沢田研二 「櫻舗道」
from『三年想いよ』、2014
1. 三年想いよ
2. 櫻舗道
3. 東京五輪ありがとう
4. 一握り人の罪
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3月11日の発売日からちょうど1週間遅れた18日に、アマゾンさんに予約していたジュリーの新譜CD『三年想いよ』が届けられました。
だいたい去年の『Pray』の到着と同じくらいのタイミングでしたか。一昨年の『3月8日の雲』は3週間くらい待ちましたから、それを考えると、普通の商品であればまぁ・・・待てない遅延日数でもなかったのかな。
ただ、ジュリーの新曲ですからねぇ。その1週間がどうしても待てないわけで。
発売日にタワーレコードで購入を済ませていた僕の手元には、これで2枚の『三年想いよ』が並びました。
アマゾンさんから届いた方のCDは例年通り、新曲だろうがセットリストだろうが、ジュリーに限らず自分の好きなものすべてにおいて信じられないほどに我慢が効く鋼鉄の意思を持つ男・YOKO君に引き取ってもらうことにします。彼独特の感想も今から楽しみです。
さて。
来週の音楽劇『悪名』初日を前に、みなさまのテンションも上がっておられることでしょう。
僕はと言えば、毎日『三年想いよ』を聴き続けています。まったく飽きませんね。
聴くたびに発見があり、夏からのツアーでどう再現してくれるのか、と夢想してしまいます。
今週前半は、暖かい日が多かったですね。
そうかと思えば、また週の後半には雨も降り急に気温が下がったり・・・今日はもう都心近辺は天気も良く、暖かくなっていますけどね(と思ったら昼過ぎから風が出てきて肌寒くなってきた)。
極端な気温の変化・・・震災から三年目の春、東日本の桜の開花ももうすぐそこまで来ていますが、待ち遠しいながらも、ジュリーが新譜で提示した美しくも哀しい光景を思い、過ごす日々です。
本題に入る前に今日はまず、ピー先生が「一枚の写真」で歌ったフレーズ「わくらば」以来久々に僕の無学を晒すことになるんですが・・・実は、今回ジュリーが歌った「三寒四温」という言葉を、これまで僕は知らなかったのですよ・・・。
まったく恥ずかしいことです。「わくらば」の時はカミさんも知らなかったんですけど、今回ばかりは「は?」と冷たい目で見られました。「天気予報とかで普通に出てくる言葉じゃん」と。
そ、そうでしたか・・・(大恥)。
[三寒四温]
冬季に寒い日が三日ほど続くと、その後四日間ぐらいは暖かいということ。また、気候がだんだん暖かくなる意にも用いる
要は、冬季或いは冬から春への移り変わりの季節に、寒暖の周期がだいたい7日(1週間)ごとに巡ることを表した言葉ということで・・・分かってみると「そういえば、見覚えも聞き覚えもあるかもなぁ」と。情けない。
人っ子居ない ふるさと
Em F Em D
三 寒 四 温 春は来たのか
C D7 G Bm(onF#) Em D7 G
「春は来たのか」という疑問形の詞に込められた、花吹雪の中に佇む人のどうしようもない無力感。誰にぶつけるでもなく心に押し止めている悔しさや、「春は来たんだ」と自分に言い聞かせ奮い立たせているようなやるせなさ・・・。
今日のお題は、『三年想いよ』2曲目に収録された、悲しく美しいピアノ・バラード、「櫻舗道」です。
僭越ながら、伝授!
僕は今回の新譜4曲すべて大好きですが、一番好きな曲がこの「櫻舗道」です。最近のジュリーの新譜で、数回聴いただけで「収録曲の中でこれが抜きん出て好き!」とハッキリ断言できる感覚というのは久しぶりのことで、「櫻舗道」は僕が”日替わり・個人的に一番好きなジュリー・ナンバー”として数えている10数曲の中にいきなり食い込んできました。
曲として個人的に好き、という以外にも、「櫻舗道」にはアレンジ考察上で特筆すべき点があり、近年の完全鉄人バンド体制の作品群の中でも重要な1曲になっていると思います。
まずはその辺りから語っていきましょう。
2011年から始まった、ジュリーと鉄人バンドによるレコーディング・スタイル・・・つまりは、「PRAY FOR EAST JAPAN」をコンセプトにまず鉄人バンドの各メンバーが曲を作り、ジュリーがそのメロディーに詞を載せる、という制作順序ですね。
僕はこれまで、曲は鉄人バンドのメンバーが先に作るけれど、ジュリーの詞が完成した後からもう一度鉄人バンドの間で綿密な打ち合わせがあり、場合によってはメロディーの修正含め、楽器編成、ギターやキーボードの音色の決定など、最終的なアレンジが練られていると推測してきました。
その推測の上で、「この曲のこの音はジュリーのこういう歌詞を表現しているのではないか」といったことを『3月8日の雲』『Pray』収録曲についていくつか書かせて頂きました。
ただ、それはあくまで推測の域を出ない考察でした。
もしかしたら、すべてのアレンジ、演奏が完成した上でジュリーが作詞をする、という作業順序かもしれないですし、そうでなくても、詞のフレーズとアレンジの相関関係を語るのは聴き手としての自分の思い込み、強引な後付けの解釈があったかもしれません。
しかし「櫻舗道」には、ジュリーの詞とバンドのアレンジに絶対の関連性を見出せる箇所があります。
イントロとエンディングの泰輝さんのピアノです。
これは邦楽ポップス特有の王道パターンで、「桜アレンジ」とも言うべきピアノ演奏。
揺れるように上下しながら、全体としては高音部から低音部へと次第に下がっていく音階。それが、ひらひらと舞い落ちる桜の花びらを表現している、というわけですね。
泰輝さんは右手でその「桜」を表現した音階を弾き続け、和音移動は左手の低音のみで補っています。
このピアノのアレンジ・アイデアが提示された時、「よし、この曲は最小限の楽器トラックで仕上げよう!」ということになったんじゃないかなぁ・・・。
こうしたピアノ・アレンジを採り入れた「桜」をモチーフとした邦楽バラードは楽曲によって様々なアレンジのヴァリエーションがあります。また、ポップス系に限らず僕の知らない演歌の曲などでも使われている例があるのではないかと思っています。
「桜」=日本人の感性に特化した演奏表現なので、感情移入もしやすく、それぞれのアーティストのファンに「名曲」とされている作品がきっと多いのでしょう。
ジュリーの「櫻舗道」然り。
そして、鉄人バンドが最近の3作で「ジュリーの歌詞の内容を受けてアレンジを組み立てていた」という僕のこれまでの推測を裏付ける曲が「櫻舗道」である、と言えそうなのです。
何故鉄人バンドが、下山さんがギターで作曲したこのバラードを、アコースティック・ギターのアルペジオではなく泰輝さんのピアノ弾き語りをメインとしたアレンジに仕上げたのか・・・それは、この曲が「桜」の歌だったから。
(ちなみに泰輝さんのピアノと言えば・・・今回の記事で僕が任意の引用歌詞に付記したコードネームは、下山さんの作曲段階ではこうだったんじゃないかなぁと想像しながら、ピアノではなく、音源には入っていないアコースティック・ギターを演奏しながらメロディーに当てはめたものです。
音源での泰輝さんのピアノはさらに細かなテンションコード、経過音などが加わり複雑な和音構成となっていて、僕程度の力で聴き取り採譜が可能な演奏ではありませんでした涙)
「桜」を歌った多くの邦楽曲は、明るい希望を盛り込んだものもあれば、新しい季節の別れの悲しみを歌ったものもありますが・・・ジュリーの「櫻舗道」は特定の地に咲く桜と人の、「誇大でない現実」の悲しみを歌ったバラードです。
あの原発事故によって、普通には立ち入りできなくなってしまった地の「櫻舗道」の歌でしょう。
この素晴らしい名曲を紐解く前に、まず書いておかねばならないなぁ、と思っていることがあります。
僕は2012年に「F.A.P.P.」、2013年に「Fridays Voice」と、これまでジュリーが原発問題を採り上げた曲について考察記事を書いてきましたが、文中でジュリーの作詞姿勢を「ロッカーであれば当然」と言い切る一方で、肝心の自分自身の意思や考え方をハッキリと書くことはしませんでした。
「怖い」「うしろめたい」という複雑な・・・いや卑屈な思いが、そこにあったのです。
自分の立ち位置を曖昧にしたにも関わらず、また、何の力も持たない一介の小市民が書いた文章にも関わらず、「ジュリーが脱原発を打ち出した楽曲について書いたブログ」というだけで、上記2曲はじめ『3月8日の雲』『Pray』収録曲の記事には、少ないながらもジュリーファン以外の反響がありました。ジュリーファンとはまったく関係のないところで、原発問題を世に問うているブログさんや、ツイッターでのみなさまからのリンクをいくつか頂きました。その中には、熱心に震災からの復興や原発事故の問題に取り組んでいらっしゃる一般の方々や、「Uncle Donald」の記事へのリンクには、脱原発をはじめ日々積極的な活動、発信を続けておられる弁護士さんもいらっしゃいました。
僕はそうしたことがとても嬉しかったけれど、一方では好意的でない反響も当然あるのです。
「こんな記事を書いて、変な人にからまれるんじゃないだろうか」という怖さであったり(そういう話は本当によく聞きますから)、「ジュリーの志については書いたけど、僕自身は何ひとつ言っていないに等しいじゃないか」といううしろめたさであったり・・・そんなことをグルグルと考えさせられたものでした。
何より、原発の問題について僕自身の考え方がハッキリしていなかった、というのは一番の負い目でした。
客観的な詳しい勉強もしていなかったし(最近ようやく始めたところです)、何をもって是か非かということが、ジュリー含め自分の知る音楽作品を通してでしか、図れずにいました。
いや、一応は「こう思う」というのはあった・・・かな。
僕にはまず、「脱原発」の声の前に、今回の事故での避難をせず(或いは地理的に避難の必要がなく)福島県内に留まり、言葉を堅く閉ざしてじっと暮らしている方々に降りかかる悪しき風評をなんとかしなければいけない、という考えがあります。これは、実際によく知るかたが正しくそうしたことで苦しんでいらしたことで強く影響されたもので、「考えがハッキリ纏まってきた」と自覚している今でもその基本姿勢だけは変わらずずっと持ち続けています。
福島県は、北海道、岩手県に続いて3番目に広い面積を持つ都道府県で、事故のあった原発立地から遠く離れた土地も当然あります。そうした場所にお住まいの方々が、「福島県在住」というだけで差別を受けるが如き風評被害に苦しんでいる現状があるのです。
また、帰還困難区域に近くともその地に留まることを決めたり、留まらざるを得なかった方々も、当然ながら同様・・・それ以上の苦しみの中にいらっしゃるはずです。
僕は2011年の事故後しばらく、まずはそのことで考えさせられる機会を多く持ちました。
ですから今でも、他意は無くとも結果として福島県をすべてひとまとめに「フクシマ」と片仮名表記している文章などを目にすると、それがどれだけ真摯なものであっても、強い抵抗を覚えてしまいます。それによってひどく傷つく方々が実際にいらっしゃるからです。
この三年間、僕が漠然と持ってしまっていたのは
「あんな大変な事故が起こってしまい、これだけ苦しんでいる方々がいらっしゃるのだし、いくら何でもこの先の各地原発の再稼働なんて話は、実際にはありえないだろう」
という甘い認識でした。
それが今、他でもない自分の故郷で沸き起こった再稼働具体化のニュースに直面させられ、大きな不安に気持ちがかき乱されています。
「じゃあ今までは他人事だったのか」と言われれば、ひとことも返せない・・・自分の考えが纏まった今だからこそ、それは僕が己を大いに恥じる部分です。
このことについては、次々回更新の「一握り人の罪」の記事で触れるつもりでいますが・・・。
2012年リリースの『3月8日の雲』以降、ジュリーの作詞アプローチについてはファンの間でも賛否あるようです。特に、原発をテーマとした曲についてよくそんな話を耳にしました。
それは、是か非か、というイデオロギー的なことではなく
「ジュリーには、辛く重い現実を忘れさせてくれる、夢の中の世界のような歌を歌って欲しい」
ということ。
そう仰る先輩方は、僕の周囲にも多くいらしゃいます。
しかしジュリーは2011年のあの重大な原発事故を受けて、この先もずっとそれを歌っていくと決めました。
僕としては、はそんなジュリーの姿勢を応援しています。それは、社会性の強いテーマに基づいた作品作りを支持しているという部分ももちろんありますが、何より「PRAY FOR EAST JAPAN」というテーマを得たジュリーの作詞を純粋に「凄い」と感じるからです。
2012年からのジュリーの作詞は、桁違いにそのスキルが上がり、レベルアップしていると僕は思っています。
しかもそれが、「これは職業作詞家には到底書けないんじゃないか」という切り口、フレーズで迫ってきますから、「ジュリーを聴いていないと、他では触れられない作品」としての価値があると考えているのです。
悲しみを、怒りを歌う・・・その根底でジュリーは「誇大でない現実を歌う」という作詞手法に着手しています。
現実を見つめ、そこから真実を追い求めよう、見てとろうとする心は、本来人間が持つ「健全さ」なのだ、とジュリーはこの新譜で語りかけてくれているような気がします。例えそうした姿勢が今の世では一部の人に避けられ、疎んじられ、果ては忘れ去られていることすらあろうとも。
「櫻舗道」は、正にそんな1曲ではないでしょうか。
まるで、いたたまれないドキュメント映像の中のワンシーンを切り取った一枚の写真のような光景が、「櫻舗道」のジュリーの詞からは浮かんできます。
櫻 舗道 防護服着て
G Bm7-5 Am7 D7 G
櫻 舗道 くぐった花吹雪
Em G#dim Am7 D7 G
ありありと浮かび上がる、3つの色。
晴れ渡り澄み切った空の青。爛漫櫻の鮮やかなピンク色。そこに入り込んだ、防護服の白。
(本来その場には存在しないはずの)くすんだ白色の上に、舞い散る無数の桜の花びらが音もなく降りかかった瞬間を、ジュリーの詞は切り取っています。
どんな状況であれ、桜はただ美しい。
それが悲しい。
淡々と歌うジュリー。その歌声に秘めた感情。
「声を上げずにじっと黙っている人はたくさんいる」
そうジュリーは語っていましたが、今回の新譜で、「三年想いよ」と「櫻舗道」の2曲は、ジュリーがそんな人達を頭に置いて作詞しているように僕には感じられます。
そしてそれは、「歌」だからこそ伝わってくるのでしょう。
「櫻舗道」の伴奏は泰輝さんのピアノ1本。
間奏とエンディングで下山さんのリードギター(空色のストラト・・・だと思うけどどうかなぁ。今まで生のLIVEで聴いてきた曲で言うと、「Pleasure Pleasure」のソロの音に近いような・・・)が登場する以外は他楽器の演奏はありません。
鉄人バンドはレコーディング段階で既にLIVEでの再現を見越していると思うけど、この曲は柴山さんとGRACE姉さんがコーラスのみに専念することになりますよね。ジュリーに「我が窮状」という曲があり、近年何度もツアー・セットリストに採り上げられていますから、それを踏まえて、鉄人バンドとしても堂々の、自信溢れる「櫻舗道」のアレンジかと思います。
さらに、ピアノが中央やや右寄り、ギターが左寄りというミックスは、ジュリーのLIVEでの泰輝さんと下山さんの立ち位置そのままのミックスであることに気づいていらっしゃる方々も多いでしょう。たとえ楽器トラックが2つしか無くとも、そこは徹底されているのですね。
リリース前の記事で、演奏やアレンジについての僕の予想は見事に(本当に感動的な形で)外れてしまいましたが、曲想については何とか当たりました。
そしてその時に書いた「下山さんがアコースティック・ギターで作曲したのではないか」という推測も、たぶん当たっているんじゃないかな、と思っています。実際に曲に合わせてアコギを弾いてみると、いかにもアルペジオで展開する曲作りだなぁ、と実感できるのです。
ジュリーの歌詞が違えば、それこそ「Beloved」のようなアレンジに仕上げられていたのではないでしょうか。
僕の胸 まだ青空なく
G C G C
淋しさは いや増すばかり
Em F C D7
このAメロにも登場しますが、下山さんはこのト長調の曲に「F」のコードを多用しています。それが、バラードでありながら甘くなり過ぎない、粘り強いメロディーを生み出しています。
「Beloved」同様に、標高の高い景色を連想させる、凛としたバラードだなぁと僕は感じます。
あと、この曲のコーラスに伊豆田洋之さんが加わっているのかどうかは僕の耳では判断できないのですが(ハッキリ「伊豆田さんの声だ」と自信を持って聴き取れるのは「東京五輪ありがとう」だけなのです・・・)、本当に素晴らしいコーラス・ワークですよね。
サビ部の一番低い声は、下山さんが歌っているんじゃないかな。
また、「非常線の生まれ故郷」という歌詞部に重なるようにして、驚くほどに透き通った高音のコーラスが噛んできます(2’10”あたりから)。それはまるで、手の届かない高いところから、覆い包まれるような感覚です。
1番の同じ箇所にはコーラスは無く、曲中唯一の登場。これもジュリーの「非常線」という特殊な歌詞フレーズから導き出された鉄人バンドの「アレンジ」と言えるのではないでしょうか。
コーラスというにはあまりに美しい音だったので、僕も最初は「キーボード」かな?と自然に考えました。
でも、シンセのボイス音って、同じパッチで音階移動した時に擬似母音の変化は無いんですよ。注意深く音源を聴くと、ここでは母音が「あ」から「う」へとなだらかに変わっていますから、「あぁ、これは肉声だ」と気づかされたのでした。
「櫻舗道」ではジュリーのヴォーカルの母音にドキリとする箇所がいくつもありますが、僕はこの部分のコーラスにもそれを感じています。
最後に。
今年の『三年想いよ』全国ツアーで、ジュリーは南相馬市に行きます。インフォメーションのLIVEスケジュールが届く前・・・お正月コンサート『ひとりぼっちのバラード』MCで、ジュリーからそのことがファンに告げられました。
東北での公演は他にも組まれている中で、やはり南相馬という場所はファンからすると特別な感じがします。
スケジュールは昨年の段階で決まっていたのでしょう。渦中に飛び込む、という意識がジュリーにあるのかどうかはわかりませんが、新譜の作詞作業がツアー・スケジュール確定後だったとすれば、ジュリーが今回の収録曲の中で「南相馬のステージで歌うこと」を念頭に置いた作詞作品があっても不思議ではありません。
その曲はきっと「櫻舗道」でしょうね。
以前から「機会があったら福島に行こう」とカミさんと話していましたし、LIVEが土曜日ならば僕らも南相馬まで泊まりがけで観に行きたい、と考えていましたが、残念ながら今回は平日の公演。
でも、僕の知る限りでは3人の先輩が、遠方の南相馬公演への参加を決め、チケットを申し込まれたそうです。
そして、地元在住のジュリーファンのかたが
「ジュリーが来てくれる。ファンのみんなも来てくれる」
と大変喜んでいらしたと聞きました。ただ同時に、ジュリーやファンの方々の会場までの道中も心配されていたそうです。ひどく交通の便が悪いところだから、と。
どうかお気をつけて・・・無事にLIVEを楽しまれますように、と僕はこの場所から祈るばかりです・・・。
それでは、次回は3曲目「東京五輪ありがとう」のお題記事での更新です。
またまた詞も曲も難しい考察お題が続きますが・・・なんとか3月中には書き上げたい、と思っています。
頑張ります!
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コメント
DYさん、お邪魔します。
「予想が当たった」と言っては語弊があるのですが、やはり、ジュリーが歌った桜は、私が曲タイトルを聞いて連想した町の桜でした。
ジュリーは、本当に桜の花が好きなので、この曲に込められた想いの深さに胸を締め付けられます。
とてつもなく美しく悲しい歌唱。とてつもなく悲しく美しい歌唱。2つを切り離して聴くことはできません。アルバム『愛まで待てない』収録曲『嘆きの天使』を思い出しました。ジュリーにしか出来ない表現法です。
そして『3月8日の雲』以来、ジュリーが訴えかけてきた原発問題についてですが…私も震災後の彼の地に対する扱いに対しては、かなり違和感があります。「“県”はどこいったの。“県”は。」と今でも思います。私は、JCO臨界事故から関心を持っていたので、臨界事故以後、原発が安全だと思ったことは、ありません。でも、被災地に近い地域に住む人たちの気持ちも分かります。ここでしか言えない話(こういう言い方をせざるを得ない言論のあり方に違和感を感じます)ですが、避難する権利があるなら、住む権利だってあるだろう、というのが私の意見です。ジュリーの作品は、決して住む権利を否定するものではなく、そういう人たちにも想いを寄せています。冷静に歌詞を受け止めないと分からないことですが…ジュリーは、迷いながらも、敢えて直接的な言葉で被災地の現状を表現しているので、東北でのライブで、どのように受け取られるのか心配です。1人でも多くの方に、ジュリーの想いが届いてほしいです。
投稿: 74年生まれ | 2014年3月21日 (金) 17時22分
DY様
私もこの楽曲は、この大名盤の中でも、ダントツのNo.1だと思います。
しかし、ジュリーのソング・ライティングのレベルの高さには脱帽です。
余分な言葉は一切なく、シンプルな言い回しだけで、聴き手には鮮やかな情景が浮かび上がると同時に、素晴らしいメロディに乗った淡々としたヴォーカルが、深い悲しみや怒りなどの感情を訴えかけてきます。
作詞家ジュリーの最高傑作というだけにとどまらず、他のアーティストの作品も含めて、これほど秀逸な詞はちょっと私の記憶にありません。
前のお題の楽曲にコメした通り、私は3部作12曲セットで一枚の擬似アルバムとして聴き続けてますが、『カガヤケ…』が不動の本編ラストなら、お題の楽曲は不動のA面ラストです。
また12曲セットで聴くことで、今回の大名盤だけでなく、過去2作も新鮮に聴こえる上に、新たな発見や感動があり、全く飽きることがありません。
ツアーが無理なら、1日だけでも3部作12曲だけのスペシャルLIVEをジュリーが企画してくれたら、私は万難を排して参加するんですが。。。
投稿: Mr.K1968 | 2014年3月21日 (金) 22時08分
DY様 こんばんは
私はこの曲を聴くとTV画面を通して見たある光景と重なるんです。
真昼間、人影だけが全くない通りに牛やダチョウがあてもなくさ迷っている・・・。
犬や猫が飼い主の帰還を信じて空ろに何かをさがしてる。
訳がわかっている人間はさっさと避難し、何も分からない家畜やペットが放棄されている、そんな不条理を桜吹雪が静かに包んでいく、そんな情景が浮かぶんです。
でも、無邪気なチビ猫をじゃらしながら自分だったらどうするか、答えは出ません。
下山さんの作品なので下山さんのアコギが中心かなと予想してたのですが、ピアノソロ中心で間奏が下山さんのストラト?(ギターの種類もろくに知らないけど何となく一番聴きなれた音な気がしたのでそうかな、と私も思いました)のみというシンプルさが情景を鮮やかに切り取っています。
投稿: nekomodoki | 2014年3月22日 (土) 22時09分
74年生まれ様
ありがとうございます!
本当に仰る通りのことを、僕は今回の記事を書きながら感じていました。
僕は、「美しい」と「悲しい」をどういう順番で書くか、何度も読み返して「いや違う」と思い悩んだりしました。
ただブログを書いているだけなんだからそんなに拘らなくても、と思ったりしながらも、結局はこんこんと考え込み、「悲しくも美しい」を「美しくも悲しい」に直したりしていました。
「一握り人の罪」よりも、こちら「櫻舗道」の方が、一般の方々が生で聴いた時にどう思うだろう、と考えます。
楽器数が少ない、というのはそういうことでもあるんですよね…。でも、だからこそジュリーの思いは届く、とも思っています。
☆
Mr.K様
ありがとうございます!
ジュリーの詞の潔さ、誠実さ、そして強い「伝えなければ」という思い…「個」でありながら普遍的、シンプルでありながら唯一無二。ジュリー作詞の名編が生まれましたね。
世の中の現状がジュリーにそれを作らせたのだ、というのは本当に皮肉なことなのですが…。
なるほど、12曲の「アルバム」として纏めた時にこの曲は「Aラス」ですか。それは大納得です。
A面、B面の感覚って本当に尊いですよね。そういうお話を伺うと、お互いレコード世代に生まれて良かったと思ってしまいますね。
ツアーの遠征は神戸を申し込みました。日が近くなりましたらご連絡差し上げますね。
☆
nekomodoki様
ありがとうございます!
僕も、動物たちが彷徨う映像は見ました。胸が詰まる思いです。
本当にどうしようもないことなんだろうか、救えないのだろうか、仕方ないのだろうか、とグルグルと思いが巡ります。
結局は、「こうしたことを繰り返すまい」というところに僕はようやく自分の思いを落ち着かせたわけです。
下山さんのギターがストラトかどうかは僕もまるで分からないんです。
ただ、nekomodoki様仰るように、「一番聴き慣れた音」のように感じてなりません。
LIVEでのこの曲…CDで聴くこのジュリーと鉄人バンドの凄い思いよりもさらに凄いものが迫ってくるのか、と思うと怖いようにも思えますが…かつてないほどの感動も予感しています。
投稿: DYNAMITE | 2014年3月22日 (土) 23時23分
こんにちは。
1番2番と歌詞の最後に繰り返し出てくる「爛漫桜」の歌い方、ひとつの単語(文章ではなく)の語尾の音階をこういうふうに上下させて歌うのはジュリーには珍しいかな?と思って注意を惹かれました。何度も聴いているうちに、これは、
♪らんまんざくら~~~
というよりも、
♪らんまんざくら あ~あ
のように歌っている?という気がしてきました。
LIVEでは、この曲でもジュリーの新たな深い ♪あ~あ が聴けそうな…
CDの収録順に聴く以外には、私は「櫻舗道」に続けて「3月8日の雲」(単曲)を聴いています。櫻舗道の光景を思い浮かべ、美しいメロディーを聴いた後に、
「閉ざす者にあかりを」「黙る者に救いを」
この詞、この声が胸に迫ります。3年後の今だからこそ、なおさら。
福島出身の友人から、「心無い言葉」について体が冷たくなるような話を私も聞いたことがあります。また3・11以降のジュリーの曲について、いろいろな声も耳にします。必ずしも肯定的なばかりでないそれらの声を、ご本人は百も承知しているのでしょう。
「折れないで」だけでなく、「折れないよ」と歌ったジュリー。
その覚悟は微塵も揺るいでいない、と今年の新曲CDを聴いて改めて感じ入っています。
投稿: ちこ | 2014年3月23日 (日) 12時25分
DY様こんにちは
三年想いよ、ようやく手元に配達され聞いた第一声・・・ジュリー、この曲連れて東北へなんて大丈夫かな?でした・・
客席から生たまごが投げられるドラマのワンシーンの光景がなぜか浮かびました。
でもその光景にはまだ続きがあり、ジュリーの前に立ちはだかり盾となる自分です(笑)
更新する毎にレベルアップするDY様のブログと、投稿される皆様のコメントのレベルの高さには脱帽です。
・・・と言う事で、平日で申し込めなかった東北ツアーのチケット、盾になれないと悔やんでいます。
レベルダウンの投稿すみません。
投稿: えいちん | 2014年3月23日 (日) 14時54分
瀬戸口様、こんにちは。
きょうは暖かくて、桜便りもいよいよですね。
谷中の桜は、準備段階、羽二重団子はいつでもOKです~
♪桜舗道、防護服着て、くぐった花吹雪・・静かに歌われたフレーズにウッと喉が鳴りました。それは悲しみや怒りよりももっと反射的なものでそれがなんなのか分かりません。
この風景がSF映画の一場面ではなく、日本の現実の風景であることの異常さ、ショックに身体が反応したのかもしれませんが、一瞬で胸を突かれた思いでした。
楽曲の詞と曲の調和、姿の美しさ、彼らがこれを生み出したもとにあるものの罪深さを思うと、DY様もおっしゃっていたように皮肉にも感じますが、それでもこの作品を届けてくれたジュリーと鉄人バンドに感謝します。
日本人はみんな桜が大好きだから、いろんな時代に日本の桜を歌った名曲をたくさんわたし達は持っているけど、桜を歌う人は近年多いけど、これ程美しく悲しくリアルな桜風景を歌ったものが生まれてくるとは。
ある意味、21世紀前半の日本の桜の風景を歌った白眉ではないででしょうか。
投稿: momo | 2014年3月23日 (日) 15時50分
ちこ様
ありがとうございます!
仰る通り、珍しいですね。
「さくら」の「く」と「ら」に違う音階の母音がついてきているんですよね。
ジュリーと過去に関わった人で言いますと、例えば伊藤銀次さんなどの作曲家がこうしたメロディーを得意としていますが、今回の下山さんは作曲段階からこうだったのか、それともジュリーが後から解釈を加えたのか…興味深いところです。
いずれにしてもジュリーのこの歌い方は、ゆらゆら揺れる、ひらひら落ちる…そんな表現なのでしょうか。
☆
細切れのお返事すみません
一度切ります。
投稿: DYNAMITE | 2014年3月24日 (月) 13時34分
えいちん様
ありがとうございます!
そのタイミングでようやく配達された、ということは、えいちん様もアマゾン組だったのでしょうか…。
まぁ卵は無いにしても、色々と心配はしてしまいますよね。今回のツアーでは『3月8日の雲』『Pray』からもセットリスト入りする曲があるかもしれませんし…。
でも、東北公演の成功を信じる気持ちもあります。そこはやっぱりジュリーの生歌の力…あの歌ならきっと大丈夫、と思いますから。
共に祈りましょう!
☆
momo様
ありがとうございます!
その後も暖かい日が続きますね。谷中の桜、もう咲いてしまったのではないですか~?
仰るように、サビでウッとくるのは反射的なものですね。理屈より、感情よりも先に詞とメロディー、ジュリーの声に反応するものがあります。
近年の3作の収録曲すべてに言えそうですが、日本人の桜に対する変わらぬ思いも合わせ、「櫻舗道」がその真価を際立たせ再評価される時が将来あると思っています。
それがどういう未来でのことになるのか…今生かされている一人一人に責任がありますね…。
投稿: DYNAMITE | 2014年3月26日 (水) 09時20分
DY様 おはようございます。
日々新譜を聴き乍ら、歌詞カード満載の空と櫻の図を眺めているうちに・・・ 昨年は友に誘われ、名所・徳川家康ゆかりの岡崎城さくら祭りに公共交通機関を乗り継ぎ、行けていたことを…有り難いことに、じんわり思い出せました。すっかり忘れていたのですが…私は久しぶりの名鉄に乗っている時から、確かに? 幸せ気分でいっぱいでした。車窓から飛び込んで来る春爛漫の景色に酔いながら。
好天に恵まれたあの日、平日と言うのに昼近くになっても、周辺道路はド渋滞…車は全く前に進めない状態で“電車が、大正解!”でしたが(笑)、「皆、どんだけ桜が好きやねん」とツッコミたくなる程、駅からずっと人で溢れかえっていました。
お気に? ポイントの桜を仰ぎ見ながら、お弁当を食べ…愛犬を連れて幸せそうに歩く家族やカップル…仕事や近所の仲間と宴会やら? 同窓会っぽいのやら?
…時おりハラハラ舞う花びらを肩や髪に乗っけて…普通に幸せそうに歩く人々を見られること…“安寧”…私の幸せな気持ちに繋がっていたんですよネ!
唐突ですが? …震災関連の歌を作られるジュリーのお陰で、普通に幸せでいることの意味を再び考え直しています。僅かな時間でも、いろいろ重なって起きると、大切にしていたこと、大切な“想い”を蔑ろにしてしまいがちな日常…反省頻りです。
今から、私は10月の南相馬公演に参加させて貰えるよう心の準備をしています。今後も健康管理を怠らず(*周囲に心配をかけないよう)、還暦を過ぎ、何かと? ありますが…“ジュリ活”ができる環境に感謝しています。
投稿: えいこはん | 2014年3月27日 (木) 09時37分
えいこはん様
ありがとうございます!
岡崎城良いですね~。僕は城や古戦場巡りが大好きですが、岡崎城はまだ行ったことがありません。桜まつりがあるのですね。
こちらは今日は少し肌寒いですが、明日からまた気温が上がるようで、週末には良い感じで桜が楽しめるかもしれません。
南相馬に参加されるのですか。僕は断念しましたが、とても気になる公演です。
遠方で大変かと思います。まずお身体を大事に、道中どうぞお気をつけて…。
投稿: DYNAMITE | 2014年3月27日 (木) 15時50分