沢田研二 「ラヴ ソング」
from『JULIE IV~今 僕は倖せです』、1972
1. 今 僕は倖せです
2. 被害妄想
3. 不良時代
4. 湯屋さん
5. 悲しくなると
6. 古い巣
7. 涙
8. 怒りの捨て場
9. 一人ベッドで
10. 誕生日
11. ラヴ ソング
12. 気がかりな奴
13. お前なら
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2017.2.13後註
この考察記事執筆から3年近く経って、「ラヴ ソング」のハミング・ヴァージョンが1975年からラジオで放送されていたニッホン放送の帯番組『沢田研二の愛をもとめて』のテーマソングとして流れていたことを知りました。
ジュリーの歴史、まだまだ僕は知らないことばかりです。
☆ ☆ ☆
どうやら無事に今年の新譜『三年想いよ』全曲の考察記事の執筆を終えることができました。どうしても重い内容になってしまい、毎度の大長文におつき合い頂きまして、恐縮です。
今回からは再び、過去のジュリーの幾多の名曲群を、様々な時代を飛び回りながら採り上げてまいります。
気持ちも新たに、ということで・・・しばらくの間はなるべく簡潔に短い文章で纏めるよう心がけ、そのぶん更新頻度を上げてバシバシ新しい記事をお届けできれば、と考えています。
頑張ります。よろしくお願い申し上げます。
前回まで、ジュリーのここ3作の作詞テーマについて大絶賛したわけですが、確かに僕にも、ジュリーに「素敵な愛の歌を歌って欲しい」という気持ちはあります。
でも、ジュリーの「愛の歌」は、過去を遡れば本当に数え切れないくらいの名曲があるのです。そのうちいくつかの曲はいつか生のLIVEで聴けるのか、はたまたもう聴くことはできないのか・・・それは分かりませんけど、まずは「ジュリー珠玉の愛の歌」にテーマに絞って何曲かお題を採り上げていくことから、再スタートを切らせて頂きます。
ジュリー・ラヴソングの旅・・・第1回の今日のお題はタイトルもズバリ!な「ラヴ ソング」。
(CD盤面など「ラヴ・ソング」と「ラヴ」と「ソング」の間に「・」をつけている表記がほとんどですが、肝心のジュリーの手書き歌詞が「ラヴ ソング」となっていますので、僕も今回の記事からはジュリー自身の表記に倣うことにしました)
全曲ジュリー作詞・作曲による、セルフ・プロデュース作品第1弾アルバムにして不朽の名盤『JULIE IV~今僕は倖せです』から。
若きジュリーの素敵な愛の歌を伝授です!
本当に、この頃のジュリーのヴォーカルを聴くと、「天はニ物を与えまくってるなぁ」と感じ入るばかり。
もちろん僕は今のジュリーの声が大好きで、LIVEに参加するたびにそれを再確認していますけど・・・特に70年代のジュリーの声を、少年時代の自分の感性で聴いておきたかったなぁ、という叶わぬ思いも強いです。
僕は男だから、若きジュリーの容姿に目が眩むあまりに、その素晴らしい声を聞き逃してしまうなんてことは無いはず・・・たぶん無い・・・と思う(実は自信無し)。
当時からルックス、ヴォーカルの素晴らしさはファン以外の人々にも広く認知されていた(72年末にはレコード大賞の歌唱賞を貰うことになりますしね)でしょうが、「作曲家」としての特異な才能については、なかなか一般的には知られていなかったのかな。
『ジュリー祭り』より数年前・・・不肖DYNAMITE、ポリドール時代のアルバムばかりをすべて聴き、まだジュリーのLIVEに一度も参加したこともないのに「自分はジュリーファン」と不遜に思い込んでいた頃からすでに、「ジュリーの(作曲した)曲って面白いよな!」と、YOKO君とよく話していたものでした。
堯之さん曰く「沢田は普通では考えられない進行の曲を作る」とのことですが・・・ジュリーの作曲の才は、ある程度まで「コード進行の仕組み」を勉強してさえいれば、僕らのような凡人にもハッキリ分かるほどに際立った個性があります。
アルバム『JULIE IV~今僕は倖せです』はすべてジュリーの作曲作品ですので、いくつかの収録曲では「ええっ?」と意表を突くコード進行が登場します。
その才能はこの時点ではまだ「開花寸前」という感じもあるけれど、「只者ではない」「特異な感覚を持っている」ことは、ファンはもちろん、周囲のスタッフ、バンドメンバー一様に感じていたでしょう。
この「ラヴ ソング」は、その点どうでしょうか。
泣かないで 可愛い人
C Em Dm G
帰らないで もう少し ♪
C Em Dm G
ここまでは王道です。フォークソングのムーヴメントに影響を受けているのかな、と思わせる出だしのメロディーとコード進行。
歌声があまりに「天使」であることを除けば、いたって普通のバラード、と言える導入の仕方です。
ところが
今の言葉 言い直すから ♪
Am Bm Am Bm
ここでいきなり雰囲気が尖ります。
メロディーが風変わりなのかな?と聴こえるかもしれませんが、これは「Bm」なんて素っ頓狂なところへ移行するコード進行こそが変化球なのです。メロディーだけで言えば、フォーク系直球王道の「Am→Em」の進行にも載るのですから。
この頃のジュリーはおそらく、頭に浮かんだメロディーをギターを弾きながらコードに当てはめていく、という作曲スタイルだったと思いますが、専門職でないが故の自由度の高さがあるのですね。
続いて
好きだよ 口づけしてあげる ♪
C Em F G C G7
コード進行は再度王道パターンに戻るんですけど、今度は譜割りが変化球!
この歌詞部までを「歌メロの1番」という大きな塊とした時、「してあげる♪」の箇所は、その塊の最後に「ちょん」と1小節だけくっつけた構成となっているのです。小さな尻尾がついている感覚、と言えば良いのかな。
堯之さん達バンドメンバーもそこは大いに感心したと見えて、1番が終わると間髪入れずに2番へと繋げるアレンジを施し、その「変テコな感じ」を強調しています(普通なら、演奏は偶数の小節数で回しますから、「してあげる」の後に1小節を加えておいてから2番へ進むのが常套です。その手法は、ギター・ソロの間奏直前で一転、採り入れられています)。
ジュリーがその才の赴くまま自由に作った曲を、「普通はそこはこうだろ」と一般論を押しつけずに、むしろ「そうきたか、ならば俺たちはこう応える!」といった感じの演奏、アレンジ・・・井上バンドならではですね。
この頃の、頼りない(と、自らの作曲の才にまだ気づかず、ジュリーは謙遜ではなくそう考えていたでしょう)自作曲がいとも名編のアレンジに仕上げられていくスタジオ作業は、ジュリーにその後の急速な「作曲家」としての成長を促したと思います。
例えば、最後のリフレインで転調する構成などは井上バンドのアイデアでしょう。これまた面白いですね。
これはハ長調から変ロ長調への転調。キーが突然、1音半も跳ね上がっていることになります。
で、このリフレイン部を歌っているのは・・・誰でしょう?
女性の声が聴こえるように思うのですが・・・。
いずれにせよ、こうしたジュリーとバンドの手作り感こそ、『JULIE IV~今僕は倖せです』最大の魅力であることは言うまでもありません。このアルバムでの井上バンドの演奏は、良い意味で乾いたスカスカの音作りがジュリーの美声と合っていますし、「ラヴ ソング」はザ・バンドのバラードのような味わいもあって、サリーのベースも一番良い時なんじゃないかなぁ。
ミックスから推察すると、まず「せ~の!」で4人が一発録音し、後から堯之さんと大野さんがそれぞれ1トラックずつを加えて全体のアレンジを仕上げる、という作業だったようですね。
「ラヴ ソング」では、堯之さんのサイド・ギターと大野さんのオルガンがセンター附近にミックスされていて、これがまず最初の演奏でしょう。右サイドのリード・ギターと左サイドのピアノが追加トラックと考えられます。
それにしても・・・CD版の『JULIE IV~今僕は倖せです』で、「お前なら」に続くシークレット・トラック「くわえ煙草にて」(前回「一握り人の罪」の記事中でこの曲に触れたところ、nekomodoki様が歌詞カード表記とレコードの送り溝でLP版のトラック分けの詳細を確認してくださいました。ありがとうございます!)が収録されていない、という状況はとても残念です。
最近再発されたリマスター盤ではどうなっているのか・・・期待は持てないけど、気になります。
それでは、ここからはオマケです~。
拙ブログでは、おもに70年代前半のジュリー作詞作品をお題に採り上げる際、かつて『女学生の友』に連載されていた『フォトポエム』をご紹介しております。これらは、いつもお世話になっている岐阜、長崎の両J先輩が長年大切に保管なされていたお宝資料でございます。
『フォトポエム』は72年から73年にかけての連載だったようで、『JULIE IV~今僕は倖せです』のリリース時期とリンクしているものが多いですね。特に、72年の夏にショーケンとギリシャを旅した中でアイデアを温めたと思われる詩は、多忙の中書き殴ったような言葉の中に、ジュリーが何らかの刺激から新たな感性を身につけたような凛々しさがあって、とても興味深いです。
ただ、今回ご紹介する号はおそらく連載開始早々・・・2篇あるポエムのうち最初の「誘い」という詩はジュリーの自作ではないようです。連載初期の数回はこんな感じだったのでしょうか。
2篇目の「春のこいびと」の方は、ジュリー自身の詩ということで良いのかなぁ。
ジュリーにとって「春」とはどんな季節なのか・・・やっぱりあの震災の後は、「春を迎える気持ち」も以前とはずいぶん変わってきているのでしょうね。
『三年想いよ』が発売された頃はまだまだ真冬のような寒い日もありましたが、全曲の記事を執筆している間に、季節はすっかり暖かな春となりました・・・。
さて、今回の記事を読んでくださった先輩方の中には、久々にこの「ラヴ ソング」を聴き返してみた、というかたもいらっしゃるかもしれません(そういうお話が僕は一番嬉しいのです)。きっと、ジュリーの「口づけしてあげる♪」に改めて身悶えなさったことでしょう(笑)。
ということで次回更新は、”ジュリーの口づけ”繋がりのお題を予定しております。
歌詞に「口づけ」というフレーズが登場するジュリーナンバー、いくつかありますね。
さぁ、どの曲でしょうか。お楽しみに!
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コメント
瀬戸口様、こんばんは。
「三年想いよ」全曲ご伝授ありがとうございました。
シンプルな姿なのに、込められたものや背景を考えると、一口では言いきれな複雑なアルバムだと思います。
「今僕は幸せです」は大好きなアルバムです。
1972年のジュリーは井上バンドと一緒にもう、楽しくて楽しくての時期の始まりです~
音楽環境は、ロックバンド時代の到来!GS時代の人達が新しくバンドを組んだり、新しいバンドがワァ~と出て来て、後のバンドブームのような派手さはなかったかもしれないけど、野音をはじめとして、あちこちでロックコンサートがあり、そこにPYG後も井上バンドと一緒に出ていました。
周りの環境がフツフツしていた影響を受けて自然でやんちゃで大胆でリラックスしてました。
ライブを追いかけていたわたし達にとっても楽しい時期でした。
2,4,10,13あたりは、歌っている姿が見えるようです。
「くわえ煙草にて」は、シークレットトラックなんて知らないので、なんだ、素っ気ないな、なんて思ってました。
「ラブソング」
愛の歌は、経験がなくてもこんな感じかなと思って作るんんだ、などど言い訳してました(笑)
TGジュリーのしっぽがまだ付いている様なところもありました♪
投稿: momo | 2014年4月10日 (木) 20時57分
DY様 こんばんは
『三年想いよ』で高揚した身体を今まさに、心地よい風が通り過ぎたような素晴らしい選曲です。憎いですね。
私もこの歌は好きですね。「へぇ〜男なのに?」なんて言われそうですが。好きな理由はおそらく、初めて聴いたのがジュリーのラジオ番組でとても印象に残っていたからだと思います。曲が終わりかけるところで、ジュリーのナレーションが被っていて、そのテープを何度も聴き直していました。
コード進行と譜割りのお話、参考になりました。私も細々ながら趣味で、作詞作曲を続けていますので。
この歌の出だし「泣かないで 可愛いい人」のフレーズを他の曲で聴いたことがあると思ったら、『遠い旅』のサビだと気づいた時は、嬉しくなりました。
今日改めてこのアルバムを聴きました。テレビドラマでお馴染みの井上バンドのサウンドやメロディーが楽しめました。
最後に、レコードジャケットや歌詞カードのジュリーの手書き文字の美しさに、当時からノックアウトを食らっています。鋭角なところは男らしく、直線の美しさは全く真似出来ません。ジュリーの美しさは容貌だけではありませんよ。
投稿: BAT | 2014年4月10日 (木) 22時44分
momo様
ありがとうございます!
なるほど、GS再編成と言うより、一種のバンドブームと捉えた方がよさそうな時代なのですね。
興味深いのは「楽しくて楽しくて」な井上バンド始動期のジュリーの「歌っている姿が見えるようだ」とmomo様が挙げていらっしゃる4曲です。
「被害妄想」「湯屋さん」「誕生日」「お前なら」…これらにはアルバムの中で「ブルース進行の曲」として区分することができます。
なるほど、きっとmomo様の中で井上バンドの演奏で歌うジュリーに「ブルース」の音のイメージが無意識にでもあるのだと思います。
72年以後の曲では、「気になるお前」もその仲間ですよ~。
☆
BAT様
ありがとうございます!
おぉ、作詞作曲をなさるのですか!
僕も一応続けていますが、僕はどちらかというと友人が作った曲を編曲、ミックスする方がまだなけなしの才があるようで、無から有を生む詞曲はなかなか思うようには、といった感じです。
「ラヴ ソング」のお話…ラジオでジュリーの曲をタイムリーで聴けた…良い時代ですね。
僕も若い頃にまずラジオを録音して覚えた曲というのは未だに思い入れの強いものが多いです。ビートルズのシングルB面曲などは、そのクチですね。
ジュリーの字、正に仰る通りですね。
几帳面で、筋が通っていて、男らしく荒々しく、そして美しい字体ですよね。
投稿: DYNAMITE | 2014年4月11日 (金) 20時47分
DY様 こんばんは。
はい、しっかり聴き直しました。(笑)
「泣かないで 可愛い人」
え、「遠い旅?」・・・って何を今さら。
「私をどこへ連れて行きたいの?」
と、予測不能のメロディラインにあたふたしてると、いつのまにかストンと着地してる・・・。
誰に向けて歌ってたんでしょう。(シラジラ・・・)
井上バンドだから、安心して湧き出る言葉やメロディを思う存分発散させられたんでしょうね。
それで完成させられる環境はジュリーにとってその後の曲作りに大きな糧となったと思います。
投稿: nekomodoki | 2014年4月11日 (金) 23時50分
nekomodoki様
ありがとうございます!
おそらくジュリーは、「自分は作詞作曲は自分なりにできるけど、それを具体的に楽器で体現させるのが苦手」とこの頃考えていたでしょうね。それをサクサクとジュリーの思惑通りに、或いは予想もしなかったほどの発展形で「楽曲」に組み上げてゆく堯之さん達バンドメンバーは、本当に「頼れる」と思っていたことでしょう。
以後、ジュリーの予測不能な作曲の才に、どんどん磨きがかかっていくことも頷けます。
自作曲でじっくりアルバム作りをした最初のスタッフが井上バンドであったことは、今のジュリーの制作環境の充実を考えても、とても大きな経験だったんだろうなぁと思います。
投稿: DYNAMITE | 2014年4月12日 (土) 12時51分
このアルバムの出た1972年は私はまだ小学生で
アルバムは買ってないのですが、中学生から高校生にかけて、ジュリーが大好きでした。
ジュリーのラジオの深夜放送も聴いてました。
ラブソングという曲もその頃聴いていたのだと思うのですが、ずっと曲名とか知らないまま大人になり、かなりなおばさんになった今になって時々、『泣かないで可愛い人』という歌詞が頭に浮かんで懐かしいような胸が締め付けられるような気持ちになり、これは誰のなんという曲だったかなあと気になって一年前からスマホを使うようになって、なんでもネットで調べられるのに気づいて、この歌詞だけで検索してみたらここにたどり着きました。
やっぱりジュリーだったんだ、そういえば続きはそんな歌詞だったと嬉しくなりました。
ジュリーの優しい甘さのある声が大好きだった若い頃、まだ男性と付き合うとか口づけも知らなかった頃、ジュリーの歌でこんな恋人がほしいと憧れていた気持ちを思い出し胸が熱くなりました。
いい曲は、時が経っても色褪せないものですね。
ありがとうございます。
投稿: さっちん | 2017年6月14日 (水) 03時24分
さっちん様
おぉ、嬉しいご訪問です。コメント残して頂きありがとうございます!
いいお話ですね・・・青春時代に聴いていた心に残る自分だけの名曲。僕にもそんな曲はたくさんありますが、それがジュリーの曲だったというお話は、新規ジュリーファンである僕には体験できていないことで、本当に羨ましいです。
僕はこの記事を書いてから3年後の今、さっちん様も聞いていらした『沢田研二の愛をもとめて』の当時の録音音源を、親切なジュリーファンの先輩から聞かせて貰うことができました。最近はこのブログでもそんなテーマでちょこちょこと記事を書いたりしていますよ~。
中学生から高校生にかけてジュリーが大好きだった、とのこと・・・ご存知かもしれませんが、ジュリーは今年デビュー50周年です。メモリアル・イヤーということで今年は計60公演を超える全国ツアーが決定していて、「シングルばかりを歌う」とジュリー自身が宣言している特別な内容のコンサートツアーが来月から始まり、2018年の年明けまで続きます。
さっちん様お住まいの地近辺でも公演があるはずです。
「沢田研二 オフィシャル」で検索しますとツアーのスケジュールが確認できます。この機に是非お出かけください。
素敵なお話をありがとうございました。
また遊びにいらしてください。これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。
投稿: DYNAMITE | 2017年6月14日 (水) 09時13分