沢田研二 「残された時間」
from『比叡山フリーコンサート 時の過ぎゆくままに』
~opening~
1. ビー・マイ・ブラザー、ビー・マイ・フレンド
2. 夢のつづき
3. グッドナイト・ウィーン
4. 夜の都会(ナイト・タイム)
5. 恋のジューク・ボックス
6. 十代のロックンロール
7. キャンディー
8. トゥ・ラヴ・サムバディ
9. 時の過ぎゆくままに
10. お前は魔法使い
11. メドレー
a.グループバンド
b.ムーヴ・オーバー
c.ジーン・ジニー
d.ユー・ガッタ・ムーヴ
e.シー・シー・ライダー
12. 美し過ぎて
13. 花・太陽・雨
14. 自由に歩いて愛して
15. ホワット・アイ・セイ
16. 聖者の行進
17. 気になるお前
18. 悲しい戦い
19. 残された時間
20. 叫び
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さて、いつものようにジュリー・ナンバーの記事タイトルと収録アルバムのクレジットを冒頭に記してはおりますが、今回は楽曲考察記事ではありません(「残された時間」という大名曲のコード進行の特異性などについては若干記事中でも触れます)。
去る6月7日に行われた、男性タイガースファンの大先輩であるYOUさんの還暦記念LIVEのレポートを、当日に至るまでの様々な思い出やいきさつなども交えながら書かせて頂こうと思います。
僕はYOUさんのことを年長の男性として尊敬していますが、YOUさんはあくまで一般人のかたです。何故一般人のYOUさんのLIVEレポートをこのブログで特別に記事に残しておきたかったのかというと・・・。
最初に言ってしまうと、このLIVE(全3部構成)の第2部・トークコーナーに、あのザ・タイガースの瞳みのるさん(ピー先生)がスペシャル・シークレット・ゲストとして登場し、僕も含めて、YOUさん還暦のお祝いに駆けつけた多くのお客さんのド肝を抜いたのです。
ピー先生はその場でこのゲスト出演について、「写真はダメだけど、ブログなど文章でネットに書くのはOK」と言ってくださいました。ただ、とても特殊な出来事で、すぐに記事執筆することは躊躇われました。
確かにその場に居合わせた僕ら(ピーファンの先輩も10数人のかたがYOUさん還暦のお祝いに駆けつけていました)は幸運だったとしか言いようがありません。しかし、ピー先生のファンは日本全国各地にいらして、まずYOUさんのそのLIVEの日付、6月7日というのが「1週間後に”瞳みのると二十二世紀バンド”全国ツアーの初日が迫っている」というとてもデリケートな時期でした。
たかが僕のような者が書くブログとは言え、この特殊な出来事をネット上でかなりの詳細に渡り、しかも大長文発信することにより、この大切な時期に万が一にもピー先生のファンのみなさまの間に情報を求めての混乱が生じることは避けるべきではないか、と考えました。
「是非LIVEレポートを書いてください」と、YOUさんご本人や同じ場所でこのサプライズを体感された多くのピーファン、タイガースファン、ジュリーファンの先輩方のお言葉を頂きましたが、僕は「各地のピーファンの方々が、これから始まる全国ツアーで無事にピー先生に逢うことができたのちに記事を書きます」と、お言葉をくださったみなさまにお伝えしました。
そしていよいよ本日10月31日、大田区民ホール・アプリコ公演をもって、6月13日から続いてきたピー先生初のソロ名義での全国ツアーが幕を閉じます。
その時はやってきました。
アプリコまで駆けつけることができない僕はその代わりに、ピー先生と二十二世紀バンドの全国ツアー大成功、大団円をお祝いする意味も込めて、この記事を更新させて頂くことにします(本日のアプリコ公演にご参加の先輩方にも、お帰りの車中のささやかなお供となりますように、と1週間頑張って書きました)。
何故僕がこの記事にジュリーの「残された時間」をタイトルとして当てたのか、ということも、読み進めてくださればお分かり頂けるかと思います。
それでは、よろしくおつき合いくださいませ。
☆ ☆ ☆
僕が年長の男性タイガースファンであるYOUさんと親しくさせて頂くようになったのは、2012年のことだ。
このブログで書いた、いわゆる”ほぼ虎”の日本武道館公演(2012年1月24日)のレポートにYOUさんがコメントをくださったのがきっかけだった。あのレポートは今読むと・・・と言うよりDVDと見比べたりしてしまうと明らかな勘違い、記憶違いの記述も多々あり恥ずかしくなることもあるのだが、この公演に深い思いを持つYOUさんは記事をとても気に入ってくださり、すぐに打ち解けてしまった。
その後、SNSでのやりとりなどで僕はYOUさんの人柄を知っていった。とにかく有言実行の男らしい人である。
もちろんお互いにタイガースファンでもあり、違う形ではあるがずっと音楽に関わり続けていることもあって、ジュリーやピー先生、タイガース関連の音源やLIVEなどの感想をそれぞれの視点から交わし合うことが本当に楽しい。
リスペクトするタイガースファンの先輩であり、ロックを語り合えるひとまわり年長の友人であり、そして矜持ある男性のお手本。それが僕にとってのYOUさんだ。
そんなYOUさんの還暦記念LIVEに、ザ・タイガースのスーパースター、ピー先生が駆けつける・・・俄かには信じ難い出来事だが、それは今年の6月7日、現実に起こった。僕も含めて100人ほどの人がそのシーンを目の当たりにした。
ザ・タイガースをこよなく愛するYOUさんが、自身の還暦記念(自ら祝う、のではなくこれまで自分を支えてきてくれた家族や友人達、仕事仲間に感謝のステージを捧げたい、というコンセプトで企画された)に敢行したLIVEについて、僕はどこから書き出すべきだろう。
こうしてブログにLIVEレポートを書いてしまうほどの感動は、やはり会場の誰も予想だにしていなかったシークレット・ゲスト、ピー先生の登場によるところが圧倒的に大きい。ならば、YOUさんのLIVEに何故あのピー先生が参加する運びになったのか、ということを僕なりに推測し考えてみることから書き始めるのが良いかもしれない。
まず・・・僕の個人的な印象だが、ピー先生とYOUさんはかなり性格が似通っているように感じている。
正しいと思ったことは、即座に行動に移す。決断が早い。ひとたび定めた目標には全力を尽くして挑む。そして、人生における未知の領域に足を踏み込むことを怖れない。
例えば、YOUさんの奥様は、もう何年も前になるが病によりお身体の自由をほとんど奪われてしまわれた。「自分の意志では身体を1ミリも動かすことはできない」のだという。
僕などからすると本当に想像に絶する。自分や自分の家族にそんなことが降りかかったら、悲嘆に暮れるだけで何ひとつ「先」のことなど考えもできないだろう。
ところがYOUさんは、専門家であるお医者さんはじめ多くの人が「無茶だ」と案ずるのを振り切って、愛する奥様の気持ちを第一に考え、「自宅介護」という大変な道を選ばれた。
結果どうだ。家族や友人達に見守られ支えられながら、今もずっとYOUさんはその道を歩き通している。
もちろん仕事と両立させ、趣味のバンド活動も現役。細い身体に漲る、信じられないほどのバイタリティ。その点は間違いなくピー先生と共通していると思う。
ピー先生は当然特別な人。僕らファンにとっては雲の上の存在、スーパースターなのだが、数十年に渡る「教師」としてのキャリアが、65歳にして復帰した芸能界の中では特異と言えるスタンスをもたらしている。フットワーク抜群。肩書きでなく人間を見て、その人と交流する。だからYOUさんとの交流も自然に生まれている。
ただ、YOUさんがいかに行動力があり人間性が優れていても、それだけではさすがにピー先生との関係が「交流」から「友情」へと進展することは無かっただろう。僕も詳しい経緯をすべて知っているわけではないが、まずYOUさんの奥様をなんとか武道館公演(2012年)に無事参加させてあげたい、そのために万事を尽くしたい、と両者が同じ思いを持ったところから、ピー先生とYOUさんの関わりは始まっている。その「思い」を出発点に育まれてきた特別なものがあるのだ。
スーパースターと一般人との「友情」は、やはり例外中の例外。YOUさんご夫妻は、2011年からのザ・タイガース完全復活への道程の中で、思わぬ大きな奇跡を手にしたと言える。
以前、ピー先生とYOUさんご夫妻の3人で撮った写真を見せて頂いたことがある。
YOUさんはそこで、ピー先生の手が「握り」と呼ばれる車椅子後方の介助者用の部位をそっと握りしめていることに写真を見て初めて気がつき、感激に暮れたそうだ。車椅子の奥様にとってとても安心できる体勢・・・これは介助の経験が無ければなかなかできないことだが、ピー先生はどうなのだろうか。
とにかくこの体勢をごく自然にとれる人、ということでYOUさんは一層ピー先生の人柄に惚れこんだようだ。
さて、記述が前後してしまったが、そろそろYOUさんのLIVEの企画段階の話に入ろう。
とてつもないサプライズが水面下で進行しているとは知らず、SNSでYOUさんが告知した「仲間達への感謝のための還暦記念LIVE」決行宣言に周囲は盛り上がった。YOUさんは60歳にして初めてリード・ヴォーカルにも挑戦するという。それがそのまま、ジュリー・ナンバーのカヴァーバンド新結成という企画となった。
人望の厚いYOUさんだ。SNSの友人達からは、次々にお手伝いを申し出る声が上がる。
この素敵な雰囲気に溶け込みたい、と思った僕も立候補した。申し込んだのは、「スコアが存在しない曲」の採譜である。
YOUさんはどんなジュリー・ナンバーを歌いたいと考えているのだろうか?その中にはきっと、世にスコアなど無いマニアックな曲も挙がっているに違いない。
後日、YOUさんからセットリスト候補曲を記したメールが届いた。コンセプトは「70年代のジュリー」。王道の有名な大ヒット・ナンバーに混じって、やはり「さすがはYOUさん!」と唸らせる渋い選曲がある。「夜の河を渡る前に」・・・大丈夫だ、これは以前採譜したことがある。
そして・・・えっ?「残された時間」?!
いやぁ、さすがにこれは僕の手には負えないだろう。
もちろん曲は知っている。あの有名な『比叡山フリー・コンサート』で歌われたロック・ナンバーだ。
ただ、後追いジュリーファンの僕は正式な形で音源を持っていないので、充分聴きこんでいる曲とはとても言えない。そもそも「ワケ分からない転調がひっきりなしに登場する曲だなぁ」というのが一番の印象としてあったのだ。その難解な構成に「紐解くのは老後の楽しみにとっておくかな」という感じで、僕にとっては「ちょっと横に置いておこう」的なスタンスの曲だった。
今となっては「何故こんな大名曲をずっと放っておけたのか」と恥ずかしい限りなのだが・・・。
しばし思案し折り返したYOUさんへの返信で、僕はだいたいこんな感じのことを書いた。
「”残された時間”だけは厳しいです。難解な転調が繰り返されますし、手元に歌詞カードも無く聴き込みが不充分で採譜に自信がありません。他の曲については大丈夫です」
これで、YOUさんがセットリストを一部再考されることを僕は安易に予想していた。しかし、すぐに返信が届いた。
余計な文章は何もない。ただ「歌詞を送ります」と。
添付のワードファイルに、「残された時間」の歌詞があった。スキャンなどではなく、YOUさんの手打ちである。
尊敬するこの年長の友人は、僕を見抜いたな、と思った。
僕は「自信がない」「荷が重い」という考えがまず先に立ち、怯んでいる。踏み出せずにいる。無意識だったが、「歌詞カードを持っていない」というのはそんな自分の気持ちを誤魔化すために言い訳として使った言葉だ。YOUさんはバッサリそこを突いてきた(笑)。
なるほど・・・これがYOUさんか。メールにそんなことは何ひとつ書かれてはいないが、YOUさんはこう言っている。
「やってみる前から何を怖気づき、躊躇っている?まずはお前の”ベスト”を俺に見せてくれよ!」
もっともなのだ。例えばYOUさん自身、常々「自分は歌が下手だ」と公言している。それでも今回、ジュリーのカヴァーでリード・ヴォーカルに挑む。「自信が無い」と「できない」とは全然違う。
今この記事を書きながら思うのだが、ピー先生の芸能界復帰後の多岐に渡る活動は、ほとんどがその境地だ。「持てる力を尽くして」とはそういうことだ。
やってみなければ、「0」はいつまで経っても「0」のまま。やってみれば、必ずそれが「10」「20」にはなる。いや、僕の”ベスト”はその程度か?「50」くらいはいけるんじゃないか?
ということで、ハートに火がついた。
まったく・・・YOUさんの「人をその気にさせる力」には、感動を通り越して思わず「やられたな~」と笑ってしまうほどである。
おそらくYOUさん周囲の多くの人が、今回の僕と同じような体験をこれまでずいぶんしてきているだろう。管理職としてのYOUさんの普段の仕事ぶり、部下への接し方なども目に浮かぶようだ。そしてきっと、「やる気になった」人に対しては惜しみなくその気持ちに応えてくれる。そういう人なのだ。
自分もベストを尽くしてやってみよう。それでうまくいかないなら仕方がない。僕は腹を括った。
他の曲は数日のうちに清書したファイルをお送りすることができたが、最後に残った1曲「残された時間」については、2週間ほどお時間を頂いた。仕事の忙しい時期だったので、土日の休日にフル稼働で採譜に取り組んだ。
それは、「なんという名曲なんだ!」ということに今さらながら気づかされた日々でもあった。
「残された時間」・・・作詞・沢田研二、作曲・大野克夫。
まずはジュリーの作詞の素晴らしさだ。同じく『比叡山フリーコンサート』で歌われた「叫び」と並んで、これは20代のジュリー自作詞ナンバーの最高傑作ではないか。
さらに大野さんの作曲・・・何というテンション。Aメロが始まるとすぐにハ長調→ト長調→イ長調というとんでもない展開がある。しかも曲は休むことなくアップテンポで疾走する。
大野さんの作曲は基本、王道のストレートなメロディーが持ち味だ。ここまで変則的なコード進行で組み立てられた曲は他の大野さん作曲のジュリー・ナンバーには見当たらない。敢えて探すとすれば『JEWEL JULIE~追憶』に収録された「衣装」か。だが「残された時間」の場合は、この特異なコード進行をしてなおかつ「ロックンロール」なのである。それが凄い。
これほどの曲がLIVE盤のレコードでしか音源として残されていない。今のジュリーの生き様、歌人生にそのまま引き継がれているようなメッセージとヴォーカル。つくづく、ジュリーの音楽性、ロック性は70年代のLIVE盤を聴きこまずに語ってはならないと感じる(『ロックジェット』さん、今からでも遅くはないですよ!)。
正直相当に大変な作業だったが、なんとか僕なりの”ベスト”の採譜は成った。部分的に甘い箇所があることも自覚していたものの、無理に誤った解釈を加えることは避け、音に素直に仕上げ清書した。あとはYOUさんはじめバンドメンバーのみなさんの判断に委ねるのみ。
その後有り難いことに、どうやら「残された時間」は無事にバンド・リハーサルに突入できたようだった。
「採譜」と言うとずいぶん大層なことをやってのけたように聞こえるかもしれないが、僕の作業はあくまでバンドの叩き台を提示したに過ぎない。その叩き台を元に、バンドが「ああでもない、こうでもない」と細部を練り上げてゆく。
だから、LIVE当日お客さんが耳にした素晴らしい演奏、アレンジ再現は、僕の採譜によるところなどでは決してない。すべてはバンドメンバーの稽古、力量とセンスの賜物である。
でも、後日バンドメンバーであるキーボードのきょうこさんから「残された時間」の僕の採譜について、「もし、バンドでまったく1からの作業になっていたら、と思うとゾッとします」と感謝のお言葉を頂いた時には、本当に嬉しかった。
やってみれば充実感だけが残った採譜作業も終わり、僕は安堵した。あとは楽しみに待つだけである。
YOUさんも還暦の誕生日を迎えられた。
「まだまだ先」と思っていたLIVE当日が近づいてくる。YOUさんからは時折、「リハーサルは順調」と連絡を頂いていた。「僕の歌だけが足を引っ張っている状況です」とも(笑)。
そしていよいよ、6月7日がやってきた。
本題の前に余談になるが、LIVE前のオフ会についてここで触れておきたい。僕にとって、20年以上前の大切な経験を思い出させてくれた貴重な時間だったからだ。
この日のLIVEに向け、参加するタイガースファンのSNS関係の有志の先輩方10数名で、数週間ほど前からランチを兼ねたオフ会の話が持ち上がっていた。
ところが、肝心の場所がなかなか決まらない。というのは、参加されるタイガースファンの先輩の中におひとり車椅子のかたがいらして、出入りに都合の良い適当なお店がLIVE会場の近辺に見つからないのだという。
第一候補だったLIVE会場すぐ近くの『大岡山食堂』さんも、お店に入るには数段の階段を降りなければならないらしい。どうしたものか、と先輩方は大層お困りの様子だった。
思わず僕は名乗りを上げた。
「僕は車椅子のかたの介助の経験があります。男手があれば、第一候補のお店でなんとかなりませんか?」
と。
そう、この話の最大のネックは、車椅子の先輩含めてオフ会参加のみなさん全て女性、という状況にあったのだ。
先輩方は快く僕の提案を受け入れてくださり、オフ会のお店は『大岡山食堂』さんに決まった。
さぁ責任重大だ。
こうなったからには僕は「気楽にLIVEを見にいく」という軽い気構えではいられなくなる。当日朝になって「ギックリ腰になってしまいました」などという事態は絶対に許されなくなった。
しかも、「介助経験がある」と言ってもそれはもう20数年前の学生時代、たった1年間のことなのだ。僕は必死に、その頃色々と学びながら過ごした日々の記憶を辿った。
その時に介助をさせて頂いていたお兄さんは重度のかただったが、僕は学生という立場もあり担当は「夜番」だった。夕食後から朝までの時間だから、お風呂などを共にし、あとは寝るだけだ。ただ、ごく稀に外出することもあった。今と違って都心の駅にもエレベーターなど無い場合が多く、電車に乗るたびに近くの駅員さんに声をかけ、二人で車椅子をかかえてホームの階段を昇り降りしていた。
人の手で車椅子を持ち階段を移動する時の決まり事がある。絶対に「つま先から昇り、背中から降りる」。これは基本中の基本で、僕もまずそれを教わったものだ。もちろん手で持つべき車椅子の部位も決まっている。
重度のかたは特にそうだが、車椅子のかたにとって、外の移動時に車椅子から身体が離れてしまうのが一番怖いことなのだ。足先から階段を降りる移動だと、身体がすべり落ちてしまうのではないかという恐怖がある。だから必ず背中から降りる。もちろん本人は後ろ向きになるので進行先の階下の景色は何ひとつ見えない。移動する車椅子の「下」を受け持つ介助者にすべてを託すのだ。
僕はこうしたことを少しずつ思い出していった。当日は僕が「下」を受け持つことになるだろう、と思い緊張した。
ヤワな僕としてはとにかく、「ギックリ腰」「ギックリ背中」に細心の注意を払いながら(笑)その日までを過ごした。
こうして迎えた当日・・・『大岡山食堂』さんでのLIVE前のオフ会ランチは本当に楽しかった。
何より大きかったのは、車椅子の先輩がとても明るいかただったことだ。そう言えば、僕が介助させて頂いていたお兄さんもロックが好きで、ノリの良いファンキーな性格の人だった。その明るさにずいぶん助けられたものだ、と懐かしくあの頃が思い出された。
お店に入る階段を降りる際には、僕が「下」を受け持ち、「上」は女性の先輩方がお二人で左右を持ってくださった。
車椅子の先輩とはテーブルもご一緒させて頂いた。『世界はボクらを待っている』を映画館まで観にいかれた時のことなどを、別の先輩がお持ちくださったタイガース関連の貴重な資料(そのまま僕がお借りして持ち帰ってしまいました汗)のページを繰りながら、楽しそうにお話してくださった。タイガース話に花が咲いたランチタイムはあっという間に過ぎた。
そうそう、『大岡山食堂』さんではこんなお話も。
お店は貸切にして頂けたのだが(通常の開店時間を僕らの予定に合わせ1時間早めてくださっていた)、各テーブルで飛び交うタイガース話を耳にしたお店のマスターが
「タイガースのメンバーのかたがこの店にいらっしゃったことがあるんですよ・・・いやぁ誰だったかなぁ。ちょっとひとりずつメンバーのお名前を言ってみてください」
と話しかけてこられた。
僕が「沢田研二、岸部一徳・・・」と名前を挙げていき「加橋かつみ」と口にするや、マスターは
「そうそう、加橋さん!タイガース時代から親交がある、というかたと一緒にいらっしゃっていました」
とおっしゃった。
場がワッと盛り上がったのは言うまでもない。
帰りの階段の昇りは、お店のマスター自ら「上」を受け持ってくださり、僕が「下」。難なく車椅子の移動ができた。見守る先輩方が「いいな~、イケメンのお兄さんに囲まれて~」としきりに囃し立てる。とても気持ちがいい(汗)。
階段を上がると僕は笑顔で、心をこめてマスターにお礼を言った。これも20数年前に学んでいたことだ。車椅子の移動を手伝ってくれた駅員さんなどに心からのお礼を笑顔で言う・・・これで、手伝ってくれたその人が今後同じ状況に接した「次」の機会に自然な感じで繋がるのだ。
『大岡山食堂』さんは食事もお酒も美味しい、素敵な雰囲気のお店だった。みなさまも機会があれば是非!(こちら)
マスターは笑顔でお店の外まで僕らを見送ってくれ、僕は一気に気持ちが開放された。よし、あとはLIVEを楽しもう!
LIVE会場は、その『大岡山食堂』さんから徒歩1分もかからない場所にある『大岡山PeakⅠ』さん。地下の箱のライヴハウス典型の構造で、雰囲気としては、僕の馴染み深いところだとかつて新宿にあった『Doctor』に近いと感じた。
音の聴こえ方は・・・素晴らしく良かった!
この日第1部のバンド、JULIE SPIRITの編成には本当にピッタリ合っていたのではないだろうか。
YOUさんは日頃から『大岡山PeakⅠ』さんをX-JAPANのカヴァー・バンドで利用しており、その運営、気遣いを絶賛している。特に店長の佐藤さんは素晴らしいお人柄とのことだ。
佐藤店長はこの日、開演前から司会進行も買って出ていらした。今回のこのレポートを執筆するにあたってYOUさんと何度かやりとりをした際、YOUさんは「僕があの箱に惚れこんでいるのは、そういうところなんです」と語ってくれた。
会場は超満員だった。YOUさんの日頃の交友人脈の広さ、豊かさが分かる。最前方に数列の椅子席が設けられ、車椅子の方々と遠方から来られたお客さんを優先して整然と前方席が割り当てられていった。さすがはYOUさんが惚れこむライブハウスである。細やかな気遣いもバッチリだ。
僕はPA前にスタンディングで陣どった。だいたいどの箱もこの位置が一番音の鳴りが良いのだ。
開演前の混雑の中、何人かの顔馴染みのタイガースファン、ジュリーファン、ピーファンのみなさまと再会し、ご挨拶。
ブログやSNSなどのネット上だけでしかお話したことのなかった方々との「はじめまして」もあった。
司会の佐藤店長が「間もなく開演」を告げる。
「(YOUさんは)今まで見たことないくらい緊張しています!」
とのことで、熱烈な拍手と共にいよいよYOUさんの還暦記念LIVEの幕が切って落とされた。
第1部 YOU with JULIE SPIRIT
1. オープニング
2. 残された時間
3. あなたに今夜はワインをふりかけ
4. LOVE(抱きしめたい)
5. ナイフをとれよ
6. メドレー:夜の河を渡る前に~気になるお前
(『JULIE ROCK'N TOUR '79』version)
7. ヤマトより愛をこめて
ライヴ活動については現役バリバリとは言え、リード・ヴォーカリストとしてステージに立つことはこれまでまったくの未経験、というYOUさん。自身の還暦記念のLIVEでジュリーのカヴァーへの挑戦を決意したYOUさんが、この日のために結成しおよそ1年ほどをかけて準備し稽古を積み重ねてきたバンドが”JULIE SPIRIT”だ。
まず第1部は、彼等の初ステージで鮮烈にスタートした。
実を言うと、僕は当初このバンドのメンバーとしてYOUさんからお誘いを受けていたのだった。だが僕は現役のLIVE活動から退いてもう20年近くが経つ。どの楽器を担当するにしても足を引っ張りご迷惑をかけてしまうことは明らかだったため、それは丁重に辞退させて頂いた。
ただ、そこでYOUさんの今回の企画への決意、志を知り、「自分も何か力になりたい」という気持ちが芽生えた。それがセットリスト候補曲の採譜という話に繋がったのだ。
さて、バンドメンバーやライヴハウスのスタッフさんを除いた会場内のお客さんの中で、この日のセットリストの内容を知っているのは、採譜をお手伝いした僕だけだ。が、僕も演奏曲順についてまでは知らされていなかった。
どれが1曲目なんだろう?と楽しみにしていたら・・・いきなりやられた。セットリストとしては事前に聞いていなかった、『比叡山フリーコンサート』のオープニング・インストだ。
この日駆けつけていたお客さんの中でも特にジュリーファンの先輩方にとっては、本当にタイムリーで体感された音だけに、客席は一気に盛り上がる。隣にいらした先輩は「いきなりこれかぁ!」と感激のご様子。ちなみにこの先輩は、実際に比叡山フリーコンサートに参加されている。後日お借りして見せて頂いた貴重な資料の中のひとつがこれだ。
YOUさんはLIVE直後のSNSの日記で
「唯一セットリストを知っていたDYNAMITEさんも、このオープニングには驚いただろう」
と、してやったりに書いていらっしゃった。
後で伺ったところによれば、バンドリーダーのベーシストさんとキーボードのきょうこさんがお二人で、LIVE音源から丁寧に音を拾ってアレンジ再現されたのだとか。リード・シンセサーザーが「ムーグ」と呼ばれたりしていた頃の音、ドンピシャだ。
こうしてJULIE SPIRITのステージは、インパクト抜群のオープニングで幕を開けた。この時点では、まだYOUさんは姿を見せていない。そうした演出もまた70年代ジュリー流だ。
そして、インストのエンディング間際に飛び込んでくるようなタイミングで、遂に主役のYOUさんが登場。大声援が沸き起こる。2曲目は間髪入れずに「残された時間」が来た。
キレッキレの演奏だ。インストでのフィルインに次ぐフィルイン同様、ここでもスネアのアタックが気合充分・・・何とドラマーさんはこの日が初のLIVEステージだったのだそうだ。
YOUさんは、かなりハスキーな声で歌う。なるほど、これがYOUさん生涯初のリード・ヴォーカルか!
ジュリーファンは総じて、ジュリー・ナンバーを他人がカヴァーすることに際して厳しい。もちろん僕もそう。特にヴォーカルは・・・。当たり前のことなのだ。世の中の他の何人も、ジュリーの曲をジュリーのようには歌えはしない。
それでもジュリーのカヴァーを聴くとなれば、僕の場合はそこに歌の巧拙よりも、ジュリー・ナンバーを歌うことへの覚悟の気持ちを見る。最も重要なのは、「見栄を捨てているかどうか」ということだ。音程やテンポの正確さや声量よりも大事なのは、我を忘れて歌う「必死さ」。「何故自分がこの曲を歌うのか」という志だ。
YOUさんの歌には間違いなくそれがあった。いや、そんなことはLIVE前から分かっていた。何故なら・・・YOUさんが自身の還暦LIVEに臨んで選んだ曲が「残された時間」だったからだ。普通の人にそんな選曲ができようか。
ジュリーは数年前に、「60を超えたら残りの人生は死ぬ準備」と語ったことがあった。そうした実感を伴う年齢・・・それが還暦という時なのだろう。
僕のような凡人にとっては、その時が来るのが怖い。近づいてくる「人生の終わり」を感じるのが怖い。だから先のことはあまり考えたくない。言葉にしたくない。
だがYOUさんはジュリー同様に、誤魔化さずにしっかりと「先」を見据える。この先の人生の「残された時間」に向かって、矜持を貫き、家族を護る・・・そんな決意でこの曲を選び歌ったに違いないのだ。「残された時間」という曲を歌う覚悟を持つ人だということだ。
続いて3曲目は「あなたに今夜はワインをふりかけ」。この曲は市販のスコアがあったが、僕は鉄人バンドの現在の演奏を参考に細部を変えて清書したものを提出していた。
ライヴハウスの雰囲気に慣れてきたのか、ここへきてお客さんの多くがパシャパシャとステージの写真を撮りはじめる。僕も撮った。携帯撮影でブレブレになってしまったけれど。
(たぶん、「あぁ、あなたを~♪」の指差しのシーン)
JULIE SPIRITの演奏は、ジュリーファンとして聴いてもまったく違和感が無い。各パートの音もそうだし、特に素晴らしいのはアレンジの再現力だと感じた。
YOUさんは後日謙遜していたが、バンドの一人一人が相当な稽古量を積み重ねてこの日に臨んでいることが分かった。充分な稽古は本番での勇気を生む。プロであれアマチュアであれ、ジャンル問わずやっぱりそういうバンドの演奏を生で聴ける時間というのは本当に幸せだ。これは、この日から1週間後のピー先生の全国ツアー初日、さくらホール公演での二十二世紀バンドの演奏にも感じたことである。
最後のサビでYOUさんの「光速指差し」も炸裂した「あなたに今夜はワインをふりかけ」が終わり、ここで短いMCが入る。
「なんだか寒いな~」とYOUさん。もちろんジョークだ。この日は小雨がパラついていたとはいえ蒸し暑かった。加えて会場のこの熱気。ステージはサウナみたいな状況だろう。
それでもYOUさんは、「あ~、寒い寒い」と連呼する。・・・これは何か狙いがあるんだろうね(笑)。
「寒いからコート着させて」
というこの言葉で、セットリストを知っている僕は謎が氷解。
そう、コートを着て歌うべき曲があるのだ・・・4曲目は真冬のバラード、「LOVE(抱きしめたい)」。YOUさんは見るからに暑そうなコートを着てこの曲を熱唱した。
後にYOUさんは、「最初にリハでこの曲の音合わせをした時、イントロのキーボード一発で背筋が震えた。レコードとまったく同じ音だったからだ」とSNSの日記で語っていた。
まったく同感だ。素晴らしい音色だった。
ハモンドオルガンを作りこんだ音だろうか。この曲に限ったことではなく、今回のLIVEに向けてのキーボードのきょうこさんの真摯な取り組みには、YOUさんも脱帽していらした。
歌い終わったYOUさんは、「暑っちい!」と言いながらコートを脱ぎ捨て、お客さんの笑いを誘う。完璧なオチだ(笑)。
この曲の後に、先程よりも長めのMCが入った。
普通ではやらないようなマニアックなジュリー・ナンバーも採り上げている、ということで2曲目の「残された時間」がいかに名曲であるかをひとしきり解説するYOUさん。さらには
「次にやるのも・・・これがまたマニアックな曲でね」
と。
「今回のLIVEは、たくさんの人が色々なことを手伝ってくれた。例えば、ジュリーの有名な曲はスコアがあるけれど、マニアックな曲はスコアなんて存在しない。そういう曲を譜面に起こしてくれた人がいる・・・瀬戸口さん、来てるかな?何処?」
と、いきなり僕にMCの矛先が(汗)。
恥ずかしいながらも手を挙げて応えると、YOUさんだけでなくバンドメンバーのみなさんも拍手してくださりとても嬉しかった。
余談だが、YOUさんが僕の顔を初めて認識してくださったのが実はこの瞬間である。メールでのやりとりこそ頻繁に交わしていたが、実際にはこの日が初対面だった。
MCは続いて
「次の曲は、その彼が”YOUさん歌ってよ!”とリクエストしてくれた曲。かなりマニアックな曲で、今回のバンドのメンバーも誰ひとり知らなかった。でもリハで演奏を重ねていくうちに、男の友情を歌った本当にいい曲、ということで全員気に入ってくれた。アルバム『思いきり気障な人生』に入っている曲で、”ナイフをとれよ”です」
そうなのだ。5曲目「ナイフをとれよ」は、このLIVEを採譜という形でお手伝いさせて頂くことが決まった際に、僕がYOUさんに強引にリクエストしてしまったナンバーだった。もちろんスコアなど世に存在しない。僕の採譜が叩き台となった。
実際にお会いしたことこそなかったけれど、SNSやメールでのやりとりを重ねていくうちに僕の中に出来上がっていたYOUさんのイメージは、「男が惚れる男」。そのYOUさんがジュリーのカヴァーをやる、となれば是非この曲を歌って頂きたかった。ジュリー本人がこの先ステージで歌うことはさすがに無さそうな曲だしね(笑)。
厚かましいリクエストのメールを送ってしまった翌日、「セットリストが正式に決まりました」との返信を頂いた時、「ナイフをとれよ」はしっかりその中に入っていた。
YOUさんの日頃の決断の早さには毎回ビックリさせられっ放しなのだが、これもそんなエピソードのひとつだ。
歌い終わったYOUさんは、歌詞の細かな間違いがあったことをしきりに悔いていたが、実際に生で聴いてみて、この曲はやはりYOUさんにピッタリだと思った。
男ならば誰しもこの歌の世界の主人公たる資質はある。だがそれを歌で表現するとなれば、まず現実の日常が問われる。友人と酌み交わすことが特別に大切な時間であることを裏づける、普段の生き方が伴って初めて歌える曲。YOUさんはそれができる人だ。
また、バンドの演奏も素晴らしかった。特にイントロのリード・ギターには鳥肌が立った。音色もフレージングも、本当にオリジナルのままだったのだ。
全セットリストのすべてのギター演奏の中で僕の心に一番響いたのが「ナイフをとれよ」のサスティンの短い設定でのソロだったところに、JULIE SPIRITというバンドの個性を見たように思う。
6曲目は「夜の河を渡る前に」~「気になるお前」メドレー。最初にセットリスト案を頂いた時から、これは『ROCK'N TOUR』のメドレー形式でやろうとYOUさんは決めていたようだ。
「夜の河を渡る前に」はこの日特に楽しみにしていた。ジュリー好みの曲のはずなのに、最近のジュリーLIVEではご無沙汰。何故か?それは、この曲にはベースが絶対に必要だからだと思う。オリジナル音源では後藤次利さんがベースを弾いている、と以前ブログのコメントで先輩が教えてくださった。本当に凄いベースが聴ける曲なのだ。
JULIE SPIRITのリーダーはベーシストさんだ。YOUさん曰く「メチャクチャに耳が良いプレイヤー」とのこと。
いやぁJULIE SPIRIT、素晴らしいベース演奏だった。
そして、改めて大名曲だと感じた。この「グラムロック」としか言いようのない名曲はジュリーの作曲作品である。凄いぞ、ジュリー。凄いぞ、JULIE SPIRIT。
続く「気になるお前」では、YOUさんが縦横無尽にステージを動き回る。凄まじい・・・メイクをしているので僕などより全然若く見えてしまっているのだが、YOUさんは還暦の一般人なのだ。客席にはお孫さんも応援に駆けつけている。
間奏ソロ部で若干リズムが走るシーンもあった。そんな時はリーダーのベーシストさんがグッと一歩前に出てメンバーを見渡し、瞬時に修正をかけていた。
さぁ、いよいよ第1部・JULIE SPIRITのセットリストも大トリ・・・7曲目は「ヤマトより愛をこめて」だった。
歌う前にYOUさんはMCで、「こんな時代だからこそ、愛とは何か。愛する者を護る・・・いかにして護るかを考えされられる曲」と、このバラードを紹介した。偶然にも、今年のジュリーの全国ツアー『三年想いよ』のセットリスト大トリを飾っているのがこの曲だ。愛とは何か、いかにして愛を護るか・・・この曲を歌う時、聴く時に人それぞれが思うことはきっと同じなのだ。
キーボードのきょうこさんは、世に出ている「ヤマトより愛をこめて」の複数のテイクを何度も比較し聴き込み、最終的に『今度は、華麗な宴にどうぞ』のアルバム・ヴァージョンのカヴァーを選択されたという。当然、ピアノ以外にもうひとつの音色を併用演奏していることになる。
後で伺った話だが、きょうこさんは色々とネットでこの曲について調べた過程で偶然、僕が書いた考察記事に当たっていたそうだ(笑)。何かのお役に立てたかどうかは怪しいにせよ、こんなブログをヒットさせてしまうほど真剣に楽曲のことを調べていらしたことが分かる。
そんなこともあって、LIVE後はこの素敵なキーボードを弾いてくれたきょうこさんともお友達になれた。
LIVEの最中にはそこまで分からなかったが、きょうこさんはアルバム・ヴァージョン最大の個性とも言えるあのオーボエ・パートを、チェロの音色で弾いていたという。なるほど、オーボエの音そのままだったら僕はその場でそれと気づけただろう。だがそれは逆に、YOUさんの歌に耳を集中させることを阻んでしまっていたかもしれない。オリジナル音源はジュリー・ヴォーカルだからこそアレンジ成立している、それほど強烈なパートなのだ。
しかしそれが優しく低いチェロの音色ならば、ヴァージョンの雰囲気をも再現しつつ、ヴォーカルに「寄り添う」ことができる。
きょうこさんは最初からこの音色にする、と決めていたわけではないだろう。リハーサルでYOUさんの声と合わせていくうちに生まれたアイデアに違いない。
さらに、歌メロ部では決して前に出過ぎずYOUさんのヴォーカルを引き立てていたきょうこさんは一転、エンディングで激情ほとばしる華麗なアレンジに踏み込んだ。
この日のセットリストはここまで、ほぼオリジナル音源に忠実な「コピー」で演奏されていた。が、最後の1曲「ヤマトより愛をこめて」では、JULIE SPIRITとしての新たなアレンジ解釈が加えられた。それが、きょうこさんのピアノ・ソロをフィーチャーしたエンディングの進行だ。歌い終えたYOUさんが宙を見据える中、きょうこさんの激しくも美しいフレーズが次々に繰り出される。
歌の余韻、と言うにはあまりにインパクトの強いエンディングをもって、JULIE SPIRITのステージは締めくくられた。
誰もが納得のラスト1曲に、会場は大きな拍手に包まれた。
素晴らしかった。正直、ここまでのステージが観られるとは、という思いだった。もし次の機会があったとしたら、その時はまた強引なリクエストをしてしまおう。もちろん採譜も。
第2部 涙と爆笑のトークタイム
(スペシャル・シークレット・ゲスト:ピー先生!)
JULIE SPIRITのメンバーが退場し、ステージにはYOUさんが一人残った。第2部がYOUさんのトークコーナーとなることは、事前に告知されていた。まぁ、さすがのYOUさんも生涯初のリード・ヴォーカルで疲労困憊の直後にいきなりX-JAPANのカヴァーとは無理だ。20代の若者ですら身体が持つまい。
ここは、リラックスしたまったりタイムになるものと誰もが考えていた。実際にはYOUさんは第2部開始までの数分間、リラックスどころか心臓が破裂しそうだった、とのことだ。
「僕は・・・動いてる時にはいくら写真撮られても大丈夫なんだけど、じっとしてると歳がバレちゃうし、ここからのトークタイムでは写真は撮らないでよ・・・いや、真面目な話、みんなカメラとかしまって!ここからは写真厳禁!」
YOUさんは息を整えながらそんなことを言っている。最後は本当に真剣な強い口調だったので、この時点で「何かおかしいな」と漠然と感じていた人はいるかもしれない。
YOUさんとしては軽く想定外だったと思うが、ここで急遽、何グループかのお客さん有志からのプレゼント手渡しタイムとなった。忘れてはいけない。この日のLIVEはまず、YOUさんの還暦記念というハッピーなイベントなのだ。
僕も、LIVE前のオフ会メンバーを中心としたそんな有志一同に参加させて頂いていた。数ヶ月前から、遠方にお住まいで駆けつけることができない方々も含めて「何をプレゼントしようか」と、SNSを使って皆で相談した。それぞれアイデアを出し合い、お祝いのひとことメッセージも集められた。
最終的にプレゼントとして決定したのは、畏れ多くも僕が提案した「ミュージック・スタンド」(譜面台)だった。と言っても僕は具体的には何もしていない。実際にお店をまわって店員さんに色々と尋ねて現物を購入したり、会計を取り纏めたり、プレゼントに添えるメッセージ・ブックを作成してくださったのは、僕がいつもお世話になっているピーファンの先輩である。
当日のこの時も、その先輩がステージ上のYOUさんにプレゼントを直接手渡ししてくださった。
第1部では僕のすぐ近くにいらしたその先輩は、YOUさんにプレゼントを渡すためにステージ下手側の狭い隙間を縫って、ステージとの距離がほとんど無い位置まで進み、そのままその場にとどまる成り行きとなった。約5分後、その先輩は感激と驚愕で声を上げて泣いてしまわれることになる。
YOUさんはその場でプレゼントを開封してくれた。
「あっ、これは譜面台ですね。これを使って、まだまだ(音楽を)やれ!ということですか?」
・・・ハイ、そういう気持ちで私が提案しました(笑)。
さぁ、サプライズはいよいよここからだ。
「実は今日ね・・・僕のこよなく敬愛する、あるミュージシャンのかたからメッセージを頂いているんです。聞いてください」
YOUさんがそう言って合図すると・・・会場に紛れもない、あの人の声が流れた。
このメッセージについてだけは、YOUさんにご協力をお願いして細部確認させて頂くこともできたので、ここで一字一句を正確に書き起こすことにしたい。
「え~、こんばんは。今日は還暦LIVE開催、おめでとうございます。○○さん(YOUさんの本名)のLIVEの模様というのは、You Tubeで拝見したこともあります。とてもエネルギッシュでした。僕のトークLIVEやタイガースのコンサートには、奥様と一緒にいつもいらっしゃってくださいました。感謝しております。今日はお伺いしたいんですけれども・・・13日からの私のソロLIVEに向けての稽古中ですので、メッセージという形で、すいません・・・・・・の、はずだったんですが・・・・・・(ひと呼吸置いて)都合をつけて参りました!」
メッセージの終盤になると、さすがに会場はざわついていた。まさか・・・まさかそんなことがあり得るのか?
YOUさんが袖に向かって恐縮しながら手を拡げる。
会場が息を飲んだ次の瞬間・・・間違いない、正真正銘のピー先生ご本人が、独特のステップを踏むようなあの足取りと共に、颯爽とステージに駆け込んできた!
YOUさんと握手を交わすピー先生。
その時の会場の熱狂をどう表現すれば良いのか。
「お~っ!」という男性の声もあった。両手を頭上に掲げて拍手を送る人。そして、前方席の女性陣からは、歓声どころか悲鳴いや絶叫すら聞こえる。見ると、さきほどステージ前に移動していたあの先輩が半狂乱状態で泣き叫んでいる。
大騒ぎが止まらないお客さんに向かってYOUさんが、「仕方ないなぁ・・・」といった感じで
「じゃあ、30秒だけ・・・呼んでいいよ、はい!」
と言うとすかさず、数人のお姉さま方の見事な斉唱で
「ピ~~~~~~~~~!!」
あぁ、これは現実なんだ・・・。
「写真はダメだからね!」とYOUさんが今一度念を押す。
事前に「カメラとかしまって!」と言っていたのは他でもない、ピー先生を迎えるためだったのだ。何というサプライズ。スペシャル・シークレット・ゲストと言うにも贅沢過ぎる!
後になって考えれば、場所は離れてはいるがこの日の早い時間に磯前さんの講演が開催される、ということがピー先生の今回のスケジューリングを可能にしたのかもしれない。磯前さんの講演に参加された後に大岡山に移動して、ちょうど良い時間だったのだろう。
「ちょっとちょっとみんな!今日の主役は俺だよ?なんで全員の視線がこっちに向いてるの?」
と、ピー先生が立っているステージ下手側に掌をかざして、メチャクチャ嬉しそうに文句を言うYOUさん。
椅子が運びこまれ、下手側にピー先生、上手側にYOUさんという位置どりで腰を下ろす。
続いて二人の間に小さなテーブルも設置され、その上にお花が飾られた・・・のだが、上手側前方のお客さんからクレームが入る。お花が邪魔でピー先生の顔が見えない、というのだ(笑)。
「そうですよね!花なんて・・・瞳さんがいればそれだけで!」
とのYOUさんの言葉で、お花は早くもお役御免。
ここから数10分間・・・爆笑と涙に包まれながら色々なお話を聞けたのだが、さすがにすべてを覚えていない。
ピー先生の略歴が紹介されたのち、YOUさんご夫妻が、雲の上の存在であったピー先生と交流を持つに至った2012年の武道館公演当日までのいきさつがまず語られた。
「このコーナーについての打ち合わせの時に瞳さんは、「何でも聞いていいよ!」と言ってくれてね・・・じゃあ、他では聞けないようなことをこの際何でも聞いちゃおうかな!」
とYOUさん。
タイガースファンのYOUさんは当然、皆がピー先生に「聞きたいこと」を心得ている。本当に貴重なお話を聞くことができた。ここでそのいくつかをご紹介したいと思う(微妙な言い回しなどに実際の発言とは異なる箇所もあり得ますが、どうぞご容赦ください)。
「瞳さんが教師をされていた時、沢田さんや岸部さん達がテレビで活躍されていたじゃないですか。沢田さんがレコード大賞をとったり・・・彼等の活躍を、瞳さんは観ていらっしゃったのですか?」
「(YOUさんの言葉が続いている間、何度も「うんうん」と頷きながら聞いてから)いやそれは・・・ほとんど観ていません。私も忙しい時期でしたし・・・。生徒達はそういうことを知っていて、私が教室に入る前に黒板に”沢田研二”とか書いてあったりするんですよ。これは、私にその話をしてくれ、ということなんですね。”岸部一徳”ってのは無かったなぁ(場内笑)。そういう時私は何くわぬ顔で黙々と黒板の文字を消して、それでは授業を始めます、と・・・(笑)」
さらに・・・もうこれは僕としては「YOUさん、よくぞ聞いてくださった!」と大感激したお話。
「沢田さんが1976年に発表した『チャコールグレイの肖像』というアルバムの中に、岸部さんが作詞して沢田さんが作曲した「あのままだよ」という曲があるんです。当時僕はこの曲を聴いた時、これは瞳さんのことだ!と胸が張り裂ける思いがしました。瞳さんはこの曲のことは・・・?(ピー先生が軽く首を振るのを見て)どうでしょう?一応音も用意してあるんですが、今ここでお聴きになります?それとも持ち帰って頂いて後でゆっくり・・・?」
「せっかく用意してくださったのですから、みなさんと一緒に聴きましょう」と、粋なピー先生。
「みなさんにも最初に言っておきますけど、楽しい曲ではないです。どちらかと言うと暗い、重い曲なんですけど・・・」
そう言ってYOUさんがPAさんに合図すると、会場に「あのままだよ」の音源が流れた。
そう、俺はあのままだよ
学校に行かなくなったのは、おまえと歌っていたかったからだよ
おとなしいこの俺がだよ
家を飛び出したのは、おまえと夢を追いかけたかったからだよ
俺の体の中にいる あの時のおまえの夢に
俺はいたのだろうか
俺はいるのだろうか
じっと曲を聴いていたピー先生は、まるで電気に打たれているかように僕には見えた。
再度YOUさんが合図を送り、会場に流れる曲は1番が終わったところでフェイド・アウトされた。
ピー先生はしばらくグッと何かを噛みしめて
「初めて聴きました・・・これは岸部が詞を書いたの?」
「はい、岸部さんが作詞で、沢田さんが作曲です」
「いや、本当に・・・岸部とは中学からずっと・・・(言葉に詰まる)。岸部らしい詞だなぁと思います。たぶん私のことでしょう。あいつら、そういうことは全然言わないんだよなぁ!」
ピー先生の言葉に、視界が滲む。
実は僕は、『ジュリー祭り』に参加して本格的にジュリーファンとなった直後の2009年1月に、このブログで「あのままだよ」と「Long Good-by」の2曲を並べる形で考察記事を書いている。まだタイガースの「た」の字も知らず、「ピー」や「サリー」「タロー」といった愛称にすら馴染んでいなかった頃のヒヨッコ丸出しの内容だが、そこで僕はピー先生のことを初めてブログに綴った。「あのままだよ」はピー先生のことを歌っているんじゃないか、と。
まさかまさかその数年後に、ピー先生ご本人によるこの曲の感想を目の前で聞くことになろうとは!
「あいつら、そういうことは全然言わないんだよなぁ!」というピー先生の言葉に、プライヴェートでの今のタイガースのメンバーのやりとりの光景が垣間見えたようで感激した。
YOUさんは、心揺さぶられている様子を隠しようもなかった。
「この曲を聴いていた頃は、瞳さんにはもう逢えないんだ、逢いたいなんて考えちゃいけないんだ、と皆が思ってて・・・(お客さんを見渡し)それが今こうしてここにいるんだもんね!もう本当に・・・瞳さんが帰ってきてくれて・・・」
泣きながら言葉に詰まるYOUさんを見てピー先生も
「私も・・・みなさんが喜んでくださって・・・嬉しいです」
と涙まじりに応える。
テーブルの上に置かれていたティッシュを数枚抜きとって目頭を押さえることもあったピー先生。
そういう時はこちらも見ていて胸が熱くなる・・・のだが、ピー先生は次の瞬間絶妙のタイミングでさらに抜き取ったティッシュを「はい!」とYOUさんに差し出す。「あ、すいません!」と受け取り涙を拭うYOUさん。まるで事前に打ち合わせていたかのような軽妙なやりとりに、場内は涙の大爆笑となった。
他にも色々な話題が飛び出した。
YOUさんがピー先生にプレゼントしたドラマー用のグローブの話。すぎやまこういち先生との八雲町公演の予定の話もチラリと。さらには、僅か1週間後に迫っていたピー先生の全国ツアーへの意気込み。1日にどれくらいの時間ドラムの練習をしているのか(2時間くらいだそうです)・・・等々。
そんな中でピー先生は一度だけ「思わず」といった感じで
「YOUさんはどのくらい(練習を)しているの?」
と尋ねたのだが、YOUさんは後日「瞳さんにはいつも本名で呼ばれているんだけど、あの時だけ”YOUさん”と呼んでくれた」と、大変感激したことをSNSで回想している。
そして、どのタイミングだったかはまるで覚えていないのだが、僕がこのトークコーナーの時間の中で一番感動したシーンについて書いておこう。まだ場がどこか緊張していて、涙・涙までには至っていなかった前半のこと(後半はお二人とも泣きっ放し)だったと思う。
ピー先生とYOUさんがお話されていた時、あまりの感激のためだろう・・・車椅子で最前列にいらしたYOUさんの奥様が、声を上げて泣いてしまわれた。
僕らが思わず人前で泣いてしまいそうになった時には、普通どうするだろう?
特にそれが嬉し涙、感動の涙であった場合は、照れや恥ずかしさもあり、涙を堪え止めようとする。だがお身体の自由がきかない奥様にはそれがなかなか叶わない。堪えることはできなかった。
もちろん、奥様の様子に誰よりも先に気づいたのはステージ上のYOUさんだったはずだ。
しかし今、ピー先生を迎えてのトークコーナーで自分の感情にまかせて進行をグダグダにするわけにはいかない・・・そんな思いもあってか、YOUさんは一瞬グッと感情を抑えた。
ところが、他でもないピー先生が奥様のその涙に瞬時にもらい泣きしてしまったのである。こうなってはさすがのYOUさんと言えどももうどうにも堪えようがない。
「ね・・・?みなさん・・・瞳さんってこういう人なんですよ。すごく優しい人なんですよ・・・」
と、涙を流しながら言葉にするのが精一杯だ。
ピー先生は、YOUさんご夫妻の歓喜の涙の架橋となった。
その一瞬のために、ピー先生はこの日この場に駆けつけてくれていたのだ・・・僕にはそう思えてならなかった。
時はあまりに早く過ぎゆく。トークコーナーの数10分は、本当にあっという間に過ぎた。
タイガースファンをはじめとするお客さんの最後の声援と大きな拍手に応え、ピー先生は袖の前で一瞬立ち止まると、少し照れくさそうにお馴染みの”ピーダンス”を披露してから、手を振ってステージを後にしたのだった。
第3部 ゆうちゃんバンド
1. VANISHING LOVE
2. Sadistic Desire
3. WEEK END
4. Stab Me In The Back
5. ENDLESS RAIN
6. CELEBRATION
7. 紅
8. X
「びっくりしたねぇ・・・」とあちこちで語り合う時間となった30分間の休憩の後の第3部については、簡単に纏めよう。
YOUさんが普段から活動しているX-JAPANのカヴァーバンド”ゆうちゃんバンド”のステージだ。このバンドを一番の楽しみに駆けつけたお客さんも多く、第3部は車椅子のかたを除いてオール・スタンディングの時間となった。
僕はX-JAPANの楽曲には詳しくない。が、勤務先で彼等のバンド・スコアをこれまで何冊も扱わせて頂いている。
80年代までは、バンド・スコアへの世間のニーズは洋楽が中心だった。それを翻したのがX-JAPANの『BLUE BLOOD』(当時は「X」)という名盤である。この1枚をきっかけに、邦楽バンド・スコアのニーズは洋楽のそれを完全に逆転した。
オフィシャルのバンド・スコアというのはプレイヤーのみならずファン・アイテムとしてのグッズの側面もあり、譜面だけでなく豪華なフォト、インタビューなどが充実している。そのぶんコストもかかり、必然価格設定は高めとなる。
今、楽器店などのスコア売場に並んでいる多くのバンド・スコアを眺めていて、『BLUE BLOOD』だけが異様に安い値段で販売されていることに首をひねる人がいるかもしれない。それは、1989年に初版発行された商品が未だ再版を重ね続けているからなのだ。もう20年以上前の時代の設定価格が、今なお継続しているのである。
さて、X-JAPANの楽曲をカヴァーしようとするバンドは腕自慢、と世の中では決まっている。しかもゆうちゃんバンドのドラマーさんはプロのプレイヤーである。さすがに凄い。
ただ、他にも同じ心地だったお客さんは多いと思うが、トークコーナーの余韻が強すぎて、僕は半分うわの空の状態で演奏を聴いてしまっていたように思う。申し訳ないことだ。
YOUさんとしては、この日のゆうちゃんバンドのステージの手応えはどうだったのか・・・その点について後日談がある。
1週間後のピー先生のツアー初日、さくらホールで僕はYOUさんご夫妻と再会した。そこでYOUさんはこんなことを話してくれた。
「ゆうちゃんバンドは、JULIE SPIRITよりも全然演奏技術は上なんだけど、あの日のLIVEはJULIE SPIRITの方が良かった。バンドっていうのは上手いとか下手とか、それだけじゃないんだよね・・・」
僕としては、JULIE SPIRITの演奏もゆうちゃんバンドに負けないくらいとても素晴らしかったと思っている。だがYOUさんの言っていることは分かるような気がした。正に「SPIRIT」の部分・・・歌や演奏に向かう人間の気持ちというものが大きいのだ。それは声や音に正直に出る。
6・7では、他でもないYOUさん自身が第1部から長時間ブッ続け出ずっぱりの疲労もあり、ピー先生をゲストに迎えてのトークコーナーという大役を無事に終えた安堵もあり、第3部のゆうちゃんバンドのステージでは普段の気力、実力が充分発揮できなかったかもしれない。YOUさんは言うのだ。ゆうちゃんバンドで演奏している時の記憶がほとんど無い、と。
その一方で「でも最高に楽しかった。ゆうちゃんバンドのメンバーには感謝しか無い」とも。
第3部が終わると、JULIE SPIRITのメンバーも再度ステージに登場し、ゆうちゃんバンドのメンバーと全員で繋いだ手を頭上に掲げて声援と拍手に応えてくれた。YOUさんの還暦記念LIVEのステージは、こうして大成功に終わった。
心底疲れ果てていたに違いないのに、YOUさんはすべてのステージ終了後、第3部の時のウィッグとメイクのままでライヴハウス出口階段前に立ち、帰路に着くお客さんひとりひとりに感謝の言葉をかけて見送ってくださっていた。
第1部MC時のやりとりは別として、YOUさんと僕が面と向かって会話を交わしたのはこの時がまったく初めてだった。照れくささや感動もあって、僕はうまく言葉が出てこない。
なにせ、YOUさんは今「化けて」いる。ハッキリ言って僕のひとまわりも年長、なんてふうにはとても見えない。それどころかこちらの方が年上のような錯覚がある。気をつけて話していないと、いつタメ口になってしまうか分からない(笑)。
別れ際に、1週間後のさくらホールでの再会を約束して、握手を交わした。その瞬間「あっ・・・」と思った。
見かけだけでは実際の年齢がよく分からない男性とは、握手をしてみるとだいたいの年齢が分かるものだ、という話を聞いたことがある。YOUさんと握手をした時には、フワッと優しく、そっと包みこまれるような感覚があった。
今年還暦になられた人生の大先輩が、身体を張ってあの長丁場のステージをたった今終えたばかりなのだ、と実感した。
僕は最大の敬意を込めて、YOUさんの右手を両手で握り返した。
☆ ☆ ☆
思わぬ超・大長文になってしまいました。
最後まで読み通せない方々が続出するのではないか、と心配です。これでも下書き段階よりはずいぶん短くなっているのですが・・・。
ご多忙の中、YOUさんは記事執筆途中の僕の細かい質問や相談に何度もつきあってくださいました。
あの日・・・いやそのずっと以前から、本当に素晴らしい体験をさせて頂いたこと、学ばせて頂いたこと、感謝の言葉もありません。ありがとうございました。
さて次回更新は、こちらもいよいよ長かった全国ツアーのファイナルとなる、ジュリーの『三年想いよ』東京国際フォーラム公演のレポートです。
実は、今年の11月は仕事が凄まじく忙しくなる見通しです。レポート完成までにはいつも以上に時間がかかってしまうことが予想されます。
日本シリーズで阪神が敗れ、今年の「Rock 黄 Wind」考察記事執筆実現の野望は残念ながら潰えました。
でも、めげずに頑張りますよ!
まずは11月3日、ジュリーと鉄人バンド2014年最後のステージをしっかりこの目に焼きつけてきます~。
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