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2014年10月

2014年10月31日 (金)

沢田研二 「残された時間」

from『比叡山フリーコンサート 時の過ぎゆくままに』

Freeconcertaimthiei

~opening~
1. ビー・マイ・ブラザー、ビー・マイ・フレンド
2. 夢のつづき
3. グッドナイト・ウィーン
4. 夜の都会(ナイト・タイム)
5. 恋のジューク・ボックス
6. 十代のロックンロール
7. キャンディー
8. トゥ・ラヴ・サムバディ
9. 時の過ぎゆくままに
10. お前は魔法使い
11. メドレー
 a.グループバンド
 b.ムーヴ・オーバー
 c.ジーン・ジニー
 d.ユー・ガッタ・ムーヴ
 e.シー・シー・ライダー
12. 美し過ぎて
13. 花・太陽・雨
14. 自由に歩いて愛して
15. ホワット・アイ・セイ
16. 聖者の行進
17. 気になるお前
18. 悲しい戦い
19. 残された時間
20. 叫び

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さて、いつものようにジュリー・ナンバーの記事タイトルと収録アルバムのクレジットを冒頭に記してはおりますが、今回は楽曲考察記事ではありません(「残された時間」という大名曲のコード進行の特異性などについては若干記事中でも触れます)。
去る6月7日に行われた、男性タイガースファンの大先輩であるYOUさんの還暦記念LIVEのレポートを、当日に至るまでの様々な思い出やいきさつなども交えながら書かせて頂こうと思います。

僕はYOUさんのことを年長の男性として尊敬していますが、YOUさんはあくまで一般人のかたです。何故一般人のYOUさんのLIVEレポートをこのブログで特別に記事に残しておきたかったのかというと・・・。
最初に言ってしまうと、このLIVE(全3部構成)の第2部・トークコーナーに、あのザ・タイガースの瞳みのるさん(ピー先生)がスペシャル・シークレット・ゲストとして登場し、僕も含めて、YOUさん還暦のお祝いに駆けつけた多くのお客さんのド肝を抜いたのです。

ピー先生はその場でこのゲスト出演について、「写真はダメだけど、ブログなど文章でネットに書くのはOK」と言ってくださいました。ただ、とても特殊な出来事で、すぐに記事執筆することは躊躇われました。

確かにその場に居合わせた僕ら(ピーファンの先輩も10数人のかたがYOUさん還暦のお祝いに駆けつけていました)は幸運だったとしか言いようがありません。しかし、ピー先生のファンは日本全国各地にいらして、まずYOUさんのそのLIVEの日付、6月7日というのが「1週間後に”瞳みのると二十二世紀バンド”全国ツアーの初日が迫っている」というとてもデリケートな時期でした。
たかが僕のような者が書くブログとは言え、この特殊な出来事をネット上でかなりの詳細に渡り、しかも大長文発信することにより、この大切な時期に万が一にもピー先生のファンのみなさまの間に情報を求めての混乱が生じることは避けるべきではないか、と考えました。
「是非LIVEレポートを書いてください」と、YOUさんご本人や同じ場所でこのサプライズを体感された多くのピーファン、タイガースファン、ジュリーファンの先輩方のお言葉を頂きましたが、僕は「各地のピーファンの方々が、これから始まる全国ツアーで無事にピー先生に逢うことができたのちに記事を書きます」と、お言葉をくださったみなさまにお伝えしました。

そしていよいよ本日10月31日、大田区民ホール・アプリコ公演をもって、6月13日から続いてきたピー先生初のソロ名義での全国ツアーが幕を閉じます。
その時はやってきました。
アプリコまで駆けつけることができない僕はその代わりに、ピー先生と二十二世紀バンドの全国ツアー大成功、大団円をお祝いする意味も込めて、この記事を更新させて頂くことにします(本日のアプリコ公演にご参加の先輩方にも、お帰りの車中のささやかなお供となりますように、と1週間頑張って書きました)。

何故僕がこの記事にジュリーの「残された時間」をタイトルとして当てたのか、ということも、読み進めてくださればお分かり頂けるかと思います。
それでは、よろしくおつき合いくださいませ。


☆    ☆    ☆

僕が年長の男性タイガースファンであるYOUさんと親しくさせて頂くようになったのは、2012年のことだ。
このブログで書いた、いわゆる”ほぼ虎”の日本武道館公演(2012年1月24日)のレポートにYOUさんがコメントをくださったのがきっかけだった。あのレポートは今読むと・・・と言うよりDVDと見比べたりしてしまうと明らかな勘違い、記憶違いの記述も多々あり恥ずかしくなることもあるのだが、この公演に深い思いを持つYOUさんは記事をとても気に入ってくださり、すぐに打ち解けてしまった。

その後、SNSでのやりとりなどで僕はYOUさんの人柄を知っていった。とにかく有言実行の男らしい人である。
もちろんお互いにタイガースファンでもあり、違う形ではあるがずっと音楽に関わり続けていることもあって、ジュリーやピー先生、タイガース関連の音源やLIVEなどの感想をそれぞれの視点から交わし合うことが本当に楽しい。
リスペクトするタイガースファンの先輩であり、ロックを語り合えるひとまわり年長の友人であり、そして矜持ある男性のお手本。それが僕にとってのYOUさんだ。

そんなYOUさんの還暦記念LIVEに、ザ・タイガースのスーパースター、ピー先生が駆けつける・・・俄かには信じ難い出来事だが、それは今年の6月7日、現実に起こった。僕も含めて100人ほどの人がそのシーンを目の当たりにした。

ザ・タイガースをこよなく愛するYOUさんが、自身の還暦記念(自ら祝う、のではなくこれまで自分を支えてきてくれた家族や友人達、仕事仲間に感謝のステージを捧げたい、というコンセプトで企画された)に敢行したLIVEについて、僕はどこから書き出すべきだろう。
こうしてブログにLIVEレポートを書いてしまうほどの感動は、やはり会場の誰も予想だにしていなかったシークレット・ゲスト、ピー先生の登場によるところが圧倒的に大きい。ならば、YOUさんのLIVEに何故あのピー先生が参加する運びになったのか、ということを僕なりに推測し考えてみることから書き始めるのが良いかもしれない。

まず・・・僕の個人的な印象だが、ピー先生とYOUさんはかなり性格が似通っているように感じている。
正しいと思ったことは、即座に行動に移す。決断が早い。ひとたび定めた目標には全力を尽くして挑む。そして、人生における未知の領域に足を踏み込むことを怖れない。
例えば、YOUさんの奥様は、もう何年も前になるが病によりお身体の自由をほとんど奪われてしまわれた。「自分の意志では身体を1ミリも動かすことはできない」のだという。
僕などからすると本当に想像に絶する。自分や自分の家族にそんなことが降りかかったら、悲嘆に暮れるだけで何ひとつ「先」のことなど考えもできないだろう。
ところがYOUさんは、専門家であるお医者さんはじめ多くの人が「無茶だ」と案ずるのを振り切って、愛する奥様の気持ちを第一に考え、「自宅介護」という大変な道を選ばれた。
結果どうだ。家族や友人達に見守られ支えられながら、今もずっとYOUさんはその道を歩き通している。
もちろん仕事と両立させ、趣味のバンド活動も現役。細い身体に漲る、信じられないほどのバイタリティ。その点は間違いなくピー先生と共通していると思う。

ピー先生は当然特別な人。僕らファンにとっては雲の上の存在、スーパースターなのだが、数十年に渡る「教師」としてのキャリアが、65歳にして復帰した芸能界の中では特異と言えるスタンスをもたらしている。フットワーク抜群。肩書きでなく人間を見て、その人と交流する。だからYOUさんとの交流も自然に生まれている。
ただ、YOUさんがいかに行動力があり人間性が優れていても、それだけではさすがにピー先生との関係が「交流」から「友情」へと進展することは無かっただろう。僕も詳しい経緯をすべて知っているわけではないが、まずYOUさんの奥様をなんとか武道館公演(2012年)に無事参加させてあげたい、そのために万事を尽くしたい、と両者が同じ思いを持ったところから、ピー先生とYOUさんの関わりは始まっている。その「思い」を出発点に育まれてきた特別なものがあるのだ。
スーパースターと一般人との「友情」は、やはり例外中の例外。YOUさんご夫妻は、2011年からのザ・タイガース完全復活への道程の中で、思わぬ大きな奇跡を手にしたと言える。

以前、ピー先生とYOUさんご夫妻の3人で撮った写真を見せて頂いたことがある。
YOUさんはそこで、ピー先生の手が「握り」と呼ばれる車椅子後方の介助者用の部位をそっと握りしめていることに写真を見て初めて気がつき、感激に暮れたそうだ。車椅子の奥様にとってとても安心できる体勢・・・これは介助の経験が無ければなかなかできないことだが、ピー先生はどうなのだろうか。
とにかくこの体勢をごく自然にとれる人、ということでYOUさんは一層ピー先生の人柄に惚れこんだようだ。

さて、記述が前後してしまったが、そろそろYOUさんのLIVEの企画段階の話に入ろう。
とてつもないサプライズが水面下で進行しているとは知らず、SNSでYOUさんが告知した「仲間達への感謝のための還暦記念LIVE」決行宣言に周囲は盛り上がった。YOUさんは60歳にして初めてリード・ヴォーカルにも挑戦するという。それがそのまま、ジュリー・ナンバーのカヴァーバンド新結成という企画となった。
人望の厚いYOUさんだ。SNSの友人達からは、次々にお手伝いを申し出る声が上がる。
この素敵な雰囲気に溶け込みたい、と思った僕も立候補した。申し込んだのは、「スコアが存在しない曲」の採譜である。
YOUさんはどんなジュリー・ナンバーを歌いたいと考えているのだろうか?その中にはきっと、世にスコアなど無いマニアックな曲も挙がっているに違いない。

後日、YOUさんからセットリスト候補曲を記したメールが届いた。コンセプトは「70年代のジュリー」。王道の有名な大ヒット・ナンバーに混じって、やはり「さすがはYOUさん!」と唸らせる渋い選曲がある。「夜の河を渡る前に」・・・大丈夫だ、これは以前採譜したことがある。
そして・・・えっ?「残された時間」?!
いやぁ、さすがにこれは僕の手には負えないだろう。
もちろん曲は知っている。あの有名な『比叡山フリー・コンサート』で歌われたロック・ナンバーだ。
ただ、後追いジュリーファンの僕は正式な形で音源を持っていないので、充分聴きこんでいる曲とはとても言えない。そもそも「ワケ分からない転調がひっきりなしに登場する曲だなぁ」というのが一番の印象としてあったのだ。その難解な構成に「紐解くのは老後の楽しみにとっておくかな」という感じで、僕にとっては「ちょっと横に置いておこう」的なスタンスの曲だった。
今となっては「何故こんな大名曲をずっと放っておけたのか」と恥ずかしい限りなのだが・・・。

しばし思案し折り返したYOUさんへの返信で、僕はだいたいこんな感じのことを書いた。
「”残された時間”だけは厳しいです。難解な転調が繰り返されますし、手元に歌詞カードも無く聴き込みが不充分で採譜に自信がありません。他の曲については大丈夫です」

これで、YOUさんがセットリストを一部再考されることを僕は安易に予想していた。しかし、すぐに返信が届いた。
余計な文章は何もない。ただ「歌詞を送ります」と。
添付のワードファイルに、「残された時間」の歌詞があった。スキャンなどではなく、YOUさんの手打ちである。

尊敬するこの年長の友人は、僕を見抜いたな、と思った。
僕は「自信がない」「荷が重い」という考えがまず先に立ち、怯んでいる。踏み出せずにいる。無意識だったが、「歌詞カードを持っていない」というのはそんな自分の気持ちを誤魔化すために言い訳として使った言葉だ。YOUさんはバッサリそこを突いてきた(笑)。
なるほど・・・これがYOUさんか。メールにそんなことは何ひとつ書かれてはいないが、YOUさんはこう言っている。
「やってみる前から何を怖気づき、躊躇っている?まずはお前の”ベスト”を俺に見せてくれよ!」

もっともなのだ。例えばYOUさん自身、常々「自分は歌が下手だ」と公言している。それでも今回、ジュリーのカヴァーでリード・ヴォーカルに挑む。「自信が無い」と「できない」とは全然違う。
今この記事を書きながら思うのだが、ピー先生の芸能界復帰後の多岐に渡る活動は、ほとんどがその境地だ。「持てる力を尽くして」とはそういうことだ。
やってみなければ、「0」はいつまで経っても「0」のまま。やってみれば、必ずそれが「10」「20」にはなる。いや、僕の”ベスト”はその程度か?「50」くらいはいけるんじゃないか?

ということで、ハートに火がついた。
まったく・・・YOUさんの「人をその気にさせる力」には、感動を通り越して思わず「やられたな~」と笑ってしまうほどである。
おそらくYOUさん周囲の多くの人が、今回の僕と同じような体験をこれまでずいぶんしてきているだろう。管理職としてのYOUさんの普段の仕事ぶり、部下への接し方なども目に浮かぶようだ。そしてきっと、「やる気になった」人に対しては惜しみなくその気持ちに応えてくれる。そういう人なのだ。
自分もベストを尽くしてやってみよう。それでうまくいかないなら仕方がない。僕は腹を括った。

他の曲は数日のうちに清書したファイルをお送りすることができたが、最後に残った1曲「残された時間」については、2週間ほどお時間を頂いた。仕事の忙しい時期だったので、土日の休日にフル稼働で採譜に取り組んだ。
それは、「なんという名曲なんだ!」ということに今さらながら気づかされた日々でもあった。

「残された時間」・・・作詞・沢田研二、作曲・大野克夫。
まずはジュリーの作詞の素晴らしさだ。同じく『比叡山フリーコンサート』で歌われた「叫び」と並んで、これは20代のジュリー自作詞ナンバーの最高傑作ではないか。
さらに大野さんの作曲・・・何というテンション。Aメロが始まるとすぐにハ長調→ト長調→イ長調というとんでもない展開がある。しかも曲は休むことなくアップテンポで疾走する。
大野さんの作曲は基本、王道のストレートなメロディーが持ち味だ。ここまで変則的なコード進行で組み立てられた曲は他の大野さん作曲のジュリー・ナンバーには見当たらない。敢えて探すとすれば『JEWEL JULIE~追憶』に収録された「衣装」か。だが「残された時間」の場合は、この特異なコード進行をしてなおかつ「ロックンロール」なのである。それが凄い。
これほどの曲がLIVE盤のレコードでしか音源として残されていない。今のジュリーの生き様、歌人生にそのまま引き継がれているようなメッセージとヴォーカル。つくづく、ジュリーの音楽性、ロック性は70年代のLIVE盤を聴きこまずに語ってはならないと感じる(『ロックジェット』さん、今からでも遅くはないですよ!)。

正直相当に大変な作業だったが、なんとか僕なりの”ベスト”の採譜は成った。部分的に甘い箇所があることも自覚していたものの、無理に誤った解釈を加えることは避け、音に素直に仕上げ清書した。あとはYOUさんはじめバンドメンバーのみなさんの判断に委ねるのみ。
その後有り難いことに、どうやら「残された時間」は無事にバンド・リハーサルに突入できたようだった。

「採譜」と言うとずいぶん大層なことをやってのけたように聞こえるかもしれないが、僕の作業はあくまでバンドの叩き台を提示したに過ぎない。その叩き台を元に、バンドが「ああでもない、こうでもない」と細部を練り上げてゆく。
だから、LIVE当日お客さんが耳にした素晴らしい演奏、アレンジ再現は、僕の採譜によるところなどでは決してない。すべてはバンドメンバーの稽古、力量とセンスの賜物である。
でも、後日バンドメンバーであるキーボードのきょうこさんから「残された時間」の僕の採譜について、「もし、バンドでまったく1からの作業になっていたら、と思うとゾッとします」と感謝のお言葉を頂いた時には、本当に嬉しかった。

やってみれば充実感だけが残った採譜作業も終わり、僕は安堵した。あとは楽しみに待つだけである。
YOUさんも還暦の誕生日を迎えられた。
「まだまだ先」と思っていたLIVE当日が近づいてくる。YOUさんからは時折、「リハーサルは順調」と連絡を頂いていた。「僕の歌だけが足を引っ張っている状況です」とも(笑)。

そしていよいよ、6月7日がやってきた。
本題の前に余談になるが、LIVE前のオフ会についてここで触れておきたい。僕にとって、20年以上前の大切な経験を思い出させてくれた貴重な時間だったからだ。

この日のLIVEに向け、参加するタイガースファンのSNS関係の有志の先輩方10数名で、数週間ほど前からランチを兼ねたオフ会の話が持ち上がっていた。
ところが、肝心の場所がなかなか決まらない。というのは、参加されるタイガースファンの先輩の中におひとり車椅子のかたがいらして、出入りに都合の良い適当なお店がLIVE会場の近辺に見つからないのだという。
第一候補だったLIVE会場すぐ近くの『大岡山食堂』さんも、お店に入るには数段の階段を降りなければならないらしい。どうしたものか、と先輩方は大層お困りの様子だった。
思わず僕は名乗りを上げた。
「僕は車椅子のかたの介助の経験があります。男手があれば、第一候補のお店でなんとかなりませんか?」
と。
そう、この話の最大のネックは、車椅子の先輩含めてオフ会参加のみなさん全て女性、という状況にあったのだ。
先輩方は快く僕の提案を受け入れてくださり、オフ会のお店は『大岡山食堂』さんに決まった。

さぁ責任重大だ。
こうなったからには僕は「気楽にLIVEを見にいく」という軽い気構えではいられなくなる。当日朝になって「ギックリ腰になってしまいました」などという事態は絶対に許されなくなった。
しかも、「介助経験がある」と言ってもそれはもう20数年前の学生時代、たった1年間のことなのだ。僕は必死に、その頃色々と学びながら過ごした日々の記憶を辿った。
その時に介助をさせて頂いていたお兄さんは重度のかただったが、僕は学生という立場もあり担当は「夜番」だった。夕食後から朝までの時間だから、お風呂などを共にし、あとは寝るだけだ。ただ、ごく稀に外出することもあった。今と違って都心の駅にもエレベーターなど無い場合が多く、電車に乗るたびに近くの駅員さんに声をかけ、二人で車椅子をかかえてホームの階段を昇り降りしていた。

人の手で車椅子を持ち階段を移動する時の決まり事がある。絶対に「つま先から昇り、背中から降りる」。これは基本中の基本で、僕もまずそれを教わったものだ。もちろん手で持つべき車椅子の部位も決まっている。
重度のかたは特にそうだが、車椅子のかたにとって、外の移動時に車椅子から身体が離れてしまうのが一番怖いことなのだ。足先から階段を降りる移動だと、身体がすべり落ちてしまうのではないかという恐怖がある。だから必ず背中から降りる。もちろん本人は後ろ向きになるので進行先の階下の景色は何ひとつ見えない。移動する車椅子の「下」を受け持つ介助者にすべてを託すのだ。

僕はこうしたことを少しずつ思い出していった。当日は僕が「下」を受け持つことになるだろう、と思い緊張した。
ヤワな僕としてはとにかく、「ギックリ腰」「ギックリ背中」に細心の注意を払いながら(笑)その日までを過ごした。

こうして迎えた当日・・・『大岡山食堂』さんでのLIVE前のオフ会ランチは本当に楽しかった。
何より大きかったのは、車椅子の先輩がとても明るいかただったことだ。そう言えば、僕が介助させて頂いていたお兄さんもロックが好きで、ノリの良いファンキーな性格の人だった。その明るさにずいぶん助けられたものだ、と懐かしくあの頃が思い出された。
お店に入る階段を降りる際には、僕が「下」を受け持ち、「上」は女性の先輩方がお二人で左右を持ってくださった。
車椅子の先輩とはテーブルもご一緒させて頂いた。『世界はボクらを待っている』を映画館まで観にいかれた時のことなどを、別の先輩がお持ちくださったタイガース関連の貴重な資料(そのまま僕がお借りして持ち帰ってしまいました汗)のページを繰りながら、楽しそうにお話してくださった。タイガース話に花が咲いたランチタイムはあっという間に過ぎた。

そうそう、『大岡山食堂』さんではこんなお話も。
お店は貸切にして頂けたのだが(通常の開店時間を僕らの予定に合わせ1時間早めてくださっていた)、各テーブルで飛び交うタイガース話を耳にしたお店のマスターが
「タイガースのメンバーのかたがこの店にいらっしゃったことがあるんですよ・・・いやぁ誰だったかなぁ。ちょっとひとりずつメンバーのお名前を言ってみてください」
と話しかけてこられた。
僕が「沢田研二、岸部一徳・・・」と名前を挙げていき「加橋かつみ」と口にするや、マスターは
「そうそう、加橋さん!タイガース時代から親交がある、というかたと一緒にいらっしゃっていました」
とおっしゃった。
場がワッと盛り上がったのは言うまでもない。

帰りの階段の昇りは、お店のマスター自ら「上」を受け持ってくださり、僕が「下」。難なく車椅子の移動ができた。見守る先輩方が「いいな~、イケメンのお兄さんに囲まれて~」としきりに囃し立てる。とても気持ちがいい(汗)。
階段を上がると僕は笑顔で、心をこめてマスターにお礼を言った。これも20数年前に学んでいたことだ。車椅子の移動を手伝ってくれた駅員さんなどに心からのお礼を笑顔で言う・・・これで、手伝ってくれたその人が今後同じ状況に接した「次」の機会に自然な感じで繋がるのだ。

『大岡山食堂』さんは食事もお酒も美味しい、素敵な雰囲気のお店だった。みなさまも機会があれば是非!(こちら
マスターは笑顔でお店の外まで僕らを見送ってくれ、僕は一気に気持ちが開放された。よし、あとはLIVEを楽しもう!

LIVE会場は、その『大岡山食堂』さんから徒歩1分もかからない場所にある『大岡山PeakⅠ』さん。地下の箱のライヴハウス典型の構造で、雰囲気としては、僕の馴染み深いところだとかつて新宿にあった『Doctor』に近いと感じた。
音の聴こえ方は・・・素晴らしく良かった!
この日第1部のバンド、JULIE SPIRITの編成には本当にピッタリ合っていたのではないだろうか。
YOUさんは日頃から『大岡山PeakⅠ』さんをX-JAPANのカヴァー・バンドで利用しており、その運営、気遣いを絶賛している。特に店長の佐藤さんは素晴らしいお人柄とのことだ。
佐藤店長はこの日、開演前から司会進行も買って出ていらした。今回のこのレポートを執筆するにあたってYOUさんと何度かやりとりをした際、YOUさんは「僕があの箱に惚れこんでいるのは、そういうところなんです」と語ってくれた。

会場は超満員だった。YOUさんの日頃の交友人脈の広さ、豊かさが分かる。最前方に数列の椅子席が設けられ、車椅子の方々と遠方から来られたお客さんを優先して整然と前方席が割り当てられていった。さすがはYOUさんが惚れこむライブハウスである。細やかな気遣いもバッチリだ。
僕はPA前にスタンディングで陣どった。だいたいどの箱もこの位置が一番音の鳴りが良いのだ。
開演前の混雑の中、何人かの顔馴染みのタイガースファン、ジュリーファン、ピーファンのみなさまと再会し、ご挨拶。
ブログやSNSなどのネット上だけでしかお話したことのなかった方々との「はじめまして」もあった。

司会の佐藤店長が「間もなく開演」を告げる。
「(YOUさんは)今まで見たことないくらい緊張しています!」
とのことで、熱烈な拍手と共にいよいよYOUさんの還暦記念LIVEの幕が切って落とされた。


第1部 YOU with JULIE SPIRIT

1. オープニング
2. 残された時間
3. あなたに今夜はワインをふりかけ
4. LOVE(抱きしめたい)
5. ナイフをとれよ
6. メドレー:夜の河を渡る前に~気になるお前
 (『JULIE ROCK'N TOUR '79』version)
7. ヤマトより愛をこめて

ライヴ活動については現役バリバリとは言え、リード・ヴォーカリストとしてステージに立つことはこれまでまったくの未経験、というYOUさん。自身の還暦記念のLIVEでジュリーのカヴァーへの挑戦を決意したYOUさんが、この日のために結成しおよそ1年ほどをかけて準備し稽古を積み重ねてきたバンドが”JULIE SPIRIT”だ。
まず第1部は、彼等の初ステージで鮮烈にスタートした。
実を言うと、僕は当初このバンドのメンバーとしてYOUさんからお誘いを受けていたのだった。だが僕は現役のLIVE活動から退いてもう20年近くが経つ。どの楽器を担当するにしても足を引っ張りご迷惑をかけてしまうことは明らかだったため、それは丁重に辞退させて頂いた。
ただ、そこでYOUさんの今回の企画への決意、志を知り、「自分も何か力になりたい」という気持ちが芽生えた。それがセットリスト候補曲の採譜という話に繋がったのだ。

さて、バンドメンバーやライヴハウスのスタッフさんを除いた会場内のお客さんの中で、この日のセットリストの内容を知っているのは、採譜をお手伝いした僕だけだ。が、僕も演奏曲順についてまでは知らされていなかった。
どれが1曲目なんだろう?と楽しみにしていたら・・・いきなりやられた。セットリストとしては事前に聞いていなかった、『比叡山フリーコンサート』のオープニング・インストだ。
この日駆けつけていたお客さんの中でも特にジュリーファンの先輩方にとっては、本当にタイムリーで体感された音だけに、客席は一気に盛り上がる。隣にいらした先輩は「いきなりこれかぁ!」と感激のご様子。ちなみにこの先輩は、実際に比叡山フリーコンサートに参加されている。後日お借りして見せて頂いた貴重な資料の中のひとつがこれだ。

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YOUさんはLIVE直後のSNSの日記で
「唯一セットリストを知っていたDYNAMITEさんも、このオープニングには驚いただろう」
と、してやったりに書いていらっしゃった。
後で伺ったところによれば、バンドリーダーのベーシストさんとキーボードのきょうこさんがお二人で、LIVE音源から丁寧に音を拾ってアレンジ再現されたのだとか。リード・シンセサーザーが「ムーグ」と呼ばれたりしていた頃の音、ドンピシャだ。
こうしてJULIE SPIRITのステージは、インパクト抜群のオープニングで幕を開けた。この時点では、まだYOUさんは姿を見せていない。そうした演出もまた70年代ジュリー流だ。

そして、インストのエンディング間際に飛び込んでくるようなタイミングで、遂に主役のYOUさんが登場。大声援が沸き起こる。2曲目は間髪入れずに「残された時間」が来た。
キレッキレの演奏だ。インストでのフィルインに次ぐフィルイン同様、ここでもスネアのアタックが気合充分・・・何とドラマーさんはこの日が初のLIVEステージだったのだそうだ。

YOUさんは、かなりハスキーな声で歌う。なるほど、これがYOUさん生涯初のリード・ヴォーカルか!
ジュリーファンは総じて、ジュリー・ナンバーを他人がカヴァーすることに際して厳しい。もちろん僕もそう。特にヴォーカルは・・・。当たり前のことなのだ。世の中の他の何人も、ジュリーの曲をジュリーのようには歌えはしない。
それでもジュリーのカヴァーを聴くとなれば、僕の場合はそこに歌の巧拙よりも、ジュリー・ナンバーを歌うことへの覚悟の気持ちを見る。最も重要なのは、「見栄を捨てているかどうか」ということだ。音程やテンポの正確さや声量よりも大事なのは、我を忘れて歌う「必死さ」。「何故自分がこの曲を歌うのか」という志だ。
YOUさんの歌には間違いなくそれがあった。いや、そんなことはLIVE前から分かっていた。何故なら・・・YOUさんが自身の還暦LIVEに臨んで選んだ曲が「残された時間」だったからだ。普通の人にそんな選曲ができようか。

ジュリーは数年前に、「60を超えたら残りの人生は死ぬ準備」と語ったことがあった。そうした実感を伴う年齢・・・それが還暦という時なのだろう。
僕のような凡人にとっては、その時が来るのが怖い。近づいてくる「人生の終わり」を感じるのが怖い。だから先のことはあまり考えたくない。言葉にしたくない。
だがYOUさんはジュリー同様に、誤魔化さずにしっかりと「先」を見据える。この先の人生の「残された時間」に向かって、矜持を貫き、家族を護る・・・そんな決意でこの曲を選び歌ったに違いないのだ。「残された時間」という曲を歌う覚悟を持つ人だということだ。

続いて3曲目は「あなたに今夜はワインをふりかけ」。この曲は市販のスコアがあったが、僕は鉄人バンドの現在の演奏を参考に細部を変えて清書したものを提出していた。

ライヴハウスの雰囲気に慣れてきたのか、ここへきてお客さんの多くがパシャパシャとステージの写真を撮りはじめる。僕も撮った。携帯撮影でブレブレになってしまったけれど。

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(たぶん、「あぁ、あなたを~♪」の指差しのシーン)

JULIE SPIRITの演奏は、ジュリーファンとして聴いてもまったく違和感が無い。各パートの音もそうだし、特に素晴らしいのはアレンジの再現力だと感じた。
YOUさんは後日謙遜していたが、バンドの一人一人が相当な稽古量を積み重ねてこの日に臨んでいることが分かった。充分な稽古は本番での勇気を生む。プロであれアマチュアであれ、ジャンル問わずやっぱりそういうバンドの演奏を生で聴ける時間というのは本当に幸せだ。これは、この日から1週間後のピー先生の全国ツアー初日、さくらホール公演での二十二世紀バンドの演奏にも感じたことである。

最後のサビでYOUさんの「光速指差し」も炸裂した「あなたに今夜はワインをふりかけ」が終わり、ここで短いMCが入る。
「なんだか寒いな~」とYOUさん。もちろんジョークだ。この日は小雨がパラついていたとはいえ蒸し暑かった。加えて会場のこの熱気。ステージはサウナみたいな状況だろう。
それでもYOUさんは、「あ~、寒い寒い」と連呼する。・・・これは何か狙いがあるんだろうね(笑)。
「寒いからコート着させて」
というこの言葉で、セットリストを知っている僕は謎が氷解。
そう、コートを着て歌うべき曲があるのだ・・・4曲目は真冬のバラード、「LOVE(抱きしめたい)」。YOUさんは見るからに暑そうなコートを着てこの曲を熱唱した。

後にYOUさんは、「最初にリハでこの曲の音合わせをした時、イントロのキーボード一発で背筋が震えた。レコードとまったく同じ音だったからだ」とSNSの日記で語っていた。
まったく同感だ。素晴らしい音色だった。
ハモンドオルガンを作りこんだ音だろうか。この曲に限ったことではなく、今回のLIVEに向けてのキーボードのきょうこさんの真摯な取り組みには、YOUさんも脱帽していらした。

歌い終わったYOUさんは、「暑っちい!」と言いながらコートを脱ぎ捨て、お客さんの笑いを誘う。完璧なオチだ(笑)。

この曲の後に、先程よりも長めのMCが入った。
普通ではやらないようなマニアックなジュリー・ナンバーも採り上げている、ということで2曲目の「残された時間」がいかに名曲であるかをひとしきり解説するYOUさん。さらには
「次にやるのも・・・これがまたマニアックな曲でね」
と。
「今回のLIVEは、たくさんの人が色々なことを手伝ってくれた。例えば、ジュリーの有名な曲はスコアがあるけれど、マニアックな曲はスコアなんて存在しない。そういう曲を譜面に起こしてくれた人がいる・・・瀬戸口さん、来てるかな?何処?」
と、いきなり僕にMCの矛先が(汗)。
恥ずかしいながらも手を挙げて応えると、YOUさんだけでなくバンドメンバーのみなさんも拍手してくださりとても嬉しかった。
余談だが、YOUさんが僕の顔を初めて認識してくださったのが実はこの瞬間である。メールでのやりとりこそ頻繁に交わしていたが、実際にはこの日が初対面だった。
MCは続いて
「次の曲は、その彼が”YOUさん歌ってよ!”とリクエストしてくれた曲。かなりマニアックな曲で、今回のバンドのメンバーも誰ひとり知らなかった。でもリハで演奏を重ねていくうちに、男の友情を歌った本当にいい曲、ということで全員気に入ってくれた。アルバム『思いきり気障な人生』に入っている曲で、”ナイフをとれよ”です」

そうなのだ。5曲目「ナイフをとれよ」は、このLIVEを採譜という形でお手伝いさせて頂くことが決まった際に、僕がYOUさんに強引にリクエストしてしまったナンバーだった。もちろんスコアなど世に存在しない。僕の採譜が叩き台となった。
実際にお会いしたことこそなかったけれど、SNSやメールでのやりとりを重ねていくうちに僕の中に出来上がっていたYOUさんのイメージは、「男が惚れる男」。そのYOUさんがジュリーのカヴァーをやる、となれば是非この曲を歌って頂きたかった。ジュリー本人がこの先ステージで歌うことはさすがに無さそうな曲だしね(笑)。
厚かましいリクエストのメールを送ってしまった翌日、「セットリストが正式に決まりました」との返信を頂いた時、「ナイフをとれよ」はしっかりその中に入っていた。
YOUさんの日頃の決断の早さには毎回ビックリさせられっ放しなのだが、これもそんなエピソードのひとつだ。

歌い終わったYOUさんは、歌詞の細かな間違いがあったことをしきりに悔いていたが、実際に生で聴いてみて、この曲はやはりYOUさんにピッタリだと思った。
男ならば誰しもこの歌の世界の主人公たる資質はある。だがそれを歌で表現するとなれば、まず現実の日常が問われる。友人と酌み交わすことが特別に大切な時間であることを裏づける、普段の生き方が伴って初めて歌える曲。YOUさんはそれができる人だ。
また、バンドの演奏も素晴らしかった。特にイントロのリード・ギターには鳥肌が立った。音色もフレージングも、本当にオリジナルのままだったのだ。
全セットリストのすべてのギター演奏の中で僕の心に一番響いたのが「ナイフをとれよ」のサスティンの短い設定でのソロだったところに、JULIE SPIRITというバンドの個性を見たように思う。

6曲目は「夜の河を渡る前に」~「気になるお前」メドレー。最初にセットリスト案を頂いた時から、これは『ROCK'N TOUR』のメドレー形式でやろうとYOUさんは決めていたようだ。
「夜の河を渡る前に」はこの日特に楽しみにしていた。ジュリー好みの曲のはずなのに、最近のジュリーLIVEではご無沙汰。何故か?それは、この曲にはベースが絶対に必要だからだと思う。オリジナル音源では後藤次利さんがベースを弾いている、と以前ブログのコメントで先輩が教えてくださった。本当に凄いベースが聴ける曲なのだ。
JULIE SPIRITのリーダーはベーシストさんだ。YOUさん曰く「メチャクチャに耳が良いプレイヤー」とのこと。
いやぁJULIE SPIRIT、素晴らしいベース演奏だった。
そして、改めて大名曲だと感じた。この「グラムロック」としか言いようのない名曲はジュリーの作曲作品である。凄いぞ、ジュリー。凄いぞ、JULIE SPIRIT。

続く「気になるお前」では、YOUさんが縦横無尽にステージを動き回る。凄まじい・・・メイクをしているので僕などより全然若く見えてしまっているのだが、YOUさんは還暦の一般人なのだ。客席にはお孫さんも応援に駆けつけている。
間奏ソロ部で若干リズムが走るシーンもあった。そんな時はリーダーのベーシストさんがグッと一歩前に出てメンバーを見渡し、瞬時に修正をかけていた。

さぁ、いよいよ第1部・JULIE SPIRITのセットリストも大トリ・・・7曲目は「ヤマトより愛をこめて」だった。
歌う前にYOUさんはMCで、「こんな時代だからこそ、愛とは何か。愛する者を護る・・・いかにして護るかを考えされられる曲」と、このバラードを紹介した。偶然にも、今年のジュリーの全国ツアー『三年想いよ』のセットリスト大トリを飾っているのがこの曲だ。愛とは何か、いかにして愛を護るか・・・この曲を歌う時、聴く時に人それぞれが思うことはきっと同じなのだ。

キーボードのきょうこさんは、世に出ている「ヤマトより愛をこめて」の複数のテイクを何度も比較し聴き込み、最終的に『今度は、華麗な宴にどうぞ』のアルバム・ヴァージョンのカヴァーを選択されたという。当然、ピアノ以外にもうひとつの音色を併用演奏していることになる。
後で伺った話だが、きょうこさんは色々とネットでこの曲について調べた過程で偶然、僕が書いた考察記事に当たっていたそうだ(笑)。何かのお役に立てたかどうかは怪しいにせよ、こんなブログをヒットさせてしまうほど真剣に楽曲のことを調べていらしたことが分かる。
そんなこともあって、LIVE後はこの素敵なキーボードを弾いてくれたきょうこさんともお友達になれた。

LIVEの最中にはそこまで分からなかったが、きょうこさんはアルバム・ヴァージョン最大の個性とも言えるあのオーボエ・パートを、チェロの音色で弾いていたという。なるほど、オーボエの音そのままだったら僕はその場でそれと気づけただろう。だがそれは逆に、YOUさんの歌に耳を集中させることを阻んでしまっていたかもしれない。オリジナル音源はジュリー・ヴォーカルだからこそアレンジ成立している、それほど強烈なパートなのだ。
しかしそれが優しく低いチェロの音色ならば、ヴァージョンの雰囲気をも再現しつつ、ヴォーカルに「寄り添う」ことができる。
きょうこさんは最初からこの音色にする、と決めていたわけではないだろう。リハーサルでYOUさんの声と合わせていくうちに生まれたアイデアに違いない。

さらに、歌メロ部では決して前に出過ぎずYOUさんのヴォーカルを引き立てていたきょうこさんは一転、エンディングで激情ほとばしる華麗なアレンジに踏み込んだ。
この日のセットリストはここまで、ほぼオリジナル音源に忠実な「コピー」で演奏されていた。が、最後の1曲「ヤマトより愛をこめて」では、JULIE SPIRITとしての新たなアレンジ解釈が加えられた。それが、きょうこさんのピアノ・ソロをフィーチャーしたエンディングの進行だ。歌い終えたYOUさんが宙を見据える中、きょうこさんの激しくも美しいフレーズが次々に繰り出される。
歌の余韻、と言うにはあまりにインパクトの強いエンディングをもって、JULIE SPIRITのステージは締めくくられた。

誰もが納得のラスト1曲に、会場は大きな拍手に包まれた。
素晴らしかった。正直、ここまでのステージが観られるとは、という思いだった。もし次の機会があったとしたら、その時はまた強引なリクエストをしてしまおう。もちろん採譜も。


第2部 涙と爆笑のトークタイム
(スペシャル・シークレット・ゲスト:ピー先生!)

JULIE SPIRITのメンバーが退場し、ステージにはYOUさんが一人残った。第2部がYOUさんのトークコーナーとなることは、事前に告知されていた。まぁ、さすがのYOUさんも生涯初のリード・ヴォーカルで疲労困憊の直後にいきなりX-JAPANのカヴァーとは無理だ。20代の若者ですら身体が持つまい。
ここは、リラックスしたまったりタイムになるものと誰もが考えていた。実際にはYOUさんは第2部開始までの数分間、リラックスどころか心臓が破裂しそうだった、とのことだ。

「僕は・・・動いてる時にはいくら写真撮られても大丈夫なんだけど、じっとしてると歳がバレちゃうし、ここからのトークタイムでは写真は撮らないでよ・・・いや、真面目な話、みんなカメラとかしまって!ここからは写真厳禁!」
YOUさんは息を整えながらそんなことを言っている。最後は本当に真剣な強い口調だったので、この時点で「何かおかしいな」と漠然と感じていた人はいるかもしれない。

YOUさんとしては軽く想定外だったと思うが、ここで急遽、何グループかのお客さん有志からのプレゼント手渡しタイムとなった。忘れてはいけない。この日のLIVEはまず、YOUさんの還暦記念というハッピーなイベントなのだ。
僕も、LIVE前のオフ会メンバーを中心としたそんな有志一同に参加させて頂いていた。数ヶ月前から、遠方にお住まいで駆けつけることができない方々も含めて「何をプレゼントしようか」と、SNSを使って皆で相談した。それぞれアイデアを出し合い、お祝いのひとことメッセージも集められた。
最終的にプレゼントとして決定したのは、畏れ多くも僕が提案した「ミュージック・スタンド」(譜面台)だった。と言っても僕は具体的には何もしていない。実際にお店をまわって店員さんに色々と尋ねて現物を購入したり、会計を取り纏めたり、プレゼントに添えるメッセージ・ブックを作成してくださったのは、僕がいつもお世話になっているピーファンの先輩である。
当日のこの時も、その先輩がステージ上のYOUさんにプレゼントを直接手渡ししてくださった。
第1部では僕のすぐ近くにいらしたその先輩は、YOUさんにプレゼントを渡すためにステージ下手側の狭い隙間を縫って、ステージとの距離がほとんど無い位置まで進み、そのままその場にとどまる成り行きとなった。約5分後、その先輩は感激と驚愕で声を上げて泣いてしまわれることになる。

YOUさんはその場でプレゼントを開封してくれた。
「あっ、これは譜面台ですね。これを使って、まだまだ(音楽を)やれ!ということですか?」
・・・ハイ、そういう気持ちで私が提案しました(笑)。

さぁ、サプライズはいよいよここからだ。
「実は今日ね・・・僕のこよなく敬愛する、あるミュージシャンのかたからメッセージを頂いているんです。聞いてください」
YOUさんがそう言って合図すると・・・会場に紛れもない、あの人の声が流れた。
このメッセージについてだけは、YOUさんにご協力をお願いして細部確認させて頂くこともできたので、ここで一字一句を正確に書き起こすことにしたい。

「え~、こんばんは。今日は還暦LIVE開催、おめでとうございます。○○さん(YOUさんの本名)のLIVEの模様というのは、You Tubeで拝見したこともあります。とてもエネルギッシュでした。僕のトークLIVEやタイガースのコンサートには、奥様と一緒にいつもいらっしゃってくださいました。感謝しております。今日はお伺いしたいんですけれども・・・13日からの私のソロLIVEに向けての稽古中ですので、メッセージという形で、すいません・・・・・・の、はずだったんですが・・・・・・(ひと呼吸置いて)都合をつけて参りました!」

メッセージの終盤になると、さすがに会場はざわついていた。まさか・・・まさかそんなことがあり得るのか?
YOUさんが袖に向かって恐縮しながら手を拡げる。
会場が息を飲んだ次の瞬間・・・間違いない、正真正銘のピー先生ご本人が、独特のステップを踏むようなあの足取りと共に、颯爽とステージに駆け込んできた!
YOUさんと握手を交わすピー先生。

その時の会場の熱狂をどう表現すれば良いのか。
「お~っ!」という男性の声もあった。両手を頭上に掲げて拍手を送る人。そして、前方席の女性陣からは、歓声どころか悲鳴いや絶叫すら聞こえる。見ると、さきほどステージ前に移動していたあの先輩が半狂乱状態で泣き叫んでいる。

大騒ぎが止まらないお客さんに向かってYOUさんが、「仕方ないなぁ・・・」といった感じで
「じゃあ、30秒だけ・・・呼んでいいよ、はい!」
と言うとすかさず、数人のお姉さま方の見事な斉唱で
「ピ~~~~~~~~~!!」

あぁ、これは現実なんだ・・・。
「写真はダメだからね!」とYOUさんが今一度念を押す。
事前に「カメラとかしまって!」と言っていたのは他でもない、ピー先生を迎えるためだったのだ。何というサプライズ。スペシャル・シークレット・ゲストと言うにも贅沢過ぎる!
後になって考えれば、場所は離れてはいるがこの日の早い時間に磯前さんの講演が開催される、ということがピー先生の今回のスケジューリングを可能にしたのかもしれない。磯前さんの講演に参加された後に大岡山に移動して、ちょうど良い時間だったのだろう。

「ちょっとちょっとみんな!今日の主役は俺だよ?なんで全員の視線がこっちに向いてるの?」
と、ピー先生が立っているステージ下手側に掌をかざして、メチャクチャ嬉しそうに文句を言うYOUさん。

椅子が運びこまれ、下手側にピー先生、上手側にYOUさんという位置どりで腰を下ろす。
続いて二人の間に小さなテーブルも設置され、その上にお花が飾られた・・・のだが、上手側前方のお客さんからクレームが入る。お花が邪魔でピー先生の顔が見えない、というのだ(笑)。
「そうですよね!花なんて・・・瞳さんがいればそれだけで!」
とのYOUさんの言葉で、お花は早くもお役御免。

ここから数10分間・・・爆笑と涙に包まれながら色々なお話を聞けたのだが、さすがにすべてを覚えていない。
ピー先生の略歴が紹介されたのち、YOUさんご夫妻が、雲の上の存在であったピー先生と交流を持つに至った2012年の武道館公演当日までのいきさつがまず語られた。

「このコーナーについての打ち合わせの時に瞳さんは、「何でも聞いていいよ!」と言ってくれてね・・・じゃあ、他では聞けないようなことをこの際何でも聞いちゃおうかな!」
とYOUさん。
タイガースファンのYOUさんは当然、皆がピー先生に「聞きたいこと」を心得ている。本当に貴重なお話を聞くことができた。ここでそのいくつかをご紹介したいと思う(微妙な言い回しなどに実際の発言とは異なる箇所もあり得ますが、どうぞご容赦ください)。

「瞳さんが教師をされていた時、沢田さんや岸部さん達がテレビで活躍されていたじゃないですか。沢田さんがレコード大賞をとったり・・・彼等の活躍を、瞳さんは観ていらっしゃったのですか?」
「(YOUさんの言葉が続いている間、何度も「うんうん」と頷きながら聞いてから)いやそれは・・・ほとんど観ていません。私も忙しい時期でしたし・・・。生徒達はそういうことを知っていて、私が教室に入る前に黒板に”沢田研二”とか書いてあったりするんですよ。これは、私にその話をしてくれ、ということなんですね。”岸部一徳”ってのは無かったなぁ(場内笑)。そういう時私は何くわぬ顔で黙々と黒板の文字を消して、それでは授業を始めます、と・・・(笑)」

さらに・・・もうこれは僕としては「YOUさん、よくぞ聞いてくださった!」と大感激したお話。

「沢田さんが1976年に発表した『チャコールグレイの肖像』というアルバムの中に、岸部さんが作詞して沢田さんが作曲した「あのままだよ」という曲があるんです。当時僕はこの曲を聴いた時、これは瞳さんのことだ!と胸が張り裂ける思いがしました。瞳さんはこの曲のことは・・・?(ピー先生が軽く首を振るのを見て)どうでしょう?一応音も用意してあるんですが、今ここでお聴きになります?それとも持ち帰って頂いて後でゆっくり・・・?」
「せっかく用意してくださったのですから、みなさんと一緒に聴きましょう」と、粋なピー先生。
「みなさんにも最初に言っておきますけど、楽しい曲ではないです。どちらかと言うと暗い、重い曲なんですけど・・・」
そう言ってYOUさんがPAさんに合図すると、会場に「あのままだよ」の音源が流れた。

そう、俺はあのままだよ
学校に行かなくなったのは、おまえと歌っていたかったからだよ
おとなしいこの俺がだよ
家を飛び出したのは、おまえと夢を追いかけたかったからだよ

俺の体の中にいる あの時のおまえの夢に
俺はいたのだろうか
俺はいるのだろうか

じっと曲を聴いていたピー先生は、まるで電気に打たれているかように僕には見えた。
再度YOUさんが合図を送り、会場に流れる曲は1番が終わったところでフェイド・アウトされた。

ピー先生はしばらくグッと何かを噛みしめて
「初めて聴きました・・・これは岸部が詞を書いたの?」
「はい、岸部さんが作詞で、沢田さんが作曲です」
「いや、本当に・・・岸部とは中学からずっと・・・(言葉に詰まる)。岸部らしい詞だなぁと思います。たぶん私のことでしょう。あいつら、そういうことは全然言わないんだよなぁ!」

ピー先生の言葉に、視界が滲む。
実は僕は、『ジュリー祭り』に参加して本格的にジュリーファンとなった直後の2009年1月に、このブログで「あのままだよ」と「Long Good-by」の2曲を並べる形で考察記事を書いている。まだタイガースの「た」の字も知らず、「ピー」や「サリー」「タロー」といった愛称にすら馴染んでいなかった頃のヒヨッコ丸出しの内容だが、そこで僕はピー先生のことを初めてブログに綴った。「あのままだよ」はピー先生のことを歌っているんじゃないか、と。
まさかまさかその数年後に、ピー先生ご本人によるこの曲の感想を目の前で聞くことになろうとは!
「あいつら、そういうことは全然言わないんだよなぁ!」というピー先生の言葉に、プライヴェートでの今のタイガースのメンバーのやりとりの光景が垣間見えたようで感激した。

YOUさんは、心揺さぶられている様子を隠しようもなかった。
「この曲を聴いていた頃は、瞳さんにはもう逢えないんだ、逢いたいなんて考えちゃいけないんだ、と皆が思ってて・・・(お客さんを見渡し)それが今こうしてここにいるんだもんね!もう本当に・・・瞳さんが帰ってきてくれて・・・」
泣きながら言葉に詰まるYOUさんを見てピー先生も
「私も・・・みなさんが喜んでくださって・・・嬉しいです」
と涙まじりに応える。

テーブルの上に置かれていたティッシュを数枚抜きとって目頭を押さえることもあったピー先生。
そういう時はこちらも見ていて胸が熱くなる・・・のだが、ピー先生は次の瞬間絶妙のタイミングでさらに抜き取ったティッシュを「はい!」とYOUさんに差し出す。「あ、すいません!」と受け取り涙を拭うYOUさん。まるで事前に打ち合わせていたかのような軽妙なやりとりに、場内は涙の大爆笑となった。

他にも色々な話題が飛び出した。
YOUさんがピー先生にプレゼントしたドラマー用のグローブの話。すぎやまこういち先生との八雲町公演の予定の話もチラリと。さらには、僅か1週間後に迫っていたピー先生の全国ツアーへの意気込み。1日にどれくらいの時間ドラムの練習をしているのか(2時間くらいだそうです)・・・等々。
そんな中でピー先生は一度だけ「思わず」といった感じで
「YOUさんはどのくらい(練習を)しているの?」
と尋ねたのだが、YOUさんは後日「瞳さんにはいつも本名で呼ばれているんだけど、あの時だけ”YOUさん”と呼んでくれた」と、大変感激したことをSNSで回想している。

そして、どのタイミングだったかはまるで覚えていないのだが、僕がこのトークコーナーの時間の中で一番感動したシーンについて書いておこう。まだ場がどこか緊張していて、涙・涙までには至っていなかった前半のこと(後半はお二人とも泣きっ放し)だったと思う。
ピー先生とYOUさんがお話されていた時、あまりの感激のためだろう・・・車椅子で最前列にいらしたYOUさんの奥様が、声を上げて泣いてしまわれた。

僕らが思わず人前で泣いてしまいそうになった時には、普通どうするだろう?
特にそれが嬉し涙、感動の涙であった場合は、照れや恥ずかしさもあり、涙を堪え止めようとする。だがお身体の自由がきかない奥様にはそれがなかなか叶わない。堪えることはできなかった。
もちろん、奥様の様子に誰よりも先に気づいたのはステージ上のYOUさんだったはずだ。
しかし今、ピー先生を迎えてのトークコーナーで自分の感情にまかせて進行をグダグダにするわけにはいかない・・・そんな思いもあってか、YOUさんは一瞬グッと感情を抑えた。
ところが、他でもないピー先生が奥様のその涙に瞬時にもらい泣きしてしまったのである。こうなってはさすがのYOUさんと言えどももうどうにも堪えようがない。
「ね・・・?みなさん・・・瞳さんってこういう人なんですよ。すごく優しい人なんですよ・・・」
と、涙を流しながら言葉にするのが精一杯だ。

ピー先生は、YOUさんご夫妻の歓喜の涙の架橋となった。
その一瞬のために、ピー先生はこの日この場に駆けつけてくれていたのだ・・・僕にはそう思えてならなかった。

時はあまりに早く過ぎゆく。トークコーナーの数10分は、本当にあっという間に過ぎた。
タイガースファンをはじめとするお客さんの最後の声援と大きな拍手に応え、ピー先生は袖の前で一瞬立ち止まると、少し照れくさそうにお馴染みの”ピーダンス”を披露してから、手を振ってステージを後にしたのだった。


第3部 ゆうちゃんバンド

1. VANISHING LOVE
2. Sadistic Desire 
3. WEEK END
4. Stab Me In The Back
5. ENDLESS RAIN
6. CELEBRATION
7. 紅
8. X 

「びっくりしたねぇ・・・」とあちこちで語り合う時間となった30分間の休憩の後の第3部については、簡単に纏めよう。
YOUさんが普段から活動しているX-JAPANのカヴァーバンド”ゆうちゃんバンド”のステージだ。このバンドを一番の楽しみに駆けつけたお客さんも多く、第3部は車椅子のかたを除いてオール・スタンディングの時間となった。

僕はX-JAPANの楽曲には詳しくない。が、勤務先で彼等のバンド・スコアをこれまで何冊も扱わせて頂いている。
80年代までは、バンド・スコアへの世間のニーズは洋楽が中心だった。それを翻したのがX-JAPANの『BLUE BLOOD』(当時は「X」)という名盤である。この1枚をきっかけに、邦楽バンド・スコアのニーズは洋楽のそれを完全に逆転した。
オフィシャルのバンド・スコアというのはプレイヤーのみならずファン・アイテムとしてのグッズの側面もあり、譜面だけでなく豪華なフォト、インタビューなどが充実している。そのぶんコストもかかり、必然価格設定は高めとなる。
今、楽器店などのスコア売場に並んでいる多くのバンド・スコアを眺めていて、『BLUE BLOOD』だけが異様に安い値段で販売されていることに首をひねる人がいるかもしれない。それは、1989年に初版発行された商品が未だ再版を重ね続けているからなのだ。もう20年以上前の時代の設定価格が、今なお継続しているのである。

さて、X-JAPANの楽曲をカヴァーしようとするバンドは腕自慢、と世の中では決まっている。しかもゆうちゃんバンドのドラマーさんはプロのプレイヤーである。さすがに凄い。
ただ、他にも同じ心地だったお客さんは多いと思うが、トークコーナーの余韻が強すぎて、僕は半分うわの空の状態で演奏を聴いてしまっていたように思う。申し訳ないことだ。
YOUさんとしては、この日のゆうちゃんバンドのステージの手応えはどうだったのか・・・その点について後日談がある。

1週間後のピー先生のツアー初日、さくらホールで僕はYOUさんご夫妻と再会した。そこでYOUさんはこんなことを話してくれた。
「ゆうちゃんバンドは、JULIE SPIRITよりも全然演奏技術は上なんだけど、あの日のLIVEはJULIE SPIRITの方が良かった。バンドっていうのは上手いとか下手とか、それだけじゃないんだよね・・・」

僕としては、JULIE SPIRITの演奏もゆうちゃんバンドに負けないくらいとても素晴らしかったと思っている。だがYOUさんの言っていることは分かるような気がした。正に「SPIRIT」の部分・・・歌や演奏に向かう人間の気持ちというものが大きいのだ。それは声や音に正直に出る。
6・7では、他でもないYOUさん自身が第1部から長時間ブッ続け出ずっぱりの疲労もあり、ピー先生をゲストに迎えてのトークコーナーという大役を無事に終えた安堵もあり、第3部のゆうちゃんバンドのステージでは普段の気力、実力が充分発揮できなかったかもしれない。YOUさんは言うのだ。ゆうちゃんバンドで演奏している時の記憶がほとんど無い、と。
その一方で「でも最高に楽しかった。ゆうちゃんバンドのメンバーには感謝しか無い」とも。

第3部が終わると、JULIE SPIRITのメンバーも再度ステージに登場し、ゆうちゃんバンドのメンバーと全員で繋いだ手を頭上に掲げて声援と拍手に応えてくれた。YOUさんの還暦記念LIVEのステージは、こうして大成功に終わった。


心底疲れ果てていたに違いないのに、YOUさんはすべてのステージ終了後、第3部の時のウィッグとメイクのままでライヴハウス出口階段前に立ち、帰路に着くお客さんひとりひとりに感謝の言葉をかけて見送ってくださっていた。
第1部MC時のやりとりは別として、YOUさんと僕が面と向かって会話を交わしたのはこの時がまったく初めてだった。照れくささや感動もあって、僕はうまく言葉が出てこない。
なにせ、YOUさんは今「化けて」いる。ハッキリ言って僕のひとまわりも年長、なんてふうにはとても見えない。それどころかこちらの方が年上のような錯覚がある。気をつけて話していないと、いつタメ口になってしまうか分からない(笑)。

別れ際に、1週間後のさくらホールでの再会を約束して、握手を交わした。その瞬間「あっ・・・」と思った。
見かけだけでは実際の年齢がよく分からない男性とは、握手をしてみるとだいたいの年齢が分かるものだ、という話を聞いたことがある。YOUさんと握手をした時には、フワッと優しく、そっと包みこまれるような感覚があった。
今年還暦になられた人生の大先輩が、身体を張ってあの長丁場のステージをたった今終えたばかりなのだ、と実感した。
僕は最大の敬意を込めて、YOUさんの右手を両手で握り返した。

☆    ☆    ☆

思わぬ超・大長文になってしまいました。
最後まで読み通せない方々が続出するのではないか、と心配です。これでも下書き段階よりはずいぶん短くなっているのですが・・・。
ご多忙の中、YOUさんは記事執筆途中の僕の細かい質問や相談に何度もつきあってくださいました。
あの日・・・いやそのずっと以前から、本当に素晴らしい体験をさせて頂いたこと、学ばせて頂いたこと、感謝の言葉もありません。ありがとうございました。


さて次回更新は、こちらもいよいよ長かった全国ツアーのファイナルとなる、ジュリーの『三年想いよ』東京国際フォーラム公演のレポートです。
実は、今年の11月は仕事が凄まじく忙しくなる見通しです。レポート完成までにはいつも以上に時間がかかってしまうことが予想されます。

日本シリーズで阪神が敗れ、今年の「Rock 黄 Wind」考察記事執筆実現の野望は残念ながら潰えました。
でも、めげずに頑張りますよ!
まずは11月3日、ジュリーと鉄人バンド2014年最後のステージをしっかりこの目に焼きつけてきます~。

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2014年10月26日 (日)

沢田研二 「二人の生活」

from『JULIEⅡ』、1971

Julie2

1. 霧笛
2. 港の日々
3. おれたちは船乗りだ
4. 男の友情
5. 美しい予感
6. 揺れるこころ
7. 純白の夜明け
8. 二人の生活
9. 愛に死す
10. 許されない愛
11. 嘆きの人生
12. 船出の朝

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昨日の神奈川県民ホールのジュリーや鉄人バンドは、どんな様子だったのかな~。長かった全国ツアーも、いつの間にやらもうラストスパートです。
(阪神の方の)タイガースも、日本シリーズで上々のスタートを切りました(今日はどうかな?)。

そんな中突如舞い込んだのが、DVD『さよなら日劇ウェスタン・カーニバル』が年明け早々に発売される、という情報。これはビッグニュースでしたね!
何と言ってもジュリーのソロ・コーナーが完全収録される、というのがメチャクチャ貴重です。
このウェスタン・カーニバル・フィナーレをはじめとする日本音楽界のGS復活の動きは、元々海の向こうのネオ・モッズによる60年代回帰のムーヴメントを踏襲するところから始まっているわけで、日本でその道をまず切り開いたのが、ジュリーwithオールウェイズのアルバム『G. S. I LOVE YOU』。そんな大名盤の収録曲をガンガンかましているステージが遂に完全に映像作品化されるとは・・・いやぁめでたい!
もちろん、タイガース・コーナーも楽しみ。僕が観たことない映像もあるのかなぁ。


さて・・・”足早に過ぎてゆくこの秋の中で”シリーズも、いよいよ今日で最終回となりました。
このところ数回は、シングルやアルバムがリリースされた季節から「秋」を求めてお題を探してきましたが、今回は「個人的に勝手に秋をイメージしている曲」について書かせて頂きます。

何度も書きますが・・・僕がこの世で最も愛しているアルバムは、『JULIEⅡ』。多くのジュリーファンの中でも、ここまで「フェイバリット・ナンバー1」がハッキリしているパターンは珍しいんじゃないかなぁ。
有名な「許されない愛」にしても、僕にとっては大ヒット・シングルと言うより『JULIEⅡ』の収録曲、という印象の方が全然強いです(もちろん後追いファンだから、ですけどね)。すべての収録曲が、ひとつの壮大な物語の中のワンシーン。世のロックにストーリーありきのコンセプト・アルバム多しと言えども、それぞれの曲がここまで見事に、完璧なピースとなり物語の時間を辿り、綿密に全体構築されている作品は、洋楽ロック含めて比するものはありません(断言)!

その愛すべきピースの中には、「時の経過を表現する」「あらすじを追う」といった感じで、「繋ぎ」の役割を担う小作品もあります。僕にはその「小ささ」「地味さ」がまた、たまらなくいとおしいんですよね・・・。
激しい情熱や慟哭を歌った「目立つ曲」と、そうした「小作品」とがガッチリ噛み合って、すべてのナンバー全12収録曲でひとつの物語、ひとつのアルバム。それこそが『JULIEⅡ』。完璧なのです。
僕なりに纏めてみますと・・・

・父の顔も名も知らず育ち、ただひとりの肉親である母親に旅立たれて天涯孤独となった傷心の少年が、放浪の果てに小さな港町に辿り着く・・・「霧笛」。
・港町のカフェに住み込んだ少年が、店の飼い犬「マルチェロ」との交流で本来の明るさ、屈託の無さ、そして人生に希望を取り戻してゆく・・・「港の日々」。
・店に出入りする粋な船員達の賑やかさに触れた少年が、「海への憧れ」を知る・・・「俺たちは船乗りだ」。
・船乗り達を束ねる船長に目をかけてもらった少年は、船長に理想の父親像を重ねながら日々成長し、やがて自らの「男性」を自覚する・・・「男の友情」。
・再び長い海の旅に出ることになった船乗り達。夫の旅立ちを見送る船長夫人の涼しげな瞳に、少年はかつてない胸のときめきを覚える・・・「美しい予感」。
・船長の長い留守にふさぎこむ夫人を励ます少年。日々を共に過ごし好意を通わせ合う二人の心に、次第に言い知れぬ感情が募ってくる・・・「揺れるこころ」。
・激しい雷雨の夜、恐怖にしがみついてきた夫人を思わず抱きしめる少年。激情は開放され、遂に結ばれた二人は初めての朝を迎える・・「純白の夜明け」。
・夫人との愛が永遠に続くことを微塵も疑わず、一途に二人の愛情を盲信した少年は、生涯この愛に身を捧げ、命までも賭すと決意する・・・「愛に死す」。
・船長が帰国し、夫人は再び元の慎ましい家庭生活に身を置いた。己の熱情を必死に堪える少年だが、夫人を奪い取り連れ去りたい、という衝動に身を貫かれ苦悩する・・・「許されない愛」。
・夫人はもう自分の元には戻ってくるべきではない。非情な現実を認識し、自らの存在までをも否定し絶望した少年は、夫人に別れを告げると、荒波打ち寄せる海辺を徘徊する・・・「嘆きの人生」。
・遂に港町を去る決意を固めた少年。夫人への愛を断ち切ったその瞳の先には広大な海が広がっている。さぁ、この海へとまた旅立つのだ・・・「船出の朝」。

う~ん、完璧だ。
・・・って、あれっ?11曲しか書いてないぞ。
何か1曲、地味な曲を忘れて抜かしちゃってる?

・・・などと小芝居を打つのはやめましょう。
おそらく『JULIEⅡ』収録曲の中で、最も「小さく」、最も「繋ぎ」的な小品。その「地味」さは逆に比類無い存在。だからこそ愛おしい。だからこそ名曲。
長い間、先輩方と『JULIEⅡ』のお話を時折させて頂いても、まったく話題に上ることは無かった曲。でも昨年、このブログを読んでくださっているおひとりの先輩が「大好きな曲」だとコメントをくださった時、本当に嬉しくて・・・誠に勝手ながら今回は、その先輩のリクエストという形で考察記事を書かせて頂きます。
「二人の生活」、伝授!

まずは、何故僕がこの曲に「秋」のイメージを持つに至ったのか、ということから説明しておきましょう。

僕は後追いファンですから、当然『JULIEⅡ』もCDで購入しました。このアルバム、歌詞カードもすごく豪華で素敵な写真が満載なんですけど、美しいジュリーのショットを目を凝らしてしげしげと眺める、というにはCDだとなにせサイズが小さいわけです。必然、写真の構図などをキチンと把握しないまま、時は過ぎていきました。

さて、数ケ月前のある日こと・・・。
有り難いことに僕は今、何人かの先輩方からジュリー関連の貴重な資料をお預かりさせて頂いていて、まぁそれがとんでもなく膨大な数に上っております。
暇を見てはそれらをせっせと年代ごとにファイルしているんですけど、中には自力で年代特定できない、或いは特定の自信が持てない資料もたくさんあります。
ですから時々、そんな資料を某SNSに画像添付し、「これは何年ですか?」と広く先輩方にお尋ねすることがあるのです。
その日、先輩方にお尋ねした資料が、こちら。
『ロンドンの女(ひと)』という見出しで2ページ。「レコーディングがてら・・・」ということから、おそらく71年なんだろうな、とは思いつつ『JULIE IN LONDON』と書いてあるLPタイトルの全容に自信が無くて・・・まぁ結局それが『JULIEⅡ』の原題だったそうなんですけど(同タイトルの写真集もありますしね)。

London7101

London7102

で、SNSをチェックしてこの資料をご覧になったある先輩が、早速コメントを残してくださいました。
「これ、『JULIEⅡ』のプロモーション撮影ですよ。CDの歌詞カード見るべし!」
と。

これはしたり!
そう言われてみれば、この女の人は何処かで見たような覚えがあるぞ・・・。
と、そこでまたまたハタと思い出したのは・・・実は2009年の暮れに僕は、岐阜研人会のN様から「私はもうレコード・プレイヤーでは聴けませんから・・・」と、ほとんど結婚祝いのような感じでLP盤の『JULIEⅡ』をプレゼントされてしまっていたのですよ。
ここは是非、レコードの大きな写真で確認せねば!

ということで貴重なLP盤をとりだしますと、豪華なブックレット形式の歌詞部に・・・ありましたありました、”ロンドンの女(ひと)”と一緒のジュリーのショットが。

Lifefortwo


↑ もちろん、LPからスキャンしています!

これがズバリ、「二人の生活」歌詞ページに配された写真です。『JULIEⅡ』の舞台となっている港町の一風景として、少年と船長夫人が愛を育んでいる、というシーンを模したショットでしょう。
実際には、秋のロンドンの1コマだったんですね~。
いやぁ、いかにも秋ですよ。ジュリーはこんな季節、こんな風景の中であの名盤を制作していたんだなぁ・・・。

ということで、多くの『JULIEⅡ』のショットの中でハッキリとジュリーがロンドンに滞在していた季節を感じさせてくれる「二人の生活」のワンシーンが、僕の中で完全に「秋」とインプットされたというわけです。

ちなみに”ロンドンの女”の彼女ですが、『JULIEⅡ』歌詞カードでは他に「純白の夜明け」「愛に死す」に配されたショットで、ジュリーと一緒に登場しています。
「純白の夜明け」は二人の顔のアップの写真でして、見つめあうジュリーと彼女の構図にそのまま歌詞全体が映りこんでしまっているので、ここでは添付を控えます。残る「愛に死す」のショットはこんな感じ。

Diedoflove

これも「二人の生活」同様に「秋」のイメージはあるんですが、ご覧の通り3枚の連続ショット仕立てとなっていて、それぞれの写真がちょっと小さいんですよね。LPからのスキャンでこんな感じになるんですから、CDで見るとホント何が何だか分からないですよ。
やっぱりレコードとして制作されたジャケットやブックレット・デザインなどは、当時作られたサイズで鑑賞するのが一番のようです。散々「『JULIEⅡ』が一番好き!」と宣言しまくっていたジュリー堕ち間もない若輩の言葉を覚えていてくださったN様に、改めて感謝。

ということで僕にとって「二人の生活」という曲は、少年と船長夫人が「純白の夜明け」で互いの気持ちを確かめ合った後の「秋」の日々を連想させる曲です。
「愛に死す」が晩秋、「許されない愛」が冬の初め、「嘆きの人生」が極寒の真冬、と続いていく・・・そんなイメージまでをも得るに至りました。
そう考えていくとほら、「港の日々」なんかは春の初めって感じがするし、「美しい予感」あたりは初夏で、港に立つ船長夫人は日傘をさしているように思えてくるし、「純白の夜明け」でゴロゴロいってるのは真夏の雷雨、って感じになってきませんか?

僕が勝手に組み立てた『JULIEⅡ』の物語は、10代半ばの少年の、激動の1年間の物語。
それも考え合わせて、やっぱり「純白の夜明け」の直後に配される曲がいきなり「愛に死す」では、少年の「命をも賭す」という決意表明がちょっと早過ぎるんですよ。物語が進行する上で、二人が愛を育んでゆく過程のシーンを描いた「繋ぎ」の曲は絶対に必要だと思いますし、重要です。
ただ、それが大上段に構えるド派手な曲ではダメなんです。地味ながら可愛らしく、愛が始まったばかりの穏やかな日々、小さな幸せの日常を歌った「二人の生活」は本当にピッタリと物語のピースに嵌った名曲。

曲から浮かんでくる映像は、先の資料『ロンドンの女(ひと)』でのジュリーと外人さんの彼女のカップルで決まり。彼女の方が背が高かったり、ジュリーがどこか遠慮がちな表情をしているところなんかも含めて、写真のジュリーは本当に「少年」に見えるんだなぁ。
資料の一番下の、二人が手をとりあってはしゃいでいるショットにマルチェロが一緒に映っていれば、なお完璧でしたけどね~。いや、この状況になった時点で少年としてはもう犬どころじゃない・・・のかな?マルチェロがさみしがっているぞ!

そして、この「小品」ならではの筒美京平さんの作曲が本当に素晴らしいのです。
曲全体のイメージは、上品かつ静謐。
軽快なテンポのワルツ進行は、ひそやかに愛を育む「二人の生活」そのもの。その上で、さりげな~いおいしい工夫が、ポップス王道のメロディーにいくつも散りばめられています。

この曲には「同主音による近親移調」が登場します。理屈は知らずともメロディーを追えば、Aメロが物悲しい感じで、サビが明るくウキウキする感じ、というのはみなさまもお分かりでしょう。
これは、Aメロがニ短調で、サビがニ長調。トニックのルート音は変わらずに短調から長調に転調しています。この理屈については、以前「白い部屋」の記事で詳しく書きました(「白い部屋」自体は転調しないんですけどね)。その際にチラッと参考楽曲として「二人の生活」を挙げたところ、先述しました先輩のコメントが頂けたというわけです。

短調で始まった曲がサビで長調に同主音転調すると、視界がサ~ッと開けたような開放感があります。ジュリーにはこのパターンの曲が多く、加瀬さんもこうした作曲を得意としていたようですね。
筒美さん作曲の他歌手への提供曲ということで探していきますと、「抱きしめてTONIGHT」(歌・田原○彦さん)に同主音による近親移調が登場します。やはりこの転調手法ならではのサビの開放感が魅力の大ヒット曲と言えましょう。

「二人の生活」の場合は、「抱きしめてTONIGHT」或いは加瀬さん作の「追憶」のような、ド~ン!と派手にサビを炸裂させるような感覚はありません。
歌詞に描かれた二人の逢瀬が秘事であるために、「こっそり」みたいな気持ちがまず短調部に込められます。しかしどうにも抑えきれない歓び、ときめき・・・その溢れる様子が、サビの転調に表れてくるのです。これ、考察自体は完全に後づけ・・・と言うかこじつけなんですけど、本当にそんなふうに聴こえませんか~?

「楽しさ」を歌うなら、ハナから明るい長調で始めてもいいんじゃない?と考えるのは簡単ですが・・・じゃあ試しに、Aメロを長調に書き換えてみましょうか?

あさの     きてき     うたう  ま   どのそと ♪
ラレファ#ラレファ#シラレ ド#シラ ソラ


台無しです!
なんかこのメロディーだと・・・少年と船長夫人二人とも、な~んも深く考えてないような気がする。
やっぱりAメロが短調の進行であって初めて、静謐で上品な曲と言えるんですよ。

だからこそ、スパ~ン!と長調に切り替わるサビ部が僕は特に好きだなぁ。初めて聴いた時には「白い蝶のサンバ」(歌・森山加代子さん)みたいなメロディーだなぁと感じたけど、実際は全然違います。転調直後のサビの切り口は、なんとなく似てはいますけどね。
手元には、先輩からお預かりしている「二人の生活」の貴重なスコアがあります。

Lifefortwoscore

↑ 超絶お宝資料 『沢田研二のすべて』より

この本の超適当な採譜・・・だんだん病みつきになってきました(笑)。ここから最終的な真理を導き出すまでの数時間が、なんとも得がたい至福の時。
ということで・・・

誰も知らない 愛の暮しよ
D   F#m         G    D    B7

あ   なたといれ ば   時は流れて ♪
Em  A7  F#m7  Bm   E7          A7      

まぁ、サビはこう直してあげるべきでしょうな~。
あと、サビ直前の「あなたと~ふたり~♪」のトコも、単にドミナントだけの「A7→Dm」ではなくて

あなたと ふたり ♪
E7-9  A7    Dm

と、「E7-9」をキチンと採譜しておかないと、筒美先生に怒られそうです~。これは先生作曲の「九月の雨」(歌・太田裕美さん)にも違うキーで登場する重要なコード進行ですから。
ちなみにギターですと「E7-9」は、1弦1フレット、3弦1フレット、5弦2フレットですべての弦を「ジャ~ン♪」と鳴らせるローコードのフォームがオススメです。

細かい工夫は筒美さんの作曲ばかりではありません。大活躍するオーケストラ・アレンジ、刻みのソロをめまぐるしく立ち代わるストリングスとバンドネオンの演奏スキルの高さ、サビ直前の一瞬に強調されるピアノのミックス・・・等々。
地味で、「繋ぎ」的で、「小さな」曲にもこれだけのアイデアと細部の詰めが施されている・・・やはり昭和のプロフェッショナル・レコーディング・スタッフは邦洋問わず恐るべし、なんですよ。それでもこの曲が、アルバムの主役に躍り出ることはあり得ません。
不思議な曲ですよね・・・。

『JULIEⅡ』収録曲のヴォーカル中で、「楽に歌っているなぁ」と感じさせるのも、小品にして名曲、という「二人の生活」の不思議な魅力故ではないでしょうか。
「佳曲」というのは「二人の生活」のような曲のためにある言葉だとしみじみ思います。歌入れ当時のジュリーもきっと、とっつきやすかったんだと思いますよ。
まぁ、今となってはこの先のLIVEで採り上げられることなど絶対に無い曲でしょうが、「普遍的にジュリーの喉には合ってる」1曲だと思っています。
是非みなさまの再評価を!



それでは次回更新ですが・・・ちょっと特殊な記事を考えています。
男性タイガース・ファンの大先輩であり、ロックを語れる年長の友人でもあり、何よりその生き方をリスペクトしている憧れの男性でもある人・・・2012年に僕が書いた”ほぼ虎”武道館公演のレポート記事をきっかけに知り合ったYOU様が、ご自身の還暦記念に敢行したLIVEに参加した時の様子を書こうと思います。

YOU様の還暦記念LIVEは3部構成でした。
第3部は、普段からYOU様が活動していらっしゃる”いつも通り”のX-JAPANコピーバンドのステージ。
ただこの日は、還暦記念ということで特別です。
急遽結成されたバンド”JULIE SPIRIT”で挑んだジュリー・ナンバーのカバー。しかもYOU様はこのバンドで、生涯初めてのフロント・ヴォーカルに立ち向かいました。これが第1部。
そして・・・会場に駆けつけたYOU様の多くの友人の中に少なからずいらしたすべてのタイガースファンのみなさまが、腰を抜かすほど驚き、あまりにビックリして号泣するお客さんが続出した(マジです)、第2部トークコーナーでのビッグ・サプライズ。

記事には一応、ジュリー・ナンバーのお題をつけます(もちろん、記事内容と関係のある楽曲です)。
どんなふうに書こうか、まだ決めかねているんですけど・・・いずれにしても、ジュリーの『三年想いよ』ツアー・ファイナル、東京国際フォーラム公演の前までには書き終えなければ。10月末か11月頭の更新になるかと思います。
よろしくおつきあいくださいませ~。

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2014年10月21日 (火)

沢田研二 「女神」

from『ROYAL STRAIGHT FLUSH 1980-1996』
original released on 1986、single


Royal80

disc-1
1. TOKIO
2. 恋のバッド・チューニング
3. 酒場でDABADA
4. おまえがパラダイス
5. 渚のラブレター
6. ス・ト・リ・ッ・パ・-
7. 麗人
8. ”おまえにチェック・イン”
9. 6番目のユ・ウ・ウ・ツ
10. 背中まで45分
11. 晴れのちBLUE BOY
12. きめてやる今夜
13. どん底
14. 渡り鳥 はぐれ鳥
15. AMAPOLA
16. 灰とダイヤモンド
17. アリフ・ライラ・ウィ・ライラ~千夜一夜物語~
disc-2
1. 女神
2. きわどい季節
3. STEPPIN' STONES
4. CHANCE
5. TRUE BLUE
6. Stranger -Only Tonight-
7. muda
8. ポラロイドGIRL
9. DOWN
10. 世界はUp & Fall
11. SPLEEN ~六月の風にゆれて~
12. 太陽のひとりごと
13. そのキスが欲しい
14. HELLO
15. YOKOHAMA BAY BLUES
16. あんじょうやりや
17. 愛まで待てない

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一気に肌寒くなってきましたね・・・。
先日、遂に「Rock 黄 Wind」の採譜を済ませました。果たして今年役に立つ日が来ますでしょうか。

いや~、それにしても。
神戸公演で阪神嘆きネタを炸裂させるジュリーを見てから1ケ月ちょっとが経ちますが、まさか10月になってこんな楽しみが待っていたとはねぇ・・・。

クライマックス・シリーズ第2ステージ、巨人を4タテ!
セ・リーグ代表としてまさかの日本シリーズ進出!

ジュリーも喜ぶ以前に「おいおい勝っちゃったよ」とビックリしているのではないでしょうか。札幌のMCでは「素直に喜べない。恥ずかしい」と話していたそうですが、ここ1週間の怒涛の展開については、ほとんどの阪神ファン同様にジュリーも「心の準備ができる前にあれよあれよ」という感じだったんじゃないかなぁ(笑)。

そもそも、大体の阪神ファンというのはどこか弱気でありボヤキ上手なんですよ。
「やっぱりダメだったか・・・」という展開、それも含めて楽しんでいるふしがある・・・ただ、ジュリーが神戸で「監督のやってることがワケ分からん!」と嘆いていたのは僕も(たぶん多くの阪神ファンも)感じていたことで、ハッキリ言って今シーズンはもう終戦、みたいな雰囲気が9月の時点ではありましたからね。「どうせクライマックスも第1ステージの広島に負けて終わりだろう」、と。
それが何と、第2ステージに初進出したばかりか、巨人を無傷の4連勝でボコボコにしてしまったという。

でもね、あくまでセ・リーグの優勝チームは巨人。阪神の今ペナント・シーズンの戦いぶりにファンが納得していないのは事実です。
「ジュリーファンにして阪神ファン」の身としては、これから挑む日本シリーズ、そこで勝って初めて「Rock 黄 Wind」の大合唱とすべきでしょう。
和田監督がクライマックス・シリーズの優勝インタビューで目に涙を浮かべていたけど、嬉しさもあった反面、ホッとした・・・そして今季ファンに色々言われて(ジュリーにもね笑)悔しい思いをしてきたことを胸に、「まだまだこれからや!」という決意もあったのではないかと。
だから、胴上げもビールかけもお預けとなりました。
その意気や良し!僕もタイガースが「日本一」を勝ち取るまで、「Rock 黄 Wind」の記事執筆は我慢します。
だからジュリー、日本一になったらツアー千秋楽・フォーラムのオマケのオマケで歌って~!

ただねぇ・・・相手がホークスに決まりましたよね。
ジュリーも言ってたみたいですけど、どうにも「勝てる気がしない」んですよ・・・。これは(少なくとも僕の場合は)、2003年の日本シリーズのトラウマです。
あの時の日本シリーズは結果だけ見ると3勝4敗で、なかなかイイ勝負してたんじゃないか、とも今では思えますが、何故か甲子園で3回勝った記憶より、福岡で4回ボコられた印象の方が強いという・・・。
あの年のタイガースはスタメンに僕も大好きだった赤星選手、藤本選手という小柄な名選手がいて大活躍しましてね。でも、いざ日本シリーズで彼等がバッターボックスに立った時、キャッチャーの巨漢・城島選手(当時ホークスに在籍)がギロッと下から睨むわけですよ。まるで子供が大人に脅されているように見えて・・・怖かったなぁ。
2003年はセ・リーグのペナントレースで無双状態だっただけに、阪神ファンからすると「この調子で日本一もいただき!」みたいな感覚が事前にありました。
調子に乗って、「世の中、8割くらいは阪神の応援だろ!」と思い込んでいたら、福岡の試合の雰囲気は全然違っててねぇ・・・。

まぁ今年の場合は甲子園4試合、ヤフオクドームが3試合という日程ですから、7戦目の11月2日・甲子園にて4勝3敗で日本一決定→翌日のフォーラム公演でジュリー大ハシャギ!という筋書きが理想です。
ちなみに、日本シリーズまでもが「まさかまさかの4連勝」なんてことになりますと、ちょうど30日の大阪フェスの前日に日本一が決まっている、という状況になりますが・・・そこまでうまく事が運びますかどうか。


枕が長くなりましたが、それでは本題です(この記事、ここまでの枕を一番最後に書いてます汗)。
”足早に過ぎてゆくこの秋の中で”シリーズも5曲目となり、いよいよ秋も深まってまいりました。
僕にとってそれは、それだけ『三年想いよ』ツアー・ファイナル、東京国際フォーラム公演が近づいてきている、という喜びを実感できることでもありますが・・・。

今日は、アルバムには収録されていないジュリーのシングル・ナンバーの中から、ちょうど今くらいの季節に発売された名曲を採り上げます。
ズバリ、1986年10月22日発売の「女神」。
当時のジュリーの妖艶なヴィジュアル(髪型?)のインパクトもあってか、この名曲を熱烈に愛するジュリーファンはかなり多いようですね。

拙ブログではこれまで、CO-CoLO時代のシングルについては、「灰とダイヤモンド」1曲しか記事にしていません。これは何故かと言うと、決して僕がこの時期のシングル名曲群に興味が薄いわけではなく・・・「手元に歌詞カードが無い」という理由が大きかったのでした。
細かい漢字や仮名表記が、「耳で聴くのと文字で目にするのとでは違った」というジュリー・ナンバーは本当に多くて。僕は歌詞についての考察は是非しておきたいタイプですので、歌詞フレーズの致命的な間違い、勘違いは避けなければ、と常々考えているのです(それを逆手にとる形で「銀河旅行」の記事を書いちゃったこともありますが汗)。

で、CO-CoLO期のシングルの歌詞カードを入手するために、『ROYAL STRAIGHT FLUSH 1980-1996』を買わないとなぁ、とは以前から考えていたんですが・・・これ、みなさまご存知の通り、中古の価格でも結構な値段がするじゃないですか。親切な先輩のおかげで音源だけはすべて持っているし、そもそもこれは80~96年のシングル・コレクション盤。キチンとした形で所有していないのはCO-CoLO期のほんの数曲だけですし・・・歌詞のためにそこまでお金をつぎ込むのもな~、とずっと決心がつかずにいました。
が!
つい先月、「このくらいなら」と納得できる価格の中古品を見つけたのです。「帯、ブックレット付」という商品説明を確認するや、思いきって購入。届けられたモノを見て、「やっぱり買って良かった!」と思いました。
質・量ともに本当に豪華なベスト盤じゃないですか~。裏ジャケットも、中敷やCD盤面のデザインも、充実のブ厚いブックレットも素晴らしい!

ということで、この2枚組をようやく手にした喜びを胸に、今日は久々にCO-CoLO時代の名曲群から、1986年秋真っ只中にリリースされたシングル「女神」を、万全の体制で考察したいと思います。
伝授!

いや~、正に万全の体制ですよ。
というのは。
手元には『ROYAL STRAIGHT FLUSH 1980-1996』の他に、いつもお世話になっている先輩からお借りしスキャンさせて頂いた、当時のファンクラブ季刊『不協和音』に掲載されていたスコアがあるのですよ~。

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僕のような者にとっては、ジュリー関連の伝説的な写真集、パンフレット等と同じくらいに、レアな楽曲のスコアというのはとんでもなく貴重なお宝なのです(以前からヤフオクに上がっている『A WONDERFUL TIME』アルバム・マッチングのエレクトーン・スコアが、2万云千円からいつまでたってもビクとも値段が下がらず、指をくわえて涙目で毎日過ごしています・・・泣)。
よく、釣り具をただ眺めているだけで1時間過ごせる、という人の話を聴きますが、僕の場合は、好きな曲の音符並びを眺めているだけで時間を忘れ、至福のひとときを過ごすことができます。

『不協和音』の「女神」のスコアはオフィシャル・アイテムということになりますが、だからと言って表記が完璧というワケではないようで。たった1箇所ではありますが痛恨の誤植がありますので、お持ちのかたはこの機に直しておきましょう~。

生きて愛し 死んで愛し どちらを  選ぼうと ♪
   C               G            F#m7-5  B7      Em

の、最後のトコです。
スコアでは、F#m7-5で1小節、B7で1小節となっていますが実際は上記のコードでの譜割が正しく、メロディーは1度ホ短調のトニックである「Em」に戻っています。これは、次の「いずれに出会おうと♪」の箇所と同進行で揃えてしまった単純なコードネーム配置の誤植と考えられます。
ただし、僕も全然偉そうなことは言えません。もしスコアが無かったら僕はこの部分を、「Am7→B7→Em」と採譜し何の疑いも持てなかったに違いないのです。オフィシャル・スコアというのは、やはり偉大なお宝です!

さて、「女神」の作曲は佐藤隆さん。
ザ・ベストテン世代の僕は、佐藤さんの「マイ・クラシック」の大ヒットはテレビでタイムリーに知っています。また、そのほぼ同時期、高橋真梨子さんの「桃色吐息」の作曲者としてもよくお名前を見かけたものです。
「マイ・クラシック」「桃色吐息」共に、とても美しい短調の粘り強いメロディーが特徴的。バラード寄りの素晴らしいポップス・ナンバーですね。
そしてそれはジュリーの「女神」でも同様です。

忍んで いいなら シルクのハンカチを
Em       F#m7-5   G                      B7

目につくところに 結んでおいてくれ ♪
Em       F#m7-5            B7       Em

このAメロのハーフ・ディミニッシュ(ここでは「F#m7-5」)の使い方がまず痺れます。サビの使い方とは全然違うんですよね。要は、Emの「ミ」からGの「ソ」に移行する過程を、ありがちな「D」ではなくハーフ・ディミニッシュに置き換えて、経過音である「ファ#」の音を強調している、ということなのかな・・・。狂おしく、エロい進行で、正に「忍んでいいなら♪」という歌詞世界そのものです。
これは佐藤さんの得意技のようで、高橋真梨子さんの「桃色吐息」にも同様の手法が登場します。

ジュリー・ナンバーとしては、アルバム『NON POLICY』収録の南佳孝さん作曲「シルクの夜」と並んで、「歌詞が載る前のメロディーの時点で既にエロい!」名曲と言って良いでしょう。

ジュテー           ム 
     C  C(onB)  Am  Am(onG)

ジュテー       ム  あなたといる限り ♪
     F#m7-5  B7   C          B7      Em

というサビの「念押し」のようにガクンガクンとルート音が下降していく感じも、進行としては王道ながら、メロディーの粘りが独特。これも佐藤さんの個性ですね。

作詞は阿久さんです。やはり阿久さんのジュリーへの提供詞も、時代と共に変わってきています。
「女神」は男がすべてを晒した溺愛、求愛がテーマかと思いますが、例えば「ダーリング」のそれとは雰囲気がまるで違っています。
アルバム『思いきり気障な人生』や『今度は、華麗な宴にどうぞ。』での阿久さんの詞は、たとえ溺愛、求愛の歌であっても別れの歌であっても、根本には「女には結局、男の魂を手に入れることなどできないのだ」というダンディズムがあるように感じられます。
一見、恋をした主人公(=ジュリー)が歌う完全な女性崇拝のような「ダーリング」でも、「俺様」度の高さは失われていない・・・どころか強烈にあって、最終的には「お前は俺のものになるしかないんだ」という絶対男主義があると思いますし、それをいざジュリーが歌えば「あぁ、こんなふうに求愛された女性はイチコロだな」とリスナーも自然に思うでしょう。

ところが「女神」では、主人公の男に「どんなにすべてを晒しても、思いが遂げられない」というダメージの深さを感じるんですよ・・・。その意味では、阿久さんの詞のアプローチはむしろ『LOVE~愛とは不幸をおそれないこと』に近いかもしれません。
また、ジュリーのヴォーカルが一層そのダメージ度を増幅させています。一番ヘヴィーなのは

風に怯え 雨にふるえ 噂に      傷ついて
C             G              F#m7-5 B7      Em

とげに刺され 爪でかかれ 痛みを知らされて ♪ 
  C                 G               F#m7-5          B7

ここですね。
阿久さん、容赦無し!

「怯え」「ふるえ」「傷ついて」「刺され」「かかれ」「知らされて」・・・この、ふりかかるダメージを歌うジュリーのヴォーカル・ニュアンスが凄まじいです。
あらゆる逆風に虐げられても、自分はこの女神を無条件に崇拝し静かに膝まずくしか術はないのだ、と。
魂を差し出しての「嘆願」。そんな感じに聴こえます。

サビの「ジュテーム♪」の絶唱にしても、「魅せられた夜」はロマンティック、「女神」は何か悲劇的な感じがします。どちらも情熱的なヴォーカルなのに、ジュリーの声から受けるイメージは全然違う・・・先輩方から見てそのあたりはいかがでしょう?

これをして、アルバム『CO-CoLO1~夜のみだらな鳥たち』収録のいくつかのナンバー、そして同年発売のこのシングル「女神」でのジュリー・ヴォーカルに、タイムリーなファンの先輩方は、セールスの落ち込みやプライヴェートの心境など、当時のジュリーの逆境を重ねて見ていらしたのでしょうか。
もちろんそれは自然な受け取り方なのかもしれませんが、後追いの僕が聴くと、『架空のオペラ』以降のCO-CoLO前期に、まったく新たな(それまでのジュリーには無かった)ヴォーカル・スタイルの開眼をまず想像します。この時期特有の、新鮮な曲想やバンド・サウンドに溶け込んだ歌い方として編み出された、ジュリーの進化を感じるばかりなのです。
一方で、ジュリーが完全にプライヴェートの自分を歌に引き寄せたと考えられる次作『CONFFESION~告白』では、またジュリーのヴォーカルに違った変化が出てきて、「タ行」「ラ行」にいわゆる「「洋風に装飾している」感覚が見られます(後にも先にも、このようなスタイルのジュリー・ヴォーカルのアルバムはこの1枚きりです)。こちらは、プライヴェートに引き寄せた楽曲であるが故に、ジュリーが「突っ張った」歌い方にしたのかなぁ、と僕は捉えていますが・・・。

ただ、このような考察はいかにも後追いファンの感覚なのでしょう。例えばこれは、『三年想いよ』を今から10年後に初めて聴いた人が、3・11以降のジュリーの活動状況を知らずにその詞曲やヴォーカルを考察する如きもので、僕には明らかにハンデがあると思います。
でも、音楽作品ってどうしてもそういう宿命は自ずからある、とも思うんですよね。本当に優れた楽曲は、時代を経てどういうふうに聴かれようと、永遠に「名曲」なのではないでしょうか。
その意味でも、「女神」はプロフェッショナルな詞曲、唯一無二のジュリー・ヴォーカル、最高に渋いCO-CoLOの演奏、アレンジが一体となった名曲。
今回改めてじっくり聴いて、そう思いました。

そんな名曲を、何故僕は長い間まったく知らずにいたのでしょう・・・。紅白でも歌われているし、JAL沖縄のキャンペーン・ソングというCMタイアップもついてるのに。
1986年と言えば僕は大学入学で上京したての年で、おそらく人生で一番念入りにラジオのエアチェックをしていた頃。『FMステーション』を毎号買って、好きそうな洋楽だけでなく、幼少期からの懐かしく馴染みのある歌手やバンドの曲もマメにカセットテープに録音していました(ジュリーの黄金期の大ヒット曲も当然)。沢田研二の新曲」の情報をスルーしていたとは考えにくいんですけどねぇ・・・。まぁ、当時の僕は貧乏学生で、部屋にテレビなんてものは無かったですから、それがまず大きかったのかも。

リリースから何十年も経って知った86年の「女神」音源には、本当に様々な驚き、発見があります。
先にも書きました通り、まずCO-CoLoのアレンジ、演奏が最高に渋い!

その「渋さ」を逆説的に象徴するのは、ベースです。音量、ミックス、そして演奏の手数・・・ここまで徹底的に「退ける」ものなのか、という。
アルバム『CO-CoLO1~夜のみだらな鳥たち』収録の「無宿」「流されて」という、「ブルース進行を都会的なサウンドのロックに昇華した」名演2曲を聴けば歴然のように、CO-CoLOのベースは洗練されたグルーヴこそが命(『CO-CoLO1~夜のみだらな鳥たち』録音の時点ではもう竹内正彦さんですよね?)。
それが「女神」ではフレージングが最小限に抑えられていて(ほとんどドラムのキックとのリズム・ユニゾンに終始)、まったく主張が無いんです。
これはおそらく「女神」が「シングル曲」だからです。ジュリーの歴史上、CO-CoLO期ほど同一バンドの演奏でアルバム未収録のシングルと、同年リリースのアルバム収録曲とで音やアレンジのアプローチを変えている制作時期はありません。

さらに言うと、「女神」をエキゾティクスが演奏していたら、絶対こうはなってないと思う・・・。
例えば、1番の「どちらを選ぼうと♪」、及び2番の「噂に傷ついて♪」の直後の1小節・・・ベーシストが建さんなら、「ミ~、ファ#~、ソ~、シ~♪」と4分音符でじりじりと上昇させ、次小節のコード「C」のルートである「ド」の音へと繋ぐでしょう。それがCO-CoLoにかかるとベースは沈黙、代わりに何とも不思議な、時計台の鐘のような音が噛んできます。

で、この鐘みたいな音ね・・・これがまたいかにも「シングル」っぽいアレンジの味つけで僕は大好きなんですけど、これは鍵盤の演奏ではないんじゃないか、と考えているんです。
不勉強で断言はできませんが、こういう音が出るパーカッションを使っているんじゃないかなぁ、と(後註:記事書いて寝て朝起きた時に「あ、ガムランかな?」と思いつきましたがやっぱり自信無し・・・)。
その理由は、CO-CoLOがツイン・ドラムス体制のバンドということも当然ありますし、何より、もしこれがシンセサイザーのワン・トラックなら、1番と2番でミックス配置が違っていることの説明がつかないんですよ(1番では左サイド、2番ではセンターから聴こえてきます)。
86年という時期を考えれば、ドラムスのレコーディングは全方位体制でマイクを設置していたはず。ドラムセットそれぞれの配置に応じてミックスするため(向かって右のハイハットは右サイドに、左のフロアタムは左サイドに、といったように)です。
このパーカッションは音の高さを分けて2種用意され、1番の音が左、2番の音がセンターにセッティングされたものを演奏しているのではないでしょうか。
楽器の種類すら分からない推測ですので、ミックスだけで確信を持つことはできませんが・・・。

「女神」では、ヴォーカルに絡みまくるストリングス・アレンジや、間奏の石間さんのギターにも語るべき点は多いですが、今回もまたまた大長文となっておりますので、それはこの先の
CO-CoLO期の楽曲考察記事に譲ることにします。
ストリングスは「きわどい季節」、ギターは「STEPPIN' STONES」がその点を語るにふさわしいお題となる
でしょう。『ROYAL STRAIGHT FLUSH 1980-1996』では、この2曲の繋がりも何とも言えず新鮮でした。CO-CoLOって、これほどタイプの異なったシングルを矢継ぎ早にリリースしていたんだなぁ、と。
この2曲は、今からじっくり聴き込んでおきたいと思います(disc-2ばかりを激リピしてしまっているので、一番楽しみにしていた「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ」の正規音源をまだ1回しか聴いていないという汗)。

CO-CoLOの名曲群は、現在の鉄人バンド・スタイルとアレンジの相性も良さそうですし・・・生のLIVEで聴いてみたいです。『ジュリー祭り』が初のジュリーLIVEだった僕は何と、現時点でCO-CoLO時代の曲で生で聴いたことがあるのは「明星」と「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ」、たった2曲だけですよ・・・(泣)。
「女神」なんて、GRACE姉さんのキックとユニゾンで5、6弦をうつむいてカッティングする下山さんの姿すら勝手な脳内デジャヴで浮かんでしまうほどですが、今後のLIVEで採り上げられる可能性は、と言うと・・・う~ん、どうだろう。微妙かなぁ。


それでは、”足早に過ぎてゆくこの秋の中で”シリーズも次回でラストです。
お題は「僕が勝手に秋をイメージしている」系の曲。その曲に「秋」を感じたのは実はつい最近の話で、そのきっかけとなったお宝資料のネタがあるんですよ。

先日のコメントで予告した通り、アルバム『女たちよ』以外の筒美京平先生の作曲作品です(って、該当するのは1曲しか存在しないんじゃ・・・バレバレですね)。
お楽しみに~!

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2014年10月16日 (木)

沢田研二 「AFTERMATH」

from『REALLY LOVE YA !!』、1993

Reallyloveya

1. Come On !! Come On !!
2. 憂鬱なパルス
3. そのキスが欲しい
4. DON'T SAY IT
5. 幻の恋
6. あなたを想う以外には
7. Child
8. F.S.M.
9. 勝利者
10. 夜明けに溶けても
11. AFTERMATH

--------------------

全国ツアーのインフォが来た時からずっと気になっていた、ジュリーの『三年想いよ』10・8南相馬公演は、大盛況、大成功に終わったようです。
参加されたみなさまから届けられる、絶賛と感動の声。僕はこの1週間、自分が参加してもいない南相馬公演の余韻にどっぷりと浸る(ついでに風邪ひいたりもしていますが汗)という不思議な日々を過ごし、ブログの更新間隔が空いてしまいました。

素晴らしいステージだったって。
素晴らしいお客さんだったって。

普通、自分が参加していないLIVEが「素晴らしかった」と聞くと、まず「羨ましい」という感情が先に来るのですが、何故か今回はそれが無くて・・・。
みなさまのレポートやお話のおかげで、まるでその場に居合わせたような感覚が沸いてきました。

星のかけら様のレポートでは、本割ラストの「いくつかの場面」、アンコール大トリの「ヤマトより愛をこめて」を歌うジュリーの姿、声がリアルに伝わってくるようで、改めて今回のセットリストで採り上げられたジュリー幾多の名曲が、今また新しい力を纏っている不思議さ、嬉しさ、頼もしさを思いました。
しかも「大ヒット曲」ということで言えば、まだまだ今回歌われた曲以外にもある・・・来年の全国ツアーに向けて(きっと東北公演もあるでしょう!)ジュリーは、「許されない愛」「時の過ぎゆくままに」「サムライ」「TOKIO」「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」
あたりを今からセットリストに考えているかもしれませんね。
本当に、ジュリーに「危険なふたり」や「ダーリング」や「勝手にしやがれ」があって良かった!
もう僕は金輪際、ツアー・セットリストで”みなさまにも多少は耳馴染みのあるシット曲”が歌われた時、「またか~」などと考えたりすることはないでしょう。

また、今回の公演で一番気がかりだったこと・・・一般のお客さんの感想をしょあ様のレポートで拝見した時には、安堵すると同時にとにかく嬉しくて、一気に涙腺決壊。会社のティッシュ使いまくり
(←コラコラ)
素晴らしいレポートでした。大宮公演でお会いした際にはしょあ様はまだ、「本当に自分が行ってよいのか」と悩んでいらしたのを知っているだけに・・・。
良かったなぁ。本当に良かった!

もちろん、僕などが「良かった」と思うだけでは済まされないことがあるのです。
実際に現場で体感するのと遠方から想像するのとでは、天と地ほどの違いがあると思います。
それでも、南相馬の町の様子や、そこに至るまでの道のりなども含め、本当に様々な光景を今回多くの先輩方が伝えてくださいました。
「途中停車および二輪車、歩行者の通行は禁止」の条件つきで開通を再開したばかりの国道6号北上のルートで会場に向かった先輩もいらして、「櫻舗道」で歌われている「非常線のふるさと」を行く道中の写真を何枚も見せて頂きました。
僕らがもしジュリーファンでなければ、ひょっとすると過ぎゆく月日の中で、何処か遠い世界のことのように思ってしまっていたかもしれない風景。しかしそれはこの日本の今、紛れもなく「誇大でない現実」であり、ジュリーは正にそれを歌っているのだと改めて感じます。

実際に訪れてみなければ分からないことがある、現地の人達と触れ合わなければ感じとれないことがある・・・何よりも、そのことを教えて頂けました。
風化なんて許されない。
僕もこの目で見なければ、と思いました。


さて拙ブログでは現在、”足早に過ぎてゆくこの秋の中で”シリーズということで「秋」を感じるジュリーナンバーをお題に記事更新を頑張っています。
今日ははからずも、南相馬公演の熱い余韻を残しつつ、静かにジュリーの声に身を委ねるにはピッタリのバラードについて書くことになりました。

今回も、ジュリーの過去のアルバム発売時期から「秋」のお題を探す、ということで曲を選んでいます。
採り上げるアルバムは『REALLY LOVE YA !!』。1993年の
秋も終わろうかという時期・・・11月17日にリリースされている大名盤です。

ちなみにこのアルバムからの先行シングルは、御存知「そのキスが欲しい」ですが、実はWikiの記述が間違っておりまして。「5月20日発売」と書いてあったんです(誤記はシングル一覧の項。本文の発売日付の記述「10月20日発売」が正しいようです)。
で、後追い勉強中の僕はすっかりWikiの記述を鵜呑みにし、「このシングルとアルバム発売の半年ものタイムラグは一体?」みたいなことをこの記事に下書きしていました。それが間違いだと分かったのが、本当についさっき(「さて、昼休みに更新するか~!」と準備していたまさにその時)なんですよ。

情報の早いみなさまのことですから、中将タカノリさんの神戸公演レポートはもうお読みでしょう。
素晴らしいレポートでしたね。
その中で、「そのキスが欲しい」が94年のシングルと書かれていて(誤植?)、某SNSで「93年ですよね?」みたいなお話をしていたら、ジュリー学について僕が完全に信頼している長崎の先輩が「93年10月発売」と仰っていたので、「あれえっ?」と。
「Wikiに5月発売って書いてあるんですけど・・・」とお話したら、すぐにご自宅の「2階に駆け上がって現物確認」(笑)してくださって、「10月20日発売で間違いありません」とお知らせくださいました。
危なかった~。昨夜書き終えた下書きのまま更新していたら、読んでくださった先輩方から優しき総ツッコミを頂くところでしたよ・・・。
ということで、この部分だけ後から急遽書き直して更新しております(汗)。

あ、「そのキスが欲しい」はまだ楽曲考察記事を書いていないんですけど、この曲は僕にとって「本格ジュリー堕ちした『ジュリー祭り』東京ドーム公演の1曲目」という大切な思い出があるものですから、2017年12月3日の記事更新と決めています(ちなみに「時の過ぎゆくままに」が2018年6月25日の予定。気の長い話?)

ともあれ、タイムリーで購入された先輩方にとって、この『REALLY LOVE YA !!』というアルバムには「秋」のイメージがあるのかな?
収録曲を見ていくと、特に季節を限定した作品はほとんど無く、リリースされた時期がそのままみなさまの季節の記憶と重なっていても不思議はないのでは。

そこで今日は、『REALLY LOVE YA !!』収録の記事未執筆のナンバーの中から、秋の夜にじっくり聴きたいバラードをお題に選びました。

今回は、物凄い考察テーマに挑みます。
ズバリ、「ジュリーが自らの”性衝動”を自作詞に託した曲とは?」という(滝汗)。
いや、こういうことを僕のような鈍い感性の男が考えるからこそ、導かれる一考察もあるんじゃないかと・・・。
みなさまの異論、非難、苦情は数限りなく出てくることかと思いますが、実際問題僕はこれまでジュリーを性的な目で見たことがまったくないので、却って自由に想像できる、と言うか虚心坦懐に書ける、と言うのか。
まぁ、楽曲考察の一端として読んで頂けましたら幸いでございます。

これは、以前に先輩から記事リクエストを頂いていた曲でもあります。ずいぶんお待たせしてしまいました。
「AFTERMATH」、伝授!

ジュリーに”濡れ場”を喚起されるエロ・ナンバーは数多くありますが、今日はその中で、他ならぬジュリー自身が作詞した曲を対象に、ジュリー本人の性衝動について真面目に(←本当かよ)考察してみましょう。

多くのジュリーファンは、「ジュリー作詞のエロ・ナンバー」と言うとまず「感じすぎビンビン」を真っ先に思い起こすのではないでしょうか。
もちろん「感じすぎビンビン」はエロいです。それは間違いありません。後追いの僕も有り難いことに、2010年お正月LIVE『BALLAD AND ROCK'N ROLL』で実際に生のこの歌を体感済です。
ジュリー、確かにエロかった・・・。

でも、「感じすぎビンビン」って、いわゆる”性衝動を謳歌したナンバー”なのでしょうか。
僕はちょっと違うと思っています。

どちらかと言うとジュリーの狙いは、ハードなギター・ロック嗜好の開放。自身の好みの音と演奏を得ての、ステージ表現への渇望を僕は強く感じます。もちろんそのための手管として、聴き手に「エロ」を煽ることはジュリーも確信犯的に狙っているでしょうけど。
これはジュリーwithザ・ワイルドワンズの「熱愛台風」もおそらく同じです。初めて聴いた時には、「ずいぶんプライヴェートと言うか、具体的な詞だなぁ」と思ったけれど、よく聴くと・・・例えば「シビレルような恋になろうぜ♪」で高い「ミ」の音がバシバシ連続している箇所など、「自分の作った最高にロックなメロディー」にどんな言葉を載せれば自分でより気持ちよく歌えるのか、ということを主眼にして詞をつけているんじゃないかと。エロい歌詞だとステージで尚ロックできる!ということです。
覚さんの作詞にタイトルのサジェスチョンがあったという「オリーブ・オイル」も同じ狙いかもしれません。まずロックな曲ありき、のエロなんですよ。
サウンドの主張がエロい歌詞を求めている、という・・・ジュリー自身が内から湧き出る性衝動を詞に託した、というのとは少し違うと思うんです。

じゃあ、ジュリーが自らの性衝動を歌詞に託したくなる曲とは、どんな曲想なのか。
僕が思うにズバリ、バラードです!

ジュリーが閨(ねや)での睦言をストレートに自作詞に託したと考えられる曲を、行為の時間軸(下品な表現でゴメン!)に沿って順に挙げますと

・(ビフォー)「Don't be afraid to LOVE」
・(本番)「PinpointでLove」
・(アフター)「AFTERMATH」

いかがでしょうか(笑)。
いや、真面目な話・・・作曲者はそれぞれ違うのに、詞も曲もアレンジも、とてもよく似た雰囲気の名バラードが並んでいると思われませんか?

これら3曲は、レコーディング時期から考えて「曲先」の作業で作られたものと考えられます。
3曲すべて外部作曲家による提供作品で、ジュリーは作詞のみを担当、というのが大きなポイントのような気がします。アルバム制作時に受け取った、優しげでエロティックな曲想からジュリーがかき立てられたのが、自身の性衝動だったのではないでしょうか。
どれも穏やかで、深くて。さらには、感情が溢れているようでいてどこか理知的でもあります。

青い空を抱き 窓の遠く見つめたら
E    Amaj7      Am7             E

僕の右腕を 赤い涙で濡らして    oh
E    Amaj7       D                C#m     C#m(onF#)

PILLOW TALKなど ほどほどに ♪
Amaj7               B               E       Esus4  E

これ、どう考えたって「終わった後」のシチュエーションを描いているでしょう。しかも、いかにもジュリーらしい俯瞰力があります。
なるほど、ジュリーって、腕枕は右なのか・・・。


さて、ジュリーが何処からこの「AFTERMATH」なるタイトルを引っ張ってきたのか、という点について
はハッキリしていると思います。ローリング・ストーンズにズバリ『AFTERMATH』というアルバムがあるんですよ。
ストーンズが初めて全収録曲をメンバーのオリジナルで固めた(すべてミック・ジャガーとキース・リチャーズの連名クレジット)アルバムとして重要な名盤。ジュリーファン、タイガースファンのみなさまならご存知の「アンダー・マイ・サム」「レディー・ジェーン」という名曲2曲が収録されています。

では、「AFTERMATH」という単語自体は本来どういう意味なのでしょうか。
英語としては大きく2つの意味があるようです。

・牧草の二番刈り(ある程度成長してから刈りとること。葉が多い、柔らかい、などの特徴が出る)
・災害や大きな事件などの余波、結果

ジュリーの歌詞はどちらなのかな。
それとも他に何か意味づけがあるのでしょうか。「災害」「事件」などの悪い意味でジュリーがこの言葉を使っていないことは明らかですし、僕としては、少し抽象的だけど「狂おしい大きな衝動を遂げた直後」の虚無(平穏、静けさ)の状態を表そうとしてつけたタイトルではないかと考えていますが・・・。

「Don't be afraido to LOVE」や「PinpointでLove」そして「AFTERMATH」。この3曲のエロ・バラード、ジュリーの歌い方や発声がそっくりだと思いませんか?
注目すべきは、いずれも「LOVE」というフレーズのロングトーンが登場すること。

夢の中へ MAKE IT LOVE ♪
Dm6・9                  E

透き通るようで、無垢で、しかも色っぽい「LOVE」。
ちなみに「Dm6・9」ってのは、才の無い僕が強引にひねり出したコード採譜表記。ギターの1弦、2弦、4弦、5弦が開放、3弦のみ2フレットを押さえるフォームです。こう弾く以外、他にしっくりくるフォームを思いつけなかったんですよね・・・。

また、いかにもジュリーらしいなぁ、と思うのは

ぬくもりだけじゃ こなせない
     Amaj7                      B

君の愛は 深く重いよ ♪
   G#m7                C#7

この「重いよ」というのが、職業作詞家さんではなかなか出てこない表現だと思います。ジュリー流のリアリズムですね。「ヘヴィー」ではなく「プレシャス」という意味を持たせているんじゃないかな?

作曲のSAKI&MATSYZAKIさんについては、『ジュリー祭り』直後に一度調べたことがありました。もちろん「そのキスが欲しい」の作曲者の情報を求めて。
あの頃はドームのセットリスト1曲1曲について、自分の不勉強に追いつくのが精一杯で・・・一気に知識を吸収できていませんね。
SAKI&MATSUZAKIさんはアルバム『REALLY LOVE YA !!』で「そのキスが欲しい」「AFTERMATH」2曲の作曲を担当。検索してみますと、「Birthday Suit」というフォーク・デュオのメンバーとして佐木伸誘さん、松崎真人さんのお名前がヒットします。同じ東芝EMI所属ということで、ジュリーとの縁があったようですね。
メンバーお2人とも北海道の出身で、僕よりも少しだけ年上。『REALLY LOVE YA !!』リリース時はまだ20代ですから、秋間経夫さんや高野寛さん同様、「若い才能を作家陣に抜擢」というコンセプトでの起用だったと考えられます。
その提供2曲がそれぞれシングル曲とアルバム・タイトルチューン(バラード・ベストの企画盤)となったわけですから、凄いですよね。

「Birthday Suit」としての曲をYou Tubeで見つけることはできませんでしたが、「そのキスが欲しい」が短調のアップテンポ、「AFTERMATH」が長調のバラードということで、なるほどフォーク・デュオ王道の作曲をされるお2人なのでしょう。
ただ、”完全無欠のヒット・チューン”的な仕上がりの「そのキスが欲しい」に比べ、「AFTERMATH」にはぼんやりした輪郭の、不思議なアレンジが施されています。それがまた「Don't be afraid to LOVE」「PinpointでLove」との作詞以外の共通点でもあります。

加えて「AFTERMATH」の場合は、「打ちこみ」のリズム・トラックの導入により、幻想的でありながら何処か淡々としていて、穏やかな中に何か秘めたものがある・・・そんな印象のバラードに仕上がっています。

前回記事で、アルバム『女たちよ』に採り入れられているレコーディング(骨子となるリズム・プログラミングがあり、その上で生のドラムスが重ねられている)について触れました。この「AFTERMATH」も同じ手法でアレンジが組み立てられています。
少し違うのは、プログラム自体がドラムス各パーツを擬したパターンのループになっていること。この点は「緑色の部屋」に近いですが、「緑色の部屋」には生のドラムスは重ねられていません。「AFTERMATH」の場合は冒頭からAメロ1回し目までは機械のリズムのみですが、1’04”から豪快な生のドラムスが噛んできます。
人間と機械による、2トラックのツイン・ドラムス体制とも言えますね。

機械のリズム・ループには催眠効果みたいな感覚があって、ジュリーの歌詞にも合っています。
だってこれ、「このまますぐに眠っちゃいたい」って歌ですよね?「ピロー・トークなどほどほどに♪」と、相手に背中を向けてしまっている・・・。並の男ならNG、歌っているのがジュリーだからこそ成立する至福な時間、空間の表現でしょう。

アルバム『REALLY LOVE YA !!』は実は最前作にあたる『BEAUTIFUL WORLD』よりもむしろ前々作『パノラマ』に近い作品だと僕は考えていて、アレンジや作曲家、演奏者の主張、そして何より吉田建さんのプロデュース色が強いと感じます。ただ、『パノラマ』がジュリー自作詞の「Don't be afraido to LOVE」で締めくくられたように、このアルバムも「AFTERMATH」という、「アルバム曲順的に、後に続く曲がイメージできない」バラードで終わります。僕はそこに、『sur←』から始まるセルフ・プロデュース期へと繋がるジュリーの渇望を見てとります。
その渇望が、自らの性衝動の解放を歌ったバラードに託されたところに、歌手・ジュリーの原点を改めて思うわけです。ジュリーは歌手となったその日から、「自分の歌いたいことを歌いたいなぁ」と考え続けていたのではないか、と・・・。

アルバム・タイトルを掲げた全国ツアーで、アルバムの収録曲がアンコールに配されるセットリストって、かなり珍しいパターンですよね?
その意味で「AFTERMATH」というバラードは、”スーパースター・ジュリーとしての栄光(物語的な激動)直後の、沢田研二としての平穏(私的な安定)”を意味するタイトルなのかもしれない、とも思ったり・・・。

最後に「AFTERMATH」のギター・トラックの素晴らしさにも触れておきましょう。
ジュリーのエロティックな歌詞を最も色濃く反映させているのは、間奏とエンディングのギター・ソロではないでしょうか。単に「ジャズ風」というだけではない粘りのフレーズと、独特なピッキングの感触。名演です!
やっぱりアレンジャーとしても、ジュリーのエロいバラードにはこういうギター・ソロを合わせたいものなのかな。編曲者、演奏者の異なる「PinpointでLove」でも、似た感じのギターを味わうことができます。

「AFTERMATH」がこの先のLIVEで採り上げられるかどうかは分かりませんが、鉄人バンドでこの曲を再現するなら、ギター・ソロは柴山さんが弾くしかないでしょう(アルバムでは誰が弾いているのかな?)。
「さよならを待たせて」にもひけをとらないぬおっぷりが堪能できるかもしれません。
是非生で聴いてみたい1曲ですね。


それでは・・・次回も引き続き「秋」をテーマにピックアップしたジュリー・ナンバーの記事を書きます。
実は、ピー先生のツアーが終わってから書こう、と以前から決めていたちょっと特殊な記事の構想があって、それが10月末ギリギリか11月頭の更新になると思います。それまでになんとかあと2曲、秋っぽい曲を自由お題で採り上げておきたいと考えているところ。

あと・・・「今年はそれは無さそうだな~」と思っていたけど、一応「Rock 黄 Wind」の記事執筆にも備えておいた方がいい・・・のかな?(笑)
いや、我が阪神タイガースがクライマックス・シリーズ第2ステージで巨人を下して(菅野投手が出場できないなら充分チャンスあり。でも、沢村投手を打ち崩すイメージが沸かないんだよなぁ・・・)日本シリーズ進出、というだけでは書きませんよ。それは「リーグ優勝」とはまた別のことですから。
ただ、万が一
(←コラ)日本シリーズにも勝ってしまい(相手はホークスかなぁ?)「日本一」になったとしたら、さすがにね。書かなきゃイカンでしょう。
まぁ、そういう楽しみが持てるのも今だけかもしれませんが・・・とりあえず、阪神タイガース、鬼門のクライマックス・シリーズ初の第1ステージ突破、おめでとう!
(カープファンのみなさま、すみません。にしても、僕は第1ステージでのリーグ2位球団のアドバンテージって、ホーム開催の権利だけかと思い込んでた・・・。1勝1引分で良い、ってルールがあったんですね~)

そんな中、次回は久々にCO-CoLo時代のナンバーを、と考えております。
毎度毎度、気温の変化についていくのが苦手な僕はやっぱりこの時期風邪をひいていますが、みなさまも充分お気をつけくださいませ・・・。

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2014年10月 8日 (水)

沢田研二 「藤いろの恋」

from『女たちよ』、1983

Onnatatiyo

1. 藤いろの恋
2. 夕顔 はかないひと
3. おぼろ月夜だった
4. さすらって
5. 愛の旅人
6. エピソード
7. 水をへだてて
8. 二つの夜
9. ただよう小舟
10. 物語の終わりの朝は

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ジュリーや鉄人バンドのメンバーは、今朝早くに出かけたのかなぁ、と北に思いを馳せながら・・・。
今回も、”「足早に過ぎてゆくこの秋の中で」シリーズ”ということで、「秋」を感じるジュリー・ナンバーのお題にて、拙ブログいつも通りの考察記事を更新します。

さて、「秋」がテーマということで。
(先輩方はお題をパッと見て、「えっ、”藤の花”は春でしょう?」と思われたに違いありませんが、それはそれとしてひとまず読み進めてくださいませ)
前回の『JULIEⅣ~今 僕は倖せです』(9月10日発売)と同様に、今回も幾多のジュリー・アルバムの発売月から「秋」のイメージお題を探してみました。
今日は「10月発売」に着目。
いやぁ、ふさわしいアルバムがありましたね~。

『女たちよ』、10月1日リリース。
これは正しく、「秋」にこそ聴きたいアルバムでしょう!

確かに収録曲それぞれ、歌われている季節は様々。
でも、あの『源氏物語』のコンセプト・アルバムと来れば、じっくりと味わいたい季節はやはり「あはれの秋」ではないでしょうか。短絡的過ぎますかね・・・?
10月1日という「秋」只中の発売。タイムリーに購入しこのアルバムをお聴きになった先輩方も、(ジャケット含めて)楽曲全体に「秋」のイメージを今もお持ちなのでは、と考えたのですがいかがでしょうか?

実は最近、いつもお世話になっているお2人の先輩と、まったく別の機会に立て続けに『女たちよ』が話題に上ったばかりなんですよ。

まず、神戸公演参加の当日・・・僕ら夫婦の姫路散策におつき合いくださった先輩と、新快速(関西と言えばこれ!特急券無しでこんなに猛スピードでカッ飛ばしてくれる電車を僕は他に知りません)に乗って神戸まで引き返す途中、須磨の景色を眺めながら先輩が
「源氏が引きこもってたところだよねぇ・・・」
と。
僕は実はその時、須磨と言うと横溝正史の『悪魔が来りて笛を吹く』のイメージしか残っていなくて、先輩のお言葉で改めて「あ、そうだったなぁ」と思い、脳内では
「みやこ、も、あき、に、なりました、か・・・♪」
と、言葉を切って発音するようなニュアンスの、「さすらって」(源氏の須磨時代を描いたと考えられる曲)のジュリーの色っぽいヴォーカルが流れたものです。

また、その神戸公演のご報告がてらお邪魔させて頂いた別の先輩宅にて、妖艶なジュリーのツアー・パンフレットを見せて頂きながらお話している中、先輩がふと
「最近、『女たちよ』のジュリーの歌に嵌ってるのよ」
と仰いました。
その時手にしていたパンフレットのジュリーの美貌をしげしげと眺めながら、僕の脳内では

あ・・・あぁ・・・あああ・・・あぁ、あんああ・・・♪
Em      D            Bm                     Em

と、「藤いろの恋」イントロのジュリーのあの声が再生されていたのでした。

ところで僕は、『源氏物語』(本の方)は大学時代に一気に読んで以来ご無沙汰です。
田舎の高校で奇跡的に良い先生に出逢えていなかったら(過去に執筆したアルバム6曲目「エピソード」の考察記事にて、末増省吾先生について書かせて頂いております)、全部読んでみようと思うことがあったかどうかすら怪しいのですが。
読了したと言っても、印象の強い部分と弱い部分はあって、最後の薫時代はほとんど覚えてないです。つまり、曲によっては「そう言えばこんな設定、こんなシーンがあったような、無かったような」程度の曖昧な記憶しか持たず・・・ちょっと解釈が消化不良気味の歌詞も正直あります(まぁ、極上のメロディーとジュリーの声だけで、ご飯何杯もおかわりいけますけどね!)
記憶が鮮明なのは、やはりイケイケ(?)の若き源氏、道ならぬ恋に激情ほとばしる前半部ですね。

源氏の「道ならぬ恋・第1弾」(?)・・・藤壺との情愛をモチーフとした曲で、妖美なアルバムが幕を開けます。
今日はその、『女たちよ』のオープニング・ナンバーがお題です。1曲の考察だけでなく、とにかくこの名盤をみなさまに推しまくる!という内容になりますが・・・。
「藤いろの恋」、伝授です!

「エピソード」の記事にも書いたのですが、僕の場合はこのアルバム収録曲(おもに歌詞について)を語る際、ジュリー主演の『源氏物語』を映像としてまったく知らない、という大きなハンデがあります。
そればかりか、当時のジュリーをとりまく環境、人脈についても知らないことだらけ。
ですからそのぶん、ひたすら楽曲自体の考察に向かうしかないのはいつものことですが・・・まずは『源氏物語』をお読みでないかたもいらっしゃるでしょうし、「藤いろの恋」と原作物語とのリンクを整理しましょう。
アルバム収録曲によってはもう一度本を読み返さないといけない曲もあり、僕も偉そうなことは言えないのですが、今回のお題「藤いろの恋」については対象登場人物がハッキリしていますので何とか大丈夫です。

むごいむごい  運命によって仮にも母と
C             D   G                C    D  G

呼ばなければならないひとよ ♪
      C           D         Em

この「母と呼ばなければならないひと」が『源氏物語』の重要な登場人物である藤壺で、彼女は源氏の父親の後妻にあたります(父親の前妻=源氏の実の母親に容姿が瓜二つ、という設定もありました)。
源氏とは義理の母と息子という関係になりましたが、二人は道ならぬ恋に堕ち(源氏の方にもれっきとした奥さんがいます)、子供まで作ってしまうという・・・まぁ現代の感覚からすれば、いきなりドロドロの展開ですよ。
源氏はその後も含めとにかく凄まじい恋愛遍歴を重ねますが、その都度そんな自分(または恋の相手)の運命に「あはれ」を思い慟哭する少年のような脆さを持つ一方、いざ恋愛成就への手管はかなりの剛腕、しかも口説き文句、と言うか弁が達者で

だ     け     ど 男にとって
Am7  Bm7  Em               

                 女はいつも母
Am7  Bm7  Em

だ     け     ど 女にとって
Am7  Bm7  Em

                  男はいつも息子
Am7   Bm7  Em

アアア そうではないのですか ♪
           Am7     Bm7    Em

この「そうではないのですか♪」が僕には源氏のキャラ、ズバリのイメージですね。
美貌をタテに「相手にその気になって頂く」恋の口説き手管とリンクした歌詞だと思います。

主人公・源氏最大の魅力は、年を重ねても常に少年のように無垢で純情で、ある意味我儘で壊れやすい感性を持ち続けている、という面ではないでしょうか。
しかもその感性は「恋愛」というベクトルに特化しているのです。ナルシストで、いわゆる「仕事」については、源氏はバリバリの「デキる男」と言えます(だからモテる、というのも容姿とは別にあるんでしょうな~)。
この「年を重ねても」というのがとても重要で、『女たちよ』のようなコンセプト・アルバムは30代のジュリーが歌ってこそ、だと思います。ジュリーならば10代、20代で同じことをしても素晴らしい作品が生まれていたでしょうが、結果として一番ふさわしい年齢でこのアルバムを作ったんじゃないかなぁ。

さて『女たちよ』の音作りは、「藤いろの恋」イントロのドラムスからして「混沌としたアレンジ」の印象が強く、また全体としてクールな感じもあり、僕は当初CO-CoLo期に近い印象のアルバムだな、と漠然と考えていました(「闇舞踏」とかね)が、よく聴くとかなり違いますね。
まず、ジュリーのヴォーカルが全然違う・・・CO-CoLo期のヴォーカルにはジュリー個人の「主張」があるように思いますが、『女たちよ』では、「提示されたメロディーを追うことだけに集中している」(もちろん、それがまた良いのですよ!)感覚すらあると思います。
僕がこの世で最も愛しているアルバム・・・船乗りの奥さんと道ならぬ恋に堕ちる少年の物語を無心、無垢の状態で歌い、この世のものとは思えないほどの素晴らしいヴォーカルに昇華された『JULIEⅡ』のジュリーの声と、むしろ同じ波長を『女たちよ』にも感じているほどです。
良い意味で「感情」が過多ではない・・・そんなヴォーカルがそのまま曲に乗り移った歌詞解釈として成立しているのが、ジュリーの天賦の才だと思うわけです。

一方『JULIEⅡ』と異なるのは、歌手としてキャリアを積んできたジュリーが「発声の抑揚や強弱」「ブレスのタイミング」といったテクニックを自在に、自然に、クールに歌に織り込めている、という点。
それが当時流行の硬質なアレンジや音作りとマッチしている・・・『女たちよ』の聴けば聴くほど、噛めば噛むほどの「病みつき」的な魅力は、そのあたりに秘密があるのかもしれません。

ジュリーのヴォーカルばかりではなく、高橋睦郎さんの作詞、筒美京平さんの作曲、大村雅朗さんの編曲、エキゾティクスの演奏・・・すべてが「クール」です。『源氏物語』の世界を描くのに、ベッタベタな感情移入は却って興醒めになる、ということなのでしょうか。

「エピソード」の記事にも書いた通り、僕はこのアルバムの収録曲は「詞先」の制作順だったと考えています。高橋さんの詞には、「後に曲がつく」という制約をまったく感じさせませんから。これが「曲先」だとすればそれはそれで凄まじい驚愕の才、と言わねばなりませんが・・・。
となると一層素晴らしいのは筒美さんの作曲です。これほどまでに自由度の高い歌詞、しかもコンセプトがあの『源氏物語』。しかし筒美さんのキャッチーな個性はまったく削がれることはありませんでした。
各曲とも、アレンジや演奏の段階で斬新なアレンジメント・コードやプログラミング手法の導入により、不思議な響きに仕上げられていますが、いざメロディーだけを抜き取ってみますと、明快にポップなコード感があることが分かります。
しかもその上で「クール」な工夫もあるのです。
例えば「藤いろの恋」で言いますと

許されぬ 掟の中の きみは囚われびと ♪
C      D    G            C       D        G

この部分。
メロディーから振り当てられるコード進行は紛れもない、ポップ・チューン王道のそれです。そこで、稀代のヒット・メイカーである筒美さんがいわゆる「シングル・ヒット曲」的な作りをもし志したならば、「きみは囚われびと♪」の箇所に例えば「ソソミラララレシシ~♪」(「レ」は高い方の音)といった感じの音階をつけると思うんですよ。
実際には「ソソソララララシシ~♪」と平坦。
しかしその方が、よりエロティックなのです。「高みに至るまで粘っている」感覚が表現されますからね。
「高み」に当たるのが、先述した「そうではないのですか♪」というメロディー締めくくりの箇所。実際、ここだけスパ~ン!と音域が高くなっています。

「ヒット性に富んでいるメロディー」は時に「あざとさ」が仇となる場合があることを、筒美さんほどの人ならば当然知っています。『女たちよ』の収録曲は総じてその「あざとさ」を徹底的に排除することで、ポップでキャッチーな要素が「隠し味」として表れているのです。
筒美さんのキャリアで、これほど逆説的なポップ・ナンバーは珍しいのではないでしょうか。しかもそれが単発1曲ではなく、アルバム全10曲、1枚に凝縮されているわけですからね・・・。

そんな筒美さんのポップにしてクールなコード感・・・これを大村さんが手管を尽くして、まぁ破天荒にいじり倒しています(無論、それがこの名盤の肝でもあります)。
ひとたびアレンジに耳が行き心奪われると、歌のメロディーと演奏の和音を両立して追いかけることが困難になってくるほど。

このアルバムには、打ち込みのプログラミングが採り入れられています(時代の流行手法です)。
ここで言う「打ち込み」とは、アルバム『生きてたらシアワセ』や『ROCK'N ROLL MARCH』のように、ドラムスの音までを機械に演奏させている、というものではなく、まず機械が制御している骨子のリズムがあって、その上に生演奏のドラムスが載っているパターン(これが「硬質」なイメージの正体とも言えます)。
この場合、土台のリズムに打楽器系をはじめとするサンプリング音を任意のタイミングで自動的に噛ませる・・・等、色々と面白いことができるのですが、『女たちよ』はそんな程度の試みでは済みません。
ギターかキーボードで和音のガイド伴奏を鳴らしておいて、それを聴きながらジュリーが歌う。ヴォーカルを録り終わったら、何とそのガイド和音のニュアンスを思いっきり崩してミックスしてしまう・・・おそらくそんな順序の作業が行われていると考えられます。
敢えて不協スレスレの和音だけを残したり(「愛の旅人」)、しまいには和音そのものをすべて削除してしまったり(「二つの夜」)。アルバムの随所に、凝った仕掛けが満載。もちろん聴き手はそんな理屈を知っている必要はありません。「あれっ」と気づいた時には、僕らはジュリーの歌う旋律を必死に追いかけている・・・そんな効果が大村さんの真の狙いではないでしょうか。

ある意味、無難な王道アレンジ装飾を施す以上に、ジュリーの歌と高橋さんの歌詞、筒美さんのメロディーを際立たせる・・・そんなアレンジとミックス。
そして、それを見事形にしたエキゾティクスの演奏が素晴らしいことは言うまでもありません。
(ちなみにこのアルバムにはエキゾティクスのメンバー以外で白井良明さんのギター・クレジットがありますが、現時点で僕は音でその演奏を聴きわけることができていません。この頃の白井さんなら、相当変態的なギターを弾いてるはずですけど・・・笑)

ただ、何と言っても「藤いろの恋」の場合、最も強烈に印象に残るのは、Aメロ冒頭のジュリーの声でしょうね。

妖しげな太鼓の響きに誘われて、いきなりジュリーの喘ぎ声が炸裂する!

このインパクトに尽きます。
いや、「喘ぎ声」とは言っても、キチンとAメロの音階に載ってはいるんですけど。
普通に詞を伴った「歌」からは入らず、まずジュリーに極上のメロディーをハミングをしてもらう・・・これは誰のアイデアだったのでしょうか。
大村さんのアレンジ?
それとも、筒美さんの作曲段階から(ヴァースの小節数を統一させるために)そうなっていた?
はたまた、高橋さんの詞の冒頭に「Ah・・・」の明記が最初からあって、必然的にAメロの旋律が載った・・・?

いずれにしても、ジュリーの喘ぎ一発でこのアルバム、「これから只事ならぬ物語が始まるぞよ」と言われているようなものですね~。

ところが・・・『女たちよ』はどうやらファンの好みが極端に分かれている作品のようです。
熱烈にこの作品が好きな人もたくさんいらっしゃるのですが、「ちょっと苦手」というイメージを持ち続けているかたも少なくないみたい。「CDで買い直してもいないし、プレイヤーが無いのでレコードでも長い間聴いていない」と仰る先輩もいらっしゃいます。

確かに僕もアルバムを初めて聴いた時には、「なんだろうこれは・・・?」という掴みどころのない感覚を覚えました(今考えると、僕には『JULIEⅡ』ですらそれがあったんだよなぁ・・・自分の好みの「気づき」に鈍いタイプなんでしょうね)。
ある日、何気なしに外部スピーカーでアルバムを通して流していて・・・いきなり「あれっ、何だか凄いぞ!」と覚醒し、すぐに病みつきに、というパターンでした。
それがちょうど今くらいの季節だったように思います。

「あれっ、今のとこ、凄くいいメロディーじゃなかった?」
とか
「おおっ、今のジュリーの歌い方、エロい!」
とか・・・このような”突然のときめき”との出逢いがこれほど素敵なアルバムは、そうそうありませんよ!
もちろん「藤いろの恋」にもそれはあって、僕がこの曲で、「うわ~、こんなにいいメロディーだったんだ!」という”突然のときめき”と出逢った箇所は

闇だけが 二人の思いのかよいあう道 ♪
A7             Cm             G              B7

ホント、気がつくまでには少し
時間がかかったけれど、心底良いメロディーだなぁ、と。
無論、人によってそう感じる楽曲や箇所は様々でしょうが、ある瞬間にいきなりときめく、という感覚はおそらくこのアルバムの醍醐味として誰しもに訪れることがあるのでは・・・と思っています。

僕が今回、敢えて「秋」の曲とは言えない「藤いろの恋」を採り上げたのは、もちろん楽曲単体で素晴らしいこともありますが、この曲は、『女たちよ』に漂うちょっと特殊な音の世界への「耳慣らし」として「1曲目」という重要な役割を担っている、その後に続く名曲達に散りばめられている幾多の「ときめき」をじっくり仕込んでくれている・・・そんな曲のようにも感じているからなんですよ。

今、ポリドールの各アルバムがリマスター再発されてるじゃないですか。思い切ってCD『女たちよ』を買い直すには絶好のタイミングです。
購入しましたら、大変僭越ながらこの記事を肴に、楽な気持ちで「藤いろの恋」を聴きはじめてください。
「藤いろの恋」が終わり、僕の暑苦しい長文から解放された後、2曲目「夕顔 はかないひと」、3曲目「おぼろ月夜だった」・・・と曲が進んでいくと、「あっ?」という”突然のときめき”に出逢えるはずです。
そうなったらもう、アルバムを最後まで聴き通さずにはいられません。いや、今後も「絶対に全曲通しで聴かないと気が済まない」アルバムとして深く愛せるようになることでしょう!
何と言っても、ちょうど「秋」真っ只中の今が、『女たちよ』の魅力に目覚めるには一番良い季節です。

モノは試し、ですよ。
とりあえずは、豪華な歌詞カードだけでも今一度、改めて味わう価値はあると思います。
ほんの1ページぶんだけ添付いたしますと

Onnatatiyo1

ね?
「CD、買ってみようかな?」というお気持ちになってきたんじゃないですか~?

もちろん、「CDは持っているけどなかなか聴かない」と仰るみなさまにも、この機に是非聴き直して頂きたいです。『女たちよ』を熱烈に愛するジュリーファンの末席からではありますが、強く推薦いたします~。


さて、今日は『三年想いよ』南相馬公演当日です。
昨夜、遠征参加される何人かの先輩方に「どうか道中お気をつけて」とメールを差し上げようかと思ったのですが、考えあぐねてやめておきました。なんだか個人的にメールを差し上げるのも空々しいような気がしましたし、今は返信どころではないお気持ちなのかもしれないなぁ、と思ってしまって・・・。
それよりも、遠征の行き帰りの長い旅の道中で先輩方がふとこのブログを覗いてくださることがあったら、「普段通り」に記事更新されていた、という方が良いんじゃないか、喜んでくださるのではないか、と。
そう考えて、昨夜から頑張って記事を書きました。

遅い時間帯の公演で、先輩方のご感想を拝見できるのは明日以降になるのでしょうが・・・楽しみにしています。もちろん、地元の方々はじめ、参加されたみなさまそれぞれのご感想も、ネットで探しまくるつもりです。


それでは次回更新も、「秋」をテーマにお題を考えて・・・いや、実はもう決めているんですけどね。
源氏にも負けない(?)、エロいジュリー・バラードです。
さてどの曲でしょう・・・お楽しみに!

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2014年10月 4日 (土)

沢田研二 「気がかりな奴」

from『JULIEⅣ~今 僕は倖せです』、1972

Julie4

1. 今 僕は倖せです
2. 被害妄想
3. 不良時代
4. 湯屋さん
5. 悲しくなると
6. 古い巣
7. 
8. 怒りの捨て場
9. 一人ベッドで
10. 誕生日
11. ラヴ ソング
12. 気がかりな奴
13. お前なら

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先日オフィシャルサイトで明らかとなったジュリーの2015年お正月LIVEのタイトル・・・みなさまも仰っていますが、すごくイイですね!

昭和90年のVOICE∞

インパクトがあるし、堂々として、オンリーワンのジュリーを感じる!
いつもながらお正月LIVEの告知には、新たな年に向かって、ということもあるのかとてつもないワクワク感があります。まだまだ先の話なんですけどね。
どんな曲を歌ってくれるのかな?

ともあれ、みなさまチケットの払い込みはもうお済みですか?僕の周囲の先輩やJ友さんは「ギリギリまで考える派」のかたが多くて・・・自分のことでもないのにいつもハラハラしています。
その『昭和90年のVOICE∞』公演日程、実は僕にとっては、仕事との兼ね合いを考えるとかなり厳しいスケジュール(そういう人は多いかと思いますが)。なんとか当日は仕事を早退するつもりで初日とファイナルを申し込んだけど・・・大丈夫かなぁ。
大体、初日の抽選に無事通るだろうか。僕はこれまで第1希望会場のハズレは2回、と比較的少ない方だと思う・・・そろそろかなぁ、とも考えます。心配だ~。

そんな中、”「足早に過ぎてゆくこの秋の中で」シリーズ”ということで楽曲考察記事を書きながら、次回参加の『三年想いよ』ツアー・ファイナル、東京国際フォーラム公演まで1ケ月・・・生ジュリー枯れの期間を乗り越えるべく頑張っております。
前回記事「さよならをいう気もない」は、僕が勝手に「秋」をイメージする曲として採り上げましたが、今日は「長いファンのみなさまがタイムリーな記憶と共に「秋」を感じていらっしゃるジュリー・ナンバーは何だろう?」という観点からお題を探してみました。

今回改めて復習してみたのは、これまでのジュリーの名盤の数々・・・そのリリース月です。
ちょっと驚いたのは、『チャコールグレイの肖像』が12月発売だったこと。てっきり、秋真っ盛りのリリースだと思いこんでいました。先行シングル「コバルトの季節の中で」や、ジャケットの枯葉色(?)から勝手に連想していたイメージが強かったせいでしょう。
12月1日発売、というのはあの真冬引きこもり推奨アルバム『LOVE~愛とは不幸をおそれないこと』と同日付になりますか。意外だったな~。

で、「9月」「10月」「11月」の発売ということに着目してみますと・・・膨大な数を誇るジュリー・アルバムですから当然のように多数見つかりまして、「へぇ、そうだったんだ~」と今さらながら思ったのは、『JULIEⅣ~今 僕は倖せです』と『JEWEL JULIE~追憶』が同じ「9月10日」にリリースされていたんですねぇ。
この2枚は、井上バンド(PYG)の演奏をバックに、当時のジュリー・バンド・サウンドとしてのオリジナリティーを前面に押し出した、いわば「姉妹アルバム」。なるほど、リリースの日付が同じというのはスケジュール的な必然だったとは言え、几帳面なジュリーにイメージが被る、とも思えるなぁ。
実際にレコーディングされたのは真夏のことなんでしょうけど、9月という秋の入り口に発売され、楽曲的にも演奏的にも熱心なジュリーファンに愛されやすいこの2枚・・・タイムリーにアルバムを購入された先輩方にとっては、「秋」のイメージ、記憶を残している名盤なのかもしれません。

そこで今日は、『JULIEⅣ~今 僕は倖せです』からお題を採り上げることにしました。
ジュリーの個性的な作曲と、意味深な歌詞がしみじみと味わい深いバラード。
「気がかりな奴」、伝授です!

やはりこの曲は、収録全曲ジュリー作詞・作曲作品で固められている『JULIEⅣ~今 僕は倖せです』の中でも、そのコード進行の独創性や歌詞のアプローチ、そして井上バンドの趣味性の高さが特に際立っている特異なバラードですから、そのあたりの考察を中心に語っていきたいと思います。

まずは、ジュリーの作曲構成について。
参考資料は、長崎の先輩からお借りしているこちら!

Kigakarinayatu


『沢田研二のすべて』より

う~ん・・・この本、相変わらず大らかな採譜だな~。
もちろん、考察の叩き台とするには貴重過ぎるお宝資料で、いつも初期のジュリー・ナンバーを紐解く際には本当に重宝していますけどね!

「気がかりな奴」の場合、この本のコード採譜だとごくごく普通の曲、美しいフォーク・ソングなどでよく見られるコード進行、ってことになってしまってます。
ジュリーの作曲作品というのは、あの堯之さんや銀次さんが驚嘆するほど独特で常識に囚われない進行が最大の魅力なのですから、「普通じゃない」部分は変態的な(褒めてます!)進行を正確に味わいながら弾き語りたいものです。
例えば

水に流した あの時のことは ♪
G     Bm     Am       F      D

この「F」ね。
Aメロでは、まずこれがジュリーらしい進行で、重要なコードです。ここはキチンと採譜しないと!

Aメロは、上記の1行ぶんがちょうどひと塊となって繰り返されるんですけど、これが何と5小節区切りになっている(展開部直前のみ6小節)という・・・普通ならやっぱり4小節の繰り返しで纏めるところでしょうが、ジュリーはそうした「枠」には囚われることがありません。
こうした独特の小節数設定は、後のジュリー作曲のナンバー「めぐり逢う日のために」「裏切り者と朝食を」などの名曲にも引き継がれていきます。

続く展開部(イントロも同進行)も、一風変わっていて

心を強く 生きてて欲しい
Em   F#  G             D

気がかりなのは お前の噂だよ ♪
Em           F#     G        C     D7

この部分、登場するコードからするとAメロと同じト長調のまま調合変化なく採譜は可能ですが、載っているジュリーのメロディーはバリバリにニ長調のニュアンス。こうした何とも不思議な転調感覚は、「四月の雪」「ジョセフィーヌのために」などのナンバーに繋がります。
こんなふうにジュリー作曲作品の系統を分析するのは、とても楽しい!

そして、「噂だよ♪」の箇所でしれっとト長調のニュアンスに舞い戻ってる・・・これまた独特のメロディー。
ここでの「C→D7」がト長調のサブ・ドミナント→ドミナントとなって「やれやれ、何だかあちこち飛び回ったけどこれでGに戻るんだな」と思いきや

だけど信じたい いつの日か ♪
Cm    G            A           D7

この「Cm」がまた不思議な登場の仕方で・・・「一旦フェイント!」みたいな。
「いつの日か♪」の「D7」を経てようやく椅子に座り直したような感覚となり、曲は落ち着きます。
しかしこんな風変わりな曲が、ひとたび若きジュリーのあの無垢な透き通る声で歌われると・・・当時のジュリーの言動や環境を象徴するバラードとして、多くのファンの耳に自然に溶け込んでいったのでしょうね。

次に、詞に込められたメッセージについて。
『JULIEⅣ~今 僕は倖せです』のジュリーの詞はすべてプライヴェート色が濃いのですが、その根幹にあるのは、ジュリーの「歌人生」への目覚めです。
当時の様々な資料、インタビュー記事などを読むと、ジュリーが「自分は生涯歌を歌っていくんだ」とキッパリ考え始めたのは1972年だったのではないか、と考えられます(きっかけとなったのが、71年末の日生リサイタルの大成功だったのではないでしょうか)。

ことさら結婚のことなどを話題にしたがるメディアに対して、「いや、結婚はいずれするよ・・・でもとにかく僕は今、仕事(歌)が一番大事なんだ!」と力説し、ファンに対しても正直なメッセージを送り始めた・・・それは、間違いなく1972年から。
PYG存続に拘りつつも、ソロ歌手としての立ち位置を自覚する・・・そんな心境の只中で制作されたアルバムの自作詞は、「歌うことの歓び」と共に「今、音楽に身を捧げている自分をとりまく仲間達」への思いを綴った作品がいくつも見られます。
もちろん井上バンドの面々・・・当然ショーケンのことも念頭に作られた詞もあるでしょう(「お前なら」がそうかな?と考えていますがいかがでしょうか。自分自身へのエール、という考えも捨て難いですが・・・)。
ならば「気がかりな奴」も、ジュリーに近しい”音楽仲間”へのメッセージかもしれません。
ただ、「湯屋さん」「誕生日」「お前なら」などのナンバーと比べると、そのアプローチには微妙な温度差が感じられます。「かつてすぐ近くにいたけれど、今は少し距離のある音楽仲間」の誰か・・・ではないでしょうか。

違う光を  見てた二人だけど
G     Bm  Am        F       D

いつか同じ  道で逢うだろう ♪
G        Bm  Am      F      D

もう数年前になりますが・・・どの曲の記事だったでしょうか、頂いたコメントでこの曲に触れてくださった先輩がいらして、「トッポのことを歌っているように思える」と仰っていたんです。
確かに、そんな感じの詞なんですよね。
ジュリーのキャラクターを考えると(僕がそんなふうに言うのは10年では済まないくらい早いですが)、「ジュリーがトッポのことを詞に書いたりするものかな」とも思うのですが、もしそうした心境にジュリーがなったとすれば、ズバリこの「ソロ歌手」の自覚が芽生えた時期なんじゃないかなぁ。

ジュリーとは別の場所で「歌人生」を歩み出していた、かつてのザ・タイガースの仲間、トッポ。
この頃の雑誌インタビューでは「ピー以外のメンバーとはしょっちゅう会ってる」という発言も。頻度の差はあれど、トッポとの交流も無かったわけではないみたい。

一方で、シンプルに考えると、トッポ以外のタイガースのメンバーでは、タローもこの歌詞にあてはまるのかも・・・。タローだとすると「違う光を見てた」という歌詞部に違和感はあるんですけど
(←トッポだと無いのか汗)
「気がかりな奴」リリースの翌73年、森本太郎とスーパースターが結成され、”必殺シリーズ”の時代劇『助け人走る』の主題歌「望郷の旅」を引っさげて、タローはジュリーの歩んでいる「この道」に戻ってきました。
Mママ様からお借りしている資料をご紹介しましょう。

Img690

Img691

ジュリー、何とも言えず嬉しそうなんですよね。かつての仲間が、同じステージにライバルとして一躍乗り込んできたことが、本当に嬉しいみたいです。
2011~12年のツアーで、ジュリーはゲストのタローの紹介をする際「解散の後、アルファベッツというバンドをやっていたんですがうまくいかなくて・・・」と冗談っぽく言っていたりしましたが、1972年当時、それは正にジュリーの「気がかり」だったのかもしれません。
だからこそ、翌年のタローの再躍進を我が事のように喜んだのではないでしょうか。
深読み過ぎるかなぁ。
そもそも、ジュリーがタローのことを「奴」とは言わないか
(←トッポなら言うのか汗)
いずれにしましても・・・

だけど待っている いつの日か
Cm    G               A           D7

この道で 又逢う  時を ♪
G     Bm  Am  F  D  G

当時のジュリーの様々な発言から考えても、曲の最後を締めくくる部分で登場する「この道」というフレーズは、今のジュリーが言う「歌人生」に違いありません。
でも、この曲で「誰のことを歌っている」というのは、結局ファンからは分からないですよね。
だからこそ、素晴らしい曲なのですし・・・。

素晴らしい、と言えば井上バンドの演奏。
アルバム収録曲は、堯之さんと大野さんがほぼ半分ずつの曲のアレンジを担当していますが、「気がかりな奴」は大野さんです。
もうね、当時の大野さんの趣味性が濃厚に反映されているな、と。大野さん、きっとプログレッシブ・ロックに相当入れ込んでいたんじゃないかなぁ。
イントロをはじめ、「ここぞ」という時に鐘の音が噛んでくるじゃないですか。これがジュリーの不思議なコード進行にメチャクチャ合っていて、最高に痺れます。間奏のソロがピアノではなくオルガン、というのも曲想にピッタリで良いですね~。

ひとつひとつの楽器パートもそれぞれ渋い名演で、スタジオでシビアに意見を交わし合いながら練り上げていったんだろうなぁ、という雰囲気が出ています。
和製ニュー・ロックとしてスタートしたPYGが、週刊誌などではその「形骸化」であったり、メンバーの結婚の噂であったり・・・本質とはズレた部分で話題となってしまっている中で、こんなに肉感的な「音」を残していたことに改めて感動を覚えます。
特に堯之さんのギターは・・・このアルバムはどの曲もそうですが、「らしい」演奏だと思うんです。僕は後追いのジュリーファンで、どんなギターが「堯之さんらしい」のかもまだ分かっていない部分はあるけれど、トコトン頑固に「自分らしさ」に拘る人でなければこうはならないよなぁ、というギターの映像や音源を、ずいぶん観たり聴いたりしてきています。
先日テレビ東京で流れていた「危険なふたり」(映像自体は78年のもの)なんかもね・・・「みんなが知ってるシングルレコードは、俺の音じゃないよ!」と念押ししているような演奏なんですよ。

それが『JULIEⅣ~今 僕は倖せです』では、レコーディング段階から自分の音、という点で井上バンドにとって相当意義深いアルバムだったのでは・・・?
同じことは『JEWEL JULIE~追憶』にも言えますね。


最後に。
今、僕にとってとにかく「気がかりな」と言えば・・・ジュリーの『三年想いよ』南相馬公演のことです。

もちろんその前に明日の岡山公演もありますし、いつものようにそちらも気になります。ただ、自分が参加しないLIVE
の日が近づくに連れてドキドキしてくる、という南相馬公演への気持ちは、まったく初めての経験。
「意識し過ぎ」と笑う人もいらっしゃるけど、「意識しない」なんてできるもんだろうか。南相馬というその地にジュリーが、鉄人バンドが立つ、というだけでどれほどのことかと僕などは考え、変な言い方だけど「怖気づいている」ような。だって・・・南相馬で「一握り人の罪」「櫻舗道」「三年想いよ」「F.
A.P.P」が歌われるんですよ。
でも、案外ジュリー達は自然体で「いつも通り」なのかもしれないし、そうであることを願ってもいるし・・・まぁ、きっと僕は気が小さいのでしょうね。

正直、僕も行きたかった・・・。
自分の目で見る、となれば「覚悟を決める」という感じでその日を迎えるのかな、と想像していました。
チケットの情報を検索しますと、まだ空席がある、ということも気になっています。
公演日が平日だとしても、せめて金曜日とかであれば僕も強引に1日有給休暇をとって参加したと思うなぁ。まぁでも、これは言っても仕方ない。
本来、ジュリーも地元の人達に観てもらいたい、ということが一番でしょうし。

幸い、何人かの大好きな先輩方が遠征参加される予定と聞いています。それぞれの素晴らしい感性で、LIVEの感想を文章で読ませて頂いたり、この先お会いした際に詳しくお話を伺ったりできるでしょう。
本当に楽しみ・・・いや今は、「気がかり」。本当に「気がかり」という言葉がピッタリきます。

ここへきて、天気の心配も出てきています。
当日、会場が満員になりますように。
LIVEに参加されるみなさまが無事に到着され、素晴らしい秋の1日の思い出となることを願っています。


それでは、今日のオマケです!
『JULIEⅣ~今 僕は倖せです』からお題を選んだ際の最近の恒例になっている『女学生の友』連載の『フォトポエム』から、第8回「わかれ」。
「8月に(ショーケンと)行ったギリシャ旅行」への言及があることから、アルバム・リリース直後くらいにジュリーが原稿を仕上げた回なんじゃないかな~。

Photopoem81

Photopoem82


ということで今回の記事も、コンパクトに書くつもりがやっぱり大長文になってしまっています(汗)。

次回更新が南相馬公演の前になるのか後になるのかまだ分かりませんが・・・僕としても「いつも通り」のスタイルを志したいものです。
引き続き、「秋を感じる曲」のお題を探します!

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