとはやっぱり・・・国の舵取りに強い違和感を覚えながらも、「自分一人が何を言っても無駄。もうダメかも・・・」と今にも投げてしまいそうな僕のような性根の弱い者にとって、『こっちの水苦いぞ』はシンプルに気骨を注入してくれる音楽だったということです。
僕にとって『こっちの水苦いぞ』は、とてつもなく心強いロック作品でした。
実は僕は少し前から、ジュリーを「ロック」とカテゴライズすることに「待った」がかかる瞬間を自覚することが多くなっている(ジュリーはジャンルでは括れない、という考えが大きくなってきている)のですが、それでもこの新譜を前にしては
「これこそがロックだ!今、日本にこれ以上のロックがあるなら聴かせてみろ!」
と叫ばずにはいられません。
このジュリーの2015年の新譜を、東日本大震災から4年目のこの新譜を、日本の平和国家としての歩みが危うくなっている今リリースされたこの新譜を、多くの一般の人達に聴いて貰いたいと考えます。
みなさまも、自信を持って色々な人にお薦めしてみてはいかがでしょうか?もちろん、すべての人に笑顔で受け入れられるような作品ではありませんが、「聴いて欲しい」と思いませんか?
聴かせたい人が「沢田研二」の名前をまったく知らなくたって良いのです。申しぶんのない実力を持った歌手とロックバンドが、今の時代にリリースすべき音楽を普通に発表したのだ、と。普通のことなのに、他にこういう音楽は今は無いのだから、と。
「怒り」「悔しさ」を持て余し震えながら、「先行きに迷っている」人達というのは被災地はもちろん、日本全国に今たくさんいらっしゃると思います。そんな人達に、ジュリーのこの新曲を聴いて貰う・・・被災地のことを思い、平和を願って僕らジュリーファンに何が出来るかと言ったら、もうそれしかない。ジュリーにすれば、「そら、ファン目線の勝手な考え方やろ」と思うだろうけど・・・。
それに、僕はこうしてくどくどと文章で書いてしまっていますが、このCDを人に勧める時に、褒め言葉を並べたり、こちらの感想など語るのは本来余計なこと。
聴いた人が何を感じるか、ですよね。
究極の「ミニ」であるこのブログでは、そこを敢えて大絶賛の語りまくりにて大変恐縮ながら・・・『こっちの水苦いぞ』全曲考察、今日はその1曲目。
「国益」の言葉のもとに経済的私益を窺う輩に堂々と物申した、ジュリー渾身のCDタイトルチューンです。
考察の甘い点や独りよがりな解釈、勉強不足の記述など多々あると思いますが・・・全力伝授です!
僕は今回、この新譜の購入が発売日から3日遅れてしまいました。
今年もアマゾンさんに予約していましたが、発売日には届かず。これはまぁ想定していたことで、発売日の3月11日に店まで買いに行き、遅れて届けられるアマゾンさんからの1枚はYOKO君に引き取って貰うつもりでした(これも近年恒例のパターン)。
ところが11日、12日と、仕事のスケジュールもあって大きなCD店に足を運ぶことができなくなってしまいました。僕が実際にCDを手にしたのは、翌13日。
購入できずにいたその間、いち早く購入し聴いた先輩方の感想が次々に飛び込んできました。
「曲は好きだな~」
そんな声が多かったです。
「曲は好き」?
それはつまり、「歌詞は好きじゃない」ってこと?
そんなふうに悪く考えてしまって・・・実際にこの耳で聴くまではちょっと怖かったなぁ。
いざ聴くと、そんな不安は消し飛びましたね。
「た、確かにその通り!まず曲が凄くイイ!」
この2ケ月ほど僕はどっぷりACTの音源に嵌っていて、つい最近「寝ても覚めても」なんて書きましたが、『こっちの水苦いぞ』を聴き始めて、改めて「寝ても覚めても」ってこういうことなんだな、と思ったり。
とにかく、他の音楽を一切聴かなくなるのです。
この全4曲ですべての時間が満たされてゆく、圧倒的吸引力・・・みなさまのご感想通りです。これまで以上に素晴らしい楽曲、素晴らしい演奏ですよ。
でもね。
歌詞がこうでなかったら、僕はここまでに我を忘れるほどには引き込まれていな
い、とも思うのです。
ジュリーのこの詞はどうでしょう!
とてつもないじゃなですか。凄過ぎるじゃないですか。
ブログに記事を書く、なんて考えは頭からスッ飛ぶくらいの衝撃でした。ただただ、ジュリーの声から発せられる言葉を繰り返し繰り返し聴くだけ。
多くのジュリーファンは、稀有な歌人生を歩む偉大な「歌手としてのジュリー」を大いに誇りにしていると思います。僕は思います・・・今こそそこに「詩人としてのジュリー」への誇りを是非加えたい!
身も心も削らんばかりにしてこの歌詞を完成させたジュリーをたやすく「詩人」だなんて表現するのは不謹慎かもしれないけど・・・この世に「詩人」という生き方があったとして、その魂を持つ者が今の社会への思いを作品に解放したならば、自然にこういう詩が生まれるはずです。
ただし、詩人の魂を持つ者は世にほんの僅かしか現れません。そう簡単には出逢えません。
ジュリーファンは恵まれています。
しかもこのジュリーという詩人は、「歌」の神様のような人でもあります。
ジュリーの詩人としての言葉は、優れたメロディーがあって、優れた演奏があってこそ生まれ、「書く」のでもなく「詠む」のでもなく、奇跡の声で「歌」われます。
『こっちの水苦いぞ』は、聴き手がジュリーの魂に直に触れるような1枚。こんな音楽は、本当に稀有です。
さらに・・・これは個人的なことなんだけど、ジュリーが歌詞の中で使ってくれたある言葉が、僕に大きな衝撃と予期せぬ感動をもたらしました。それがこの1曲目「こっちの水苦いぞ」の冒頭部。
池袋のタワーレコードで無事にCDを購入して(5枚置いてありました)、すぐにポータブルに入れて、街の移動中に聴き始めた1曲目「こっちの水苦いぞ」。
イントロのギターリフで、「おっ、カッコ良さそうな曲。ロックンロールかな?」とウキウキしながらジュリーの声を待ち構え、すぐに力強いあのヴォーカルが耳に飛び込んできた、次の瞬間でした。
「えっ、ジュリー、今”
桜島”って歌った?」
と。
さらには
「”せんだい”・・・?”川内”か!”川内”・・・その次は何て言ってるの?」
たまらず僕は移動を中断して喫茶店に入り、コーヒーを注文するなり歌詞カ
ードを広げました。
誰 の ための 等閑な再稼働
G7 F7 G7 F7 G7 F7 G7 F7
桜島と川内断層
C7 F7 G7 F7 G7 F7
涙が出てきました。
ジュリーが、僕の故郷があんな状況に陥っている今ハッキリと、そのことを歌ってくれた、と思って・・・。
ご存知のかたも多いでしょうが、鹿児島県錦江湾にある桜島は、その名の示す通り元々は「島」の火山でした。それが「大正大噴火」(1914~1915年)と呼ばれる大きな噴火で大量の溶岩が流れ出た結果、東の大隅半島と陸続きになったのです。
実は現在、桜島の地下マグマがちょうど大正大噴火の時に近い容量にまで戻っていて、「10年以内に、100年に1度の大規模な噴火が起こり得る状態」であるとされています。問題は、研究でそういうことが分かっていても、またその時が近くなって予知ができたとしても、人力ではそれを止められないということ。しかも、どのくらいのことが起こるのかは、誰にも分からない。
そんな中、降って沸いた川内原発再稼働へのシナリオ。規制基準がどう、避難計画がどう、と机上のことを言う前に、もう二度と「想定外」は許されないのだ、と思わないのでしょうか?
去る3月18日、玄海原発1号機と島根原発1号機の廃炉決定のニュースが大きく報道されるその陰に隠れるようにして、原子力規制委員会は川内原発1号機の工事計画を認可しました。なのに、全国のニュースは廃炉決定の報道ばかり・・・。
工事計画とは、機器や設備が「想定される地震で」損傷しないか、などを確認するものだそうです。
「想定される地震」・・・?
安 全 言わない 原 子力委員長
G7 F7 G7 F7 G7 F7 G7 F7
福島の廃炉想う
C F G7 F7 G7 F7
「想定外」が起こった際の責任を被りたくないがために、「新たな規制基準は満たしています」とは言っても、「安全です」とは誰も言わない・・・国も、県も、原子力規制委員会も、もちろん電力会社も。
18日の工事計画認可を受けて九電は、1号機同様に審査に合格している2号機全体の工事計画認可を先送り、まず1号機の再稼働を優先させる方針です。
再稼働までには、使用前検査、保安規定認可、2号機の一部設備のみの工事計画認可(2号機の一部発電機が1号機の非常用と位置づけられているため)という段階が残されています。
そのひとつひとつの段階が今回のように、目立った全国的報道がなされないまま進み、いざ再稼働、という時だけ大きなニュースになってしまうのでしょうか。
だいたい、川内原発の避難計画で受け入れ先ともなっている隣県熊本の水俣市から「ちょっと待ってくれ」と声が上がっているというのに、立地県の鹿児島だけで話を纏めて再稼働実現なんて前例を作ったら、高浜だってなし崩しになってしまいますよ?
もちろん僕などは、2011年の福島第一原発の事故があったからこそそう思えているわけで、それまでは原発の是非など深く考えたことはありませんでした。
あの過酷な事故があって僕は、当然のように今後の日本は脱原発政策へと舵を切り、その方針で世界をもリードしてゆくとばかり考えていました。それが復興した日本を世界に見てもらうことにもなる、と。
ところが、今この国を動かす政治家や経済人達に、そんな思いは毛頭無いらしい・・・。
再稼働に前のめりに突き進む日本。その先鋒とされているのが川内原発です。
ジュリーは今回の新譜で、その川内原発のことを歌い、皆に伝えてくれました。
僕はこの新譜を購入する前日、7月からの全国ツアーの申し込みを済ませていました。同じようにされたファンのみなさまは多いと思うけど、10月の公演は渋谷を2日分申し込んで、どちらか片方だけでもなんとか抽選通ってくれ、と祈りながら・・・。
でも、いざ新譜を手にしてジュリーが「桜島」と歌うあの声を聴いた時、どうしようもなく鹿児島宝山ホールに行きたくなってしまいました。
何故、無理してでも発売日当日にショップに走らなかったのか。
まだ締切日まで余裕があったのに、何故焦って申し込んでしまったのか。
おそらく新譜購入とチケットの申し込みの順番が逆だったら、僕は週ド真ん中の平日公演である鹿児島宝山ホールへの遠征を決断していたと思います。
九電の思惑通りになれば、ジュリーの鹿児島公演がある10月には、川内原発再稼働が決定している可能性すらあります。そんなことはない、と信じているけど。
そうした状況だからこそ、この歌を故郷で聴きたい。
「保守王国」と言われ原発再稼働への反発が他立地県に比べて鈍い、ともされている僕の故郷は、真にそう言われるような状況なのか。再稼働に反対する人々の熱はどれほどのものなのか。
ジュリーの歌はどのように鹿児島のお客さんに届けられるのか。受け入れられるのか。
それを肌で感じたい、と思いました。
しかし既に渋谷を2日も申し込んでしまった以上、さらに鹿児島遠征などという贅沢はとてもできませんから、これも運命と思ってあきらめるしかありません。
こうなったら少しでも多くの故郷の人達に、ジュリーの歌を聴いて欲しい。少しでも多くの地元の一般の方々に宝山ホールのジュリーLIVEに参加して欲しい。
今はそう願うばかりです・・・。
まぁそんな個人的な感傷は別としても、やっぱり「3月11日発売」へのジュリーの拘り・・・僕も「発売日に聴く」ことに拘るべきだったなぁ、と反省しています。
いつもは忘れていて、3月11日当日(或いはその数日前から)になって初めて被災地を思う、なんてのは論外。毎日思っていて、じゃあその中で3月11日という日には何を思うか、考えるのか。
3月11日の朝刊紙はすべて、当然被災地への祈り、震災犠牲者の方々への鎮魂を1面で報じました。
ですがその中には、日々震災関連の報道を続けている中で改めてこの日は、という新聞もあれば、単純に「今日がその日だから」という新聞もあります。
これまで何度か書いたことがありますが、僕は自分が流されやすいタイプだと自覚しているので、新聞は可能な限り複数目を通すことを心がけています。そうすることで見えてくるものは、とても多いのです。
ですから、「戦争も辞さず」なんて識者(?)の論説が幅をきかせるまでに至ってしまった某有名新聞ですら日々目を通しますし、そこから学ぶこともあります。
それにしても・・・元々そうした主張の色濃かったその新聞については今さらの驚きは無いし、以前から把握していた個性ではあるけれど(僕の考え方とは随分違いますが)、他の新聞やメディアの中にね・・・「国に倣え」や「国の顔色伺い」への方針転換を強く感じることが、この数年で本当に多くなりました・・・。
さてそんな状況下、各新聞が一様に被災地への鎮魂を1面で報じた3月11日。
これまで『レベル7』と題した原発事故徹底検証の連載記事などで、日付関係無く震災関連の報道を高い頻度で1面に採り上げ続けてきた東京新聞は、3月11日朝刊1面でこのような写真を掲載しました。
高度9000メートルから夜明け前の国道6号を望む。
国道6号を走る切れ切れの車の灯りが、都心へと向かっています。点在する光の塊は、手前から東京電力福島第一原発、同第二原発、いわき市、水戸市。
そして一番奥の地平線・・・真夜中なのに煌煌と我が物顔で灯る密集した光が、本来薄い黒色であるべき地平線を、オレンジ色に染めてしまっています。これこそ、今僕が住んでいる首都圏の光。
あの原発事故の直後は、こうではなかったのです。今でもハッキリ覚えている・・・1時間かけて自転車を漕いで仕事から帰宅していた日々の、暗い夜道を。
節電しよう 節電を
G7 F7 G7 E♭
我慢 しますみんな 希望見つけるその日まで
G7 F7 C7 F7 G7 F7 G7 E♭
「節電しよう」なんて、身も蓋もない歌詞じゃない?と思ってしまうようなリスナーへ向けて、敢えてジュリーはこの詞をぶつけてきます。
ジュリーが突きつけたレッドカード。
覚悟を決めてグイッと踏み込んだその歌声は、予想を遥かに超える驚くべきものでした。
これは何なんだ?
66歳・・・?信じられない!
まるで、社会に激しい怒りを持った若いヴォーカリストにして詩人が、腕ききのバンドメンバーと共にその思いをすべてブチまけたデビュー・アルバムの1曲目ような歌声じゃないですか。
3’14”のシャウトなどは、正に10代のパンク・ロッカーのそれです。決して「キメ!」というシャウトではありません。つまり、この部分でシャウトを入れよう、という計算によるものではなく、思いを振り絞って歌っていたらそこで自然に叫んでしまった、という感じ。
この1曲目については、歌詞のコンセプトとして「怒り」が一番ストレートに伝わってきますね。
もう「それは違うんじゃないか」と歌う心境じゃない。ジュリーはとうとう「許さん!」まで行きました。それは近年、僕もまったく同じ気持ちでいました。
ただ、「反原発」や「世界平和」といったメッセージが、ジュリーの場合は大上段なアジテーションではないのだ、ということも僕は是非強調しておきたいのです。
世論を誘導しよう、というのではなく、ジュリーは一般市民としての自分、という素朴な目線で素直に歌っています。その上で、激しい怒りがあるのです。
トルコに押しつけ 羞恥の事実
B♭ E♭ G7 F7 G7 F7
リスクだらけ 世界基準
B♭ E♭ D
昨年4月の時点で基準値以上の汚染水が流れ出ているのが分かっていながら、公表もしなければ対策も練らなかった・・・最近になってそんな事実が明るみに出てなお、「ブロックされている」と強弁をふるうような国が原発輸出とは恥ずかしい。
ジュリーが「周知の事実」を「羞恥」と変換させたくなるのも無理はありません。
さらに、歌われるのは原発問題だけにとどまりません。
インドに擦り寄る 苦渋の米国
B♭ E♭ G7 F7 G7 F7
相互利益で安全保障
B♭ E♭ D
僕は最初、この「インドに擦り寄る米国」の歌詞部がよく分かりませんでした。
インドと言うと、中国と微妙な関係にあるからそれで?くらいのことしか思い浮かばなかったのです。
調べてみると、「そういえばそうなんだっけ?」とこれまで特に気にとめていなかったことを色々と思い出したり知ったりしました。
インドは、武器輸入大国なのですね。
そうしたことも絡めて、アメリカがそこに日本も巻き込んでの「日米印同盟」とも言
うべき関係構築を模索している、という情報もヒットしました。
相互利益で安全保障。
欲望全開の凄惨と傷悲。
なるほどこれか!と腑に落ちました。
日本の国民は未だに「武器輸出」と言われてもピンと来ていないと言うか、現実感無く遠い世界の言葉のように思っているふしがあります。
それをして「平和ボケ」と揶揄されるならば、あまんじて受けなければならないでしょう。日本がとうとう参入を決めた世界の軍事マーケット・・・武器輸出の解禁について、今具体的にどのようなことが進められているか、まったく興味を持たない人達が大多数、なんて状況がもし現実ならばね・・・。
日本政府は、今年10月をメドに「防衛装備庁」(仮称)なる防衛省の外局を発足させる方針を固めています。これが日本の武器輸出、輸入を一元的に管理するための新たな組織。防衛装備としての武器開発、製造に関わる企業の業績を伸ばす、という「成長戦略」の一環とされます。
「あなたの企業が作った武器をどの国に売れば良いか、段取り含めて国が仲介しますよ」ということを、この新設された組織が行っていくことになります。これは今年、現実に起ころうとしている話です。
こういうことも、興味の無い人にはまったく興味の無いことなのでしょうか。
「防衛装備移転三原則」なんておかしな呼称の法律制定により、日本の武器輸出が堂々可能になった時から既に、僕には世間の無反応に強烈な違和感がありますが・・・本当にこうしたことは、みなさまにとってどうでもよいことなのでしょうか?
「今、日本が満を持して世界の軍事マーケットに参入すれば、それを必要とする国々の関心、期待は当然高い。我々の技術は、このマーケットに無限の可能性を持っている。大きな利益を生み出せる。経済は活性化され、国民は潤う。しかも武器輸出先の国との関係も強固なものとなり、安全保障の観点からも大いに効果がある」・・・それが確実な自信なのか机上の過信なのかはさておき、理屈自体は分からなくもないです。経済界からの支持、期待も理解できます。
しかし、いくら「戦闘当事国への輸出はしない」と歯止めをかけたところで、輸出先を経由して日本製の武器や兵器部品が第三国へと渡ってゆく、という流れは当たり前に考えられること。
「そこまでは知らんよ」と放置するつもりならば、それはもう国益でなく「自分さえ良ければ」という私益でしょう。最終的には日本が「世界の何処かで戦争が起こっていないと困る国」になってしまいます。
あれほどの重大な原発事故を体験した日本が、「国益のために」トルコに原発輸出する、というのもその意味においては同じ話で、ジュリーは1番と2番の同じヴァースで「原発」「戦争」という2つの「欲望全開の凄惨と傷悲」を並べてきたのですね。
「核で潤う」
「戦争で潤う」
日本という国は、それだけはしちゃいけないと思う。
「凄惨と傷悲」という歌詞カードの印刷文字を見てどんな思いを持つか・・・この漢字使いは、ジュリーから聴き手への問いかけではないでしょうか。
最近は僕も、「経済」「潤う」「国益」という「甘い」言葉が飛び交ったらちょっと怪しいぞ、よく考えてみよう、と心がけてはいましたが、今回ジュリーが「苦いぞ」と言い切ってくれたおかげで、スッとしました。
痛快な気持ちにさせてくれるロックンロールの魂・・・「こっちの水苦いぞ」の歌詞と曲想って、実はピッタリ合っているんですよ!
それでは続いて、そのロックンロールな楽曲構成の考察へと移っていきましょう。
発売前の僕の予想は、過去の下山さん作曲のジュリー・ナンバーで言うと「終わりの始まり」のようなサイケデリックなハード・ロック、というものでしたが、案の定見事に外れました。
後に鉄人バンドの演奏考察で再度触れますが、僕はこの曲を最初に聴いた時、ドアーズを思い起こしたんですよ。ドアーズを想起したならば少なくとも「サイケデリック」という点は予想が当たったのかと言うとさにあらず。これは、ゴツゴツのハードなブルース・ロックを演奏する時のドアーズの雰囲気なんですね。
キレッキレの演奏から、特に彼等の5枚目のアルバム『モリソン・ホテル』を思わせます。僕はドアーズのアルバムの中では3枚目『太陽を待ちながら』とこの『モリソン・ホテル』の2枚が特に好きなのです(一般的に人気が高いのはファーストとセカンド)。
そう思っていたところに、いつもお世話になっている鉄先輩(←初めて使う言葉笑)からの経由でジプシーズの「渇く夜」という曲を教えて頂きました。
なるほど・・・と思える曲でした。今回の下山さん作曲の原型となっている曲かもしれません。
じゃあ「こっちの水苦いぞ」は「渇く夜」と大きく何が違うかと言うと・・・これはもう、変態転調ですな~。
今年も気合入れて採譜、清書しましたよ~。
いや~、毎年毎年採譜に手こずらせてくれます、下山さん。今年も素晴らしい変態進行(褒めてます)!
これ、ホント毎年そうなんですが、下山さんの曲は「あれっ、何処行くの?」みたいに戸惑いながらも、苦労して苦労して最終的にはすべて理解できる、というのが醍醐味なんです(泰輝さんの曲は難解過ぎて途中で採譜を挫折、というパターンも恒例だけど、今年もその予感が汗)。
ありがちな「G7」の進行かな、と思っているとバシバシ「E♭」「B♭」なんてコードが噛んでくるし、サビではいきなり「D」がキーのクリシェがあるし、ギターソロの間奏部だけ独立した鬼進行になるし、最後の最後にアコギが出てきてメジャーセブンで終わるし・・・。
えっ、隣に並べてあるスコアは何か、ですって?
これはね~。
こっちの水 苦いぞ
D D(onC) D(onB)
下山さんが大胆に転調させる(ト長調からニ長調)キメのサビ部。この不思議にメロディアスなコード進行・・・これのパターン知ってる、何だっけなぁ、としばし悩んだ後に「あっ、これだ!」と発見した、ビートルズの「ディア・プルーデンス」(『ホワイト・アルバム収録』)のスコアです。
「UNCLE DONALD」の時も思ったけど、下山さんは同じ和音のルートだけをクリシェさせるだけで、凄く美しいメロディーを載せてくるんですよね。
ちなみにこのサビ部、ヴォーカルとコーラスにウォール・サウンドばりの深いエフェクトが施されていますね。
ジュリーの声は、諭してくれているようにも聴こえるし、迷いや混沌を表現しているようにも聴こえるし・・・ただここで思うことは、サビに辿り着くまでに歌われたジュリーの言葉の厳しさを和らげてくれるかのような、とても心地よいヴォーカルだということです。
特に2番でのリフレインは、反響が徐々に深くなっているような感じ(実際は、コーラス・トラックが増していることによる効果)で、気持ち良く浸っていると、ジュリーの「お~!」というせり上がる母音が炸裂。次のギター・リフにまで重なります。これがカッコイイんだよな~。
この、唐突にニ長調のルート・クリシェに変化するサビもたいがい変態転調ですが、もっと凄いのは間奏。
いきなり変ロ長調(コード進行はE♭→B♭)、と思ったら3小節目は1音ぶんガクッと下降して変イ長調(進行はD♭→A♭)。これが2度繰り返されて、何事も無かったかのようにさらに半音下のト長調のギター・リフに舞い戻っていくという・・・。
下山さんって本当に「間奏で突然転調して平然と元のキーに着地する」という構成が好きなんですね。
それでは演奏について。まずは鉄人バンドの演奏トラックをすべて書き出してみましょう。
・エレキギター(左サイド)
・エレキギター(右サイド)
・エレキギター(センター)
・アコースティックギター
・キーボード(ベース)
・キーボード(オルガン)
・キーボード(ストリングス)
・ドラムス
・タンバリン
左右のギターは、ミックス配置から考慮し左サイドが下山さん、右サイドが柴山さんの演奏と推測した上で、まずは各ギター・トラックの考察から。
左サイドのギターの見せ場はやはりイントロから耳に飛び込んでくる、あの印象的なリフ・フレーズでしょう。
このリフは音階で書くと「ソ~ソファ、ソドシソ♪」となりますが、そこはギターという特殊な弦楽器、ただ音符の羅列だけでは表現できないニュアンスがあります。
ここでは、「ドシ」の2音をチョーキング・ビフラートで演奏していることが大きな特徴。
下山さんがこうしたフレーズを弾く際に、チョーキングのジャスト最高音(この曲のリフの場合は「ド」の音)よりほんの少しだけ低い音の鳴りをビフラートで強調するテイクは、「Pleasure Pleasure」でも見られました。
このような粘っこいチョーキング・ビフラートのフレーズ・リフから入る名曲は洋楽にも多くの例があり、僕の好きなものから1曲挙げるとすれば、これかな~。
あと、ト長調の曲なのにこのリフの「ファ」の音がシャープしない、というのも重要なポイントです。
ブルーノートの尖ったロックということですよ!
さらには「欲望全開の」から表拍で縦に刻むカッティング。これが2回し目から突如高いフレットでの演奏に移行します。それだけでガラリと曲全体の印象が変わるのですから凄いですね。
次に、右サイドのギター。
おもに表拍カッティングを左サイドのギターよりも軽快な歪み音で奏でるバッキング・パートです。
これはミックス位置を考えるまでもなく柴山さんの演奏でしょう。「うわ、柴山さんっぽい!」と感じたのは2番歌メロ直前の「ちゅくちゅくぎゅん!」ね。
これはそのすぐ前のリフ部がイントロとは変わって8分音符2発の頭打ちのアレンジに変化しているからこそ、休符部の間隙を縫っての炸裂が可能なのです。
問題はセンターにミックスされた間奏リード・ギターです。下山さんの作曲作品ですから、普通に下山さんが弾いている、と推測すべきでしょうが・・・音色、或いはコード・トーンに沿ったフレージングは、柴山さんの持ち味を強く感じさせるんですよね・・・。でも、自信はまったくありません(汗)。
このCDでのソロが下山さん、柴山さんいずれにせよ、「こっちの水苦いぞ」の3つのエレキギター・トラックをLIVE再現しようとした時、右サイドのパートを担当する人が間奏を弾く方が理にかなっている、ということは言えると思います。ですから、もしLIVEで下山さんの方が間奏ソロを弾くとすれば、その場合イントロからのリフ・フレーズは柴山さんが担当する(CDの左サイドのトラックの一部を柴山さんが弾く)ことになる、というのが僕の考えです。
と言いつつ・・・さて本番どうなるでしょうか。
泰輝さんのキーボードは3トラックあります。
この曲のアレンジで、ギター・リフと共に大きな肝となっているのがオルガンです。例えばAメロのヴォーカルの裏にアルペジオで鳴っているオルガン・・・これが
ドアーズの手法を思わせるんですよ。
また、このオルガンの音色と明快なギターリフの組み合わせは、60年代後半のロックンロールのエッセンスでもあります。お世話になっている先輩方の中に、この曲について「GSみたいでとっつきやすい」と仰る声がありました。それは、無意識に耳に飛び込んでいるであろうオルガン・アレンジからもそう感じておられるはずで、とても貢献度の大きいトラックだと思います。
対して、サビに登場するストリングス系の音は「隠し味」的な演奏ですね。エフェクトとの相性も抜群。
そして泰輝さんもうひとつの演奏トラックは、大活躍のシンセベースです!
昨年の「東京五輪ありがとう」を経て、どうやらジュリーと鉄人バンドの間で「本格的なベースライン」の音色導入は完全に解禁となった模様です。
「もしバンドにベーシストがいたらこう弾く」という演奏。普通にベーシストが参加したバンドの音としてこの曲を聴いても、何ら違和感のないトラックですね。
「東京五輪ありがとう」「こっちの水苦いぞ」・・・ベースライン導入の鉄人バンド・レコーディング・ナンバーがいずれもギタリストの作曲作品というのが興味深い。
柴山さんや下山さんがスタジオ・リハの段階で、「ベースの音が欲しい!」と泰輝さんにリクエストしている光景を妄想しちゃいますね。
GRACE姉さんのドラムスは、高いチューニングが刺激的。演奏者は異なりますが、チューニングだけでなくフレージング含め、『第六感』や『いい風よ吹け』のドラムスに近い魅力を感じます。
また、最後のギターリフ・エンディングで曲が一度ピタッ!と終わる瞬間の音がスネアでもタムでもクラッシュでもなく、スリリングなオープン→クローズのハイハットというのが最高にカッコイイ!
タンバリンは、1番、2番ともに「欲望全開の」から始まる歌詞部で登場。時々「サティスファクション」のリズム(「NOISE」のリズムとも言う)が飛び出しますから、試しに気をつけて聴いてみて!
さて、この曲のアレンジで何より驚かされたのが、忽然と登場するアコギ・アルペジオをフィーチャーした、最後の最後のコーダ部でした。
アコギは後から別録りしたトラックをミックス編集していると考えられます。演奏は下山さんでしょう。
一緒に鳴っているのはGRACE姉さんのリム・ショットか、それとも特殊なパーカッションか・・・リム・ショットだとすれば、ドラムス・トラックと同一で一気に演奏されているのかもしれません。
本当に不思議な終わり方ですよね。初めて聴いた時はみなさんビックリされたでしょう。
アコギのアルペジオは「D」のコード・ヴァリエーションになっていて、4弦開放での「レ」の音を土台に、2、3弦のフレットを移動させているようです。ロン・セクスミスの「レス・アイ・ノウ」という曲を思い出しました。
最後の和音は「Dmaj7」。しかし音の理屈は分かっても、このアレンジが何を意図するのか、というのは僕にはまだ分かりません。いかにも下山さんらしい「標高の高さ」というのは感じるんですけどね。
そこで、7月からのツアーで大きな見どころのひとつとなるのが、この曲のエンディングがどう再現されるのか、或いは構成を変えてくるのか、という点。
コーダ部を割愛してGRACE姉さんのハイハットと共にピタッ!と終わらせるのか、それとも下山さんがエレキで最後のフレーズを演奏してくれるのか。(あ、さすがにこの曲でアコギ・スタンドの導入は、いかな霊力の使い手でも無茶だと思います笑)。
こうして色々と紐解いていきますと、やっぱり鉄人バンドの作曲、演奏、アレンジは本当に素晴らしい、と改めて思います。究極を言えば、鉄人バンドがついているからジュリーは凄い詩人になったし、今回の新譜のような歌が歌えるのではないでしょうか。
歌われている内容は激しい怒りだけれど、「こっちの水苦いぞ」は、まずゴキゲンなロック・ナンバー。ツアーで、お客さんはどんな感じでノるのかな?
曲想から自然に考えれば、この曲にはヘドバンが合います。ギターのカッティングに合わせて、首を縦にガンガン振るパターンですね。
でもジュリーLIVEの客層をイメージすると、そうはならないかもしれない・・・。とすれば、やっぱり表拍の連続手拍子かなぁ。1小節に4打。こちらは会場内の光景までハッキリと目に浮かんできます。
僕はどちらのスタイルもウェルカム。会場の先輩方に合わせますよ~。
今から、生歌、生演奏でこの曲を聴くのが楽しみです!(全曲楽しみですが)
それでは
次回更新は引き続きジュリーの新譜から、2曲目「限 界 臨 界」を採り上げます。
詞の内容を考えると、少なくとも次回2曲目考察記事までは、政治的なテーマについての私見もある程度は書かなければならないなぁ、と覚悟しています。
僕は普段から楽曲お題の新しい記事を書く際、まず自分の書きたいことをバ~ッとランダムに下書き状態で溜めていって、後にそれらを文章で繋げて清書する、ということをしています。
最近のジュリーの新譜はどれもそうだけど、いざ「文章を繋げる」時に、溜め込んである下書きでの自分の言葉遣いが「すごくきつい表現だな」と思えてしまうことが本当によくあって、手直し手直しでなんとか平穏な言い回しに、という作業が生じとても時間がかかります。
ジュリーが「(歌詞を書いていて)被災者のみなさんの心が痛むかな、と思ってだんだん柔らかい言葉になってくる」と語ったことがありましたよね。やっていることのレベルは比較にならないと分かっていても、ジュリーのそんな気持ちはすごくよく分かるなぁ、なんて思っています。
それに僕の場合は臆病だから、「叩かれるかな」「誤解されるかな」と怖れながら手直しをしている部分もあります。それでも僕はこの新譜を深く心に刻みたいし、みなさまがどう感じたかを教えて頂きたいし、そのためには僕自身ができる限りの気遣いもしていかないとね・・・。
政治的なことを書くと、いつもこのブログを読んでくださるみなさまの中にも、つまらないなぁと思ったり、考え方の違いで眉をひそめたりする人も多くいらっしゃるのでしょうが、今回ジュリーがここまで踏み込んできた以上、僕も今は「自分の考えをキチンと正直に書こう」という気持ちが大きいです。
執筆には時間がかかり更新間隔が空いてしまうかもしれませんが、気長に更新をお待ちくださいね。
『お嬢さんお手上げだ 明治編』が始まっていますね。
僕は観劇予定がありませんが、全公演が予定通りに無事開催され、大盛況、大成功をもって楽となることを心から祈っています。
ジュリーの音楽劇はこの後、火曜日に鹿児島公演なんですね。金曜日に熊本公演があるということは、ジュリーはずっと南九州に滞在かなぁ。この季節はデコポンです。ジュリーにたくさん食べて欲しいです。
これからこのブログでは新譜の記事が続き、重い雰囲気を感じることもあるかもしれませんが、音楽劇各地公演のみなさまのご感想なども、よろしければコメントに書いてやってくださいませ・・・。
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コメント
DYさん、お邪魔します。
実は、私にとって、この曲は最難関だったんです。私の場合、ジュリーが歌う社会的テーマを既に知っていて、ある程度、考察も深めていることが、今のところ例外なくありました(某大新聞だって、現政権になる前は、いい新聞だったんですよ。でも、最近、あまりにも、マイナスの側面が大きくなってきてしまい情報量が激減)。原子力問題も、私は東海村JCO臨界事故の時から考えてきました。そんな私にしてみれば、この曲の詞は『知ってるよ』と思うことばかりで、突っ込みどころも満載、としか感じられませんでした。
でも『どうして、ジュリーは、この詞を、こんなにノリノリのロックで、こんなにカッコよく歌うのだろう?』と考えているうちに、この曲、このサウンドにあのような詞を乗せた理由が分かりました。
ゴキゲンなロック・ナンバーだからこそ、ジュリーは♪欲望全開の生産と消費ずっと 続けるの?♪と歌うんです。DYさんにとっては違うかもしれないけど、ジュリーの世代にとって、ロックンロールは「欲望と消費」を反映した音楽だったはず。そんな音楽で、敢えて「欲望に歯止めをかける」ことを歌うのは、ジュリーのアーティストとしてのけじめなのではないか、私は、そう思います。
次回の記事も、楽しみにしております。
投稿: 74年生まれ | 2015年3月21日 (土) 16時30分
74年生まれ様
ありがとうございます!
本文にも書きましたが、ジュリーが社会性のあるテーマを詞にする時、それは旗手的なアジテートではないと僕は感じます。
ですから「我が窮状」にしても2012年からの新曲群にしても、目線はジュリー自分自身にあります。僕はこんなことを思っている、という詞です。理詰めで誰かを説き伏せよう、という詞ではないですから、反対意見も活発に出るでしょう。
「自分はこう思うからジュリーがここでこう言っているのは違うんじゃないか」という意見含めて皆が「考える」ことが活発になるのなら、ジュリーの詞はそれで生きることになるのではないでしょうか。
ジュリーの社会派の詞に対して、少なくともこうしてブログに記事を書く僕が「突っ込みどころ満載」なんてふうには言えません。違う考えを提示するならともかく、そういう評価はジュリーの歌をきっかけにこれから何かを知ろう、考えよう、勉強しよう、という人を委縮させてしまうことに繋がるからです。
たとえ何か知らないことがあっても、今この国の状況で「考える」ということを真っ当にし、態度で表し、自分の意見をハッキリと、堂々と言えるジュリーを僕は尊敬します。
今回、「バカにしない」がジュリーの重要なキーワードだと思っています。そのあたりは次回書きます。
投稿: DYNAMITE | 2015年3月21日 (土) 18時55分
DYさん、再びお邪魔します。
結果的に、偉そうなコメントを書き込んでしまい、大変失礼しました。でも、最大限やわらかい表現で書いたつもりだったんです…。
この曲が「考える」きっかけになれば、うれしいことなのですが、私が知っているジュリーファンには、購入したものの聴く気持ちになれず、ライブで聴く日を待っている方が何人かいらっしゃいます。もちろん、購入してすぐに楽曲に向き合った方も数多くいらっしゃいます。でも、ライブ独特の雰囲気に助けられないと向き合えないジュリーファンも存在することも確かなのです。
ジュリーがライブ映像を残してくださるのが一番よいのですが、ジュリーが、それをしていない現状では、傲慢な物言いになっても、私は、今年の新作も、1人の聴き手として評価したいです。
投稿: 74年生まれ | 2015年3月21日 (土) 21時14分
DY様 こんばんは。
音楽的なウンチクはまだ十分理解しておりませんが、私もとりあえず曲はいいな、とほっとした一人です。(笑)
ジュリーの詞が一般ピーポーに受け入れがたいであろうことは、3.11以来今に始まったことではありませんが、それでも出来れば多くの人に聴いてもらえたら、という想いはありますので。
ジュリーはずっと、歌いたい歌をどうしたら業界の掟に縛られず歌い続けることができるかを模索してきました。
そしてDY様のおっしゃるとおり、特異な立ち位置に身をおくようになったのですが、分かる人だけわかってくれればいい、というのとは又違うと思うのです。
「想い」を広く伝えるのが歌手ですから。
「原発」はまだ造るのは早すぎたと思います。少なくとも放射能の安全な処理法が確立されるのを待つべきだったのではないかと。
桜島に原発って一体そもそも何を考えてんだか・・・。
新譜、私は10日にフラゲしましたが、11日になってから聴きました。(去年は10日にすぐ聴いたけど)
投稿: nekomodoki | 2015年3月21日 (土) 21時22分
こんばんは。
新譜の記事スタートですね。
LIVEが始まるまでの間、
また様々なことがあることでしょう。
素人なので音楽的なことは
わからないことも多いのですが、
最後の曲の記事まで読ませて頂いて
生で聴くのを楽しみにしたいと思います。
LIVE日程を見ると、
神奈川は鎌倉芸術館となっていました。
鎌倉芸術館もりっぱなホールですが、
いつもの県民ホールではないのがちょっと残念・・・です。
投稿: m・h | 2015年3月21日 (土) 22時04分
こんにちは ありがとうございます 今回 何人かに 是非と 手渡ししました
詞が 受け入れがたい人がいるのでしょうか
ずーと ジュリー」の
言葉 詞 詩 に 支えられています
今回 特に レッドカードと私も思いました
これでもか ストレートなジュリーの 講演 好演 に 文面から 十分に 怒り 悲しみを 感じます
まわりの ジュリーファンも そうでない人も 3月8日の雲 からの 詞に 共感多数です
ジュリーと 同世代だからでしょうか
関西にいて 東日本に 何ができるか このジュリーを 聴き 是非 あなたも と
それも ひとつ
時事的 メッセージ的 楽曲が アレルギーあるようのでしょうか
日々 新聞色々 ニュース 社会 世界 未来 地球
環境 などに 関心もち 生活 してれば ジュリー
の 文言 解り 共感 できるのでは
ジュリーも 生活者 社会人 としての 感覚を 大切に している大人 です
投稿: びわこ | 2015年3月22日 (日) 12時20分
74年生まれ様
ごめんなさい。74年生まれ様を非難する意図はありませんでした。言葉が足りず申し訳ありません。
ちょうど次の記事で書こうと考えていたことと少し重なるお話でしたので、先走って整理できていないことを書いてしまいました。
僕は、次曲「限界臨界」に出てくる「馬鹿にしない」という歌詞の主語…つまり「馬鹿にしてきた側」にジュリー自身も含まれていて、「もう自分はそんなことはしない」とジュリーが強い決意を持って歌っている、と感じています。
何故僕がそう感じたか、そこからどんなことを考えたかについては次の記事で書きます。しばらくお待ちくださいませ…。
☆
nekomodoki様
ありがとうございます!
今回、4曲ともまずメロディーや演奏、アレンジが心に沁みると言いますか、「ジュリーの歌」らしい曲が集まったなぁという印象です。
ジュリーは今こそ、ファン以外の人にも聴いて欲しい、伝えたい、と思ってこの新譜を作ったのかな、と思えるんですよ…。使命感というのとは違って、歌を歌う者の根本に立った、というのかなぁ。もちろん今までもそうだったと思いますが、今回は真にそれを始めた第1作というのか…お正月LIVEで「不言実行」と語ってくれたことからそう思えるのかもしれませんが。
僕の鹿児島の実家は、距離的にはちょうど桜島と川内原発の中間くらいです。
鹿児島の新聞では天気の欄に必ず「今日の風向き」の予報が載り、予報が北向きですと、桜島の降灰に備えます。
備えるのが灰だけでも憂鬱なのに、万一のことが起こったら…と思わずにはいられません。
☆
すみません、お返事一度切ります。
投稿: DYNAMITE | 2015年3月23日 (月) 09時01分
m・h様
ありがとうございます!
仰る通りです…これから全国ツアーが始まるまでの間、色々なことがあるでしょう。
ジュリーに対しても、色々と言う人も出てくるかもしれません。これほどのことを歌ったのですからね…。
音楽劇もそうですが、全国ツアーについても「変な政治的圧力や妨害で、場所によっては公演そのものができなくなってしまうことがあるのでは」などと最悪な事態すら考えてしまうほどに僕は臆病ですですが、日本はそんな国ではない、とも信じています。
今年は神奈川県民ホールが無いのですね…。
また僕の場合は、カミさんの実家と地の利が良い琵琶湖公演があれば関西遠征も考えたと思いますがそれも無く…寂しい思いもありますが、全公演無事に行われ、各地のお客さんがジュリーの歌を聴き、大成功でツアーが締めくくられることを祈っています。
☆
びわこ様
ありがとうございます!
今年のツアーはあの素晴らしいびわ湖ホール公演が組まれておらず寂しく思われていることでしょう。僕も、びわ湖はスケジュールさえ合えば、と楽しみにインフォを待っていただけに残念です。
まったく仰る通りです。ジュリーは一国民として、一生活者として、真っ正直に本音で歌ってくれていますね。
興味を持ち日々考えていればこそ共感もできますし、知らない人にも、ファン以外の人にも丁寧に伝えたい、一緒に考えていきたい、というジュリーの気持ちをより強く感じる今年の新譜でした。
☆
昼休みにみなさまのコメントを拝見しながら記事を読み返していて、文中の自分のあまりの誤字の多さに呆然としております(泣)。
特に、1箇所「こっちの水苦いぞ」が「そっち」と書かれていることに気づき、大変恥ずかしく思っておりますが、帰宅するまで修正できません…ごめんなさい。
投稿: DYNAMITE | 2015年3月23日 (月) 13時13分
DY様へ
Deepな御伝授、感謝致します!
気骨稜稜と「不言実行」・・・
昨秋からの? 想い…“意志”を…キッチリ! 正月コンのセトリで伝えてくださったジュリー。
掴みの1曲目? の後…2曲目『明日』・3曲目『希望』、そして、特別席? “第9曲目”に『ひかり』を持ってきた“意味合い”が今頃になってヒシヒシ伝わって来ています。
ジュリーの楽曲にインスパイア? …合唱曲『ヒカリ』から
♪枯れた大地に独り・・・ あるのは焼けた月・・・
もしも 花々が咲き乱れ・・・ そんな世界がかえってきたら 生命(イノチ) 育む太陽へ手をかかげ 大地とともに喜びの叫びをあげよう 「この小さな思い 守り続けると今誓おう ぬくもりと光あふれる地球(ホシ)に生きる そのために 〜 」 * 抜粋
私は合唱曲好きが高じて? …ジュリーの楽曲にリンク(*インスパイアかな?)する合唱曲ばかり集め、一日中、飽くことなくBGMで流すことも・・・ ♪緑の地球に 遍(アマネ) く 平和と幸せを届けるために〜(*『決意』)
♪ややこしいことなんか ないんだけれどね〜『緑色のkiss kiss kiss』が基本です!
ところで、先日、“2012年の新譜”1曲目『3月8日の雲』から順番に聴いて居たら!?
4曲目『カガヤケイノチ』と“2013年の新譜”1曲目『Pray〜神の与え賜いし』…4曲目『Deep Love』と“2014年の新譜”1曲目の『三年想いよ』…4曲目『一握り人の罪』プラス『みんな入ろ』と“2015年☆今年の新譜”1曲目☆『こっちの水苦いぞ』・・・ それぞれ、見事にリンク…繋がっていることに気づきました〜
今年も“中庸”で“まやかしのないジュリー”の作詞によって(*固有名詞バンバンなれど?)“真実”の人間愛と矜持が展開され、上質な鉄人バンド各人の作曲と演奏に相まった歌唱は、兎にも角にも“高い次元”で…これぞジュリー! 本当にスゴイ!
来年も又? 今年の新譜4曲目の『涙まみれ・・・』に繋がる歌詞で始まるのかな?
投稿: えいこはん | 2015年3月23日 (月) 15時42分
えいこはん様
ありがとうございます!
お返事遅れて申し訳ありません
そうそう、そうなんですよね。確か僕も「PRAY~神の与え賜いし」の記事で、「寡黙」というフレーズの共通から、これは「カガヤケイノチ」の続きの曲ではないか、ということを書いたと思います。
さらに「Deep Love」と「三年想いよ」、「一握り人の罪」と今回の「こっちの水苦いぞ」…繋がっていますよね。ジュリーは意志を持ってそのようにしていると思います。
今年の4曲目は「涙まみれFIRE FIGHTER」…重く悲しい曲ですが、来年のタイトルチューンに、どういうふうに繋がってゆくのでしょうか…。
投稿: DYNAMITE | 2015年3月25日 (水) 19時39分