沢田研二 「我が窮状」
from『人間60年 ジュリー祭り』、2008
disc-1
1. OVERTURE~そのキスが欲しい
2. 60th. Anniversary Club Soda
3. 確信
4. A. C. B.
5. 銀の骨
6. すべてはこの夜に
7. 銀河のロマンス
8. モナリザの微笑
9. 青い鳥
10. シーサイド・バウンド
11. 君だけに愛を
12. 花・太陽・雨
disc-2
1. 君をのせて
2. 許されない愛
3. あなたへの愛
4. 追憶
5. コバルトの季節の中で
6. 巴里にひとり
7. おまえがパラダイス
8. 6番目のユ・ウ・ウ・ツ
9. 晴れのちBLUE BOY
10. Snow Blind
11. 明星 -Venus-
12. 風は知らない
13. ある青春
14. いくつかの場面
disc-3
1. 単純な永遠
2. 届かない花々
3. つづくシアワセ
4. 生きてたらシアワセ
5. greenboy
6. 俺たち最高
7. 睡蓮
8. ポラロイドGIRL
9. a・b・c...i love you
10. サーモスタットな夏
11. 彼女はデリケート
12. 君のキレイのために
13. マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!
14. さよならを待たせて
15. 世紀の片恋
16. ラヴ・ラヴ・ラヴ
disc-4
1. 不良時代
2. Long Good-by
3. 涙
4. 美しき愛の掟
5. 護られているI Love You
6. あなただけでいい
7. サムライ
8. 風に押され僕は
9. 我が窮状
10. Beloved
11. やわらかな後悔
12. 海に向けて
13. 憎みきれないろくでなし
14. ウィンクでさよなら
15. ダーリング
16. TOKIO
17. Instrumental
disc-5
1. Don't be afraid to LOVE
2. 約束の地
3. ユア・レディ
4. ロマンスブルー
5. TOMO=DACHI
6. 神々たちよ護れ
7. ス・ト・リ・ッ・パ・-
8. 危険なふたり
9. ”おまえにチェック・イン”
10. 君をいま抱かせてくれ
11. ROCK' ROLL MARCH
disc-6
1. カサブランカ・ダンディ
2. 勝手にしやがれ
3. 恋は邪魔もの
4. あなたに今夜はワインをふりかけ
5. 時の過ぎゆくままに
6. ヤマトより愛をこめて
7. 気になるお前
8. 朝に別れのほほえみを
9. 遠い夜明け
10. いい風よ吹け
11. 愛まで待てない
---------------------
from『ROCK'N ROLL MARCH』、2008
1. ROCK'N ROLL MARCH
2. 風に押され僕は
3. 神々たちよ護れ
4. 海に向けて
5. Beloved
6. ロマンスブルー
7. やわらかな後悔
8. TOMO=DACHI
9. 我が窮状
10. Long Good-by
11. 護られているI love you
--------------------
しばらくのご無沙汰でございました。
11月の大仕事、『楽器フェア』もおかげさまで大成功に終わりました。今年は、これまでのパシフィコ横浜から東京ビッグサイトに会場が変わり、都心からのアクセスの便がより良くなったこと、また本当に有り難いことに開催3日間とも暖かな陽気に恵まれたこともあり、大変な賑わいでしたよ~。
初日には「GRACE姉さん来場中!」との情報もあり、ウロウロとお姿を求めて歩き回ってみたのですが、残念ながらお見かけできませんでした・・・。
それでは、久々の更新で気持ちも新たに!
今日12月3日は、『ジュリー祭り』6周年(ザ・タイガース再結成1周年)の記念日です。
拙ブログがじゅり風呂となって後、毎年この日は、僕が本格ジュリー堕ちした『ジュリー祭り』のセットリストからお題を採り上げることに決めています。
今年は先の『三年想いよ』ツアーの”セットリストを振り返る”シリーズとも併せ、いよいよ難しいお題・・・「我が窮状」の考察記事に挑みます。
これまで何度か書いてきましたが、僕は「ジュリーの70超えまでに『ジュリー祭り』セットリスト全曲の記事を書き終える」ということを、さしあたっての拙ブログの最大目標として掲げています。
『ジュリー祭り』セットリストは、鉄人バンドのインスト2曲を含めて全82曲。その中でこのブログでここまで記事お題としてきたのは今日の更新で59曲目となり、残すところ3年半で23曲という状況。今のペースで頑張っていけば、なんとか達成できそうです。
本当は「我が窮状」の考察記事は最後の最後まで残しておきたかったんですよね・・・。
ジュリー70超えの年に
「10年前にジュリーはこんなメッセージ・ソングを残してくれていた。世の中はジュリーの歌った通りになっているね。こんな歌があったなんて、懐かしいよね」
という感じで書きたかった・・・しかし残念ながら、昨年からの我が国の動き、近隣国との関係、世界各国の状況を考えますと、そうもいかなくなりました。
今年2014年、ジュリーはお正月の『ひとりぼっちのバラード』、夏からの全国ツアー『三年想いよ』、いずれの公演でもセットリストの9曲目に「我が窮状」を歌いました。ジュリーファンの中でも様々な意見があるところでしょうが、「何故ジュリーが今年この曲を歌わずにはいられなかったのか」という理由については、みなさま重々分かっていらっしゃるでしょう。
僕も今年はずいぶん勉強しましたよ。9条については本当に色々な考え方があります。
立場が違う、意見が違う、そんな考え方にも(それが真摯なものならば)耳を傾ける姿勢を放棄してはいけない、切り捨ててはいけない、と思っています。
でも僕は、「我が窮状」に込められたジュリーの思いと同じ考えを持つ人間。最初にその点だけはハッキリさせておいて、今日はその上での考察記事の執筆です。文中で「護憲」「改憲」という言葉を使いますが、ここでのそれはあくまで第9条についての表記です(日本国憲法の条文すべてが現行のままで良い、とは僕は考えていませんが、今日のテーマはあくまで9条です)。
『ジュリー祭り』では、第2部の9曲目に歌われました。
「我が窮状」、僭越ながら伝授!
僕はこの曲、ほぼタイムリーで聴けています。
2008年の春だったか、夏だったか・・・「ジュリーが年末に2大ドーム公演を敢行!」とのニュースを知り、「ポリドール期のアルバムは全部聴いてる」というだけで一丁前にジュリーファン気取りだった僕と友人のYOKO君は、「この機会に一度LIVEも見ておこう」と決めました。
調べてみると、ジュリーは毎年欠かさず全国ツアーを行っていて、その年にリリースしたアルバムの曲がメインのセットリストになるらしい・・・「新曲にさほど興味は無いけれど、一応今年のアルバムは聴いておこうか」ということで、新譜『ROCK'N ROLL MARCH』を購入。
これまで何度かこのブログで懺悔してきたことですが、改めて正直に書きましょう。
僕は最初、『ROCK'N ROLL MARCH』というアルバムが全然ピンとこなかった・・・今では信じられないことに、9曲目「我が窮状」が「9条」と重なることすらまったく思い当たらなかったのです。
僕がそれまで知っていた「沢田研二」という歌手について、「自作詞で政治的なメッセージ・ソングを歌う人」なんて発想は微塵も浮かばず・・・僕は『ジュリー祭り』のその日に「人間・ジュリー」に堕ちたことは確かですが、その創作姿勢、自作詞のメッセージ性などから滲み出る素晴らしさを知り、その生き方、考え方へのリスペクトを得るまでにはさらに数ヶ月を要したのでした。
僕は元々、メッセージ性の強いロック・ナンバーが好きで・・・これは少年期にジョン・レノンから受けた影響であることは間違いないんですけど、実は僕はジョンが「イマジン」をして”ラヴ・アンド・ピースの象徴”のように言われていることには抵抗を覚えているタイプです。
「イマジン」は名曲だけれどジョン・レノンの音楽的魅力の本質とは違うように思う・・・僕が好むジョンのプロテスト・ソングは、「イデオロギー闘争に俺たちをつきあわせるな。ゴタクを並べる前に今すぐ人殺しをやめろ!」と歌う「ブリング・オン・ザ・ルーシー」のような曲であり、歌詞のテーマを具体的に絞りこんだ「労働者階級の英雄」や「ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」「女は世界の奴隷か」といった”踏み込んだ”曲達です。一方で「マザー」「孤独」「愛の不毛」などの内向的な曲があり、「ジェラス・ガイ」「アウト・ザ・ブルー」「ウーマン」のように妻・ヨーコさんへの愛情を吐露したナンバーをも歌う・・・このあたり、おもに2000年以降にジュリーがリリースしてきた作品群のコンセプトと共通するところも感じます。
”ラヴ・アンド・ピース”を歌うアーティストやバンドは昔からたくさんいました。かなりエグい表現で戦争の狂気や悲劇を歌った曲は実は今も巷に溢れていて、僕らが普段何気なく聴いている流行歌やアイドル・ソングの中にもそんな曲があったりします。
しかし、「世間に真逆の論争が存在する一定のテーマ」にハッキリと絞ってメッセージを発信するような楽曲、それを歌う人というのは限られています。
近年、何人かのビッグネームがそうした創作に挑むようになったのも時代を表していると言えるでしょうが、2008年という時に「我が窮状」を歌ったジュリーの志は本当に凄い、と今改めて思うのです。
「日本人だからこそ」という、等身大でありながらグローバルなメッセージ。輝かしいキャリアのある歌手が自作詞で「9条」に踏み込むなんて、普通は怖くてできないことですよ。やはり人間力なのでしょうね・・・。
今も若々しいステージを超人的に続けているジュリーに対して大変失礼な言い方になってしまいますが、「お年寄りの言うことには耳を傾けなさい」って、こういうことなのかなぁと思ったり。
「我が窮状」については、最初にアルバムを聴いた時から「いい曲だなぁ」とは感じていました。
それは純粋に「楽曲」的な評価でした。
僕はとにかく「ベースレスと打ち込み」によるジュリー・アルバムを聴くのが初めてだったもので、他の曲ではその点に違和感を持ってしまいました(今はもう大丈夫!)。そんなこともあり、バンドサウンドではなくピアノ伴奏1本というシンプルなアレンジの「我が窮状」が、このアルバムの中ではまず一番にスッと身体に馴染んだのだと思います。
「とりあえず一応聴いておくか」などという気持ちでいたがために深く聴きこむことをせず、(アルバム収録曲すべてについて)歌詞の吟味をしないまま『ジュリー祭り』当日を迎えてしまった・・・後に取り返しのつかない後悔が残ったことは確かですが、「我が窮状」が大野さん作曲の美しいバラードであることだけは、そんな聴き方をしていた僕ですら辛うじて認識できていたのでした。
ハ長調王道のバラード。
ただ「シンプル」なのではなく、極上に美しい進行です。正に「大野さん作曲のジュリー・バラード」という感じのメロディーとヴォーカルですよね。
リリース当時、その歌詞内容をしてファン以外でもあれだけ話題になった曲だからひょっとして・・・とネットで探してみたら、ありましたよ~、「我が窮状」の譜面。
『9条の会を応援する有志のブログ』様
素晴らしい!
いくつか僕の採譜とはコードが異なる箇所もありましたが、大いに参考にさせて頂きました。
僕が曲中で最も「美しい」と感じるのは
我が窮状 守りきれたら 残す未来 輝くよ ♪
C E7 F F#dim C G7 C
この「F#dim」の部分。ここは先のブログ様と僕の採譜が異なる箇所なんですけど、いずれにしても本当に美しいメロディー。ジュリーのあの声で歌われると、優雅で、誇り高い感じがするんですよね。
あとこの曲には、1番の2番の間、2番と最後のサビのリフレインとの間の2箇所に「伴奏部」と呼べる部分があります。よくLIVE会場で拍手が起こる1箇所目の短い伴奏部は、サビの進行のヴァリエーション(イントロと同じ)。2箇所目は同調号の平行移調による短調進行(イ短調)の「間奏」となっています。
このメリハリも「ピアノ弾き語り」系のシンプルなアレンジにあって、最高に効いていると思います。歌詞で言うと「残す未来輝くよ♪」と「真の平和ありえない♪」は歌メロとしてはまったく同じなのに、着地する和音がそれぞれ「C」と「Am」で異なるため、ジュリーのヴォーカル・ニュアンスも全然違ってくるのです。
さて、ジュリーはずいぶん昔にファンにこんなことを言ったことがある、と聞いています。
「僕を1番にしないで欲しい。みんな、自分にとって1番のことを見つけて。僕は2番で良いから」
と。
当時のジュリーファンはそのほとんどが若い女性だったわけですし、「そんな殺生な・・・」という思いを抱いた先輩方も多かったのでは、と想像しています。
でも、遅れてファンとなった僕には、なかなか実感することが難しいジュリーの言葉です。今僕にとってジュリーが「何番か」と問われれば、3番なんですよね。
1番は、家族と友人達との日々の平穏。
3番が、ジュリーをはじめとする音楽を楽しむこと。
じゃあ2番は?
何もいらない
ぼくたちの夢が この世の平和と告白したら
みんな笑うだろうな
ジュリーが2000年にリリースした自作詞の名曲「耒タルベキ素敵」にそんな歌詞がありますね。
僕の2番は正にこの詞の通り・・・「この世の平和」です。みなさま笑いますか?
まぁ1番と2番(厳密には3番も)は同義ですが、自分と大切な人達の「平穏」というものをどう捉えるかによって、9条への考え方も人それぞれ変わってきます。
今日こうして「我が窮状」の楽曲考察記事を書くからには、まずは僕が「護憲」の考え方を持つ者である、と明確にしておかなければなりません。
これはジュリーの考え方に感化されたとかいうことではなく、元々自分が持っていた、僕なりの「平和」への思いによるものです。よって、これから書くことは僕の個人的な考えに基づくものではありますが、だからこそジュリーの「我が窮状」の歌詞解釈にはある程度の自信も持てています。
僕にはこの曲に込めたジュリーの気持ちが分かる・・・そもそも、歌詞の隅々、言葉の端々に至るまで「ジュリーの気持ちがよく分かる」なんて僕が言い切れるジュリー自作詞のナンバーは、「我が窮状」ただ1曲です。
「我が窮状」のリリースは、大きな支持と共に激しい反発をも招きました。この曲をきっかけにジュリーファンをやめてしまわれた方もいらしゃると聞いています。
一方では、考え方の相違から歌詞内容には反論しつつも、「堂々と自分の意見を歌えるのは凄いこと」と、ジュリーの創作姿勢については変わらぬリスペクトを持ち続けているファンもいらっしゃるようです。
色々な意味で、宿命的なジュリーな代表作。では、ジュリーが歌う「9条」って何だろう?
麗しの国 日本に生まれ 誇りも感じているが
C G7 E7 Am F G G7
忌まわしい時代に さかのぼるの は
F F7 C C(onE) Am
賢 明じゃない ♪
Dm G7 C
この問題でよく語られるのは、9条は大戦後に他国から強要されたものだ、ということ。さらに、大戦後の国際不戦条約に基づく戦争放棄を謳った憲法条文は各国に存在する・・・それはまったくその通り。
しかし、大戦での筆舌に尽くし難い苦しみ、悲しみの中にあった日本人にとって「不戦」は国としての最大の願いとなり、いつしか9条を自身の宝物と変え、単に「条文」にとどまらない日本独自の「精神」をそこに宿らせた・・・「我が窮状」でジュリーはそう歌っているのだ、と僕は解釈します。
日本は大戦以後、自他国含めただの1発の銃弾も撃っていない、ただの1人も戦死者を出していない、という稀有な国となりました。ジュリーはそんな国に生まれたことをまず「誇り」とし、その精神を忘れてしまうかのような世の動きを憂いて「賢明じゃない」と歌ったのでしょう。
英 霊の涙に代えて さず かった宝だ ♪
Am F C C7 Am F D7 G7
「英霊」とは過去に戦争の犠牲となったすべての人達の魂のことであり、「さずかった宝」とは日本人が9条に自ら身をつけた精神性のことだと考えられます。
ただ、今回様々な資料を読んで勉強したり、異なる考え方の友人とやりとりして改めて気づかされたのは・・・憲法9条を護るのか、改憲するのか(ジュリーは「改憲」という言葉は嫌いで、僕もそうなんですけど、そこに気を遣うと文章がややこしくなるのでこの記事では「改憲」の表記で通します)という問題に際して、むしろ僕の周囲だけで言うと、改憲の考え方を持つ人達の方が「平和」について敏感で、日々真剣に考えている人が多かったりするのです。
例えば8月6日、8月9日、8月15日にじっと静かに祈りを捧げる・・・僕の知る「改憲派」の人達は、「うっかりその日を忘れる」ということがありません。漠然と「戦争はイヤだから9条はそのままに」とする人達と比べ、その意識はかなり高いように思われます。勉強もしているし、国の政策推移も他国の憲法と現状もよく知ってる・・・これは僕の周囲だけのことなのでしょうか。
改憲派の人達にも、「平和のために」と日々考えている方々がたくさんいらっしゃいます。彼等の意見についてやみくもに否定だけをし、耳を塞いでいてはいけない、それではきっと本質が見えてこない・・・僕は今回の記事構想をその決意からまず出発させました。
将棋棋士が「難解な局面に際し、盤の相手側に立って読みを入れる」というのと同じ手法です。
僕には自衛隊の友人が2人います。小学校時代からの友人が1人。高校時代からの友人が1人。
いずれも完全にその人格を信頼できる素晴らしい男です。9条についての考え方は違っても、いつでもすぐに昔の友人同士の感覚に戻れます。防衛大学入試最終面接の翌日「いやぁ・・・いきなりナニを握られてマイッたよ~」と面白おかしく話してくれた(エレクトしてしまったらアウト!ということなんだろうか・・・)あの懐かしい頃に。
今、家族と過ごす時間より海の上にいる時間の方が多いその友人の志の高さを、僕は心からリスペクトしています。彼等はこの国の「平和」を僕などより数倍も真剣に思っているのです。
だから話をしていると、ふと心が揺れることがあります。何十年もの先の日本という国を考えた時、物理的に強くあらねばならないのかな、と考えることもありましたし、彼等の言うことには一理も二理もある、僕の知らないこともたくさん知っている・・・そして、万一の事態となった際に僕らを守ってくれるのは彼等であることを、決して忘れてはなりません。
しかし、その上でさらに考えることがあります。
彼等とやりとりしていると、「積極的平和」「現実的平和」という表現がよく出てきます。
「オマエの言うことはまぁ分からなくはないとしても、一般的にオマエみたいな考え方をする人達の多くは現状認識や知識が足りなさ過ぎる。最初のとっかかりの話すらまともにできない」ということになるらしい。
でも、僕は退きません。
「そういう人達が今後色々なことを学んで、突き詰めて考えたのちにじゃあ改めて9条をどうしましょうか、という話になったら、護憲派はきっと今とは比較にならないほど圧倒的多数になるよ」
と。
今問われているのは、「平和のために9条を護りたい」との思いを漠然と持ちながらも明確な姿勢を表せないでいる多くの人達が、少しでも勉強して、考えて、キチンと話ができるようになることではないか、それが「静かに通る言葉」を身につけることへと繋がるのではないか、と僕は思っています。
簡単なことです。「日本は他国に出向いて戦争をすることは一切ありませんよ」と全世界に胸を張って言いたい気持ちがあるならば。それを誇りとするならば。
「知ろう」「考えよう」「声に出そう」・・・それが2008年、「我が窮状」でジュリーが聴き手にまず一番に送りたかったメッセージだったのではないでしょうか。
この窮状 救うために 声なき 声よ 集え ♪
C E7 F C C#dim D7 Dm7 G7
「声なき声」とは、サイレント・マジョリティー。世論調査などには反映されていない、人々の声。
その中には今
「争いの無い平和な世界を願っているし、そうありたいと思っているけれど、こういう問題について声を上げるのは怖い。まして政治はよく分からないし、所詮自分ひとりが何を言ったって、結局何も変わらない」
という「あきらめ」の感覚がありはしないでしょうか。実際、僕自身がそうだったのかもしれない。
そう考えると
あき らめは 取り返せない
Am F C C7
あや まちを 招くだけ ♪
Am F D7 G7
「あきらめたら、取り返しのつかないことになるよ」とジュリーは歌います。ジュリーが真剣に、丁寧に言葉を選んで語りかけてくれていることが分かります。
「声を上げる」と言ってもね・・・僕などはたまたまブログがあるからこうして勇気を振り絞って書いていますが、もっとシンプルに考えて良いことだと思います。
第47回衆院選が公示され、選挙戦が始まっていますね。「学ぶ」「考える」には絶好の機会です。
この時期の解散総選挙については、数年先を見越してのしたたかな計算があるんだとか、国民が皆多忙を極める12月の選挙なら投票率が下がるので組織票を持つ党が有利、とか色々言われているようですが、さて実際どうでしょうかねぇ。
僕は、ずっと以前に「将来のリーダー対談」ということで、民主党の岡田さんとテレビ出演していた頃の安倍さんには好感を持っていたものでした。頭脳明晰、理路整然としつつ「剛腕」の人なんだな、と。
増税の権化みたいな言い方をされる向きがありますが、それは本来財務省官僚が言われるべきことであって、そもそも企業の厚生年金制度の存続、安定などを考えれば近い将来の増税やむなし、という理屈は僕にも分かります。安倍さんはその上で官僚と対決する形で消費税先送りを決断し、「即増税の官僚と先送りの俺とどちらが支持されるのかを国民に聞いてみる!」とばかりに解散に踏み切った男気も、実は感じていなくはないのです。
ただ、僕にとっては到底支持などできない「剛腕」ばかりが目立った第二次安部政権・・・今、選挙に際して「経済政策の真を問う」というテーマばかりを全面に押し出している安倍さんは、ちょっと国民の意識をナメちゃったんじゃないかな。
今の時期に選挙をやって、集団的自衛権の行使容認解釈の是非、憲法9条の今後に関する問題が有権者の選択肢にならないはずがないでしょう。
一人一人は無力。一個人の僕がこんな文章を書いたところで無力。それは間違いなくそうです。
でも、ジュリーファンだけに限っても、その中の「サイレント・マジョリティー」の「声なき声」が今回の選挙で集まったとしたら、それだけでも凄いこと。嬉しいこと。もう無力ではないですよ。
正直今の状況は残念ながら、「護憲」の声も「改憲」の声もそれぞれ「ノイジー・マイノリティー」と捉えられているような気がします。じゃあどちらの側に「サイレント・マジョリティー」が潜在しているのか・・・結果は分かりませんが、今回ほど「投票率」が重要な選挙は無いように思われます。
もちろん、それぞれの人がそれぞれの考え方で票を投じれば良いことです。
考え方は人によって様々でしょう。
そこで、「すべての日本人がよく考えて声を上げるならば、結果は僕らの方だよ」という思いをジュリーが自身還暦の年に「我が窮状」に込めてメッセージとしていたことを、改めて思うんですよね・・・。
どんな政党のどんな人がどんなことを言っているのか・・・国民ひとりひとりが日々関心を持って知っていき、その上で自分で考えなければなりません。政策、主張の本質は本当に様々です。
言葉や呼称についても知らなければなりません。「防衛装備移転三原則」の意味や由来を知らない人が僕の周囲には驚くほど多くいるのです。新聞によっては逐一「これは以前の武器輸出三原則による武器禁輸政策を全面転換すべく制定されたもので・・・」と注釈を加える紙もありますが、それも今では少数派です。
そのうち、どの新聞も単に「防衛装備移転三原則」としか書かなくなると、「なんのこと?」と戸惑う人が多くなってくるかもしれませんが・・・日本が、例えば戦車を作って(結果的に)他国に輸出し経済的に潤う、という構図が「武器輸出三原則」を改定した(隠した?)この「防衛装備移転三原則」によって今は可能になっています。つい最近決まったことです。
また、政府がテーマを選定し巨額な資金提供をする、防衛省と大学や研究機関との軍学共同研究についても、その流れに呼応するかのように加速しています。現政府の言う「経済」政策にはこうした内容も含まれていることを、まず知っておくことです。軍需産業で経済が潤う、という発想には僕は賛同できません。
さらに、そうしたことを「知りにくく」させる可能性を多分に含んだ「特定秘密保護法」がもうすぐ試行される見通しであることも気がかりです。まぁこれはさすがにみなさまご存知ですね。
もちろんそれらの政策、法案は単純に一刀両断にできるものでもありません。勉強してみると、恥ずかしながらこれまで色々と知らずにいた離島防衛の重要性なども感じました。それもまた事実。
その上でどう考えるか。まずは「知る」ことからです。
たとえ自分とは真逆の意見だとしても、それを知り考えることでさらに得られ、一層身につく「静かに通る言葉」があるのです。
ジュリーは、自らの考え方を押しつけるために「我が窮状」を歌っているのではないのですよ。ただ自分と同じ気持ちの「サイレント・マジョリティー」の潜在は確信していると思います。「僕はこう思うけど、みんなはどう?まずはひとりひとり考えてみて」とメッセージを投げかけてくれています。
ジュリーが危惧しているのは、「あきらめ」なのです。これが、今回僕の一番書きたかったことです。
ジュリーはこう言いたいんじゃないかと思います。
「色々な考えがあっていい。でも、すべての人が自分の考えを声にすることで、この窮状は救えるよ」
と。
長々と書いてきましたけど・・・実は今回の「我が窮状」の記事はね、『ジュリー祭り』記念日と『三年想いよ』”セットリストを振り返る”シリーズを兼ねて、ということで採り上げたんですけど、さらに来年のお正月LIVE『昭和90年のVOICE∞』セットリスト予想シリーズ第1弾のお題記事でもあります。
もし今度のお正月LIVEでもこの曲がセットリスト入りしたら、「え~っ、また~?」と思ってしまうファンも多いでしょう。僕も同様の気持ちが正直無くはない。せっかくだから他に色々な曲を聴きたい、とは望んでいます。
でもやっぱり、ジュリーは来年もまた「我が窮状」を歌うと思うんですよね。
逆に言えば「声なき声」が集ってくればジュリーはこの曲を封印するかもしれません。
ジュリーはあくまで自身が「礎石」となり、次に繋がってゆくことを願っているのですから・・・。
老いたるは無力を 気骨に変え て
F F7 C C(onE) Am
礎石 となろうぜ ♪
Dm G7 C
僕が「我が窮状」で一番好きな歌詞部です。
子供の頃にテレビで見ていた、なめらかな高音としなやかな動きのスーパースター・ジュリーが、いつの間にか還暦となり、艶やかな低音と微動だにしない姿勢と矜持でもってそう歌っていることを理解した時は、身震いがしました。こんなふうに物事を見ている「人間60年・ジュリー」だったんだなぁ、と。
礎石となってくれたジュリー。歌を残してくれたジュリー。
僕は凡人ですが、その気骨を受け継ぎ、また次の礎石とならなければならない世代です。
僕は、これからジュリーが「我が窮状」を歌わずにいられる時代となることを祈るとともに、そのために今こそ何をすべきかを考えて、今回楽曲考察という形でこの記事を書かせて頂きました。
でも、政治的なことよりなにより、「我が窮状」は本当に素晴らしい曲なんですよね。純粋にその楽曲の素晴らしさを以って、平和な世の中にこの曲が語り継がれてゆくことを、一番に願っています。
それでは次回更新からは、もうあとひと月ほど後まで近づいたお正月LIVE『昭和90年のVOICE∞』開幕へ向けて、”恒例・全然当たらないセットリスト予想”シリーズに突入します。今日の「我が窮状」もその中に含むとして、5、6曲を採り上げる予定です。
とにかく「誰もが知るヒット曲」を僅かな例外として、本当に「全然当たらない」のが僕のセトリ予想。
「ジュリーにはあれだけの持ち歌があるんだから、誰だって1曲すらなかなか当てることはできないでしょう」というのも確かにそうなのですが・・・例えば今年のお正月LIVE『ひとりぼっちのバラード』では、先輩のぴょんた姉さんが「鼓動」「緑色の部屋」を事前に予想されていたんですよね。凄過ぎる・・・たまには僕も「アッと驚くマニアックな曲」を予想的中させたいものです。
ということで、どうにか頭をひねって、セトリ入りの可能性がある「狙い目」の曲を探しております。
最近更新間隔が開き気味ですので、なるべく短い文章でも多くの曲の記事を書いていきたいです(そう言っておきながら、短くなったことが無いんですが・・・)。
年末の慌しさ・・・寒さもこれから厳しくなってきますが、みなさまどうぞお身体ご自愛ください。
で、元気に選挙に行きましょう!
P.S.
「ジュリーだけじゃないんだ、文太さんのような人もいてくれる」・・・今回の「我が窮状」記事執筆に際して、その存在がどれほどの勇気をくれたことか。
ほぼ記事の下書きを終え、あとは細部を纏めて文章を繋げるだけ、というまさにその段階になって、菅原文太さんの訃報を知りました。
『太陽を盗んだ男』は、僕がまだ全然ジュリーファンではなかった20才かそこらの頃に、テレビ放映で初めて観ました。放映翌日に音楽仲間の友人達と
「沢田研二ってカッコイイよな!」
「文太のあの最後の粘りがシビレるよな!」
などと語り合ったことを思い出します。
まだ、ローリング・ストーンズの来日公演実現などまったくリアリティの無かった時の話です(メンバーの不仲説やミックのソロ活動などで、解散の噂さえありました)。
文太さんもまた、老いたるは無力を気骨に変えて、礎石となってくれた「偉大な昭和の親父」のお一人。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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コメント
DY様へ
御結婚5周年(…でしたよね?)おめでとうございます。
そして、今回も心をいっぱい遣われての『我が窮状』御伝授記事を有り難う御座いました。
楽しみにしておりました。
DY様、正に上梓?(笑) の感あり!!…ではないですか?
一通り拝読させて頂き・・・
この楽曲を初めて耳にした時のドキドキ感が、今、甦っています。
時間をみて“じっくり”と、また最初から読まさせて頂きますね!
投稿: えいこはん | 2014年12月 3日 (水) 14時46分
DYさん、結婚記念日おめでとうございます。
で、本題ですが、私の場合、人生で初めて涙ぐんだ映画が、公民館の上映会で観たアニメ映画「対馬丸-さようなら沖縄-」で、その後は手塚治虫先生に作品を通じて、戦争が理不尽で虚しいものであることを徹底的に教えられたので、9条うんぬん以前に、戦争反対です。
でも、イデオロギーでアーティスト、および作品の価値を判断することも、絶対にしません。どのような目的で作られたものであっても、美しいものは美しいのですから。
だから、私にとって、お題の作品は、奇跡のように美しい大野さんの曲と、その良さを存分に引き出しているジュリーの歌唱だけでも、強く感動します。
で、歌詞のことですが、♪許し合い 信じよう♪のくだりに、ジュリーの考え方が最も表れていると思います。サザ○の近作にも似たようなテーマの作品がありますが、こちらの方が重みがあるし、実践するのは難しい。
こじつけになってしまうのですが、先日の楽で、全力で自分を律していたジュリーに、私は作品に対する責任を感じました。
今年の12月3日は、昨年、一昨年とは違う気持ちで過ごしました。2008年のジュリーは、あんなに幸せそうだったのに、今年のツアーは、何故、あのような楽になってしまったのだろうと…。
投稿: 74年生まれ | 2014年12月 3日 (水) 23時24分
DYさま、熱のこもった伝授、ありがとうございます。
私も勉強が足りないひとりかもしれないですが、
抑止力なんかで平和が手に出来るなんて
どうしても思えません。
ところでDYさま、
ドームの年にジュリーが出演したSONG,ご覧になってますよね?
その時の我が窮状、覚えていますか?
泰輝さんはジュリーよりフロントにポジションし、グランドピアノで注目の熱演でした。
後には100人?くらいの合唱団もいれて、迫力のコーラス。
なのに、ジュリーは、手ぶらのギタリストとドラマーもわざわざ定位置に置いて
コーラスに参加させていました。
それは、テレビ番組のワンシーンとしては不思議な感じさえしました。
カズさんはこのときから、右手で耳を押さえながら歌っていましたね。
プリンスは後ろ手を組んで、所在なげにもおすまし。
グレースはドラムの前で俯きがちに座っていました。
もちろん、この時の彼らの声は、合唱隊にかき消され聞こえるわけありません。
でも、ジュリーは、このあとこの曲をずっと歌い続けていくつもりで、
それにはバンドメンバーの協力が不可欠と、最初から決めていたんじゃないでしょうか。
今やこの曲の鉄人バンドのコーラスは、圧巻のものとなりました。
カズさんは耳押さえをやめて耳栓を使って、真剣に音をとっています。
プリンスは首を傾げてマイクを食べながらの熱唱です。
グレースの女声がどれほどコーラスに厚みをもたらせることか。
ジュリーは曲の終りに、ピアノ、コーラス、コーラス、と、
紹介をいれるようになりました。
ジュリーが表現するためには、欠かせない4人。
演奏も素晴らしいけど、スピリッツな面でもジュリーに寄り添う
素晴らしいバンドだと、この曲を聞くたびつくづく思う私なのであります。
あ。ちなみに、2008年に歌った時より、今の方が声にドスが効いてて(笑)私はますます好きです。
投稿: しょあ | 2014年12月 4日 (木) 03時50分
Dynamite 様
初めまして。「ジュリー祭り」以来密かに、貴ブログを楽しみに拝見している、ジュリー同世代の遅蒔きのファンです。若き日のコンサートに何回か足を運んだこっとはあるものの、いつの間にか、日々の生活の中からジュリーは消えておりました。そのジュリーの不断の活動を知るきっかけとなったのが、2008年秋、朝日新聞に掲載された『我が窮状』についてのインタヴュー記事でした。その時、この人は同じ時代を生き、同じ感覚を培いながら生きて来たんだ…と、衝撃ともいえるような思いを抱きました。「ジュリー祭り」はテレビのみでしたが、以来CDやDVDを大人買い(もはや十分に大人過ぎますが)、1990~2000年代のコンサートに行かなかったことを心底後悔しつつ、年数回のコンサーに出掛ける今日に至っています。『我が窮状』の「この窮状を救えるのは静かに通る言葉」、大好きな『耒タルベキ素敵』の「何もいらない、僕たちの夢が、この世の平和と告白したら、みんな笑うだろうか」、あるいは『F.A.P.P』で、あの原発事故を広島、長崎と並列して語っていることなどに、ジュリーの透徹した知性を感じます。美しいメロディとのびやかな声、『我が窮状』を聞く心地よさの皮肉を
投稿: | 2014年12月 4日 (木) 05時41分
(すみません。長文過ぎて途中で切れてしまいました。上記のコメントは私のものです、)
噛みしめる昨今です。
『我が窮状』は、バラード苦手な私にとって例外的に繰り返し聴く作品のひとつです。思わず自分語りをしてしまいました。これからもDynamite様のブログを楽しみにしております。突然のコメント失礼いたしました。
投稿: jviaje | 2014年12月 4日 (木) 05時50分
えいこはん様
ありがとうございます!
はい、この日はおかげさまで結婚5年目も無事に迎えることができました。
上梓などとは畏れ多いことです。ただただ自分なりによく考えて、夏から色々な人に話を聞いたりしながら、時間をかけて書きました。
最初はもっと色々な側面から書くつもりでしたが、推敲してゆくうち、やはりジュリーの歌詞に沿って書いていこう、と思いこのような記事になった次第です。
この曲については、この先まだまだ語るべきことが出てくるかもしれません。そのあたりは、ジュリーがツアーで歌った時などにLIVEレポートで書いていければ良いなぁと思っています!
☆
74年生まれ様
ありがとうございます!
仰る通り、桑田さんも一歩踏み込んだ曲をリリースしましたね。リリース直後にテレビで観た時はちょっと驚きました。
ただ、やはりジュリーの場合は普通なら避けて通るテーマを題材としたところが異端であり王道でもあります。
ジュリーは自由なのだと思います。
先のフォーラムのことも、それがジュリーなのだと僕は思えるようになりましたし、自分のことを逆に見つめなおすことになりました。
ジュリーが自らに縛られているように感じる、作品への責任感を感じとるのは、受け取る側が何かの観念に縛られているのかもしれませんよ。元気を出して年末を過ごし、新年を迎えましょう!
☆
すみません、お返事一度切ります。
投稿: DYNAMITE | 2014年12月 4日 (木) 12時48分
しょあ様
ありがとうございます!
言われてみますとそうでした…確かに!
そうか…あの時点でジュリーは「この4人と一緒に」この先もこの曲を歌っていく、と決意を持っていたのですね。でなければああいう配置にはなりませんよね。目からウロコです。
僕は『ジュリー祭り』の時点では「我が窮状」のコンセプトに気づかず、年が明けてYOKO君が録画してくれていた『songs』を初めて観た時、その志に打たれました。
『songs』はドーム前のプロモートに違いないんだから、先に観るとセトリをネタバレしてしまう、などとヒヨッコの分際で考えていたのですから始末に負えませんよ…。
2008年の「我が窮状」と今のそれとは確かに違ってきていますよね。それは鉄人バンドのコーラスもそうですし…僕もこの曲のLIVEは最近になればなるほど好きです。
☆
jviaje様
はじめまして!
コメントありがとうございます!『ジュリー祭り』の頃からお読み頂けているとのこと…とても嬉しいです。
僕はジュリーとは世代こそ違いますが、この国で、同じ感覚を培いながら生きて来たんだなぁ、という大きな感動を、この曲の真の魅力に気づくと同時に感じたものでした。その考え方を知り、本当に応援したくなった…やはりそれが無ければここまで熱烈なファンになり、それが継続してはいなかったかもしれません。
皮肉なことですが、ジュリーがこの曲を「歌わなきゃ」と思う状況がさし迫ればさし迫るほど、「我が窮状」のヴォーカルは素晴らしくなっていきます。
この曲の記事だけは、この先もジュリーファン以外の方々に読まれることが多くなるだろうな、と思い凄まじいプレッシャーがありましたが、今書いておかなければ、と強く思ったことも事実です。それは、今回のツアー初日でのこの曲の素晴らしいステージと、お客さんの拍手を体感したからです。今は「書く勇気をくれた」ジュリーとジュリーファンのみなさまの思いに感謝したい気持ちです。
僕はまだまだジュリーについて知らないことも多いですが…今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます!
投稿: DYNAMITE | 2014年12月 4日 (木) 18時09分
DY様 こんばんは。
パソコンの調子が悪くコメントが遅くなりました。
この歌をジュリーが毎回歌わざるを得ない状況って・・・なんだかな、と思います。
「戦争」は無知と貧困と不公正の行きつくところにある。「あきらめ」と「無関心」が後押ししてしまうのは「いじめ」と同じ構造です。「絶対正義」も「絶対悪」もないのに、無意味なレッテル貼りをして安全な側に逃げ込む。私もまたそうしたくなる弱い人間です。
ジュリーの「逃げない、あきらめない、ぶれない」姿勢にかろうじてついてきたような気がします。
2000年に「来タルベキ素敵」
を何度か聴くうちに
「何かしなきゃ。」
と思って以来途上国の就学支援プロジェクトに参加しています。
砂漠の一滴のようなものですが無意味とは思いません。
「声なき声」がいつか世界に届く日がくるといいな、と思うばかりです。
最後になりましたが(笑)、結婚5周年おめでとうございます。
投稿: nekomodoki | 2014年12月 4日 (木) 20時39分
nekomodoki様
ありがとうございます!
元々自分の中にあったはずなのに隠れてしまっていたものを引き出してくれるようなジュリーです。それはなにも9条だけのことではないんですけどね…。
まさに小さな、小さな一滴、色々ありますけどそれってとても大切なものではなかったのかなぁと。
自分の身になって考えてみますと、大人と「逃げ」「あきらめ」って紙一重なんですよね。それが無関心に転嫁されやすくて。
「声なき声」、世界に届くとよいですね。
投稿: DYNAMITE | 2014年12月 5日 (金) 22時04分
DY様
はじめまして。いつも楽しく読ませて頂いております。
ただフォーラム後は「たった2か月」と言う言葉に救われました。
お正月のライブまでずっと引きずりそうでしたので…あと1ヶ月です。
遠い昔マナーを教えられた(育てられた)世代ですが、今回の静かな口調には申し訳なさが増してしまいました。
でもいろいろ考える機会を得、こうして長い人生初、見ず知らずの方に声を掛けさせて頂きました。
これからもDY様の解説・分析・講義(素晴らしいです!)を伝授させて頂きます。
ありがとうございました。
投稿: natsu | 2014年12月 6日 (土) 02時01分
natsu様
はじめまして!
コメントありがとうございます!
本当に…あっという間に『三年想いよ』ツアー・ファイナルからひと月が経ち、お正月LIVEまではもうあとひと月となりました。
静かな口調に申し訳なさをいっそう感じる…確かにフォーラムのお客さんにはそんな雰囲気がありました。それは、ジュリーにマナーを教わっていらした長いファンのみなさまの空気だったのですね。
新規ファンの僕などは、あの時まず驚くばかりでしたが、その後先輩方から色々とお話を伺って、納得の境地に辿り着いています。
今回の「我が窮状」の記事もそうですが、本当に「よく考えて考えて」取り組む、ということを、今僕はジュリーに自然に教わっているように思います。
これからも頑張ります。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
投稿: DYNAMITE | 2014年12月 6日 (土) 19時06分
DY様、ちょっとご無沙汰してしまいました。
遅ればせながら、結婚記念日おめでとうございます!
さて、今回のお題…。
いつもツアー参加後のフンコーをこちらでお伝えしていましたが、今年はそういう気持ちを抑えてしまう重いモノがあり、読むだけになってしまいました。
新曲およびお題曲…新曲に関しては、実際に南相馬公演参加の方のレポを拝見して、納得できたというか、消化できたところがあります(それでも歌詞が一方的な見方であるなぁとは思いますが、「僕が思ったことを歌っている」のだと捉えています)。
ですが、お題曲はメロディが美しいだけに、その背景を学べば学ぶほど、重くのしかかってくるのです。
私は「改憲」支持ですので。
DY様の自衛官のご友人がおっしゃること、判る気がします。「9条」のお陰で戦争に巻き込まれず平和を享受してきたかのようにみんな勘違いしてないか、と思うのです。
話合いで平和的に解決、の価値観を共有できない相手は「9条」があろうがなかろうが、関係なく攻めてくる…のではないでしょうか?
そうなるとむしろ足枷になってしまいます。
戦後の自虐史観ではない歴史を知れば知るほど、このままでは日本の存続すら危ういと思えるのです。
「我が窮状」で沸き起こる拍手に、「まだこんなに護憲派が大多数なんだ…」と暗い気持ちになります…。
重いコメントになり、申し訳ありません。
こういう考えも増えているのは事実なので、場違いかもと思いましたがコメントさせて頂きました。
投稿: wine | 2014年12月 7日 (日) 21時00分
wine様
ありがとうございます!
場違いなどではないですよ~。様々な考え方をお持ちのかたがいらして、普通にそれぞれの意見を交わし合える機会はとても貴重です。
「平和を願えばこその改憲」の考えを持つ方々が増えていることは確かですね。
僕も9条については護憲ですが、憲法に専守防衛についての積極的記載が必要な世の中となっているとは感じています。
ジュリーの場合はシンプルに自分の考えを無垢に歌っているだけに、一層複雑な思いで聴いていらっしゃるかたも多いでしょう。でも、きっと来年もジュリーはこの曲を歌うだろうと、僕は思っています。
投稿: DYNAMITE | 2014年12月 8日 (月) 10時28分
DY様 こんにちは!!
『我が窮状』の詞への見解等…私は概ね同意です。
実は数年前…最初にタイトルを見た時は「我が窮状〜!?」…再び? ジュリーが自虐的な歌を歌っちゃう!?…って、一瞬悲しく思ったことがあります。
私は『どん底』とか? あの辺りの楽曲を好まない由(爆)。
「鉄は熱いうちに打て」と申します?(笑)
十代の頃から、ジュリーの生き方、言葉が“我がバイブル”と化していた故に、何十年経とうと(!?)、私の中では新鮮に保たれている事柄があります。
吉田拓郎さんと雑誌対談された時かな? ジュリーは御自身を「中庸で…」と表現されて・・・
学生の私には凄くインパクトのあった語彙“中庸”を、その後ずっと、生き方の指針に用いて居ります。
また、そこに“染まらない、染めない”…超絶人気に胡座をかくことも“寄らば大樹の陰”的な生き方をすることもない…怜悧なジュリーの“真の”芯の強さも垣間見えて・・・
私は社会人になって直ぐに、組合の職場委員や労組中央委員他、次々と仰せ付かい(苦笑)…「動員! 動員! また動員!?」の熱き時代、偏り過ぎて? 世間的に横柄で“痛い人”になっていった“組織人”に、嫌と言うほど接触させて頂きましたが?(笑) “染まらない、染めない”生き方をさせて頂けた基盤には? ジュリーをお手本にしていたことがあるのかも知れません。
中庸で、凡庸で…そう“あの時のままのジュリー”が思いの丈で歌う『我が窮状』を取り巻く“社会情勢”が、未だに『耒タルベキ素敵』の…♪「何もいらない〜 ぼくたちの夢が〜 この世の平和と告白したら〜 みんな笑うだろうな〜」の儘で…複雑な時代になって? 正直に言えば、些か私は悲しいです。
音的に思うことは? ハ長調と言えど、泰輝さんの様に“一音一音”が飛び抜けて、私たちの脳細胞を揺るがすピアノの技術は、絶対真似を出来ませんネ!
ツアーの度、心底ジュリーに寄り添う泰輝さんの“心の音”を堪能させて頂けて、私たちは幸せ者です。感謝! (^人^)
投稿: えいこはん | 2014年12月 8日 (月) 15時32分
えいこはん様
ありがとうございます!
実は僕も…『ジュリー祭り』後しばらくは(『SONGS』録画を初めて観るまでは)、「我が窮状」とは自身の私生活か何かの困った出来事についてジュリーが書いたものなのかな、と思っていたのです(恥)。ドームのレポートに最初「トリッキーなバラード」と書いてしまったのはそのためでした。
ファンから見ればジュリーは「中庸」どころではなく希有な人なのですが、その一方でジュリー自身が「中庸」と自らを俯瞰することには大きな共感を覚えます。
ビートルズの中ではジョージが好き、という発言にしても、当時ジョージは「ビートルズの中で最も中庸の人」とよく言われていて、ジュリーはそのあたりに好感を持っていたのかなぁ、と。
泰輝さんのピアノもジュリーのヴォーカル同様に、ジュリーがこの曲を歌わずにはいられない状況が差し迫れば差し迫るほど素晴らしくなっていきますね。皮肉なことではありますが、えいこはん様の仰る通り、その素晴らしい歌と音を聴ける僕らは幸せです。
投稿: DYNAMITE | 2014年12月 8日 (月) 20時19分
DY様、「我が窮状」の伝授ありがとございます。そしてお疲れさまでした。
さまざまな視点からの楽曲へのアプローチに感服しております。
僕はこの曲については、ジュリーがここまで政治的信条や個人の思いを明確に表明した曲ということで、認識しております。
評価されるべきはその姿勢や生き様で、誤解を恐れずに言えば、主義主張の内容は二の次でいいと思っています。
僕はそこまで9条や、集団的自衛権や、護憲と改憲について、自分の主張を持っていないし、また知識も持っていません。
この曲に感銘・感嘆するのは、この曲の持つ美しさと、ジュリーの「自分はこう思う」という何者も恐れないその姿勢。
僕はと言えば、ジュリーのように確固たる思いも持っていないし、明確に自分の思いを表明したこともないし、ましてやこれほど美しい曲を美しく歌うという才やそれに見合うその他の才など微塵もありません。。
おそらく僕は、この曲に限らず、そういったジュリーの生き様、歌いっぷりに魅せられているんだと思います。
かつての退廃美と斬新さと問答無用のカッコ良さで道なき道を突っ走り世間を魅了したスーパースターが、年月を重ね、自らの生き様死に様を不格好なくらいに人前で晒している。でもだからこそその姿は美しい。
こんな奇跡的な生き方を僕は最後まで見届けていたいんだと思います。もっともっとそんなジュリーを追っかけて行きたいんだと思います。
話に脈絡がありませんが、最近思うことは、「新曲では震災のことしか歌わない」と言っているジュリーですが、震災を契機に芽生えた心の内を、限定的でない大きな愛や自らの一人の人間としての生き様や死に様に転化して、新曲群を発表する日がそう遠くない未来にやって来る気がしています。
それはもしかしたら来年の3月11日かもしれないし、再来年かもしれないけれど、何となくそんなことを確信めいて思っています。
いずれにしても、ジュリーの言動には今後も目が離せないですし、DY様の楽曲伝授を通じたジュリー考もずっとずっと追っかけていくと思います。
長文にて乱文、大変失礼しました。。
DY様、末永くこのブログとお付き合いさせて頂きますので、今後ともよろしくお願い致します。
投稿: goma | 2014年12月10日 (水) 22時28分
goma様
ありがとうございます!
お返事が遅れて申し訳ありません。
goma様の仰るこの先のジュリーの創作姿勢、僕も予感しています。
いかに人生を全うするのか、という点でこれほど感銘を受けながら同じ時を過ごせているジュリーの存在…この出逢いには本当に感謝しかありません。「考え方」というより「生き方」、突き詰めていくとgoma様の仰る「歌いっぷり」へ行き着くんですよね。
同い年の男性ジュリーファンが読んでくださっている、というのは何よりの励みです。これからもよろしくお願い申し上げます。
投稿: DYNAMITE | 2014年12月12日 (金) 10時04分
DYさま
>さずかった宝とは 日本人が九条を自ら身につけた精神性のこと
私も 九条を宝とみなす精神性 誇りに思っております。
でも 一握り人の思わくで 政治が動いていく
でも 何も言わない事は 賛同している事 になってしまうから
ジュリーは 言葉にし続けるんですね。
DYさま 今月は 楽器フェア?
投稿: ぷー | 2015年11月 8日 (日) 17時52分
ぷー様
ありがとうございます!
今僕がよく考えるのが、「ジュリーは次のお正月LIVEで我が窮状を歌うかどうか」ということなんです。
世の中の流れからすると当然歌うかもしれない、と思う一方で、これは最近特に強く考えていたことでもあるんですが、「若者達をはじめ世の人々が堂々と声を上げはじめたら、ジュリーは敢えて自分が、という部分を少し下げるのではないか(若者達に任せる、彼等を支える)とも思えます。
どちらかと言うと、声を上げている人達にエールを送る歌を採り上げてくるんじゃないかなぁ、と。
2008年の時点でジュリーがこの曲を歌っていたことには本当に感動させられます。
僕が『ジュリー祭り』の後、本格的にジュリー堕ちしたのは、ジュリーがこんな歌を歌う人なんだと初めて知ったことも大きかったんだなぁと、今改めて思う次第です。
楽器フェアは今年はお休みです。お店単位でのイベントはいくつかあって、それなりに忙しくはしていますが…。
来年はまた大々的に開催がありそうです!
投稿: DYNAMITE | 2015年11月 9日 (月) 09時15分