沢田研二 「胸いっぱいの悲しみ」
from『JULIEⅥ ある青春』、1973
1. 朝焼けへの道
2. 胸いっぱいの悲しみ
3. 二人の肖像
4. 居酒屋ブルース
5. 悲しき船乗り
6. 船はインドへ
7. 気になるお前
8. 夕映えの海
9. よみがえる愛
10. 夜の翼
11. ある青春
12. ララバイ・フォー・ユー
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早いもので、もう5月です。
今日はトークショーなんですね。
みなさまの感想をネットで拝見したり、お話を伺ったりするのが楽しみです。
ところで、みなさまもうご存知かもしれませんが・・・加瀬さんが、体調不良でワイルドワンズの公演をお休みされるのだそうです。
心配です・・・しっかりお休みされ、また元気な笑顔でファンの前に戻ってこられることをお祈りします。
本日のお題は、加瀬さん作曲の幾多のジュリー・ラヴソングの中から、1973年のヒット曲です。
先日(と言うかこれまで何度か)僕は、2010年お正月コンサート『歌門来福』のセットリストについて、「誰もが知るシングル・ヒット」は「LOVE(抱きしめたい)」ただ1曲!」などと書いてしまっていますが、それは間違い。
「イントロクイズ」状態の印象が強烈なセットリストだったことは確かですが、この時採り上げられたシングル・ヒット曲は他にタイガースの「スマイル・フォー・ミー」、そして「胸いっぱいの悲しみ」の2曲がありました。
いずれもジュリーファンの先輩方の評価も高い名曲で、僕の中で「シングル・ヒット」の概念からうっかり抜け落ちていたのは痛恨の極み。特に「胸いっぱいの悲しみ」は、敬愛するじゅり風呂の先輩が大好きな曲、との認識はずっと持っていただけに・・・ここは全力で懺悔考察記事を書くしかありません。
今日は、〆のオマケだけでなく記事中にも当時の貴重な資料を織り交ぜながら書いてまいりますよ~。
アルバム『JULIEⅥ ある青春』から。
オリコン・チャート4位・・・まごうことなきヒット・シングル・ナンバーの名曲です。伝授!
先輩方からお借りしているジュリー関連の資料を読んでいますと、タイガース解散後のわずか数年の間に、ジュリーが驚くほどの精神的成長を遂げていく様子が手にとるように分かります(もちろん、歌手としての実力も同様ですが)。
何といっても・・・ちょっとしたインタビュー記事などでも、じっくりと考え咀嚼し自分の言葉でしっかりと、正直すぎるほどに伝えようとする姿勢は、この頃からジュリーが自然に持っていた資質だったのですね。
だからこそ、目指している方向がその都度分かり易い・・・普通、若くしてここまでのトップアイドルになってしまうと、その地位を安住の地にせんと守勢に入るものかと思いますが、ジュリーは決して現状に妥協せず、浮かれることなく自らを俯瞰して常に上を目指し進んでいたようです。
先輩方にとってはとうにご承知、常識のお話になりますが・・・まずはそんな「ソロ歌手」ジュリーの最初の数年の経緯を少しおさらいしてみましょう。
PYGの活動と並行し、ソロとして本格的に打って出たジュリー。71年ロンドン・レコーディング・アルバム(『JULIE Ⅱ』)をリリースし、年末のリサイタルを成功させたあたりは、ジュリーもまだ手探り状態。
しかし翌72年、アルバムからのシングル・カット「許されない愛」が大ヒットします。
その後も「あなただけでいい」「死んでもいい」と、シングル・リリースの度にヒットを重ね、レコード大賞歌唱賞受賞、紅白歌合戦初出場。一方で、自作曲で固めたセルフ・プロデュース・アルバム『JULIEⅣ 今僕は倖せです』も成功させるなど、単なるアイドルの枠を越えた高いレベルでの多岐に渡る活躍で、正真正銘のトップ歌手に。
そしていよいよ翌73年、ジュリーのシングル・リリース攻勢は止まるところを知らず、「あなたへの愛」のヒットに続いて、ロック色を強めた野心作「危険なふたり」が爆発的な大ヒット。
普通の歌手ならこれでもう事実上の頂点。満足してしまうところかもしれません。
ところがジュリーはそこに安住しようとせず、当時の雑誌インタビューで「まだ上がある。てっぺんを目指す」とさらに自らを鼓舞しています。
その意欲表明・・・それが途方もないスケールであるにも関わらず、とても自然に感じられるのがジュリーの凄いところ。周囲のスタッフや熱心なファンも、そんなジュリーの成長と意気込み、心の強さについていくのが大変でもあり、大きな楽しみでもあったでしょうねぇ・・・。
僕の印象では、73年春頃になると明らかに写真に写った時のジュリーの目力が強くなってきます。もちろんそれ以前のジュリーの目力もファンならば強烈に感じていたのでしょうが、ここへきて万人に訴える表情というのか・・・「何だ、この青年のオーラは」と大人達がビビるほどの風貌が備わってきているように思うのです。
ジュリーが「危険なふたり」に続くシングル曲にさらなる勝負をかけていたことは、各雑誌記事掲載のジュリー自身の言葉からも明らかです。
再びロンドン・レコーディングとなったアルバム『JULIEⅥ ある青春』からの先行シングルとしてリリースされたその曲こそ、「胸いっぱいの悲しみ」でした。
セールス時期を狙いすまし「夏」から「秋」の季節感を明確に打ち出した安井かずみさんの歌詞と、「ジュリーならばこの曲想のヴォーカルは間違いない」と加瀬さんが自信を持って練り上げ作曲した3連ロッカ・バラード。
そこにプラスされたのが、やや演歌調(悪い意味ではありませんよ!)の装飾を意識したと思われるオーケストラ・アレンジ。ポップス調の曲想に抵抗感を持つ頭の固い賞レース審査員を黙らせてやろう、という戦略・・・なのかな、と僕は考えますが邪推でしょうか。
しかもこのアレンジが、「演歌の日本人」ではなく外国人のプロフェッショナルによる編曲というのがポイントで、ロンドン・オリンピック・スタジオ・オーケストラの演奏もスケールが大きいのです。
「ジュリーって歌手は、これまでの日本歌謡界の常識をどんどんくつがえしていくよ」と、押せ押せのプロモートであることがそうした陣立てからも分かろうというもの。ジュリーの上昇志向に呼応するかのように、スタッフ一丸、「危険なふたり」のさらに上を目指し、年末の賞レース(当時はとてつもなく権威があったわけですからね)を意識したシングルだったと推測されます。
そしてジュリー自身にも「この曲でてっぺんを!」という明確な気持ちがあったことが、当時の様々な資料から窺い知ることができます。
結果、残念ながら「胸いっぱいの悲しみ」は「危険なふたり」を凌ぐセールスとはいきませんでしたが、多くの識者にジュリーの「確かな歌唱力」をアピールするには充分の実績を残し、「ジュリー=変幻自在のヒットメイカー」の印象も植え付けたと想像します。
「危険なふたり」単発の大ヒットのみで後続シングルが不発だったとしたら、73年末の歌謡大賞受賞ももしかしたら危なかったのではないでしょうか。
ズバッと豪快なヴォーカルがシンコペーションで入ってくるAメロ冒頭からもうっすでに、曲の力を感じます。
そう、「胸いっぱいの悲しみ」はまず「勇ましい」曲想なのです。
『沢田研二/イン・コンサート』より。おおむね無難な採譜だと思いますが、「F#m」表記のところを「F#7」で弾きたい箇所があるなぁ・・・今回歌詞引用部では太字表記で「F#7」に修正しております。試しに弾いてみて!
これでもう 逢えないと あなたの瞳に
A C#7 F#m A7
こらえた涙を みた時 僕には
D E7 A F#7
何も出来なくて ♪
D B7 E7
これは「別れのラヴソング」と言うよりも、主人公(ジュリー)が、経験したばかりの「ひと夏の恋」の相手を思い出してギター片手に歌っている、というシチュエーションでしょう。
主人公はその恋に格別の大きな未練を持っている感じではなさそう。しかしながら「いい女(ひと)だったなぁ」と秋の感傷に耽っている、「胸いっぱいの悲しみ」と言いながらも、終わった恋の感慨に酔ってしまっている、といったところでしょうか。
恋の相手の女性にとってはたまったものではないですが、それこそがコンセプト、歌の狙い、と見ます。
そう、『JULIEⅥ ある青春』は、世界中を旅し港ごとに恋をする船乗り(=浮気な鳥)の物語。
まるで71年リリースの『JULIEⅡ』の主人公の少年が雄雄しく成長し海の男としてひとり立ちした・・・そんなイメージを僕はこの『JULIEⅥ ある青春』というアルバムに持っていて、「胸いっぱいの悲しみ」もそんな一篇だと捉えているのですが、いかがでしょうか?
安井さんの得意技である独特の倒置法が、主人公の心情を見事に表現しています。
例えば1番Aメロの2回し目。
聞けば又 辛くなる 今更ひとりで
A C#7 F#m A7
あの頃 流行った歌には
D E7 A
あなたの 楽しい思い出 ♪
F#7 D E7 A
別れた彼女を思い出しながら、ふたり恋していた頃の流行歌を聴いている主人公。「聞けばまた辛くなる」とは言うものの、う~ん、悲しみに酔っている・・・ように僕には聴こえます。それがこの曲の素晴らしいところ、ジュリーらしいところだとも思います。だからこそ勇ましい曲調、アレンジが合っていると思うのですが・・・。
短い夏の恋に 悲しむあなたが ♪
D A E7 A A7
今とても気にかかる 新しい倖せ祈るよ ♪
D A Bm7 E7 A
「元気かなぁ。僕と別れてふさぎこんだままじゃないかなぁ。でももう、あの港には行けない。あなたが新しい恋を見つけてくれることを祈るよ!」
そんなふうに73年のあの美貌のジュリーに歌われたら・・・女性ファンのみなさま、どうでした?
「キ~ッ、そんなこと言われても、忘れられるわけないじゃん!」って感じじゃなかったですか?
まったく、罪な男が似合いまくるジュリーなのです。
ところで、「ジュリーらしい」と言えば・・・加瀬さんが「君をのせて」の歌入れの時、「ああ~あぁ♪のところがいかにも沢田らしくてイイ!」と絶賛していたそうで。
「それ以来私は、あ~あと歌う曲が多くなりました」
とジュリーが後に語っているように、当然「胸いっぱいの悲しみ」にも「あ~あ♪攻撃」があります。先の「悲しむあなたが~ああぁあ~♪」のトコですけど、それとは別に、いかにもジュリー天性!という感じの絶妙な声の伸ばし方をしている箇所が僕のイチオシです。
落ち葉舞う 秋風に ♪
A C#7
この曲のヴォーカルで一番好きなところ。「おちば」の最初の「お」の伸ばし方が凄くないですか?
わざとらしく気合を入れている風でもなく、それでいて凄まじい迫力。1番の「これでもう♪」の歌い方のヴァリエーションをジュリーなりに試してみたのでしょうが、本当にジュリーは3連ロッカ・バラードの申し子のようなヴォーカリストだと思います。
アルバム『JULIEⅥ ある青春』からは、この曲と「気になるお前」以外は、今後のLIVEで聴くことはなかなか難しい・・・のでしょうか。
「朝焼けへの道」もそうですが、「ララバイ・フォー・ユー」などは今のジュリーが歌ったらどれほど凄いことになってしまうんだろう、と夢想してしまいます。
あと、「夜の翼」は鉄人バンドの演奏を是非聴いてみたい曲なんだけどなぁ・・・。
それでは、ダメ押しでお宝資料のオマケです!
いずれもMママ様からお預かりしている貴重なお宝。Mママ様のお宝はとにかく1971年~74年にその数が集中しておりますので、ちょうど「胸いっぱいの悲しみ」リリース前後の時期の資料も採り上げていけばキリがありません。
今日はほんのいくつかの雑誌記事など数点をご紹介するに留めますが、残りの資料については、また『JULIE VI ある青春』収録お題記事の際にでも少しずつ・・・。
まずは、『JULIEⅥ ある青春』レコーディングのため、勇躍ロンドンに乗り込んだジュリー。
服の「UFO」ってロゴが気になるなぁ・・・。
僕はジュリーファンとしてはヒヨッコですので、髪型や服装などからお宝資料の年代を判別することができません。この記事みたいに「タイガース時代の『ハーイ!ロンドン』の映画撮影含めて3度目のロンドン」とかヒントを書いてくれないと、写真が何年のジュリーなのか分からない(汗)。
で、これは1973年で合ってます・・・よね?
「8月の新曲を待っててネ!」というのが、「胸いっぱいの悲しみ」のことですね。
続きまして。
タイガース時代からの乙女なファンはもちろんのこと、この時期になると「もうジュリーの実力はアイドル的評価にとどまらず、世間がハッキリ認めるべきだ」みたいな感じのメディアの論評も増えてきたのかな?
その中のひとつと考えられるのが、『ビッグ・フォー・イン・コマ』(4人のビッグ・アーティストでスケジューリングされた梅田コマ・スタジアム73年8月公演)のパンフレットに寄せられた、日本経済新聞・河塚順一郎さんの文章です。
ちなみにこのパンフレットの表紙はこちら。
当たり前ですが、全員若い!
最後に、その待望の新曲「胸いっぱいの悲しみ」を引っさげて(?)の、73年秋の九州ツアーから。
ご覧のようにこの記事には、ジュリーが「胸いっぱいの悲しみ」で”1等”の上の”特等”を狙う、という話が出てきます。やはりリリース当初の狙いは「この曲でレコード大賞」だったのでしょう。
この記事には実はもう1ページ分、セミを指でつまんで見つめるジュリーのアップ写真があるんですけど、セミとか苦手なかたもいらっしゃるかと思い、添付を自重いたしました・・・。
といったところで、さて次回更新は・・・すみません、ゴールデンウィークの個人的旅日記になりそう(汗)。
まぁ、一応何とかこじつけてジュリー・ラヴソングのお題はつけるつもりですが・・・うまくいくかな?
いきなり暑くなってきましたね。
みなさま、よい連休を!
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コメント
DY様
当然ながらリアルタイムでは知りませんが、この楽曲は、小学生の頃、FMラジオをエアチェックした「沢田研二シングル特集」の中の1曲でしたので、録音したカセットテープを擦り切れるほど聴いた思い出があります。
不思議なもので、長い中抜け期間を経たにもかかわらず、今でも空で歌えますねぇ。
ただ、ジュリーが実際に歌ってる映像を観たのは、ずっと後で、DVD「糸車…」だったりします。
個人的には、このDVDのROCKバラードVERSIONもお気に入りです。
一度は生で聴きたい楽曲のひとつですね〜
投稿: Mr.K1968 | 2014年5月 2日 (金) 22時05分
Mr.K1968様
ありがとうございます!
あ、Mr.K様はまだ生でこの曲を聴かれていないのですね。
僕はラッキーなことに、一度『歌門来福』で観てますからね~。あの時もロッカ・バラード色は感じました。
ジュリーの中でも「何年かに一度」セットリストに入れる曲なのではないでしょうか。数年のうちにはもい一度聴けそうな気もします。
普遍的な歌ですしね。歌詞にしても、すたれることのない名曲ですね。
投稿: DYNAMITE | 2014年5月 3日 (土) 10時24分
DY様 G.W.後半、如何お過ごしでしょうか?
さて、名曲の範疇? カテゴライズの仕方のベースが…職業としてもしっかり音楽に関わっておられるDY様と、趣味娯楽の中でどんな音楽も単純に感性のみでスキスキ? している私とではギャップがありますね?(笑)

の?(笑) 私でしたが、高校時代に違和感なく、タイガース解散からPYGファンに移行出来(*寧ろ、音楽性が高くなって嬉しかったかな)、『自由に歩いて愛して』や『やすらぎを求めて』系・他も絶賛嵌まりまくって、LPもシングルもすり切れる程聴いて育ったから? …「今更、この曲はないわ〜」の想いが、今も残ったままです。


していったのに・・・ 何故でしょう!?(笑)
この楽曲はリリースされる前にラジオから新譜紹介で流れる度に、微妙な…残念な気持ちになっていたので・・・ 名曲
十代最後の年から二十歳に掛け、まだ学生だった私には受け入れ難い楽曲で…そして、現在40年経っても好きにはなれないままの楽曲です(ゴメンナサイ)。
アルバム「ジュリーⅡ. Ⅲ.」派
当時より『君をのせて』は、年を重ねると共に“好き度”が上昇
追伸;「ロックジェットVOL.56」…想像以上に良かったです!!
投稿: えいこはん | 2014年5月 3日 (土) 15時01分
DYさん、お邪魔します。
この曲に限ったことではありませんが、オリジナル音源は、加瀬さんが“いやらしく”歌わせたボーカルの印象が強いです。出だしから♪これで もうぉぉ♪と喘ぐような甘い声、続いて囁くように♪会えないと♪が来るボーカルを初めて聴いた時は、うっとりしました。当時、中学生。EMIのベストで聴きました(白黒ロイヤルとは別物です)。それから20数年経った歌門来福で聴いた時は、普通に『いい曲だな~』と思いました。
個人的には、時代を超える魅力を持つ佳曲だと思います。でも、えいこはん様のお気持ちも分かります。当時、このようなボーカルを引き立てることに徹した曲は、守りに入っていると受け取られても、仕方のないことだったのでしょう。
今回の伝授は、加瀬さんにとって、最高のお見舞いだと思います。私も、加瀬さんの体調回復を心から願っています。
投稿: 74年生まれ | 2014年5月 3日 (土) 16時51分
DY様 こんばんは。
新曲が出るたび「そー来たか」
なジュリーですから。(笑)
予想どうりのことも、勝手な期待どおりのこともあったためしが無い。
「PYG]の方向性を期待してたら、
「どーしてよ!」
になりますよね。(私もちょっとそう思ったし)でもこの曲自体は大好きです。
今にして思えばジュリーは自分の音楽を一心に模索していただけだと思います。
それを形にするのにいろんな人の力が必要で、この時代は加瀬さんがメインだったんでしょう。
全体を俯瞰してジュリーの音楽の変遷をとらえつつ、こうして今もまだ未来をわくわくしながら見つめていこうと思う時に、DY様のようなブログに出会えたことは幸運でした。
加瀬さんも早くお元気になって70台の「きめコン」も期待したいです。
投稿: nekomodoki | 2014年5月 3日 (土) 23時51分
お返事遅れて申し訳ありません。
☆
えいこはん様
ありがとうございます!
おそらく僕は後追いのせいか、それぞれの曲を時系列切り離して聴くことがすんなりできてしまうのでしょうね。
ひとつひとつとりだして、「この時代にこんな曲が!」と楽しめる歓びは新規ファン独特のものかもしれません。
「胸いっぱいの悲しみ」は、タイムリーに聴いていたらどうだったかなぁ。「演歌路線なのかなぁ」と思ってしまったかもしれません。
☆
74年生まれ様
ありがとうございます!
確かにリリースの流れで聴いていきますと、「ん?」という感じのある曲かなぁと思います。
しかし「守りに入った」とは思えませんよ~。だって、この時代「ロッカバラード」なんてジャンルが日本人にどのくらい知られていたか。「ジュリーが一番先にそれを確立するのだ」という加瀬さんの攻めですよ!
むしろ、「早過ぎた」のではないでしょうか。
僕としては「守りに入った」印象があるジュリーのシングルは唯一「白い部屋」かなぁ。いや、曲は素晴らしい名曲ですけどね!
☆
nekomodoki様
ありがとうございます!
まったく仰る通りです。
そして、その「予想を裏切られる感覚」が今なお続いているという…これがジュリーなんですね。新規ファンが増えるはずです…。
そう考えますと、その「予想をくつがえし続けてきたこれまでのジュリーをずっとタイムリーで見てこられた先輩方は、本当にうらやましいですし、大げさではなく歴史の証人だと思いますよ。
そこにあったのはやはりジュリーの探究心、向上心だったでしょうね。「自分で考えて」いたからこそ、優れたサポート・スタッフが周りに集まってきたのでしょう。
そして今、鉄人バンドがいるこの環境にまで辿り着いて…。
僕は2009年の「きめコン」を見逃していますので、加瀬さんに「もう一丁!」とお願いしたいです。早くお元気になって欲しいですね。
投稿: DYNAMITE | 2014年5月 6日 (火) 11時26分
胸いっぱいの悲しみ で特等を狙っていたのは知りませんでした。
難しかったのか?取れなくて残念でした。
加瀬さんの事、心配です。
投稿: keik | 2014年5月 6日 (火) 23時25分
keik様
ありがとうございます!
きっとジュリー自身も発売当時の手応えがあった曲なのではないでしょうか。
今まで、プロに用意された曲をなかなか咀嚼できていなかった(いや、ファンからすれば素晴らしく完成されているのですが、ジュリー本人の手応えとして、のお話です)のが、この曲では「うまく歌に気持ちを込められた!」と思っていたのでは…邪推ですかねぇ。
結果、「危険なふたり」を凌ぐヒットとはなりませんでしたが、後のジュリー・ヴォーカルの猛烈な進化に大きな影響を残した曲だと僕には思われています。
加瀬さん心配ですね…。僕らには元気に復活されることを祈るしかできませんが…。
投稿: DYNAMITE | 2014年5月 7日 (水) 21時38分