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2014年5月

2014年5月28日 (水)

THE BEATLES 「HELLO GOODBYE」

from『JULIE Ⅲ SAWADA KENJI RECITAL』、1972
original released by THE BEATLES single、1967


I say high、you say low
You say why and I say I don't know
Oh、no
You say goodbye and I say hello

Hellogoodbye_2

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長らく更新が途絶え、申し訳ありませんでした。
今日は楽曲考察記事ではなく個人的な日記のような感じになりますが、気持ちも新たに再スタートです。

さて、今回なんとも皮肉なお題での久々の更新となってしまうわけですが・・・みなさまご存知の通り、楽しみにしていたポール・マッカートニーの半年ぶりの来日公演が、ポールの急病によりすべて中止となりました。

いや、自分が参加を予定していた初日の国立競技場公演だけが中止となり、その後の武道館や大阪公演が無事行われた、という状況であれば、僕もここまで長きに渡って落ち込んではいなかったと思います。
現実には、ポールはずっとこの日本の何処かで療養している・・・でも詳しいことは全然分からない、というヤキモキ感が続いたのが辛かった・・・。
この10日間ほど様々な情報が錯綜する中、ポールは公にその姿を見せず、僕は幼少からのアイドルでありスーパースターであり続けているポールの容態をただ心配しながら、オロオロと過ごすばかりの日々。

ここへ来ての報道によれば、どうやらポールは腸捻転と診断されていたようで、投薬のみの治療だと腸閉塞に至る怖れもあったため緊急手術に踏み切った、とのこと。
術後の経過も良好で、ポールはすでに26日には無事日本を飛び立ちロンドンに帰国にしたようで、ようやく多くのファン同様、僕も落ち着きを取り戻しすっかり元気になったところです。

今回のポールは、本当に「ハロー・グッドバイ」の歌詞そのままの来日になっちゃったなぁ・・・。
いや、詞の内容は、落ち込んでいる相手に「大丈夫だよ!」と言ってるんだと思ってはいます。そういったことも含めて、今回のことを象徴するような曲だなぁと考えて、記事タイトルにしたんですけどね。

YOKO君が言ってました。「当たり前だけど、ポールはスーパースターであってもスーパーマンじゃないってことだよね。70歳を超えた一人の高齢者でもある、と身につまされた」と。
でも、ツアー中の急病が他でもないこの日本公演のタイミングだったからこそ完璧にケアできたんだ、逆に良かったんだ、と思えますし、本当に元気になるまでゆっくり療養して欲しい・・・そう、とにかく「無事でありますよう」ということに尽きます。
そんな「祈り」の大切さを、最近ジュリーに教わったばかりですから。

それに、こんな時に僕を立ち直らせてくれたのがピー先生のLIVEのチケットでした。いよいよ6月13日から始まるツアー・・・先日無事に再配達で届いた初日のチケットが、とんでもなく素晴らしいお席で。
「ポールは残念だったね。でもそろそろ元気出せよ!」
とピー先生に励まされているような気がして・・・とても嬉しかったです。

そんなこんなで今日は、ポール初日公演予定だった5月17日からの顛末記を執筆し、自分の気持ちにひと区切りつけたいと思っています。
少しばかりおつき合いのほどを・・・。


☆    ☆    ☆

待ちに待ったツアー初日、5月17日。
僕が購入した国立競技場のチケットは、ステージから1番遠い位置の席でしたが、たった半年でまたポールに会える、それだけで幸せというものです。
野外の風を感じながら盛り上がるにはうってつけの席じゃないかな、とも思っていました。

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この日が来るまで、僕は某SNSで50日前からブッ通しで1日1曲ずつセットリスト予想を50曲分つぶやき続ける、という傍から見れば迷惑千万な気合の入れようでした。挙げた曲の中には今日の記事のお題とした「ハロー・グッドバイ」などの有名曲もあれば、「ホワット・ユー・アー・ドゥイング」「ジャンク」「バック・シート」といった”全然当たらない”系の予想もありました。

また、ポールの最新作『NEW』のアルバム・マッチング・スコア(洋書)が5月上旬に発売となり、いち早く購入して楽しんでいました。
弾いていて一番気持ちがいいのは、ギターだと「セイヴ・アス」、鍵盤だと「クイーニー・アイ」でしょうか。

Newscore

さて初日当日は素晴らしい快晴。正に絶好の野外コンサート日和となりました。
夫婦で早めに出かけ、散歩がてら新宿御苑を突っ切って南下するコースで会場に向かうことに。

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新宿御苑からは、ジュリーファンのみなさまお馴染みの建物が見えています。
今さらながら、今年の『悪名』公演に参加しなかったのは痛恨の極みでした・・・。

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のんびり御苑内を歩いた後、南口から出まして、今度は千駄ヶ谷駅周辺の散策。
僕は大の将棋ファンなのですが、千駄ヶ谷は関東将棋界の聖地なのです。カミさんを引きずり回すことにはなりましたが、将棋関連の有名な場所を訪れることもこの日の大きな楽しみのひとつでした。

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関東将棋会館。
平日は、ここで毎日のようにプロ棋士の対局が行われています。この日は休日だったのでピリピリした空気は無く、将来を志す子供達の姿をチラホラと見かけました。

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鳩森八幡神社。
千駄ヶ谷駅から将棋会館に向かうと、必然この神社の境内を抜けるのが最短ルートとなります。プロ棋士や、プロを目指す奨励会の若者達、将棋界関係者の方々の数え切れないほどの人生模様が今なお交差し続けている場所です。

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将棋会館で対局中の棋士が、昼夜の出前をとることで有名な『みろく庵』さん。もうひとつ『ほそ島や』さんというお店も有名なんですけど、そちらは発見できず残念。


そうこうするうち時刻が午後4時を過ぎ(開場時刻は午後3時半)たので、そろそろ入場しようと青山門を目指して歩いていたら、観音橋の交差点に物凄い人だかりが。どうやら入り待ちの人達のようです。
僕はLIVEでアーティストの入り待ちとかするタイプではないんですが、「ポールがここを通って会場入りするのか~」と、せっかくなので見ていこう、ということになり待機・・・でも、今考えるとその時から様子がおかしかったんですよね。場内へと進む人の流れが無くて。
後に知ったところによれば、開門こそしていたけどスタジアム内にまでは入ることはできない状態だったのだそうです。

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しばらくして集まっている人達の動きがなにやら慌しくなり・・・すぐ近くにいたガードマンのかたから「中止」の言葉を聞いた時には、その場に崩れそうになりました。
まぁその時点では翌々日の月曜日への振替公演の案内があり、すぐに気持ちも切り替えたのですが・・・結局はそれも叶わず全公演が中止に。

しかし、これはカミさんが言っていたんですけど、僕ら初日参加組はいくらか恵まれていた、と思わなければなりません。少なくとも「あと数時間でいよいよ」というドキドキ・ワクワク感は味わえたのですから(翌日以降はは、「本当に開演するんだろうか」との心配で、みなさんワクワクどころではなかったでしょうからね)。
その後、ポールの容態を心配しながら過ごす毎日がやってきました。ブログ執筆など色々なことがまったく手につかなくなり、自分でも驚いたのですが、毎晩ポールの夢を見ていました。中には、普通にコンサートが行われてその場に自分がいる、という生々しい夢も(でも、ジョージ・ハリスンがゲストでギター弾いてたりしてた)。

僕はこういう時、無理に沈む気持ちに逆らわずにドップリ落ち込んでしまう方が早い浮上のコツだと考えているので(それにしては結構時間がかかりましたが汗)、ずっとポールやビートルズの曲、映像に溺れていました。つい半年前の日本公演の映像などは、元気いっぱいの動くポールを観て切なくなったりはしましたが・・・。

こんな雑誌も買いました。

Beatleg_2

『ビートレッグ』6月号。
来日に合わせての発刊で、もちろん「日本公演」への大きな期待の雰囲気に満ちた渾身の1冊(表紙左で素敵な笑顔を炸裂させているのが、昨年しょあ様がブログで大絶賛されていたポールのバンドのギタリスト、ラスティ・アンダーソンです)。
メインの特集は、1991年以降のTVライヴのセットリスト・データとエピソード。写真も充実しています。
また、ポール関連以外の記事では、ウィルコ・ジョンソンとノーマン・ワットロイというパブ・ロック・パーソン伝説の2人のインタビューが素晴らしかったです。

さらに、5月24日から全国イオングループの映画館などで封切られたニューヨーク・ライブ・フィルム上映企画の、ポール・マッカートニー『グッド・イヴニング・ニューヨーク・シティ』も鑑賞してきました。

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曲単位ではバラバラにネットで観たことのある映像なんですけど(結局昨夜DVDをポチしてしまいました)、映画館の大スクリーンで観るとやはり臨場感が違いますし、それにこれは野外コンサートの映像ですから、「007/死ぬのは奴等だ」でのド派手な花火などを見ると、「あぁ、今回はこれが観られるはずだったんだよなぁ・・・」とウルウルしてしまいます。
(ポールは今回の来日前に「日本のファンに今度は花火の演出を観てもらいたい」と言ってくれていて、そのため東京・大阪共に野外のスタジアム公演が予定されていたのです)

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このニューヨーク公演のセットリストでは、アルバム『追憶の彼方に~メモリー・オールモスト・フル』から「ダンス・トゥナイト」「オンリー・ママ・ノウズ」の2曲、”ザ・ファイアーマン”名義のアルバム『エレクトリック・アーギュメンツ』から「シング・ザ・チェンジズ」「ハイウェイ」の2曲と、この時点でのポールの近作から計4曲がピックアップされていることが大きな特徴。
そして、アンコールの「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」で、僕も大好きなビリー・ジョエルがピアノとヴォーカルで飛び入り参加し盛り上がります。
他では、「アイヴ・ガット・ア・フィーリング」(ビートルズ)や「ミセス・ヴァンデビルト」(ウイングス)が最高に良かった・・・大きなスクリーンで観て今回初めて気づいたんですけど、「ミセス・ヴァンデルト」のエンディングのラスティが、「タイガースのテーマ」のダンスとそっくりな動きをしていたなぁ・・・(こちらの4’19”あたり)。

ちなみに今のポールのバンド(もう10数年、同じバンドでツアーを続けています)って、メンバーそれぞれのスタンスが鉄人バンドにそっくりなんですよ。
フロントマンへのリスペクト、楽曲へのリスペクト、どんなアレンジにも対応でき、全員が曲に応じてコーラスも担当する4人の超・職人集団・・・それだけで既に鉄人バンドっぽいのですが

・とにかく笑顔でぴょんぴょん飛び跳ね、ポールと絡むシーンも一番多い永遠のギター・キッズ、ラスティ・アンダーソン
・演奏中に霊力(?)で担当楽器を取り替える(「バンド・オン・ザ・ラン」でエレキ→12弦アコギ、「ヘイ・ジュード」でタンバリン→ベース、など)、痩身のギタリストにしてベーシスト、ブライアン・レイ
・神の両手で多彩な音色を駆使、静かに燃えるキーボーディスト、ポール・ウィックス・ウィッケンズ
・パワフルな演奏と、曲の世界に入り込む情熱のコーラス、そして自然にふりまかれるチャーミングな仕草でバンドに明るく華やかな雰囲気を添えるドラマー、エイブ・ラボリエル・ジュニア

・・・と、各メンバーのキャラまで見事に共通しているのです。
ウイングスのメンバーなど、ポールはこれまで幾多の素晴らしいミュージシャンとステージを共にしてきましたが、現在の「この5人ですべてをやる!」というスタイルこそが、ライヴバンド・サウンドを志すポールが辿り着いた究極のステージ形態なのでしょうね。いつもジュリーと鉄人バンドのLIVEを観ていますから、よけいにそう感じます。

残念ながら今回の来日公演は中止となりましたが、こうしてポールの素晴らしいパフォーマンス(バンドの4人も含めて)を大スクリーンで堪能し、「擬似ライヴ」体験ができて気持ちがいくらか晴れました。
実際、LIVE感覚でのシネマ鑑賞ということで言いますと、僕らの後列にいらした熟年のご夫婦らしきお客さんが、お二人でサイリウムを持ち、1曲終わるごとに拍手をされていました。その道の大先輩でいらしたのでしょう。
そして、上映初日にいらしたお客さんのほとんどが、同じ心境での鑑賞だったのかなぁと思います。

思えば、初日の国立競技場で開演直前に中止の案内があった時、遠方からはるばるお越しの方々も大勢いらした中、怒号が起こるようなこともなく、皆しゅんとうなだれながらも粛々と帰路に着く様子は、さすが日本のファン!という感じでした。
同時に、普段「当たり前」に思っていることがどれほどの奇跡であり、大切な時間であるのかを再認識させられました。ジュリーファンのみなさまならば、この意味を深くお分かり頂けるかと思いますが・・・。

今はただ、ポールの全快を祈るばかり。
きっとまた日本に来てくれるはずです!

We hope you GETTING BETTER
See you here Japan、AGAIN AND AGAIN AND AGAIN!

今回の『グッド・イヴニング・ニューヨーク・シティ』上映、映画館に急遽ポールへのメッセージ・ボードが設置される、という話だったのですが僕が行ったトコには無かった・・・あったら、上の言葉を残してくるつもりでした。

☆    ☆    ☆

せっかくですから、今回お題とした「ハロー・グッドバイ」のジュリーのカヴァー・ヴァージョン(『JULIE Ⅲ』収録)について少し触れておきましょう。
ギター、ベース、ドラムスがほぼオリジナル完コピの渋い演奏で魅せる井上バンド。そんな中、大野さんのキーボードが自由度の高いアレンジでジュリーのヴォーカルを追いかけます。クレジットには、編曲・大野克夫とあります。カッコイイ躍動的なアレンジですね。
同じビートルズ・ナンバーの「ゲット・バック」へとメドレー形式にするため、コーダ部で細かく転調を繰り返してキーを下げていき、「ゲット・バック」の歌いだしに合わせる・・・これも大野さんのアイデアでしょう。
ビートルズのオリジナルではちょっとルーズに「ヘイラ♪」と聴こえるそのコーダ部のヴォーカルを、ジュリーは丁寧に、しかも艶のある瑞々しい声でハッキリ「ハ~ロ~♪」と歌います。伝えやすく発音しよう、という若きジュリーの几帳面な性格を思わせます。名演です!

ホント、どうして『JULIE Ⅲ』をはじめとするジュリー70年代の素晴らしいライヴ盤が未だCD化されずにいるのでしょうね?「鳥になった男」なんて、絶対にキチンとした形で後世に残すべきでしょう!
何か難しい問題でもあるのかな・・・。


ということで、「ポール無事帰国!」の報を受け僕も完全復活し、ブログも本格再始動。
次回は、吉田Qさんのファースト・アルバムをみなさまにご紹介いたします。
ご存知「涙がこぼれちゃう」を含む待望の吉田Qさんデビューアルバム『幸せの黄色いジャケット』は、胸キュン・歌謡ポップスの名曲揃い。僭越ながら、ライナーノーツ風に全曲解説させて頂きます!

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2014年5月13日 (火)

沢田研二 「真夏のconversation」

from『NON POLICY』、1984

Nonpolicy

1. ナンセンス
2. 8月のリグレット
3. 真夏のconversation
4. SMILE
5. ミラーボール・ドリーマー
6. シルクの夜
7. すべてはこの夜に
8. 眠れ巴里
9. ノンポリシー
10. 渡り鳥 はぐれ鳥

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さて今日は「ジュリー・ラヴソングの旅」シリーズに戻りますが、超久々の『ジュリー・ヴォーカル徹底分析』のカテゴリーにて更新となります。

本格ジュリー堕ち直後の2009年に張り切って開始したこの
カテゴリー・・・まぁ「結局どんな記事書いてもジュリーのヴォーカルについては散々語ることになるんだから」ということで、敢えてヴォーカルをメインのテーマを絞るこのカテゴリーでの執筆は、最近とんとご無沙汰。
カテゴリー自体、このまま放置されていくことになるかなぁ、と考えていたところでした。

しかし今日のお題を選んだきっかけというのが・・・いつもお世話になっているJ先輩、momo様が以前からお会いする度に仰っておられた
「私『NON POLICY』のヴォーカルが好きなのよね・・・」
とのお言葉。
フェイバリット・ジュリー・アルバムとして『NON POLICY』『TRUE BLUE』の2枚を常に挙げていらっしゃるmomo様、日頃から「私、ちょっと好みが変わってるのかしらねぇ」と仰るのは尤もなお話で、熱心なジュリーファンにあっても、この2枚を真っ先に挙げるかたというのは確かに少数派ではあるでしょう。

ところが、「momo様がそこまで仰るのだから・・・」とマッサラな気持ちで改めて『NON POLICY』を聴いてみて、このアルバムのジュリーのヴォーカルは確かに他のどの作品とも違うようだ、と遅まきながら僕にも分かってまいりました。
それが、「渡り鳥 はぐれ鳥」の記事を書いてしばらく経ってからのことでしたね。

では、このアルバムのヴォーカルの何が、どのように特殊なのでしょうか。
今日はそのあたりを考察すべく、アルバム収録曲中唯一のダブル・トラック・ヴォーカル導入のナンバー「真夏のconversation」を採り上げ、様々な角度から曲を紐解きながら、『NON POLICY』のジュリー・ヴォーカルの特性に迫ってみたいと思います。
伝授~!

まずアルバム全体のヴォーカル処理について。
総じて、ディレイ・タイムの短い設定でエフェクトがかけられています。カラオケマイクのようなエコーではなく、「機械で声質をいじっている」ような感触。
これは一般的に、声を硬く尖らせる効果があるとされている処理で、80年代のシティ・ポップスにおける流行手法でもあります。
ジュリーの作品としては『A WONDERFUL TIME』収録の「PAPER DREAM」や「WE BEGAN TO START」あたりからハッキリとした狙いを以って採り入れられ、『女たちよ』で確立されました。
ですから、その処理自体はジュリー・ヴォーカルにとって真新しいことではありません。
やはり、ジュリーの「歌い方」にこそ注目すべきです。

1980年前後から、佐野元春さんや大沢誉志幸さんなどの若い新たな才能の台頭を受けて、「英語的な発音でのクールな日本語歌詞の歌い方」が、邦楽ポップスに大きな影響をもたらします。彼等の楽曲をいち早く採り入れているジュリーにも、当然その影響はありました。それはいたって自然な流れ。
しかし『NON POLICY』を通して聴いていくと、そうした発音での歌い方、さらに機械的なエフェクト処理・・・それら「流行」とガチンコするかのように、ジュリーが語尾の母音を狂おしくせり上げて歌うスタイルを多く織り交ぜていることに気がつきます。
このヴォーカルは、容赦なく母音を叩き斬る、いかにも洋楽直系の『S/T/R/I/P/P/E/R』の頃とは対極の、良い意味で純日本的な表現のように思えるのですが・・・いかがでしょうか。

「音」「リズム」のインパクトが強烈な『女たちよ』では、こうした
歌い方はまだ抑えられていて(それが悪いわけでは決してありませんが)、ここへきての『NON POLICY』収録曲・・・特にメロディーの美しいナンバーで聴くことができるヴォーカル・スタイルは、ジュリーの歴史線上での大きな変化のひとつだと思います。
そう、「シルクの夜」あたりは言うまでもないですけど、この「真夏のconversation」も、ロック的なアプローチと共にとても美しいメロディーを擁する楽曲なのです。
例えば

押し寄せる波 明日へ続くよ
G       C         E7      Am

決して消えない love call さ
Dm                   E7   F7  E7

Everyday・・・ 君を愛してる
        Dm             Am

耳をすまし 聞いてみなよ
   Dm         B7            E7

このあたりの流れは、本当にキレイなうねりを持つメロディーですよね。
そして、「耳を♪」や「聞いてみなよ♪」の語尾の母音の粘り。ここに純歌謡曲的な(褒めています!)ニュアンスを感じるんです。
発声としては、70年代後半、大野さんの作品のジュリーを思い起こさせる・・・でも単に「あの頃の」ヴォーカルをなぞっているのではなく、80年代流行の近代的なアレンジ、エフェクト処理なども丸ごと飲み込んでのジュリーの主張、表現なのではないでしょうか。
エクスタシーの一歩手前で、聴き手を焦らしているようなヴォーカルです。
こうした「日本の歌謡曲」の素晴らしさを感じさせる歌い方が、クリス・レア作曲作品でガッチリ嵌っているのがまた凄い。まぁそれはいずれ「スマイル」の記事で改めて書くとしましょう。

次作『架空のオペラ』からのCO-CoLo期になると、焦らし続けていたエクスタシーを解き放って裸になったようなヴォーカル、という印象を受けます。
その「一歩手前」の緊張感が『NON POLICY』の特性のように僕には今感じられているのです。

また、『NON POLICY』では、ヴォーカルの隙間隙間での「合いの手」的なジュリーの「喘ぎ」がいよいよ徹底されていることも大きな特徴です。
メロディーの空白部で「アオッ!」と言ってるんですね。
『A WONDERFUL TIME』収録曲でもこの「アオッ!」が楽しめますが、まだ「曲に応じて」という段階です。
それが『NON POLICY』では全開。どの収録曲でもやってます!ロックな曲でもバラードでも、エロティックなジュリーの喘ぎを聴くことができるのです。

「真夏のconversation」で一番目立つ「アオッ!」は、ブリッジ部のラスト・・・2’30”あたり。これはジュリー、歌入れ前から「ここで炸裂させる!」とあらかじめ決めていたっぽいですね。
対して、3’15”や3’32”で登場する「アオッ!」は、歌に入り込んだジュリーが咄嗟に出した喘ぎ、といった感じ。しかも、マイクにギリギリで拾われることを意識していると思われます。ジュリー天性の勘でしょう(それを絶妙に拾い上げたミキサーさんのセンスと技量にも拍手)。
3’32”の箇所などは、ヘッドホンで聴かないとジュリーの声に気づけないかもしれません。その「聴こえるか聴こえないか」の喘ぎもまた、エロいではありませんか。

もし、「『NON POLICY』はいまひとつしっくり来ないアルバムなんだよなぁ・・・」という方がいらっしゃったら、是非このジュリーの「アオッ!」をひとつたりとも聴き逃さないようにしながら、アルバムを通して聴いてみて!
すべての「アオッ!」をチェックし終える頃にはあら不思議、『NON POLICY』のジュリー・ヴォーカルが病みつきに・・・となっている可能性大ですよ~。

冒頭で触れたように、「真夏のconversation」のヴォーカルには、ダブル・トラックが導入されています。
これは、「人待ち顔」と同じ手法です。
1度歌ったワン・トラックを複製してコンマ数秒ずらす、というミックス処理ではなく、ジュリーが2回に渡り同じヴォーカル・パートを別々に歌っているのです(ブリッジ部以外)。
試しに1’59”の、「言い続けるさ♪」のロングトーンの語尾を注意してよく聴いてみてください。明らかに、2人のジュリーがそこにいますでしょ?
で、曲中登場する「アオッ!」はすべて、どちらか一方のヴォーカル・トラック単独のもの。メロディー部はダブル・トラックの端麗な輪郭で、シャウト部は単独の生声感覚に、という狙いでしょう。

歌メロ自体ワン・トラックの他収録曲には、「アオッ!」だけをダブル・トラックで重ねるという真逆のパターンもあり(「ミラーボール・ドリーマー」)、その場合の「アオッ!」にはメロディーがあるんです。この辺りがヴォーカリスト・ジュリーの並外れた嗅覚と言えるでしょう。
特に話題に上がることはほとんど無い分野ではありますが、後録りのハーモニー・コーラス・トラックの素晴らしさ含め、ジュリーは「重ね録り」の天才です

ということで・・・ここまでジュリーのヴォーカルについて語り倒してきました。カテゴリー的にはこれでオッケ~ですが、せっかくですから純粋に「真夏のconversation」という楽曲の魅力についても少し書きましょう。

リズムはミディアム・シャッフル。
『単純な永遠』リリース時に吉田建さんが「不安にさせよう」について、「こういうシャッフル・リズムは、ジュリーは得意中の得意!」と断言していましたが(横で話を聞いているジュリー自身は「え~、そうなのかなぁ」みたいな顔に見えますけど)、実は「真夏のconversation」のような、「
短調の」ミディアム・シャッフルというのはジュリー・ナンバーとしてはかなり珍しい。「悪夢の銀行強盗」以外他にあるかな?「デビューは悪女として」は、イントロ伴奏部が長調ですし・・・。

抱きしめた その時に泣いていたね
Am                         F                   G

くちびるを かんだ君 何を想う ♪
Am                          F

コード進行としては短調ポップスの王道。奇をてらったところは一切ありません。
プロの作曲家の手にかかれば、そのシンプルな進行がそのまま美しいメロディーの流れに直結するんだなぁ、ということがよく分かります。

真実おくれよ 心を おくれよ
Dm               Am

真夏のConversation ♪
   F     Em      Am

トニック着地直前のドミナント・コードが「E7」ではなく「Em」というのがクールでカッコイイです。
こういうところは、エキゾティクスのアレンジ(ギターよりも鍵盤楽器の比重が高く、パーカッション装飾もシンセの打ち込み音を多用)共々、「シティ・ポップス」っぽい意識があるのかな。

で、三浦徳子さんの詞ですが・・・これは「ラヴソング」であることは間違いないとして、男女のどういうシチュエーションを切り取ったんだろう?

恋人の間に決定的なすれ違いがあって、ちょっと微妙な雰囲気の2人になっているように僕には思えます。或いは、主人公の男の方が何かやらかして、彼女を怒らせ悲しませてしまっている・・・とか?
還暦ジュリーで本格堕ちした僕としては、そんな時即座に「ごめん!」と素直になるのがジュリーのイメージではありますが、さすがにこの当時はね・・・カッコ良くくどき倒す、惚れ直させるという二枚目路線。
『NON POLICY』が面白いのは、収録曲が進むにつれて何となくそんな二枚目路線が徐々に砕けていくような感覚があるんです。
最高にクールな「ナンセンス」から始まり、最後には「ノンポリシー」「渡り鳥 はぐれ鳥」になっちゃうんですからね。その曲並びがまた最高なんですよ。

ひとつ言えるのは、僕が『NON POLICY』というアルバムを、以前よりもずっと好きになってきている、ということです(momo様もう1枚のフェイバリット『TRUE BLUE』については、まだその魅力をハッキリ掴みきれてはいないのですが汗)。

オシャレなシティ・ポップスのアルバムとして聴いていると、そんな先入観を次々に裏切られてゆく心地よさ。
クールなグレイの風景に浸っていたら、後半に進むにしたがって次第に景色が明るくなってきて、最後には完全に陽が射し、「何難しい顔で聴いてんの?」とジュリーに言われているかのようです。
その余韻でもって再び1曲目「ナンセンス」からおさらいしたくなる・・・病みつき度の高いヴォーカル・アルバム。

momo様、そしてこのアルバムを愛するみなさま・・・長らくお待たせしてしまいましたが、今ようやく断言します。
『NON POLICY』、名盤です!


それでは、今日のオマケです~!
1984年の『宝島』6月号。これは、最近お世話になっているピーファンのお姉さまが、昨年のジュリーの『Pray』ツアーの際、わざわざ僕のためにコピーしてお持ちくださった資料です。
僕はこれ、初めて見ました。ありがとうございます!

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いやはや・・・この当時のツアー中に、ジュリーとエキゾティクスの間でそんな悪戯が流行っていたとは。
ワケの分からない時間に叩き起こされる柴山さん・・・なんだか想像してしまうと気の毒ですが、皆若いからそういうことも平気で、仕掛ける方も仕掛けられる方もはしゃいでいたのかなぁ。

まさか今でもこうした悪戯が?
でも今の鉄人バンドなら、叩き起こされる役は柴山さんではなく、下山さんか泰輝さんのような気がします・・・。


さて。
申し訳ありませんが・・・次回の更新まで、しばらくお時間を頂きます。
今週末にポール・マッカートニーの国立競技場初日公演に参加するので(武道館公演はチケットが高すぎ断腸の思いであきらめました・・・泣。改めて、ザ・タイガースのチケット価格がどれほど特別で、あり得ないお値段だったことかと感謝)、当分の間ポールモード、ビートルズモードに突入します。
LIVE参加後に、ポールの今回のセットリストの中から、ジュリーが歌ったことのある曲をお題に採り上げ、『ジュリーがカバーした洋楽を知ろう!』カテゴリーでひとつ記事を書こうと思っています。「レット・イット・ビー」はもう書いちゃってるけど、「ヘイ・ジュード」は必ずやるので、「ネタが1曲も無い・・・」なんて途方に暮れることはないでしょう。でもできれば「アイム・ダウン」「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」「ハロー・グッドバイ」あたりで書けることを期待していたりして。

それが終わったら吉田Qさんのファースト・アルバムの記事を書き、その後再びジュリー・ナンバーへと戻ってから、ピー先生のソロ・ツアー初日レポート執筆、という流れになりそう。
7月からの『三年想いよ』ツアーが始まるまでの間にも、こうして大きな楽しみが続くのです。

稽古に全力で打ち込んでいたのでしょう・・・最近更新が無く静かだったピーのオフィシャルサイトも、本日久々に更新されていますね。
先の週末にツアー・パンフレットの写真を撮っていたとのこと・・・そろそろチケットも発送かな?

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2014年5月 8日 (木)

『THE FAB FOUR ARCHIVES』さん訪問記~素晴らしき私設ビートルズ資料館

すみません!
本日はジュリーとは関係の無い、ゴールデン・ウィークの個人的旅日記での更新となります。
ビートルズのお話です。

みなさま、ゴールデンウィークはいかがお過ごしだったでしょうか。
僕も久々の連休を、ゆっくりしたり出かけたりしましたが、さすがに長期連休明けは仕事も忙しく、ブログの更新期間も1週間空いてしまいました。
さてその大型連休・・・以前から組んでいた予定の中で僕が一番楽しみにしていたのが、船橋にある私設ビートルズ資料館『THE FAB FOUR ARCHIVES』さんを訪れることでした。

『THE FAB FOUR ARCHIVES』さんを初めて知ったのは、2年ほど前になります。東京新聞に掲載されていた開館紹介の記事を読んだのでした。
学校の先生でもいらっしゃる館長の野口さんが、大ファンであるビートルズ関連の膨大なコレクションの数々を多くの方々に見て頂くため、ご自身のマンションを展示資料館として改装、貴重なお宝や逸話を広く伝えようという主旨で開設されたのです。

いつか訪れたいと常々カミさんとも話していましたが、折りしもポール・マッカートニーの半年ぶり(!)の再来日が決定し(5月17日、東京公演初日)、特別企画期間としてポールやウイングス関連のお宝アイテムの数々がご開帳、展示されるとの情報を得まして、この機に訪ねてみたという次第。

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JR船橋駅から徒歩約10分、閑静な住宅街の一角。
パッと見だと普通のマンションのようですが、表札をよく見ますと・・・。


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見学は事前の少人数予約制・・・何と、無料です!
完全に野口さんのボランティア、熱意と愛情による運営となっているのです。
実は、予約をすべてカミさんに任せていて、「見学無料」と僕が知ったのは行きがけの電車の中。
「それは・・・何かおみやげを持参しなければ・・・」
などとカミさんと車中で話すも、訪問約束の時間が差し迫り、僕らは本当に手ぶらで訪れてしまいました・・・。

当日は、はるばる沖縄から訪れた3人のみなさん(野口さんによりますと、これまでで最も遠方からお越しのお客さんとのことでした)と、僕ら夫婦の計5名にて開催。
加えて・・・何と、偶然この日野口さんを訪ねていらしていたのが、『CDジャーナル』編集長や『ビートルズ事典』監修で著名な藤本国彦さんと、国際的カメラマンとしてご活躍中で、ビートルズゆかりの地を旅する本を何冊も執筆されている福岡耕造さんという、ビートルズ道を極められたお二人。はからずも、野口さんはじめビートル・マニアの大先輩お3方のお話を伺いながらの見学となり、望外の歓びでした。

まずは、野口さんから簡単なご挨拶が。
開館から2年が経ち、今も大盛況が続いていらっしゃるとのこと。野口さんとしては、1年経った昨年あたりから少しはゆっくりできるかな、とお考えだったそうですが、昨秋のポールの来日を受けて盛況は止まず・・・今年こそゆっくりできるかな、と思っていたら電撃的なポール再来日決定でまたまた多忙に・・・と、むしろ嬉しそうに語っていらっしゃいました。
実際この日お話して強く感じたのは、野口さんの温かいお人柄と情熱、そして何より全身から溢れ出るビートルズ愛。お仕事をされながら、貴重なお休みの日を資料館の公開日として割かれ、そのビートルズ愛を広く伝授されているのです。
本当に素晴らしい方でした。

見学内容は大きく2つのコーナーに分かれ、最初の1時間が展示アイテム閲覧、そしてお宝レコード試聴が1時間と、それぞれ野口さん自らの解説と共に楽しめます。

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この日は「ポール特集」期間中ということで、展示アイテムはポールづくし。野口さんが海外などで苦労してコツコツと入手してこられた、貴重なレコード盤や新聞記事、レプリカの数々。
僕としましてはやっぱり、貴重な各国シングル盤の数々に目を奪われます。

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展示アイテムの撮影はフリー!何と有難い・・・。

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『カモン・ピープル』のシングル・レコード盤なんて、存在自体初めて知りましたよ!

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ポール初のソロ・シングル『アナザー・デイ』だけで、こんなにも種類があるんですね(写真上段)。

図々しく、「何かスコア資料はありませんか?」とお尋ねしますと、「一番整理できてないジャンルなんですよね~」と仰いながらも野口さんが奥の棚から取り出して見せてくださったのが、世界初のビートルズのスコア!
曲は「プリーズ・プリーズ・ミー」です。
「この頃はスコアと言ってもかなり適当なんですけどね」とのお言葉通り、ホ長調の曲が何故かト長調で採譜されていましたが・・・いやいやとてつもない貴重なお宝を手にとって鑑賞することができました。

さぁ、ひと通り展示アイテムの閲覧が終わりますと、続いて別室のアナログ・スタジオルームへとご案内頂き、いよいよ野口さん選りすぐりのレコード音源、試聴タイムとなります。
このコーナーでかけられる曲は、野口さん日替わりのセレクトです。お客さんのマニア度も考慮されての選曲とのこと・・・この日は、展示見学時に挙動不審にエキサイトしている絵に描いたようなビートルズオタクの男がいたためか(恥)、なかなか濃い内容でした。

と言ってもまずは基本から。シングル『ペーパーバック・ライター』日本盤と英国盤の聴き比べです。
こんなにもマスタリングによって印象が変わるのか、と改めて驚かされました。やはり英国モノラル盤は素晴らしい。ギターのソリッド感、そして何よりベースの音圧が違います。
このシングルはリリース当時、あまりにベース音のミックスが強すぎて針飛びしやすい、なんて話があったことは有名ですが・・・いやいやド迫力の低音でした。
ちなみに野口さん、最初にこのシングル盤をかけようとして間違えて33回転でセットしてしまい笑いをとる、という”レコード世代あるある”な余興(?)も。

続いてのセレクトは、いきなりマニアックになりまして・・・ポール・マッカートニーの『フロム・ア・ラヴァー・トゥ・ア・フレンド』(2001年リリースのアルバム『ドライヴィング・レイン』からの先行シングル)。野口さんがかけてくださったのはもちろん、シングル盤のレコードですよ!
この「隠れた名シングル」についての野口さんの解説には、本当に感動しました。
リリース当時のポールは、リンダに病で先立たれ、新たな恋人であるヘザーと結ばれた時期。
野口さんは
「あの、常に前向きなポールがこの曲では「dilemma」なんて単語を使っている。リンダとの別れがあり、大きな悲しみの中にいながらも、今ヘザーとの新たな人生に進もうとしている自分は、一体何なんだ?という葛藤がこの歌詞にはあると思います」
と仰るのです。
最初にこの曲を聴いたリンゴ・スターが涙ながらに感動し絶賛した、という話は有名で、そういうこともあってシングルに選ばれたわけですが、野口さんは
「やっぱり、一緒にいた時間が長いから・・・リンゴにはポールの気持ちが分かったんじゃないでしょうか」
と解説してくださいました。

そして・・・本当に野口さんの仰るように、CDアルバム『ドライヴィング・レイン』で聴くのと、単独でシングル・レコードのヴァージョンを聴くのとでは受ける感動が全然違うんです。エンディングなど、音も明らかに違います。
さらに
「この曲は(CDよりレコード、というのは当然として)、LPレコードよりも、このシングル盤なんですよ!」
と、熱く語る野口さん。
道を極めた先達のお言葉には、説得力があります。

そして遂に、野口さんのコレクションの決定版とも言うべき、貴重な貴重なアセテート盤が披露されます・・・この日はその中から2曲を試聴させて頂けました。
アセテート盤というのは出版物で言えば「青焼」段階のもので、野口さんも「本来は関係者しか持ち得ないものが、何故かこうして世に出回っているんですよねぇ」と感慨深げですが、入手に至るまでにはきっと、大変なご苦労や驚嘆の逸話がおありなのでしょう。

アセテート盤はその特性からプレスの状態が粗く、1度針を落とすたびに急速に劣化していきますから、こうして実際耳に触れさせて頂くというのは身に余る光栄、とんでもなく貴重な機会なのです。心して聴かねばなりません。もちろんこの日の2曲共に、僕がいつも耳にしている正規オリジナルのテイクとはミックスが異なります。

最初に、「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」。
すぐに耳が「おぉ!」と反応するのは、ジョージのコーラス・エフェクトを効かせたリード・ギターのフレージングと、小さい音ながら渋過ぎる裏メロで優しく楽曲全体をサポートしているオルガン。僕はこのオルガンを誰がプレイしているのか咄嗟に分からず、聴き終わった後に「ジョンですか?」と素っ頓狂な質問をしてしまいましたが、すぐに藤本さんが「ビリー・プレストンですよ」と。
あっそうだ、このセッションにはビリー・プレストンも同席していたんだった・・・確か、最初はエレクトリック・ピアノを弾いていたのが、途中からオルガンになったんだ・・・ただ、そうなるとジョンの演奏楽器は一体?サイド・ギターの音を聴き逃してしまったのか?
(帰宅してから自前の資料で確認。ジョンはベースです。良く考えたら必然じゃん・・・)

そしてもう1曲。これは感激と言う他なかった・・・何とジョンのシングル「マザー」のアセテート盤!正に、ヒヨッコ・オタク男の若造に格の違いを知らしめる、垂涎のお宝音源が降臨です。

「マザー」という曲をご存知の方ならば、この曲の最大の魅力がジョンの「絶唱」・・・それまでのロック・ミュージックにおいて、誰もこんなふうにこんな曲想を歌うことは無かったと言っても過言ではないあのヴォーカルだ、ということはお分かりでしょう。
ところがところが、アセテート盤のジョンのヴォーカルは、オリジナル・テイク以上の凄まじさでした。フェイド・アウト間際(実際にはこの曲は完全なフェイド・アウトではなくピアノで終わる←この終わり方も公式音源とは違った)の声が、あの凄いオリジナル音源よりさらに凄いという・・・もう何と表現すれば良いのか。
しかも、ジョンのギターのガイド・トラックが普通にミックスされていて、ハッキリと聴きとれるのです。
素晴らしいテイクを聴かせて頂き、野口さんには感謝の言葉もありません・・・。

試聴コーナーの〆は、先日放映されたばかりの、昨年のポール・マッカートニー東京ドーム公演、最終日のダブル・アンコール部を鑑賞しました。
思い出すなぁ、「イエスタデイ」のサイリウム。あのツアーで「福島のために」とこの曲を歌ってくれたポールへのお礼に、最終日、ポールには内緒でイベンターさんが準備してくれたサイリウムを、東京ドームのお客さん全員が一斉に掲げた「イエスタデイ」の映像が、こうして無事残ったんですねぇ・・・。
あの時すぐ気づいたけど、Aメロの途中でポールが「ウルッ」と一瞬だけ声を震わせる箇所があるんですよね。ポールのその感激が「半年ぶり」という望外の短期間での再来日に繋がったのだとしたら嬉しいのですが・・・。

試聴コーナー後、沖縄からお越しの3人のみなさんは、帰路の飛行機の時間の関係でお別れとなりました。
僕ら夫婦も合わせてその時おいとまするべきだったのですが、沖縄のみなさまがお持ちになった抹茶ムースのお土産を「せっかくですから食べていってください」との野口さんのお言葉に甘えてしまい、畏れ多くも藤本さん、福岡さんとも同席し、ムースを頂きながら、間近に迫ったポールの国立競技場公演初日のセットリスト予想談義に加わるという、光栄過ぎる時間を過ごすことに・・・。こんなことは通常の開放公開日ではあり得ないでしょう。

その道の大先輩お3方は、ポールの今のバンドでの演奏曲目を完全に把握していらして、その豊富な経験、知識から導き出される予想は当然ながら鋭い!
結局、「大きな変化は望めないとしても、少しでも多く貴重な曲が聴けると良いですねぇ・・・」ということで、希望的観測ながら、オープニングを「ヴィーマス・アンド・マース~ロック・ショー(~ジェット)」とする予想で一致。
さて、実際はどうなりますか。

また、資料館展示部屋のテーブル上には、福岡さんの近著『ビートルズ 追憶の彼方』が。
この本について、遊び心満載のちょっとした秘密も教えて頂きました。
『ビートルズ 追憶の彼方』は何といっても、奇跡的に発掘された「ポールと出逢うほんの数時間前」のジョン(当時16才)の写真が世界初公開で掲載されているという素晴らしい本なんですけど、ソフトカバーを外すと本の本体は真っ白のデザインとなっていて、そこにさりげなく、小さな数字の羅列があります。
シンプルな白デザインに小さな数字の羅列・・・ビートルズの「ホワイト・アルバム」LPをお持ちのみなさまはピンと来るでしょう。レコードを買ったすべての人がそれぞれ異なる番号を所有することになる、という有名な「ホワイト・アルバム通しナンバー」への、福岡さんのいかにもビートルズ愛好家らしいオマージュなのです。
ならば、『ビートルズ 追憶の彼方』も1冊1冊違う番号が通しで印刷されているかというとそうではなく・・・。
「これ、俺の番号!」
と、楽しそうに明かしてくださった福岡さん。
つまり、福岡さんがお持ちの「ホワイト・アルバム」のナンバーが、デザインとして刷られているのです。
最高の隠れアイデアですね。
僕も20代の頃までは、「自分だけの番号」を暗記していたけど・・・いつしか忘れてしまいました。今度実家に帰省した際に、しっかり控えてこなくては。

藤本さんも福岡さんもそうなのですが、本来僕のような者にとっては「雲の上」の存在のプロフェッショナル。そんな方々が、ビートルズの話となると少年のように目を輝かせて、こんな末端のファンである僕らにも気さくに語りかけてくださいます。
それもこれも、野口さんが作り上げた魔法の空間があればこそ、なのです。

気づけば、見学終了予定時刻を大幅に越えて・・・あまりに楽しくて、すっかり長居をしてしまいました。
藤本さん、福岡さん、そして野口さん、本当にありがとうございました。長々とお邪魔をしてしまい申し訳ありませんでした・・・。またいつか、今度は展示アイテムが通常モードの時にお訪ねしたいと思っております。

この日、素敵な時間を過ごさせて頂き、改めて「愛する音楽と出逢えている人生」というのは本当に素晴らしいんだなぁ、としみじみ思いました。
僕は幸運にも自分なりにそんな音楽と出逢うことができていて、しかもそれが今は、10代で堕ちたビートルズと、40代で堕ちたジュリーの2本立て。恵まれている・・・のでしょう。
人生の糧としなければなりませんね。


といったところで、ジュリー・ナンバー考察記事は1回お休みとなりましたが・・・次回更新は再び「ジュリー・ラヴソングの旅」シリーズに戻りたいと思います。
お題は・・・これから考えます!

何やら、『三年想いよ』ツアー初日、渋谷公演の落選通知ハガキが届き始めているとか・・・?
うちには今のところ来てない・・・大丈夫かなぁ。

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2014年5月 2日 (金)

沢田研二 「胸いっぱいの悲しみ」

from『JULIEⅥ ある青春』、1973

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1. 朝焼けへの道
2. 胸いっぱいの悲しみ
3. 二人の肖像
4. 居酒屋ブルース
5. 悲しき船乗り
6. 船はインドへ
7. 気になるお前
8. 夕映えの海
9. よみがえる愛
10. 夜の翼
11. ある青春
12. ララバイ・フォー・ユー

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早いもので、もう5月です。
今日はトークショーなんですね。
みなさまの感想をネットで拝見したり、お話を伺ったりするのが楽しみです。

ところで、みなさまもうご存知かもしれませんが・・・加瀬さんが、体調不良でワイルドワンズの公演をお休みされるのだそうです。
心配です・・・しっかりお休みされ、また元気な笑顔でファンの前に戻ってこられることをお祈りします。

本日のお題は、加瀬さん作曲の幾多のジュリー・ラヴソングの中から、1973年のヒット曲です。
先日(と言うかこれまで何度か)僕は、2010年お正月コンサート『歌門来福』のセットリストについて、「誰もが知るシングル・ヒット」は「LOVE(抱きしめたい)」ただ1曲!」などと書いてしまっていますが、それは間違い。
「イントロクイズ」状態の印象が強烈なセットリストだったことは確かですが、この時採り上げられたシングル・ヒット曲は他にタイガースの「スマイル・フォー・ミー」、そして「胸いっぱいの悲しみ」の2曲がありました。
いずれもジュリーファンの先輩方の評価も高い名曲で、僕の中で「シングル・ヒット」の概念からうっかり抜け落ちていたのは痛恨の極み。特に「胸いっぱいの悲しみ」は、敬愛するじゅり風呂の先輩が大好きな曲、との認識はずっと持っていただけに・・・ここは全力で懺悔考察記事を書くしかありません。

今日は、〆のオマケだけでなく記事中にも当時の貴重な資料を織り交ぜながら書いてまいりますよ~。
アルバム『JULIEⅥ ある青春』から。
オリコン・チャート4位・・・まごうことなきヒット・シングル・ナンバーの名曲です。伝授!

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先輩方からお借りしているジュリー関連の資料を読んでいますと、タイガース解散後のわずか数年の間に、ジュリーが驚くほどの精神的成長を遂げていく様子が手にとるように分かります(もちろん、歌手としての実力も同様ですが)。
何といっても・・・ちょっとしたインタビュー記事などでも、じっくりと考え咀嚼し自分の言葉でしっかりと、正直すぎるほどに伝えようとする姿勢は、この頃からジュリーが自然に持っていた資質だったのですね。
だからこそ、目指している方向がその都度分かり易い・・・普通、若くしてここまでのトップアイドルになってしまうと、その地位を安住の地にせんと守勢に入るものかと思いますが、ジュリーは決して現状に妥協せず、浮かれることなく自らを俯瞰して常に上を目指し進んでいたようです。
先輩方にとってはとうにご承知、常識のお話になりますが・・・まずはそんな「ソロ歌手」ジュリーの最初の数年の経緯を少しおさらいしてみましょう。

PYGの活動と並行し、ソロとして本格的に打って出たジュリー。71年ロンドン・レコーディング・アルバム(『JULIE Ⅱ』)をリリースし、年末のリサイタルを成功させたあたりは、ジュリーもまだ手探り状態。

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しかし翌72年、アルバムからのシングル・カット「許されない愛」が大ヒットします。
その後も「あなただけでいい」「死んでもいい」と、シングル・リリースの度にヒットを重ね、レコード大賞歌唱賞受賞、紅白歌合戦初出場。一方で、自作曲で固めたセルフ・プロデュース・アルバム『JULIEⅣ 今僕は倖せです』も成功させるなど、単なるアイドルの枠を越えた高いレベルでの多岐に渡る活躍で、正真正銘のトップ歌手に。

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そしていよいよ翌73年、ジュリーのシングル・リリース攻勢は止まるところを知らず、「あなたへの愛」のヒットに続いて、ロック色を強めた野心作「危険なふたり」が爆発的な大ヒット。

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普通の歌手ならこれでもう事実上の頂点。満足してしまうところかもしれません。
ところがジュリーはそこに安住しようとせず、当時の雑誌インタビューで「まだ上がある。てっぺんを目指す」とさらに自らを鼓舞しています。
その意欲表明・・・それが途方もないスケールであるにも関わらず、とても自然に感じられるのがジュリーの凄いところ。周囲のスタッフや熱心なファンも、そんなジュリーの成長と意気込み、心の強さについていくのが大変でもあり、大きな楽しみでもあったでしょうねぇ・・・。

僕の印象では、73年春頃になると明らかに写真に写った時のジュリーの目力が強くなってきます。もちろんそれ以前のジュリーの目力もファンならば強烈に感じていたのでしょうが、ここへきて万人に訴える表情というのか・・・「何だ、この青年のオーラは」と大人達がビビるほどの風貌が備わってきているように思うのです。

ジュリーが「危険なふたり」に続くシングル曲にさらなる勝負をかけていたことは、各雑誌記事掲載のジュリー自身の言葉からも明らかです。
再びロンドン・レコーディングとなったアルバム『JULIEⅥ ある青春』からの先行シングルとしてリリースされたその曲こそ、「胸いっぱいの悲しみ」でした。

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セールス時期を狙いすまし「夏」から「秋」の季節感を明確に打ち出した安井かずみさんの歌詞と、「ジュリーならばこの曲想のヴォーカルは間違いない」と加瀬さんが自信を持って練り上げ作曲した3連ロッカ・バラード。
そこにプラスされたのが、やや演歌調(悪い意味ではありませんよ!)の装飾を意識したと思われるオーケストラ・アレンジ。ポップス調の曲想に抵抗感を持つ頭の固い賞レース審査員を黙らせてやろう、という戦略・・・なのかな、と僕は考えますが邪推でしょうか。
しかもこのアレンジが、「演歌の日本人」ではなく外国人のプロフェッショナルによる編曲というのがポイントで、ロンドン・オリンピック・スタジオ・オーケストラの演奏もスケールが大きいのです。
「ジュリーって歌手は、これまでの日本歌謡界の常識をどんどんくつがえしていくよ」と、押せ押せのプロモートであることがそうした陣立てからも分かろうというもの。ジュリーの上昇志向に呼応するかのように、スタッフ一丸、「危険なふたり」のさらに上を目指し、年末の賞レース(当時はとてつもなく権威があったわけですからね)を意識したシングルだったと推測されます。
そしてジュリー自身にも「この曲でてっぺんを!」という明確な気持ちがあったことが、当時の様々な資料から窺い知ることができます。

結果、残念ながら「胸いっぱいの悲しみ」は「危険なふたり」を凌ぐセールスとはいきませんでしたが、多くの識者にジュリーの「確かな歌唱力」をアピールするには充分の実績を残し、「ジュリー=変幻自在のヒットメイカー」の印象も植え付けたと想像します。
「危険なふたり」単発の大ヒットのみで後続シングルが不発だったとしたら、73年末の歌謡大賞受賞ももしかしたら危なかったのではないでしょうか。


ズバッと豪快なヴォーカルがシンコペーションで入ってくるAメロ冒頭からもうっすでに、曲の力を感じます。
そう、「胸いっぱいの悲しみ」はまず「勇ましい」曲想なのです。

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『沢田研二/イン・コンサート』より。おおむね無難な採譜だと思いますが、「F#m」表記のところを「F#7」で弾きたい箇所があるなぁ・・・今回歌詞引用部では太字表記で「F#7」に修正しております。試しに弾いてみて!

これでもう 逢えないと あなたの瞳に
         A              C#7        F#m    A7

こらえた涙を みた時 僕には
D         E7     A         F#7

何も出来なくて ♪
D      B7     E7

これは「別れのラヴソング」と言うよりも、主人公(ジュリー)が、経験したばかりの「ひと夏の恋」の相手を思い出してギター片手に歌っている、というシチュエーションでしょう。
主人公はその恋に格別の大きな未練を持っている感じではなさそう。しかしながら「いい女(ひと)だったなぁ」と秋の感傷に耽っている、「胸いっぱいの悲しみ」と言いながらも、終わった恋の感慨に酔ってしまっている、といったところでしょうか。
恋の相手の女性にとってはたまったものではないですが、それこそがコンセプト、歌の狙い、と見ます。

そう、『JULIEⅥ ある青春』は、世界中を旅し港ごとに恋をする船乗り(=浮気な鳥)の物語。
まるで71年リリースの『JULIEⅡ』の主人公の少年が雄雄しく成長し海の男としてひとり立ちした・・・そんなイメージを僕はこの『JULIEⅥ ある青春』というアルバムに持っていて、「胸いっぱいの悲しみ」もそんな一篇だと捉えているのですが、いかがでしょうか?

安井さんの得意技である独特の倒置法が、主人公の心情を見事に表現しています。
例えば1番Aメロの2回し目。

聞けば又 辛くなる 今更ひとりで
         A         C#7      F#m      A7

あの頃 流行った歌には
D          E7        A

あなたの 楽しい思い出 ♪
F#7           D  E7      A

別れた彼女を思い出しながら、ふたり恋していた頃の流行歌を聴いている主人公。「聞けばまた辛くなる」とは言うものの、う~ん、悲しみに酔っている・・・ように僕には聴こえます。それがこの曲の素晴らしいところ、ジュリーらしいところだとも思います。だからこそ勇ましい曲調、アレンジが合っていると思うのですが・・・。

短い夏の恋に 悲しむあなたが ♪
D            A        E7            A    A7

今とても気にかかる 新しい倖せ祈るよ ♪
D                   A        Bm7    E7      A

「元気かなぁ。僕と別れてふさぎこんだままじゃないかなぁ。でももう、あの港には行けない。あなたが新しい恋を見つけてくれることを祈るよ!」
そんなふうに73年のあの美貌のジュリーに歌われたら・・・女性ファンのみなさま、どうでした?
「キ~ッ、そんなこと言われても、忘れられるわけないじゃん!」って感じじゃなかったですか?
まったく、罪な男が似合いまくるジュリーなのです。

ところで、「ジュリーらしい」と言えば・・・加瀬さんが「君をのせて」の歌入れの時、「ああ~あぁ♪のところがいかにも沢田らしくてイイ!」と絶賛していたそうで。
「それ以来私は、あ~あと歌う曲が多くなりました」
とジュリーが後に語っているように、当然「胸いっぱいの悲しみ」にも「あ~あ♪攻撃」があります。先の「悲しむあなたが~ああぁあ~♪」のトコですけど、それとは別に、いかにもジュリー天性!という感じの絶妙な声の伸ばし方をしている箇所が僕のイチオシです。

落ち葉舞う 秋風に ♪
         A           C#7

この曲のヴォーカルで一番好きなところ。「おちば」の最初の「お」の伸ばし方が凄くないですか?
わざとらしく気合を入れている風でもなく、それでいて凄まじい迫力。1番の「これでもう♪」の歌い方のヴァリエーションをジュリーなりに試してみたのでしょうが、本当にジュリーは3連ロッカ・バラードの申し子のようなヴォーカリストだと思います。

アルバム『JULIEⅥ ある青春』からは、この曲と「気になるお前」以外は、今後のLIVEで聴くことはなかなか難しい・・・のでしょうか。
「朝焼けへの道」もそうですが、「ララバイ・フォー・ユー」などは今のジュリーが歌ったらどれほど凄いことになってしまうんだろう、と夢想してしまいます。
あと、「夜の翼」は鉄人バンドの演奏を是非聴いてみたい曲なんだけどなぁ・・・。


それでは、ダメ押しでお宝資料のオマケです!
いずれもMママ様からお預かりしている貴重なお宝。Mママ様のお宝はとにかく1971年~74年にその数が集中しておりますので、ちょうど「胸いっぱいの悲しみ」リリース前後の時期の資料も採り上げていけばキリがありません。
今日はほんのいくつかの雑誌記事など数点をご紹介するに留めますが、残りの資料については、また『JULIE VI ある青春』収録お題記事の際にでも少しずつ・・・。

まずは、『JULIEⅥ ある青春』レコーディングのため、勇躍ロンドンに乗り込んだジュリー。

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服の「UFO」ってロゴが気になるなぁ・・・。
僕はジュリーファンとしてはヒヨッコですので、髪型や服装などからお宝資料の年代を判別することができません。この記事みたいに「タイガース時代の『ハーイ!ロンドン』の映画撮影含めて3度目のロンドン」とかヒントを書いてくれないと、写真が何年のジュリーなのか分からない(汗)。
で、これは1973年で合ってます・・・よね?
「8月の新曲を待っててネ!」というのが、「胸いっぱいの悲しみ」のことですね。

続きまして。
タイガース時代からの乙女なファンはもちろんのこと、この時期になると「もうジュリーの実力はアイドル的評価にとどまらず、世間がハッキリ認めるべきだ」みたいな感じのメディアの論評も増えてきたのかな?
その中のひとつと考えられるのが、『ビッグ・フォー・イン・コマ』(4人のビッグ・アーティストでスケジューリングされた梅田コマ・スタジアム73年8月公演)のパンフレットに寄せられた、日本経済新聞・河塚順一郎さんの文章です。

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ちなみにこのパンフレットの表紙はこちら。

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当たり前ですが、全員若い!

最後に、その待望の新曲「胸いっぱいの悲しみ」を引っさげて(?)の、73年秋の九州ツアーから。

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ご覧のようにこの記事には、ジュリーが「胸いっぱいの悲しみ」で”1等”の上の”特等”を狙う、という話が出てきます。やはりリリース当初の狙いは「この曲でレコード大賞」だったのでしょう。
この記事には実はもう1ページ分、セミを指でつまんで見つめるジュリーのアップ写真があるんですけど、セミとか苦手なかたもいらっしゃるかと思い、添付を自重いたしました・・・。


といったところで、さて次回更新は・・・すみません、ゴールデンウィークの個人的旅日記になりそう(汗)。
まぁ、一応何とかこじつけてジュリー・ラヴソングのお題はつけるつもりですが・・・うまくいくかな?

いきなり暑くなってきましたね。
みなさま、よい連休を!

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