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2014年4月

2014年4月29日 (火)

沢田研二 「ロマンスブルー」

from『ROCK'N ROLL MARCH』、2008

Rocknrollmarch

1. ROCK'N ROLL MARCH
2. 風に押されぼくは
3. 神々たちよ護れ
4. 海にむけて
5. Beloved
6. ロマンスブルー
7. やわらかな後悔
8. TOMO=DACHI
9. 我が窮状
10. Long Good-by
11. 護られている I love you

---------------------

今日は、ジュリーが還暦を迎えた2008年にリリースされたアルバム『ROCK'N ROLL MARCH』からお題を採り上げます。
先日発売された『ロックジェット Vol.56』掲載インタビューにて、「沢田さんのアルバムでひとつ挙げるとしたら?」と問われた白井良明さんが、「自分の中でエポックだった」と語ってくれた名盤ですね。

僕は2008年の通常のツアーには間に合いませんでしたが、『ジュリー祭り』にて、『ROCK'N ROLL MARCH』全収録曲を生で聴いています。
拙ブログでは、”ジュリーの70越えまでに『ジュリー祭り』セットリストすべての記事を網羅する!”という大きな目標を掲げています。それはそのまま、あと4年ちょっとの間にアルバム『ROCK'N ROLL MARCH』収録曲すべての記事を書き終えなければならないということでもありまして・・・年に1、2曲はこのアルバムから必ず書いていく、と自らにノルマを課しております。
現在「ジュリーの様々な愛の歌を巡る時空の旅」をコンセプトに執筆中の今回は、その中から穏やかなラヴ・ソングをお題に選びました。
「ロマンスブルー」、伝授です!

不思議な、それでいて自然な響きを持つタイトルです。
「ロマンス」と「ブルー」。「ブルー」は、悲しみであったり、憂鬱であったり・・・どちらかと言うと淋しげな気持ちを表す言葉ですが、「ロマンス」は逆に心躍る、楽しい言葉ですよね。
この相反する2つの言葉が繋がると、どんな意味になるのでしょう。使われ方によって様々な解釈ができるフレーズだろうなぁ、とは思いますが・・・。

実は「ロマンスブルー」って、僕にとっては昔から馴染みのあるフレーズではあるのです。
タイトルとしては、ずっと浜田省吾さんの曲のイメージがありました。浜田さんの「ロマンスブルー」は、浜田さんが明確に”反核”を打ち出したアルバム『PROMISED LAND~約束の地』に収録されています。淋しさの中に優しさを見出す意志の強さを持つ曲で、「それぞれのロマンスをとりまくブルー」がテーマといった感じ。
『ROCK'N ROLL MARCH』を初めて手にし曲目を見た時、すぐに浜田さんの曲が浮かび、同タイトルでどんな内容の曲なんだろうと興味をそそられたものでした。

聞かせてよ 僕らは 大人にいつなった?
C                F             E                F

あの頃の 僕らを どんな風に見てた?
C             F               E              F

相変わらず だけど少し 涙 もろい
F           C      F       C   F Fm    C  A7

君に似てきたようだ ♪
   D7                 G

初めて聴いた当時はそこまで考えが及ばなかったのですが、さすがに今の僕はジュリーが「大人」と歌うと、「きれいな大人」という重要なフレーズを自然に連想するようになりました。
ただ、「ロマンスブルー」の場合は作詞がジュリー自身ではなくGRACE姉さんです(作詞・作曲)。
もちろん「ジュリーが歌う」ことがGRACE姉さんの頭にしっかりとあったはずですし、なにしろジュリーの人生とシンクロするような歌詞を書いてくれることにかけては、それ以前からGRACE姉さんは実績充分。「確信」「未来地図」「明日」など素晴らしい名曲が多数ありますよね。
それらは厳密には、ジュリーが辿ってきた人生その通り、というのとは違います。ジュリーが歌ってジュリー自身の人生に引きつけている・・・そんな感覚が「ロマンスブルー」にもあると思います。

自分はいつ大人になったのか・・・人それぞれに実感できる時期は様々でしょうね。
僕自身に置き換え考えてみるとそれは、身も蓋もない話ですけど「自分で稼いだお金で生活し、欲しいものが自由に買えるようになった時」でしょうか。
例えば、『ジュリー祭り』に感動のあまり、それまで持っていなかったジュリーのアルバムを一気に買い込んでしまう・・・なんてことは「大人」でなきゃできない(笑)。
まぁそれはほんの数年前の話ですけど、じゃあいつからそういうことができるようになったかというと、就職してサラリーマンになった時、ということになるのかな。

対して「あの頃の僕ら」というのは、大人になる前の僕ら、ということですよね。ヤンチャして、親に心配ばかりかけているのに、あれこれ夢ばかりを口にしていた頃・・・僕にも当然覚えがあります。

大人になった自分は、大人になる前の自分をどんなふうに見てた・・・?

つまり、「ロマンスブルー」の主人公は、「大人」になってからもうずいぶん年を重ねている・・・「大人になった」頃の自分を思い起こしている、そんな年齢であると言えそうです。そして、ずっと傍にいてくれる年齢の近い人に対して「僕らは」と語りかけているのです。

これは、友達同士或いは「恋していた頃」という捉え方ももちろんあるでしょうが、ジュリーが歌うとやっぱり熟年の夫婦の歌に聴こえるんですよね。
僕はまだ結婚してたかだか5年目で、その点では新米もいいとこなんですが、この曲で歌われている感覚はなんとなく想像できるような気はします。

「大人」になった自分・・・いつ大人になったのかは分からないけれど、「大人になってから」数十年、考え方とか食べ物の好みとか、基本的な気質は「相変わらず」だよと。相変わらずなんだけど、「君」同様に最近少し涙もろくはなったきたかなぁ、ということでしょうか。

確かに、年齢を重ねてくると涙もろくはなってきますね。
例えば僕は今回の記事を下書きしている間、通勤電車内や仕事での移動中などにアルバム『ROCK'N ROLL MARCH』を繰り返し通して聴いていましたが、「Long Good-by」や「護られているI love you」では知らず知らずのうちに涙ぐんでしまっているわけですよ。
これは、曲の理解度が僕なりに深まってきたこともあるのかもしれない・・・でも、「この2曲の良さが分かる=それなりに年齢を重ねてきた=思わず涙が・・・」という連鎖のようにも思えるなぁ。

「君に似てきたようだ」・・・これはもう、よく世間で言うじゃないですか。「夫婦は似てくる」と。
僕らのような新米の夫婦にさえ、そういう会話は自然に出てくることがあるのです。
「風邪ひいた時の喉の腫れが酷くなった」とか、「物を何処に置いたか忘れるようになった」とか、やれギックリだやれ冷え性だ何だ、と・・・「どうしてそんなトコが似てくるかなぁ」と笑い合っているわけですが、これはよく考えると、「夫婦で似てきた」のではなく単に「お互いにトシをとってきた」ということなんですよね。
そういうことって、おそらく一人で生活していると「もうトシなのかなぁ・・・」と”ブルー”にしょげかえるだけの、「老い」への感傷。ところが夫婦が一緒に生活していると、「似てきちゃったねぇ」という”ロマンスブルー”で和やかに笑って済ませられるという・・・この曲はそんな歌なんじゃないかなぁ。
いや、それはタイトルを都合よく解釈し過ぎで甘い考えなのかな。GRACE姉さんの作詞時点では、歌の主人公は40代の設定だとは思うけど、『ROCK'N ROLL MARCH』のジュリーのヴォーカルで聴くと、60才の歌としか思えない。
そう考えると正直、僕のような若輩にはまだまだ還暦の境地など分かりっこない、とも言えますけど。

ちなみに、考察記事を書く時にはお題の1曲だけを聴き込むよりも、その曲が収録されているアルバムを通して聴く方が新たな発見が多かったりします。その時ジュリーがどんな気持ちで楽曲制作に取り組んでいたのかが伝わってきやすいですし、他収録曲との比較から、先述した「あの頃を振り返って」といったような、歌詞の持つテーマ性にまで考えが及ぶことがあり得るのです。

例えばアルバム『ROCK'N ROLL MARCH』で言いますと、5曲目の「Beloved」から6曲目「ロマンスブルー」、7曲目「やわらかな後悔」とGRACE姉さんの作詞作品が3曲続くじゃないですか。
「あぁ、GRACE姉さんの詞、イイなぁ」と続けざまに聴いていてふと、「ん?3曲全部、過去の人生を振り返っているような詞じゃないか?」と今さらのように(恥)気がつくのです。

現在ジュリーがアルバム制作にあたって鉄人バンドのメンバーに「PRAY FOR EAST JAPAN」をテーマとした作曲、と明確に提示しているように、もしかしたら還暦の年にリリースするアルバム作りに際して、作詞・作曲家陣に「みなさんそれぞれのこれまでの人生をふりかえって」というテーマを与えた作品がいくつかあったのかもしれない、と思いました。
もちろんジュリー自身の作詞作品にもそれがあり、言うまでもなく「Long Good-by」がそうですし、ひょっとしたら「我が窮状」もとっかかりはそんなテーマから導き出されてきた詞なのかもしれない、とも思ったりします。

さて、「ロマンスブルー」はレコーディング面で
も興味深い点があります。
この曲はちょうど今の鉄人バンド・スタイル(ギター2本、キーボード、ドラムス)がそれぞれ1人ずつワントラックを受け持てば再現できるような、必要最低限の楽器数で構成、アレンジされています。ところが、2トラックでレコーディング可能なギターを、白井さんはわざわざ3トラックに分けて演奏しているのです。
ミックスで言うと、中央と右サイドの2つのトラック・・・これはどう考えても1本のギターで一気に演奏されるべきアレンジになっているのですが、エフェクト設定を違えて2トラックに分けられ、ミックスも分離されています。
ジュリーのヴォーカルに重なる箇所と重ならない箇所とではギターの鳴りを変えたい、という白井さんの拘りでしょう。
『ロックジェット Vol.56』でのインタビューが示す通り、白井さんにはまずジュリー・ヴォーカルへのリスペクトがあり、それがアレンジにも影響してくるのですね。

またこのアルバムは打ち込みのドラムスが使用されていますが、「ロマンスブルー」で数回登場する「ダダッ」というスネア2打のフィルなどは、生ドラムのような微妙なズレが施されています。
リズムボックスの打ち込みには「STEP」と「REAL」の2通りの方法があって、このフィルは「REAL」の手打ちで入力されているのでしょう。これも「わざわざ手間をかけて」の作業で、そうしたことがアルバムのクオリティーを一段押し上げているのではないでしょうか。

最後に。

ロマンスブルー ふたつの影
C                              F

にじませ ひとつにする
        E                    F

藍になろう 愛であろう 愛になろう ♪
Fm     C     Fm     C     Fm     C

このラストの歌詞部、良いですね。
これは、共に年齢を重ねてきた2人が、夕暮れ時に互いの影を重ね合わせる、という単純な構図のことだけではないと思います。
寄り添って生きてきた、辿ってきた、乗り越えてきたものをどれほど共有しているのか・・・ジュリーの歌声からは、そんな確信が伝わってきます。

そこまでの境地に至るのはなかなか大変な道のりなんだろうけど、自分なりに目指してのんびり進んでいこうか、と変に力むことなく思わせてくれる・・・GRACE姉さんの優しい楽曲、ジュリーの暖かなヴォーカル。
「ロマンスブルー」、名曲ですね!

そして・・・改めて、『ジュリー祭り』に感謝。還暦を迎えたジュリーが届けてくれた『ROCK'N ROLL MARCH』という不朽の名盤にも感謝です。
そうそう、数人の先輩から記事のリクエストも頂いているアルバム・タイトルチューンの「ROCK'N ROLL MARCH」について、これまで何度か書こうとして「どうも考察が甘いなぁ」と先送りにしてきたんですが、先日発売の『ロックジェット Vol.56』に掲載されているインタビューで、白井さんがチラリとこの曲の制作コンセプト、アレンジオマージュについて語ってくれているんですよね。「あぁ、なるほど」と思いました。
タイミングが良ければ、今年の12月3日に考察記事を書こうかなぁ、と考えています。
また、実際にジュリーの歌声でもう一度聴いてから記事を書きたい、と思っているのが「護られているI love you」。これは今年のツアー・セットリスト入りを大いに期待しています!


それでは、今日のオマケです。
2008年12月3日(仏滅)の『ジュリー祭り』参加を境に、大ゲサではなく人生まで変わってしまった僕ですが、当日まではそんな予感はまったく無く、ジュリーのツアーについてネットで調べることもせず、メディアの関連記事もアンテナに引っかかることなく・・・まったりと過ごしてしまっていました。
「その日」を迎えるまで、一般世間でも色々なジュリー情報が少なからず発信されていたのにね・・・。

5年ちょっと前の資料ですから、みなさまにとってはまだ「懐かしい」という感覚は無いかもしれませんが・・・2008年の新聞記事をいくつかおさらいしてみましょう。

200815_2

2008年11月14日付の読売新聞です。
みなさまは、もうこの頃になると「2大ドーム興行待ったなし!」とドキドキされていたでしょう。
対して僕は日々の忙殺に追われるばかり。「ジュリーを観にいくんだ」という現実感もまだまだ沸いてこなかった頃です。チケットはもう手にしていましたけどね。


20081202tyunichi

そしていよいよ東京ドーム公演前日となりまして、12月2日・・・この記事は中日新聞でしたっけ?
さすがにこのヒヨッコも、前夜は興奮していましたよ。全然間に合うわけないのに、「最近の曲をちょっと覚えていくか」とYou Tubeをハシゴしてみたり。

ここまでの2つの新聞切り抜き資料は、後日J先輩から授かったもの。僕はこれらの記事のことは何も知らずに当日を迎えてしまいました。
そして!

20081204sankei

東京ドーム公演翌日、12月4日付のサンケイスポーツです。これは、前夜の興奮醒めやらぬ状態で出社した僕が、会社にあったサンスポにセットリストが掲載されているのを見つけ、記念にコピーして(だからモノクロなのです)持ち帰ったもの。
翌5日に、どの曲がどのアルバムに収録されているのか、ウィキでせっせと調べました。
90年代~2000年代の曲をほとんど知らなかったので(「A・C・B」の誤植が辛うじて分かるくらいのレベル)、結構大変な作業でした。画像をご覧頂ければお気づきの通り、紫色のペンで初々しい(笑)覚え書きが残っています。たぶん「買うアルバム候補」として記入したのではないかと・・・。

そんなことをしているうちに、「そうだ、ブログにライヴレポートを書こう!」と突如思い立ったという。
その頃は「下書き」なんてしていなくて、ババ~ッ!と思いつくまま、一気に書きました。さすがに1日では前半部までしか書き終わりませんでしたが。
その日から、このブログは「じゅり風呂」となり、少しずつ世のジュリーファンのみなさまに読んで頂けるようになっていったのでした。当初は先輩方がコメントを下さるだけでえらい興奮して、「またジュリーファンに読んでもらえた!」とYOKO君にその都度電話したものでしたね。
本当に感謝しています・・・。


さて次回更新ですが・・・再び大きく時代を遡ってのお題になります。
先日「LOVE(抱きしめたい)」の記事で、「これは『歌門来福』セットリスト唯一のシングル・ヒット曲」などと書いてしまいましたが、まだあるじゃん!と気がつきまして・・・懺悔執筆です。もちろん、ジュリー珠玉のラヴ・ソングですが、またしてもお題バレバレですな・・・(汗)。
先輩からお預かりしているジュリー関連のお宝資料が一番多い時期のシングル曲ですので、この機会に様々な資料もご紹介したいと思っています。

余談ですが、風邪をひいてしまいました・・・。
気候の急激な変化、みなさまもどうか充分気をつけてお過ごしください。

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2014年4月23日 (水)

沢田研二 「愛の世界のために」

from『JULIE』、1969

Julie1

1. 君を許す
2. ビロードの風
3. 誰もとめはしない
4. 愛のプレリュード
5. 光と花の思い出
6. バラを捨てて
7. 君をさがして
8. 未知の友へ
9. ひとりぼっちのバラード
10. 雨の日の出来事
11. マイ・ラブ
12. 愛の世界のために

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本日、遂に『ロックジェットVol.56』の発売日です。
みなさま、もうお手にされましたか?僕は大変恐縮ながら、フラゲしまして既に熟読済でございます。
いやぁ、素晴らしい充実の内容です!

昨年から『ロックジェット』は、51号にて気合の入りまくったピー先生の特集を組み、次いで54号はトッポとタローのロング・インタビュー・・・と、世のタイガース・ファンにとって刺激的な発刊を重ねてくれました。
そして今回は『THE TIGERS 2013』ツアーの満載の写真と共に、いよいよ満を持して「ジュリー寄り」なアプローチによる鮮烈な特集内容となっています。
なんたってインタビュー初っ端に登場するのが白井良明さん、次に八島順一さんですからね~。タイガースの話題に留まらず、ジュリーのソロ作品の制作秘話も大いに飛び出したりなんかして。
特に白井さんのお話からは、ジュリー・ナンバーのアレンジ考察のネタをいくつも授かりました。

とは言ってもやはり、ザ・タイガースのステージ・ショットの数々がまず特集の目玉。例えば表紙の写真ひとつとっても、もう見慣れたショットではあるんですが、こうしてキチンと本の表紙になるとね・・・感慨深いものがあります。ピーが笑っている、シローもいる、そしてジュリーとトッポが手を繋いで声援に応えている・・・改めて「あぁ、本当に良かったなぁ」と昨年末の東京ドーム公演が思い出されます。
掲載されているショットで僕が一番好きなのは、「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」でのジャンプするジュリーと、クラッシュ・シンバルを正に強打した直後のピーの2人の呼吸をバシッ!と捉えた1枚・・・いや、これ以上写真のネタバレはやめておきましょう。みなさま、是非現物を購入し、ご覧になってください。

そんなザ・タイガース特集とは別に、お馴染みの佐藤睦さんがまたしてもジュリーについて素晴らしい文章を書いてくださっています。
今回は、新譜『三年想いよ』のレビューだけでなく、音楽劇『悪名 The Badboys Return』のレポートでも熱く語ってくれた佐藤さん。これは絶対に、遅ればせながらDVDでの観劇をせねばならない、と思わせてくれました。
佐藤さんはとにかくそのロックな感性が凄い!
語り口は理路整然と筋道だっていて、『三年想いよ』のレビューでは「そう、そういうコンセプトなんだよなぁ」ということをズバリ文章にしてくれています。
いつの時代も、その時その時で「本物」のロッカーを見分け、メッセージを自然に受け取る感性を持つのは女性だと思います。今、佐藤さんのような”ロック姐さん”がジュリーをこうして語ってくれていることは頼もしい限り。ジュリーファン必読です!

そして、佐藤さんの編集後記には、「ラヴ・アンド・ピース」というキーワードが登場します。今こんな時代だからこそ、(人それぞれが)自分の「根っこ」を考える時ではないか、と佐藤さんは熱く語ります。
今「ジュリー・ラヴソングの旅」シリーズで頑張っている拙ブログでは、はからずも今日、タイガース在籍時リリースのジュリー・ファースト・ソロ・アルバムに「ラヴ・アンド・ピース」というジュリーの「根っこ」を見出せる曲を採り上げることになりました。

アルバム『JULIE』から、ラスト収録の若々しくも壮大なバラード・ナンバーです。
「愛の世界のために」、伝授!

「ラヴ・アンド・ピース」がロックに根づき始めた60年代末。タイガース・ナンバーにしろ、ジュリー達メンバーそれぞれの作品にしろ、それを戦略的に「歌わされてきた」というだけでは済まされない輝きを放っている名曲がたくさんあります。だってそれは、誰にでもできることではないのですから。
「愛の世界のために」もそのひとつだと思います。

今年のお正月コンサートで「ひとりぼっちのバラード」が歌われたのを機に、ジュリーのファースト・アルバムが以前にも増して好きになった、というジュリーファンは多いのでは、と考えています。
無論僕もそうです。本当に何という歌声なのでしょうか。しかも、セカンドアルバム『JULIEⅡ』ともまったく違う・・・少年のようなんだけど、ファーストはむしろ今のジュリーの声と近いようにも感じるのです。

アルバム『JULIE』は、タイガース・ナンバー同様に、収録曲それぞれに本タイトルとは別の英語タイトル表記があります(これは『JULIE Ⅱ』にも引き継がれていますね)。

Julie


↑ CD『JULIE』歌詞カード&帯

「愛の世界のために」は「SONG FOR THE LOVE WORLD」。ちょっと日本語タイトルに新たな意味、フレーズを味つけした感じになっています。他の曲では、「ビロードの風」が「TALE OF WIND」となっていたりするのが似たパターンでしょうか。
「バラを捨てて」が「NO MORE ROSES」、「誰もとめはしない」が「NOBODY CAN MAKE YOU STOP IT」というのは、いかにも英語的なカッコ良さが出ています。
一方で「光と花の思い出」が「MEMORIES」、「雨の日の出来事」が「RAINY DAY」(帯の方は誤植で「RAINY」だけになってる)というのは・・・う~ん、もちろん悪くはないけど、まぁシンプルですよね。「光と花の思い出」あたりは歌詞の内容から「YOUTHFUL」とか頭につけてみても良かったかもしれないと僕は思いますが、ダサいかな?

「LOVE WORLD」・・・「愛の世界」。
「君」によって愛を知り、世界が広がった歌の主人公の人生の覚醒がテーマでしょう。しかし目を惹くのは2番の歌詞。この曲のコンセプトは、一般的な「男女の愛」と共に、「世界に愛を」という壮大な視点がきっとある、と思わせます。

世界を再び みどりと平和に
E♭                         D♭

返してくれた 君こそすべて ♪
Fm                B♭7    E♭

近年のジュリー自作詞において重要なキーワードとなっている「みどり」「平和」というフレーズが、このファーストアルバムの時点で既に、ZUZUの詞で歌われていたのですね。

ちょうどこの頃海の向こうの音楽は、フラワー・ムーヴメント真っ只中。
サリー&シローのアルバムに収録されている「花咲く星」で、「花で戦争がやめられると言ったら・・・あなたは笑うでしょうか」とゲスト参加のジュリーが語るフレーズがありますが、当時フラワー・ムーヴメントを正攻法で「ラヴ・アンド・ピース」に置き換え体現できる日本の歌手は、やはりGSの王者、ザ・タイガースのメンバーだったということでしょう。世間に強く「届く力」(セールスを含みます)というものが必要となるからです。
ジュリーのソロ、サリーとシローのアルバム、そして別の道を選んだとは言えトッポのソロにもそのコンセプトが堂々とあり、もちろんザ・タイガースの「ラヴ・ラヴ・ラヴ」がその最高峰たるナンバーと言えます。

さて、先のお正月LIVE『ひとりぼっちのバラード』のMCでジュリーは、このファーストアルバムの制作秘話を少しだけ話してくれました。
作曲の村井邦彦さんが曲の打ち合わせの際、「(ジュリーのヴォーカルは)タイガースで歌っている曲よりもう少しだけ低い音域が良いと思う」と話していたのだそうです。これが、先に述べた「今のジュリーの声に近い、とすら感じる」理由なのですね。
なるほど、『JULIE』収録曲のヴォーカルは、タイガース・ナンバーよりも声が太いのです。それでいて無垢な、ただひたすらに「歌う」ことに向かっている声。

お正月のセットリストで採り上げられたツアー・タイトル曲「ひとりぼっちのバラード」については、ジュリーとしては当時歌詞の内容に抵抗もあったりしたようですが、「今なら歌の気持ちが分かる」とのことで、新年早々素晴らしい情感に満ちた歌声を聴かせてくれましたよね。
それは、「音域が今の自分に合ってる」ということも大きかったのではないでしょうか。

ちなみに「愛の世界のために」で調べてみますと、メロディー最低音が低い「シ♭」、最高音が高い「ド」。確かにタイガース・ナンバーよりも低い音域です。
さらに言うと村井さんは同時期にトッポのソロも作曲していて、こちらは『JULIE』収録曲と比べてハッキリとキーが高いんですね。曲の音域ひとつとっても、歌い手が一番その力を発揮しやすいように・・・と心を砕いて作曲に取り組んでいたんだなぁ、と改めて村井さんのプロフェッショナルな姿勢を思います。

Songfortheloveworld

『沢田研二のすべて』より
いやぁ、このスコアの採譜はどの曲も大変大らかです。「愛の世界のために」も、何故だかキーが1音上がってるし・・・Aメロの一番おいしいトコのコード進行も明らかに違うし・・・。
でも、そんな叩き台があった上で、ああでもない、こうでもないと時を忘れて熱中し自分なりに修正していると、新たな曲の魅力の発見もあり、とても楽しいです。

ゆったりとした、バラードの王道。
実はタイガース・ナンバーで、洋楽カバー曲を除くとジュリーはこのタイプの長調バラードを数えるほどしか歌っていません。正規にリリースされた曲ですと、後期の「スマイル・フォー・ミー」が最初じゃないかな。意外なほどに例は少ないのです。
当時ジュリーは心の何処かで「バラードはかつみやシローの分野」と考えていたかもしれません。実際、「スマイル・フォー・ミー」のリリース時に「こういう曲は本来シローの担当なんだけど・・・」と語っています。

それがファーストアルバムで本格的な長調バラードを何曲か歌うこととなり、ジュリー自身には違和感があったりしたのかなぁ。ただ、村井さんはじめ周囲のスタッフは、むしろジュリーの歌手としての資質を「愛の世界のために」「ひとりぼっちのバラード」のような曲にこそ見出していたのではないでしょうか。
今では誰も異議を唱えることなどない「バラードのジュリー」を最初に根づかせた作品として、アルバム『JULIE』が大きな意味を持っていたことが、後追いファンの僕は今にして分かるのです。

何にも かえがたい やさしさが
A♭           Gm      A♭      Gm

僕を ひきつける ♪
Fm7  F7         B♭7

「年を重ねたジュリーが歌うことを安井かずみさんが想定していたような曲」だと先輩が仰っていた「ひとりぼっちのバラード」以外に、今ジュリーが「歌ってみようかな」と考える『JULIE』収録曲はあるのでしょうか。「今こそ歌ってみよう」と思えそうな曲は・・・。
僕は、「愛の世界のために」もそんな1曲のような気がするんですけどね。今のジュリーが歌ったら、安井さんの詞も一層沁みると思うのですが・・・。

ところで、アルバム『JULIE』はタイガース・ジュリー初のソロアルバムということで当然ながら話題性もあり、雑誌(『女学生の友』・・・なのかな?)でそれぞれの曲の歌詞と共に若きジュリーのショットを載せた「フォトポエム」(72年から『女学生の友』連載の同シリーズとは別物)なる企画がド~ン!とカラー特集されているんですね。
今、僕の手元にも数枚あります。
Mママ様よりお預かりしている膨大なお宝資料の山の中から発掘されたのは、「ビロードの風」「誰もとめはしない」「バラを捨てて」「君をさがして」「ひとりぼっちのバラード」「マイ・ラブ」の6曲分の「フォトポエム」。ちょうど半分ですね。
これは当然、全12曲分存在するんですよね・・・?

アルバム『JULIE』からの考察記事執筆の際には、もしお題曲の「フォトポエム」があれば添付させて頂いています(「ひとりぼっちのバラード」「バラを捨てて」の各記事参照)が、今回の「愛の世界のために」は残念ながらありません。
どんな写真だったのでしょうか。これ、季節が冬のショット、というのがイイんですよねぇ。ジュリーは皮ジャン着たり、縞々のセーター着たり。
いつか、全曲分を拝んでみたいものです。


では、今日のオマケです。
お題曲とは1年近いタイムラグがある資料なんですけど、北海道の琴似というところにある古書店さんのネット販売で発見、即購入した『明星』付録歌本『YOUNG SONG』です。
年代の違う3冊の『YOUNG SONG』がセットで800円という掘り出し物。現在、雑誌付録の歌本の古書価格は1冊500円が相場ですからね。しかも3冊のうち1冊はジュリーが表紙のものでした。

今回ご紹介するのはジュリーが表紙というわけではありませんが、1970年11月号・・・とにかくこうした歌本は、ジュリーがソロになって以降のものはちょくちょく見かけますが、タイガース時代に発行されたものって、古書市場に出回っていること自体がちょっと珍しいんですよ。

まず巻頭の、読者投票による人気曲・人気歌手ランキング『明星ベスト・ヒット20』のページに、若虎ジュリーの小さな写真を発見。
他掲載の男性歌手の写真と比較すると、当時としては明らかに未来進化系のイケメンです。

Ys70111

ランキングは第1位が藤圭子さんの「命預けます」。ザ・タイガースはと言うと、第10位に新曲(!)の「素晴しい旅行」がラインクイン。
歌本ですから、当然スコアの掲載もありました。

Ys70112

そして想定外の掲載で嬉しかったのが、洋楽ヒット中コーナーで見つけた「イエロー・リバー」のスコア。

Ys70113

偶然今回の『ロックジェット』で、白井さんがタローの「イエロー・リバー」についても語ってくれていて、その話の流れで僕にとってはかなり衝撃のアレンジ秘話が飛び出していました。
いつかこのスコアや白井さんのお話を参考に、「イエロー・リバー」の記事も書きたいと思っています。


それでは次回更新ですが・・・いきなり時代が大きく飛びまして、熟年ラヴ・ソングを採り上げようと思っています。
穏やかな愛の歌が聴き手それぞれの人生に重なってゆく魔法は、何もジュリー・ラヴソングに限ったことではないのでしょうが、やっぱりジュリーのあの声で歌われると、まず「癒される」という感覚があり、自然に我が身に置き換えてしまう・・・そんな名曲。
まだまだ「ジュリー・ラヴ・ソングの旅」は続きます!

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2014年4月19日 (土)

沢田研二 「LOVE(抱きしめたい)」

from『LOVE~愛とは不幸をおそれないこと~』、1978

Love

1. TWO
2. 24時間のバラード
3. アメリカン・バラエティ
4. サンセット広場
5. 想い出をつくるために愛するのでない
6. 赤と黒
7. 雨だれの挽歌
8. 居酒屋
9. 薔薇の門
10. LOVE(抱きしめたい)

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ジュリーのラヴソングを求め、40年数年もの時空を巡る考察の旅は、まだまだ続きます。
4月も後半に入りましていよいよ春本番。
そんな中、今日のお題はちょっと季節外れになってしまうのですが・・・ジュリー「愛の歌」は「愛の歌」でも、禁断の愛。自らその愛を断ち切り、悲壮な別れを選んだ男の歌です。

阿久さんと大野さんの黄金コンビの楽曲で絶頂期のジュリー・・・その中にあってアルバム単位としては「異色作」とも言える『LOVE~愛とは不幸をおそれないこと』から、お題を採り上げたいと思います。
『LOVE~愛とは・・・』は個人的に大変愛している1枚で、大名盤だと思っています。今はもう暖かな春ですけど、今年の冬も何度もアルバム通して聴きました。寒い時期に聴くと、より一層その素晴らしさが際立つ「オンリーワン」なアルバムです。

一応そのアルバムからの先行シングル・・・と言うより、まずシングル・リリースがあってこのアルバムへと繋がった、とするのが正しいでしょうか。
レコード大賞の最優秀歌唱賞を受賞するなど、「一般ピーポーのみなさまにも耳馴染みのある」ジュリーの大ヒット・シングル。しかしながら、さほど近年のLIVE率の高くない曲でもあります。
僕としては、「いつかまた生で聴ける」と確信はあるものの、さてそれが近々に実現するのか、と言われると微妙・・・そんな感覚を持っています。ですから、一応今年のツアーでも密かな期待は持ちつつも、セットリスト予想のコーナーとしてはちょっと採り上げにくい、と考えている曲。もちろん大名曲ですが。
「LOVE(抱きしめたい)」、伝授です!

僕には「LOVE(抱きしめたい)」を歌うジュリーに、2つの時代の鮮烈な記憶があります。
ひとつは、『ザ・ベストテン』にて、冬の雨の演出でコートまでズブ濡れになりながら熱唱する、小学生の頃にテレビで観たジュリー。
もうひとつは、2010年正月コンサート『歌門来福』・・・あの「イントロ当てクイズ」とまで言われたマニアックな選曲の中、唯一のシングル・ヒットとしてこの曲をセットリスト前半ラストに激唱した、61才のジュリーです。

幼少時、僕が『ザ・ベストテン』出演のジュリーの記憶があるのは、「ヤマトより愛をこめて」から。「ダーリング」の記憶は無いのです。その頃はまだ流行歌に興味もなく、歌番組自体を観ていなかったのでしょう。
で、「ヤマトより愛をこめて」が「なんとなく覚えてる」記憶であるのに対し、「LOVE(抱きしめたい)」の方は雨降らしのステージ演出のシーンなどもハッキリ思い出せる・・・ということは、この曲がヒットし出した当時の僕が(ジュリーファンではなかったにせよ)、ちょうど歌番組の中の「音楽」というものを積極的に理解しよう、覚えよう、と熱意を持ち始めていた頃だった、と言えそうです。

その「ヤマトより愛をこめて」と「LOVE(抱きしめたい)」2曲のシングル・リリース・タイミングって、ものすごく近いんですよね(「ヤマト~」が78年8月1日、「LOVE~」が9月10日)。
基本的に3ケ月に1曲ほどのペースで安定したシングル・ヒットを続けてきたジュリーをして、これは明らかに特殊なプロモート・リリースです。
後から知ったことですが・・・この年のジュリーはとにかく「レコード大賞V2」を最大の目標とし快調に飛ばしていましたが、大ヒットした「ヤマトより愛をこめて」が、アニメ映画とのタイアップにつきレコード大賞ノミネート除外ということがあり、急遽似通った曲想の「LOVE(抱きしめたい)」をシングル・リリース、年末の賞レースへ向けてこの曲で勝負をかけた、という戦略事情があったのだそうですね。
後に大野さんがインタビューで「レコード大賞は(大野さん作曲の)ジュリーの「LOVE(抱きしめたい)で間違いない」という情報も得ていたが、残念ながらその年の大賞はとれなかった、と明かしていました。

今ではヒット曲のタイアップなど当たり前・・・もし「ヤマトより愛をこめて」がレコード大賞ノミネート曲だったら、とどうしても考えてしまうところですが、じゃあ「LOVE(抱きしめたい)」が「ヤマトより愛をこめて」に劣る曲かと言うと、決してそんなことはないわけで。
詞曲、アレンジ・・・すべてにおいて入魂の1曲。
確かに「短調のバラード」とカテゴライズすると「ヤマトより愛をこめて」と同系列ではありますが、この短期スパンにおいて、まず阿久さんの作詞アプローチが劇的に変化していることに注目してみたいです。

「ヤマトより愛をこめて」はじめ、アルバム『今度は、華麗な宴にどうぞ。』の三大バラード「探偵(哀しきチェイサー)」「スピリット」・・・歌詞はいずれも重いテーマを擁します。
ただ、これらの曲で阿久さんはその「重さ」を男のダンディズムとしてジュリーに体現させようとしている・・・儚い決意、暗い物語、哀しい運命を「男の気障」に託し「小説性」を演出しようとしているように思われます。

ところがすぐ後の「LOVE(抱きしめたい)」の歌詞には、突如としてリアリズムの世界があるわけです。
どんな重いシチュエーションをも「気障」に演じ、完璧な美しさを持つ、完璧な男ジュリー・・・そんなジュリーを「ドロドロな現実」に陥れトコトンまで痛めつけてしまったらどうなるのか、といういかにも阿久さんらしい好奇心がそこにあったのではないでしょうか。
もちろんこの曲を軸としてその年の真冬の年末にリリースされたアルバム『LOVE~愛とは不幸をおそれないこと』収録曲にて、阿久さんのそうしたアプローチはさらに厳しさ(?)を増しています。
それはまるで、絶世の美女をいたぶるドS紳士のようではないですか・・・。

「ドツボ」(この表現は古いのか?)な状況、抗えぬ運命にただ痛めつけられるだけの男の姿、心情を歌うジュリー。不謹慎な言い方かもしれませんが、それは「気障」以上に、極上に美しい。阿久さん、してやったり・・・でしょうか。
打ちひしがれ立ちつくして、最後にはひたすら「さよなら」を繰り返すだけの男。ジュリーはサビ部の「さよなら」4回のリフレインを、それぞれまったく違うニュアンスの「さよなら」で歌っていますね。

大野さんも阿久さんの作詞に応え(詞が先の作曲、と仮定しての話ですけど)、徹底的な短調、マイナーコードで責めまく・・・もとい、攻めまくっています。

Love01


『沢田研二/イン・コンサート』より
このスコア発売時点で、「LOVE(抱きしめたい)はジュリーの最新シングル曲だったようです。

確かに曲想は、「ヤマトより愛をこめて」ととても似てはいるんですよ。
2曲の比較を考えた時・・・同じ短調の重いバラードが瞬間的にメジャーコードへと展開する箇所を挙げると、聴いた際のそれぞれのイメージの違いが一番分かり易いかな。
「ヤマトより愛をこめて」では

君は手をひろげて守るがいい
      B♭m7         E♭7      A♭

からだを投げ出す値打ちがある
         B♭m7   E♭7         A♭

一方「LOVE(抱きしめたい)」では

あなたは帰る 家がある
B♭m7      E♭7  A♭

やさしくつつむ人がいる
D♭           C7         Fm

 

(註:比較しやすいように、「ヤマトより愛をこめて」のキーを「LOVE(抱きしめたい)」と同じヘ短調に移調して表記しています)

この箇所では上記の通り、最初の1行目はまったく同じ和音に別のメロディーが載っています。しかし2行目の最後の和音が、「ヤマト~」はメジャーコードへ、「LOVE~」はトニックのマイナーコードへと着地。これだけの違いで「LOVE(抱きしめたい)」は非常に重い、歌の主人公の徹底的なダメージを表現しているのです。

そして船山さんのアレンジがまた、徹底しています。
楽器トラックの内訳は

(Left to Right)
エレキギター(箇所によってはスティール・ギター?)
ドラムス
ストリングス
オルガン(キメ部、ストリングスとのユニゾンで登場)
ベース
アコースティック・ギター
トライアングル(箇所によってはグロッケン?)

それぞれのトラックに確固たる「出番」と「お休み」の決まりがあり、悲壮な歌詞、ジュリーのヴォーカルを手を変え品を買え、後方からひたすらに盛り上げます。
同じAメロでも、右サイドのアコースティック・ギターのアルペジオは変わりませんが、左サイドは1番ではしっとりと濡れたピアノ、2番では鋭い激情のエレキギター、といったように、曲の進行に合わせてキチンと登場の役割分担があります。その時、他楽器は必要以上には噛んできません。だからこそヴォーカル部ではジュリーの声がグッと前に出て、片やすべてのトラックがガ~ン!と全開になるインスト部も一層光るわけです。

前々回「ラヴ ソング」、そして前回「想い出のアニー・ローリー」の記事では、固定のバックバンド・アンサンブルによるレコーディングを絶賛しましたが、この曲のように、細部まで練り上げられた一流のアレンジャーの意図そのままに、腕ききのスタジオミュージシャンが楽譜通りに演奏するテイクというのも、また良いものですね。

そして・・・僕は『歌門来福』で歌われたこの曲のGRACE姉さんの素晴らしいドラムスが、今でも強く印象に残っているんですよ。
オリジナルに忠実というだけでなく、前に出過ぎず、それでいて力強く優しい存在感。ハイハット、スネアドラム、タム、すべてがあの阿久=大野時代のジュリーを甦らせてくれる・・・そんな演奏でした。
思えば僕は『ジュリー祭り』で「ヤマトより愛をこめて」を聴いた時に「あの素敵な女性ドラマーは一体誰?」と前のめりになり、翌年の『PLEASURE PLEASURE』ツアーの「探偵(哀しきチェイサー)」のドラムスにも魅せられ、そして2010年の「LOVE(抱きしめたい)」・・・その都度ブログでもGRACE姉さんのドラムスの素晴らしさについて書いて
きました。
阿久=大野時代のジュリー・バラードとここまでシンクロできるというのは、女性の感性だからこそ、の演奏なのでしょうか。

あと1度くらいは生のLIVEで聴ける曲、とは思っていますが、さてどのくらい先になりますかねぇ・・・。


さて、それでは最後にオマケです!
「LOVE(抱きしめたい)」がリリースされた1978年と言えば、大野さんがアルバム『Windward Hill』で歌手デビューを果たしているんですね。僕がそれを知ったのはつい数年前ですが、J先輩からお預かりしている資料の中に、こんな記事がありました。

Img359

なるほど興味深い・・・この時期のレコーディングは、まず作曲者の大野さんが(おそらくピアノを弾きながら)ジュリーに新しい曲を自ら歌って聞かせ、そこからジュリーが歌入れにとりかかる、という制作過程があったのですねぇ。

大野さんの『Windward Hill』は選曲的にも貴重な作品です。どうしてもジュリー・ナンバーはジュリーのヴォーカルで完全に脳内インプットされていますが、まず大野さんの歌声ありき、でこの時代の数々の名曲が生まれていったんだなぁ、と思いながら改めて聴くと、しみじみするものがあります。
ジュリーは当時から、そんな敬意でもって大野さんの「新曲」にじっと耳を傾けていたのでしょうね。


では次回更新ですが・・・今度は地球規模の「愛の歌」とも解釈できる、安井かずみさん作詞の、初々しくも壮大なバラード・ナンバーをお題に予定しています。
「ラヴ&ピース」が世界共通の言葉となった頃、やはりジュリーのような特別な歌手には、そんなムーヴメントを担う運命がありました。
そして数十年が経った今、お正月LIVE『ひとりぼっちのバラード』でのMCを聞いていて、ジュリー自身にその頃を改めて思い出すことがあったんだなぁ、と感じました。

いずれにしても、それぞれの時代、ジュリーが歌ってきた様々なラヴソング、そのヴァリエーションは底をつくことはありません。しかもどれも名曲ときていますからね。
ジュリーの愛の歌にときめく執筆を続けます!

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2014年4月14日 (月)

沢田研二 「想い出のアニー・ローリー」

from『S/T/R/I/P/P/E/R』、1981

Stripper

1. オーバチュア
2. ス・ト・リ・ッ・パ・-
3. BYE BYE HANDY LOVE
4. そばにいたい
5. DIRTY WORK
6. バイバイジェラシー
7. 想い出のアニー・ローリー
8. FOXY FOX
9. テーブル4の女
10. 渚のラブレター
11. テレフォン
12. シャワー
13. バタフライ・ムーン

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『悪名』の東京公演も終わりました。
僕は残念ながら参加できず、いずれDVDで鑑賞するつもりですが、いつもお世話になっている先輩から、昨日たっぷりと感想を伺ってまいりました。ここ数年の音楽劇の中では抜きん出て良かった、とのことでしたね。
今回の劇の舞台となった場所は大阪でも特に濃厚な地らしく、それも良かったんじゃないか、という話もあり・・・関西弁の魅力も満載、音楽も最高だったそうです。

昨夜の福岡公演に参加された九州在住の別の先輩からは、柴山さん達の演奏について「ロックパイルのような感じの曲もあり」という、僕にとっては衝撃の感想もございました。悔しいのう羨ましいのう。

ということで、偶然今日の記事ではロックパイルの話も少しするわけですが・・・拙ブログでは現在、様々な時代の「ジュリー珠玉のラヴ・ソングを採り上げる月間」開催中。今日は予告通り、前回記事「ラヴ ソング」から”ジュリーのくちづけ”繋がりのお題です。
アルバム『S/T/R/I/P/P/E/R』から・・・本格的なロック志向と共にすっかり大人の男となったジュリーが、古き良き時代の「不良少年」を演じ、イカした恋のワンシーンを歌う、ロンクンロール・ロカビリーにして最高にポップなナンバー。
「想い出のアニー・ローリー」、伝授です!

ポニーテール 揺らして
E       G#7            C#m    Bm7  E7

踊った    あの  夏から ♪
A    B♭dim    G#m7     E   E7

ここでまずは、今回の採譜の参考資料をご紹介。
ご存知『ス・ト・リ・ッ・パ・ー 沢田研二楽譜集』です。

Annie_laurie

見開きページのショットも素晴らしい!
つくづく貴重なお宝本だと思います。

この本は当時の巷のスコアの数々(『明星』『平凡』付録の歌本等含む)と水準比較しますと、なかなか信頼の置ける採譜をしているなぁという印象を持っているのですが・・・「想い出のアニー・ローリー」に関しては、部分部分で詰めの甘い箇所がありました。
記事中の歌詞引用部で当てたコードネームは、僕なりに修正をかけています。『ス・ト・リ・ッ・パ・ー 沢田研二楽譜集』をお持ちで楽器の演奏もできるかたは、ちょっと弾き比べてみて~。

さてさて「想い出のアニー・ローリー」・・・これは、若々しい求愛の歌なんですね。
僕には、この歌の主人公はまだ10代の少年、というイメージがありますがみなさまはいかがですか?

だいたい80年代前半くらいまでなのかな・・・ロックンロールの世界で10代の純な不良少年が恋する相手の女の子と言えば髪型はポニーテール、と決まっていましたし、恋に落ちるのは夏、というのも定番。
さらに、曲中に景気づけで飛び出す横文字は「ベイビー」と「カモン!」で決まり。
このあたり、三浦徳子さんの歌詞は徹底したイメージにのっとっています。おそらく曲先の作詞作業で、ロックンロール、ロカビリーの曲想から、三浦さんがジュリーを主人公の少年の姿に重ね合わせて想定した世界なのでしょう。

当時ジュリーは30代前半ですが、むしろ「不良少年のイノセンス」をその艶っぽいヴォーカルで表現させたら、20代の頃よりも切れ味が鋭いように感じます。それは、ヴォーカルの中にいよいよ「男」が漲ってきたこともあるでしょうし、井上バンドと離れた後の作品が徹底した「ロック色」を押し出していたこととも無関係ではありません。
やっぱり「ロック=不良少年のイノセンス」は世界共通、永遠の図式なのだと思います。素晴らしき昭和のレコード時代、声と容姿とセックスアピールに長けたロック適性のある実力派アイドル・ヴォーカリストだけがその表現者として「選ばれた」わけで、まぁ日本ならそりゃあジュリー!で間違いないところ。

主人公の少年が「ずっと好きだった」思いを伝えられていなかったポニーテールの彼女に、「時は来た!」とばかりに猛烈なアタックを開始する・・・というのが「想い出のアニー・ローリー」のあらすじです。
では何故少年はこれまで、彼女に自分の思いを伝えようとせず手をこまねいていたのでしょうか。

あいつと 別れた
E        G#7  C#m    Bm7  E7

ことなど   聞かない つもり
A       B♭dim        G#m7    E  E7

やきもち   やいたけれど
A       B♭dim     G#m7  C#7

OH!BABY, BABY, BABY 好きなんだ ♪
       F#7                  B7               E    D D# E

つまり、彼女にはつい最近まで彼氏がいたのですね。
「いや、好きならばそんなこと関係なく奪いとるべきだろう」と考えるのは早計。たぶんその彼氏は、少年がいつもつるんでいる仲間のうちの一人だったんですよ。しかも、「先輩」ね。不良少年仲間の兄貴分です。
少年よりも一歩先に「大人の世界」にいた兄貴と、憧れの彼女・・・その2人の恋仲が終わった時、少年が兄貴の後を追いかけるようにして今度は自分が彼女と大人の関係になろうかという成り行き・・・よく聞く話です。

物語の少年をそのままジュリーとイメージしますと・・・じゃあその「先輩」は誰になるかな?と考えた時、当時ジュリーの周囲にうってつけの人がいました。
女好きな性格で、自分と別れた女の子と弟分が恋仲になっても飄々と仲間づきあいができるような、少しだけ箍が外れた愉快で頼もしい「兄貴分」(勝手な妄想ですが)。
他でもありません。ズバリ「想い出のアニー・ローリー」の作曲者、かまやつひろしさんです!

Img814


Mママ様よりお預かりしているお宝切り抜き資料より。僕の知識では出典を特定できませんが、「ピッグ代表」とあるので1971年か72年の雑誌記事でしょうか。
ちなみに、かまやつさんだからどうにかなったと思いますが、普通の人は、お店のちょうちんを壊して頭にかぶって「どうにかなるさ♪」では絶対済まされません(笑)。

いかにもジュリーの「兄貴分」というイメージ。
僕はかまやつさんに、細かいことにこだわらない、自然体の大らかさ・・・スケールの大きさを感じます。実はタイムリーでかまやつさんのことはよく知らなくて・・・僕はおもに、かまやつさんの曲作りからそのキャラクターを推し量っているのです。
今日お題の「想い出のアニー・ローリー」が好例。パッと聴くとキャッチーでシンプルのように感じるのですが、基本パターンをしっかり押さえつつ、「面白そうだと思ったことは強引に組み込んでしまおう」というヤンチャな荒々しさ、新しさがあり、型にはまらないそんな「音楽的好奇心」には、ジュリーも若い頃から相当影響を受けてきたんじゃないかなぁ。

おそらく作曲にも反映されているはずですが、演奏者・かまやつさん最大の武器は、持って生まれた「掌の大きさ」にあると思われます。これは伊藤銀次さんがブログで書いてくれたことがありました。かまやつさんは、その大きな掌でむんずとネックを鷲づかみにしてギターを弾くのだそうです。
最近、CharがLIVEのMCで邦洋様々なギタリストの話をする中で、「かまやつさんにはとても敵わない」と言っていたのだそうです。あの超絶ギタリスト、Charをしてそこまで言わしめるわけですから、よほど特別なんですよ。
たぶんかまやつさんは、ネックの上方から掴んだ親指が5弦・・・下手すると4弦まで届いてしまう感じ?と想像します。例えばコード・ストロークをしながら親指でベースラインまで一緒に弾けてしまう、とか?

普通の人間の指では構造上絶対に再現不可能な独自のフォームを、かまやつさんはいくつも持っているのではないでしょうか。一度生で見てみたいものです。

それにしても、このアルバム『S/T/R/I/P/P/E/R』収録曲を聴き返すたびに思うことは、エキゾティクスの演奏の凄まじいレベルと志の高さです。
スタジオ・ミュージシャンではなく、若くして確かな技量を持ち鍛錬を積んだ特定アーティストのバックバンド・メンバーが「せ~の!」で全員合わせて演奏する、というのは、当時からLIVEでは当たり前のことだったのでしょうが、この時代、しかもジュリーのようなトップ・アイドルのバックで、新曲のレコーディング段階からそれを徹底しているというのは・・・よほど自ら出す音、他メンバーが出す音への確信がなければできません。
これこそが一流のバンドマンによる「人間同士」のアンサンブルですね。

今や巷では、ほとんどの演奏音が機械で制御され打ち込まれている音楽が溢れています。それはそれで楽曲そのもの、或いはアレンジのアプローチなどについて素晴らしい面ももちろんありますが、小節の頭でドラムス、ベース、その他の楽器音が寸分の狂いもなく揃っている、というのはどうにも違和感をぬぐえません。
もちろん音が「揃う」というのは演奏の基本なんですけど、バンドで人間同士が作り出すほんの「コンマ数秒」のごくごく僅かなズレがある方が、逆にしっくりくるように思う・・・メンバー間の呼吸が聴こえてくるようなそんな音が僕は好きだな~。

ドラムス、ベース、ピアノ、そして左右に振り分けられた2本のエレキギター(右が柴山さんかな?)。
そのエキゾティクスの「せ~の!」のグルーヴがどれほど凄いかというと・・・間奏ソロの追加トラックのために特別ゲストでレコーディングに招かれた本場イギリスのパブ・ロック・ギタリストの雄、ビリー・ブレムナーが、ベーシック・トラックのプレイバックに明らかに気圧されてしまっているほどなのです。

ロックパイルのリード・ギタリストであるビリー・ブレムナーについては、以前「DIRTY WORK」の記事で詳しく書きました。僕が世界で最も敬愛するギタリストで、ロックンロール、ロカビリーといったタイプのナンバーでのソロは、本来得意中の得意とするところ。まるで「第2のヴォーカル・パート」のような流暢かつワケの分からないテンションの高さが持ち味・・・なのですが、「想い出のアニー・ローリー」ではその個性が抑えられ、「間違えないように」「失礼のないように」みたいな雰囲気の、丁寧で几帳面なソロを弾いています。
もちろん、悪いテイクではないですし、僕のようなロックパイルのファンが音を聴けば一発でビリーだと分かる演奏なんですけど、彼ならもっとゴキゲンで前のめりなソロを弾けるはずなんです。

「東洋の歌手が本場ロンドンでロカビリーなアルバムを作るので是非」といった感じのオファーで、まぁ言葉は悪いですがナメていたのでしょうか。音を聴いた瞬間に「これは・・・!」と焦ったのかな。
充分なレコーディングの期間があればなぁ、とビリー贔屓としては考えてしまいますが、当時のジュリーのアルバム作りのスケジュールなど考えますとね・・・いた仕方ない。
結果として個人的には「演奏は完全にエキゾティクスで固めて、柴山さんがソロを弾いていた方がジュリーの作品としては良かったのかも」とは思いますが、本場のパブロッカーの参加が作品に箔をつけたということ、またリリースから数十年経って僕がロックパイルの音と思わぬ再会をしたこと、など含めて、「想い出のアニー・ローリー」はじめビリーやポール・キャラックといった僕の大好きなパブロッカーが参加したアルバム収録曲がすべて名曲、名演であることは揺るぎません。
逆にジュリー、そしてエキゾテシクスの懐の深さ、クオリティーの高さを感じますしね。

こうしたことも実は、エキゾティクスの一発録音の凄まじさ、一体感の証明。ビリーのリード・ギター・パートは「追加トラック」だから大変だった、とも言えるのです。

その素晴らしい演奏に輪をかけて凄いのが、ジュリーのヴォーカルです。これだけの演奏を、リードして全部持ってっちゃうんですから。
以前に「FOXY FOX」の記事でもこの曲のヴォーカルについて少し書きましたが、僕は

Come On, Come On ドレスの裾なんか ♪
         A             B     E

の、ジュリーの語尾の「か」がメチャクチャ好きです。
母音をスパ~ン!とブッた斬るカッコ良さ。直前の「カモン!」がちょっとドスを効かせているような感じなので、余計にこの語尾のニュアンスが光るのだと思います。
このような野性的な語尾の斬り方も、また違った曲想の時に繰り出される抒情味溢れるロングトーンも、ジュリーの感性から自然に発せられる「歌」そのものなのでしょうね。

とにかく、ジュリーにこんなふうに歌われ口説かれてしまっては、「先輩の元カノ」も傷心を忘れ一瞬で堕ちてしまうでしょう。「想い出のアニー・ローリー」って、おそらく曲の演奏時間と同じくらいの長さの、ちょっとしたワンシーンを描いた歌なんだと思います。

Come On, Come On まわるレコードは
         A             B     E

Come On, Come On 想い出のアニー・ロリー
         A             B     E

おいでよ ひざの上へ くちづけしたい
G#7           C#m             A    B     E

彼女は何の抵抗もなくジュリーのくちづけを受けたでしょうが・・・この最後の一節、流れているレコード「アニー・ローリー」というのは、あの有名なスコットランドの曲のことで良いのかな。
不良少年が女の子を口説くにはちょっとオシャレ過ぎるような気がしますが、このくらい背伸びしたムードがあった方が、恋のかけひきはうまくゆくものですか?
経験不足で、よく分かりません・・・。


それでは、次回更新では阿久さん×大野さんの黄金コンビによる、正真正銘の「大人のラヴ・ソング」を採り上げたいと思います。
「愛の歌」と言ってもそれは、必ずしも楽しいものばかりではありませんね。辛い別れ、禁断の愛を歌い表現する大人の男・ジュリーにもまた、とてつもなく素晴らしい魅力があります。

執筆予定曲は有名なヒット・シングルのバラードですから、今後また生で聴く機会もあるかもしれません。可能性は高くないと思いますが、もし今夏からのツアーでそれが実現すれば、ステージで歌われるのは2010年お正月以来ということになりますか。
お題、バレバレですね。

引き続き頑張ります~。

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2014年4月 9日 (水)

沢田研二 「ラヴ ソング」

from『JULIE IV~今 僕は倖せです』、1972

Julie4

1. 今 僕は倖せです
2. 被害妄想
3. 不良時代
4. 湯屋さん
5. 悲しくなると
6. 古い巣
7. 
8. 怒りの捨て場
9. 一人ベッドで
10. 誕生日
11. ラヴ ソング
12. 気がかりな奴
13. お前なら

----------------------

2017.2.13後註
この考察記事執筆から3年近く経って、「ラヴ ソング」のハミング・ヴァージョンが1975年からラジオで放送されていたニッホン放送の帯番組『沢田研二の愛をもとめて』のテーマソングとして流れていたことを知りました。
ジュリーの歴史、まだまだ僕は知らないことばかりです。

☆   ☆   ☆

どうやら無事に今年の新譜『三年想いよ』全曲の考察記事の執筆を終えることができました。どうしても重い内容になってしまい、毎度の大長文におつき合い頂きまして、恐縮です。

今回からは再び、過去のジュリーの幾多の名曲群を、様々な時代を飛び回りながら採り上げてまいります。
気持ちも新たに、ということで・・・しばらくの間はなるべく簡潔に短い文章で纏めるよう心がけ、そのぶん更新頻度を上げてバシバシ新しい記事をお届けできれば、と考えています。
頑張ります。よろしくお願い申し上げます。

前回まで、ジュリーのここ3作の作詞テーマについて大絶賛したわけですが、確かに僕にも、ジュリーに「素敵な愛の歌を歌って欲しい」という気持ちはあります。
でも、ジュリーの「愛の歌」は、過去を遡れば本当に数え切れないくらいの名曲があるのです。そのうちいくつかの曲はいつか生のLIVEで聴けるのか、はたまたもう聴くことはできないのか・・・それは分かりませんけど、まずは「ジュリー珠玉の愛の歌」にテーマに絞って何曲かお題を採り上げていくことから、再スタートを切らせて頂きます。

ジュリー・ラヴソングの旅・・・第1回の今日のお題はタイトルもズバリ!な「ラヴ ソング」。

(CD盤面など「ラヴ・ソング」と「ラヴ」と「ソング」の間に「・」をつけている表記がほとんどですが、肝心のジュリーの手書き歌詞が「ラヴ ソング」となっていますので、僕も今回の記事からはジュリー自身の表記に倣うことにしました)
全曲ジュリー作詞・作曲による、セルフ・プロデュース作品第1弾アルバムにして不朽の名盤『JULIE IV~今僕は倖せです』から。
若きジュリーの素敵な愛の歌を伝授です!


本当に、この頃のジュリーのヴォーカルを聴くと、「天はニ物を与えまくってるなぁ」と感じ入るばかり。
もちろん僕は今のジュリーの声が大好きで、LIVEに参加するたびにそれを再確認していますけど・・・特に70年代のジュリーの声を、少年時代の自分の感性で聴いておきたかったなぁ、という叶わぬ思いも強いです。
僕は男だから、若きジュリーの容姿に目が眩むあまりに、その素晴らしい声を聞き逃してしまうなんてことは無いはず・・・たぶん無い・・・と思う(実は自信無し)。

当時からルックス、ヴォーカルの素晴らしさはファン以外の人々にも広く認知されていた(72年末にはレコード大賞の歌唱賞を貰うことになりますしね)でしょうが、「作曲家」としての特異な才能については、なかなか一般的には知られていなかったのかな。

『ジュリー祭り』より数年前・・・不肖DYNAMITE、ポリドール時代のアルバムばかりをすべて聴き、まだジュリーのLIVEに一度も参加したこともないのに「自分はジュリーファン」と不遜に思い込んでいた頃からすでに、「ジュリーの(作曲した)曲って面白いよな!」と、YOKO君とよく話していたものでした。
堯之さん曰く「沢田は普通では考えられない進行の曲を作る」とのことですが・・・ジュリーの作曲の才は、ある程度まで「コード進行の仕組み」を勉強してさえいれば、僕らのような凡人にもハッキリ分かるほどに際立った個性があります。

アルバム『JULIE IV~今僕は倖せです』はすべてジュリーの作曲作品ですので、いくつかの収録曲では「ええっ?」と意表を突くコード進行が登場します。
その才能はこの時点ではまだ「開花寸前」という感じもあるけれど、「只者ではない」「特異な感覚を持っている」ことは、ファンはもちろん、周囲のスタッフ、バンドメンバー一様に感じていたでしょう。

この「ラヴ ソング」は、その点どうでしょうか。

泣かないで 可愛い人
C       Em    Dm      G

帰らないで もう少し ♪
C       Em   Dm    G

ここまでは王道です。フォークソングのムーヴメントに影響を受けているのかな、と思わせる出だしのメロディーとコード進行。
歌声があまりに「天使」であることを除けば、いたって普通のバラード、と言える導入の仕方です。
ところが

今の言葉 言い直すから ♪
Am   Bm   Am     Bm

ここでいきなり雰囲気が尖ります。
メロディーが風変わりなのかな?と聴こえるかもしれませんが、これは「Bm」なんて素っ頓狂なところへ移行するコード進行こそが変化球なのです。メロディーだけで言えば、フォーク系直球王道の「Am→Em」の進行にも載るのですから。
この頃のジュリーはおそらく、頭に浮かんだメロディーをギターを弾きながらコードに当てはめていく、という作曲スタイルだったと思いますが、専門職でないが故の自由度の高さがあるのですね。
続いて

好きだよ  口づけしてあげる ♪
C       Em   F    G    C    G7

コード進行は再度王道パターンに戻るんですけど、今度は譜割りが変化球!
この歌詞部までを「歌メロの1番」という大きな塊とした時、「してあげる♪」の箇所は、その塊の最後に「ちょん」と1小節だけくっつけた構成となっているのです。小さな尻尾がついている感覚、と言えば良いのかな。

堯之さん達バンドメンバーもそこは大いに感心したと見えて、1番が終わると間髪入れずに2番へと繋げるアレンジを施し、その「変テコな感じ」を強調しています(普通なら、演奏は偶数の小節数で回しますから、「してあげる」の後に1小節を加えておいてから2番へ進むのが常套です。その手法は、ギター・ソロの間奏直前で一転、採り入れられています)。
ジュリーがその才の赴くまま自由に作った曲を、「普通はそこはこうだろ」と一般論を押しつけずに、むしろ「そうきたか、ならば俺たちはこう応える!」といった感じの演奏、アレンジ・・・井上バンドならではですね。
この頃の、頼りない(と、自らの作曲の才にまだ気づかず、ジュリーは謙遜ではなくそう考えていたでしょう)自作曲がいとも名編のアレンジに仕上げられていくスタジオ作業は、ジュリーにその後の急速な「作曲家」としての成長を促したと思います。

例えば、最後のリフレインで転調する構成などは井上バンドのアイデアでしょう。これまた面白いですね。
これはハ長調から変ロ長調への転調。キーが突然、1音半も跳ね上がっていることになります。
で、このリフレイン部を歌っているのは・・・誰でしょう?
女性の声が聴こえるように思うのですが・・・。

いずれにせよ、こうしたジュリーとバンドの手作り感こそ、『JULIE IV~今僕は倖せです』最大の魅力であることは言うまでもありません。このアルバムでの井上バンドの演奏は、良い意味で乾いたスカスカの音作りがジュリーの美声と合っていますし、「ラヴ ソング」はザ・バンドのバラードのような味わいもあって、サリーのベースも一番良い時なんじゃないかなぁ。
ミックスから推察すると、まず「せ~の!」で4人が一発録音し、後から堯之さんと大野さんがそれぞれ1トラックずつを加えて全体のアレンジを仕上げる、という作業だったようですね。
「ラヴ ソング」では、堯之さんのサイド・ギターと大野さんのオルガンがセンター附近にミックスされていて、これがまず最初の演奏でしょう。右サイドのリード・ギターと左サイドのピアノが追加トラックと考えられます。

それにしても・・・CD版の『JULIE IV~今僕は倖せです』で、「お前なら」に続くシークレット・トラック「くわえ煙草にて」(前回「一握り人の罪」の記事中でこの曲に触れたところ、nekomodoki様が歌詞カード表記とレコードの送り溝でLP版のトラック分けの詳細を確認してくださいました。ありがとうございます!)が収録されていない、という状況はとても残念です。
最近再発されたリマスター盤ではどうなっているのか・・・期待は持てないけど、気になります。


それでは、ここからはオマケです~。
拙ブログでは、おもに70年代前半のジュリー作詞作品をお題に採り上げる際、かつて『女学生の友』に連載されていた『フォトポエム』をご紹介しております。これらは、いつもお世話になっている岐阜、長崎の両J先輩が長年大切に保管なされていたお宝資料でございます。

『フォトポエム』は72年から73年にかけての連載だったようで、『JULIE IV~今僕は倖せです』のリリース時期とリンクしているものが多いですね。特に、72年の夏にショーケンとギリシャを旅した中でアイデアを温めたと思われる詩は、多忙の中書き殴ったような言葉の中に、ジュリーが何らかの刺激から新たな感性を身につけたような凛々しさがあって、とても興味深いです。

ただ、今回ご紹介する号はおそらく連載開始早々・・・2篇あるポエムのうち最初の「誘い」という詩はジュリーの自作ではないようです。連載初期の数回はこんな感じだったのでしょうか。
2篇目の「春のこいびと」の方は、ジュリー自身の詩ということで良いのかなぁ。

Photospring1

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ジュリーにとって「春」とはどんな季節なのか・・・やっぱりあの震災の後は、「春を迎える気持ち」も以前とはずいぶん変わってきているのでしょうね。

『三年想いよ』が発売された頃はまだまだ真冬のような寒い日もありましたが、全曲の記事を執筆している間に、季節はすっかり暖かな春となりました・・・。


さて、今回の記事を読んでくださった先輩方の中には、久々にこの「ラヴ ソング」を聴き返してみた、というかたもいらっしゃるかもしれません(そういうお話が僕は一番嬉しいのです)。きっと、ジュリーの「口づけしてあげる♪」に改めて身悶えなさったことでしょう(笑)。
ということで次回更新は、”ジュリーの口づけ”繋がりのお題を予定しております。

歌詞に「口づけ」というフレーズが登場するジュリーナンバー、いくつかありますね。
さぁ、どの曲でしょうか。お楽しみに!

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2014年4月 3日 (木)

沢田研二 「一握り人の罪」

from『三年想いよ』、2014

Sannenomoiyo

1. 三年想いよ
2. 櫻舗道
3. 東京五輪ありがとう
4. 一握り人の罪
(5. みんな入ろ)

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一週間、下書きの段階から書いては直し、書いては直し、を何度も繰り返してきました。
本当に、ジュリーの言ってた通りだなぁ。読み返して「この表現はダメだ」と考えあぐねて、だんだん柔らかい言葉に変わってくる・・・それでも残っている「痛い」言葉もある・・・。

今日はジュリーの新譜『三年想いよ』から、いよいよ最後の考察記事です。4曲目「一握り人の罪」と、シークレット・トラックの5曲目「みんな入ろ」を同時に採り上げたいと思います。
「一握り人の罪」と言えば・・・今、ジュリーファンよりもむしろファン以外の方々のweb上での反応がとても多いようです。一昨年の「F.A.P.P.」昨年の「Fridays Voice」の時もそうでした。

いつも読んでくださっているジュリーファンのみなさまには、今回のこの記事が「楽しい」とは言い難い長文になることを、最初にお詫び申し上げます(この埋め合わせは、次回からサクサクと明るいお題記事を連発してゆくことで頑張っていきたいと思います)。
畏れながら、伝授です!

1曲目「三年想いよ」の記事で書きましたが、僕はこの新譜を仕事からの帰宅途中に購入し、歌詞やクレジットを見ずにまず電車内で通して聴きました。
事前にiTunesのサイトにて各トラックの演奏時間をチェックしていて、僕はそれも参考にしながら楽曲内容を予想したわけですが、いざ実際に聴いた時、この「一握り人の罪」には全4曲中最も意表を突かれました。「怒りと悲しみを前面に押し出したラウド・ロック」との予想に反し、まず耳に飛び込んできたのは、美しいアコースティック・ギターのストローク・アンサンブルでした。

美しいメロディーとジュリーの声に身を委ね、集中して聴いていたバラードが演奏を終えた時、体感としてはちょうどiTunesで表記されていた演奏時間(4分台後半)の感覚があり、ポータブルを取り出し再び1曲目から再生しようとしてふと、無音のままタイムカウンターが刻まれていることに気がつきました。5分を過ぎても、まだカウンターは進み続けています。

「これは・・・最後の最後にドキリとさせるような効果音でも入っているのかな?」
と考えた瞬間に始まったのが、「みんな入ろ」。

ビックリしましたよ。
歌詞カードを見ていませんでしたから、「一握り人の罪」という曲が、「みんな入ろ」の児童合唱部まで含めた形での、6分以上にも及ぶ大作だと思い込んだわけです。
帰宅し確認すると、みなさまご存知の通り、歌詞カード最後のページの桜の木の右上に「作詞・作曲・沢田研二」のクレジットと共に、「5. みんな入ろ」と記して歌詞があり、この短い童謡調の曲がシークレット・トラックの扱いになっていることが判明。
「なるほどこういう手法か」と改めて感心しました。

「シークレット・トラック」というのは邦洋ロックの名盤に幾多の例があります(邦楽については実際に楽曲としてはさほど聴いてはいないのですが・・・)。
トラックを単独で意味深に分けられているパターン(例・ジョン・レノンのアルバム『マインド・ゲームス』の6曲目「ヌートピアン・インターナショナル・アンセム」)もあれば、トラックを分けずに前曲からトータル・タイムの追加でひっそりと収録されているパターン(例・ポール・マッカートニーのアルバム『裏庭の混沌と創造』13曲目「エニウェイ」演奏後の追加トラック「アイヴ・オンリー・ガット・トゥー・ハンズ」)もあります。
ジュリーは今回の『三年想いよ』で後者のパターンを採用したことになります。
(ちなみに、僕はLPを所有していないのでまったく分からないのですが、『JULIE IV~今僕は倖せです』に収録されていたと話に聞く「くわえ煙草にて」は、シークレット・トラック扱いだったのでしょうか?)

こうした収録手法である以上、「みんな入ろ」が夏からのツアーで再現されることは無いでしょう。
あくまで、今年制作した新譜の締めくくりにジュリーが提示し投げかけた1曲、ということ。あとは聴き手がそれに対して何を思うか、です。
無論、手間をかけてそうした手法で収録が為されたからには、「みんな入ろ」にジュリーからの特に重要なメッセージが込められていることは明らかです。

僕の場合皮肉にも、今回のジュリーの新譜が届けられる前後のタイミングで、故郷から歓迎できないニュースが届けられたこともあって、「みんな入ろ」とジュリーから投げられたボールを自分なりの明確な答を得て受け取り、それをこれからこの記事でも書こうとしているわけですが・・・一方で、「どう反応すれば良いのか迷ったファンもきっと多かったんだろうなぁ」というのが率直な想像としてあるにはあります。
「なんだか怖い」という感想もあるそうですね。
「童謡が持つ怖さ」については、『イカ天』でゲスト審査員の大島渚監督が”たま”が5週勝ち抜きを達成した際に、ふと語っていたことがあったなぁ・・・。

それでは、まずは「一握り人の罪」。考察の前半は、純粋に楽曲、演奏、アレンジについて語っていきましょう。
いつものように、鉄人バンドのすべての演奏トラックを書き出してみます。

泰輝さん・・・オルガン(間奏以降同時弾きの左手低音は、右手オルガンとは違う音色のシンセベース)
柴山さん・・・アコースティック・ギター(右サイド)
下山さん・・・アコースティック・ギター(左サイド)
GRACE姉さん・・・ドラムス、マラカス、タンバリン

エレキギターが使われていない、というのがまずこの曲のアレンジの大きな特徴。
当然LIVEでも同じ楽器構成となるでしょう。柴山さんと下山さんの2人が揃ってアコースティック・ギターを持つシーンは本当に久々で、今から楽しみです。

昔 海辺の小       さな 
G   Am7    G(onB)  C

寂れかけてた  村      に
G     Am7       G(onB)  C

東電が来て
G  Am7

原         発  速く   作りたいと
G(onB)  B7    Em  A7  Dsus4  D

「ひと昔前の話だけど、こんなことがあってね・・・」
と、子供達や若い世代に伝え語りかけるジュリーの歌。また、僕も含めてある程度の年齢以上の聴き手にとっては、「物語」では決してない現実の記憶。そう、これは過去の「誇大でない現実」を語る歌なのです。

今は学校では教えないこと?
教科書には書いてある?
書いてあったとしても受験には関係ない?

左右のアコースティック・ギター2本の伴奏だけで始まる、美しいバラード。
左サイドの下山さんのアコギが、「カガヤケイノチ」のストロークにあまりにそっくりな音色でドキリとします。
一体どうしたら、こんなにキレイでシャキシャキな音が録れるんだろう・・・?
もちろん楽器それ自体の素晴らしさ(下山さんが「新しい娘」としてこのアコギを紹介してくれていたのは、2011年末のことでしたね)や、下山さんの技術の高さもあるでしょう。それに加えて、レコーディング手法にも秘密があるように思われます。下山さんならではの、「こう!」というやり方がきっとあるのでしょうね。

一方右サイドの柴山さんのアコギには空間系のエフェクトが施され、幻想的な音色になっています。
柴山さんの音は「昔」、下山さんの音は「現在」として、ジュリーの「読み聞かせ」での時間軸のリンクを表現しているのでしょうか。それは深読みとしても、「昔」と「現在」を行き来するのがこのジュリーの歌詞の特性であり、その「読み聞かせ」は物語ではなく現実です。「櫻舗道」の記事でも書いた「誇大でない現実を歌う」作詞手法が、「一握り人の罪」では徹底されていると感じます。

Aメロの「G→Am7→G(onB)→C」と流れる淡々としつつも美しい響きは、泰輝さんの大好きなアーティストでありピアニスト、ビリー・ジョエルの得意技。CD音源のアコースティック・ギター・トラックだけ聴くと「G→Am7→G→C」と聴こえるのですが、メロディーから考えて、泰輝さんの鍵盤での作曲段階では左手を「ソ→ラ→シ→ド」と上昇させていたものと推測されます。
僕にとってビリー・ジョエル・ナンバーの中で5本の指に入るほど好きな、隠れた名バラード「場末じみた場面」のAメロにも登場するコード進行。泰輝さんに、この曲への意識はあったのかなぁ。
ともあれこのAメロは、いかにも鍵盤奏者の作曲作品ならでは、という進行です。これがギタリストの作曲ならば、同じメロディーでも和音は「G→Am7→Bm→C」と当てる方が有力で、この場合はビートルズの「ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア」のようなアレンジになっていたかもしれません。もちろん”音の料理人”である泰輝さんにはギタリスト的なコード感覚もあって、歌メロではなくオルガンのフレーズにそれが反映されています(2’00”、4’29”で登場するフレーズ)。

オルガンと言えば、間奏のソロも本当に美しいです。
ジュリーの「僕らに還して国を」という歌詞を受けていることもあり、ただ美しいだけでなく、寂しさだったり、嘆きだったり・・・被災地の人達の揺れ動く感情をも思わせます。というのも、この間奏はそんな人々の心の動きを表すかのように、なめらかに転調を繰り返しているんですよね。
左手で同時弾きしていると思われるベース音は、基本2分音符のロングトーン。これがまた優しくて切ない。そして、ここにベース音があるのと無いのとでは、サビ直前にフィル・インするドラムスへの効果が全然違うのです。

GRACE姉さんのドラムスが全面参加するのはそのフィル・イン以降のサビ部で満を持して、という感じですが、それ以前にハイハットのみのフィル部があったり、間奏ではマラカスとタンバリンが登場して細やかにオルガン・ソロをバックアップします。
LIVEではこのパーカッション・パートが再現されるのでしょうか。夏からのツアー、注目ポイントのひとつです。

あと、この曲には印象的なS.E.も採用されています。
川のせせらぎ、水の流れが何かをゆっくり動かすような音・・・でしょうか。
同じようなS.E.をクラトゥーというバンドの曲で聴いたことがあるような気がしますが、まだ該当曲を見つけられていません。
このS.E.で、僕の頭には田園風景が浮かびます。田んぼに沿って流れる小川と、古い水車、清らかな水の小さくもゆったりとした流れ・・・そんな風景です。
おそらく自分の幼少時代の記憶から引っ張り出されてきたものでしょう。

「一握りの罪」はこのように、メロディーや演奏、アレンジに非のうちどころのない大変な名曲です。
ただ、ジュリーの歌詞を読み歌を聴くと、そんな感想だけで考察記事を終えられる曲ではもちろんありません。

個人的には「よくぞこのテーマで、詞曲がガッチリ噛みあったなぁ」と考えていて、ジュリーの歌詞と泰輝さんのメロディーに僕はいささかの乖離も感じません。
これほどまでの「言いたいこと」が、こんなに美しい声で、メロディーで、演奏で歌われることは奇跡です。ジュリーの音楽制作環境は、かつてないほど充実していますし、そもそも、そうした環境も含めてここまでの「境地」を手にした歌手というのは他にいないのではないか、と思います。

しかし「一握り人の罪」については一方で、「美しい曲なのに歌詞が重くて・・・」と仰るファンも大勢いらっしゃいます。それもまた正直な感想なんだろうなぁ、とも思うのです。やはり、内容が内容だけにね・・・。

繰り返すようですが、僕個人は本当に皮肉なことに、「一握り人の罪」、そして続くシークレット・トラック「みんな入ろ」の歌詞をストレートに受け取ることができる体勢が思いもかけず整った(そうならざるを得なかった)タイミングで、今回の新譜を聴いたのでした。
この先書くことはジュリーの歌詞の読解と言うより僕個人の思いであろう、ということは最初に申し上げておきます。それでもきっとご批判もあるでしょうが・・・。

僕の心をざわつかせているのは、「みんな入ろ」に登場する「せんちゃん」が今まさに「僕は入らない!」と駄々をこね始めている、という問題です。
「せんちゃん」・・・日本最南の原発。

遠い遠い田舎の片隅のことで、みなさまあまりこの土地をご存知ではないでしょう。
僕の故郷、鹿児島県の西部に位置する、県内で3番目の人口を擁する町が「薩摩川内市」。市の最西部、東シナ海に面して建てられた九州電力川内原発が「せんちゃん」です。「川内」は「せんだい」と読みます。

川内原発再稼働については昨年から話がくすぶっていて(3年前の震災以前には増設の是非を巡る問題もあったようです)、「まさかなぁ」と思っていたら、今年に入ると「再稼働有力」との情報を全国紙でも見かけるようになりました。
気が気でない中で僕はジュリーの『三年想いよ』を聴き、その翌日、再稼働具体化が公式に発表されました。
地元の反対派の方々の「まるで出来レースじゃないか」という怒りの声をネットで知りました。
ただ、県はどうやらやる気満々。そして、県人の意識としてはどちらかと言うと推進派、或いは「再稼働やむなし」の声の方が大きいとされているではありませんか。まずそうした全国紙報道が果たして真実なのかどうか、と疑ってしまっている現状です。

確かに、多くの鹿児島県人には保守的気質があります。僕はそれを特に嫌だと感じたことはないけれど、他県では考えられないような絶対男性上位の考え方などは今でも根強いです。
話せばみな穏やかで暖かい人達でのんびりしていますが、目的が一致した時の強い集団団結力もあります。今、そうしたことが再稼働に向かってしまっているのでしょうか。

しかし・・・2012年に南大隅(県本土の南東部)に核廃棄物処理場誘致の話が持ち上がった時には、地元の方々を中心に反対運動が起こり、県として拒否したという経緯もあります。
何故今回、川内原発再稼働推進の機運となっているのか・・・まだよくは分かりません。「取り戻せない平穏な暮らし」を想像してみようとする人が県内にどれほどいるのだろうか・・・それも分かりません。

もちろん、強い反対の声も多く上がっています。
その中に、ジュリーが選挙応援した彼も噛んできています。実名を出せずにごめんなさい。彼の名前を出して政治的なことをweb上に書くと、すぐ荒れてしまうのだそうです。まぁ、それでも覚悟はしておかなければいけないのでしょうが・・・。
実は僕はこれまで、彼をあまり快くは思っていませんでした。ジュリーが応援した人なのに、何故そんなことするかなぁ、何故そんなこと言うかなぁ、と感じたことが度々ありました。

でも正直、今回の彼の行動は嬉しかった。

鹿児島では今、彼は相当叩かれていると思います。
再稼働反対派の人達からさえ疎んじられている状況も、もしかするとあるのかもしれません。鹿児島は、都会からやってきた人が物事を仕切る、ということに強い抵抗感を抱く土地柄ですからね・・・。
ただ、彼が前面に立つことで、今月行われる鹿児島2区の補欠選挙が全国的なニュースとなっています。新聞によってずいぶん扱いの差がありますけどね。
それでも、「何で彼がわざわざ鹿児島までしゃしゃり出てるの?」という興味本位の疑問から、川内原発再稼働をとりまく差し迫った現況を初めて知る人もいるかもしれません。これまでは、全国的にはほとんど詳細報道が無かったのです。

薩摩川内市は、僕の実家がある霧島市と隣接しています。隣接と言っても、2つの市共に、近年になって合併して大きくなった市で面積も広いですから、川内原発と僕の実家では結構な距離がありますけど。
とは言え、万が一今回の福島原発のような過酷事故が川内で起きてしまったら、霧島市にも重大な影響が必ずあります。
「鹿児島」は「カゴシマ」と記されるようになり、南風が吹く日に桜島の噴火があれば、「死の灰」などとメディアに書きたてられ騒がれるのでしょう。
川内のすぐ北にある「出水」という町は鶴が渡ってくることで全国的に有名な所ですが、どう対処するのでしょうか。
そのまたすぐ北は、もう熊本県の水俣です。

毎日流れてくるであろういたたまれない故郷のニュースに、僕は黙って耐えられるだろうか・・・実家も含め、近辺に暮らす肉親や友人達は、どうするのだろうか。

こうして書いてみると、僕はいかにも鹿児島のことしか考えていない身勝手な奴のようです。
それを否定などできません。恥ずかしいことですが・・・「もし自分の故郷が」と考えて初めて思い至ることがあり、今まさに福島の事故後苦しんでいらしゃる方々への気持ちもまた変わってくる、ということが確かにあるのです。僕のような人間は、そうでもしないとなかなか辿り着くことのできない気持ちです。

福島については事故後に世間で色々な考え方が複雑にせめぎ合っていて、その中には僕の思いとはかなり違うものもあり戸惑うことがあります。
それだけに、今年ジュリーがツアーで南相馬に行く、と知った時は嬉しかった・・・。
ただ、鹿児島公演が無いことが残念です。あったら、無理してでも参加したと思います。こんな時だけにね。
まさか「東電」を「九電」に変えて歌ったりはしないと思いますが、ジュリーの宝山ホール公演を主催している南日本新聞は、ジュリーのメッセージをきちんと伝えられる懐がありますから、川内原発再稼働に反対する一般の方々も、LIVE翌日の南日本新聞を読んで大いに力を得られただろうになぁ、と思ってしまいます。

さてここで、ジュリーが歌った、過去の「誇大でない現実」について思い出してみましょう。


30年ほど前・・・ちょうど、ド田舎の「寂れた」町から華やかな都会へと上京した僕が大学生活を送っていた頃になりますが・・・テレビ朝日の『朝まで生テレビ』という討論番組が、深夜枠では異例の高視聴率を得て放映されていました。
司会の田原総一朗さんを筆頭に、錚々たるパネリストがレギュラー、ゲストに顔を揃え、様々な社会問題をそれぞれの立場、考え方から徹底討論するという内容で、この番組で知名度を上げたパネリストは数知れず。つい最近、東京都知事となった人もその一人。僕は当時、レギュラー・パネリストの中で一番分かり易く、かつ核心を突いた話をしてくれる人、と好印象を持っていたものでしたが・・・。

番組では「何度採り上げてもなか
なか結論が出ない」ということで、数回にわたり討論テーマとして採り上げられていたのが、「原発」の問題でした。
本当に「今だから」言えることは・・・あの頃の議論は争点がズレまくっていたんだな、と。

「何だかよく分からないけど、とにかく怖いから建設そのものに反対」という考えでは、誰も深い議論に入っていくことはできませんでした。どちらかと言うと、「大きなリスクとどう共存していくのか、またはするべきなのか否か」が大きな争点となっていました。
「怖いか怖くないか」ではなく、「必要なのか必要でないのか」が論点でした。討論番組ならばそれは必然の流れだったかもしれませんが、「怖さ」を実感しよう、想像してみようとした人は少なかったように思います。
推進側はもちろん、反対側の多くの人達にしても、30年後の過酷事故を予測できたはずもなく、「事故が起こったら」と必死に声を上げた僅かな参加視聴者は、「博識な知識人」達の議論の中で次第に萎縮していくしかなかった・・・そんなシーンがまざまざと思い出されます。

東電側も信じた
     G                G(onF#)

受け入れ側も信じた
          Em              Em7

安全神話鵜呑みに
    C                     G11(onB)

一握り人の罪
    Am         Dsus4   D

どちらの立場としても、当時は結局「過酷事故は起こらない」と「信じる」しかなかった。そう思い込んだ上で、話を進めていくしかなかった・・・それが「安全神話」の正体だったのかもしれません。

でも・・・もちろん「知識人」の議論とは別のところで、「安全なはずがないだろう」とシンプルに考えた著名人は当時から大勢いたはずです。今考えれば、RCサクセションの「サマータイム・ブルース」はそういう曲だったわけですし。
それをキャッチできなかった僕らの責任は重い、と思います。他でもない「安全圏」に身を置くと信じていた僕らが「気づき」に向かおうとしていなかっただけではないか、と思います。

かつて土地の人々の反対意見を「機動隊投入」で封じた・・・?そんなことがあったんだっけ・・・?
と、僕が格別常識知らずで酷いのかもしれませんが、僕はそんなレベルで「一握り人の罪」を突きつけられているという状況。
とすれば、当時「自分は外野」と決めこむことに何の疑問も持っていなかった僕のような者こそ「一握り人」に含まれるのかもしれない、と・・・考えは堂々巡るのです。

結果、各地に原発は作られました。次々に。反対意見は軽んじられて。それは厳然たる事実。

ジュリーの作詞には、初聴時に耳で聴こえる言葉と、文字(歌詞カード)とが違うというパターンがままあります。当然、ジュリーはダブル・ミーニングとして敢えてそうした手法を採り入れているかと思いますが、「一握り人の罪」にも強烈にそれがありました。

原発に乞われた町
    G                    G(onF#)

原発に憑かれた町
    Em                   Em7

神話流布したのは誰
      C                    G11(onB)

一握り人の罪
    Am        Dsus4   D

このはじめの2行・・・僕には「原発に壊れた町」「原発に疲れた町」と聴こえました。
「最初に歌詞カードを見ずに聴いた」と仰るみなさま、ほとんどそう聴こえたのではないでしょうか。

ある先輩が仰っていました。「文字ではなく、耳に聞こえる言葉の方がジュリーの心の叫びなのでは」と。
そうかもしれません。
また、解釈の仕方によっては、「乞われた町」「憑かれた町」は、寂れた土地に東電がやってきた頃のことを表し、「壊れた町」「疲れた町」は今現在の状況を表している、と考えられなくもありません。

ジュリーはどんなふうにこの歌詞を作っていったのでしょう。最初に「壊れた町」「疲れた町」と書いて、後から当てる漢字を変えたのかな・・・それとも最初から2つの意味を持たせることを決めていたのか・・・。


「詞を作っている時、被災した方の心が痛むかなと思って、だんだん柔らかい言葉に変わってくる。それでも『痛いけれどよく言ってくれた』という歌詞が残っていたら、僕は救われると感じる」

これまで何度も引用してきましたが、先の3月2日付の毎日新聞夕刊に掲載されたジュリーの言葉が、「一握り人の罪」を聴くと胸を突くように思い出されます。
だからこの曲は、痛いけど柔らかい。僕はたまたま故郷の問題があって、今回こういう記事を書いてしまったけれど、本来はああだこうだと考えるよりもまず、柔らかな歌に身を委ねるべきなのでしょう。
大切なのは理屈じゃなくて人の心なんだ、シンプルなことなんだ、とジュリーに言われたように思います。


額に皺の寄るような話を長々としてしまいました。
改めて最後に、僕が「一握り人の罪」という名曲に特に感動させられた点を2つほど挙げて、記事の締めくくりとしましょう。

ひとつは、これはもうほとんどのジュリーファンのみなさまが同じように感じられているのでしょうが・・・1番の「嗚呼無情」でのジュリーの「嗚呼」というヴォーカルです。
息を飲むしかないですね。(レコーディング音源としては)本当に久々にジュリーの「ああ」が降臨しました。
LIVEで思い出されるのは、昨年の『Pray』ツアー、セッットリストの大トリで歌われた「さよならを待たせて」。今年は、それ以上の「ああ」が「一握り人の罪」の生歌で聴けるはずです。感嘆よりも、深い悲しみをたたえたものにはなるのでしょうが・・・。

もうひとつは、「狂った未来」に「待った」をかけ、続く歌詞フレーズ「繰り返すまい明日に」に視界がパッと開けるような光を投げかけてくれた、泰輝さんの素晴らしいアレンジ・アイデアです。
「一握り人の罪」のサビのメロディーは、1番、2番にそれぞれ2回連続して、合計4回登場します。当然すべて同じメロディーになっているのですが、2番の最後のリフレインのみ、それまでとはコード進行が一変し、ジュリーの声が一層美しい響きで伝わってきます。
「理屈は分からないけど、最後のサビが特にグッとくる」と仰るかた、いらっしゃいませんか?

原発に怯える町 原発に狂った未来
    G              B7    Em              Dm7  G7

繰り返すまい明日に 一          握り人の罪
       C                     G11(onB) Am       Dsus4

嗚呼無情
D         G

太字で表記したコードネームが、変化している箇所です。特に「未来」に当てられた「Dm7→G7」が本当に素晴らしい!
この進行自体は、ポール・マッカートニーの「ブルーバード」や「もう一人の僕」「ア・サートゥン・ソフトネス」などの曲で僕も会得しているつもりでいましたが、超王道の「G→Em→C」の進行をこんなふうに変換させる手法があるんですね。
「最後の1回だけ」というのが泰輝さん会心のアイデアだと思います。ジュリーや鉄人バンドのメンバーは、曲が提示された段階ですぐにこの変化に気づいて「いいねぇ!」と大絶賛だったんじゃないかなぁ。


今年もまた、色々と考えさせられる新譜でした。
感じるものは人それぞれ違うでしょう。でも、この4曲が夏からのツアーでどんなふうに再現されるのか、それを大きな楽しみに今は待ちたいと思います。

そうそう、ぴょんた様のブログを拝見して「あ、そうかも!」と目からウロコだったのが、1曲目「三年想いよ」に登場する、歌メロと同じ音階を弾くリード・ギター・トラックについて。
ぴょんた様は、1番後の間奏が下山さん、アウトロ1回し目が柴山さん、2回し目以降が2人のユニゾンではないか、と推測していらっしゃいました。これ、改めて聴き直してみると、確かにそんなふうに感じるんです。
それなら、ギタリスト2人が各2トラックを担当してレコーディングしたことになり、作業バランス的にも納得。LIVEではすべて柴山さんが弾くかもしれませんが、CD音源についてはぴょんた様の仰る通りかもしれない、と手を打ちました。さすが、そのあたりは愛情が考察を深める、ということでしょうね。僕の場合はどうしても、理屈から型にはめようとして考察してしまうから・・・いやいや勉強になりました。

僕はこれからもこの名盤を繰り返し聴きまくって過ごしますが、ブログの方は一転しまして、LIVEではなかなか聴けないようなジュリーの様々な時代の名曲をお題に採り上げ、楽しい内容の楽曲考察記事をしばらく続けていく予定です。

なるべく短めの文章で(汗)、そのぶん更新頻度を上げていければ、と思っています。
よろしくお願い申し上げます!

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