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2014年9月

2014年9月30日 (火)

沢田研二 「さよならをいう気もない」

from『思いきり気障な人生』、1977

Omoikirikiza

1. 思いきり気障な人生
2. あなたに今夜はワインをふりかけ
3. 再会
4. さよならをいう気もない
5. ラム酒入りのオレンジ
6. 勝手にしやがれ
7. サムライ
8. ナイフをとれよ
9. 憎みきれないろくでなし
10. ママ......

from『ROYAL STRAIGHT FLUSH 2』
original released on single、1977


Royal2

1. ス・ト・リ・ッ・パ・-
2. おまえがパラダイス
3. 恋のバッド・チューニング
4. TOKIO
5. OH!ギャル
6. ウインクでさよなら
7. 渚のラブレター
8. 酒場でDABADA
9. ロンリー・ウルフ
10. さよならをいう気もない
11. 立ちどまるな ふりむくな
12. コバルトの季節の中で

----------------------

秋ですね~。
『三年想いよ』ツアー参加がファイナルの東京国際フォーラムまで1ケ月お預けの拙ブログでは、しばらくの間”「足早に過ぎてゆくこの秋の中で」シリーズ”と銘打ちまして、僕が勝手に「秋」のイメージを持っている、或いはジュリーファンのみなさまにとって「秋」のイメージがあるんじゃないかと考えられるジュリーの名曲群から、時代を行き来するような感じでお題を採り上げ、マイペースで考察記事を書いていこうと思います。

今日はまず、お題とは関係の無いプチ情報から。

ジュリーファンの先輩方って凄まじく検索能力が高い方がたくさんいらして、どんな所であろうと、どんなに小さなことであろうと、「沢田研二」がほんの少しでも世間の話題になれば、どこかしらで情報が得られるものだ、とよく聞きます。
そんな中、「さすがにこんな細かい話はまだ誰も知らないんじゃないかなぁ」と思い、先日僕が偶然得た小さな「沢田研二の話題」をここでご紹介しましょう。

僕はかなりの将棋ファンなのですが、去る9月20日に『電王戦タッグマッチ2014』という大きな将棋イベントが、華々しく幕を開けました。
これは、人間のプロ棋士とコンピューターソフトがタッグを組んでトーナメントを戦う(今や将棋コンピューターソフトの能力はトッププロのレベルにまで到達し、群雄割拠の各ソフト開発者がさらなる性能向上へしのぎを削っています)大会。異なる開発者のソフトがそれぞれ、過去の「人間対コンピューター」対局で勝負した棋士をはじめ、話題性の高いプロ棋士と手を組み、今度は人間の力を借りて将棋ソフト業界のトップを目指す、という主旨なのです。

23日に行われたBブロック・トーナメントは、ソフトとタッグを結成するのが若い世代の棋士ということで特に注目されましたが、そこで実況放送の解説者の一人として登場したのが、プロ棋士の豊川孝弘七段。
豊川七段はもちろん本業の将棋も強いですが、、解説者としてメチャクチャ個性のある人で、「対局を解説しながら寒すぎるオヤジギャグを連発して、聞き手の女流棋士の笑顔を凍らせる」という独自の芸風(?)が、将棋ファンの絶大な人気を集めているお方(普段からこんな感じの解説をされています)。
電王戦は通常の棋戦とは違いショーアップされた芸能色の強いイベントですから(もちろん真剣勝負ですけどね)、豊川七段も「何故自分がこの大会の解説に起用されたか」を充分心得ていらして、いつもの何倍ものペースで果敢にオヤジギャグを飛ばしまくりました。
例えば
「(局面の検討などについて、自分は)コンピューターソフトを使うことはナイチンゲール!」
など、視聴者を凍りつかせるベッタベタなギャグが容赦なく連発される中で、突如

沢田研二じゃないけど、右手にやねうら王!

という、奇々怪々なギャグが炸裂。
会場の関係者、全国の視聴者が「はて・・・?」と戸惑ったことでしょう。だってこれ、ジュリーと将棋両方に詳しくないと絶対に理解できない類のネタですから。

「やねうら王」というのは、その時豊川七段が解説を担当した対局を戦っていた将棋ソフトの名前。
ギャグの元ネタは、「サムライ」の「片手に、ピストル♪」の箇所かと思われます。
さらに言うと、この対局で「やねうら王」とタッグを組んでいた佐藤紳哉六段というのがまた超・個性派として有名な棋士で(こういうことこういうことをする人)、豊川七段は佐藤六段のキャラクターまで加味して、「サムライ」と例えたわけです。
豊川先生、細かすぎるよ・・・(笑)。

さて、その豊川七段は、僕と同世代(1967年の早生まれですから、学年は同じです)。
僕らの世代は、特にジュリーファンでもない限りまず最初に「スーパースター・沢田研二」を認識するのは「勝手にしやがれ」大ヒットの時です(豊川七段は棋界でも屈指の「体育会系」「ガキ大将系」ですし、おそらく小学生時代には先頭きって同級生男子の帽子を「いったきりならしあわせになるがい~い~♪」と歌いながら奪い取り、放り投げていたのではないでしょうか)。
ただ、それ以前のジュリーのシングル・ヒットについては、「危険なふたり」「時の過ぎゆくままに」を人によって僅かな例外とするにしても、タイムリーな映像記憶をほとんど持っていません。
その代わり、多感な少年期をあの歌番組全盛の時代に過ごしており、「勝手にしやがれ」以降数年間のジュリーのシングルを「自然に覚えてしまっている」という特異な共通体験を持つ・・・そういう世代です。
今回豊川七段がネタにした「サムライ」も、当然そうした中の1曲ということになります。

となると、僕や豊川七段の世代が「よく覚えていない頃」ギリギリのジュリー・ヒット・シングルとは・・・。
それが今日のお題。
「さよならをいう気もない」、伝授です!

これはシングルが1977年2月1日発売ですから、タイムリーなファンのみなさまにとっては、「秋」じゃなくて「真冬」のイメージなのかな~。
僕は後追いだからでしょうか・・・「秋らしい曲」だと感じています。特に阿久さんの詞の印象がね・・・。
過ぎゆく時の儚さ、悲しさに対する人間の「無力」感。ただ見送るしかできない・・・季節の過ぎる速さ。
「春」「夏」「秋」「冬」が短距離走をやったら、「秋」がダントツで一番速いと思うんですよ(どういう例えだ?)。

でもそんな季節の流れの悲しさなどよりもずっと儚い、やるせない心情の在り様を女性視点で切りとり、「悲し過ぎて見送る(さよならをいう)ことすらできない」と歌った名曲・・・そう、重要なのは「さよならをいう気もない」が完全な「女性視点」の詞だということです。
いや、この曲以前にも安井かずみさんの詞などに女性視点の曲は多々あったわけですが、ここまで明快に「狙った」のはこの曲が最初なのでは?
詞の冒頭からハッキリしていますものね。男はハイヒールを履きませんから(まぁ、中野や秋葉原ではたまにそういう人を見かけたりもしますが・・・)。
阿久さんが中心となって仕掛けた、ジュリーの新境地としてのシングル・リリースだったのでしょう。

曲が女性視点なのですから、当然衣装も・・・ということで(?)あの有名な”金キャミ”ジュリーが降臨!
実は僕はまったく服飾センスというものが無く、ジュリー堕ち当初はあの衣装が「女性っぽい」とすら感じたことがなかったという・・・(汗)。
今でこそ「さよならをいう気もない」=「女性の色気を纏った金キャミジュリー」と認識してはいますが、それも頭で勉強して得た「知識」に過ぎません。
ただ、多くのジュリーファンのお姉さん達があの衣装に萌えまくっていらしたことは今は重々叩きこまれています。だいたい、カミさんが元々「You Tube金キャミ堕ち」なのですからね・・・。


そして、何処の会場でしたか・・・今ツアーのMCでジュリーが”金キャミ”について語ってくれた公演があったそうじゃないですか!てっきり、「後半のセトリ入れ替えでこの曲あるぞ!」なんて考えてしまいましたよ・・・。
ジュリーにとっても、「TOKIO」の落下傘と同じくらいに自分自身でインパクトを感じていた、思い出の衣装のひとつだったということでしょうか。

ですから、「さよならをいう気もない」はジュリーやタイムリーのファンのみなさまにとって、今も「かなり強烈な印象が残っているヒット曲」のはず。
ところが(特にジュリーファンというわけではなかった)僕の世代にとっては、「勝手にしやがれ」直前の、記憶のエアポケットに入ってしまっている・・・正直「隠れたヒットシングル」という立ち位置の曲だったのです。

僕には2005年~06年に”第1期ジュリー堕ち”時代というのがあって、ポリドール期のジュリーのアルバムを友人のYOKO君と競うようにして一気に聴きまくっていたんですけど、『思いきり気障な人生』について
「凄いよなぁ・・・「勝手にしやがれ」「憎みきれないろくでなし」「サムライ」「あなたに今夜はワインをふりかけ」の有名曲が4曲も1枚に入ってるアルバムだぜ!」
とYOKO君に言って
「あんた、「さよならをいう気もない」忘れてるよ!」
と、笑いながら怒られたことを思い出します。
「あなたに今夜はワインをふりかけ」は確かに有名な曲ですが、シングルとしてはB面。本来「大ヒット・シングル満載のアルバム」ということで『思いきり気障な人生』を語るならば、「あなたに今夜は~」の代わりに「さよならをいう気もない」を挙げるべきだろう、というYOKO君の尤もな指摘です。

その後、僕は躊躇いなくこの曲を「名曲!」と言えるようにはなりましたが、再評価がずいぶん遅れてしまっていたシングル曲のひとつ、ということで今回記事執筆にあたって改めて気合を入れて聴くと・・・女性視点の歌詞こともありますが、これは色々と特徴のある、語るべき点の多い名曲だったのだと分かります。
阿久=大野ナンバーの王道のような曲想ですから、「あぁ、あの時代のジュリーらしい感じだな」と以前の僕などは思ってしまっていたわけですが、リリース当時先輩方は「こう来たか!」と驚嘆された曲だったのかもしれない、と今になって考え直しているところです。

それでは、「さよならをいう気もない」・・・今日の記事ではその素晴らしい演奏、ミックス処理についての考察を中心に語っていくことにしましょう。
丁寧に聴いて、新たな発見も多かったですよ!

みなさまご存知のように、この曲はシングルとアルバムとではヴァージョンが異なります。2つのヴァージョンをじっくり聴き比べると、様々な発見があり楽しく想像を膨らませることができます。
最も目立った違いは、エンディング。これは分かり易いですよね。特に演奏に注意せず聴いていても、みなさまアルバム購入時に「エンディングでピアノの見せ場が増えているなぁ」と自然に気づかれたことでしょう。

マスター完成の順序は、リリース時期から考えても間違いなくシングル・ヴァージョンの方が先ですよね。
ただ、よ~く聴いているとこの2つのテイク、「アルバムとシングルで、同じレコーディング・トラックを使用してるんじゃないか」と思われるんです。つまり、「アルバムのために新たにレコーディングした」のではなく、「シングル・リリースの際のレコーディング・トラックを、アルバム制作時に新たにミックスし直した」ということです。

アルバム・ヴァージョンの演奏トラックを、ミックス配置別にすべて書き出してみますと

(左寄りのミックス)
・マラカス
・吸い込む感じの音色のシェイカー
・タンバリン①

・チェンバロっぽい音色のシンセサイザー
・ピアノ①
・アコースティック・ギター
・エレキギター①
(センター寄りのミックス)
・ベース
・エレキギター②
・ストリングス
(右寄りのミックス)
・ドラムス
・ピアノ②
・エレキギター③
・タンバリン②
・ラテン・パーカッション

となっています。
みなさま、「さよならをいう気もない」はジュリーのヴォーカルがメインでド~ン!と耳に入ってくる感じで、バックの演奏は「いたってシンプルだ」という印象をお持ちではなかったですか?
実は、こんなに多くの音が鳴っているんですよ。

しかもそれぞれ、入魂の演奏です。
ところが、そんな演奏をトラックによっては敢えて目立たなく「退かせる」ミックス手法というものが、この時代にはあったわけです。
今の音楽って、すべての演奏トラックが均等に大音量でガンガン鳴っていて、かえって味気なくなっているパターンが多いと思いませんか?

さてこの曲。
マスタリングの使用が同一の演奏トラックだとして(十中八九そうだと思いますが)、シングルとアルバムそれぞれのヴァージョンでミックス処理(音が聴こえてくる位置の左右の配し方など)が異なるパートがあります。
繊細な配置で多数の音のバランスをとり、拡がりを持たせたアルバム・ヴァージョンに対し、シングルのミックスは「中央に厚みを持たせた」感じです(ちなみに「厚みを持たせる」というのは、将棋対局での作戦・陣形を表現する際によく使われる表現です)。
シングル・ヴァージョンは当然ラジオでも頻繁に流れることになりますから、当時の状況を考えれば「モノラル放送にも適した」ミックス処理がなされているのです。
そう考えると、今まで「なんでこんな極端にモノラルっぽい仕上がりにしちゃったんだろう」と不思議だった「ダーリング」や「OH!ギャル」といったシングル・ヒット曲のミックス処理にも大納得。特に「OH!ギャル」については「ミックス、もうちょっと何とかならんかったのかな~」なんて考えていた時期もあって、恥ずかしい話、僕自身が「現代の」大味なミックスをヘッドフォンで聴く行為に毒されていたのだ、ということ。
気づくのが遅過ぎです(汗)。

アルバム・ヴァージョンで確認できるすべての演奏トラックは、ミックス配置こそ違えどシングル・ヴァージョンにも全く同じ音として探し当てることができますが、中には、本当によ~く耳を凝らさないと耳に入ってこないトラックもあります。
例えば、左サイドの「ピアノ①」。
これは、イントロや1番と2番の間の伴奏部で「チャランチャラン♪」と小気味良いアクセントをつけている右サイドの「ピアノ②」(シングル・ヴァージョンではセンターのミックス)とは別の演奏トラックです。

さよならをいう気もない 悲し過ぎて ♪
     C            Am             B7      Em

の箇所で、アルペジオっぽい美しいメロディーを奏でているピアノ・・・アルバム・ヴァージョンではかなり目立っていますよね。
僕は最初、「シングルとアルバムは別のレコーディングで、シングルにはこのピアノのトラックが無いんだな」と思い込んでいましたが、本っ当によく注意すると、メチャクチャ小さい音なんですが同じ演奏がシングル・ヴァージョンの左サイドにも聴きとれるんですよ。
これは、「音量を小さくミックスした」のではなく、「フェーダーは完全に0設定であり、聴こえているのは別の楽器パートのトラックが(同時演奏中に?)拾っている音」かと思われます。この時代特有の現象です。
そしてこの音を発見したことで、この曲の2つのヴァージョンが「レコーディング違い」ではなく「ミックス違い」である、との考察根拠が強まりました。

さらに言えば、この「ピアノ①」のトラックは、アルバム・ヴァージョンの大きな聴かせ所であるアウトロの豪快なピアノ・ソロ(激しいロック寄りのタッチから考えて、羽田健太郎さんではなく大野さんの演奏ではないでしょうか。『太陽にほえろ!』の挿入歌である「デューク刑事のテーマ」での大野さんのピアノ・ソロのタッチと酷似しています)をも含んでおり、シングル・ヴァージョンではそのソロに到達する前にフェイド・アウトとなり曲が終わっています。

「ピアノ①」とは逆に、シングル・ヴァージョンではハッキリ聴こえている音で、アルバム・ヴァージョンの方で聴き取りが難しくなっているトラックが

男と女は   いつも悲しい手さぐりで
   Am       D         G                 Em

心のやすらぎ 求め合うけれど
  Am      B7           Em

季節を見送る    詩人のように ♪
      Am          D    G    B7   Em

の箇所で左サイドに登場する、吸い込むような音色のシェイカーです。
こちらは、アルバム・ヴァージョンのミックスの際に音量設定が絞られているものと考えられます。
また、左サイドのアコースティック・ギター、右サイドの「エレキギター③」の各バッキング・トラックも、アルバム・ヴァージョンでは極端に音量が抑えられています。

これらすべてが素晴らしく入魂の演奏であるのに、シングルなのか、アルバムなのかに応じて容赦なく音量を絞られている・・・その徹底したプロモート戦略に、昭和歌謡曲トップの凄みがあるのではないでしょうか。
「さよならをいう気もない」の場合は、「シングルは派手に、分かり易く」「アルバムは緻密に、深みを持たせて」という狙いが感じられますね。

では、次にジュリーのヴォーカルについて。
いやぁ、やっぱり素晴らしいですね!

加瀬さんに刷り込まれた、というわけでもないでしょうが、この頃になるとジュリー自身に
「俺は”あ~あ♪”が得意!」
という自覚が出てきているように思えるのですが(笑)。

「君をのせて」の時に加瀬さんが「あ~あ♪ってところがいかにも沢田らしい!」と絶賛、ジュリー曰く
「その後ワタシは”あ~あ”と歌う曲が多くなりました」
と語った話はファンの間では有名ですけど、「さよならをいう気もない」はその中でも「あ~あ♪」づくし度が高いシングルと言えますよね~。
あまりに次から次へ「あ~あ♪」が登場するので、2番になるとジュリーが「よっしゃ、来たぁ!」と一層渾身の「あ~あ♪」を炸裂させているように感じます。

ハイヒールを両手に下げて 歩き出す
      Em                                   Am

あゝ この場所へはとまれない いたくない
   D                              B7                Em

ミュージカルの場面のようにおかしくて
        Am             D                 G

あゝ だけど私 歌えない 踊れない ♪
   F            B7                          Em

う~ん、ひょっとしたらこれは、「沢田、この曲ではお前は女なんだ。女として歌うんだ!」という制作側の指示があって、ジュリーがヴォーカル録りで「あ~あ♪」にその重点を置いて歌った、とも考えられるかなぁ。
いずれにしても、このニュアンスはジュリーしか出せません。一般人がカラオケで歌ったら、どんなに上手い人でも「あ~あ♪」のトコだけマヌケになっちゃうかも。

一般世間、というか音楽業界の「歌謡曲かくありき」とガチガチに頭を固められていた人達が、「あれっ、沢田研二って実は歌も音楽も凄いんじゃない?」と気づき始めたのは「時の過ぎゆくままに」の75年頃だったと思われます(「危険なふたり」の73年頃は、週刊誌などの資料を読むとまだそういう雰囲気は感じません)。
それは、阿久さんの描く男女の情念(後に、男のダンディズム)と、大野さんの作り出す短調進行王道(日本人は元々短調が好きなのです。これは国内と海外の有名な”子守歌”を聴き比べれば明白です)の楽曲が、ジュリーのあの突出した容姿と奇跡のようにマッチし、ここへきて初めてあの美貌が「歌を歌う上での最大の武器」なのだと誰の目にも認識された、ということなのだと僕は思っています。

「立ちどまるな ふりむくな」「さよならをいう気もない」を経た期間、ジュリーは阿久=大野ナンバーを熟成させ、遂に「勝手にしやがれ」で小学生の男子にまでその魅力を知らしめ、完全に頂点に立ちました。
ですから、この時代のジュリーが「歌謡曲」と評されることを僕らは誇りに思います。ジュリーが「歌謡曲」にカテゴライズされるのではなく、ジュリーが「歌謡曲」の概念を作り変えてしまったのです。
そしてその上で、頭の固かった(と想像します)「歌謡曲」既存の体制や概念を塗り替えるほどのジュリーの実力と歴史、歌手人生をして「ジュリー=ロック」と表現したいなぁ、と僕は今思うのですが・・・どうでしょうか。


案の定、今回も長くなってしまいました。
次回はもう少しコンパクトに・・・引き続き「足早に過ぎゆく秋」を思わせる、爽快なお題を探します。
でも、もう記事は書いてしまっているけど、やっぱり「秋」のジュリー・ナンバーと言えば・・・真っ先に「コバルトの季節の中で」が思い浮かぶんですよね~。
みなさまはいかがですか?


P.S.
情報の早いジュリーファンのみなさまのことですから、もうご存知のかたも多いでしょうが・・・リンクフリーだそうですのでこちらでもご紹介させて頂きたいと思います。

死にたくなったら沢田研二に会いにいけ。心底、励まされる

拝見していて、泣きそうになりました・・・。
佐藤睦さんもそうですけど、何故こんなに自然に、突然に出逢ったあのジュリーのステージの神髄、人間的魅力に辿り着き、これだけの短い文章でそれを明快に語れてしまうんだろう?
無駄に大長文の僕は、こんな人に憧れることしきりです。

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2014年9月26日 (金)

2014.9.13神戸国際会館こくさいホール 沢田研二『三年想いよ』セットリスト&完全レポ

9月26日、無事にレポを書き終わりました。毎度毎度大長文になってしまいすみません・・・。
いつものように、更新日付を執筆終了の26日へと移動させて頂きます。長々とおつき合いくださりありがとうございました!

(追記)
ちょうどこの神戸レポを書き終えたその日に、朝本浩文さん重篤のニュースを知りました。
『ジュリー祭り』直後、熱病にうなされたように聴きまくった、それまで未聴だったジュリーの名曲群・・・「サーモスタットな夏」「PEARL HARBOR LOVE STORY」「30th Anniversary Club Soda」「緑色の部屋」。朝本さんの作曲作品に、どれほど感動させられたことか。
また素晴らしい曲を作って欲しい・・・なんとかお元気に回復されますよう、お祈り申し上げます。

☆    ☆    ☆

行ってきました、初の神戸こくさいホール!
”関西ジュリー”は『3月8日の雲~カガヤケイノチ』びわ湖公演以来、本当に久々です。

今回は、カミさんの実家での法事も合わせて、ちょっとしたプチ旅行です。その初日の夜がジュリーLIVEというスケジュールでしたが、当日お昼には早々と新幹線で姫路駅に到着。
いつもお世話になっている先輩も合流してくださり、初めて姫路城を見てきました。
以下、レポ本編の前に、ちょこっとだけ旅日記を。
(ホントにちょっとだけですから・・・すみません汗)

大河ドラマの影響で、駅からドド~ン!と直線距離で見える姫路城までの道のりは、すっかり勘兵衛モード。
勘兵衛って、あんなにイケメンな筈はないけどなぁ。光成の扱いも酷いし・・・と僕は今回の大河はイマイチの印象ですが、カミさんのお母さん曰く「不細工が主人公だと誰も見いひんでしょ」とのことで納得です。

Himeji1


姫路駅前。この大通りのつきあたりがお城です。

Img2002

姫路城と好古園のセット入場券。

ランチは好古園内の和食のお店で、盛り蕎麦と穴子天のセットを頂きました。

Himeji4


明石をはじめ、この近辺は穴子が有名なんですってね。

Himeji5

好古園内。

Himeji3


お城はただいま改装工事中です。真っ白です!


さぁさぁ、余計な話はこのくらいにしましょう。

この日は遠征先の会場ということで、普段なかなかお会いすることのできない先輩とご挨拶できました。わざわざ僕の席まで訪ねてきてくださった方々も・・・。
みなさまお変わりなく、懐かしくて、楽しくて・・・本当にありがとうございました。
そして、今回初めてご挨拶させて頂いた方々・・・みなさま、お会いする前から想像していた通りの印象の素敵なジュリーファンでいらっしゃいました。嬉しかった!これからも、どうぞよろしくお願い申し上げます。そうそう、aiju様、「息子ほどの年齢」とはいくらなんでもサービスし過ぎ、褒め過ぎですよ~(汗)。

広い会場に満員のお客さんで混雑していたにも関わらず、終演後にも偶然が重なって、夏に一般のタイガースファンの先輩のLIVEでお知り合いになったばかりのジュリーファンの先輩と再会が叶ったり、saba様のブログでお馴染みの某Y嬢様にもバッタリ。Y嬢様は、これからバスで高知へ向かうと仰っていました。どうぞこの先も道中お気をつけて・・・いつも各地のジュリーの様子を伝えてくださり、本当に感謝しています。

さて、この神戸遠征で僕ら夫婦はちょっと珍しいお席を澤會さんから頂いていました。
中2階R列の3番と4番。これは1階席と2階席の中間左右に設置されたバルコニー席で、柴山さん側がR、下山さんがLという仕組み。これまで名古屋、確かびわ湖もそうだったかな・・・そんな構造の会場を見てきて、「あの出っ張った席の中で、一番ステージに近い中2階席の最前ブロックって、どんなふうにステージや会場が見渡せるんだろう?」と興味深々だったんですけど、この日の神戸公演でズバリそのお席に恵まれたのです。

僕らの授かったバルコニー・エリアの席は、R列の1番から4番まで。椅子は4つしかありません。着席してみますと、これがまぁちょっとしたVIP待遇気分です。
この特殊な席でまず助かったのは、荷物のこと。
僕らは今回、カミさんの実家帰省も兼ねての2泊3日の遠征。その初日のこの日は、着替えやら何やらを詰め込んだ大きな荷物を2つ抱えて会場入りしてしまいました。
で、会場内のコインロッカーに行ってみたら・・・荷物が大き過ぎて収納できなかったんですよ。
さて困った、とそのまま席に向かうと、座席後ろに広いスペースがあり他のお客さんの邪魔にもならず余裕で大きな荷物が置けるという・・・ステージは近いし、前に誰もいない、後ろにも誰もいない、会場内は一望できる。最高のシチュエーション!

結果、曲によっては泰輝さんの鍵盤を双眼鏡で上から見下ろしてガン見(席が思ったよりも低い位置で、完全に上から見える、という感じではありませんでしたが)したり、会場を埋め尽くしたお客さんの盛り上がりをステージ目線(横からですけどね)で堪能したり・・・いつもとは違う楽しみ方ができました。
長いジュリーファンの先輩方も、まだこの特等のバルコニー席を体験していらっしゃらない方は多いでしょう。この先もしそんなお席のチケットが来たら、大いに期待して良いですよ~。本当に素晴らしい席でした!

今回は、そんな珍しい位置から見た会場の光景なども交えて、張り切ってレポを書いていきたいと思います。
それではいつものように、演奏順にまいります。
開演!

1曲目「そのキスが欲しい」

Reallyloveya

開演前の心構えでは・・・わずか4人でワンブロックという特殊なバルコニー席だったので、自分だけスタンディングというのもなんだか恥ずかしいですし、場合によっては最後まで着席の状態でじっくり楽しむことになるかな、と考えていました。
ところが!
「そのキスが欲しい♪」のS.E.一発で同ブロックのお姉さまがお二人とも立ち上がってくださったので、僕も遠慮なくこの1曲目からスタンディングで飛ばすことに。
ありがたや~。

さて、この日のジュリーの声は、僕の印象ですと1曲目から全開、「憎みきれないろくでなし」までは絶好調。珍しく「我が窮状」でちょっと喉がいがらっぽい、というのか苦しくなってきて、「届かない花々」で復活、新曲は圧巻、その後は高音が登場する曲でかなり苦労していたかな、という感じでした。
でもね。
先日の渋谷に参加したYOKO君の名言を借りますと
「ジュリーってここへきて更にハードル上げてるでしょ?常人じゃ無理。あの鉄人達を従えてるだけのことはあるよ!」と。
その歌声は、唯一無比の存在感を以って、この神戸でも満員のお客さんを魅了したのでした。

この曲の間奏で早々に気づいたんですけど、席が完全に上手側寄りの位置だったせいか、下山さんのギターの音が小さく、聴き取り辛かったのがちょっと残念。
でもジュリーはよく見える!
お馴染みのアクション、比類無きテンション。
ジュリーwith鉄人バンド、今日もカッコイイぞ~。

2曲目「
彼女はデリケート

Gsiloveyou

イントロ、3人の横並びの見え方が最高!
角度が壮観でした。真正面から観るよりもインパクトがあったんじゃないかなぁ。
豪快な短距離走ダッシュのようなジュリー、リズミカルで走り幅跳びの助走のような柴山さん・・・この2人が”その場駆け足”スタイルだったのに対し、下山さんは軽く股を広げて両足着地の”その場跳びトランポリン”状態です。
今まで、てっきり下山さんも駆け足の動きだと思い込んでいましたが、違ったんですね・・・。
(後註:うっかりしていました。下山さん、渋谷初日&大宮では”その場お嬢走り”でしたね)

サビでのジュリーの小動物闊歩アクションと、マイクをお客さんに突き出す「コーラス来い!」のポーズは健在。みなさんそうかと思いますが、今ツアーから始まった(?)この曲のこの動き、僕は本当に好きだなぁ。
嬉々としてコーラスを返していると、泰輝さんがこっちをニコニコしながら見ていたような気がしました。ステージからだと、この辺りの中2階最前席ってちょうど目が行きやすい角度なのかなぁ、と思ったり。

曲が終わっての「デリケイ!」連呼はどんどん濃厚になっていきますね。
楽しげにジュリーにレスポンスする満員のお客さん。
途中で
「ま~だ分かってない人がいる。デ・リ・ケ・イ・ト!」
と念押しした後の「デリケイデリケイデリケイ・・・!」では、自分の声の反響を宙で追いかける仕草も。
散々シャウトしてから「息が、整いました」。

ところで、この曲の作曲者である佐野元春さんについて、ぴょんた様のブログにてBSプレミアムの特番の情報を教えて頂きました(
こちら)。
「行方不明だったマスターテープが発掘された」
この一文だけで、僕はメチャクチャときめきます。
自分が一番多感だった時期に『VISITORS』という凄まじいアルバムに出逢えたことは、本当にラッキーだったと今でも思っています。全8曲すべてがシングルになっている(B面合わせて計4枚)というのが凄い。
アルバムにはジュリーと特に関連する曲の収録はありませんが、ジュリーで言うと後のCO-Colo期までの音作りも含めて、80年代後半へ向かう日本ロック界に大きな指針となった伝説的な名盤ですので、興味のあるかたは是非!

3曲目「
鼓動

Iikazeyofuke

この日はセットリスト中で何と4曲について
「え~~っ?!」
とひっくり返ってしまった新たな発見・・・と言うか驚いたことがありました。ただ、そのうちの1つ目「鼓動」、2つ目「追憶」については、いずれも未だハッキリした「答」を結論づけるに至っておらず・・・という状況です。
まずは「鼓動」。

ジュリーのヴォーカルは、初日、大宮よりも素晴らしかったと思います。「鼓動」に限らず、セットリスト序盤のその伸びやかな声は、まだ耳に残っているくらい。
で、最後のサビに突入した「鼓動」のジュリーの声をうっとりしながら聴いていると・・・
「あれっ、転調が無かった?」
と。
この曲、最後にダメ押しのせり上がり転調があるじゃないですか。それが無く、最初のキーのままで曲の最後まで続けていた・・・僕にはそう聴こえたのです。
後で先輩方にお聞きしますと、月初めの渋谷では転調はあった、と仰るし、まさかツアー途中で転調をやめるアレンジ改変なんてしないんじゃないか、と今では自分の耳に自信を無くしています。
勘違いだったのかなぁ。
でも、最後のサビのリフレインに行く箇所で「え~~っ?!」と思ったことは確かなんだよなぁ・・・どなたか、ハッキリ覚えているかたはいらっしゃいませんか?

しかも直後のMCで、恒例の「お医者さんに止められてる」シリーズでこの日新たに
「転調のある曲は、転調するな、と言われています」
というのが加わったんですよね。
「鼓動」のことかなぁ、と思ったのですが・・・。

いずれにしましても、今ツアーで3度僕が聴いてきた「鼓動」の中で、この日が一番素晴らしいヴォーカルだったということは確かです。
柴山さんのソロも最高。この曲では前方にせり出さずに、定位置で腰をくねらせながら弾いているのですね。

~MC~

歌い終わったジュリー、いつものように「それでは」とスタスタ帰ろうとします。
笑いながら戻ってきて「いやぁ・・・3曲歌っただけで疲れちゃって」と。

ここまでは今ツアーお馴染みのパターンですが、神戸はこの先が長かった~(そのせいか、アンコール前のMCが短めになっていました)。
何故ジュリーが「もう帰ろう」と思ったかと言いますと。
「途中まで見てたんですけどね・・・今日、阪神・・・ボロ負け」とことさら大げさに肩を落とします。
う、嬉しい・・・これぞ関西限定、阪神嘆きネタ!
「17対3ですよ・・・」
には、お客さんが「え~~っ?」と反応。さすが神戸、お客さんもほとんどが阪神ファンというわけですか~。

「解説がね、岡田元監督、金本(元)選手、赤星(元)選手・・・もうあまりにボロ負けなんで、”解説”じゃないんですよ。自分らが優勝した時の話しかせえへん!そんな話をしている中、相手にどんどん点が入るんですよ!」

「(来季は)監督は変えた方がいいね・・・やってることの意味が分からん。”さ”がついてないから、(自分の考えとは)差があるんですよ」
と、これは隣のカミさんあたりはチンプンカンプンだったでしょうが、和田監督に”さ”がついていたら”さわだ”、という昨年来のネタのヴァリエーションですね。

しかし、多くの阪神ファン同様、とうとうジュリーも堪忍袋の緒が切れましたか・・・去年は「Rock 黄 Wind」を歌いながら「さぁ、和田!さぁ、和田!さわだ~!」なんて張り切って絶叫してたのにねぇ。
少し前に、来季は掛布さんがコーチ入閣、なんて情報があったけど、和田さんの下に掛布さん、というのは無理があるよなぁ。シンプルに「掛布監督」じゃダメなのかな。まぁそれも、やってみないとどう転ぶかは分からないですけど・・・。
僕個人は、矢野新監督を中心に一気に若返るのがイイと思いますけどね~。ただ、矢野さんはプロゴルファー転向を目指す勢い、なんて話を去年聞いた記憶がありますが、本当なんですかね?

ジュリーは「ほとほと今年の阪神は・・・」といった悩ましげな顔で「もう・・・本当に帰っていいですか?」と。
もちろん冗談ですから、会場のお客さんはそんなジュリーの言葉に爆笑するばかりです。

恒例の「お医者さんに止められてる」シリーズは、会場ごとにヴァリエーションが広がっているようですね。この日は先述しました通り、「転調するな」が増えました。
ちなみに聞くところによりますと、何ですか、高知公演では遂に、「痩せろと言われている」という重大な告白があったとか・・・(笑)?

神戸でも「この日を楽しみにしてくれてありがとう!」の名台詞が飛び出し、最初の長めのMCは大きな拍手と共に終わりました。
会場の、和やかな中にも客席との阿吽の呼吸がある雰囲気は、いかにも関西ですね。

4曲目「
a. b. c... i love you

Sinpurunaeienn

僕はこの曲からしばしの双眼鏡タイム。ほとんどのお客さんはジュリーと一緒に”おいっちに体操”に参加ですが、個人的にはこの曲にあの動きは合ってないように思うんですよね・・・。いや、ジュリーは完璧ですよ。ちゃんと16ビートのグルーヴで拳を上げ下げしてるんですが、どうも僕は上手くそれに乗りきれなくて。油断してやってると、いつの間にか倍速になってたり(汗)。

ということで鉄人バンド・チェック!
単音は下山さん、裏拍カッティングが柴山さん。
泰輝さんはこのリズムでも余裕だな~。身体を激しく動かすわけでもないのに、しっかり16分音符のニュアンスをサラリと表現してくれます。
GRACE姉さんは意識的に後ノリにしている感じでしょうか。基本はエイトビートの刻みですが、ハイハットとキック・・・両足のペダルの踏み込みで16ビートを体現。オカズで瞬時に跳ねまくります。

鉄人バンドのそれぞれの演奏を見ていると、飛び跳ねるようにしてジュリーが視界に入ってくるシーンが多々。それだけ激しく動き回っている、ということですね。
エンディングでは、今ツアーお馴染みの「C.C.RIDER!」のシャウトもありました。

5曲目「海にむけて」

Rocknrollmarch

ジュリーのヴォーカル、素晴らしかったです。大宮公演では何か「感極まる」感じの歌声でしたが、この日はストレートに、無垢に、伸びやかに歌っていました。
この曲は加瀬さんの曲先で、ジュリーの歌詞が後だったそうです。制作時の思いはまた別にあったのでしょうが、ジュリーは今、歌詞を作った時のことを思い出したりして、現在病気療養中の加瀬さんに伝えたい「思い」が表れているのかなぁ。
その歌声はまるで、僕がこの世で最も愛しているアルバム『JULIEⅡ』のヴォーカルを聴いているみたいなんですよね・・・。

初日渋谷、さらにその後の大宮ではチェックできていなかったGRACE姉さんのドラムスもこの日はじっくり観ることができました。この曲の肝である「スコ~ン!」という刻み・・・大宮のレポで僕は、基本のドラムセットとは別のパーカッションをセッティングしているんじゃないか、なんて書いたんですが、違いました。
GRACE姉さんは、スネアのリム・ショットであの涼やかな音を出しているのです。
これはオリジナル音源が機械音であるだけに、LIVEの刻みが説得力を増しているように感じます。
普通のリムショットでよくあんなに美しい音が出せるなぁ・・・。当たり前ですが、さすがはプロのドラマーです。GRACE姉さん、カッコイイ!

そしてこの神戸で初めて気づいたのは・・・この曲、柴山さんのフィードバックで終わっています!
「三年想いよ」「いくつかの場面」でもエンディングはフィードバックを奏でる柴山さんですが、その2曲では他楽器に合わせてピタッ、と音を切って終わります。でも、「海にむけて」ではただ一人、フィードバックで最後まで音を残しているのです。
その残響は、今回ジュリーがこの曲を採り上げた「思い」に共鳴しているかのようです。さすがは柴山さん・・・これこそ「海にむけた」ギターではないでしょうか。

6曲目「
憎みきれないろくでなし

Omoikirikiza

これまた懺悔・・・大宮のレポで、いかにも柴山さんがこの曲のリフを弾いているような感じで書いてしまっていますが、いわゆる「リフ」(じゃかじゃかじゃんじゃん、じゃんじゃらじゃららん♪ってヤツ)は、下山さんの担当です!あまりにも余裕な表情で弾きまくる下山さんなのでした~。
柴山さんは、歌メロ部は基本コード・バッキング(全っ然フレット見てないです)。この配置は、きっと下山さんがベース・パートをカバーする意味もあるのでしょうね。
ただ、間奏で瞬時に運指を切り替えステージ最前方までカッ飛んできてソロを弾くのは、間違いなく柴山さん。真紅に染まり、うねる腰&ぬおる口。素晴らしい!
GRACE姉さんは、カウベルとハイハットを入れ替え立ち替え熱演。しかもコーラスまで・・・これまた素晴らしい。

隣のお姉さんは、サビでジュリーに合わせて”指グリグリ~”をやってくれました。僕はやらないんですけど、こういう状況はとても嬉しいのです。知らないかたなのに、メチャクチャ親近感が沸いてきます。
思い出すなぁ、東京ドーム『ジュリー祭り』。あの時も隣のお姉さんが同じように「グリグリ~」とやってくれてて、「凄いなぁ。ファンとしての密度が違うなぁ」と感じ入ったものです。あの時のお姉さん、このブログ読んでくださったりはしてないかなぁ。いつか直接お礼を申し上げたい!とても楽しかったです、と。

ジュリーの、オリジナルとは違うニュアンスの歌い方(「憎みきれない~♪」ではなく、「憎みきれなぁ~ぃ♪」と歌います)にも違和感は無くなってきました。
むしろ今の粘っこいブルース風の歌い方の方が、身体の動きとは合ってるんじゃないかな~。

7曲目「追憶」

Julie8

さてさて再び鉄人バンドのガン見だ~・・・イントロのGRACE姉さんのタムはどんな感じかな、と双眼鏡を構えますと、はからずも柴山さんに照準が。「おお~っ」とそのまま指の動きを追いかけ、歌メロに突入。
その瞬間、僕はひっくり返りそうになりましたよ。「鼓動」に続く2曲目のビックリ・タイム。

「え・・・柴山さん、7フレット?」

そう、柴山さんが「じゃら~ん♪」と弾いたのは、間違いなく7フレットでの「Em」のフォームでした。
つまり、原曲キーの演奏ということ。
おかしい・・・大宮ではこれが5フレットの「Dm」だったはず。あの時見間違えたのか、それとも今、見間違っているのか?と、しげしげと柴山さんのフォーム移動を追いかけますが・・・目に飛び込んでくるフォームは「Em」「Am」「D」・・・やはりこれらはオリジナル・キーでしか登場し得ないコード。
キー下げてない・・・のか?
必死で、不完全な脳内絶対音感をフル稼働。僕は才が無いのでまったく自信は持てないんですけど、原曲とは違うキーのように聴こえます。ジュリーの声も、低音にドスが効いているように感じられます。
いやいや、音階については僕の耳を信用してはダメだ・・・にしてもこれは一体どういうこと?

まず聴きながら考えたのは
・ツアー中、何処かのタイミングで原キーに戻した
・ツアーの最初から原キーでの演奏で、僕の大宮公演が完全な見間違いだった
という2つの可能性。

ところが・・・これは実は10曲目「届かない花々」の時にハッと思い当たったことなんですが、第3の可能性もあります。それは
・少なくともこの日は、柴山さんが1音下げの特殊なチューニングで臨んでいた(実際には、押さえているフレットよりも1音低い音が鳴っている)
という考え方。

突拍子もない・・・と思われるかもしれません。しかし僕はこの日の「届かない花々」で、鉄人バンドのギタリスト2人による驚愕の演奏パターンを確認しました。「追憶」のキーについて後からあれこれ考えたのは、その光景を目の当たりにしたからです。
このことについては、後で「届かない花々」の項で詳しく書かせて頂きますね。

神戸以来ずっと考え込んでいるのは、柴山さんや下山さんにとって、曲に応じて、またツアーに応じて「ギターをチェンジする意味」とは何ぞや、と。
もちろん、「ス・ト・リ・ッパ・-」ではアームが必要だからジャズマスターにチェンジする・・・こういうパターンは分かり易いです。でも、ひょっとしたら他にも色々な理由があるのかもしれないなぁ、と。
例えば、SGで良いはずの「ダーリング」が何故今ツアーではジャズマスターなのか。
「ダーリング」はそうではない、と思っていますが、もしも特殊なチューニングによるギター・チェンジというパターンがあるならば、ギターを替えた該当曲のみならず、その前後のセットリストとの関連性まで考える必要があります。

ともあれ、実際にはジュリーが「追憶」を歌っている間はそこまでのことは考えられず、ひたすら「あっれ~?」と首をかしげながら時間が過ぎてしまいました。
おかげで、GRACE姉さんの豪快なタムも確認できませんでしたし、ジュリーの袖から白い鳩が飛び出してくるイメージがこの日は沸かなかった・・・勿体ない!

8曲目「
そっとくちづけを

Ikitetarasiawase

この日、カミさんの「ベスト」はこの曲だったそうです。
本当に、ジュリーのヴォーカルも鉄人バンドの演奏も素晴らしかった・・・ただそれだけ書けば良いんですけど、後から考えれば、この曲の演奏にも色々と謎があるわけです。これまた後の「届かない花々」の項で詳しく書きますけど。
お正月の『ひとりぼっちのバラード』ではTVイエローだった柴山さん、今ツアーではSGじゃないですか。で、先日若い男性ジュリーファンのミュージシャンの方のブログを拝見して初めて知ったんですが、柴山さんはこの曲をカポタストをつけて演奏したこともあるのだそうです。
果たしてカポタストでの演奏の時と、無しの時とでコード・フォームは同じでしょうか。僕からすると、同じである方が考えにくいことなんです。
スライド・ギターを採り入れている曲ならば尚更のこと。オープン・チューニングの可能性だって大いにあります。もしそうだとすれば、イントロから1番の歌メロ部でのアルペジオは神技どころではありませんけどね。

どうやら鉄人バンドの演奏には、僕らファンには知り得ない色々な秘密がありそうです。しかもそれらはすべて、「ジュリーの歌」に合わせてその都度編み出されているのだ、ということも言えると思います。
ジュリーが、鉄人バンドを離さないわけですよ。

神戸では、泰輝さんのコーラスがよく聴こえたなぁ。お正月『ひとりぼっちのバラード』渋谷初日の感動を思い出しました。
「鼓動」の転調については「自分の記憶違いかなぁ」とどうにも結論がハッキリせずモヤモヤが溜まっていますが、この曲は間違いなく最後のサビのリフレインで転調していましたね。泰輝さんは顔色ひとつ変えず熱唱でしたけど、転調の瞬間のコーラス・パートが凄く難易度高そうだ・・・。

9曲目「我が窮状」

Rocknrollmarch

これまで、「我が窮状」のジュリーの歌声は聴くごとに美しくなっていくなぁ、と思っていました。
この日の「我が窮状」は、その意味ではひと味違っていました。荒々しいと言うのか、猛々しいと言うのか・・・僕にはそんなふうに感じられたのです。

この曲では本当に珍しいことなのですが、ジュリーの喉に少し異変が起こっているようでした。声を伸ばすと、引っかかるような、掠れるような感じになり、最初は「あっ!大丈夫かな?」と心配になるほどでした。

しかしさすがは百戦錬磨のジュリーですよ。途中から歌い方を変えたのです。
母音を長く伸ばす際には、まず直前の子音を発声してからいったん力を抜き、母音部は最初は小さく、伸ばすごとに声量を高めていく感じで歌います。さらにロングトーンの最後には、ハッキリと「音を切る」声を出すのです。強引に文字で表記しますと
「宝だぁぁぁあああ、つ♪」
という感じ。伝わるかなぁ・・・。

そんなジュリーの歌い方もあってか、先述のようにこの日の「我が窮状」に僕は”迫力”を感じました。

ツアーが終わったら”セットリストを振り返る”シリーズにてこの曲の考察記事を書くつもりで、今色々と勉強していますが・・・僕の場合は「自分とは真逆の考え方を知る」ことを踏まえてから、しっかりした声を上げたいというのが大きなテーマです。これまで、そうした反対意見に耳を傾けることを避けてきましたから。
そして様々な考え方を知るたびに、その都度行き着く「自分の考え」は、やはり不動です。
どんな理由であれ、戦争はダメだ、と。
例えば、「不戦を掲げた憲法を持つ国は世界にたくさんあって、それらの国はその上で集団的自衛権を認めている。だから日本もそうすべきだ」という考え方があるけれど、僕は日本の9条というのは、たとえ後づけであっても、あの忌まわしい大戦を体験した人達によってこの国独自の”精神”を纏ってここまでに至り、僕らを護ってきてくれたのだろうと思っています。
だからジュリーはそんな精神への敬意を以って「この麗しい国日本に生まれ、誇りも感じている」とまず歌っているのではないでしょうか。

「声なき声よ集え」というフレーズについての僕なりの解釈も、どうやら纏まってきました。
これから「我が窮状」の記事を書くまでの残された時間も、違う考え方も真剣に勉強し耳を傾け、ひとつずつ糧として消化し、精進するつもりです。

10曲目「
届かない花々

Croquemadame

さぁ、この曲の項は長くなりますよ~。
これまで何度も生で聴いてきた「届かない花々」。LIVEで聴いた回数は、”お馴染みのヒット曲”の数々に勝るとも劣らない・・・それほどセットリスト採用率が高い、すなわちジュリーの中で重要な位置を占め、大切な曲のひとつ。
まさかここへきて、驚天動地の再発見があろうとは。

「そっとくちづけを」「我が窮状」ではじっとジュリーの歌声に集中して自然体で聴きましたが、この曲ではジュリーの細かいゼスチャーを見たいと思い、双眼鏡を手にしました。覗きこむと、先程と同じくまず柴山さんにピントが合いました。
ビックリしました。

「え・・・ト長調?」

イントロで柴山さんの押さえていたコードは、3フレット。ハイ・ポジションの「C→G」の循環。
これは、キーが「G」(ト長調)であることを示しています。

この曲は、オリジナル・キーが「B♭」(変ロ長調)。ただ、『ジュリー祭り』以降はずっと半音下げの「A」(イ長調)で演奏されていました。下山さんのアコギをガン見することが多かったですから確かです。僕が生で観たこの曲での下山さんは常に、歌メロからAメロで「D→A」とコード循環させていましたから。
でもこの日、双眼鏡越しに見えた柴山さんの弾くコードは「C→G」。何度確かめても3フレット。
「今回、さらに1音キーを下げてきたのか・・・」
まずその時僕はそう思いました。

「ってことは、下山さんのあのGのローコード・フォームが見られるってことかぁ~」
と、今度は下山さんにピントを合わせますと。
何と、明らかに「D→A」と弾いているではありませんか。
「あれえっ?!」
と、今一度柴山さんガン見。やっぱり「G」。ならば、ともう一度下山さん。やっぱり「A」。
(左隣のカミさんや、右隣のお姉さんからしますと、この時僕は相当不審な動きをしていたと思います汗)
アコギの下山さんは、ローコードで「D→A」。エレキの柴山さんはハイコードで「C→G」。間違いない、そう弾いています。つまりこれは・・・。


柴山さんのSGが1音上げ、もしくは下山さんのアコギが1音下げのチューニングなんだ!


待てよ・・・柴山さんはいつからSGだっけ。
「追憶」がジャズマスターだから、「そっとくちづけを」からだ。「我が窮状」ではギターは弾いていないけど、そのままSGを抱えていたはず。ってことは、「そっとくちづけを」も1音上げのチューニングだったってことになる?
じゃあ、じゃあ・・・「そっとくちづけを」の弾き方は、お正月とは違っているのか。わざわざ1音上げて違うコードでアルペジオ?そんな面倒なことをするものかな・・・いや待て待て、あの曲はスライドギターが出てくるから、オープン・チューニングだとしたらどうだ?あり得る!今まで、スライドバーをあてがったまま弾く後半部のアルペジオが神技だと思ってたけど、こうなると逆だ。前半部の指で弾く方のアルペジオが神技なのか?

そうか・・・「追憶」の演奏中にローディーさんがSGのチューニング設定を直していたのかな。だから「追憶」ではジャズマスターにチェンジしなきゃいけないんだ。
いや、いや、待て待て。となると「追憶」のジャズマスターも通常のチューニングとか決めつけられない。絶対音感をお持ちのNasia様が、「追憶」と共に「ス・ト・リ・ッ・パ・-」でキーを下げてるように感じた、とブログで書いていらっしゃった。僕は大宮公演で、柴山さんのコードだけを見て「ス・ト・リ・ッ・パ・-は原曲キーでの演奏」だったと断じてしまったけれど、チューニングのことまで考えなかった。
そもそも「ス・ト・リ・ッ・パ・-」のギターは6弦開放が命じゃないか。とすれば、たとえジュリーが歌うキーを下げても、ギターはチューニングを1音下げにして演奏するのがごく自然なセッティングじゃないか。「ス・ト・リ・ッ・パ・-」が1音下げなら、「追憶」だってそうじゃないのか。ひょっとしたら「ダーリング」もそうなのか?

いやいやいや!待て待て待てい!
「届かない花々」の柴山さんのSGが1音上げのチューニングだとすると、この先SGで弾き通す「危険なふたり」までの全曲が1音上げ状態のままの演奏、ってことになるぞ。さすがにそんなことはあり得ない。
ならば今ツアーの「届かない花々」はやっぱり「G」までキーを下げていて、下山さんのアコギの方が1音下げのチューニングなのか。
でも、「届かない花々」はいつもと同じキーに聴こえる。これまで観てきたこの曲で、ジュリーが「A」のキーで苦しそうだった、ってイメージも無かったし。やっぱり柴山さんがチューニングを上げてるのか?

ダメだ・・・絶対音感も持たない僕がいくら考えても結論は出ない。第一、こんなふうに理屈ばかり考えてたら、せっかくのジュリーLIVEに集中できなくなる。
もう、今はキーのことを考えるのはやめよう。LIVEが終わってからあれこれ考えてみよう!

・・・とまぁ、だいたいこのくらいのことを、ジュリーが「届かない花々」の1番を歌い終わる頃までには考え終えていたという・・・人間の脳って不思議ですよねぇ。

ということで、この後の新曲以降は、キーの確認とかまったくしていません。かえって、新曲~セットリスト後半に向けて集中力が高まったから良かったのかな、と振り返ってみれば思いますが、今は色々なことが気にかかっていることも事実。
そこで!
今後の各会場ご参加のみなさま・・・特に柴山さんのファンのみなさまに、可能であれば以下のポイントのチェックをお願いしたいのです。
「届かない花々」の直後、つまり新曲紹介のジュリーの短いMCの間に、SGを持つ柴山さんに「改めてチューニング直し」的な動きがなかったかどうか。もしくは一度ローディーさんがSGを持って舞台袖に引き上げなかったかどうか(「櫻舗道」の時とか)。
もしそのような動きがあれば、「届かない花々」での変則チューニングは柴山さんの方、そんな動きが無ければ下山さんの方、と判断できます。
みなさまのご伝授、お待ちしております。

さて、「届かない花々」。
僕がジュリーの歌に集中したのは2番以降となってしまいましたが、ヴォーカル、素晴らしかったです。「我が窮状」でちょっと掠れてしまっていた喉は、この曲では復活していたみたい。
今ツアーのセットリスト、新曲4曲と共にジュリーの「ひたむきさ」「媚びのなさ」「気取らなさ」「必死さ」が強く感じられる曲・・・たくさんあります。
「海に向けて」「そっとくちづけを」「我が窮状」。そして「届かない花々」も当然そうした1曲ですよね。

(後註:書いた後から気がつきましたが、柴山さん、この曲以降ですと「一握り人の罪」で一度アコギにチェンジしていますね。ということは、「そっとくちづけを」から「東京五輪ありがとう」までがSGの1音上げチューニングとも考えられますが・・・Amの曲をわざわざGmのスケールで弾くかなぁ。やっぱり分からない・・・)

~MC~

「ちょっと待ってね」と、キュートな仕草のジュリー。
こう言ってドラムセットの前まで行き、「よいしょ」と言いながら上着を脱ぐ、というスタイルが、いつの間にか今ツアー恒例のパターンとなっているようですね。
その間ブツブツと何やら独り言を、というのも。
で、神戸ではね。

「今頃、27点くらいとられてるんとちゃうか・・・」
「(和田監督の)やってることの意味が分からん・・・」

とか、阪神ネタで愚痴っておいて、上半身シャツ姿となりお客さんの方に向き直りながら
「あ、何か聞こえましたか?」
と(笑)。

会場を和ませてくれてから、改めて新曲の紹介です。
「鉄人バンドのメンバーに曲を作ってもらって、それに私が詞を載せました」
「被災地すべてのために歌います」

11曲目「東京五輪ありがとう

Sannenomoiyo

シャツ姿となって一層「可愛さ」が増すジュリー。反して、歌うは豪快なメッセージ・ソング。
ここ3年の『PRAY FOR EAST JAPAN』をテーマとした3枚の作品・・・リリース時の年のツアー1度きりのセットリスト入りとなる曲もあれば、その後のツアーでも取り上げられる曲もあるでしょう。
今のところそれは「F.
A.P.P」1曲のみにとどまっていますが、「東京五輪ありがとう」は、数年先のセットリスト入りが考えられる曲だと思います。

「決まったからには被災地のために・・・」
ジュリーがこの歌を歌ってくれたおかげで、僕らは本質を忘れずにいられます。
現在、五輪招致に向けた準備が着々と進んでいますが、世間は今のところはまだ静かです。
これが「あと2年」「あと1年」となった時、五輪招致開催は再び大きなニュースとなり、皆がその話題をするようになるでしょう。
その時、被災地のことを僕らは思いだせるのか。復興は成ったのか。まだまだなのか。
よもや忘れてはいまいか。

ジュリーファンなら、きっとこの曲を思い出すでしょう。被災地のことを忘れてはいないでしょう。
それが、この曲の意義です。
ジュリーも、タイミングを見ていつかまたこの曲をセットリストに採り上げてくれるのではないでしょうか。

これは柴山さんの作曲作品なので、てっきり柴山さんもバリバリにコーラス参加していると思い込んでいましたが、僕の見たコーラス・パートのシーンに限っては、柴山さんはギターの演奏に集中していたみたい。泰輝さんとGRACE姉さんの2人でコーラスを担っているように見えました。

12曲目「一握り人の罪

Sannenomoiyo_2

ということで、現地及び「届かない花々」の項をバ~ッと書いた時にはうっかりしていましたが、この曲で柴山さんはアコギにチェンジしています。
従って、先述しました「櫻舗道」でローディーさんが柴山さんのSGを持って下がるかどうか、のチェックの話は無しです~。その線は完全に消えました。

さてみなさま、『ロックジェット58号』の佐藤睦さんの盛岡公演レポートはお読みになりましたか?
例のアルバムレビューの連載第2回については、初回と比べてずいぶん改善されたとは言え、まだまだ残念な点も残されています。でも佐藤さんの文章は本当に素晴らしい・・・モノクロ写真2ページを加えた佐藤さんのLIVEレポート部だけでも、ジュリーファンはこの本を購入する価値があるのではないでしょうか。
特に、この「一握り人の罪」について書いていらした佐藤さんのピュアな感性には、感動するとともに大いに考えさせられるものがありました。

人々の、地域の明るい未来を照らしたはずの原発。あの震災で過酷な事故を体験した我々日本人。
僕はてっきり、国は「もう原発はこりごりだ」と毅然と舵を取るものとばかり思っていましたが、世の動きはここ数ヵ月、さらにも増して原発再稼働へと向かっています。その先鋒が、僕の故郷・鹿児島県の「せんちゃん」(九州電力川内第一、第二原発)です。
僕も色々とアンテナを巡らし、「再稼働推進派」の考え方も心情的には分かってきました。九州電力にしろ、県にしろ、地元の推進派の人達にしろ、結局はお金と生活の問題があるのです。その境遇を我が身に置き換え考えてみれば、推進意見を持つ方々の気持ち、生活が立ちゆかなくなってしまっている方々の気持ちは、完全否定などできるはずがない、とは思っています。

しかし一方で・・・これが「経済界」という話になると、僕にはどうも分からない。僕は様々なベクトルの意見を知るためできる限り多くの新聞を読みますが、この問題について明確に「推進」であるのは経済系の新聞です。ただ、読んでも「何故再稼働なのか」のハッキリした論調、志が掴めません。
そんな中で、川内原発再稼働について説明責任があるのは九電ばかりの話ではない、と僕は最近思い始めました。九電は、再稼働したいに決まっている。県もそう。その理由も、理解することはできます。
ただし、「経済」を盾にしている国は、未だ「こういうことだから再稼働するべきなのだ」と明確に説明できていませんよね。それをしないと、僕などはどうしても「国の思惑はきっと”一握り人”のための再稼働なんだ」と思ってしまうよ・・・。

例えば、「30キロ圏までの病院、福祉施設の避難計画査定」が国の指針であるのに、鹿児島県の伊藤知事は、「当面は原発の半径10キロ圏で充分」との認識を示しました。この点だけでも国との乖離があり、本来ならば国は再稼働を許すべきではありません。
なのに、再稼働へ向けての話がどんどん進んでいくのは何故なのでしょう。
これは、病院側、福祉施設側が「避難計画を立てたくとも立てられず(車椅子が必要な方、寝たきりの方など、全員を一度に遠距離まで搬送できない)困惑している状態」を受けての「10キロ圏内ならなんとか」という緩和であり実態です。
伊藤知事はハッキリと「30キロ圏の計画査定は現実的ではない」と発言しましたからね。

ところが最近、避難受け入れ先のひとつでもある熊本県水俣にて、水俣病患者のみなさんが正式に「反原発の会」を結成。
「経済優先で大きな被害が出たのは水俣病も東京電力福島第一原発も同じ」だと声を上げました。そして、病人であったり高齢者であったり・・・身体的弱者が「逃げる」ことの大変さ、難しさを訴えています。

避難計画査定を(強引に)通せたとしても、他でもないその避難計画の受け入れ先となっている地でハッキリと「再稼働反対」の声が上がっている状況を、果たして無視できるものなのでしょうか。
もうこうなると、九電の主張がどうの、という話ではなくなっているんですよ。再稼働する、と言うなら、国がキチンと全国民にその理由を説明をしないといけない。
僕は故郷の心配をしながら、そう思っているところ。これは今、現在進行形の話なのです。

長々とこんなことを書いて、ごめんなさいね。
田舎の片隅のニュースなので、全国報道では色々なことが割愛されているものですから、つい・・・。

「我が窮状」の声掠れのこともあって、「ジュリーの喉は今日本調子じゃないのかな・・・」と心配していましたが、「一握り人の罪」のヴォーカルを聴いて「凄い!喉は絶好調じゃないか!」と思いました。
でも、次の「櫻舗道」は「一握り人の罪」以上だと思いましたし、その次の「三年想いよ」は「櫻舗道」以上だと感じました。
結論から言えば、すべてのセットリストを聴き終わって「やっぱり今日は声は本調子というわけではなかったのかな」と僕には思われました。しかし、「一握り人の罪」「櫻舗道」「三年想いよ」の3曲を歌っている間は「絶好調だ!」と感じた・・・これは事実です。
新曲を歌うジュリー、恐るべしなのです。

柴山さんと下山さんのアコギ・アンサンブルも相変わらずの素晴らしさ。柴山さんはハイコードで、ガツン!と刻むような感じ。対して下山さんはローコードで、撫でるような感じのストロークなのですね。

13曲目「櫻舗道

Sannenomoiyo

「一握り人の罪」を聴きながら、「ジュリーの声、今日はこの曲が一番だろうな」と思っていましたが、早くも次に歌われた「櫻舗道」がその上を行きました。先に書きました通り、これはその次の「三年想いよ」まで続いたことなんですけどね。

「櫻舗道」を聴くと僕はまず、富岡町のバリケードに分断された桜並木のネット記事を思い出し、次いでこの先に迫っているジュリーの南相馬公演のことを思います。
富岡町は、事故のあった東京電力福島第一原発の南の町。富岡町から北に向かって大熊町、双葉町、浪江町と帰宅困難区域が連なり、その北が南相馬市です。
開演時間が極端に遅く設定されている南相馬公演。ジュリーと鉄人バンド、スタッフさん達は、当日どのようにして現地へ向かうのでしょうか。

常磐線からの北上が不可能となってしまった今、途中まで新幹線、そこから東へ車で向かう・・・このルートが一番考えやすいことは確かです。
ただ、それとは別の北上ルート・・・去る9月15日に、浜通りを縦断する国道6号線の、富岡町~双葉町間の通行規制が条件付きで解除されました。

Img2118


9月18日付『東京新聞』の特集記事より。
国道6号の通行規制解除については、全国的には報道の扱いが小さい(または、報道すらされない)印象が僕にはあります。ご存知なかった方々も多いのではないでしょうか。

南相馬で商売をされている方々は、「今まで南への道が無く陸の孤島のようになっていたが、これで南からお客さんが来てくれる」と喜んでいらっしゃるようです。
条件つき規制解除の「条件」というのは、「徒歩、二輪車は通行できない」「車両は通行できるが途中駐車は許されない」というもの。また、エアコンの内気循環が呼びかけられています。
すなわち、被ばくの怖れがある、ということです。

とにもかくにも車で北上できる、南下できる、というのは南相馬以北の地元の方々にとっては喜ばしい状況。しかし、都心から北上する非・被災地の僕らがそのルートを通った時、窓の外の風景(現実)に慄然とする、ということがあり得るかもしれません。
右手には、福島第一原発を覆い隠すように、延々とバリケードが拡がっている・・・僕はそんな光景を想像しますが、実際にはそんなこともないのかもしれない。自分の目で見て初めて捉えられることなのですね。
僕の場合は、いつその機会が訪れるのか、まだ分かりませんが・・・。

南相馬公演へと向かうジュリーと鉄人バンド、スタッフさん、それを迎える地元のお客さん達、そして遠征参加される方々・・・すべてのみなさまの無事と心の平穏を、改めて強く願わずにいられない・・・。
そんな神戸の「櫻舗道」のジュリーの歌声でした。

ジュリーを照らすライトの他に、少し暗めのもうひとつのライトがピアノの泰輝さんを照らしています。
間奏では下山さんにピンスポットが当たります。
ただ、大宮公演の2階席のみなさまが絶賛していらした、「正に櫻舗道」のような美しいライティングについては、この日の僕の席からはその全容を捉えることはできませんでした・・・残念。

14曲目「三年想いよ

Sannenomoiyo

渋谷初日、大宮、そして神戸と今回のツアーを観てきて、いずれも「一番良かった!」と感じたのはこの「三年想いよ」でした。これまでのツアーでは、観る会場ごとにそう感じる曲は様々だったのに、今回はそれが「三年想いよ」に一極している・・・僕にとっては本当に珍しいことですが、同じように感じていらっしゃるみなさまも多いようです。
新譜CDを初めて聴いた時は「穏やか」とすら感じたこのツアー・タイトルチューン、LIVEで体感すると、その「必死さ」「辛さ」を表現するジュリーwith鉄人バンド入魂のステージに、僕らはただただ「これほどの曲だったのか」と驚嘆させられるのです。

さて、この日4曲目のビックリ・タイム。
柴山さんのギターのアレンジが変わっていました!
その場で確認できませんでしたが、ひょっとしたら下山さんも変わっているのかもしれません。

まずイントロです。
泰輝さんのピアノに始まり、GRACE姉さんのドラムス、次いで「ラレミファ#、ラレミファ#・・・」というアルペジオが噛んできます。何とはなしに聴いていますと、ヴォーカル直前の2小節で、柴山さんが太い設定の音で「D」のパワーコードを弾きました。
ここへきて僕は「あれえっ?!」と、アレンジの変化に気がつきます。

この部分(CDで言うと、まるで人の声のようなシンセが鳴って、初聴時に僕がビクッとしてしまった箇所)のパワーコードの音は、少なくとも大宮公演までは無かったように思います。
と言うより僕は、大宮まではイントロの「ラレミファ#・・・♪」のアルペジオは柴山さんが弾いていたように思うのです。でも柴山さんがパワーコードを(2小節限定で)弾いたということは、すなわち神戸では、そこだけは下山さんがアルペジオ・パートを弾いていたに違いない・・・。
いつの公演からアレンジが変わったのかは分かりませんが、少し前にしょあ様が「下山さんが、柴山さんのアルペジオと同じ弾き方をしているシーンを見たような気がする」と書いていらしたのは、このイントロ部の下山さんの演奏の記憶なのでは?と僕は推測します(違っていたらごめんなさい)。

歌が始まると、パワーコードは下山さんが担当します。柴山さんが2小節だけ弾いたパワーコードよりも細い音色設定なので、「サーッ」と全体の音が後方に退いていくかのような効果があり、緊張感が高まります。

(それにしてもこの1番Aメロの1回し目、下山さんの僅か弦2本のパワーコードのダウン・ピッキングと、GRACE姉さんのエイトビートのドラムス・・・鳴っている楽器はたったのこれだけなんですよ。それであの説得力と美しさ、信じられない!)

そして1番Aメロの2回し目「孫たち」の箇所で早くも柴山さんがアルペジオを披露しました。
ハッキリ自信は持てないけど、大宮まではここで柴山さんは普通のコード・バッキングだったはず。
少なくともあの印象的なディレイ・アルペジオは、後の「いもうと」の部分から噛んでいたことは確かです。「アルペジオの噛みを早くしたのか!」と思いましたが、どうやら単にそれだけではなさそう。というのは、ここではディレイ設定が弱めなんです。「いもうと」からのアルペジオと比べると、音の残響が控え目なんですね。
そうか・・・それで「いもうと」以降の深いディレイのアルペジオが、まるで「2本のギターがダブっている」ような印象になるのか!とまたまた納得。

「D」から「B♭→C」」へとコード移行する転調繋ぎの単音も、柴山さんが弾きました。
これは大宮以前も柴山さんが弾いていたように思いますが、アルペジオから流れるように弾くのを見たせいか、この日はとてもなめらかな音に聴こえました。

このように、ツアー中にも少しずつアレンジを変えてゆく鉄人バンドのアレンジは、正に「ジュリーがどう歌いたいのか」「どうすればジュリーの表現を高められるのか」に基づいての進化だと思います。
実際、僕はこの日の「三年想いよ」は今までで一番良かった、と感じましたし、バンドのアレンジの変化に興奮しつつも、やっぱり目と耳はジュリーのあの入魂の表現に釘づけになっていたんです。

例えば、この日の席がステージを横から見るような特殊な位置だったからでしょうね・・・エンディングのギター・ソロ部で、これまでの参加会場では完全に暗がりに隠れていた柴山さん達の姿が、うっすらと見えてはいたんです。あの泣き叫ぶようなソロを柴山さんがどんな表情で弾いているのか、見ようと思えば見えたはずでした。
でも僕は、ジュリーのスローモーションの疾走から片時も目を離すことはできませんでした。

ジュリーが「必死」の表情で走っている。
僕らはそんなジュリーを見ながら、その後ろで、闇から聴こえてくる素晴らしいギターの音、コーラスワーク、演奏を耳にする・・・それで良いんです。それが「三年想いよ」という曲のあるべき姿、ステージングなのでしょう。

凄い曲です。
僕も、『PRAY FOR EAST JAPAN』をテーマとしたここ3年の計12曲の中で、この「三年想いよ」が一番好きになっています。
CDを聴いただけではそうではなかったのに・・・つくづく、「ジュリーはLIVEだな」と思うばかりです。

15曲目「F.A.P.P

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新曲4曲では完璧な歌声だったジュリーですが、「F.A.P.P」では再び高音に苦心する様子が窺えました。
この曲の最高音「HAPPINESS LAND」の「HA」の音がうまく出なかったのです。
大宮では、苦しいながらも必死に声を絞り出していたジュリー。神戸ではそれもうまくいかず、「HA」の音が届かなかったために、「HAPPINESS」のフレーズすべてがグシャッとした感じになってしまいました。
前夜の名古屋公演の疲れがあったのかな・・・。
ただ、これだけの高い音を「何とかして出そう!」と必死になるジュリーの志は、この日もしっかり客席に届けられたのではないでしょうか。

ちなみに神戸、そして先日のびわ湖ともに参加された先輩が、びわ湖公演終了直後に「F.A.P.Pの高音が最高でした!」とフンコウのメールをくださいました。
びわ湖公演のジュリーのヴォーカルは、本当にすべての曲が最高だったみたいですね。
反して、神戸では声の調子が今ひとつ、の印象があっただけに、より一層「新曲を歌う際の神がかったジュリー」を実感することができた、と僕は思っています。
さらに、「F.A.P.P」での「高いラの音」というとんでもない高音に、ジュリーが毎回決死のヴォーカルで挑んでいる、立ち向かっているということも改めて分かりました。
このジュリーの気持ちや覚悟は、必ず10月8日の南相馬公演で地元のお客さんに届くと確信しています。

演奏が終わってからジュリーが
「鉄人バンド~!鉄人バンド~!」
の後に
「盗まれた鉄人28号!」
と言って、堂々たるロボット・ポーズを披露してくれたのは、この時でしたっけ・・・?

16曲目「世紀の片恋

Kitarubeki

イントロが始まるか始まらないか、のタイミングで前方にせり出してくる柴山さん。
ここからいよいよ今ツアー・セットリストは、無条件に盛り上がる怒涛のロック・タイムへ突入です。次の大ヒット曲攻めの前に1曲、この「世紀の片恋」のようなナンバーが配されているのがニクイ、と思うんだ~。

さて、この曲だったかどうかはハッキリ断定できないんですけど、また新たなギター・レンジが・・・。

もうそろそろ曲が終わる、という頃に、下山さんがボリューム・ペダル奏法で単音を弾いている曲があったんですよ。
いや、ペダルを踏んでいる動作自体はよく見えませんでした。音圧が吸い込まれるように小さくなったり、吐き出されるように大きくなったり、というボリューム・ペダル特有の音が聴こえたので下山さんを見ると、何となく足が上下に動いていたかな、という程度にしか確認できていません。でも、音は本当にそんな感じの音でした。

それがセットリスト後半の曲だったことは確かで、その中でエンディング間際まで下山さんが単音を弾いている曲となると、まずはガンガンにソロを弾いている「世紀の片恋」、あとは「マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!」の細かいオブリガート部、さらには「いくつかの場面」・・・この3曲に絞られます(後註:「勝手にしやがれ」も考えられなくはないかな・・・)。
でも「いくつかの場面」はさすがにナイと思うので、「片恋」か「マンジャーレ!」か・・・やっぱり「片恋」が一番可能性は高いのかなぁ、と。
どなたか覚えていらっしゃいませんか?本当に短い時間のことだったので、無理かなぁ。

この下山さんの演奏の変化は、「三年想いよ」の場合とは異なり、「アレンジを変えてきた」というより、「ハタと思いついてやってみた」可能性もあるかもしれません。
そう言えば、大宮レポの「世紀の片恋」の項で「ボトルネックを左ポケットにしまいこんでた」と僕が書いた直後に、一転してボトルネックを「ポ~ンと放り投げだした」という各地会場での目撃情報を拝見しました(神戸ではそのシーンを見逃しました泣)。
「彼女はデリケート」での”お嬢走り”が”その場トランポリン”に変化したこともそうですが、下山さんがツアー中に色々と変化させてくるのは、ギターの演奏だけに限ったことではないようですね。
これから先も、細かい変化が見られるのかな?

17曲目「危険なふたり

Royal

イントロからジュリーが頭上手拍子をリードして、一気に盛り上がるお客さん。
さすがは、誰もが知る大ヒット曲の威力です。

大ヒット曲と言えば・・・つい先日、目からウロコのお話がありまして。
20日の土曜日に、いつもお世話になっている先輩がご自宅にお招き下さり、垂涎の超絶お宝資料など見せて頂きながら色々とお話を伺う機会に恵まれました。

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↑ 見せて頂いた超絶お宝資料のほんの一部

その先輩はジュリーと同い年ですから、やはり年代ごとのタイムリーな逸話などがお話の中心となります。
そんな中(特に70年代ですが)、あれほどの実力を示しながらも、あまりに人気が傑出し過ぎていて、なかなか正当な音楽的評価を得られていなかった時代のジュリーをとりまく、独特の雰囲気をご伝授頂いていたのですが・・・。
ふと先輩が
「でも、今はジュリーもサラッと”シット曲”なんて言えるようになったのよね・・・」
と仰いまして・・・僕は「はて?」と、その話題の繋がりを掴み損ねたのでした。

去年からだったかな・・・華麗な大ヒット曲の数々をジュリーは、「みなさまにも多少は耳馴染みのある”シット曲”」とおどけるように紹介していたじゃないですか。
僕はそれを、ただ単に「舌足らず」な発音でおどけて紹介しているものだとばかり思っていました。
先輩にそうお伝えすると、「とんでもない!」と。

空前絶後の人気絶頂期のジュリー。確かにその音楽性を評価する人も中にはいなかったわけではないらしい・・・でもそれにも増して大きかったのは、ジュリーの人気に対しての露骨な嫉妬の空気だった、と。
それは一般世間のみならず、同業者からもあった(むしろそちらの方が露骨だった、と先輩は感じていらっしゃるようでした)・・・ジュリーは第1線を走り日本の音楽界をリードしながらも、常にそうした周囲の嫉妬に晒され続けていたのだそうです。

「それをようやく自分で冗談にして”シット曲”なんてふうに言えるようになったのよ。70~80年代の”人気”、『ジュリー祭り』以降の”人気”・・・”人気”に敏感なジュリーのステージって、本当に面白いでしょ」
と。

深い・・・深過ぎる!
”シット曲”という言い方について、先輩は「みなさん当然のようにそう捉えていらっしゃるかと思ってた」と、まずは僕の反応にかえって驚かれたようで、「DYさんが気づいていなかったとは・・・」と仰ってくださいましたが、いやいや僕などのレベルでそんな境地に至るのは、今後含めて絶対に無理!
だってねぇ・・・「当時ジュリーが音楽的に評価されていなかった」という点ですら、どうにも実感が沸いてこないくらいなのですから・・・。
これは、ジュリーと共にタイムリーで過ごし、今に至るまでずっと応援してこられた先輩方特権の感覚で、本当にうらやましいと思うのです。ジュリーの長い歴史、共に歩んでこられたファンの先輩方の歴史に、ただリスペクトしかありません。

そんなことを考えますと、ジュリーがLIVEで「お馴染みのシット曲」を歌う際に、ちょっとお茶目なヴァリエーションを加味してくることも、その時代時代でなんだか特別なことのようにも思えてくるんですよね・・・。
そう、「危険なふたり」で言えば、各地公演でのみなさまの情報通り、今ツアー会場が重ねられるに連れて、ジュリーの”年上のひと・物色ヴァージョン”が激しさ、楽しさを増してきているようですね(笑)。

「年上のひと、美しすぎる♪」という歌詞部は曲中2度登場しますが、神戸では1番のそれが激しかったです。
まずは「年上のひと♪」で前方の客席を指差し確認。「美し過ぎる♪」では「アカンわ~!」みたいなウンザリ顔。続く「あ~、あ~♪」は完全に声を変えて・・・え~と、他に表現が思い浮かばないので書いちゃいますが、「げ~」と吐くようなニュアンスで歌っていました・・・。
それでもお客さんは大喜び(のように見えましたが、「アレはイヤ!」と仰る先輩方も多いようで汗)。

この曲、大宮の打ち上げでYOKO君が「下山さんはオリジナル音源のベース・パートをほぼ完コピしてる!」と言っていたので、次は確認しなきゃ、と思っていたのですが・・・すっかり忘れていました。
フォーラムでリベンジ!

18曲目「ダーリング

Konndohakareina

誰もが知る大ヒット・ナンバー、アップテンポの2曲が豪快に続きます。
もう何度もLIVEで体感してきている曲・・・これまで僕はこの曲の演奏で、柴山さんの単音切り替えや泰輝さんのキーボードの音色設定などを注意して聴いてきましたが・・・この日は新たな大注目ポイントに今さらながら気がつきました。
Aメロ部の下山さん・・・メチャクチャ激しいです!

今まで気づけずにいたのか、それとも下山さんが今ツアーでいきなり一線超えちゃったのかは分からないんですが・・・1番で言うと「ここへ座ってくれ♪」から始まる箇所の下山さんの「どうしちゃったの?」と思うくらいの動きを、みなさまにも是非注目して頂きたい!
とにかく、凄まじいアクションで「ガッガッガッ・・・!」とダウン・ピッキングの連打また連打。
気圧された僕は、思わず手拍子が頭打ち4拍になってしまったほどでした。

何度か書いたことがありますが、2005年の『greenboy』ツアー(現在の鉄人バンド・スタイルでの演奏がDVD映像作品で残っている最初期のもの)では、ベースレスを補うアイデアとして、この連打は泰輝さんがピアノの低音で演奏していたんですよね。
鉄人バンドのアレンジにも歴史あり!
僕らは今、その最先端を体感できているのです。今の「ダーリング」は、下山さんの激しい低音弦連打によって、曲のスピード感がより増してきています。

そして・・・ねじ伏せるようなヴォーカルとアクションを繰り出しながら、最後のサビのダメ押し部に突入しても全く息を乱さないジュリーの体力、恐るべしですね。

19曲目「ポラロイドGIRL」

Karehanemurenai

これは今ツアーのセットリストの中で、観るたびにジュリーのテンションが上がっているな、というのが最も感じられる曲。特にジュリーのキレッキレの身体の動きと、それに呼応するお客さんのリアクションがね~。
個人的には『秋の大運動会~涙色の空』ツアーでの「愛まで待てない」にそんな雰囲気を感じたことがありましたが、あの時にも負けないテンション右肩上がり、急上昇の1曲ではないでしょうか。

とにかく、サビ部のジャンプが高い高い!
膝が美しく曲がって、踵がお尻についちゃうくらい。しかも、そんな動きの合間合間での「部屋♪」「ほら♪」のヴォーカルが、やけに艶っぽいんですよ。
66歳・ジュリー渾身のジャンプ・・・そりゃあ、お医者さんも心配になりますわな(違)(いや違わないか)。

で、心得たお客さんもジュリーに合わせて跳ぶ!
神戸では、直下に見下ろせる1階席前方に、そんなお客さんが結構な人数身受けられました。
僕はと言うと、バルコニー席から見える急傾斜にちょっとビビってしまい(若干ですが僕は高所恐怖症の気があります)遠慮したんですけど、隣のお姉さんは果敢にジャンプしていらっしゃいました。素晴らしい!

あと・・・ご参加のみなさまほとんどが目撃していらしたらしい、例のサイド・ギター・ソロ部(?)での下山さんの1回転片足キックを、僕は見逃しています(泣)。
今ツアーのこのシーンでは、1曲目「そのキスが欲しい」の間奏直後のジュリーのヴォーカル部と同じくらいお客さんが「キャ~ッ!」となり、盛り上がりますよね。
今回僕がその肝心なポイントで、他の誰に目を奪われていたのかというと・・・ズバリ柴山さんでした。

この日の柴山さんは、ドラムスのアクセントに合わせて下山さんを何度も指差しする、というスタイル。つまり下山さんが飛ぶシーンでは、GRACE姉さんの4拍頭打ちに合わせて「オラ、オラ、オラ、オラ!」とその都度腕を畳み伸ばしの指差し。これは萌える!
今ツアーの「ポラロイドGIRL」への熱狂的な会場の雰囲気に呼応した、いかにも柴山さんらしいアドリヴだったのではないでしょうか。
今後の会場でもやってくれるかもしれませんから、柴山さんのファンのみなさまは要チェックですよ~。

エンディングでは恒例・ジュリーの豪快な水吹きが炸裂。何度も何度も水しぶきがあがり、そのたびに1列目のお客さんは大盛り上がり・・・うらやましいなぁ。

20曲目「マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!

Samosutatto

いやいや、素晴らしかった。
もちろんジュリーもバンドも全員素晴らしかったのですが、この日一番の見せ場は、間奏部の下山さんでしたね。オイシイとこを全部持っていっちゃってました。
さすがに僕も、あの何とも言えない下山さんのお茶目な動きには気づきましたよ~(ビックリして釘づけになった、と言った方が良いかも・・・)。

この曲の間奏は、まず柴山さんがせり出してきて8小節のソロを弾き、その後を受けて下山さんのソロに移行します。その時にはジュリーも含めて3人がステージ前方に陣どっているという、これまた今ツアーのステージング、大きな見せ所のひとつですよね。
それが、神戸では・・・。

いざ柴山さんがカッ飛んできて陽気にソロを弾き始めると、何やらドラムセットの前あたりから、ゆっくりと柴山さんに忍び寄ってくる無気味な黒い影が(笑)。
下山さんが、柴山さんのソロに合わせて1小節に1歩(律儀!)、膝を折るようししてカックンカックンとリズムをとりながら、抜き足差し足で歩いてきたんですよ。
僕は位置的に、柴山さんサイドから横に向かってステージが見えるような角度の席でしたから・・・「下山さんが怪しげな動きで徐々にこちらに向かってくる」というおぞましい光景、いや失礼、素敵な光景がバッチリ正面に見えたわけです。
しかも、そんな光景を目にしながら、身体の方はジュリーと一緒に”おいっちに体操”しているんですからね・・・なんとも不思議な体験をさせてもらいました。

ちなみに、いつもお世話になっている長崎の先輩がこの日遠征で1階の下手側最後列にいらしていました。ちょうど僕のいるバルコニー席とは対角線です。
で、柴山さんに忍び寄る下山さんを目で追っていると、柴山さんもろとも”おいっちに体操”をしている僕が一緒に視界に入ってしまっていたんだとか。
どんな絵ですかそれは・・・(滝汗)。

この下山さんのトリッキーな動きは、打ち上げでも大いに話題になりまして。
カミさんが「妖怪かと思った」と言うので、「いや、妖怪じゃなくて霊なんだよ」と訂正しておきました(笑)。

あと、「お祭り騒ぎに手本はないけど♪」のところでジュリーが「本のページをめくる」仕草をしていました。
あの懐かしい「ほぼ虎」ツアーで、ジュリーがMC時にピー先生の本を「手にとるように分かります!」と言いながら紹介してくれた時と同じ動きでしたね。

21曲目「いくつかの場面

Ikutuka

この日は、「離れない♪」の最高音部でジュリーが苦心して声を絞り出すシーンがありました。
この曲の最高音は「F.A.P.P」と同じ高い「ラ」の音なんですけど、これまではジュリーが信じられないほど自然に高音を出しているなぁ、という印象が強くて・・・神戸の苦しげな声には「あれ、珍しいな」と思いました。
でも、そうしたシーンも含めて、ジ~ンとするヴォーカルでした。やっぱりジュリー、この歌詞を歌っていると色々な思いがよぎるのかなぁ、と。

さて、新しい発見は泰輝さんのキーボード。
何度も聴いているのに未だ確認できていなかった、泰輝さんの「ピアノからオルガンにチェンジする瞬間」を、この日は見逃すまいとずっとガン見していたのです。

1番を締めくくる、「抱きしめてほしい♪」と歌うジュリーのロングトーン。豪快に噛みこんでくるGRACE姉さんのフィル・・・その時でした。
下段の鍵盤で優しくピアノを弾いていた泰輝さんの指が、サッと上段高音部に移動。叩きつけるように1音をはじくと、一瞬の後にそのまま低音へと向かって荒々しいグリッサンド。これがこの曲のオルガン・パートの最初のフレーズだったのです。
「静」から「動」へ・・・渾身の演奏!

鍵盤のグリッサンド奏法には、出発音が明確なパターンとそうでないパターンがあるのですが、「いくつかの場面」での泰輝さんのグリッサンド出発音は、「明確」どころか1発入魂で叩きつけておいて、その余韻で繋げられています。これ、「涙色の空」で柴山さんが魅せる「ちゅくぎゅ~ん!」とニュアンス的には近いものがあります。
そしてそれはそのまま、柴山さんと下山さんのハーモニーで奏でられるツイン・リードへの「さぁ行け!」という合図になっているんですね。
泰輝さん、最高です。シビれました!

中2階バルコニー席は予想していたよりもステージに近かったぶん、泰輝さんの鍵盤位置を上からハッキリ見分けることができず、絶対音感を持たない僕にはグリッサンドの出発音が何の音なのかが分かりません。
フォーラムの席が2階最前列あたりなら見えるかもしれないなぁ、と贅沢な期待を持ってしまっていますが、そううまくはいかないでしょうね・・・。

~MC~

神戸はこのアンコール前のMCが比較的短めでしたが、公演からもう10日以上も過ぎてしまって記憶が(汗)。

再登場してのひとことは
「疲れました・・・やってるワタシがこんなに疲れるんですから、見ているみなさまはもっとお疲れでしょう」
だったかな。
座ってアンコールの拍手を送っていたお客さん(僕もです汗)への痛烈な皮肉?

タイガースの話も少し出ました。「(再結成に向けた)最初の年は、かつみがね・・・」というトッポネタのボヤキ節に、以前は感じられた棘がまったく無くなっているように思えるのは、僕だけでしょうか。

あとは主に、自らの体型の歴史(笑)と、食生活の話、そして「この先も可能な限り歌っていく」という決意。
「神戸の会場がいっぱいになっている・・・普通のことだとは思っていません」
と。
「昔はね・・・自分で言うのもナンですが、素敵だったんです!還暦の時は、もうこれで最後、あとはもう、懐メロ歌手になってもエエじゃないか、と思っていたんですが、何故かまた人気が出てきまして・・・こういう風体になったから、また人気が出てきたのでしょうか?」

体型については
「30半ばくらいから、このあたり(お腹)がね・・・」
と。ただ、じゃあ痩せていた(素敵だった)時期に何か体型維持の特別な努力をしていたかというと、そんなことはないんだ、と。常に
「好きなものを、好きな時に、好きなだけ食べる!」
というスタイルでずっと来ているのだとか。

で、「長く歌っていくために」ということで珍しく(?)
「”好きなだけ”という部分については改めようか、と」
これには大きな拍手が起こったのですが(笑)、僕としては、ジュリーは今のスタイルのままの食生活でイイと思うんですよね。ステージがそれを証明しているわけですし・・・やっぱり、色々気を遣ってストレスを感じ始める方が良くないんじゃないかなぁ、と思って。

というのはね。
ジュリー66歳。そんなジュリーよりもさらにずっと年長の「愛すべき”UNCLE DONALD”」・・・90代に入ってもますます元気なドナルド・キーンさんが、『東京新聞』毎月の連載の中で、最近こんなことを語っていました。

20140907

ドナルドおじさんの「長生きの秘訣」・・・自然体の説得力を感じませんか?
ジュリーにも、こうなって欲しいなぁ、いや、きっとキーンさんのように元気に、気骨をもって90代を迎えるんじゃないかなぁと思うのです。88歳のコンサートも、決して夢物語ではありません!
まぁその時に僕自身が果たして生きているのかい?という方がむしろ問題でしょう(ジュリーの18コ下ですが)。独身時代に散々不摂生してきましたからね・・・。

MCの〆は鉄人バンドの紹介・・・なのですが、思いのほかMCが短かったせいでしょうか、最初に紹介しようとしてジュリーが手をかざした下手サイドに、人影は無し(笑)。しばし空白があり、カクカクした動きで下山さんが登場、事なきを得ました。
(なんですか、聞くところによりますと今ツアーはこうして下山さんが遅れて入場してきて会場が笑いに包まれるシーンが頻発しているとか?まさか下山さん、それでウケを狙っているとは思えませんが・・・)

「それでは、オマケです~!」

~アンコール~

22曲目「ス・ト・リ・ッ・パ・-

Stripper

セットリスト後半からは、曲のキー変更については考えないようにしていましたから、僕はこの曲でも柴山さんのフォームをガン見することはしませんでした。
自然に聴いて、今改めて思うことは・・・やっぱりキーを下げていようがいまいが、ギターのチューニングを変えていようがいまいが、「ス・ト・リ・ッ・パ・-」のギター演奏には「Em」のスケール・フォームが似合うんだろうなぁ、ということです。
ギターという楽器の構成上、一番低い音を出すのは6弦開放。その音なくして「ス・ト・リ・ッ・パ・-」は無い!

こんな最高にカッコ良いロック・ナンバーをジュリー自身が作曲したということ、そして見事大ヒットしたのだ、ということ。弦楽器隊の「横揺れ」含めて、「ス・ト・リ・ッ・パ・-」はその演奏スタイルまでもが「ジュリー伝説の1曲」なんですよね。
それを後追いファンの僕がもう何度も生のLIVEで体感できている・・・何と幸せなことか、と。

今、『ロックジェット』でジュリーのアルバム解説が連載されているじゃないですか。
連載初回から色々と拙い部分があったりして、最新の58号にもまぁ・・・ありましたよね。でも僕が想像するに、あのライターさんは次号掲載となるであろう80年代のアルバム群の回で真価を発揮される方なんじゃないか、と思っているところです。「ロックなジュリー」ということで言えば、(一般的には)80年代前半のアルバムで語るべきところが多いですしね。
特に『S/T/R/I/P/P/E/R』の解説には期待大。個人的には『愛の逃亡者』にパブ・ロックのエッセンスを見取った解説は面白かったですから、パブ・ロッッカーであるビリー・ブレムナーやポール・キャラックの参加したアルバムをどんなふうに絶賛してくれるのか、楽しみにしています。そしてもちろん、ジュリー作曲のタイトルチューン「ス・ト・リ・ッ・パ・-」についても。

明快なロック・ナンバーとしての「ス・ト・リ・ッ・パ・-」、歌謡界をアッと言わせた大ヒットナンバーとしての「ス・ト・リ・ッ・パ・-」・・・僕はどちらもジュリーの本質であり価値であると思っています。そんな名曲を今も生のLIVEで、しかも最高の演奏で聴けることに、改めてありがたみを感じます。
この先もジュリーが歌い続ける限り、何度でも聴きたい「ヒット曲」ですね。

うつむき加減で華麗に指をすべらせながら横揺れする下山さんのバッキングも、本当にカッコイイ!
「マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!」で見せてくれた奇妙な動きとのギャップが素晴らし過ぎます・・・。

23曲目「勝手にしやがれ

Omoikirikiza

さぁ、今回の特殊な「中2階最前バルコニー席」で一番「得しちゃったなぁ」と感じたのがこの曲!
これこそ正に「誰もが知る」大ヒット曲。誰もが総立ち、誰もが我を忘れて盛り上がれる曲。

最近ジュリーのLIVEで男性のお客さんが急増している感じがしますが、神戸もそうでした。
昔からジュリーファンだった人もいれば、最近になってハマった人(←僕はまだココ)もいれば、初めて参加された人もいるでしょう。でも、「勝手にしやがれ」という曲を初めて聴いた、あの振付を初めて知った、という人は多分いないでしょうね~。
さて、神戸では最前列下手端の席に、バシッと帽子でキメた男性(カミさんの見立てでは、僕よりも全然若そうだ、と)のお客さんが参加されていました。
カミさんが言うには、開演前に僕らがマクドナルドで休憩していた時、そのかたが偶然隣の席に座っていらしたみたいで、雰囲気だけで「この人、絶対これからジュリー観る人や」と思っていたら最前列かい!だったんだそうな(僕はマクドナルドでは全然気づかなかった)。
その若い男性は終始ノリノリで、ジュリーも嬉しかったのか、吸い寄せられるように下手端っこまで出張するシーンがこの日は多く見られましたが、彼、「勝手にしやがれ」が始まるとそれまで脱いでいた帽子をサッとかぶり直して、一層の大盛り上がり。
楽しそうだったなぁ。

「勝手にしやがれ」って、やっぱりそういう曲なんですよ。圧倒的なパワーとエネルギーがあって、お客さんをイントロ一瞬で惹き付けてしまいます。

で、バルコニー最前席で僕が得をした、というのは。
何度か過去のLIVEレポートで書いたことがあるんですけど、「お客さんが揃って「あ~あ♪」とジュリーと一緒に壁塗りのフリに参加している光景を、ステージ目線で見たらどれほど圧巻なんだろうか」と、僕は常々思っていたのです。
最後列からお客さんの背中を一望した経験はあるけれど、ステージ側から、というのはねぇ・・・。まさか神席のLIVE中に後ろ向くわけにもいきませんし。

しかしこの日は!
極端に言うと、右を見ればステージのジュリー達、左を見れば3階までビッシリのお客さんを一望、という光景が楽しめる席だったのですよ~。
はい、見ましたよ・・・会場を埋めつくしたお客さんが、勢揃いで「あ~あ♪」とやっている圧巻の絵を。
凄かった・・・おそらく2度とこんなチャンスはめぐって来ないでしょうね。
神戸の「勝手にしやがれ」の熱気を映像として目にやきつけられた、ということもありますし、77~78年のコンサートでの「勝手にしやがれ」の雰囲気すら、なんとなく味わえたような、分かったような気がしました。

ジュリー、満員のお客さんを迎えて今歌う「勝手にしやがれ」が大好きになっているんじゃないかなぁ。

エンディングのジュリーがまた、面白かったです。
最後に下手側へ向かって走り出すのが少し遅れて、その時点でもう既に「アカン!普通のスピードじゃ間に合わん!」みたいな表情をしているわけですよ。
全速で走って、全力でタ-ンして、全速でセンターに駆け戻ってきたジュリー。スタンドマイクすぐ後方でのキメポーズにバッチリ間に合いました~。

先述の”シット曲”のお話を伺った先輩に、神戸のジュリーの様子を色々とお伝えしながら
「やっぱりジュリーって、”勝手にしやがれ”のラストのキメポーズはステージ中央でやらなきゃイカン!と思って歌っているんでしょうか?」
とお尋ねしますと
「そりゃあそうよ!」
と。
やっぱりそうなんですねぇ。

となれば、この先に控えております横浜公演・・・「世界で3番目に好きなホールだけど、ステージが横に長いのがね・・・」とジュリーが語ったという神奈川県民ホールでの「勝手にしやがれ」は果たしてどうなる?
参加されるみなさまの、”長距離全力疾走ジュリー”目撃情報を今から楽しみにしております!

24曲目「ヤマトより愛をこめて

Konndohakareina

この曲のジュリーのヴォーカルは、いつ聴いても本当に素晴らしい!声の調子、声掠れ、関係ないですね。
決して男声として「程よい音域」ではないんですよ。僕のような素人が歌うと、最後のサビのリフレインあたりで高音がしんどくなってきます。
でもジュリーにとっては歌いやすいメロディーなのでしょう。1985年リリースの名盤『架空のオペラ』制作では、「相性があるから」と再度大野さんの楽曲を歌うことを望んだジュリー。「ヤマトより愛をこめて」をはじめ、大野さんの作曲作品が「自分の喉に合っていた」感覚がハッキリあったのだと思います。

3度目の参加、体感となる『三年想いよ』ツアー・セットリスト。アンコールは「誰もが知る」大ヒット・ナンバー3連発で正に「アンコール」といった構成ですが、最後の最後はバラードで落とす・・・しかも「ヤマトより愛をこめて」ですから、何か勇気が沸くというのか、最後まで良かった!と感動が増すというのか、しみじみと「素晴らしい曲並びだなぁ」と思えます。

あと、何度も書きますが僕はこの曲のGRACE姉さんのドラムスが大好きなのです(大変遅まきながら、お誕生日おめでとうございます!)。
特に、2番のAメロ部。

別に超絶テクニックを駆使した演奏でもないですし、ジュリーの歌声に自然に身体を委ねて聴いていると、特に目立った音というわけでもありません。
でも、ただただ心地よい。
何故なんでしょうかね・・・。この感覚、僕は人生初のジュリーLIVE参加となった『ジュリー祭り』の時から持っているんです。その時はYOKO君と「ドラマーは女性なんだね」と話したくらい何も知らなかったのですが・・・。
GRACE姉さんはこの曲で最初にドラムスが噛み込むAメロ部、スネアとハイハットの方に身体を向けて、しっかりと打点を見て、口を結んで叩きます。その表情も良いと思うんだなぁ。「歌心」を感じます。
楽曲特化型のドラマーさんなのでしょうね。

エンディング、徐々に音数が減って、最後にピアノが残って、ジュリーの立ち姿が照らされて・・・今セットリストは毎回、充実の余韻をもって終わります。

しみじみ良かった・・・『三年想いよ』神戸公演。
特に今回は、素敵なバルコニー席に恵まれたことにも感謝しなければ。

ジュリーはいつものように、最後に改めて鉄人バンドのメンバーを紹介。丁寧にお辞儀をして、何度も手を振ってくれて、時間を確認する仕草をしながら退場。
柴山さんが、場内の灯りがついてからも手を振ってくれていたのが印象的でした。


演奏について色々と小難しいことも(勘違いも含めて)書いてしまった今回神戸のレポートですが、こうなると一層切望してしまうのが、LIVE音源のリリース。
DVDでなくても良いんです。そりゃあ生で体感するのが一番良い、いやそれがすべてと言って良いのかもしれませんが、これほどのステージが音源記録に残らないというのはねぇ・・・ツアーとの差別化を図るなら、『オリジナル・ライヴ・セレクション』なんてどうかなぁ、とか。

いやいや、この先も可能な限り長く歌いたい、前を向いてLIVEをやっていくんだ、というジュリーにとって、そういうことは頭に無いのかな。よほどのメモリアルイヤーでないとね・・・それは70超えの時?デビュー50周年というのも迫っているけど、どうなのかな?
それでも特別なことはしない、というのがジュリーらしい気もしますけどね。

さて、僕の今ツアー参加は、オーラスの東京国際フォーラムまでお預けです。
まだ1ケ月以上もあるのか・・・。
その間は、いつものようにランダムにジュリー・ナンバーの記事を書きつつ、各地公演のみなさまのご感想を楽しませて頂きたいと思っています。特に気になるのはやはり南相馬公演、そのすぐ後の長崎公演も。
まぁ、結局は全公演が気になるんですけど!


今、暑いのか寒いのかよく分からない気候ではありますが、これからしばらくの間は、秋らしい、涼しげな曲を考察お題に採り上げていくことにしましょうか。
最近は「記事が長過ぎて読めん!」というお話を本当に頻繁に聞くので、なるべくコンパクトに纏めたいと考えてはいますが、どうなりますやら。
引き続き、マイペースで頑張ります!

20140913

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2014年9月10日 (水)

沢田研二 「HEY!MR.MONKEY」

from『G. S. I LOVE YOU』、1980

Gsiloveyou

1. HEY! MR. MONKEY
2. NOISE
3. 彼女はデリケート
4. 午前3時のエレベーター
5. MAYBE TONIGHT
6. CAFE ビアンカ
7. おまえがパラダイス
8. I'M IN BLUE
9. I'LL BE ON MY WAY
10. SHE SAID・・・・・・
11. THE VANITY FACTORY
12. G. S. I LOVE YOU

----------------------

いやぁ・・・僕は参加できなかったのですが、6日の渋谷公演のMCで、ジュリーがビッグニュースを届けてくれたみたいですね~。
来年からの改装工事が決まっている渋谷公会堂・・・そのひとまずのお別れ、大トリとしてジュリーが最終3日連続の公演を務める方向で話が進んでいるのだとか。
凄いことだ、と思います。

いえ、タイガース時代からジュリーと共にあり、何十年にも渡るジュリーと渋谷公会堂の縁を知り尽くしていらっしゃる長いジュリーファンの先輩方にとって、それは「当然」のことでしょう。でも、僕のような後追いのファンからすれば、「さすがはジュリー!」「やはりジュリー!」、ジュリーはとんでもなく凄いロッカーだったんだ、と改めて知らされた思いです。
今の若いバンドマン達はどうか分かりませんが、少なくとも僕の世代までは・・・若者が「ロックバンド」を志すにあたって夢に見る、憧れの舞台というのはまず渋谷公会堂、最終的には日本武道館、という歴然としたステータス認識がありました。
日本ではこの2つの会場が「ロックの象徴」であり、アマチュアはそのステージを夢に描き、プロデビューしたロッカー達は皆、そこを目指すのです。目標を遂げた者は、自他共に認める「ロックの歴史の一員」となります。

これまで、「我こそはロックなり」と手を挙げ名をなした幾多のバンドやアーティスト達が、渋谷公会堂のステージに立ち、歴史を作り上げてきました。「渋公がひとまずお別れとなるならば」と勇んで今一度渋谷公会堂の有終のステージに立たん、と息荒い思いを持つビッグネームは邦楽ロック界にはたくさんいることでしょう。
しかし、渋谷公会堂の「ロックの歴史」はその記念すべき大トリに「沢田研二」を選びました。
こんな誇らしいニュースは無い!

きっと、長いジュリーファンの先輩方と同じように、渋谷公会堂側のスタッフのみなさんが、ハッキリ認識してくれているのですよ。この「ロックの聖地」とまで呼ばれた箱のひとまずの幕引きに、一体誰が最もふさわしいのか、ということを。
これが実現すればもう、ジュリーという歌手が「日本におけるロック・ライヴの神様のような存在である」と天下に知らしめられたと言って良いんじゃないかな~。
同時に、ジュリーの「ロック・ライヴ」は現在進行形で、今正にその頂点にあるのだということも。

無理だろうけれど、気持ち的には3daysすべてに参加したいところです。できれば改装前に、未だ経験が無い2階の出っ張り部分(SONGE様が「天使の羽根席」と呼んでいらっしゃるお席)で一度観ておきたいなぁ・・・。
本当に嬉しい、心沸き立つビッグニュースでした。会場で直接ジュリーのMCを聞いたYOKO君も、興奮してそのことを話していましたよ。


それでは、本題です。
前回記事では、ピー先生のツアーに二十二世紀バンドのメンバーとして参加中のJEFFさん率いるオレンジズの最新アルバム『SCORE→』をご紹介し、ネオ・モッズのことなど色々書かせて頂きました。
今日はそれを受けて・・・という感じで前回記事のキーワード、「60年代回帰」「変態作曲家」(褒めてます!)という面から80年代初頭のジュリー・ナンバーを採り上げ、その魅力と特異性に迫ってみたいと思います。

制作に関わったスタッフが、明らかに当時の正当的なロック界を席捲していたネオ・モッズ、ニューウェーヴといった気鋭のバンドの影響下で力を注いだと考えられる、不朽の大名盤『G. S. I LOVE YOU』から、ジュリーが驚異の作曲能力を発揮した名曲です。
「HEY!MR.MONKEY」、伝授!

「神頼み」ならぬ「モンキー頼み」・・・糸井重里さんのトリッキーな詞。ご存知のかたも多いかもしれませんが、洋楽ロックにおいて「MONKEY」という単語はかなりアブナい隠喩として使われます。糸井さんはもちろんそうしたニュアンスをも狙っているでしょう。
タイトルに「MONKEY」が入っている曲・・・ビートルズなら「エヴリバディーズ・ガット・サムシング・トゥ・ハイド・エクセプト・ミー・アンド・マイ・モンキー」、ストーンズなら「モンキー・マン」。
いずれも、最高にブッ飛んだ、「過激な」名曲です。そしてそれはジュリーの「HEY!MR.MONKEY」も同じ。

「過激」・・・僕が『G. S. I LOVE YOU』をジュリーの幾多の名作群にあって、特に「オンリーワンなアルバム」とイメージを持っている要因のひとつです。

前回記事では、「ネオ・モッズ」というジャンルが簡単に言えば「60年代のバンド・サウンド回帰」を目指したものである」とし、日本のGSとの共通点にも言及しました。
海の向こうの「60年代の正統派ロックの志、忘るるべからず」というネオ・モッズ・ムーヴメントは1979年の映画『さらば青春の光』大ヒットを起点として生まれ、80年代に入ると多くの魅力的なバンドを誕生させました。
愛すべき60年代バンド・サウンドへの回帰を志す新たな多くのバンドの出現、その作品群に、洋楽ロックの流行に鋭いアンテナを持つ加瀬さんや木崎賢治さん、そして伊藤銀次さんなどのプロフェッショナルが、「よ~し!」と意気に感じ沸き立たないはずがありません。
ネオ・モッズ全盛、ニューウェーヴが完全覚醒した1980年代初頭、『G. S. I LOVE YOU』というアルバムで、ジュリーの周囲にいた強者の面々が「60年代のGS回帰」のコンセプトを打ち出したのは、当時急速にロック色を強めていったジュリーの作品作りを考えても、ごく自然な流れだったのではないでしょうか。
これは、先月の銀次さんのラジオ番組で語られた内容からも推測できることです。

70年代末から現れ始めた正統派洋楽ロック・バンドによる60年代ロック回帰のエネルギーは、こうしてこの日本でジュリーの大名盤『G. S. I LOVE YOU』を生み出すと同時に、GS再燃のムーヴメントに火をつけ、81年の日劇ウエスタン・カーニバルのファイナル公演の熱気、さらにザ・タイガース同窓会実現へと繋がっていった・・・このあたりの経緯については、僕などより先輩方の方がよくご存知でしょう。

そこで今日僕は「HEY!MR.MONKEY」に明確に採り入れられている60年代回帰のコンセプト、さらには作曲家・ジュリーの凄味、という2つの点を中心に考察させて頂きます。

まずは、60年代回帰について。
これはね・・・楽曲そのものはもちろんですが、アレンジとミックスによく表れているんです。
当然、仕掛け人は加瀬さんそして木崎さんでしょうか。そのコンセプトを受け形を纏め上げたのが銀次さんを中心としたレコーディング・スタッフの達人の面々、ということですね。

特に「HEY!MR.MONKEY」はアルバム1曲目ということで、制作時の並々ならぬ気迫が感じられます。
銀次さんはアルバム制作中、木崎さんから「もっと過激に、もっと過激に!」とさかんにハッパをかけられていたといいます(銀次さんのブログより)。「過激」のベクトルが当時のネオ・モッズやニュー・ウェーヴのムーヴメントに根ざしていて、「ジュリーの作品ならばさらにそれを痛快な「肯定」のエネルギーを以って日本の音楽シーンに広く提示できるはず」との確信が制作スタッフの胸にあったことは間違いないでしょう。
「HEY!MR.MONKEY」は、その象徴のような1曲です。

60年代ロックへの回帰、というコンセプトで銀次さんがこの曲にまず施したのは、2つのビートルズ・ナンバーのアレンジ・オマージュの導入。これについては、かつて銀次さんのブログで詳しい解説がありました。
サイド・ギターとベースがユニゾンする16ビートのリフは、アルバム『リボルバー』の1曲目に収録されているジョージ・ハリスン作の「タックスマン」。これは本当に「まんま」ですから、初めて聴いた瞬間僕にもオマージュ元が分かりました。銀次さんもブログで語っていたように、長調と短調の違いがあっても、アレンジの工夫次第ではそのまま載せられるんだよ、ということです。
後に白井良明さんが、長調の「
ブルーバード ブルーバード」に短調の「青い鳥」のギター・フレーズを載せたアレンジ・アイデアと狙いは同じだと思います。

もう1曲のビートルズ・ナンバーのオマージュ元は、アルバム『ア・ハード・デイズ・ナイト』収録のポール・マッカートニーの作品「今日の誓い」(タイガース・ファンのみなさまには、タローのヴォーカル曲としてお馴染み?)。
「ジャカジャン♪」とマイナー・コードを強いストロークでただ鳴らすだけで、こんなにも過激でインパクトの強いイントロになる、というね。
実はこのオマージュについては僕はずっと気づけていなくて(アコギとエレキの違いでイメージが変わっていたからだと思います)・・・銀次さんのブログを拝見した時に「あぁ、そうか!」と目からウロコでした。
いやぁ、凄いよ銀次兄さん!

思えば銀次さんがブログで『G. S. I LOVE YOU』の制作秘話を綴ってくださったのは、2011年でした。あの辛い時期に、ほぼタイガースの全国公演があり、一方で銀次さんがGS回帰をコンセプトとしたジュリーのアルバムについて詳しく語ってくださっていた・・・全国のGSファン世代が、どれほど励まされたことか。
60年代の熱い音楽には、力があるということですよ!

また、銀次さんが再度アレンジを担当したジュリー・アルバムの次作『S/T/R/I/P/P/E/R』(こちらも海の向こうのタイムリーなムーヴメント、パブロックの影響が色濃く主張されています)にも、また色々なアレンジ・アイデアの秘密があったはずで・・・銀次さんのブログでの制作秘話続編を心待ちにして早、数年が経ちます。
銀次さん、早く書いてくれないかなぁ(柴山さんのファンのみなさまも首を長くしてお待ちのようですし・・・)。
ロックパイル・ファンの僕としては、「
バイバイジェラシー」の秘密が特に知りたいぞ~!(笑)

続いて、ミックスについて。
各演奏トラックに荒々しいコンプレッサー処理が施されているのが、まずこの『G. S. I LOVE YOU』制作にあたっての「過激なロック解釈」のアイデアと言えます。
この点、阿久=大野時代にも同様のコンプレッサー処理が見られます(歌謡曲黄金期のジュリー・アルバムの「ロック性」も見逃すなかれ!)。

そしてこのアルバムには、「擬似・擬似ステレオ」と言うべき特殊なミックスが施されています。これはネオ・モッズの例ですと、後にザ・ジェットセットというバンドが4枚目のアルバム『ヴォードビル・パーク』で採り入れている手法と同じで、やはり「60年代ロックへの回帰」をコンセプトとしたもの。
モノラルとしてレコーディングされた作品を、後から「擬似ステレオ」処理した60年代ロック・・・ビートルズのアルバムはじめ、数多く存在します。「力技」のステレオ処理のため、演奏トラックがそれぞれ左右にくっきりと寄せられているのが大きな特徴。例えばビートルズの初期作品では、片方が演奏で片方がヴォーカル、と完全に左右に2分されている「擬似ステレオ」テイクもあります。

『G. S. I LOVE YOU』はそこまで極端ではありませんが、「左寄り」「右寄り」のミックスが当然のように可能となっていたこの時代に、「完全に左」「完全に右」というトラック振り分けを敢行・・・まさに「敢えてこうする!」というミックスなのですよ。目指しているのは、サイケデリック期のビートルズの雰囲気ですね。
これこそ『G. S. I LOVE YOU』というアルバムの大きな個性であり(実は、シングル・ヴァージョンの方の「渚のラブレター」もそのコンセプトに沿ったミックスとなっているのです。そちらについての詳しい考察はまたいずれ)、収録曲中「HEY!MR.MONKEY」は「彼女はデリケート」と並びその点で最も徹底されているナンバーです。

ヘッドホンで聴けばよくお分かりになるかと思いますが、この曲の「擬似・擬似ステレオ」ミックスの内訳はこうなっています。

最左に、ドラムスとオルガン。
最右にサイド・ギターとベース、さらにもうひとつ・・・何と、ヴォーカル・ディレイ!

ジュリーのリード・ヴォーカルにかけられたエフェクト・ディレイの残響音を、わざわざ別トラックに書き出し、それを最右サイドに振ってミックスしているという・・・信じられないほどの手間をかけたミックス処理です。
これ、『ロックジェット56号』掲載の白井さんのインタビューでの言葉を借りるなら、正に「変態」の域ですよ!そこまでやるか、というね(繰り返しますが、白井さんが語っているように、「変態」というのは当時ロック界において流行した最高の褒め言葉なのです)。

そして、最高にイカした「変態」と言えば。
銀次さんも驚嘆していた、ジュリーの作曲です!

いや、アルバム『JULIEⅣ~今僕は倖せです』などを聴けば、「ジュリーならこのくらいの斬新な作曲は以前からやってるよ」ということにはなりますが、銀次さんが驚き感心したのは・・・アルバム『G. S. I LOVE YOU』制作に課せられた「もっと過激に!」というコンセプトにピッタリの曲を楽々と提示してきた、という、「時代の申し子」としてのジュリーの資質だったのではないでしょうか。
「歌手としての表現だけでなく、作曲でもここまで時代感覚を自然に持つ人なのか!」と。
アルバム2曲目の「NOISE」が、アレンジやミックスのアイデアを注ぎ込むうちにどんどん「過激に」変貌していったのに対し、1曲目「HEY!MR.MONKEY」はジュリーの作曲段階から既に「過激」が運命づけられていた曲だった、と言えましょう。

「HEY!MR.MONKEY」のコード進行は、本当に過激に尖りまくっています。
銀次さんがブログでその斬新さ(過激さ)を解説、絶賛してくれていたのは、「Oh!Mr.Monkey♪」から始まる転調部でした。

Mrmonkey


↑ 『ス・ト・リ・ッ・パ・-/沢田研二楽譜集』より

Oh!Mr.Monkey 俺のことなどどうでもいい
           Em                                D7     G

明日死んでもかまわない
A♭                          D7

Oh!Mr.Monkey あのコにすべてをあげてくれ
           Em                               E♭         D7

世界一   幸せにしておくれ ♪
A♭ B♭  A     D7        Gm

ト短調からホ短調への転調、という時点でとんでもない進行・・・銀次さんはその破天荒ぶりを、「ハートに火をつけて」に比するほどだ、とドアーズの名曲を例に挙げてブログで解説されていましたが、これは「とんでもないコード進行」例としてすごく分かり易い比較で、さすがは銀次さん、と思ったものです。
ただこの転調に関しては、「GmからGへの同主音による近親移調の応用(Gを同調号のEmキーに見立てる)」と、無理矢理に理屈をつけられなくもありません。
銀次さんが心底ブッ飛んだのは、その転調部の中身。ジュリーの編み出したあまりにも独創的展開についてなのですよ、きっと。

一番凄いのは「世界一幸せに♪」の箇所でしょう。和音ごと1音上がって半音下がってからD7。そのD7が見事に元のト短調のドミナントとして機能しているという・・・。
また、「すべてをあげてくれ♪」での「E♭→D7」は、転調前のAメロにも登場する進行なのです。

歩き疲れて  はぐれてる ♪
B♭      D7  E♭        D7

「はぐれてる♪」の箇所ですね。
突拍子もない転調をした後で、転調前とまったく同じ半音下がりの進行がキレイに揃って出てくるって、一体どういう感性で作曲しているの?・・・と、銀次さんが完全KOされる様子が目に浮かびます。

ジュリーとしては純粋に「ハードな短調」が狙いだったのでしょう。曲想からシンプルに考えれば、その後の「ス・ト・リ・ッ・パ・-」「十年ロマンス」「麗人」「灰とダイヤモンド」といった短調シングル・ヒット群へと繋がる、作曲家・ジュリーのキャリアの起点となった作品、と捉えることもできます。
しかし、時代背景と共に表れた、隠しきれないジュリーの資質と才能、銀次さん達スタッフの入魂の作業が「過激性」となり、「HEY!MR.MONKEY」は突如独立出現したジュリー作曲の異色作・・・そんな位置づけの傑作ロック・ナンバーということになりそうです。

それにしても・・・演奏トラックだけならまだしも、ジュリーのリード・ヴォーカル・トラックを後処理でここまでいじり倒した(もちろん良い意味で、ですよ!)アルバムというのは、後にも先にもこの『G. S. I LOVE YOU』只1枚限りでしょう。
それは、ジュリーが時代のロックに望まれ選ばれた証でもある・・・そう思います。

ネオ・モッズのコンセプトがそうであったように、当時銀次さんが80年代に入って「肯定的メッセージを持つロック」の行く末を案じていた面は多分にあったはずです。
ジュリーという時代の申し子と巡り逢い、ロックを愛するスタッフが皆渇望していた「60年代バンド・サウンドへの回帰」を実現。若きプロフェッショナルとしてアルバム制作に心血を注いだ銀次さんにとって、『G. S. I LOVE YOU』は宝物のような作品なのでしょうね。


それでは、今日のオマケです!
ご紹介するのは有名な『ス・ト・リ・ッ・パ・-/沢田研二楽譜集』のショットから。
この本には、アルバム『S/T/R/I/P/P/E/R』収録全曲だけでなく、『G. S. I LOVE YOU』の収録全曲のスコアも掲載されています。写真が目玉であることは間違いないですが、スコアとしても凄まじく貴重なお宝なのです。

まずは、「
HEY!MR.MONKEY」と「彼女はデリケート」のスコアが抱き合わせで載っている見開きページ(アルバム中、最も過激なロック・チューン2曲の組み合わせ!)の、クールなジュリーのショットを2枚。

Stripper05

Stripper06

続いて、7月の大宮公演MCでも話題となった、森本千絵さんと一緒のショットを2枚。

Stripper01

Stripper02

最後に、この本の扉ページに掲載の、最高にカッコ良いジュリーのショットを。

Stripper04

この容姿で、歌も作曲も、若くしてその才を開かせる・・・天はニ物を与えまくっていますね。


さて、次回更新はジュリーの『三年想いよ』神戸公演のレポートとなります。
カミさんの実家での法事予定などもあり、帰宅するのは15日の夜になりますから、下書きにとりかかるまでには日数がかかってしまうかと思います。
前後のジュリーの各地公演の様子・・・みなさまのご感想も楽しみながら、神戸のジュリー、鉄人バンドのステージについてゆっくり書いていくことになるでしょう。
よろしくお願い申し上げます!

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2014年9月 3日 (水)

THE ORAGES(オレンジズ) 『SCORE→』

released on 2014

Score01

1. L・O・V・E
2. BEAT BEAT BEAT
3. ドンマイ
4. 恋のダイアリー
5. いつでもヒール・ユー
6. チェンジ!
7. KOE
8. 宇宙(ソラ)のルーレット
9. KIseKI
10. プレイボール
11. Hit & Run
12. スパイ
13. レモン
14. すき。
15. レコード・ショップへいこう!

-----------------------

今日は、「これは肌が合う!」と久々に感じた邦楽ロック・バンドのアルバムについて書きます。
ジュリーとは直接は関係ありませんが、僕がジュリーファン、タイガース・ファンとなっていなければ出逢えなかった作品であることは確かですし、現在ピー先生と深い関わりがあるメンバーが2人も在籍しているバンドのアルバム、ということで、『ジュリーをとりまくプロフェッショナル』のカテゴリー記事更新とさせて頂きました。

さて。
ジュリーの『三年想いよ』ツアーよりひと足早く始まった、ピー先生の『瞳みのるエンタテイメント2014~歌うぞ!叩くぞ!奏でるぞ!(+踊るぞ!)』ツアーも、ジュリーのツアー同様にいよいよ後半戦に突入。10月31日のフィナーレ、大田区アプリコ公演に向け順調な再スタートが切られたようです。
もちろん全国のピーファンのみなさまは、各地公演にて参加されることでしょうが、ジュリーファンのみなさま、タイガースファンのみなさまの中で「行こうか、どうしようか」とまだ迷っているかたはいらっしゃいませんか?

ここはひとつ、ヒヨッコのDYNAMITEに騙されたと思って、是非ご参加下さい!

僕はツアー初日の6月13日渋谷さくらホール公演に参加し、LIVEレポートも書いたのですが、本当に素晴らしいステージ、内容ですから。正にエンタテイメントです。
参加前は正直、ピーが2012年に1夜限りで開催したタローとスーパースターとのジョイント・コンサート中野サンプラザ公演での体験のように、熱いピーファン、タイガースファンのみなさまの熱気を感じつつ・・・また今回は「ピーの元に集結した若いバンドメンバーのお手並み拝見」などという今にして思えば不遜過ぎる心構えで、リラックスして楽しんでこようか、などと考えて臨んでいました。
ところが蓋を開けてみれば、他でもない僕自身が熱く燃え上がり、ステージ上の全メンバーに手が痛くなるほどの拍手を送っていた・・・そんなLIVEだったのです。

何故僕はそれほどまでに熱狂できたのか。
もちろん、ピー先生の歌と演奏のめざましい進化があり、「常に新しいことにチャレンジしていく」というその姿勢に普段から積極的に共感を持っていた、ということもあります。ただ、それだけではLIVEレポートであんなに大絶賛はしていませんよ。
何と言っても大きかったのは、ピーを完璧にサポートした二十二世紀バンドの出す音や歌が、バッチリ僕の肌に、音楽嗜好に合ったということです。

特に僕は終演後、二十二世紀バンドの頼れる兄貴分、バンドマスターのJEFFさん(その日最前列という畏れ多い席を頂いたおかげで、JEFFさんについては細かい動きや表情まで本当に良く見えました)に大いに興味を持ちました。
これまで、タローやピーの活動の絡みでお名前だけは知っていたJEFFさん。僕は今回のピーのツアーで初めて、ミュージシャンとしてのJEFFさんを目の当たりにしたわけですが・・・ベースの音はもちろん、前半の「ツイスト・アンド・シャウト」で歌声を披露してくれた時点で既に、「おっ、この人の音楽性は相当に僕の好みだぞ」という感覚があったのです。
必然、普段はどんな活動をしている人なのか知りたいな、と思っていました。

さくらホール公演からしばらく経ってふとそんなことを思い出し、ツアー・パンフレットのメンバー紹介の記述をたよりに検索。
「ふ~ん、オレンジズというバンドがあるのか~」と、あれこれ探していると・・・You Tubeで「L・O・V・E」という楽曲のPVがヒットしました。

な、なにこれ!
ストライク!メチャクチャ好みの曲じゃん!

これは完璧に・・・和製ネオ・モッズ・バンドだ!
日本にこんなカッコ良いバンドがいたのか・・・。

さくらホールのレポで僕はJEFFさんについて、「モッズ系のタテノリ・ビートが得意とお見受けしました。普段ベスパとか乗ってそうな感じ」と、その時の印象を正直に書いたわけな
んですけど、とんでもなかった!「得意」どころか「本物」・・・JEFFさんはREAL MODでした!
しかもオレンジズは、メンバーチャンジを経ながらもう随分長い間活動している(今年が20周年のメモリアルイヤー?)ベテランバンドのようです。完全に勉強不足。全然知らなかったなぁ。
(後註:先輩より、JEFFさんの以前のバンド、シャムロックというバンドが完全にモッズだった、という情報を得ました。ありがとうございます!)

幾多の洋楽ネオ・モッズ・バンド・・・僕はその台頭から随分遅れて(10年くらいかな・・・)ようやく彼等の音楽の魅力にハマったのですが、オレンジズの「L・O・V・E」にはそんな僕の好きなバンド達のエッセンスがギュッと凝縮されているように感じられました。
元々僕の場合は、「まだ僕の知らない”ビートルズライク”なバンドはいないかなぁ?」とCD店を歩き回って、ジェットセットというバンドに出逢ったことからネオ・モッズの世界に入っています。ジェットセットが所属するタンジェリン・レコードのコンピレーションを聴き、ダイレクト・ヒッツやスクワイアを知り、そこからさらに広がってシークレット・アフェアー、コーズ等を知っていくという・・・本格的なMODの方々からすれば、「なにそのメチャクチャな順番」と(汗)。
大体、ザ・フーについては代表作アルバムしか知らず、キンクスをすべて聴いている、という時点で僕はモッズ・フォロワーとしては少数派なのかもしれませんが。

ネオ・モッズというのは、まぁ細かくカテゴライズしようとするとパンクとの関わりなど色々あるんですけど、簡単に言えば、1979年に起こった「モッズ回帰」のムーヴメント。映画『さらば青春の光』の大ヒットがその起点とされています。
大元である「モッズ」は一般的には60年代のビート・ロックで、先述のザ・フー(アルバム『四重人格』が映画『さらば青春の光』の原題、モチーフとなっています)やキンクスが代表格とされますが、ネオ・モッズはビートルズやストーンズなどのエッセンスも含めて、「やっぱり60年代のバンドスタイルが最高なんだ!」とシンプルに(と言ってもその手管は一筋縄ではいかない)「肯定」的なロック&ポップスを追求、ハッピーかつヤンチャなティーンエイジの雰囲気を以ってそのジャンルを確立させました。

これ、日本では結局GSがやっていたことなんですよ。
GSの場合は、60年代の海の向こうのビート・ロック&ポップスをタイムリーで吸収しようとして、結果数年遅れのタイムラグで追いかけるところからスタートしたわけで、時代は違えど、ネオ・モッズは10数年経ってからそんな60年代の音やスタイルに回帰しようとしたムーヴメントでした。
ですから、僕が「ネオ・モッズ」なんていう一般的には聞き慣れない言葉を振りかざし、みなさまが知らないバンド名を書き連ねているからといって、これを読んでくださっているタイガース・ファンの方々は、ことさら構えなくとも大丈夫。みなさまはGSを通して、「ネオ・モッズ」のエッセンスを既にお持ちなのです。
バンドメンバーが揃いの衣装を着て、曲に合わせてキメの振り付けをやって・・・「L・O・V・E」のPVをご覧になったみなさまは「あら、なんだか懐かしい感じ」と思われたのではないですか?
ネオ・モッズってそういう音楽だ、とひとまずは考えて頂いて差し支えないと思います。

ただ、GSから10年以上後のネオ・モッズ・ムーヴメントに加えられているのは、「ロック」というジャンル、定義そのものの純粋な復活。これが大きい。
70年代に入って、ロックも色々と難しいことを歌い始め、否定や厭世の概念が芸術性を高めていったことは良しとしても、このままでは「肯定」のメッセージがすべて産業ロックに牛耳られてしまうぞ、というタイミングで一躍ネオ・モッズが立ち上がった・・・僕はそう捉えています。そのあたりの当時の空気感は、シークレット・アフェアーのファースト・アルバムに寄せられた加藤ひさしさんのライナー(僕の手元のCD盤のライナーで、レコードのそれとは同一ではなさそう)を読めばよく分かります。

さて、JEFFさん率いる「現代のネオ・モッズ・バンド」オレンジズに俄然興味を抱いた僕は、リリースされたばかりだという彼等の最新アルバム『SCORE→』を早速購入。
ジャケットのタイトル・ロゴを見ただけで、このアルバムでバンドがどんな音楽を目指しているのか分かる人には分かろうというもの(矢印が重要!)です。

二十二世紀バンドではベースを担当しているJEFFさんは、「L・O・V・E」のPVで事前に分かっていた通り、オレンジズにおいてはリード・ヴォーカル&サイド・ギターを担当。バンドの完全なフロントマンなのです。

僕はこの『SCORE→』を聴くことにより、多才なJEFFさんの3つの「顔」を知るに至りました。
それは

① バンドの土台を担う、ゴキゲンなベーシスト
② いかにもロックバンドらしいリード・ヴォーカリスト
③ 素晴らしくマニアックで、才能溢れる作曲家

①については二十二世紀バンドで生のLIVEを体感しました(②も少しだけ)。また、先にお名前を挙げた加藤ひさしさん(ジュリーファンのみなさまには、「生きてる実感」「PLANET」の作曲者と言えば「あぁ!」と手を打って頂けるかと)率いる和製モッズとして名高いザ・コレクターズ(実はこれまでキチンと聴いたことなかった汗。これから勉強します。でも、加藤さんの携わったキンクス関連本はほぼ読んでます!)で、JEFFさんはベーシストとして名を連ね活躍されているようです。

僕が今回『SCORE→』で新たに知ったのは、JEFFさんの②と③の「顔」。特に・・・バンド・サウンドやヴォーカルが好みに合うだけではなく、その作曲センスには驚きました。本当に素晴らしい才能です。

目眩く「ねじれポップ」職人。
変態転調の鬼!

アルバム収録全15曲のうち、12曲がJEFFさんの作詞・作曲作品でした(「ねじれ」や「変態」というのは、ロック界では最高の褒め言葉です。念のため)。
その変態性にもかかわらず耳馴染みは最高にポップ、という作曲の才能は、ほとんどレイ・デイヴィスとかアンディ・パートリッジ並みのレベル(アンディ・パートリッジ率いるXTCも、ファーストに限っては実は志したのはモッズ回帰と同じじゃないかと僕は踏んでいます。マートン・パーカスと似た曲が多過ぎるぞ!いや、どっちが先とか後とか言うより、目指したところが同じなのではないかと)ではないですか!

さらに、PVを観た時点では見逃していたんですけど、CDのメンバー・クレジットを見てビックリ。
オレンジズのリード・ギターはNELOさん(二十二世紀バンドのギタリスト)だったのです。
こんなに自分の嗜好に合うバンドから2人ものメンバーが参加しているんじゃ、僕が二十二世紀バンドの音に肌が合ったのもごく当然のことだったわけで。

Score02


↑ 左端がJEFFさんで、右端がNELOさんです。

本当はこのアルバムをご紹介するには、「とても良い曲がたくさん入っている、最高にポップなバンドの名盤」とだけ言えばそれで良いのです。
でもここでは、「大長文ブログ」らしく(最近、記事が長すぎて最後まで読めない、というお話をよく聞く汗)あれこれ書かせてくださいね。

収録曲すべて気に入りましたが、「特にどれか1曲」と問われたら、挙げるのはやはり1曲目「L・O・V・E」。
ヴァースごとに目まぐるしく繰り返される転調や、3分に満たない演奏時間まで含めて、完璧なポップ・ロック・チューンだと思います。
いや~、初めてYou Tubeで聴いた時は衝撃だったなぁ。イントロ始まって4小節目でもう転調するんだもの。その転調を受けて最高に突き抜けたベース・ラインが噛んできて、歌メロが始まって・・・最初から最後まで気を抜くところがありません。
「L・O・V・E~♪」から始まるキャッチーなAメロは、何と3小節+4小節で回しているんですよね。そんな変則構成なのに、難しい曲には全然聴こえない、むしろストレートな直球に聴こえるという・・・その秘密は「pa,pa,pa,la♪」のコーラスでしょう。このコーラスの噛みどころがこの曲最大の肝!

次に好きなのは、14曲目「すき。」・・・これはサイケデリック・バラードですよ~。名曲!
実は、アルバム収録全15曲の中で純粋に「バラード」と呼べるのはこの曲のみ(広く考えれば9曲目「KIseKI」もバラードと言えますが)。最初からず~っとビート系でカッ飛ばしてきて、アルバムのラス前に突如バラードを配する曲並びはニクいですね。
何と言ってもエンディングにしか登場しない「大サビ」の印象が強烈。また、Bメロの転調が本当にキレイで・・・JEFFさん、いいメロディー作るなぁ、と。
演奏では、左サイドのキーボードの音色と刻みがビートルズの「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」だったり・・・細かいところまで趣味性の高いバンドのセンスが溢れています。大サビで噛んでくるNELOさんの武骨なリード・ギターも、このバラードにピッタリ合ってる。
あと、これは詞がとても素敵なのです。フレーズはシンプルだけど、途方もなくピュアな感じ。きっとJEFFさんの真っ正直な言葉なんだろうなぁ。
一番好きなのは、「楽しさくらべたり 悲しさくらべたり 自分の気持ちさえあればそれでいいのにね♪」と歌う箇所。恋をした時には特に、「人と自分を比べてしまう」人間らしい苦悩ってありますよね。JEFFさんの歌は、美しくも凝ったメロディーに違和感なく載せられた言葉で、そんな苦悩を優しく和らげてくれます。

個人的好みの3番手は11曲目「Hit & Run」。初めて聴いた時には、ト長調とイ長調のヴァースが入れ替わる変態転調構成にただただ圧倒されるばかりでした。
Aメロが6小節区切りで2回し目に移行するスピード感。これ、ありきたりのバンドなら8小節で回すところで、細かいながらも重要な工夫なのです。
また、球場応援っぽいフレーズのブレイク部では、何と7拍子のアイデアが導入されています。
こうした細部にまで気の利いた斬新な構成、アレンジは、オレンジズが元々持っていたものなのか、それとも長年かけて編み出されたバンドの進化の表れなのか・・・僕はまだこの『SCORE→』が彼等の通算何枚目のアルバムであるかすら把握していません。1枚ずつ新しいアルバムから遡って聴いていこうかなぁと考えてはいますが・・・オレンジズに詳しい方がこの記事を読んでくださっていたら、おススメのアルバムを伺ってみたいところです。

2曲目「BEAT BEAT BEAT」もポップなメロディーを擁する名曲。でもそれだけじゃないんだなぁ。
サビメロと同じ進行のイントロ・・・普通に作曲するなら歌い出しのコードはイントロをそのまま受けて「D」であるべきところ、瞬時に「F」に移行しています。それぞれ最高にポップなメロディーなのに、ヴァースによってキーが違う、というのがJEFFさん得意の作曲手法のようですね。
リード・ギターとベースのアンサンブルでメロディアスなリフを聴かせるアレンジが、いかにもネオ・モッズです。
そして、エンディングの3連符に思わずニヤリ。JEFFさんほどの人が、ダイレクト・ヒッツの「Modesty Blaise」を知らないはずがありませんから。このアレンジはおそらく作曲段階から狙っていたはずです。

恋の歌、というだけでなく、JEFFさんが音楽仲間やバンドのファンにまで対象を拡げたメッセージ・ソングとも言うべき5曲目「いつでもヒール・ユー」も、カッコ良いリフが印象的な曲。
16ビートのファンキーなカッティング・リフがこの曲の肝なんですが、イントロのそれと、ポップなサビ部が終わった直後の着地地点のそれとでは、演奏フレーズはまったく同じなのにキーが異なる、という「引っかけ」があります(イントロは「E」でサビ直後は「C#」)。
2番の歌メロで何事もなかったかのように「E」に舞い戻る瞬間がスリリング!

このように”変態転調の鬼”であるJEFFさん、ニクイのはアルバム最後の最後の15曲目に、調号変化が登場しないストレートなロック・チューンを持ってきたこと。「レコード・ショップへ行こう!」・・・これまた痛快な名曲です。転調が無い、というだけでメチャクチャ新鮮に聴こえるぞ~(普通は逆です)。
僕も一応レコード世代ですから(ネオ・モッズのバンド達を知ったのはCD時代になった後でしたが・・・)、「帯は捨てんじゃないぜ♪」「指紋つけんじゃないぜ♪」といった歌詞には、「うんうん!」とうなずいてしまいます。
印象的なギター・リフを前面に押し出した構成に、僕はジュリーの「Good good day」を連想しました。

変態変態と人聞きの悪いことを言いまくって、とても失礼なようですが・・・JEFFさんならそれも、「褒め言葉として、ありがたくいただきま~す♪」と言ってくれるはず。
そんな内容の歌詞で、「人の言うことを何でも前向きに考えてみよう」というメッセージ・・・気の持ちようで「歴史まで変えてやるぜ」と「今」を謳歌するビート・ポップス(これぞネオ・モッズの心意気!)が、8曲目「宇宙(ソラ)のルーレット」。
きっとLIVEでは、お客さんが揃っての「ヘイ!」というレスポンスがあるんだろうなぁ。

コール&レスポンスと言えば、ライヴバンドの持つ最強の武器のひとつ。その点で収録曲中最も強力なのが7曲目の「KOE」でしょう。
しかも、「君の声聞かせて♪」とJEFFさんのヴォーカルがお客さんにレスポンスを要求する拍のタイミングが、ビートルズの「イット・ウォント・ビー・ロング」のような感じになっているんですね。
こういう隠しアイデアは、聴いていて本当に盛り上がります。もちろんお客さんはビートルズの曲を知らなくても簡単にレスポンスはできるんですけど、作曲時のJEFFさんのいかにもロック・マニア的な、「これ、ネタ分かる人いるよね?」という遊び心が嬉しいのです。
さらに、途中で演奏が消えてヴォーカルとコーラスが残される構成・・・これはシークレット・アフェアーの看板ナンバー「Time For Action」の狙いと通じるものがあるんじゃないかな。聴き手のエネルギーを取り込もう、巻き込んでいこう、という。
「KOE」=「Time For Yeah!」ということですね。

他、JEFFさんの作品は3曲目「ドンマイ」(間奏の転調の着地を受けて、サビメロを微妙に変化させているのが好き)、4曲目「恋のダイアリー」(ハードな導入部&エンディングと、ゴキゲンなシャッフル・ポップスの主メロの対比が素晴らしい)、9曲目「KIseKI」(NELOさんのカノン風の間奏リード・ギター部で、左右に配された囁き声のコーラス?が効果的な優しいテンポのポップチューン)、12曲目「スパイ」(ちょっとアブナくてキュートな歌詞と、ハード・ロカビリーな曲調との組み合わせが見事)・・・どれもJEFFさんのセンス漲るアイデアに富んだ、聴き応えのあるナンバーです。

残る3曲は、他の3人のメンバーがそれぞれ1曲ずつ作詞・作曲を担当しています。
6曲目「チェンジ!」はいかにもベーシスト好みのランニング・フレーズを採り入れたROBINさん作の軽快なナンバー。メロディーもキャッチーで、サビで登場するファルセット・ヴォーカルが印象に残ります。

NELOさんの作品である10曲目「プレイボール」は、ピーのツアーでの二十二世紀バンドで観たNELOさんの哀愁のあるヴォーカル(「朝日のあたる家」「僕のマリー」を担当)の印象とはまた違った、コミカル・タッチのシャッフル・ナンバー。次曲、同じ野球ネタ・タイトルの「Hit & Run」へ続くという曲並びが楽しいです。
13曲目「レモン」はドラムスのMALさんの作品ですが、これがまた面白い!ドラマーという普段和音に縛られていない人の作曲の為せる技なのかな・・・独創的なメロディー(特にAメロの語尾が斬新)を擁したサイケデリック・ナンバーです。その独特なサイケ解釈は、スクワイアの名曲「No Time
Tomorrow」を彷彿とさせます。

と・・・まぁ転調のこととかモッズのこととか、ちょっとマニアックな話をたくさん書いてきましたけど、とにかく最高にポップ!というのがこのアルバム最大の魅力。
何も難しいことを考えずとも、モッズを知らなくとも、「バンド好き」な人であれば最初から最後まで楽しく聴き通せる名盤です。
ただ僕は、凄くセンスの良い凝った楽曲が並んでいるんですよ、ということをせっかくですからここで書いておきたかったのでした・・・。

まずはみなさま、一度は今回のピー先生のツアーに参加してみてください。そして、二十二世紀バンドの音に興味を持ったら、JEFFさんとNELOさんがいるオレンジズのアルバム『SCORE→』も、この機に是非聴いてみて!
初日のさくらホールでは確認できなかったけど、たぶん会場販売もしてるんじゃないかなぁ。


(追記:オレンジズについて色々検索していたら、ドラゴンゲート(ジュリーファンにはお馴染み、新井健一郎選手が所属しているプロレス団体)について熱い文章を書いていらっしゃるブログさんを発見。JEFFさんのお友達みたいだけど・・・僕もドラゲー大好きなので、ちょっと気になっています)


さて・・・ジュリーの『三年想いよ』ツアーは九州シリーズの第1弾も大成功に終わったようで、いよいよ週末には渋谷公会堂2daysですね。
今年は後半戦からのセットリストの差し替えは無いのでしょうか。もしあるとすれば5日の渋谷公演から、という可能性も考えられますが・・・。

僕は渋谷2daysには参加できませんが、6日に急遽YOKO君の参加可能性が濃厚となっています。
実現すれば、彼にとっては初の同ツアー複数回参加となります。会場で彼を見かけたら、暖かく迎えてあげてください。ただ、前日5日の公演で万一セトリ変更があっても、そこは黙っていてあげてね~。

僕は、みなさまの渋谷のご感想を楽しみに拝見しながら次のお題を考え、神戸遠征前にもう1曲だけ何か考察記事を書こうと思っています!

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