« 2014年11月 | トップページ | 2015年1月 »

2014年12月

2014年12月27日 (土)

沢田研二 「明日は晴れる」

from『明日は晴れる』、2003

Asuhahareru_2

1. 明日は晴れる
2. 違いのわかる男
3. 睡蓮
4. Rock 黄 Wind
5. 甘い印象
6. Silence Love
7. Hot Spring
8. ひぃ・ふぅ・みぃ・よ
9. 100倍の愛しさ
10. 夢見る時間が過ぎたら

---------------------

みなさま、クリスマスはいかがお過ごしでしたか?
僕はとにかく仕事など忙しくて・・・特に何もしないまま過ぎていきました。家族へのプレゼントを買うのも、仕事納めの後になってしまいます。

イヴの24日夜には、クリス松村さんナヴィゲートのライヴ・エイドの番組を観ました。
今回初めて知ったのですが、クリスさんってエイティーズ・ロックにメチャクチャ詳しいかただったんですね。とにかくオンエアの選曲が渋過ぎる!ポール・マッカートニーのPVから「ワンス・アポン・ア・ロング・アゴー」を採り上げるとは・・・とても見応えのある番組でした。

で、ライヴ・エイドと言えば「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」。この歌詞をあの豪華メンバーに歌わせたボブ・ゲルドフは本当に凄いと思います。
詞のテーマは、だいたいこんな感じ。


クリスマスに沸く人々よ、今こそ考えて欲しい
今この時、どこかに地獄のような世界があることを
あの国の子供たちは、今日がクリスマスだと知っているのか
さぁ、みんな
今日はクリスマスなんだとあの子たちに知らせてあげなきゃ

誤解を恐れず言えば、イギリスの「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」とアメリカの「ウィー・アー・ザ・ワールド」とは、対極なんですよ。
「町に流れ、皆が歌っている素敵なポップ・ソングが、実はとんでもないメッセージ・ソングだった」・・・それが、ボブ・ゲルドフが常に目指していた創作姿勢。
ボブ・ゲルドフが率いたブームタウン・ラッツは、今はもうかなりマニアックなバンドとしか認識されていないと思うし若い人は全然知らないと思うけど、「アイ・ドント・ライク・マンデイ」という曲は大ヒットしましたから、ある年代以上の人はなんとなく記憶にも残っていらっしゃるんじゃないかな?
20歳の時に後追いで知ったブームタウン・ラッツのアルバム群(3枚目は圧倒的名盤。個人的には4枚目が一番好き)に、僕は大きな影響を受けました。
ポップなメロディーとアレンジに載せられた、強烈なメッセージ。多感な時期にそうした音楽を聴いていた僕が、今のジュリーの音楽、創作姿勢を大好きになったというのは、考えてみれば当然のことです。

ただ・・・「メッセージ・ソング」とは決して社会的な内容の曲ばかりを言うわけではないですよね。

そんなわけで、今日は2014年最後の記事です。
残すところあと僅か・・・今年も色々ありました。みなさまそれぞれ、楽しいことはもちろんですが、辛いこと落ち込むこともあったでしょう。
今日は、お題曲に登場する「明日」というフレーズに「来年」という意味もかけて、新たな年を迎えるにあたり弾みのつく名曲を採り上げ、2014年の拙ブログの締めくくりにしたいと思います。
お正月LIVE『昭和90年のVOICE∞』への”恒例・全然当たらないセットリスト予想”シリーズ・・・しかし今日のお題は珍しく予想的中の予感がしています。
ジュリー自身の作詞・作曲による、日常と純情のパワー・ポップ・ナンバー。これもまた、ジュリーらしいメッセージ・ソングと言えます。
「明日は晴れる」、伝授!

後追いファンの僕は、アルバム『明日は晴れる』を初めて聴いてからずいぶん経った後に知ったんですけど・・・このアルバム、当初は『青空と金星と三日月』という斬新なタイトルで発売告知されていたのだそうですね。

「青空」「金星」「三日月」・・・これらはすべて、アルバム1曲目のタイトルチューン「明日は晴れる」の歌詞中に登場するフレーズ。
ということは、もう音も歌もすべてレコーディングを終えてリリース準備をしている段階で、ジュリーがこの曲自体のタイトルを最後の最後に変更し、必然アルバム・タイトルも変わった、ということなのかなぁ。
もしくは、「明日は晴れる」の楽曲タイトルは最初からあって、その歌詞フレーズからの引用でアルバム・タイトルをつける(よくある手法ですよね)予定だったのが、ギリギリになって「ちょっと抽象的過ぎるかな」という理由で変更されたとか・・・。
いずれにしても、2003年のジュリーが「歌いたかったこと」は、「明日は晴れる」というアルバムタイトル曲の自作詞に凝縮されていることは間違いなさそうです。

この年のジュリーの創作姿勢、日常への考え方についての具体的な言葉が、当時の『音楽専科 No.8』のインタビュー記事として残されています。

20031

この記事は3部構成になっていて、インタビュアーが20代、30代、40代の方々に分かれています。いずれも当時50代真っ只中のジュリーより年少で、しかもそれぞれ違う世代、という興味深い切り口なのです。

さて、僕自身は(一応まだ)40代。
そこで今日はこの『音楽専科 No.8』の記事から、40代のかたがジュリーにインタビューした第3部を添付し、「明日は晴れる」歌詞考察の資料としてみましょう。

200311

200312

200313

200314


「明日は晴れる」はやっぱり、「元気出していこう」という詞だとは思いますが、それを50代、2003年当時のジュリーがリリースした、というのが肝心な点です。
インタビューの中で語られている通り、「天邪鬼」な性分のジュリー(だからと言って、「華麗なジュリー」と言われ「ヒラメでもええわ!」ってのは・・・笑)。
ただ、ジュリーの「天邪鬼」・・・「褒められたら、そこに落とし穴がある」というのはきっと真理なんですよね。稀有な歌人生を今も送っているジュリーですが、本人としては自らの感性に素直に、普通に、細やかにこれまで生きてきた・・・だからこそ、50代になって気づけることも多かったのではないでしょうか。

このインタビューの中で「明日は晴れる」歌詞考察の一番大きなポイントになるのかなぁ、と僕が思うのは、「良いものは幸せから生まれる」という言葉です。
ちなみにジュリーもその発言の直前に触れていますが、ジョン・レノンに子供が出来て(ヨーコとの間に生まれたショーン・オノ・レノン)”主夫”生活に従事、その後に発表した『ダブル・ファンタジー』というアルバムが、本当に「幸せの中から生まれた」名盤でした。
その後ジョンが50代、60代となってどんな作品をリリースし、どんなメッセージを紡いでゆくのか見てみたかったです。きっと今のジュリーと相当近い発信をしていたと思うのですが・・・それは叶わぬこととなりました。
当時のジョン(1980年)について、若き日のジュリーは「主夫なんてやってないでさっさとレコーディングして!」と考えていたそうで・・・でも自分が年をとってきてから考えてみると、そうじゃなかったんだ、と。

ジュリーのこうした発言は、自身の家庭観、女性観の話題と繋がって出てきたものですから、少なくともインタビュー当時のアルバム『明日は晴れる』・・・特に自作詞の収録曲については、そうしたプライヴェートなジュリーの考え方が色濃く反映されている、と捉えるのが自然です。まして、アルバム・タイトルチューン、しかもシングル曲となればなおさらでしょう。
となると「明日は晴れる」って、空を眺めているのは歌の主人公1人きり、というシチュエーションではないでしょうね。もちろん聴き手は女性であれ男性であれ、それをジュリーの隣にいる自分自身が見ている風景、としてこの曲を味わうことができます。それこそが「明日は晴れる」の醍醐味。
そんなふうにして聴いて初めて、この曲のあまりにシンプルな真のテーマ「元気出していこう」が素直に胸に沁みてくるように僕は感じます。

そう、これは平凡な日常と純情の、何気ない1日の歌。

「幸せから生まれた歌」とは言っても、「明日は晴れる」の歌詞の内容は「最高にハッピーで、今の僕には何の文句も不自由もない」ということではありません。むしろ、イヤなことや様々な悩み、トラブルを抱えて落ち込むことがある中で空を見上げ、「でも本当の幸せはすぐ近くにあるんだ、手にしているんだ」と思い直し、気を穏やかに1日を終える・・・そんな歌なんじゃないかなぁ。

ジュリーが過ごした何気ない1日。何度もジュリーが見上げた空は、仮のアルバム・タイトルのフレーズそのままに、「青空」(昼間)「金星」(夕方)「三日月」(夜)と、時系列になっていますよね。
「ちょっと落ち込んでしまって」空を見上げる55歳のジュリー、その隣にいる自分(聴き手)の姿がいつしか歌詞とシンクロしていきます。

けじめに飲み乾すため息 酔いに砕けてく痛みも
A7

生きてゆく理由噛み締め
B♭ 

犬みたい鳴くよ WOW~ ♪
E7                   A7

このあたりはいかにもジュリーらしい韻が踏まれていることもあって、一見「言葉遊び」的な要素も感じるんですけど、何かしらのことで「なんでかなぁ、なんだかなぁ」とやりきれない思いを抱いたジュリーが、「うわあ~っ!」とモヤモヤを発散させているようにも思えます。
それが、僕も何度か生で体感できているこの曲のLIVEでの、「WOW~」というジュリーの印象深い雄叫びに乗り移っているような気がして・・・。
また、「幸せの中から良いものが生まれる」というのはまた逆のことも言えて、皮肉なことに2012年以降のジュリーの新譜がそれを物語っているわけですが、それでもジュリー自作詞曲についてはどちらも根底は同じじゃないか、とも思えるのです。

「人生、なんかかんかあるよね。でも、だから元気出していこう。明日は晴れる」
このコンセプトって、「頑張れ」という応援歌、と受け取れなくもないですよね。
ジュリーに対して「頑張れ」は禁句ですが・・・「頑張れ」とはまったく違う漢字をあてて「がんばれ」と読ませる言葉をみなさまご存知でしょうか。
「顔晴れ」です。

僕なりに「明日は晴れる」に込められているかもしれない「がんばれ」の意味を考えて、少し話が逸れるようですが、ここで是非書いておきたいことがあります。

僕は将棋が好きなんですけど、2014年の将棋界の大きなニュースのひとつに、41歳のアマチュア棋士、今泉健司さんのプロ編入試験合格という出来事がありました。普通にNHKの速報があったくらいですから、「あぁ、そう言えばそんなニュースをテレビで見たな~」と心当たるかたもいらっしゃるのでは?
「ケンジ」さん、という名前に親近感が沸いたかたも?

将棋のプロ棋士になるには、養成機関である「奨励会」に所属し、規定の成績を上げて「四段」に昇段しなければなりません。ただし奨励会には「満26歳の誕生日までに四段昇段できなければ退会」という、厳しい年齢制限があります。これまで多くの才能溢れる青年達が、年齢制限の壁に阻まれて夢断たれてきました。
今泉さんもその一人。
今泉さんは四段まであと1歩となる三段リーグで「次点2回」を獲得(現行の制度だとこの条件で四段昇段の権利を得ますが、今泉さんの三段リーグ在籍時にはまだその制度がありませんでした)するなど大健闘しましたが、最後は年齢制限のため奨励会を退会、プロ棋士への道を閉ざされた・・・かに思えました。
その後の今泉さんのプロ編入試験資格取得までの15年間にも及ぶ長い道のりについては、こちらの番組(今泉さんの故郷・広島の特番。今年の将棋界は広島出身勢が大活躍しました)で詳しく採り上げられています。
ちなみにこの番組映像で最後に言及のある編入試験第3局は、三枚堂達也四段がプロの意地を見せ今泉さんのプロ入りに待ったをかけ、今泉さんは次の第4局、強敵の石井健太郎四段に勝利し編入試験合格となりました。その瞬間の映像がこちら

奨励会時代は「自分は当然プロになるべき才の持ち主」と自惚れていた、という今泉さんが、一度(厳密には二度)は夢破れいつしか自然体、邪気の無い「努力」の人となり精進を重ね、41歳にして史上最高齢のプロ棋士誕生という夢を実現・・・そこに至るまでに「粛々と日常を」「周囲の人達への感謝」の精神が今泉さんの中に育まれていったことに僕は何より感動するわけですが、その今泉さんがかつて、「人の受け売りですが」としながら「顔晴る(がんばる)」という言葉について語っていたことがありました。
今泉さん曰く


「”頑張る”ってなんか重いです。”顔晴る”って書くのは、笑顔で楽しんだほうがいい結果が出やすいからなんですよ」

ここで、ジュリーの「明日は晴れる」を考えてみましょう。
「晴れる」というのが単にお天気のことだけでないことは明らか。「落ち込むことも、どうしようもないことも色々あるよね、でも明日はまた笑顔で」・・・ジュリーはそう歌っているのではないでしょうか。
僕はこの曲、「顔晴れ!」という人生の応援歌だと受け取っています。みなさまはいかがでしょう。

 

それでは、こちらもジュリー自身のペンによる「作曲」についてはどうでしょうか。
これまで拙ブログでジュリーの作曲作品をいくつも採り上げてきていますが、それらの曲について度々書いてきたのは、ジュリーが「常識にとらわれない特異なコード進行」を編み出す才能の持ち主である、ということ(一番凄いのは「遠い夏」かな~)。
ただ、この「明日は晴れる」はそうではありません。真っ直ぐな、あまりにも真っ直ぐなメロディーとコード。この曲にポップな曲想のイメージを持つかたも多いと思いますが、メロディーだけを抜き取ってみますと、ロック、ポップスと言うより唱歌に近い感覚すらあります。
ジュリーの堂々、朗々とした歌い方からそう感じるのかもしれませんが・・・。

ジュリーには、こうした良い意味でシンプルで、穏やかなうねりを持ちつつも「ロック」なナンバーとして成立してしまう曲を作る才もあるんですよね。それは特に90年代後半、セルフ・プロデュース期に突入してからの自作曲で顕著のようです。
そこで、常にタイムリーでジュリーの曲を聴いてこられたみなさま・・・2003年に初めてこの「明日は晴れる」という曲を聴いた時のことを思い出してみてください。
「あれっ、以前どこかで聴いたことがあるような気がする」と思われませんでしたか?
いや、有名な洋楽のどれそれ、という話ではないのです。「音楽と言えば、ジュリーしか聴いてない」と仰るみなさまも一様に感じていらしたかもしれない、「いつかどこかで・・・」の感覚がもしあったならば。
それはおそらく、TEA FOR THREEの「愛にしよう」ではないかと僕は思うのですよ。

メロディーや楽曲構成の流れ、テンポ、アレンジ・・・「明日は晴れる」と「愛にしよう」はとてもよく似ているんです。そしていずれもジュリーが自らの日常にコンセプトをグッと引き寄せ、それでいて普遍的な純情を歌った、詞曲とも自作による潔いメッセージ・ソングであることも共通しています。
「そうだっけ?」と思われたみなさまは、今一度「愛にしよう」を聴き返してみてください。1’17”あたりのリード・ギターで「あっ!」と思うはずですから。
曲想が似ているからこそ、のギター・フレーズです。

最近の新譜ではジュリーの作曲作品のリリースが無く、その点は寂しい思いもしていますが・・・いつかまたジュリーが作詞・作曲を共に担った曲が作られるとすれば、「明日は晴れる」「愛にしよう」のような長調のストレートで穏やかなメロディーの名曲が生まれるのでは、と期待しています。

そんな、いかにも「ジュリーらしい」穏やかな「明日は晴れる」のメロディーを受けての白井さんのアレンジがこれまた素晴らしい。シンプルな曲想に「激しさ」「熱さ」を注入しています。
白井さんがジュリーの作曲の後から加えたと考えられる進行部は、まず間奏。突如1音上がりのホ長調へと転調し、ハードなギター・ソロが展開します。このギターのフレージングによってテンポが倍になったような効果もあって・・・これは白井さん、狙ってのことでしょう。
また、イントロからガツンと登場する「D→Am」の進行も白井さんのアイデアかと思われます(他ジュリー・ナンバーだと、「純白の夜明け」「愛の嵐」「Beloved」などの曲中でも使用されている、ちょっと捻ったコード進行)。

演奏トラックで耳を奪われるのは、ベースです。これは60年代中盤の、サイケのフレーズなんですよ~。
このベース・パターンの元祖は、みなさまお馴染み、ジュリー(タイガース)洋楽カバーの定番、ビートルズの「レイン」。それをこの穏やかなメロディーに組み合わせるアイデアが見事成功していますね。

それでも・・・僕はこれまで『歌門来福』『3月8日の雲~カガヤケイノチ』ツアーでこの曲を何度か生で体感していますが、ベースレスの鉄人バンドの演奏にまったく違和感が無いんですよ。凄いことです。
泰輝さんは確かこの曲でオリジナル音源には無いオルガンを弾いてくれていたと思います。右手がオルガンで、左手でしっかりベースラインを再現していたのかな。お正月に「明日は晴れる」が採り上げられたら、泰輝さんの”神の両手”にも注目しなければ。

あと、常にアコギがガッシャンガッシャンと鳴っているのも僕の好みにピッタリ。ジュリーの詞曲と共に、さらに心が洗われるようなアレンジです。

ああ 青空が ああ 消えてゆく
D                                       G

ああ 抜け殻の 色のない顔照らす
G                                           A7

もう夕焼けだ 明日は晴れる ♪
  G          D        A7         D

人間、「うまくいく」人生の方がむしろ稀でしょう。でも、限りある日々だからこそ、明日は尊い。
ふと気がつけば、色のないほど青ざめて抜け殻のような顔になってしまっている1日があるかもしれません。どうしようもなく思い通りにいかないことが、これからも度々あるのかもしれません。
そんな時、「明日は晴れる」を聴いて、せめて「顔晴って」いけたらなぁと思います。

『ジュリー祭り』の選曲からは漏れましたが、2010年、2012年と短いスパンでこの曲を歌ってきているジュリー。「大変な年」が続く2015年のスタートに向け「歌いたい」1曲なのではないでしょうか。
『昭和90年のVOICE∞』のセットリスト入り・・・個人的には「自信あり」の予想曲です!


それでは・・・少し早いんですけど、今日で2014年の記事更新は最後となります。
昨年の今日は、仕事納めだというのに無理矢理早退して『THE TIGERS 2013』ツアー・ファイナルの東京ドーム公演に駆けつけました。タイガースの再結成って、もう2年くらい前の出来事だったような感覚があるなぁ・・・。とすると、1年過ぎるのが早いのか、遅いのか・・・う~んどっちだ?

今年も1年間、毎度毎度の大長文におつき合い頂きありがとうございました。
来年も「顔晴り」ますよ~。年が明けて、『昭和90年のVOICE∞』初日までにはもう1曲、自信満々のセトリ予想曲の記事を書きますからね!
みなさま、どうぞ
よいお年をお迎えください。

| | コメント (14) | トラックバック (0)

2014年12月20日 (土)

沢田研二 「キスまでが遠い」

from『愛まで待てない』、1996

Aimadematenai

1. 愛しい勇気
2. 愛まで待てない
3. 強いHEART
4. 恋して破れて美しく
5. 嘆きの天使
6. キスまでが遠い
7. MOON NOUVEAU
8. 子猫ちゃん
9. 30th Anniversary Club Soda
10. いつか君は

----------------------

各地で大雪被害のニュースが相次ぎました。
九州最南の僕の故郷、鹿児島でもかなりの積雪があったとのこと。ましてや豪雪地はいかばかりか・・・。みなさまお住まいの地に暮らす人々の生活が無事であることを祈るばかりです。

本日、僕は48歳の誕生日を迎えました。
年齢の数字そのものに対する感慨は特に無いんですけど、いよいよ50の大台が迫ってきたなぁ、とは思います。その一方で「50手前なんてまだまだ若造、まだまだこれから!」とも思えるのは、間違いなくジュリーの人生を知っているおかげ。
とにかくこの先も、日常が平穏であって欲しい、世の中が平和であって欲しい、それだけですね・・・。

さて、拙ブログでは今、ジュリーの2015年お正月コンサート『昭和90年のVOICE∞』初日に向けて、”恒例・全然当たらないセットリスト予想”シリーズを頑張っているところですが、毎年この自分の誕生日である12月20日には、「ジュリーが現在の僕と同じ年齢を迎える年に、どんな曲を歌っていたか」というテーマで楽曲考察記事を書いています。
そんなわけで今日は、今の僕と同年齢だった年のジュリー・・・1996年にリリースされたナンバーをセットリスト予想曲としてお題に採り上げたいと思います。

ジュリー48歳の年にリリースされた作品は、精悍なパワー・ポップ・アルバム『愛まで待てない』。
年男でハッスルするジュリーは元気・健康そのもので、本当に毎年自分の誕生日を迎えて感じるのは、僕と同年齢その年々の精力的なジュリーにあやかりたい、見倣いたい、という気持ちです。
ジュリーのことですから48歳の年には「次の年男は還暦やな~」と、”将来の自分”を見据えてしっかり目標を立てていたことでしょう。僕のような凡人にはなかなかできないことですが、自分も地に足をつけて頑張らなければ、と改めて身が引き締まる思いです。

実は、アルバム『愛まで待てない』の中で僕が『昭和90年のVOICE∞』セットリスト入りを最も期待している曲は、既に記事を書き終えている「愛しい勇気」。
先月末頃でしたか・・・「我が窮状」の記事をあれこれ悩み下書きしながら何気なくこの曲を聴いて、これまでとはまったく違う感動を覚えたのです。
僕は今年、どんな考え方であるにせよ、「9条」という難しいテーマについて何かしらの個人的な思いを表することは想像以上に勇気を必要とするものなのだ、と身をもって知りました。「声をあげる」のがこんなに勇気のいることだったのか、と。
そこで、「ひとりひとりの小さな勇気。それこそが愛しいのだ」とジュリーが歌ってくれているように思えました。潔いラヴ・ソングだとばかり思っていた「愛しい勇気」がこんなふうにメッセージ・ソングとして聴こえてくるなんて・・・ジュリーの音楽って本当に不思議です。これまでも数あるジュリー・ナンバーの中で10指に入るくらい好きだった「愛しい勇気」を、ますます好きになりました。
後追いファンの僕も2010年お正月に『歌門来福』で体感済の曲ではありますが、2015年のスタートに際しもう一度聴きたい!と切望しているところです。

他収録曲でセットリストの有力候補と考えられるのは、実現すれば『ジュリー祭り』以来ということになる「30th Anniversary Club Soda」(ぴょんた様はツアー・タイトルとかけて「90th Anniversary~」ヴァージョンとして予想に挙げていらっしゃいました。素晴らしい着想です!)。
また、『PLEASURE PLEASURE』以来となる「強いHEART」にも期待できそう。もちろんジュリーLIVE定番曲のひとつであるアルバム・タイトルチューン「愛まで待てない」も可能性大ですよね。

そんな中、今日僕が敢えてちょっとひねってセットリスト候補曲に指名するのは・・・哀愁漂うメロディーとハードな演奏アプローチでいかにも90年代のオルタナ・ムーヴメントの影響が色濃いパワー・ポップ・ナンバー、「キスまでが遠い」。
アルバムからのシングル第2弾としても良かったんじゃないか、と思うほどの名曲です。伝授!

僕は毎回ツアー・セットリスト予想の際、「今回希望するジュリーのエロ・ナンバーは?」というテーマでお題を選ぶことが多く、今日「キスまでが遠い」を採り上げたのは、その意味合いもあります。
確かに歌詞の内容は「モロ!」ではないとは言えど、ステージ表現としての性衝動を大いに感じさせるナンバーですし、曲中何度かジュリー必殺の「あぁ♪」も炸裂します。もしお正月に採り上げられれば、セットリスト中「官能」担当の1曲となるのではないでしょうか。

過去の僕のセットリスト予想で「エロ」系と言えば、これまで「キューバな女」「ZA ZA ZA」「Caress」と外しまくって、連敗継続中。今度こそは、『愛まで待てない』に渋い狙い目の曲があるぞ~、と以前から張り切ってお題に決めていましたが・・・ぴょんた様の予想を拝見して、「ああっ、オリーブ・オイル(アルバム『サーモスタットな夏』収録)をうっかりしてた!」と。
「オリーブ・オイル」と「キスまでが遠い」じゃ、全然「オリーブ・オイル」の方が可能性ありそうですね。
ちなみに「オリーブ・オイル」は盟友・YOKO君のスーパー・ダイブ曲です。たぶん彼、お正月は今年も参加できないんじゃないかと思うけど。


さて、「キスまでが遠い」の作詞は、ジュリーとの相性抜群な女流作詞家さんのお一人、朝水彼方さん。
朝水さんと言えばジュリーファンにとってまず思い起こす曲は、情熱的に唇をねだる1993年の『REALLY LOVE YA !!』収録「そのキスが欲しい」でしょう。
で、その後3年経ってもいまだキスまで届いていない、という状況を描いているのが「キスまでが遠い」(違)。これにはさすがのジュリーも焦れまくって、「あぁ♪」のエロ攻めを繰り出すしかありませんかね
(←だから違)

キスまでが遠い 人生を越えるよりも ♪
F             A7        E♭                C

遡れば、80年代の女流作詞家さんのジュリー・ナンバーについて、岡田冨美子さんの「どうして朝」「アンドロメダ」や三浦徳子さんの「月曜日までお元気で」などで僕が感じているのは、「女性ならではのジュリー観=スケールの大きさ」です。まるで「世界」「宇宙」を手中にするかのようなブッ飛んだフレーズを、ジュリーの歌に注ぎ込んでいるような・・・。
それら80年代の曲では非日常的なフレーズによる手管であったものが、90年代の覚和歌子さんや朝水彼方さんの作詞になると、今度はジュリー自身の日常、人生とシンクロするようなアプローチで、その上でスケールの大きさを感じさせます。
先に挙げた朝水さんの歌詞部では、逆に「キスに届いたら、人生を越えられる」とまで言い切ってしまっているわけで、これは「さぁ、その官能を解き放て!」という歌だと僕は思うんですよね。

このように、朝水さんの詞は間違いなく「エロ」の要素を含んでいるとは思いますが、この曲の場合は吉田光さんの曲想、大村憲司さんのアレンジ、そしてジュリーのヴォーカルによって「エロ」が極められているタイプのナンバーではないでしょうか。
特にジュリーのヴォーカル・・・ジュリーって、自作詞のエロ・ナンバーはハードな曲調に合わせてあくまでステージ表現としての嗜好によるものが多く、作詞家さんに依頼したナンバーでは、詞に込められた官能の部分を自分の気持ちに引き寄せたエロへと昇華させるものが多い、というのが僕の印象です。「キスまでが遠い」のヴォーカルにもそれを感じます。
そしてそこには必ず、「音」の職人による素晴らしい貢献があります。

そこで、まず吉田光さんの作曲。パワー・ポップのキャッチーな魅力と同時に、吉田さん得意のプログレッシブ・ロックの手管が大胆に注入されています。
それを象徴するのがAメロの小節構成。

可愛いって思う・・・     抱き締めたいけど
F             B♭  B♭(onA) Gm     B♭ C7

いけないって思うんだ 
F                B♭      B♭(onA)

触れあうなんて
Gm     C7

そのあとは怖いくらい 加速度がつくよ ♪
Dm                                        C7

冒頭から「触れ合うなんて♪」までは、奇数の3小節でひと塊として回しているんですね。
朝水さんの作詞はおそらく吉田さんのメロディーの後から載せたものかと思いますが、「焦り」と「躊躇い」のせめぎ合いの中にある主人公の気持ちが、この奇数小節進行によってグッとリアルに迫ってくるようです。

さらに大村さんのアレンジ。注目すべきは、イントロとエンディングです。
シンセ・ストリングスで、表拍の重々しい刻みを導入したイントロ。ビートルズの「アイ・アム・ザ・ウォルラス」を思わせるサイケデリックな手法で、歌の主人公の「切羽詰った」ギリギリのシチュエーションをまず表現しています。目立つのはイントロですが、各楽器パートのいずれかがヴォーカル部でも表拍の刻みを入れて緊張感を継続させているのが、この曲の大きな特徴と言えます。
またエンディングは、サビ進行の入念なリフレイン演奏。じわじわとドラムスのオカズが増え、官能の昂ぶりを表しているようです。この「リフレインでエンディング引っ張る」アレンジはエロ・ナンバーの常套手段でもあり、「キスまでが遠い」のようなハードな曲だけでなく、サイケデリック・バラードでも使用されることがあります。
ジュリー・ナンバーで言うと「君にだけの感情(第六感)」などがそうですね。

では、もし「キスまでが遠い」が今度のお正月LIVEで
採り上げられたら(可能性は低いでしょうが)、今の鉄人バンドスタイルでどのような演奏をしてくれるのか、を予想してみましょう。

この曲は比較的最近のLIVEですと、2004年お正月の『爛漫甲申演唱会』で採り上げられていますね。
キーボードが不在、ベーシストとして依知川さんが参加していたハード・ロック志向のバンド・サウンドの時代で、「キスまでが遠い」の2004年の演奏は、シンセサイザーを大きくフィーチャーした原曲とはかなり印象が異なります。

まず原曲イントロのシンセ・ストリングス部・・・これは鍵盤の右手和音パートを下山さんのコード・カッティング、左手単音パートを依知川さんのベースで再現。いやぁカッコ良いアレンジです。
ただ、このイントロ以降下山さんはバッキング、依知川さんは当然ベース・パートに専念します。歌メロ以降の原曲キーボード・アレンジは、リードギターとも並行しつつすべて柴山さんがたった一人で再現しているのです。柴山さん、大忙しです!

柴山さんの演奏・・・まずスライド・ギターは、音階そのものは原曲に忠実。そんな中にも柴山さんらしい工夫があって、フレーズの語尾をサスティンで伸ばしてフィードバックさせるのです。そうすると、フレットから左手の指を離しても音が鳴り続ける・・・その音が鳴っている間にササッとボトルネックをマイクスタンドに置き、「ぎゅ~ん♪」と言わせて指をフレットに戻し、通常のピック演奏に切り替えるんですね。
また、ジュリーが「これでいいさ♪」と歌う間奏直前の1小節の間隙を縫って再度ボトルネックを装着するなど、下山さんにも負けない霊力を魅せてくれます。

2004ranman


↑ DVD『爛漫甲申演唱会』より。
イントロでスライド・ギターを弾く柴山さん

問題は、エンディングです。
オリジナルでは、演奏のメインはシンセサイザーのソロ。柴山さんは、若干ギター向きに崩しているフレーズも挿し込んでいるとはいえ、「ちゃららっ、ちゃららっ、ちゃららっ♪」というキメの下降フレーズについては渾身の完コピ!
先日発売された『ギターマガジン1月号』でのインタビュー(ジュリーファンも必読の内容!)で柴山さんは、「キーボード不在の時代は、鍵盤パートをすべてギターで再現するのが大変だった」と語っていました。「キスまでが遠い」もそうした1曲だったのかもしれません。

柴山さん曰く、ジュリーLIVEのギターソロについて、オリジナルとは異なる「アドリブでバ~ッといく」フレージングを多用する場合はだいたい下山さんの担当になるそうで、現在の鉄人バンドではそんな感じでギター2本の担当パートを振り分けているみたいですね。
では、2004年とは体制が違う今の鉄人バンドですと、「キスまでが遠い」はどのような分担になるでしょうか。

シンセのパートはそのまま泰輝さんの演奏になるでしょう。左手でベース音をカバーしながら、エンディングで華麗なソロを弾いてくれるに違いありません。
ギターソロはどうでしょう。僕の予想は
「イントロ、間奏のスライド・ギターは柴山さんがオリジナルに忠実に、エンディングでシンセに絡む単音は下山さんがアドリブ全開で担当する」
というもの。
柴山さんがSGで、下山さんが「ルースターズ時代に何人かブチのめしてるやつ」(←勝手な妄想です。最近「マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!」で使用している、傷のような模様が渋いギターのこと。てか、『ギターマガジン』さん、今度は下山さんのインタビュー&機材紹介をお願いします!)ですかね~。
柴山さんのスライド・ギター部、ジュリーの歌メロ部のバックで「じゃ~つく、じゃ~つく、つくつく、じゃ~つく♪」と刻むのが下山さんになるでしょう。
今の鉄人バンドがこのような分担で演奏したら、キーボードレス時代よりもむしろハードな「キスまでが遠い」が楽しめるような気がします。

メロディーの最高音はサビ部の高い「ソ」の音。その最高音へとせり上がる感じがジュリー得意のパターンのように思えますし、今のジュリーが歌って気持ちの良いナンバーなのではないでしょうか。
是非、生で聴いてみたい1曲です。


それでは今日のオマケです!
48歳を迎える年、1996年にジュリーはLIVE、CDリリース以外にこんな活動もしていました。
『DORA』のパンフレットから、カッコ良過ぎる48歳、年男ジュリーのショットです!
(厳密には、パンフの写真は誕生日前の撮影ですが)

Dora2

Dora3


Dora5

こうして写真を見ますと、「48歳って、まだまだイケてる年齢じゃないか。元気いっぱいじゃないか」と思ってしまうんですが、あくまで対象がジュリーなわけですからねぇ・・・胆石や腰痛と深いおつき合いをする身となった自分と重ね合わせるには無理があります(泣)。
でもひょっとしたらジュリーも、50代を目前に様々な身体の変調に気づきながら、超人的なスケジュールに備えて頑張り始めた時期なのかもしれないなぁ、とも想像します。健康への留意、体力、気力の維持という点で、及ばぬまでも見倣っていかなければなりませんね。


さて、次回更新は・・・さすがに年の瀬、多忙につき間隔は空いてしまうと思います。
ギリギリになってしまうかもしれませんが、なんとか年内にあと1本、セトリ予想記事を書いて2014年の締めくくりとしたいと考えています。さらに年が明けてLIVE初日までにもう1本・・・”全然当たらないセットリスト予想”シリーズは残り2曲を採り上げる予定。
お題は決まっています。「きめてやる今夜」や今回の「キスまでが遠い」はみなさまとしてもちょっと”狙い過ぎ”じゃないのかなぁ、と思われていることでしょうが、ここからの予想2曲は結構自信ありますよ~。
まずは次回、2000年代のナンバーをお届けします!

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2014年12月13日 (土)

沢田研二 「きめてやる今夜」

from『ROYAL STRAIGHT FLUSH Vol.3』
original released on single、1983


Royal3

1. どん底
2. きめてやる今夜
3. 晴れのちBLUE BOY
4. 背中まで45分
5. 6番目のユ・ウ・ウ・ツ
6. ”おまえにチェック・イン”
7. 麗人
8. ス・ト・リ・ッ・パ・-
9. TOKIO
10. サムライ
11. 勝手にしやがれ
12. あなたへの愛

---------------------

今週そして来週にかけても寒い日が続くようですが、みなさま体調を崩されていませんか?
僕は今のところ大丈夫です。毎日帰宅後のうがい、手洗いを心がけているのが良いのかな。

今日も張り切って、『昭和90年のVOICE∞』初日に向け、”恒例・全然当たらないセットリスト予想”シリーズ記事での更新となります。
お題は、前回の「渚のラブレター」に続いて80年代のシングル曲・・・「きめてやる今夜」です!

セットリスト予想としては中穴、いや大穴なのかな。予想に挙げる人は多くはないでしょう。
今回この曲を予想した根拠は特になくて
(←コラ)、「一度は生で聴いてみたい」という個人的な願望の方が大きいかなぁ。やはり後追いファンの身・・・「まだLIVEで体感できていない70~80年代のシングル曲」のセトリ入りへの期待は毎回大きいのです。前回記事の「渚のラブレター」然り、その以前に記事執筆を終えている「さよならをいう気もない」「麗人」「酒場でDABADA」なども然り。

それともうひとつ、この曲を書こうと考えた理由は・・・。
「きめてやる今夜」って、タイムリーで70年代からの年越しロックフェスに参加していたり様子を知っていたりするジュリーファンの先輩方にとっては、ロックフェス=裕也さんの象徴のようなスタンスの曲であって、それが同時に「師走」のイメージに繋がっていらっしゃるのでは、と想像しました。
お正月LIVEを楽しみに待ちつつ、慌しい年末に向かって日常を頑張るこの時期、「ちょっとひと息」という感じで採り上げるには最適のお題ではないか、と。

白状しますと、僕はつい数年前まで裕也さんヴァージョンの「きめてやる今夜」を知らずにいて、この曲本来のコンセプトを長年誤解していました。
高校生になった頃の僕は、ギター熱が爆発しバンド活動に目一杯時間を割く生活を送ることになって、ほとんどテレビの歌番組というものを観なくなりました。
それがちょうど1983年。ですから少年期の僕が「沢田研二をちょくちょくテレビで観ていた」のは、シングルで言うと「背中まで45分」までなのです。
ただ、その後数曲もなんとなくではありますがテレビ映像の記憶は残っていて・・・あくまでその頃のチラ見程度(たぶんね)に過ぎない無責任なガキの印象をここで正直に書いてしまいますと

「晴れのちBLUE BOY」・・・難しい!
「きめてやる今夜」・・・歌詞がコッ恥ずかしい!
「どん底」・・・阿久さん時代の2番煎じ!
「渡り鳥 はぐれ鳥」・・・無理してて痛々しい!

という(滝汗)。
無論、これらの浅はかなイメージは今となってはすべて誤りで、懺悔しかないこととは思っておりますのでどうかその点は平にご容赦頂くとしまして、既に記事執筆を終えた「渡り鳥 はぐれ鳥」以外の3曲については、自分がどんなふうに誤っていて、真にはどうであったか、ということをこのブログで書く機会を窺っておりました。
今日はその中から満を持して「きめてやる今夜」を指名、ということになります。今はもう、「大好き」とハッキリ言える名曲・・・懺悔に代えて全力伝授です!

10代のDYNAMITE少年が、テレビでほんの一瞥した程度で偉そうに「切り捨てて」いた(に等しい)「きめてやる今夜」を、長年の後に再評価するに至った道程には、2つの段階があります。
僕は『ジュリー祭り』の数年前にポリドール期の全アルバムを大人買いし、ジュリーファンとしての第1歩を踏み出していたわけですが、一番最初に購入したCDは『ROYAL STRAIGHT FLUSH』の3枚でした。『3』も繰り返し聴いていたんですけど、その時点ではまだ「きめてやる今夜」への浅はかな軽視は変わらず。
とにかく、「歌詞がどうもなぁ」と。

僕は当初、これは「曲先」の制作順だろうと思い込みました(当然、それは完全な見込み違いです)。
まず曲想から、80年代前半の音楽界を象徴する「サックス・ロック」を連想。なるほど、エイト・ビートの王道ポップ・ロックのパターンで売れセンを狙って、サックスの名手でもある井上大輔さんに曲を作ってもらい、その上でジュリーなりの気どった詞を載せたんだろうな、と(浅い!)。
それにしても

OH OH OH 女なら星の数
E7              C        Cm

気まぐれなんだぜ 俺は ♪
A7                          D7

「は、恥ずかしい・・・自分で言うことか~」などと思ってしまって(あくまで当時の感想ですよ!)。
まぁジュリーほどの人ならば、トコトンまで自分をイイ男と踏まえて作詞するのは大いにアリだとは思ったけど(「BURNING SEXY SILENT NIGHT」の詞は大好きです!)、それにしてもこの曲調、メロディーに載せる詞としてはどうなんだかなぁ、と。
要するに、「きめてやる今夜」を安易に「ジュリーが自分のことを表現しようとした歌」と捉えてしまったことが、まず痛恨の勘違いだったのです。

こうした詞曲の乖離を感じたままではありながらも、その後「おっ、これは!」とこの曲をひとまず見直す1段階目が訪れたのは、『快傑ジュリーの冒険』でエキゾティクスの演奏映像を観た時です。
たぶん2006年のことかな。

とにかく柴山さんのギターですよ!
レコーディング音源で言うと、左サイドにミックスされているパート。ジュリーのヴォーカルが始まってからのバッキング演奏に注目してください。
音だけをパッと聴くとシンプルなアルペジオのような感じですが、映像だとイメージが一新されます。
これは和音の構成音を長尺で昇り降りするもので、音階移動としては鍵盤楽器の手法なんですよ。事実、レコーディング音源の右サイドにはギターとユニゾンのキーボード・パートがあります。

普通のアルペジオ奏法ならば、左手でコードを押さえたままの状態で右手だけを忙しく動かせば済む話。しかしこの「きめてやる今夜」のバッキング・パートの音階をギターで弾こうとすると、左手の移動からしてまず大変なのです。それをアップ・テンポのエイト・ビートに載せて延々と刻み続けます。
1小節ごとに和音は変わり、音階移動も当然変わる・・・この演奏が高速の速弾きソロよりもずっと難しいことは、ギターを嗜む人ならお分かりかと思います。
『快傑ジュリーの冒険』をお持ちのみなさまは、是非今一度「きめてやる今夜」の柴山さんに注目して観てください。あのキュートな動きは単なる「カッコ良さ」にとどまらない、難易度の高い演奏とぴったり連動したものなんですよ。「こういうフレーズは、こんなふうに身体を動かして弾けい!」というプロフェショナルのお手本です。

建さんのベースも素晴らしい。
こちらは譜面にするとエラく簡単で、2分音符がズラズラ並ぶことになるんですが、建さんの演奏には音符には表せないグルーヴがあるのです。それが建さんの個性「弾いてない箇所」の表現であり、拍の頭から微妙にシンコペーションさせる「ノリ」が「音符」とは全然違うんですよね。

この曲は建さんのアレンジです。
建さんのベース演奏は、ジュリーのアレンジを担当するようになって劇的にその趣向が変わった印象があります。それまでは「俺の凄腕をくらえ!」みたいな感じ(「世紀末ブルース」「ジャンジャンロック」「FAXY FOX」など)で個人プレイっぽかったのが、バンド全体のグルーヴを担う大黒柱になった、というのかな・・・その「バンマス的な」演奏アプローチが後に泉谷さんのLOSERでは神がかりなレベルになったり。
そうそう、「きめてやる今夜」の建さんのアレンジは、「”おまえにチェック・イン”」の銀次さんのアレンジと雰囲気がよく似ています
。コード進行が似通っている、という要因もあるのかもしれませんが、ベースラインとか、キメのコーラスの挿し込み方とか。
83年から84年にかけての『ヤング』のジュリー関連記事を読むと、当時ジュリーが「大ヒット」に飢えていたことがヒシヒシと感じられます。建さんのアレンジも「ヒット」的な要素を狙った結果「”おまえにチェック・イン”」っぽく仕上げられたんじゃないかなぁ。

最後まで燻っていた「歌詞への違和感」が完全に払拭されたのは、『ジュリー祭り』の数ヶ月後でした。
他でもありません。裕也さんヴァージョンのこの曲の映像を初めて観て(優作さんも出演されていた有名なロックフェスのやつ)、「原曲」を知った時です。

ドーム参加の時点では、まさか自分がここまで「ジュリーLIVE恋し」の状況に陥るとは思ってもいませんでしたし、澤會さんへの新規会員加入もできなかった頃で、僕は裕也さんとのジョイント・コンサート『きめてやる今夜』のチケットが入手できず・・・(まぁ、日程的にハナから無理だったということもありましたが)。寂しい思いをしながらセットリストをYou Tubeなどで振り返っていて出逢った映像だったわけですが・・・いや衝撃でした。「きめてやる今夜」って、本来こういう歌だったのか!と。
例えば

いいから      聞きなよ 
G           Em  C         D7

今夜は  俺の話を
G    Em     C    D7

イカれた ロックンロール
Bm7-5   E7-9               Am7  D7

俺にはすべて ♪
       G           Em    C    D7

(註:コード表記はジュリー・ヴァージョンのもの)

あらたまって「話がある」と言っておきながら「イカれたロックンロールが俺にはすべて」って・・・どういう脈絡の話なんだ、支離滅裂じゃん?と思っていたけど、これ、裕也さんなら必然の発言でしょう。
しかも裕也さんヴァージョンは、「トーキング・バラード」なのですね。裕也さんのヴォーカルって実は、シャウト系よりもこうした切々としたトーキング・スタイルの方が素晴らしく味があると僕は思っています。
「きめてやる今夜」の場合ですと、ジュリーの作ったメロディーは意外やポップス寄りなのですが(でもジュリーの作曲ですからいわゆる「ありがち」な進行にはなっていません)、裕也さんが歌うとどこかブルースっぽく聴こえるのです。そこが良いんですね。


調べてみますと、裕也さんの「きめてやる今夜」のリリースは何と1977年(先輩方は当然のようにタイムリーでご存知だったのでしょうが、後追いの僕は本当に驚きました。そんなに昔の曲だったのか、と)。作詞・作曲がジュリーで、アレンジが先日亡くなられたジョニー大倉さん(これまた驚き)。
ジュリーが曲を仕上げたのは76年から77年にかけてでしょうか。全収録曲で作曲を担ったアルバム『チャコール・グレイの肖像』との作風関連も考えられます。
作詞・作曲共にジュリーということで言えば、”陰”の「ヘヴィーだね」に対して”陽”の「きめてやる今夜」と比較してみるのも面白いでしょう。イメージは真逆ですが、この2曲は詞曲を練ってゆく過程の手法が似ているように思います。

こうして「原曲」のコンセプトを知ることで、歌詞への誤ったイメージを一新、改めて井上大輔さんのメロディーによる「きめてやる今夜」を聴き込んでみますと・・・いや、これはこれでまた裕也さんヴァージョンとは違った素晴らしさがあるじゃないか、と。
確かにジュリーが切望したような「大ヒット」とはならなかったかもしれません。しかし、詞とかメロディーとか言う以前にまずこのジュリーのヴォーカル・・・凄まじく良い声じゃないですか?
「カ行」発音の説得力。艶やかな語尾の切り方。
ジュリー35歳・・・男性ヴォーカリストとして、大人の色気と充実を感じます。

井上さんの作曲も、変に肩肘張っていなくて純粋なパワーポップ系で、いかにもGS時代から邦洋ロック&ポップスの魅力を知り尽くしたプロフェッショナルのペンによるナンバーという感じ。
改めて紐解くと

イカした ラヴソング ♪
Bm7-5    E7-9      

この「Bm7-5→E7-9」の2段攻撃などは、「ジュリーが歌ってこそ」のエロティックな進行です。
また、ヴォーカル・フレーズの隙間が多いメロディーの当て方(特にAメロ)、その隙間に絡んでキラキラ系のシンセサイザーが追いかける裏メロも、聴くたびにクセになってきます。
ジュリーらしい「名曲」「名ヴァージョン」
と言えるのではないでしょうか。

もしこの曲が『昭和90年のVOICE∞』セットリストに採り上げられたら・・・先程『快傑ジュリーの冒険』での柴山さんのギターについて書きましたけど、現在の鉄人バンドでこの曲を演奏するなら、あの細かい単音移動のパートは下山さんの担当になるような気がするんです。
下山さんがゴリゴリにコード・トーンの単音を弾いて、一方柴山さんはサスティンを効かせたカッティング(CDの右サイドのパート)・・・これが僕の予想。
となれば、注目は下山さんの身体の動きです。
このギター・パートを直立不動で弾こう、なんて考えるギタリストはおそらくいません。柴山さんほど大きなアクションではないかもしれませんが、ネックを上下に振りかざし、膝を曲げたり伸ばしたりして(それらはすべて、この曲の場合は理に適った動きです)小刻みに動く下山さんの雄姿が観られると思いますよ~。

では最後に、オマケです!
先輩からお預かりしたお宝資料・・・『ヤング』のバックナンバーで「きめてやる今夜」リリース当時の記事を追って、締めくくりとしましょう。
後追いファンの僕も、今まで漠然としていたこの曲の時代背景やジュリーのルックス(おもに髪型ね)を、バッチリ頭に叩き込むことができました。貴重な資料を長年保管されていた先輩に感謝、感謝です。

831001

831002

「キメコンヘアー」って言うんですね・・・。
ずいぶん短くしていますが、僕はこういう髪型のジュリーも好きです。みなさまはいかがですか?

831003

新規ファンとしては、単純にリリースの年号だけでは把握し辛かったのですが、この曲はアルバム『女たちよ』と同時期なのですね・・・ジュリー、なんと幅広い!
しかも「歌」ばかりではなく

831004

『山河燃ゆ』の撮影が始まったのもこの頃でしたか・・・。

さらには、エキゾティクスのアルバム・プロデュースも!

831005_2

そして、80年代『ヤング』の目玉連載、『沢田研二の”よいではないか”コーナー』。

831007

831008


資料はいずれも『ヤング』1983年10月号より


それでは次回の更新ですが・・・一週間後の20日土曜日とさせて頂きます。
この日は僕の48歳の誕生日で、毎年12月20日には「ジュリーが自分と同年齢の年にどんな曲をリリースしていたか」というテーマでお題を選んでいます。
ジュリーが48歳を迎える年にリリースしたアルバムは、『愛まで待てない』。必然、このアルバムからお正月のセットリスト候補曲を探すことになりますね。

ぴょんた様が既に「90th Anniversary Club Soda」という見事な予想をしていらして、僕としては早々に「やられた~、参った~」って感じなんですけど、なんとかまだ記事にしていない収録曲の中から1曲採り上げてみたいと思います。
無難に予想するならアルバム・タイトルチューンの「愛まで待てない」がふさわしいでしょうが、ここは敢えて少し捻ったお題を考えていますよ~。
お楽しみに!



P.S.プチ情報
・ほとんどのジュリーファンのみなさまはもうご存知でしょうが、去る11日発売の『ロックジェット59号』(シンコー・ミュージック刊)に、お馴染み佐藤睦さんによる『三年想いよ』南相馬公演のレポートが掲載されています。
佐藤さん、ますます素晴らしい・・・渾身のレポートです!
また、連載中のヒロ宗和さんによるジュリー全アルバム解説も、予想通り80年代の作品群に突入するや一気に熱さを増しています。
・こちらはまだご存知ないかたもいらっしゃるかな・・・本日13日発売の『ギター・マガジン1月号』(リットー・ミュージック刊)に、我らが柴山和彦さんのフォト&インタビュー記事が掲載されています。
あれほどのキャリアと実力がありながら、こんなにカッコをつけず自然体で、偉そうにするところが微塵も感じられない柴山さん・・・ギターも人柄も超一流です。
僕としてはこの本の他記事で大好きなパブ・ロッカーの1人、ウィルコ・ジョンソン(ドクター・フィールグッドやイアン・デュリー&ブロックヘッズにも在籍。人呼んで”マシンガン・ギター”)の総力特集が組まれているのも嬉しい限り。
柴山さんの記事は、ジュリーファンとしても見逃せない濃厚、充実の内容です。是非!

| | コメント (11) | トラックバック (0)

2014年12月 8日 (月)

沢田研二 「渚のラブレター」

from『S/T/R/I/P/P/E/R』、1981

Stripper

1. オーバチュア
2. ス・ト・リ・ッ・パ・-
3. BYE BYE HANDY LOVE
4. そばにいたい
5. DIRTY WORK
6. バイバイジェラシー
7. 想い出のアニー・ローリー
8. FOXY FOX
9. テーブル4の女
10. 渚のラブレター
11. テレフォン
12. シャワー
13. バタフライ・ムーン

from『ROYAL STRAIGHT FLUSH 2』

Royal2

1. ス・ト・リ・ッ・パ・-
2. おまえがパラダイス
3. 恋のバッド・チューニング
4. TOKIO
5. OH!ギャル
6. ウインクでさよなら
7. 渚のラブレター
8. 酒場でDABADA
9. ロンリー・ウルフ
10. さよならをいう気もない
11. 立ちどまるな ふりむくな
12. コバルトの季節の中で

--------------------

それでは!
開幕までもうあと1ヶ月となりましたジュリーのお正月LIVE、『昭和90年のVOICE∞』へ向け、今回から”恒例・全然当たらないセットリスト予想”シリーズを本格的に開始いたします~。

前回記事「我が窮状」も含め、全6曲を採り上げる予定(お題はほぼ決まっています)。
あまりにもリアリティの無さそうなナンバーは避け、今回も一応全力で当てにいきます。が・・・とにかく僕の予想って、毎回見事なほどまったく当たりません。
なんとか2曲くらいは的中させたいと息巻いていますが、さてどうなりますか。「さすがにこの曲はナイでしょ~」とか、「いや、あり得る!」とか、みなさまのツッコミ、ご賛同も是非コメントでお知らせくださいね。

今日は、僕にしては珍しく、ジュリーのビジュアル面についても語りたいお題を採り上げることにしました。
そもそも、美的センスの無い僕がそれでもシンプルに、ジュリーのルックスを「カッコイイ!」と感じているのはいつの時代のジュリーか、というと・・・。
これが圧倒的に80年代初頭です。
アルバムだと『BAD TUNING』から『A WONDERFUL TIME』まで、ということになるのかな。子供心に覚えてるテレビの映像でも、「恋のバッド・チューニング」から「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」までのジュリーは、「カッコイイ」と思って観ていた記憶があります(個人的にヴィジュアルで一番好みのシングル・ヒットの映像は「麗人」です)。
その前の「TOKIO」や後の「背中まで45分」についてはヴィジュアルの魅力がよく解らない、と子供心に思っていたくらいですから(もちろん今の自分の感覚とは違いますが)、案外僕の中で「ルックスがカッコイイ」ジュリーというのは時期的にハッキリ限定されているのかなぁ。

ルックス、というのは顔のことだけではありませんよね。身体全体、ひいては仕草や動き、表情まですべて含めてのことでしょう。
また、80年代初頭のジュリー・シングルはテレビで観ていても、歌い手のジュリーだけでなくバンドと一体になった映像構図の印象が強く、ちょうどビートルズなど洋楽のバンド・サウンドに興味を持ち始めた頃の僕にはそのあたりも少なからず影響していたかもしれません。
今日は、そんなカッコイイ映像構図やジュリー独特の仕草や動きで少年時代の僕の記憶にも強く残っているジュリーのヒット・シングル・ナンバーを、お正月セットリスト候補に指名いたします。

ズバリ、「渚のラブレター」。そろそろLIVEで歌って!と切望されている先輩方も多いようですね。
ちょっと不遜と言いますか、大胆な個人的推察なども織り交ぜつつ・・・畏れながら伝授です!

今からもう、30年以上も前ということになるのですか・・・中学生だったDYNAMITE少年の記憶に鮮やかに残った「渚のラブレター」のジュリーとは

ポケットに手を突っ込んで闊歩する

という仕草とワンセットになっています。

当時、「渚のラブレター」を歌うジュリーがどのくらいの割合でそんな仕草をテレビで見せてくれていたのか、実際のところは僕のような後追いファンにはよく分からないのですが・・・とにかく僕にとってこの曲は、「あまりにカッコ良くポケットに手を突っ込んで歌う沢田研二」のイメージが長い間定着しているのです。

これは、ちょうどこの頃中学生だった男子特有の感覚なのかもしれません。
中学生になったくらいの思春期の少年って、とにかく「背伸び」をしようとします。服装もそうですし、態度や行動も・・・その中のひとつが「ポケットに手を突っ込んで歩く」というものです。昔はそういった行動が不良への第一歩とされたものですが、あれは少年たちの「大人への憧憬」の純粋な表れだと思うんですよね。
ですから、ポケットに手を入れた男同士がそれこそ「肩と肩をぶつけながら♪」歩くってのは、だいたい10代前半の少年達にとっては当たり前の情景であって、僕のような一般人でも、普通に体験していることです。

それはさておき。
年長の従兄とか、近所で働いてるアンチャンとか、ポケットに手を突っ込んで歩く様がカッコイイお兄さんを見つけては、憧れマネをする・・・僕にとってはちょうどそんな時期にテレビで観ていた「渚のラブレター」が、「カッコイイお兄さん」代表格としてのTVの中のアイドル・ジュリーの記憶に繋がっているというわけで。

そんな「渚のラブレター」ヒット真っ只中・・・”憧れのお兄さん・ジュリー”の当時の写真は、僕の手元にあるいくつかの資料で楽しむことができます。

Nagisa1


『HEIBON SONG』昭和56年6月号より

よく見えない角度になっていますけど、これ、左手はポケットに入れてますよね、ね?
このポーズこそ、ズバリ僕の記憶にある「渚のラブレター」のジュリーのイメージそのものです。

Nagisa6


『HEIBON SONG』昭和56年8月号より

『HEIBON SONG』や『YOUNG SONG』は、話題の新曲を巻頭カラーページに配し、モノクロ・ページに数ヶ月分の曲目をバック・ナンバーとして収載するというスタイルです。従って「渚のラブレター」も2ケ月後にはモノクロ・ページの掲載となりますが、それでも小さくスコアと一緒に写真が載る、というパターンは選ばれし歌手数名に限られます。
この当時のジュリーは歌本においてもスペシャルな待遇ですから、当然写真も掲載されています。

変わってこちらは、贅沢なショット満載のスコア。

Nagisa3


『ス・ト・リ・ッ・パ・- 沢田研二楽譜集』より

いつもコメントをくださるnekomodoki様が2冊お持ちだったうちの1冊を、以前この若輩にお譲りくださり(本来は、「保存用」としてお持ちだったはず・・・何とお礼を申し上げればよいやら)、いつも掲載曲お題記事執筆の際にスコアを研究させて頂いております。ありがとうございます!
「渚のラブレター」掲載の見開きページの写真を拡大してご紹介しますと・・・。


Nagisa4_2

Nagisa5


最後に添付した写真では、やはりカッコ良くポケットに手を入れていますね!

ではそろそろ楽曲の話に移りますが・・・「渚のラブレター」はアルバムに先んじてのシングル発売。
CMのタイアップになったりして、それについてのジュリーのあまり肯定的でない発言など、僕が後から知った逸話も多いですが・・・作曲がジュリー自身ということもあってか、とにかくヴォーカルが素晴らしい!
ジュリー歴代ヒット・シングルの中でも屈指と言えるのではないでしょうか。

♪ 口笛 吹いたら 
      G           F#m

  それがラストのlove letter
  Em                       A7

  今なら取り消せる Baby
        G          F#m  Bm

  おまえが言ったさよなら ♪
  E7                          A7

Nagisa2

上記スコアの通り「取り消せるBaby♪」の「せ~る♪」は高い「ラ」の音まで跳ね上がります。
そしてこの曲のジュリーのヴォーカルは、正にその最高音部「取り消せるBaby♪」の部分が他を圧倒して凄まじく良い!という・・・。
もちろん他の箇所のヴォーカルもすべて素晴らしいんですけど、「渚のラブレター」と言えば僕は何を置いてもこの最高音部のジュリーの声ですね~。

で。
この曲、シングル・ヴァージョンとアルバム・ヴァージョンがありますよね?
拙ブログのスタイルとして当然、記事執筆にあたり両ヴァージョンの比較考察などやらねばならないんですけど・・・自分の耳に「絶対!」「100%!」というところまでの自信は無いながらも、思い切って言いますと。

この2ヴァージョン、演奏トラックは同じじゃないですか?

もちろん、シングル・ヴァージョン冒頭に登場する波音のS.E.とオルガンという、2つのトラックの有無、という違いはあります。ただこれは楽曲を通してのトラックではなく別録りなのは明らか。
問題はその他のドラムス、ベース、ギター、ピアノの「一発録り」部の演奏。何度聴いても、2つのヴァージョンがそれぞれ同じトラックとしか思えないのです。
普通の考え方・・・まずシングル・ヴァージョンのレコーディングがあり、その後ロンドンでアルバム・ヴァージョンを改めてレコーディングしたのだ、と僕は少し前まで漠然と考えていました。2つのヴァージョンは、あまりにも聴いた印象が違いますからね。みなさまもそう考えていらっしゃるかたが多いでしょう。

でも、改めて紐解いてみますと。
一応80年代当時のMTRレコーディングやミックス、トラックダウンについて多少の心得がある僕の耳が「これはベーシック・トラック自体は同じじゃないかな?」と言い出しました。

例えばドラムス。仮に2つのヴァージョンが期間を空けての別のレコーディング・トラックだったとすれば、3連符のオカズのスネアとキックの組み合わせがここまで完全に一致しているのは不自然です。
無論ジュリーのレコーディングにおいても、かつてはアレンジャーが用意したスコアをスタジオ・ミュージシャンが忠実に譜面通りに演奏する、というスタイルに近い制作時期がありました。それならば2つ存在するヴァージョンが同じ演奏になることは考えられます(ただし、それでも人間が演奏する以上まったく同じニュアンスにはなり得ません)。
しかしながら少なくともアルバム『BAD TUNING』以降、そうしたレコーディング・スタイルはジュリーの作品には採り入れられていません。それはイコール、「ロック」を意識した作品制作、ということでもあります。

「同じトラックにしては音色が違い過ぎない?」と多くのかたは思われることでしょう。しかしこの点は、センド・リターン・エフェクトという作業でクリアできます。
伊藤銀次さんが2011年にブログで連載してくださっていた『G.S. I LOVE YOU』制作秘話を読めば、当時の銀次さんがセンドリターンの処理まで含めて自らのアレンジ・アイデアとしていたことは間違いなさそうです。

シングル・ヴァージョンの「渚のラブレター」のセンド・リターン・エフェクトはおそらく深めのリヴァーブにタイトなコンプレッサーを掛けあわせたもの。一方アルバム・ヴァージョンは薄いショート・ディレイで「素」に近い音に・・・という狙いだったのではないでしょうか。
ちなみにシングル・ヴァージョンでのドラムスのセンドリターンは、『G.S. I LOVE YOU』収録の「彼女はデリケート」「MAYBE TONIGHT」の2曲のそれと非常に近いです。また、各トラックのPAN配置も各トラック左右の分離がハッキリしています。
シングル・ヴァージョンは『G.S. I LOVE YOU』寄り、アルバム・ヴァージョンは『S/T/R/I/P/P/E/R』寄り(←収録曲なんだからこれは当たり前だけど)のミックスと言えるでしょう。

それぞれのヴァージョンのミックスの個性は、そのままジュリーのリード・ヴォーカル・テイクについても同様。ただし、ジュリーのヴォーカル・トラックについては、同じテイクのようにも聴こえますし、センドリターンのエフェクトのみならず、2つのヴァージョンで完全に別のテイクであるようにも聴こえます。
ならばやっぱり演奏も別・・・?
でも、こんなに細部までニュアンスが一致するものかなぁ。ジュリーのヴォーカル・テイク自体が最初のマスターの段階から複数存在していた可能性もありますし。

思い出すのは、今年の伊藤銀次さんのラジオでの話。
「キーを下げ忘れてレコーディングしてしまい、ジュリーに謝った」という逸話が語られていましたよね。ジュリーが「いや、歌えてるけど・・・」と言ってくれたので、銀次さんは胸を撫でおろしたのだとか。
この「キーを下げるはずだった」というのが、正確にどのタイミングであったのか。
シングル・ヴァージョンの最初のレコーディングの際、作曲段階ではニ長調だったものを、ハ長調に移調させようという話が事前にスタッフ間で確認されていたのか・・・はたまた、アルバム・ヴァージョンで改めて、という時の話だったのか。
そのどちらかによって、この記事の考察課題も大きく変わってくるんですけどね。

いずれにしても、シングルでたっぷりと施されたディレイ処理による「甘いバラード」のイメージが、アルバム・ヴァージョンでの肉感的な「ロッカ・バラード」へと変貌する・・・数多く存在するジュリーの「ヴァージョン違い」ナンバーの中で、「渚のラブレター」ほどジュリー・ヴォーカルの魅力をそれぞれ異なるベクトルから仕上げている曲は無いでしょう。

ここで、つい最近遠方の先輩よりお預かりさせて頂くことになった『ヤング』のバックナンバーから、当時のタイムリーな記事をご紹介いたします。

840406


↑ 81年4月号より

810505


↑ 81年5月号より
  ビリー・ブレムナーの名前を出してくれていて嬉しい・・・

これらの資料によれば、シングルとアルバムの企画は同時進行だったようです。
アルバム『S/T/R/I/P/P/E/R』のロンドン・レコーディングは4月9日から20日までの11日間。ハッキリ「全12曲」と告知されています(インストの「オーバチュア」を外している記述だと考えられます)。
結構詳しく楽曲の演奏内容について言及がある(「ジャマイカ風」が「バタフライ・ムーン」、「サイケ」が「テレフォン」「シャワー」あたりを指しているのかな)くらいですから、もし5月のシングル・リリースが確定していた「渚のラブレター」にシングル用とアルバム用の2ヴァージョンが録られていたならば、その旨も書かれているべきだと思うんですよ。
これは、6月のアルバム・リリース直前になって急遽5月末に「渚のラブレター」のミックス直しが行われた、と考えるのが一番自然のような気がするなぁ。
(または、先にシングル用に「渚のラブレター」1曲だけミックスしておいて、アルバム・リリース用に全収録曲のミックス作業をした際に「渚のラブレター」も改めて別ミックスとした、とも考えられます)

本当に楽しみに待ち続けている、伊藤銀次さんのブログでの『S/T/R/I/P/P/E/R』制作秘話。そこで、僕の推測が正しいのか誤っているのか、その他の細かな疑問もすべて解けるはず。
銀次さんが「いつか書きますよ~」と告知してくださってから、もうずいぶん経ちますが・・・。

ところで、僕がシングルとアルバムいずれのジュリー・ヴォーカルが好きか、と言うと・・・これは甲乙つけ難い。どちらも素晴らしい!

シングル・ヴァージョンのヴォーカルにたっぷりかけられたディレイは、先述の「取り消せるBaby♪」の最高音部ではひときわ強めに設定されています。
古今巷では、ヴォーカリストが上手くメロディーを追えていなかったり、高音が出きっていなかったりした際に、強めのディレイを施して「誤魔化した」手法を採り入れた楽曲がまま見受けられますが、ジュリーのシングル「渚のラブレター」の場合は狙いが真逆。
「こんな凄まじい高音をビシ~ッ!と突き抜けているよ」という歌声の素晴らしさをさらに強調するために、ディレイが深くなっているのです。

一方のアルバム・ヴァージョンは、徹底的にクールなショート・ディレイ。次作『A WONDERFUL TIME』収録で同じ3連符の曲想を持つ「WE BEGAN TO START」などへと引き継がれていく、ジュリー生身の声の良さを生かしたヴォーカル・エフェクト処理です。
この曲は「恋人との別れに未練たっぷりの男」が主人公なのに、そんなシチュエーションではありがちな「男特有のイヤな面」というのがジュリーのヴォーカルからは微塵も浮かばない・・・むしろ恋人は喜んで主人公の元に戻ってきたんじゃないか、とすら思わせるジュリーの魔力を「渚のラブレター」のロック性と捉えるならば、それはアルバム・ヴァージョンのヴォーカルの方が優れているでしょう。あのスージー鈴木さんが「最強」と熱烈に推していらっしゃるのも頷けます。

さて、僕なりにこの曲をセットリスト予想として挙げるからには、当然鉄人バンドとの相性も考えてのこと。
僕は生で体感したことは無いんですけど、現在と同じ鉄人バンドのメンバー編成で「渚のラブレター」を採り上げているツアーが過去にありますよね。


Nagisa00

DVD『greenboy』より
(みなさまご存知の通り、アルバム『greenboy』自体はギター、ベース、ドラムスのキーボードレス・ハード・ロック体制でのレコーディングですが、ツアーでは、現在の鉄人バンド・メンバーによるベースレス・スタイルとなっています)

2005年の「渚のラブレター」でもジュリーはちゃんとポケットに手を入れて、ゆっくり歩きながらの熱唱です。
しかも、原曲のキーのままだし!凄い!

特筆すべきは、下山さんがスティール・ギターを弾いていること。もし『昭和90年のVOICE∞』で「渚のラブレター」がセットリストに採り上げられたとしたら、この時と同じ楽器編成になるのでしょうか。
ちなみに『greenboy』ツアーでは、上添付画像の左端を見れば分かる通り、下山さんはごく一般的なスタイルでのスティール・ギター演奏です(楽器を寝せた状態で弾く、というスタイル)。
でも下山さんの場合は特に、同じ曲を同じスタイルでもって毎回ツアーに臨むとは限りませんよ~。
今年のお正月LIVE『ひとりぼっちのバラード』では、「世紀の片恋」でスティール・ギターをストラップで吊るしてネック上部からボトルネックをあてがう、という驚異の奏法を披露してくれた(『三年想いよ』ツアーの「世紀の片恋」は、普通にエレキギターのスライドでした)下山さんのこと。その奏法再現も充分あり得ます!

今ジュリーがこの曲を歌うとなれば、立ちはだかるのはやはりキーの高さということになりますか。
銀次さんの「うっかり」が最初期段階、つまりシングル・ヴァージョンの時だったとすれば、キーを下げなかったおかげであの「取り消せるBaby♪」の凄過ぎるジュリー・ヴォーカルが誕生したということになりますから、今となっては「俺、ナイスうっかり!」と銀次さんも考えいらっしゃるところでしょうが・・・さすがに66才になったジュリーが原キーで歌うのは厳しいのかなぁ。

お正月に「渚のラブレター」が採り上げられるとすれば、ジュリーはキーを下げてくるでしょう。僕はもうそういうことを詮索するような聴き方、見方はしない!と決めてはいますが・・・やっぱり気になりますね。つくづく、絶対音感をお持ちのかたがうらやましいです。

最後に。
僕が今回「渚のラブレター」を予想曲として選んだのは、純粋に「一度は生で聴いてみたい」シングル曲というのもそうですが・・・この曲って、素晴らしく「爽やかな別れ」の歌じゃないですか。もちろん愛の歌ではあるんですけど、「旅立ってしまった人を送る」鎮魂歌としても成立する名曲だと思うのです。

11月後半から、一世を風靡した芸能人の方々の訃報が相次いでいます。
個人的な思い入れで言いますと・・・
健さんは『野性の証明』。
ジョニーさんは『Gメン'75』香港ロケ・シリーズ(島谷刑事=宮内洋さん登場編)の敵役でのゲスト出演(僕は80年の『源氏物語』はまだ観ていないのです・・・先輩方は、ジュリーとジョニーさんの最後の対峙シーンの演技を絶賛していらっしゃいますね)。
啓江さんはあの『イカ天』の権威・ベスト・ヴォーカリスト賞のプレゼンター。
そして文太さんは、『太陽を盗んだ男』。


最後の夜だから 少し歩こう
D           A7                D     Em  A7

人影まばらな道 二人選んで
D             A7               D

はじめて逢った頃の 気分になれるさ ♪
         A7        D             A7         D

澄んだ気持ちで聴ける、別れの歌。
『昭和90年のVOICE∞』でジュリーが「渚のラブレター」を歌ってくれたら、僕は旅立った彼等のことを自分なりに思いながら聴いてしまうかもしれません・・・。


それでは、『昭和90年のVOICE∞』開幕までの間、こんな調子でセットリスト予想記事を続けていきます。

『ひとりぼっちのバラード』で「鼓動」「緑色の部屋」を的中されるという離れ業を見せてくださったぴょんた様のブログで、また今回も”妄想セトリ”予想を拝見させて頂きましたが・・・いやぁ相変わらずの鋭い視点に目からウロコでした。これから僕が記事を書こうと決めている曲とは、当然のように1曲たりとも重複していませんでしたね~(笑)。

まぁ、僕の「真剣に当てに行ってるのに全然当たらない」セトリ予想記事というのも、それはそれでお読みくださるみなさまも楽しめるのではないかと(汗)。
気合入れて書いていきたいと思います!

| | コメント (13) | トラックバック (0)

2014年12月 3日 (水)

沢田研二 「我が窮状」

from『人間60年 ジュリー祭り』、2008

Juliematuricd

disc-1
1. OVERTURE~そのキスが欲しい
2. 60th. Anniversary Club Soda
3. 確信
4. A. C. B.
5. 銀の骨
6. すべてはこの夜に
7. 銀河のロマンス
8. モナリザの微笑
9. 青い鳥
10. シーサイド・バウンド
11. 君だけに愛を
12. 花・太陽・雨
disc-2
1. 君をのせて
2. 許されない愛
3. あなたへの愛
4. 追憶
5. コバルトの季節の中で
6. 巴里にひとり
7. おまえがパラダイス
8. 6番目のユ・ウ・ウ・ツ
9. 晴れのちBLUE BOY
10. Snow Blind
11. 明星 -Venus-
12. 風は知らない
13. ある青春
14. いくつかの場面
disc-3
1. 単純な永遠
2. 届かない花々
3. つづくシアワセ
4. 生きてたらシアワセ
5. greenboy
6. 俺たち最高
7. 睡蓮
8. ポラロイドGIRL
9. a・b・c...i love you
10. サーモスタットな夏
11. 彼女はデリケート
12. 君のキレイのために
13. マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!
14. さよならを待たせて
15. 世紀の片恋
16. ラヴ・ラヴ・ラヴ
disc-4
1. 不良時代
2. Long Good-by
3. 
4. 美しき愛の掟
5. 護られているI Love You
6. あなただけでいい
7. サムライ
8. 風に押され僕は
9. 我が窮状
10. Beloved
11. やわらかな後悔
12. 海に向けて
13. 憎みきれないろくでなし
14. ウィンクでさよなら
15. ダーリング
16. TOKIO
17. Instrumental
disc-5
1. Don't be afraid to LOVE
2. 約束の地
3. ユア・レディ
4. ロマンスブルー
5. TOMO=DACHI
6. 神々たちよ護れ
7. ス・ト・リ・ッ・パ・-
8. 危険なふたり
9. ”おまえにチェック・イン”
10. 君をいま抱かせてくれ
11. ROCK' ROLL MARCH
disc-6
1. カサブランカ・ダンディ
2. 勝手にしやがれ
3. 恋は邪魔もの
4. あなたに今夜はワインをふりかけ
5. 時の過ぎゆくままに
6. ヤマトより愛をこめて
7. 気になるお前
8. 朝に別れのほほえみを
9. 遠い夜明け
10. いい風よ吹け
11. 愛まで待てない

---------------------

from『ROCK'N ROLL MARCH』、2008

Rocknrollmarch

1. ROCK'N ROLL MARCH
2. 風に押され僕は
3. 神々たちよ護れ
4. 海に向けて
5. Beloved
6. ロマンスブルー
7. やわらかな後悔
8. TOMO=DACHI
9. 我が窮状
10. Long Good-by
11. 護られているI love you

--------------------

しばらくのご無沙汰でございました。
11月の大仕事、『楽器フェア』もおかげさまで大成功に終わりました。今年は、これまでのパシフィコ横浜から東京ビッグサイトに会場が変わり、都心からのアクセスの便がより良くなったこと、また本当に有り難いことに開催3日間とも暖かな陽気に恵まれたこともあり、大変な賑わいでしたよ~。
初日には「GRACE姉さん来場中!」との情報もあり、ウロウロとお姿を求めて歩き回ってみたのですが、残念ながらお見かけできませんでした・・・。

それでは、久々の更新で気持ちも新たに!
今日12月3日は、『ジュリー祭り』6周年(ザ・タイガース再結成1周年)の記念日です。
拙ブログがじゅり風呂となって後、毎年この日は、僕が本格ジュリー堕ちした『ジュリー祭り』のセットリストからお題を採り上げることに決めています。
今年は先の『三年想いよ』ツアーの”セットリストを振り返る”シリーズとも併せ、いよいよ難しいお題・・・「我が窮状」の考察記事に挑みます。

これまで何度か書いてきましたが、僕は「ジュリーの70超えまでに『ジュリー祭り』セットリスト全曲の記事を書き終える」ということを、さしあたっての拙ブログの最大目標として掲げています。
『ジュリー祭り』セットリストは、鉄人バンドのインスト2曲を含めて全82曲。その中でこのブログでここまで記事お題としてきたのは今日の更新で59曲目となり、残すところ3年半で23曲という状況。今のペースで頑張っていけば、なんとか達成できそうです。

本当は「我が窮状」の考察記事は最後の最後まで残しておきたかったんですよね・・・。
ジュリー70超えの年に
「10年前にジュリーはこんなメッセージ・ソングを残してくれていた。世の中はジュリーの歌った通りになっているね。こんな歌があったなんて、懐かしいよね」
という感じで書きたかった・・・しかし残念ながら、昨年からの我が国の動き、近隣国との関係、世界各国の状況を考えますと、そうもいかなくなりました。

今年2014年、ジュリーはお正月の『ひとりぼっちのバラード』、夏からの全国ツアー『三年想いよ』、いずれの公演でもセットリストの9曲目に「我が窮状」を歌いました。ジュリーファンの中でも様々な意見があるところでしょうが、「何故ジュリーが今年この曲を歌わずにはいられなかったのか」という理由については、みなさま重々分かっていらっしゃるでしょう。

僕も今年はずいぶん勉強しましたよ。9条については本当に色々な考え方があります。
立場が違う、意見が違う、そんな考え方にも(それが真摯なものならば)耳を傾ける姿勢を放棄してはいけない、切り捨ててはいけない、と思っています。
でも僕は、「我が窮状」に込められたジュリーの思いと同じ考えを持つ人間。最初にその点だけはハッキリさせておいて、今日はその上での考察記事の執筆です。文中で「護憲」「改憲」という言葉を使いますが、ここでのそれはあくまで第9条についての表記です(日本国憲法の条文すべてが現行のままで良い、とは僕は考えていませんが、今日のテーマはあくまで9条です)。

『ジュリー祭り』では、第2部の9曲目に歌われました。
「我が窮状」、僭越ながら伝授!

僕はこの曲、ほぼタイムリーで聴けています。
2008年の春だったか、夏だったか・・・「ジュリーが年末に2大ドーム公演を敢行!」とのニュースを知り、「ポリドール期のアルバムは全部聴いてる」というだけで一丁前にジュリーファン気取りだった僕と友人のYOKO君は、「この機会に一度LIVEも見ておこう」と決めました。
調べてみると、ジュリーは毎年欠かさず全国ツアーを行っていて、その年にリリースしたアルバムの曲がメインのセットリストになるらしい・・・「新曲にさほど興味は無いけれど、一応今年のアルバムは聴いておこうか」ということで、新譜『ROCK'N ROLL MARCH』を購入。

これまで何度かこのブログで懺悔してきたことですが、改めて正直に書きましょう。
僕は最初、『ROCK'N ROLL MARCH』というアルバムが全然ピンとこなかった・・・今では信じられないことに、9曲目「我が窮状」が「9条」と重なることすらまったく思い当たらなかったのです。
僕がそれまで知っていた「沢田研二」という歌手について、「自作詞で政治的なメッセージ・ソングを歌う人」なんて発想は微塵も浮かばず・・・僕は『ジュリー祭り』のその日に「人間・ジュリー」に堕ちたことは確かですが、その創作姿勢、自作詞のメッセージ性などから滲み出る素晴らしさを知り、その生き方、考え方へのリスペクトを得るまでにはさらに数ヶ月を要したのでした。

僕は元々、メッセージ性の強いロック・ナンバーが好きで・・・これは少年期にジョン・レノンから受けた影響であることは間違いないんですけど、実は僕はジョンが「イマジン」をして”ラヴ・アンド・ピースの象徴”のように言われていることには抵抗を覚えているタイプです。
「イマジン」は名曲だけれどジョン・レノンの音楽的魅力の本質とは違うように思う・・・僕が好むジョンのプロテスト・ソングは、「イデオロギー闘争に俺たちをつきあわせるな。ゴタクを並べる前に今すぐ人殺しをやめろ!」と歌う「ブリング・オン・ザ・ルーシー」のような曲であり、歌詞のテーマを具体的に絞りこんだ「労働者階級の英雄」や「ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」「女は世界の奴隷か」といった”踏み込んだ”曲達です。一方で「マザー」「孤独」「愛の不毛」などの内向的な曲があり、「ジェラス・ガイ」「アウト・ザ・ブルー」「ウーマン」のように妻・ヨーコさんへの愛情を吐露したナンバーをも歌う・・・このあたり、おもに2000年以降にジュリーがリリースしてきた作品群のコンセプトと共通するところも感じます。


”ラヴ・アンド・ピース”を歌うアーティストやバンドは昔からたくさんいました。かなりエグい表現で戦争の狂気や悲劇を歌った曲は実は今も巷に溢れていて、僕らが普段何気なく聴いている流行歌やアイドル・ソングの中にもそんな曲があったりします。
しかし、「世間に真逆の論争が存在する一定のテーマ」にハッキリと絞ってメッセージを発信するような楽曲、それを歌う人というのは限られています。
近年、何人かのビッグネームがそうした創作に挑むようになったのも時代を表していると言えるでしょうが、2008年という時に「我が窮状」を歌ったジュリーの志は本当に凄い、と今改めて思うのです。
「日本人だからこそ」という、等身大でありながらグローバルなメッセージ。輝かしいキャリアのある歌手が自作詞で「9条」に踏み込むなんて、普通は怖くてできないことですよ。やはり人間力なのでしょうね・・・。
今も若々しいステージを超人的に続けているジュリーに対して大変失礼な言い方になってしまいますが、「お年寄りの言うことには耳を傾けなさい」って、こういうことなのかなぁと思ったり。

「我が窮状」については、最初にアルバムを聴いた時から「いい曲だなぁ」とは感じていました。
それは純粋に「楽曲」的な評価でした。
僕はとにかく「ベースレスと打ち込み」によるジュリー・アルバムを聴くのが初めてだったもので、他の曲ではその点に違和感を持ってしまいました(今はもう大丈夫!)。そんなこともあり、バンドサウンドではなくピアノ伴奏1本というシンプルなアレンジの「我が窮状」が、このアルバムの中ではまず一番にスッと身体に馴染んだのだと思います。
「とりあえず一応聴いておくか」などという気持ちでいたがために深く聴きこむことをせず、(アルバム収録曲すべてについて)歌詞の吟味をしないまま『ジュリー祭り』当日を迎えてしまった・・・後に取り返しのつかない後悔が残ったことは確かですが、「我が窮状」が大野さん作曲の美しいバラードであることだけは、そんな聴き方をしていた僕ですら辛うじて認識できていたのでした。

ハ長調王道のバラード。
ただ「シンプル」なのではなく、極上に美しい進行です。正に「大野さん作曲のジュリー・バラード」という感じのメロディーとヴォーカルですよね。
リリース当時、その歌詞内容を
してファン以外でもあれだけ話題になった曲だからひょっとして・・・とネットで探してみたら、ありましたよ~、「我が窮状」の譜面。

『9条の会を応援する有志のブログ』

素晴らしい!
いくつか僕の採譜とはコードが異なる箇所もありましたが、大いに参考に
させて頂きました。

僕が曲中で最も「美しい」と感じるのは

我が窮状 守りきれたら    残す未来 輝くよ ♪
   C      E7  F           F#dim  C      G7    C

この「F#dim」の部分。ここは先のブログ様と僕の採譜が異なる箇所なんですけど、いずれにしても本当に美しいメロディー。ジュリーのあの声で歌われると、優雅で、誇り高い感じがするんですよね。

あとこの曲には、1番の2番の間、2番と最後のサビのリフレインとの間の2箇所に「伴奏部」と呼べる部分があります。よくLIVE会場で拍手が起こる1箇所目の短い伴奏部は、サビの進行のヴァリエーション(イントロと同じ)。2箇所目は同調号の平行移調による短調進行(イ短調)の「間奏」となっています。
このメリハリも「ピアノ弾き語り」系のシンプルなアレンジにあって、最高に効いていると思います。歌詞で言うと「残す未来輝くよ♪」と「真の平和ありえない♪」は歌メロとしてはまったく同じなのに、着地する和音がそれぞれ「C」と「Am」で異なるため、ジュリーのヴォーカル・ニュアンスも全然違ってくるのです。

さて、ジュリーはずいぶん昔にファンにこんなことを言ったことがある、と聞いています。
「僕を1番にしないで欲しい。みんな、自分にとって1番のことを見つけて。僕は2番で良いから」
と。
当時のジュリーファンはそのほとんどが若い女性だったわけですし、「そんな殺生な・・・」という思いを抱いた先輩方も多かったのでは、と想像しています。
でも、遅れてファンとなった僕には、なかなか実感することが難しいジュリーの言葉です。今僕にとってジュリーが「何番か」と問われれば、3番なんですよね。
1番は、家族と友人達との日々の平穏。
3番が、ジュリーをはじめとする音楽を楽しむこと。
じゃあ2番は?


何もいらない 
ぼくたちの夢が この世の平和と告白したら
みんな笑うだろうな

ジュリーが2000年にリリースした自作詞の名曲「耒タルベキ素敵」にそんな歌詞がありますね。
僕の2番は正にこの詞の通り・・・「この世の平和」です。みなさま笑いますか?
まぁ1番と2番(厳密には3番も)は同義ですが、自分と大切な人達の「平穏」というものをどう捉えるかによって、9条への考え方も人それぞれ変わってきます。

今日こうして「我が窮状」の楽曲考察記事を書くからには、まずは僕が「護憲」の考え方を持つ者である、と明確にしておかなければなりません。
これはジュリーの考え方に感化されたとかいうことではなく、元々自分が持っていた、僕なりの「平和」への思いによるものです。よって、これから書くことは僕の個人的な考えに基づくものではありますが、だからこそジュリーの「我が窮状」の歌詞解釈にはある程度の自信も持てています。
僕にはこの曲に込めたジュリーの気持ちが分かる・・・そもそも、歌詞の隅々、言葉の端々に至るまで「ジュリーの気持ちがよく分かる」なんて僕が言い切れるジュリー自作詞のナンバーは、「我が窮状」ただ1曲です。

「我が窮状」のリリースは、大きな支持と共に激しい反発をも招きました。この曲をきっかけにジュリーファンをやめてしまわれた方もいらしゃると聞いています。
一方では、考え方の相違から歌詞内容には反論しつつも、「堂々と自分の意見を歌えるのは凄いこと」と、ジュリーの創作姿勢については変わらぬリスペクトを持ち続けているファンもいらっしゃるようです。
色々な意味で、宿命的なジュリーな代表作。では、ジュリーが歌う「9条」って何だろう?

麗しの国 日本に生まれ 誇りも感じているが
C            G7         E7    Am  F       G       G7

忌まわしい時代に さかのぼるの       は
      F          F7           C     C(onE)  Am

賢  明じゃない ♪
Dm  G7       C

この問題でよく語られるのは、9条は大戦後に他国から強要されたものだ、ということ。さらに、大戦後の国際不戦条約に基づく戦争放棄を謳った憲法条文は各国に存在する・・・それはまったくその通り。
しかし、大戦での筆舌に尽くし難い苦しみ、悲しみの中にあった日本人にとって「不戦」は国としての最大の願いとなり、いつしか9条を自身の宝物と変え、単に「条文」にとどまらない日本独自の「精神」をそこに宿らせた・・・「我が窮状」でジュリーはそう歌っているのだ、と僕は解釈します。
日本は大戦以後、自他国含めただの1発の銃弾も撃っていない、た
だの1人も戦死者を出していない、という稀有な国となりました。ジュリーはそんな国に生まれたことをまず「誇り」とし、その精神を忘れてしまうかのような世の動きを憂いて「賢明じゃない」と歌ったのでしょう。

英    霊の涙に代えて  さず   かった宝だ ♪
Am  F      C         C7    Am   F        D7  G7

「英霊」とは過去に戦争の犠牲となったすべての人達の魂のことであり、「さずかった宝」とは日本人が9条に自ら身をつけた精神性のことだと考えられます。

ただ、今回様々な資料を読んで勉強したり、異なる考え方の友人とやりとりして改めて気づかされたのは・・・憲法9条を護るのか、改憲するのか(ジュリーは「改憲」という言葉は嫌いで、僕もそうなんですけど、そこに気を遣うと文章がややこしくなるのでこの記事では「改憲」の表記で通します)という問題に際して、むしろ僕の周囲だけで言うと、改憲の考え方を持つ人達の方が「平和」について敏感で、日々真剣に考えている人が多かったりするのです。

例えば8月6日、8月9日、8月15日にじっと静かに祈りを捧げる・・・僕の知る「改憲派」の人達は、「うっかりその日を忘れる」ということがありません。漠然と「戦争はイヤだから9条はそのままに」とする人達と比べ、その意識はかなり高いように思われます。勉強もしているし、国の政策推移も他国の憲法と現状もよく知ってる・・・これは僕の周囲だけのことなのでしょうか。

改憲派の人達にも、「平和のために」と日々考えている方々がたくさんいらっしゃいます。彼等の意見についてやみくもに否定だけをし、耳を塞いでいてはいけない、それではきっと本質が見えてこない・・・僕は今回の記事構想をその決意からまず出発させました。
将棋棋士が「難解な局面に際し、盤の相手側に立って読みを入れる」というのと同じ手法です。

僕には自衛隊の友人が2人います。小学校時代からの友人が1人。高校時代からの友人が1人。
いずれも完全にその人格を信頼できる素晴らしい男です。9条についての考え方は違っても、いつでもすぐに昔の友人同士の感覚に戻れます。防衛大学入試最終面接の翌日「いやぁ・・・いきなりナニを握られてマイッたよ~」と面白おかしく話してくれた(エレクトしてしまったらアウト!ということなんだろうか・・・)あの懐かしい頃に。
今、家族と過ごす時間より海の上にいる時間の方が多いその友人の志の高さを、僕は心からリスペクトしています。彼等はこの国の「平和」を僕などより数倍も真剣に思っているのです。
だから話をしていると、ふと心が揺れることがあります。何十年もの先の日本という国を考えた時、物理的に強くあらねばならないのかな、と考えることもありましたし、彼等の言うことには一理も二理もある、僕の知らないこともたくさん知っている・・・そして、万一の事態となった際に僕らを守ってくれるのは彼等であることを、決して忘れてはなりません。

しかし、その上でさらに考えることがあります。
彼等とやりとりしていると、「積極的平和」「現実的平和」という表現がよく出てきます。
「オマエの言うことはまぁ分からなくはないとしても、一般的にオマエみたいな考え方をする人達の多くは現状認識や知識が足りなさ過ぎる。最初のとっかかりの話すらまともにできない」ということになるらしい。
でも、僕は退きません。
「そういう人達が今後色々なことを学んで、突き詰めて考えたのちにじゃあ改めて9条をどうしましょうか、という話になったら、護憲派はきっと今とは比較にならないほど圧倒的多数になるよ」
と。

今問われているのは、「平和のために9条を護りたい」との思いを漠然と持ちながらも明確な姿勢を表せないでいる多くの人達が、少しでも勉強して、考えて、キチンと話ができるようになることではないか、それが「静かに通る言葉」を身につけることへと繋がるのではないか、と僕は思っています。
簡単なことです。「日本は他国に出向いて戦争をすることは一切ありませんよ」と全世界に胸を張って言いたい気持ちがあるならば。それを誇りとするならば。
「知ろう」「考えよう」「声に出そう」・・・それが2008年、「我が窮状」でジュリーが聴き手にまず一番に送りたかったメッセージだったのではないでしょうか。

この窮状 救うために 声なき  声よ 集え ♪
  C      E7  F         C      C#dim  D7     Dm7 G7

「声なき声」とは、サイレント・マジョリティー。世論調査などには反映されていない、人々の声。
その中には今
「争いの無い平和な世界を願っているし、そうありたいと思っているけれど、こういう問題について声を上げるのは怖い。まして政治はよく分からないし、所詮自分ひとりが何を言ったって、結局何も変わらない」
という「あきらめ」の感覚がありはしないでしょうか。実際、僕自身がそうだったのかもしれない。
そう考えると

あき    らめは 取り返せない 
   Am  F               C        C7

あや   まちを 招くだけ ♪
   Am  F            D7    G7

「あきらめたら、取り返しのつかないことになるよ」とジュリーは歌います。ジュリーが真剣に、丁寧に言葉を選んで語りかけてくれていることが分かります。


「声を上げる」と言ってもね・・・僕などはたまたまブログがあるからこうして勇気を振り絞って書いていますが、もっとシンプルに考えて良いことだと思います。
第47回衆院選が公示され、選挙戦が始まっていますね。「学ぶ」「考える」には絶好の機会です。

この時期の解散総選挙については、数年先を見越してのしたたかな計算があるんだとか、国民が皆多忙を極める12月の選挙なら投票率が下がるので組織票を持つ党が有利、とか色々言われているようですが、さて実際どうでしょうかねぇ。
僕は、ずっと以前に「将来のリーダー対談」ということで、民主党の岡田さんとテレビ出演していた頃の安倍さんには好感を持っていたものでした。頭脳明晰、理路整然としつつ「剛腕」の人なんだな、と。
増税の権化みたいな言い方をされる向きがありますが、それは本来財務省官僚が言われるべきことであって、そもそも企業の厚生年金制度の存続、安定などを考えれば近い将来の増税やむなし、という理屈は僕にも分かります。安倍さんはその上で官僚と対決する形で消費税先送りを決断し、「即増税の官僚と先送りの俺とどちらが支持されるのかを国民に聞いてみる!」とばかりに解散に踏み切った男気も、実は感じていなくはないのです。

ただ、僕にとっては到底支持などできない「剛腕」ばかりが目立った第二次安部政権・・・今、選挙に際して「経済政策の真を問う」というテーマばかりを全面に押し出している安倍さんは、ちょっと国民の意識をナメちゃったんじゃないかな。
今の時期に選挙をやって、集団的自衛権の行使容認解釈の是非、憲法9条の今後に関する問題が有権者の選択肢にならないはずがないでしょう。

一人一人は無力。一個人の僕がこんな文章を書いたところで無力。それは間違いなくそうです。
でも、ジュリーファンだけに限っても、その中の「サイレント・マジョリティー」の「声なき声」が今回の選挙で集まったとしたら、それだけでも凄いこと。嬉しいこと。もう無力ではないですよ。

正直今の状況は残念ながら、「護憲」の声も「改憲」の声もそれぞれ「ノイジー・マイノリティー」と捉えられているような気がします。じゃあどちらの側に「サイレント・マジョリティー」が潜在しているのか・・・結果は分かりませんが、今回ほど「投票率」が重要な選挙は無いように思われます。
もちろん、それぞれの人がそれぞれの考え方で票を投じれば良いことです。
考え方は人によって様々でしょう。
そこで、「すべての日本人がよく考えて声を上げるならば、結果は僕らの方だよ」という思いをジュリーが自身還暦の年に「我が窮状」に込めてメッセージとしていたことを、改めて思うんですよね・・・。

どんな政党のどんな人がどんなことを言っているのか・・・国民ひとりひとりが日々関心を持って知っていき、その上で自分で考えなければなりません。政策、主張の本質は本当に様々です。
言葉や呼称についても知らなければなりません。「防衛装備移転三原則」の意味や由来を知らない人が僕の周囲には驚くほど多くいるのです。新聞によっては逐一「これは以前の武器輸出三原則による武器禁輸政策を全面転換すべく制定されたもので・・・」と注釈を加える紙もありますが、それも今では少数派です。
そのうち、どの新聞も単に「防衛装備移転三原則」としか書かなくなると、「なんのこと?」と戸惑う人が多くなってくるかもしれませんが・・・日本が、例えば戦車を作って(結果的に)他国に輸出し経済的に潤う、という構図が「武器輸出三原則」を改定した(隠した?)この「防衛装備移転三原則」によって今は可能になっています。つい最近決まったことです。
また、政府がテーマを選定し巨額な資金提供をする、防衛省と大学や研究機関との軍学共同研究についても、その流れに呼応するかのように加速しています。現政府の言う「経済」政策にはこうした内容も含まれていることを、まず知っておくことです。軍需産業で経済が潤う、という発想には僕は賛同できません。
さらに、そうしたことを「知りにくく」させる可能性を多分に含んだ「特定秘密保護法」がもうすぐ試行される見通しであることも気がかりです。まぁこれはさすがにみなさまご存知ですね。

もちろんそれらの政策、法案は単純に一刀両断にできるものでもありません。勉強してみると、恥ずかしながらこれまで色々と知らずにいた離島防衛の重要性なども感じました。それもまた事実。
その上でどう考えるか。まずは「知る」ことからです。
たとえ自分とは真逆の意見だとしても、それを知り考えることでさらに得られ、一層身につく「静かに通る言葉」があるのです。

ジュリーは、自らの考え方を押しつけるために「我が窮状」を歌っているのではないのですよ。ただ自分と同じ気持ちの「サイレント・マジョリティー」の潜在は確信していると思います。「僕はこう思うけど、みんなはどう?まずはひとりひとり考えてみて」とメッセージを投げかけてくれています。
ジュリーが危惧しているのは、「あきらめ」なのです。これが、今回僕の一番書きたかったことです。
ジュリーはこう言いたいんじゃないかと思います。
「色々な考えがあっていい。でも、すべての人が自分の考えを声にすることで、この窮状は救えるよ」
と。

長々と書いてきましたけど・・・実は今回の「我が窮状」の記事はね、『ジュリー祭り』記念日と『三年想いよ』”セットリストを振り返る”シリーズを兼ねて、ということで採り上げたんですけど、さらに来年のお正月LIVE『昭和90年のVOICE∞』セットリスト予想シリーズ第1弾のお題記事でもあります。
もし今度のお正月LIVEでもこの曲がセットリスト入りしたら、「え~っ、また~?」と思ってしまうファンも多いでしょう。僕も同様の気持ちが正直無くはない。せっかくだから他に色々な曲を聴きたい、とは望んでいます。
でもやっぱり、ジュリーは来年もまた「我が窮状」を歌うと思うんですよね。

逆に言えば「声なき声」が集ってくればジュリーはこの曲を封印するかもしれません。
ジュリーはあくまで自身が「礎石」となり、次に繋がってゆくことを願っているのですから・・・。

老いたるは無力を 気骨に変え      て
      F           F7         C   C(onE)  Am

礎石 となろうぜ ♪
Dm   G7       C

僕が「我が窮状」で一番好きな歌詞部です。
子供の頃にテレビで見ていた、なめらかな高音としなやかな動きのスーパースター・ジュリーが、いつの間にか還暦となり、艶やかな低音と微動だにしない姿勢と矜持でもってそう歌っていることを理解した時は、身震いがしました。こんなふうに物事を見ている「人間60年・ジュリー」だったんだなぁ、と。

礎石となってくれたジュリー。歌を残してくれたジュリー。
僕は凡人ですが、その気骨を受け継ぎ、また次の礎石とならなければならない世代です。
僕は、これからジュリーが「我が窮状」を歌わずにいられる時代となることを祈るとともに、そのために今こそ何をすべきかを考えて、今回楽曲考察という形でこの記事を書かせて頂きました。
でも、政治的なことよりなにより、「我が窮状」は本当に素晴らしい曲なんですよね。純粋にその楽曲の素晴らしさを以って、平和な世の中にこの曲が語り継がれてゆくことを、一番に願っています。


それでは次回更新からは、もうあとひと月ほど後まで近づいたお正月LIVE『昭和90年のVOICE∞』開幕へ向けて、”恒例・全然当たらないセットリスト予想”シリーズに突入します。今日の「我が窮状」もその中に含むとして、5、6曲を採り上げる予定です。
とにかく「誰もが知るヒット曲」を僅かな例外として、本当に「
全然当たらない」のが僕のセトリ予想。
「ジュリーにはあれだけの持ち歌があるんだから、誰だって1曲すらなかなか当てることはできないでしょう」というのも確かにそうなのですが・・・例えば今年のお正月LIVE『ひとりぼっちのバラード』では、先輩のぴょんた姉さんが「鼓動」「緑色の部屋」を事前に予想されていたんですよね。凄過ぎる・・・たまには僕も「アッと驚くマニアックな曲」を予想的中させたいものです。

ということで、どうにか頭をひねって、セトリ入りの可能性がある「狙い目」の曲を探しております。
最近更新間隔が開き気味ですので、なるべく短い文章でも多くの曲の記事を書いていきたいです(そう言っておきながら、短くなったことが無いんですが・・・)。

年末の慌しさ・・・寒さもこれから厳しくなってきますが、みなさまどうぞお身体ご自愛ください。
で、元気に選挙に行きましょう!



P.S.
「ジュリーだけじゃないんだ、文太さんのような人もいてくれる」・・・今回の「我が窮状」記事執筆に際して、その存在がどれほどの勇気をくれたことか。
ほぼ記事の下書きを終え、あとは細部を纏めて文章を繋げるだけ、というまさにその段階になって、菅原文太さんの訃報を知りました。

太陽を盗んだ男』は、僕がまだ全然ジュリーファンではなかった20才かそこらの頃に、テレビ放映で初めて観ました。放映翌日に音楽仲間の友人達と
「沢田研二ってカッコイイよな!」
「文太のあの最後の粘りがシビレるよな!」
などと語り合ったことを思い出します。
まだ、ローリング・ストーンズの来日公演実現などまったくリアリティの無かった時の話です(メンバーの不仲説やミックのソロ活動などで、解散の噂さえありました)。

文太さんもまた、老いたるは無力を気骨に変えて、礎石となってくれた「偉大な昭和の親父」のお一人。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

| | コメント (19) | トラックバック (0)

« 2014年11月 | トップページ | 2015年1月 »