沢田研二 「藤いろの恋」
from『女たちよ』、1983
1. 藤いろの恋
2. 夕顔 はかないひと
3. おぼろ月夜だった
4. さすらって
5. 愛の旅人
6. エピソード
7. 水をへだてて
8. 二つの夜
9. ただよう小舟
10. 物語の終わりの朝は
----------------------
ジュリーや鉄人バンドのメンバーは、今朝早くに出かけたのかなぁ、と北に思いを馳せながら・・・。
今回も、”「足早に過ぎてゆくこの秋の中で」シリーズ”ということで、「秋」を感じるジュリー・ナンバーのお題にて、拙ブログいつも通りの考察記事を更新します。
さて、「秋」がテーマということで。
(先輩方はお題をパッと見て、「えっ、”藤の花”は春でしょう?」と思われたに違いありませんが、それはそれとしてひとまず読み進めてくださいませ)
前回の『JULIEⅣ~今 僕は倖せです』(9月10日発売)と同様に、今回も幾多のジュリー・アルバムの発売月から「秋」のイメージお題を探してみました。
今日は「10月発売」に着目。
いやぁ、ふさわしいアルバムがありましたね~。
『女たちよ』、10月1日リリース。
これは正しく、「秋」にこそ聴きたいアルバムでしょう!
確かに収録曲それぞれ、歌われている季節は様々。
でも、あの『源氏物語』のコンセプト・アルバムと来れば、じっくりと味わいたい季節はやはり「あはれの秋」ではないでしょうか。短絡的過ぎますかね・・・?
10月1日という「秋」只中の発売。タイムリーに購入しこのアルバムをお聴きになった先輩方も、(ジャケット含めて)楽曲全体に「秋」のイメージを今もお持ちなのでは、と考えたのですがいかがでしょうか?
実は最近、いつもお世話になっているお2人の先輩と、まったく別の機会に立て続けに『女たちよ』が話題に上ったばかりなんですよ。
まず、神戸公演参加の当日・・・僕ら夫婦の姫路散策におつき合いくださった先輩と、新快速(関西と言えばこれ!特急券無しでこんなに猛スピードでカッ飛ばしてくれる電車を僕は他に知りません)に乗って神戸まで引き返す途中、須磨の景色を眺めながら先輩が
「源氏が引きこもってたところだよねぇ・・・」
と。
僕は実はその時、須磨と言うと横溝正史の『悪魔が来りて笛を吹く』のイメージしか残っていなくて、先輩のお言葉で改めて「あ、そうだったなぁ」と思い、脳内では
「みやこ、も、あき、に、なりました、か・・・♪」
と、言葉を切って発音するようなニュアンスの、「さすらって」(源氏の須磨時代を描いたと考えられる曲)のジュリーの色っぽいヴォーカルが流れたものです。
また、その神戸公演のご報告がてらお邪魔させて頂いた別の先輩宅にて、妖艶なジュリーのツアー・パンフレットを見せて頂きながらお話している中、先輩がふと
「最近、『女たちよ』のジュリーの歌に嵌ってるのよ」
と仰いました。
その時手にしていたパンフレットのジュリーの美貌をしげしげと眺めながら、僕の脳内では
あ・・・あぁ・・・あああ・・・あぁ、あんああ・・・♪
Em D Bm Em
と、「藤いろの恋」イントロのジュリーのあの声が再生されていたのでした。
ところで僕は、『源氏物語』(本の方)は大学時代に一気に読んで以来ご無沙汰です。
田舎の高校で奇跡的に良い先生に出逢えていなかったら(過去に執筆したアルバム6曲目「エピソード」の考察記事にて、末増省吾先生について書かせて頂いております)、全部読んでみようと思うことがあったかどうかすら怪しいのですが。
読了したと言っても、印象の強い部分と弱い部分はあって、最後の薫時代はほとんど覚えてないです。つまり、曲によっては「そう言えばこんな設定、こんなシーンがあったような、無かったような」程度の曖昧な記憶しか持たず・・・ちょっと解釈が消化不良気味の歌詞も正直あります(まぁ、極上のメロディーとジュリーの声だけで、ご飯何杯もおかわりいけますけどね!)
記憶が鮮明なのは、やはりイケイケ(?)の若き源氏、道ならぬ恋に激情ほとばしる前半部ですね。
源氏の「道ならぬ恋・第1弾」(?)・・・藤壺との情愛をモチーフとした曲で、妖美なアルバムが幕を開けます。
今日はその、『女たちよ』のオープニング・ナンバーがお題です。1曲の考察だけでなく、とにかくこの名盤をみなさまに推しまくる!という内容になりますが・・・。
「藤いろの恋」、伝授です!
「エピソード」の記事にも書いたのですが、僕の場合はこのアルバム収録曲(おもに歌詞について)を語る際、ジュリー主演の『源氏物語』を映像としてまったく知らない、という大きなハンデがあります。
そればかりか、当時のジュリーをとりまく環境、人脈についても知らないことだらけ。
ですからそのぶん、ひたすら楽曲自体の考察に向かうしかないのはいつものことですが・・・まずは『源氏物語』をお読みでないかたもいらっしゃるでしょうし、「藤いろの恋」と原作物語とのリンクを整理しましょう。
アルバム収録曲によってはもう一度本を読み返さないといけない曲もあり、僕も偉そうなことは言えないのですが、今回のお題「藤いろの恋」については対象登場人物がハッキリしていますので何とか大丈夫です。
むごいむごい 運命によって仮にも母と
C D G C D G
呼ばなければならないひとよ ♪
C D Em
この「母と呼ばなければならないひと」が『源氏物語』の重要な登場人物である藤壺で、彼女は源氏の父親の後妻にあたります(父親の前妻=源氏の実の母親に容姿が瓜二つ、という設定もありました)。
源氏とは義理の母と息子という関係になりましたが、二人は道ならぬ恋に堕ち(源氏の方にもれっきとした奥さんがいます)、子供まで作ってしまうという・・・まぁ現代の感覚からすれば、いきなりドロドロの展開ですよ。
源氏はその後も含めとにかく凄まじい恋愛遍歴を重ねますが、その都度そんな自分(または恋の相手)の運命に「あはれ」を思い慟哭する少年のような脆さを持つ一方、いざ恋愛成就への手管はかなりの剛腕、しかも口説き文句、と言うか弁が達者で
だ け ど 男にとって
Am7 Bm7 Em
女はいつも母
Am7 Bm7 Em
だ け ど 女にとって
Am7 Bm7 Em
男はいつも息子
Am7 Bm7 Em
アアア そうではないのですか ♪
Am7 Bm7 Em
この「そうではないのですか♪」が僕には源氏のキャラ、ズバリのイメージですね。
美貌をタテに「相手にその気になって頂く」恋の口説き手管とリンクした歌詞だと思います。
主人公・源氏最大の魅力は、年を重ねても常に少年のように無垢で純情で、ある意味我儘で壊れやすい感性を持ち続けている、という面ではないでしょうか。
しかもその感性は「恋愛」というベクトルに特化しているのです。ナルシストで、いわゆる「仕事」については、源氏はバリバリの「デキる男」と言えます(だからモテる、というのも容姿とは別にあるんでしょうな~)。
この「年を重ねても」というのがとても重要で、『女たちよ』のようなコンセプト・アルバムは30代のジュリーが歌ってこそ、だと思います。ジュリーならば10代、20代で同じことをしても素晴らしい作品が生まれていたでしょうが、結果として一番ふさわしい年齢でこのアルバムを作ったんじゃないかなぁ。
さて『女たちよ』の音作りは、「藤いろの恋」イントロのドラムスからして「混沌としたアレンジ」の印象が強く、また全体としてクールな感じもあり、僕は当初CO-CoLo期に近い印象のアルバムだな、と漠然と考えていました(「闇舞踏」とかね)が、よく聴くとかなり違いますね。
まず、ジュリーのヴォーカルが全然違う・・・CO-CoLo期のヴォーカルにはジュリー個人の「主張」があるように思いますが、『女たちよ』では、「提示されたメロディーを追うことだけに集中している」(もちろん、それがまた良いのですよ!)感覚すらあると思います。
僕がこの世で最も愛しているアルバム・・・船乗りの奥さんと道ならぬ恋に堕ちる少年の物語を無心、無垢の状態で歌い、この世のものとは思えないほどの素晴らしいヴォーカルに昇華された『JULIEⅡ』のジュリーの声と、むしろ同じ波長を『女たちよ』にも感じているほどです。
良い意味で「感情」が過多ではない・・・そんなヴォーカルがそのまま曲に乗り移った歌詞解釈として成立しているのが、ジュリーの天賦の才だと思うわけです。
一方『JULIEⅡ』と異なるのは、歌手としてキャリアを積んできたジュリーが「発声の抑揚や強弱」「ブレスのタイミング」といったテクニックを自在に、自然に、クールに歌に織り込めている、という点。
それが当時流行の硬質なアレンジや音作りとマッチしている・・・『女たちよ』の聴けば聴くほど、噛めば噛むほどの「病みつき」的な魅力は、そのあたりに秘密があるのかもしれません。
ジュリーのヴォーカルばかりではなく、高橋睦郎さんの作詞、筒美京平さんの作曲、大村雅朗さんの編曲、エキゾティクスの演奏・・・すべてが「クール」です。『源氏物語』の世界を描くのに、ベッタベタな感情移入は却って興醒めになる、ということなのでしょうか。
「エピソード」の記事にも書いた通り、僕はこのアルバムの収録曲は「詞先」の制作順だったと考えています。高橋さんの詞には、「後に曲がつく」という制約をまったく感じさせませんから。これが「曲先」だとすればそれはそれで凄まじい驚愕の才、と言わねばなりませんが・・・。
となると一層素晴らしいのは筒美さんの作曲です。これほどまでに自由度の高い歌詞、しかもコンセプトがあの『源氏物語』。しかし筒美さんのキャッチーな個性はまったく削がれることはありませんでした。
各曲とも、アレンジや演奏の段階で斬新なアレンジメント・コードやプログラミング手法の導入により、不思議な響きに仕上げられていますが、いざメロディーだけを抜き取ってみますと、明快にポップなコード感があることが分かります。
しかもその上で「クール」な工夫もあるのです。
例えば「藤いろの恋」で言いますと
許されぬ 掟の中の きみは囚われびと ♪
C D G C D G
この部分。
メロディーから振り当てられるコード進行は紛れもない、ポップ・チューン王道のそれです。そこで、稀代のヒット・メイカーである筒美さんがいわゆる「シングル・ヒット曲」的な作りをもし志したならば、「きみは囚われびと♪」の箇所に例えば「ソソミラララレシシ~♪」(「レ」は高い方の音)といった感じの音階をつけると思うんですよ。
実際には「ソソソララララシシ~♪」と平坦。
しかしその方が、よりエロティックなのです。「高みに至るまで粘っている」感覚が表現されますからね。
「高み」に当たるのが、先述した「そうではないのですか♪」というメロディー締めくくりの箇所。実際、ここだけスパ~ン!と音域が高くなっています。
「ヒット性に富んでいるメロディー」は時に「あざとさ」が仇となる場合があることを、筒美さんほどの人ならば当然知っています。『女たちよ』の収録曲は総じてその「あざとさ」を徹底的に排除することで、ポップでキャッチーな要素が「隠し味」として表れているのです。
筒美さんのキャリアで、これほど逆説的なポップ・ナンバーは珍しいのではないでしょうか。しかもそれが単発1曲ではなく、アルバム全10曲、1枚に凝縮されているわけですからね・・・。
そんな筒美さんのポップにしてクールなコード感・・・これを大村さんが手管を尽くして、まぁ破天荒にいじり倒しています(無論、それがこの名盤の肝でもあります)。
ひとたびアレンジに耳が行き心奪われると、歌のメロディーと演奏の和音を両立して追いかけることが困難になってくるほど。
このアルバムには、打ち込みのプログラミングが採り入れられています(時代の流行手法です)。
ここで言う「打ち込み」とは、アルバム『生きてたらシアワセ』や『ROCK'N ROLL MARCH』のように、ドラムスの音までを機械に演奏させている、というものではなく、まず機械が制御している骨子のリズムがあって、その上に生演奏のドラムスが載っているパターン(これが「硬質」なイメージの正体とも言えます)。
この場合、土台のリズムに打楽器系をはじめとするサンプリング音を任意のタイミングで自動的に噛ませる・・・等、色々と面白いことができるのですが、『女たちよ』はそんな程度の試みでは済みません。
ギターかキーボードで和音のガイド伴奏を鳴らしておいて、それを聴きながらジュリーが歌う。ヴォーカルを録り終わったら、何とそのガイド和音のニュアンスを思いっきり崩してミックスしてしまう・・・おそらくそんな順序の作業が行われていると考えられます。
敢えて不協スレスレの和音だけを残したり(「愛の旅人」)、しまいには和音そのものをすべて削除してしまったり(「二つの夜」)。アルバムの随所に、凝った仕掛けが満載。もちろん聴き手はそんな理屈を知っている必要はありません。「あれっ」と気づいた時には、僕らはジュリーの歌う旋律を必死に追いかけている・・・そんな効果が大村さんの真の狙いではないでしょうか。
ある意味、無難な王道アレンジ装飾を施す以上に、ジュリーの歌と高橋さんの歌詞、筒美さんのメロディーを際立たせる・・・そんなアレンジとミックス。
そして、それを見事形にしたエキゾティクスの演奏が素晴らしいことは言うまでもありません。
(ちなみにこのアルバムにはエキゾティクスのメンバー以外で白井良明さんのギター・クレジットがありますが、現時点で僕は音でその演奏を聴きわけることができていません。この頃の白井さんなら、相当変態的なギターを弾いてるはずですけど・・・笑)
ただ、何と言っても「藤いろの恋」の場合、最も強烈に印象に残るのは、Aメロ冒頭のジュリーの声でしょうね。
妖しげな太鼓の響きに誘われて、いきなりジュリーの喘ぎ声が炸裂する!
このインパクトに尽きます。
いや、「喘ぎ声」とは言っても、キチンとAメロの音階に載ってはいるんですけど。
普通に詞を伴った「歌」からは入らず、まずジュリーに極上のメロディーをハミングをしてもらう・・・これは誰のアイデアだったのでしょうか。
大村さんのアレンジ?
それとも、筒美さんの作曲段階から(ヴァースの小節数を統一させるために)そうなっていた?
はたまた、高橋さんの詞の冒頭に「Ah・・・」の明記が最初からあって、必然的にAメロの旋律が載った・・・?
いずれにしても、ジュリーの喘ぎ一発でこのアルバム、「これから只事ならぬ物語が始まるぞよ」と言われているようなものですね~。
ところが・・・『女たちよ』はどうやらファンの好みが極端に分かれている作品のようです。
熱烈にこの作品が好きな人もたくさんいらっしゃるのですが、「ちょっと苦手」というイメージを持ち続けているかたも少なくないみたい。「CDで買い直してもいないし、プレイヤーが無いのでレコードでも長い間聴いていない」と仰る先輩もいらっしゃいます。
確かに僕もアルバムを初めて聴いた時には、「なんだろうこれは・・・?」という掴みどころのない感覚を覚えました(今考えると、僕には『JULIEⅡ』ですらそれがあったんだよなぁ・・・自分の好みの「気づき」に鈍いタイプなんでしょうね)。
ある日、何気なしに外部スピーカーでアルバムを通して流していて・・・いきなり「あれっ、何だか凄いぞ!」と覚醒し、すぐに病みつきに、というパターンでした。
それがちょうど今くらいの季節だったように思います。
「あれっ、今のとこ、凄くいいメロディーじゃなかった?」
とか
「おおっ、今のジュリーの歌い方、エロい!」
とか・・・このような”突然のときめき”との出逢いがこれほど素敵なアルバムは、そうそうありませんよ!
もちろん「藤いろの恋」にもそれはあって、僕がこの曲で、「うわ~、こんなにいいメロディーだったんだ!」という”突然のときめき”と出逢った箇所は
闇だけが 二人の思いのかよいあう道 ♪
A7 Cm G B7
ホント、気がつくまでには少し時間がかかったけれど、心底良いメロディーだなぁ、と。
無論、人によってそう感じる楽曲や箇所は様々でしょうが、ある瞬間にいきなりときめく、という感覚はおそらくこのアルバムの醍醐味として誰しもに訪れることがあるのでは・・・と思っています。
僕が今回、敢えて「秋」の曲とは言えない「藤いろの恋」を採り上げたのは、もちろん楽曲単体で素晴らしいこともありますが、この曲は、『女たちよ』に漂うちょっと特殊な音の世界への「耳慣らし」として「1曲目」という重要な役割を担っている、その後に続く名曲達に散りばめられている幾多の「ときめき」をじっくり仕込んでくれている・・・そんな曲のようにも感じているからなんですよ。
今、ポリドールの各アルバムがリマスター再発されてるじゃないですか。思い切ってCD『女たちよ』を買い直すには絶好のタイミングです。
購入しましたら、大変僭越ながらこの記事を肴に、楽な気持ちで「藤いろの恋」を聴きはじめてください。
「藤いろの恋」が終わり、僕の暑苦しい長文から解放された後、2曲目「夕顔 はかないひと」、3曲目「おぼろ月夜だった」・・・と曲が進んでいくと、「あっ?」という”突然のときめき”に出逢えるはずです。
そうなったらもう、アルバムを最後まで聴き通さずにはいられません。いや、今後も「絶対に全曲通しで聴かないと気が済まない」アルバムとして深く愛せるようになることでしょう!
何と言っても、ちょうど「秋」真っ只中の今が、『女たちよ』の魅力に目覚めるには一番良い季節です。
モノは試し、ですよ。
とりあえずは、豪華な歌詞カードだけでも今一度、改めて味わう価値はあると思います。
ほんの1ページぶんだけ添付いたしますと
ね?
「CD、買ってみようかな?」というお気持ちになってきたんじゃないですか~?
もちろん、「CDは持っているけどなかなか聴かない」と仰るみなさまにも、この機に是非聴き直して頂きたいです。『女たちよ』を熱烈に愛するジュリーファンの末席からではありますが、強く推薦いたします~。
さて、今日は『三年想いよ』南相馬公演当日です。
昨夜、遠征参加される何人かの先輩方に「どうか道中お気をつけて」とメールを差し上げようかと思ったのですが、考えあぐねてやめておきました。なんだか個人的にメールを差し上げるのも空々しいような気がしましたし、今は返信どころではないお気持ちなのかもしれないなぁ、と思ってしまって・・・。
それよりも、遠征の行き帰りの長い旅の道中で先輩方がふとこのブログを覗いてくださることがあったら、「普段通り」に記事更新されていた、という方が良いんじゃないか、喜んでくださるのではないか、と。
そう考えて、昨夜から頑張って記事を書きました。
遅い時間帯の公演で、先輩方のご感想を拝見できるのは明日以降になるのでしょうが・・・楽しみにしています。もちろん、地元の方々はじめ、参加されたみなさまそれぞれのご感想も、ネットで探しまくるつもりです。
それでは次回更新も、「秋」をテーマにお題を考えて・・・いや、実はもう決めているんですけどね。
源氏にも負けない(?)、エロいジュリー・バラードです。
さてどの曲でしょう・・・お楽しみに!
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コメント
DYさん、お邪魔します。
まさに、私の大好物のアルバムからのお題ですね!個人的には、『女たちよ』は、ジュリーが愛欲を「演じた」作品の最高峰だと思っています。DYさんが、ご指摘したとおりCO-CoLO期のエロは「自己をさらけ出す」という意味合いが強いです(それはそれで、淫靡なのですが)。
人には好みというものがありますから、曲調やサウンドを好きになれない方がいても仕方ないのですが、ジュリ堕ちして日が浅い方は、カーステレオやウォークマンではなく、家で夜中に、1曲目であるお題の曲を聴いてみてください。たぶん、次の曲、その次の曲が聴きたくなるはずです!
投稿: 74年生まれ | 2014年10月 8日 (水) 18時08分
DY様 こんばんは。
「源氏物語」好きなんですよね。
ドロドロの話なのにどこかで昇華されている。
時代背景に縛られている中で自分を見失うまいとする精いっぱいのあがきに共感を感じるます。
「常識という名の非常識」と「非常識という名の常識」のせめぎあい。
藤壷は桐壷帝に亡き源氏の母である寵妃に似ているという理由で入内しますが、歳は14歳、夫婦というより親子みたいなもので源氏と結ばれたこうが自然だったのです。
帝という立場を利用して思いを遂げたことを彼自身が良く分かっていて、源氏とに間に不義の子が生まれても、それを許したのは、自然の摂理に逆らったのは本当は自分の方だ、と理解していたからかもしれません。
源氏は後にしっぺ返しのようね目に遭いますが、許せず、相手を追い詰め死に追いやってから、自分の心の狭さに自己嫌悪に落ちいるのですが。
自分自身を客観的に見える人ほど深い悩みをかかえているのがこの物語の登場人物です。
アルバムを聴き直すと独特の世界観が新鮮です。
投稿: nekomodoki | 2014年10月 8日 (水) 21時08分
74年生まれ様
ありがとうございます!
実は僕がこのアルバムに覚醒したのは…お昼の2時~3時くらいでした~。
休日に、本当に何気なしにBGMとして流していて突然…という感じでしたね。
その瞬間から僕にとってこのアルバムは、続けて全曲聴かずにはいられない1枚となっています。
仰る通り、『女たちよ』から「突然のときめき」を得るには、ヘッドホンで気合入れて聴くより、気楽に外部スピーカーで聴いていて…という状況の方が良さそうですね。
☆
nekomodoki様
ありがとうございます!
そうでした!思い出しました…源氏の強烈なキャラの1面「怒ったら怖い!」という…。
ひとたび敵意を抱くと、その才の限りを尽くしてトコトン相手を追いつめる…そんな1面もあったのでしたね。
そして…なるほど、客観性に優れているが故の苦悩ですか。1度読了しただけでは、僕はなかなかそこまで読み解けていません。
藤壺、14才で入内したんでしたか…義理の息子の源氏の方が全然近い年齢ですものね。源氏との子供は、表向きは源氏の義弟でしたね。
こりゃ、残りの曲の記事を書く前にもう1度読み返さなきゃダメですかねぇ。忘れていることが多すぎます。
nekomodoki様は、特にお勧めの翻訳がおありですか?
投稿: DYNAMITE | 2014年10月 9日 (木) 09時11分
ふたたび、お邪魔します。
記事を読み返しながら『次は、どれを伝授していただけるのかな~』と思っていて、気づいたことがあるんです。
『女たちよ』は、源氏物語が土台になっていますが、物語の主要人物であるはずの葵の上、六条御息所、紫の上(若紫)が歌われていません。3人とも源氏の女性関係に懊悩する設定で、女性である紫式部ならではの視点が反映されています。それを歌わない『女たちよ』は、実は、源氏物語のアンチテーゼかもしれない、と思ったのです。そして藤壺は、それを象徴する神秘的な存在。御簾の向こうの囚われ人…もっとも、それを目論んでいたのは、詞を書いた高橋睦郎さんだけだったかもしれません。でも、それは、制作時30代半ばだったジュリーが素材だったからこそ作れたアルバムであったことは、言うまでもありません。
投稿: 74年生まれ | 2014年10月 9日 (木) 20時27分
74年生まれ様
ありがとうございます!
いやぁいきなり専門的なお話になりビビっております。
僕、本当に細かいところまでは覚えていないんですよ…ただ、登場人物の名前と位置づけは分かります。
浅読みの僕ですが、一気に読んだ時にグッと肩入れし感情移入した登場人物は、実は葵なんですよ。ですから僕は源氏のことを「酷い男だ」と思いながら前半部を読んでいたはずです。
と言うより、一般的に男性は葵のような女性に気持ちが行くと思うのですが…。
ただ、高橋さんはそうではないと思います。「源氏物語」へのアンチテーゼ、とまでお話がいくと僕にはよく分からず何とも言えませんが、高橋さんの作詞のベクトルは、源氏の愛した女性ではなく、ひょっとしたら源氏でもなく、ジュリーを向いていたのかなぁ。
投稿: DYNAMITE | 2014年10月 9日 (木) 21時33分
「水をへだてて」でもコメントさせていただいた大好きなコンセプトアルバムです。後にデジタルレコーディングに対して「ふ~ん」となったジュリーがエキゾ解散に至ったのはこのアルバムか次回作の「ノンポリシー」でしたね。バンド経験のあるDY様なら解散の臭いがこの辺りにありそうですか?
投稿: クリングル | 2014年10月 9日 (木) 22時15分
DYさま、こんにちは。
う~ん、DYさまの話術に乗せられて(^^)
ポチッとしてまいりました。
とどめをさされたのは、歌詞カードです、もちろん。
投稿: れいこ | 2014年10月10日 (金) 03時22分
瀬戸口様
聴けば聴くほど・・確かにそうですね。
この時期、30代後半のジュリーは、いろいろなものを抱えて居たかも知れないけど、歌唱力は凄い段階に入っていたと思います。
全編に漂う冷ややかな官能は、詞、曲共にあざとさがないプロの解釈と硬質で作りあげられたアレンジを従えたジュリーの歌唱に源氏の冷たさが奇跡的にあらわれます。
これだけ恋を歌いかけながら、甘さがない。それなのに酔わせる。
身分高く、美しい男の恋は恐ろしいわ~
凄いですね~~♪
南相馬も無事に通過しましたね。
いいコンサートだったと聞いてホッとしています。
投稿: momo | 2014年10月10日 (金) 13時49分
DY様 こんばんは。
以前にも書きましたが、私は大和和紀さんの「あさきゆめみし」から入りこんだのです。
高校の時、古典の授業でさわりを教わりましたが、「女御更衣あまたさぶらいたまいける・・・」の部分ですでに
「正妻妾がひとつの家の中でうじゃうじゃ角突き合わせて・・・ってありえない・・・」
と引いてましたから。
漫画を最初に読んだのは「宇治編」の最初の頃が連載されていた時で、一回分読んだだけではまってしまい、本編も読みたくなりました。
翻訳小説の方は実は、「宇治編」から読んだ
んです。漫画編の続きが書かれるのが待ちきれなくて(笑)
翻訳の翻訳(?)みたいな欄外に丁寧な注釈がついた初心者向けのものでした、
「与謝野晶子」「谷崎潤一郎」のものもありましたが、難解なうえに(というか、読みづらくて)高くて、図書館で興味の魅かれた部分だけを拾い読みしたくらいです。
というわけで、根性無しのnekomodokiの
源氏物語の原典は「あさきゆめみし」です。
でも、「美人」の基準以外(笑)が原作に忠実ですっごく面白いですよ。DY様は漫画は苦手かもしれませんが、オススメです。
投稿: nekomodoki | 2014年10月10日 (金) 20時32分
クリングル様
ありがとうございます!
本当に、バンドサウンドとしても良いアルバムですよね。
僕の経験はさておき、一般にバンドが解散に向かう時には、技術的には完璧でもテンションの低下がどうしても見えてしまうと想像しますが、このアルバムではエキゾティクスの変調は見出せないように僕には思われます。
音作り的には、ドラムスが一番ストレスが溜まったのかなぁ、とも思うのですが、例えば「二つの夜」のオカズのキレっぷりは凄いですし…。
『NON POLICY』を聴いても、エキゾティクスは最後まで「バンド」していたと思いますよ。変わったのは時代の方ではないでしょうか。メンバーそれぞれ、納得して羽ばたいていった、と思いたいです。
☆
れいこ様
お買い上げありがとうございます!
…って、これではまるで僕はレコード会社の回し者のようですね(汗)。
れいこ様は確か中抜けさんでいらっしゃいましたよね。
当時、レコードでは聴いたことがおありで、印象が薄かった感じなのでしょうか。
このアルバムは本当に不思議で…おそらく聴いてすぐに「最高!」と感じる人は少ないと思います。ただ、時間を経て突如その魅力に気づいてしまうと、「好き」度が尋常でなく高くなります。れいこ様にも、ある日「突然のときめき」が訪れると良いのですが…。
僕の体験で言いますと、あまり気合を入れずに漠然と聴いた方が、アルバムの魅力に「気づき」やすいように思います~。
☆
すみません、お返事一度切ります。
投稿: DYNAMITE | 2014年10月11日 (土) 11時17分
DY様
流していました故…未だに? 80年代の“楽曲の時系列”の記憶は、あやふやです。
フー
はリアルタイムで観て居りますが、殆ど内容を覚えていません(笑)。
御伝授、有り難う御座います。
勿体ない話ですが、当時、敢えて? このアルバムは購入しませんでした〜
今更乍ら、愚痴!?(爆)
80年代は義実家と実家の御用に翻弄され?(笑) …ジュリーに割ける時間は目に見えて減少・・・
私の中で消化できないものは、 ジュリーと言えど?(笑) 後回しにせざるを得ませんでした由。
発売日を心待ちにして購入したレコードを封も切らず、 何枚も放置したままだった頃…このアルバムは「後から買い足せば良い? 」と…記憶の外側へ。
日々新面目(ヒビシンメンモク) な? ジュリーの繰り出す新しいアルバムに私の心が追い付けず・・・
家の中で1人の時は、70年代前期のアルバムを中心に
『源氏物語』に就いて…有名な訳本や関連本を読んでも、私には“苦手な世界観”でしたが、 美輪明宏さんの『葵上・卒塔婆小町』に嵌まった10年位前(*遠征含め3回観て)、漸く? 葵の君の魅力? が理解できた次第。
ジュリーの“光源氏”
追伸:昨日、74年生まれさんのコメントを読まさせて頂いて・・・早速、楽天で
『女たちよ』をポチりました~ 明日、御到着予定です。

投稿: えいこはん | 2014年10月11日 (土) 14時26分
momo様
ありがとうございます!
> これだけ恋を歌いかけながら、甘さがない。それなのに酔わせる
なるほど、さすがはmomo様、ピッタリの表現ですねぇ。「甘くない」というのは「媚びない」にも通じ、源氏の冷たい側面が強調されているようで、いやぁジュリーが官能を歌う、という時に硬質なプロフェッショナルでスタッフを固めた意味が分かるような気がします。
時期の近い作品『MIS CAST』の持つ硬質、冷たさとは感触がまるで違うのが不思議です。そう考えても、この頃のジュリーの歌は確かに凄いですね。
☆
nekomodoki様
ありがとうございます!
あぁ、そうでした、『あさきゆめみし』でしたね。以前伺ったことがありました。
僕は末増先生が熱烈に推していた谷﨑版でした。素晴らしい作品ですが、仰る通り難解だと思います。
実際に読んだ若い頃はともかく、今一気に再読するのは厳しいかなぁ。
『あさきゆめみし』はおそらく全巻所有している友人がいるはず。
名作だそうですね。今なら漫画も抵抗なく読めるかも…。
☆
たびたびすみません!
またお返事一度切ります~。
投稿: DYNAMITE | 2014年10月11日 (土) 22時05分
はじめまして
いつも楽しく拝見させていただいております。
音楽のことは、全く分かりませんが、読みやすい「源氏物語」という事で、出てまいりました。
ズバリ橋本治の「窯変 源氏物語」はいかがでしょう?
男目線の興味深い「源氏」だと思います。
ジュリーとも親交(?)のあった方だと思いますので、所々光源氏とジュリーを重ねて読めるのも面白いと思います。
かってな思い込みでの書き込み、失礼しました。
投稿: きさら | 2014年10月13日 (月) 07時53分
えいこはん様
ありがとうございます!
ジュリーのアルバムや活動について、70年代までは完璧でも、80年代になると記憶が怪しくなってくる、と仰るかたは意外に多いです。多くのジュリーファンの先輩方にとって、人生が慌ただしくなる…そういう時代だったのでしょうか。
僕も最初は『源氏物語』の世界観はダメ(という決めつけですが)でしたよ。
たまたま、高校で教わった国語の末増先生が熱いかただったのです。
CDも、きっと新鮮な発見が訪れると思います。最初は波長が合わなくても、時々聴いていれば、いつかきっと!
☆
きさら様
はじめまして。
コメントありがとうございます!
おぉ、橋本さんが書いているんですか。それは知りませんでした。
橋本さんの作品は、大学時代のSF小説のサークルで熱心なファンが数名おりまして、読んではみたものの僕には縁遠い世界だと思いました。ただ、その文章に普遍的ポップ性があることは分かりました。サークルで勧められた作品とは違うテーマのものを読まなければ、と思いながらはや数十年。
良い機会を得たようです。確かに橋本さんならジュリー本人が執筆の際頭にありそうですし、抜群に読みやすそうですからね。
ご紹介、ありがとうございました。
これからも、どうぞよろしくお願い申し上げます!
投稿: DYNAMITE | 2014年10月13日 (月) 13時47分
DYさん、横レス、失礼します。
えいこはん様、拙コメでポチしていただき、恐縮です。
ジュリーの歌声を堪能できる作品となることを心から願っております。
投稿: 74年生まれ | 2014年10月13日 (月) 18時19分
DY様、74年生まれ様へ
このアルバムは想像していたものとは、良い意味で違っていました〜
先ずは、ジュリーの“声質の良さが際立っている
”ことに驚き入りました。
まだまだ? 今の私には難解な楽曲たち(*特に『物語の終わりの朝は』) ですが…ジュリーの“一言一句”に想いを託されながらも、力まない“ゆるアツな? 歌唱”は好感が持てました。
それと、凄いことですね!?…作曲を筒美京平大先生が担われて居たとは!!(驚)
ウルウルして仕舞います(*親許を離れる時、
赤いハイヒールを履いて新幹線に乗ったことを思い出したり…)。
※ 我が思春期から青春時代に出会った…筒美京平さんの紡ぎ出す“乙女チックな? 旋律”が好きで…今でも太田裕美さんの『雨だれ』や『赤いハイヒール』のインスト♪だけでも耳にすると?
作詞をされた高橋睦朗さんのことは存じ上げなくて…
『女たちよ』の歌詞が“然り気に?”耳に入る様、
BGM設定しました〜
暫くの間、
発見!!・・・聴かずに置いた楽曲…結構? 有りそうです〜
皆様、これからも御教授の程、 宜しくお願い致します。
有り難う御座いました。
投稿: えいこはん | 2014年10月15日 (水) 15時55分
お久しぶりです。この前は変なコメントでありました。すいませんでした(ポリポリ)。『女たちよ』ですか。昭和58年でしたね。レコード屋さんで見たの覚えてます。そうか、「筒美京平」っていう切り口もあるんですね。このアルバムは全曲筒美京平作品でしたもんね。「オリコンウィークリー」って週刊紙が当時はキヨスクなんかでも買えまして、ちょうどマッチがデビューした頃、昭和56年ですか、それの特集に「筒美京平オリコンチャートイン(100位まで)全シングル一覧表」みたいのが載っていて、主に珍しい方(50位以下)のを集めまくりました。南沙織、郷ひろみ、太田裕美、岩崎宏美さん等ベストアルバムが何種類も出ていそうな歌手のはほどほどにしておいて(笑)、川辺妙子(「ミッドナイト東京」)とか桜木健一(「恋はうそつき」)とか谷口世津(「わたし」)とか松浦健(「薔薇はよみがえる」)とか…すみませ~ん、Dynamiteさんに読んでもらいたくって、また場違いなことばかり…。『女たちよ』も買いたかったんですけど、ジャケットがあまりに色っぽ過ぎて~パスしちゃいました。「ちょっと恐い
」って当時は思っちゃって!同等の理由で『追憶~Jewel Julie 』の方もアナログ時代は駄目でした
投稿: 秀和 | 2014年10月15日 (水) 16時51分
74年生まれ様
ありがとうございます!
僕の場合はファン歴も浅く畏れ多いことではありますが、こうして記事に採り上げた楽曲やアルバムを「聴いてみた」「買ってみた」とみなさまに仰って頂けるのって、本当に嬉しいことですよね…。
☆
えいこはん様
ありがとうございます!
『女たちよ』、ジュリーのヴォーカル良いですよね!
「物語の終わりの朝は」がどうにも難解、というのは実は僕も同じです~。
さて、僕は今回の「秋」をテーマのお題シリーズのトリに(次の次の更新予定)、もう1曲筒美京平先生の作曲作品を採り上げる予定でいます。これは「個人的に勝手に秋のイメージを持っている」タイプの曲で、何故そう思うのか、ということをメインに書くつもりなんですけど、それが、えいこはん様が以前コメントで「大好きな曲」と書いてくださった曲なのです。
僕はその時、誠に勝手ながら「えいこはん様からのリクエスト曲」としてメモを残しておきました。
覚えていらっしゃいますか…?
そちらの筒美作品の記事もどうぞお楽しみに!
☆
秀和様
ありがとうございます!
筒美さんは真のヒットメイカーであると同時に、隠れた名曲も本当に多いですね。しかも作風が幅広い…。
勤務先から、『筒美京平永遠のベスト・ヒット100』というスコアを出していて、10年くらい品切れ状態だったんですけど、昨年でしたか、筒美さんの特別企画CDの販売に便乗する形で(汗)、久々に再版をしました。
スコア収載曲には僕の知らなかった曲もあり、今はYou Tubeという便利なものがありますから、その機に片っ端から探して聴いてみたものです。
しかし、秀和様が今回明記してくださった曲はどれも収載されていません。まだまだ、僕の知らない隠れた名曲が数多くあるのですね。探して聴いてみます!
『JEWEL JULIE~追憶』…僕は好きなジャケですけどね~。ただ、ひっくり返して裏ジャケ見た時にはギョッとたじろいでしまいました。
一瞬、「なんで裏ジャケがかまやつさんなの?」と思ったことは、これまでずっと胸に秘めてきましたが…あ~あ、とうとう書いてしまった…(汗)。
投稿: DYNAMITE | 2014年10月16日 (木) 10時08分