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2015年2月

2015年2月28日 (土)

沢田研二 「生きてる実感」

from『耒タルベキ素敵』、2000

Kitarubeki

disc-1
1. A・C・B
2. ねじれた祈り
3. 世紀の片恋
4. アルシオネ
5. ベンチャー・サーフ
6. ブルーバード ブルーバード
7. 月からの秋波
8. 遠い夜明け
9. 猛毒の蜜
10. 確信
11. マッサラ
12. 無事でありますよう
disc-2
1. 君のキレイのために
2. everyday Joe
3. キューバな女
4. 凡庸がいいな
5. あなたでよかった
6. ゼロになれ
7. 孤高のピアニスト
8. 生きてる実感
9. この空を見てたら
10. 海に還るべき・だろう
11. 耒タルベキ素敵

-------------------------

お久しぶりでございます。
仕事の決算期も無事片付きまして・・・やれやれという感じで2月が終わろうとしています。
単に忙しかった、というだけでなく・・・今月は色々あったのですよ~。ジュリーがステージで語ってくれた「無難」ということがどれほど有難いか・・・個人的にはそんなことも考えさせられた2月だったのです。

2月末日の今日は、予約していたポール・マッカートニー来日公演、東京初日チケットの発券日でした。
チケットぴあ先行予約に良席などまったく期待せずにいましたが・・・不肖DYNAMITE、生涯4度目のポールLIVEにして初めてアリーナ席を授かりました。やった~!
おかげさまで、ゴキゲンに更新しております。

ということで。
”『昭和90年のVOICE∞』セットリストを振り返る”シリーズも本日の第5弾をもっていよいよラスト。
大トリに採り上げる曲は、2009年『奇跡元年』以来となった「生きてる実感」・・・なんですが、ちょっと個人的な近況などにも触れざるを得ないタイミングで(はからずも?おあつらえむきに?)この曲を書くことになりましたので、枕もそこそこに、いきなり考察本文に入りますよ~。
アルバム『耒タルベキ素敵』から、伝授!

ここ数週間の自分の気持ちとリンクしたせいもありますが・・・やっぱりこの曲、まずは歌詞なんですよ。何をもって「生きてる実感」なのか、というね。
人間の持つ、様々なマイナスの感情。実はそれこそが「生きてる」実感なんだとGRACE姉さんの詞はひとまず僕らに諭し伝えてくれます。究極を言えば、「痛い」とか「悲しい」とか「苦しい」とかいう気持ちは、イコール自分が「生きてる」証なのだ、と。

ポップなメロディーに載せて描かれているのは、「魂」の有りようとしての「生きてる実感」なのですね。
マイナスな感情、と言っても色々あると思うけど

そう妬み 嫉み うとましいコトも
   F             Am                   D

きっと生きてる実感なんだ ♪
        F         G            C

僕は「妬み」「嫉み」「うとましい」といった感覚には、かなり鈍感なタイプです。「うらやましい」はあるけど、それはむしろ暖かいプラスの感情として。
じゃあマイナスの感情とは無縁の人生かと言うと、(当たり前ですが)決してそんなことはなくて。物事がうまくいかず落ち込む、という日々もまぁ人並みにはあるのでしょうし、この2月後半はもっと具体的な形でね。
ちょうどこの「生きてる実感」について考察している正にそのタイミングで、僕は「肉体的現実」のマイナス感情・・・「痛み」「苦しみ」の中にあったのでした。

いや、今となってはそんな大げさな話でもないんですけど・・・。実はこの間の水曜日に、人生2度目の内視鏡検査(胃カメラ)を受けてきたばかりなのですよ。

2週間くらい前に、ふと身体の不調に気がつきました。
最初は、お茶やコーヒーなど熱い飲み物を飲むと、それがちょうど胃に到達したあたりのタイミングで、「じ~ん」としみるように感じたんです。最初は気に留めていなかったのですが、何度も頻繁にそういうことが起こるので「ありゃ?」と。
すると翌日には、朝食のパンを食べていて・・・飲み込んで、次のひと口を食べようとしたあたりで「クイッ!」とみぞおちがつかえるような感触。要は、食べたものが胃に入っていく時に引っかかるような感じね。
これは初めての体験。
いやぁ凄いストレスですよ、食べ物をおいしく飲み込んで数秒経った瞬間に「ウッ!」と来る、というのは。だんだん「食べる」ことが怖くなってくる・・・幸い今回の僕の場合は1週間ほどでその症状は消えたのですが、あれが続いていたら本当に大変でした。

さすがに「これは変だ」と思って

「熱い飲み物が胃にしみる」
「食べ物が胃につかえる」

というフレーズでネット検索してみましたら・・・「胃」と書いて検索したにも関わらず、両フレーズ共に最初の1ページ目でヒットするのは、食道の重大な病気でした。加瀬さんや桑田さんと同じやつです。
発症リスクなど読んでも、僕には心当たりのあることばかり・・・。20年以上の喫煙経験、辛い食べ物、刺激の強い食べ物の常習摂取経験、さらには「猫背」なんてのもあってビックリ。
これはマズい。全部当てはまる・・・独身時代のメチャクチャな生活習慣のしっぺ返しが、早くも来たのか!

すぐ病院に行き内視鏡検査を希望したのですが、今の世の中、胃カメラも順番待ちでゴッタ返しているんですねぇ。2つ病院に行って、より早い予約を決めたんですけど、それでも10日待ちですよ。
その間の不安な日々・・・そんな気持ちを抱えながら「晴れのちBLUE BOY」のようなハッチャけた曲の記事を書き上げるのはなかなか大変でした。

ようやく予約の日が来る頃には先述の自覚症状も治まってきていて、検査の結果は十二指腸、胃、そして一番心配だった食道も「綺麗ですよ」と。
内視鏡でも血液検査でも所見が無い以上、なんらかの原因で一時的に胃か食道の働きが落ち、症状が表れた、としか考えられないようです。

とりあえずは良かった良かった、という人騒がせな話なんですが、いくら2度目とは言え涙、鼻水、涎、汗すべてが噴き出る胃カメラは、やっぱり辛かったです。
鉛筆くらいの太さの長い管を飲み込むわけですからねぇ。僕の場合は管が喉を越えて下がった瞬間から延々と嘔吐反射が続くタイプらしくて(抜く時が辛い、という人も多いみたいですが僕はそれは平気)、先生と一緒にカメラ見る、とかお話するとか絶対無理。
それでも2年前より楽だったように感じるのは、経験なんでしょうね。みなさまの中には胃カメラの経験がまだ無くて、「怖い」と検査を躊躇う人もひょっとしたらいらっしゃるかもしれないけど、その「怖さ」の半分以上は「未知」からくる感情だと思って間違いないです。

賢いね歳月は 瞬間の連続だ
G       C          G       C

でも揺れる 笑う いとおしいコトも
   F               Am                    D

実に生きてる実感なんだ ♪
      F         G            C

僕は今回の検査の結果が大事無かったからこんな呑気なことを言えるのかもしれませんが・・・「生きてる実感」という曲は確かに「苦しみ」「痛み」こそが生きてる証である、と歌ってはいるけれど、当然それは「楽しさ」「嬉しさ」も同様であって、要は人生、経験(瞬間)の連続なんだ、と。
30代にしてこの境地を詞に書いたGRACE姉さんは凄いです。客観的、と言うより神秘的だと思う・・・そしてそんな詞が50代のジュリーの歌人生にシンクロする不思議。双方にとって、また聴き手にとってそれもまた「生きてる実感」なのですね。
不思議なこと、合点のゆくこと、納得できないこと、色々あるけれど、長く人生やってる人はそれだけで凄いということですよ。GRACE姉さんも、身近に素敵な人生の先輩がたくさんいたからこそ、ジュリーにピッタリのこうした詞が気負いなく書けるのではないでしょうか。

僕も2年前に「初めて胃カメラ飲んだ」と言った際、たくさんの人生の先輩から体験談、今後のアドバイスなど様々なお話を伺うことができました。その中で大阪の先輩が「ダースベイダーみたいな呼吸を心がけると楽」と仰っていたのを今回の検査直前に思い出し、実践してみました(笑)。
ホント、ずいぶん楽だったと思います。何事にも先達はあらまほしきことなり、です!

「生きてる実感」=「すべての感情を経験値として血肉とすること」なのかなぁ、と不安に揺れたこの2週間の中で僕は考えましたがいかがでしょうか。

それでは僕の私事に基づく勝手な歌詞解釈はこの辺にして、次は音について考察していきましょう。
まずは、『耒タルベキ素敵』収録曲についてはお馴染みのテーマ・・・「オマージュ元探し」から。
このアルバムでは収録曲ごとにそれぞれ洋楽などのオマージュ・アイデアが散りばめられていますが、じゃあ「生きてる実感」の場合は何か、と言いますと。
結構分かりやすい・・・これ、コーラス・アレンジがビーチボーイズですよね?

例えば・・・僕はビーチボーイズよりもビートルズを先に知ったクチですが、ビートルズの「バック・イン・ザ・USSR」という曲のコーラス・ワークがビーチボーイズのパロディであることは有名です。
その「バック・イン・ザ・USSR」のサビ部とまったく同じコーラスが、「生きてる実感」にも登場するのです。

馬鹿ですね人間は 毎日が反省だ ♪
G              C         G        C

ココね。
『昭和90年のVOICE∞』では、この部分でジュリーが上手側(だったと思う)に進出しながら、「ポン!」と掌を頭に当てる仕草など視覚的な見所があって音の記憶が怪しいんですが、きっと柴山さんやGRACE姉さんがキッチリとコーラスをキメてくれていたのでしょう。
あぁ、DVD録りが復活すれば、そうした細かい見せ場も復習できるのになぁ・・・。

作曲はコレクターズの加藤ひさしさん。
僕はコレクターズについてはまだ全然語れないレベルだけれど、昨年ピー先生と二十二世紀バンドのLIVEを機に出逢ったJEFFさん(オレンジズ)の音楽性に深く関わっているモッズ・パーソンということで、加藤さんはこのところ一層気になる存在です。ちなみにJEFFさんは最近、ベーシストとしてコレクターズの正式メンバーとなったそうです。
加藤さんについては、キンクス関連本への寄稿などは昔からよく読んでいて、洋楽の好みが自分に近い人なのかなぁと考えていました。それをタイミング良く実証してくれたのが、『ロックジェット Vol.60』の企画”みんなが選んだ「私の大好きな60曲」”です。
加藤さんが選んだ60曲は、まずビートルズの王道ナンバーが並び、その後にキンクス、ストーンズと続くんですけど、ストーンズで真っ先に挙げられている曲が「シーズ・ア・レインボウ」って!
これはねぇ・・・コード・マジックを熟知している作曲家ならではの選曲だと思うんですよね。
加藤さんの愛するネオ・モッズの楽曲では特に、「ロックンロール定番のスリー・コードしか使っていないのに、何故こんなにポップでメロディアスなんだ!何故こんなにサイケでフラワーなアレンジがハマるんだ!」と驚嘆する名曲が多いのです。ストーンズの「シーズ・ア・レインボウ」はその元祖のパターンと言って良いんじゃないかな。

「生きてる実感」は、スリーコードのネオ・モッズよりさらにポップ寄りのコード進行とメロディー。

君にどうしようもない嘘をついては
      C                                G

今日に  追われたり
       Dm  F            C

言い訳ばかりが先回りをして
       C                           G

ヤケに  黙り込む ♪
       Dm  F        C

メロディーの肝は、やはりファルセットを採り入れていることでしょう。ジュリーのファルセットの歌い方って、決して「得意」ではないだけに独特なんですよね。
1番の中でも「嘘をついては♪」と「先回りをして♪」では全然「裏声」のニュアンスが違ってて、母音が「ア行」の時はファルセットの一歩手前と言うのか、地声に近い感じの抑揚になります。
加藤さんが狙ったのは、ビートルズ「恋する二人」のサビみたいな「ア行」感覚だと思いますから、ジュリーのヴォーカルには「やった!」と思われたのでは?

素直な直球のパワーポップ・コード進行が続く中、変化のヴァースと言えるのが

倦 怠は迷い 偽善は憮然だ
E♭ F      C   E♭  F        C

あああ 生きてゆく 気付く度に ♪
E♭ F             C    E♭  F    C

というブリッジ部。
でも、実はこの展開も王道なのです。ジュリーwithザ・ワイルドワンズの「涙がこぼれちゃう」であの吉田Qさんも採用した「胸キュンポップ」パターン。
「涙がこぼれちゃう」は嬰ハ長調ですが、キーを半音下げてCに移調すると、ブリッジ部の進行は

過ちだらけでもいい
E♭ F             C

あなた以外いないもん Come on baby、yeah ♪
E♭             F                                  C

と、「生きてる実感」とまったく同じであることが分かります。ギュッと気持ちを掴まれる進行なんですよ。
「生きてる実感」の場合は、音圧を退いたりテンポをダウンさせたりとハッキリヴァースの区分をしているので、再びサビに戻った時の躍動感が(特にLIVEでは)ハンパなく、パワーポップ職人の加藤さんとジュリー・ヴォーカルの組み合わせはやはり相性抜群です。

個人的には、この曲のアレンジ最大の肝はアップテンポの曲で敢えてガッシャンガッシャンと弾き倒すアコギだと思っていて、今回『昭和90年のVOICE∞』での下山さんの生演奏再現は、特に心に残っています。

本当に素晴らしい名曲ですが、他の曲と同様に「今回が最後なのかもしれない」と寂しい思いもあります(と言っていると全国ツアーのセトリにシフトされる、というパターンがDYNAMITEクオリティー)。
それだけに『ロックジェット Vol.60』で、ズバリこの曲のジュリーのジャンプを見事捉えた写真がド~ンと載っているのを見た時は、本当に嬉しかったなぁ。
ジュリー66歳、あんなに高く跳んでいたんだね・・・。


それでは、オマケ(寒中見舞い)です!
『bounce』2000年10月号の記事をどうぞ~。


200021

200022

200023

200024

200025


それでは・・・素晴らしかった『昭和90年のVOICE∞』の余韻に浸る記事も、今日で終わり。
寂しいですけど、「終わらなければ始まらない」のですからね。いよいよ3月11日には今年の新譜『こっちの水苦いぞ』がリリースされますし。

新譜発売までに、曲の内容予想はもちろん、いくつか記事更新したいところなんですが・・・そこまでの時間がありますかどうか。
とにかく今年も新譜の考察記事執筆には途方も無いエネルギーを使うことになるでしょうから、その前にテーマの全然違う過去楽曲の記事でもひとつ、書いておきたいところなんですけどね~。

季節は三寒四温に入りました。
みなさまも気温の変化には充分お気をつけください。胃カメラを2度飲んだ程度で人生経験積んだ気になってる僕に、ガツン!と現実を思い知らせるような痛烈な新曲が届けられる(であろう)3月11日まで、僕も引き続き体調に気を配りつつ、穏やかに過ごしたいと思います。

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2015年2月19日 (木)

沢田研二 「晴れのちBLUE BOY」

from『ROYAL STRAIGHT FLUSH Vol.3』
original released on single、1983


Royal3

1. どん底
2. きめてやる今夜
3. 晴れのちBLUE BOY
4. 背中まで45分
5. 6番目のユ・ウ・ウ・ツ
6. ”おまえにチェック・イン”
7. 麗人
8. ス・ト・リ・ッ・パ・-
9. TOKIO
10. サムライ
11. 勝手にしやがれ
12. あなたへの愛

---------------------

色々と重なってしまいなかなか下書きの時間がとれず、ほとんど一気書きの更新です。いつにも増して粗っぽい文章になってると思う・・・ごめんなさい。

まずは旬の話題から。
もちろん、みなさまはもうとっくにご存知、ジュリーの今年の新曲のことです。
とにかくファンとしては嬉しい情報なのだけれど、「待ちに待った」と正直に言うにはどこか躊躇われる感覚・・・そんな「重さ」も感じるんですよね。オフィシャル・サイトのデザイン更新とも併せ、あの新譜のジャケットは正に「不言実行」の象徴ですよ。

この真っ赤な色のジャケット・デザインについて、個人的に思うところを少し書かせてください。

このデザインをして、「赤」=「左」などと結びつけあれこれ言う人は出てくるでしょう。しかし、大阪弁護士会の対談記事からも分かるように、ジュリーはもう「あれこれ言われる」こと、誤解されることを気にしている場合では最早(世の中が)無い、と考えていると思われます。

では、この「赤」の狙いは何なのか。
僕がふと思いだしたのは・・・。

僕は大学時代非常に貧乏独り暮らしの生活を送っていて、そのくせバンド活動などやっていたものですから、出ていくお金もそれなりに多い。必然何処かに無理が生じ、公共料金を滞納して遂には供給ストップを食らったことがあります。
みなさまはそんな経験は無いと思いますが、僕の体験上言えることは、「ガスや電話などは料金滞納すると即座にストップするけど、水道と電気だけは簡単には止まらない」と。これ当時の豆知識ね(汗)。
では、水道はどのような段取りを経て止められてしまうのかと言いますと・・・。

まず、「○月○日までにお支払い頂けない場合は、やむをえず供給を止めさせて頂きます」という内容の、結構な長文が書かれた青いデザインの紙が1枚、ポストに投げ込まれます。
「そう言われても、無い袖は振れん!」と無視して生活を続けるDYNAMITE。支払指定日を過ぎましたが・・・おや、水道はまだ止まりません。
その代わり「未だにお支払い頂けておりません。今度こそ○月○日までにお支払いを・・・」といった感じの、前回よりもちょっとだけキツめの文章が書かれた黄色いデザインの紙が届けられます。
それでも無視。水道はまだ止まりません。
すると・・・「何度も督促していますが未だにお支払い頂けません。今度こそ、○月○日までにお支払い頂けない場合は・・・」という、かな~りキツめの督促状が、赤いデザインの紙で届けられます。
それを無視しますと・・・指定された日の翌日、いきなり水が出なくなります。

つまり、「赤」というのは最終警告の色。

今年のジュリーの新譜は
「これ以上放置したら、本当に大変なことになりますよ」
という警告なんだ、と思いました。
「放置」とは「思考停止」と同義と僕は考えます。それをリスナーひとりひとりが身につまされる・・・収録4曲すべてが、そんな内容なのでは。

毎年3月11日という特別な日にジュリーが新曲をリリースするようになってから、4枚目の作品です。
タイガースファンの先輩、YOUさんに教わった言葉・・・「4年目というのは、励ます側があきらめてしまわぬよう気をつけないといけない年だ」。
もちろん『Pray For East Japan』を3年でやめてしまうジュリーではありません。4年目も同じコンセプトで、さらにはそこに『Love And Peace』『NO NUKES』がガツン!と加わっていることは間違いないでしょう。

CDタイトルは『こっちの水苦いぞ』。
全4曲の収録曲のタイトル、作曲クレジットも分かりました。鉄人バンドのメンバーが1曲ずつ作曲、ジュリーが詞を載せる、という手法は変わっていません。

3曲目「泣きべそなブラッド・ムーン」は間違いなく昨年の南相馬公演でジュリーが見た、感じたものを歌ったバラードだろうと確信しているけど、他の曲はなかなか予想が難しいですね。
1曲目「こっちの水苦いぞ」、2曲目「限界臨界」は反原発ソングでしょう。ただ、加えて今の日本の舵取りをしている人達へ投げかける痛烈な反戦メッセージ・ソングでもあるのかも・・・と考えています。
「この道しかない、なんて思考停止ですよ」
僕はこの言葉が今年のジュリーの活動の根本にある、と思っていますからね。
「人々の思考停止を強いる」者への警鐘が、きっと今回の新曲には強く込められてくると考えます。
4曲目「涙まみれFIRE FIGHTER」は過酷で辛い仕事に取り組むファイヤーマン(消防士)の歌で、おそらくジュリーが新聞か何かで知った「3・11以後」に深く関わる実在の報道記事が題材になったのかなぁと考えますが、具体的に、と言われるとサッパリ・・・。

いずれにしても僕は、どんなド直球だろうが剛速球だろうが、受け止める覚悟はできています。
とても不遜な言い方をすれば、僕は今「ジュリーと自分の思考のベクトルが一致している」感覚があります。こんなことは、ジュリーファンになって初めてのこと。

さらに、ここ3年で僕はもう、ジュリーの作詞とヴォーカル、鉄人バンドの作曲、アレンジ、演奏を「リリース前から完全に信頼している」状態。今年もまた、発売直前に新譜の内容予想の記事を書くかもしれません(余裕があれば)。
やっぱり・・・新譜が「楽しみ」なんですよね。とても厳しい内容なのだろうけど、今年もまたジュリーの新曲が聴ける・・・それがどれほど幸せなことか。
きっとみなさま、同じ思いでしょうね。


とりあえず今は、ジュリーの新たなメッセージを心待ちに、そして覚悟を決めつつ・・・粛々と”『昭和90年のVOICE∞』セットリストを振り返る”シリーズを進めてまいりましょう。
今日はその第4弾。

”ジュリー祭り”以来久々に採り上げられた、エキゾティクス期のシングルです。
「晴れのちBLUE BOY」、伝授!

間違いなく名曲であり、邦楽ロックの歴史的な1曲です。ジュリーの状況について言えば、セールスの落ち込みが取り沙汰され始めた時期のシングルではありますが、同年の「きめてやる今夜」、翌年の「どん底」「渡り鳥 はぐれ鳥」と比べファンの支持も高い1曲のようですね。

「晴れのちBLUE BOY」がリリースされたのは僕が高校生の時でした。頻繁ではなかったにせよ何度かテレビで「ジュリーの新曲」として観たこともあります。
当時の正直な感想は
「なんか・・・難しい曲だなぁ」
というもの。
今でこそ、と言うか10年ほど前に『ROYAL STRAIGHT FLUSH Vol.3』のリマスター盤で聴いた時には、これほどのレベルの高いビート・ロックを、しかもキャッチーなシングルとしてジュリーが1983年の時点で世に送り出していたのか!」と衝撃を受けたわけですが、ようやく「ロック」に足を踏み入れたばかりの10代半ばの少年にとっては、とにかく難解な「アイドル・シングル曲」でした。

言いたいことは ヤシの実の 中 ♪
C    B♭ C   B♭      C     B♭ C  B♭

延々と繰り返されるこのフレーズが、素晴らしくハイセンスなサビメロなんだ、ということをDYNAMITE少年は残念ながらまったく理解できませんで・・・「1本調子でしつこいなぁ」と感じていたものでした(恥)。

しかしこれは、とんでもなく高度なロック・ナンバーなのですね。こんな曲でシングルを切れる「アイドル」は当時いや現在、未来に至るまでジュリーだけだったでしょうし、ファン以外のの一般リスナーがこの曲をどう評価するかで、その人達のロックへの理解度が計れる、とすら言えそうです。
セールスが今ひとつだった、という結果が示す中に、「1983年当時の日本人のロック性がまだ未熟であった」ことは要因として挙げられると思います。

しかし皮肉なことに、ジュリーの「晴れのちBLUE BOY」を「隠れた名曲」たらしめたのは、日本の一般リスナーのロック性がまだまだ低かったあの年にリリースされていたからこそ、なんですよね・・・。

Blueboy9_2


↑ 今回の参考スコアは『YOUNG SONG』83年6月号。
  このジュリーの写真、珍しくないですか?

この曲についてよく聞くのが、オマージュ元としてのアダム&ジ・アンツ。これかな?

う~む、確かにビートはそっくりですが・・・
メロディーもコード進行もヴァースの構成もアレンジも全然違いますからねぇ。これはオマージュと言うよりも、作曲家或いはアレンジャーが「若干インスピレーションを受けた」くらいのレベルだと思います。例えば他のジュリーナンバーで言いますと、「バイバイジェラシー」(オマージュ元=ロックパイル)、「Tell me...blue」(オマージュ元=プリテンダーズ)などの曲とは「参考」の比重が違います。

ただし、アダム&ジ・アンツようなニューウェーヴの手法をもって、ビート主体のロック・ナンバーをトップ・アイドルであったジュリーが83年の時点でシングル・リリースしていた、という事実は驚愕のひと言。
大沢誉志幸さんのジュリーへの作曲提供の功績たるや、凄まじいものがあります。

ジュリーはいわゆる80年代の「スペキュレイティヴ」なムーヴメント・・・政治的反体制、警鐘的社会性としてのニュー・ウェーヴ音楽の思想の影響を受けた作品は当時まったくリリースしていない歌手です。
それが今やニューウェイヴとかそういう枠組みを超えたところで社会派の楽曲を掘り下げリリースしている・・・というのもジュリーの歴史の一筋縄ではいかない部分ではありますが、とにかくジュリーの周囲のスタッフは、「思弁性」はさておき「音」の先取り感については非常に速かった、長けていた、と。

「晴れのちBLUE BOY」は、ビート主体の邦楽ロックが市民権を得た目安となる作品、佐野元春さんのアルバム『VISITORS』よりも早くリリースされています。
これは声を大にして言いますが、シングルで言うと「TOKIO」から「晴れのちBLUE BOY」までのジュリーは、間違いなく邦楽ロック・セールスの先鋒を常に切り開き続けているんですよ。
「晴れのちBLUE BOY」がセールス的に今ひとつだった、という見方はあくまで「ジュリー・セールス」を物差しにしてのことで、ロック・ナンバーのセールスとして「晴れのちBLUE BOY」のようなタイプの曲がチャートに食い込んだ、ということを重視すべきなのです。
もちろん後追いジュリーファンの僕がそれを理解したのはずいぶん後になってからのことですが、当時そうしたことが音楽メディアで一握りしか語られていない、音楽論として多岐に渡り形に残っていないことは、本当に不可思議な現象と言わざるを得ません。

さて、まだまだ幼かった僕のような者の当時の感想はさておいて、長いファンの先輩方は、リリース当初のこの曲にどのような印象を持たれたのでしょうか。
ジュリーと同い年の先輩曰く


このヘンテコな詞と曲を流れるように歌うジュリーは、本当に素敵

あぁ、そうだ・・・僕は「難しい」と思ってしまったけれど、「ヘンテコ」というのは本質を突いています。悪い意味ではないんですよね。「ヘンテコ」な詞と曲を流れるように歌うなんて、当然ながらどんな歌手にでもできることではありません。

ビート・ロックの先取りについては既に書きましたが、83年という時代の洋楽ロックの流れを正統的に汲むならば、そのビートに「額に皺寄せる」ような哲学的、社会派の歌詞、メッセージを載せた方が、実は「安全牌」だったはずです。
しかし「晴れのちBLUE BOY」の歌詞は・・・。

フ  ライ パンは   ハムエッグより
C  B♭  C   B♭  C   B♭    C  B♭

僕  の  頭     とよく会っ た ♪
C B♭  C B♭   C  B♭ C

ブッ飛んでいますね。
どなたか、この歌詞のこのフレーズはこういうことで・・・と曲全体を完全解説できるものならばして頂きたい(笑)。結局これはニューウェーヴ?カルチャーロック?
いや、そんなジャンル・カテゴライズは無意味。
この数年で僕は、ジャンルとして「ジュリー>ロック」なのだ、と何度考えさせられ打ちのめされたことか。僕が気づけていなかっただけで、ジュリーはず~っと前からそうだったんですね。


先述の先輩はさらに、今回の「晴れのちBLUE BOY」を生で聴いて、今度は「ノンポリシー」が聴きたくなったと仰います。この2曲は兄弟のようだ、と・・・。
これまた本当によく分かる感覚だなぁ。とっ散らかり感の気持ちよさ、ですね。

では、ジュリー自身は当時この曲についてどういう感覚を持っていたのでしょうか?
参考資料として、『ヤング』83年5月号から4ページ分のショットをご紹介しましょう。

830501

830502

830503

830504

ジュリーよりもむしろ、プロモート側がゴリゴリに推してきている(衣装含めて)感じを受けますね。

83年あたりからCO-CoLO期にかけてのインタビューを読むと、この頃ジュリーは自らが歌う曲に内容の必然性を求める気持ちと、「大ヒットが欲しい」という気持ちとがせめぎあっていたようです。
そういう意味では「晴れのちBLUE BOY」の場合は、プロモート戦略の上で、じゃあ調子に乗ってハジけてみよう、というスタンスだったのでしょうか。ジュリーでなければ成立しない曲であること・・・「これは俺が歌う歌やろ!」という自負はあったんじゃないかなぁ。

今はもっと達観していて、「ヘンテコな、面白い曲やったな。久しぶりにまた歌うか!」という感じで、『昭和90年のVOICE∞』セットリスト入りを果たしたのかな。
さほど頻度は高くないけど、数年に1度くらいのペースで歌われていく曲のような気がしてます。

今回のセトリ入りに関しては、「ねじれた祈り」「A・C・B」と共に、「スウィング」な選曲でしたね。
「晴れのちBLUE BOY」は、リズムを分解してゆくと、最終的には明確な3連符の単位が残ります。これが「DOWN」「睡蓮」あたりとは少し異なる点。
『昭和90年のVOICE∞』で実際にお客さんが手拍子でそうしていたように、3連符の裏拍にアクセントがあるんですね。セトリの曲順で同じ裏拍アクセントの「ねじれた祈り」へと繋がっていくスリリングな展開は、ジュリーも狙って選曲したのだと思いますよ。
今回のステージの盛り上がりも、やっぱり「晴れのちBLUE BOY」から「ねじれた祈り」へとなだれ込む瞬間が最高潮だったと思います。そこに3連符のリズム・アクセント・・・「スウィング」が一役買っていたわけです。

必然、演奏難易度も高い曲ですが・・・先のLIVEで僕はほとんどジュリーの姿しか記憶に残っていないんですよ。あのセットリストの流れから、ジュリーが完全に躍動のスイッチを入れてきた!とハッキリ分かりました。動き回るジュリーを手拍子しながら追いかけていると、鉄人バンドの演奏に気づく余裕も無くなってしまって。
ただ、だからこそ!なのです。だからこそ、鉄人バンドの演奏は素晴らしかったと言い切れます。ベースレスでこのビート、このアレンジを再現していて、何の違和感も無かった、ということなのですから。

せめてもの追体験、と思い「晴れのちBLUE BOY」が歌われているツアーのDVDを後日、観直しました。
2002年お正月『糸車のレチタティーボ』での下山さんのバッキング・ギターが凄いです!(今とは立ち位置が逆で、上手側右サイドから聴こえてきます)
激しくワウワウさせる部分、フラットで切り刻む部分、音の表情の変化が男前ですね~。

それにしても・・・今も鮮やかに思い出せます。
『昭和90年のVOICE∞』初日渋谷公演のこの曲、サビ直前の一瞬の隙間で繰り出されたジュリーのジャンプ&ハイキック。会場が「うわあ~っ!」と驚嘆の声に包まれましたよね~。あの素敵な一瞬を、いつまで脳内映像だけで保存しておけるやら・・・。
また5年後くらいに歌ってくれる・・・かな?


それでは、オマケ(寒中見舞い)です~!
まずは『ヤング』83年6月号から!

830601

830602

830603

830604

続いて7月号から!

830701

830702

830703

830704


そうそう、最後になりますが、「晴れのちBLUE BOY」についてはちょっと素朴な疑問が。
僕はジュリー堕ち数ヶ月の時点で、B面曲の音源欲しさにポリドール期のシングル・コレクションBOXを購入したんですが、あの中に「晴れのちBLUE BOY」のディスコ・ヴァージョンがボーナスCDとして入ってるじゃないですか。
まぁ音的にはいかにも当時流行の12インチ・シングル仕様で、別段魅力的なヴァージョンというわけでもないとは言え、貴重なテイクであることは確か。

当時はこれが実際にディスコでかかったりしてたのかな?てか、普通に12インチ・シングルとしてレコード発売されてたんですか?
もしそうだとしたら、例えばB面はどうなっていたのかなぁ、といった感じで疑問が尽きないんですよね・・・。


それでは次回更新でいよいよ”『昭和90年のVOICE∞』セットリストを振り返る”シリーズもラスト。
お題は、「生きてる実感」です。新曲リリースの前に、次回記事でひとまずの区切りとします!

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2015年2月13日 (金)

沢田研二 「嘆きの天使」

from『愛まで待てない』、1996

Aimadematenai

1. 愛しい勇気
2. 愛まで待てない
3. 強いHEART
4. 恋して破れて美しく
5. 嘆きの天使
6. キスまでが遠い
7. MOON NOUVEAU
8. 子猫ちゃん
9. 30th Anniversary Club Soda
10. いつか君は

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ちょっと更新感覚が空いてしまいました。
寒い日が続いたせいなのでしょうか・・・実はまた腰痛が(汗)。いや、昨年の『三年想いよ』ツアー直前の「魔女の一撃」のような酷い状態ではないですけど。
相変わらずの胆石に加えて、四十肩復活の兆しも・・・いや、もう五十肩なんでしょうけど(泣)。
同じ年齢の年にジュリーが、「ジジィを意識しないと」と語っていたのを実感するこの頃です・・・。

気を取り直しまして、まずは枕に旬の話題から。
多くのジュリーファンのみなさまはとっくにご存知でしょうが、中野の『まんだらけ海馬店』さんが、6日から『ジュリー祭り』を開催、数々の貴重な音源作品、写真集、パンフレットなどが店頭に並んだようです。
普段からやりとりさせて頂いている先輩方もお店を訪れたようで、お話によれば、おおむね入手困難度がそのまま商品価格に反映されていたとのこと。
そんな中、CD『単純な永遠』が3000円(同時期の他アルバムは7000~8000円とか)というのはかなりお買い得なのでは、と思ったのですがいかがでしょう。

先月、『まんだらけ海馬店』さんでの”ジュリー祭り”開催の情報を得た時に僕は、開催2日目の2月7日土曜日(カセットテープのレアもの販売が告知されていました)に行ってみよう、と考えていました。
そしてその際に、凄まじい漫画蔵書を持つ中野在住の友人に山田花子さんの『嘆きの天使』を借りて帰る、という段取りを目論んでいたのですが・・・。

フライングして、先月行ってしまいました!
その日はまだ特にジュリー関連商品がメインに押し出されてはいませんで、通常の品並びの日だったわけですが、何故そんなに焦って訪れたかというと。
フォーラムが終わってすぐの頃、関西にお住まいのケンケンジ姉さんが「試しにまんだらけのネット通販で買い物してみた」と、『愛まで待てない』のパンフレット無事購入!をお知らせくださったのです(さらには後日、フォーラムに遠征されていた長崎の先輩も翌日中野に立ち寄り、同店で『act 宮沢賢治』のパンフを購入された、と仰るではありませんか)。
僕はジュリーの公演で一体何年までツアーパンフというものが存在していたのかも知らなかったほどの白帯ファンですが、「普通営業の日でもジュリーのパンフがお店に並んでるのか!」とフンコーし、すぐにでもこの目で物色したくなった、という次第。

ということで、去る1月24日に急遽中野へ!


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4Fに『まんだらけ海馬店』さんがあります。
長いジュリーファンの先輩方は、「中野ブロードウェイ」と聞いただけでフンコーするのだそうですな~。

「1月24日」と言うとジュリーファン的には特別な意味を持つ日付ではありますが、お店はいたって普通の営業。でも、通常モードの日でも結構な数のジュリーアイテムが並べられていましたよ。ツアーパンフ、写真集、雑誌、ポスター、そしてシングル・レコード等々。

その中から僕はツアーパンフ4冊に合計1万円をはたき購入(パンフの価格は2000~3000円)しました。
一番の掘り出し物は、84年(3月~8月)全国縦断ツアーのパンフでしょうか。これは以前先輩宅で見せて頂いたことがあったのですが、とにかくずっしり、規格外サイズの超豪華版!僕が見たことのあるパンフの中では一番デカいです。
どのくらいデカいかと言うと・・・。

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その他、持っているので購入はしませんでしたが、『ス・ト・リ・ッ・パ・-』『ミスキャスト』のツアーパンフが3000円で販売されているのを見かけました。このあたりは、かなりお得な値段じゃないかな~。
いずれにしましても今回購入したパンフは、先輩方からお預かりしている様々なお宝資料と共に、関連お題記事執筆の際に随時ご紹介してまいります!


てなことで、まだ山田花子さんの漫画は読めていない状態ではありますが、”恒例・セットリストを振り返る”シリーズ第3弾の今日のお題は、「嘆きの天使」。
今回の『昭和90年のVOICE∞』セットリストの中でも特にレアな選曲だったと言って良いでしょう。
アルバム『愛まで待てない』から、伝授!

とにかくこの曲、「CD音源に忠実にバンドの生演奏でステージ再現されたのは初!」という・・・今回はとても歴史的なセットリスト入りだったわけです。
そこでまずは、CDオリジナル音源のアレンジ特性と、過去LIVEで採り上げられた際の「嘆きの天使」の演奏再現の様子をDVD映像で振り返り比較してみることから、楽曲考察にとりかかりましょう。

アルバム『愛まで待てない』の歌詞カードには各収録曲ごとの演奏クレジット掲載があるので一目なのですが、「嘆きの天使」はいくつかのキーボード・テイク以外のトラックを、シンセサイザーのプログラミングによる打ち込み音でレコーディングされています。
ドラムスについては当初、3’28”あたりのフィルは生演奏で重ねているように聴こえていたものでしたが、どうやらすべて打ち込みのようですね。
一方、ベースは分かり易い。同じシンセベースでも「恨まないよ」「東京五輪ありがとう」などで泰輝さんが弾いている「擬似ベース」とはまた違う、シンプルなリズム・アクセントのフレージングですから、打ち込みのドラムスにも違和感無く溶け込んでいます。

そんな「嘆きの天使」、第1回目のセトリ入りは当然1996年。収録アルバム『愛まで待てない』ツアーです。
ドラムス、パーカッション、ベース、そしてキーボードの一部をCD通りの打ち込みオケで再現。ポンタさんと弦楽器メンバーは重厚なコーラスに専念します。
遅れてきたジュリーファンの僕は過去ジュリーLIVEのアレンジをすべて把握しているとはとても言えませんが、ここまで打ち込みのオケをフィーチャーしステージ再現された曲はこの年の「嘆きの天使」と、ジュリワンの「渚でシャララ」、唯2つしか知りません。

ダンスに重点を置いた「渚でシャララ」はともかく、「嘆きの天使」のようなバラードでこのようなスタイルが採用されたことがあったとは、意外な感じもします。
でも、それ故にこの時のジュリーのヴォーカルは凄まじいですし(本来ドラムの手数が増え音圧が強くなる部分を、声ひとつで厚みを持たせる表現は神!)、バンドメンバーによるコーラスも素晴らしいです。
ツアー前には相当な回数のリハーサルが重ねられたのではないでしょうか。

また、CDとまったく同じ打ち込み音のオケとは別に、泰輝さんが生演奏するキーボード・パートについては、(これは「敢えて」だと推測しますが)音色やフレーズをCDとは変えてきています。
一番分かり易いのはイントロのピアノ。
CDと比べて明らかに音符の数が増え、細やかで流麗なフレーズになっています。
泰輝さんは最近のLIVEでも、「我が窮状」のピアノをツアー後半になるに連れフレーズ変化させてくることがあります。もしかすると1996年の「嘆きの天使」でも、ツアー前半はCD通りの演奏で、その後徐々に手数が増えていったのかもしれません。この辺りはタイムリーでツアー参加していない僕には分からないことで・・・悔しいなぁ。
また、CDとは音色もフレーズも雰囲気をガラリと変えた間奏での重厚な低音演奏はド迫力。このシーンでは、若武者・泰輝さんの”斜め45℃体勢”に近い入魂のお姿を映像で確認することができます(傾き自体は今の方が凄いけど、上半身や肩の動きが猛々しい!)。

続いて2度目のツアー・セトリ入りは2003年のお正月コンサート『Love & Peace』で、こちらはGRACE姉さんによる生演奏のドラムスが聴けます。
ただし、この時はキーボードが不在。ですからイントロ最大の肝であるピアノのフレーズ(CDで最初に聴いた時、『鳥人戦隊ジェットマン』のエンディング・テーマ「こころはタマゴ」を思い出した・・・要は「カノン」っぽいメロディーだということなんですけど)を、柴山さんがエレキのリード・ギターで再現しています。
結構ディストーションを効かせていて、全体的にオリジナル音源のキラキラ感とは別物の、パワー・ポップ・バラードなアレンジに進化していますね。

特筆すべきはこの時のセットリストの配置。
『Love & Peace』は、セトリ前半がアコギ・アレンジ、後半がエレキ・アレンジと完全にバンド・アンサンブルが色分けされています(厳密に言うと、アンコールもアコギ、エレキで2曲ずつ)。
曲想だけを考えると、「嘆きの天使」のようなバラードはいかにもアコギ・コーナーに振られそうなものですが、実際には何とこの曲が後半のエレキ・コーナーの1発目なんですよね~。
これもおそらくオリジナル音源の「打ち込み」アレンジが関係しています。あの音を完全に生のLIVEで再現しようとした時、機械的な(良い意味で、ね)パーカッション装飾の音色とアコギの生音って、たぶんケンカしちゃうんですよ。その点、当時キーボードレスでなければ、色々やりようはあったのでしょうが・・・。

さぁ、そこで!
「色々やりようはあったはず」の実現の時が、2015年お正月にやってまいりました。
「嘆きの天使」は、リリースから20年近い時を経た『昭和90年のVOICE∞』で、いよいよ「生音による完全再現」の機会を得たのです。

今回ジュリーがこの曲を採り上げた理由は分かりませんが、僕には2つほど考えていることがあります。
ただ、それを語るにはその前に、この曲の根本のお話をしなければいけないでしょうね。

『昭和90年のVOICE∞』で歌われなければ、ひょっとすると僕は永遠に知らずにいたのではないか、と思われる「嘆きの天使」の作詞にまつわるエピソードを、今回先輩に教わることができました。
作詞は覚和歌子さん。しかしこの詞は、事前にジュリーから覚さんへの具体的なコンセプト提示があったというのです。ジュリーがトークショーでその経緯を語ってくれたことがあるんですって。
「我が窮状」或いは2008年の『ジュリー三昧』でのお話は特別な例外として、そんなふうにジュリーが自らの楽曲作品について制作動機を語ってくれるのって、本当に珍しいことですよね。

コンセプトとなったのは、同タイトルの漫画作品『嘆きの天使』の作者、山田花子さん。ジュリーと覚さんによる打ち合わせから生まれた詞だったようですね。
山田花子さん・・・恥ずかしながら僕はまったく知らないお名前で、すぐに漫画通の友人に尋ねてみたら、「『嘆きの天使』、持ってるよ」と。漫画だけでなく音楽活動もされていた人だったそうで。
いつかはその友人に借りて一読しようと思っていますが、今回の記事執筆には間に合いませんでした。

そんな中、交流のあるJ友さんに、山田さんに深い思い入れを持つかたがいらっしゃいました。
そのJ友さんは僕よりもずっと若く、ジュリーファン歴は僕と同じくらい。ですからジュリーの「嘆きの天使」が山田さんの同タイトル作品からインスパイアされていた、と知ったのは、正に今回『昭和90年のVOICE∞』でこの曲が採り上げられ、ファンの間で歌詞制作の経緯が話題になって初めてのことだったと仰います。
感激はもちろん、ショックもあったそうです。当たり前ですよね・・・自分の大好きな人が、自分の大好きな人の短い生涯を歌っている、ということなのですから。

僕としては、今回「嘆きの天使」の考察にあたって「これは、漫画の方も読まなきゃとても記事にならないなぁ」と当初考えていたのが、そのJ友さんが書かれた文章を拝見したことでスッと整理されたというのかな・・・「あぁ、こんなに深い思いを持つかたがいらっしゃるんだ。僕などが慌てて作品を読んで表面的なことしか書けずに終わるより、ずっと良かったんだ」と思えました。

ジュリーは自分のことを「特別な人」だとは考えていないかもしれません。でも、「人の痛み、苦しみに共感できる強さは持っている」とは思っているような気がします。ファンから見て、あれほどハートが強い人はそうそういない・・・そしてそういう人は、逆境に弱っている人、痛みに苦しんでいる人に気持ちが向かうものなのかなぁ、とも思います。
この3年の新譜が、正にそうじゃないですか。
そんなジュリーだからこそ当時、山田さんのことを歌いたかった。自分で作詞するとあまりに直情的な歌になるかもしれない、と考えて、覚さんにコンセプトを託した・・・そういう流れだったんじゃないかなぁ?

さらにそれは、八島さんのメロディーからのインスパイアもあったと思います。

『ジュリー三昧』での「MENOPAUSE」の解説によれば、ジュリーはある日新聞で「男性にも更年期障害がある」という記事を見つけ、「そういえば心当たりが」と思い至り、いつかそのテーマを歌詞にしたいと狙っていて、「これだ!」と思ったのが
「意外や激しい曲だったんですよ~」
と語っています。
つまり、少なくとも近年のジュリーは、日頃から「歌いたいこと」のアイデアを溜めておいて、新譜のメロディー(或いはテンポ、アレンジなどの概観)を耳にした時の「これがその曲だ!」というひらめきを元に、新しい歌の制作に向かっていくというスタイルなんですね。

「嘆きの天使」では、「山田さんのことを歌いたいなぁ」と考えていたジュリーの気持ちと、八島さんの用意した瑞々しいバラード新曲がシンクロしたのでしょう。
同じく『ジュリー三昧』での「YOKOHAMA BAY BLUES」の解説から推察されるように、八島さんはジュリーに曲を提示する際、ある程度までアレンジ・アイデアを含んだ仮テイクをレコーディングしているようですから、「嘆きの天使」=「厳かなレクイエム」という感触は、ジュリーが最初に聴いた時にはもう既に雰囲気としてあったんじゃないかな。

で、『昭和90年のVOICE』で「嘆きの天使」が採り上げられたこと・・・それについての僕の2つの考えとは。

ジュリーが「緑色の風のkiss kiss kiss」を届けたいと歌った(僕はこれこそが今回のツアー・セットリスト全体のコンセプトだと思っています)その先・・・「悲しみの世界」には、一体どれほど多くの”嘆きの天使”がいたのか、いや今なおいるのか、ということ。
今なお、悲しみ、苦しみの淵にどれほどの天使の魂が沈んでいるのか、と・・・。

の    ぼり         つめ た
B♭  B♭(onA) Gm  Gm7

あ     おい              空
Cm7  Cm7(onB♭)  Cm7(onA) Cm7(onG) F7

き    みは        風を
B♭ B♭(onA) Gm  Gm7

 

抱    き               しめた
Cm7 Cm7(onB♭)  Cm7(onA) Cm7(onG) F7

そこ に楽園    は   ないと知っていて ♪
E♭ F7   Dm7  Gm  Cm7  F7         B♭

セットリストを決めた時点でどう考えたかはともかく、ジュリーはいざ今ツアーのステージで「歌う」場ではそんな思いを持っていたんじゃないかなぁ。でなければ、ジュリーのあの溢れる感情は説明し難い。
1996年よりも、2003年よりも今回はずっとずっと慟哭の、嘆きのヴォーカルだったじゃないですか。
”嘆きの天使”というフレーズ、歌詞にジュリーの新たな解釈が加わっていたのではないでしょうか。

そしてもうひとつ。
これは音のことなんですけど・・・ジュリーには、「90年代の三大打ち込み名曲」というのがあって

・「AFTERMATH」(『REALLY LOVE YA !!』)
・「緑色の部屋」(『←sur』)
・「嘆きの天使」(『愛まで待てない』)

いずれも、収録アルバムを引っさげての全国ツアーでは、オリジナル音源の忠実な再現を重視し、打ち込みオケの導入によって披露された3曲です。

このうち、「緑色の部屋」が昨年お正月LIVE『ひとりぼっちのバラード』で採り上げられ(サプライズでした!)、鉄人バンドの素晴らしい生演奏により完璧に甦ったことは記憶に新しいですね。
そして今回、「嘆きの天使」。
泰輝さんもGRACE姉さんも、本当に素晴らしかったです。僕は初日にはこの曲の細かい演奏までチェックする余裕は無かったのですが、フォーラムでは今か今かとイントロを待ち構えていました。GRACE姉さんの美しい生音のハイハット・・・忘れられません。

ジュリーは毎年の新譜について、「できる限りLIVEで再現される音に近い仕上がり」を求めているようです。
普通であれば、「録音とLIVEは別物」と考え、レコーディングでは多くの音を重ねるなど、より綿密に装飾されそうなもの。しかしジュリーの考え方はそうではないんですね。そうでなければ、ツアー・メンバーから依知川さんがいなくなって最初のアルバム『俺たち最高』がベースレスのアレンジになるはずがありません。

その一方でジュリーは、「生音」への思い入れも強いと思うんですよ。本来「LIVE歌手」として真髄を発揮し、そこに自らの歌人生を賭けてきた人なのですから。
ですから、(ほぼ僕の邪推だとは思うけれど)過去に已む無くLIVEで「打ち込み」オケに頼ってしまったナンバーについて、「今こそ、鉄人バンドならばできる!」と考えていたとしても不思議ではありません。
几帳面なジュリーらしく、1年に1曲ずつ・・・。

ということで僕は、来年お正月LIVEでの「AFTERMATH」セットリスト入りを勝手に期待しています~。


さて、それでは今日もオマケの寒中見舞い・・・と行きたいところなんですけど、現時点では手元に96年の資料がありません(『DORA』のパンフは、昨年執筆した「キスまでが遠い」の記事でご紹介済み)。
『まんだらけ海馬店』さん販売の『愛まで待てない』のパンフはケンケンジ姉さんが、『ACT・宮沢賢治』のパンフは長崎の先輩が、タッチの差でお買い上げ(笑)。

ですので今回はオマケ無しですみません・・・その代わり、次回のお題記事では奮発しますよ~。
『昭和90年のVOICE∞』”セットリストを振り返る”シリーズ第4弾は、「晴れのちBLUE BOY」を採り上げたいと思います。どうぞお楽しみに!


P.S.
みなさま、『ロックジェット Vol.60』はもう購入されましたか?
音楽出版物についてだけはささやかなコネを持つ僕は早々にフラゲしまして、みなさまより少しだけ先に、ニマニマしながら過ごす日々を送らせて頂いています。

佐藤睦さんのレポートは回を重ねるごとに進化(深化)していますし、何より今回、写真が素晴らしい!

もう50年近くも継続して、休むことなく全力で歌い続けてきた66歳の偉大な歌手が
ただつっ立って懐メロを歌うのではなく
まして座って歌うことなど1度もなく
シャウトし、走り回り、飛び跳ね、拳を突き上げ、全22曲をほぼノンストップで歌った


それこそが、1月20日東京国際フォーラムでの真のジュリーの姿であったことが、今回の『ロックジェット』さんのすべての掲載写真から伝わってきます。
一家に一冊、是非!

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2015年2月 5日 (木)

沢田研二 「僕がせめぎあう」

from『サーモスタットな夏』、1997

Samosutatto

1. サーモスタットな夏
2. オリーヴ・オイル
3. 言葉にできない僕の気持ち
4. 僕がせめぎあう
5. PEARL HARBOR LOVE STORY
6. 愛は痛い
7. ミネラル・ランチ
8. ダメ
9. 恋なんて呼ばない
10. マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!

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前回は、コメント受付も無い緊急の記事更新にて、大変失礼いたしました。何か書いておかないと先へ進めない気がしましてね・・・。

ここ数年、ジュリーのお正月LIVEでの言葉がそのままその1年を象徴してしまうような年が続いています。
「新しい年になったのに、何も嬉しいことがない」
今年のジュリーの最初の言葉。それが2015年を通してそうならないことを祈るばかりです。

先日、盟友・YOKO君から貰ったメールの冒頭に、こう記してありました。
「吐きそうな世の中だけどさ、俺は俺らしく行くよ!」
ジュリーの歌と共に、稀有な「強いHEART」を持つ友人の存在をも頼もしく思います。
そうだよね・・・僕も「僕らしく」行こう!

「なんでこんな世の中になったかなぁ・・・」と不安になる一方で、ひょんなところで「同じ思いのかたがいらっしゃる」と分かるとなんだか勇気が沸いてきて、「よし、楽しい記事を書こう!」と思えてきます(真由様ありがとうございます!とてもとても嬉しかった・・・)。
こういうスイッチが入ると、僕は筆が速い(笑)。

ということで。
毎日毎日、心が重くなるニュースばかり相次ぎますが・・・その一方で、明るいニュースもあったのです。
昨年5月、来日直後の急病により無念の全公演中止となってしまったポール・マッカートニーが、あの時の約束通りに、早々に改めての日本公演開催、再来日ツアーを発表してくれました!

う、嬉しい・・・。
僕にとってビートルズの音楽は、今なお人生に無くてはならないものです。ジュリーの音楽と同じくらいに。
そしてポールも、70歳を越えた今も超人的なスケジュールでツアーを続け、もちろんその合間に新曲もリリースしてくれるという、現在進行形のアーティスト。
どうやらポールとジュリーに共通するこの”現役バリバリ”の秘訣は、「人間的にも技術的にも完全に信頼できる一身同体のバンドがそばにいる」ことがひとつ重要なポイントとして挙げられそうですね。

もう、参加できるだけで幸せなので・・・良席は期待できないながら、チケットぴあの限定先行販売で東京ドーム1日目の公演(4月23日)を即申し込み、当日の有給休暇も予約。あとは当選を祈るのみです。
春に大きな楽しみができました。

さて、大物外タレの来日ツアーと言えば他に・・・今回採り上げるジュリー・ナンバーのお題にもかなり関係してくるバンド、ザ・ベンチャーズ。
僕は彼等のステージを1度も生で見たことはないのですが(仕事がらみで、場外に立ちっ放しで漏れてくる音をずっと聴いていた、という経験はあります)、今年の日本ツアーが7月から始まるそうで、どうやらこのツアーが「ドン・ウィルソン最後の日本公演」となってしまうようです。

http://www.nishinippon.co.jp/nlp/showbiz_news/article/142446

81歳になったドン・ウィルソンは、ベンチャーズのデビュー・オリジナル・メンバー。姿はまだまだお元気に見えますが、本人としては「そろそろ体力的に限界」と決意したのことで・・・寂しいですね。

ザ・タイガーズの前身ファニーズも、ジュリー参加以前はエレキ・インスト・バンドだったそうで、ならば当然ベンチャーズの影響は大だったでしょう。
「ベンチャーズのギタリスト」と言えばこの人!のような存在であるノーキー・エドワーズが当初はベースを担当していた、というのもあの時代ならではの逸話。
当時は「ギターが弾ければベースも弾けるだろう」という理屈が普通にあって、「ギターよりも弦の数が2本少なくて太く、音が低い楽器がベース」くらいの認識で通っていたのです。
それが
「ベンチャーズに影響されてバンドを結成した60年代の若者達は、ジャンケンでギターを担当するかベースを担当するかを決めていた」
という「よくある話」にも繋がってくるわけですが(或いは、発言力のある兄貴分のメンバーがギターで、弟分がベース、というパターンもよく聞きます)・・・結成時のファニーズってその辺りどうだったんですっけ?確か面白い逸話があったような・・・。

そして、「ベンチャーズの遺伝子を持つ」ということで言えば、後にジュリーの作品に関わることになった多くのキーパーソンもまた然り。
1995年からのジュリーのセルフ・プロデュース期にアレンジャーを務め、アルバム制作に欠かせない存在であった白井良明さんも、もちろんその一人です。

今日は、『昭和90年のVOICE∞』”セットリストを振り返る”シリーズ第2弾。
97年のアルバム『サーモスタットな夏』で、アレンジャーの白井さんがベンチャーズのエッセンスを大胆に盛り込んだ(当然それだけではありませんが)、エレキ・ロックナンバーをお題に採り上げます。
「僕がせめぎあう」、伝授!

まずは、この曲にまつわる最近の僕の身辺の、ど~でもいい話題をほんの少しだけ。
先にちょっと書いたYOKO君のメール、その内容が何だったのかと言うと・・・。

みなさまには「信じ難いほど気の長い話だな~」と呆れられると思いますが・・・3年前から、YOKO君(これまで彼はお正月LIVEにただの一度も参加できていません)にジュリーの正月セトリを順に週に1曲ずつ伝え、その曲からインスパイアされる洋楽曲のスコアを任意で課題曲として採り上げ1週間かけて研究する、というやりとりが恒例となっておりまして。
ちょうど先週、4曲目の「僕がせめぎあう」まで伝え終わったところなんです。
YOKO君、この曲のセトリ入りには「え~~っ?!」と悶絶しながら羨ましがっていましたよ。

僕と彼は共に『ジュリー祭り』が初のジュリーLIVE参加で、そこで初めて90年代以降のジュリーの名曲群の素晴らしさを知り、未聴のアルバムを怒涛のように摂取していくことになったわけですが、「映像」について言えば97年の『サーモスタットな夏』ツアーDVDが『ジュリー祭り』以後第1弾の鑑賞でした。そのせいか、2人ともこの映像作品、ひいてはアルバムに相当深い思い入れがあるのです。
YOKO君曰く、風邪をひいた時の対処法として、「スタジオで歌って治せ!」の他に「サーモのDVD観て盛り上がって治せ!」ってのもある、のだそうで・・・。

『ジュリー祭り』以降、ジュリーはアルバム『サーモスタットな夏』から数曲を採り上げ、僕は幸せなことにそのすべてを体感できていますが、何故かそれらはお正月LIVEに集中しているんですね。
必然YOKO君は「PEARL HARBOR LOVE STORY」も「愛は痛い」も「ミネラル・ランチ」もまだ未体験。
当然今回の「僕がせめぎあう」もね。

「僕がせめぎあう」は曲想的にも特にYOKO君好みの1曲ですから、彼は本当に羨ましがり、悔しがり、あられもない妄想を逞しくしているようです。
セトリ4曲目を伝えたメールの返信に書かれていた彼の言葉があまりに面白くて夜中に大爆笑してしまったので、いかにも彼らしい非常に不謹慎な発言ではありますが、ここで紹介しておきましょう。
曰く


鬼に金棒、ジュリーに和歌子!
金棒でツボ押しまくられて、みなさん即昇天だったろうね!


コラコラコラコラ!(笑)
「ツボに入るのは、むしろアンタのその言葉だよ!」とツッコミたいところですが、実際今回のこの曲のジュリーは、正に彼の言う通りだったわけだからなぁ・・・。

ま~~~~エロかったですよね!

歌っている時の上下、左右の動きがね・・・「せめぎあい」以上に「求愛」のようでした。

一方、オリジナルCD音源についてはどうでしょうか。
YOKO君も大層ご贔屓の覚和歌子さんが作詞、ハードな作風でジュリー・ナンバーへの貢献数多い吉田光さん作曲のロック・ナンバー、そして歌うのがジュリーとくれば・・・その時点でレコーディングもエロい仕上がりになるのは必然だったでしょうか。まぁ、「エロ」についてはやっぱりLIVEの方が凄い、とは言わざるを得ませんけど。
また、「嘆きの天使」「オリーヴ・オイル」などの逸話が示す通り、覚さんの作詞内容について、ジュリーからのサジェスチョンがあった可能性も考えられます。

「僕がせめぎあう」・・・行き場を求めてギリギリのところで「思考する」主人公。その「思考」もまた、「本能」とせめぎあい、沈みこむ先は「官能」。ジュリーがこの歌詞、このメロディーを歌えば聴き手はどうしても、「行き先」をそう捉えまてしまうのです。

メロディー或いはヴァースの構成だけを考えれば、吉田さんの作曲には70年代ロックのガレージ感、さらにはサイケ、プログレといった趣向を感じさせ、もちろん最終的な仕上がりでもそうした面は強く残っているのですが、白井さんのアレンジがそこに「ベンチャーズ」を注入することで、より面白い、ある意味奇妙で変態的な(褒めています!)ロック・ナンバーへと昇華されていますね。
「オリーヴ・オイル」が真っ向からハードなエロ本道の「ストレート」とすれば、「僕がせめぎあう」は手管の限りを尽くした七色の「変化球」のように思えます。

ところが!
これがまた白井さんの凄いところなのですが、パッと聴いたイメージでは「様々な極彩色の音が入り乱れてせめぎあっている」この曲・・・実は演奏トラックが他収録曲に比べて極端に少ないのです。
ドラムス、ベース、そしてギター2本。
おそるべし白井さん・・・これは言わば、「ハード・サイケデリック・ベンチャーズ」なアレンジですよ!

「忘却の天才」など多くの例があるように、基本ハードなロック・ナンバーで白井さんはエレキギター・トラックを3パターン用意、それを自在に組み合わせて全体に厚みを持たせ、さらにはジュリーのステージ再現を踏まえてミックスを振り分ける、という手法が王道。
しかし「僕がせめぎあう」のギターは2トラック。それを左右に振り分ける、と見せかけておいて要所要所で右サイドのトラックをセンターに出張させる、という・・・これはもう、覚さんの歌詞世界にのっとり、ジュリーのヴォーカルのミックス、センドリターンを徹底的に「せめぎ倒す」アイデアを念頭に置いた上でギター・トラックが録られているわけで、限られた時間の中で手間を厭わずそれを形にした白井さん、ミキシング・スタッフのプロ意識には本当に頭が下がります。

このように、「僕がせめぎあう」は普段ヘッドホンを使用しないリスナーでもミックスの面白さがとても分かり易いナンバーですが(例えば先日のフォーラムでもジュリーの「誘ってくれ♪」と「誘わないでくれ♪」はCD通りに左右分離して片方だけのスピーカーから聴こえてきましたよね。ただ、渋谷初日にはそれが無かったように思うんだよな~)、それはジュリーのヴォーカルのみならず、ギター・トラックにも密かに適用されているのだ、ということをここでは書いておきたかったのでした。

さて、ベンチャーズです。
彼等が編み出した奏法、サウンドは瞬く間に全世界で「エレキギター・ブーム」を巻き起こし、今や伝説となっています。その奏法は幾多の名ギタリストによって緻密に進化複合し、またエフェクターの進歩などによって現在はベンチャーズの演奏例は「スタンダード」「基本中の基本」とされていますが、「僕がせめぎあう」で白井さんは「進化形」ではなくむしろ「原型」っぽい弾き方をしてくれます。

例えば。
まずは、ベンチャーズと言えば何といってもこれ・・・クロマチック・グリス奏法(「テケテケテケ・・・♪」と説明した方が分かり易いですよね?)。
ミュートで音の粒を揃えつつ、明確な単音で軽快に弾くパターン、コード・ブラッシングで「くしゃくしゃっ!」と弾くパターン・・・いずれも『昭和90年のVOICE∞』で柴山さんが再現してくれた通りです。
あとね、これはこの記事を書くためにCD音源のトラックを紐解いていて初めて気づいたことで・・・主に「テケテケ」は左サイドのギターがキメるんですが、右サイドのギターにもほんの一瞬「テケテケ」の出番があるんですよ。しかも左トラックとユニゾンで!
『ギターマガジン2月号』でのインタビューを読むと、下山さんはジュリーLIVEに向けてまずオリジナル音源のギター・アレンジから「僕のパート」を探す、というアプローチで臨んでいるようです。
とすれば、ギター2本体制でレコーディングされた「僕がせめぎあう」では、柴山さんがCDの左サイド、下山さんが右サイドの各トラックをある程度まで忠実にステージ再現した、と見るべきでしょう。
つまり今回、柴山さんだけでなく下山さんも一瞬「テケテケ」を弾いたシーンがあったと考えられます。残念ながら僕はそこまで気づけなかった・・・。

続いて、トレモロ・フレーズ奏法(ジュリーLIVEの例ですと、「ダーリング」「銀の骨」「海に向けて」などで柴山さんが魅せてくれる「トゥルルルル・・・」という音)。
CD音源での白井さんは「掻き毟る」ような感じで激しく演奏していて、そのあたりは歌詞世界やハードな曲想を意識してのことでしょう。
これはこの曲の中でも特に登場回数の多い奏法ですが、僕が
最も耳に残るのは、2番Aメロの

ぶちまけた缶のビール ガラス窓を横切る
Gm

耳鳴り 加速する夜 ♪
   Cm                Gm

この「耳鳴り」というフレーズをトレモロで表現。しかも、左右トラックのせめぎあいになっています。

そして・・・こちらもベンチャーズのおハコと言える、アーミング・ヴィブラート奏法。
かなり渋いタイミングで導入されているのでCDだけだとさほど目立たないのですが、生演奏に際してひとたび耳がその音を捕えれば、印象は強烈。
あと、この奏法を曲中で何度も繰り返し視覚的に楽しめるのが、ジュリワンのインストね。

他にも、「スクラッチ・ノイズ」「ピッキング・ハーモニクス」「ダブル・チョーキング」など、ベンチャーズ流の手管が「これでもか!」と詰めこまれているのが「僕がせめぎあう」での白井さんのアレンジ。
吉田さん、完成音源を聴いて「いやぁ、こうなりましたか~!」と驚いたのか、それとも最初から想定内だったのか・・・それは分かりませんけど。

一見パート的には地味な、「バックアップ」としてのロック・ギター演奏(リズム・ギター、サイド・ギター)に華やかな光を当てたギタリスト、ドン・ウィルソンの愛器は、ベンチャーズの代名詞であるモズライト以外に、フェンダー・ジャズマスターが有名なのだとか。
柴山さんも、この「僕がせめぎあう」ではSGではなくジャズマスターを弾きます。その上で、ガンガンにリードギターを弾いてくれるんですよね。
サスティンが身上のSG、音の切れが身上のジャズマスター。1音1音の歯切れ良い独立した「鳴り」を表現するなら、やはりジャズマスターです。
柴山さんについては


60年代にベンチャーズが巻き起こしたエレキ・ブームは、ここ日本でも多くの少年たちに衝撃を与え、一握りの恐るべき子供たちを産み落とした

と、『ギターマガジン1月号』インタビュー記事冒頭に紹介文がある通り。ベンチャーズの「原型」を受け継ぎ、さらにそれを凌駕する凄まじい技術を身につけた「恐るべき子供たち」として「アンファン・テリブル」なのだと僕は解釈したけれど、どうなんだろ?
いや、実は「アンファン・テリブル」って言葉をこれまでまったく知らなかったんですよ・・・(恥)。

と、ベンチャーズ・オマージュについて長々と語ったわけですが、「僕がせめぎあう」って、それでもやっぱり「おどろおどろしい」(良い意味で、ですよ)官能的な曲であることは揺るぎないと思うのです。
「ブライトな設定」によるクランチ・サウンドを踏襲しつつも、『昭和90年のVOICE∞』での柴山さんの演奏はハードで、サイケで、本当におどろおどろしかった!
たとえ身体の動きが、ジュリワンの時の「想い出の渚」と同じであってもね。

まぁ、柴山さんが音で完璧に表現しているのが分かっていながら、僕は”青くせめぎあう霊”が演出する「おどろおどろしさ」ばかりに釘づけでしたが・・・(笑)。

最後に、この曲のドラムスについて。
CDをじっくり聴けば分かるかと思いますが、「僕がせめぎあう」のドラムスは実は2トラックなんです。イントロやブレイク部で目立つ「つっつったん、つかたかたん!」と鳴っているドラムスは打ち込みのリフレイン。その上で、「うん、たた、うん、た!」といういかにもベンチャーズ!なアクセントで生のドラムスが重ねられています。
ただし、『サーモスタットな夏』ツアーでのこの曲は、『あんじょうやりや』ツアーでの「緑色の部屋」や、『愛まで待てない』ツアーでの「嘆きの天使」のように、ドラムスを打ち込み音の再現のみに頼り、ポンタさんがドラムを叩かない、というパターンとはまったく違います。

DVD『サーモスタットな夏』で確認すると、CDの打ち込み音と同じフレーズが聴こえていますが、これは人力の音なんですよ。でもポンタさんは豪快に「うん、たた、うん、た!」と叩いていますから、その生音は別の人が出している、ということになる・・・これは一体?
全然カメラが寄らないのであくまで推測なんですが・・・ひょっとして泰輝さんが鍵盤でラテン・パーカッションの音を作って演奏してる?

で、「僕がせめぎあう」は翌1998年の『Rock'an Tour』でも採り上げられていますが、ここではアレンジが一変(ドラムスはGRACE姉さんに変わっています)。
この時鳴っているのはおそらく打ち込み音だと思います。その上からGRACE姉さんが生ドラムを演奏し、泰輝さんは何とタンバリン!

さぁ問題は、『昭和90年のVOICE∞』ではどうだったか、ということなんですが・・・。
全っ然覚えてない・・・恐るべし、ジュリーのヴォーカルと”青くせめぎあう霊”の吸引力!(違)

でもね、明らかな打ち込み音が鳴ってたり、泰輝さんがタンバリン叩いてたりしたら、さすがに僕もその場で気がついただろうと思うんですよね。
ですから今回は、「打ち込みは一切使わず、GRACE姉さんが一人でドラムスを再現し、泰輝さんはベースラインをフォローしていた」説が有力。
と言っても確認のすべ無し・・・ジュリーお願いだ、ツアーのDVD録り復活して~!


それでは、オマケ(寒中見舞い)です!
今日は『サーモスタットな夏』からのお題でしたので、以前大分県の先輩に授かった資料の中から、1997年の新聞記事をご紹介いたします。
ちょっとそれぞれの画像の繋ぎ目が分かりにくいスキャンをしてしまいましたが、4枚の画像合わせてすべての文章が読めるようになっておりますので・・・。

199707061

199707062

199707063

199707064


実は僕は今年、『サーモスタットな夏』のジュリーに年齢が追いつくんですよね~。
それにしては、物事の考え方とか、まったく追いついてないなぁ。追いついたのは老眼だけ?(涙)
(註:『サーモスタットな夏』ツアーDVDのMCでジュリーは、「辞書の字がほとんど読めなくなった」と嘆いておられます。「歌詞カードの文字はできるだけ大きめに大きめにと心がけておりますが・・・」とも言ってくれてるんだけど、僕はもうこのCDの歌詞カードですら・・・涙涙)


では、次回更新は『昭和90年のVOICE∞』”セットリストを振り返る”シリーズの第3弾。
こちらも覚さん作詞の大名曲、「嘆きの天使」を採り上げます。今回に引き続いて、これもまたうっとおしいウンチク満載の記事になってしまう予感・・・でも、それが「僕らしい」スタイル・・・なのかな?

え、『週刊女性』の件にはひとこと無いのか、ですと?

「動くものに惑わされず、動かないものを見る」
な~んて偉そうなことを言いつつ実は全然修行が足りていないDYNAMITEも、さすがにあそこまでの空想科学記事だとスルー能力が働くようです(笑)。

代わりに、この記事の更新寸前に、いつもお世話になっているJ先輩から頂いた情報がこちら。
http://www.osakaben.or.jp/
「what's new」の2月4日付のトコね。
僕はまだファイル開けてません。どんな内容なのでしょうか。帰宅したら即チェックします!

(追記)
読みました・・・素晴らしかった!
そうかぁ、やみくもに「マス」に発信するんじゃなくて、「ミニ」の良さを生かして「マス」に拡げるということなのか・・・ジュリーらしいなぁ。さすがだなぁ。
何が嬉しいって、ジュリーの言う「ミニ」って間違いなく「LIVE」のことですよね?
ジュリーは「ミニ」としてのLIVEを武器(パワーレス・パワー)にしようとしているんだね!

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2015年2月 2日 (月)

沢田研二 「糸車のレチタティーボ」

from『忘却の天才』、2002

Boukyaku

1. 忘却の天才
2. 1989
3. 砂丘でダイヤ
4. Espresso Cappuccino
5. 糸車のレチタティーボ
6. 感じすぎビンビン
7. 不死鳥の調べ
8. 一枚の写真
9. 我が心のラ・セーヌ
10. 終わりの始まり
11. つづくシアワセ

-------------------


申し訳ありません・・・。
今日の更新は、予定していた『昭和90年のVOICE∞』の”セットリストを振り返る”シリーズのお題記事ではありません。
また、先日のフォーラムのレポート完成に寄せてくださったみなさまのコメントへのお返事と前後しての記事更新となること、いったん個人的な思いを吐き出すためだけの身勝手な緊急更新にて、当記事へのコメント入力欄を閉じさせて頂いていること・・・。
どうかお許しください。

今、色々な思いを持つ人がいます。
そのひとつひとつが、とてつもなく重い。
ただ・・・ジュリーの案じていたことは、最悪の形で現実となってしまいました。それが今つきつけられています。

「ひとりひとりが、他人事ではなく自分のこととして考える時が来ましたね」
「それこそ、オリンピックなんて本当にできるのか」

ジュリーが1月20日に語った言葉が思い出されます。


幾多の、本物の涙を前に、誤解を怖れず採り上げる曲。
僕が個人的に今こそ聴きたい、歌いたいと思うジュリー・ナンバーの1曲は、「糸車のレチタティーボ」。


糸車廻れ カラコロ廻れ
C                           F

青  空抜けて 響けよ
Dm  Dm7  G7        C

糸車廻れ 乾いた大地の
C                             F

彼等に届  け カラコロと
Dm  Dm7  G7          C

憎しみは捨てるもの
Fm                 C

情けは厚いもの No Revenge
       G7     F              C

愛し 愛し 愛し 愛し 愛して 愛そう
Am                                      G7

生かし 生かし 生かし 生かし
G7      

生かして 生かそう
             Am

許し 許し 許し 許し 許して 許そう
Am                                      G7

WAR WAR WAR ♪
C      E7     G7



僕だって、いざ自分の家族や友人に万一のことが起こったら、こんな記事は絶対に書いてはいられない。
「決して許さない。罪を償わせる」・・・それは国として当然の態度だとは思っています。

でも・・・その上で僕は今、この曲で祈りを捧げたい。



昨日はジュリーのことを話題にした芸能トピックの番組もあったようですが、僕は見ていません。
「大手のテレビ局が、日刊ゲンダイ記事の予想外の世間の反響に着目し、ジュリーをネタにした」
・・・どんな内容であれ、それ以上でもそれ以下でもない、と思っています。そこで誰が何を語ろうと、ジュリー本人とはまったく関係の無いことだろう、と。最初から見る気はありませんでした。
それでも、案じていたような内容ではなかったらしくむしろ評判は上々で、ご覧になった先輩方の中に「見て良かった」と仰るかたが多かったことは、ひとまず本当に良かった。

僕のスタンスはこの先も変わりません。

動くもの(メディア)に惑わされず
動かないもの(ジュリー)を見る



と言いつつ・・・。
本当にもう終わりにしたい話だけど。

日刊ゲンダイ様。
あの記事に、1月20日東京国際フォーラムの会場にいたお客さん・・・それぞれ、「観客のひとり」「60代の女性」「別の60代の女性」とした上で3つの「感想」を掲載しているけれど、あの場でランダムに3人だけのお客さんに声をかけて、たまたまあの3つの話が聞けたとすれば、その記者さんは途方もなく奇跡的な確率を引いたことになりますね。
百歩譲って、あなたが会場で1000人のお客さんに話を聞いた、と言うならば、あの3つの「声」は辛うじて拾えたかもしれない。でも、残りの997人の声は紹介しないのですか?

まぁそんな中、タイガースファンの大先輩であるYOUさんが、優しくこう諭してくれましたけどね。
「何を騒いでいるの?(あの)『日刊ゲンダイ』の記事だよ?」
と。


本当に・・・偉そうなことばかり言っておきながら、こうして引っ張りまくって感情まかせに記事を書いてしまい、ごめんなさい。
次の更新からは、いつもの感じで復活しますから。

次回は、恒例の”セットリストを振り返る”シリーズ。
「明日」に続く第2弾は、「僕がせめぎあう」を採り上げます!

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